第六 おりゐる雲

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春過(す)ぎ夏たけて、年去(さ)り年(とし)来(き)たれば、康元元年(ぐわんねん)にも成(な)りにけり。太政大臣(おほきおとど)の第二の御娘(むすめ)〈 東二条院公子 〉女御に参(まゐ)り給(たま)ふ。女院の御はらからなれば、過(す)ぐし給(たま)へる程(ほど)なれど、斯(か)かる例(ためし)は数多(あまた)侍(はべ)るべし。十二月十七日、豊の明(あ)かりの頃(ころ)なれば、内わたり花やかなるに、いとど打(う)ち添(そ)へて今(いま)めかしうめでたく、其(そ)の日御消息(せうそこ)を聞(き)こえ給(たま)ふ。
夕暮をまつぞ久(ひさ)しき千年(ちとせ)まで変(か)はらぬ色の今日(けふ)の例(ためし)を W
関白書(か)かせ給(たま)ひけり。紅(くれなゐ)の匂(にほ)ひの箔(はく)も無(な)きに、X重(かさ)ねたるを、結(むす)びて包(つつ)まれたり。時成(な)りぬとて人々(ひとびと)まう上(のぼ)り集(あつ)まる。女御の君、裏(うら)濃(こ)き蘇芳(すはう)七(なな)つ・濃(こ)き一重(ひとへ)・蘇芳(すはう)の表着(うはぎ)・赤色(あかいろ)の唐衣(からぎぬ)・〔濃(こ)き袴(はかま)奉(たてまつ)れり。准后添(そ)ひて参(まゐ)り給(たま)ふ。〕皆(みな)紅(くれなゐ)の八(や)つ・萌黄(もえぎ)の表着(うはぎ)・赤色(あかいろ)の唐衣(からぎぬ)着(き)給(たま)ふ。出車十両、皆(みな)二人(ふたり)づつ乗(の)るべし。一の車、左に一条殿大殿(おほとの)の娘(むすめ)、右(みぎ)に二条殿公俊(きんとし)の大納言(だいなごん)の娘(むすめ)、二の左按察(あぜち)の君(きみ)〈 □□の妹(いもうと) 〉、右(みぎ)に中納言の君実任(さねたふ)の娘(むすめ)、三(さん)の左に民部卿殿、右別当殿、其(そ)の次々(つぎつぎ)くだくだしければ止(とど)めつ。御童(わらは)・下仕(しもづか)へ・御はした・御雑仕(ざふし)・御ひすましなど言(い)ふ物(もの)まで、形(かたち)良(よ)きを択(え)り整(ととの)へられたる、いみじう見所(みどころ)あるべし。御兄(せうと)の殿原、右大臣公相・内大臣公基参(まゐ)り給(たま)ふ。限(かぎ)り無(な)くよそほしげなり。院の御子にさへし奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、いよいよいつかれ給(たま)ふ様(さま)、言(い)はん方(かた)無(な)し。侍賢門院の、白河院の御子とて、鳥羽院に参(まゐ)り給(たま)へりし例(ためし)にやとぞ、心(こころ)当(あ)てには覚(おぼ)え侍(はべ)りし。御門の一(ひと)つ御腹(おんはら)の姫宮(ひめみや)、此(こ)の頃(ごろ)皇后宮とて、其(そ)の御方(かた)の内侍(ないし)ぞ、御(おん)使(つか)ひに参(まゐ)り、まう上(のぼ)り
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給(たま)ふ程(ほど)も、女御はいとはづかしく、似(に)げ無(な)き事(こと)に思(おぼ)いたれば、とみにえ動(うご)かれ給(たま)はぬを、人々(ひとびと)そそのかし申(まう)し給(たま)ふ。御太刀(たち)一条殿、御几帳(きちやう)按察殿、御火(ひ)取(と)り中納言持(も)たれたりけり。上(うへ)は十四に成(な)り給(たま)ふに、女御は二十五にぞ御座(おは)しける。御門、きびはなる御程(ほど)を、中々、あなづらはしき方(かた)に思(おも)ひなし聞(き)こえ給(たま)ひぬべかりつるに、いとざれて、つつましげならず聞(き)こえ掛(か)かり給(たま)ふを、准后は美(うつく)しと見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。御衾(ふすま)は、紅(くれなゐ)のうち八四方(やつよはう)なるに、上(かみ)にはうはざしの組(くみ)有(あ)り。