第八 飛鳥川(あすかがは)

隙(ひま)行(ゆ)く駒(こま)の足(あし)に任(まか)せて、文永も五年に成(な)りぬ。正月二十日、本院の御座(おは)します富(とみ)の小路殿
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にて、今上の若宮(わかみや)、御五十日(いか)聞(き)こし召(め)す。いみじう清(きよ)らを尽(つ)くさるべし。今年(ことし)正月に閏(うるふ)有(あ)り。後の二十日余(あま)りの程(ほど)に、冷泉院(れいぜいゐん)にて舞御覧有(あ)り。明(あ)けむ年(とし)、一院、五十(いそぢ)に満(み)たせ給(たま)ふべければ、御賀有(あ)るべしとて、今(いま)より世(よ)の急(いそ)ぎに聞(き)こゆ。楽所(がくしよ)始(はじ)めの儀式(ぎしき)は、内裏にてぞ有(あ)りける。試楽、二十三日と聞(き)こえしを、雨ふりて、明(あ)くるつとめて、人々(ひとびと)参(まゐ)り集(つど)ふ。新院は予(かね)てより渡(わた)らせ給(たま)へり。寝殿(しんでん)の御階(はし)の間に、一院の御座(おまし)設(まう)けたり。其(そ)の西(にし)に寄(よ)りて、新院の御座、東(ひんがし)は大宮院・東二条院、皆(みな)白(しろ)き御袴(はかま)に、二(ふた)つ御衣(おんぞ)奉(たてまつ)り、聖護院の法親王・円満院など参(まゐ)り給(たま)ふ。土御門(つちみかど)の中務(なかづかさ)の宮(みや)も参(まゐ)り給(たま)ふ。上達部・殿上人、数多(あまた)御供(とも)し給(たま)へり。仁和寺(にんわじ)の御室(おむろ)・梶井(かぢゐ)の法親王なども、すべて残(のこ)り無(な)く集(つど)ひ給(たま)ふ。月花門院・花山院(くわさんゐん)の准后などは、大宮院の御座(おは)します御座に御几帳(きちやう)押(お)しのけて渡(わた)らせ給(たま)ふ。寝殿(しんでん)の第四の間に、袖口(そでくち)共(ども)心(こころ)殊(こと)にて押(お)し出(い)ださる。大納言(だいなごん)の二位殿・南の御方など、止(や)む事(ごと)無(な)き上臈(じやうらふ)は、院の御座(おは)します御簾(みす)の中(なか)に、引(ひ)きさがりて候(さぶら)ひ給(たま)ふ。いづれも、白(しろ)き袴(はかま)に二(ふた)つ衣(ぎぬ)なり。東(ひんがし)の隅(すみ)の一間は、大宮院・月花門院の女房共(ども)参(まゐ)り集(つど)ふ。西(にし)の二間に、新准后候(さぶら)ひ給(たま)ふ。御前の簀子(すのこ)に、関白を始(はじ)め右大臣〔基忠〕・内大臣〔家経〕・兵部卿隆親・二条の大納言(だいなごん)良教・源大納言(だいなごん)通成・花山院(くわさんゐん)の大納言(だいなごん)師継・右大将通雅・権大納言(だいなごん)基具・一条の中納言公藤・花山院(くわさんゐん)の中納言長雅・左衛門督通頼・中宮の権大夫隆顕・
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大炊御門(おほひのみかど)の中納言信嗣・前(さき)の源宰相(さいしやう)有資・衣笠宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)経平・左大弁(さだいべん)の宰相(さいしやう)経俊(つねとし)・新宰相の中将(ちゆうじやう)具氏(ともうぢ)・別当公孝(きんたか)・堀川(ほりかは)の三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)具守・富小路三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)公雄、皆(みな)御階(みはし)の東(ひんがし)に着(つ)き給(たま)ふ。西の第二の間より、又(また)、〔前(さき)の〕左大臣実雄・二条の大納言(だいなごん)経輔(つねすけ)・前(さき)の源大納言(だいなごん)雅家(まさいへ)・中宮の大夫雅忠・藤大納言(だいなごん)為氏(ためうじ)・皇后宮の大夫定実・四条の大納言隆行・帥(そち)の中納言経任、此(こ)の外(ほか)の上達部、西東の中門の廊(らう)、それより下(しも)様(ざま)、透渡(すいわた)殿(どの)・打橋(うちはし)などまで着(つ)き余(あま)れり。皆(みな)、直衣(なほし)に色々(いろいろ)の衣重(かさ)ね給(たま)へり。時なりて、舞人(まひびと)共(ども)参(まゐ)る。実冬の中将(ちゆうじやう)、唐織物(からおりもの)の桜(さくら)の狩衣(かりぎぬ)、紫の濃(こ)き薄(うす)きにて梅を織(お)れり。赤地(あかぢ)の錦の表着(うはぎ)・紅の匂(にほ)ひの三(み)つ衣(ぎぬ)・同(おな)じ単(ひとへ)・しじらの薄色(うすいろ)の指貫(さしぬき)、人よりは少(すこ)しねびたりしも、あな清(きよ)げと見(み)えたり。大炊御門(おほひのみかど)の中将(ちゆうじやう)冬輔(すけ)と言(い)ひしにや、装束(さうぞく)先(さき)のに変(か)はらず。狩衣(かりぎぬ)はから織物(おりもの)なり。花山院(くわさんゐん)の中将(ちゆうじやう)家長(いへなが)〈 右大将の御子 〉魚綾(ぎよりよう)の山吹(やまぶき)の狩衣(かりぎぬ)、柳桜(やなぎさくら)を縫(ぬ)ひ物(もの)にしたり。紅の打衣(うちぎぬ)を輝(かかや)くばかりだみ返(かへ)して、萌黄(もえぎ)の匂(にほ)ひの三(み)つ衣(ぎぬ)・紅の三重(みへ)の単(ひとへ)、浮織物(うきおりもの)の紫の指貫(さしぬき)に、桜を縫(ぬ)ひ物(もの)にしたり。珍(めづら)しく美(うつく)しく見(み)ゆ。
