第五 内野(うちの)の雪(ゆき)〔おほうち山とも〕
今(いま)后の御父(ちち)は、先(さき)にも聞(き)こえつる右大臣〈 実氏 〉の大臣(おとど)、其(そ)の父(ちち)殿〈 公経 〉の太政大臣(おほきおとど)、其(そ)のかみ夢見給(たま)へる事有(あ)りて、源氏(げんじ)の中将(ちゆうじやう)わらはやみまじなひ給(たま)ひし北山の辺(ほとり)に、世(よ)に知(し)らずゆゆしき御堂(みだう)を建(た)てて、名(な)をば西園寺(さいをんじ)と言(い)ふめり。此(こ)の所は、伯(はく)の三位(さんみ)資仲の領なりしを、尾張国松枝と言(い)ふ庄にかへ給(たま)ひてけり。もとは、田(た)畠(はたけ)など多(おほ)くて、ひたぶるに田舎(ゐなか)めきたりしを、更(さら)に打(う)ち返(かへ)しくづして、艶(えん)ある園(その)に造(つく)りなし、山(やま)のたたずまひ木深(こぶか)く、池の心ゆたかに、わたつ海(うみ)をたたへ、峰より落(お)つる滝(たき)の響(ひび)きも、げに涙(なみだ)催(もよほ)しぬべく、心ばせ深(ふか)き所(ところ)の様(さま)なり。本堂は西園寺(さいをんじ)、本尊の如来誠(まこと)に妙(たへ)なる御姿(すがた)、生身(しやうじん)もかくやと、いつくしうあらはされ給(たま)へり。又(また)、善積院(ぜんしやくゐん)は薬師、功徳蔵院は地蔵菩薩にて御座(おは)す。池の辺(ほとり)に妙音堂、滝(たき)のもとには不動尊。此(こ)の不動(ふどう)は、津(つ)の国(くに)より生身の明王、簔笠(みのかさ)うち奉(たてまつ)りて、差(さ)し歩(あゆ)みて御座(おは)したりき。其(そ)の簔笠(みのかさ)、宝蔵(ほうざう)に込(こ)めて、三十三年に一度出(い)ださるとぞ承(うけたまは)る。石橋(いしばし)の上には五大堂。成就心院と言(い)ふは愛染王(あいぜんわう)の座さまさぬ秘法(ひほふ)取(と)り行(おこな)はせらる。供僧(ぐそう)も紅梅の衣、袈裟(けさ)数珠(ずず)の糸まで、同(おな)じ色にぞ侍(はべ)るめる。
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又(また)、法水院(ほすゐん)・化水院(けすゐん)、無量光院とかやとて、来迎(らいがう)の気色、弥陀如来・二十五の菩薩、虚空(こくう)に現じ給(たま)へる御姿(すがた)も侍(はべ)るめり。北の寝殿(しんでん)にぞ大臣(おとど)は住(す)み給(たま)ふ。めぐれる山(やま)の常盤木(ときはぎ)共(ども)、いと旧(ふ)りたるに、なつかしき程(ほど)の若木(わかき)の桜(さくら)など植(う)ゑ渡(わた)すとて、大臣(おとど)うそぶき給(たま)ひける。
山桜(やまざくら)峰にも尾にも植(う)ゑ置(お)かん見(み)ぬ世(よ)の春を人や忍(しの)ぶと W
彼(か)の法成寺(ほふじやうじ)をのみこそ、いみじき例(ためし)に世継(よつぎ)も言(い)ひためれど、是(これ)は猶(なほ)山(やま)の気色さへ面白(おもしろ)く、都(みやこ)離(はな)れて眺望そひたれば、言(い)はん方(かた)無(な)くめでたし。峰殿の御舅(しうと)、東(あづま)の将軍の御祖父(おほぢ)にて、万(よろづ)世(よ)の中(なか)御心(おんこころ)の儘(まま)に、飽(あ)かぬ事無(な)くゆゆしくなん御座(おは)しける。今(いま)の右(みぎ)の大臣(おとど)、をさをさ劣(おと)り給(たま)はず、世(よ)の重(おも)しにて、いと止(や)む事(ごと)無(な)く御座(おは)するに、女御さへ御覚(おぼ)えめでたく、いつしか只(ただ)ならず御座(おは)すると聞(き)こゆる、奥(おく)床(ゆか)しき御程(ほど)なるべし。〔仁治三年〕九月十二日、佐渡院隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。