増鏡
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校註 増鏡
(序)
二月(きさらぎ)の中の五日は、鶴(つる)の林(はやし)に薪(たきぎ)尽(つ)きにし日なれば、かの如来二伝(にでん)の御かたみのむつまじさに、嵯峨の清涼寺(せいりやうじ)に詣(まう)でて、常在霊鷲山(じやうざいりやうじゆせん)など心のうちに唱(とな)へて、拝(をが)み奉(たてまつ)る。傍(かたはら)に、八十(やそぢ)にもや余(あま)りぬらんと見(み)ゆる尼(あま)ひとり、鳩(はと)の杖(つえ)にかゝりて参(まゐ)れり。とばかりありて、「たけく思(おも)ひたちつれど、いと腰(こし)痛(いた)くて堪(た)へ難(がた)し。今宵(こよひ)は、この局(つぼね)にうち休(やす)みなん。坊へ行(ゆ)きてみあかしの事などいへ」とて、具(ぐ)したる若(わか)き女房の、つき/゛\しき程(ほど)なるをば、返(かへ)しぬめり。
「釈迦牟尼仏(しやかむにぶつ)」とたび/\申(まう)して、夕日(ゆふひ)の花(はな)やかにさし入(い)りたるをうち見やりて、「あはれにも山の端(は)近(ちか)く傾(かたぶ)きぬめる日かげかな。我身の上(うへ)の心地(ここち)こそすれ」とて、寄(よ)りゐたる気色、何(なに)となくなまめかしく、心あらんかしと見ゆれば、近(ちか)く
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寄(よ)りて、「いづくより詣(まう)で給(たま)へるぞ。ありつる人の帰(かへ)り来(こ)ん程(ほど)、御伽(おんとぎ)せんはいかゞ」などいへば、「このわたり近(ちか)く侍れど、年のつもりにや、いと遙(はる)けき心地(ここち)し侍る、あはれになん」といふ。「さても、いくつにか成(なり)給(たま)ふらん」と問(と)へば、「いさ。よくも我ながら思(おも)ひ給(たま)へわかれぬ程になん。百(もゝ)とせにもこよなく余(あま)り侍(はべ)りぬらん。来(こ)し方(かた)行先(ゆくさき)、ためしも有(あ)り難(がた)かりし世の騒(さわ)ぎにも、この御寺ばかりは、恙(つつが)なくおはします。猶(なほ)、やむごとなき如来の御光なりかし」などいふも、古代(こだい)にみやびかなり。
年(とし)の程(ほど)など聞(き)くも、めづらしき心地(ここち)して、かゝる人こそ昔(むかし)物語(ものがたり)もすなれと、思(おも)ひ出(い)でられて、まめやかに語(かた)らひつゝ、「昔(むかし)の事の聞(き)かまほしきまゝに、年のつもりたらん人もがなと思(おも)ひ給(たま)ふるに、嬉(うれ)しきわざかな。少(すこ)しの給(たま)はせよ。おのづから古(ふる)き歌など書(か)き〔置き〕たる物の片(かた)はし見るだに、その世にあへる心地(ここち)するぞかし」といへば、〔うち〕すげみたる口(くち)うちほゝゑみて、「いかでか聞(きこ)えん。若(わか)かりし世に見聞(き)き侍(はべ)りし事は、こゝらの年比(としごろ)に、ぬばたまの夢ばかりだになくおぼほれて、何(なに)のわきまへか侍らん」とはいひながら、けしうはあらず、あへなんと思(おも)へる
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気色なれば、いよ/\いひはやして、「かの雲林院(うんりんゐん)の菩提講(ぼだいかう)に参(まゐ)りあへりし翁(おきな)の言(こと)の葉をこそ、仮名(かんな)の日本紀にはすめれ。又かの世継(よつぎ)が孫(うまご)とかいひし、つくも髪(がみ)の物語(ものがたり)も、人のもてあつかひ草になれるは、御有様(おんありさま)のやうなる人にこそ侍(はべ)りけめ。猶の給(たま)へ」などすかせば、さは心得(う)べかめれど、いよ/\口(くち)すげみがちにて、「そのかみは、げに人の齢(よはひ)も高(たか)く機(き)も強(つよ)かりければ、それに従(したが)ひて、魂(たましゐ)もあきらかにてや、しか聞(きこ)えつくしけむ。あさましき身は、いたづらなる年(とし)のみ積(つ)もれるばかりにて、昨日今日(きのふけふ)といふばかりの事をだに、目(め)も耳(みゝ)もおぼろになりにて侍れば、ましていと怪(あや)しきひが事どもにこそは侍らめ。そもさやうに御覧(らん)じ集(あつ)めけるふる事どもは、いかにぞ」といふ。