花山院(くわさんゐん)の少将(せうしやう)忠季(ただすゑ)〈 師継(もろつぐ)の御子也(なり) 〉桜の結(むす)び狩衣(かりぎぬ)、白(しろ)き糸(いと)にて水(みづ)を隙(ひま)無(な)く結(むす)びたる上(うへ)に、桜柳を、それも結(むす)びて付(つ)けたる、艶(なま)めかしく艶(えん)なり。赤地(あかぢ)の錦(にしき)の表着(うはぎ)、金(かね)の文(もん)を置(お)く。紅の二(ふた)つ衣(ぎぬ)・同(おな)じ単(ひとへ)・紫の指貫(さしぬき)、是(これ)も柳桜(やなぎさくら)を縫(ぬ)ひ物(もの)に色々(いろいろ)の糸(いと)にてしたり。中宮の権亮の少将(せうしやう)公重(きんしげ)〈 実藤(さねふぢ)の大納言(だいなごん)の子 〉唐織物(からおりもの)の桜萌黄(さくらもえぎ)の狩衣(かりぎぬ)・紅の打衣(うちぎぬ)の紫の匂(にほ)ひの三(み)つ衣(ぎぬ)・紅の単(ひとへ)、指貫(さしぬき)例(れい)の紫に桜を白(しろ)く縫(ぬ)ひたり。堀川(ほりかは)の少将(せうしやう)基俊(もととし)
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〔基具(もととも)の大納言(だいなごん)の子(こ)、〕唐織物(からおりもの)、裏山吹(うらやまぶき)、三重(みへ)の狩衣(かりぎぬ)の、柳だすきを青(あを)く織(お)れる中(なか)に桜を色々(いろいろ)に織(お)れり。萌黄(もえぎ)の打衣(うちぎぬ)、桜(さくら)をだみ付(つ)けにして、輪(わ)違(ちが)へを細(ほそ)く金(かね)の文(もん)にして、色々(いろいろ)の玉をつく。匂(にほ)ひつくしの三(み)つ衣(ぎぬ)、紅(くれなゐ)の三重(みへ)の単(ひとへ)、是(これ)も箔(はく)散(ち)らす。二条の中将(ちゆうじやう)経俊〈 良教(よしのり)の大納言(だいなごん)の御子也(なり) 〉是(これ)も唐織物(からおりもの)の桜萌黄(さくらもえぎ)・紅の衣・同(おな)じ単(ひとへ)なり。皇后宮の権亮(ごんのすけ)中将(ちゆうじやう)実守、是(これ)も同(おな)じ色(いろ)の樺桜(かばざくら)の三(み)つ衣(ぎぬ)・紅梅(こうばい)の〔匂(にほ)ひの〕三重(みへ)の単(ひとへ)、右馬頭隆良(たかよし)〈 隆親(たかちか)の子にや 〉緑苔(ろくたい)の赤色(あかいろ)の狩衣(かりぎぬ)の玉のくくりを入(い)れたる、青(あを)き魚綾(ぎよりよう)の表着(うはぎ)・紅梅の三(み)つ衣(ぎぬ)・同(おな)じ二重(ふたへ)の単(ひとへ)・薄色(うすいろ)の指貫(さしぬき)、少将(せうしやう)実継(さねつぐ)、松がさねの狩衣(かりぎぬ)・紅(くれなゐ)の打衣(うちぎぬ)・紫(むらさき)の二(ふた)つ衣(ぎぬ)、是(これ)も色々(いろいろ)の縫(ぬ)ひ物(もの)・置(お)き物(もの)など、いとこまかに艶(なま)めかしくしなしたり。陵王(りようわう)の童(わらは)に、四条の大納言(だいなごん)の子、装束(しやうぞく)常(つね)の儘(まま)なれど、紫の緑苔(ろくたい)の半尻(はんじり)、金(かね)の文(もん)、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の狩衣(かりぎぬ)、青(あを)き魚綾(ぎよりよう)の袴(はかま)、笏木(しやくぎ)のみなゑり骨(ぼね)、紅の紙(かみ)にはりて持(も)ちたる用意(ようい)気色、いみじく持(も)て付(つ)けて、めでたく見(み)え侍りけり。笛茂通(もちみち)・隆康(たかやす)、笙(しやう)公顕(きんあき)・宗実、篳篥(ひちりき)兼行(かねゆき)、太鼓(たいこ)教藤(のりふぢ)、鞨鼓(かつこ)あきなり、三(さん)の鼓(つづみ)のりより、左万歳楽(まんざいらく)、右地久、陵王(りようわう)、輪台(りんだい)、青海波(せいがいは)、太平楽(たいへいらく)、入綾(いりあや)、実冬いみじく舞(ま)ひすまされたり。右落蹲(らくそん)、左春鴬囀(しゆんあうてん)、右古鳥蘇(ことりそ)、後参(ごさん)、賀殿(かてん)の入綾(いりあや)も実冬舞(ま)ひ給(たま)ひしにや。暮(く)れ掛(か)かる程(ほど)〔にて〕、何(なに)のあやめも見(み)えずなりき。御方々(かたがた)宮達(たち)、あかれ給(たま)ひぬ。同(おな)じ二月十七日に、又(また)、新院富(とみ)の小路殿にて舞(まひ)御覧。其(そ)の朝(あした)、大宮院先(ま)づ忍(しの)びて渡(わた)らせ給(たま)ふ。一院の御幸(みゆき)は、日たけてなる。冷泉(れいぜい)殿(どの)より只(ただ)這(は)ひ渡(わた)る程(ほど)なれば、楽人・舞人(まひびと)、今日(けふ)の装束(しやうぞく)にて、上達部など、
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皆(みな)歩(あゆ)み続(つづ)く。庇(ひさし)の御車にて、御随身(みずいじん)十二人、花(はな)を折(を)り錦を立(た)ち重(かさ)ねて、声々(こゑごゑ)、御(み)先(さき)花(はな)やかに追(お)ひ罵(ののし)りて、近(ちか)く候(さぶら)ひつる、二(に)無(な)く面白(おもしろ)し。新院は、御烏帽子(えぼし)直衣(なほし)・御袴(はかま)際(きは)にて、中門にて待(ま)ち聞(き)こえさせ給(たま)へる程(ほど)、いと艶(えん)にめでたし。御車中門に寄(よ)せて、関白殿、御佩刀(はかせ)取(と)りて、御匣(みくしげ)殿(どの)に伝(つた)へ給(たま)ふ。二重(ふたへ)織物(おりもの)の萌黄(もえぎ)の御几帳(きちやう)のかたびらを出(い)だされて、色々(いろいろ)の平文(ひやうもん)の衣共(ども)、物(もの)の具(ぐ)は無(な)くて押(お)し出(い)ださる。今日(けふ)は正親町の院も御堂の隅(すみ)の間より御覧ぜられる。大臣・上達部(かんだちめ)、有(あ)りしに変(か)はらず。猶(なほ)参(まゐ)り加(くは)はる人は多(おほ)けれど、漏(も)れたるは無(な)し。実冬は、今日(けふ)は、花田(はなだ)うら山吹(やまぶき)の狩衣(かりぎぬ)、二重(ふたへ)うち萌黄裏(もえぎうら)など、思(おも)ひ思(おも)ひ心々(こころごころ)に、前(さき)には皆(みな)引(ひ)きかへて、様々(さまざま)尽(つ)くしたり。