義経記 国民文庫本

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義経記巻第二目録
鏡(かがみ)の宿(しゆく)吉次(きちじ)が宿に強盗(がうだう)の入(い)る事
遮那王殿(しやなわうどの)元服(げんぶく)の事(こと)
阿濃(あの)の禅師(ぜんじ)に御対面(ごたいめん)の事(こと)
義経(よしつね)陵(みささぎ)が館(たち)焼(や)き給(たま)ふ事
伊勢(いせの)三郎はじめて臣下(しんか)になる事
義経(よしつね)はじめて秀衡(ひでひら)対面(たいめん)の事(こと)
鬼一(おにいち)法眼(ほふげん)の事(こと)
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義経記巻第二
鏡(かがみ)の宿(しゆく)吉次(きちじ)が宿に強盗(がうだう)の入(い)る事 S0201
抑(そもそも)都(みやこ)近(ちか)き所(ところ)なれば、人目(ひとめ)もつつましくて、女房(にようばう)共(ども)の遙(はる)かの末座(すゑざ)に遮那王殿(しやなわうどの)を直(なほ)しける。恐(おそ)れ入(い)りてぞ覚(おぼ)えける。酒(さけ)三献(さんごん)過(す)ぎて、長者(ちやうじや)吉次(きちじ)が袖に取(と)り付(つ)きて申(まう)しけるは、「抑(そもそも)御辺(ごへん)は一年に一度、二年に一度此(こ)の道(みち)を通(とほ)らぬ事(こと)なし。されども是(これ)程(ほど)美(いつく)しき子具(ぐ)し奉(たてまつ)りたる事、是(これ)ぞ初(はじ)めなる。御身(おんみ)の為(ため)には親(した)しき人か他人(たにん)か」とぞ問(と)ひける。「親(した)しくはなし。又他人(たにん)にてもなし」とぞ申(まう)しける。長者(ちやうじや)はらはらと涙(なみだ)を流(なが)して、「あはれなる事共(ども)かな。何(なに)しに生(い)きて初(はじ)めて憂(う)き事(こと)を見(み)るらん。只(ただ)昔(むかし)の御事(おんこと)今(いま)の心地(ここち)して覚(おぼ)ゆるぞや。此(こ)の殿(との)の立居(たちゐ)振舞(ふるまひ)身様(みざま)の頭殿(かうのとの)の二男(じなん)朝長(ともなが)殿(どの)に少(すこ)しも違(たが)ひ給(たま)はぬものかな。言葉(ことば)の末(すゑ)を以(もつ)ても具(ぐ)し奉(たてまつ)りたるかや。保元(ほうげん)、平治(へいじ)より此(こ)のかた、源氏(げんじ)の子孫(しそん)、此処(ここ)や彼処(かしこ)に打(う)ち篭(こ)められておはするぞかし。成人(せいじん)し
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て思(おも)ひ立(た)ち給(たま)ふ事(こと)有(あ)らば、よくよくこしらへ奉(たてまつ)りて渡(わた)し参(まゐ)らせ給(たま)へ。壁(かべ)に耳(みみ)、岩(いは)に口(くち)と言(い)ふ事(こと)有(あ)り。紅(くれなゐ)は園生(そのう)に植(う)ゑても隠(かく)れなし」と申(まう)しければ、吉次(きちじ)「何それにては候(さうら)はず。身が親(した)しき者(もの)にて候(さうら)ふ」と申(まう)しけれども、長者(ちやうじや)「人は何(なに)とも言(い)はば言(い)へ」とて、座敷(ざしき)を立(た)ちて、少(をさな)き人の袖を引(ひ)き、上座敷(かみざしき)に直(なほ)し奉(たてまつ)り、酒(さけ)すすめて夜更(ふ)けければ、我(わ)が方(かた)へぞ入(い)れ奉(たてまつ)る。吉次(きちじ)も酒(さけ)に酔(ゑ)ひて臥(ふ)しにけり。其(そ)の夜鏡(かがみ)の宿(しゆく)に思(おも)はざる事(こと)こそ有(あ)りけれ。其(そ)の年(とし)は世の中飢饉(ききん)なりければ、出羽(ではの)国(くに)に聞(き)こえける窃盗(せつたう)の大将(たいしやう)、由利(ゆりの)太郎と申(まう)す者(もの)、越後(ゑちごの)国(くに)に名を得(え)たる頚城郡(くびきのこほり)の住人(ぢゆうにん)藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)と申(まう)す者(もの)二人(ふたり)語(かた)らひ、信濃(しなのの)国(くに)に越(こ)えて、佐久(さく)の権守(ごんのかみ)の子息(しそく)太郎、遠江国(とほたうみのくに)に蒲(がまの)与一(よいち)、駿河国(するがのくに)に興津(おきつの)十郎(じふらう)、上野国(かうづけのくに)に豊岡(とよをかの)源八以下の者共(ども)、何(いづ)れも聞(き)こゆる盗人(ぬすびと)、宗徒(むねと)の者二十五人、其(そ)の勢(せい)七十人連(つ)れて、「東海道(とうかいだう)は衰微(すいび)す。少(すこ)しよからん山家(やまが)山家(やまが)に至(いた)り、下種徳人(げすとくびと)有(あ)らば追(お)ひ落(おと)して、若党(わかたう)共(ども)に興(きよう)有(あ)る酒(さけ)を飲(の)ませて都(みやこ)に上(のぼ)り、夏(なつ)過(す)ぎ秋風(あきかぜ)立(た)たば、北国(ほつこく)にかかり国(くに)へ下(くだ)らん」とて、宿々(やどやど)山家(やまが)山家(やまが)に押(お)し入(い)り、押(お)し取(と)りして上(のぼ)りける。其(そ)の夜しも鏡(かがみ)の宿(しゆく)に長者(ちやうじや)の軒(のき)を並(なら)べて宿(やど)しける。由利(ゆりの)太郎藤沢(ふぢさは)に申(まう)しけるは、「都(みやこ)に聞(き)こえたる吉次(きちじ)と言(い)ふ黄金商人(こがねあきんど)奥州(あうしう)へ下(くだ)るとて、おほくの売物(うりもの)持(も)ち、
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今宵(こよひ)長者(ちやうじや)の許(もと)に宿(やど)りたり。如何(いかが)すべき」と言(い)ひければ、藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)、「順風(じゆんぷう)に帆(ほ)を上(あ)げ、棹(さほ)さし押(お)し寄(よ)せて、しやつが商物(あきなひもの)取(と)りて若党(わかたう)共(ども)に酒(さけ)飲(の)ませて通(とほ)れ」とぞ出(い)で立(た)ちける。究強(くつきやう)の足軽(あしがる)共(ども)五六人腹巻(はらまき)著(き)せて、油(あぶら)さしたる車松明(くるまたいまつ)五六台(ごろくだい)に火を付(つ)けて、天に差(さ)し上(あ)げければ、外はくらけれども、内(うち)は日中の様(やう)に有(あ)りけり。由利(ゆりの)太郎と藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)とは大将(たいしやう)として、其(そ)の勢(せい)八人連(つ)れて出(い)で立(た)ち、由利(ゆり)は唐萌黄(からもえぎ)の直垂(ひたたれ)に萌黄威(もよぎをどし)の腹巻(はらまき)著(き)て、折烏帽子(をりえぼし)に懸(かけ)して、三尺(さんじやく)+五寸(ごすん)の太刀(たち)はきて出(い)づる。藤沢(ふぢさは)褐(かちん)の直垂(ひたたれ)に黒革威(くろかはをどし)の鎧(よろひ)著(き)て、兜(かぶと)の緒(を)を締(し)め、黒塗(くろぬり)の太刀(たち)に熊(くま)の革(かは)の尻鞘(しりざや)入(い)れ、大長刀(おほなぎなた)杖(つゑ)につき、夜半(やはん)ばかりに長者(ちやうじや)の許(もと)へ討(う)ち入(い)りたり。つと入(い)りて見(み)れども人もなし。中の間(ま)に入(い)りて見れども人もなし。こは如何(いか)なる事(こと)ぞとて簾中(れんちゆう)深(ふか)く切(き)り入(い)りて、障子(しやうじ)五六間(ごろつけん)切(き)り倒(たふ)す。吉次(きちじ)是(これ)に驚(おどろ)き、がばと起(お)きて見れば、鬼王の如(ごと)くにて出(い)で来(き)たる。是(これ)は信高(のぶたか)が財宝(ざいほう)に目をかけて出(い)で来(く)るを知らず、源氏(げんじ)を具(ぐ)し奉(たてまつ)り、奥州(あうしう)へ下(くだ)る事、六波羅(ろくはら)へ聞(き)こえて討手(うつて)向(むか)ひたると心得(こころえ)て、取(と)る物も取(と)り敢(あ)へず、かいふいてぞ逃(に)げにける。遮那王殿(しやなわうどの)是(これ)を見(み)給(たま)ひて、すべて人の頼(たの)むまじきものは次(つぎ)の者(もの)にて有(あ)りけるぞや。形(かた)の如(ごと)くも侍(さぶらひ)ならば、かくは有(あ)るまじき物(もの)を、とてもかくても都(みやこ)を出(い)でし日よりして命(いのち)をば宝(たから)故(ゆゑ)に奉(たてまつ)る。屍(かばね)をば鏡(かがみ)の宿(しゆく)にさらすべしとて、大口(おほくち)
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の上(うへ)に腹巻(はらまき)とつて引(ひ)き着(き)て、太刀(たち)とり脇(わき)にはさみ、唐綾(からあや)の小袖(こそで)取(と)りて打(う)ちかづき、一間(ひとま)なる障子(しやうじ)の中(うち)をするりと出(い)で、屏風(びやうぶ)一よろひに引(ひ)きたたみ、前(まへ)に押(お)し寄(よ)する。八人の盗人(ぬすびと)を今(いま)やと待(ま)ち給(たま)ふ。「吉次(きちじ)奴(め)に目ばし放(はな)すな」とて喚(おめ)いてかかる。屏風(びやうぶ)のかげに人有(あ)りとは知(し)らで、松明(たいまつ)ふつて差(さ)し上(あ)げ見れば、いつくしきとも斜(なのめ)ならず。南都(なんと)山門に聞(き)こえたる児(ちご)鞍馬(くらま)を出(い)で給(たま)へる事(こと)なれば、きはめて色(いろ)白(しろ)く、鉄漿黒(かねぐろ)に眉(まゆ)細(ほそ)くつくりて、衣(きぬ)打(う)ちかづき給(たま)ひけるを見(み)れば、松浦佐用姫(まつらさよひめ)領巾(ひれ)振(ふ)る野辺(のべ)に年(とし)を経(へ)し、寝(ね)乱(みだ)れて見ゆる黛(まゆずみ)の、鴬(うぐひす)の羽(は)風に乱(みだ)れぬべくぞ見(み)え給(たま)ふ。玄宗(げんそう)皇帝(くわうてい)の代なりせば楊貴妃(やうきひ)とも謂(い)ひつべし。漢(かん)の武帝(ぶてい)の時(とき)ならば李夫人(りふじん)かとも疑(うたが)ふべし。傾城(けいせい)と心得(こころえ)て、屏風(びやうぶ)に押(お)し纏(まと)ひてぞ通(とほ)りける。人も無(な)き様(やう)に思(おも)はれて、生(い)きては何(なに)の益(えき)有(あ)るべき。末(すゑ)の世に如何(いかが)しければ、義朝(よしとも)の子牛若(うしわか)と言(い)ふもの謀反(むほん)をおこし、奥州(あうしう)へ下(くだ)るとて、鏡(かがみ)の宿(しゆく)にて強盗(がうだう)に会(あ)ひて、甲斐(かひ)無(な)き命(いのち)生(い)きて、今(いま)また忝(かたじけな)くも太政大臣(だいじやうだいじん)に心(こころ)を懸(か)けたりなどと言(い)はれん事(こと)こそ悲(かな)しけれ。とてもかくてものがるまじと思召(おぼしめ)して、太刀(たち)を抜(ぬ)き、多勢(たぜい)の中へ走(はし)り入(い)り給(たま)ふ。八人は左右(さう)へざつと散(ち)る。由利(ゆりの)太郎是(これ)を見(み)て、「女かと思(おも)ひたれば、世に剛(かう)なる人にて有(あ)りけるものを」とて、散々(さんざん)に斬(き)りあふ。一太刀(ひとたち)にと思(おも)ひて、以(もつ)て開(ひら)いてむずとうつ。大(だい)の男(をとこ)の太刀(たち)の寸(すん)は延(の)び
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たり。天井(てんじやう)の縁(ふち)に太刀(たち)打(う)ち貫(つらぬ)き、引(ひ)きかぬる所(ところ)を小太刀(こだち)を以(もつ)てむずと受(う)け止(と)め、弓手(ゆんで)の腕(かひな)に袖を添(そ)へてふつと打(う)ち落(おと)し、返(かへ)す太刀(たち)に首(くび)を打(う)ち落(おと)す。藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)は是(これ)を見(み)て、「ああ切(き)つたり。そこを引(ひ)くな」とて大長刀(おほなぎなた)打(う)ち振(ふ)りて走(はし)りかかる。是(これ)に懸(か)かり合(あ)ひて散々(さんざん)に斬(き)り合(あ)ひ給(たま)ふ。藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)長刀(なぎなた)を茎長(くきなが)に取(と)りてするりと差(さ)し出(い)だす。走(はし)り懸(か)かり切(き)り給(たま)ふ。太刀(たち)は聞(き)こゆる宝物(たからもの)なりければ、長刀(なぎなた)の柄(つか)づんど切(き)りてぞ落(おと)されける。やがて太刀(たち)抜(ぬ)き合(あ)はせけるを抜(ぬ)きも果(は)てさせず、切(き)り付(つ)け給(たま)へば、兜(かぶと)の真向(まつかう)しや面(つら)かけて切(き)り付(つ)け給(たま)ひけり。吉次(きちじ)はものの陰(かげ)にて是(これ)を見(み)て、恐(おそ)ろしき殿(との)の振舞(ふるまひ)かな。如何(いか)に我(われ)を穢(きたな)しと思召(おぼしめ)すらんと思(おも)ひ、臥(ふ)したりける帳台(ちやうだい)へつつと入(い)り、腹巻(はらまき)取(と)つて著(き)、髻(もとどり)解(と)き乱(みだ)し、太刀(たち)を抜(ぬ)き、敵(てき)の棄(す)てたる松明(たいまつ)打(う)ち振(ふ)り、大庭(おほには)に走(はし)り出(い)でて、遮那王殿(しやなわうどの)と一(ひと)つになり
