増鏡(ますかがみ) 中巻
第七 北野(きたの)の雪(ゆき)
正元-元年(ぐわんねん)-十一月-二十六日、譲位(じやうゐ)〈 後深草院 〉の儀式常の如(ごと)し。十二月-二十八日御即位(そくゐ)、〈 亀山院 〉万(よろづ)めでたく、あるべき-限(かぎ)りにて、年も返(かへ)りぬ。おりゐの-御門は、十二月(しはす)の-二日、太上天皇の尊号有(あ)りて新院と聞(き)こゆ。本院と常は一(ひと)つに渡(わた)らせ給(たま)ひて、御遊(あそ)び繁(しげ)う心(こころ)-遣(や)りて、中々いとのどやかに目(め)-安(やす)き御有様(おん-ありさま)に、思(おぼ)し-慰(なぐさ)むやうなり。中宮も、院号(ゐんがう)の後は、東二条院と聞(き)こゆ。二条-富小路(とみのこうぢ)にぞ渡(わた)らせ給(たま)ふ。太政大臣(おほきおとど)も入道-し給(たま)ひぬ。常盤井とて、大炊御門(おほひの-みかど)-京極(きやうごく)なる所にぞ、折々(をりをり)住(す)み給(たま)ふ。此(こ)の入道殿の御弟(おとと)に、其(そ)の-頃、右大臣-実雄と聞(き)こゆる、姫君(ひめぎみ)数多(あまた)持(も)ち給(たま)へる中(なか)に、勝(すぐ)れたるをらうたき物(もの)に思(おぼ)し-かしづく。今上の女御代に出(い)で給(たま)ふべきを、やがて其(そ)のついで、文応-元年(ぐわんねん)、入内あるべく思(おぼ)し-おきてたり。院にも御気色賜(たま)はり給(たま)ふ。入道殿の御孫の姫君(ひめぎみ)も、参(まゐ)り給(たま)ふべき聞(き)こえはあれど、さしもやはと、押(お)し-立(た)ち給(たま)ふ。いと猛(たけ)き御心(おん-こころ)なるべし。此(こ)の姫君(ひめぎみ)の御兄(せうと)数多(あまた)物(もの)し給(たま)ふ中(なか)の兄(このかみ)にて、中納言-公宗と聞(き)こゆる、如何(いか)なる御心(おん-こころ)か有(あ)りけむ、下(した)-たく煙(けぶり)にくゆり-わび給(たま)ふ
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ぞ、いとほしかりける。然(さ)るは、いとあるまじき事(こと)と思(おも)ひ-放(はな)つにしも、従(したが)はぬ心(こころ)の苦(くる)し-さを、起(お)き-臥(ふ)し葦(あし)の音(ね)-泣(な)き-がちにて、御-急(いそ)ぎの近(ちか)づくに付(つ)けても、我(われ)-かの気色にてのみほれ-過(す)ぐし給(たま)ふを、大臣(おとど)は又(また)いかさまにかと苦(くる)しう思(おぼ)す。初秋風(はつあきかぜ)の気色-立(だ)ちて、艶(えん)ある夕暮に、大臣(おとど)渡(わた)り給(たま)ひて見給(たま)へば、姫君(ひめぎみ)、薄色(うすいろ)に女郎花(をみなへし)など引(ひ)き-重(かさ)ねて、几帳(きちやう)に少(すこ)しはづれてゐ給(たま)へる様(さま)-形(かたち)、常よりも言(い)ふ由(よし)無(な)く、あてに匂(にほ)ひ満(み)ちて、らうたく見(み)え給(たま)ふ。御髪(み-ぐし)いとこちたく、五重(いつへ)の扇(あふぎ)とかやを広(ひろ)げたらん様(さま)-して、少(すこ)し色なる方(かた)にぞ見(み)え給(たま)へど、筋(すぢ)こまやかに、額(ひたい)より裾(すそ)までまがふ筋(すぢ)無(な)く美(うつく)し。只人(ただひと)には、げに惜(を)しかりぬべき人柄(ひとがら)にぞ御座(おは)する。