基俊(もととし)の少将(せうしやう)、此(こ)の度(たび)は、桜萌黄(もえぎ)の五重の狩衣(かりぎぬ)・紅の匂(にほ)ひの五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)はやりつき、山吹(やまぶき)の匂(にほ)ひ、浮織物(うきおりもの)の三重(みへ)単(ひとへ)・紫(むらさき)の綾(あや)の指貫(さしぬき)、中(なか)に勝(すぐ)れてけうらに見(み)え給(たま)へり。此(こ)の度(たび)は、多(おほ)く緑苔(ろくたい)の衣を着(き)たり。万歳楽を吹(ふ)きて楽人・舞人(まひびと)参(まゐ)る。池の汀(みぎは)に桙(ほこ)を立(た)つ。春鴬囀・古鳥蘇(ことりそ)・後参(ごさん)・輪台(りんだい)・青海波・落蹲(らくそん)など有(あ)り。日暮(ひぐ)らし面白(おもしろ)く罵(ののし)りて、帰(かへ)らせ給(たま)ふ程(ほど)に、赤地(あかぢ)の錦の袋(ふくろ)に御琵琶入(い)れて奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。刑部卿の君、御簾(みす)の中(なか)より出(い)だす。右大将取(と)りて、院の御前に気色ばみ給(たま)ふ。胡飲酒(こんじゆ)の舞(まひ)は、実俊の中将(ちゆうじやう)と予(かね)ては聞(き)こえしを、父(ちち)大臣(おとど)の事(こと)に止(とど)まりにしかば、近衛(このゑ)の前(さき)の関白殿の御子三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)と聞(き)こゆる、未(いま)だ童(わらは)にて舞(ま)ひ給(たま)ふ。別(べつ)して、此(こ)の試楽より先(さき)なりしにや、内々白河殿にて
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試(こころ)み有(あ)りしに、父(ちち)の殿も御簾(みす)の内(うち)にて見給(たま)ふ。若君(わかぎみ)いと美(うつく)しう舞(ま)ひ給(たま)へば、院めでさせ給(たま)ひて、舞(まひ)の師忠茂(ただもち)、禄(ろく)賜(たま)はりなどしける。斯様(かやう)に聞(き)こゆる程(ほど)に、蒙古(むくり)の軍(いくさ)と言(い)ふ事起(お)こりて、御賀止(とど)まりぬ。人々(ひとびと)口惜(を)しく本意(ほい)無(な)しと思(おぼ)す事(こと)限(かぎ)り無(な)し。何事(なにごと)も打(う)ちさましたるやうにて、御修法(みしゆほふ)や何(なに)やと、公家・武家、只(ただ)此(こ)の騒(さわ)ぎなり。然(さ)れども、程(ほど)無(な)く鎮(しづ)まりて、いとめでたし。かくて、今上の若宮(わかみや)、六月二十六日親王(しんわう)の宣旨(せんじ)有(あ)りて、同(おな)じき八月二十五日、坊に居(ゐ)給(たま)ひぬ。かく花やかなるに付(つ)けても、入道殿はめざましく思(おぼ)さる。故(こ)大臣(おとど)の先(さき)立(だ)ち給(たま)ひし歎(なげ)きに沈(しづ)みてのみ物(もの)し給(たま)へど、「斯(か)かる世(よ)の気色(けしき)を、賢(かしこ)く見給(たま)はぬよ」と思(おぼ)し慰(なぐさ)む。中宮は、御服(ぶく)の後(のち)も参(まゐ)り給(たま)はず。万(よろづ)引(ひ)き返(かへ)し物(もの)恨(うら)めしげなる世(よ)の中(なか)なり。一院は、御本意(ほい)遂(と)げん事(こと)を漸(やうや)う思(おぼ)す。其(そ)の年の九月十三夜、白河殿にて月御覧ずるに、上達部・殿上人、例の多(おほ)く参(まゐ)り集(つど)ふ。御歌合(うたあはせ)有(あ)りしかば、内の女房共(ども)召(め)されて、色々(いろいろ)の引(ひ)き物(もの)、源氏(げんじ)五十四帖の心、様々(さまざま)の風流(ふりう)にして、上達部・殿上人までも分(わ)かち賜(たま)はす。院(ゐん)の御製(ぎよせい)、
我(われ)のみや影も変(か)はらん飛鳥川(あすかがは)同(おな)じ淵瀬(ふちせ)に月はすむとも W
予(かね)てより袖も時雨(しぐ)れて墨染(すみぞ)めの夕べ色ます峰の紅葉葉(もみぢば) W
此(こ)の御歌にてぞ、御本意(ほい)の事思(おぼ)し定(さだ)めけり〔と〕、〔皆人(みなひと)、袖を絞(しぼ)りて、声(こゑ)も変(か)はりけり。〕哀(あは)れにこそ。民部卿入道為家(ためいへ)、判(はん)ぜさせられける
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にも、「身をせめ心(こころ)を砕(くだ)きて、かき遣(や)る方(かた)も侍らず」とかや奏(そう)しけり。かくて神無月(かみなづき)の五日、亀山(かめやま)殿(どの)へ御幸(みゆき)なる。今日(けふ)を限(かぎ)りの御旅(たび)なれば、心(こころ)殊(こと)に整(ととの)へさせ給(たま)ふ。新院も例(れい)の御座(おは)します。大宮・東二条、一(ひと)つ御車にて、同(おな)じく渡(わた)らせ給(たま)ふ。大宮女院は白菊の御衣(おんぞ)、東二条院は青紅葉(あをもみぢ)の八(や)つ、菊の御小袿(こうちき)奉(たてまつ)る。先(ま)づ、北野(きたの)・平野の社(やしろ)へ御参(まゐ)りあれば、御随身(みずいじん)共(ども)花(はな)を織(お)り尽(つ)くし、今日(けふ)を限(かぎ)りと、様(さま)あしきまで装束(さうぞ)きあへる。両社(りやうしや)にて、馬上(あ)げさせられけり。神も如何(いか)に名残(なごり)多(おほ)く見給(たま)ひけん。空さへ打(う)ち時雨(しぐ)れて、木の葉(は)誘(さそ)ふ嵐(あらし)も折知(をりし)り顔(がほ)に物(もの)悲(がな)しう、涙争(あらそ)ふ心地(ここち)し給(たま)ふ人々(ひとびと)多(おほ)かるべし。中務(なかづかさ)の御子(こ)、「今日(けふ)の袂さぞ時雨(しぐ)るらん」と宣(のたま)ひし御返(かへ)し、中将(ちゆうじやう)、
袖濡(ぬ)らす今日(けふ)をいつかと思(おも)ふにも時雨(しぐ)れてつらき神無月(かみなづき)かな W
