第十 老いのなみ

建治三年正月三日、内の上御冠し給ふ。十一にぞならせ給ふらんかし。御諱、世仁と聞こゆ。引き入れの関白太政大臣〔照念院〕殿兼平、理髪頭の中将基顕、御総角大炊御門大納言信嗣の君仕られけり。御遊び始まる。琵琶玄象今出川の大納言実兼、和琴鈴鹿信嗣大納言、箏の琴殿の大納言兼忠の君にて御座せしなんめり。屯食・禄などの事、常の如し。二十二日、朝覲の行幸、亀山殿へなりしかば、上達部・殿上人、例の色々のえり、下襲・織物・打物、めでたくゆゆしかり
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き。御前の大井河に、龍頭鷁首浮かめらる。夜に入りて、鵜飼共召して、篝火ともして乗せらる。御前の御遊び・地下の舞など、様々の面白き事共、例の事なれば、うるさくて、さのみもえ書かず。同じ三月二十六日、石清水の社へ行幸、四月十九日、賀茂の社へ行幸、いづれもめでたかりき。人々定めて記しおき給ひつらんと、譲りてとめ侍りぬ。春宮〈 伏見院 〉の御元服、八月と聞こえしを、奈良の興福寺の火のXX事により、延びて十二月十九日にぞせさせ給ひける。十六日に、先づ内裏行啓なる。清涼殿の東の廂の倚子立てらる。御門も倚子につかせ給ふ。引き入れの左大臣師忠、理髪春宮の権大夫具守勤めらる。御諱煕仁と申しき。持明院殿より、女房、二無く清らにし立てて、十二人参り、東の御方〈 玄輝門院御事 〉も院の御車にて、殿上人・北面・召次など、いと美々しうて参り給へり。御門・春宮、いづれもいと美しき御上げ勝り也。新院は、尽きせず、皇后宮の御座しまさましかばとのみ、しほたれがちに、思し忘るる世無き御心や慰むと、此彼参らすれど、をさをさなずらへなるも無く、新陽明門院も、初めは御覚えあるやうなりしかど、次第にかれがれなる御事にて、御一人寝がちなり。故皇后宮の御はらからの中の君も、御面影や通ひたらんと、なつかしさに、忍びて懇ろに宣ひしかば、参らせ奉り給へれども、いとしも無くて、姫宮一所ばかり取り出で給へりし儘にてやみにき。姫宮をば、
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大宮院の御傍らにぞ、かしづき聞こえ給ふ。かくて弘安元年になりぬ。十月ばかり、又二条内裏に火出で来て、いみじうあさまし。万里小路殿は、有りし火の後又造られて、今年の八月に御わたましにて、新院住ませ給へれど、内裏焼けぬれば、此の院又内裏に成りぬ。打ち続き火の繁さいと恐ろし。其の頃、大宮院いと久しく悩ませ給ひつつ、本院も新院も常に渡り給ひて、夜なども御座しませば、異御腹の法親王、姫宮達なども、絶えず御訪ひに詣でさせ給ふ中に、故院の位の御時、勾当の内侍と言ひしが腹に出で物し給へりし姫宮、後には五条院と聞こえし、未だ宮の御程なりしにや、いと盛りに美しげにて、切に隠れ奉り給ふを、新院あながちに御心に掛けて、うかがひ聞こえ給ふ程に、此の御悩みの頃、如何有りけん、いみじう思ひの外にあさましと思し歎く。彼の草枕よりは誠しう、にがにがしき御事にて、姫宮まで出で来させ給ひにき。限り無く人目を包む事なれば、怪しう、誰が御腹と言ふ事も無くて、院の御乳母の按察の二位の里に渡し奉り給へり。幼き御心にも、如何心得給ひけん、「宮の御母君をば誰とか申す」と人の問ひ聞こゆれば、「言はぬ事」とのみぞ、いらへさせ給ひける。御心のあくがるる儘に、御覧じ過ぐす人無く、乱りがはしきまで、たはぶれさせ給ふ程に、腹々の宮達、数知らず出で来給ふ。大方、十三の御年より、宮は出で来初めさせ給ひしが、年々に多くのみなり給へば、いとらうがはしきまで