几帳(きちやう)押(お)し-遣(や)りて、わざと-なく拍子(ひやうし)打(う)ち-ならして、御箏(こと)弾(ひ)かせ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。折(をり)しも中納言参(まゐ)り給(たま)へり。「こち」と宣(のたま)へば、打(う)ち-畏(かしこ)まりて、御簾(み-す)の内(うち)に候(さぶら)ひ給(たま)ふ様(さま)-形(かたち)、此(こ)の-君しもぞ又(また)いとめでたく、あくまでしめやかに、心(こころ)の-底(そこ)ゆかしう、そぞろに心(こころ)-遣(づか)ひ-せらるるやうにて、こまやかに艶(なま)めかしう、澄(す)みたる様(さま)-して、あてに美(うつく)しう、いとど持(も)て-鎮(しづ)めて、騒(さわ)ぐ御胸(むね)を念(ねん)じつつ、用意(ようい)を加(くは)へ給(たま)へり。笛少(すこ)し吹(ふ)きなどし給(たま)へば、雲井に澄(す)み-上(のぼ)りて、いと面白(おもしろ)し。御箏(こと)の音のほのかにらうた-げなる、かき-合(あ)はせの程(ほど)、中々聞(き)きもとめられず、涙浮(う)きぬべきを、つれなくもてなし給(たま)ふ。撫子(なでしこ)の露もさながらきらめきたる小袿(こうちき)に、御髪(み-ぐし)はこぼれ-懸(か)かりて、少(すこ)し傾(かたぶ)き-掛(か)かり給(たま)へる傍目(かたはらめ)、まめやかに、
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光(ひかり)を放(はな)つとは、斯(か)かるをやと見(み)え給(たま)ふ。よろしきをだに、人の-親(おや)は如何(いかが)は見なす。ましてかく類(たぐひ)-無(な)き御有様(おん-ありさま)-共(ども)なめれば、世(よ)に-知(し)らぬ心(こころ)の-闇(やみ)に迷(まよ)ひ給(たま)ふも、理(ことわり)なるべし。十月-二十二日、参(まゐ)り給(たま)ふ儀式(ぎしき)、是(これ)もいとめでたし。出車十両、一の-車左大宮殿二位の-中将(ちゆうじやう)-基輔(もとすけ)の-娘(むすめ)、三位の-中将(ちゆうじやう)-実平の-娘(むすめ)とぞ聞(き)こえし。二の-左春日(かすが)の-新-大納言(だいなごん)、此(こ)の新-大納言(だいなごん)は、為家(ためいへ)の-大納言(だいなごん)の娘(むすめ)とかや聞(き)きしにや。それよりも下(しも)、ましてくだくだしければむつかし。御雑仕(ざふし)、青柳(あをやぎ)・梅が-枝(え)・高砂(たかさご)・貫川(ぬきがは)と言(い)ひし。此(こ)の貫川(ぬきがは)を、御門忍(しの)びて御覧(ごらん)じて、姫宮(ひめみや)一所(ひとところ)出(い)で-物(もの)し給(たま)ひき。其(そ)の姫宮(ひめみや)は、末(すゑ)に近衛(このゑ)の-関白〈 家基 〉の北(きた)の政所(まんどころ)に成(な)り給(たま)ひにき。万(よろづ)の事(こと)よりも、女御の御-様(さま)-形(かたち)、めでたく御座(おは)しませば、上も思(おも)ほし-付(つ)きにたり。女御は十六にぞ成(な)り給(たま)ふ。御門は十二の御年(おん-とし)なれど、いと大人(おとな)しくおよすげ給(たま)へれば、目(め)-安(やす)き御-程(ほど)なりけり。