やがて其(そ)の夜御髪(みぐし)下(お)ろす。御戒(かい)の師には、青蓮院(しやうれんゐん)の法親王参(まゐ)り給(たま)ふ。其(そ)の頃やがて、御逆修(ぎやくしゆ)始(はじ)めさせ給(たま)へば、其(そ)の程(ほど)、女院色々(いろいろ)の御捧持(ほうもつ)共(ども)奉(たてまつ)らせ給(たま)へり。今(いま)は弥(いよいよ)法の道をのみもてなさせ給(たま)ひつつ、或(あ)る時(とき)は止観(しくわん)の談義(だんぎ)、或(あ)る時(とき)は真言(しんごん)の深(ふか)き沙汰(さた)・浄土の宗旨などを尋(たづ)ねさせ給(たま)ひつつ、万(よろづ)に通(かよ)ひ暗(くら)からず物(もの)し給(たま)へば、何事(なにごと)も、前(さき)の世(よ)より賢(かしこ)く御座(おは)しましける程(ほど)現(あらは)れて、今(いま)行(ゆ)く末(すゑ)も、げに頼(たの)もしく、めでたき御有様(おんありさま)なり。かくて今年(ことし)も暮(く)れぬ。又(また)の年(とし)三月(やよひ)の一日(ついたち)、月花門院、俄(にはか)に隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。法皇
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も女院も、限(かぎ)り無(な)く思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひつるに、いとあさまし。然(さ)るは誠(まこと)にや有(あ)らん、又(また)、人違(たが)へにや、とかく聞(き)こゆる御事(こと)共(ども)ぞ、いと口惜(くちを)しき。四辻の彦仁(ひこひと)の中将(ちゆうじやう)、忍(しの)びて参(まゐ)り給(たま)ひけるを、基顕(もとあき)の中将(ちゆうじやう)、彼(か)の〔御〕まねをして、又(また)参(まゐ)り加(くは)はりける程(ほど)に、あさましき御事(こと)さへ有(あ)りて、それ故(ゆゑ)隠(かく)れさせ給(たま)へるなど、ささめく人も侍(はべ)りけり。猶(なほ)さまでは有(あ)らじとぞ思(おも)ひ給(たま)ふれど、如何(いかが)有(あ)りけん。法皇は、又(また)文永七年神無月(かみなづき)の頃(ころ)、御手づから書(か)かせ給(たま)へる法華経一部、供養〔せ〕させ給(たま)ふ。御八講(はかう)、名高(だか)く才(ざえ)勝(すぐ)れて賢(かしこ)き僧共(ども)を召(め)したり。世(よ)の中(なか)の人残(のこ)り無(な)く仕(つかうまつ)る。新院予(かね)てより渡(わた)り給(たま)へり。然(さ)るべき御事(こと)とは申(まう)しながら、何(なに)に付(つ)けても、御心(おんこころ)ばへのうるはしくなつかしう御座(おは)しまして、院の思(おぼ)いたる筋(すぢ)の事(こと)は、必(かなら)ず同(おな)じ御心(おんこころ)に仕(つかうまつ)り、いささかも、いでやと打(う)ち思(おぼ)さるる一節(ひとふし)も無(な)く物(もの)し給(たま)ふを、法皇もいと美(うつく)しう忝(かたじけな)しと思(おぼ)されけり。第二日の夜に入(い)りて行幸もなる。五の巻の日の御捧物(ほうもつ)共(ども)参(まゐ)り集(つど)ふ。様々(さまざま)学(まね)び尽(つ)くし難(がた)し。内の御捧物(ほうもつ)は、紙屋紙(かみやがみ)に黄金(かね)を包(つつ)みて、柳箱(やないばこ)に据(す)ゑて、頭弁(とうのべん)ぞ持(も)ちたる。次(つぎ)に新院・女院達(たち)、宮々御方々(かたがた)、皆(みな)そなた様(ざま)の宮司(みやづかさ)・殿上人など持(も)て続(つづ)きたり。関白・大臣などは座につき給(たま)ふ。大中納言・参議・四位五位などは、自(みづか)らの捧物(ほうもつ)を持(も)ちて渡(わた)る。各(おのおの)心々(こころごころ)にいどみ尽(つ)くして、様々(さまざま)をかしき中(なか)に、兵部卿隆親は、糸鞋(しがい)をはきて、鳩(はと)の杖(つゑ)をつきて出(い)でたり。此(こ)の杖(つえ)をやがて捧物(ほうもつ)に
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となりけり。銀(しろかね)にてひた打(う)ちにして、先(さき)は黄金(こがね)なり。結願(けちぐわん)の日は、舞楽(ぶがく)などいみじく面白(おもしろ)くて過(す)ぎぬ。又(また)の年正月に、忍(しの)びて新院と御方(かた)分(わ)かちの事(こと)し給(たま)ふ。初(はじ)めは法皇御負(ま)けなれば、御勝(か)ちむかひに、上達部皆(みな)五節(ごせち)のまねをして、色々(いろいろ)の衣あつづまにて、「思(おも)ひの津(つ)に船(ふね)の寄(よ)れかし」とはやして参(まゐ)る。新院引(ひ)き繕(つくろ)ひて渡(わた)り給(たま)ふ。御酒(みき)幾(いく)返(かへ)りと無(な)く聞(き)こし召(め)さる。一番(ひとつがひ)づつの御引出物、伊勢物語の心(こころ)とぞ聞(き)こえし。黄金(かね)の地盤(ぢばん)に、銀(しろかね)の伏籠(ふせご)に、焚(た)き物(もの)くゆらかして、「山(やま)は富士(ふじ)の嶺(ね)いつと無(な)く」と、又(また)、銀(しろかね)の船(ふね)に麝香(ざかう)の臍(へそ)にて、蓑(みの)着(き)たる男(をとこ)作(つく)りて、「いざ言(こと)問(と)はむ都鳥(みやこどり)」など、様々(さまざま)いと艶(なま)めかしくをかしくせられけり。態(わざ)とことごとしき様(さま)には有(あ)らざりけり。こたみは、新院よりこそねたみには、新院一年(ひととせ)人のまねをして、「梵王(ぼんなう)は頸(くび)にのる。杯(さかづき)は花(はな)にのる」とかやはやして、法皇の御迎(むか)ひに参(まゐ)る。上達部の大人(おとな)び給(たま)へるなどは、少(すこ)し軽々(きやうきやう)にや見(み)えけんと推(お)し量(はか)らる。此(こ)の度(たび)は、源氏(げんじ)の物語(ものがたり)の心(こころ)にや有(あ)りけむ、唐(から)めいたる箱(はこ)に、金剛子(こんがうし)の数珠(ずず)入(い)れて、五葉の枝に付(つ)けたり。又(また)、斎院よりの黒方(くろばう)、梅の散(ち)り過(す)ぎたる枝に付(つ)けなど、是(これ)もいとささやかなる事(こと)共(ども)になむ有(あ)りける。男(をとこ)・女房、乱(みだ)りがはしく強(し)ひ交(か)はして、御琴(こと)共(ども)召(め)して、拍子(ひやうし)打(う)ち鳴(な)らしなどして明(あ)けぬ。斯様(かやう)の事(こと)にのみ心遣(や)りて明(あ)かし暮(く)らさせ給(たま)ふ程(ほど)に、又(また)の年(とし)の秋になりぬ。東二条院、日頃(ひごろ)只(ただ)にも御座(おは)しまさざりつる、其(そ)の気色有(あ)りとて、世(よ)の中(なか)騒(さわ)ぐ。
