こほろぎ草子

(『日本文学大系』第19巻「お伽草子」〈大正14年〉による。振り仮名省略版。入力:菊池真一)
こほろぎ草子

 あやしの庵の草枕、暫しはこゝにかり寐して、憂き世の中をつく/゛\と、思ひ続けて日を送りける折節、秋の末つ方、庭の薄ももとあらみ、木の葉の色づく風に乱れ、そこはかとなく、物哀れなる夕暮に、ひとり寂しく月影に、心を澄ましし折節、傍なる萩の下葉の陰よりも、虫の数々集まりて、そゞろなる物語するを聞けぱ、いと哀れにをかし。其の中よりこほろぎといふ虫出でて申しけるは、「いかに方々聞き給へ、誠に我々の身の上は、あさましや、はかなきこと果ても侍らじ。春過ぎぬれば夏草の、緑も深く茂りあひて、五月水無月の頃は、朝な夕なおく露の、玉を乱せる如くにて、心も浮きたつ、或時は菜種の色に染み、ある時は潔き水の流れに、我が身の影を写し、こゝかしこに飛び遊ぶ時は、罪も報いも忘れ果て、心も浮かれつゝ、世の憂き事も思はれず、誠に一時の楽しみに、千年の命を延ぶる心地して、はや文月も菊月の空に移りて、月はさやかに渡れども、吹き来る風も身にしみて、いつとなく物悲しく、夜も長月になりぬれば、足さへ心の儘ならず、まして声もかれはてて、頼む草木は、露も宿らず、いつしか、初霜の下りて寐ぐらも露はれにける。木の枝に小鳥の音もきく時は、消ゆる思ひに心を痛め、ある時は人近き垣根に取りつき、又は縁の下に身を隠さむと、ひしるに、小さかしく鼠に探し出されて、憂き目ばかり見むことの口惜しさ、あなたかなたと迷ひ出でけるを、いたづらなる子どもに捕へられて、悲しやかや糸につながれて、大地に曳廻されて、恥をさらし、竹にさし通され、たちまち気を失ひ、すでにむなしくならむとするを、水を飲ませいたはるやうにもてなして、やう/\心をとり直し、思へばあら浅ましや、踏み殺されて遂にせうぢきの蚯蚓となる憂き目にあひ、所詮火の中へ飛入らむと思ふにも、身をいとひいましめられていひがひもなく、寔に身をもぬれ衣、怨めしき先の世の報いの程こそ悲しけれ、嘆きはまた余りあり。明日の命も白露の、とても消えなむ浮身ぞかし、せめて今宵の月影に、我々が心に思ふ言の葉を語り慰まむこそ嬉しけれ、いざ/\敷島のことよせて、拙き言の葉を三十一文字結び置き、なきあとまでのかたみともなし給へ、扠々。」と語りける。数多の虫どもはだ寒く、衣の袖を顔にあて、涙を流し、「扠々日比おもひけるこほろぎ殿は、色も黒し、せもかゞみ、生れつきのやさしがら、まして、花の下、月の影にも心をよせ給はず、こゝのかべにとりつき、又流しの下に身をかこち、物の哀れをわきまへて、夕暮より夜半の比まで啼きたまふ、声のみはよそ/\しく聞きはべりしに、今宵の物語こそ哀れも哀れに催し侍り、こゝろざしの程も有難く感じけり。」と、やがて涙にくれにける。その中より蟾出でて申しけるは、「如何にも今宵は月も冴え渡り、面白く覚え侍るなり。しからば夜も更けぬうち、はやとく/\。」と言ひければ、各落葉の上に座を竝べ、思ひ/\に詠じける。心の内こそをかしけれ。
    こほろぎ
 此のすみ彼所の壁にすがりつき身は数ならで君をこほろぎ
    はたおり
 かた糸のはる/゛\野辺に繰返しはたおりかけて啼きあかすかな
    すゞむし
 君にかくふりすてられし鈴虫の我が身の果てやいかゞなるらむ
    きり/゛\す
 けふよりは深き思ひをきり/゛\すなけど哀れととふ人もなし
    ほ た る
 草の露水の泡とも消えやらでたへぬ思ひにもゆるほたる火
    蚊
 夕ぐれの軒の煙に立ちまよひ忍びかねたる身こそつらけれ
    かげろふ
 あはれなる夕べはかなきかげろふの消ゆる命を露の一時
    玉 む し
 いろにこき千草の花のかず/\に思ひみだるゝ露の玉むし
    みのむし
 恋ひわびて涙の袖にぬれにけりわがみの虫はいきてかひなし