「いさ。たゞおろ/\見及(みおよ)びし物どもは、水鏡(みづかゞみ)といふにや。神武天皇の御代より、いとあらゝかにしるせり。その次(つぎ)には、大鏡(かゞみ)、文徳のいにしへより、後一条の御門(みかど)まで侍(はべ)りしにや。又世継(よつぎ)とか、四十帖(でう)の草子(さうし)にぞ、延喜より堀(ほり)川の先帝(せんてい)までは少(すこ)し細(こま)やかなる。又なにがしの大臣(おとど)の書(か)き給(たま)へると聞(き)き侍(はべ)りし今鏡(いまかゞみ)には、後一条より高倉院(たかくらのゐん)までありしなめり。誠(まこと)や、いや世継(よつぎ)は、隆信(たかのぶの)朝臣
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の、後鳥羽院(ごとばのゐん)の御位の御程(おんほど)までをしるしたりとぞ見え侍(はべ)りし。その後(のち)の事なん、いとおぼつかなくなりにける。おぼえ給(たま)へらむ所々までもの給(たま)へ。今宵(こよひ)誰(たれ)も御伽(おんとぎ)せん。かゝる人に会(あ)ひ奉(たてまつ)れるも、しかるべき御契あらん物ぞ」など語(かた)らへば、「そのかみの事は、いみじうたど/\しけれど、誠(まこと)に事(こと)のつゞきを聞(きこ)えざらんもおぼつかなかるべければ、たえ/゛\に少(すこ)しなん。ひが事ども多(おほ)からんかし。そはさし直(なほ)し給(たま)へ。いと傍(かたはら)いたきわざにも侍るべきかな。かの古(ふる)き事(こと)どもには、なぞらへ給(たま)ふまじう〔ぞ〕なん」とて、
愚(おろか)なる心や見(み)えん増鏡(ますかゞみ)古(ふる)き姿(すがた)に立(た)ちは及(およ)ばで
とわなゝかし出(い)でたるもにくからず、いと古代(こだい)なり。「さらば、今(いま)の給(たま)はん事をも、また書(か)きしるして、かの昔(むかし)の面影(おもかげ)にひとしからんとこそはおぼすめれ」といらへて、
今(いま)もまた昔(むかし)を書(か)けば増鏡(ますかゞみ)ふりぬる代々の跡にかさねん
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第一おどろのした
御門(みかど)始(はじ)まり給(たま)ひてより八十二代にあたりて、後鳥羽院(ごとばのゐん)と申(まう)すおはしましき。御諱(おんいみな)は尊成(たかひら)、これは高倉院(たかくらのゐん)第四の御子(みこ)、御母は七条院と申(まう)しき。修理大夫信隆(のぶたか)のぬしのむすめ也。高倉院(たかくらのゐん)御位の御時(おんとき)、后の宮の御方に、兵衛督(ひやうゑのかみ)の君とて仕(つか)うまつられし程(ほど)に、忍(しの)びて御覧(らん)じはなたずや有けん、治承四年七月十五日に生(む)まれさせ給(たま)ふ。その年(とし)の春の比(ころ)、建礼門院后宮(きさいのみや)と聞(きこ)えし御腹(おんはら)の第一の御子(みこ)、安徳天皇 三(みつ)に成(なり)給(たま)ふに位を譲(ゆづ)りて、御門(みかど)はおり給(たま)ひにしかば、平家の一族(ぞう)のみいよ/\時(とき)の花をかざし添(そ)へて、花やかなりし世なれば、掲焉(けちえん)にももてなされ給(たま)はず。又の年(とし)、養和元年正月十四日に、院さへかくれさせ給(たま)ひにしかば、いよ/\位などの御望(のぞ)み
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あるべくもおはしまさざりしを、かの新帝平家の人々にひかされて、遙(はる)かなる西(にし)の海にさすらへ給(たま)ひにし後(のち)、後白河法皇、御孫の宮たちわたし聞(きこ)えて見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふ時、三の宮を次第のまゝに〔と〕思(おぼ)されけるに、法皇をいといたう嫌(きら)ひ奉(たてまつ)りて、泣(な)き給(たま)ひければ、「あなむつかし」とて、ゐてはなち給(たま)ひて、「四の宮こゝにいませ」との給(たま)ふに、やがて御膝(ひざ)の上に抱(いだ)かれ奉(たてまつ)りて、いとむつましげなる御気色なれば、「これこそ誠(まこと)の孫におはしけれ。故院(こゐん)の児(ちご)おひにも、まみなどおぼえ給(たま)へり。いとらうたし」とて、寿永二年八月二十日、御年四にて位につかせ給(たま)ひけり。内侍所(ないしどころ)・神璽(しんし)・宝剣は、譲位の時必(かなら)ず渡(わた)る事なれど、先帝筑紫(つくし)に率(ゐ)ておはしにければ、こたみ初(はじめ)て三種の神器なくて、めづらしき例(ためし)に成(なり)ぬべし。後にぞ内侍所・しるしの御箱(はこ)ばかり帰(かへり)のぼりにけれど、宝剣は遂(つひ)に、先帝の海に入(い)り給(たま)ふ時(とき)、御身に添(そ)へて沈(しづ)み給(たま)ひけるこそ、いと口惜(くちを)しけれ。かくて此御門(みかど)、元暦(げんりやく)元年七月二十八日御即位、その程(ほど)の事、常(つね)のまゝなるべし。平家の人々、未(いま)だ筑紫(つくし)にたゞよひて、先帝と聞(きこ)ゆるも御兄(このかみ)なれば、かしこに伝(つた)へ聞(き)く人々の心地(ここち)、上下さこそはありけめと思(おも)ひやられて、いとかたじけなし。