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院の内(うち)にてせさせ給(たま)へば、いよいよ人参(まゐ)り集(つど)ふ。大法(だいほふ)・秘法(ひほふ)、残(のこ)り無(な)く行(おこな)はる。七仏薬師・五壇(ごだん)の御修法(みしゆほふ)・普賢延命(ふげんえんめい)・金剛童子(こんがうどうじ)・如法(によほふ)愛染(あいぜん)など、すべて数(かず)知(し)らず。御験者(げんじや)には、常住院(じやうぢゆうゐん)の僧正参(まゐ)り給(たま)ふ。八月二十日宵(よひ)の事(こと)なり。既(すで)にかと見(み)えさせ給(たま)ひつつも、二日・三日になりぬれば、ある限(かぎ)りの物(もの)覚(おぼ)ゆる人も無(な)し。いと苦(くる)しげにし給(たま)へば、仁和寺(にんわじ)の御室の、如法(によほふ)愛染(あいぜん)の大阿闍梨(だいあざり)にて候(さぶら)ひ給(たま)ふを、御枕上(まくらがみ)に近(ちか)く入(い)れ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、「いと弱(よわ)う見(み)え侍(はべ)るは、如何(いか)なるべきにか」と、院も添(そ)ひ御座(おは)しまして、扱(あつか)ひ聞(き)こえ給(たま)ふ様(さま)、おろかならねば、哀(あは)れと見奉(たてまつ)り給(たま)ひて、「さりとも、けしうは御座(おは)しまさじ。定業(ぢやうごふ)の亦能転(やくのうてん)は、菩薩(ぼさつ)の誓(ちか)ひなり。今更(いまさら)妄語(まうご)有(あ)らじ」とて、御心(おんこころ)を致(いた)して念(ねん)じ給(たま)ふに、験者の僧正も「一持(いちぢ)秘密(ひみつ)」とて、数珠(ずず)押(お)し揉(も)みたる程(ほど)、げに頼(たの)もしく聞(き)こゆ。御誦経(ずきやう)の物(もの)共(ども)、運(はこ)び出(い)で、女房の衣など、こちたきまで押(お)し出(い)だせば、奉行(ぶぎやう)取(と)りて、殿上人、北面の上下、あかれあかれに分(わ)かち遣(つか)はす。そこらの上達部は、階(はし)の間の左右(さう)に着(つ)きて、王子誕生(たんじやう)を待(ま)つ気色なり。陰陽師(おんやうじ)・巫女(かんなぎ)立(た)ちこみて、千度(せんたび)の御祓(はら)ひ勤(つと)む。御随身(みずいじん)・北面の下臈(げらふ)などは、神馬(じんめ)をぞ引(ひ)くめる。院拝(はい)し給(たま)ひて、二十一社に奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。すべて上下・内外罵(ののし)り満(み)ちたるに、御気色只(ただ)弱(よわ)りに弱(よわ)らせ給(たま)へば、今(いま)一入(ひとしほ)心(こころ)惑(まど)ひして、さと時雨(しぐ)れ渡(わた)る袖の上(うへ)とも、いとゆゆし。院もかき暗(くら)し悲(かな)しく思(おぼ)されて、御心(おんこころ)の内(うち)には、石清水(いはしみづ)の方(かた)を念じ給(たま)ひつつ、御手をとらへて泣(な)き給(たま)ふに、候(さぶら)ふ限(かぎ)りの人、皆(みな)え心(こころ)強(づよ)から
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ず。いみじき願共(ども)〔を〕立(た)てさせ給(たま)ふ験(しるし)にや、七仏の阿闍梨(あざり)参(まゐ)りて、「見者(けんじや)歓喜(くわんぎ)」と打(う)ち上(あ)げたる程(ほど)に、辛(から)うじて生(う)まれ給(たま)ひぬ。何(なに)と言(い)ふ事(こと)も聞(き)こえぬは、姫宮(ひめみや)なりけりと、いと口惜(くちを)しけれど、むげに無(な)き人と見(み)え給(たま)へるに、平(たひ)らかに御座(おは)するを喜(よろこ)びにて、如何(いかが)はせむと思(おぼ)し慰(なぐさ)む。人々(ひとびと)の禄(ろく)など常(つね)の如(ごと)し。法皇も、中々、いたはしく止(や)む事(ごと)無(な)き事(こと)に思(おぼ)して、いみじく持(も)てはやし奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。いでやと口惜(くちを)しく思(おも)へる人々(ひとびと)多(おほ)かり。斯(か)かるにしも、実雄(さねを)の大臣(おとど)の御宿世(しゆくせ)現(あらは)れて、片(かた)つ方(かた)には、心(こころ)落(お)ち居(ゐ)給(たま)ふも、世(よ)の習(なら)ひなれば、理(ことわり)なるべし。五夜・七夜など、殊(こと)に花(はな)やかなる事(こと)共(ども)にて、過(す)ぎもて行(ゆ)く。其(そ)の頃(ころ)ほひより、法皇時々御悩(なや)み有(あ)り。世(よ)の大事(だいじ)なれば、御修法(みしゆほふ)共(ども)いかめしく始(はじ)まる。何(なに)くれと騒(さわ)ぎ合(あ)ひたれど、怠(おこた)らせ給(たま)はで、年(とし)も返(かへ)りぬ。正月(むつき)の始(はじ)めも、院の内(うち)かいしめりて、いみじく物(もの)思(おも)ひ歎(なげ)きあへり。十七日、亀山(かめやま)殿(どの)へ御幸なる。是(これ)や限(かぎ)りと、上下心(こころ)細(ぼそ)し。法皇も御輿(こし)なり。両女院は例の一(ひと)つ御車に奉(たてまつ)る。尻(しり)に御匣(みくしげ)殿(どの)候(さぶら)ひ給(たま)ふ。道にて参(まゐ)るべき御煎(せん)じ物(もの)を、胤成(たねなり)・師成(もろなり)と言(い)ふ医師(くすし)共(ども)、御前にてしたためて、銀(しろかね)の水瓶(みづがめ)に入(い)れて、隆良(たかよし)の中納言承(うけたまは)りて、北面の信友(のぶとも)と言(い)ふに持(も)たせたりけるを、内野の程(ほど)にて、参(まゐ)らせんとて召(め)したるに、此(こ)の瓶(かめ)に露程(ほど)も無(な)し。いと珍(めづら)かなる業(わざ)なり。さ程(ほど)の大事(だいじ)の物(もの)を、悪(あ)しく持(も)ちて、打(う)ちこぼすやうは、如何(いか)でか有(あ)らん。法皇も、いとど御臆病(おくびやう)そひて、