彼(か)の下(した)-くゆる心地(ここち)にも、いと嬉(うれ)しき物(もの)から、心(こころ)は心(こころ)として、胸(むね)のみ苦(くる)しきさまなれば、忍(しの)び-はつべき心地(ここち)-し給(たま)はぬぞ、遂(つひ)に如何(いか)に成(な)り給(たま)はんと、いとほしき。程(ほど)-無(な)く后立(きさきだ)ち有(あ)りしかば、大臣(おとど)、心(こころ)-行(ゆ)きて思(おぼ)さるる事限(かぎ)り-無(な)し。西園寺(さいをんじ)の-女御も、差(さ)し-続(つづ)きて参(まゐ)り給(たま)ふを、いかさまならんと御胸(むね)-つぶれて思(おぼ)せど、さしも有(あ)らず。是(これ)も九(ここの)つにぞ成(な)り給(たま)ひける。冷泉(れいぜい)の-大臣(おとど)公相(きんすけ)の御娘(むすめ)なり。大宮院の御子にし給(たま)ふとぞ聞(き)こえし。いづれも離(はな)れぬ御中(なか)に、いどみ-きしろひ給(たま)ふ程(ほど)、いと聞(き)き-にくき事(こと)もあるべし。宮仕(づか)ひの習(なら)ひ、斯(か)かるこそ昔(むかし)の人は面白(おもしろ)くはえ-ある事(こと)にし給(たま)ひけれ
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ど、今(いま)の世(よ)の-人(ひと)の御心(おん-こころ)-共(ども)も、余(あま)りすくよかにて、雅(みやび)をかはす事(こと)の御座(おは)せぬなるべし。是(これ)も后(きさき)に立(た)ち給(たま)へば、もとの中宮は上(あ)がりて、皇后宮とぞ聞(き)こえ給(たま)ふ。今后(いまぎさき)は遊(あそ)びにのみ心(こころ)-入(い)れ給(たま)ひて、しめやかにも見(み)え奉(たてまつ)らせ給(たま)はねば、御覚(おぼ)え劣(おと)り-様(ざま)に聞(き)こゆるを、思(おも)はずなる事(こと)に、世(よ)の-人(ひと)も言(い)ひ-沙汰(さた)-しける。父(ちち)-大臣(おとど)も、心(こころ)-やましく思(おぼ)せど、さりともねび-行(ゆ)き給(たま)はばと、只今(ただいま)は恨(うら)み所(どころ)-無(な)く思(おぼ)し-のどめ給(たま)ふ。かくて、弘長-三年-二月(きさらぎ)の頃、大方(おほかた)の世(よ)の気色もうららかに霞(かす)み-渡(わた)るに、春風ぬるく吹(ふ)きて、亀山(かめやま)-殿(どの)の御前の桜(さくら)ほころび-そむる気色の、常(つね)より異(こと)なれば、行幸あるべく思(おぼ)し-おきつ。関白二条殿-良実(よしざね)、此(こ)の三年(みとせ)ばかり〔又(また)〕返(かへ)り-なり給(たま)へば、御随身(み-ずいじん)-共(ども)花(はな)を折(を)りて、行幸より先(さき)に参(まゐ)り-設(まう)け給(たま)ふ。其(そ)の-外(ほか)の上達部(かんだちめ)は、例のきらきらしき限(かぎ)り、残(のこ)るは少(すく)なし。新院も両女院も渡(わた)らせ給(たま)ふ。御前の汀(みぎは)に船-共(ども)浮(う)かべて、をかしき様(さま)なる童(わらは)、四位の若(わか)きなど乗(の)せて、花(はな)の木蔭(こかげ)より漕(こ)ぎ-出(い)でたる程(ほど)、二(に)-無(な)く面白(おもしろ)し。舞楽(まひがく)様々(さまざま)曲など手を尽(つ)くされけり。御遊(ぎよ-いう)の後、人々(ひとびと)歌奉(たてまつ)る。「花(はな)に-遐年(かねん)を-契(ちぎ)る」と言(い)ふ題なりしにや。内の-上の御製(ぎよ-せい)、
