義経記 国民文庫本
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義経記巻第七目録
判官(はうぐわん)北国落(ほつこくおち)の事(こと)
大津(おほつ)次郎(じらう)の事(こと)
愛発山(あらちやま)の事(こと)
三(みつ)の口(くち)の関(せき)通(とほ)り給(たま)ふ事
平泉寺(へいせんじ)御見物(けんぶつ)の事(こと)
如意(によい)の渡(わたり)にて義経(よしつね)を弁慶(べんけい)打(う)ち奉(たてまつ)る事
直江(なほえ)の津(つ)にて笈(おひ)探(さが)されし事
亀割山(かめわりやま)にて御産(おさん)の事(こと)
判官(はうぐわん)平泉(ひらいづみ)へ御著(おんつき)の事(こと)
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義経記巻第七
判官(はうぐわん)北国落(ほつこくおち)の事(こと) S0701
文治(ぶんぢ)二年正月の末(すゑ)になりぬれば、大夫判官(はうぐわん)は、六条(ろくでう)堀河(ほりかは)に忍(しの)びて御座(おは)しける時(とき)も有(あ)り、又(また)嵯峨(さが)の片辺(かたほとり)に忍(しの)びて御座(おは)しける時(とき)も有(あ)りけるが、都(みやこ)には判官(はうぐわん)殿(どの)の御故(ゆゑ)に、人々(ひとびと)多(おほ)く損(そん)じければ、義経(よしつね)故(ゆゑ)民(たみ)の煩(わづら)ひとなり、人数多(あまた)損(そん)ずるなれば、如何(いか)なる所(ところ)にも有(あ)りと聞(き)き、見(み)ばやと思(おも)はれければ、今(いま)は奥州(あうしう)へ下(くだ)らばやとて、別々になりける侍(さぶらひ)共(ども)をぞ召(め)されける。十六人は一人も心(こころ)変(か)はり無(な)くてぞ参りける。「奥州(あうしう)へ下(くだ)らんと思(おも)ふに何(いづ)れの道(みち)にかかりてかよからんずるぞ」と仰(おほ)せられければ、各々(おのおの)申(まう)しけるは、「東海道(とうかいだう)こそ名所にて候(さうら)へ、東山道(とうせんだう)は切所(せつしよ)なれば、自然(しぜん)の事(こと)有(あ)らんずる時(とき)は、避(よ)けて行(ゆ)くべき方(かた)もなし。北陸道(ほくろくだう)は越前(ゑちぜん)の国敦賀(つるが)の津(つ)に下(くだ)りて、出羽国(ではのくに)の方(かた)へ行(ゆ)かんずる船(ふね)に便船(びんせん)してよかるべし」とて道(みち)は定(さだ)め、「さて姿(すがた)をば如何様(いかやう)にしてか下るべき」と様々(さまざま)に申(まう)しける中に、
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増尾(ましを)の七郎申(まう)しけるは、「御心(おんこころ)やすく御下(おんくだ)りあるべきにて候(さうら)はば、御出家(しゆつけ)候(さうら)ひて、御下(おんくだ)り候(さうら)へ」と申(まう)しければ、「遂(つひ)にはさこそ有(あ)らんずらめども、南都(なんと)の勧修坊(くわんじゆばう)の千度出家(しゆつけ)せよと教化(けうけ)せられしを背(そむ)いて、今(いま)身の置所(おきどころ)無(な)き儘(まま)に、出家(しゆつけ)しけると聞(き)こえんも恥(はず)かしければ、此(こ)の度(たび)は如何(いか)にもして、様(さま)を変(か)へもせで下(くだ)らばや」と宣(のたま)ひければ、片岡(かたをか)申(まう)しけるは、「さらば山伏(やまぶし)の御姿(おんすがた)にて御下(おんくだ)り候(さうら)へ」と申(まう)しければ、「いさとよ、それも如何(いかが)有(あ)らんずらん、都(みやこ)を出(い)でん日よりして、日吉(ひゑ)山王(さんわう)、越前(ゑちぜん)の国(くに)に気比の社(やしろ)、平泉寺(へいせんじ)、加賀(かが)の国(くに)下白山(しもしらやま)、越中国(ゑつちゆうのくに)に蘆峅(あしくら)、岩峅(いはくら)、越後(ゑちご)の国(くに)にはをき、国上(くがみ)、出羽(では)の国(くに)には羽黒山(はぐろさん)とて、山社(さんしや)多(おほ)き所(ところ)なれば、山伏(やまぶし)の行(ゆ)き逢(あ)ひて、一乗(いちじよう)菩提(ぼだい)の峰(みね)、釈迦岳(しやかのだけ)の有様(ありさま)、八大(はつだい)金剛童子(こんがうどうじ)の護身(ごしん)さし、富士(ふじ)の峰(みね)、山伏(やまぶし)の礼義(れいぎ)などを問(と)ふ時(とき)は、誰(たれ)かきらきらしく答(こた)へて通(とほ)るべき」と仰(おほ)せければ、武蔵坊(むさしばう)申(まう)しけるは、「それ程の事(こと)安(やす)き事(こと)候(さうら)ふ。君(きみ)は鞍馬(くらま)に御座(おは)しまししかば、山伏(やまぶし)の事(こと)は粗々(あらあら)御存(ぞん)じ候(さうら)ふらん。常陸坊(ひたちばう)は園城寺(をんじやうじ)に候(さうら)ひしかば、申(まう)すに及(およ)ばず、弁慶(べんけい)は西塔(さいたふ)に候(さうら)ひしかば、一乗(いちじよう)菩提(ぼだい)の事(こと)粗々(あらあら)存(ぞん)じ仕(つかまつ)りて候(さうら)へば、などか陳(ちん)ぜで候(さうら)ふべき。山伏(やまぶし)の勤(つとめ)には、懺法(せんぽふ)阿弥陀経(あみだきやう)をだにも、詳(つまびら)かに読(よ)み候(さうら)ひぬれば、堅固(けんご)苦(くる)しくも候(さうら)ふまじ。只(ただ)思(おぼ)し召(め)し立(た)たせ給(たま)へ」とぞ申(まう)しける。「どこ山伏(やまぶし)と問(と)はんずる時(とき)はどこ山伏(やまぶし)とか言(い)はんずる」「越後国(ゑちごのくに)直江(なほえ)の津(つ)は
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北陸道(ほくろくだう)の中途(ちゆうと)にて候(さうら)へば、それより此方(こなた)にては、羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の熊野(くまの)へ参(まゐ)り、下向(げかう)するぞと申(まう)すべき。それより彼方(あなた)にては、熊野(くまの)山伏(やまぶし)の羽黒(はぐろ)に参(まゐ)ると申(まう)すべき」と申(まう)しければ、「羽黒(はぐろ)の案内(あんない)知(し)りたらん者(もの)や有(あ)る。羽黒(はぐろ)にはどの坊(ばう)に誰(たれ)がしと言(い)ふ者(もの)ぞと問(と)はんずる時(とき)は如何(いかが)せんずる」。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「西塔(さいたふ)に候(さうら)ひし時、羽黒(はぐろ)の者(もの)とて、御上(おうへ)の坊(ばう)に候(さうら)ふ者(もの)申(まう)し候(さうら)ひしは、大黒堂(だいこくだう)の別当(べつたう)の坊(ばう)に荒讚岐(あらさぬき)と申(まう)す法師(ほふし)に弁慶(べんけい)は少(すこ)しも違(たが)はぬ由(よし)申(まう)し候(さうら)ひしかば、弁慶(べんけい)をば荒讚岐(あらさぬき)と申(まう)し候(さうら)ふべし。常陸坊(ひたちばう)をば小先達(こせんだち)として筑前坊(ちくぜんばう)」とぞ申(まう)しける。判官(はうぐわん)仰(おほ)せられけるは、「もとより法師(ほふし)なれば、御辺(ごへん)達(たち)は戒名(かいみやう)せずとも苦(くる)しかるまじ。何(なん)ぞ男の頭巾(ときん)篠県(すずかけ)笈(おひ)掛(か)けたらんずるが、片岡(かたをか)或(ある)いは、伊勢(いせ)の三郎、増尾(ましを)などと言(い)ひたらんずるは、似(に)ぬ事(こと)にて有(あ)らんずるは如何(いか)に」「さらば皆(みな)坊号(ばうがう)をせよ」とて、思(おも)ひ思(おも)ひに名をぞ付(つ)きける。片岡(かたをか)は京(きやう)の君(きみ)、伊勢(いせ)の三郎をば宣旨(せんじ)の君(きみ)、熊井(くまゐ)太郎は治部(ぢぶ)の君(きみ)とぞ申(まう)しける。さては上野坊(かうづけばう)、上総坊(かづさばう)、下野坊(しもつけばう)などと言(い)ふ名を付(つ)きてぞ呼(よ)びける。判官(はうぐわん)殿(どの)は殊(こと)に知(し)る人御座(おは)しければ、垢(あか)の付(つ)きたる白(しろ)き小袖(こそで)二つに矢筈(やはず)付(つ)けたる地白(ぢしろ)の帷子(かたびら)に、葛(くず)大口(おほくち)村千鳥(むらちどり)を摺(すり)にしたる柿(かき)の衣(ころも)に、古(ふ)りたる頭巾(ときん)、目(め)の際(きは)までひつこうで、戒名(かいみやう)をば、大和坊(やまとばう)とぞ申(まう)しける。思(おも)ひ思(おも)ひの出立(いでたち)をぞしける。弁慶(べんけい)は大先達(おほせんだち)にて有(あ)りければ、袖短(みじ)かなる浄衣(じやうゑ)に、褐(かちん)
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の脛巾(はばき)にごんづ履(は)いて、袴(はかま)の括(くくり)高(たか)らかに結(ゆ)ひて、新宮様(しんぐうやう)の長頭巾(ながときん)をぞ県(か)けたりける。岩透(いはとをし)と言(い)ふ太刀(たち)あひぢかに差(さ)しなして、法螺貝(ほらがひ)をぞ下(さ)げたりける。武蔵坊(むさしばう)は喜三太(きさんだ)と言(い)ふ下部(しもべ)を強力(がうりき)になして、県(か)けさせたる笈(おひ)の足(あし)に、猪(ゐ)の目(め)彫(ほ)りたる鉞(まさかり)に八寸(はつすん)ばかり有(あ)りけるをぞ結(ゆ)ひ添(そ)へたる。天頂(てんじやう)には四尺(ししやく)五寸(ごすん)の大太刀(おほたち)を真横様(まよこさま)にぞ置(お)きたりける。心(こころ)つきも出立(いでたち)も、あはれ先達(せんだち)やとぞ見(み)えける。総(そう)じて勢(せい)は十六人、笈(おひ)十挺(じつちやう)有(あ)り。一挺(いつちやう)の笈(おひ)には鈴(れい)、独鈷(どつこ)、花皿(はなさら)、火舎(くわしや)、閼伽坏(あかつき)、金剛童子(こんがうどうじ)の本尊(ほんぞん)を入(い)れたりけり。一挺(いつちやう)の笈(おひ)には、折(を)らぬ鳥帽子(えぼし)十頭(かしら)、直垂(ひたたれ)大口(おほくち)などをぞ入(い)れたりける。残り八挺(ちやう)の笈(おひ)には、皆(みな)鎧(よろひ)腹巻(はらまき)をぞ入(い)れたりける。斯様(かやう)に出(い)で立(た)ち給(たま)ふ事(こと)は正月の末(すゑ)、御吉日は二月二日なり。判官(はうぐわん)殿(どの)の奥州(あうしう)
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へ下(くだ)らんとて、侍共(さぶらひども)を召(め)して、「斯様(かやう)に出(い)で立(た)つと雖(いへど)も、猶(なほ)も都(みやこ)に思(おも)ひ置(お)く事(こと)のみ多(おほ)し。中にも一条(いちでう)今出川(いまでがは)の辺(あたり)に有(あ)りし人は、未(いま)だ有(あ)りもやすらん。連(つ)れて下(くだ)らんなど言(い)ひしに、知(し)らせずして下(くだ)りなば、さこそ名残(なごり)も深(ふか)く候(さうら)はんずらめ。苦(くる)しかるまじくは、連(つ)れて下(くだ)らばや」と宣(のたま)ひければ、片岡(かたをか)武蔵坊(むさしばう)申(まう)しけるは、「御供(おんとも)申(まう)すべき者(もの)は、皆(みな)是(これ)に候(さうら)ふ。今出河(いまでがは)には誰(たれ)か御渡(おんわた)り候(さうら)ふやらん。北(きた)の方(かた)の御事(おんこと)候(さうら)ふやらむ」と申(まう)しければ、此(こ)の頃(ごろ)の御身(おんみ)にては、流石(さすが)にそよとも仰(おほ)せられかねて、つくづくと打(う)ち案(あん)じ思(おも)ひてぞ御座(おは)しける。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「事(こと)も事(こと)にこそより候(さうら)はんずれ、山伏(やまぶし)の頭巾(ときん)篠県(すずかけ)に笈(おひ)掛(か)けて、女房(にようばう)を先(さき)に立(た)てたらんずるは、さしも尊(たつと)き行者(ぎやうじや)にも有(あ)らじ。又(また)敵(かたき)に追(お)ひ掛(か)けられん時(とき)は、女房(にようばう)を静(しづか)に歩(あゆ)ませ奉(たてまつ)り、先(さき)に立(た)てたらんはよかるまじく候(さうら)ふ」と申(まう)しけるが、思(おも)へばいとほしや、此(こ)の人は久我(こが)の大臣殿(おほいどの)の姫君(ひめぎみ)、九つにて父(ちち)大臣殿(おほいどの)には後(おく)れ参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。十三にて母(はは)北(きた)の方(かた)に後(おく)れ参(まゐ)らせ給(たま)ひぬ。其(そ)の後は乳母(めのと)の十郎(じふらう)権頭(ごんのかみ)より外(ほか)に頼(たの)む方(かた)ましまさず。容顔(ようがん)美(いつく)しく、御情(なさけ)深(ふか)く渡(わた)らせ給(たま)ひけれども、十六の御年(おんとし)までは幽(かすか)なる御住(おんすまひ)なりしを、如何(いか)なる風(かぜ)の便(たより)にか此(こ)の君(きみ)に見(み)え初(そ)められ参(まゐ)らせ給(たま)ひしより此(こ)の方(かた)、君(きみ)より外にまた知(し)る人も渡(わた)らせ給(たま)はぬぞかし。惆悵(ちうちやう)の藤は松(まつ)に離(はな)れて、便(たより)なし。三従(さんじゆう)の女(をんな)は男に離(はな)れて力(ちから)なし。また奥州(あうしう)へ下り給(たま)ひ
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たるとても、情(なさけ)も知(し)らぬ東(あづま)女(をんな)を見(み)せ奉(たてまつ)らんも痛(いた)はしく、御心(おんこころ)の中も推量(すいりやう)に朧(おぼろ)けならではよも仰(おほ)せられ出(い)ださじ。さらば具(ぐ)し奉(たてまつ)りて下(くだ)らばやと思(おも)ひければ、「あはれ、人の御心(おんこころ)としては、上下(しやうか)の分別(ふんべつ)は候(さうら)はず。移(うつ)れば変(か)はる習(なら)ひの候(さうら)ふに、さらば入(い)らせ御座(おは)しまして、事(こと)の体(てい)をも御覧(ごらん)じて、誠(まこと)にも下(くだ)らせ御座(おは)しますべきにても候(さうら)はば、具足(ぐそく)し参(まゐ)らせ給(たま)ひ候(さうら)へかし」と申(まう)しければ、判官(はうぐわん)世に嬉(うれ)しげにて、「いざさらば」とて、柿(かき)の衣(ころも)の上(うへ)に薄衣(うすぎぬ)被(かづ)き給(たま)ひ御出(おいで)ある。武蔵(むさし)も浄衣(じやうゑ)に衣被(きぬかづ)きして、一条(いちでう)今出河(いまでがは)の久我(こが)の大臣殿(おほいどの)の古(ふる)御所(ごしよ)へぞ御座(おは)しましける。荒(あ)れたる宿(やど)のくせなれば、軒(のき)の忍(しのぶ)に露(つゆ)置(お)きて、籬(まがき)の梅(むめ)も匂(にほひ)有(あ)り。彼(か)の源氏(げんじ)の大将(だいしやう)の荒(あ)れたる宿(やど)を尋(たづ)ねつつ、露(つゆ)分(わ)け入(い)り給(たま)ひける古き好(よしみ)も今(いま)こそ思(おも)ひ知(し)られける。判官(はうぐわん)をば中門(ちゆうもん)の廊下(らうか)に隠(かく)し奉(たてまつ)りて、弁慶(べんけい)は御妻戸(つまど)の際(きは)に参(まゐ)り、「人や御渡(おんわた)り候(さうら)ふ」と問(と)ひければ、「何処(いづく)より」と答(こた)ふる。「堀河(ほりかは)の方(かた)より」と申(まう)しければ、御妻戸(つまど)を開(あ)けて見(み)給(たま)へば、弁慶(べんけい)にてぞ有(あ)りける。日頃(ひごろ)は人伝(づて)にこそ聞(き)き給(たま)ひしに、余(あま)りの御嬉(うれ)しさに北(きた)の方(かた)簾(みす)の際(きは)に寄(よ)り給(たま)ひて、「人は何処(いづく)にぞ」と問(と)ひ給(たま)へば、「堀河(ほりかは)に渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふが、「明日は陸奥(みちのく)へ御下(おんくだ)り候(さうら)ふ」と申(まう)せと仰(おほ)せの候(さうら)ひつるは、「日頃(ひごろ)の御約束(ごやくそく)には如何(いか)なる有様(ありさま)もしてこそ具足(ぐそく)し参(まゐ)らせ候(さうら)はんと申(まう)しては候(さうら)へども、道々(みちみち)も差(さ)し塞(ふさ)がれて候(さうら)ふなれば、人をさへ具足(ぐそく)し参(まゐ)らせ
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て、憂(う)き目(め)を見(み)せ参(まゐ)らせ候(さうら)はん事(こと)いたはしく思(おも)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)へば、義経(よしつね)御先(おんさき)に下(くだ)り候(さうら)ひて、若(も)し存命(ながら)へて候(さうら)はば、春(はる)の頃(ころ)は必ず必ず御迎(おんむか)ひに人を参(まゐ)らせ候(さうら)ふべし。それまでは御(おん)心(こころ)長(なが)く待(ま)たせ御座(おは)しまし候(さうら)へと申(まう)せ」とこそ仰(おほ)せられ候(さうら)ひつれ」と申(まう)しければ、「此(こ)の度(たび)だにも具(ぐ)して下(くだ)り給(たま)はぬ人の、何(なに)の故(ゆゑ)にかわざと迎(むか)ひには賜(たま)はるべき。あはれ下(くだ)り著(つ)き給(たま)はざらん先(さき)に、老少(らうせう)不定(ふぢやう)の習(なら)ひなれば、ともかくもなりたらば、とても遁(のが)れざりけるもの故(ゆゑ)に、など具(ぐ)して下(くだ)らざりけんと後悔(こうくわい)し給(たま)ひ候(さうら)ふ共(とも)、甲斐(かひ)有(あ)らじ。御志(おんこころざし)有(あ)りし程(ほど)は、四国西国(さいこく)の波の上(うへ)までも具足(ぐそく)せられしぞかし。然(さ)れば何時(いつ)しか変(か)はる心(こころ)のうらめしさよ。大物浦(だいもつのうら)とかやより、都(みやこ)へ帰(かへ)されし其(そ)の後(のち)は思(おも)ひ絶(た)えたる言(こと)の葉(は)を、又(また)廻(めぐ)り来(き)たるとかく慰(なぐさ)め給(たま)ひしかば、心(こころ)弱(よわ)くも打(う)ち解(と)けて、二度(ふたたび)憂(う)き言(こと)の葉(は)にかかりぬるこそ悲(かな)しけれ。申(まう)すに付(つ)けて如何(いか)にぞやと覚(おぼ)ゆれども、知(し)られず知(し)られで、我(われ)如何(いか)にもなりなば、後世(ごせ)までも実(げ)に残(のこ)すは、罪(つみ)深(ふか)き事と聞(き)く程(ほど)に申(まう)し候(さうら)ふぞ。過(す)ぎぬる夏(なつ)の頃(ころ)より、心(こころ)乱(みだ)れて苦(くる)しく候(さうら)ひしを、只(ただ)ならぬとぞや人の申(まう)し候(さうら)ひしか、月日(つきひ)に添(そ)へて夕(ゆふべ)も苦(くる)しくなりまされば、其(そ)の隠(かく)れあるまじ。六波羅(ろくはら)へも聞(き)こえて、兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)は情(なさけ)無(な)き人と聞(き)けば、捕(と)りも下されざらん。北白川(きたしらかは)の静(しづか)は、歌(うた)を歌(うた)ひ、舞(まひ)も舞(ま)へばこそ、一の咎(とが)は遁(のが)れけれ。我々はそれにも似(に)るべからず。只今(ただいま)憂(う)き名(な)を
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流(なが)さん事こそ悲(かな)しけれ。何(なに)と言(い)うても、人の心(こころ)強(つよ)さなれば力(ちから)なし」と打(う)ち口説(くど)き、涙(なみだ)も堰(せ)き敢(あ)へず覚(おぼ)えければ、武蔵坊(むさしばう)も涙に咽(むせ)びけり。燈火(ともしび)の明(あかり)にて、常(つね)に住(す)み馴(な)れ給(たま)ひつる御障子(しやうじ)の引手(ひきて)の元(もと)を見(み)ければ、御手跡(せき)と覚(おぼ)えて、
