第九 草枕(くさまくら)

文永十一年正月二十六日、春宮に位譲(ゆづ)り申(まう)させ給(たま)ふ。二十五日の夜、先(ま)づ、内侍所(ないしどころ)・剣璽(けんじ)引(ひ)き具(ぐ)して、押小路殿へ行幸(ぎやうがう)なりて、又(また)の日、ことさらに二条内裏へ渡(わた)されけり。九条(くでう)の摂政殿〈 忠家 〉参(まゐ)り給(たま)ひて、蔵人召(め)して、禁色(きんじき)仰(おほ)せらる。上(うへ)は八(や)つにならせ給(たま)へば、いと小(ちひ)さく美(うつく)しげにて、びづらゆひて、御引直衣(ひきなほし)・打御衣(うちおんぞ)・はり袴(ばかま)奉(たてまつ)れる御気色、おとなおとなしうめでたく御座(おは)するを、花山院(くわさんゐん)の内大臣、扶持(ふち)し申(まう)さるるを、故(こ)皇后の御兄(せうと)公守(きんもり)の君などは、哀(あは)れに見給(たま)ひつつ、故(こ)大臣(おとど)・宮などの御座(おは)せましかばと思(おぼ)し出(い)づ。殿上に人々(ひとびと)多(おほ)く参(まゐ)り集(あつ)まりて、御膳(ぜん)参(まゐ)る。其(そ)の後上達部の拝(はい)有(あ)り。女房は朝餉(あさがれひ)より行末(ゆくすゑ)まで、内大臣公親の娘(むすめ)を始(はじ)めにて、三十余人(よにん)並(な)み居(ゐ)たり。いづれと無(な)くとりどりにきよげなり。二十八日よりぞ、内侍所(ないしどころ)の御拝(はい)始(はじ)められける。かくて新院、二月七日行幸(ぎやうがう)始(はじ)めせさせ給(たま)ふ。大宮院の御座(おは)します中御門(なかみかど)京極(きやうごく)実俊(さねとし)の中将(ちゆうじやう)の家へなる。御直衣(なほし)、唐庇(からびさし)の御車、上達部・殿上人残(のこ)り無(な)く、上(うへ)の衣(きぬ)にて仕(つかうまつ)る。同(おな)じ十日、やがて菊(きく)の網代庇(あじろびさし)
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の御車奉(たてまつ)り始(はじ)む。此(こ)の度(たび)は、御烏帽子(えぼし)・直衣(なほし)、院へ参(まゐ)り給(たま)ふ。同二十日、布衣の御幸始(はじ)め、北白河殿へ入(い)らせ給(たま)ふ。八葉の御車、萌黄(もえぎ)の御狩衣(かりぎぬ)・山吹(やまぶき)の二(ふた)つ御衣(おんぞ)・紅の御単(ひとへ)・薄色(うすいろ)の織物(おりもの)の御指貫(さしぬき)奉(たてまつ)る。本院は、故(こ)院の御第三年の事思(おぼ)し入(い)りて、正月(むつき)の末(すゑ)つ方(かた)より、六条殿の長講堂にて、哀(あは)れに尊(たふと)く行(おこな)はせ給(たま)ふ。御指(ゆび)の血(ち)を出(い)だして、御手づから法華経など書(か)かせ給(たま)ふ。僧衆も十余人(よにん)が程(ほど)召(め)し置(お)きて、懺法(せんぼふ)など読(よ)ませらる。御掟(おきて)の思(おも)はずなりしつらさをも、思(おぼ)し知(し)らぬには有(あ)らねど、それも然(さ)るべきにこそは有(あ)らめと、いよいよ御心(おんこころ)を致(いた)して、懇(ねんご)ろに孝(けう)じ申(まう)させ給(たま)ふ様(さま)、いと哀(あは)れ也(なり)。新院もいかめしう御仏事(ぶつじ)嵯峨(さが)殿(どの)にて行(おこな)はる。三月二十六日は御即位(そくゐ)、めでたくて過(す)ぎもて行(ゆ)く。十月二十二日御禊なり。十九日より官(くわん)の庁へ行幸(ぎやうがう)有(あ)り。女御代、花山院(くわさんゐん)より出(い)ださる。糸毛(いとげ)の車、寝殿(しんでん)の階(はし)の間(ま)に、左大臣殿・大納言(だいなごん)長雅寄(よ)せらる。