尋(たづ)ね-来てあかぬ心(こころ)に任(まか)せなば千年(ちとせ)や花(はな)のかげに過(す)ごさん W
斯様(かやう)の方(かた)までも、いとめでたく御座(おは)しますとぞ、古(ふる)き人々(ひとびと)申(まう)すめりし。帰(かへ)らせ給(たま)ふ日、御贈(おく)り物(もの)-共(ども)、いと様々(さまざま)なる中(なか)に、延喜の御手本を、鴬のゐたる梅の造(つく)り枝に付(つ)けて、奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ
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とて、院〈 後嵯峨 〉の-上(うへ)、
梅が-枝(え)に代々の昔(むかし)の春掛(か)けて変(か)はらず来(き)-居(ゐ)る鴬(うぐひす)の声(こゑ) W
御返事(かへりごと)を忘(わす)れたるこそ、老(お)いの積(つ)もり、うたて口惜(くちを)しけれ。其(そ)の-年にや、五月の頃、本院、亀山(かめやま)-殿(どの)にて御如法経書(か)かせ給(たま)ふ。いと有(あ)り-難(がた)くめでたき御事(こと)ならんかし。後白河院(ごしらかはの-ゐん)こそ斯(か)かる御事(こと)はせさせ給(たま)ひけれ。それも御髪(み-ぐし)-下(お)ろして後(のち)の事(こと)なり〔けり〕。いとかく思(おぼ)し-立(た)たせ給(たま)へる、いみじき御願なるべし。然(さ)るは、数多(あまた)-度(たび)侍(はべ)りしぞかし。男(をとこ)は、花山院(くわさんゐん)の-中納言-師継(もろつぐ)一人候(さぶら)ひ給(たま)ひける。止(や)む事(ごと)無(な)き顕密の学士-共(ども)を召(め)しけり。昔(むかし)、上東門院も行(おこな)はせ給(たま)ひたりし例(ためし)にや、大宮院、同(おな)じく書(か)かせ御座(おは)しますとぞ承(うけたまは)りし。十種-供養果(は)てて後(のち)は、浄金剛院へ御自(みづか)ら納(をさ)めさせ給(たま)へば、関白・大臣・上達部歩(あゆ)み-続(つづ)きて御供(とも)仕(つかうまつ)られけるも、様々(さまざま)珍(めづら)しく面白(おもしろ)くなん。其(そ)の-年(とし)九月-十三夜、亀山(かめやま)-殿(どの)の桟敷(さじき)-殿(どの)にて、御歌合(うたあはせ)-せさせ給(たま)ふ。斯様(かやう)の事(こと)は、白河殿にても鳥羽殿にても、いと繁(しげ)かりしかど、如何(いか)でかさのみはにて、皆(みな)もらしぬ。此(こ)の-度(たび)は、心(こころ)-殊(こと)に磨(みが)かせ給(たま)ふ。右(みぎ)は関白殿にて歌-共(ども)撰(え)り-整(ととの)へらる。左は院の御前にて、歌御覧(ごらん)ぜられけり。此(こ)の-程(ほど)殿と申(まう)すは、円明寺殿の御事(こと)なり。新院の御位の初(はじ)めつ方(かた)、摂政にていませしが、又(また)此(こ)の二年(ふたとせ)ばかり、帰(かへ)らせ給(たま)へり。前(さき)の-関白殿は、院の御方に候(さぶら)はせ給(たま)ふ。其(そ)の-外(ほか)勝(すぐ)れたる限(かぎ)り、