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ぞ有るべき。故皇后宮の御雑仕にて、貫川と言ひし、御霊とかや聞こゆる社の御子にてぞ有りける。先にも聞こえしやうに、位の御程に度々召されて、姫宮生まれ給へりしを、それも御乳母の按察の二位殿の里に、彼の五条院の御腹のと二所、同じ御かしづき草にて御座せし程に、近衛殿入らせ給ひぬれば、殿はもと御座せし北の政所をもすさめ給ひて、此の宮を類無く思ひ聞こえさせ給ふ程に、かひがひしく若君〈 左大臣経平 〉出で来給へるをも、いみじうかしづきいたはり給ひて、前の北の政所の御腹の太郎君、中将ばかりにて物し給ふをも、よくせずは、押しのけぬべうもてなし奉り給ひけるを、新院聞かせ給ひて、いといとほしき事なり。是は未だ稚児なり。もと大人しうなり給へるをば、如何でか引き違へるやうは有らん」と宣はせて、其の弟は、遂に御家も保たせ給へりしなり。又、北白河殿の女院に、大納言の君とて候ひし人の曹司に、下野と言ひし者は、田楽とかや言ふ事する怪しの法師の、名をば玄駒と言ふが娘なりき。彼の女院は、新院の御母代にて、常に御幸もなりしかば、自づから御覧じ初めけるにや、事の外に時めき出でて、此の院に召し渡されて、花山院の太政大臣の御子になされ、廊の御方とぞ付けさせ給ふ。其の御腹にも宮生まれ給ひぬ。大宮の女院に讚岐とて候ひし、西園寺の御家の者景房と言ひしが娘なり。いみじう思いて、是も召し取りて、西園寺の大臣の御子になし
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て、二品の加階賜はる。若宮生まれ給ひにき。帥の中納言為経の娘の帥の典侍殿と言ひしが御腹にも、数多生まれ給ふ。九条殿の北の政所、又梨本・青蓮院の法親王などは、大納言の典侍の御腹、昭慶門院中納言の典侍、十楽院の慈道法親王は帥の典侍殿の腹、斯様にすべて多く物し給ふ。昔の嵯峨天皇こそ、八十余人まで御子持給へりけると、承り伝へたるにも、ほとほと劣り給ふまじかめり。内には中々女御・更衣も候ひ給はず。いとさうざうしき雲の上なり。西園寺女御参り給ふべしと聞こえながら、如何なるにか、すがすがとも思し立たぬは、思ふ心御座するなめりとぞ、世の人もささめきける。新院の御位の時参り給へりし西園寺の中宮は、院号有りて、今出川の院と聞こゆなり。彼の御覚えなどのいと口惜しかりしより、此の院の御方様をつらく思ひ聞こえ給ふなめりなどぞ、言ひなす人も侍りけるとぞ。三月の末つ方、持明院殿の花盛りに、X新院渡り給ふ。鞠の掛かり御覧ぜんとなりければ、御前の花は梢も庭も盛りなるに、外の桜さへ召して、散らし添へられたり。いと深う積りたる花の白雪、跡つけ難う見ゆ。上達部・殿上人、いと多く参り集まる。御随身・北面の下臈など、いみじうきらめきて候ひあへり。態とならぬ袖口共押し出だされて、心殊に引き繕はる。寝殿の母屋に、御座対座に設けられたるを、新院入らせ給ひて、「故院の御時、定め置かれし上は、今更にやは」とて、長押の下
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へ引き下げさせ給ふ程に、本院〔は〕出で給ひて、「朱雀院の行幸には、主の座をこそ直され侍りけるに、今日の御幸には、御座下ろさるる、いと異様に侍り」など聞こえ給ふ程、いと面白し。うべうべしき御物語は少しにて、花の興に移りぬ。御土器など良き程の後、春宮〈 伏見院 〉御座しまして、掛かりの下に皆立ち出で給ふ。両院・春宮立たせ給ふ。半ば過ぐる程に、客人の院上り給ひて、御襪など直さるる程に、女房別当の君、又上臈だつ久我の太政大臣の孫とかや、樺桜の七つ・紅のうち衣・山吹の表着・赤色の唐衣・すずしの袴にて、銀の御杯、柳箱に据ゑて、同じひさげにて、柿ひたし参らすれば、はかなき御たはぶれなど宣ふ。暮れ掛かる程、風少し打ち吹きて、花も乱りがはしく散りまがふに、御鞠数多く上がる。人々の心地いと艶有り。故有る木蔭に立ち休らひ給へる院の御形、いと清らにめでたし。春宮も若う美しげにて、濃き紫の浮き織物の御指貫、なよびかに、気色ばかり引き上げ給へれば、花のいと白く散り掛かりて、文のやうに見えたるもをかし。御覧じ上げて、一枝押し折り給へる程、絵にかかまほしき夕ばえ共なり。其の後も、御酒など、らうがはしきまで、聞こし召しさうどきつつ、夜更けて帰らせ給ふ。六条殿の長講堂も、焼けにしを造られて、其の頃、御わたましし給ふ。卯月の初めつ方より、院の上、庇の御車にて、上達部・殿上人・御随身、え
