第五 内野の雪〔おほうち山とも〕

今后の御父は、先にも聞こえつる右大臣〈 実氏 〉の大臣、其の父殿〈 公経 〉の太政大臣、其のかみ夢見給へる事有りて、源氏の中将わらはやみまじなひ給ひし北山の辺に、世に知らずゆゆしき御堂を建てて、名をば西園寺と言ふめり。此の所は、伯の三位資仲の領なりしを、尾張国松枝と言ふ庄にかへ給ひてけり。もとは、田畠など多くて、ひたぶるに田舎めきたりしを、更に打ち返しくづして、艶ある園に造りなし、山のたたずまひ木深く、池の心ゆたかに、わたつ海をたたへ、峰より落つる滝の響きも、げに涙催しぬべく、心ばせ深き所の様なり。本堂は西園寺、本尊の如来誠に妙なる御姿、生身もかくやと、いつくしうあらはされ給へり。又、善積院は薬師、功徳蔵院は地蔵菩薩にて御座す。池の辺に妙音堂、滝のもとには不動尊。此の不動は、津の国より生身の明王、簔笠うち奉りて、差し歩みて御座したりき。其の簔笠、宝蔵に込めて、三十三年に一度出ださるとぞ承る。石橋の上には五大堂。成就心院と言ふは愛染王の座さまさぬ秘法取り行はせらる。供僧も紅梅の衣、袈裟数珠の糸まで、同じ色にぞ侍るめる。
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又、法水院・化水院、無量光院とかやとて、来迎の気色、弥陀如来・二十五の菩薩、虚空に現じ給へる御姿も侍るめり。北の寝殿にぞ大臣は住み給ふ。めぐれる山の常盤木共、いと旧りたるに、なつかしき程の若木の桜など植ゑ渡すとて、大臣うそぶき給ひける。
山桜峰にも尾にも植ゑ置かん見ぬ世の春を人や忍ぶと W
彼の法成寺をのみこそ、いみじき例に世継も言ひためれど、是は猶山の気色さへ面白く、都離れて眺望そひたれば、言はん方無くめでたし。峰殿の御舅、東の将軍の御祖父にて、万世の中御心の儘に、飽かぬ事無くゆゆしくなん御座しける。今の右の大臣、をさをさ劣り給はず、世の重しにて、いと止む事無く御座するに、女御さへ御覚えめでたく、いつしか只ならず御座すると聞こゆる、奥床しき御程なるべし。〔仁治三年〕九月十二日、佐渡院隠れさせ給ひぬ。世の中移り変はりしきざみ、もしやなど思されしも空しくて、いよいよ隔たり果てぬる世を、心細く思し歎きける積もりにや、〔いと〕さしも取り立てたる御悩みなどは無くて、失せさせ給ふ〔に〕、〔折〕哀れなる御事共なり。四十六にぞならせ給ひける。明くる年は、寛元元年なり。六月十日頃に、中宮今出川の大殿にて、其の御気色あれば、殿の内立ち騒ぐ。白き御装ひに改めて、母屋に移らせ給ふ程、いと面白し。大臣・北の方・御兄の殿原達、添ひかしづき聞こえ奉る
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様、限り無くめでたし。御修法の壇共数知らず。医師・陰陽師・かんなぎ、各かしがましきまで響き合ひたり。いと暑き程なれば、只ある人だに汗に押しひたしたるに、后の宮いと苦しげにし給ひて、色々の御物の怪共名乗り出でつつ、わりなく惑ひ給へば、大臣・北の方、いかさまにせんと御心を惑はし給ふ様、哀れに悲し。斯様のきざみ、高きも下れるも、おろかに思ふ人やは有らん。なべて皆かうのみこそあれど、げに差しあたりたる世の気色を取り具して、類無く思さるらんかし。内よりも、如何に如何にと御使ひ、雨の脚よりも繁う走り違ふ。〔内の〕御乳母大納言二位殿、大人大人しき内侍の典侍など、さるべき限り参り給へり。今日も猶心許無くて暮れぬれば、いと恐ろしう思す。伊勢の御てぐら使ひなど立てらる。諸社の神馬、所々の御誦経の使ひ、四位五位数を尽くして鞭をあぐる様、言はずとも推し量るべし。大臣とりわき春日の社へ拝して、御馬・宮の御衣など奉らる。内には更衣腹に若宮御座しませど、此の事を待ち聞こえ給ふとて、坊定まり給はぬ程なり。仮令平らかにし給へりとも、女宮にて御座しまさばと、まがまがしきあらましを思ふだに〔も〕、胸つぶれ口惜し。かつは、御身の宿世見ゆべき際ぞかしと思せば、いみじう念じ給ふに、既に事成りぬ。先づ何にかと心騒ぐに、御兄の大納言公相、「皇子御誕生ぞや」と、〔いと〕高らかに宣ふを、余りの事に皆あきれて、「誠か誠か」と大臣宣ふ儘に、