    木こりむし
 人しれぬ深山のおくに住みなれて朝な夕なにつま木こりむし
    蝶
 花の色に心を見せてまよふてふ哀れとおもへ草の葉の露
    峰
 棹さしていつか渡らむみつせ川はちすの船にのりを求めて
    小がねむし
 山吹の色をあらそふこ金虫くさ木もなびく光なりけり
    松  虫
 夜もすがら恋しき人を松虫の音をなきわぶる野べぞ露けき
    蠅
 玉だれの錦の床の上までもはひあがるこそくわはう成りけれ
    くつわむし
 ものおもふ心の内ぞくつわむし人の情をかけぬ身なれば
    日  暮
 何となくけふは日暮しあすは又いかなる方に身をや隠さむ
    かまきり
 草の葉をかま切り立ててかる野べの露のうき身はおき所なし
    く  も
 あやしくもかゝるはかなき住ひせば問ひ来る風の便りだになし
    け  ら
 下つかに身は埋もれて過ぎけらしいづくも宿と定めざりけり
    蟻
 山深き朽木の中にありながら峯のあらしをよそに聞くかな
    けら/\
 よしなくも人のけらを請ひもせず世に悪まるゝ身を悔ゆるかな
    いもむし
 わが住みし芋の畑はあれにけりことしの夏はひとりのみして
    み ゝ ず
 浅ましや頭も見えず尾もしれず土の中には音をのみぞかし
    毛  虫
 いかにせむ我が身の毛虫なか/\に人の見る目もさぞやはづかし
    と か げ
 世を捨てて柴のとかげに引きこもりいかでや人の毒と成るべき
    蛇
 いたづらに身はくちなはと成り果てて結ぶえにしの便りだになし
    し ら み
 思ふ事かきくどくまに長月の夜はほと/\としらみこそすれ
    の  み
 ひとりのみ思ふ心のかひもなくとび立つばかり物ぞ悲しき
    百   足
 とにかくに世をはてむかで渡るべし数多の足も頼まれぬ身は
    飛  虫
 羽もなく行くへもしらぬ飛虫のおもはぬ淵に身をなげにけり
    ゐ も り
 苔深き水の底にてもろともにかねふる里のゐもりをぞする
    か へ る
 古里に立ちかへるとは知りながら土かきわけてとふ人もなし
    や す で
 雨ふればかや〇〇〇目際に集まりて心やすでと遊びぬるかな
    蝉
 はかなしや身はうつ蝉のから衣なほうらめしき秋風ぞ吹く
 さて、申して曰く、此の時一首の歌は虫の歌仙まなびて、しうぎの判者は、やうこうし中納言在原の蟾朝臣信行卿、座上につらなり、歌批判せられしが、「いかにおの/\宵よりこほろぎ殿の座席に、時うつし参らせ候、秋の夜長と申せどもはや明けむとす。此処に長座敷無益の事に候、東雲鴉の声も恐ろし、とく/\住家々々へ帰り給へ。」といふ。ゐもり是を聞きて、蛙がをこがましくいひ出でたるをそねみけむ、
 立ちもせず下にもをらずさわがしくかへる/\といふぞをかしき
蛙大きに腹立ちて、返歌に、
 浅ましやすみの衣に身をそめてなどかいろには深きゐもりぞ
 何れも論じけるを、又々こほろぎ出でて、互にせんなきことなりとて鎮め、各暇乞して藪の中へぞかへりける。


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(奥付)
大正十四年九月二十日印刷
大正十四年九月二十三日発行
(非売品)
日本文学大系
第十九巻
編輯兼発行者  東京市麹町区内幸町一丁目六番地
           国民図書株式会社
右代表者    東京市麹町区内幸町一丁目六番地
           中塚栄次郎
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印刷所     東京市本所区番場町四番地
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