つらからば我(われ)も心(こころ)の変(か)はれかしなど憂(う)き人(ひと)の恋(こひ)しかるらん W011
とぞ遊(あそ)ばされたりけるを、弁慶(べんけい)見(み)て、未(いま)だ御事(おんこと)をば忘(わす)れ参(まゐ)らせさせ給(たま)はざりけると哀(あは)れにて、急(いそ)ぎ判官(はうぐわん)にかくと申(まう)せば、判官(はうぐわん)さらばとて御座(おは)して、「御(おん)心(こころ)短(みじか)の御怨(うらみ)かな。義経(よしつね)も御迎(おんむか)ひに参(まゐ)りて候(さうら)へ」とて、つと入(い)り給(たま)ひたりければ、夢(ゆめ)の心地(ここち)して、問(と)ふにつらさの御涙(おんなみだ)いとど堰(せ)き敢(あ)へ給(たま)はず。判官(はうぐわん)「さても義経(よしつね)が今(いま)の姿(すがた)を御覧(ごらん)ぜられば、日来(ひごろ)の御志(おんこころざし)も興(きよう)醒(ざ)めてこそ思(おぼ)し召(め)され候(さうら)はめ有(あ)らぬ姿(すがた)にて候(さうら)ふものを」と仰(おほ)せられければ、「予(あらま)しに聞(き)きし御姿(おんすがた)の、様(さま)の変(か)はりたるやらん」と仰(おほ)せられければ、「これ御覧(ごらん)じ候(さうら)へ」とて、上の衣(きぬ)を押(お)し除(の)け給(たま)ひたれば、柿(かき)の衣(ころも)に小袴(こばかま)、頭巾(ときん)をぞ著給(たま)ひける。北(きた)の方(かた)見(み)習(なら)はせ給(たま)はぬ御心(おんこころ)には、げに疎(うと)からば恐(おそ)ろしくも覚(おぼ)えぬべけれども、「扨(さて)我(われ)をば如何様(いかやう)に出(い)で立(た)たせて具(ぐ)し給(たま)ふべきぞや」と仰(おほ)せられければ、武蔵坊(むさしばう)「山伏(やまぶし)の同道(どうだう)には、少人(せうじん)の様(やう)にこそ作(つく)りなし参(まゐ)らせ候(さうら)はんずれ。容顔(ようがん)も御(おん)つくろひ候(さうら)はば、苦(くる)しく御(おん)わたらせ候(さうら)ふまじく候(さうら)ふ。御年の程(ほど)も良(よ)き程(ほど)に見(み)えさせ御座(おは)しまし候(さうら)へば、つくろひ
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申(まう)すべく候(さうら)ふが、只(ただ)御振舞(ふるまひ)こそ御大事(だいじ)にて候(さうら)はんずれ。北陸道(ほくろくだう)と申(まう)すは、山伏(やまぶし)の多き国にて候(さうら)へば、花(はな)の枝(えだ)などを、「これ少人(せうじん)へ」と参(まゐ)らせ言(い)はん時(とき)は、男子(をのこご)の言葉(ことば)を習(なら)はせ給(たま)ひて、衣紋(えもん)掻(か)き繕(つくろ)ひ、姿(すがた)を男(をとこ)の如(ごと)く御振舞(ふるまひ)候(さうら)へ、此(こ)の年月の様(やう)に、たをやかに物(もの)恥(はづ)かしき御(おん)心(こころ)つき御振舞(ふるまひ)にては、堅固(けんご)叶(かな)はせ給(たま)ひ候(さうら)ふまじく候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「然(さ)れば人の御徳(とく)に、習(なら)はぬ振舞(ふるまひ)をさへして下(くだ)らんずると思(おも)ふ也(なり)。はや夜も更(ふ)くるに、疾(と)く疾(と)く」と仰(おほ)せられければ、弁慶(べんけい)御介錯(ごかいしやく)にぞ参(まゐ)りける。岩透(いはすき)と言(い)ふ刀(かたな)を抜(ぬ)きて、清水(しみづ)を流(なが)したる御髪(みぐし)の丈(たけ)にあまるを御腰(こし)に比(くら)べて情(なさけ)無(な)くもふつと切(き)る。末(すそ)をば細(ほそ)く刈(か)りなして、高く結(ゆ)ひ上(あ)げて、薄化粧(うすげしやう)に御眉(まゆ)細(ほそ)く作(つく)り、御装束(おんしやうぞく)は匂(にほ)ふ色(いろ)に花(はな)やうを引(ひ)き重(かさ)ねて、裏(うら)山吹(ぶき)一襲(ひとかさね)、唐綾(からあや)の御小袖(おんこそで)、播磨浅黄(はりまあさぎ)の帷(かたびら)を上(うへ)にぞ著(き)せ奉(たてまつ)る。白(しろ)き大口(おほくち)顕紋紗(けんもんじや)
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の直垂(ひたたれ)を著(き)せ奉(たてまつ)り、綾(あや)の脛巾(はばき)に草鞋(わらんづ)履(は)かせ奉(たてまつ)り、袴(はかま)の括(くくり)高(たか)く結(ゆ)ひ、白打出(しらうちで)の笠(かさ)をぞ著(き)せ奉(たてまつ)る。赤木(あかぎ)の柄(つか)の刀(かたな)にだみたる扇(あふぎ)差(さ)し添(そ)へ、遊(あそ)ばさねども漢竹(かんちく)の横笛(やうでう)を持(も)ち奉(たてまつ)る。紺地(こんぢ)の錦(にしき)の経袋(きやうぶくろ)に法華経(ほけきやう)の五(いつつ)の巻(まき)を入(い)れて懸(か)けさせ奉(たてまつ)る。我(わ)が身一(ひと)つだにも苦(くる)しかるべきに万(よろづ)の物を取(と)り付(つ)け奉(たてまつ)りたれば、しどけなげにぞ見(み)え給(たま)ふ。是(これ)や此(こ)の王昭君(わうぜうくん)が胡国(ここく)の夷(えびす)に具せられて下(くだ)りけん心の中(うち)も、今(いま)こそ思(おも)ひ知(し)られける。斯様(かやう)に出(い)で立(た)ち給(たま)ひて、四間(よま)の御出居(でい)に燈火(ともしび)数多(あまた)かき立(た)てて、武蔵坊(むさしばう)を側(かたは)らに置(お)きて、北(きた)の方(かた)を引(ひ)き立(た)て、御手(て)を取(と)りて彼方(かなた)此方(こなた)へ歩(あゆ)ませ奉(たてまつ)り、「義経(よしつね)山伏(やまぶし)に似(に)るや、人は児(ちご)に似(に)たるぞ」と仰(おほ)せける。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「君は鞍馬(くらま)に渡(わた)らせ給(たま)ひしかば、山伏(やまぶし)にも馴(な)れさせ給(たま)ひ候(さうら)ひつれば、申(まう)すに及(およ)ばず候(さうら)ふ。北(きた)の方(かた)は何時(いつ)習(なら)はせ御座(おは)しまさねども、御姿(おんすがた)少(すこ)しも児(ちご)にたがはせ御座(おは)しまし候(さうら)はず。何事(なにごと)も戒力(かいりき)と申(まう)す御事(おんこと)にて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ひける」と申(まう)す中にも、哀(あは)れを催(もよほ)す涙(なみだ)の頻(しき)りに零(こぼ)れけれども、さらぬ体(てい)にてぞ有(あ)りける。さる程(ほど)に二月二日まだ夜深(よぶか)に、今出川(いまでがは)を出(い)でんとし給(たま)ふ。西の妻戸(つまど)に人の音しける、如何(いか)なる者(もの)なるらんと御覧(ごらん)ずれば、北(きた)の方(かた)の御乳母(めのと)に十郎(じふらう)権頭(ごんのかみ)兼房(かねふさ)、白(しろ)き直垂(ひたたれ)に褐(かちん)の袴(はかま)著(き)て、白髪交(しらがまじ)りの髻(もとどり)引(ひ)き乱(みだ)し、頭巾(ときん)打(う)ち著(き)、「年(とし)寄(よ)り候(さうら)ふとも、是非(ぜひ)とも御伴(おんとも)申(まう)し候(さうら)はん」とて参(まゐ)りたり。北(きた)の方(かた)「妻子(さいし)をば誰(たれ)に預(あづ)け置(お)きて参(まゐ)る
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べき」と宣(のたま)へば、「相伝(さうでん)の御主を妻子(さいし)に思(おも)ひ代(か)へ参(まゐ)らすべきか」と申(まう)しも敢(あ)へず、涙(なみだ)に咽(むせ)びけり。六十三になりける儘(まま)に、良(よ)き丈(たけ)な山伏(やまぶし)にてぞ有(あ)りける。兼房(かねふさ)涙(なみだ)を仰(おさ)へて申(まう)しけるは、「君(きみ)は清和天皇(せいわてんわう)の御末(おんすゑ)、北(きた)の方(かた)は久我(こが)殿(どの)の姫君(ひめぎみ)ぞかし。只(ただ)仮初(かりそめ)に花紅葉(はなもみぢ)の御遊(あそび)、御物詣(ものまうで)なりとも、ようの御車(くるま)などこそ召(め)さるべきに、遙々(はるばる)東(あづま)の路(みち)に徒跣(かちはだし)にて出(い)で立(た)ち給(たま)ふ御果報(くわほう)の程(ほど)こそ、目も当(あ)てられず悲(かな)しけれ」とて、涙(なみだ)を流(なが)しければ、残りの山伏(やまぶし)共(ども)も、「理(ことわり)なり、誠(まこと)に世には神も仏(ほとけ)もましまさぬか」とて各々(おのおの)浄衣(じやうゑ)の袖をぞ絞(しぼ)りける。さて御手(て)に手(て)を取(と)り組(く)みて歩(あゆ)ませ奉(たてまつ)れども、何時(いつ)か習(なら)はせ給(たま)はねば、只(ただ)一所にぞ御座(おは)しける。をかしき事(こと)を語(かた)り出(い)だして、慰(なぐさ)め奉(たてまつ)りて進(すす)め給(たま)ひけり。まだ夜深(よぶか)に今出川(いまでがは)をば出(い)でさせ給(たま)ひけれども、八声(はちこゑ)の鳥(とり)もしどろに鳴(な)きて、寺々(てらでら)の鐘(かね)の声(こゑ)早(はや)打(う)ち鳴(な)らす程(ほど)に明(あ)けけれども、漸々(やうやう)粟田口(あはたぐち)まで出(い)で給(たま)ふ。武蔵坊(むさしばう)片岡(かたをか)に申(まう)しけるは、「如何(いかが)せん、いざや北(きた)の方(かた)の御足(あし)早(はや)くなし奉(たてまつ)るべし。片岡(かたをか)に申(まう)せ」と言(い)ひければ、御前(おまへ)に参(まゐ)りて申(まう)しける様(やう)は、「斯様(かやう)に御渡(おんわた)り候(さうら)はば、道(みち)行(ゆ)くべしとも存(ぞん)じ候(さうら)はず。君(きみ)は御心(おんこころ)静(しづ)かに御下(おんくだ)り候(さうら)へ。我(われ)等(ら)は御先(おんさき)に下(くだ)り候(さうら)ひて、秀衡(ひでひら)に御所(ごしよ)造(つく)らせて、御迎(おんむか)ひに参(まゐ)り候(さうら)はん」と申(まう)して、御先(おんさき)に立(た)ちければ、判官(はうぐわん)の仰(おほ)せには、「如何(いか)に人の御名残(おんなごり)惜(を)しく思(おも)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)へ共(ども)、是(これ)等(ら)に棄(す)てられ
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ては叶(かな)ふまじ。都(みやこ)の遠(とほ)くならぬ先(さき)に、兼房(かねふさ)御伴(おんとも)して帰(かへ)れ」と仰(おほ)せられて、棄(す)て置(お)きて進(すす)み給(たま)へば、さしも忍(しの)び給(たま)ひし御人の御声(こゑ)を立(た)てて仰(おほ)せられけるは、「今(いま)より後(のち)は道(みち)遠(とほ)しとも悲(かな)しむまじ。誰(たれ)に預(あづ)け置(お)きて、何処(いづく)へ行(ゆ)けとて捨(す)て給(たま)ふぞ」とて、声(こゑ)を立(た)てて悲(かな)しみ給(たま)へば、武蔵(むさし)又(また)立(た)ち帰(かへ)り、具足(ぐそく)し奉(たてまつ)りける。粟田口(あはたぐち)を過(す)ぎて、松坂(まつざか)近(ちか)く成(な)りければ、春の空(そら)の曙(あけぼの)に霞(かすみ)に紛(まが)ふ雁(かりがね)の、微(かすか)に鳴(な)きて通(とほ)りけるを聞(き)き給(たま)ひて、判官(はうぐわん)かくぞ続(つづ)け給(たま)ふ。
み越路(こしぢ)の八重(やへ)の白雲(しらくも)かき分(わ)けて羨(うらや)ましくも帰(かへ)るかりがね W012
北(きた)の方(かた)もかくぞ続(つづ)け給(たま)ふ。
春(はる)をだに見(み)捨(す)てて帰(かへ)るかりがねのなにの情(なさけ)に音(ね)をば鳴(な)くらん W013
所々(ところどころ)打(う)ち過(す)ぎければ、逢坂(あふさか)の蝉丸(せみまる)の住(すみ)給(たま)ふ藁屋(わらや)の床(とこ)を来(き)て見れば、垣根(かきね)に忍交(しのぶまじ)りの忘草(わすれぐさ)打(う)ち交(まじ)り、荒(あ)れたる宿(やど)の事(こと)なれば、月の影(かげ)のみ昔(むかし)に変(か)はらじと、思(おも)ひ知(し)られて哀(あはれ)なり。軒(のき)の忍(しのぶ)を取(と)り給(たま)ひて奉(たてまつ)り給(たま)へば、北(きた)の方(かた)都(みやこ)にて見(み)しよりも、忍(しの)ぶ哀(あは)れの打(う)ち添(そ)ひて、いとど哀(あは)れに思(おぼ)し召(め)して、かくぞ続(つづ)け給(たま)ふ。
住(す)み馴(な)れし都(みやこ)を出(い)でて忍草(しのぶくさ)置(お)く白露(しらつゆ)は涙(なみだ)なりけり W014
かくて大津(おほつ)の浦(うら)も近(ちか)くなる。春の日の長(なが)きに歩(あゆ)む歩(あゆ)むとし給(たま)へども、関寺(せきでら)の入相(いりあひ)の鐘(かね)今日(けふ)も暮(く)れぬと打(う)ち鳴(な)らし、怪(あや)しの民(たみ)の宿(やど)借(か)る程(ほど)になりぬれば、大津(おほつ)の浦(うら)
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にぞかかり給(たま)ひける。
大津(おほつ)次郎(じらう)の事(こと) S0702
此処(ここ)に憂(う)き事(こと)ぞ出(い)で来たる。天(てん)に口(くち)なし、人を以(もつ)て言(い)はせよと誰披露(ひろう)するとしも無(な)けれ共(ども)、判官(はうぐわん)山伏(やまぶし)になりて、其(そ)の勢(せい)十余人(よにん)にて、都(みやこ)を出(い)で給(たま)ふと聞(き)こえしかば、大津(おほつ)の領主(りやうじゆ)山科(やましな)左衛門(さゑもん)、園城寺(をんじやうじ)の法師(ほふし)を語(かた)らひて、城郭(じやうくわく)を構(かま)へて相(あひ)待(ま)つ。然(さ)れども判官(はうぐわん)は、大津(おほつ)の渚(なぎさ)に大(だい)なる家(いへ)有(あ)り。是(これ)は塩津(しほづ)、海津(かいづ)、山田(やまだ)、矢橋(やばせ)、粟津(あはづ)、松本(まつもと)に聞(き)こえたる商人(あきんど)の宗徒(むねと)の者(もの)、大津(おほつ)次郎(じらう)と申(まう)す者(もの)の家(いへ)なり。弁慶(べんけい)宿(やど)を借(か)らせけるは、「羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の熊野(くまの)に年籠(ごも)りして下向(げかう)し候(さうら)ふ。宿(やど)を賜(た)び候(さうら)へ」と借(か)らせたりければ、宿(しゆく)伝(つた)ふ習(なら)ひなれば、相違(さうゐ)無(な)く宿(やど)を参(まゐ)らせたり。さよ打(う)ち更(ふ)けて、懺法(せんぽふ)阿弥陀経(あみだきやう)を同音(どうおん)にぞ誦(よ)み給(たま)ひける。是(これ)ぞ勤(つと)めの始(はじ)めなる。大津(おほつ)二郎(じらう)は左衛門(さゑもん)の召(め)しにて城に有(あ)り。大津(おほつ)二郎(じらう)が女、物越(ものごし)に見(み)奉(たてまつ)りて、あら美(いつく)しの山伏(やまぶし)児(ちご)や、遠国(をんごく)の道者(だうしや)とは宣(のたま)へども、衣裳(いしやう)の美(いつく)しさは、如何(いか)にも只人(ただひと)には有(あ)らず、但(ただ)し判官(はうぐわん)殿(どの)の山伏(やまぶし)になりて下(くだ)り給(たま)ふなるに、山伏(やまぶし)大勢(おほぜい)留(とど)めて、城に聞(き)こえては身の為(ため)も大事(だいじ)なり。次郎(じらう)を呼(よ)びて此(こ)の事(こと)を知(し)らせて、判官(はうぐわん)にてましまさば、城まで
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申(まう)さずとも、私(わたくし)にも討(う)つても、搦(から)めても、鎌倉(かまくら)殿(どの)の見参(げんざん)に入(い)れて、勲功(くんこう)に与(あづか)りたらば、然(しか)るべきと思(おも)ひければ、城へ使(つかひ)を遣(つか)はして、男(をとこ)を呼(よ)びよせて、一間(ひとま)なる所へ招(まね)き入(い)れて言(い)ひけるは、「時(とき)しもこそ多(おほ)けれ。今夜しも我々(われわれ)判官(はうぐわん)殿(どの)に宿(やど)を借(か)し参(まゐ)らせて候(さうら)ふは、如何(いかが)せんずる。御辺(ごへん)の親類(しんるい)我(わ)が兄弟(きやうだい)を集(あつ)めて搦(から)めばや」とぞ申(まう)しける。男(をとこ)申(まう)しけるは、「「壁(かべ)に耳(みみ)、石(いし)に口(くち)」と言(い)ふ事(こと)有(あ)り。判官(はうぐわん)殿(どの)にて御座(おは)すればとて、何(なに)か苦(くる)しかるべき。搦(から)め参(まゐ)らせたればとて、勲功(くんこう)も有(あ)るまじ。実(まこと)の山伏(やまぶし)にて渡(わた)らせ給(たま)ふに付(つ)けては、金剛童子(こんがうどうじ)の恐(おそ)れ有(あ)り、実(げ)に又(また)判官(はうぐわん)殿(どの)にて御座(おは)しませばとても、忝(かたじけな)くも鎌倉(かまくら)殿(どの)の御弟にてましませば恐(おそれ)有(あ)り。我(われ)思(おも)ひかかり奉(たてまつ)りても、容易(たやす)かるべき事(こと)ならず。かしがましかしがまし」とぞ言(い)ひける。女(をんな)是(これ)を聞(き)きて、「地体(ぢたい)が和男(わをとこ)は妻子(めこ)に甲斐々々(かひがひ)しくあたるばかりを本(ほん)とする男なり。女の申(まう)す事(こと)は上つ方(かた)の御耳に入(い)らぬ事(こと)やある。城(じやう)へ、いでさらば参(まゐ)りて申(まう)さん」とて、小袖(こそで)取(と)りて打(う)ち被(かづ)き、やがて走(はし)り出(い)でてぞ行(ゆ)きける。大津(おほつ)次郎(じらう)是(これ)を見(み)て、彼奴(きやつ)を放(はな)し立(た)てては悪(あ)しかりなんとや思(おも)ひけん、門の外(ほか)に追(お)ひ著(つ)きて、「汝(なんぢ)、今(いま)に始(はじ)めたる事か、風になびく苅萱(かるかや)、男(をとこ)に従(したが)ふ女」とて、引(ひ)き伏(ふ)せて、心(こころ)の行(ゆ)く行(ゆ)くぞさやなみける。彼(か)の女は極(きは)めたるえせ者(もの)なりければ、大路に倒(たふ)れて喚(おめ)きけるは、「大津(おほつ)二郎(じらう)は極(きは)めたる僻事(ひがこと)の奴(やつ)にて候(さうら)ふ
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ぞ。判官(はうぐわん)の方人(かたうど)するぞ」とぞ申(まう)しける。所(ところ)の者(もの)是(これ)を聞(き)きて申(まう)しけるは、「大津(おほつ)二郎(じらう)が女(をんな)こそ例(れい)の酔狂(ゑひぐるひ)して、男(をとこ)に打(う)たるるとて喚(おめ)くは。又(また)多(おほ)くの法師(ほふし)の嘆(なげ)きともならんや。只(ただ)放(なは)し合(あ)はせて、打(う)たせよ」とて、取(と)りさゆる者無(な)ければ、ふすふす打(う)たれて臥(ふ)しにけり。大津(おほつ)二郎(じらう)は直垂(ひたたれ)取(と)りて著(き)て、御前(おまへ)に参(まゐ)りて、火打(う)ち消(け)して申(まう)しけるは、「かかる口惜(くちを)しき事こそ御座(ござ)候(さうら)はね。女(をんな)奴(め)が物(もの)に狂(くる)ひ候(さうら)ふ。是(これ)聞召(きこしめ)され候(さうら)へ。何(なに)とも御語(かた)り候(さうら)へ。今夜は是(これ)にて明(あ)かさせ給(たま)ひて、明日の御難(なん)をば何(なに)として逃(のが)れさせ給(たま)ひ候(さうら)ふべき。是(これ)に山科(やましな)左衛門(さゑもん)と申(まう)す人城郭(じやうくわく)を構(かま)へて判官(はうぐわん)殿(どの)を待(ま)ち申(まう)し候(さうら)ふ。急(いそ)ぎ御出(おいで)候(さうら)へ。是(これ)に小船を一艘(いつさう)持(も)ちて候(さうら)ふに、召(め)され候(さうら)ひて、客僧達(きやくそうたち)の御中に船(ふね)に心得(こころえ)させ給(たま)ひて候(さうら)はば、急(いそ)ぎ御出(おいで)候(さうら)へ」と申(まう)しける。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「身に誤(あやま)りたる事(こと)は候(さうら)はねども、