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喜びの御涙ぞ落ちぬる。哀れなる御気色、見る人も事忌み〔も〕しあへず。御修法の僧共を始め、道々の禄賜はる。したり顔に汗押し拭ひつつまかづる気色、今一際めでたく罵り立ちて、更に物も聞こえず。げに此の頃の響きに、女にて御座しまさましかば、如何にしほしほと口惜しからまし。きらきらしうもし出で給へるかし。然れば、大臣、年たけ給ふまでも、其の折の嬉しう忝かりしを思ひ出づれば、見奉るごとに涙ぐまるるとぞ、後深草院をば常に申されける。御湯殿の儀式は更にも言はず、人々の禄、何くれと、例の作法に事を添へて、いみじう世の例にもなるばかりと尽くし給ふ。御はかし参る。心許無かりつる儘に、二十八日、親王の宣旨有りて、八月十日、すがやかに、太子に立ち給ひぬ。大臣御心落ち居て、すずしうめでたう思す事限り無し。かくて、又の年、東の大納言頼経の君、悩み給ふ由聞こえて、御子の六つに成り給ふに譲りて、都へ御返りあれば、若君に其の日やがて将軍の宣旨下され、少将に成り給ふ。頼嗣と名乗り給ふべし。泰時の朝臣、一昨年入道して、孫の時頼に世を譲りにしかば、此の頃は天の下の御後見、此の相模の守時頼の朝臣仕る。いと心賢くめでたき聞こえ有りて、兵も靡き従ひ、大方、世も静かに治まりすましたり。かくて寛元も四年に成りぬ。正月二十八日、春宮に御位譲り申させ給ふ。此の御門も〔又〕四つにぞならせ給ふ。めでたき御例共なれば、行く末も
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推し量られ給ふ。光明峰寺殿の御三郎君左大臣〔実経〕の大臣、御年二十四にて摂政し給ふ。いとめでたし。御はらから三人まで摂録し給へる例、古くは謙徳公・忠義公・東三条の大入道殿兼家、其の又御子共中の関白殿・粟田殿・法成寺の入道殿これ二度なり。近くは、法性寺殿の御子共六条殿基実・松殿基房・月輪殿兼実、是ぞやがて今の峰殿の御祖父よ。斯様の事、いとたまたまあれど、粟田殿も宣旨被り給へりしばかりにて、七日にて失せ給へりしかば、天下執行し給ふに及ばず。松殿の御子師家の大臣、一代にてやみ給ひにき。いづれも御末までは御座せざりしに、此の三所、流れ絶えず、久しき藤波にて立ち栄え給へるこそ、類無き止む事無さなめれ。末の世にも有り難くや侍らん。今の摂政をば、後には円明寺殿と〔ぞ〕聞こゆめりし。一条殿の御家の始めなり。かくて御即位・御禊も過ぎぬ。大嘗会の頃、信実の朝臣と言ひし歌詠みの娘少将の内侍、大内の女工所に候ふに、雪いみじう日頃降りて、いかめしう積もりたる暁、太政大臣実氏宣ひ遣はしける。
九重の大内山の如何ならん限りも知らず積もる雪かな W
御返し、少将の内侍〔信実の朝臣娘〕、
九重の内野の雪に跡付けて遙かに千代の道を見るかな W
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〔院の〕上は、いつしか所々に御幸繁う、御遊びなどめでたく、今めかしき様に好ませ給ふ。中宮も位去り給ひて、大宮女院とぞ聞こゆる。安らかに、常は一つ御車などにて、只人のやうに花やかなる事共のみ隙無く、万有らまほしき御有様なり。院の上、石清水の社に詣でさせ給へば、世の人残り無く仕る。然るべき事とは言ひながら、猶いみじ。御心にも一年の事思し出でられて、殊に畏まり聞こえさせ給ふべし。
石清水木がくれたりし古を思ひ出づればすむ心かな W
宝治の頃、神無月二十日余りなりしにや、紅葉御覧じに、宇治に御幸し給ふ。上達部・殿上人、思ひ思ひ色々の狩衣、菊・紅葉の濃き薄き、縫物・織物・綾錦、すべて世に無き清らを尽くし騒ぐ、いみじき見物なり。殿上人の舟に楽器設けたり。橘の小島に御船差しとめて、物の音共吹き立てたる程、水の底も耳立てぬべく、そぞろ寒き程なるに、折知り顔に空さへ打ち時雨れて、真木の山風有らましきに、木の葉共の色々散りまがふ気色、言ひ知らず面白し。女房の船に、色々の袖口、わざとなくこぼれ出でたる、夕日に輝き合ひて、錦を洗ふ九の江かと見えたり。平等院に中一日渡らせ給ひて、様々の面白き事共数知らず。網代に氷魚の夜もさながら罵り明かして、帰らせ給ふ。鳥羽殿も近頃はいたう荒れて、池も水草がちに埋もれたりつるを、いみじう修理し磨かせ給ひて、はじめて御幸
