増鏡 尾張徳川家本
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増鏡(ますかがみ) 下巻
第十一 さしぐし
正応元年(ぐわんねん)三月十五日(じふごにち)、官庁(くわんちやう)にて御即位(そくゐ)有(あ)り。此(こ)の程(ほど)は、香園院(かうをんゐん)の師忠(もろただ)左の大臣(おとど)関白にて御座(おは)しき。其(そ)の後(のち)、近衛殿(このゑどの)家基(いへもと)、又九条(くでう)の左大臣殿忠教(ただのり)、其(そ)の後(のち)、又近衛殿(このゑどの)かへりなり給(たま)ひき。猶(なほ)後(のち)に、歓喜園院(くわんきをんゐん)など、いと繁(しげ)う変(か)はり給(たま)ふ。おりゐの御門を、今(いま)は新院と聞(き)こゆれば、太上天皇三人(みたり)世(よ)に御座(おは)します頃なり。いと珍(めづら)しく侍(はべ)るにや。御門(みかど)の御母〈 玄輝門院(げんきもんゐん) 〉三位(さんみ)し給(たま)ふ。其(そ)の御はらからの姫君(ひめぎみ)、御傍(かたは)らに候(さぶら)ひ給(たま)ふを、上(うへ)いと忍(しの)びたる御むつび有(あ)るべし。東二条院の御例(ためし)にやなどささめく人もあれど、さばかりうけばりては、えしもや御座(おは)せざらむ。三位殿の御兄(せうと)の公守(きんもり)の大納言(だいなごん)の姫君(ひめぎみ)も、幼(をさな)くよりかしづきて候(さぶら)ひ給(たま)ふ。それも余所(よそ)ならぬ御契(ちぎ)りなるべし。此(こ)の君をぞ、父(ちち)の殿(との)も、いとうるはしき様(さま)にても、参(まゐ)らせまほしう覚(おぼ)えつれど、西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)実兼の姫君(ひめぎみ)、いつしか参(まゐ)り給(たま)へば、きしろふべきにも有(あ)らず。其(そ)の年(とし)六月二日入内有(あ)り。其(そ)の夜先(ま)づ御裳着(もぎ)し給(たま)ふ。前(さき)の御代にもあらましは聞(き)こえしかど、如何(いか)なるにか、さも御座(おは)せざりしに、
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いつしかかうも有(あ)りけるは、猶(なほ)、思(おぼ)す心有(あ)りけるなめりとぞ、打(う)ち付(つ)けにひがひがしう言(い)ひなす人も侍(はべ)りける。此(こ)の姫君(ひめぎみ)の母(はは)北(きた)の方(かた)は、三条坊門(ばうもん)通成(みちなり)の内(うち)の大臣(おとど)の娘(むすめ)なり。候(さぶら)ふ人々(ひとびと)も、押(お)しなべたらぬ限(かぎ)り択(え)り整(ととの)へ、いみじう清(きよ)らなるにと思(おぼ)し急(いそ)ぐ。万(よろづ)、人の心(こころ)も昨日に今日(けふ)は勝(まさ)り行(ゆ)くめれば、いや珍(めづら)に好(この)ましうめでたし。大方(おほかた)大宮(おほみや)の院の御参(まゐ)りの例(れい)を思(おぼ)しなずらふべし。院の御子(こ)に是(これ)も又なり給(たま)ふとて、東二条院御腰(こし)結(ゆ)はせ給(たま)ひて、時なりぬれば、唐庇(からびさし)の御車に奉(たてまつ)りて、上達部(かんだちめ)十人・殿上人十余人(よにん)・本所の前駆(ぜんくう)二十人、つい松(まつ)ともして、御車の左右(さう)に候(さぶら)ふ。出車(いだしぐるま)十両、一の左に母(はは)北(きた)の方(かた)の御妹(いもうと)一条殿、右(みぎ)に二条殿、実顕(さねあき)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)の娘(むすめ)を、大納言(だいなごん)の子にし給(たま)ふとぞ聞(き)こえし。二(に)の車の左に久我(こが)の大納言(だいなごん)雅忠(まさただ)の娘(むすめ)、三条とつき給(たま)ふを、いとからい事(こと)に歎(なげ)き給(たま)へど、皆人先(さき)立(だ)ちてつき給(たま)へれば、あきたる儘(まま)とぞ慰(なぐさ)められ給(たま)ひける。