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同年の十月二十五日に御禊(ごけい)、十一月十八日〔に〕大嘗会(だいじやうゑ)なり。主基(すき)方の御屏風の歌、兼光の中納言といふ人、丹波国長田村とかやを、
神世よりけふのためとや八束穂(やつかほ)に長田(ながた)の稲(いね)のしなひそめけむ
御門いとおよすけて賢(かしこ)くおはしませば、法皇もいみじううつくしとおぼさる。文治(ぶんぢ)二年十二月一日、御書始(ふみはじ)めせさせ給(たま)ふ。御年七なり。同(おな)じ六年、女御参(まゐ)り給(たま)ふ。月輪(つきのわの)関白殿の御女なり。后立(きさきだち)ありき。後(のち)には宜秋門院(ぎしうもんゐん)と聞(きこ)え給(たま)ひし御事なり。この御腹に、春花門院と聞(きこ)え給(たま)ひし姫君ばかりおはしましき。建久元年正月三日、御年十一にて御元服し給(たま)ふ。
同(おな)じき三年三月十三日に、法皇かくれさせ給(たま)ひにし後(のち)は、御門(みかど)ひとへに世(よ)をしろしめ〔し〕て、四方(よも)の海波(なみ)靜(しづ)かに、吹(ふ)く風(かぜ)も枝を鳴(な)らさず、世治(おさ)まり民安(やす)くして、あまねき御うつくしびの浪、秋津(あきつ)島の外まで流(なが)れ、しげき御恵(めぐ)み、筑波(つくば)山のかげよりも深(ふか)し。よろづの道々(みちみち)に明(あき)らけくおはしませば、国に才(ざえ)ある人多(おほ)く、昔(むかし)に恥(は)ぢぬ御代にぞ有ける。中にも、敷(しき)島の道(みち)なん、すぐれさせ給(たま)ひける。御歌かず知(し)らず人の口(くち)にある中(なか)にも、
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奥山(おくやま)のおどろの下(した)も踏(ふ)みわけて道ある世ぞと人に知(し)らせん
と侍(はべ)るこそ、まつり事大事と思(おぼ)されける程(ほど)しるく聞(き)こえて、いといみじくやむ事なくは侍れ。
建久九年正月十一日、第一の御子(みこ)土御門院 四になり給(たま)ふに、御位譲(ゆづ)り申(まう)させ給(たま)ひて、おり〔ゐ〕給(たま)ふ。御年十九。位におはしますこと十五年なりき。今日明日(けふあす)、二十(はたち)ばかりの御齢(よはひ)にて、いとまだしかるべき御事なれども、よろづ所せき御有様(おんありさま)よりは、中々やすらかに、御幸(ごかう)など御心のまゝならんとにや。世をしろしめす事は今(いま)もかはらねば、いとめでたし。鳥羽殿・白河殿なども修理せさせ給(たま)ひて、常(つね)に渡(わた)り住(す)まはせ給(たま)へど、猶又水無瀬(みなせ)といふ所に、えもいはずおもしろき院づくりして、しば/\通(かよ)ひおはしましつゝ、春秋の花紅葉につけても、御心ゆくかぎり世をひゞかして、遊(あそ)びをのみぞし給(たま)ふ。所がらも、はる/゛\と川にのぞめる眺望、いとおもしろくなむ。元久の比、詩に歌を合(あ)はせられしにも、とりわきてこそは、
見渡(わた)せば山もとかすむ水無瀬(みなせ)川夕は秋と何(なに)思(おも)ひけむ
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かやぶきの廊(らう)・渡殿(わたどの)など、はる/゛\と艶(えん)にをかしうせさせ給(たま)へり。御前の山より滝(たき)落(お)とされたる石のたゝずまひ、苔(こけ)深(ふか)き深山木(みやまぎ)に枝にさしかはしたる庭の小松も、げにげに千世をこめたる霞の洞(ほら)なり。前栽(せんざい)つくろはせ給(たま)へる比、人々あまた召(め)して、御遊(あそ)びなどありける後、定家の中納言、未(いま)だ下臈(げらふ)なりける時に、奉(たてまつ)られける。
ありへけむもとの千年(とせ)にふりもせで我君ちぎる峰の若松
君が代にせきいるゝ庭を行く水の岩こす数は千世も見(み)えけり