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心(こころ)細(ぼそ)く思(おぼ)されけり。新院は、大井川(おほゐがは)の方に御座(おは)しまして、隙(ひま)無(な)く、男(をとこ)・女房、上下と無(な)く、「今(いま)の程(ほど)如何(いか)に如何(いか)に」と聞(き)こえさせ給(たま)ふ御(おん)使(つか)ひの、行き帰(かへ)る程(ほど)を、猶(なほ)いぶせがらせ給(たま)ふに、正月(むつき)も立(た)ちぬ。いかさまに御座(おは)しますべきにかと、誰(たれ)も誰(たれ)も思(おぼ)し惑ふ事限(かぎ)り無(な)し。予(かね)てより、斯様(かやう)の為(ため)と思(おぼ)しおきてける寿量院へ、二月七日渡(わた)り給(たま)ふ。此処(ここ)へは、おぼろけの人は参(まゐ)らず。南松院の僧正、浄金剛院の長老覚道上人などのみ、御前にて、法(のり)の道ならでは宣(のたま)ふ事(こと)も無(な)し。六波羅(ろくはら)北南、御訪(とぶら)ひに参(まゐ)れり。西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)実兼(さねかぬ)、例の奏し給(たま)ふ。十一日、行幸有(あ)り。中(なか)一日渡(わた)らせ給(たま)へば、泣(な)く泣(な)く万(よろづ)の事(こと)を聞(き)こえ置(お)かせ給(たま)ふ。新院も御対面(たいめん)有(あ)り。御門は、御本上(ほんじやう)いと花やかに賢(かしこ)く、御才(ざへ)なども昔(むかし)に恥(は)ぢず、何事(なにごと)も整(ととの)ほりてめでたく御座(おは)します。世(よ)を治(をさ)めさせ給(たま)はん事(こと)も、後(うし)ろめたからず思(おぼ)せば、聞(き)こえ給(たま)ふ筋(すぢ)異(こと)なるべし。十七日の朝(あした)より、御気色変(か)はるとて、善智識(ぜんぢしき)召(め)さる。経海(けいかい)僧正・往生院(わうじやうゐん)の聖(ひじり)など参(まゐ)りて、ゆゆしき事(こと)共(ども)聞(き)こえ知(し)らつべし。遂(つひ)に、其(そ)の日の酉(とり)の時(とき)に、御年(おんとし)五十三にて隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。後嵯峨院とぞ申(まう)すめる。今年(ことし)は文永九年なり。院の中(なか)くれふたがりて、闇(やみ)に迷(まよ)ふ心地(ここち)すべし。十八日に薬草院に送(おく)り奉(たてまつ)り給(たま)ふ。仁和寺(にんわじ)の御室・円満院・聖護院・菩堤院・梶青蓮院(しやうれんゐん)、皆(みな)御供(とも)仕(つかまつ)らせ給(たま)ふ。内より頭(とう)の中将(ちゆうじやう)、御(おん)使(つか)ひに参(まゐ)る。三十年が程(ほど)、世(よ)をしたためさせ給(たま)ひつるに、少(すこ)しの誤(あやま)り無(な)く、思(おぼ)す儘(まま)に、新院・
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御門・春宮、動(うご)き無(な)く、又(また)外(ほか)様(ざま)に分(わ)かるべき事(こと)も無(な)ければ、思(おぼ)し置(お)くべき一節(ひとふし)も無(な)し。無(な)き御跡(あと)まで、人の靡(なび)き仕(つかうまつ)れる様(さま)、来(き)し方(かた)も例(ためし)無(な)き程(ほど)なり。二十三日、御初七日に、大宮院御髪(みぐし)下(お)ろす。其(そ)の程(ほど)、いみじく悲(かな)しき事多(おほ)かり。天(あめ)の下(した)、押(お)しなべて黒(くろ)み渡(わた)りぬ。万(よろづ)しめやかに哀(あは)れなる世(よ)の気色に、心(こころ)有(あ)るも心(こころ)無(な)きも、涙催(もよほ)さぬは無(な)し。院・内の御歎(なげ)き〔は〕、然(さ)る事(こと)にて、朝夕(あさゆふ)睦(むつ)ましく仕(つかうまつ)りし人々(ひとびと)の、思(おも)ひ沈(しづ)みあへる様(さま)、理(ことわり)にも過(す)ぎたり。其(そ)の中(なか)に、経任の中納言は、人より殊(こと)に御覚(おぼ)え有(あ)りき。年も若(わか)からねば、定(さだ)めて頭(かしら)下(お)ろしなんと、皆人(みなひと)思(おも)へるに、なよらかなる狩衣(かりぎぬ)にて、御骨(こつ)の御壺(つぼ)持(も)ち参(まゐ)らせて参(まゐ)れるを、思(おも)ひの外(ほか)にもと、見る人思(おも)へり。権中納言公雄と聞(き)こゆる〔は〕、皇后宮の御兄(せうと)なり。早(はや)うより、故(こ)院いみじくらうたがらせ給(たま)ひて、夜(よる)昼(ひる)御傍(かたは)ら去(さ)らず候(さぶら)ひて、明(あ)け暮(く)れ仕(つかうまつ)られ給(たま)ひしかば、限(かぎ)り有(あ)る道にも後(おく)らかし給(たま)へる事(こと)を、若(わか)き程(ほど)に、遣(や)る方(かた)無(な)く悲(かな)しと思(おも)ひ入(い)り給(たま)へり。西の対(たい)の前(まへ)なる紅梅の、いと美(うつく)しきを折りて、具氏(ともうぢ)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)、彼(か)の中納言に消息(せうそこ)聞(き)こゆ。