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も言はず清らなり。女院の御車に、姫宮も奉る。出車数多、皆白きあはせの五衣・濃き袴・同じ単にて、三日過ぎてぞ、色々の衣共、藤・躑躅・撫子など着かへられける。しばし此の院に渡らせ給へば、人々絶えず参り集ふ。西園寺の殿原なども、日ごとに参り給ふ。御壺分かたせ給ひて、前栽合はせ有りしにも、をかしう珍しき事共多かりき。某の朝臣の、槙の島の気色を造りて侍りけるを、平大納言経親、未だ下臈にて、兵衛佐など言ひける程にや、其の宇治川の橋を盗みて、我が繕ひたる方に渡して侍りける、いと恐ろしく心賢くぞ侍りける。例の五月の供花、やがて打ち続きければ、女院達宮々など、夜の御時に閼伽奉らせ給へば、御堂のかをり、名香の香も、外には多く勝りて、いとしみ深う艶めかしう面白し。大方、いづれも年に二度は昔よりの事にて、いみじう経営し給へば、世の人の靡き仕る様限り無し。日に二度院の出で居させ給ふに、関白・大臣ばかり、止む事無き人々絶えず候ひ給ふ。大中納言・二位三位・非参議・四位五位などは、まして数知らず。すべて前の司の人の、道なども参る事なれば、時ならず院の御前とも無く、いみじう花やかに面白う尊し。昔の後二条の関白師通と聞こえしは、「おりゐの御門の門に、車の立つべき事なし」と、そしり給ひけるに、今の世を見給はばと思ひ出でらる。九月の供花には、新院さへ渡り物し
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給へば、いよいよ女房の袖口心殊に用意加へ給ふ。御花果つれば、両院一つ御車にて、伏見殿へ御幸なる。秋山の気色御覧ぜさせんとなりけり。上達部・殿上人、彼方此方押し合はせて、色々の狩衣姿、菊紅葉こき混ぜて打ち群れたる、見所多かるべし。野山の気色色づき渡るに、伏見山、田の面に続く宇治の川波、遙々と見渡されたる程、いと艶有るを、若き人々などは、身にしむばかり思へり。鷹司殿の大殿も参り給ふべしと聞こえけるを、御物忌みとて止まり給ひければ、五葉の枝に付けて奏せられける。
伏見山幾万代も枝添へて栄へん松の末ぞ久しき W
御返し、
栄ふべき程ぞ久しき伏見山おひそふ松の枝を連ねて W
又の日は、伏見津に出でさせ給ひて、鵜舟御覧じ、白拍子御船に召し入れて、歌うたはせなどせさせ給ふ。二、三日御座しませば、両院の家司共、我劣らじといかめしき事共調じて参らせあへる中に、楊桃の二位兼行、桧破子共の、心ばせ有りて仕れるに、雲雀と言ふ小鳥を荻の枝に付けたり。源氏の松風の巻を思へるにや有りけん。為兼の朝臣を召して、本院「彼は如何と見る」と仰せらるれば、「いと心得侍らず」とぞ申しける。誠に、定家の中納言入道が書きて侍る源氏の本には、荻とは見え侍らぬとぞ承りし。斯様に御仲いとよくて、
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はかなき御遊び業など〔も〕、いどましき様に聞こえかはし給ふを、目安き事に、なべて世の人も思しけり。或る時は、御小弓射させ給ひて、「御負け業には、院の内に候ふ限りの女房を見せさせ給へ」と、新院宣ひければ、童の鞠蹴たる由を作りなして、女房共に水干〔を〕着せて出だされたる事も侍りけり。新院の御賭物には、亀山殿にて、五節のまねに、舞姫・童・下仕へまでぞなされけり。上達部、直衣に衣出だして、露台の乱舞・御前の召し・北の陣・推参まで尽くされ侍り〔ける〕とぞ承りし。此の御代にも、又勅撰の沙汰、一昨年ばかりより侍りし、為氏の大納言撰ばれつる、此の十二月にぞ奏せられける。続拾遺集と聞こゆ。「たましひある様にはいたく侍らざめれど、艶には見ゆる」と、時の人々申し侍りけり。続古今の引きうつし、おぼろけの事は、立ち並び難くぞ侍るべき。かくて年月変はりぬ。其の頃、新陽明門院、又只ならず御座しますと聞こえし、五月ばかり、御気色あれば、珍しう思す。内々、殿にてせさせ給ふに、天下の人々参り集ふ。前の度、生まれさせ給へる若宮は、隠れさせ給ひにしを、新院本意無しと思されけるに、又かく物し給へば、めでたう思ふ様なる御事も有らばと、今より思しかしづくに、いとかひがひしう若宮生まれさせ給へれば、限り無く思さる。八月、御子の御歩きぞめとて、万里小路殿に渡らせ給ふ。唐庇の御車に、後嵯峨院の更衣腹の姫宮、聖護院の法親王の一つ御腹とかや、御母代にて添ひ奉り給ふ。