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左様(さやう)に所(ところ)に煩(わづら)ひ候(さうら)はんずるには、取(と)り置(お)かれ候(さうら)ひては、日数(ひかず)も延(の)び候(さうら)はんず。さ候(さうら)はば暇(いとま)申(まう)して」とて出(い)で給(たま)ひければ、「船(ふね)をば海津(かいづ)の浦(うら)に召(め)し棄(す)てて、疾(と)く愛発(あらち)の山(やま)を越(こ)えて、越前(ゑちぜん)の国へ入(い)らせ給(たま)へ」と申(まう)しける。判官(はうぐわん)出(い)でさせ給(たま)へば、大津(おほつ)二郎(じらう)も船津(ふなつ)に参(まゐ)り、御船(ふね)こしらへてぞ参(まゐ)らせける。かくて大津(おほつ)次郎(じらう)山科(やましな)左衛門(さゑもん)の許(もと)に走(はし)り帰(かへ)りて申(まう)しけるは、「海津(かいづ)の浦(うら)に弟(おとと)にて候(さうら)ふ者(もの)中夭(ちゆうえう)に逢(あ)ひて、傷(きず)を蒙(かうぶ)りて候(さうら)ふと承(うけたま)はり候(さうら)ふ間(あひだ)、暇(いとま)申(まう)して、別(べち)の事(こと)候(さうら)はずは、やがてこそ参(まゐ)り候(さうら)はん」と申(まう)しければ、「それ程(ほど)の大事(だいじ)は疾(と)く疾(と)く」とぞ申(まう)しける。大津(おほつ)二郎(じらう)家に帰(かへ)りて、太刀(たち)取(と)つて脇(わき)に挟(はさ)み、征矢(そや)掻(か)き負(お)ひ、弓押(お)し張(は)り、御船(ふね)に躍(をど)り入(い)りて、「御供(おんとも)申(まう)し候(さうら)はん」とて、大津(おほつ)の浦(うら)をば押(お)し出(い)だす。瀬田(せた)の川風(かはかぜ)劇(はげ)しくて、船(ふね)に帆(ほ)をぞ掛(か)けたりける。大津(おほつ)二郎(じらう)申(まう)しけるは、「此方(こなた)は粟津(あはづ)大王(だいわう)の建(た)て給(たま)ふ石(いし)の塔山(たうさん)、此処(ここ)に見(み)え候(さうら)ふは唐崎(からさき)の松(まつ)、あれは此叡山(ひえいざん)」と申(まう)す。山王(さんわう)の御宝殿(ごほうでん)を顧(かへり)み給(たま)へば、其(そ)の行先(ゆくさき)は竹生島(ちくぶしま)と申(まう)して拝(おが)ませ奉る。風(かぜ)に任(まか)せて行(ゆ)く程(ほど)に、夜半(やはん)ばかりに西近江(にしあふみ)、何処(いづく)とも知(し)らぬ浦(うら)を過(す)ぎ行(ゆ)けば、磯浪(いそなみ)の聞(き)こえければ、此処(ここ)は何処(いづく)ぞと問(と)ひ給(たま)へば、「近江(あふみ)の国(くに)堅田(かただ)の浦(うら)」とぞ申(まう)しける。北(きた)の方(かた)是(これ)を聞召(きこしめ)して、かくぞ続(つづ)け給(たま)ひける。
しぎが臥(ふ)すいさはの水(みづ)の積(つも)り居(ゐ)て堅田(かただ)を波の打(う)つぞやさしき W015
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白鬢(しらひげ)の明神(みやうじん)をよそにて拝(おが)み奉(たてまつ)り、三河(みかは)の入道(にふだう)寂照(じやくせう)が、
鶉(うづら)鳴(な)く真野(まの)の入江(いりえ)の浦風(うらかぜ)に尾花浪(をばななみ)寄(よ)る秋の夕暮(ゆふぐれ) W016
と言(い)ひけん古(ふる)き心(こころ)も今(いま)こそ思(おも)ひ知(し)られけれ。今津(いまづ)の浦(うら)を漕(こ)ぎ過(す)ぎて、海津(かいづ)の浦(うら)にぞ著(つ)きにける。十余人(よにん)の人々(ひとびと)を上(あ)げ奉(たてまつ)りて、大津(おほつ)二郎(じらう)は御暇(おんいとま)申(まう)すなり。此処(ここ)に不思議(ふしぎ)なる事(こと)有(あ)り。南より北へ吹(ふ)きつる風(かぜ)の、今(いま)又(また)北(きた)より南(みなみ)へぞ吹(ふ)きける。判官(はうぐわん)仰(おほ)せられけるは、「彼奴(きやつ)は同(おな)じ次(つぎ)の者(もの)ながらも情(なさけ)ある者(もの)かな。知(し)らせばや」と思(おぼ)し召(め)し、武蔵坊(むさしばう)を召(め)して、「知(し)らせて下(くだ)らば、後(のち)に聞(き)きてあはれとも思(おも)ふべし。知(し)らせばや」と宣(のたま)へば、弁慶(べんけい)大津(おほつ)次郎(じらう)を招(まね)きて、「和君(わぎみ)なれば知(し)らするぞ。君にて渡(わた)らせ給(たま)ふなり。道(みち)にてともかくもならせ給(たま)はば、子孫(しそん)の守(まぼ)りともせよ」とて、笈(おひ)の中より、萌黄(もよぎ)の腹巻(はらまき)に小覆輪(こぶくりん)の太刀(たち)取(と)り添(そ)へてぞ賜(た)びにける。大津(おほつ)二郎(じらう)是(これ)を賜(たま)はつて、「何時(いつ)までも御伴(おんとも)申(まう)したく候(さうら)へ共(ども)、中々(なかなか)君(きみ)の御為(ため)悪(あ)しく候(さうら)はんずれば、暇(いとま)申(まう)して、何処(いづく)にも君(きみ)の渡(わた)らせ御座(おは)しまさん所(ところ)を承(うけたまは)りて、参(まゐ)りて見(み)参(まゐ)らせ候(さうら)はん」とて帰(かへ)りけり。下郎(げらう)なれども情(なさけ)有(あ)りてぞ覚(おぼ)えける。大津(おほつ)二郎(じらう)家(いへ)に帰(かへ)りて見(み)ければ、女は一昨日(をととひ)の腹(はら)を据(す)ゑ兼(か)ねて、未(いま)だ臥(ふ)してぞ有(あ)りける。大津(おほつ)次郎(じらう)、「や御前(ごぜ)御前(ごぜ)」と言(い)ひけれ共(ども)、音(おと)もせず、「あはれ、わ女は詮(せん)無(な)き事(こと)を思(おも)ふなり。山伏(やまぶし)留(とど)めて判官(はうぐわん)殿(どの)と号(かう)して、
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既(すで)に憂(う)き目(め)を見(み)んとせしよな。船(ふね)に乗(の)せて海津(かいづ)の浦(うら)まで送(おく)り、船賃(ふなちん)など責(せ)めたれば、法(ほふ)も無(な)く物(もの)を言(い)ひつる間(あひだ)、憎(にく)さにかなぐり奪(と)りたる物を見よ」とて、太刀(たち)と腹巻(はらまき)とを取(と)り出(い)だして、がはと置(お)きければ、寝(ね)乱(みだ)れ髪(がみ)の隙(ひま)より、恐(おそ)ろしげなる眼(まなこ)しばたたき、流石(さすが)に今(いま)は心地(ここち)取(と)り直(なほ)したる気色(けしき)にて、「それも妾(わらは)が徳(とく)にてこそあれ」とて、大笑(おほゑ)みに笑(ゑ)みたる面(つら)を見(み)れば、余(あま)りに疎(うと)ましくぞ有(あ)りける。男(をとこ)言(い)ふとも、女の身にては如何(いかが)など制(せい)しこそすべきに、思(おも)ひ立(た)ちぬるこそ恐(おそ)ろしけれ。
愛発山(あらちやま)の事(こと) S0703
判官(はうぐわん)は海津(かいづ)の浦(うら)を立(た)ち給(たま)ひて、近江国(あふみのくに)と越前(ゑちぜん)の境(さかひ)なる愛発(あらち)の山(やま)へぞかかり給(たま)ふ。一昨日(をととひ)都(みやこ)を出(い)で給(たま)ひて、大津(おほつ)の浦(うら)に着(つ)き、昨日(きのふ)は御船に召(め)され、船心(ふなごころ)に損(そん)じ給(たま)ひて、歩(あゆ)み給(たま)ふべき様(やう)ぞ無(な)き。愛発(あらち)の山(やま)と申(まう)すは、人跡(ひとあと)絶(た)えて古木立(た)ち枯(が)れ、巌石(がんせき)峨々(がが)として、道(みち)すなほならぬ山(やま)なれば、岩角(いはかど)を欹(そばだ)てて、木(き)の根(ね)は枕(まくら)を並(なら)べたり。何時(いつ)踏(ふ)み習(なら)はせ給(たま)はねば、左右(さう)の御足(あし)より流(なが)るる血(ち)は紅(くれなゐ)を注(そそ)くが如(ごと)くにて、愛発(あらち)の山(やま)の岩角(いはかど)染(そ)めぬ所(ところ)は無(な)かりける。少々の事(こと)こそ柿(かき)の衣(ころも)にも恐(おそ)れけれ。見(み)奉(たてまつ)る山伏(やまぶし)共(ども)余(あま)りの御痛(いた)はしさに、時々(ときどき)代(か)はり代(が)はりに負(お)ひ奉(たてまつ)りける。
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かくて山(やま)深(ふか)く分(わ)け入(い)り給(たま)ふ程(ほど)に、日も既(すで)に暮(く)れにけり。道(みち)の傍(ほとり)二町(ちやう)ばかり分(わ)け入(い)りて、大木の下(もと)に敷皮(しきがは)を敷(し)き、笈(おひ)をそばだてて、北(きた)の方(かた)を休(やす)め奉(たてまつ)る。北(きた)の方(かた)「恐(おそ)ろしの山(やま)や、是(これ)をば何山(なにやま)と言(い)ふやらん」と問(と)ひ給(たま)へば、判官(はうぐわん)、「是(これ)は昔(むかし)はあらしいの山(やま)と申(まう)しけるが、当時は愛発(あらち)の山(やま)と申(まう)す」と仰(おほ)せければ、「面白(おもしろ)や、昔(むかし)はあらしいの山(やま)と言(い)ひけるを、何(なに)とて愛発(あらち)の山(やま)とは名づけけん」と宣(のたま)へば、「此(こ)の山(やま)は余(あま)りに巌石(がんせき)にて候(さうら)ふ程(ほど)に、東(あづま)より都(みやこ)へ上(のぼ)り、京(きやう)より東(あづま)へ下(くだ)る者(もの)の、足(あし)を踏(ふ)み損(そん)じて血(ち)を流(なが)す間(あひだ)、あら血(ち)の山(やま)とは申(まう)しけるなり」と宣(のたま)へば、武蔵坊(むさしばう)是(これ)を聞(き)きて、「あはれ是(これ)程(ほど)跡方(あとかた)無(な)き事(こと)を仰(おほ)せ候(さうら)ふ御事(おんこと)は候(さうら)はず、人の足(あし)より血(ち)を踏(ふ)み垂(た)らせばとて、あら血(ち)の山(やま)と申(まう)し候(さうら)はんには、日本国(につぽんごく)の巌石(がんせき)ならん山(やま)の、あら血山(ちやま)ならぬ事(こと)は候(さうら)は
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じ。此(こ)の山(やま)の仔細(しさい)は弁慶(べんけい)こそよく知(し)りて候(さうら)ふ」と申(まう)せば、判官(はうぐわん)、「それ程(ほど)知(し)りたらば、知(し)らぬ義経(よしつね)に言(い)はせんよりも、など疾(と)くよりは申(まう)さぬぞ」と仰(おほ)せければ、弁慶(べんけい)、「申(まう)し候(さうら)はんとする所(ところ)を、君(きみ)の遮(さいぎ)りて仰(おほ)せ候(さうら)へば、如何(いか)でか弁慶(べんけい)申(まう)すべき、此(こ)の山(やま)をあら血(ち)の山(やま)と申(まう)す事(こと)は、加賀(かが)の国(くに)に下白山(しもしらやま)と申(まう)すに、女体后(によたいこう)の、龍宮(りゆうぐう)の宮(みや)とて御座(おは)しましけるが、志賀(しが)の都(みやこ)にして、唐崎(からさき)の明神(みやうじん)に見(み)え初(そ)められ参(まゐ)らせ給(たま)ひて、年月を送(おく)り給(たま)ひける程(ほど)に、懐妊(くわいにん)既(すで)に其(そ)の月近(ちか)くなり給(たま)ひしかば、同(おな)じくは我(わ)が国にて誕生(たんじやう)あるべしとて、加賀(かが)の国(くに)へ下(くだ)り給(たま)ひける程(ほど)に、此(こ)の山(やま)の禅定(ぜんぢやう)にて、俄に御腹(はら)の気(け)付(つ)き給(たま)ひけるを、明神(みやうじん)「御産(おさん)近(ちか)づきたるにこそ」とて、御腰(こし)を抱(いだ)き参(まゐ)らせ給(たま)ひたりければ、即(すなは)ち御産(おさん)なりてんげり。其(そ)の時産(さん)のあら血(ち)をこぼさせ給(たま)ひけるによりて、あら血(ち)の山(やま)とは申(まう)し候(さうら)へ。さてこそあらしいの山、あら血(ち)の山(やま)の謂(いは)れ知(し)られ候(さうら)へ」と申(まう)しければ、判官(はうぐわん)、「義経(よしつね)もかくこそ知(し)りたれ」とて笑(わら)ひ給(たま)ひけり。
三(みつ)の口(くち)の関通(とほ)り給(たま)ふ事 S0704
夜も既(すで)に明(あ)けければ、あら血(ち)の山(やま)を出(い)でて、越前(ゑちぜん)の国(くに)へ入(い)り給(たま)ふ。愛発(あらち)の山(やま)
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の北(きた)の腰(こし)に若狭(わかさ)へ通(かよ)ふ道有(あ)り。能美山(のうみやま)に行(ゆ)く道(みち)も有(あ)り。そこを三(みつ)の口(くち)とぞ申(まう)しける。越前国(ゑちぜんのくに)の住人(ぢゆうにん)敦賀(つるが)の兵衛、加賀国(かがのくに)の住人(ぢゆうにん)井上(ゐのうへ)左衛門(さゑもん)両人(りやうにん)承(うけたまは)りて、愛発(あらち)の山(やま)の関屋(せきや)を拵(こしら)へて、夜三百人、昼三百人の関守(せきもり)を据(すゑ)て、関屋(せきや)の前(まえ)に乱杭(らんぐい)を打(う)ちて、色(いろ)も白(しろ)く、向歯(むかば)の反(そ)りたるなどしたる者(もの)をば、道(みち)をも直(すぐ)にやらず、判官(はうぐわん)殿(どの)とて搦(から)め置(お)きて、糾問(きうもん)してぞひしめきける。道行(みちゆ)き人(びと)の判官(はうぐわん)殿(どの)を見(み)奉(たてまつ)りては、「此(こ)の山伏(やまぶし)達(たち)も此(こ)の難(なん)をばよも逃(のが)れ給(たま)はじ」とぞ申(まう)しける。聞(き)くに付(つ)けても、いとど行先(ゆくさき)も物(もの)憂(う)く思(おぼ)し召(め)しける所(ところ)に、越前(ゑちぜん)の方(かた)より浅黄(あさぎ)の直垂(ひたたれ)著(き)たる男(をとこ)の、立文(たてぶみ)持(も)ちて忙(いそが)はしげにてぞ行(ゆ)き逢(あ)ひける。判官(はうぐわん)是(これ)を見(み)給(たま)ひて、「何(なに)ともあれ、彼奴(きやつ)は仔細(しさい)有(あ)りて通(とほ)る奴(やつ)にてあるぞ」と宣(のたま)ひけるに、笠(かさ)の端(は)にて顔(かほ)隠(かく)して通(とほ)さんとし給(たま)ふ所(ところ)に十余人(よにん)の中を分(わ)け入(い)りて、判官(はうぐわん)の御前に跪(ひぎまづ)きて、「斯(か)かる事こそ候(さうら)はね。君(きみ)は何処(いづく)へとて御下(おんくだ)り候(さうら)ふぞ」と申(まう)しければ、片岡(かたをか)、「君とは誰(た)そ。此(こ)の中に汝(なんぢ)に君(きみ)と傅(かしづ)かるべき者(もの)こそ覚(おぼ)えね」と言(い)ひければ、武蔵坊(むさしばう)是(これ)を聞(き)きて、「京(きやう)の君(きみ)の事(こと)か、宣旨(せんじ)の君(きみ)の事(こと)か」と言(い)ひければ、彼(か)の男(をとこ)、「何(なに)しに斯(か)くは仰(おほ)せ候(さうら)ふぞ。君(きみ)をば見(み)知(し)り参(まゐ)らせて候(さうら)ふ間(あひだ)、斯(か)くは申(まう)し候(さうら)ふぞ。是(これ)は越後(ゑちご)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)上田(うえだ)左衛門(さゑもん)と申(まう)す人の内(うち)に候(さうら)ひしが、平家(へいけ)追討(ついたう)の時(とき)も御伴(おんとも)仕(つかまつ)りて候(さうら)ひし間(あひだ)、見(み)知(し)り奉(たてまつ)り候(さうら)ふ。壇(だん)の浦(うら)の合戦(かつせん)の時(とき)、越前(ゑちぜん)と能登(のと)、加賀(かが)三箇国(さんかこく)
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の人数著到(ちやくたつ)付(つ)け給(たま)ひし武蔵坊(むさしばう)と見(み)奉(たてまつ)るは僻事(ひがこと)か」と申(まう)せば、如何(いか)に口(くち)の利(き)きたる弁慶(べんけい)も力(ちから)無(な)くて伏目(ふしめ)になりにけり。「詮(せん)無(な)き御事(おんこと)かな。此(こ)の道の末(すゑ)には君(きみ)を待(ま)ち参(まゐ)らせ候(さうら)ふものを。只(ただ)是(これ)より御帰(かへ)り候(さうら)へかし。此(こ)の山(やま)の峠(たうげ)より東(ひがし)へ向(むか)うて、能美越(のうみごえ)にかかりて、燧(ひうち)が城(じやう)へ出(い)でて、越前(ゑちぜん)の国(くに)国府(こふ)にかかりて、平泉寺(へいせんじ)を拝(おが)み給(たま)ひて、熊坂(くまさか)へ出(い)でて、菅生(すかう)の宮(みや)を外処(よそ)に見(み)て、金津(かなづ)の上野(うはの)へ出(い)でて、篠原(しのはら)、安宅(あだか)の渡(わたり)をせさせ給(たま)ひて、根上(ねあがり)の松(まつ)を眺(なが)めて、白山(しらやま)の権現(ごんげん)を外処(よそ)にて礼(らい)し給(たま)ひ、加賀国(かがのくに)宮越(みやのこし)に出(い)でて、大野(おほの)の渡(わた)りし給(たま)ひて、阿尾(あを)が崎(さき)の端(はし)を越(こ)えて、たけの、倶利伽羅山(くりからやま)を経(へ)て、黒坂口(くろさかくち)の麓(ふもと)を五位庄(ごゐしやう)にかかりて、六動寺(ろくどうじ)の渡(わたり)して、奈呉(なご)の林(はやし)を眺(なが)めて、岩瀬(いはせ)の渡(わたり)、四十八箇瀬(しじふはつかせ)を越(こ)え、宮崎郡(みやざきのこほり)を市振(いちふり)にかかりて、寒原(かんばら)なかいしかと申(まう)す難所(なんじよ)を経(へ)て、能(のう)の山(やま)を外処(よそ)に伏(ふ)し拝(おが)み給(たま)ひて、越後国(ゑちごのくに)国府(こふ)に著(つ)きて、直江(なほえ)の津(つ)より船(ふね)に召(め)して、米山(よなやま)を冲懸(おきがけ)に三十三里のかりやはまかつき、しらさきを漕(こ)ぎ過(す)ぎて、寺お泊(とまり)に船(ふね)を著(つ)け、国上(くがみ)弥彦(やひこ)を拝(おが)みて、九十九里(くじふくり)の浜(はま)にかかりて、乗足(のりたり)、蒲原(かんばら)、八十里(はちじふり)の浜(はま)、瀬波(せなみ)、荒川(あらかは)、岩船(いはふね)と言(い)ふ所(ところ)に著(つ)きて、須戸(すと)うと道(みち)は雪白水(ゆきしろみづ)に、山河増(ま)さりて叶(かな)ふまじ。いはひが崎(さき)にかかりて、おちむつやなかざか、念珠(ねんじゆ)の関(せき)、大泉(おほいづみ)の庄(しやう)、大梵字(だいぼんじ)を通(とほ)らせ給(たま)ひて、羽黒(はぐろ)権現(ごんげん)を伏(ふ)し拝(おが)み参(まゐ)らせ、清河(きよかは)と言(い)ふ所(ところ)に著(つ)きて、すぎのをか船(ぶね)に棹(さほ)さして、あいかはの津(つ)