今(いま)の御門の御諱(おんいみな)は為仁と申(まう)しき。御母は能円法印といふ人のむすめ、宰相の君とて仕(つか)うまつれる程(ほど)に、この御門生(む)まれさせ給(たま)ひて後には、内大臣通親(みちちか)の御子になり給(たま)ひて、末(すゑ)には承明門院と聞(きこ)えき。かの大臣(おとど)の北方の腹にておはしければ、もとより〔は〕、後(のち)の親(おや)なるに、御幸(おんさいはひ)さへひき出(い)で給(たま)ひしかば、誠(まこと)の御女にかはらず。この御門もやがてかの殿にぞ養(やしな)ひ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。かくて、建久九年三月三日御即位、十月二十七日に御禊、十一月二十二日は例(れい)の大嘗会なり。元久二年正月三日御冠(かうぶり)し給(たま)ひて、いとなまめかしくうつくしげにぞおはします。御本性も、父(ちゝ)御門よりは、少(すこ)しぬるくおはしましけれど、御情(おんなさけ)深(ふか)う、物のあはれ
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など聞(き)こし召(め)しすぐさずぞありける。
今(いま)の摂政は、院の御時の関白基通の大臣(おとゞ)。その後(のち)は後京極殿良経と聞(きこ)え給(たま)ひし、いと久(ひさ)しくおはしき。此大臣(おとゞ)はいみじき歌の聖(ひじり)にて、院の上同(おな)じ御心に、和歌の道(みち)をぞ申(まう)しおこなはせ給(たま)ひける。文治の比、千載集ありしかど、院未(いま)だきびはにおはしまししかばにや、御製も見えざめるを当帝位の御程(おんほど)に、又集(あつ)めさせ給(たま)ふ。土御門の内の大臣(おとど)の二郎君右衛門督通具といふ人をはじめにて、有家の三位・定家の中将・家隆・雅経などにの給(たま)はせて、昔(むかし)より今(いま)までの歌を、ひろく集(あつ)めらる。おの/\奉(たてまつ)れる歌を、院の御前にて、身づからみがき整(とゝの)へさせ給(たま)ふさま、いとめづらしくおもしろし。この時も、さきに聞(きこ)えつる摂政殿、とりもちて行(おこ)なはせ給(たま)ふ。大かた、いにしへ奈良(なら)の御門の御代に、はじめて、左大臣橘朝臣勅をうけたまはりて、万葉集を撰(えら)びしよりこのかた、延喜のひじりの御時の古今集、友則(とものり)・貫之(つらゆき)・躬恒(みつね)・忠岑(たゞみね)。天暦のかしこかりし御代にも、一条摂政殿謙徳公、未(いま)だ蔵人(くらうどの)少将など聞(きこ)えけるころ、和歌所の別当とかやにて、梨壷(なしつぼ)の五人におほせられて、後撰集は集(あつ)められけるとぞ、ひが聞き(ぎゝ)にや侍らん。その後(のち)、拾遺抄は、花山の法皇
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の身づから撰ばせ給(たま)へるとぞ。白川院位の御時は、後拾遺集、通俊(の)治部卿うけたまはる。崇徳院(しゆとくゐん)の詞花集は、顕輔三位えらぶ。又、白川院おりゐさせ給(たま)ひて後(のち)、金葉集かさねて俊頼朝臣におほせて撰(えら)ばせ給(たま)ひしこそ、初(はじ)め奏(そう)したりけるに、輔仁(すけひと)の親王の御なのりを書(か)きたる。わろしとてなほされ、又奉(たてまつ)れるにも、何事(なにごと)とかやありて、三度(たび)奏(そう)して後(のち)こそ納(おさ)まりにけれ。かやうの例(ためし)も、おのづからの事なり。をしなべて〔は〕、撰者のまゝにて侍(はべ)るなれど、こたみは、院の上みづから、和歌(の)浦に降(を)り立(た)ちあさらせ給(たま)へば、誠(まこと)に心ことなるべし。
この撰集よりさきに、千五百番の歌合せさせ給(たま)ひしにも、すぐれたる限(かぎ)りを撰(えら)ばせ給(たま)ひて、その道(みち)の聖(ひじり)たち判じけるに、やがて院も加は(くはゝ)らせ給ながら、猶このなみには立(た)ち及(をよ)び難(がた)しと卑下(ひげ)せさせ給(たま)ひて、判の言(こと)葉をばしるされず、御歌にて優(まさ)り劣(おと)れる心ざしばかりをあらはし給(たま)へり。中々いと艶(えん)に侍(はべ)りけり。上(かみ)のその道を得(え)給(たま)へれば、下もおのづから時(とき)を知(し)る習(ならひ)にや、男(おとこ)も女も、この御世にあたりて、よき歌よみ多(おほ)く聞(きこ)え侍(はべ)りし中に、宮内卿の君といひしは、村上の帝の御後(のち)に、俊房(としふさ)の左の大臣(おとゞ)と聞(きこ)えし人の御末(すゑ)なれば、はやうはあて人なれ