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又、三条の内大臣公親の御娘、内の上の御乳母なりしも、めでたき御肖物とて、御車に二人乗り給ふ。女院は、院の上一つ御車に、菊の網代の庇に奉る。宮の御車に遣り続けて、よそほしくめでたき御事なり。其の頃、倹約行はるとかや聞こえし程にて、下簾短くなされ、小金物抜かれける。物見る車共のも、召次寄りて切りなどしけるをぞ、「時しもや、斯かるめでたき御事の折節」など、つぶやく人も有りけるとかや。此の宮も親王の宣旨有りて、いとめでたく聞こえし程に、明くる年九月、又隠れ〔させ〕給ひにし、いと口惜しかりし御事なり。弘安も四年になりぬ。夏の頃、後嵯峨〔院〕の姫宮、隠れさせ給ひぬ。後の堀川〔院〕の御娘にて神仙門院と聞こえし女院の御腹なれば、故院もいとおろかならずかしづき奉らせ給ひけり。御形も類無く美しう御座しまして、「人の国より女の本を尋ねんには、此の宮の似絵を遣らん」などぞ、父の御門仰せられけり。御乳母隆行の家に御座しましける程に、御乳母子隆康、忍びて参りける故に、あさましき御事さへ出で来て、是も御うみながら、俄に失せさせ給ひけりとぞ聞こえし。其の頃、蒙古起こるとかや言ひて、世の中騒ぎ立ちぬ。色々様々に恐ろしう聞こゆれば、「本院・新院は東へ御下り有るべし。内・春宮は京に渡らせ給ひて、東の武士共上りて候ふべし」など沙汰有りて、山々寺々〔に〕、御祈り、数知らず。伊勢の勅使に、経任の大納言
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参る。新院も八幡へ御幸なりて、西大寺の長老召されて、真読の大般若供養せらる。大神宮へ御願に、「我が御代にしも斯かる乱れ出で来て、誠に此の日本の損なはるべくは、御命を召すべき」由、御手づから書かせ給ひけるを、大宮院、「いとあさましき〔事〕なり」と、猶諌め聞こえさせ給ふぞ、理に哀れなる。東にも、言ひ知らぬ祈り共こちたく罵る。故院の御代にも、御賀の試楽の頃、斯かる事有りしかど、程無くこそ鎮まりにしを、此の度は、いとにがにがしう、牒状とかや持ちて参れる人など有りて、わづらはしう聞こゆれば、上下思ひ惑ふ事限り無し。然れども、七月一日、おびたたしき大風吹きて、異国の舟六万艘、兵乗りて筑紫へ寄りたる、皆吹き破られぬれば、或は水に沈み、自づから残れるも、泣く泣く本国へ帰りにけり。石清水の社にて、大般若供養のいみじかりける刻限に、晴れたる空に、黒雲一村俄に見えてたなびく。
彼の雲の中より、白き羽にてはげたる鏑矢の大なる、西をさして飛び出でて、鳴る音おびたたしかりければ、彼処には、大風の吹き来ると兵の耳には聞こえて、波荒く立ち海の上あさましくなりて、皆沈みにけるとぞ。猶我が国に神の御座します事、験に侍りけるにこそ。さて為氏の大納言、伊勢の勅使にて上る道より、申し送りける。
勅として祈る験の神風に寄せ来る波はかつ砕けつく W
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かくて静まりぬれば、京にも東にも、御心共落ち居て、めでたさ限り無し。彼の異国の御門、心憂しと思して、湯水をも召さず、「我如何して、此の度日本の帝王に生まれて、彼の国を滅ぼす身とならん」とぞ誓ひて死に給ひけると聞き侍りし、誠にや有りけむ。同じ六年正月六日、日吉の社の訴訟勅裁無しとて、御輿は都へ入らせ給ふ。六波羅の武士共、気色ばかり防き奉りけれど、まめやかに、神には向かひ奉りて弓射る者も無ければ、紫宸殿・清涼殿などに振り捨て参らせて、山法師は上りぬ。御門は急ぎ対の屋に出でさせ給ひて、腰輿にて近衛殿へ行幸なる。殿上人共柏挟みして仕りけり。七日の節会も、まほには行はれず。それより三条坊門万里小路の通成の大臣の家へ行幸なりて、しばし内裏になりし時、万里小路面の四足は建てられ侍りき。