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に著(つ)かせ給(たま)ひて、道(みち)は又(また)二つ候(さうら)ふ。最上郡(もかみのこほり)にかかりて、伊奈(いな)の関(せき)を越(こ)えて、宮城野(みやぎの)の原(はら)、榴(つつじ)の岡(をか)、千賀(ちが)の塩竃(しほかま)、松島(まつしま)など申(まう)す名所(めいしよ)名所(めいしよ)を見(み)給(たま)ひては、三日、横道(よこみち)にて候(さうら)ふ。それより後(のち)さうたう、亀割山(かめわりやま)を越(こ)えては、昔(むかし)出羽(では)の郡司(ぐんじ)が娘(むすめ)小野(をの)の小町(こまち)と申(まう)す者(もの)の住(す)み候(さうら)ひける玉造(たまつくり)、室(むろ)の里(さと)と申(まう)す所(ところ)、又(また)小町(こまち)が関寺(せきでら)に候(さうら)ひける時、業平(なりひら)の中将(ちゆうじやう)東(あづま)へ下(くだ)り給(たま)ひけるに、妹(いもうと)の姉歯(あねは)が許(もと)へ文(ふみ)書(か)きて言伝(ことづて)しに、中将(ちゆうじやう)下(くだ)り給(たま)ひて、姉歯(あねは)を尋(たづ)ね給(たま)へば、空(むな)しくなりて、年(とし)久(ひさ)しくなりぬと申(まう)せば、「姉歯(あねは)が標(しるし)は無(な)きか」と仰(おほ)せられければ、ある人「墓(はか)に植(う)ゑたる松をこそ姉歯(あねは)の松(まつ)とは申(まう)し候(さうら)へ」と申(まう)しければ、中将(ちゆうじやう)姉歯(あねは)が墓(はか)に行(ゆ)きて、松(まつ)の下(した)に文を埋(うづ)めて読(よ)み給(たま)ひける歌、
栗原(くりはら)や姉歯(あねは)の松(まつ)の人(ひと)ならば都(みやこ)の土産(つと)にいざと言(い)はましものを W017
と詠(よ)み給(たま)ひける名木を御覧(ごらん)じては、松山(まつやま)一(ひと)つだにも超(こ)えつれば、秀衡(ひでひら)の館(たち)は近(ちか)く候(さうら)ふ。理(り)に枉(ま)げて此(こ)の道(みち)にかからせ給(たま)ふべし」と申(まう)しければ、判官(はうぐわん)是(これ)を聞(き)き給(たま)ひて、「是(これ)は只者(ただもの)にてはなし。八幡(はちまん)の御計(はか)らひと覚(おぼ)ゆるぞ。いざや此(こ)の道(みち)にかかりて行(ゆ)かん」と仰(おほ)せられければ、弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「かからせ給(たま)ふべき。わざと憂(う)き目(め)を御覧(ごらん)ぜんと思(おぼ)し召(め)されば、かからせ給(たま)ふべし。彼奴(きやつ)は君(きみ)を見(み)知(し)り参(まゐ)らせ候(さうら)ふに於(おい)ては、疑(うたがひ)も無(な)き作事(つくりこと)をして、君を欺(たばか)り参(まゐ)らせんとこそすると覚(おぼ)え
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候(さうら)ふ。先(さき)へ遣(や)りても、後(あと)へ返(かへ)しても、良(よ)き事(こと)はあるまじ」と申(まう)しければ、「良(よ)き様(やう)に計(はか)らへ」とぞ仰(おほ)せられける。武蔵坊(むさしばう)立(た)ち添(そ)ひて、「どの山(やま)をどの迫(はざま)にかかりて行(ゆ)かんずるぞ」と問(と)ふ様(やう)にもてなし、弓手(ゆんで)の腕(かひな)を差(さ)し伸(の)べて、頚(たてくび)をつかみ、逆様(さかさま)に取(と)つて伏(ふ)せ、強胸(こはむね)を踏(ふ)まへて、刀(かたな)を抜(ぬ)きて、心(こころ)先(さき)に差(さ)し当(あ)てて、「汝(おのれ)有(あ)りの儘(まま)に申(まう)せ」と責(せ)めければ、顫(ふる)ひ顫(ふる)ひ申(まう)しけるは、「誠(まこと)には上田(うえだ)左衛門(さゑもん)が内に候(さうら)ひしが、恨(うら)むる事(こと)候(さうら)ひて、加賀国(かがのくに)井上(ゐのうへ)左衛門(さゑもん)が内(うち)に候(さうら)ふ。「君(きみ)を見(み)知(し)り参(まゐ)らせて候(さうら)ふ」と申(まう)して候(さうら)へば、「罷(まか)り向(むか)ひ参(まゐ)らせて賺(すか)し参(まゐ)らせ、候(さうら)へ」と仰(おほ)せられ候(さうら)へ共(ども)、如何(いか)でか君(きみ)をば疎(おろか)に存(ぞん)じ参(まゐ)らすべき」と申(まう)しければ、「それこそ己(おのれ)が後言(のちごと)よ」とて、真中(まんなか)二刀(ふたかたな)刺(さ)し貫(つらぬ)き、頚(くび)掻(か)き離(はな)し、雪(ゆき)の中に踏(ふ)み込(こ)うで、さらぬ体(てい)にてぞ通(とほ)り給(たま)ふ。井上(ゐのうへ)が下人(げにん)平三郎と言(い)ふ男(をとこ)にてぞ有(あ)りける。余(あま)りに下郎(げらう)の口(くち)の利(き)きたるは、却(かへ)つて身を食(は)むとは是(これ)なり。さて十余人の人々(ひとびと)、とてもかくてもと打(う)ちふてて、関屋(せきや)をさしてぞ御座(おは)しける。十町(ちやう)ばかり近(ちか)づきて、勢(せい)を二手に分(わ)けたりけり。判官(はうぐわん)殿(どの)の御供(おんとも)には武蔵坊(むさしばう)、片岡(かたをか)、伊勢(いせ)の三郎、常陸坊(ひたちばう)、是(これ)を始(はじ)めとして七人、今(いま)一手(いつて)には北(きた)の方(かた)の御供(おんとも)として、十郎(じふらう)権頭(ごんのかみ)、根尾(ねのを)、熊井(くまゐ)亀井(かめゐ)、駿河(するが)、喜三太(きさんだ)御供(おんとも)にて、間(あひ)五町(ちやう)ばかりぞ隔(へだ)てける。先(さき)の勢(せい)は木戸口(きどぐち)に行(ゆ)き向(むか)ひたりければ、関守(せきもり)是(これ)を見(み)て、「すはや」
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と言(い)ふこそ久(ひさ)しけれ、百人ばかり七人を中に取(と)り籠(こ)めて、「是(これ)こそ判官(はうぐわん)殿(どの)よ」と申(まう)しければ、繋(つな)ぎ置(お)かれたる者(もの)共(ども)、「行方(ゆくへ)も知(し)らぬ我(われ)等(ら)に憂(う)き目(め)を見(み)せ給(たま)ふ。是(これ)こそ判官(はうぐわん)の正身(しやうじん)よ」と喚(おめ)きければ、身(み)の毛(け)もよだつばかりなり。判官(はうぐわん)進(すす)み出(い)でて仰(おほ)せられけるは、「抑(そもそも)羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の、何事(なにごと)をして候(さうら)へば、是(これ)程に騒動(さうどう)せられ候(さうら)ふやらん」と宣(のたま)へば、「何条(なんでう)羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)。判官(はうぐわん)殿(どの)にてこそ御座(おは)しませ」と申(まう)しければ、「此(こ)の関屋(せきや)の大将軍(だいしやうぐん)は誰殿(との)と申(まう)すぞ」と問(と)ひ給(たま)へば、「当国(たうごく)の住人(ぢゆうにん)敦賀(つるが)の兵衛(ひやうゑ)、加賀(かが)の国(くに)の井上(ゐのうへ)左衛門(さゑもん)と申(まう)す人にて候(さうら)へ。兵衛(ひやうゑ)は今朝(けさ)下(くだ)り候(さうら)ひぬ。井上(ゐのうへ)は金津(かなづ)に御座(おは)する」と申(まう)しければ、「主も御座(おは)せざらん所(ところ)にて、羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)に手(て)かけて、主(しゆう)に禍(わざはひ)かくな。其(そ)の儀(ぎ)ならば此(こ)の笈(おひ)の中(なか)に羽黒(はぐろ)の権現(ごんげん)の御正体(みしやうだい)、観音(くわんおん)の御座(おは)しますに、此(こ)の関屋(せきや)を御室(むろ)殿(どの)と定(さだ)めて、八重(やへ)の注連(しめ)を引(ひ)きて、御榊(さかき)を振(ふ)れ」とぞ仰(おほ)せられける。関守(せきもり)共(ども)申(まう)しけるは、「げにも判官(はうぐわん)にて御座(おは)しまさずは、其(そ)の様(やう)をこそ仰(おほ)せらるべく候(さうら)ふに、主(ぬし)に禍(わざはひ)をかくべからん様(やう)は如何(いか)にぞ」と咎(とが)めける。弁慶(べんけい)是(これ)を聞(き)きて、「形(かた)の如(ごと)く先達(せんだち)候(さうら)はんずる上(うへ)は、山法師(やまぼふし)原(ばら)が申(まう)す事(こと)を御咎(とが)め候(さうら)ひては詮(せん)なし。やあ大和坊(やまとばう)其処(そこ)退(の)き候(さうら)へ」とぞ申(まう)しける。言(い)はれて関屋(せきや)の縁(えん)にぞ居(ゐ)給(たま)へる。是(これ)こそ判官(はうぐわん)にて御座(おは)しましけれ。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「是(これ)は羽黒山(はぐろさん)の讚岐坊(さぬきばう)と申(まう)す山伏(やまぶし)
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にて候(さうら)ふが、熊野(くまの)に参(まゐ)りて、年籠(としごも)りにして、下向(げかう)申(まう)し候(さうら)ふ。判官(はうぐわん)殿(どの)とかやをば、美濃国(みののくに)とやらん尾張国(をはりのくに)とやらんより生捕(いけど)りて、都(みやこ)へ上(のぼ)るとやらん。下(くだ)るとやらむ承(うけたまは)り候(さうら)ひしが、羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)が判官(はうぐわん)と言(い)はるべき様(やう)こそなかれ」と言(い)ひけれども、何と陣(ちん)じ給(たま)へ共(ども)、弓(ゆみ)に矢を矧(は)げ、太刀(たち)長刀(なぎなた)の鞘(さや)を外(はづ)してぞ居(ゐ)たりける。後(あと)の人々(ひとびと)も七人連(つ)れてぞ来(き)たりける。いとど関守(せきもり)共(ども)然(さ)ればこそとて、大勢の中(なか)に取(と)り籠(こ)めて、「只(ただ)射(い)殺(ころ)せ」とぞ喚(おめ)きければ、北(きた)の方(かた)消(き)え入(い)る心地(ここち)し給(たま)ひけり。或(あ)る関守(せきもり)申(まう)しけるは、「しばらく鎮(しづ)まり給(たま)へ。判官(はうぐわん)ならぬ山伏(やまぶし)殺(ころ)して後(あと)の大事(だいじ)なり。関手(せきて)を乞(こ)うて見よ。昔(むかし)より今(いま)に至(いた)るまで、羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の渡賃(わたしちん)関手(せきて)なす事は無(な)きぞ。判官(はうぐわん)ならば仔細(しさい)を知(し)らずして関手(せきて)をなして通(とほ)らんと急(いそ)ぐべし。現(げん)の山伏(やまぶし)ならば、よも関手(せきて)をばなさじ。是(これ)を以(もつ)て知(し)るべき」とて、賢々(さかさか)しげなる男(をとこ)進(すす)み出(い)でて申(まう)しけるは、「所詮(しよせん)山伏(やまぶし)なりとても、五人三人こそ有(あ)らめ、十六七人の人々(ひとびと)に争(いかで)か関手(せきて)を取(と)らではあるべき。関手(せきて)なして通(とほ)り給(たま)へ。鎌倉(かまくら)殿(どの)の御教書(みげうしよ)にも乙家(おつけ)甲家(かうけ)を嫌(きら)はず、関手(せきて)取(と)りて兵糧米(ひやうらうまい)にせよと候(さうら)ふ間(あひだ)、関手(せきて)を賜(たま)はり候(さうら)はん」とぞ申(まう)しける。弁慶(べんけい)言(い)ひけるは、「事(こと)あたらしき事(こと)を言(い)はるるものかな。何時(いつ)の習(なら)ひに羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の関手(せきて)なす法(ほふ)やある。例(れい)無(な)き事(こと)は適(かな)ふまじき」と言(い)ひければ、関守(せきもり)共(ども)是(これ)を聞(き)きて、「判官(はうぐわん)にては御座(おは)せぬ」と言(い)ふも有(あ)り、
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或(ある)ひは「判官(はうぐわん)なれども、世に超(こ)えたる人にて御座(おは)しませば、武蔵坊(むさしばう)などと言(い)ふ者(もの)こそ斯様(かやう)には陳(ちん)ずらめ」など申(まう)す。又(また)或(あ)る者(もの)出(い)でて申(まう)しけるは、「さ候(さうら)はば、関東(くわんとう)へ人(ひと)を参(まゐ)らせて、左右(さう)を承り候(さうら)はん程(ほど)、是(これ)に留(とど)め奉(たてまつ)り候(さうら)はん」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)、「是(これ)は金剛童子(こんがうどうじ)の御計(おんはからひ)にてこそ。関東(くわんとう)の御使(おんつかひ)上下の程(ほど)、関屋(せきや)の兵糧米(ひやうらうまい)にて道(だう)せん食(く)はで、御祈祷(きたう)申(まう)して、心(こころ)安(やす)く暫(しばら)く休(やす)みて下(くだ)さるべし」とて、ちつとも騒(さわ)がず十挺(じつちやう)の笈(おひ)は関屋(せきや)の内へ取(と)り入(い)れて、十余人(よにん)の人々(ひとびと)、むらむらと内(うち)へ入(い)りて、つつとしてぞ居(ゐ)たる。猶(なほ)も関守(せきもり)怪(あや)しく思(おも)ひけり。弁慶(べんけい)関守(せきもり)に向(むか)つて問(と)はず語(がた)りをぞし居(ゐ)たる。「此(こ)の少人(せうじん)は出羽国(ではのくに)の酒田(さかた)の次郎(じらう)殿(どの)と申(まう)す人の君達(きんだち)、羽黒山(はぐろさん)にて金王(こんわう)殿(どの)と申(まう)す少人(せうじん)なり。熊野(くまの)にて年籠(ごも)りして、都(みやこ)にて日数(ひかず)を経(へ)て、北陸道(ほくろくだう)の雪(ゆき)消(き)えて、山家(やまが)山家(やまが)に伝(つた)ひて、粟(あは)の斎料(ときりやう)など尋(たづ)ねて、斎食(さいじき)などなりとも取(と)りて下(くだ)るべく候(さうら)ひつるに、余(あま)りに此(こ)の少人(せうじん)故郷(ふるさと)の事(こと)をのみ仰(おほ)せられ候(さうら)ふ間(あひだ)、未(いま)だ雪も消(き)え候(さうら)はねども、此(こ)の道(みち)に思(おも)ひ立(た)ち候(さうら)ひて、如何(いかが)せんずると歎(なげ)き候(さうら)ひつるに、是(これ)にて暫(しばらく)日数(ひかず)を経(へ)候(さうら)はん事こそ嬉(うれ)しく候(さうら)へ」と物語(ものがたり)共(ども)して、草鞋(わらんず)脱(ぬ)ぎ足(あし)洗(あら)ひ、思(おも)ひ思(おも)ひに寝(ね)ぬ起(お)きぬなど、したり顔(かほ)に振舞(ふるま)ひければ、関守(せきもり)共(ども)、「是(これ)は判官(はうぐわん)にては御座(おは)せぬげなり。只(ただ)通(とほ)せや」とて、関(せき)の戸を開(ひら)きたれ共(ども)、急(いそ)がぬ
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体(てい)にて一度には出(い)でずして、一人二人(ふたり)づつ、静(しづ)かに立(た)ち休(やす)らひ立(た)ち休(やす)らひぞ出(い)で給(たま)ふ。常陸坊(ひたちばう)は人より先(さき)に出(い)でたりけるが、後(あと)を顧(かへり)みければ、判官(はうぐわん)と武蔵坊(むさしばう)と未(いま)だ関(せき)の縁(えん)にぞ居(ゐ)給(たま)へり。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「関手(せきて)御免(ごめん)候(さうら)ふ上(うへ)、判官(はうぐわん)にてはなしと言(い)ふ仰(おほ)せ蒙(かうぶ)り候(さうら)ひぬ。旁々(かたがた)以(もつ)て悦(よろこ)び入(い)りて候(さうら)へども、此(こ)の二三日少人(せうじん)に物(もの)を参(まゐ)らせ候(さうら)はず候(さうら)へば、心(こころ)苦(ぐる)しく候(さうら)ふ。関屋(せきや)の兵糧米(ひやうらうまい)少(すこ)し賜(たま)はり候(さうら)ひて、少人(せうじん)に参(まゐ)らせて、通(とほ)り候(さうら)はばや。且(かつう)は御祈祷(ごきたう)、且(かつう)は御情(なさけ)にてこそ候(さうら)へ」と言(い)ひければ、関守(せきもり)共(ども)、「物(もの)も覚(おぼ)えぬ山伏(やまぶし)かな。判官(はうぐわん)かと申(まう)せば、口強(くちごは)に返事(へんじ)し給(たま)ふ。又(また)斎料(ときりやう)乞(こ)ひ給(たま)ふ事(こと)は如何(いかが)」と申(まう)しければ、賢(さか)しき者(もの)、「実(まこと)は御祈祷(ごきたう)にてこそあれ。それ参(まゐ)らせよ」と言(い)ひければ、唐櫃(からひつ)の蓋(ふた)に白米(はくまい)一蓋(ひとふた)入(い)れて参(まゐ)らせける。弁慶(べんけい)是(これ)を取(と)りて、「大和坊(やまとばう)、是(これ)を取(と)れ」と言(い)ひければ、傍(かたは)らより
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差(さ)し出(い)でて、受(う)け取(と)り給(たま)ひけり。弁慶(べんけい)長押(なげし)の上(うへ)につい居(ゐ)て、腰(こし)なる法螺(ほら)の貝(かひ)取(と)り出(い)だし、夥(おびたた)しく吹(ふ)き鳴(な)らし、首(くび)に懸(か)けたる大苛高(いらたか)の数珠(じゆず)取(と)つて押(お)し揉(も)みて、尊(たつと)げにぞ祈(いの)りける。「日本第一(だいいち)大霊(だいりやう)権現(ごんげん)、熊野(くまの)は三所(さんじよ)権現(ごんげん)、大嶺(おほみね)八大(はつだい)金剛童子(こんがうどうじ)、葛城(かづらぎ)は十万の満山(まんざん)の護法神(ごほふじん)、奈良(なら)は七堂(しちだう)の大伽藍(だいがらん)、初瀬(はせ)は十一面観音(じふいちめんくわんおん)、稲荷(いなり)、祇園(ぎをん)、住吉(すみよし)、賀茂(かも)、春日(かすが)大明神(だいみやうじん)、比叡(ひえい)山王(さんわう)七社(しちしや)の宮(みや)、願(ねが)はくは判官(はうぐわん)此(こ)の道(みち)にかけ参(まゐ)らせて愛発(あらち)の関守(せきもり)の手(て)にかけて留(とど)めさせ奉(たてまつ)り、名を後代に揚(あ)げて、勲功(くんこう)たいくわいならば、羽黒山(はぐろさん)の讚岐坊(さぬきばう)が験徳(けんとく)の程(ほど)を見(み)せ給(たま)へ」とぞ祈(いの)りける。関守(せきもり)共(ども)頼(たの)もしげにぞ思(おも)ひける。心中(しんちゆう)には「八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)願(ねが)はくは送護法(おくりこう)迎護法(むかひこう)となりて、奥州(あうしう)まで相違(さうゐ)無(な)く届(とど)け奉(たてまつ)り給(たま)へ」と祈(いの)りける心(こころ)こそ哀れなる祈(いの)りとは覚(おぼ)ゆれ。夢(ゆめ)に道(みち)行(ゆ)く心地(ここち)して、愛発(あらち)の関(せき)をも通(とほ)り給(たま)ふ。其(そ)の日は敦賀(つるが)の津(つ)に下(くだ)りて、せいたい菩薩(ぼさつ)の御前(おまへ)にて一夜(いちや)御通夜(おんつや)有(あ)りて、出羽(では)へ下(くだ)る舟(ふね)を尋(たづ)ね給(たま)へども、未(いま)だ二月の初(はじ)めの事(こと)なれば、風はげしくて、行(ゆ)き通(かよ)ふ舟(ふね)も無(な)かりけり。力(ちから)及(およ)ばず夜を明(あ)かして、木芽(きのめ)と言(い)ふ山(やま)を越(こ)えて、日数(ひかず)も経(ふ)れば越前(ゑちぜん)の国(くに)の国府(こふ)にぞ著(つ)き給(たま)ふ。それにて三日御逗留(ごとうりう)有(あ)りけり。
平泉寺(へいせんじ)御見物(ごけんぶつ)の事(こと) S0705