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右(みぎ)は関白殿・今出川(いまでがは)の-太政大臣(おほきおとど)・皇后宮の御父(ちち)左大臣殿よりも下(しも)、皆(みな)此(こ)の道の上手(じやうず)-共(ども)なり。左は大殿(おほとの)よりかずだて作(つく)りて、風流(ふりう)の州浜(すはま)、沈(ぢん)にて作(つく)れる上(うへ)に、白金の舟(ふね)二(ふた)つに、色々(いろいろ)の色紙(しきし)を巻(ま)き-重(かさ)ねてつまれたり。数も沈(ぢん)にて作(つく)りて舟(ふね)に入(い)れらる。左右(さう)の読師、一度(いちど)に御前に参(まゐ)りて読(よ)み-あぐ。左具氏(ともうぢ)の-中将(ちゆうじやう)、右行家なり。山紅葉(やまもみぢ)、本院の御製(ぎよ-せい)、
外(よそ)よりは時雨(しぐれ)も如何(いかが)染(そ)めざらん我(わ)が植(う)ゑて見(み)る山(やま)の紅葉葉(もみぢば) W
遂(つひ)に、左御勝(か)ちの数(かず)勝(まさ)りぬ。披講果(は)てて夜更(ふ)け-行(ゆ)く程(ほど)、御遊(あそ)び始(はじ)まる。笛花山院(くわさんゐん)の-中納言-長雅・茂道の-中将(ちゆうじやう)、笙(しやう)公秋(きんあき)の-中将(ちゆうじやう)にて御座(おは)せしにや。篳篥(ひちりき)忠輔(ただすけ)の-中将(ちゆうじやう)、琵琶は太政大臣(おほきおとど)〈 公相 〉、具氏(ともうぢ)の-中将(ちゆうじやう)も弾(ひ)きけるとぞ。御簾(み-す)の内(うち)にも御箏(こと)-共(ども)かき-合(あ)はせらる。東(ひんがし)の-御方(かた)と聞(き)こえしは、新院の若宮(わかみや)の御母君にや。刑部卿の-君も弾(ひ)かれけり。楽のひまひまに、太政大臣(おほきおとど)・土御門(つちみかど)の-大納言(だいなごん)-通成など朗詠-し給(たま)ふ。忠輔(ただすけ)・公秋(きんあき)、声(こゑ)加(くは)へたる程(ほど)面白(おもしろ)く、川波(かはなみ)も更(ふ)け-行(ゆ)く儘(まま)にすごう、月は氷を敷(し)ける心地(ここち)-するに、嵐の-山(やま)の紅葉(もみぢ)、夜(よる)の-錦(にしき)とは誰か言(い)ひけん、吹(ふ)き-下(お)ろす松風(まつかぜ)に類(たぐ)ひて、御前の簀子(すのこ)にて、御酒(みき)参(まゐ)る土器(かはらけ)の中(うち)などに散(ち)り-掛(か)かる、わざと艶(えん)ある事(こと)のつまにしつべし。若(わか)き人々(ひとびと)は、身にしむばかり思(おも)へり。打(う)ち-乱(みだ)れたる様(さま)に、各(おのおの)御-土器(かはらけ)-共(ども)数多(あまた)-度(たび)下(くだ)る。明(あ)け-行(ゆ)く空も名残(なごり)多(おほ)かるべし。誠(まこと)や、此(こ)の年頃、前(さき)の-内大臣〈 基家 〉、為家(ためいへ)の-大納言(だいなごん)-入道・〔侍従(じじゆう)の-二位-〕行家・光俊の-弁(べん)の-入道など、承(うけたまは)りて、撰歌の沙汰(さた)有(あ)りつる、只(ただ)今日(けふ)-明日(あす)広(ひろ)まるべしと
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聞(き)こゆる、面白(おもしろ)うめでたし。彼(か)の元久の例(ためし)とて、一院自(みづか)ら磨(みが)かせ給(たま)へば、心(こころ)-殊(こと)に、光そひたる玉-共(ども)にぞ侍(はべ)るべき。年月(としつき)に添(そ)へては、いよいよ、外(ほか)-様(ざま)に分(わ)くる方無(な)く、栄(さか)えのみ勝(まさ)らせ給(たま)ふ御有様(おん-ありさま)のいみじきに、此(こ)の集の序にも、「やまと-島根(しまね)はこれ我(わ)が-世(よ)なり、春風に徳を仰(あふ)がんと願(ねが)ひ、和歌の-浦も又(また)我(わ)が-国也(なり)、秋の月に道をあきらめん」とかや書(か)かせ給(たま)へる、げにぞめでたきや。