世(よ)の中(なか)移(うつ)り変(か)はりしきざみ、もしやなど思(おぼ)されしも空(むな)しくて、いよいよ隔(へだ)たり果(は)てぬる世(よ)を、心(こころ)細(ぼそ)く思(おぼ)し歎(なげ)きける積(つ)もりにや、〔いと〕さしも取(と)り立(た)てたる御悩(なや)みなどは無(な)くて、失(う)せさせ給(たま)ふ〔に〕、〔折(をり)〕哀(あは)れなる御事(こと)共(ども)なり。四十六にぞならせ給(たま)ひける。明(あ)くる年は、寛元元年(ぐわんねん)なり。六月十日頃に、中宮今出川(いまでがは)の大殿(おとど)にて、其(そ)の御気色あれば、殿の内(うち)立(た)ち騒(さわ)ぐ。白(しろ)き御装(よそ)ひに改(あらた)めて、母屋(もや)に移(うつ)らせ給(たま)ふ程(ほど)、いと面白(おもしろ)し。大臣(おとど)・北(きた)の方(かた)・御兄(せうと)の殿(との)原(ばら)達(たち)、添(そ)ひかしづき聞(き)こえ奉(たてまつ)る
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様(さま)、限(かぎ)り無(な)くめでたし。御修法(みしゆほふ)の壇共(ども)数(かず)知(し)らず。医師(くすし)・陰陽師(おんやうじ)・かんなぎ、各(おのおの)かしがましきまで響(ひび)き合(あ)ひたり。いと暑(あつ)き程(ほど)なれば、只(ただ)ある人だに汗(あせ)に押(お)しひたしたるに、后(きさい)の宮(みや)いと苦(くる)しげにし給(たま)ひて、色々(いろいろ)の御物(もの)の怪(け)共(ども)名乗(なの)り出(い)でつつ、わりなく惑(まど)ひ給(たま)へば、大臣(おとど)・北の方(かた)、いかさまにせんと御心(おんこころ)を惑(まど)はし給(たま)ふ様(さま)、哀(あは)れに悲(かな)し。斯様(かやう)のきざみ、高(たか)きも下(くだ)れるも、おろかに思(おも)ふ人やは有(あ)らん。なべて皆(みな)かうのみこそあれど、げに差(さ)しあたりたる世(よ)の気色(けしき)を取(と)り具(ぐ)して、類(たぐひ)無(な)く思(おぼ)さるらんかし。内よりも、如何(いか)に如何(いか)にと御(おん)使(つか)ひ、雨の脚(あし)よりも繁(しげ)う走(はし)り違(ちが)ふ。〔内の〕御乳母(めのと)大納言(だいなごん)二位殿、大人(おとな)大人(おとな)しき内侍(ないし)の典侍(すけ)など、さるべき限(かぎ)り参(まゐ)り給(たま)へり。今日(けふ)も猶(なほ)心(こころ)許(もと)無(な)くて暮(く)れぬれば、いと恐(おそ)ろしう思(おぼ)す。伊勢(いせ)の御(み)てぐら使(つか)ひなど立(た)てらる。諸社の神馬(じんめ)、所々(ところどころ)の御誦経(ずきやう)の使(つか)ひ、四位五位数(かず)を尽(つ)くして鞭(ぶち)をあぐる様(さま)、言(い)はずとも推(お)し量(はか)るべし。大臣(おとど)とりわき春日(かすが)の社(やしろ)へ拝して、御馬・宮の御衣(おんぞ)など奉(たてまつ)らる。内には更衣腹(かういばら)に若宮(わかみや)御座(おは)しませど、此(こ)の事(こと)を待(ま)ち聞(き)こえ給(たま)ふとて、坊定(さだ)まり給(たま)はぬ程(ほど)なり。仮令(たとひ)平(たひ)らかにし給(たま)へりとも、女宮(をんなみや)にて御座(おは)しまさばと、まがまがしきあらましを思(おも)ふだに〔も〕、胸(むね)つぶれ口惜(くちを)し。かつは、御身の宿世(しゆくせ)見(み)ゆべき際(きは)ぞかしと思(おぼ)せば、いみじう念じ給(たま)ふに、既(すで)に事(こと)成(な)りぬ。先(ま)づ何(なに)にかと心(こころ)騒(さわ)ぐに、御兄(せうと)の大納言(だいなごん)公相、「皇子御誕生(たんじやう)ぞや」と、〔いと〕高(たか)らかに宣(のたま)ふを、余(あま)りの事(こと)に皆(みな)あきれて、「誠(まこと)か誠(まこと)か」と大臣(おとど)宣(のたま)ふ儘(まま)に、