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成りし時、「池の辺の松」と言ふ事講ぜられしに、太政大臣、序書き給へりき。
祝ひ置く始めと今日を松が枝の千年の影に澄める池水 W
院の御製、
影映す松にも千代の色見えて今日すみそむる宿の池水 W
大納言の典侍と聞こえしは、為家の民部卿の娘なりしにや。
色かへぬ常盤の松の影添へて千代に八千代に澄める池水 W
順流るめりしかど、例のうるさければなん。御前の御遊び始まる程、反橋のもとに、龍頭鷁首寄せて、いと面白く吹き合はせたり。斯様の事、常の御遊び、いと繁かりき。又、太政大臣の津の国吹田の山荘にも、いとしばしば御座しまさせて、様々の御遊び数を尽くし、如何にせむと持てはやし申さる。河に臨める家なれば、秋深き月の盛りなどは、殊に艶有りて、門田の稲の風に靡く気色、妻どふ鹿の声、衣うつ砧の音、峰の秋風、野辺の松虫、取り集め、哀れそひたる所の様に、鵜飼など下ろさせて、篝火共ともしたる川の面、いと珍しうをかしと御覧ず。日頃御座しまして、人々に十首歌召されしついでに、院の御製、
川舟のさして何処か我がならむ旅とは言はじ宿と定めて W
と講じ上げたる程、主の大臣いみじう興じ給ふ。「此の家の面目今日に侍る」とぞ
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宣はする。げに然る事と、聞く人皆誇らしくなん。降り居給へる太上天皇など聞こゆるは、思ひ遣りこそ、大人びさだ過ぎ給へる心地すれど、未だ三十にだに満たせ給はねば、万若う愛敬づき、めでたく御座するに、時のおとなにて重々しかるべき太政大臣さへ、何業をせんと、御心に適ふべき事をのみ思ひまはしつつ、如何で珍しからんと、持て騒ぎ聞こえ給へば、いみじうはえばえしき頃なり。御門、まして幼く御座しませば、はかなき御遊び業より外の営み無し。摂政殿さへ若く物し給へば、夜昼候ひ給ひて、女房の中にまじりつつ、乱碁・貝おほひ・手まり・へんつきなどやうの事共を、思ひ思ひにしつつ、日を暮らし給へば、候ふ人々も、打ち解けにくく心遣ひすめり。節会・臨時の祭り、何くれの公事共を、女房に学ばせて御覧ずれば、太政大臣興じ〔申し〕給ひて、ことさら、小さき笏など作らせて数多奉らせ給へば、上も喜び思す。入道太政大臣の御娘大納言の三位殿と言ふを関白になさる。按察の典侍隆衡の娘・大納言の典侍・中納言の典侍・勾当の内侍・弁の内侍・少将の内侍、斯様の人々、皆男の官にあてて、其の役を勤む。「いとからい事」とて、わびあへるもをかし。中納言の典侍を権大納言実雄の君になさるるに、「したうづはく事、如何にも適ふまじ」とて、曹司に下るるに、上もいみじう笑はせ給ふ。弁の内侍、葦の葉に書きて、彼の局に差し置かせける。
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津の国の葦の下根の如何なれば波にしをれて乱れ顔なる W
返し、
津の国の葦の下根の乱れわび心も波にうきてふるかな W
五月五日、所々より御兜の花・薬玉など、色々に多く参れり。朝餉にて、人々此彼引きまさぐりなどするに、三条の大納言公親の奉れる、根に露置きたる蓬の中に、深きと言ふ文字を結びたる、糸の様もなよびかに、いと艶有りて見ゆるを、上も御目止めて、「何とまれ、言へかし」と宣ふを、人々も、およすげて見奉る。弁の内侍、
〔あやめ草底知ら沼の長き根に深きと言ふや蓬生の露 W
と、有りつる使ひ、はや帰りにければ、蔵人を召して、殿上より遣はしつ。御返し、公親、〕
あやめ草底知ら沼の長き根を深き心に如何くらべん W
又其の頃、天王寺に院詣でさせ給ふついでに、住吉へも御幸有り。「神は嬉し」と、後三条院仰せられけん例、思ひ出でられ侍りき。大宮院も御参りなれば、出車共、色々の袖口共、春秋の花紅葉を、一度に並べて見る心地して、いと美しく、目も輝くばかりいどみ尽くされたり。上達部・若き殿上人などは、例の狩襖、裾濃の袴など、珍しき姿共を、心々に打ち混ぜたり。釣殿の簀子に、人々候ひて、数多聞こえしかど、さのみは如何でか。太政大臣実氏、