斯かりし程に、此の家に、石清水の若宮をいはひ参らせたる社御座しますに、狐多く侍りけるを、滝口の某とかや、過ちたりける御とがめにて、万わづらはしく、かうがうしき事共有りければ、万里小路殿へ帰らせ給ひにき。此の御門は、ねび給ふ儘に、いと賢く、御才なども勝れさせ給へれば、なべて世の人も目出き事に思ひ聞こゆ。はかばかしき女御・后なども候ひ給はで、いと徒然なるに、新陽明門院の御方に、堀川の大納言の御娘、東の御方とて候ひ給ふを、忍び忍び御覧じける程に、弘安八年二月ばかり、若宮出で物し給へり。いと止む事無き御宿世
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なるべし。今年、北山の准后、九十に満ち給へば、御賀の事、大宮院思し急ぐ。世の大事にて、天下かしがましく響き合ひたり。かく罵る人は、安元の御賀に青海波舞ひたりし隆房の大納言の孫なめり。鷲の尾の大納言隆衡の娘ぞかし〔な〕。大宮院・東二条院の御母なれば、両院の御祖母、太政大臣の北の方にて、天の下皆此の匂ひならぬ人は無し。いと止む事無かりける御幸なり。昔、御堂殿の北の方鷹司殿と聞こえしには劣り給はず。大方、此の大宮院の御宿世、いと有り難く御座します。すべて古より今まで、后・国母多く過ぎ給ひぬれど、かくばかり取り集めいみじき例は、未だ聞き及び侍らず。御位の初めより選まれ参り給ひて、争ひきしろふ人も無く、三千の寵愛一人にをさめ給ふ。両院打ち続き出で物し給へりし、いづれも平らかに、思ひの如く、二代の国母にて、今は既に御孫の位をさへ見給ふまで、いささかも御心にあはず思し結ぼるる一節も無く、めでたく御座します様、来し方も類無く、行く末にも稀にや有らん。古の基経の大臣の御娘、延喜の御代の大后宮、〔朱雀・村上の二代の国母にて御座せしも、初め出で来給ひて〕殊に悲しうし給ひし前坊に後れ聞こえ給ひて、御命の内は、絶えぬ御歎き尽きせざりき。九条の大臣の御娘、天暦の后にて御座せし、冷泉・円融、両代の御母なりしかど、めでたき御代をも見奉り給はず、御門にも先立ち給ひて失せ給ひにき。御堂
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の御娘上東門院、後一条・後朱雀の御母にて、御孫後冷泉・後三条まで見奉り給ひしかども、皆先立たせ給ひしかば、逆様の御歎き絶ゆる世無く、御命余り長くて中々人目を恥づる思ひ深く御座しましき。是も皆一の人にて、世の親と成り給へりしだに、やうをかへて様々の御身の愁へは有りき。只人には、大納言公実の御娘こそ、待賢門院とて、崇徳・後白河の御母にて御座せしかど、それも後白河の御世をば御覧ぜず、讚岐の院の御末も御座しまさず。然れば、今の程に、只人の御身にて、三代の国の重しといつかれ、両院とこしなへに仰ぎ捧げ奉らせ給へば、前の世も如何ばかりの功徳御座しまし、此の世にも、春日大明神を初め、万の神明仏陀の擁護あつく物し給ふにこそと、有り難くぞ推し量られ給ふ。かくて御賀は二月三十日頃なり。本院・新院・東二条院・遊義門院〈 未だ宮と申す、 〉皆予てより北山に渡らせ給ふ。新陽明門院も新院の一つ御車にて御座します。二十九日の夜、先づ行幸〈 後宇多 〉有り。雅楽寮楽を奏す。院司左衛門督公衡、事の由申して後、中門に寄せらる。其の後、春宮〈 伏見 〉行啓、中門より下りさせ給ふ。傅の大臣二条、御車に参り給へり。其の日に成りぬれば、寝殿の東面の母屋・廂まで取り払ひて、釈迦如来の絵像掛け奉る。道場の飾り、誠の浄土の荘厳〔も〕、かくこそと、めでたく清らを尽くされたり。御経の箱二合、金泥の寿命経九十巻・法華経入れ