金葉集ならでは、御子(みこ)の御名(な)のあらはれぬも侍らねど、此(こ)の-度(たび)は、彼(か)の東(あづま)の中務(なかづかさ)の-宮(みや)の御名乗(なの)りぞ書(か)かれ給(たま)はざりける、いと止(や)む事(ごと)無(な)し。新古今(しんこきん)の時有(あ)りしかばにや、竟宴(きやうえん)と言(い)ふ事行(おこな)はせ給(たま)ふ、いと面白(おもしろ)かりき。此(こ)の集をば、続古今(しよくこきん)と申(まう)すなり。又(また)の-年、文永三東(あづま)に心(こころ)-よからぬ事出(い)で-来(き)て、中務(なかづかさ)の-御子(みこ)宮、うへ上(のぼ)らせ給(たま)ふ。何(なに)と-無(な)く、あわたたしきやうなり。御後見(おん-うしろみ)は、猶(なほ)時頼の-朝臣なれば、例(れい)のいと心(こころ)-賢(かしこ)うしたため-なほしてければ、聞(き)こえし程(ほど)の面白(おもしろ)き事(こと)などは無(な)ければ、宮は御子の惟康(これやす)の-親王(しんわう)に将軍を譲(ゆづ)りて、文永-三年-七月-八日、上(のぼ)らせ給(たま)ひぬ。御下(くだ)りの折(をり)、六波羅(ろくはら)に建(た)てたりし桧皮屋(ひはだや)一(ひと)つ有(あ)り。そこにぞ初(はじ)めは渡(わた)らせ給(たま)ふ。いとしめやかに、引(ひ)き-かへたる御有様(おん-ありさま)を、年月(としつき)の習(なら)ひに、さうざうしく物(もの)-心(ごころ)-細(ぼそ)う思(おぼ)されけるにや。
虎(とら)とのみ用(もち)ゐられしは昔(むかし)にて今(いま)は鼠のあな-う世(よ)の-中(なか) W
院にも、東の聞(き)こえをつつませ給(たま)ひて、やがては御対面(たいめん)も無(な)く、いと心(こころ)-苦(ぐる)しく思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。経任(つねたふ)の-大納言(だいなごん)、未(いま)だ下臈(げらふ)なりし程(ほど)、御(おん)-使(つか)ひに下されて、何事(なにごと)かと仰(おほ)せられなどし
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て後ぞ、苦(くる)しからぬ事(こと)になりて、宮も土御門(つちみかど)−殿承明門院(しようめいもんゐん)の御跡(あと)へ入(い)らせ給(たま)ひけり。院へも常(つね)に御参(まゐ)りなど有(あ)りて、人々(ひとびと)も仕(つかうまつ)る。御遊(あそ)びなどもし給(たま)ふ。雪(ゆき)のいみじう降(ふ)りたる朝明(あさあ)けに、右近(うこん)の-馬場のかた御覧じに御座(おは)して、御心(おん-こころ)の-内(うち)に、
猶(なほ)頼(たの)む北野(きたの)の雪(ゆき)の朝(あさ)ぼらけ跡(あと)-無(な)き事(こと)に埋(うづ)もるる身も W