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ど、官(つかさ)あさくてうち続(つゞ)き、四位ばかりにて失(う)せにし人の子也。まだいと若(わか)き齢(よはひ)にて、そこひもなく深(ふか)き心ばへをのみ詠(よ)みしこそ、いと有(あ)り難(がた)く侍(はべ)りけれ。この千五百番の歌合の時、院の上(うへ)のたまふやう、「こたみは、みな世に許(ゆ)りたる古(ふる)き道の者(もの)どもなり。宮内卿はまだしかるべけれども、けしうはあらずとみゆめればなん。かまへてまろが面(おもて)起(おこ)すばかり、よき歌つかうまつれ〔よ〕」とおほせらるゝに、面(おもて)うち赤(あか)めて、涙ぐみて候(さぶら)ひけるけしき、限(かぎ)りなき好(す)きの程(ほど)も、あはれにぞ見(み)えける。さてその御百首の歌(うた)、いづれもとり/゛\なる中に、
薄(うす)く濃(こ)き野辺のみどりの若(わか)草に跡まで見(み)ゆる雪の村消(ぎ)え
草の緑(みどり)の濃(こ)き薄(うす)き色にて、去年(こぞ)のふる雪の遅(おそ)く疾(と)く消(きえ)ける程(ほど)を、おしはかりたる心ばへなど、まだしからん人は、いと思(おも)ひ寄(よ)り難(がた)くや。この人、年(とし)つもるまであらましかば、げにいかばかり、目(め)に見えぬ鬼(おに)神をも動(うご)かしなましに、若(わか)くて失(う)せにし、いといとほしくあたらしくなん。かくて、この度(たび)撰(えら)ばれたるをば、新古今といふなり。元久二年三月二十六日、竟宴(きやうえん)といふ事、春日殿にて行(をこ)なはせ給(たま)ふ。いみじき世(よ)のひゞきなり。かの延喜の
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昔(むかし)おぼしよそへられて、院の御製、
いそのかみ古(ふる)きを今(いま)にならべこし昔(むかし)の跡を又尋(たづ)ねつゝ
摂政殿良経の大臣(おとゞ)、
敷島(しきしまや大和言(こと)の葉海にして拾(ひろ)ひし玉はみがかれにけり
次々、ずん流(なが)るめりしかど、さのみはうるさくてなん。何(なに)となく明暮(あけく)れて、承元二年にもなりぬ。十二月二十五日、二(の)宮御冠(かうぶり)し給(たま)ふ。修明門院の御腹(おんはら)なり。この御子を、院かぎりなくかなしき物に思(おも)ひ聞(きこ)えさせ給(たま)へれば、二(に)なくきよらを尽(つく)し、いつくしうもてかしづき奉(たてまつ)り給事なのめならず。終(つひ)に同(おな)じ四年十一月に、御位につけ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。もとの御門、ことしこそ〔は〕十六にならせ給(たま)へば、未(いま)だ遙(はる)かなるべき御さかりに、かゝるを、いとあかずあはれと思(おぼ)されたり。永治のむかし、鳥羽法皇、崇徳院の御心もゆかぬにおろし聞(きこ)えて、近衛院をすゑ奉(たてまつ)り給(たま)ひし時は、御門(みかど)いみじうしぶらせ給(たま)ひて、その夜になるまで、勅使を度々(たびたび)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつゝ、内侍所・剣璽(けんじ)などをも渡(わた)しかねさせ給(たま)へりしぞかし。さてその御憤(いきどを)りの末(すゑ)にてこそ、保元の乱(みだれ)もひき出(い)で給(たま)へりしを、
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この御門(みかど)は、いとあてにおほどかなる御本性にて、思(おぼ)しむすぼほれぬにはあらねども、気色にも漏(ゝら)し給(たま)はず。世にもいとあえなき事に思(おも)ひ申(まう)しけり。承明門院などは、まいて、いと胸(むね)痛(いた)く思(おぼ)されけり。其年の十二月(しわす)に、太上天皇の尊号あり。新院と聞(きこ)ゆれば、父の御門(みかど)をば、今は本院と申(まう)す。なを、御政事(まつりごと)はかはらず。今(いま)の御門は十四にぞなり給(たま)ふ。御諱(おんいみな)守成と聞(きこ)えしにや。建暦(けんりやく)二年十一月十三日、大嘗会なり。新院の御時(おんとき)も仕(つか)うまつられたりし資実(すけざね)の中納言に、この度(たび)も悠紀(ゆき)方の御屏風の歌めさる。長楽(ながら)山、菅(すが)の根(ね)のながらの山の峯の松吹(ふ)きくる風(かぜ)も万代の声かやうの事は、皆人のしろしめしたらん。こと新(あたら)しく聞(きこ)えなすこそ、老のひが事ならめ。この〔御〕世には、いと掲焉(けちえん)なる事おほく、所々の行幸しげく、好(この)ましきさまなり。建保(けんぽう)二年、春日社に行幸ありしこそ、有(あ)り難(がた)き程(ほど)いどみつくし、おもしろうも侍(はべ)りけれ。さてその又の年(とし)、御百首の御歌よませ給(たま)ひけるに、去年(こそ)の事思(おぼ)しいでて、内の御製、