糸(いと)の色など、清(きよ)らにめでたし。例(れい)の事(こと)なれば、准后奉(たてまつ)り給(たま)ふ。太政(おほき)大臣(おとど)も、三日が程(ほど)は候(さぶら)ひ給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)に勧盃(けんぱい)有(あ)り。二十三日、又(また)御消息(せうそこ)参(まゐ)る。御(おん)使(つか)ひ頭(とう)の中将(ちゆうじやう)通世、こたみも殿書(か)かせ給(たま)ふめり。此(こ)の頃、殿(との)と聞(き)こゆる太政大臣兼平の大臣(おとど)、岡(をか)の屋(や)殿(どの)の御弟(おとうと)ぞかし。後(のち)には照念院殿と申(まう)しけり。御手勝(すぐ)れてめでたく書(か)かせ給(たま)ひしよ。鷹司殿(たかつかさどの)の御家の始(はじ)めなるべし。
朝日(あさひ)影(かげ)今日(けふ)よりしるき雲の上(うへ)の空にぞ千代の色も見(み)えける W
御返(かへ)し、太政大臣(おほきおとど)聞(き)こえ給(たま)ふ。
朝日(あさひ)影(かげ)あらはれそむる雲の上(うへ)に行(ゆ)く末(すゑ)遠(とほ)き契(ちぎ)りをぞしる W
女(をんな)の装束(しやうぞく)、細長(ほそなが)添(そ)へてかづけ給(たま)ふ。今日(けふ)はじめて、内(うち)の上(うへ)、女御の御方(かた)に渡(わた)らせ給(たま)ふ。御供(とも)には関白殿・右大臣公相・内大臣公基・四条の大納言(だいなごん)隆親・権大納言(だいなごん)実雄良教通成・
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右大将基平など、押(お)しなべたらぬ人々(ひとびと)参(まゐ)り給(たま)ふ。餅(もちひ)の使(つか)ひ、頭(とう)の中将(ちゆうじやう)隆顕仕(つかうまつ)る。太政大臣(おほきおとど)、夜(よる)の御殿(おとど)より取(と)り入(い)れ給(たま)ふ。御心(おんこころ)の中(なか)のいはひ、如何(いか)ばかりかはと推(お)し量(はか)らる。人々(ひとびと)の禄(ろく)、紅梅(こうばい)の匂(にほ)ひ・萌黄(もえぎ)の表着(うはぎ)・葡萄染(えびぞ)めの唐衣(からぎぬ)・袿(うちき)・細長(ほそなが)・こしざしなど、しなじなに従(したが)ひて、けぢめあるべし。かくて今年(ことし)は暮れぬ。正月、いつしか后に立(た)ち給(たま)ふ。只人(ただひと)の御娘(むすめ)の、かく后・国母にて立(た)ち続(つづ)き候(さぶら)ひ給(たま)へる、例(ためし)稀(まれ)にや有(あ)らん。大臣(おとど)の御栄(さか)えなめり。御子二人(ふたり)大臣にて御座(おは)す。公相・公基とて、大将にも左右(さう)に並(なら)びて御座(おは)せしぞかし。是(これ)も、例(ためし)いと数多(あまた)は聞(き)こえぬ事(こと)なるべし。我(わ)が御身太政大臣にて、二人(ふたり)の大将を引(ひ)き具(ぐ)して、最勝講なりしかとよ、参(まゐ)り給(たま)へりし御勢(いきほ)ひのめでたさは、珍(めづら)かなる程(ほど)にぞ侍(はべ)りし。后・国母の御親(おや)、御門の御祖父(おほぢ)にて、誠(まこと)に其(そ)の器物(うつはもの)に足(た)らぬと見(み)え給(たま)へり。昔(むかし)後鳥羽院(ごとばのゐん)に候(さぶら)ひし下野(しもつけ)の君は、然(さ)る世(よ)の古(ふる)人(ひと)にて、大臣(おとど)に聞(き)こえける。
藤波(ふぢなみ)の影(かげ)差(さ)し並(なら)ぶ三笠山(みかさやま)人にこえたる梢とぞ見(み)る W
返(かへ)し、大臣(おとど)、
思(おも)ひ遣(や)れ三笠(みかさ)の山(やま)の藤の花咲(さ)き並(なら)べつつ見(み)つる心(こころ)は W
斯(か)かる御世の栄(さか)えを、自(みづか)らも止(や)む事(ごと)無(な)しと思(おぼ)し続(つづ)けて詠(よ)み給(たま)ひける。
春雨は四方の草木をわかねども繁(しげ)き恵(めぐ)みは我(わ)が身也(なり)けり W
