福富草子

(『日本文学大系』第19巻「お伽草子」大正14年による。振り仮名省略。入力:菊池真一)
福富草子

 人は身に応ぜぬ果報をうらやむまじきことになむ侍る。むかし福富の織部とて、長者一人侍りけり。いかなる過去の宿縁にや、身に生れつきたる芸ひとつさぶらひけるが、習はざるに奇特をあらはし、はからざるに名を発して、世の人、神の如くにぞ思ひける。其の芸浅ましくいぶせければ、上中下の人までも、よく聞き知りて笑ひを催す事なりければ、自ら公方にも聞召し、もて興じおはしましけることなゝめならず。されば富めるが上に富み、楽しきが上に楽しみて、棟に棟を争ひ、蔵に蔵を建てて、五のたなつもの、耕さずして、庭にみち/\たり。
 それが都にほくせうの藤太とて、いと貧しきもの侍り。こは織部にひきかへて朝夕の煙も竈に絶え、とつのみち草しげりつゝ、築地にあらぬ柴垣や、幔幕ならぬ薦たれに、衣寒の床を明しかねつゝ、軒も垣をも、この為にこぼちとりて、あまり寒さの風を入れける。夏はあきましき麻の衣古びて、破れ団扇にて蚊を払ひ、軒の夕顔のはなやかなるを、なぐさめにて、あかしくらすめる。幼かりしより契りし人あり、藤太には十あまり姉にや侍りつらむかし、たけ立すくよかに、顔つき荒まじく、口広ければ、人、鬼姥とぞ申しける。鬼姥或日つまのほくせうに向ひて申しけるは、「士農工商の遊民は、ひとつゆゑつける芸の侍りてこそ、名を四方にかゞやかし、世渡るものにてさふらへ。あなあさまし、そこはいかなる昔の戒行のつたなき、高身になす能のおはせぬ事よ、いと口惜しとも口惜しや。うち読みはしり書き、吹きはやし給ふことこそならずとも、あの鄰の福富が一芸ばかりの事は、習はぱ何とかならはざらむ、さらば彼処に行きて、如伺にも打歎きて、心を尽し、師匠と仰ぎ、弟子ともなり給ひて習へよ、神変ある世ならば、あれ程にこそおはせずとも、世渡るばかりのたつき、などかならざるべき、すぐれて興に物し給はば、鄰の宝はこなたにみちはべるぺけれ、たとひ生れ付きたりといふとも、なさざる芸の長じ侍るはあらじ、玉は研くに光あり、とにもかくにも習ひたまへ、それをうけひき給はずば、御名残はをしくさふらへども、姥には御暇出されば、顔のつやゝかなるほどに、いかなるはしも定めはべらむ。」と、せかする。ほくせう理に折れて、鄰に行きいんぎんに畏まり、しか/゛\の事といふ。福富出で合ひて、「ようぞのたまふものかな、我等もそこの朝夕の友なり、侍らましかりしかど、道は行いて教ふる事なければ、おりたちて勧め参らせずして、かう月日過ぎし。」など、いとなさけ/\しう言そへ懇にもてはやすべし。ほくせい畏まり、「さてもさても有難の御よしみにぞ物し給へ、日比月ごろ鬼姥がせめ侍りつれど、斯かる大事の御能を、左右なう他の家には伝へ給はじと、推し量り思ひ侍りしかば、鬼姥が諌めをも用ひずして、過ぎこし年月の悔しさよ、かう憐み坐しけるを、姥に語り喜ばせはべらむ。」と、手をつかねてをる。織部の心の中には、今更ついそうやと、憎きものから、をかしさねんじつゝ、「抑此の一芸は、大事の薬の侍りて、服し、さてつとむる事に侍り、是が家の秘密なり、あなかしこ、人に語り給ふな。」とて、何か有らむ、ふりたる巻物取出でて、薬のちやうさやうをこま/゛\と語る。ほくせう、「さも侍らば、とてもの御よしみに其の御薬、先一度の芸勤める程賜はれよ、鬼姥が余りに、せはしく申し侍るもうるさけれぱ、近き程に一度ふり出で、先づ手柄をつかうまつり侍るべし。」と、しきりに侘びる。福富さらぱとて内に入りつゝ、黒く丸めたる薬二つ取り出でて、「是かまへて、すき腹にすかせ給ふな、少しおなかをつくろひて、其の芸をなさむと思ふ二時許りこなたに、塩湯ぬる/\として用ひ給へ、必らずふしぎ侍るべし、若し遅くともさのみいらち給ふな、余りに芸のおそなはり侍らば、盥に水汲み入れて、ゐ所をひたし、息を吹き給へ、止めたくば、息をのみ給へ。」