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喜(よろこ)びの御涙(なみだ)ぞ落(お)ちぬる。哀(あは)れなる御気色、見(み)る人も事忌(ことい)み〔も〕しあへず。御修法(みしゆほふ)の僧共(ども)を始(はじ)め、道々(みちみち)の禄(ろく)賜(たま)はる。したり顔(がほ)に汗(あせ)押(お)し拭(のご)ひつつまかづる気色、今(いま)一際(きは)めでたく罵(ののし)り立(た)ちて、更(さら)に物(もの)も聞(き)こえず。げに此(こ)の頃の響(ひび)きに、女(をんな)にて御座(おは)しまさましかば、如何(いか)にしほしほと口惜(くちを)しからまし。きらきらしうもし出(い)で給(たま)へるかし。然(さ)れば、大臣(おとど)、年たけ給(たま)ふまでも、其(そ)の折(をり)の嬉(うれ)しう忝(かたじけな)かりしを思(おも)ひ出(い)づれば、見(み)奉(たてまつ)るごとに涙ぐまるるとぞ、後深草院をば常(つね)に申(まう)されける。御湯殿(おゆどの)の儀式(ぎしき)は更(さら)にも言(い)はず、人々(ひとびと)の禄(ろく)、何(なに)くれと、例(れい)の作法(さほふ)に事(こと)を添(そ)へて、いみじう世(よ)の例(ためし)にもなるばかりと尽(つ)くし給(たま)ふ。御はかし参(まゐ)る。心(こころ)許(もと)無(な)かりつる儘(まま)に、二十八日、親王(しんわう)の宣旨(せんじ)有(あ)りて、八月十日、すがやかに、太子に立(た)ち給(たま)ひぬ。大臣(おとど)御心(おんこころ)落(お)ち居(ゐ)て、すずしうめでたう思(おぼ)す事限(かぎ)り無(な)し。かくて、又(また)の年、東(あづま)の大納言(だいなごん)頼経の君、悩(なや)み給(たま)ふ由(よし)聞(き)こえて、御子の六(む)つに成(な)り給(たま)ふに譲(ゆづ)りて、都(みやこ)へ御返(かへ)りあれば、若君(わかぎみ)に其(そ)の日やがて将軍の宣旨(せんじ)下(くだ)され、少将(せうしやう)に成(な)り給(たま)ふ。頼嗣と名乗(なの)り給(たま)ふべし。泰時の朝臣、一昨年(をととし)入道して、孫(うまご)の時頼に世(よ)を譲(ゆづ)りにしかば、此(こ)の頃は天(あめ)の下の御後見(おんうしろみ)、此(こ)の相模(さがみ)の守(かみ)時頼の朝臣仕(つかうまつ)る。いと心(こころ)賢(かしこ)くめでたき聞(き)こえ有(あ)りて、兵(つはもの)も靡(なび)き従(したが)ひ、大方、世(よ)も静(しづ)かに治(をさ)まりすましたり。かくて寛元も四年に成(な)りぬ。正月二十八日、春宮に御位譲(ゆづ)り申(まう)させ給(たま)ふ。此(こ)の御門も〔又(また)〕四(よ)つにぞならせ給(たま)ふ。めでたき御例(ためし)共(ども)なれば、行(ゆ)く末(すゑ)も
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推(お)し量(はか)られ給(たま)ふ。光明峰寺殿(くわうみやうぶじどの)の御三郎君左大臣〔実経〕の大臣(おとど)、御年(おんとし)二十四にて摂政し給(たま)ふ。いとめでたし。御はらから三人まで摂録(せうろく)し給(たま)へる例(ためし)、古(ふる)くは謙徳公・忠義公・東三条(とうさんでう)の大入道殿兼家、其(そ)の又(また)御子共(ども)中(なか)の関白殿・粟田殿・法成寺(ほふじやうじ)の入道殿これ二度(ふたたび)なり。近(ちか)くは、法性寺殿の御子共(ども)六条殿基実・松殿(まつどの)基房・月輪殿(つきのわどの)兼実、是(これ)ぞやがて今(いま)の峰殿(みねどの)の御祖父(おほぢ)よ。斯様(かやう)の事(こと)、いとたまたまあれど、粟田殿も宣旨(せんじ)被(かうぶ)り給(たま)へりしばかりにて、七日にて失(う)せ給(たま)へりしかば、天下(てんか)執行し給(たま)ふに及(およ)ばず。松殿の御子師家の大臣(おとど)、一代にてやみ給(たま)ひにき。いづれも御末(すゑ)までは御座(おは)せざりしに、此(こ)の三所、流(なが)れ絶(た)えず、久(ひさ)しき藤波(ふぢなみ)にて立(た)ち栄(さか)え給(たま)へるこそ、類(たぐひ)無(な)き止(や)む事(ごと)無(な)さなめれ。