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正嘉元年(ぐわんねん)の春の頃より、承明門院(しようめいもんゐん)御悩(なや)み重(おも)らせ給(たま)へば、院もいみじう驚(おどろ)かせ給(たま)ひて、御修法(みしゆほふ)何(なに)かと聞(き)こえつれど、遂(つひ)に七月五日、御年(おんとし)八十七にて隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。理(ことわり)の御年(おんとし)の程(ほど)なれど、昔(むかし)の御名残(なごり)と哀(あは)れにいとほしう、いたづき奉(たてまつ)らせ給(たま)へるに、敢(あ)へ無(な)くて、御法事(ほふじ)など懇(ねんご)ろにおきて宣(のたま)はする、いとめでたき御身なりかし。明(あ)くる年八月七日、二の御子(みこ)〈 亀山の院 〉坊にゐ給(たま)ひぬ。御年(おんとし)十なり。万(よろづ)定(さだ)まりぬる世(よ)の中(なか)、めでたく心(こころ)のどかに思(おぼ)さるべし。其(そ)の又(また)の年、〔正嘉三年〕三月二十日なりしにや、高野御幸こそ、又(また)来し方(かた)行(ゆ)く末(すゑ)も例(ためし)有(あ)らじと見(み)ゆるまで、世(よ)の営(いとな)み、天(あめ)の下(した)の騒(さわ)ぎには侍(はべ)りしか。関白殿・前(さき)の右大臣・内大臣・左右(さう)の大将・検非違使(けんびゐし)の別当を始(はじ)めて、残(のこ)りは少(すく)なし。馬・鞍、随身(ずいじん)・舎人(とねり)・雑色・童(わらは)の、髪(かみ)・形(かたち)・たけ・姿(すがた)まで、かたほなる無(な)く択(え)り整(ととの)へ、心(こころ)を尽(つ)くしたる装(よそ)ひ共(ども)、数々(かずかず)は筆にも及(およ)び難(がた)し。斯(か)かる色も有(あ)りけりと、珍(めづら)しく驚(おどろ)かるる程(ほど)になん。銀(しろかね)・黄金(こがね)を延(の)べ、二重(ふたへ)三重(みへ)の織物(おりもの)・うち物(もの)、唐(から)・大和(やまと)の綾錦(あやにしき)、紅梅(こうばい)の直衣(なほし)、桜(さくら)の唐(から)の木の紋(もん)・裾濃(すそご)・浮線綾(ふせんりよう)、色々(いろいろ)様々(さまざま)の直衣(なほし)・上(うへ)の衣(きぬ)・狩衣(かりぎぬ)、思(おも)ひ思(おも)ひの衣を出(い)だせり。如何(いか)なる龍田姫(たつたひめ)の錦(にしき)も、斯(か)かる類(たぐひ)は有(あ)り難(がた)くこそ見(み)え侍(はべ)りけれ。形見(かたみ)に語(かた)らふ人も有(あ)らざりけめど、同(おな)じ紋(もん)も色も侍らざりけるぞ、不思議(ふしぎ)なる。余(あま)りに珍(めづら)しくて、某(なにがし)の中将(ちゆうじやう)とかや、紺村濃(こんむらご)の指貫(さしぬき)をさへ着(き)たりける。それしも珍(めづら)かにて、いやしくも見(み)え
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侍らざりけるとかや。院の御様(さま)形(かたち)、所がらはいとど光(ひかり)を添(そ)へて、めでたく見(み)え給(たま)ふ。後土御門(ごつちみかど)の内大臣定通の御子顕定の大納言(だいなごん)、大将望(のぞ)み給(たま)ひしを、院もさりぬべく仰(おほ)せられければ、除目(ぢもく)の夜、殿(との)の内(うち)の者共(ども)も心(こころ)遣(づか)ひして、侍(はべ)るを心(こころ)許(もと)無(な)く思(おも)ひあへるに、引(ひ)き違(たが)へて、先(さき)に聞(き)こえつる公基の大臣(おとど)にて御座(おは)せしやらん、成(な)り給(たま)へりしかば、恨(うら)みに堪(た)えず、頭(かしら)下(お)ろして、此(こ)の高野に籠(こも)り居(ゐ)給(たま)へるを、いとほしく敢(あ)へ無(な)しと思(おぼ)されければ、今日(けふ)の御幸(みゆき)のついでに、彼(か)の室(むろ)を尋(たづ)ねさせ給(たま)ひて、御対面(たいめん)あるべく仰(おほ)せられ遣(つか)はしたるに、昨日まで御座(おは)しけるが、夜の間(ま)に、彼(か)の庵(いほり)をかき払(はら)ひ、跡(あと)も無(な)くしなして、いと清(きよ)げに、白(しろ)き砂(すなご)ばかりを、ことさらに散(ち)らしたりと見(み)えて、人も無(な)し。