と教ふ。ほくせう喜びて、かの薬を額に捧げ、暇乞して帰る。鬼姥待ち兼ねて、「如何に/\、習ひ給へりや、教へ給へりや。」といふ、ほくせうほゝゑみして、しか/゛\と語りけれぱ、姥喜ぶ事限りなし。今日の内に、さしも有るべき上つ方へ行きて、宣ふべきやうは、「福富の織部が師匠に、藤太のなにがし、何とやうに御好み候へ、御好みに随ひて出し侍らむと高らかに案内し給ふべし、試みにこれにて聞きたう侍れど、僅に二粒の薬なれば、惜しう侍るぞかし、はや/\出立ち給へ。」とせがむ。かくて妻戸の隅のかはごよりふりたる烏帽子、かきの帷子、きぬこの袴とりいだして、ほくせうにうちきせつゝ、「露も臆し給ふな、こしうし首さし仰ぎていひ入れ給へ。」烏帽子の塵払ひ、鬢なでつけ、前に立ち、後に廻りていふやう、「烏帽子き給ひたれぱ、はじめて姥が親の許へ婿入し給ふやうに覚えて侍るぞや、なう/\、よい殿や/\。」ほくせうは教への儘に二粒の薬を服して、道すがら腹すぢぱり、ひきつりて神鳴の如くなりけるを、念じつゝゐ所をすゑて急ぐ。
 今出川の中将、わかき殿にて興じ給ふとも知りたるにや、かしこに行きて、しか/゛\と案内す。中将殿、「いと興あることかな、此の間はうつ気にて、学問も怠りおはしつるに、いとよかむなり。」と、かのほくせう御庭に召させて、鞠のかゝりに、わらぶた据ゑて、あつもの大御酒とり/゛\もてなし絵ひて、御はし近う出で坐して、今やと御耳を傾ぷけておはす。御みすの内には御妹の内侍のかみ、おばの尼前、御台所、各集ひおはしましける。藤太腹は痛けれど、食物にのみ心入りたる、をかしや、さもしや、あまり腰のひきつり、おなかの痛むに堪へずして、立ち出でむとしけるが、取りはづして、さとはらし侍れば、水はじきの如し。白洲は、さながら山吹の花の散り敷きたるやうにて、井出の簗もかくやらむとおぽす。俄に風吹きたちて、御殿も、御階も、匂ひ満ちて浅ましといふ許りなし。もゝ尻をすゑて、走りて逃げむとしけるを、座敷の随身おりたちて、笞杖振り上げて打ち伏せつ、いと黒きゐどころを引きあけられて、うめるを、烏帽子髪引立て、やう/\御庭をおひ出す。(下手のおならこき奴や、斯かる狼藷、打てや/\、破れし頭より、御かわくたりに血をあへして、立田川の秋に異ならずかし。九献にこそ酔ひつらめ、じゆくし臭さもまして侍るぞかし、あら臭や/\。)ひらにうちひき裂かれたる烏帽子、片つぶりに著なし、袖も袂も赤に染みて、はふ/\かへりぬ。昼中の姿あらはづかしや、道すがら目なしどり、のきの雀おふ童も、手さし指さして笑ふ。叩かれたる腰の骨も、すりむけし膝の頭も、堪へがたければ、町や棚では、尻もかけまほしけれど、浅ましげなれば、人寄せもつけす、腰ひきねぢ/\帰るさま、何になぞらへむ。(おちほの町よりのぞきて笑ふところ、あれを見てはこたれさせな、ねん/\ねんね不思議や、いかう臭きは、もししなとの風や吹きつらむと思へば、いぷせき匂ぞや。)
 鬼姥斯かる事とも知らで、日も長けぬるまゝに、門に立ち、延び上り/\大路を見やりて、待ちこがるゝに、二町許りのあなたに来るを見つけて、すはやこゝへ人あまた具してかへりおはせるは、御送りの人々にや、おほやけにいかに興じおはしましつらむ、近づくまゝに、赤き小袖をうち著て帰り給ふよと思へぱ、いとゞ嬉し、なほ待ちこがて内に走り入りつゝ、いふやう、「あな見苦しき此の程の古小袖よ、今よりは長者になり給ふべければ、斯かる破れ衣よも召さじ、嫂にも孫にも何しに著すべき。」と、引落し火吹き立てて、めら/\と焼き棄てつ、孫はをしやといへど、聞きも入れず、嫂はさこそとよろこべど、なほいぶかしうて、くびさしのべて待ち居る。