みな紅のX五衣、同(おな)じ単(ひとへ)、車の尻(しり)より出(い)ださる。十一月十九日、又官(くわん)の庁へ行幸(ぎやうがう)、二十日より五節(ごせち)始(はじ)まるべく聞(き)こえしを、蒙古(むくり)起(お)こるとて止(と)まりぬ。二十二日、大嘗会(だいじやうゑ)、廻立殿(くわいりふでん)の行幸(ぎやうがう)、節会ばかり行(おこな)はれて、清暑堂の御神楽も無(な)し。新院は、世(よ)を知(し)ろし召(め)す事変(か)はらねば、万(よろづ)御心(おんこころ)の儘(まま)に、日頃(ひごろ)ゆかしく思(おぼ)し召(め)されし所々(ところどころ)、いつしか御幸繁(しげ)う、花(はな)やかにて過(す)ぐさせ給(たま)ふ。いと有(あ)らまほしげなり。本院は、猶(なほ)いと怪(あや)しかりける御身の宿世(すくせ)を、人の思(おも)ふらん事(こと)もすさまじう思(おぼ)し結(むす)ぼほれて、世(よ)を背(そむ)かんの設(まう)けにて、
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尊号をも返(かへ)し奉(たてまつ)らせ給(たま)へば、兵仗(ひやうぢやう)をも止(とど)めて、御随身(みずいじん)共(ども)召(め)して、禄かけ、暇(いとま)賜(たま)はる、いと心(こころ)細(ぼそ)しと思(おも)ひあへり。大方(おほかた)の有様(ありさま)、打(う)ち思(おも)ひめぐらすもいと忍(しの)び難(がた)き事多(おほ)くて、内外、人々(ひとびと)、袖共(ども)うるひ渡(わた)る。院もいと哀(あは)れなる御気色にて、心強(づよ)からず。今年(ことし)三十三にて御座(おは)します。故(こ)院の、四十九にて御髪(みぐし)下(お)ろし給(たま)ひしをだに、さこそは誰(たれ)も誰(たれ)も惜(を)しみ聞(き)こえしか。東(ひんがし)の御方(かた)も、後(おく)れ聞(き)こえじと御心(おんこころ)遣(づか)ひし給(たま)ふ。さならぬ女房・上達部の中(なか)にも、とりわき睦(むつ)ましう仕(つかまつ)る人、三、四人(さんよにん)ばかり、御供(とも)仕(つかまつ)るべき用意(ようい)すめれば、程々(ほどほど)に付(つ)けて、私(わたくし)も物(もの)心(ごころ)細(ぼそ)う思(おも)ひ歎(なげ)く家々(いへいへ)有(あ)るべし。斯(か)かる事(こと)共(ども)、東(あづま)にも驚(おどろ)き聞(き)こえて、例の陣の定(さだ)めなどやうに、此(これ)彼(かれ)数多(あまた)、東(あづま)の武士共(ども)、寄(よ)り合(あ)ひ寄(よ)り合(あ)ひ評定しけり。此(こ)の頃は、有(あ)りし時頼の朝臣の子、時宗、X相模守と言(い)ふぞ、世(よ)の中(なか)計(はか)らふ主(ぬし)なりける。故(こ)時頼の朝臣は、康元元年(ぐわんねん)に頭(かしら)下(お)ろして後、忍(しの)びて諸国(しよこく)を修行(しゆぎやう)し歩(あり)きけり。それも国々の有様(ありさま)、人の愁(うれ)へなど、詳(くは)しくあなぐり見(み)聞(き)かんの謀(はかりこと)にて有(あ)りける。怪(あや)しの宿(やど)りに立(た)ち寄(よ)りては、其(そ)の家主(いへぬし)が有様(ありさま)を問(と)ひ聞(き)き、理(ことわり)ある愁(うれ)へなどの埋(うづ)もれたるを聞(き)き開(ひら)きては、「我(われ)は怪(あや)しき身なれど、昔(むかし)、よろしき主(しゆう)を、持(も)ち奉(たてまつ)りし、未(いま)だ世(よ)にや御座(おは)すると、消息(せうそこ)奉(たてまつ)らん。持(も)て詣(まう)でて聞(き)こえ給(たま)へ」など言(い)へば、「なでう事(こと)無(な)き修行者(しゆぎやうじや)の、何(なに)ばかりかは」と思(おも)ひながら、言(い)ひ合(あ)はせて、其(そ)の文を持(も)ちて東(あづま)へ行(ゆ)きて、しかじかと教(をし)へし儘(まま)に言(い)ひて見(み)れ