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春日(かすが)山こぞのやよひの花の香(か)にそめし心は神ぞ知(しる)らん
御心ばへは、新院よりも少(すこ)しかどめひ(い)て、あざやかにぞおはしましける。御才(ざえ)も、やまともろこし兼(か)ねて、いとやむごとなくものし給(たま)ふ。朝夕(あさゆふ)の御いとなみは、和歌の道(みち)にてぞ侍(はべ)りける。末(すゑ)の世に、八雲などいふ物つくらせ給(たま)へるも、この御門の御事なり。摂政殿のひめ君まいり給(たま)ひて、いと花やかにめでたし。この御腹(おんはら)に、建保二年十月十日、一の皇子(みこ)生(む)まれ給(たま)へり。いよ/\物あひたる心地して、世の中ゆすりみちたり。十一月二十一日、やがて親王(みこ)に成(なし)奉(たてまつ)り給(たま)ひて、同(おな)じ二十六日、坊にゐ給(たま)ふ。未(いま)だ御五十日(いか)だにきこしめさぬに、いちはやき御もてなし、めづらかなり。心もとなく思(おぼ)されければなるべし。今(いま)一しほ、世の中めでたく、定(さだ)まりはてぬるさまなめり。新院は、いでやと思(おぼ)さるらんかし。
かくて院の上(うへ)は、ともすれば水無瀬殿(みなせどの)にのみ渡(わた)らせ給(たま)ひて、琴笛(ことふえ)の音につけ、花紅葉の折々(をりをり)にふれて、よろづの遊(あそ)びわざをのみ尽(つ)くしつゝ、御心ゆくさまにて過(す)ごさせ給(たま)ふ。誠(まこと)に万世(よろづよ)もつきすまじき御世(よ)の栄(さか)へ、次々今(いま)よりいと頼(たの)もしげにぞ見えさせ給(たま)ふ。御碁うたせ給(たま)ふついでに、若(わか)き殿上人ども召(め)し
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て、これかれ心のひき/\に、いどみ争(あらそ)はさせ給(たま)へば、あるは小弓・双六(すぐろく)などいふ事まで、思(おも)ひ+に勝負(かちまけ)をさうどきあへるも、いとおかしう御覧じて、様々の興(けう)ある賭物(かけもの)ども取(と)う出(で)させ給とて、なにがしの中将を御使(つか)ひにて、修明門院の御方(かた)へ、「何(なに)にても、男(をのこ)どもにたまはせぬべからん賭物(かけもの)」と申(まう)させ給(たま)ひたるに、とりあへず、小(ちい)さき唐櫃(からびつ)の金(かな)物したるが、いと重(おも)らかなるを、参(まゐ)らせられたり。この御使(つか)ひの上(うへ)人、何(なに)ならんと、いといぶかしくて、片端(かたはし)ほのあけて見るに銭なり。いと心得(え)ずなりて、さと面(おもて)うち赤(あか)みて、あさましと思(おも)へる気色しるきを、院御覧(らん)じおこして、「朝臣こそ、むげに口惜(くちを)しくは有けれ。かばかりの事、知(し)らぬやうやはある。いにしへより、殿上の賭弓(のりゆみ)といふことには、これをこそかけ物にはせしか。されば、今(いま)、かけ物と聞(きこ)えたるに、これをしも出(い)だされたるならむ、いにしへの事知(し)り給(たま)へるこそ、いたきわざなれ」とほほゑみてのたまふに、「さはあしく思けり」と、心地(ここち)騒(さわ)ぎて思(おぼ)ゆべし。
大かた、この院の上(うへ)は、よろづの事にいたり深(ふか)く、御心も花やかに、物にくはしうぞおはしましける。夏の比、水無瀬(みなせ)殿の釣殿(つりどの)に出(い)でさせ給(たま)ひて、氷水(ひみづ)めして、
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水飯(すいはん)やうの物など、若(わか)き上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじやうびと)どもに賜(たま)はさせて、大御酒(おほみき)参(まゐ)るついでにも、「あはれ、いにしへの紫(むらさき)式部こそはいみじくはありけれ。かの源氏の物語(ものがたり)にも、「近(ちか)き川のあゆ、西(にし)川より奉(たてまつ)れるいしぶしやうの物、御前に〔て〕調(てう)じて」と書(か)けるなむ、すぐれてめでたきぞとよ。