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て、追(お)うつ捲(ま)くつつ散々(さんざん)に戦(たたか)ひ、究竟(くつきやう)の者共(ども)五六人やにはに切(き)り給(たま)ふ。二人(ふたり)は手(て)負(お)ひて北へ行(ゆ)く。一人追(お)ひにがす。残(のこ)る盗人(ぬすびと)残(のこ)らず落(お)ち失(う)せにけり。明(あ)くれば宿(やど)の東のはづれに五人が首(くび)をかけ、札(ふだ)を書(か)きてぞ添(そ)へられける。「音(おと)にも聞(き)くらん、目にも見よ。出羽(ではの)国(くに)の住人(ぢゆうにん)、由利(ゆりの)太郎、越後(ゑちごの)国(くに)の住人(ぢゆうにん)、藤沢(ふぢさは)入道(にふだう)以下の首(くび)五人斬(き)りて通(とほ)る者、何者(なにもの)とか思(おも)ふらん。黄金商人(こがねあきんど)三条(さんでう)の吉次(きちじ)が為(ため)には縁(ゆかり)有(あ)り。是(これ)を十六にての初業(うひわざ)よ。委(くわ)しき旨(むね)を聞(き)きたくば、鞍馬(くらま)の東光坊(とうくわうばう)の許(もと)にて聞(き)け、承安(じようあん)+四年(しねん)二月四日」とぞ書(か)きて立(た)てられける。さてこそ後(のち)には源氏(げんじ)の門出しすましたりとぞ舌(した)を巻(ま)いて怖(お)ぢ合(あ)ひける。其(そ)の日鏡(かがみ)を発(た)ち給(たま)ひけり。吉次(きちじ)はいとどかしづき奉(たてまつ)りてぞ下(くだ)りける。小野(をの)の摺針(すりばり)打(う)ち過(す)ぎて、番場(ばんば)、醒井(さめがい)過(す)ぎければ、今日(けふ)も程(ほど)無(な)く行(ゆ)き暮(く)れて、美濃国(みののくに)青墓(あふはか)の宿(しゆく)にぞ著(つ)き給(たま)ふ。是(これ)は義朝(よしとも)浅(あさ)からず思(おも)ひ給(たま)ひける長者(ちやうじや)が跡(あと)なり。兄(あに)の中宮大夫(だいぶ)の墓所(はかどころ)を尋(たづ)ね給(たま)ひて、御出(おい)で有(あ)り。夜とともに法華経(ほけきやう)読誦(どくじゆ)して、明(あ)くれば率都婆(そとば)を作り、自(みづか)ら梵字(ぼんじ)を書(か)きて、供養(くやう)してぞ通(とほ)られける。児安(こやす)の森(もり)を外処(よそ)に見(み)て、久世河(くぜがは)を打(う)ち渡(わた)り、墨俣川(すのまたがは)を曙(あけぼの)に眺(なが)めて通(とほ)りつつ、今日(けふ)も三日に成(な)りければ、尾張国(をはりのくに)熱田(あつた)の宮(みや)に著(つ)き給(たま)ひけり。
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遮那王殿(しやなわうどの)元服(げんぷく)の事(こと) S0202
熱田(あつた)の前(さき)の大宮司(だいぐうじ)は義朝(よしとも)の舅(しうと)なり。今(いま)の大宮司(だいぐうじ)は小舅(こじうと)なり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)の母(はは)御前(ごぜん)も熱田(あつた)のそとのはまと言(い)ふ所(ところ)にぞおはします。父の御形見(おんかたみ)と思召(おぼしめ)して、吉次(きちじ)を以(もつ)て申(まう)されければ、大宮司(だいぐうじ)急(いそ)ぎ御迎(おんむか)ひに人を参(まゐ)らせ入(い)れ奉(たてまつ)り、やうやうに労(いたは)り奉(たてまつ)りける。やがて次(つぎ)の日立(た)たんとし給(たま)へば、様々(さまざま)諌言(いさめごと)に参(まゐ)り、とかくする程(ほど)に、三日まで熱田(あつた)にぞおはします。遮那王殿(しやなわうどの)吉次(きちじ)に仰(おほ)せられけるは、「児(ちご)にて下(くだ)らんは悪(わろ)し。かり烏帽子(えぼし)なりとも著(き)て下(くだ)らばやと思(おも)ふは、如何(いか)にすべき」。吉次(きちじ)「如何様(いかやう)にも御計(おんはから)ひ候(さうら)へ」とぞ申(まう)しける。大宮司(だいぐうじ)烏帽子(えぼし)奉(たてまつ)り、取(と)り上(あ)げ、烏帽子(えぼし)をぞ召(め)されける。「かくて下り、秀衡(ひでひら)が名をば何(なに)と言(い)ふぞと問はんに、遮那王(しやなわう)と言うて、男(をとこ)になりたる甲斐(かひ)なし。是(これ)にて名を改(か)へもせで行(ゆ)かば、定(さだ)めて元服(げんぷく)せよと言(い)はれんずらん。秀衡(ひでひら)は我々(われわれ)が為(ため)には相伝(さうでん)の者(もの)なり。他の謗(そしり)も有(あ)るぞかし。是(これ)は熱田(あつた)の明神(みやうじん)の御前(おまへ)、しかも兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)の母(はは)御前(ごぜん)も是(これ)におはします。是(これ)にて思(おも)ひ立(た)たん」とて、精進(しやうじん)潔斎(けつさい)して大明神(だいみやうじん)に御参(おまゐ)り有(あ)り。大宮司(だいぐうじ)、吉次(きちじ)も御伴(おんとも)仕(つかまつ)り、二人(ふたり)に仰(おほ)せけるは、「左馬頭殿(さまのかうのとの)の子供(こども)、
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嫡子(ちやくし)悪源太(あくげんだ)、二男朝長(ともなが)、三男(さんなん)兵衛佐(ひやうゑのすけ)、四郎蒲殿(かばどの)、五郎禅師の君、六郎(ろくらう)は卿(きやう)の君(きみ)、七郎は悪禅師(あくぜんじ)の君(きみ)、我(われ)は左馬(さまの)八郎とこそ言(い)はるべきに、保元(ほうげん)の合戦に叔父(をぢ)鎮西(ちんぜいの)八郎名を流(なが)し給(たま)ひし事(こと)なれば、其(そ)の跡(あと)をつがん事(こと)よしなし。末(すゑ)になる共(とも)苦(くる)しかるまじ。我(われ)は左馬(さまの)九郎(くらう)と言(い)はるべし。実名(じちみやう)は祖父(おほぢ)は為義(ためよし)、父(ちち)は義朝(よしとも)、兄は義平(よしひら)と申(まう)しける。我(われ)は義経(よしつね)と言(い)はれん」とて、昨日(きのふ)までは遮那王殿(しやなわうどの)、今日(けふ)は左馬(さまの)九郎(くらう)義経(よしつね)と名を変(か)へて、熱田(あつた)の宮(みや)を打(う)ち過(す)ぎ、何(なに)と鳴海(なるみ)の塩干潟(しほひがた)、三河(みかはの)国(くに)八橋(やつはし)を打(う)ち越(こ)えて、遠江国(とほたうみのくに)の浜名(はまな)の橋(はし)を眺(なが)めて通(とほ)らせ給(たま)ひけり。日頃(ひごろ)は業平(なりひら)、山蔭(やまかげ)中将(ちゆうじやう)などの眺(なが)めける名所(めいしよ)名所(めいしよ)多(おほ)けれども、牛若殿(うしわかどの)打(う)ち解(と)けたる時(とき)こそ面白(おもしろ)けれ、思(おも)ひ有(あ)る時(とき)は名所も何(なに)ならずとて、打(う)ち過(す)ぎ給(たま)へば、宇津(うつ)の山(やま)打(う)ち過(す)ぎて、駿河(するが)なる浮島(うきしま)が原(はら)にぞ著(つ)き給(たま)ひける。
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阿濃(あのの)禅師(ぜんじ)に御対面(ごたいめん)の事(こと) S0203
是(これ)より阿濃(あのの)禅師(ぜんじ)の御(おん)許(もと)へ御使(おんつか)ひ参(まゐ)らせ給(たま)ひける。禅師(ぜんじ)大(おほ)きに悦(よろこ)び給(たま)ひて、御曹司(おんざうし)を入(い)れ奉(たてまつ)り、互(たがひ)に御目を見(み)合(あ)はせて、過(す)ぎにし方(かた)の事(こと)共(ども)語(かた)り続(つづ)け給(たま)ひて、御涙(おんなみだ)に咽(むせ)び給(たま)ひける。「不思議(ふしぎ)の御事(おんこと)かな。離(はな)れし時(とき)は二歳(にさい)になり給(たま)ふ。此(こ)の日頃(ひごろ)は何処(いづく)におはするとも知(し)り奉(たてまつ)らず。是(これ)程(ほど)に成人(せいじん)してかかる大事(だいじ)を思(おも)ひ立(た)ち給(たま)ふ嬉(うれ)しさよ。我(われ)もともに打(う)ち出(い)で、一所にてともかくもなりたく候(さうら)へども、偶々(たまたま)釈尊(しやくそん)の教法(けうぼふ)を学(まな)んで、師匠(ししやう)の閑室(かんしつ)に入(い)りしより此(こ)のかた、三衣(さんゑ)を墨(すみ)に染(そ)めぬれば、甲冑(かつちう)をよろひ、弓箭(きゆうせん)を帯(たい)する事如何(いか)にぞやと思(おも)へば、打(う)ち連(つ)れ奉(たてまつ)らず。且(かつう)は頭殿(かうのとの)の御菩提(ごぼだい)をも誰(たれ)かは弔(とぶら)ひ奉(たてまつ)らん。且(かつう)は一門(いちもん)の人々(ひとびと)の祈(いのり)をこそ仕(つかまつ)り候(さうら)はんずれ。一ケ月をだにも添(そ)ひ奉(たてまつ)らず、離(はな)れ奉(たてまつ)らん事(こと)こそ悲(かな)しけれ。兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)も伊豆(いづ)の北条(ほうでう)におはしませ共(ども)、警固(けいご)のもの共(ども)きびしく守護(しゆご)し奉(たてまつ)ると申(まう)せば、文(ふみ)をだに参(まゐ)らせず。近(ちか)き所(ところ)を頼(たの)みにて音信(おとづれ)もなし。御身(おんみ)とても此(こ)の度(たび)見参し給(たま)はん事(こと)不定(ふでう)なれば、文書(か)き置(お)き給(たま)へ。其(そ)の様(やう)を申(まう)すべし」と仰(おほ)せられければ、文書(か)きて跡(あと)に留(とど)め置(お)き、其(そ)の日は伊豆(いづ)の国府(こくふ)
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に著(つ)き給(たま)ふ。夜もすがら祈念(きねん)申(まう)されけるは、「南無(なむ)三島(みたう)大明神(だいみやうじん)、走湯(そうたう)権現(ごんげん)、吉祥駒形(きちしやうこまがた)、願(ねが)はくは義経(よしつね)を三十万騎の大将軍(だいしやうぐん)となし給(たま)へ。さらぬ外(ほか)は此(こ)の山(やま)より西へ越(こ)えさせ給(たま)ふな」と、精誠(せいぜい)をつくし、祈誓(きせい)し給(たま)ひけるこそ、十六のさかりには恐(おそ)ろしき。足柄(あしがら)の宿打(う)ち過(す)ぎて、武蔵野(むさしの)の堀兼(ほりかね)の井を外処(よそ)に見(み)て、在五(ざいご)中将(ちゆうじやう)の眺(なが)めける深(ふか)き好(よしみ)を思(おも)ひて、下総国(しもつさのくに)庄高野(しやうたかの)と言(い)ふ所(ところ)に著(つ)き給(たま)ふ。日数(ひかず)経(ふ)るに従(したが)ひて、都(みやこ)は遠(とほ)く、東(ひがし)は近(ちか)くなる儘(まま)に、其(そ)の夜は都(みやこ)の事(こと)思召(おぼしめ)し出(い)だされける。宿(やど)の主(あるじ)を召(め)して、「是(これ)は何処(いづく)の国ぞ」と御問(おんと)ひ有(あ)りければ、「下野(しもつけの)国(くに)」と申(まう)しける。「此(こ)の所(ところ)は郡(こほり)か庄(しやう)か」「下野(しもつけ)の庄(しやう)」とぞ申(まう)しける。「此(こ)の庄(しやう)の領主(りやうぬし)は誰(たれ)と言(い)ふぞ」。「少納言(せうなごん)信西と申(まう)しし人の母(はは)方(かた)の伯父(をぢ)、陵介(みささぎのすけ)と申(まう)す人の嫡子(ちやくし)、陵(みささぎ)の兵衛」とぞ申(まう)しける。
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義経(よしつね)陵(みささぎ)が館(たち)焼(や)き給(たま)ふ事 S0204