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「横道(わうだう)なれども、いざや当国(たうごく)に聞(き)こえたる平泉寺(へいせんじ)を拝(おが)まん」と仰(おほ)せける。各々(おのおの)心得(こころえ)ず思(おも)ひけれ共(ども)、仰(おほ)せなればさらばとて、平泉寺(へいせんじ)へぞかかられける。其(そ)の日は雨降(ふ)り、風(かぜ)吹(ふ)きて世間(せけん)もいとど物(もの)憂(う)く、夢(ゆめ)に道(みち)行(ゆ)く心地(ここち)して、平泉寺(へいせんじ)の観音堂(くわんおんだう)にぞ著(つ)き給(たま)ふ。大衆(だいしゆ)共(ども)是(これ)を聞(き)きて、長吏(ちやうり)の許(もと)へぞ告(つ)げたりける。政所(まんどころ)の勢を催(もよほ)して、寺中(じちゆう)と一(ひと)つになりて、僉議(せんぎ)しけるは、「当時(たうじ)関東(くわんとう)は山伏(やまぶし)禁制(きんぜい)にて候(さうら)ふに、此(こ)の山伏(やまぶし)は只人(ただひと)とも見(み)えず、判官(はうぐわん)は大津(おほつ)坂本(さかもと)愛発(あらち)の山(やま)をも通(とほ)られて候(さうら)ふなる。寄(よ)せて見(み)ばや、如何様(いかさま)にも是(これ)を判官(はうぐわん)にて御座(おは)すると覚(おぼ)え候(さうら)ふ」と僉議(せんぎ)す。尤(もつと)もとて大衆(だいしゆ)出(い)で発(た)つ。彼(か)の平泉寺(へいせんじ)と申(まう)すは山門(さんもん)の末寺(まつじ)なり。然(さ)れば衆徒(しゆと)の規則(きそく)も山上に劣(おと)らず、大衆(だいしゆ)二百人、政所(まんどころ)の勢も百人、直兜(ひたかぶと)にて夜半(やはん)ばかりに観音堂(くわんおんだう)にぞ押(お)し懸(か)けたる。十余人(よにん)は東(ひがし)の廊下(らうか)にぞ居(ゐ)たりける。判官(はうぐわん)と北(きた)の方(かた)は西(にし)の廊下(らうか)にぞ御座(おは)したる。弁慶(べんけい)参(まゐ)りて、「今(いま)はこそと覚(おぼ)え候(さうら)ふ。是(これ)は余(よ)の所(ところ)には似(に)るべくも候(さうら)はず。如何(いかが)御計(はか)らひ候(さうら)ふ。さりながら叶(かな)はざるまでは、弁慶(べんけい)陳(ちん)じて見(み)候(さうら)はん間(あひだ)、叶(かな)ふまじげに候(さうら)はば、太刀(たち)を抜(ぬ)き、「憎(にく)い奴原(やつばら)」など申(まう)して飛(と)んで下(お)り候(さうら)はば、君(きみ)は御自害(ごじがい)候(さうら)へ」とぞ申(まう)して出(い)でける。大衆(だいしゆ)に問答(もんだふ)の間(あひだ)、「憎(にく)い奴原(やつばら)」と言(い)ふ声(こゑ)やすると耳(みみ)を立(た)ててぞ聞(き)き給(たま)ふ。心(こころ)細(ほそ)くぞ有(あ)りける。衆徒(しゆと)申(まう)しけるは、「抑(そもそも)是(これ)は何処山伏(どこやまぶし)にて候(さうら)ふぞ。打(う)ち任(まか)せて
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は留(とど)まらぬ所にて候(さうら)ふぞ」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「出羽(では)の国(くに)羽黒山(はぐろさん)の山伏(やまぶし)にて候(さうら)ふ」「羽黒(はぐろ)には誰と申(まう)す人ぞ」「大黒堂(だいこくだう)の別当(べつたう)に讚岐(さぬき)の阿闍梨(あじやり)と申(まう)す者(もの)にて候(さうら)ふ」と答(こた)へけり。「少人(せうじん)をば誰(たれ)と申(まう)すぞ」「酒田(さかた)の次郎(じらう)殿(どの)と申(まう)す人の御子息(しそく)金王殿(こんわうどの)とて、羽黒山(はぐろさん)にはかくれ無(な)き少人(せうじん)にて候(さうら)ふぞ」と言(い)ひければ、衆徒(しゆと)是(これ)を聞(き)きて、「此(こ)の者(もの)共(ども)は判官(はうぐわん)にては無(な)き者(もの)ぞ。判官(はうぐわん)にて御座(おは)しまさんには、争(いかで)か是(これ)程(ほど)に羽黒(はぐろ)の案内(あんない)をば知(し)り給(たま)ふべき。金王(こんわう)と申(まう)すは、羽黒(はぐろ)には名誉(めいよ)の児(ちご)にて候(さうら)ふなるぞ」。長吏(ちやうり)事(こと)を聞(き)きて、座敷(ざしき)に居(ゐ)直(なほ)りて、武蔵坊(むさしばう)を呼(よ)びて、「先達(せんだち)の坊(ばう)に申(まう)すべき事(こと)候(さうら)ふ」と言(い)へば、弁慶(べんけい)も長吏(ちやうり)に膝(ひざ)を組(く)みかけてぞ居(ゐ)たりける。長吏(ちやうり)申(まう)されけるは、「少人(せうじん)の事(こと)承(うけたまは)り候(さうら)ふこそ心(こころ)も言葉(ことば)も及(およ)ばず御座(おは)しまし候(さうら)ふなれ。学問(がくもん)の精(せい)は如何様(いかやう)に御座(おは)しまし候(さうら)ふぞ」と言(い)ひければ、「学問(がくもん)に於(おい)ては羽黒(はぐろ)には並(ならび)も御座(おは)しまし候(さうら)はず。申(まう)すに付(つ)けても、過言(くわごん)にて候(さうら)へ共(ども)、容顔(ようがん)に於(おい)ては山(やま)三井寺(みゐでら)にも御座(おは)しまし候(さうら)ふべき」と誉(ほ)めたりけり。「学問(がくもん)のみにも候(さうら)はず、横笛(やうでう)に於(おい)ては日本一(につぽんいち)とも申(まう)すべし」と言(い)ひければ、長吏(ちやうり)の弟子に和泉(いづみ)美作(みまさか)と申(まう)しける法師(ほふし)は極(きは)めて案(あん)深(ふか)き寺中(じちゆう)一(いち)のえせ者(もの)なり。長吏(ちやうり)に申(まう)しけるは、「女ならばこそ琵琶(びは)弾(ひ)く事(こと)は常(つね)の事(こと)にて候(さうら)ふ。是(これ)は女ぞと疑(うたが)ふ所(ところ)に、笛(ふえ)の上手(じやうず)と申(まう)すこそ怪(あや)しく候(さうら)へ。げに児(ちご)か笛(ふえ)吹(ふ)かせて見(み)候(さうら)は
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ん」と申(まう)す。長吏(ちやうり)げにもとて、「あはれ、さ候(さうら)はば音(おと)に聞(き)こえさせ給(たま)ふ御笛(ふえ)を承(うけたまは)り候(さうら)ひて、世(よ)の末(すゑ)の物語(ものがたり)にも伝(つた)へ候(さうら)はばや」とぞ申(まう)されける。弁慶(べんけい)是(これ)を聞(き)きて、「安(やす)き事や」と返事(へんじ)はしたれども、両眼(りやうがん)真暗(まつくら)になる様(やう)にぞ覚(おぼ)えける。さてしもあるべき事(こと)ならねば、其(そ)の様(やう)を少人(せうじん)に申(まう)し候(さうら)はんとて、西(にし)の廊下(らうか)に参りて、「かかる事こそ候(さうら)はね。有(あ)りても有(あ)らぬ事(こと)を申(まう)して候(さうら)ふ程(ほど)に、御笛(ふえ)を遊(あそ)ばさせ参(まゐ)らせて、承(うけたまは)るべき由(よし)申(まう)し候(さうら)ふ。如何(いかが)仕(つかまつ)るべく候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「さりとては吹(ふ)かずとも出(い)で給(たま)へ」と判官(はうぐわん)仰(おほ)せられければ、「あら心(こころ)憂(う)や」とて、衣(きぬ)引(ひ)き被(かづ)き臥(ふ)し給(たま)ふ。衆徒(しゆと)は頻(しき)りに「少人(せうじん)の御出(おい)で遅(おそ)く候(さうら)ふ」と申(まう)せば、弁慶(べんけい)「只今(ただいま)只今(ただいま)」と答(こた)へて居(ゐ)たりけり。和泉(いづみ)と申(まう)す法師(ほふし)言(い)ひけるは、「流石(さすが)に我(わ)が朝(てう)には熊野(くまの)羽黒(はぐろ)とて、大所にて候(さうら)ふぞかし。それに左右(さう)無(な)く名誉(めいよ)の児(ちご)を平泉寺(へいせんじ)にて呼(よ)び出(い)だして、散々(さんざん)に嘲哢(てうろう)したりけると聞(き)こえん事、此(こ)の寺(てら)の恥(はぢ)に有(あ)らずや。少人(せうじん)を出(い)だし奉(たてまつ)りもてなす様(やう)にて、其(そ)の序(つい)でに吹(ふ)かせたらんは苦(くる)しからじ」と申(まう)しければ、「尤(もつと)も然(しか)るべし」とて、長吏(ちやうり)の許(もと)に念一(ねんいち)、弥陀王(みだわう)とて名誉(めいよ)の児(ちご)有(あ)り。花(はな)折(を)りて出(い)で立(た)たせ、若(わか)大衆(だいしゆ)の肩頚(かたくび)に乗(の)りてぞ来(き)たりける。正面(しやうめん)の座敷(ざしき)長吏(ちやうり)、東(ひがし)は政所(まんどころ)、西は山伏(やまぶし)、本尊(ほんぞん)を後(うし)ろにし奉(たてまつ)りて、仏壇(ぶつだん)の際(きは)に南(みなみ)へ向(む)けて、少人(せうじん)
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の座敷(ざしき)をぞしたりける。二人(ふたり)の児(ちご)座敷(ざしき)に直(なほ)りければ、弁慶(べんけい)参(まゐ)りて「御出(おいで)候(さうら)へ」と申(まう)しければ、北(きた)の方(かた)只(ただ)暗(やみ)に迷(まよ)ひたる心地(ここち)して出(い)で立(た)ち給(たま)ふ。昨日(きのふ)の雨(あめ)にしほれたる顕紋紗(けんもんじや)の直垂(ひたたれ)に下(した)には白なへ色(いろ)を召(め)したりければ、猶(なほ)も美(うつく)しくぞ見(み)え給(たま)ひける。御髪(みぐし)尋常(じんじやう)に結(ゆ)ひなして、赤木(あかぎ)の柄(つか)の刀(かたな)に彩(だ)みたる扇(あふぎ)差(さ)し添(そ)へて、御手(て)に横笛(やうでう)持(も)ちて御出(おい)である。御伴(おんとも)には十郎(じふらう)権頭(ごんのかみ)、片岡(かたをか)、伊勢(いせ)の三郎、判官(はうぐわん)殿(どの)は殊(こと)に近(ちか)くぞ御座(おは)しける。自然(しぜん)の事(こと)有(あ)らば、人手(ひとで)には掛(か)くまじきものをとぞ思(おぼ)し召(め)しける。正面(しやうめん)に出(い)で給(たま)へば、殊(こと)に其(そ)の時(とき)は燈火(ともしび)を高(たか)く挑(かか)げたり。北(きた)の方(かた)扇(あふぎ)取(と)り直(なほ)し、衣紋(えもん)掻(か)き繕(つくろ)ひ、座敷(ざしき)に直(なほ)り給(たま)ふ。今(いま)までは頑(かたくな)はしき所(ところ)も御座(おは)しまさず。武蔵坊(むさしばう)心(こころ)安(やす)く思(おも)ひけり。何(なに)ともあれ、仕(し)損(そん)ずる程(ほど)ならば、差(さ)し違(ちが)へてこそ如何(いか)にもならめと思(おも)ひければ、長吏(ちやうり)に膝(ひざ)をきしりてぞ居(ゐ)たりける。弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「詞(ことば)候(さうら)はぬ事、笛(ふえ)に於(おい)ては日本一(につぽんいち)ぞかし。但(ただ)し仔細(しさい)一(ひと)つ候(さうら)ふ。此(こ)の少人(せうじん)羽黒(はぐろ)に御座(おは)しまし候(さうら)ふ時(とき)も明暮(あけくれ)笛(ふえ)に心(こころ)を入(い)れて、学問(がくもん)の御(おん)心(こころ)も空々(そらそら)に御渡(おんわた)り候(さうら)ひし程(ほど)に、去年(きよねん)の八月に羽黒(はぐろ)を出(い)でし時、師の御坊(ごばう)、今度(こんど)の道中上下向(しやうけかう)の間(あひだ)、笛(ふえ)を吹(ふ)かじと言(い)ふ誓事(せいじ)をなし給(たま)へとて、権現(ごんげん)の御前にて金(かね)を打(う)たせ奉(たてまつ)りて候(さうら)へば、少人(せうじん)の御笛(ふえ)をば御免(ごめん)候(さうら)へかし。是(これ)に大和坊(やまとばう)と申(まう)す山伏(やまぶし)候(さうら)ふが、笛(ふえ)は上手(じやうず)にて候(さうら)ふ。常(つね)に少人(せうじん)も是(これ)にこそ御習(なら)ひ候(さうら)へ。御代官(おだいくわん)に是(これ)
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を参(まゐ)らせ候(さうら)はばや」と申(まう)しければ、長吏(ちやうり)是(これ)を聞(き)きて感(かん)じ申(まう)しけるは、「あはれ人の親の子を思(おも)ふ道有(あ)り。師匠(ししやう)の弟子を思(おも)ふ志(こころざし)是(これ)なり。如何(いか)でか御(おん)いたはしく、それ程(ほど)の御誓(ちかひ)をば是(これ)にて破(やぶ)り参(まゐ)らせ候(さうら)ふべき。疾(と)く疾(と)く御代官(おだいくわん)にても候(さうら)へ」と申(まう)しければ、武蔵坊(むさしばう)余(あま)りの嬉(うれ)しさに腰(こし)を抑(おさ)へ、空(そら)へ向(むか)ひて溜息(ためいき)ついてぞ居(ゐ)たりける。「早々(さうさう)参(まゐ)りて、大和坊(やまとばう)、御代官(おだいくわん)に笛(ふえ)を仕(つかまつ)れ」と言(い)はれて、判官(はうぐわん)仏壇(ぶつだん)の蔭(かげ)のほの暗(くら)き所(ところ)より出(い)で給(たま)ひて、少人(せうじん)の末座(ばつざ)にぞ居(ゐ)給(たま)ひける。大衆(だいしゆ)「さらば管絃(くわんげん)の具足(ぐそく)参(まゐ)らせよ」と申(まう)しければ、長吏(ちやうり)の許(もと)よりくさきのこうの琴(こと)一張(いつちやう)、錦(にしき)の袋(ふくろ)に入(い)れたる琵琶(びは)一面(めん)取(と)り寄(よ)せ、琴(こと)をば御客人(おんまれびと)にとて北(きた)の方(かた)に参(まゐ)らせける。琵琶(びは)をば念一(ねんいち)殿(どの)の前(まへ)に置(お)き、笙(しやう)の笛(ふえ)をば弥陀王(みだわう)殿(どの)の前(まへ)に置(お)き、横笛(やうでう)は判官(はうぐわん)の御前(おまへ)に置(お)き、かくて管絃(くわんげん)一切(ひとき)れ有(あ)りければ、
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面白(おもしろ)しとも言(い)ふも愚(おろ)か也(なり)。只今(ただいま)までは合戦(かつせん)の道(みち)にてあるべかりつるに、如何(いか)なる仏神(ぶつしん)の御納受(ごなふじゆ)にてや、不思議(ふしぎ)にぞ覚(おぼ)えし。衆徒(しゆと)も是(これ)を見(み)て、「あはれ児(ちご)や、あはれ笛(ふえ)の音(ね)や。念一(ねんいち)、弥陀王殿(みだわうどの)をこそ、良(よ)き児(ちご)と有(あ)り難(がた)く思(おも)ひつるに、今(いま)此(こ)の児(ちご)と見(み)比(くら)ぶれば、同(おな)じ口(くち)にも言(い)ふべくもなし」などと若(わか)大衆(だいしゆ)共(ども)口々(くちぐち)にぞささやきける。長吏(ちやうり)寺中(じちゆう)に帰(かへ)りけり。小夜(さよ)更(ふ)けて長吏(ちやうり)の本より様々(やうやう)に菓子(くわし)積(つ)みなどして、瓶子(へいじ)添(そ)へて、観音堂(くわんおんだう)に送(おく)りけり。皆人(みなひと)疲(つか)れにのぞみつ。「いざや酒(さけ)飲(の)まん」ととりどりに申(まう)しけるを、武蔵坊(むさしばう)、「あはれ詮(せん)無(な)き殿原(とのばら)かな。欲(ほ)しさの儘(まま)に誰も飲(の)まんずる程(ほど)に、程(ほど)無(な)く酒気(さかけ)には本性(ほんしやう)を正(ただ)すものなれば、しばらく「少人(せうじん)に参(まゐ)らせよ」「先達(せんだち)の御坊(ごばう)、京(きやう)の君(きみ)」などと言(い)ふとも、後(のち)は味気(あぢき)無(な)き娑婆(しやば)世界(せかい)の習(なら)ひ、「北(きた)の方(かた)に今(いま)一(ひと)つ申(まう)せ」「熊井(くまゐ)や片岡(かたをか)に思(おも)ひざしせん」「伊勢(いせ)の三郎持(も)ちて来(こ)よ」「いで飲(の)まん弁慶(べんけい)」などと言(い)はん程(ほど)に、焼野(やけの)の雉子(きぎす)の頭(かしら)を隠(かく)して、尾(を)を出(い)だしたる様(やう)なるべし」「酒(さけ)は上下向(しやうけかう)の間(あひだ)断酒(だんじゆ)にて候(さうら)ふ」とて、長吏(ちやうり)の許(もと)へぞ返(かへ)しける。「希有(けう)なる山伏(やまぶし)達(たち)にて有(あ)りけるよ」とて、急(いそ)ぎ僧膳(そうぜん)仕立(した)て、御堂(みだう)へ送(おく)りけり。各々(おのおの)僧膳(そうぜん)したためて、夜も曙(あけぼの)になりければ、今夜の懺法(せんぽふ)をぞ読(よ)みける。伊勢(いせ)の三郎を使(つかひ)にて、長吏(ちやうり)に暇(いとま)をぞ乞(こ)はれける。心(こころ)ある大衆(だいしゆ)達(たち)、徒歩(かち)にてむらむら消(き)え残(のこ)る雪(ゆき)を踏(ふ)み分(わ)けて、二三町(にさんちやう)ぞ送(おく)りける。恐(おそ)ろしく
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思(おも)はれし平泉寺(へいせんじ)をも、鰐(わに)の口(くち)を逃(のが)れたる心地(ここち)して、足早(あしばや)に通(とほ)られける。かくて菅生(すかう)の宮(みや)を拝(おが)みて、金津(かなづ)の上野(うはの)へ著(つ)き給(たま)ふ。唐櫃(からひつ)数多(あまた)舁(か)かせて、引馬(ひきうま)其(そ)の数有(あ)り。ゆゆしげなる大名(だいみやう)五十騎ばかりにぞ逢(あ)ふたりける。「是(これ)は如何(いか)なる人ぞ」と問(と)ひければ、「加賀(かが)の国(くに)井上(ゐのうへ)左衛門(さゑもん)と申(まう)す人なり。愛発関(あらちのせき)へ行(ゆ)くぞ」と申(まう)しける。判官(はうぐわん)是(これ)を聞(き)き給(たま)ひ、「あはれ遁(のが)れんとすれども遁(のが)れぬものかな。今(いま)はかくぞ」と宣(のたま)ひて、刀(かたな)の柄(つか)に手(て)を打(う)ち掛(か)け給(たま)ひて、北(きた)の方(かた)の後(うし)ろに後(うし)ろを差(さ)し合(あ)はせて、笠(かさ)の端(は)にて顔(かほ)を隠(かく)して通(とほ)さんとし給(たま)ふ所(ところ)に、折節(をりふし)風(かぜ)烈(はげ)しく吹(ふ)きたりけり。笠(かさ)の端(は)を吹(ふ)き上(あ)げたりければ、井上(ゐのうへ)一目(ひとめ)見(み)参(まゐ)らせて、判官(はうぐわん)と御目を見(み)合(あ)はせ奉(たてまつ)り、馬(うま)より飛(と)んで下(お)り、大道(だいだう)に畏(かしこ)まつて申(まう)しけるは、「かかる事こそ候(さうら)はね。途中(とちゆう)にて参(まゐ)り合(あ)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)ふこそ無念(むねん)に存(ぞん)じ候(さうら)へ、候(さぶら)ふ所(ところ)は井上(ゐのうへ)と申(まう)して、程遠(とほ)き所(ところ)にて候(さうら)ふ間(あひだ)、彼方(あなた)へとも申(まう)さず候(さうら)ふ。山伏(やまぶし)の色代(しきだい)は恐(おそ)れにて候(さうら)ふ。疾(と)く疾(と)く」と申(まう)して、我(わ)が身馬(うま)引(ひ)き寄(よ)せて、左右(さう)無(な)くも乗(の)らず、遙(はる)かに見(み)送(おく)り奉(たてまつ)り、御(おん)後(うし)ろ遠(とほ)ざかる程(ほど)にもなりぬれば、各々(おのおの)馬(うま)にぞ乗(の)りたりける。判官(はうぐわん)は余(あま)りの事(こと)に行(ゆ)きもやり給(たま)はず、しきりに見(み)顧(かへ)り給(たま)ひつつ、「七代まで弓矢(ゆみや)の冥加(みやうが)あれ」とぞ、面々(めんめん)に申(まう)しけるぞあはれなる。其(そ)の日は細呂木(ほそろき)と言(い)ふ所(ところ)に井上(ゐのうへ)著(つ)きて、家(いへ)の子郎等(らうどう)共(ども)を呼(よ)びて申(まう)しけるは、「今日(けふ)行(ゆ)き合(あ)ひ