世(よ)を乱(みだ)らむなど思(おも)ひ-寄(よ)りける武士の、此(こ)の御子(みこ)の御歌勝(すぐ)れて詠(よ)ませ給(たま)ふに、夜々(よるよる)[B 昼(ひる)か ]いと睦(むつ)ましく仕(つかうまつ)りける程(ほど)に、自(おの)づから同(おな)じ心(こころ)なる物(もの)など多(おほ)くなりて、宮の御気色あるやうに言(い)ひ-なしけるとかや。然様(さやう)の事(こと)-共(ども)の響(ひび)きにより、かく御座(おは)しますを、思(おぼ)し-歎(なげ)き給(たま)ふなるにこそ。日頃(ひごろ)なる雨(あめ)降(ふ)りて、少(すこ)し晴(は)れ間(ま)見(み)ゆる程(ほど)、空の気色しめやかなるに、二条-富(とみ)の-小路(こうぢ)-殿(どの)に、本院・新院一(ひと)つに渡(わた)らせ給(たま)ふ頃(ころ)、ことごとしからぬ程(ほど)の御遊(あそ)び有(あ)り。大宮院・東二条院も、御几帳(きちやう)ばかり隔(へだ)てて御座(おは)します。御前に、太政大臣(おほきおとど)−公相、常盤井(ときはゐ)の-入道殿−実氏、〔前(さき)の-〕左の-大臣(おとど)−実雄、久我(こが)の-大納言(だいなごん)-雅忠など、睦(むつ)ましき限(かぎ)り候(さぶら)ひ給(たま)ひて、御酒(みき)参(まゐ)る。数多(あまた)-下(くだ)り流(なが)れて、上下少(すこ)し打(う)ち-乱(みだ)れ給(たま)へるに、太政大臣(おほきおとど)、本院の御-杯(さかづき)賜(たま)はりて、持(も)ちながら、とばかり休(やす)らひて、「公相、官位共(とも)に極(きは)め侍(はべ)りぬ。中宮御座(おは)しませば、もし皇子降誕も有(あ)らば、家門の栄花いよいよ衰(おとろ)ふべからず。実兼(さねかぬ)もけしうは-侍らぬ男(をのこ)なり。後(うし)ろめたくも思(おも)ひ侍らぬを、一(ひと)つの憂(うれ)へ心(こころ)の底(そこ)になん侍(はべ)る」と申(まう)し給(たま)へば、人々(ひとびと)、
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何事(なにごと)にかと覚束無(おぼつかな)く思(おも)ふ。左の-大臣(おとど)は、中宮の事(こと)、掛(か)け給(たま)ふを、まだきよりもと耳(みみ)止(と)まりて、打(う)ち-思(おぼ)すにも、心(こころ)の-中(うち)安(やす)-げ-無(な)し。一院は、「如何(いか)なる憂(うれ)へにか」と宣(のたま)ふに、「如何(いか)にも、入道-相国に先(さき)-立(だ)ちぬべき心地(ここち)なんし侍(はべ)る。「恨(うら)みの至(いた)りて恨(うら)めしきは、盛(さか)りにて親(おや)に先(さき)-立(だ)つ恨(うら)み、悲(かな)しみの切(せち)に悲(かな)しきは、老(お)いて子に後(おく)るる悲(かな)しみには過(す)ぎず」などこそ、澄明(すみあきら)に後(おく)れたる願文にも書(か)きて侍(はべ)りしか」など聞(き)こえて、打(う)ち-しをれ給(たま)へば、皆(みな)いと哀(あは)れと思(おぼ)さる。入道殿はまいて、墨染(すみぞ)めの御袖絞(しぼ)るばかりに見(み)え給(たま)ふ。さて、其(そ)の-後幾(いく)-程(ほど)-無(な)く悩(なや)み給(たま)ふ由(よし)聞(き)こゆれど、さしもやはと覚(おぼ)えしに、いとあや無(な)く失(う)せ給(たま)ひぬ。冷泉(れいぜい)の-太政大臣と申(まう)し侍(はべ)りし事(こと)也(なり)。入道殿の御心(おん-こころ)の-中(うち)、さこそは御座(おは)しけめ。中宮も御服(ぶく)にてまかで給(たま)ひぬ。皇后宮は日に添(そ)へて御覚(おぼ)えめでたくなり給(たま)ひぬ。