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らる。名香、柳の織物に藤を縫ひたるにて包みて、御経の机に寄せかく。御簾の中に、西の一間に繧繝二帖、唐錦の褥敷きて、内の上の御座とす。同じ御座の北に、大文の高麗一帖敷きて、春宮渡らせ給ふ。西の廂に、是も屏風を添へて、繧繝二帖、錦の褥に、准后ゐ給へり。同じ廂に、東二条院渡らせ給ふ。遙々と、纐纈の几帳のかたびら出だして、色々の袖口共、御方々けぢめ別れて押し出でたる程、龍田姫も斯かる錦の色は如何でかと、いみじう好ましげなり。事なりぬるにや、両院・御門・春宮・大宮院・東二条院・今出川の院・春宮の大夫など打ち続く、誦経の鐘の響きも、耳驚くばかり所狭う聞こゆ。衆僧集会の鐘うちて後、上達部御前の座につく。階より東に、関白〔兼平公〕・左大臣〔師忠公〕・内大臣〔家基公〕・花山院の大納言長雅・源大納言通頼・大炊御門大納言信嗣・右大将通基・春宮の大夫実兼・左大将公守・三条の中納言実重・花山院の中納言家教・右衛門督公衡など候ひ給ふ。階より西に、四辻殿大納言隆親・春宮の権大夫具守・権中納言宗冬・四条の宰相隆保・右衛門の督為世など、祗候せられたり。内の上、御引直衣・すずしの御袴、本院御烏帽子直衣・青鈍の御指貫、新院、御直衣・綾の指貫、春宮、桜の御直衣・霰に〓の紫の御指貫、言ひ知らず艶めかしう見え給ふ。今日は皆御簾の中に御座します。大女院、白き綾の三御衣、東二条院、唐織物の柳桜
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の八つ・紅梅のひねりあはせの御単・樺桜の御小袿奉れり。姫宮〈 遊義門院 〉、紅の匂ひ十・紅梅の御小袿・萌黄の御単・赤色の御唐衣・生絹の御袴奉れる、常よりも殊に美しうぞ見え給ふ。御座しますらんと思ほす間のとほりに、内の上、常に御目じり只ならず、御心遣止め給ふ。楽人・舞人、鳥向楽を奏す。鶏婁を先だてて、乱声、左右桙を振る。其の後、壱越調の調子を吹きて、楽人・舞人、衆僧集会の所に向ひて、安楽塩を吹く。衆僧、左右に分かれて参る。階の間より昇りて座に着く。講師、法印憲実。読師、僧正守助。導師、高座に上りぬれば、堂童子、花籠を分かつ。杖とりの使ひ、公敦の朝臣、杖を退けて舞を奏する程、気色ばかり打ちそそぎたる春の雨、青柳の糸に玉ぬくかと見えたり。一の舞、久資と言ふ者、少しねびていとよしよししう、面もち足踏みかうさびて面白し。万歳楽・賀殿・陵王、右、地久・延喜楽・納曾利。久忠二の物にて、勅禄の手と言ふ事仕る時、右の大臣座を立ちて賞仰せらるれば、承りて拝し奉る程、いと艶なり。久資・正秋など言ふ者共も、賞承りて、笛を持ちながら起き伏し拝する様も、つきづきしう故有りて見ゆ。講讚の言葉めでたういみじ。今の世には富楼那尊者の如く言はるる者なれば、心止めて人々聞き給ふに、涙止め難き事共を言ひ続く。高座果てて後、楽人、酒胡子を奏す。其の程に僧の禄を給ふ。頭の中将公敦より始めて、思ひ思ひ
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の姿にて禄を取る。或は闕腋に平胡〓、縫腋の袍に革緒の剣など、心々なり。俊定・経継などは、巡方の帯をさしたり。衆僧まかりつる程に、廻忽・長慶子奏して、楽人・舞人も退きぬる後、大宮院・准后の御台参る。陪膳権中納言、役送実時・宗冬・実躬・信輔・俊光など仕る。かくて、又の日は三月の一日なり。寝殿の装ひ昨日の儘なり。舞台・楽屋ばかりを取りのけて、母屋の四方に壁代をかく。両院・内の上の御簾の役、関白候ひ給ふ。春宮のは、傅遅く参り給へば、大夫実兼勤め給ふ。内の上、今日は例の御直衣・紅〔の〕うちたる綿厚き御衣・織物の御指貫、いとめでたき御匂ひなり。本院、かた織物の薄色の御指貫・少し薄らかなる御直衣、新院、雲に鶴の浮織物の御直衣・同じ御指貫・紅の今少し色変はれるを奉る。有らまほしき程にねび整ほり、しうとくに、物々しき御様形、あなきよげ、今ぞ盛りに見え給ふ。春宮は色濃き御直衣・浮線綾の御指貫・紅のうちたるあはせを奉れり。とりどりにめでたく清らに御座します御形共の、いづれと無くあな美しと、打ち見奉る人の心地さへ、そぞろに笑まし。大宮院など〔は〕、〔まして〕何事をかは思すらむと推し量られ給ふ。彼方此方の御随身共、近く候ひつるを、院出でさせ給ひぬれば、退きて、御階の西に並み居たる装束共、色々の花をつけ、高麗・唐土の綾錦、黄金・銀を延べたる様、いと余りうたて