きつと思召(おぼしめ)し出(い)だされけるは、義経(よしつね)が九つの年、鞍馬(くらま)に有(あ)りて東光房(とうくわうばう)の膝(ひざ)の上(うへ)に寝(ゐ)ねたりし時(とき)、「あはれ幼(をさな)き人の御目の気色(けしき)や。如何(いか)なる人の君達(きんだち)にて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふやらん」と言(い)ひしかば、「是(これ)こそ左馬頭(さまのかみ)殿(どの)の君達(きんだち)」と宣(のたま)ひしかば、「あはれ、末(すゑ)の世に平家(へいけ)の為(ため)には大事(だいじ)かな。此(こ)の人々(ひとびと)を助(たす)け奉(たてまつ)りて、日本(につぽん)に置(お)かれん事(こと)こそ獅子(しし)虎(とら)を千里の野辺(のべ)に放(はな)つにてあれ。成人(せいじん)し給(たま)ひ候(さうら)はば、決定(けつぢやう)の謀反(むほん)にて有(あ)るべし。聞(き)きも置(お)かせ給(たま)へ。自然(しぜん)の事(こと)候(さうら)はん時(とき)、御尋(おんたづ)ね候(さうら)へ。下総国(しもつさのくに)に下河辺の庄と申(まう)す所(ところ)に候(さうら)ふ」と言(い)ひしなり。遙々(はるばる)と奥州(あうしう)へ下(くだ)らんよりも陵(みささぎ)が許(もと)へ行(ゆ)かばやと思召(おぼしめ)し、吉次(きちじ)をば「下野(しもつけ)の室八嶋(むろのやしま)にて待(ま)て。義経(よしつね)は人を尋(たづ)ねてやがて追(お)ひつかんずるぞ」とて、陵(みささぎ)が許(もと)へぞおはしける。吉次(きちじ)は心(こころ)ならず、先立(さきだ)ち参(まゐ)らせんと奥州(あうしう)へぞ下りける。御曹司(おんざうし)は陵(みささぎ)が宿所(しゆくしよ)へぞ尋(たづ)ねて御覧(ごらん)ずるに、世に有(あ)りしと覚(おぼ)しくて、門には鞍(くら)置(お)き馬共(ども)、其(そ)の数(かず)引(ひ)き立(た)てたり。差(さ)しのぞきて見(み)給(たま)へば、遠侍(とほさぶらひ)には大人(おとな)、若(わか)きもの五十人ばかり居(ゐ)流(なが)れたり。御曹司(おんざうし)人を招(まね)きて「御内に案内(あんない)申(まう)さん」と
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宣(のたま)ひければ、「何処(いづく)よりぞ」と申(まう)す。「京の方(かた)よりかねて見参(げんざん)に入(い)りて候(さうら)ふものにて候(さうら)ふ」と仰(おほ)せける。主(しゆう)に此(こ)の事(こと)を申(まう)しければ、「如何様(いかやう)なる人」と申(まう)す。「尋常(じんじやう)なる人にて候(さうら)ふ」と言(い)へば、「さらば是(これ)へと申(まう)せ」とて入(い)れ奉(たてまつ)る。陵(みささぎ)「如何(いか)なる人にて渡(わた)らせ給(たま)ふぞ」と申(まう)しければ、「幼少(えうせう)にて見参(げんざん)に入(い)りて候(さうら)ひし、御覧(ごらん)じ忘(わす)れ候(さうら)ふや。鞍馬(くらま)の東光坊(とうくわうばう)の許(もと)にて何事(なにごと)も有(あ)らん時尋(たづ)ねよと候(さうら)ひし程(ほど)に、万事頼(たの)み奉(たてまつ)りて下(くだ)り候(さうら)ふ」と仰(おほ)せられければ、陵(みささぎ)此(こ)の事(こと)を聞(き)きて、「かかる事(こと)こそ無(な)けれ。成人(せいじん)したる子供(こども)は皆(みな)京に上(のぼ)りて小松殿(どの)の御内(みうち)に有(あ)り。我々(われわれ)が源氏(げんじ)に与(くみ)せば、二人(ふたり)の子供(こども)徒(いたづら)になるべし」と思(おも)ひ煩(わづら)ひて、しばらく打(う)ち案(あん)じ申(まう)しけるは、「さ承(うけたまは)り候(さうら)ふ。思召(おぼしめ)し立(た)たせ給(たま)ひ候(さうら)ふ。畏(かしこ)まつて候(さうら)へども、平治の乱(らん)の時、既(すで)に兄弟(きやうだい)誅(ちゆう)せられ
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給(たま)ふべく候(さうら)へしを、七条(しちでう)朱雀(しゆしやか)の方(かた)に清盛(きよもり)近(ちか)づかせ給(たま)ひて、其(そ)の芳志(はうし)により、命(いのち)助(たす)からせ給(たま)ひぬ。老少(らうせう)不定(ふぢやう)の境(さかひ)、定(さだめ)無(な)き事(こと)にて候(さうら)へども、清盛(きよもり)如何(いか)にもなり給(たま)ひて後(のち)、思召(おぼしめ)し立(た)たせ給(たま)へかし」と申(まう)しければ、御曹司(おんざうし)聞召(きこしめし)て、あはれ彼奴(きやつ)は日本一(につぽんいち)の不覚人(ふかくじん)にて有(あ)りけるや。あはれとは思召(おぼしめ)しけれども、力(ちから)及(およ)ばず、其(そ)の日は暮(くら)し給(たま)ひけり。頼(たの)まれざらんもの故(ゆゑ)に執心(しうしん)も有(あ)るべからずとて、其(そ)の夜(よ)の夜半(やはん)ばかりに陵(みささぎ)が家(いへ)に火をかけて残(のこ)る所無(な)く散々(さんざん)に焼(や)き払(はら)ひて、掻(か)き消(け)す様(やう)に失(う)せ給(たま)ひけり。かくて行(ゆ)くには、下野(しもつけ)の横山(よこやま)の原(はら)、室(むろ)の八嶋(やしま)、白河(しらかは)の関山に人を付(つ)けられて叶(かな)ふまじと思召(おぼしめ)して、墨田河(すみだがは)辺(へん)を馬(うま)に任(まか)せて歩(あゆ)ませ給(たま)ひける程に、馬(うま)の足(あし)早(はや)くて二日に通(とほ)りける所を一日に、上野(かうづけの)国(くに)板鼻(いたはな)と言(い)ふ所(ところ)に著き給(たま)ひけり。
伊勢(いせの)三郎義経(よしつね)の臣下(しんか)にはじめて成(な)る事 S0205
日も既(すで)に暮方(くれがた)になりぬ。賎(しづ)が庵(いほり)は軒(のき)を並(なら)べ有(あ)りけれ共(ども)、一夜(いちや)を明(あ)かし給(たま)ふべき所(ところ)もなし。引(ひ)き入(い)りてま屋(や)一(ひと)つ有(あ)り。情(なさけ)有(あ)る住家(すみか)と覚(おぼ)しくて竹(たけ)の透垣(すいがき)に槙(まき)の板戸(いたど)を立(た)てたり。池(いけ)を掘(ほ)り、汀(みぎは)に群(む)れ居(ゐ)る鳥(とり)を見(み)給(たま)ふに付(つ)けても、情(なさけ)
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有(あ)りて御覧(ごらん)ずれば、庭(には)に打(う)ち入(い)り縁(えん)の際(きは)に寄(よ)り給(たま)ひて、「御内(みうち)に物申(まう)さん」と仰(おほ)せければ、十二三ばかりなる端者(はしたのもの)出(い)でて、「何事(なにごと)」と申(まう)しければ、「此(こ)の家(いへ)には汝(おのれ)より外(ほか)に大人(おとな)しき者(もの)は無(な)きか。人有(あ)らば出(い)でよ。言(い)ふべき事(こと)有(あ)り」とて返(かへ)されければ、主(しゆう)に此(こ)の様(やう)を語(かた)る。やや有(あ)りて年頃(としごろ)十八九ばかりなる女(め)の童(わらは)の優(いう)なるが、一間(ひとま)の障子(しやうじ)の陰(かげ)より「何事(なにごと)候(さうら)ふぞ」と申(まう)しければ、「京の者(もの)にて候(さうら)ふが、当国(たうごく)の多胡(たこ)と申(まう)す所(ところ)へ人を尋(たづ)ねて下(くだ)り候(さうら)ふが、此(こ)の辺(へん)の案内(あんない)知(し)らず候(さうら)ふ。日ははや暮(く)れぬ。一夜(いちや)の宿(やど)を貸(か)させ給(たま)へ」と仰(おほ)せられければ、女申(まう)しけるは、「易(やす)き程(ほど)の事(こと)にて候(さうら)へ共(ども)、主(あるじ)にて候(さうら)ふ者(もの)歩(あり)きて候(さうら)ふが、今宵(こよひ)夜更(ふ)けてこそ来(き)たり候(さうら)はんずれ。人に違(たが)ひて情(なさけ)無(な)き者(もの)にて候(さうら)ふ。如何(いか)なる事(こと)をか申(まう)し候(さうら)はんずらん。それこそ御為(おんため)いたはしく候(さうら)へ。如何(いかが)すべき。余(よ)の方(かた)へも御入(おんいり)候(さうら)へかし」と申(まう)しければ、「殿(との)の入(い)らせ給(たま)ひて無念(むねん)の事(こと)候(さうら)はば、其(そ)の時(とき)こそ虎(とら)臥(ふ)す野辺(のべ)罷(まか)り出(い)で候(さうら)はめ」と仰(おほ)せられければ、女思(おも)ひ乱(みだ)したり。御曹司(おんざうし)「今宵(こよひ)一夜(いちや)は只(ただ)貸(か)させ給(たま)へ。色(いろ)をも香(か)をも知(し)る人ぞ知(し)る」とて、遠侍(とほさぶらひ)へするりと入(い)りてぞおはしける。女力(ちから)及(およ)ばず、内(うち)に入(い)りて大人(おとな)しき人に「如何(いか)にせんずるぞ」と言(い)ひければ、「一河(いちが)の流(なが)れを汲(く)むも皆(みな)是(これ)他生(たしやう)の契(ちぎり)なり。何か苦(くる)しく候(さうら)ふべき。遠侍(とほさぶらひ)には叶(かな)ふまじ。二間所(ふたまどころ)へ入(い)れ奉(たてまつ)り給(たま)へとて」、様々(さまざま)の菓子(くわし)共(ども)
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取(と)り出(い)だし、御酒(おんさけ)勧(すす)め奉(たてまつ)れども、少(すこ)しも聞(き)き入(い)れ給(たま)はず。女申(まう)しけるは、「此(こ)の家の主(あるじ)は世に聞(き)こえたるえせ者(もの)にて候(さうら)ふ。構(かま)へて構(かま)へて見(み)えさせ給(たま)ふな。御燈火(おんともしび)を消(け)し、障子(しやうじ)を引(ひ)き立(た)てて御休(おんやす)み候(さうら)へ。八声(こゑ)の鳥(とり)も鳴(な)き候(さうら)はば、御志(おんこころざし)の方(かた)へ急(いそ)ぎ急(いそ)ぎ御出(おい)で候(さうら)へ」と申(まう)しければ、「承(うけたまは)り候(さうら)ひぬ」と仰(おほ)せける。如何(いか)なる男(をとこ)を持(も)ちて是(これ)程(ほど)には怖(お)づらん。汝(おのれ)が男(をとこ)に越(こ)えたる陵(みささぎ)が家にだに火(ひ)を懸(か)け、散々(さんざん)に焼(や)き払(はら)ひて、是(これ)まで来(き)たりつるぞかし。況(まし)てや言(い)はん、女(をんな)の情(なさけ)有(あ)りて止(とど)めたらんに、男(をとこ)来(き)たりて、憎(にく)げなる事(こと)言(い)はば、何時(いつ)の為(ため)に持(も)ちたる太刀(たち)ぞ。是(これ)ごさんなれと思召(おぼしめ)し、太刀(たち)抜(ぬ)きかけて、膝(ひざ)の下(した)に敷(し)き、直垂(ひたたれ)の袖を顔(かほ)にかけて、虚寝入(そらねいり)してぞ待(ま)ち給(たま)ふ。立(た)て給(たま)へと申(まう)しつる障子(しやうじ)をば殊(こと)に広(ひろ)く開(あ)け、消(け)し給(たま)へと申(まう)しつる燈(ひ)をばいとど高(たか)く掻(か)き立(た)てて、夜の更(ふ)くるに従(したが)つて、今(いま)や今(いま)やと待(ま)ち給(たま)ふ。子(ね)の刻(こく)ばかりになりぬれば、主(あるじ)の男(をとこ)帰(かへ)り、槙(まき)の板戸(いたど)を押(お)し開(ひら)き、内(うち)へ通(とほ)るを見(み)給(たま)へば、年(とし)廿四五ばかりなる男(をとこ)の、葦(あし)の落葉(おちば)付(つ)けたる浅黄(あさぎ)の直垂(ひたたれ)に萌黄威(もよぎをどし)の腹巻(はらまき)に太刀(たち)帯(は)いて、大(だい)の手鉾(てぼこ)杖(つゑ)につき、劣(おと)らぬ若党(わかたう)四五人、猪(ゐ)の目(め)彫(ほ)りたる鉞(まさかり)、焼刃(やきば)の薙鎌(ないかま)、長刀(なぎなた)、乳切木(ちぎりき)、材棒(さいぼう)、手々(てで)に取(と)り持(も)ちて、只今(ただいま)事(こと)に会(あ)うたる気色(けしき)なり。四天王(してんわう)の如(ごと)くにして出(い)で来(き)たり、女の身にて怖(お)ぢつるも理(ことわり)かな。
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や、彼奴(きやつ)は雄猛(けなげ)なるものかなとぞ御覧(ごらん)じける。彼(か)の男二間(ふたま)に人有(あ)りと見(み)て、沓脱(くつぬぎ)に登(のぼ)り上(あ)がりける。大(だい)の眼(まなこ)見(み)開(ひら)きて、太刀(たち)取(と)り直(なほ)し、「是(これ)へ」とぞ仰(おほ)せられける。男は怪(け)しからぬ人かなと思(おも)ひて返事(へんじ)も申(まう)さず、障子(しやうじ)引(ひ)き立(た)てて、足早(あしばや)に内(うち)に入(い)る。如何様(いかさま)にも女に逢(あ)うて憎(にく)げなる事(こと)言(い)はれんずらんと思召(おぼしめ)して、壁(かべ)に耳(みみ)を当(あ)てて聞(き)き給(たま)へば、「や御前(ごぜん)御前(ごぜん)」と押(お)し驚(おどろ)かせば、暫(しば)しは音(おと)もせず。遙(はる)かにして寝覚(ねざ)めたる風情(ふぜい)して、「如何(いか)に」と言(い)ふ。「二間(ふたま)に寝(ね)たる人は誰(たれ)」と言(い)ふ。「我(われ)も知(し)らぬ人なり」とぞ申(まう)しける。されども「知(し)られず、知(し)らぬ人をば男(をとこ)の無(な)き跡(あと)に誰(たれ)が計(はか)らひに置(お)きたるぞ」と世(よ)に悪(あ)しげに申(まう)しければ、あは事(こと)出(い)で来(き)たるぞと聞召(きこしめ)しける程(ほど)に、女申(まう)しけるは、「知(し)られず知(し)らぬ人なれども「日は暮(く)れぬ。行方(ゆきかた)は遠(とほ)し」と打(う)ち佗(わ)び給(たま)ひつれども、人のおはしまさぬ跡(あと)に泊(と)め参(まゐ)らせては、御言葉(おんことば)の末(すゑ)も