梅の花春は春(はる)にも有(あ)らぬ世(よ)をいつと知(し)りてか咲(さ)き匂(にほ)ふらん W
返(かへ)し、
心(こころ)有(あ)らばころも浮(う)き世(よ)の梅の花折(をり)忘(わす)れずば匂(にほ)はざらまし W
「夜さり、対面(たいめん)に、何事(なにごと)も聞(き)こえん」と言(い)へるを、此(こ)の中将(ちゆうじやう)も、故(こ)院の御いとほしみの人にて、同(おな)じ心(こころ)
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なる友に覚(おぼ)えければ、いと哀(あは)れにて、悲(かな)しき事(こと)も語(かた)り合(あ)はせんと、日ぐらし待(ま)ち居(ゐ)たるに、遂(つひ)に見(み)えず。怪(あや)しと思(おも)ふに、はや其(そ)の夜頭(かしら)下(お)ろしてけり。齢(よはひ)も盛(さか)りに、今(いま)も皇后宮の御兄(せうと)、春宮の御伯父(をぢ)なれば、世の覚(おぼ)え劣(おと)るべくも有(あ)らず。思(おも)ひなしも頼(たの)もしく、誇(ほこ)りかなるべき身にて、かく捨(す)て果(は)つる程(ほど)、いみじく哀(あは)れなれば、皆人(みなひと)、いとほしく悲(かな)しき事(こと)に言(い)ひあつかふめり。経任の中納言にはこよなき心ばへにや。父(ちち)大臣(おとど)も、院の御事(こと)を尽(つ)きせず歎(なげ)き給(たま)ふに打(う)ち添(そ)へて、いみじと思(おぼ)す。公宗の中納言も、甲斐(かひ)無(な)き物(もの)思(おも)ひの積(つ)もりにや、はかなくなり給(たま)ひぬ。又(また)此(こ)の中納言さへかく物(もの)し給(たま)ひぬるを、様々(さまざま)に付(つ)けて心(こころ)細(ぼそ)く思(おぼ)すに、幾(いく)程(ほど)無(な)く皇后宮さへ又(また)失(う)せ給(たま)ひぬ。いよいよ臥(ふ)し沈(しづ)みてのみ御座(おは)する程(ほど)に、いと弱(よわ)う成(な)り増(ま)さり給(たま)ふ。春宮の御代をもえ待(ま)ち出(い)づまじきなめりと、哀(あは)れに心(こころ)細(ぼそ)う思(おぼ)し続(つづ)けて、
はかなくもおふの浦(うら)なし君が代にならばと身をも頼(たの)みけるかな W
歎(なげ)きにたへず、遂(つひ)に失(う)せ給(たま)ひにけり。物(もの)思(おも)ふには、げに命も尽(つ)くる業(わざ)なりけり。哀(あは)れに悲(かな)しと言(い)ひつつも、止(と)まらぬ月日(つきひ)なれば、故(こ)院の御日数(ひかず)も程(ほど)なう過(す)ぎ給(たま)ひぬ。世(よ)の中(なか)〔は〕、新院かくて御座(おは)しませば、法皇の御代(か)はりに引(ひ)きうつして、さぞ有(あ)らんと世(よ)の人(ひと)も思(おも)ひ聞(き)こえけるに、当代(たうだい)〔の〕御一(ひと)つ筋(すぢ)にて有(あ)るべき様(さま)の御掟(おきて)なりけり。長講堂領(ちやうがうだうりやう)、又(また)播磨(はりま)の国、尾張(をはり)
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の熱田(あつた)の社などをぞ、御処分(そぶん)有(あ)りける。いづれの年なりしにか、新院、六条殿に渡(わた)らせ給(たま)ひし頃(ころ)、祇園(ぎをん)の神輿互(たが)ひの行幸有(あ)りし時(とき)、御対面(たいめん)のやうを、故(こ)院へ尋(たづ)ね申(まう)されたりしにも、「我(われ)とひとしかるべき御事(こと)なれば、朝覲(てうきん)になぞらへらるべし」と申(まう)されける。一(ひと)つ腹(はら)の御兄(このかみ)にても御座(おは)します。方々(かたがた)理(ことわり)なるべき世(よ)を、思(おも)ひの外(ほか)にもと、思(おも)ふ人々(ひとびと)も多(おほ)かるべし。「いでや位に御座(おは)しますにつきて、差(さ)しあたりの御政(まつりごと)などは理(ことわり)なり。新院にも若宮(わかみや)御座(おは)しませば、行(ゆ)く末(すゑ)の一節(ひとふし)は、などかは」など、言(い)ひしろふ。かかれば、いつしか、院方(がた)・内方(がた)と、人の心々(こころごころ)も引(ひ)き別(わか)るるやうに、うちつけ事(ごと)共(ども)出(い)で来(き)けり。人一人(ひとり)御座(おは)しまさぬあとは、いみじき物(もの)にぞ有(あ)りける。朝(てう)の御守(まぼ)りとて、田村の将軍より伝(つた)はり〔参(まゐ)り〕ける御佩刀(はかし)などをも、彼(か)の御気色のしか御座(おは)しましけるにや、御隠(かく)れの後(のち)、やがて内裏へ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひにしかば、それなどをぞ、女院〔の〕恨(うら)めしき御事(こと)には、院も思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひける。さてしもやはなれば、此(こ)の由(よし)をも関の東(ひがし)へぞ宣(のたま)ひ遣(つか)はしける。内には、花山院(くわさんゐん)の太政大臣(おほきおとど)、後院(ごゐん)の別当になされて、世(よ)の中(なか)も自(みづか)らしたためさせ給(たま)ふ。もとよりいと花やかに、今(いま)めかしき所(ところ)御座(おは)する君にて、万(よろづ)かどかどしうなん。皇后宮隠(かく)れさせ給(たま)ひにし後は、尽(つ)きせぬ御歎(なげ)きさめ難(がた)うて、所(ところ)狭(せ)き御有様(おんありさま)もよだけう、如何(いか)で本意(ほい)をも遂(と)げてばやなどまで思(おぼ)されけり。故(こ)院の御果(は)ても過(す)ぎさせ給(たま)へば、世(よ)の中(なか)、色(いろ)改(あらた)まりて、花やかに、