たゞ今(いま)さやうの料理(れうり)仕(つか)〔う〕まつりてんや」などのたまふを、秦(はた)のなにがしと〔か〕いふ御随身(みずいじん)、勾欄(かうらん)のもと近(ちか)く候(さぶら)ひけるが、うけ給(たまはり)て、池のみぎはなる篠(さゝ)を少(すこ)し敷(し)きて、白(しろ)き米(よね)を〔水に〕洗(あら)ひて奉(たてまつ)れり。「拾(ひろ)はば消(き)えなん」とにや。これもけしかるわざかな」とて、御衣(ぞ)ぬぎてかづけさせ給(たま)ふ。御かはらけ度々(たびたび)きこしめす。その道(みち)にも、いとはしたなく物し給(たま)ふ。何事(なにごと)もあいぎやうづき、めでたく見えさせ給(たま)ふ御ありさま、千年(ちとせ)を経(ふ)とも飽(あ)く世あるまじかめり。
また、清撰の御歌合とて、限(かぎ)りなくみがかせ給(たま)ひしも、水無瀬(みなせ)殿にての事なりしにや。当座の衆議判なれば、人々の心地(ここち)、いとゞ置(お)き所なかりけむかし。建保二年九月の比、すぐれたる限(かぎ)りぬき出(い)で給(たま)ふめりしかば、いづれか愚(おろか)ならん。中にもいみじかりしことは、第七番に、左、院の御歌、
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明石潟(あかしがた)浦ぢ晴(は)れゆく朝(あさ)なぎに霧にこぎ入(い)るあまのつり舟
とありしに、北面(おもて)の中に、藤原秀能(ひでよし)とて、年比もこの道に許(ゆ)りたるすき物なれば、召(め)し加(くは)へらるゝ事常(つね)の事なれど、やむ事(ごと)なき人々の歌だにも、あるは一首二首三首には過(す)ぎざりしに、この秀能九首まで召(め)されて、しかも院の御かたてにまいれり。さてありつるあまのつり舟(ぶね)の御歌の右に、
ちぎりをきし山の木の葉の下紅葉そめし衣(ころも)に秋風ぞ吹(ふ)く
と詠(よ)めりしは、その身の上(うへ)にとりて、長(なが)き世の面目(めいぼく)、何かはあらん、とぞ聞(きき)侍(はべ)りし。
昔(むかし)の躬恒(みつね)が、御階(はし)のもとに召(め)されて、「弓はりとしもいふ事は」と奏(そう)して、御衣(ぞ)給(たまはり)しをこそ、いみじき事にはいひ伝(つた)ふめれ。又、貫之(つらゆき)が家に、枇杷(びは)の大臣(おとゞ)、魚袋(ぎよたい)の歌の返し、とぶらひにおはしたりしをも、道の高名(かうみやう)とこそ、世継(よつぎ)には書(か)きて侍れ。近(ちか)き頃は、西行法師ぞ北面の者(もの)にて、世にいみじき歌の聖(ひじり)なめりしが、今(いま)の代の秀能(ひでよし)は、ほと/\古(ふる)きにも立(た)ちまさりてや侍らん。この度(たび)の御歌合、大かた、いづれとなくうち
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みだして、勝(すぐ)れたる限(かぎ)りを撰(ゑ)り出(い)でさせ給(たま)ひしかば、各(おのおの)むら/\にぞ侍(はべ)りける。吉水(よしみづ)の僧正〔慈円〕と聞(きこ)えし、又たぐひなき歌の聖(ひじり)にていましき。それだに四首ぞ入(い)り給(たま)ひにける。さのみは事ながければもらしぬ。この僧正、世(よ)にもいと重(おも)く、山の座主にて物し給事も年(とし)久(ひさ)しかりしその程に、やむごとなき高名数知(かずし)らずおはせしかば、あがめられ給さまも、二(に)なく物し給(たま)ひしかど、猶(なほ)、飽(あ)かず思(おぼ)す事やありけん。院に奉(たてまつ)られける長(なが)歌、
さてもいかにわしのみ山の月のかげ鶴(つる)の林(はやし)に入(い)りしより経(へ)にける年をかぞふれば二千年(ふたちとせ)をも過(す)ぎはてて後(のち)のいつゝの百(もゝ)とせになりにけるこそかなしけれあはれ御法(みのり)の水(みづ)のあはの消(き)え行(ゆく)ころになりぬればそれに心を澄(す)ましてぞわが山川にしづみゆく心あらそふ法(のり)の師はわれも+と青柳(あをやぎ)のいとところせくみだれきて花ももみぢも散(ち)りゆけば木ずゑ跡なきみ山辺の道(みち)にまよひて
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過(す)ぎながらひとり心をとゞむるもかひもなぎさの志賀(しが)の浦(うら)跡(あと)垂(た)れましし日吉(よし)のや神のめぐみをたのめども人のねがひをみつかはの流(なが)れもあさくなりぬべしみねの聖(ひじり)のすみかさえこけの下(した)にぞむもれゆくうちはらふべき人もがなあなうの花の世の中(なか)や春の夢路はむなしくて秋の木ずゑをおもふより冬の雪をもたれかとふかくてや今(いま)はあと絶(た)えむと思(おも)ふからにくれはとり怪(あや)しき夜(よる)のわが思(おも)ひ消(き)えぬばかりを頼(たの)みきて猶(なほ)さりともと花の香(か)にしゐ(ひ)て心をつくばやましげきなげきのねをたづねしづむむかしの魂(たま)をとひ救(すく)ふこゝろはふかくしてつとめ行(ゆく)こそあはれなれ深山(みやま)のかねをつく/゛\とわが君が世をおもふにもみねの松かぜ