右(みぎ)に近衛殿(このゑどの)、源大納言(だいなごん)雅家(まさいへ)の娘(むすめ)。三(さん)の左に大納言(だいなごん)の君、室町(むろまち)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)公重(きんしげ)の娘(むすめ)、右(みぎ)に新大納言(だいなごん)、同(おな)じ三位(さんみ)兼行(かねゆき)とかやの娘(むすめ)。四の左宰相(さいしやう)の君、坊門(ばうもん)の三位(さんみ)基輔(もとすけ)の娘(むすめ)、右(みぎ)は治部卿兼倫(かねとも)の三位の娘(むすめ)也(なり)。それより下(しも)は例(れい)のむつかしくてなん。多(おほ)くは本所の家司(けいし)、何(なに)くれが娘(むすめ)共(ども)なるべし。童(わらは)・下仕(しもづか)へ・御雑仕(ざふし)・端者(はたもの)に至(いた)るまで、髪(かみ)形(かたち)目(め)安(やす)く親(おや)打(う)ち具(ぐ)し、少(すこ)しもかたほなる無(な)く整(ととの)へられたり。其(そ)の暮(く)れつ方(かた)、頭(とう)の中将(ちゆうじやう)為兼(ためかぬ)の朝臣、御消息(せうそこ)持(も)て参(まゐ)れり。内の上(うへ)、自(みづか)ら遊(あそ)ばし
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けり。
雲の上(うへ)に千代をめぐらん初(はじ)めとて今日(けふ)の日影(ひかげ)もかくや久(ひさ)しき W
紅(くれなゐ)の薄様(うすやう)に、同(おな)じ薄様(うすやう)にぞ包(つつ)まれたんめる。関白殿、「包(つつ)むやう知(し)らず」とかや宣(のたま)ひけるとて、花山に心得(え)たると聞(き)かせ給(たま)ひければ、遣(つか)はして包(つつ)ませられけるとぞ承(うけたまは)りしと語(かた)るに、又此(こ)の具(ぐ)したる女、「いつぞやは、御(おん)使(つか)ひ、実教の中将(ちゆうじやう)とこそは語(かた)り給(たま)ひしか」と言(い)ふ。女御の御装(よそ)ひは、蘇芳(すはう)のはり一重(ひとへ)がさね・濃(こ)きうらのひへぎ・濃(こ)き蘇芳(すはう)の御表着(うはぎ)・赤色(あかいろ)の御唐衣(からぎぬ)・濃(こ)き御袴(はかま)・地摺(ぢずり)の御裳(も)奉(たてまつ)る。女房の装(よそ)ひ、押(お)しなべて皆(みな)蘇芳(すはう)のはり一重(ひとへ)がさね・紅(くれなゐ)のひへぎ・濃(こ)き袴(はかま)・蘇芳(すはう)の表着(うはぎ)・青朽葉(あをくちば)の唐衣(からぎぬ)・薄色(うすいろ)の裳(も)・三重(みへ)だすき、上下(かみしも)同(おな)じ様(さま)也(なり)。参(まゐ)り給(たま)ひぬれば、蔵人左衛門権佐俊光(としみつ)承(うけたまは)りて、手車(てぐるま)の宣旨(せんじ)有(あ)り。殿上人参(まゐ)りて御車引(ひ)き入(い)れ、御兄(せうと)の中納言公衡(きんひら)、別当兼(か)ね給(たま)へり。上(うへ)の御甥(をひ)の左衛門督通重(みちしげ)、御兄(せうと)になずらうる由(よし)聞(き)こゆれば、御屏風・御几帳(きちやう)立(た)てらる。昼(ひ)の御座(ござ)へ御車寄(よ)せらる。御衾(ふすま)、二位殿参(まゐ)らせ給(たま)ふ。御台(みだい)参(まゐ)りて、やがて夜(よる)の御殿(おとど)へまう上(のぼ)り給(たま)ふ。此(こ)の御衾(ふすま)は、京極院(きやうごくゐん)のめでたかりし例(れい)とかや聞(き)こえて、公守(きんもり)の大納言(だいなごん)、沙汰(さた)し申(まう)されけるとかや承(うけたまは)りしは、誠(まこと)にや侍(はべ)りけん。三夜(さんや)の餅(もちひ)も、やがて彼(か)の大納言(だいなごん)沙汰(さた)し申(まう)さる。内の上(うへ)の、夜(よる)の御殿(おとど)へ召(め)して入(い)らせ給(たま)ひたる御草鞋(さうかい)をば、二位殿取(と)りて出(い)で給(たま)ひて、大納言(だいなごん)殿(どの)と二人(ふたり)の御中(なか)