知(し)り難(がた)ければ、「叶(かな)はじ」と申(まう)しつれ共(ども)、「色(いろ)をも香(か)をも知(し)る人ぞ知(し)る」と仰(おほ)せられつる御言葉(おんことば)に恥(は)ぢて今宵(こよひ)の宿(やど)を参(まゐ)らせつるなり。如何(いか)なる事(こと)有(あ)りとも今宵(こよひ)ばかりは何(なに)か苦(くる)しかるべき」と申(まう)しければ、男(をとこ)、「さてもさても和御前(わごぜん)をば志賀(しが)の都(みやこ)の梟(ふくろ)、心(こころ)は東(あづま)の奥(おく)のものにこそ思(おも)ひつるに、「色(いろ)をも香(か)をも知(し)る人ぞ知(し)る」と仰(おほ)せられける言葉(ことば)の末(すゑ)を弁(わきま)へて、貸(か)しぬるこそ優(やさ)しけれ。何事(なにごと)有(あ)りとも苦(くる)しかるまじきぞ。今宵(こよひ)一夜(いちや)は明(あ)かさせ参(まゐ)らせよ」
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とぞ申(まう)しける。御曹司(おんざうし)、あはれ然(しか)るべき仏神(ぶつしん)の御恵(おんめぐ)みかな。憎(にく)げなる事(こと)をだにも言(い)はば、ゆゆしき大事(だいじ)は出(い)で来(こ)んと思召(おぼしめ)しけるに、主人(あるじ)言(い)ひけるは、「何様(なにさま)にも此(こ)の殿(との)は只人(ただひと)にてはなし。近(ちか)くは三日、遠(とほ)くは七日の内(うち)に事(こと)に逢(あ)うたる人にてぞ有(あ)るらん。我(われ)も人も世になしものの、珍事(ちんじ)中夭(ちゆうえう)に逢(あ)ふ事(こと)常(つね)の事(こと)なり。御酒(おんさけ)を申(まう)さばや」とて、様々(さまざま)の菓子(くわし)共(ども)調(ととの)へて、端者(はしたもの)に瓶子(へいじ)抱(いだ)かせて、女先(さき)に立(た)てて、二間(ふたま)に参(まゐ)り、御酒(おんさけ)勧(すす)め奉(たてまつ)れども、敢(あへ)て聞召(きこしめ)し給(たま)はず。主(あるじ)申(まう)しけるは、「御酒(おんさけ)聞召(きこしめ)し候(さうら)へ。如何様(いかさま)御用心(ごようじん)と覚(おぼ)え候(さうら)ふ。姿(すがた)こそ賎(あや)しの民(たみ)にて候(さうら)ふとも、此(こ)の身が候(さうら)はんずる程(ほど)は御宿直(おんとのゐ)仕(つかまつ)り候(さうら)ふべし。人は無(な)きか」と呼(よ)びければ、四天の如(ごと)くなる男五六人出(い)で来(き)たる。「御客人(ごきやくじん)を設(まう)け奉(たてまつ)るぞ。御用心(ごようじん)と覚(おぼ)え候(さうら)ふ。今宵(こよひ)は寝(ね)られ候(さうら)ふな。御宿直(おんとのゐ)仕(つかまつ)れ」と言(い)ひければ、「承(うけたまは)り
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候(さうら)ふ」と言(い)ひて、蟇目(ひきめ)の音(おと)、弓(ゆみ)の絃(つる)押(お)し張(は)りなんどして御宿直(おんとのゐ)仕(つかまつ)る。我(わ)が身も出居(でい)の蔀(しとみ)上(あ)げて、燈台(とうだい)二所に立(た)てて腹巻(はらまき)取(と)つて側(そば)に置(お)き、弓(ゆみ)押(お)し張(は)り、矢束(やたばね)解(と)いて押(お)し寛(くつろ)げて、太刀(たち)刀(かたな)取(と)りて膝(ひざ)の下(した)に置(お)き、あたりに犬(いぬ)吠(ほ)え、風の木末(こずゑ)を鳴(な)らすをも、「誰(たれ)、あれ斬(き)れ」とぞ申(まう)しける。其(そ)の夜は寝(ね)もせで明(あ)かしける。御曹司(おんざうし)、あはれ彼奴(きやつ)は雄猛者(けなげもの)かなと思召(おぼしめ)しけり。明(あ)くれば御立(おんたち)有(あ)らんとし給(たま)ふを、様々(さまざま)に止(と)め奉(たてまつ)り、仮初(かりそめ)の様(やう)なりつれども、此処(ここ)に二三日留(とど)まり給(たま)ひけり。主(あるじ)の男申(まう)しけるは、「抑(そもそも)都(みやこ)にては如何(いか)なる人にて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふぞ。我(われ)等(ら)も知(し)る人も候(さうら)はねば、自然(しぜん)の時(とき)は尋(たづ)ね参(まゐ)るべし。今(いま)一両日御逗留(ごとうりう)候(さうら)へかし」と申(まう)す。「東山道(とうせんだう)へかからせ給(たま)ひ候(さうら)はば碓氷(うすい)の峠(たうげ)海道にかからば足柄(あしがら)まで送(おく)り参(まゐ)らすべし」と申(まう)すを都(みやこ)に無(な)からん
もの故(ゆゑ)に、尋(たづ)ねられんと言(い)はんも詮(せん)なし。此(こ)のものを見(み)るに二心なんどはよも有(あ)らじ、知(し)らせばやと思召(おぼしめ)し、「是(これ)は奥州(あうしう)の方(かた)へ下(くだ)る者(もの)なり。平治(へいぢ)の乱(らん)に亡(ほろ)びし下野(しもつけ)の左馬頭(さまのかみ)が末(すゑ)の子牛若(うしわか)とて、鞍馬(くらま)に学問(がくもん)して候(さうら)ひしが、今(いま)男(をとこ)になりて、左馬(さまの)九郎義経(よしつね)と申(まう)す也(なり)。奥州(あうしう)へ秀衡(ひでひら)を頼(たの)みて下(くだ)り候(さうら)ふ。今(いま)自然(しぜん)として知(し)る人になり奉(たてまつ)らめ」と仰(おほ)せけるを、聞(き)きも敢(あ)へず、つと御前に参(まゐ)りて、御袂(おんたもと)に取(と)り付(つ)き、はらはらと泣(な)き、「あら無慙(むざん)や、問(と)ひ奉(たてまつ)らずは、争(いか)でか
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知(し)り奉(たてまつ)るべきぞ。我々(われわれ)が為(ため)には重代(ぢゆうだい)の君(きみ)にて渡(わた)らせ給(たま)ひけるものをや。かく申(まう)せば、如何(いか)なる者(もの)ぞと思(おぼ)すらん。親にて候(さうら)ひし者(もの)は、伊勢(いせ)の国二見(ふたみ)の者(もの)にて候(さうら)ふ。伊勢(いせ)のかんらひ義連(よしつら)と申(まう)して、大神宮の神主(かんぬし)にて候(さうら)ひけるが、清水(きよみづ)へ詣(まう)で下向(げかう)しける、九条(くでう)の上人(しやうにん)と申(まう)すに乗合(のりあひ)して、是(これ)を罪科(ざいくわ)にて上野国(かうづけのくに)なりしまと申(まう)す所(ところ)に流(なが)され参らせて、年月を送(おく)り候(さうら)ひけるに、故郷(こきやう)忘(わす)れんが為(ため)に、妻子(さいし)を儲(まう)けて候(さうら)ひけるが、懐妊(くわいにん)して七月になり候(さうら)ふに、かんらひ遂(つひ)に御赦免(ごしやめん)も無(な)くて、此(こ)の所(ところ)にて失(うしな)ひ候(さうら)ひぬ。其(そ)の後産(さん)して候(さうら)ふを、母(はは)にて候(さうら)ふ者(もの)、胎内(たいない)に宿(やど)りながら、父に別(わか)れて果報(くわほう)つたなきものなりとて捨(す)て置(お)き候(さうら)ふを、母(はは)方(かた)の伯父(をぢ)不便(ふびん)に思(おも)ひ、取(と)り上(あ)げて育(そだ)て成人(せいじん)して、十三と候(さうら)ふに元服(げんぷく)せよと申(まう)し候(さうら)ひしに、「我(わ)が父(ちち)と言(い)ふ者(もの)如何(いか)なる人にて有(あ)りけるぞや」と申(まう)して候(さうら)へば、母涙(なみだ)に咽(むせ)び、とかくの返事(へんじ)も申(まう)さず。「汝(なんぢ)が父(ちち)は伊勢(いせの)国(くに)二見(ふたみ)の浦(うら)の者(もの)とかや。遠国(をんごく)の人にて有(あ)りしが、伊勢(いせ)のかんらひ義連(よしつら)と言(い)ひしなり。左馬頭殿(さまのかうのとの)の御不便(ごふびん)にせられ参(まゐ)らせたりけるが、思(おも)ひの外(ほか)の事(こと)有(あ)りて、此(こ)の国に有(あ)りし時(とき)、汝(おのれ)を妊(にん)して、七月と言(い)ひしに、遂(つひ)に空(むな)しく成(な)りしなり」と申(まう)ししかば、父(ちち)は伊勢(いせ)のかんらひと言(い)ひければ、我(われ)をば伊勢(いせ)の三郎と申(まう)す。父が義連(よしつら)と名告(なの)れば、我(われ)は義盛(よしもり)と名告(なの)り候(さうら)ふ。此(こ)の年頃(としごろ)平家(へいけ)の世になり、源氏(げんじ)は皆(みな)亡(ほろ)び果(は)てて、偶々(たまたま)残(のこ)り止(とどま)り
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給(たま)ひしも押(お)し篭(こ)められ、散(ち)り散(ぢ)りに渡(わた)らせ給(たま)ふと、承(うけたまは)りし程(ほど)に、便(たよ)りも知(し)らず、まして尋(たづ)ねて参(まゐ)る事(こと)もなし。心に物を思(おも)ひて候(さうら)ひつるに、今(いま)君(きみ)を見(み)参(まゐ)らせ、御目にかかり申(まう)す事(こと)三世の契(ちぎり)と存(ぞん)じながら、八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)の御引合(おんひきあはせ)とこそ存(ぞん)じ候(さうら)へ」とて、来(こ)し方(かた)行末(ゆくすゑ)の物語(ものがたり)互(たがひ)に申(まう)し開(ひら)き、只(ただ)仮初(かりそめ)の様(やう)に有(あ)りしかども、其(そ)の時(とき)御目にかかり始(はじ)めて、又心(またこころ)無(な)くして、奥州(あうしう)に御供(おんとも)して、治承(ぢしよう)四年(しねん)源平(げんぺい)の乱(らん)出(い)で来(き)しかば、御身(おんみ)に添(そ)ふ影(かげ)の如(ごと)くにて、鎌倉(かまくら)殿(どの)御仲(おんなか)不快(ふくわい)にならせ給(たま)ひし時(とき)までも、奥州(あうしう)に御供(おんとも)して、名を後(のち)の世に上(あ)げたりし、伊勢(いせ)の三郎義盛(よしもり)とは、其(そ)の時(とき)の宿(やど)の主(あるじ)なり。義盛(よしもり)内(うち)に入(い)りて、女房(にようばう)に向(むか)ひ、「如何(いか)なる人ぞと思(おも)ひつるに、我(わ)が為(ため)には相伝(さうでん)の御主(おんしゆう)にて渡(わた)らせ給(たま)ひける物(もの)を、されば御伴(おんとも)して奥州(あうしう)へ下(くだ)るべし。和御前(わごぜん)は是(これ)にて明年の春の頃(ころ)を待(ま)ち給(たま)へ。もし其(そ)の頃(ころ)も上(のぼ)らずは、はじめて人に見(み)え給(たま)へ。見(み)え給(たま)ふとも義盛(よしもり)が事(こと)忘(わす)れ給(たま)ふな」と申(まう)しければ、女泣(な)くより外の事(こと)ぞ無(な)き。「仮初(かりそめ)の旅(たび)だにも在(あ)りきの跡(あと)は恋(こひ)しきに、飽(あ)かで別(わか)るる面影(おもかげ)を何時(いつ)の世(よ)にかは忘(わす)るべき」と歎(なげ)きても甲斐(かひ)ぞ無(な)き。剛(かう)の者(もの)の癖(くせ)なれば、一筋(ひとすぢ)に思(おも)ひきつて、やがて御供(おんとも)してぞ下(くだ)りける。下野(しもつけ)の室(むろ)の八嶋(やしま)をよそに見(み)て、宇都宮(うつのみや)の大明神(だいみやうじん)を伏(ふ)し拝(おが)み行方(ゆきがた)の原(はら)に差(さ)しかかり、実方(さねかた)の中将(ちゆうじやう)の安達(あだち)の野辺(のべ)の白真弓(しらまゆみ)、
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押(お)し張(は)り素引(すひき)し肩(かた)にかけ、馴(な)れぬ程(ほど)は何(なに)おそれん、馴(な)れての後(のち)はおそるぞ悔(くや)しきと詠(なが)めけん、安達(あだち)の野辺(のべ)を見(み)て過(す)ぎ、浅香(あさか)の沼(ぬま)の菖蒲草(あやめぐさ)、影(かげ)さへ見ゆる浅香山(あさかやま)、着つつ馴(な)れにし忍(しの)ぶの里(さと)の摺衣(すりごろも)、など申(まう)しける名所(めいしよ)名所(めいしよ)を見(み)給(たま)ひて、伊達(だて)の郡(こほり)阿津賀志(あつかし)の中山(なかやま)越(こ)え給(たま)ひて、まだ曙(あけぼの)の事(こと)なるに、道(みち)行(ゆ)き通(とほ)るを聞(き)き給(たま)ひて、いさ追(お)ひ著(つ)いて物(もの)問(と)はん。此(こ)の山(やま)は当国(たうごく)の名山にて有(あ)るなるにとて、追(お)つ著(つ)いて見(み)給(たま)へば、御先(おんさき)に立(た)ちたる吉次(きちじ)にてぞ有(あ)りける。商人(あきんど)のならひにて、此処(ここ)彼処(かしこ)にて日を送(おく)りける程(ほど)に、九日先(さき)に発(た)ち参(まゐ)らせたるが、今(いま)追(お)ひ著(つ)き給(たま)ひける。吉次(きちじ)御曹司(おんざうし)を見(み)付(つ)け参(まゐ)らせて、世に嬉(うれ)しくぞ思(おも)ひける。御曹司(おんざうし)も御覧(ごらん)じて、嬉(うれ)しくぞ思召(おぼしめ)す。「陵(みささぎ)が事(こと)は如何(いか)に」と申(まう)しければ、「頼(たの)まれず候(さうら)ふ間(あひだ)、家に火をかけて散々(さんざん)に焼(や)き払(はら)ひ、是(これ)まで来(き)たるなり」と仰(おほ)せられければ、吉次(きちじ)今(いま)の心地(ここち)して、恐(おそ)ろしくぞ思(おも)ひける。「御供(おんとも)の人は如何(いか)なる人ぞ」と申(まう)せば、「上野(かうづけ)の足柄(あしがら)のものぞ」と仰(おほ)せられける。「今(いま)は御供(おんとも)要(い)るまじ。君(きみ)御著(おんつ)き候(さうら)ひて後(のち)、尋(たづ)ねて下(くだ)り給(たま)へ。後(あと)に妻女(さいぢよ)の嘆(なげ)き給(たま)ふべきも痛(いた)はしくこそ候(さうら)へ。自然(しぜん)の事(こと)候(さうら)はん時(とき)こそ御伴(おんとも)候(さうら)はめ」とてやうやうに止(とど)めければ、伊勢(いせ)の三郎をば上野(かうづけ)へぞ返(かへ)されける。それよりして治承(ぢしよう)+四年(しねん)を