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ある程にぞ見ゆる。今日は、内・春宮・両院、御膳参る。陪膳花山院の大納言〔長雅、〕役送四条の宰相・三条の宰相の中将、本院の陪膳大炊御門大納言信嗣、新院のは春宮の大夫など勤めらる。其の後、御遊び始まる。内の上御笛、柯亭と言ふ物とかや。御箱に入れたるを、忠世持ちて参れるを、関白取りて御前に奉る。春宮、御琵琶玄象、宮の権亮親定持ちて参れるを、大夫御前に置かる。上達部の笛の箱別に有り。笛兵部卿良教・花山院の大納言〈 長雅 〉、笙源大納言通頼・左衛門督、篳篥兼行の朝臣、琵琶春宮の大夫、琴左大将・洞院の三位の中将実泰、和琴大炊御門大納言、拍子徳大寺の中納言公孝、末の拍子宗冬、皆人々、直衣に色々の衣を出だす。例の安名尊・席田・鳥破急・律青柳・万歳楽・三台急。御遊び果てぬれば、殿上の五位共参りて、管絃の具を分かつ。御方々、冠賜はり給ふ。道々の師共、加階賜はる。其の後、和歌の披講始まる。為道の朝臣、縫腋の袍に、壺負いて、弓に懐紙を取り具して、上達部の座の前を通りて、階の間より入りて、文台の上に置く。其の外の殿上人共の歌は、一つに取り集めて、信輔一度に文台に置く。文台の東に円座を敷きて、春宮披講の程渡らせ給ふ。内宴などと言ふ事にぞかくは有りけると、古き例も面白くこそ。上達部皆色々の衣を出だす。右大将通基、魚綾の山吹の衣着給へり。笏に歌を持ち具し給ふ。内の上の御歌は殿ぞ書き給ひける。
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行く末を猶長き代と契るかな弥生にうつる今日の春日に W
新院の御製は内大臣書き給ふ。
百色と今や鳴くらん鴬も九返りの君が春へて W
春宮のは、左大将に書かせらる。
限り無き齢は未だ九十猶千代遠き春にも有るかな W
製に応ずと、上文字載せられたるも、内宴の例とかや。次々、例の多けれど、むつかしくてもらしつ。春宮の大夫こそ、いとうけばりてめでたく侍りしか。
代々の跡に猶立ち上る老いの波寄りけん年は今日の為かも W
其の後、東向の鞠の掛かりある方へ渡らせ給ふ。御方々の女房、色々の衣、昨日には引きかへて、珍しき袖口を思々に押し出でたり。紫の匂ひ・山吹・青鈍・かうじ・紅梅・桜萌黄などは女院の御あかれ、内の御方は、内侍の典侍より下、皆松がさね・白格子・うら山吹、院の御方、葡萄染めに白筋・樺桜〔の〕青筋、春宮の女房、上〔の〕紫格子・柳など、様々に目もあやなる清らを尽くされたり。同じ文も色もまじらず、心々に変はりて、いみじうぞ侍りける。後嵯峨院、蓮花王院御幸有りし時、両貫首同じやうに、藤の下襲・山吹の上の袴なりしをば、いと念無き事に世の人も言ひ侍りしにや。御方々
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の女房共、八十余人押しこりて候はるる、いづれとも無く目うつりして、いみじう形も気色も目安く持て付けたり。後鳥羽院建仁の例とて、新院御上鞠三足ばかり立たせ給ひて、落とされぬ。内の上、御直衣・紺地の御袴、始めは御草鞋を奉りけれど、後には御沓、片足変はりの御襪、藍白地竹・紫白地桐の文、紫革の御結緒也。春宮、御直衣・紫の御指貫・同じ色革の御襪、新院、織物の御直衣・御指貫・文無き紫の御襪、関白文無きふすべ革、内の大臣紫革に菊を縫ひたり。藤大納言為氏無文のふすべ革、其の外色々〔の〕錦革・藍革・藍白地、各けぢめわかるべし。為兼紫革、為道は藍白地なりけり。為兼とは、為氏の大納言の弟兵衛督為教と言ひしが子なり。為道は大納言の孫、為世の太郎なり。離れぬ中にて、いといたくいどみかはしたり。内の上は、白骨の御扇、左の御手に持たせ給ひて、花のいみじく面白き木蔭に立ち休らひ給へる御形、いとゆゆしきまで清らに見え給ふ。飽かず名残多く思さるれど、春の司召し・御燈など言ふ事共あれば、行幸は今夜帰らせ給ふ。御贈り物に御本参る。明くる日、午の時ばかり、寝殿より西園寺まで筵道敷きて、両院御烏帽子直衣、春宮御括り上げて堂々拝ませ給ふ。左衛門督、新院の御はかせ持給へり。権亮親定、春宮の御はかし持たれたり。妙音堂に御参り有るに、遅き桜一木ほころび初めて、今日の御幸を待ち顔なり。仏の御前に、仮初の御座ながら、