我(わ)が身は桂(かつら)の葉室の山庄へ逃(に)げ上(のぼ)り給(たま)ひにけり。其(そ)の由(よし)奏(そう)すれば、「今更(いまさら)に見(み)えじとなり、いとからい心(こころ)かな」とぞ、宣(のたま)はせける。かくのみ所々(ところどころ)に御幸(みゆき)繁(しげ)う、心(こころ)行(ゆ)く事隙(ひま)無(な)くて、いささかも思(おぼ)し結(むす)ぼるる事無(な)く、めでたき御有様(おんありさま)なれば、仕(つかうまつ)る人々(ひとびと)までも、思(おも)ふ事無(な)き世(よ)なり。吉田(よしだ)の院にても、常(つね)は御歌合(うたあはせ)などし給(たま)ふ。鳥羽殿には、いと久(ひさ)しく御座(おは)します折(をり)のみ有(あ)り。春の頃、行幸有(あ)りしには、御門も御鞠(まり)に立(た)たせ給(たま)へり。二条の関白良実上鞠(あげまり)し給(たま)ひき。内(うち)の女房など召(め)して、池の船(ふね)に乗(の)せて、物(もの)の音(ね)共(ども)吹(ふ)き合(あ)はせ、様々(さまざま)の風流(ふりう)の破子(わりご)・引(ひ)き物(もの)など、こちたき事(こと)共(ども)も繁(しげ)かりき。又(また)嵯峨(さが)の亀山(かめやま)の麓(ふもと)、大井川(おほゐがは)の北(きた)の岸(きし)にあたりて、ゆゆしき院をぞ造(つく)らせ給(たま)へる。小倉の山(やま)の
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梢、戸無瀬(となせ)の滝(たき)も、さながら御垣(みかき)の内(うち)に見(み)えて、〔わざと〕つくろはぬ前栽(せんざい)も、自(おの)づから情(なさ)けを加(くは)へたる所がら、いみじき絵師(ゑし)と言(い)ふとも、筆及(およ)び難(がた)し。寝殿(しんでん)の並(なら)びに、乾(いぬゐ)にあたりて、西に薬草院、東(ひんがし)に如来寿量院など言(い)ふも有(あ)り。橘(たちばな)の大后の昔(むかし)建(た)てられたりし壇林寺と言(い)ひし、今(いま)は破壊(はゑ)して礎(いしずゑ)ばかりに成(な)りたれば、其(そ)の跡(あと)に浄金剛院と言(い)ふ御堂を建(た)てさせ給(たま)へるに、道観上人を長老になされて、浄土宗を置(お)かる。天王寺の金堂うつさせ給(たま)ひて、多宝院とかや建(た)てられたり。川に臨(のぞ)みて桟敷(さじき)殿(どの)造(つく)らる。大多勝院(だいたしようゐん)と聞(き)こゆるは、寝殿(しんでん)の続(つづ)き、御持仏すゑ奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。斯様(かやう)の引(ひ)き離(はな)れたる道は、廊(らう)・渡殿(わたどの)・反橋(そりはし)などを遙(はる)かにして、すべていかめしう三葉(みつば)四葉(よつば)に磨(みが)き立(た)てられたる、いとめでたし。正元元年(ぐわんねん)三月五日、西園寺(さいをんじ)の花盛(はなざか)りに、大宮院、一切経供養せさせ給(たま)ふ。年頃(としごろ)は、思(おぼ)しおきてけるを、いたく知(し)ろし召(め)さぬに、女(をんな)の御願にて、いと賢(かしこ)く、有(あ)り難(がた)き御事(こと)なれば、院も同(おな)じ御心(おんこころ)に居(ゐ)立(た)ち宣(のたま)ふ。楽屋(がくや)の者共(ども)、地下も殿上も、なべてならぬを択(え)り整(ととの)へらる。其(そ)の日に成(な)りて行幸有(あ)り。春宮も同(おな)じく行啓(ぎやうげい)なる。大臣・上達部、皆(みな)上(うへ)の衣(きぬ)にて、左右(さう)に別(わか)ちて、御階(はし)の間の勾欄(かうらん)に着(つ)き給(たま)ふ。法会の儀式(ぎしき)、いみじさめでたき事(こと)共(ども)、学(まね)び難(がた)し。又(また)の日、御前に御遊(あそ)び始(はじ)まる。御門〈 後深草院 〉御琵琶(びは)、春宮御笛、まだいと小(ちひ)さき御程(ほど)に、みづら結(ゆ)ひて、御形(かたち)まほに美(うつく)しげにて、吹(ふ)き立(た)て給(たま)へる音の、雲井を響(ひび)かして、余(あま)り恐(おそ)ろしき