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ば、入道殿(どの)の御消息(せうそこ)なりけり。「あなかまあなかま」とて、長(なが)く愁(うれ)へ無(な)きやうに、計(はか)らひつ。仏神〔など〕の現(あら)はれ給(たま)へるかとて、皆(みな)額(ぬか)をつきて喜(よろこ)びけり。斯様(かやう)の事(こと)、すべて数(かず)知(し)らず有(あ)りし程(ほど)に、国々(くにぐに)も心(こころ)遣(づか)ひをのみしけり。最明寺の入道とぞ言(い)ひける。それが子なればにや、〔今(いま)の〕時宗の朝臣もいとめでたき者(もの)にて、「本院のかく世(よ)を思(おぼ)し捨(す)てんずる、いと忝(かたじけな)く哀(あは)れなる御事(こと)なり。故(こ)院の御掟(おきて)は、やうこそ有(あ)らめなれど、そこらの御兄(このかみ)にて、させる御誤(あやまり)も御座(おは)しまさざらん、如何(いか)でかは、忽(たちま)ちに、名残(なごり)無(な)くは物(もの)し給(たま)ふべき。いと怠々(たいだい)しき業(わざ)なり)とて、新院へも奏(そう)し、彼方(かなた)此方(こなた)宥(なだ)め申(まう)して、東(ひんがし)の御方(かた)の若宮(わかみや)〈 伏見院 〉を坊に奉(たてまつ)りぬ。十月五日、節会(せちゑ)行(おこな)はれて、いとめでたし。かかれば、少(すこ)し御心(おんこころ)慰(なぐさ)めて、此(こ)の際(きは)は、強(し)ひて背(そむ)かせ給(たま)ふべき御道心(だうしん)にも有(あ)らねば、思(おぼ)し止(と)まりぬ。是(これ)ぞ有(あ)るべき事(こと)と、あいなう世(よ)の人(ひと)も思(おも)ひ言(い)ふべし。御門(みかど)よりは、今(いま)二(ふた)つばかりの御兄(このかみ)なり。儲(まう)けの君、御年(おんとし)勝(まさ)れる例(ためし)、遠(とほ)き昔(むかし)はさて置(お)きぬ、近頃(ちかごろ)は三条院・小一条院・高倉院(たかくらのゐん)などや御座(おは)しましけん。高倉院の御末(すゑ)ぞ今(いま)もかく栄(さか)えさせ御座(おは)しませば、賢(かしこ)き例(ためし)なめり。古(いにしへ)の天智天皇と天武天皇とは、同(おな)じ御腹(おんはら)の御はらからなり。其(そ)の御末(すゑ)、しばしは、打(う)ち変(か)はり打(う)ち変(か)はり世(よ)を知(し)ろし召(め)しし例(ためし)などをも、思(おも)ひや出(い)でけむ。御二流(ふたなが)れにて、位にも御座(おは)しまさなむと思(おも)ひ申(まう)しけり。新院は、御心(おんこころ)行(ゆ)くとしも無(な)くや有(あ)りけめど、大方の人目(ひとめ)に
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は、御中(なか)いとよくなりて、御消息(せうそこ)も常(つね)に通(かよ)ひ、上達部(かんだちめ)なども、彼方(かなた)此方(こなた)参(まゐ)り仕(つかまつ)れば、大宮院も目(め)安(やす)く思(おぼ)さるべし。誠(まこと)や、文永の初(はじ)めつ方(かた)下(くだ)り給(たま)ひし斎宮は、後嵯峨院の更衣腹(かういばら)の宮ぞかし。