末(すゑ)の世(よ)にも有(あ)り難(がた)くや侍らん。今(いま)の摂政をば、後には円明寺殿と〔ぞ〕聞(き)こゆめりし。一条殿の御家の始(はじ)めなり。かくて御即位(そくゐ)・御禊(ごけい)も過(す)ぎぬ。大嘗会(だいじやうゑ)の頃、信実の朝臣と言(い)ひし歌(うた)詠(よ)みの娘(むすめ)少将(せうしやう)の内侍(ないし)、大内の女工所(によくどころ)に候(さぶら)ふに、雪(ゆき)いみじう日頃(ひごろ)降(ふ)りて、いかめしう積(つ)もりたる暁(あかつき)、太政(おほき)大臣(おとど)実氏宣(のたま)ひ遣(つか)はしける。
九重(ここのへ)の大内山の如何(いか)ならん限(かぎ)りも知(し)らず積(つ)もる雪(ゆき)かな W
御返(かへ)し、少将(せうしやう)の内侍(ないし)〔信実の朝臣娘(むすめ)〕、
九重(ここのへ)の内野(うちの)の雪(ゆき)に跡(あと)付(つ)けて遙(はる)かに千代の道を見(み)るかな W
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〔院の〕上(うへ)は、いつしか所々(ところどころ)に御幸(みゆき)繁(しげ)う、御遊(あそ)びなどめでたく、今(いま)めかしき様(さま)に好(この)ませ給(たま)ふ。中宮も位去(さ)り給(たま)ひて、大宮(おほみや)女院とぞ聞(き)こゆる。安(やす)らかに、常(つね)は一(ひと)つ御車などにて、只人(ただひと)のやうに花(はな)やかなる事(こと)共(ども)のみ隙(ひま)無(な)く、万(よろづ)有(あ)らまほしき御有様(おんありさま)なり。院の上、石清水(いはしみづ)の社に詣(まう)でさせ給(たま)へば、世(よ)の人(ひと)残(のこ)り無(な)く仕(つかうまつ)る。然(さ)るべき事(こと)とは言(い)ひながら、猶(なほ)いみじ。御心(おんこころ)にも一年(ひととせ)の事思(おぼ)し出(い)でられて、殊(こと)に畏(かしこ)まり聞(き)こえさせ給(たま)ふべし。
石清水(いはしみづ)木(こ)がくれたりし古(いにしへ)を思(おも)ひ出(い)づればすむ心(こころ)かな W
宝治の頃(ころ)、神無月(かみなづき)二十日余(あま)りなりしにや、紅葉(もみぢ)御覧(ごらん)じに、宇治に御幸(みゆき)し給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)・殿上人、思(おも)ひ思(おも)ひ色々(いろいろ)の狩衣(かりぎぬ)、菊・紅葉(もみぢ)の濃(こ)き薄(うす)き、縫物(ぬひもの)・織物(おりもの)・綾錦(あやにしき)、すべて世(よ)に無(な)き清(きよ)らを尽(つ)くし騒(さわ)ぐ、いみじき見物(みもの)なり。殿上人の舟に楽器(がき)設(まう)けたり。橘(たちばな)の小島(こじま)に御船(みふね)差(さ)しとめて、物(もの)の音(ね)共(ども)吹(ふ)き立(た)てたる程(ほど)、水(みづ)の底(そこ)も耳(みみ)立(た)てぬべく、そぞろ寒(さむ)き程(ほど)なるに、折知(をりし)り顔(がほ)に空さへ打(う)ち時雨(しぐ)れて、真木(まき)の山風(やまかぜ)有(あ)らましきに、木の葉(は)共(ども)の色々(いろいろ)散(ち)りまがふ気色、言(い)ひ知(し)らず面白(おもしろ)し。女房の船(ふね)に、色々(いろいろ)の袖口(そでくち)、わざとなくこぼれ出(い)でたる、夕日に輝(かかや)き合(あ)ひて、錦(にしき)を洗(あら)ふ九の江かと見(み)えたり。平等院に中(なか)一日渡(わた)らせ給(たま)ひて、様々(さまざま)の面白(おもしろ)き事(こと)共(ども)数(かず)知(し)らず。網代(あじろ)に氷魚(ひを)の夜(よる)もさながら罵(ののし)り明(あ)かして、帰(かへ)らせ給(たま)ふ。鳥羽殿も近頃(ちかごろ)はいたう荒(あ)れて、池も水草(みくさ)がちに埋(う)もれたりつるを、いみじう修理し磨(みが)かせ給(たま)ひて、はじめて御幸(みゆき)