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人々(ひとびと)の御歎(なげ)きの色も薄(うす)らぎ行(ゆ)くしも、哀(あは)れなる習(なら)ひなりかし。其(そ)の夏、春宮例にも御座(おは)しまさで日頃(ひごろ)ふれば、内の上(うへ)、御胸(むね)つぶれて、御修法(みしゆほふ)や何(なに)やと騒(さわ)がせ給(たま)ふ。和気(わけ)・丹波(たんば)の医師(くすし)〈 氏成・春成(はるなり)、 〉共(ども)、夜(よる)昼(ひる)候(さぶら)ひて、御薬(くすり)の事(こと)、色々(いろいろ)に仕(つかうまつ)れど、只(ただ)同(おな)じ様(さま)にのみ御座(おは)す。如何(いか)なるべき御事(こと)にかと、いとあさましうて、上(うへ)も、つと此(こ)の御方に渡(わた)らせ給(たま)ひて見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ふに、御目(め)の内(うち)、大方(おほかた)、御身の色なども、事(こと)の外(ほか)に黄に見(み)えければ、いと怪(あや)しうて、御大壺(つぼ)を召(め)し寄(よ)せて御覧ぜらる。紙(かみ)をひたして見(み)せらるるに、いみじう濃(こ)く出(い)でたる黄皮(きはだ)の色なり。いとあさましく、などかばかりの事(こと)を知(し)り聞(き)こえざらんとて、御気色あしければ、医師(くすし)共(ども)、いたう畏(かしこ)まり、色を失(うしな)ふ。かばかりになりては、御灸(きう)無(な)くては、まがまがしき事(こと)出(い)で来(く)べきと、各(おのおの)驚(おどろ)き騒(さわ)ぐ。未(いま)だ例無(な)き事(こと)は、如何(いかが)有(あ)るべきと、定(さだ)め兼(か)ねらる。位にては、只(ただ)一度(ひとたび)例(ためし)有(あ)りけり。春宮にては、未(いま)だ然(さ)る例無(な)かりけれど、如何(いかが)はせむとて、思(おぼ)し定(さだ)む。七(なな)つにならせ給(たま)へば、さらでだに心(こころ)苦(ぐる)しき御程(ほど)なるに、まめやかにいみじと思(おぼ)す。医師(くすし)と大夫定実の君一人(ひとり)召(め)し入(い)れて、又(また)、人も参(まゐ)らず。御門(みかど)の御前(まへ)にて、五所ぞせさせ奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。御乳母(めのと)共(ども)、いと悲(かな)しと思(おも)ひて、いぶかしうすれど、をさをさ許(ゆる)させ給(たま)はず。宮いと熱(あつ)くむつかしう思(おぼ)せど、大夫につと抱(いだ)かれ給(たま)ひて、上(うへ)の御手をとらへ、万(よろづ)に慰(なぐさ)め聞(き)こえさせ給(たま)ふ御気色の、哀(あは)れに忝(かたじけな)さを、幼(をさな)き御心(おんこころ)に思(おぼ)し知(し)るにや、いとおとなしく念(ねん)じ給(たま)ふ。
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かくて後(のち)、程(ほど)無(な)く怠(おこた)らせ給(たま)ひぬれば、めでたく御心(おんこころ)落(お)ち居(ゐ)給(たま)ひぬ。大方(おほかた)、今年(ことし)は地震(なゐ)繁(しげ)くふり、世(よ)の中(なか)騒(さわ)がしきやうなれば、つつしみ思(おぼ)されて、十月十五日(じふごにち)より、円満院の二品親王(しんわう)、内〈 万里小路(までのこうじ)殿(どの) 〉に候(さぶら)ひ給(たま)ひて、尊星王(そんしやうわう)の御修法(みしゆほふ)勤(つと)め給(たま)ふに、二十日の宵(よひ)、二の対(たい)より火出(い)で来(き)たり。あさましとも言(い)はむ方(かた)無(な)し。上下立(た)ち騒(さわ)ぎ罵(ののし)る様(さま)、思(おも)ひ遣(や)るべし。大宮院も内々御座(おは)しましける頃(ころ)にて、急(いそ)ぎ出(い)でさせ給(たま)ふ。御車の棟木(むねき)にも、既(すで)に火燃(も)え尽(つ)きけるを、又(また)差(さ)し寄(よ)せて、春宮奉(たてまつ)りけり。其(そ)の夜しも、勾当(こうたう)の内侍(ないし)里(さと)へ出(い)でたりければ、御塗籠(ぬりごめ)の鍵(かぎ)をさへ求(もと)め失(うしな)ひて、いみじき大事(だいじ)なりけるを、上(うへ)聞(き)こし召(め)して、荒(あら)らかに踏(ふ)ませ給(たま)ひたりければ、さばかり強(つよ)き戸の、まろびて開(あ)きたりけるぞ恐(おそ)ろしき。さ無(な)くば、いとゆゆしき事(こと)〔共(ども)〕ぞ有(あ)るべかりける。故(こ)院の御処分(そうぶん)の入(い)りたる御小唐櫃(こからびつ)、何(なに)くれの御宝(たから)、事(こと)故(ゆゑ)無(な)く取(と)り出(い)だされぬ。それだにも、余(あま)り騒(さわ)ぎて、御勘文(かもん)・御産衣(うぶぎぬ)などの入(い)りたる物(もの)は焼(や)けにけり。上(うへ)は、腰輿(えうよ)にて、押小路(おしこうぢ)殿(どの)へ行幸なりぬ。法親王は、「修法(しゆほふ)の強(つよ)き故(ゆゑ)に、斯(か)かる事(こと)は有(あ)るなり」とぞ宣(のたま)はせける。此(こ)の四月に、御わたまし有(あ)りつるに、幾(いく)程(ほど)なく斯(か)かるは、げにいみじき業(わざ)なれど、昔(むかし)も、三条院、位の御時(とき)かとよ、大内造(つく)り立(た)てられて、御わたましの夜こそ、やがて火出(い)で来(き)て焼(や)けにし事(こと)もあれば、是(これ)より重(おも)き大事(だいじ)も有(あ)るべかりけるに、変(か)はりたらんは如何(いかが)はせん。かくて今年(ことし)も暮(く)れぬ。上(うへ)は、いよいよ世(よ)の中(なか)の〔心(こころ)〕あわたたしう思(おぼ)されて、降(お)り居(ゐ)
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なんの御心(おんこころ)遣(づか)ひすめり。位に御座(おは)しましては、十五年ばかりにやなりぬらん。未(いま)だ三十(みそぢ)にも遙(はる)かに足(た)らぬ程(ほど)の御齢(おんよはひ)なれば、今(いま)ぞ盛(さか)りに、若(わか)う清(きよ)らなる御程(ほど)なめる。