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参(まゐ)らする山伏(やまぶし)をば誰(たれ)とか見(み)奉(たてまつ)る。是(これ)こそ鎌倉(かまくら)殿(どの)の御弟(おとと)判官(はうぐわん)殿(どの)よ。あはれ日頃(ひごろ)の様(やう)におはさんには、国の騒動(さうどう)、道路の大事(だいじ)とこそなるべきに、此(こ)の御有様(おんありさま)になり給(たま)へる御事(おんこと)のいとほしさよ。討(う)ち奉(たてまつ)りたらば、千年万年過(す)ぐべきか。余(あま)りの痛(いた)はしさに難(なん)無(な)く通(とほ)し奉(たてまつ)りてこそ」と言(い)ひければ、家(いへ)の子郎等(らうどう)共(ども)是(これ)を聞(き)きて、井上(ゐのうへ)の心(こころ)の中(うち)、あはれ情(なさけ)も慈悲(じひ)も深(ふか)かりける人やと頼(たの)もしくぞ覚(おぼ)えける。判官(はうぐわん)其(そ)の日篠原(しのはら)に泊(とま)り給(たま)ひけり。明(あ)けければ、斉藤(さいとう)別当(べつたう)実盛(さねもり)が手塚(てづか)の太郎光盛(みつもり)に討(う)たれけるあいの池(いけ)を見(み)て、安宅(あだか)の渡(わた)りを越(こ)えて、根上(ねあがり)の松(まつ)に著(つ)き給(たま)ふ。是(これ)は白山(しらやま)の権現(ごんげん)に法施(ほつせ)を手向(たむ)くる所(ところ)なり。いざや白山(しらやま)を拝(おが)まんとて、岩本(いはもと)の十一面観音(じふいちめんくわんおん)に御通夜(おんつや)有(あ)り。明(あ)くれば白山(しらやま)に参(まゐ)りて、女体后(によたいこう)の宮(みや)を拝(おが)み参(まゐ)らせて、其(そ)の日は剣(つるぎ)の権現(ごんげん)の御前(おまへ)に参(まゐ)り給(たま)ひて、御通夜(おんつや)有(あ)りて、終夜(よもすがら)御神楽(みかぐら)参(まゐ)らせて、明(あ)くれば林(はやし)の六郎(ろくらう)光明(みつあきら)が背戸(せと)を通(とほ)り給(たま)ひて、加賀(かが)の国(くに)富樫(とがし)と言(い)ふ所(ところ)も近(ちか)くなる。富樫介(とがしのすけ)と申(まう)すは、当国(たうごく)の大名(だいみやう)也(なり)。鎌倉(かまくら)殿(どの)より仰(おほ)せは蒙(かうぶ)らねども、内々(ないない)用心(ようじん)して判官(はうぐわん)を待(ま)ち奉(たてまつ)るとぞ聞(き)こえける。武蔵坊(むさしばう)申(まう)しけるは、「君(きみ)は是(これ)より宮腰(みやのこし)へ渡(わた)らせ御座(おは)しませ、弁慶(べんけい)は富樫(とがし)が館(たち)の様(やう)を見(み)て参(まゐ)り候(さうら)はん」と申(まう)しければ、「偶々(たまたま)有(あ)るとも知(し)られで通(とほ)る道(みち)のあるに、寄(よ)りては何(なに)の詮(せん)ぞ」
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と仰(おほ)せられければ、弁慶(べんけい)申(まう)しけるは、「中々(なかなか)行(ゆ)きてこそよく候(さうら)へ。山伏(やまぶし)大勢(おほぜい)にて通(とほ)ると聞(き)こえ、大勢(おほぜい)にて追(お)ひ掛(か)けられては悪(あ)しく候(さうら)はんずれば、弁慶(べんけい)ばかり罷(まか)り候(さうら)はん」とて、笈(おひ)取(と)つて引(ひ)つ掛(か)けて、只(ただ)一人(ひとり)行(ゆ)きける。富樫(とがし)が城を見(み)れば、三月三日の事(こと)なれば、傍(かたはら)には鞠(まり)小弓の遊(あそ)び、傍(かたはら)には闘鶏(とりあはせ)、又(また)管絃(くわんげん)、酒盛(さかもり)にぞ見(み)えける。酒(さけ)に酔(ゑ)ひたる所(ところ)も有(あ)り。武蔵坊(むさしばう)相違(さうゐ)無(な)く館(たち)の内(うち)に入(い)りて、侍(さぶらひ)の縁(えん)の際(きは)を通(とほ)りて、内(うち)を差(さ)しのぞき見れば、管絃(くわんげん)只今(ただいま)盛(さかり)なり。武蔵坊(むさしばう)大(だい)の声(こゑ)を上(あ)げて、「修行者(しゆぎやうじや)の候(さうら)ふ」と申(まう)しける。管絃(くわんげん)の調子(てうし)も外(そ)れにけり。「御内(みうち)只今(ただいま)機嫌(きげん)悪(あ)しく候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、「上(かみ)つ方(かた)こそ候(さうら)ふとも、御後見(こうけん)の御方(おんかた)にそれ申(まう)して賜(た)び候(さうら)へや」とて、強(し)ひて近(ちか)くぞ寄(よ)りたりける。仲間(ちゆうげん)雑色(ざふしき)二三人出(い)でて、「罷(まか)り出(い)でられ候(さうら)へ」と言(い)ひけれ共(ども)、聞(き)きも入(い)れず。「狼籍(らうぜき)なり。さらば掴(つか)んで出(い)だせ」とて、左右(さう)の腕(かひな)に取(と)り付(つ)きて、押(お)せども圧(へ)せども、少(すこ)しも働(はた)らかず。「さらば所(ところ)にな置(お)いそ。放逸(はういつ)に当(あ)たりて出(い)だせ」とて、大勢近(ちか)づきければ、拳(こぶし)を握(にぎ)りて、散々(さんざん)に張(は)りければ、或(ある)いは烏帽子(えぼし)打(う)ち落(おと)され、髻(もとどり)かかへて間所(かんしよ)へ入(い)るも有(あ)り。「此処(ここ)なる法師(ほふし)の狼籍(らうぜき)するぞ」とて騒動(さうどう)す。富樫介(とがしのすけ)も大口(おほくち)に押(お)し入(い)れ烏帽子(えぼし)著(き)て、手鉾(てぼこ)杖(つゑ)に突(つ)きて、侍(さぶらひ)にぞ出(い)でにける。弁慶(べんけい)是(これ)を見(み)て、「これ御覧(ごらん)ぜられ候(さうら)へ、御内(みうち)の者(もの)共(ども)狼籍(らうぜき)し候(さうら)ふ」とて、やがて縁(えん)にぞ上(あ)がりける。富樫(とがし)これ
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を見(み)て、「如何(いか)なる山伏(やまぶし)ぞ」と言(い)へば、「是(これ)は東大寺(とうだいじ)勧進(くわんじん)の山伏(やまぶし)にて候(さうら)ふ」「如何(いか)に御身(おんみ)一人は御座(おは)するぞ」「同行の山伏(やまぶし)多(おほ)く候(さうら)へども、先様(さきさま)に宮腰(みやのこし)へやり候(さうら)ひぬ。是(これ)は御内(みうち)勧進(くわんじん)の為(ため)に参(まゐ)りて候(さうら)ふ。伯父(をぢ)にて候(さうら)ふ美作(みまさか)の阿闍梨(あじやり)と申(まう)すは、東山道(とうせんだう)を経(へ)て、信濃国(しなののくに)へ下(くだ)り候(さうら)ふ。此(こ)の僧(そう)は讚岐(さぬき)の阿闍梨(あじやり)と申(まう)し候(さうら)ふが、北陸道(ほくろくどう)にかかり、越後(ゑちご)に下(くだ)り候(さうら)ふ。御内(みうち)の勧進(くわんじん)は如何様(いかやう)に候(さうら)ふべき」と申(まう)しければ、富樫(とがし)「よくこそ御出(おいで)候(さうら)へ」とて、加賀(かが)の上品(じやうぼん)五十疋(ごじつぴき)女房(にようばう)の方(かた)より罪障(ざいしやう)懺悔(さんげ)の為(ため)にとて、白袴(しろはかま)一腰(こし)、八花形(はながた)に鋳(い)たる鏡(かがみ)、さては家の子郎等(らうどう)女房(にようばう)達(たち)下女に至(いた)るまで、思(おも)ひ思(おも)ひに勧進(くわんじん)に入(い)り、惣(そう)じて名帳(みやうちやう)につく百五十人、「勧進(くわんじん)の物(もの)は、只今(ただいま)賜(たま)はるべく候(さうら)へども、来月中旬(ちゆうじゆん)に上(のぼ)り候(さうら)はんずれば、其(そ)の時賜(たま)はり候(さうら)はん」とて、預(あづ)け置(お)きてぞ出(い)でにける。馬(うま)に乗(の)せられて、宮腰(みやのこし)まで送(おく)られけり。行(ゆ)きて判官(はうぐわん)を尋(たづ)ね奉(たてまつ)れども見(み)え給(たま)はず。それより大野(おほの)の湊(みなと)にて参(まゐ)り逢(あ)ひけり。「如何(いか)に今(いま)まで久しく、如何(いか)に」と仰(おほ)せられければ、「様々(さまざま)にもてなされて、経(きやう)を誦(よ)みなどして、馬(うま)にて是(これ)まで送(おく)られて候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、武蔵(むさし)を人々(ひとびと)上(あ)げつ、下(おろ)しつ、守(まぼ)りける。其(そ)の日は竹橋(たけのはし)に泊(とま)り給(たま)ひて、明(あ)くれば倶利伽羅山(くりからやま)を越(こ)えて、馳籠(はせこみ)が谷(たに)を見(み)給(たま)ひて、是(これ)は平家(へいけ)の多(おほ)く亡(ほろ)びし所(ところ)にてあるなるにとて、各々(おのおの)阿弥陀経(あみだきやう)を読(よ)み、念仏(ねんぶつ)申(まう)し、彼(か)の亡魂(ばうこん)を弔(とぶら)ひてぞ通(とほ)られける。兎角(とかく)
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し給(たま)ふ程(ほど)に、夕日(ゆふひ)西へかかりて、黄昏時(たそがれどき)にもなりぬれば、松永(まつなが)の八幡(はちまん)の御前(おまへ)にして、夜を明(あ)かし給(たま)ひけり。
如意(によい)の渡(わたり)にて義経(よしつね)を弁慶(べんけい)打(う)ち奉(たてまつ)る事 S0706
夜も明(あ)けければ、如意(によい)の城を船(ふね)に召(め)して、渡(わたり)をせんとし給(たま)ふに、渡守(わたしもり)をば平(へい)権守(ごんのかみ)とぞ申(まう)しける。彼(かれ)が申(まう)しけるは、「暫(しばら)く申(まう)すべき事(こと)候(さうら)ふ。是(これ)は越中(ゑつちゆう)の守護(しゆご)近(ちか)き所(ところ)にて候(さうら)へば、予(かね)て仰(おほ)せ蒙(かうぶ)りて候(さうら)ひし間(あひだ)、山伏(やまぶし)五人三人は言(い)ふに及(およ)ばず、十人にならば、所(ところ)へ仔細(しさい)を申(まう)さで、渡(わた)したらんは僻事(ひがごと)ぞと仰(おほ)せ付(つ)けられて候(さうら)ふ。既(すで)に十七八人御渡(おんわた)り候(さうら)へば、怪(あや)しく思(おも)ひ参(まゐ)らせ候(さうら)ふ。守護(しゆご)へ其(そ)の様(やう)を申(まう)し候(さうら)ひて渡(わた)し参(まゐ)らせん」と申(まう)しければ、武蔵坊(むさしばう)是(これ)を聞(き)きて、妬(ねた)げに思(おも)ひて、「や殿(との)、さりとも此(こ)の北陸道(ほくろくだう)に羽黒(はぐろ)の讚岐(さぬき)見(み)知(し)らぬ者(もの)やあるべき」と申(まう)しければ、中乗(なかのり)に乗(の)つたる男(をとこ)、弁慶(べんけい)をつくづくと見(み)て、「実(げ)に実(げ)に見(み)参(まゐ)らせたる様(やう)に候(さうら)ふ。一昨年(をととし)も一昨々年(さをととし)も、上下向(しやうけかう)毎(ごと)に御幣(へい)とて申(まう)し下(くだ)し賜(たま)はりし御坊(ごばう)や」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)嬉(うれ)しさに、「あ、よく見(み)られたり見(み)られたり」とぞ申(まう)しける。権守(ごんのかみ)申(まう)しけるは、「小賢(こざか)しき男(をとこ)の言(い)ひ様(やう)かな。見(み)知(し)り奉(たてまつ)りたらば、
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和男(わをとこ)が計(はか)らひに渡(わた)し奉(たてまつ)れ」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)是(これ)を聞(き)きて、「抑(そもそも)此(こ)の中にこそ九郎判官(はうぐわん)よと、名を指(さ)して宣(のたま)へ」と申(まう)しければ、「あの舳(へさき)に村千鳥(むらちどり)の摺(すり)の衣(ころも)召(め)したるこそ怪(あや)しく思(おも)ひ奉(たてまつ)れ」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)「あれは加賀(かが)の白山(しらやま)より連(つ)れたりし御坊(ごばう)なり。あの御坊故(ゆゑ)に所々(ところどころ)にて人々(ひとびと)に怪(あや)しめらるるこそ詮(せん)無(な)けれ」と言(い)ひけれども、返事(へんじ)もせで打(う)ち俯(うつぶ)きて居(ゐ)給(たま)ひたり。弁慶(べんけい)腹立(はらだ)ちたる姿(すがた)になりて、走(はし)り寄(よ)りて舟端(ふなばた)を踏(ふ)まへて、御腕(かひな)を掴(つか)んで肩(かた)に引(ひ)つ懸(か)けて、浜(はま)へ走(はし)り上(あ)がり、砂(いさご)の上(うへ)にがはと投(な)げ棄(す)てて、腰(こし)なる扇(あふぎ)抜(ぬ)き出(い)だし、労(いた)はしげも無(な)く、続(つづ)け打(う)ちに散々(さんざん)にぞ打(う)ちたりける。見(み)る人目もあてられざりけり。北(きた)の方(かた)は余(あま)りの御(おん)心(こころ)憂(う)さに声(こゑ)を立(た)てても悲(かな)しむばかりに思(おぼ)し召(め)しけれども、流石(さすが)人目(ひとめ)の繁(しげ)ければ、さらぬ様(やう)にて御座(おは)しけり。平(へい)権守(ごんのかみ)
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是(これ)を見(み)て、「すべて羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)程(ほど)情(なさけ)無(な)き者(もの)は無(な)かりけり。「判官(はうぐわん)にてはなし」と仰(おほ)せらるれば、さてこそ候(さうら)はんずるに、あれ程(ほど)痛(いた)はしく情(なさけ)無(な)く打(う)ち給(たま)へるこそ心(こころ)憂(う)けれ。詮(せん)ずる所(ところ)、是(これ)は某(それがし)が打(う)ち参(まゐ)らせたる杖(つゑ)にてこそ候(さうら)へ。かかる御労(おんいた)はしき事こそ候(さうら)はね。是(これ)に召(め)し候(さうら)へ」とて、船(ふね)を差(さ)し寄(よ)する。■取(かんどり)乗(の)せ奉(たてまつ)りて申(まう)しけるは、「さらばはや船賃(ふなちん)なして越(こ)し給(たま)へ」と言(い)へば、「何時(いつ)の習(なら)ひに羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)の船賃(ふなちん)なしけるぞ」と言(い)ひければ、「日頃(ひごろ)取(と)りたる事(こと)は無(な)けれども、御坊(ごばう)の余(あま)りに放逸(はういつ)に御座(おは)すれば、取(と)りてこそ渡(わた)さんずれ。疾(と)く船賃(ふなちん)なし給(たま)へ」とて船(ふね)を渡(わた)さず。弁慶(べんけい)、「和殿(わどの)斯様(かやう)に我(われ)等(ら)に当(あ)たらば、出羽(では)の国(くに)へ一年二年のうちに来(き)たらぬ事(こと)はよも有(あ)らじ。酒田(さかた)の湊(みなと)は此(こ)の少人(せうじん)の父、酒田(さかた)次郎(じらう)殿(どの)の領(りやう)なり。只今(ただいま)当(あ)たり返(かへ)さんずるものを」とぞ威(おど)しけり。然(さ)れども権守(ごんのかみ)、「何(なに)とも宣(のたま)へ、船賃(ふなちん)取(と)らで、えこそ渡すまじけれ」とて渡(わた)さず。弁慶(べんけい)、「古(いにし)へ取(と)られたる例(れい)は無(な)けれ共(ども)、此(こ)の僻事(ひがごと)したるによつて取(と)らるるなり」とて、「さらばそれ賜(た)び候(さうら)へ」とて、北(きた)の方(かた)の著給(たま)へる帷(かたびら)の尋常(じんじやう)なるを脱(ぬ)がせ奉(たてまつ)りて、渡守(わたしもり)に取(と)らせけり。権守(ごんのかみ)是(これ)を取(と)りて申(まう)しけるは、「法(ほふ)に任(まか)せて取(と)りては候(さうら)へども、あの御坊(ごばう)のいとほしければ参(まゐ)らせん」とて、判官(はうぐわん)殿(どの)にこそ奉(たてまつ)りける。武蔵坊(むさしばう)是(これ)を見(み)て、片岡(かたをか)が袖を控(ひか)へて、「痴(をこ)がましや、只(ただ)あれもそれも同(おな)じ事(こと)ぞ」と囁(ささや)き
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ける。かくて六動寺(ろくだうじ)を越(こ)えて、奈呉(なご)の林(はやし)をさして歩(あゆ)み給(たま)ひける。武蔵(むさし)忘(わす)れんとすれ共(ども)、忘(わす)られず。走(はし)り寄(よ)りて判官(はうぐわん)の御袂(おんたもと)に取(と)り付(つ)きて、声(こゑ)を立(た)てて泣(な)く泣(な)く申(まう)しけるは、「何時(いつ)まで君(きみ)を庇(かば)ひ参(まゐ)らせんとて、現在(げんざい)の主(しゆう)を打(う)ち奉(たてまつ)るぞ。冥顕(みやうけん)の恐(おそれ)も恐(おそ)ろしや。八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)も許(ゆる)し給(たま)へ。浅(あさ)ましき世の中かな」とて、さしも猛(たけ)き弁慶(べんけい)が伏(ふ)し転(ころ)び泣(な)きければ、侍(さぶらひ)共(ども)一(ひと)つ所(ところ)に顔(かほ)を並(なら)べて、消(き)え入(い)る様(やう)に泣(な)き居(ゐ)たり。判官(はうぐわん)「是(これ)も人の為(ため)ならず。斯程(かほど)まで果報(くわほう)拙(つたな)き義経(よしつね)に、斯様(かやう)に志(こころざし)深(ふか)き面々(めんめん)の、行末(ゆくすゑ)までも如何(いかが)と思(おも)へば、涙(なみだ)の零(こぼ)るるぞ」とて、御袖を濡(ぬ)らし給(たま)ふ。各々(おのおの)此(こ)の御言葉(おんことば)を聞(き)きて、猶(なほ)も袂(たもと)を絞(しぼ)りけり。かくする程(ほど)に日も暮(く)れければ、泣(な)く泣(な)く辿(たど)り給(たま)ひけり。やや有(あ)りて北(きた)の方(かた)、「三途(さんづ)の河をわたるこそ、著(き)たる物を剥(は)がるるなれ。少(すこ)しも違(たが)はぬ風情(ふぜい)かな」とて、岩瀬(いはせ)の森(もり)に著(つ)き給(たま)ふ。其(そ)の日は此処(ここ)に泊(とま)り給(たま)ひけり。明(あ)くれば黒部(くろべ)の宿(やど)に少(すこ)し休(やす)ませ給(たま)ひ、黒部(くろべ)四十八箇瀬(しじふはつかせ)の渡(わたり)を越(こ)え、市振(いちふり)、浄土(じやうど)、歌(うた)の脇(わき)、寒原(かんばら)、なかはしと言(い)ふ所(ところ)を通(とほ)りて、岩戸(いはと)の崎(さき)と言(い)ふ所(ところ)に著(つ)きて、海人(あま)の苫屋(とまや)に宿(やど)を借(か)りて、夜と共(とも)に御物語(ものがたり)有(あ)りけるに、浦(うら)の者(もの)共(ども)、搗布(かちめ)と言(い)ふものを潛(かづ)きけるを見(み)給(たま)ひて、北(きた)の方(かた)かくぞ続(つづ)け給(たま)ひける。
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四方(よも)の海(うみ)浪(なみ)の寄(よ)る寄(よ)る来(き)つれどもいまぞ初(はじ)めて憂(う)き目(め)をば見(み)る W018
弁慶(べんけい)是(これ)を聞(き)きて、忌々(いまいま)しくぞ思(おも)ひければ、かくぞ続(つづ)け申(まう)しける。
浦(うら)の道(みち)浪(なみ)の寄(よ)る寄(よ)る来(き)つれども今(いま)ぞ初(はじ)めて良(よ)き目(め)をば見(み)る W019
かくて岩戸(いはと)の崎(さき)をも出(い)で給(たま)ひて、越後(ゑちご)の国(くに)の府(ふ)、直江津(なほえのつ)花園(はなぞの)の観音堂(くわんおんだう)と言(い)ふ所(ところ)に著(つ)き給(たま)ふ。此(こ)の本尊(ほんぞん)と申(まう)すは、八幡(はちまん)殿(どの)安倍(あべ)の貞任(さだたふ)を攻(せ)め給(たま)ひし時(とき)、本国の御祈祷(ごきたう)の為(ため)に直江(なほえ)の次郎(じらう)と申(まう)しける有徳(うとく)の者(もの)に仰(おほ)せ付(つ)けて、三十領(りやう)の鎧(よろひ)を賜(た)びて、建立(こんりう)し給(たま)ひし源氏(げんじ)重代(ぢゆうだい)の御本尊(ほんぞん)なりければ、其(そ)の夜はそれにて夜もすがら御祈念(きねん)有(あ)りけり。
直江(なほえ)の津(つ)にて笈(おひ)探(さが)されし事 S0707