待(ま)たれけるこそ久(ひさ)しけれ。かくて夜を日についで下(くだ)り給(たま)ふ程(ほど)に武隈(たけくま)の松(まつ)、阿武隈(あぶくま)と申(まう)す名所(めいしよ)名所(めいしよ)過(す)ぎて宮城野(みやぎの)の原(はら)、
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躑躅(つつじ)の岡(をか)を眺(なが)めて、千賀(ちが)の塩竃(しほかま)へ詣(まう)でし給(たま)ふ。あたりの松、籬(まがき)の島(しま)を見(み)て、見仏(けんぶつ)上人(しやうにん)の旧蹟(きうせき)松島(まつしま)を拝(おが)ませ給(たま)ひて、紫(むらさき)の大明神(だいみやうじん)の御前にて祈誓(きせい)申(まう)させ給(たま)ひて、姉歯(あねは)の松(まつ)を見(み)て、栗原(くりはら)にも著(つ)き給(たま)ふ。吉次(きちじ)は栗原(くりはら)の別当(べつたう)の坊(ばう)に入(い)れ奉(たてまつ)りて、我(わ)が身は平泉(ひらいづみ)へぞ下(くだ)りける。
義経(よしつね)秀衡(ひでひら)にはじめて対面(たいめん)の事(こと) S0206
吉次(きちじ)急(いそ)ぎ秀衡(ひでひら)に此(こ)の由(よし)申(まう)しければ、折節(をりふし)風の心地(ここち)し臥(ふ)したりけるが、嫡子(ちやくし)本吉(もとよし)の冠者(くわんじや)泰衡(やすひら)、二男泉(いづみ)の冠者(くわんじや)忠衡(ただひら)を呼(よ)びて申(まう)しけるは、「さればこそ過(す)ぎにし頃黄(き)なる鳩(はと)来(き)たつて秀衡(ひでひら)が家の上(うへ)に飛(と)び入(い)ると夢(ゆめ)に見(み)たりしかば、如何様(いかさま)源氏の音信(おとづれ)承(うけたまは)らんとするやらむと思(おも)ひつるに、頭殿(かうのとの)の君達(きんだち)御下(おんくだ)り有(あ)るこそ嬉(うれ)しけれ。掻(か)き起(お)こせ」とて、人の肩(かた)を押(おさ)へて、烏帽子(えぼし)取(と)りて引(ひ)つこみ、直垂(ひたたれ)取(と)つて打(う)ち掛(か)け申(まう)しけるは、「此(こ)の殿(との)は幼(をさな)くおはするとも、狂言(きやうげん)綺語(きぎよ)の戯(たはぶ)れも、仁(じん)義(ぎ)礼(れい)智(ち)信(しん)も正(ただ)しくぞおはすらん。此(こ)の程(ほど)の労(いたはり)に家のうちも見(み)苦(ぐる)しかるらん。庭の草払(はら)はせよ。すけひら、もとひら早々(はやはや)出(い)で立(た)ちて御迎(おんむかひ)に参(まゐ)れ。事々(ことごと)しからぬ様(やう)にて参(まゐ)れ」と申(まう)されければ、畏(かしこ)まつて承(うけたまは)り、其(そ)の勢(せい)三百五十余騎(よき)
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栗原寺(くりはらでら)へぞ馳(は)せ参(まゐ)る。御曹司(おんざうし)の御目にかかる。栗原(くりはら)の大衆(だいしゆ)五十人送(おく)り参(まゐ)らする。秀衡(ひでひら)申(まう)しけるは、「是(これ)まで遥々(はるばる)御入(おいり)候(さうら)ふ事(こと)返(かへ)す返(がへ)す畏(かしこ)まり入(い)り存(ぞん)じ候(さうら)ふ。両国(りやうごく)を手(て)に握(にぎ)りて候(さうら)へども思(おも)ふ様(やう)にも振舞(ふるま)はれず候(さうら)へ共(ども)、今(いま)は何(なに)の憚(はばかり)か候(さうら)ふべき」とて、泰衡(やすひら)を呼(よ)びて申(まう)しけるは、「両国(りやうごく)の大名(だいみやう)三百六十人を択(すぐ)りて、日々■飯(わうばん)を参(まゐ)らせて、君(きみ)を守護(しゆご)し奉(たてまつ)れ。御引出物(おんひきでもの)には十八万騎持(も)ちて候(さうら)ふ郎等(らうどう)を十万をば二人(ふたり)の子供(こども)に賜(たま)はり候(さうら)へ。今(いま)八万をば君(きみ)に奉(たてまつ)る。君(きみ)御事(おんこと)はさて置(お)きぬ。吉次(きちじ)が御供(おんとも)申(まう)さでは、争(いかで)か御下(おんくだ)り候(さうら)ふべき。秀衡(ひでひら)を秀衡(ひでひら)と思(おも)はん者(もの)は吉次(きちじ)に引手物(ひきでもの)せよ」と申(まう)しければ、嫡子(ちやくし)泰衡(やすひら)白皮(しろかは)百枚(ひやくまい)、鷲(わし)の羽(は)百尻(ひやくしり)、良(よ)き馬(うま)三疋(さんびき)、白鞍(しろくら)置(お)きて取(と)らせける。二男(じなん)忠衡(ただひら)も是(これ)に劣(おと)らず、引出物(ひきでもの)しけり。其(そ)の外(ほか)家の子郎等(らうどう)我(われ)劣(おと)らじと取(と)らせけり。秀衡(ひでひら)是(これ)を見(み)て、「獣(しし)の皮(かは)
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も鷲(わし)の尾(を)も、今(いま)はよも不足(ふそく)有(あ)らじ。御辺(ごへん)の好(この)む物なれば」とて、貝(かひ)摺(す)りたる唐櫃(からひつ)の蓋(ふた)に砂金(しやきん)一蓋(ひとふた)入(い)れて取(と)らせけり。吉次(きちじ)此(こ)の君(きみ)の御供(おんとも)し、道々(みちみち)の命(いのち)生(い)きたるのみならず、徳(とく)付(つ)きてかかる事(こと)にも逢(あ)ひけるものよ。多聞(たもん)の御利生(ごりしやう)とぞ思(おも)ひける。かくて商(あきな)ひせずとも、元手(もとで)儲(まう)けたり。不足(ふそく)有(あ)らじと思(おも)ひ、京へ急(いそ)ぎ上(のぼ)りけり。かくて今年(ことし)も暮(く)れければ、御年(おんとし)十七にぞなり給(たま)ふ。さても年月を送(おく)り給(たま)へども、秀衡(ひでひら)も申(まう)す旨(むね)もなし。御曹司(おんざうし)も「如何(いかが)有(あ)るべき」とも仰(おほ)せ出(い)だされず。中々(なかなか)都(みやこ)にだにも有(あ)るならば、学問(がくもん)をもし、見(み)たき事(こと)をも見(み)るべきに、かくても叶(かな)ふまじ、都(みやこ)へ上(のぼ)らばやとぞ思(おも)ひける。泰衡(やすひら)に言(い)ふとも叶(かな)ふまじ、知(し)らせずして行(ゆ)かばやと思食(おぼしめ)し、仮初(かりそめ)の歩(あり)きの様(やう)にて、京へ上(のぼ)らせ給(たま)ふとて、伊勢(いせ)の三郎が許(もと)におはして、しばらく休(やす)らひて、東山道(とうせんだう)にかかり、木曾(きそ)の冠者(くわんじや)の許(もと)におはして、謀反(むほん)の次第(しだい)仰(おほ)せあはされて都(みやこ)に上(のぼ)り、片(かた)ほとりの山科(やましな)に知(し)る人有(あ)りける所に渡(わた)らせ給(たま)ひて、京(きやう)の機嫌(きげん)をぞ窺(うかが)ひける。
義経(よしつね)鬼一(おにいち)法眼(ほふげん)が所へ御出(おいで)の事(こと) S0207
此処(ここ)に代々の御門(みかど)の御宝(おんたから)、天下に秘蔵(ひさう)せられたる十六巻(じふろつくわん)の書(しよ)有(あ)り。異朝(いてう)にも
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我(わ)が朝(てう)にも伝(つた)へし人一人として愚(おろ)かなる事(こと)なし。異朝(いてう)には太公望(たいこうばう)是(これ)を読(よ)みて、八尺(はつしやく)の壁(かべ)に上(のぼ)り、天に上(のぼ)る徳(とく)を得(え)たり。張良(ちやうりやう)は一巻の書と名付(なづ)け、是(これ)を読(よ)みて、三尺(さんじやく)の竹(たけ)に上(のぼ)りて、虚空(こくう)を翔(か)ける。樊■(はんくわい)是(これ)を伝(つた)へて甲胄(かつちう)をよろひ、弓箭(きゆうせん)を取(と)つて、敵(かたき)に向(むか)ひて怒(いか)れば、頭(かしら)の兜(かぶと)の鉢(はち)を通(とほ)す。本朝(ほんてう)の武士(ぶし)には、坂上(さかのうへの)田村丸(たむらまろ)、是(これ)を読(よ)み伝(つた)へて、悪事(あくじ)の高丸(たかまろ)を取(と)り、藤原(ふじはらの)利仁(としひと)是(これ)を読(よ)みて、赤頭(あかがしら)の四郎将軍(しやうぐん)を取(と)る。それより後(のち)は絶(た)えて久(ひさ)しかりけるを、下野(しもつけ)の住人(ぢゆうにん)相馬(さうま)の小次郎(こじらう)将門(まさかど)是(これ)を読(よ)み伝(つた)へて、我(わ)が身のせいたんむしやなるによつて朝敵(てうてき)となる。されども天命(てんめい)を背(そむ)く者(もの)の、ややもすれば世を保(たも)つ者(もの)少(すく)なし。当国(たうごく)の住人(ぢゆうにん)田原(たはらの)藤太(とうだ)秀郷(ひでさと)は勅宣(ちよくせん)を先(さき)として将門(まさかど)を追討(ついたう)の為(ため)に東国に下(くだ)る。相馬(さうま)の小二郎(こじらう)防(ふせ)ぎ戦(たたか)ふと雖(いへど)も、四年(しねん)に味方(みかた)滅(ほろ)びにけり。最後(さいご)の時(とき)威力(いりよく)を修(しゆ)してこそ一張(いつちやう)の弓(ゆみ)に八の矢(や)を矧(は)げて、一度に是(これ)を放(はな)つに八人の敵(かたき)をば射(い)たりけり。それより後(のち)は又(また)絶(た)えて久しく読(よ)む人もなし。只(ただ)徒(いたづら)に代々の帝(みかど)の宝蔵(ほうざう)に篭(こ)め置(お)かれたりけるを、其(そ)の頃(ころ)一条(いちでう)堀河(ほりかは)に陰陽師(おんやうじ)法師(ほふし)に鬼一(おにいち)法眼(ほふげん)とて文武(ぶんぶ)二道(にだう)の達者(たつしや)有(あ)り。天下(てんが)の御祈祷(ごきたう)して有(あ)りけるが、是(これ)を賜(たま)はりて秘蔵(ひさう)してぞ持(も)ちたりける。御曹司(おんざうし)是(これ)を聞(き)き給(たま)ひて、やがて山科(やましな)を出(い)でて、法眼(ほふげん)が許(もと)に佇(たたず)みて見(み)給(たま)へば、京(きやう)中(ぢゆう)なれども居(ゐ)たる所(ところ)もしたたかに拵(こしら)へ、四方(しはう)に堀(ほり)を掘(ほ)りて水をたたへ、
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八の櫓(やぐら)を上(あ)げて、夕(ゆふべ)には申(さる)の刻(こく)、酉(とり)の時(とき)になれば、橋(はし)を外(はづ)し、朝(あした)には巳午(みむま)の時(とき)まで門(もん)を開(ひら)かず。人の言(い)ふ事(こと)耳(みみ)の外処(よそ)になしてゐたる大華飾(だいくわしよく)の者(もの)なり。御曹司(おんざうし)差(さ)し入(い)りて見(み)給(たま)へば、侍(さぶらひ)の縁(えん)の際(きは)に、十七八ばかりなる童(わらは)一人佇(たたず)みて有(あ)り。扇(あふぎ)差(さ)し上(あ)げて招(まね)き給(たま)へば、「何事(なにごと)ぞ」と申(まう)しける。「汝(おのれ)は内(うち)のものか」と仰(おほ)せられければ、「さん候(ざうらふ)」と申(まう)す。「法眼(ほふげん)は是(これ)にか」と仰(おほ)せられければ、「是(これ)に」と申(まう)す。「さらば汝(おのれ)に頼(たの)むべき事(こと)有(あ)り。法眼(ほふげん)に言(い)はんずる様(やう)は、門に見(み)も知(し)らぬ冠者(くわんじや)物申(まう)さんと言(い)ふと急(いそ)ぎ言(い)ひて帰(かへ)れ」と仰(おほ)せられける。童(わらは)申(まう)しけるは、「法眼(ほふげん)は華飾(くわしよく)世に越(こ)えたる人にて、然(しか)るべき人達(たち)の御入の時(とき)だにも子供(こども)を代官(だいくわん)に出(い)だし、我(われ)は出(い)で合(あ)ひ参(まゐ)らせぬくせ人にて候(さうら)ふ。まして各々(おのおの)の様(やう)なる人の御出(おいで)を賞翫(しやうくわん)候(さうら)ひて対面(たいめん)有(あ)る事(こと)候(さうら)ふまじ」と申(まう)しければ、御曹司(おんざうし)、「彼奴(きやつ)は不思議(ふしぎ)の者(もの)の言(い)ひ様(やう)かな。主(ぬし)も言(い)はぬ先(さき)に人の返事(へんじ)をする事(こと)は如何(いか)に。入(い)りて此(こ)の様(やう)を言(い)ひて帰(かへ)れ」とぞ仰(おほ)せける。「申(まう)す共(とも)御用(ごもち)ゐ有(あ)るべしとも覚(おぼ)えず候(さうら)へ共(ども)、申(まう)して見(み)候(さうら)はん」とて、内(うち)に入(い)り、主(しゆう)の前(まへ)に跪(ひざまづ)き、「かかる事(こと)こそ候(さうら)はね。門に年頃(としごろ)十七八かと覚(おぼ)え候(さうら)ふ小冠者(こくわんじや)一人佇(たたず)み候(さうら)ふが、「法眼(ほふげん)はおはするか」と問(と)ひ奉(たてまつ)り候(さうら)ふ程(ほど)に、「御渡(おんわた)り候(さうら)ふ」と申(まう)して候(さうら)へば、御対面(ごたいめん)有(あ)るべきやらん」と申(まう)しける。「法眼(ほふげん)を洛中(らくちゆう)にて見(み)下(さ)げて、さ様(やう)に