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程(ほど)なれば、天(あま)つ乙女(をとめ)もかくやと覚(おぼ)えて、太政大臣(おほきおとど)実氏、事忌(ことい)みもえし給(たま)はず、目(め)押(お)し拭(のご)ひつつためらひ兼(か)ね給(たま)へるを、理(ことわり)に、老(お)いしらへる大臣・上達部など、皆(みな)御袖共(ども)うるひ渡(わた)りぬ。女院の御心(おんこころ)の内(うち)、まして置(お)き所(どころ)無(な)く思(おぼ)さるらんかし。前(さき)の世(よ)も、如何(いか)ばかり功徳(くどく)の御身にて、かく思(おぼ)す様(さま)にめでたき御栄(さか)えを見給(たま)ふらんと、思(おも)ひ遣(や)り聞(き)こゆるも、ゆゆしきまでぞ侍(はべ)りし。御遊(あそ)び果(は)てて後(のち)、文台召(め)さる。院の御製(ぎよせい)、
色々(いろいろ)に袖を連(つら)ねて咲(さ)きにけり花(はな)も我(わ)が世(よ)も今(いま)盛(さか)りかも W
あたりを払(はら)ひて、際(きは)無(な)くめでたく聞(き)こえけるに、主(あるじ)の大臣(おとど)の歌さへぞ、掛(か)け合(あ)ひて侍(はべ)りしや。
色々(いろいろ)に重(かさ)ねて匂(にほ)へ桜花我(わ)が君々(きみぎみ)の千代のかざしに W
末(すゑ)まで多(おほ)かりしかど、例(れい)のさのみはにて、止(とど)めつ。いかめしう響(ひび)きて帰(かへ)らせ給(たま)ひぬる又(また)の朝、無量光院の花(はな)のもとにて、大臣(おとど)、昨日(きのふ)の名残(なごり)思(おぼ)し出(い)づるもいみじうて、
此(こ)の春ぞ心(こころ)の色は開(ひら)けぬる六十(むそぢ)余(あま)りの花(はな)は見(み)しかど W
其(そ)の年(とし)の八月二十八日、春宮十一にて御元服し給(たま)ふ。御諱(いみな)恒仁(つねひと)と聞(き)こゆ。世(よ)の中(なか)に様々(やうやう)ほのめき聞(き)こゆる事あれば、御門、飽(あ)かず心(こころ)細(ぼそ)う思(おぼ)されて、夜居(よゐ)の間(ま)の静(しづ)かなる御物語(おんものがたり)のついでに、内侍所(ないしどころ)の御拝の数(かず)を数(かぞ)へられければ、五千七十四日なりけるを承(うけたまは)り
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て、弁(べん)の内侍(ないし)、
千代と言(い)へば五(いつ)つ重(かさ)ねて七十(ななそぢ)に余(あま)る日数(ひかず)を神は忘(わす)れじ W
かくて、十一月二十六日、降(お)り居(ゐ)させ給(たま)ふに、〔夜、〕空の気色さへ哀(あは)れに、雨打(う)ちそそぎて、物(もの)悲(がな)しく見(み)えければ、伊勢の御(ご)が、「あひも思(おも)はぬももしきを」と言(い)ひけん古言(ふること)さへ、今(いま)の心地(ここち)して、心(こころ)細(ぼそ)く覚(おぼ)ゆ。上も思(おぼ)し設(まう)け給(たま)へれど、剣璽(けんじ)の出(い)でさせ給(たま)ふ程(ほど)、常(つね)の御幸(みゆき)に御身を離(はな)れざりつる習(なら)ひ、十三年の御名残(なごり)、引(ひ)きわかるるは、猶(なほ)いと哀(あは)れに、忍(しの)び難(がた)き御気色(けしき)を、悲(かな)しと見(み)奉(たてまつ)りて、弁(べん)の内侍(ないし)、
今(いま)はとて降(お)り居(ゐ)る雲の時雨(しぐ)るれば心(こころ)の内(うち)ぞかき暗(くら)しける W
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