あなけぶた/\、煙は姥にやほれつらむ、しつこの煙や、そちへ行け/\、ほくせう辛うじてかへりぬ。赤きべゝかと見しは、つぶりにあへせし血なりけり。真黄な袴は、たれたるものなり。手触るゝことならねば、杖にかけ、顔はしかめ、鼻はふたぎて、呆れ居る。藤太は著類焼かれて裸になり、ふるひわななきて、いひわけすろも聞えず、我と身をいだきてすくみ居る。黒くふくつみたれど、ほくせうの名におへる姿ぞかし。北とのの妙西は、とぶらひ来つゝいふことの葉なや、南無阿弥陀、南無阿弥陀とて帰るもゆゝし。
 鄰のおこうは、せうしやうたつ物のやれよりのぞきて、笑止がれど、おゐどのあたりに目をぞつくる。かくて其の夜もあくる日も、おなかの痛みなごりありて、ゆふべの煙はゐ所に立ち、野辺の虫の音はおなかに鳴く。降りみ降らずみ、うち時雨れたる空の様にしよんちよとしけり。ほかみさしつゝ、こときり/\いたむ、あなはら/\といふ声も、いきの下なれば、鬼姥は憎けれど、さすがにわりなき中なれば、皺多き手をあゝためて、腹をさすれば、ほゝの内より浅ましきかをりいでて、何やらむにや/\とするもむつかしや、せむかたなきに、うつ伏しに伏せて、せなかに上り、いかにとりつきて、腰の骨を踏み、負ひたる孫はいぶられて、何心なく笑ふ。尿にやよだれにや、鬼姥かせなかよりすそくだり流しかけ、ふともゝしくめくは、ほくせうが腹癖をはやあやかりつるにやと覚ゆ。なほ憤りやまで、川辺に出でて身を清め、麻きりかけて南に向ひ、「南無帰命頂礼三所権現、つまのほくせうに恥見せし福富の織部を、命のうちに取り給ひて、憂き目を見せさせおはしませ。」と、鈴こと/゛\しうおしもみて、のろ/\しう祈る。其の信心神にや通じけむ、熊野の方より嘴ふとの烏一つ飛び来て、麻の前に羽をたれて鳴く。さては願ひかなひたり。姥は帰りけり。日にそひ夜にそひていとゞよわり、今は廁の通ひさへならざれば、高き足駄を足に著て、庭にもこよひ、砧の盤にもたれて、散らすこと夥し。喉かわきて湯水をこふこと隙なければ、「姥たまへ、姥たまへ。」童のやうにあまへて呼ぷ。呑める湯水はそのまま下す。かくていたうやつれ、ふくやかなりつる顔ばせも、痩せ/\と眉のほどいとゞ黒み落ち入りたり。かくて命も危かりぬべしとて、典薬頭和気清麿がり行きて、しか/゛\といひ嘆きければ、慈悲の家には上下いとはずとて、軈ていであひて、事の様子たづねて、薬てうじてたびしにぞ、鬼姥もすこし息をのぺたり。さて福富がたぱかりけろよと思ひあはせて、憎さのみ弥増しに増しければ、如何にもして恨みむと、かけて待つ程に、人の情けは合ふ中とて、織部うちつゞき夢見悪しければ、夢解く人に解かするに、七日の物忌、門閉ぢて人に逢ふべからずといふに、あなきうくつ、たゞ斯かる事は、神社の伝じ変へ給ふとて朝とく物に詣でける。鬼姥聞きつけて人さゝのくまくり待ちかけて、織部を見るよりも、ひし/\とつかみつく。そのさま魍魎鬼神もかくやあらむ。いと恐ろしとも恐ろしや。福富はさすがに男子なれば、姥が手をもぎはなちて、逃げ延びけれど、追ひかけて頬のあたりに噛みつくと等し。かくて帰るさまは人噛犬よりすさまじ。目は倒まに切れ、口は耳の根まで広ごりて、いきまく蛇体にやなりつらむと、道来る人は、鬼の人喰ふこと、あな恐ろしとて、逃げ侍るもあり、また珍らしとて、見る人も侍りけり。


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(奥付)
大正十四年九月二十日印刷
大正十四年九月二十三日発行
(非売品)
日本文学大系
第十九巻
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