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言(い)ふべき人こそ覚(おぼ)えね。人の使(つか)ひか、己(おのれ)が詞(ことば)か、よく聞(き)き返(かへ)せ」と申(まう)しける。童(わらは)、「此(こ)の人の気色(けしき)を見(み)候(さうら)ふに、主(しゆう)など持(も)つべき人にてはなし。又(また)郎等(らうどう)かと見(み)候(さうら)へば、折節(をりふし)に直垂(ひたたれ)を召(め)して候(さうら)ふが、皃達(ちごたち)かと覚(おぼ)え候(さうら)ふ。鉄漿黒(かねぐろ)に眉(まゆ)取(と)りて候(さうら)ふが、良(よ)き腹巻(はらまき)に黄金作(こがねづく)りの太刀(たち)を帯(は)かれて候(さうら)ふ。あはれ、此(こ)の人は源氏(げんじ)の大将軍(だいしやうぐん)にておはしますらん。此(こ)の程(ほど)世を乱(みだ)さんと承(うけたまは)り候(さうら)ふが、法眼(ほふげん)は世に越(こ)えたる人にて御渡(おんわた)り候(さうら)へば、一方(いつぱう)の大将軍(だいしやうぐん)とも頼(たの)み奉(たてまつ)らんずる為(ため)に御入候(さうら)ふやらん。御対面(ごたいめん)候(さうら)はん時(とき)も世になし者(もの)など仰(おほ)せられ候(さうら)ひて、持(も)ち給(たま)へる太刀(たち)の脊(むね)にて一打(ひとうち)も当(あ)てられさせ給(たま)ふな」と申(まう)しける。法眼(ほふげん)是(これ)を聞(き)きて、「雄猛者(けなげもの)ならば行(ゆ)きて対面(たいめん)せん」とて出(い)で立(た)つ。生絹(すずし)の直垂(ひたたれ)に緋威(ひをどし)の腹巻(はらまき)著(き)て、金剛(こんごう)履(は)いて、頭巾(づきん)耳(みみ)の際(きは)まで引(ひ)つこうで、大手鉾(おほてぼこ)杖(つゑ)に突(つ)きて、縁(えん)とうとうと踏(ふ)みならし、
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暫(しばら)く守(まぼ)りて、「抑(そもそも)法眼(ほふげん)に物(もの)言(い)はんと言(い)ふなる人は侍(さぶらひ)か、凡下(ぼんげ)か」とぞ言(い)ひける。御曹司(おんざうし)門の際(きは)よりするりと出(い)でて、「某(それがし)申(まう)し候(さうら)ふぞ」とて縁(えん)の上(うへ)に上(のぼ)り給(たま)ひける。法限(ほふげん)是(これ)を見(み)て、縁(えん)より下に出(い)でてこそ畏(かしこ)まらんずるに、思(おも)ひの外(ほか)に法眼(ほふげん)にむずと膝(ひざ)をきしりてぞ居(ゐ)たりける。「御辺(ごへん)は法眼(ほふげん)に物(もの)言(い)はんと仰(おほ)せられける人か」と申(まう)しければ、「さん候(ざうらふ)」「何事(なにごと)仰(おほ)せ候(さうら)ふべき。弓(ゆみ)一張(いつちやう)、矢(や)の一筋(ひとすぢ)などの御所望(ごしよまう)か」と申(まう)しければ、「やあ御坊(ごばう)、それ程(ほど)の事(こと)企(くわだ)てて、是(これ)まで来(き)たらんや。誠(まこと)か御坊(ごばう)は異朝(いてう)の書、将門(まさかど)が伝(つた)へし六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)と言(い)ふ文、殿上(てんしやう)より賜(たま)はりて秘蔵(ひさう)して持(も)ち給(たま)ふとな。其(そ)の文私(わたくし)ならぬものぞ。御坊(ごばう)持(も)ちたればとて読(よ)み知(し)らずは、教(をし)へ伝(つた)へべき事(こと)も有(あ)るまじ。理を抂(ま)げて某(それがし)に其(そ)の文見(み)せ給(たま)へ。一日のうちに読(よ)みて、御辺(ごへん)にも知(し)らせ教(をし)へて返(かへ)さんぞ」と仰(おほ)せ有(あ)りければ、法眼(ほふげん)歯噛(はがみ)をして申(まう)しけるは、「洛中(らくちゆう)に是(これ)程(ほど)の狼籍者(らうぜきもの)を誰(たれ)が計(はか)らひとして門より内(うち)へ入れけるぞ。」と言(い)ふ。御曹司(おんざうし)思召(おぼしめ)しけるは、「憎(にく)い奴(やつ)かな。望(のぞみ)をかくる六韜(りくたう)こそ見(み)せざらめ。剰(あまつさ)へ荒言葉(あらことば)を言(い)ふこそ不思議(ふしぎ)なれ。何(なに)の用(よう)に帯(は)きたる太刀(たち)ぞ。しやつ切(き)つてくればや」と思召(おぼしめ)しけるが、よしよし、しかじか、一字(いちじ)をも読(よ)まず共(とも)、法眼(ほふげん)は師(し)なり、義経(よしつね)は弟子なり。それを背(そむ)きたらば、堅牢地神(けんらうぢじん)の恐(おそれ)もこそあれ。法眼(ほふげん)を助(たす)けてこそ六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)の在所(ありどころ)も知(し)らんずれ
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と思召(おぼしめ)し直(なほ)し、法眼(ほふげん)を助(たす)けてこそ居(ゐ)られけるは、継(つ)ぎたる首(くび)かなと見(み)えし。其(そ)の儘(まま)人(ひと)知(し)れず法眼(ほふげん)が許(もと)にて明(あ)かし暮(くら)し給(たま)ひける。出(い)でてより飯(いひ)をしたため給(たま)はねども、痩(や)せ衰(おとろ)へもし給(たま)はず。日に従(したが)ひて美(いつく)しき衣がへなんど召(め)されけり。何処(いづく)へおはしましけるやらんとぞ人々(ひとびと)怪(あや)しみをなす。夜は四条(しでう)の聖(ひじり)の許(もと)にぞおはしける。かくて法眼(ほふげん)が内(うち)に幸寿前(かうじゆのまへ)とて女有(あ)り。次の者(もの)ながら情(なさけ)有(あ)る者(もの)にて、常(つね)は訪(とぶら)ひ奉(たてまつ)りけり。自然(しぜん)知(し)る人(ひと)になる儘(まま)、御曹司(おんざうし)物語(ものがたり)の序(ついで)に、「抑(そもそも)法眼(ほふげん)は何(なに)と言(い)ふ」と仰(おほ)せられければ、「何とも仰(おほ)せ候(さうら)はぬ」と申(まう)す。「さりながらも」と問(と)はせ給(たま)へば、「過(す)ぎし頃(ころ)は「有(あ)らば有(あ)ると見よ。無(な)くば無(な)きと見(み)て、人々(ひとびと)物な言(い)ひそ」とこそ仰(おほ)せ候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「義経(よしつね)に心(こころ)許(ゆる)しもせざりけるごさんなれ。誠(まこと)は法眼(ほふげん)に子は幾人(いくたり)有(あ)る」と問(と)ひ給(たま)へば、「男子二人(ふたり)女子三人」「男(をとこ)二人(ふたり)家(いへ)に有(あ)るか」「はやと申(まう)す所(ところ)に、印地(いんぢ)の大将(たいしやう)して御入(おい)り候(さうら)ふ」「又三人の女子は何処(いづく)に有(あ)るぞ」「所々に幸(さいは)ひて、皆(みな)上臈婿(じやうらうむこ)を取(と)りて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふ」と申(まう)せば、「婿(むこ)は誰(た)そ」「嫡女(ちやくによ)は平宰相(へいざいしやう)信業卿(のぶなりのきやう)の方(かた)、一人は鳥養(とりかひ)中将(ちゆうじやう)に幸(さいは)ひ給(たま)へる」と申(まう)せば、「何条(なんでう)法眼(ほふげん)が身として上臈婿(じやうらうむこ)取(と)る事(こと)過分(くわぶん)なり。法眼(ほふげん)世に超(こ)えて、痴(し)れ事をするなれば、人々(ひとびと)に面(つら)打(う)たれん時(とき)、方人(かたうど)して家の恥(はぢ)をも清(きよ)め
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んとは、よも思(おも)はじ。それよりも我々(われわれ)斯様(かやう)に有(あ)る程(ほど)に婿(むこ)に取(と)りたらば、舅(しうと)の恥(はぢ)を雪(すす)がんものを。舅(しうと)に言(い)へ」と仰(おほ)せられければ、幸寿(かうじゆ)此(こ)の事(こと)を承(うけたまは)りて、「女にて候(さうら)ふとも、然様(さやう)に申(まう)して候(さうら)はんずるには、首(くび)を切(き)られ候(さうら)はんずる人にて候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「斯様(かやう)に知(し)る人になるも、此(こ)の世ならぬ契(ちぎり)にてぞ有(あ)るらめ。隠(かく)して詮(せん)なし。人々(ひとびと)に知(し)らすなよ。我(われ)は左馬頭(さまのかみ)の子、源九郎と言(い)ふ者(もの)なり。六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)と言(い)ふものに望(のぞ)みをなすに依(よ)りて、法眼(ほふげん)も心(こころ)よからねども、斯様(かやう)にて有(あ)るなり。其(そ)の文の在所(ありどころ)知(し)らせよ」とぞ仰(おほ)せける。「如何(いか)でか知(し)り候(さうら)ふべき。それは法眼(ほふげん)の斜(なのめ)ならず重宝(ちようほう)とこそ承(うけたまは)りて候(さうら)へ」と申(まう)せば、「扨(さて)は如何(いかが)せん」とぞ仰(おほ)せける。「さ候(さうら)はば、文を遊(あそ)ばし給(たま)ひ候(さうら)へ。法眼(ほふげん)の斜(なのめ)ならず、いつきの姫君(ひめぎみ)の末(すゑ)の、人にも見(み)えさせ給(たま)はぬを、賺(すか)して御返事(ごへんじ)取(と)りて参(まゐ)らせ候(さうら)はん」と申(まう)す。「女性(によしやう)の習(なら)ひなれば、近(ちか)づかせ給(たま)ひ候(さうら)はば、などか此(こ)の文(ふみ)御覧(ごらん)ぜで候(さうら)ふべき」と申(まう)せば、次(つぎ)の者(もの)ながらも、斯様(かやう)に情(なさけ)有(あ)る者(もの)も有(あ)りけるかやと、文(ふみ)遊(あそ)ばして賜(たま)はる。我(わ)が主の方(かた)に行(ゆ)き、やうやうに賺(すか)して、御返事(ごへんじ)取(と)りて参(まゐ)らする。御曹司(おんざうし)それよりして法眼(ほふげん)の方(かた)へは差(さ)し出(い)で給(たま)はず。只(ただ)大方(おほかた)に引(ひ)き篭(こも)りてぞおはしける。法眼(ほふげん)が申(まう)しけるは、「斯(か)かる心地(ここち)良(よ)き事(こと)こそ無(な)けれ。目にも見(み)えず、音(おと)にも聞(き)こえざらん方(かた)に行(ゆ)き失(う)せよかしと思(おも)ひつるに、