院隠(かく)れさせ給(たま)ひて後、御服(ぶく)にて降(お)り給(たま)へれど、猶(なほ)御暇(いとま)許(ゆ)りざりければ、三年(みとせ)まで伊勢に御座(おは)しまししが、此(こ)の秋の末(すゑ)つ方(かた)御上(のぼ)りにて、仁和寺(にんわじ)に衣笠(きぬがさ)と言(い)ふ所に住(す)み給(たま)ふ。月花門院の御次(つぎ)には、いと尊(たふと)く思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へりし昔(むかし)の御心(おんこころ)掟(おきて)を、哀(あは)れに思(おぼ)し出(い)でて、大宮院、いと懇(ねんご)ろに訪(とぶら)ひ奉(たてまつ)り給(たま)ふ。亀山殿に御座(おは)します。十月ばかり、斎宮をも渡(わた)し奉(たてまつ)り給(たま)はんとて、本院をも入(い)らせ給(たま)ふべき由(よし)御消息(せうそこ)あれば、珍(めづら)しくて御幸有(あ)り。其(そ)の夜は、女院の御前にて、昔(むかし)今(いま)の物語(ものがたり)など、のどやかに聞(き)こえ給(たま)ふ。又(また)の日夕(ゆふ)づけて、衣笠殿へ御迎(むかへ)に、忍(しの)びたる様(さま)にて、殿上人一二人、御車二(ふた)つばかり奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。寝殿(しんでん)の南面(みなみおもて)に、御褥(しとね)共(ども)引(ひ)き繕(つくろ)ひて、御対面(たいめん)有(あ)り。とばかりして、院の御方(かた)へ御消息(せうそこ)聞(き)こえ給(たま)へれば、やがて渡(わた)り給(たま)ふ。女房に、御佩刀(はかし)持(も)たせて、御簾(みす)の内(うち)に入(い)り給(たま)ふ。女院は香(かう)の薄(うす)にほひの御衣(ころも)、香染(かうぞ)めなど奉(たてまつ)れば、斎宮、紅梅(こうばい)の匂(にほ)ひに、葡萄染(えびぞ)めの御小袿(こうちき)なり。御髪(みぐし)いとめでたく盛(さか)りにて二十に一、二(ふた)つや余(あま)り給(たま)ふらんと見(み)ゆ。花(はな)と言(い)はば、霞(かすみ)の間(ま)の樺桜(かばざくら)〔も〕、猶(なほ)匂(にほ)ひ劣(おと)りぬべく、言(い)ひ知(し)らずあてに美(うつく)しう、あたりも薫(かを)る御様(さま)して、珍(めづら)かに見(み)えさせ給(たま)ふ。
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院は、われもかう乱(みだ)れ織(お)りたる枯野の御狩衣(かりぎぬ)、薄色(うすいろ)の御衣(おんぞ)、紫苑色(しをんいろ)の御指貫(さしぬき)、なつかしき程(ほど)なるを、いたくたきしめて、えならず薫(かを)り満(み)ちて渡(わた)り給(たま)へり。上臈(じやうらふ)だつ女房、紫(むらさき)の匂(にほ)ひ五(いつ)つに、裳(も)ばかり引(ひ)き掛(か)けて、宮の御車に参(まゐ)り給(たま)へり。神世(よ)の御物語(おんものがたり)など良(よ)き程(ほど)にて、故(こ)院の今(いま)はの頃(ころ)の御事(こと)など、哀(あは)れに懐(なつ)かしく聞(き)こえ給(たま)へば、御いらへも慎(つつ)ましげなる物(もの)から、〔いぶせからぬ程(ほど)に、ほのかに物(もの)打(う)ち宣(のたま)へる御様(さま)なども、〕いとらうたげなり。をかしき様(さま)なる御酒(みき)・御果物(くだもの)・強飯(こはいひ)などにて今宵(こよひ)は果(は)てぬ。院も我(わ)が御方(かた)に帰(かへ)りて、打(う)ちやすませ給(たま)へれど、微睡(まどろ)まれ給(たま)はず。