姫宮(ひめみや)・若宮(わかみや)など出(い)でもし給(たま)ひしかど、やがて失(う)せさせ給(たま)へるを、御門を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、誰(たれ)も-誰(たれ)も思(おぼ)し-歎(なげ)きつるに、今年(ことし)、又(また)其(そ)の御気色あれば、いとど思(おぼ)し-騒(さわ)ぎ、山々(やまやま)寺々(てらでら)に御祈(いの)りこちたく罵(ののし)る。こたびだに、実(げ)に又(また)打(う)ち-はづしては、いかさまにせんと、大臣(おとど)・母(はは)-北の方(かた)も、安(やす)き寝(い)も寝(ね)給(たま)はず、思(おぼ)し-惑(まど)ふ事限(かぎ)り-無(な)し。程(ほど)近(ちか)くなり給(たま)ひぬとて、土御門殿(つちみかどどの)の、承明門院(しようめいもんゐん)の御跡(あと)へ移(うつ)ろひ給(たま)ふ。世(よ)の-中(なか)響(ひび)きて、天下(てんか)の人、高(たか)きも下(くだ)れるも、官(つかさ)ある程(ほど)のは、参(まゐ)り-こみてひしめき-立(た)つに、殿の内(うち)の人々(ひとびと)は、まして心(こころ)も〔心(こころ)ならず、〕あわたたし、大臣(おとど)限(かぎ)り-無(な)き願-共(ども)を立(た)て、
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賀茂の-社にも、彼(か)の御調度(てうど)-共(ども)の中(なか)に、勝(すぐ)れて御宝(たから)と思(おぼ)さるる御手箱に、后(きさい)の-宮自(みづか)ら書(か)かせ給(たま)へる願文(ぐわんふみ)入(い)れて、神殿に込(こ)められけり。それには、「仮令(たとひ)御末(すゑ)までは無(な)くとも、皇子一人」とかや侍(はべ)りけるとぞ承(うけたまは)りし、誠(まこと)にや侍(はべ)りけん。かく言(い)ふは、文永-四年-十二月-一日なり。例(れい)の御物(もの)の怪(け)-共(ども)あらはれて、叫(さけ)び-とよむ様(さま)、いと恐(おそ)ろし。然(さ)れども、御祈(いの)りのしるしにや、えも-言(い)はずめでたき玉の-男(をのこ)-御子(みこ)生(う)まれ給(たま)ひぬ。其(そ)の-程(ほど)の式(しき)、言(い)はずとも推(お)し-量(はか)るべし。上(うへ)も、限(かぎ)り-無(な)き御志(おん-こころざし)に添(そ)へて、いよいよ思(おぼ)す様(さま)に嬉(うれ)しと聞(き)こし召(め)す。大臣(おとど)も今(いま)ぞ御胸(むね)-あきて心(こころ)-落(お)ち-居(ゐ)給(たま)ひける。新院の若宮(わかみや)〈 伏見院 〉も、此(こ)の殿の御孫-ながら、其(それ)は東二条院の御心(おん-こころ)の-中(うち)推(お)し-量(はか)られ、大方も又(また)うけ-ばり止(や)む事(ごと)無(な)き方には有(あ)らねば、万(よろづ)聞(き)こし召(め)し-消(け)つ様(さま)なりつれど、此(こ)の今宮(いまみや)は、本院も大宮院も、きはことに持(も)て-はやしかしづき奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。是(これ)も中宮の御-為(ため)、いとほしからぬには有(あ)らねど、如何(いか)でかさのみは有(あ)らんと、西園寺(さいをんじ)-様(ざま)にぞ、一方(ひとかた)ならず思(おぼ)し-結(むす)ぼほれ、すさまじう聞(き)き給(たま)ひける。