此処(ここ)に越後(ゑちご)の国府(こくふ)の守護(しゆご)鎌倉(かまくら)へ上(のぼ)りてなし。浦(うら)の代官(だいくわん)はらう権守(ごんのかみ)と言(い)ふ者(もの)有(あ)り。山伏(やまぶし)著(つ)き給(たま)ふと聞(き)きて、浦(うら)の者共(ども)を催(もよほ)して、櫓(ろ)櫂(かい)などを乳切木(ちぎりき)材棒(さいぼう)にして、網人(あみびと)共(ども)を先(さき)として、理非(りひ)も弁(わきま)へぬ奴原(やつばら)が二百余人観音堂(くわんおんだう)を押(お)し巻(ま)きたり。折節(をりふし)侍(さぶらひ)共(ども)、方々(はうばう)へ斎料(ときりやう)尋(たづ)ねに行(ゆ)きければ、判官(はうぐわん)只(ただ)一人(ひとり)御座(おは)しける所(ところ)に押(お)し寄(よ)す。直江(なほえ)の御堂(みだう)に騒動(さうどう)する事(こと)聞(き)こえければ、弁慶(べんけい)走(はし)り合(あ)はんと急(いそ)ぐ。判官(はうぐわん)
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問答(もんだふ)し給(たま)ひけるは、昨日(きのふ)までは羽黒(はぐろ)山伏(やまぶし)と宣(のたま)ひしが、今(いま)は羽黒(はぐろ)近(ちか)ければ、引(ひ)き代(か)へて、「熊野(くまの)より羽黒(はぐろ)へ参(まゐ)り候(さうら)ふが、船(ふね)を尋(たづ)ねて是(これ)に候(さうら)ふ。先達(せんだち)の御坊(ごばう)は旦那(だんな)尋(たづ)ねに御座(おは)しまして候(さうら)ふ。是(これ)は御留守(るす)に候(さうら)ふ。何事(なにごと)ぞ」などと問答(もんだふ)し給(たま)ふ所(ところ)に武蔵坊(むさしばう)物(もの)の翔(かけ)りたる様(やう)にてぞ出(い)で来(き)たり申(まう)しけるは、「あの笈(おひ)の中には三十三体(だい)の聖観音(しやうくわんおん)京(きやう)より下(くだ)し参(まゐ)らせ候(さうら)ふが、来月四日の頃(ころ)には御宝殿(ごほうでん)に入(い)れ参(まゐ)らせ候(さうら)はんずるぞ。各々(おのおの)身不浄(ふじやう)なる様(やう)にて、左右(さう)無(な)く近(ちか)づきて権現(ごんげん)の御本地(ほんぢ)汚(けが)し給(たま)ふな。仰(おほ)せらるべき事(こと)有(あ)らば、外処(よそ)にて仰(おほ)せられ候(さうら)へ。権現(ごんげん)を汚(けが)し参(まゐ)らせ給(たま)ふ程(ほど)ならば、笈(おひ)を滌(すす)がざらんより外(ほか)はあるまじ」と威(おど)しけれ共(ども)、少(すこ)しも用(もち)ゐずして、口々(くちぐち)に罵(ののし)りけり。権守(ごんのかみ)申(まう)しけるは、「判官(はうぐわん)殿(どの)、道々(みちみち)も陳(ちん)じて通(とほ)り給(たま)ふ事、其(そ)の隠(かく)れなし。是(これ)には今程(ほど)守護(しゆご)こそ留守(るす)にて候(さうら)へども、形(かた)の如(ごと)くも此(こ)の尉(じよう)が承(うけたまは)つて候(さうら)ふ間(あひだ)、上(かみ)つ方(がた)まで聞召(きこしめ)し候(さうら)はんずる事(こと)にて候(さうら)ふ間(あひだ)、斯様(かやう)に申(まう)し候(さうら)ふ。さ候(さうら)はば、心(こころ)休(やす)めに笈(おひ)を一挺(いつちやう)賜(たま)はつて見(み)参(まゐ)らせ候(さうら)はん」と申(まう)しければ、「是(これ)は御本尊(ほんぞん)の渡(わた)らせ御座(おは)しまし候(さうら)ふ笈(おひ)を、不浄(ふぢやう)なる者(もの)に左右(さう)無(な)く探(さが)させん事(こと)恐(おそ)れにてはあれども、和殿原(わとのばら)が疑(うたがひ)をなし、好(この)む禍(わざはひ)なれば、罪(つみ)を蒙(かうぶ)らんは汝等(おのれら)次第(しだい)よ。すは見よ」とて手(て)に当(あ)たる笈(おひ)一挺(いつちやう)取(と)つて投(な)げ出(い)だす。何(なに)と無(な)く取(と)りて出(い)だしたるが、判官(はうぐわん)の笈(おひ)にてぞ有(あ)りける。武蔵坊(むさしばう)是(これ)を見(み)て、あはやと思(おも)ひける所(ところ)
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に三十三枚(まい)の櫛(くし)を取(と)り出(い)だして、「是(これ)は如何(いかが)」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)あざ笑(わら)ひて、「えいえい、何(なに)も知(し)り給(たま)はずや、児(ちご)の髪(かみ)をば梳(けづ)らぬか」と言(い)ひければ、権守(ごんのかみ)理(ことわり)と思(おも)ひければ、傍(かたは)らに差(さ)し置(お)きて、唐(から)の鏡(かがみ)取(と)り出(い)だし、「是(これ)は如何(いかが)」と言(い)へば、「児(ちご)を具(ぐ)したる旅(たび)なれば、化粧(けはい)の具足(ぐそく)を持(も)つまじき謂(いは)れが有(あ)らばこそ」と言(い)ひければ、「理(ことわり)」とて八尺(はつしやく)の掛帯(かけおび)、五尺(しやく)の鬘(かつら)、紅(くれなゐ)の袴(はかま)、重(かさね)の衣(きぬ)を取(と)り出(い)だして、「是(これ)は如何(いか)に。児(ちご)の具足(ぐそく)にも是(これ)が要(い)るか」と申(まう)しければ、「法師(ほふし)が伯母(をば)にて候(さうら)ふ者、羽黒(はぐろ)の権現(ごんげん)の惣(そう)の巫(いち)にて候(さうら)ふが、鬘(かつら)袴(はかま)色(いろ)良(よ)き掛帯(かけおび)買(か)うて下(くだ)せ」と申(まう)し候(さうら)ふ程(ほど)に、「今度(こんど)の下(くだ)りに持(も)ちて下(くだ)り、喜(よろこ)ばせんが為(ため)にて候(さうら)ふぞ」と言(い)ひければ、「それはさもさうず」と申(まう)す。「さ候(さうら)はば、今(いま)一挺(いつちやう)の笈(おひ)御出(おいだ)し候(さうら)へ。見(み)候(さうら)はばや」と申(まう)す。「何挺(なんちやう)にてもあれ、心(こころ)に任(まか)す」とて、又
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一挺(いつちやう)投(な)げ出(い)だす。片岡(かたをか)が笈(おひ)にてぞ有(あ)りける。此(こ)の笈(おひ)の中には兜(かぶと)籠手(こて)臑当(すねあて)、柄(え)も無(な)き鉞(まさかり)をぞ入(い)れたりける。兎角(とかく)すれども強(つよ)くからげたり。暗(くら)さは暗(くら)し。解(と)き兼(か)ねてぞ有(あ)りける。弁慶(べんけい)は手(て)を合(あ)はせて、南無(なむ)八幡(はちまん)と祈念(きねん)して、「其(そ)の笈(おひ)には権現(ごんげん)の渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ふぞ。返(かへ)す返(がへ)す不浄(ふぢやう)にして罰(ばち)当(あ)たり給(たま)ふな」と申(まう)しければ、「御正体(みしやうだい)にて渡(わた)らせ給(たま)はば、必(かなら)ず開(あ)けずとも知(し)るべき」とて、笈(おひ)の掛緒(かけを)を取(と)つて引(ひ)き上(あ)げて振(ふ)りたりければ、籠手(こて)臑当(すねあて)鉞(まさかり)がからりひしりと鳴(な)りければ、権守(ごんのかみ)胸(むね)打(う)ち騒(さわ)ぎ、「斯(か)かる事こそ候(さうら)はね。実(げ)に御正体(みしやうだい)にて渡(わた)らせ給(たま)ひ候(さうら)ひけるを」とて、「是(これ)受(う)け取(と)り給(たま)へ」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)、「然(さ)ればこそさしも言(い)ひつる事(こと)を。笈(おひ)滌(すす)がざらんには、左右(さう)無(な)く受(う)け取(と)り給(たま)ふな、御坊(ごばう)達(たち)」と言(い)ひければ、左右(さう)無(な)く人受(う)け取(と)らず。「予(かね)て言(い)はぬ事か、滌(すす)がずは祈(いの)れ。清(きよ)めには物が多(おほ)く要(い)らんずるぞ」と言(い)ひければ、権守(ごんのかみ)、「理(り)を枉(ま)げて、受(う)け取(と)り給(たま)へ」と言(い)へば、「笈(おひ)滌(すす)がずは、権守(ごんのかみ)が許(もと)に御正体(みしやうだい)を振(ふ)り棄(す)て奉(たてまつ)りて、我(われ)等(ら)は羽黒(はぐろ)に参(まゐ)りて、大衆(だいしゆ)を催(もよほ)して、御迎(おんむか)ひに参(まゐ)らんずるなり」と威(おど)されて、寄(よ)せたりける者(もの)も一人一人(ひとりひとり)散(ち)り散(ぢ)りにぞなりける。権守(ごんのかみ)一人は大事(だいじ)になりて、「笈(おひ)を滌(すす)ぎ候(さうら)はんには、幾(いく)ら程(ほど)物(もの)の要(い)り候(さうら)ふぞ」と言(い)ひければ、「権現(ごんげん)も衆生(しゆじやう)利益(りやく)の御慈悲(じひ)なれば、形(かた)の如(ごと)くにてこそ有(あ)らんずれ。先(ま)づ御幣紙(へいかみ)の料(れう)に檀紙(だんじ)百帖(ひやくでう)、白米(はくまい)三石(さんごく)三斗(さんと)、黒米(くろよね)三石(さんごく)三斗(さんと)、白布(しろぬの)
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百反(ひやくたん)、紺(こん)の布(ぬの)百反(ひやくたん)、鷲(わし)の羽(は)百尻(ひやくしり)、黄金(こがね)五十両(りやう)、毛(け)揃(そろ)へたる馬(うま)七疋(ひき)、粗薦(あらこも)百枚、これ敷(し)きて積(つ)みて参(まゐ)らせば、形(かた)の如(ごと)くなりとも、滌(すす)ぎて奉(たてまつ)らん」とぞ申(まう)しける。権守(ごんのかみ)「如何(いか)に思(おも)ひ候(さうら)ふとも極(きは)めて貧(ひん)なる者(もの)にて候(さうら)ふ。叶(かな)ひ難(がた)く候(さうら)へ」とて米(こめ)三石(さんごく)、白布(しろぬの)三十反(たん)、鷲(わし)の羽(は)七尻(しり)、黄金(こがね)十両(りやう)、毛(け)揃(そろ)へたる神馬(じんめ)三疋(さんびき)、「是(これ)より外(ほか)は持(も)ちたるものも候(さうら)はず。然るべく候(さうら)はば、申(まう)し上(あ)げて賜(たま)はり候(さうら)へ」と詫(わ)びければ、「いでさらば権現(ごんげん)の御腹(はら)なぐさめ参(まゐ)らせん」とて兜(かぶと)、籠手(こて)、臑当(すねあて)の入(い)りたる笈(おひ)に向(むか)ひて、何事(なにごと)をか申(まう)し、「むつむつかんかんらんらん蘇波訶(そわか)蘇波訶(そわか)」と申(まう)して、「おんころおんころ般若心経(はんにやしんぎやう)」などぞ祈(いの)りける。笈(おひ)を突(つ)き働(はたら)かして、「権現(ごんげん)に其(そ)の旨(むね)申(まう)し上(あ)げ候(さうら)ひぬ。世の例(ためし)なれば、かくは執(と)り行(おこな)ひ候(さうら)ひぬ。是(これ)等(ら)は御辺(ごへん)の計(はか)らひにて、羽黒(はぐろ)へ届(とど)けて参(まゐ)らせて賜(た)び候(さうら)へ」とて、権守(ごんのかみ)が許(もと)にぞ預(あづ)けける。さて夜も更(ふ)けければ、片岡(かたをか)直江(なほえ)の湊(みなと)へ下(くだ)りて見(み)れば、佐渡(さど)より渡(わた)したりける船(ふね)に、苫(とま)をも葺(ふ)かず主(ぬし)も無(な)く、櫓(ろ)櫂(かい)■(かぢ)なども有(あ)りながら、波(なみ)に引(ひ)かれ揺(ゆ)られゐたり。片岡(かたをか)是(これ)を見(み)て、「あはれ物(もの)やな、此(こ)の船を取(と)つて乗(の)らばや」と思(おも)ひて、観音堂(くわんおんだう)に参(まゐ)りて、弁慶(べんけい)にかくと言(い)ひければ、「いざさらば此(こ)の船(ふね)取(と)りて、今朝(けさ)の嵐(あらし)に出(い)ださん」とて、湊(みなと)に下(くだ)り、十余人(よにん)取(と)り乗(の)りて押(お)し出(い)だす。妙観音(めうくわんおん)の岳(たけ)より
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下(おろ)したる嵐(あらし)に帆(ほ)引(ひ)き掛(か)けて、米山(よなやま)を過(す)ぎて、角田山(かくたやま)を見(み)付(つ)けて、「あれ見(み)給(たま)へや、風(かぜ)は未(いま)だ嵐(あらし)風弱(よわ)くならば、櫓(ろ)を添(そ)へて押(お)せや」とぞ申(まう)しける。青島(あをしま)の北(きた)を見(み)給(たま)へば、白雲(しらくも)の山腰(やまこし)を離(はな)れて、宙(ちう)に吹(ふ)かれて出(い)で来(く)るを、片岡(かたをか)申(まう)しけるは、「国の習(なら)ひは知(し)らず、此(こ)の雲こそ風雲(かざぐも)と覚(おぼ)ゆれ。如何(いかが)すべき」と言(い)ひも果(は)てねば、北風吹(ふ)き来(き)たりて、陸(くが)には砂(いさご)を上(あ)げ、沖(おき)には潮(しほ)を巻(ま)いてぞ吹(ふ)きたりける。蜑(あま)の釣舟(つりぶね)の浮(う)きぬ沈(しづ)みぬを見(み)給(たま)ふにも、「我(わ)が船(ふね)もかくぞ有(あ)らめ」と思(おも)ひ給(たま)ふに、心(こころ)細(ぼそ)くして、遙(はる)かの沖(おき)に漂(ただよ)ひ給(たま)ひけり。「とても叶(かな)ふまじくは、只(ただ)風に任(まか)せよ」とて、御舟(ふね)をば佐渡(さど)の島(しま)へ馳(は)せ付(つ)けて、まほろし加茂潟(かもがた)へ船(ふね)を寄(よ)せんとしけれども、浪(なみ)高(たか)くして寄(よ)せ兼(か)ねて、松(まつ)かげが浦(うら)へ馳(は)せもて行(ゆ)く。それも白山(しらやま)の岳(たけ)より下(おろ)したる風(かぜ)はげしくて、佐渡(さど)の島を離(はな)れて、能登(のと)の国(くに)珠州(すず)が岬(みさき)へぞ向(む)けたりける。さる程(ほど)に日も暮方(くれがた)になりければ、いとど心(こころ)ぞ違(ちが)ひける。御幣(へい)を接(は)いで、笈(おひ)の足(あし)に挟(はさ)みて祈(いの)られけるは、「天(てん)を祭(まつ)る事(こと)はさる事(こと)にて候(さうら)へ、此(こ)の風(かぜ)を和(やは)らげて、今(いま)一度陸(くが)に著(つ)けて、ともかくもなさせ給(たま)へ」とて笈(おひ)の中より白鞘巻(しろさやまき)を取(と)り出(い)だして、「八大龍王(はつだいりゆうわう)に参(まゐ)らせ候(さうら)ふ」とて、海(うみ)へ入(い)れ給(たま)ふ。北(きた)の方(かた)も紅(くれなゐ)の袴(はかま)に唐(から)の鏡(かがみ)取(と)り添(そ)へて、「龍王(りゆうわう)に奉(たてまつ)る」とて海(うみ)に入(い)れさせ給(たま)ひけり。然(さ)れども風(かぜ)は止(や)む事(こと)なし。さる程(ほど)に日も既(すで)に暮(く)れぬれば、黄昏時(たそがれどき)にもなりにけり。いとど
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心(こころ)細(ぼそ)くぞ覚(おぼ)えける。能登国(のとのくに)石動(ゆするぎ)の岳(たけ)より又(また)西風(にしかぜ)吹(ふ)きて船(ふね)を東(ひがし)へぞ向(む)けたりける。あはれ順風(じゆんぷう)やとて、風(かぜ)に任(まか)せて行(ゆ)く程(ほど)に、夜も夜半(やはん)ばかりになれば、風(かぜ)も静(しづ)まり、波(なみ)も和(やは)らぎければ、少(すこ)し人々(ひとびと)心(こころ)安(やす)くて、風(かぜ)をはかりに行(ゆ)く程(ほど)に、暁方(あかつきがた)に其処(そこ)とも知(し)らぬ所に御舟(ふね)を馳(は)せ上(あ)げて、陸(くが)に上(あ)がりて、苫屋(とまや)に立(た)ち寄(よ)りて、「是(これ)をば何処(いづく)と言(い)ふぞ」と問(と)ひければ、「越後(ゑちご)の国(くに)寺泊(てらどまり)」とぞ申(まう)しける。「思(おも)ふ所(ところ)に著(つ)きたるや」と悦(よろこ)びて、其(そ)の夜の中(うち)に国上(くがみ)と言(い)ふ所(ところ)に上(あ)がりて、みくら町(まち)に宿(やど)を借(か)り、明(あ)くれば弥彦(やひこ)の大明神(だいみやうじん)を拝(おが)み奉(たてまつ)りて、九十九里(くじふくり)の浜(はま)にかかりて、蒲原(かんばら)の館(たち)を越(こ)えて、八十八里(はちじふはちり)の浜(はま)などと言(い)ふ所(ところ)を行(ゆ)き過(す)ぎて、荒川(あらかい)の松原(まつばら)、岩船(いはふね)を通(とほ)りて、瀬波(せなみ)と言(い)ふ所(ところ)に左胡■(ひだりやなぐひ)、右靭(みぎうつほ)、せんが桟(かけはし)などと言(い)ふ名所(めいしよ)名所(めいしよ)を通(とほ)り給(たま)ひて、念珠(ねんじゆ)の関守(せきもり)厳(きび)しくて通(とほ)るべき
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様(やう)も無(な)ければ、「如何(いかが)せん」と仰(おほ)せられければ、武蔵坊(むさしばう)申(まう)しけるは、「多(おほ)くの難所(なんじよ)をのがれて、是(これ)まで御座(おは)しましたれば、今(いま)は何事(なにごと)か候(さうら)ふべき。さりながら用心(ようじん)はせめ」とて、判官(はうぐわん)をば下種(げす)山伏(やまぶし)に作(つく)りなし、二挺(ちやう)の笈(おひ)を嵩高(かさだか)に持(も)たせ奉(たてまつ)り、弁慶(べんけい)大(だい)の■(しもと)杖(つゑ)に突(つ)き、「あゆめや法師(ほふし)」とて、しとと打(う)ちて行(ゆ)きければ、関守(せきもり)共(ども)是(これ)を見(み)て、「何事(なにごと)の咎(とが)にて、それ程(ほど)苛(さいな)み給(たま)ふ」と申(まう)しければ弁慶(べんけい)答(こた)へけるは、「是(これ)は熊野(くまの)の山伏(やまぶし)にて候(さうら)ふが、是(これ)に候(さうら)ふ山伏(やまぶし)は、子々(しし)相伝(さうでん)の者(もの)にて候(さうら)ふが、彼奴(きやつ)を失(うしな)ふて候(さうら)ひつるに、此(こ)の程(ほど)見(み)付(つ)けて候(さうら)ふ間(あひだ)、如何(いか)なる咎(とが)をも当(あ)ててくれうず候(さうら)ふ。誰(たれ)か咎(とが)め給(たま)ふべき」とて、いよいよ隙(ひま)無(な)く打(う)ちてぞ通(とほ)りける。関守(せきもり)共(ども)是(これ)を見(み)て、難(なん)無(な)く木戸を開(あ)けて通(とほ)しけり。程(ほど)無(な)く出羽(では)の国(くに)へ入(い)り給(たま)ふ。其(そ)の日ははらかいと言(い)ふ所(ところ)に著(つ)き給(たま)ひて、明(あ)くれば笠取山(かさとりやま)などと言(い)ふ所(ところ)を過(す)ぎ給(たま)ひて、田川郡(たかはのこほり)三瀬(さんぜ)の薬師堂(やくしだう)に著(つ)き給(たま)ふ。是(これ)にて雨(あめ)降(ふ)り、水増(ま)さりければ、二三日御逗留(ごとうりう)有(あ)りけり。此処(ここ)に田川郡(たかはのこほり)の領主(りやうじゆ)田川(たかは)の太郎実房(さねふさ)と言(い)ふ者(もの)有(あ)り。若(わか)かりし時(とき)より数多(あまた)子を持(も)ちたりけるが、皆(みな)先立(さきだ)てて十三になる子一人持(も)ちたりけるが、瘧病(ぎやへい)をして、万事限(かぎ)りになりにけり。羽黒(はぐろ)近(ちか)き所(ところ)なれば、然(しか)るべき山伏(やまぶし)など請(しやう)じて祈(いの)られけれども、其(そ)の験(しるし)もなし。此(こ)の山伏(やまぶし)達(たち)御座(おは)する由(よし)を伝(つた)へ聞(き)きて、郎等(らうどう)共(ども)に申(まう)しけるは、「熊野