有(あ)りつる御面影(おもかげ)、心(こころ)に懸(か)かりて覚(おぼ)え給(たま)ふぞいとわりなき。「差(さ)しはへて聞(き)こえんも、人聞(ぎ)きよろしかるまじ。如何(いかが)はせん」と思(おぼ)し乱(みだ)る。御はらからと言(い)へど、年月(としつき)余所(よそ)にて生(お)ひ立(た)ち給(たま)へれば、うとうとしく習(なら)ひ給(たま)へる儘(まま)に、慎(つつ)ましき御思(おも)ひも薄(うす)くや有(あ)りけん、猶(なほ)ひたぶるにいぶせくてやみなんは、あかず口惜(くちを)しと思(おぼ)す。けしからぬ御本性(ごほんじやう)なりや。某(なにがし)の大納言(だいなごん)の娘(むすめ)、御身近(ちか)く召(め)し使(つか)ふ人、彼(か)の斎宮にも、然(さ)るべき縁(ゆかり)有(あ)りて睦(むつ)ましく参(まゐ)りなるるを、召(め)し寄(よ)せて、「馴(な)れ馴(な)れしきまでは思(おも)ひ寄(よ)らず。只(ただ)少(すこ)しけ近(ぢか)き程(ほど)にて、思(おも)ふ心(こころ)の片端(かたはし)を聞(き)こえん。かく折(をり)良(よ)き事(こと)もいと難(かた)かるべし」と切(せち)にまめだちて宣(のたま)へば、如何(いかが)たばかりけむ、夢うつつとも無(な)く近(ちか)づき聞(き)こえ給(たま)へれば、いと心(こころ)憂(う)しと思(おぼ)せど、あえかに消(き)え惑(まど)ひなどはし給(たま)はず。らうたくなよなよとして、哀(あは)れなる御けはひなり。鳥もしばしば驚(おどろ)かすに、心(こころ)あわたたしう、
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さすがに人の御名(な)のいとほしければ、夜深(ぶか)く紛(まぎ)れいで給(たま)ひぬ。日たくる程(ほど)に大殿籠(おほとのごも)り起(お)きて、御文(ふみ)奉(たてまつ)り給(たま)ふ。うはべは、只(ただ)大方(おほかた)なるやうにて、「ならはぬ御旅寝(たびね)も如何(いか)に」などやうに、すくよかに見せて、中(なか)に小(ちひ)さく、
夢とだにさだかにも無(な)きかり臥(ぶ)しの草の枕(まくら)に露ぞこぼるる W
いとつれなき御気色の、聞(き)こえん方(かた)なさに」こそあめれ。悩(なや)ましとて、御覧(ごらん)じも入(い)れず。強(し)ひて聞(き)こえんもうたてあれば、「なだらかに持(も)てかくしてを、おこたらせ給(たま)へ」など、聞(き)こえしらすべし。さて御方々(かたがた)御台(みだい)など参(まゐ)りて、昼(ひる)つ方(かた)又御対面(たいめん)共(ども)有(あ)り。宮はいと恥(は)づかしうわりなく思(おぼ)されて、「如何(いか)で見(み)え奉(たてまつ)らんとすらん」と思(おぼ)し休(やす)らへど、女院などの御気色のいとなつかしさに、聞(き)こえかへ給(たま)ふべきやうも無(な)ければ、只(ただ)おほどかにて御座(おは)す。今日(けふ)は、院の御経営(けいめい)にて、善勝寺(ぜんしようじ)の大納言(だいなごん)隆顕、桧破子(ひわりご)やうの物(もの)、色々(いろいろ)にいと清(きよ)らに調(てう)じて参(まゐ)らせたり。三めぐりばかりは、各(おのおの)別(べち)に参(まゐ)る。其(そ)の後(のち)「余(あま)りあいなう侍れば忝(かたじけな)けれど、昔(むかし)様(ざま)に思(おぼ)しなずらへ、許(ゆる)させ給(たま)ひてんや」と、御気色(けしき)とり給(たま)へば、女院の御土器(かはらけ)を斎宮参(まゐ)る。其(そ)の後(のち)、院聞(き)こし召(め)す。御几帳(きちやう)ばかりを隔(へだ)てて、長押(なげし)の下(しも)へ、西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)実兼、善勝寺(ぜんしようじ)の大納言(だいなごん)隆顕召(め)さる。簀子(すのこ)に、長輔(ながすけ)・為方・兼行(かねゆき)〔・資行(すけゆき)〕など候(さぶら)ふ。数多(あまた)度(たび)流(なが)れ下(くだ)りて、人々(ひとびと)そぼれがちなり。「故(こ)院の御事(こと)の後(のち)は、斯様(かやう)の事(こと)もかき絶(た)えて侍(はべ)りつる