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成(な)りし時(とき)、「池の辺(ほとり)の松」と言(い)ふ事講ぜられしに、太政大臣(おほきおとど)、序書(か)き給(たま)へりき。
祝(いは)ひ置(お)く始(はじ)めと今日(けふ)を松(まつ)が枝の千年(ちとせ)の影(かげ)に澄(す)める池水(いけみづ) W
院の御製(ぎよせい)、
影(かげ)映(うつ)す松(まつ)にも千代の色見(み)えて今日(けふ)すみそむる宿(やど)の池水(いけみづ) W
大納言(だいなごん)の典侍(すけ)と聞(き)こえしは、為家(ためいへ)の民部卿の娘(むすめ)なりしにや。
色かへぬ常盤(ときは)の松(まつ)の影(かげ)添(そ)へて千代に八千代(やちよ)に澄(す)める池水(いけみづ) W
順(ずん)流(なが)るめりしかど、例(れい)のうるさければなん。御前の御遊(あそ)び始(はじ)まる程(ほど)、反橋(そりはし)のもとに、龍頭鷁首(りようとうげきす)寄(よ)せて、いと面白(おもしろ)く吹(ふ)き合(あ)はせたり。斯様(かやう)の事(こと)、常(つね)の御遊(あそ)び、いと繁(しげ)かりき。又(また)、太政(おほき)大臣(おとど)の津(つ)の国(くに)吹田(すいた)の山荘にも、いとしばしば御座(おは)しまさせて、様々(さまざま)の御遊(あそ)び数(かず)を尽(つ)くし、如何(いか)にせむと持(も)てはやし申(まう)さる。河に臨(のぞ)める家なれば、秋深(ふか)き月の盛(さか)りなどは、殊(こと)に艶(えん)有(あ)りて、門田(かどだ)の稲(いね)の風(かぜ)に靡(なび)く気色、妻(つま)どふ鹿(しか)の声(こゑ)、衣うつ砧(きぬた)の音、峰の秋風(あきかぜ)、野辺の松虫、取(と)り集(あつ)め、哀(あは)れそひたる所(ところ)の様(さま)に、鵜飼(うかひ)など下(お)ろさせて、篝火(かがりび)共(ども)ともしたる川の面(おもて)、いと珍(めづら)しうをかしと御覧(ごらん)ず。日頃(ひごろ)御座(おは)しまして、人々(ひとびと)に十首歌召(め)されしついでに、院の御製(ぎよせい)、
川舟(かはふね)のさして何処(いづく)か我(わ)がならむ旅とは言(い)はじ宿(やど)と定(さだ)めて W
と講(かう)じ上(あ)げたる程(ほど)、主(あるじ)の大臣(おとど)いみじう興(きよう)じ給(たま)ふ。「此(こ)の家の面目(めいぼく)今日(けふ)に侍(はべ)る」とぞ
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宣(のたま)はする。げに然(さ)る事(こと)と、聞(き)く人皆(みな)誇(ほこ)らしくなん。降(お)り居(ゐ)給(たま)へる太上天皇など聞(き)こゆるは、思(おも)ひ遣(や)りこそ、大人(おとな)びさだ過(す)ぎ給(たま)へる心地(ここち)すれど、未(いま)だ三十(みそぢ)にだに満(み)たせ給(たま)はねば、万(よろづ)若(わか)う愛敬(あいぎやう)づき、めでたく御座(おは)するに、時(とき)のおとなにて重々(おもおも)しかるべき太政大臣(おほきおとど)さへ、何業(なにわざ)をせんと、御心(おんこころ)に適(かな)ふべき事(こと)をのみ思(おも)ひまはしつつ、如何(いか)で珍(めづら)しからんと、持(も)て騒(さわ)ぎ聞(き)こえ給(たま)へば、いみじうはえばえしき頃(ころ)なり。御門、まして幼(をさな)く御座(おは)しませば、はかなき御遊(あそ)び業(わざ)より外(ほか)の営(いとな)み無(な)し。摂政殿さへ若(わか)く物(もの)し給(たま)へば、夜(よる)昼(ひる)候(さぶら)ひ給(たま)ひて、女房の中(なか)にまじりつつ、乱碁(らんご)・貝(かい)おほひ・手(て)まり・へんつきなどやうの事(こと)共(ども)を、思(おも)ひ思(おも)ひにしつつ、日を暮(く)らし給(たま)へば、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)も、打(う)ち解(と)けにくく心(こころ)遣(づか)ひすめり。