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のどかにて千世に千(ち)とせをそふる程(ほど)法(のり)のむしろの花のいろ野にも山にもにほいてぞ人をわたさむはしとしてしばし心をやすむべき遂(つひ)にはいかゞあすか川あすより後やわが立(た)ちし杣(そま)のたつきのひゞきよりみねのあさ霧晴(は)れのきてくもらぬ空に立(た)ち帰(かへ)るべき
反歌
さりともとおもふ心ぞなを深(ふか)き絶(た)えで絶(た)え行(ゆく)山川の水
定家の中将、おりふし御前に候(候(さぶら))ひければ、これ返しせよとて、さし給(たま)はする、げに、いと疾く書(か)きて、御覧(らむ)ぜさせけり。
久かたの天地(あめつち)ともにかぎりなき天(あま)つ日つぎをちかひてし神もろともにまもれとて我たつ杣(そま)をいのりつゝむかしの人のしめてける峯の杉むら色かへずいく年々(としどし)をへだつとも八重のしら雲
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ながめやる宮この春をとなりにて御法(のり)の花もおとろへずにほはん物と思(おも)ひをきし末葉(すゑば)の露もさだめなきかやが下葉(したば)にみだれつゝもとの心のそれならぬうきふししげき呉(くれ)竹になく音をたつるうぐひすのふるすは雪にあらしつゝ跡絶(た)えぬべき谷(たに)がくれこりつむなげき椎柴(しゐしば)のしゐ(ひ)てむかしにかへされぬ葛(くず)のうら葉はうらむとも君は三笠(みかさ)の山たかみ雲井の空にまじりつゝ照日(てるひ)を世々(よゝ)に助(たす)けこし星(ほし)の宿(やど)りをふりすててひとり出(い)でにしわしのやまよにもまれなるあととめて深(ふか)き流(なが)れにむすぶてふ法(のり)の清水(しみづ)のそこすみてにごれる世(よ)にもにごりなしぬまの葦間(あしま)に影(かげ)やどす秋の中半(なかば)の月なればなを山の端(は)をゆきめぐり空吹(ふ)くかぜをあふぎてもむなしくなさぬ行(ゆく)すゑをみつの川なみ
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立(た)ちかへり心のやみをはるくべき日吉(よし)の御かげのどかにて君をいのらんよろづよに千代をかさねて松が枝(え)をつばさにならす鶴(つる)の子のゆづるよはひはわかの浦(うら)や今(いま)は玉もをかきつめてためしもなみにみがきをく我道(みち)までも絶(た)えせずば言(こと)の葉ごとのいろ/\に後みむ人も恋(こ)ひざらめかも
反歌
君を祈(いの)る心深(ふか)くば頼(たの)むらん絶(た)えてはさらに山川の水
新院も、のどかにおはしますまゝに〔は〕、御歌をのみ詠(よ)ませ給(たま)へど、よろづの事、もて出(い)でぬ御本性(じやう)にて、人々など集(あつ)めて、わざとあるさまには好(この)ませ給(たま)はず。建保の比、うち/\百首(の)御歌よみ給(たま)へりしを、家隆の三位、又定家の治部卿のもとなどへ、いふかひなき児(ちご)の詠(よ)めるとて、つかはして見(み)せ給(たま)ひしに、いづれもめでたく様々なる中に、懐旧の御歌に、
秋の色を送(おく)り迎(むか)へて雲の上になれにし月も物わすれすな
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とある所に、定家の君おどろきかしこまりて、裏書(うらがき)に、「あさましくはかられ奉(たてまつ)りける事」などしるして、
あかざりし月もさこそは思(おも)ふらめ古(ふる)き涙も忘(わす)られぬ世(よ)を
と奏(そう)せられたり。院もえんありて御覧(らん)ずべし。げにいかゞ御心〔も〕動(うご)かずしもおはしまさむと、その世の事かたじけなくなむ。今(いま)も少(すこ)し、世の中(なか)隔た(へだゝ)れるさまにてのみおはしますこそ、いといとほしき御有様(おんありさま)なめれとぞ。
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