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に、今宵(こよひ)は珍(めづら)しくなん。心(こころ)とけて遊(あそ)ばせ給(たま)へ」など、打(う)ち乱(みだ)れ聞(き)こえ給(たま)へば、女房召(め)して、御箏(こと)共(ども)かき合(あ)はせらる。院の御前に御琵琶、西園寺(さいをんじ)もひき給(たま)ふ。兼行(かねゆき)篳篥(ひちりき)、神楽うたひなどして、ことごとしからぬしも面白(おもしろ)し。こたみは、先(ま)づ斎宮の御前に、院自(みづか)ら御銚子(てうし)を取(と)りて聞(き)こえ給(たま)ふに、宮いと苦(くる)しう思(おぼ)されて、とみにもえ動(うご)き給(たま)はねば、女院「此(こ)の御土器(かはらけ)の、いと心(こころ)許(もと)無(な)く見(み)え侍(はべ)るめるに、こゆるぎの磯(いそ)ならぬ御さかなや有(あ)るべからん」と宣(のたま)へば、「売炭翁(ばいたんおきな)は哀(あは)れなり。おのが衣は薄(うす)けれど」と言(い)ふ今様(いまやう)をうたはせ給(たま)ふ。御声(こゑ)いと面白(おもしろ)し。宮聞(き)こし召(め)して後(のち)、女院御杯(さかづき)を取(と)り給(たま)ふとて、「天子には父母無(な)しと申(まう)すなれど、十善(じふぜん)の床(ゆか)を踏(ふ)み給(たま)ふも、賎(いや)しき身の宮仕(みやづか)ひなりき。一言(ひとこと)報(むく)ひ給(たま)ふべうや」と宣(のたま)へば、「さらなる御事(こと)なりや」と、人々(ひとびと)目(め)をくはせつつ忍(しの)びてつきじろふ。「御前(おまへ)の池なる亀岡(かめをか)に、鶴(つる)こそ群(む)れ居(ゐ)て遊(あそ)ぶなれ」とうたひ給(たま)ふ。其(そ)の後(のち)、院聞(き)こし召(め)す。〔善勝寺(ぜんしようじ)〕[* 底本 空白]「せれうの里」を出(い)だす。人々(ひとびと)声(こゑ)加(くは)へなどして、らうがはしき程(ほど)になりぬ。かくていたう更(ふ)けぬれば、女院も我(わ)が御方(かた)に入(い)らせ給(たま)ひぬ。其(そ)の儘(まま)のおましながら、仮初(かりそめ)なるやうにて寄(よ)り臥(ふ)し給(たま)へば、人々(ひとびと)も少(すこ)し退(しりぞ)きて、苦(くる)しかりつる名残(なごり)に程(ほど)無(な)く寝(ね)入(い)りぬ。明日(あす)は宮も御帰(かへ)りと聞(き)こゆれば、今夜ばかりの草枕(くさまくら)、猶(なほ)結(むす)ばまほしき御心(おんこころ)の鎮(しづ)め難(がた)くて、いとささやかに御座(おは)する人の、御衣(おんぞ)など、然(さ)る心(こころ)して、なよらかなるを、まぎらはし過(す)ぐし