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皆渡らせ給ふ。廂に上達部つきて、御遊の具召す。笛花山院の大納言、笙左衛門督、篳篥兼行、春宮御琵琶、大夫笙、大鼓具顕、鞨鼓範藤、盤渉調に調べ整へて、採桑老・蘇合・白柱・千秋楽など、いみじう面白し。うるはしき事よりも中々艶なり。兼行、「花は上苑に明らかなり」と、打ち出だしたるに、いとど物の音持てはやされて、えも言はず聞こゆ。具顕・範藤など「羅綺の重衣」と、二返りばかり言へるに、「情け無き事を機婦にねたみ」と本院加へ給へば、新院、御声助け給ふ程、そぞろ寒きまで艶なり。帰らせ給ひても、又、昨日の花の蔭にて、鞠御覧ぜられつつ、それよりやがて御船に奉りて押し出でたれば、遙かなる海づらに漕ぎ離れたらん心地して、いとをかし。小さき舟に上達部乗りて、橋に付けられたり。飽かざりつる妙音堂の調子をうつされて、有りつる同じ人々仕る。春宮又御琵琶。箏の琴は右衛門督と言ふ女房、御舟に参れるに弾かせらる。舟の中の調べはいと艶なり。蘇合の五帖・輪台・青海波・竹林楽・越殿楽など、幾返りとも無く面白し。兼行「山又山」など打ち誦じたるに、「変態繽紛たり」と両院遊ばしたるに、水の底も怪しきまで、身の毛立ちぬべく〔は〕聞こゆ。中島に御舟差しとめて見れば、旧苔年旧りたる松の枝差しかはせる岩のたたずまひ、いと暗がりたるに、池の水浪、心のどかに見えて、名も知らぬ小鳥共乱れ飛ぶ気色、何と無くをかし。遠きさかひに臨める心地するに、めぐれる山の滝つ岩根、
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遙かに霞みて見渡さるる程、仙の洞もかくやとぞ覚ゆる。「二千里の外の心地こそすれ」など宣ひて、新院、
雲の波煙の波を分けてけり
誰にか有らん、女房の中より、
行く末遠き君が御代とて W
春宮の大夫、
昔にも猶立ち越ゆる貢ぎ物
具顕の中将、
曇らぬ影も神のまにまに W
春宮、
九十に猶も重ぬる老いのなみ
本院、
たちゐ苦しき世の習ひかな W
暮れ果つる程に、釣殿へ御舟寄せて、降りさせ給ひぬ。春宮、今夜帰らせ給へば、御贈り物に、和琴一つ奉らせ給ふ。誠や、准后にも恵果和尚の三つ衣、紺地の錦に包みて、銀
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の箱に入れて参る。いづれも大宮院の御沙汰なり。掃部寮、火繁うともして、打ち群れつつゐたる様も、艶めかしう雅かなり。ここ彼処には、此の御賀の事共書きつけしるす人のみぞ多かめれば、片端だに、いとかたくなならんとあさまし。何と無く過ぎ行く程に、弘安も十年になりぬ。此の御門、位に即かせ給ひて、十三年ばかりに成りぬらん。本院、待ち遠に思さるらんと、いとほしく推し量り奉るにや、
例の東より奏する事有るべし。新院の御方様には、心細う聞こし召し悩むべし。去年の春、御乳母の按察の二位殿失せにしかば、一めぐりの仏事に亀山殿へ御座しまして、いかめしう八講行はせ給ふ日、雪いたう降りければ、九条の二位隆博、桧扇のつまを折りて、
跡とめて問はるる御代の光をや雪の内にも思ひ入るらん W
女房の中に聞こえたるを、院御覧じて、返しに宣ふ。
無き人の重ねし罪も消えねとて雪の中にも跡を問ふかな W
万飽かず思さるる程なれど、其の年の十月に降り居させ給ふ。もとの上は二十一にぞならせ給ひける。御本性もいとうるはしく、のどめたる様に思して、すくよかに、御才も賢うめでたく御座しませば、御政なども漸う譲りや聞こえましなど思されつるに、いと敢へ無く移ろひぬる世を、すげなく新院は思さるべし。春宮、位に
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即き給ひぬれば、天の下本院に推し移りぬ。世の中押し別れて、人の心共も、斯かる際にぞ現れける。今の御門も、故山階の大臣の御孫にて渡らせ給へば、彼の殿原のみぞ、何方にもすさめぬ人にて御座しける。