今日や又更に千年を契るらん昔にかへる住吉の松 W
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さても、院の第一の御子は、右中弁平の棟範の主の娘、四条院に兵衛の内侍とて候ひしが、剣璽につきて渡り参れりしを、忍び忍び御覧じける程に、其の御腹に出で物し給へりしかど、当代生まれさせ給ひにし後は、押し消たれて御座しますに、又建長元年、后腹に二の宮さへ差し続き光り出で給へれば、いよいよ今は思ひ絶えぬる御契りの程を、私物にいと哀れと思ひ聞こえさせ給ふ。源氏にやなし奉らましなど思すも、猶飽かねば、只御子にて、東の主になし聞こえてんと思して、建長四年正月八日、院の御前にて御冠し給ふ。御門の御元服にもほとほと劣らず。内蔵寮何くれ、清らを尽くし給ふ。やがて三品の加階賜はり給ふ。御年十一なるべし。中務の卿宗尊親王と申すめり。同じ二月十九日、都を出で給ふ。其の日将軍の宣旨被り給ふ。斯かる例は未だ侍らぬにや。上下、珍しく面白き事に言ひ騒ぐべし。御迎へに東の武士共数多上る。六波羅よりも名ある者十人、御送りに下る。上達部・殿上人・女房など、数多参るも、「院中の奉公にひとしかるべし。彼処に候ふとも、限り有らん官冠などは、障りあるまじ」とぞ仰せられける。何事も、只人柄によると見えたり。きはことによそほしげなり。誠に公と成り給はずば、是より勝る事、何か有らんと、にぎははしく花やかさは並ぶ方無し。院の上も、忍びて、粟田口の辺に御車
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立てて御覧じ送りけるこそ、哀れに忝く侍れ。きびはに美しげにて、遙々と御座しますを、御母の内侍も、哀れに忝しと思ひ聞こゆべし。かかれば、もとの将軍頼嗣三位の中将は、其の四月に都へ上り給ひぬ。いとほしげにぞ見え給ひける。さて、今下り給へるを、持て崇め奉る様、言はん方無し。宮中のしつらひ、御設けの事など限りあれば、善見天の殊妙の荘厳もかくやとぞ覚えける。斯様にて今年は暮れぬ。明くる年は建長五年なり。正月三日御門御冠し給ふ。御年十一、御諱久仁と申す。いとあてに御座しませど、余りささやかにて、又御腰などの怪しく渡らせ給ふぞ、口惜しかりける。いはけなかりし御程は、猶いとあさましう御座しましけるを、閑院の内裏焼けける紛れより、うるはしく立たせ給ひたりければ、内の焼けたるあさましさは何ならず、此の御腰の直りたる喜びをのみぞ、上下思しける。院の上、鳥羽殿に御座します頃、神無月の十日頃、朝覲の行幸し給ふ。世にある限りの上達部・殿上人仕る。色々の菊紅葉をこき混ぜて、いみじう面白し。女院も御座しませば、拝し奉り給ふを、太政大臣見奉り給ふに、喜びの涙ぞ人悪き程なる。
例無き我が身よ如何に年たけて斯かる御幸に今日仕へぬる W
げに、大方の世に付けてだに、めでたく有らまほしき事共を、我が御末と見給ふ大臣の
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心地、如何ばかりなりけむ。来し方も例無きまで、高麗・唐土の錦綾を立ち重ねたり。太政大臣ばかりぞねび給へれば、裏表白き綾の下襲を着給へるしも、いとめでたく艶めかし。池には、うるはしく唐の装ひしたる御船二艘漕ぎ寄せて、御遊び様々の事共めでたく罵りて、帰らせ給ふ響きのゆゆしきを、女院も御心行きて聞こし召す。其の頃ほひ、熊野の御幸侍りしにも、良き上達部数多仕らる。都出でさせ給ふ日、例の桟敷など、心殊にいどみかはすべし。車は立てぬ事なりしかども、大宮院ばかり、それも出車は無くて、只一両にて見奉り給ひしこそ、止む事無さも面白く侍りけれ。弁の内侍、
折りかざすなぎの葉風の賢さに一人道ある小車の跡 W
御幸、熊野の本宮につかせ給ひて、それより新宮の川舟に奉りて差し渡す程、川の面所狭きまで続きたるも、御覧じなれぬ様なれば、院の上、
熊野川瀬切りに渡す杉舟の辺波に袖のぬれにけるかな W
其の後も、又程無く御幸有りしかば、女院も参り給ひけり。皆人知ろし召したらん〔事〕、中々にこそ。