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つつ、忍(しの)びやかに振舞(ふるま)ひ給(たま)へば、驚(おどろ)く人も無(な)し。何(なに)やかやと、なつかしう語(かた)らひ聞(き)こえ給(たま)ふに、靡(なび)くとは無(な)けれども、只(ただ)いみじうおほどかに、やはらかなる御様(さま)して、思(おぼ)しほれたる御気色を、余所(よそ)なりつる程(ほど)の御心(おんこころ)惑(まど)ひまでは無(な)けれど、らうたくいとほしと思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひけり。長(なが)き夜なれど、更(ふ)けにしかばにや、程(ほど)なう明(あ)けぬる夢の名残(なごり)は、いとあかぬ心地(ここち)しながら、後朝(きぬぎぬ)になり給(たま)ふ程(ほど)、女宮(をんなみや)も心(こころ)苦(ぐる)しげにぞ見(み)え給(たま)ひける。其(そ)の後(のち)も、折々(をりをり)は聞(き)こえ動(うご)かし給(たま)へど、差(さ)しはへて有(あ)るべき御事(こと)ならねば、いと間遠(まどほ)にのみなん。「負(ま)くる習(なら)ひ」までは有(あ)らずや御座(おは)しましけん。あさましとのみ尽(つ)きせず思(おぼ)し渡(わた)るに、西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)、忍(しの)びて参(まゐ)り給(たま)ひけるを、人柄(ひとがら)もきはめていと懇(ねんご)ろに思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)へれば、御母代(ははしろ)の人なども、如何(いかが)はせんにて、漸(やうや)う頼(たの)みかはし給(たま)へば、ある夕つ方(かた)、「内よりまかでんついでに、又(また)必(かなら)ず参(まゐ)りこん」と頼(たの)め聞(き)こえ給(たま)へりければ、其(そ)の心(こころ)して誰(たれ)も待(ま)ち給(たま)ふ程(ほど)に、二条の師忠の大臣(おとど)、いと忍(しの)びて歩(あり)き給(たま)ふ道(みち)に、彼(か)の大納言(だいなごん)、扈従(こせう)など数多(あまた)して、いときらきらしげにて行(ゆ)き合(あ)ひ給(たま)ひけるに、〔むつかしと思(おぼ)して、此(こ)の斎宮の御門(みかど)あきたりけるに、〕女宮(をんなみや)の御もとなれば、ことごとしかるべき事(こと)も無(な)しと思(おぼ)して、しばし、彼(か)の大納言の車遣(や)り過(す)ごしてんに出(い)でんよと思(おぼ)して、門(かど)の下(した)に遣(や)り寄(よ)せて、大臣(おとど)、烏帽子(えぼし)直衣(なほし)のなよらかなるにて降(お)り給(たま)ひぬ。内(うち)には、大納言(だいなごん)の参(まゐ)り給(たま)へると思(おぼ)して、例は、忍(しの)びたる事(こと)なれば、門(もん)の内(うち)へ車を引(ひ)き入(い)れて、対(たい)のつまより降(お)りて参(まゐ)り給(たま)ふに、門
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参(まゐ)り給(たま)ふに、門より降(お)り給(たま)ひぬ。怪(あや)しうとは思(おも)ひながら、たそかれ時(どき)のたどたどしき程(ほど)、何(なに)のあやめも見(み)えわかで、妻戸(つまど)はづして人の気色見(み)ゆれば、何(なに)と無(な)くいぶかしき心地(ここち)し〔給(たま)ひ〕て、中門の廊(らう)に上(のぼ)り給(たま)へれば、例(れい)のなれたる事(こと)にて、をかしき程(ほど)の童(わらは)歩(あゆ)み出(い)でて、気色ばかりを聞(き)こゆるを、大臣(おとど)は覚(おぼ)え無(な)き物(もの)から、をかしと思(おぼ)して、尻(しり)につきて入(い)り給(たま)ふ程(ほど)に、宮も〔待(ま)ち聞(き)こえ給(たま)へと思(おぼ)して、御几帳(きちやう)にはづれて、〕何心(なにごころ)無(な)く打(う)ち向(むか)ひ聞(き)こえ給(たま)へるに、大臣(おとど)もこは如何(いか)にとは思(おぼ)せど、何(なに)くれとつきづきしう、日頃(ひごろ)の志(こころざし)有(あ)りつる由(よし)聞(き)こえなし給(たま)ひて、いとあさましう、一方ならぬ御思(おも)ひ加(くは)はり給(たま)ひにけり。