節会(せちゑ)・臨時(りんじ)の祭(まつ)り、何(なに)くれの公事(くじ)共(ども)を、女房に学(まね)ばせて御覧(ごらん)ずれば、太政大臣(おほきおとど)興(きよう)じ〔申(まう)し〕給(たま)ひて、ことさら、小(ちひ)さき笏(しやく)など作(つく)らせて数多(あまた)奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、上も喜(よろこ)び思(おぼ)す。入道太政大臣(おほきおとど)の御娘(むすめ)大納言(だいなごん)の三位殿と言(い)ふを関白になさる。按察(あぜち)の典侍(すけ)隆衡(たかひら)の娘(むすめ)・大納言(だいなごん)の典侍(すけ)・中納言(ちゆうなごん)の典侍(すけ)・勾当(こうたう)の内侍(ないし)・弁(べん)の内侍(ないし)・少将(せうしやう)の内侍(ないし)、斯様(かやう)の人々(ひとびと)、皆(みな)男(をとこ)の官(つかさ)にあてて、其(そ)の役(やく)を勤(つと)む。「いとからい事」とて、わびあへるもをかし。中納言の典侍(すけ)を権大納言(だいなごん)実雄の君になさるるに、「したうづはく事(こと)、如何(いか)にも適(かな)ふまじ」とて、曹司(ざうし)に下(お)るるに、上もいみじう笑(わら)はせ給(たま)ふ。弁の内侍(ないし)、葦(あし)の葉(は)に書(か)きて、彼(か)の局(つぼね)に差(さ)し置(お)かせける。
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津(つ)の国(くに)の葦(あし)の下根(したね)の如何(いか)なれば波にしをれて乱(みだ)れ顔(がほ)なる W
返(かへ)し、
津(つ)の国(くに)の葦(あし)の下根(したね)の乱(みだ)れわび心(こころ)も波にうきてふるかな W
五月五日、所々(ところどころ)より御兜(かぶと)の花・薬玉(くすだま)など、色々(いろいろ)に多(おほ)く参(まゐ)れり。朝餉(あさがれひ)にて、人々(ひとびと)此(これ)彼(かれ)引(ひ)きまさぐりなどするに、三条の大納言(だいなごん)公親の奉(たてまつ)れる、根(ね)に露置(お)きたる蓬(よもぎ)の中(なか)に、深(ふか)きと言(い)ふ文字(もじ)を結(むす)びたる、糸(いと)の様(さま)もなよびかに、いと艶(えん)有(あ)りて見(み)ゆるを、上も御目(め)止(とど)めて、「何(なに)とまれ、言(い)へかし」と宣(のたま)ふを、人々(ひとびと)も、およすげて見奉(たてまつ)る。弁の内侍(ないし)、
〔あやめ草底(そこ)知(し)ら沼(ぬま)の長(なが)き根(ね)に深(ふか)きと言(い)ふや蓬生(よもぎふ)の露 W
と、有(あ)りつる使(つか)ひ、はや帰(かへ)りにければ、蔵人を召(め)して、殿上より遣(つか)はしつ。御返(かへ)し、公親、〕
あやめ草底知(し)ら沼(ぬま)の長(なが)き根(ね)を深き心(こころ)に如何(いかが)くらべん W
又(また)其(そ)の頃(ころ)、天王寺に院詣(まう)でさせ給(たま)ふついでに、住吉(すみよし)へも御幸(みゆき)有(あ)り。「神は嬉(うれ)し」と、後三条院仰(おほ)せられけん例(ためし)、思(おも)ひ出(い)でられ侍(はべ)りき。大宮院も御参(まゐ)りなれば、出車(いだしぐるま)共(ども)、色々(いろいろ)の袖口(そでくち)共(ども)、春秋の花紅葉(はなもみぢ)を、一度(ひとたび)に並(なら)べて見(み)る心地(ここち)して、いと美(うつく)しく、目(め)も輝(かかや)くばかりいどみ尽(つ)くされたり。上達部・若(わか)き殿上人などは、例(れい)の狩襖(かりあを)、裾濃(すそご)の袴(はかま)など、珍(めづら)しき姿(すがた)共(ども)を、心々(こころごころ)に打(う)ち混(ま)ぜたり。釣殿(つりどの)の簀子(すのこ)に、人々(ひとびと)候(さぶら)ひて、数多(あまた)聞(き)こえしかど、さのみは如何(いか)でか。太政大臣実氏、