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失(うしな)ひたるこそ嬉(うれ)しけれ」とぞ宣(のたま)ひける。御曹司(おんざうし)、「人にしのぶ程(ほど)げに心(こころ)苦(ぐる)しきものはなし。何時(いつ)まで斯(か)くて有(あ)るべきならねば、法眼(ほふげん)に斯(か)くと知(し)らせばや」とぞ宣(のたま)ひける。姫君(ひめぎみ)は御袂(おんたもと)にすがり悲(かな)しみ給(たま)へども、「我(われ)は六韜(りくたう)に望(のぞみ)有(あ)り。さらばそれを見(み)せ給(たま)ひ候(さうら)はんにや」と宣(のたま)ひければ、明日(あす)聞(き)こえて、父(ちち)に亡(うしな)はれん事(こと)力(ちから)なしと思(おも)ひけれども、幸寿(かうじゆ)を具(ぐ)して、父(ちち)の秘蔵(ひさう)しける宝蔵(ほうざう)に入(い)りて、重々(ぢゆうぢゆう)の巻物(まきもの)の中に鉄巻(かねまき)したる唐櫃(からひつ)に入(い)りたる六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)一巻の書(しよ)を取(と)り出(い)だして奉(たてまつ)る。御曹司(おんざうし)悦(よろこ)び給(たま)ひて、引(ひ)き拡(ひろ)げて御覧(ごらん)じて、昼(ひる)は終日(ひねもす)に書(か)き給(たま)ふ。夜は夜(よ)もすがら是(これ)を服(ふく)し給(たま)ひ、七月上旬(じやうじゆん)の頃(ころ)より是(これ)を読(よ)み始(はじ)めて、十一月十日頃(ころ)になりければ、十六巻(じふろくまき)を一字(いちじ)も残(のこ)さず、覚(おぼ)えさせ給(たま)ひての後は、此処(ここ)に有(あ)り、彼処(かしこ)に有(あ)るとぞ振舞(ふるま)はれける程(ほど)に、法眼(ほふげん)も早(はや)心得(こころえ)て、「さもあれ、其(そ)の男は何故(なにゆゑ)に姫(ひめ)が方(かた)には有(あ)るぞ」と怒(いか)りける。或(あ)る人申(まう)しけるは、御方(おんかた)におはします人は、左馬頭(さまのかみ)の君達(きんだち)と承(うけたまは)り候(さうら)ふ由(よし)申(まう)せば、法眼(ほふげん)聞(き)きて、世になし者(もの)の源氏(げんじ)入(い)り立(た)ちて、すべて六波羅(ろくはら)へ聞(き)こえなば、よかるべき。今生(こんじやう)は子なれ共(ども)、後(のち)の世の敵(かたき)にて有(あ)りけりや。切(き)つて捨(す)てばやと思(おも)へ共(ども)、子を害(がい)せん事(こと)五逆罪(ごぎやくざい)のがれ難(がた)し。異姓(いしやう)他人(たにん)なれば、是(これ)を切(き)つて平家(へいけ)の御見参に入(い)つて、勲功(くんこう)に預(あづ)からばやと思(おも)ひて伺(うかが)ひけれども、我(わ)が身は行にて叶(かな)はず。あはれ、心も剛(かう)ならん者(もの)もがな、
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斬(き)らせばやと思(おも)ふ。其(そ)の頃(ころ)北白河(きたしらかは)に世に越(こ)えたる者有(あ)り。法眼(ほふげん)には妹婿(いもうとむこ)なり。しかも弟子なり。名をば湛海(たんかい)坊(ばう)とぞ申(まう)しける。彼(かれ)が許(もと)へ使(つか)ひを遣(つか)はしければ、程(ほど)無(な)く湛海(たんかい)来(き)たり、四間なる所(ところ)へ入(い)れて様々(さまざま)にもてなして申(まう)しけるは、「御辺(ごへん)を呼(よ)び奉(たてまつ)る事(こと)別(べち)の子細(しさい)に有(あ)らず。去(さ)んぬる春(はる)の頃(ころ)より法眼(ほふげん)が許(もと)に然(さ)る体(てい)なる冠者(くわんじや)一人、下野(しもつけ)の左馬頭(さまのかみ)の君達(きんだち)など申(まう)す。助(たす)け置(お)き悪(あ)しかるべし。御辺(ごへん)より外(ほか)頼(たの)むべく候(さうら)ふ人なし。夕(ゆふ)さり五条(ごでう)の天神へ参(まゐ)り、此(こ)の人を賺(すか)し出(い)だすべし。首(くび)を切(き)つて見(み)せ給(たま)へ。さも有(あ)らば五六年望(のぞ)み給(たま)ひし六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)をも御辺(ごへん)に奉(たてまつ)らん」と言(い)ひければ、「さ承(うけたまは)りぬ。善悪(ぜんあく)罷(まか)り向(むか)ひてこそ見(み)候(さうら)はめ。抑(そもそも)如何様(いかやう)なる人にておはしまし候(さうら)ふぞ」と申(まう)しければ、「未(いま)だ堅固(けんご)若(わか)き者(もの)、十七八かと覚(おぼ)え候(さうら)ふ。良(よ)き腹巻(はらまき)に黄金造(こがねづく)りの太刀(たち)の心(こころ)も及(およ)ばぬを持(も)ちたるぞ。心(こころ)許(ゆる)し給(たま)ふな」と言(い)ひければ、湛海(たんかい)是(これ)を聞(き)きて申(まう)しけるは、「何条(なんでう)それ程(ほど)の男(をとこ)の分(ぶん)に過(す)ぎたる太刀(たち)帯(は)いて候(さうら)ふとも何事(なにごと)か有(あ)るべき。一太刀(ひとたち)にはよも足(た)り候(さうら)はじ。ことごとし」と呟(つぶや)きて、法眼(ほふげん)が許(もと)を出(い)でにけり。法眼(ほふげん)賺(すか)しおほせたりと世に嬉(うれ)しげにて、日頃(ひごろ)は音(おと)にも聞(き)かじとしける御曹司(おんざうし)の方(かた)へ申(まう)しけるは、見参(げんざん)に入(い)り候(さうら)ふべき由(よし)を申(まう)しければ、出(い)でて何(なに)にかせんと思召(おぼしめ)しけれども、呼(よ)ぶ
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に出(い)でずは臆(おく)したるにこそと思召(おぼしめ)し、「やがて参(まゐ)り候(さうら)ふべき」とて使(つかひ)を返(かへ)し給(たま)ひける。此(こ)の由(よし)を申(まう)しければ、世に心地(ここち)よげにて、日頃(ひごろ)の見参所(けんざんどころ)へ入(い)れ奉(たてまつ)り、尊(たつと)げに見(み)えんが為(ため)に、素絹(そけん)の衣に袈裟(けさ)懸(か)けて、机(つくえ)に法華経(ほけきやう)一部置(お)いて一の巻の紐(ひも)を解(と)き、妙法蓮華経(めうほうれんげきやう)と読(よ)み上(あ)ぐる所へ、はばかる所無(な)くつつと入(い)り給(たま)へば、法眼(ほふげん)片膝(かたひざ)をたて、「是(これ)へ是(これ)へ」と申(まう)しける。即(すなは)ち法眼(ほふげん)と対座(たいざ)に直(なほ)らせ給(たま)ふ。法眼(ほふげん)が申(まう)しけるは、「去(さ)んぬる春(はる)の頃(ころ)より御入(おんいり)候(さうら)ふとは見(み)参(まゐ)らせ候(さうら)へども、如何(いか)なる跡(あと)なし人にて渡(わた)らせ給(たま)ふやらんと思(おも)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)へば、忝(かたじけな)くも左馬頭殿(さまのかうのとの)の君達(きんだち)にて渡(わた)らせ給(たま)ふこそ忝(かたじけな)き事(こと)にて候(さうら)へ。此(こ)の僧(そう)程(ほど)の浅(あさ)ましき次(つぎ)の者(もの)などを親子(おやこ)の御契(おんちぎ)りの由(よし)承(うけたまは)り候(さうら)ふ。まことしからぬ事(こと)にて候(さうら)へども、誠(まこと)に京にも御入(おい)り候(さうら)はば、万事頼(たの)み奉(たてまつ)り存(ぞん)じ候(さうら)ふ。さても北白河(きたしらかは)に湛海(たんかい)と申(まう)す奴(やつ)御入(おい)り候(さうら)ふが、何故(なにゆゑ)共(とも)無(な)く法眼(ほふげん)が為(ため)に仇(あた)を結(むす)び候(さうら)ふ。あはれ失(うしな)はせて給(たま)はり候(さうら)へ。今宵(こよひ)五条(ごでう)の天神に参(まゐ)り候(さうら)ふなれば、君(きみ)も御参(おまゐ)り候(さうら)ひて、彼奴(きやつ)を切(き)つて首(くび)を取(と)つて賜(たま)はり候(さうら)はば、今生(こんじやう)の面目(めんぼく)申(まう)し尽(つ)くし難(がた)く候(さうら)ふ」とぞ申(まう)されける。あはれ人の心(こころ)も計(はか)り難(がた)く思召(おぼしめ)しけれども、「さ承(うけたまは)り候(さうら)ふ。身において叶(かな)ひ難(がた)く候(さうら)へども、罷(まか)り向(むか)ひて見(み)候(さうら)はめ。何程(ほど)の事(こと)か候(さうら)ふべき。しやつも印地(いんぢ)をこそ為(し)習(なら)うて候(さうら)ふらめ。義経(よしつね)は先(さき)に天神(てんじん)に参(まゐ)り、下向(げかう)し様(ざま)にしやつが首(くび)切(き)りて参(まゐ)らせ
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候(さうら)はん事、風の塵(ちり)払(はら)ふ如(ごと)くにてこそ有(あ)らめ」と言葉(ことば)を放(はな)つて仰(おほ)せければ、法眼(ほふげん)、何(なに)と和君(わぎみ)が支度(したく)するとも、先(さき)に人をやりて待(ま)たすればと、世に痴(をこ)がましくぞ思(おも)ひける。「然(さ)候(さうら)はば、やがて帰(かへ)り参(まゐ)らん」とて出(い)で給(たま)ひ、其(そ)の儘(まま)天神(てんじん)にと思(おぼ)しけれども、法眼(ほふげん)が娘(むすめ)に御志(おんこころざし)深(ふか)かりければ、御方(おかた)へ入(い)らせ給(たま)ひて、「只今(ただいま)天神(てんじん)にこそ参(まゐ)り候(さうら)へ」と宣(のたま)へば、「それは何故(なにゆゑ)ぞ」と申(まう)しければ、「法眼(ほふげん)の「湛海(たんかい)切(き)れ」と宣(のたま)ひてによつてなり」と仰(おほ)せられければ、聞(き)きも敢(あ)へず、さめざめと泣(な)きて、「悲(かな)しきかなや。父(ちち)の心を知(し)りたれば、人の最後(さいご)も今(いま)を限(かぎ)りなり。是(これ)を知(し)らせんとすれば、父(ちち)に不孝(ふけう)の子なり。知(し)らせじと思(おも)へば、契(ちぎ)り置(お)きつる言(こと)の葉(は)、皆(みな)偽(いつはり)となり果(は)てて、夫妻(ふさい)の恨(うらみ)、後(のち)の世(よ)まで残(のこ)るべき。つくづく思(おも)ひ続(つづ)くるに、親子は一世(いつせ)、男(をとこ)は二世(にせ)の契(ちぎ)りなり。とても人に別(わか)れて、片時(かたとき)も世(よ)に永(なが)らへて有(あ)らばこそ、憂(う)きも辛(つら)きも忍(しの)ばれめ。親(おや)の命を思(おも)ひ棄(す)てて、斯(か)くと知(し)らせ奉(たてまつ)る。只(ただ)是(これ)より何方(いづかた)へも落(お)ちさせ給(たま)へ。昨日(きのふ)昼(ひる)程(ほど)に湛海(たんかい)を呼(よ)びて、酒(さけ)を勧(すす)められしに、怪(あや)しき言葉(ことば)の候(さうら)ひつるぞ。「堅固(けんご)の若者(わかもの)ぞ」と仰(おほ)せ候(さうら)ひつる。湛海(たんかい)「一刀(ひとかたな)には足(た)らじ」と言(い)ひしは、思(おも)へば御身(おんみ)の上。かく申(まう)せば、女の心(こころ)の中(うち)却(かへ)りて景迹(きやうしやく)せさせ給(たま)ふべきなれども、「賢臣(けんじん)二君(じくん)に仕(つか)へず。貞女(ていじよ)両夫(りやうぶ)に見(まみ)えず」と申(まう)す事(こと)の候(さうら)へば、知(し)らせ奉(たてまつ)るなり」とて、
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袖を顔(かほ)に押(お)し当(あ)てて、忍(しの)びも敢(あ)へず泣(な)き居(ゐ)たり。御曹司(おんざうし)是(これ)を聞召(きこしめ)し、「もとより、打(う)ち解(と)け思(おも)はず知(し)らず候(さうら)ふこそ迷(まよ)ひもすれ。知(し)りたりせば、しやつ奴(め)には斬(き)られまじ。疾(と)くこそ参(まゐ)り候(さうら)はん」とて出(い)で給(たま)ふ。頃(ころ)は十二月廿七日の夜ふけがたの事(こと)なれば、御装束(おんしやうぞく)は白小袖(しろこそで)一重(ひとかさね)、藍摺(あひずり)引(ひ)き重(かさ)ね、精好(せいがう)の大口(おほくち)に唐織物(からおりもの)の直垂(ひたたれ)着篭(きご)めにして、太刀(たち)脇挟(わきばさ)み、暇(いとま)申(まう)して出(い)で給(たま)へば、姫君(ひめぎみ)は是(これ)や限(かぎ)りの別(わか)れなるらんと悲(かな)しみ給(たま)へり。妻戸(つまど)に衣(きぬ)被(かづ)きてひれ臥(ふ)し給(たま)ひけり。御曹司(おんざうし)は天神に跪(ひざまづ)き、祈念(きねん)申(まう)させ給(たま)ひけるは、「南無(なむ)大慈(だいじ)大悲(だいひ)の天神(てんじん)、利生(りしやう)の霊地(れいち)、即(すなはち)機縁(きえん)の福(ふく)を蒙(かうぶ)り、礼拝(らいはい)の輩(ともがら)は千万の諸願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)す。此処(ここ)に社壇(しやだん)ましますと、名付(なづ)けて、天神(てんじん)と号(かう)し奉(たてまつ)る。願(ねが)はくは湛海(たんかい)を義経(よしつね)に相違(さうゐ)無(な)く手(て)にかけさせて賜(た)べ」と祈念(きねん)し、御前(おまえ)を発(た)つて南(みなみ)へ向(む)いて、四五段(しごたん)ばかり歩(あゆ)ませ給(たま)へば、大木一本(いつぽん)有(あ)り。下(もと)の仄暗(ほのくら)き所(ところ)五六人程(ほど)隠るべき所(ところ)を御覧(ごらん)じて、あはれ所や、此処(ここ)に待(ま)ちて切(き)つてくればやと思召(おぼしめ)し、太刀(たち)を抜(ぬ)き待(ま)ち給(たま)ふ所(ところ)に湛海(たんかい)こそ出(い)で来(き)たれ。究竟(くつきやう)の者(もの)五六人に服巻(はらまき)着(き)せて、前後(ぜんご)に歩(あゆ)ませて、我(わ)が身は聞(き)こゆる印地(いんぢ)の大将(たいしやう)なり、人には一様(いちやう)変(か)はりて出(い)で立(た)ちけり。褐(かちん)の直垂(ひたたれ)に節縄目(ふしなはめ)の腹巻(はらまき)着て、赤銅造(しやくどうづく)りの太刀(たち)帯(は)いて、一尺(いつしやく)+三寸(さんずん)有(あ)りける刀(かたな)に、御免様(ごめんやう)革(なめし)にて、表鞘(おもてざや)を包(つつ)みてむずとさし、大長刀(おほなぎなた)の鞘(さや)をはづし、杖(つゑ)