大納言(だいなごん)は、此(こ)の宮をさしてかく参(まゐ)り給(たま)ひけるに、例(れい)ならず、男(をとこ)の車より降(お)るる気色見(み)えければ、あるやう有(あ)らんと思(おぼ)して、「御随身(みずいじん)一人、其(そ)の渡(わた)りに、さりげなくてをあれ」とて、止(とど)めて帰(かへ)り給(たま)ひにけり。男君(をとこぎみ)は、いと思(おも)ひの外(ほか)に心(こころ)起(お)こらぬ御旅寝(たびね)なれど、人の御気色を見給(たま)ふも、有(あ)りつる大納言の車など思(おぼ)し合(あ)はせて、「如何(いか)にも此(こ)の宮にやう有(あ)るなめり」と心得(こころえ)給(たま)ふに、「いと好(す)き好(ず)きしき業(わざ)なり。由(よし)なし」と思(おぼ)せば、更(ふ)かさで出(い)で給(たま)ひにけり。〔彼(か)の〕残(のこ)し置(お)き給(たま)へりし随身(ずいじん)、此(こ)の様(やう)よく見(み)てければ、しかじかと聞(き)こえけるに、いと心(こころ)憂(う)しと思(おぼ)して、「日頃(ひごろ)も斯(か)かるにこそは有(あ)りけめ」と、いとをこがましう、「彼(か)の大臣(おとど)の心(こころ)の中(うち)も如何(いか)にぞや」と、数々(かずかず)思(おぼ)し乱(みだ)れて、かき絶(た)え久(ひさ)しく訪(おとづ)れ給(たま)はぬをも、此(こ)の宮には、かう残(のこ)り無(な)く見(み)現(あらは)されけんとも知(し)ろし召(め)さねば、怪(あや)しながら過(す)ぎもて行(ゆ)く程(ほど)に、
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只(ただ)ならぬ御気色〔に〕さへ悩(なや)み給(たま)ふをも、大納言(だいなごん)殿は一筋(すぢ)にしも思(おぼ)されねば、いと心(こころ)やましう思(おも)ひ聞(き)こえ給(たま)ひけるぞわりなき。然(さ)れども、さすが思(おぼ)しわく事(こと)や有(あ)りけむ、其(そ)の程(ほど)の事(こと)共(ども)も、いと懇(ねんご)ろに訪(とぶら)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひけり。異(こと)御腹(おんはら)の姫宮(ひめみや)をさへ、御子になどし給(たま)ふ。御処分(そぶん)も有(あ)りけるとぞ。幾(いく)程(ほど)無(な)くて、弘安七年二月十五日(じふごにち)に、宮隠(かく)れさせ給(たま)ひにしをも、大納言(だいなごん)殿(どの)、いみじう歎(なげ)き給(たま)ひめるとや。〔誠(まこと)や、〕新院には、一とせ、近衛(このゑ)〈 基平 〉の大殿の姫君(ひめぎみ)、女御に参(まゐ)り給(たま)ひにしぞかし。女御と聞(き)こえつるを、此(こ)の程(ほど)院号(ゐんがう)有(あ)り、新陽明門院(しんやうめいもんゐん)とぞ聞(き)こゆめる。建治二年(にねん)の冬の頃(ころ)、近衛殿(このゑどの)にて若宮(わかみや)生(う)まれさせ給(たま)ひにしかば、めでたくきらきらしうて、三夜(さんや)・五夜・七夜・九夜など、いかめしく聞(き)こえて、御子(こ)もやがて親王(しんわう)の宣下(せんげ)など有(あ)りき。