今日(けふ)や又(また)更(さら)に千年(ちとせ)を契(ちぎ)るらん昔(むかし)にかへる住吉の松 W
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さても、院の第一の御子(みこ)は、右中弁(うちゆうべん)平(たひら)の棟範(むねのり)の主(ぬし)の娘(むすめ)、四条院に兵衛の内侍(ないし)とて候(さぶら)ひしが、剣璽(けんじ)につきて渡(わた)り参(まゐ)れりしを、忍(しの)び忍(しの)び御覧(ごらん)じける程(ほど)に、其(そ)の御腹(おんはら)に出(い)で物(もの)し給(たま)へりしかど、当代(たうだい)生(う)まれさせ給(たま)ひにし後(のち)は、押(お)し消(け)たれて御座(おは)しますに、又(また)建長元年(ぐわんねん)、后腹(きさきばら)に二(に)の宮(みや)さへ差(さ)し続(つづ)き光(ひか)り出(い)で給(たま)へれば、いよいよ今(いま)は思(おも)ひ絶(た)えぬる御契(ちぎ)りの程(ほど)を、私物(わたくしもの)にいと哀(あは)れと思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ふ。源氏(げんじ)にやなし奉(たてまつ)らましなど思(おぼ)すも、猶(なほ)飽(あ)かねば、只(ただ)御子(みこ)にて、東(あづま)の主(あるじ)になし聞(き)こえてんと思(おぼ)して、建長四年正月八日、院の御前にて御冠(かうぶり)し給(たま)ふ。御門の御元服にもほとほと劣(おと)らず。内蔵寮(くらづかさ)何(なに)くれ、清(きよ)らを尽(つ)くし給(たま)ふ。やがて三品の加階(かかい)賜(たま)はり給(たま)ふ。御年(おんとし)十一なるべし。中務(なかづかさ)の卿(かみ)宗尊親王(しんわう)と申(まう)すめり。同(おな)じ二月十九日、都(みやこ)を出(い)で給(たま)ふ。其(そ)の日将軍の宣旨(せんじ)被(かうぶ)り給(たま)ふ。斯(か)かる例(ためし)は未(いま)だ侍らぬにや。上下、珍(めづら)しく面白(おもしろ)き事(こと)に言(い)ひ騒(さわ)ぐべし。御迎(むか)へに東(あづま)の武士共(ども)数多(あまた)上(のぼ)る。六波羅(ろくはら)よりも名(な)ある者(もの)十人、御送(おく)りに下(くだ)る。上達部・殿上人・女房など、数多(あまた)参(まゐ)るも、「院中の奉公にひとしかるべし。彼処(かしこ)に候(さぶら)ふとも、限(かぎ)り有(あ)らん官(つかさ)冠(かうぶり)などは、障(さは)りあるまじ」とぞ仰(おほ)せられける。何事(なにごと)も、只(ただ)人柄(ひとがら)によると見(み)えたり。きはことによそほしげなり。誠(まこと)に公(おほやけ)と成(な)り給(たま)はずば、是(これ)より勝(まさ)る事(こと)、何(なに)か有(あ)らんと、にぎははしく花やかさは並(なら)ぶ方(かた)無(な)し。院の上も、忍(しの)びて、粟田口の辺(ほとり)に御車
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立(た)てて御覧じ送(おく)りけるこそ、哀(あは)れに忝(かたじけな)く侍れ。きびはに美(うつく)しげにて、遙々(はるばる)と御座(おは)しますを、御母の内侍(ないし)も、哀(あは)れに忝(かたじけな)しと思(おも)ひ聞(き)こゆべし。かかれば、もとの将軍頼嗣三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)は、其(そ)の四月に都へ上(のぼ)り給(たま)ひぬ。いとほしげにぞ見(み)え給(たま)ひける。さて、今(いま)下(くだ)り給(たま)へるを、持(も)て崇(あが)め奉(たてまつ)る様(さま)、言(い)はん方(かた)無(な)し。宮中(きゆうちゆう)のしつらひ、御設(まう)けの事(こと)など限(かぎ)りあれば、善見天の殊妙の荘厳もかくやとぞ覚えける。