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に突(つ)き、法師(ほふし)なれども常(つね)に頭(かしら)を剃(そ)らざりければ、をつつかみ頭(かしら)に生(お)ひたるに、出張(しゆつちやう)頭巾(ときん)ひつ囲(かこ)み、鬼の如(ごと)くに見(み)えける。差(さ)し屈(くぐ)みて御覧(ごらん)ずれば、首(くび)のまはりにかかる物(もの)も無(な)く世に切(き)りよげなり。如何(いか)に切(き)り損(そん)ずべきと待(ま)ち給(たま)ふも知(し)らずして、御曹司(おんざうし)の立(た)ち給(たま)へる方(かた)へ向(むか)いて、「大慈(だいじ)大悲(だいひ)の天神(てんじん)、願(ねが)はくは聞(き)こゆる男、湛海(たんかい)が手(て)にかけて賜(た)べ」とぞ祈誓(きせい)しける。御曹司(おんざうし)是(これ)を御覧(ごらん)じて、如何(いか)なる剛(かう)の者(もの)も只今(ただいま)死(し)なんずる事(こと)は知(し)らずや、直(ぢき)に斬(き)らばやと思召(おぼしめ)しけるが、暫(しばら)く我(わ)が頼(たの)む天神(てんじん)を大慈(だいじ)大悲(だいひ)と祈念(きねん)するに、義経(よしつね)は悦(よろこ)びの道(だう)なり。彼奴(きやつ)は参(まゐ)りの道(だう)ぞかし。未(いま)だ所作(しよさ)も果(は)てざらんに切(き)りて社壇(しやだん)に血(ち)をあえさんも、神慮(しんりよ)の恐(おそれ)有(あ)り。下向きの道をと思召(おぼしめ)し、現在(げんざい)の敵(かたき)を通(とほ)し、下向(げかう)をぞ待(ま)ち給(たま)ふ。摂津国(つのくに)の二葉(ふたば)の松の根(ね)ざしはじめて、千代(ちよ)を待(ま)つよりも猶(なほ)久し。湛海(たんかい)天神(てんじん)に参(まゐ)りて見(み)れども、人もなし。聖(ひじり)に会(あ)うて、あからさまなる様(やう)にて、「さる体(てい)の冠者(くわんじや)などや参(まゐ)りて候(さうら)ひつる」と問(と)ひければ、「然様(さやう)の人は、疾(と)く参(まゐ)り下向(げかう)せられぬ」と申(まう)しける。湛海(たんかい)安(やす)からず、「疾(と)くより参(まゐ)りなば、逃(のが)すまじきを。定(さだ)めて法眼(ほふげん)が家に有(あ)らん。行(ゆ)きて責(せ)め出(い)だして切(き)つて棄(す)てん」」とぞ申(まう)しける。「尤(もつと)も然(さ)有(あ)るべし」とて、七人連(つ)れて天神を出(い)づる。あはやと思召(おぼしめ)し、先(さき)の所(ところ)に待(ま)ち給(たま)ふ。其(そ)の間(あひだ)二段(にたん)ばかり近(ちか)づきたるが、湛海(たんかい)が弟子禅師(ぜんじ)と申(まう)す法師(ほふし)申(まう)し
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けるは、「左馬頭殿(さまのかうのとの)の君達(きんだち)、鞍馬(くらま)に有(あ)りし牛若殿(うしわかどの)、男(をとこ)になりて、源九郎と申(まう)し候(さうら)ふは、法眼(ほふげん)が娘(むすめ)に近(ちか)づきけるなれば、女は男に会(あ)へば、正体(しやうたい)無(な)き物なり。もし此(こ)の事(こと)を聞(き)き、男(をとこ)に斯(か)くと知(し)らせなば、斯様(かやう)の木蔭(こかげ)にも待(ま)つらん。あたりに目な放(はな)しそ」と申(まう)しける。湛海(たんかい)「音(おと)なしそ」と申(まう)しける。「いざ此(こ)の者(もの)呼(よ)びて見(み)ん。剛(かう)の者(もの)ならば、よも隠(かく)れじ。臆病者(おくびやうもの)ならば、我(われ)等(ら)が気色(けしき)に怖(お)ぢて出(い)でまじき物を」と言(い)ひける。あはれ只(ただ)出(い)でたらんよりも、有(あ)るかと言(い)ふ声(こゑ)に付(つ)きて出(い)でばやと思(おも)はれけるに、憎(にく)げなる声色(こはいろ)して、「今出河の辺より世(よ)になし源氏(げんじ)参(まゐ)るや」と言(い)ひも果(は)てぬに、太刀(たち)打(う)ち振(ふ)り、わつと喚(おめ)いて出(い)で給(たま)ふ。「湛海(たんかい)と見(み)るは僻目(ひがめ)か。斯(か)う言(い)ふこそ義経(よしつね)よ」とて、追(お)つかけ給(たま)ふ。「今(いま)まではとこそ攻(せ)め、かくこそ攻(せ)め」と言(い)ひけれども、其(そ)の時
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には三方(さんぱう)へざつと散(ち)る。湛海(たんかい)も二段(にたん)ばかりぞ逃(に)げける。「生(い)きても死(し)しても弓矢(ゆみや)取(と)る者(もの)の臆病(おくびやう)程(ほど)の恥(はぢ)や有(あ)る」とて、長刀(なぎなた)を取(と)り直(なほ)し、返(かへ)し合(あ)はせ、御曹司(おんざうし)は小太刀(こだち)にて走(はし)り合(あ)ひ、散々(さんざん)に打(う)ち合(あ)ひ給(たま)ふ。もとよりの事(こと)なれば、斬(き)り立(た)てられ、今(いま)は叶(かな)はじとや思(おも)ひけん、大長刀(おほなぎなた)取(と)り直(なほ)し、散々(さんざん)に打(う)ち合(あ)ひけるが、少(すこ)しひるむ所(ところ)を長刀(なぎなた)の柄(え)を打(う)ち給(たま)ふ。長刀(なぎなた)からりと投(な)げかけたる時(とき)、小太刀(こだち)打(う)ち振(ふ)り、走(はし)りかかりて、ちやうど切(き)り給(たま)へば、切先(きつさき)頚(くび)の上(うへ)にかかるとぞ見(み)えしが、首(くび)は前(まへ)にぞ落(お)ちにける。年(とし)三十八にて失(う)せにけり。酒(さけ)を好(この)む猩々(しやうじやう)は樽(もたい)のほとりに繋(つな)がれ、悪(あく)を好(この)みし湛海(たんかい)は由(よし)無(な)き者(もの)に与(くみ)して失(う)せにけり。五人の者共(ども)是(これ)を見(み)て、さしもいしかりつる湛海(たんかい)だにも斯(か)くなりたり。まして我々叶(かな)ふまじと皆(みな)散(ち)り散(ぢ)りにぞ成(な)りにける。御曹司(おんざうし)是(これ)を御覧(ごらん)じて、「憎(にく)し。一人も余(あま)すまじ。湛海(たんかい)と連(つ)れて出(い)づる時(とき)は、一所とこそ言(い)ひつらむ。きたなし、返(かへ)し合(あ)はせよ」と仰(おほ)せ有(あ)りければ、いとど足早(あしばや)にぞ逃(に)げにける。彼処(かしこ)に追(お)ひつめ、はたと切(き)り此処(ここ)に追(お)ひつめ、はたと切(き)り、枕(まくら)を並(なら)べて二人(ふたり)切(き)り給(たま)へば、残りは方々へ逃(に)げけり。三つの首(くび)を取(と)りて、天神の御前(おまへ)に杉(すぎ)の有(あ)る下(もと)に念仏(ねんぶつ)申(まう)しおはしけるが、此(こ)の首(くび)を棄(す)てやせん、持(も)ちてや行(ゆ)かんと思召(おぼしめ)すが、法眼(ほふげん)が構(かま)へて構(かま)へて首(くび)取(と)りて見(み)せよとあつらへつるに、持(も)ちて行(ゆ)きて、胆(きも)をつぶさせんと
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思召(おぼしめ)し、三つの首(くび)を太刀(たち)の先(さき)に差(さ)し貫(つらぬ)き帰(かへ)り給(たま)ひ、法眼(ほふげん)が許(もと)におはして御覧(ごらん)ずれば、門を閉(さ)して、橋(はし)引(ひ)きたれば、今(いま)叩(たた)きて義経(よしつね)と言(い)はばよも開(あ)けじ。是程(ほど)の所(ところ)は跳(は)ね越(こ)し入(い)らばやと思召(おぼしめ)し、口一丈(いちぢやう)の堀(ほり)、八尺(はつしやく)の築地(ついぢ)に飛(と)び上(あ)がり給(たま)ふ。木末(こずゑ)に鳥(とり)の飛(と)ぶが如(ごと)し。内(うち)に入(い)り、御覧(ごらん)ずれば、非番(ひばん)当番(たうばん)の者共(ども)臥(ふ)したり。縁(えん)に上(あ)がり見(み)給(たま)へば、火ほのぼのと挑(か)き立て、法華経(ほけきやう)の二巻目(にくわんめ)半巻(はんぐわん)ばかり読(よ)みて居(ゐ)たりけるが、天井(てんじやう)を見(み)上(あ)げて、世間(せけん)の無常(むじやう)をこそ観(くわん)じけれ。「六韜(りくたう)兵法(ひやうほふ)を読(よ)まんとて、一字(いちじ)をだにも読(よ)まずして、今(いま)湛海(たんかい)が手(て)にかからん。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と独言(ひとりごと)に申(まう)しける。あら憎(にく)の面(つら)や。太刀(たち)の脊(むね)にて打(う)たばやと思召(おぼしめ)しけるが、女が嘆(なげ)かん事、不便(ふびん)に思召(おぼしめ)して、法眼(ほふげん)が命(いのち)をば助(たす)け給(たま)ひけり。やがて内(うち)へ入(い)らんと思召(おぼしめ)すが、弓矢(ゆみや)取(と)りの、立聞(たちぎき)などしたるかと思(おも)はれんとて、首(くび)を又(また)引(ひ)きさげて門の方(かた)へ出(い)で給(たま)ふ。門(もん)の脇(わき)に花(はな)の木有(あ)りける下に、仄暗(ほのぐら)き所有(あ)り。此処(ここ)に立(た)ち給(たま)ひて、「内(うち)に人や有(あ)る」と仰(おほ)せければ、内(うち)よりも、「誰(た)そ」と申(まう)す。「義経(よしつね)なり。此処(ここ)開(あ)けよ」と仰(おほ)せければ、是(これ)を聞(き)き、「湛海(たんかい)を待(ま)つ所におはしたるは、良(よ)き事(こと)よも有(あ)らじ。開(あ)けて入(い)れ参(まゐ)らせんか」と言(い)ひければ、門(もん)開(あ)けんとする者(もの)も有(あ)り。橋(はし)渡(わた)さんとする者(もの)も有(あ)り。走(はし)り舞(ま)ふ
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所に、何処(いづく)よりか越(こ)えられけん、築地(ついぢ)の上(うへ)に首(くび)三つ引(ひ)きさげて来(き)たり会(あ)ふ。各々(おのおの)胆(きも)を消(け)し見(み)る所(ところ)に人より先(さき)に内に差(さ)し入(い)り、「大方(かた)身に叶(かな)はぬ事(こと)にて候(さうら)ひつれ共(ども)、「構(かま)へて構(かま)へて首(くび)取(と)りて見(み)せよ」と仰(おほ)せ候(さうら)ひつる間(あひだ)、湛海(たんかい)が首(くび)取(と)つて参(まゐ)りたる」とて、法眼(ほふげん)が膝(ひざ)の上(うへ)に投(な)げられければ、興(きよう)ざめてこそ思(おも)へども、会釈(ゑしやく)せでは叶(かな)はじとや思(おも)ひけん、さらぬ様(やう)にて「忝(かたじけな)き」とは、申(まう)せども、世に苦々(にがにが)しくぞ見(み)えける。「悦(よろこ)び入(い)りて候(さうら)ふ」とて、内(うち)に急(いそ)ぎ逃(に)げ入(い)り、御曹司(おんざうし)今宵(こよひ)は此処(ここ)に止(とど)まらばやと思召(おぼしめ)しけれども、女に暇(いとま)乞(こ)はせ給(たま)ひて、山科(やましな)へとて出(い)で給(たま)ふ。飽(あ)かぬ名残(なごり)も惜(を)しければ、涙に袖を濡(ぬ)らし給(たま)ふ。法眼(ほふげん)が娘(むすめ)、後(あと)にひれ伏(ふ)し、泣(な)き悲(かな)しめども甲斐(かひ)ぞ無(な)き。忘(わす)れんとすれ共(ども)、忘(わす)られず、微睡(まどろ)めば夢(ゆめ)に見(み)え、覚(さ)むれば面影(おもかげ)に沿(そ)ふ。思(おも)へば弥増(いやまさ)りして遣(や)る方(かた)もなし。冬も末(すゑ)になりければ、思(おも)ひの数(かず)や積(つも)りけん、物怪(もののけ)などと言(い)ひしが、祈(いの)れども叶(かな)はず、薬(くすり)にも助(たす)からず、十六と申(まう)す年(とし)、遂(つひ)に嘆(なげ)き死(じに)に死(し)にけり。法眼(ほふげん)は重(かさ)ねて物をぞ思(おも)ひける。如何(いか)なるらん世にも有(あ)らばやとかしづきける娘(むすめ)には別(わか)れ、頼(たの)みつる弟子をば斬(き)られぬ。自然(しぜん)の事(こと)有(あ)らば、一方(いつぱう)の大将(たいしやう)にもなり給(たま)ふべき義経(よしつね)には仲をたがひ奉(たてまつ)りぬ。彼(かれ)と言(い)ひ、是(これ)と言(い)ひ、一方(ひとかた)ならぬ嘆(なげ)き思(おも)ひ入(い)りてぞ有(あ)りける。
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後悔(こうくわい)底(そこ)に絶(た)えずとは此(こ)の事、只人(ただひと)は幾度(いくたび)も情(なさけ)有(あ)るべきは浮世(うきよ)なり。義経記巻第二
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