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羽黒(はぐろ)とて、何(いづ)れも威光(いくわう)は劣(おと)らせ給(たま)はぬ事(こと)なれども、熊野(くまの)権現(ごんげん)と申(まう)すは、いま一入(ひとしほ)尊(たうと)き御事(おんこと)なれば、行者(ぎやうじや)達(たち)もさこそ御座(おは)すらん。請(う)け奉(たてまつ)りて、験者(げんじや)一座せさせ奉(たてまつ)りて見(み)ばや」とぞ申(まう)しける。妻女(さいぢよ)も子の痛(いた)はしさに、「急(いそ)ぎ御使(おんつかひ)参(まゐ)らせ給(たま)へ」とて、実房(さねふさ)が代官(だいくわん)に大内三郎と言(い)ふ者(もの)を三瀬(さんぜ)の薬師堂(やくしだう)へ参(まゐ)らする。客僧達(きやくそうたち)へ斯(か)くと申(まう)しければ、判官(はうぐわん)仰(おほ)せられけるは、「請用(しやうよう)は得(え)たけれども、我(われ)等(ら)が不浄(ふぢやう)の身にては何(なに)を祈(いの)りても其(そ)の験(しるし)やあるべき。詮(せん)も無(な)からぬもの故(ゆゑ)に、行(ゆ)きても何(なに)かせん」と仰(おほ)せられければ、武蔵坊(むさしばう)申(まう)しけるは、「君(きみ)こそ不浄(ふぢやう)に渡(わた)らせ給(たま)へ。我(われ)等(ら)は都(みやこ)を出(い)でしより、精進(しやうじん)潔斎(けつさい)もよく候(さうら)へば、たとひ験徳(けんとく)の程(ほど)は無(な)く共(とも)、我(われ)等(ら)が祈(いの)り候(さうら)はん景気(けいき)の、恐(おそ)ろしさになどか悪霊(あくりやう)も死霊(しりやう)もあらはれざるべき。偶々(たまたま)の請用(しやうよう)にて候(さうら)ふに、只(ただ)御出(おい)で候(さうら)へかし」と申(まう)して、各々(おのおの)寄(より)合(あ)ひ笑(わら)ひ戯(たはぶ)れ奉(たてまつ)りければ、「是(これ)は秀衡(ひでひら)が知行(ちぎやう)の所にて候(さうら)へば、定(さだ)めて是(これ)も伺候(しこう)の者(もの)にて候(さうら)はめ。何(なに)か苦(くる)しく候(さうら)はん、知(し)らせさせ給(たま)へ」と申(まう)しければ、弁慶(べんけい)聞(き)きて、「あはれや殿(との)、親(おや)の心(こころ)を子知(し)らずとて、人の心(こころ)は知(し)り難(がた)し。自然(しぜん)の事(こと)有(あ)らば、後悔(こうくわい)先(さき)に立(た)つべからず。君(きみ)の御下著(ごげちやく)の後、実房(さねふさ)参(まゐ)らぬ事(こと)は有(あ)らじ。其(そ)の時(とき)の物笑にも知(し)らすべからず」とぞ申(まう)しける。「さて祈手(いのりて)は誰(たれ)をかすべき。護身(ごしん)は君(きみ)、数珠(じゆず)押(お)し揉(も)みて候(さうら)はん為(ため)には、弁慶(べんけい)に過(す)ぎ候(さうら)ふ
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まじ」とて、出(い)で立(た)ち給(たま)ひけり。御供(おんとも)には武蔵坊(むさしばう)、常陸坊(ひたちばう)、片岡(かたをか)、十郎(じふらう)権頭(ごんのかみ)四人田川(たかは)が許(もと)へ入(い)らせ給(たま)ふ。持仏堂(ぢぶつだう)に入(い)れ奉(たてまつ)る。田川(たかは)見参(げんざん)に入(い)り、子をば乳母(めのと)に介錯(かいしやく)せさせて、具(ぐ)してぞ出(い)で来たる。験者(げんじや)始(はじ)め給(たま)ふに、よりまはしに十二三ばかりなる童(わらは)をぞ召(め)されける。判官(はうぐわん)護身(ごしん)し給(たま)へば、弁慶(べんけい)数珠(じゆず)をぞ揉(も)みける。此(こ)の人々(ひとびと)祈(いの)り給(たま)ひける景気(けいき)心中(しんちゆう)の恐(おそ)ろしさにや、口走(くちばし)る。幣帛(へいはく)静(しづ)まりければ、悪霊(あくりやう)も死霊(しりやう)も立(た)ち去(さ)り、病人(びやうにん)即(すなは)ち平癒(へいゆう)す。験者(けんじや)いよいよ尊(たつと)くぞ見(み)え給(たま)ふ。其(そ)の日は止(とど)め奉(たてまつ)りけり。日々に発(お)こりける瘧病(ぎやへい)今(いま)は相違(さうゐ)なし。いとど信心増(ま)さり、喜悦(きえつ)斜(なのめ)ならず、仮初(かりそめ)なれども、権現(ごんげん)の御威光(いくわう)の程(ほど)も思(おも)ひ知(し)られて、尊(たつと)く思(おぼ)し召(め)しけり。御祈(いの)りの布施(ふせ)とて、鹿毛(かげ)なる馬(うま)に黒鞍(くろくら)置(お)きて参(まゐ)らせける。砂金(しやきん)百両(ひやくりやう)、「国の習(なら)ひにて候(さうら)ふ」とて、鷲(わし)の羽(は)百尻(ひやくしり)、残(のこ)る四人の山伏(やまぶし)に小袖(こそで)一重(ひとかさ)ねづつ参(まゐ)らせて、三瀬(さんぜ)の薬師堂(やくしだう)へ送(おく)り奉(たてまつ)る。使(つかひ)帰(かへ)りけるに、「御布施(ふせ)賜(たま)はり候(さうら)ふ事、さる事(こと)に候(さうら)へども、是(これ)も道(たう)の習(なら)ひにて候(さうら)へば、羽黒山(はぐろさん)にしばらく参籠(さんろう)し候(さうら)はんずれば、下向(げかう)の時(とき)賜(たま)はるべく候(さうら)ふ。其(そ)の間(あひだ)預(あづ)け申(まう)し候(さうら)ふべし」とて返(かへ)されけり。かくて田川(たかは)をも発(た)ち給(たま)ひ、大泉(おほいづみ)の庄(しやう)大梵字(だいぼんじ)を通(とほ)らせ給(たま)ひ、羽黒(はぐろ)の御山(おやま)を外処(よそ)にて、拝(おが)み給(たま)ふにも、御参籠(さんろう)の御志(おんこころざし)は御座(おは)しましけれども、御産(おさん)の月既(すで)に
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此(こ)の月に当(あ)たらせ給(たま)ふに、万(よろづ)恐(おそ)れをなして、弁慶(べんけい)ばかり御代官(おだいくわん)に参(まゐ)らせらる。残りの人々(ひとびと)はにつけのたかうらへかかりて、清河(きよかは)に著(つ)き給(たま)ふ。弁慶(べんけい)はあげなみ山(さん)にかかりて、よかはへ参(まゐ)り会(あ)ふ。其(そ)の夜は五所の王子(わうじ)の御前(おまへ)に一夜(いちや)の御通夜(おんつや)有(あ)り。此(こ)の清川(きよかは)と申(まう)すは、「羽黒(はぐろ)権現(ごんげん)の御手洗(みたらし)なり。月山の禅定(ぜんぢやう)より北(きた)の腰(こし)に流(なが)れ落(お)ちけり。熊野(くまの)には岩田河(いはたがは)、羽黒(はぐろ)には清川(きよかは)とて流(なが)れ清(きよ)き名水なり。是(これ)にて垢離(こり)をかき、権現(ごんげん)を伏(ふ)し拝(おが)み奉(たてまつ)る。無始(むし)の罪障(ざいしやう)も消滅(せうめつ)するなれば、此処(ここ)にては王子(わうじ)王子(わうじ)の御前(おまへ)にて御神楽(みかぐら)など参(まゐ)らせて、思(おも)ひ思(おも)ひの馴子舞(なれこまひ)し給(たま)へば、夜もほのぼのと明(あ)けにけり。やがて御船(ふね)に乗(の)り給(たま)ひて、清川(きよかは)の船頭(せんどう)をばいや権守(ごんのかみ)とぞ申(まう)す。御船支度(したく)して参(まゐ)らせけり。水上(みなかみ)は雪白水(ゆきしろみづ)増(ま)さりて、御船(ふね)を上(のぼ)せ兼(か)ねてぞ有(あ)りける。是(これ)や此(こ)のはからうさの少将(せうしやう)庄(しやう)の皿島(さらしま)と言(い)ふ所(ところ)に流(なが)されて、「月影(かげ)のみ寄(よ)するはたなかい河の水上(みなかみ)、稲舟(いなぶね)のわづらふは最上川(もがみがは)の早(はや)き瀬(せ)、其処(そこ)とも知(し)らぬ琵琶(びは)の声(こゑ)、霞(かすみ)の隙(ひま)に紛(まぎ)れる」と謡(うた)ひしも今(いま)こそ思(おも)ひ知(し)られけれ。かくて御船(ふね)を上(のぼ)する程(ほど)に、禅定(ぜんぢやう)より落(お)ちたぎる滝(たき)有(あ)り。北(きた)の方(かた)、「是(これ)をば何の滝(たき)と言(い)ふぞ」と問(と)ひ給(たま)へば、白糸(しらいと)の滝(たき)と申(まう)しければ、北(きた)の方(かた)かくぞ続(つづ)け給(たま)ふ。
最上川(もがみがは)瀬々(せぜ)の岩波(いはなみ)堰(せ)き止(と)めよ寄(よ)らでぞ通(とほ)る白糸(しらいと)の滝(たき) W020
最上川(もがみがは)岩(いは)越(こ)す波(なみ)に月冴(さ)えて夜(よる)面白(おもしろ)き白糸(しらいと)の滝(たき) W021
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とすさみつつ、鎧(よろひ)の明神(みやうじん)、冑(かぶと)の明神(みやうじん)伏(ふ)し拝(おが)み参(まゐ)らせて、たかやりの瀬(せ)と申(まう)す難所(なんじよ)を上(のぼ)らせ、煩(わづら)ひて御座(おは)する所(ところ)に、上(うへ)の山(やま)の端(は)に猿(ましら)の声(こゑ)のしければ、北(きた)の方(かた)かくぞ続(つづ)け給(たま)ひける。
引(ひ)きまはすかちはは弓(ゆみ)に有(あ)らねどもたが矢(や)で猿(さる)を射(い)て見(み)つるかな W022
かくて差(さ)し上(のぼ)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、見(み)るたから、たけ比(くら)べの杉(すぎ)などと言(い)ふ所(ところ)を見(み)給(たま)ひて、矢向(やむけ)の大明神(だいみやうじん)を伏(ふ)し拝(おが)み奉(たてまつ)り、会津(あいづ)の津(つ)に著(つ)き給(たま)ふ。判官(はうぐわん)、「寄道(よりみち)は二日なるが、湊(みなと)にかかりては、宮城野(みやぎの)の原(はら)、榴(つつじ)が岡(をか)、千賀(ちか)の塩亀(しほがま)など申(まう)して、三日に廻(まは)る道(みち)にて候(さうら)ふに、亀割山(かめわりやま)を越(こ)えて、へむらの里(さと)、姉歯(あねは)の松(まつ)へ出(い)でては直(すぐ)に候(さうら)ふ。何(いづ)れをか御覧(ごらん)じて通(とほ)らせ給(たま)ふべき」と仰(おほ)せられければ、「名所(めいしよ)名所(めいしよ)を見(み)たけれども、一日も近(ちか)く候(さうら)ふなれば、亀割山(かめわりやま)とやらんにかかりてこそ行(ゆ)かめ」とて、亀割山(かめはりやま)へぞかかり給(たま)ひける。
亀割山(かめわりやま)にて御産(おさん)の事(こと) S0708
各々(おのおの)亀割山(かめわりやま)を越(こ)え給(たま)ふに、北(きた)の方(かた)御身(おんみ)を労(いたは)り給(たま)ふ事(こと)有(あ)り。御産(おさん)近(ちか)くなりければ、兼房(かねふさ)心(こころ)苦(ぐる)しくぞ思(おも)ひける。山(やま)深(ふか)くなる儘(まま)に、いとど絶(た)え入(い)り
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給(たま)へば、時々(ときどき)は傅(も)り奉(たてまつ)りて行(ゆ)く。麓(ふもと)の里(さと)遠(とほ)ければ、一夜(いちや)の宿(やど)を取(と)るべき所(ところ)もなし。山(やま)の峠(たうげ)にて道(みち)の辺(ほとり)二町ばかり分(わ)け入(い)りて、或(あ)る大木の下(もと)に敷皮(しきがは)を敷(し)き、木(こ)の下(もと)を御産所(おさんじよ)と定(さだ)めて宿(やど)し参(まゐ)らせけり。いよいよ御苦痛(くつう)を責(せ)めければ、恥(は)づかしさもはや忘(わす)れて、息(いき)吹(ふ)き出(い)だして、「人々(ひとびと)近(ちか)くて叶(かな)ふまじ。遠(とほ)く退(の)けよ」と仰(おほ)せられければ、侍(さぶらひ)共(ども)皆(みな)此処(ここ)彼処(かしこ)へ立(た)ち退(の)きけり。御身(おんみ)近(ちか)くは十郎権頭(ごんのかみ)、判官(はうぐわん)殿(どの)ばかりぞ御座(おは)しける。北(きた)の方(かた)「是(これ)とても心(こころ)安(やす)かるべきには有(あ)らね共(ども)、せめては力(ちから)及(およ)ばず」とて、又(また)絶(た)え入(い)り給(たま)ひけり。判官(はうぐわん)も今(いま)はかくぞとぞ思(おぼ)し召(め)しける。猛(たけ)き心(こころ)も失(うしな)ひ果(は)てて、「斯(か)かるべしとは予(かね)て知(し)りながら、是(これ)まで具足(ぐそく)し奉(たてまつ)り、京(きやう)をば離(はな)れ、思(おも)ふ所(ところ)へは行(ゆ)き著(つ)かず、道中にて空(むな)しくなし奉(たてまつ)らん事(こと)の悲(かな)しさよ。誰(たれ)を頼(たの)みて、是(これ)まで遙々(はるばる)有(あ)らぬ里(さと)に御身(おんみ)をやつし、義経(よしつね)一人(ひとり)を慕(した)ひ給(たま)ひて、かかる憂(う)き旅(たび)の空(そら)に迷(まよ)ひつつ、片時(かたとき)も心(こころ)安(やす)き事(こと)を見(み)せ聞(き)かせ奉(たてまつ)らず、失(うしな)ひ奉(たてまつ)らん事こそ悲(かな)しけれ。人に別れては片時(かたとき)もあるべしとも覚(おぼ)えず、只(ただ)同(おな)じ道に」と掻(か)き口説(くど)き涙(なみだ)も堰(せ)き敢(あ)へず悲(かな)しみ給(たま)へば、侍(さぶらひ)共(ども)も、「軍(いくさ)の陣(ぢん)にては、かくは御座(おは)せざりしものを」と皆(みな)袂(たもと)をぞ絞(しぼ)りける。しばらく有(あ)りて息(いき)吹(ふ)き出(い)だして、「水(みづ)を」と仰(おほ)せられければ、武蔵坊(むさしばう)水瓶(みづがめ)を取(と)りて出(い)でたりけれども、雨(あめ)は降(ふ)る、暗(くら)さは暗(くら)し、何方(いづかた)へ尋(たづ)ね行(ゆ)くべき
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とは覚(おぼ)えねども、足(あし)に任(まか)せて谷(たに)を指(さ)してぞ下(くだ)りける。耳を欹(そばだ)てて谷川(たにがは)の水(みづ)や流(なが)るると聞(き)きけれ共(ども)、此(こ)の程(ほど)久(ひさ)しく照(て)りたる空(そら)なれば、谷(たに)の小川も絶(た)え果(は)てて、流(なが)るる水も無(な)かりければ、武蔵(むさし)只(ただ)掻(か)き口説(くど)き、独言(ひとりごと)に申(まう)しけるは、「御果報(くわほう)こそ少(すく)なく御座(おは)するとも、斯様(かやう)に易(やす)き水(みづ)をだにも、尋(たづ)ね兼(か)ねたる悲(かな)しさよ」とて、泣(な)く泣(な)く谷に下(くだ)る程(ほど)に、山河の流(なが)るる音を聞(き)き付(つ)けて悦(よろこ)び、水を取(と)りて嶺(みね)に上(のぼ)らんとすれども、山(やま)は霧(きり)深(ふか)くして、帰(かへ)るべき方(かた)を失(うしな)ひけり。貝(かひ)を吹(ふ)かんとすれども、麓(ふもと)の里近(ちか)かるらんと思(おも)ひて、左右(さう)無(な)く吹(ふ)かず。然(さ)れども時刻(じこく)移(うつ)りては叶(かな)ふまじと思(おも)ひて、貝(かひ)をぞ吹(ふ)きたりける。嶺(みね)にも貝(かひ)を合(あ)はせたる。弁慶(べんけい)とかくして水(みづ)を持(も)ちて、御枕(まくら)に参(まゐ)りて参(まゐ)らせんとしければ、判官(はうぐわん)涙(なみだ)に咽(むせ)びて仰(おほ)せられけるは、「尋(たづ)ねて参(まゐ)りたる甲斐(かひ)もなし。はや言(こと)切(き)れ果(は)て給(たま)ひぬ。誰(たれ)に参(まゐ)らせんとて、是(これ)まではたしなみけるぞや」とて泣(な)き給(たま)へば、兼房(かねふさ)も御枕(まくら)にひれ伏(ふ)してぞ泣(な)き居(ゐ)たり。弁慶(べんけい)も涙(なみだ)を抑(おさ)へて、御枕(まくら)に寄(よ)りて、御頭(ぐし)を動(うご)かして申(まう)しけるは、「よくよく都(みやこ)に留(とど)め奉(たてまつ)らんと申(まう)し候(さうら)ひしに、心(こころ)弱(よわ)くて是(これ)まで具足(ぐそく)し参(まゐ)らせて、いま憂(う)き目(め)を見(み)せ給(たま)ふこそ悲(かな)しけれ。仮令(たとひ)定業(ぢやうごふ)にて渡(わた)らせ給(たま)ふとも、是(これ)程(ほど)に弁慶(べんけい)が丹誠(たんぜい)を出(い)だして尋(たづ)ね参(まゐ)りて候(さうら)ふ水(みづ)を、聞召(きこしめ)し入(い)りてこそ如何(いか)にもならせ給(たま)ひ
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候(さうら)はめ」とて、水を御口(くち)に入(い)れ奉(たてまつ)りければ、受(う)け給(たま)ふと覚(おぼ)しくて、判官(はうぐわん)の御手(て)に取(と)り付(つ)き給(たま)ひて、又(また)消(き)え入(い)り給(たま)へば、判官(はうぐわん)も共(とも)に消(き)え入(い)る心地(ここち)して御座(おは)しけるを、弁慶(べんけい)、「心(こころ)弱(よわ)き御事(おんこと)候(さうら)ふや。事(こと)も事(こと)にこそより候(さうら)へ。そこ退(の)き給(たま)へ、権頭(ごんのかみ)」とて、押(お)し起(お)こし奉(たてまつ)り、御腰(こし)を抱(いだ)き奉(たてまつ)り、「南無(なむ)八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)、願(ねが)はくは御産(おさん)平安(へいあん)になし給(たま)へ。さて我(わ)が君(きみ)をば捨(す)て給(たま)ひ候(さうら)ふや」と祈念(きねん)しければ、常陸坊(ひたちばう)も掌(たなごころ)を合(あ)はせてぞ祈(いの)りける。権頭(ごんのかみ)は声(こゑ)を立(た)ててぞ悲(かな)しみける。判官(はうぐわん)も今(いま)は掻(か)き昏(く)れたる心地(ここち)して、御頭(ぐし)を並(なら)べて、ひれふし給(たま)ひけり。北(きた)の方(かた)御心地(ここち)つきて、「あら心(こころ)憂(う)や」とて、判官(はうぐわん)に取(と)り付(つ)き給(たま)へば、弁慶(べんけい)御腰(こし)を抱(いだ)き上(あ)げ奉(たてまつ)れば、御産(おさん)やすやすとぞし給(たま)ひける。武蔵(むさし)少人(せうじん)のむづかる御声(こゑ)を聞(き)きて、篠懸(すずかけ)に押(お)し巻(ま)きて抱(いだ)き奉(たてまつ)る。何(なに)とは知(し)らねども、御臍(おんへそ)の緒(を)切(き)り参(まゐ)らせて、浴(ゆあび)せ
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奉(たてまつ)らんとて、水瓶(みづがめ)に有(あ)りける水(みづ)にて洗(あら)ひ奉(たてまつ)り、「やがて御名を付(つ)け参(まゐ)らせん。是(これ)は亀割山(かめわりやま)、亀(かめ)の万劫(まんごふ)を取(と)りて、鶴(つる)の千歳(せんざい)になぞらへて、亀鶴(かめつる)御前(ごぜん)」とぞ付(つ)け奉(たてまつ)る。判官(はうぐわん)是(これ)を御覧(ごらん)じて、「あら幼(いとけ)なの者(もの)の有(あ)りさまやな。何時(いつ)人となりぬとも見(み)えぬ者(もの)かな。義経(よしつね)が心(こころ)安(やす)からばこそ、又(また)行末(ゆくすゑ)も静(しづ)かならめ。物の心(こころ)を知らぬ先に、疾(と)く疾(と)く此(こ)の山(やま)の巣守(すもり)になせ」と宣(のたま)ひけり。北(きた)の方(かた)聞召(きこしめ)して、今(いま)まで御身(おんみ)を悩(なや)まし奉(たてまつ)りたるとも思(おぼ)し召(め)されず、「怨(うら)めしくも承(うけたまは)り候(さうら)ふものかな。偶々(たまたま)人界(にんがい)に生(しやう)を受(う)けたるものを、月日(つきひ)の光(ひかり)をも見(み)せずして、むなしくなさん事、如何(いか)にぞや。御不審(ふしん)蒙(かうぶ)らば、それ権頭(ごんのかみ)取(と)り上(あ)げよ。是(これ)より都(みやこ)へは上(のぼ)るとも、如何(いか)でかむなしく為(な)すべき」と悲(かな)しみ給(たま)へば、武蔵(むさし)是(これ)を承(うけたまは)つて、「君(きみ)一人を頼(たの)み参(まゐ)らせて候(さうら)へば、自然(しぜん)の事(こと)も候(さうら)はば、また頼(たの)み奉(たてまつ)るべき方(かた)も候(さうら)ふまじきに、此(こ)の若君(わかぎみ)を見(み)上(あ)げ参(まゐ)らせんこそ頼(たの)もしく候(さうら)へ。是(これ)程(ほど)美(いつく)しく渡(わた)らせ給(たま)ふ若君(わかぎみ)を、争(いかで)か失(うしな)ひ参(まゐ)らせ候