斯様(かやう)にて今年(ことし)は暮(く)れぬ。明(あ)くる年は建長五年なり。正月三日御門御冠(かうぶり)し給(たま)ふ。御年(おんとし)十一、御諱(いみな)久仁と申(まう)す。いとあてに御座(おは)しませど、余(あま)りささやかにて、又(また)御腰(こし)などの怪(あや)しく渡(わた)らせ給(たま)ふぞ、口惜(くちを)しかりける。いはけなかりし御程(ほど)は、猶(なほ)いとあさましう御座(おは)しましけるを、閑院の内裏焼(や)けける紛(まぎ)れより、うるはしく立(た)たせ給(たま)ひたりければ、内の焼(や)けたるあさましさは何(なに)ならず、此(こ)の御腰(こし)の直(なほ)りたる喜(よろこ)びをのみぞ、上下思(おぼ)しける。院の上、鳥羽殿に御座(おは)します頃、神無月(かみなづき)の十日頃、朝覲(てうきん)の行幸し給(たま)ふ。世(よ)にある限(かぎ)りの上達部(かんだちめ)・殿上人仕(つかうまつ)る。色々(いろいろ)の菊紅葉(もみぢ)をこき混(ま)ぜて、いみじう面白(おもしろ)し。女院も御座(おは)しませば、拝し奉(たてまつ)り給(たま)ふを、太政大臣(おほきおとど)見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふに、喜(よろこ)びの涙ぞ人悪(わろ)き程(ほど)なる。
例(ためし)無(な)き我(わ)が身よ如何(いか)に年たけて斯(か)かる御幸(みゆき)に今日(けふ)仕(つか)へぬる W
げに、大方の世(よ)に付(つ)けてだに、めでたく有(あ)らまほしき事(こと)共(ども)を、我(わ)が御末(すゑ)と見給(たま)ふ大臣(おとど)の
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心地(ここち)、如何(いか)ばかりなりけむ。来(こ)し方(かた)も例(ためし)無(な)きまで、高麗(こま)・唐土(もろこし)の錦綾(にしきあや)を立(た)ち重(かさ)ねたり。太政(おほき)大臣(おとど)ばかりぞねび給(たま)へれば、裏表(うらおもて)白(しろ)き綾(あや)の下襲(したがさね)を着(き)給(たま)へるしも、いとめでたく艶(なま)めかし。池には、うるはしく唐(から)の装(よそ)ひしたる御船(みふね)二艘(にさう)漕(こ)ぎ寄(よ)せて、御遊(あそ)び様々(さまざま)の事(こと)共(ども)めでたく罵(ののし)りて、帰(かへ)らせ給(たま)ふ響(ひび)きのゆゆしきを、女院も御心(おんこころ)行(ゆ)きて聞(き)こし召(め)す。其(そ)の頃(ころ)ほひ、熊野の御幸(みゆき)侍(はべ)りしにも、良(よ)き上達部数多(あまた)仕(つかうまつ)らる。都出(い)でさせ給(たま)ふ日、例(れい)の桟敷(さじき)など、心(こころ)殊(こと)にいどみかはすべし。車は立(た)てぬ事(こと)なりしかども、大宮院ばかり、それも出車は無(な)くて、只(ただ)一両にて見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ひしこそ、止(や)む事(ごと)無(な)さも面白(おもしろ)く侍(はべ)りけれ。弁(べん)の内侍(ないし)、
折(を)りかざすなぎの葉風の賢(かしこ)さに一人(ひとり)道ある小車の跡 W
御幸(みゆき)、熊野の本宮につかせ給(たま)ひて、それより新宮の川舟(かはふね)に奉(たてまつ)りて差(さ)し渡(わた)す程(ほど)、川の面(おもて)所(ところ)狭(せ)きまで続(つづ)きたるも、御覧(ごらん)じなれぬ様(さま)なれば、院(ゐん)の上、
熊野川(くまのがは)瀬切(せぎ)りに渡(わた)す杉舟の辺波(へなみ)に袖のぬれにけるかな W
其(そ)の後(のち)も、又(また)程(ほど)無(な)く御幸(みゆき)有(あ)りしかば、女院も参(まゐ)り給(たま)ひけり。皆人(みなひと)知(し)ろし召(め)したらん〔事(こと)〕、中々にこそ。