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に抱(いだ)きて寝(ね)給(たま)ふと聞(き)こえし。さきざきも然(さ)る事(こと)にてこそは侍(はべ)りけめな。八日、御所(ところ)現(あらは)しとて、上(うへ)渡(わた)らせ給(たま)へば、袖口(そでくち)共(ども)心(こころ)殊(こと)にて、わざとなく押(お)し出(い)ださる。今日(けふ)は、各(おのおの)紅(くれなゐ)の一重(ひとへ)がさね・青朽葉(あをくちば)の表着(うはぎ)・二藍(ふたあゐ)の唐衣(からぎぬ)なり。大納言(だいなごん)殿(どの)も候(さぶら)はせ給(たま)ふ。上(うへ)も御台(みだい)参(まゐ)る。二位殿御陪膳(はいぜん)、女御のは一条殿仕(つかまつ)り給(たま)ふ。女御の君は、蘇芳(すはう)のはり一重(ひとへ)がさね・紅(くれなゐ)のひへぎ・青朽葉(あをくちば)の表着(うはぎ)・赤色(あかいろ)の唐衣(からぎぬ)二重(ふたへ)織物(おりもの)・唐(から)の薄物(うすもの)の御裳(も)・濃(こ)き綾(あや)の御袴(はかま)、御髪(みぐし)いとうるはしくて盛(さか)りにねび整(ととの)ほり給(たま)へる、いと見所(みどころ)多(おほ)くめでたし。御共(とも)に参(まゐ)り給(たま)へる人々(ひとびと)、右大臣・内大臣・大納言(だいなごん)の左大将(さだいしやう)・花山院(くわさんゐん)の中納言・権大夫・殿上人共(ども)、数多(あまた)此処(ここ)彼処(かしこ)の打橋(うちはし)・渡殿(わたどの)などに、気色(けしき)ばみつつ群(む)れ居(ゐ)たるも、艶(えん)なる心地(ここち)すべし。上達部(かんだちめ)の勧盃(けんぱい)果(は)てて後、内の御方(かた)の御乳母(めのと)を始(はじ)めて、内侍(ないし)・女官(にようくわん)共(ども)、かなへ殿まで禄(ろく)賜(たま)はる。十日の夕つ方(かた)、下大所の御覧(ごらん)有(あ)り。台盤所(だいばんどころ)の北の御壺(つぼ)へ参(まゐ)る。同(おな)じそばの間(ま)にて、内の御方(かた)御覧(ごらん)ぜらる。やがて東(ひがし)面(おもて)より女御も御覧(ごらん)ず。二位殿・一条殿・二条殿を始(はじ)めて、上臈(じやうらふ)だつ人々(ひとびと)、数多(あまた)候(さぶら)ひ給(たま)ふ。御簾(みす)の外(と)にも、上達部(かんだちめ)数多(あまた)候(さぶら)はる。いとはればれし。十四日、又内の上(うへ)入(い)らせ給(たま)ひて、此方(こなた)にて初(はじ)めて御酒(みき)聞(き)こし召(め)せば、南面(みなみおもて)へ出(い)でさせ給(たま)ふ。女御、蘇芳(すはう)の御一重(ひとへ)がさね・萩の経青(たてあを)の御表着(うはぎ)・朽葉(くちば)の御小袿(こうちき)、皆(みな)二重(ふたへ)織物(おりもの)・綾(あや)の織物(おりもの)、生絹(すずし)の御袴(はかま)、御紋(もん)竹立涌(たけたてわけ)を織(お)る。上(うへ)
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は、御引直衣(ひきなほし)・生絹(すずし)の御袴(はかま)、櫑子(らいし)参(まゐ)る。御陪膳(はいぜん)は一条殿、今日(けふ)よりは打(う)ちとけたる心地(ここち)にて、女房共(ども)色々(いろいろ)の一重(ひとへ)がさね・唐衣(からぎぬ)、様々(さまざま)珍(めづら)しき色共(ども)を尽(つ)くして、生絹(すずし)の袴(はかま)に着(き)かへたる、今(いま)少(すこ)し見所(みどころ)そひて、なつかしき様(さま)也(なり)。得選(とくせん)、櫑子(らいし)を持(も)て参(まゐ)る。次第(しだい)に取(と)りつぎて参(まゐ)らす。金(かね)の御ごき・銀(しろがね)の片口(かたくち)の御銚子(てうし)、一条殿御陪膳(はいぜん)、其(そ)の後(のち)、女御殿(どの)も御銚子(てうし)に手掛(か)けさせ給(たま)ふ事侍(はべ)りけり。今宵(こよひ)二位殿、今出川(いまでがは)へまかで給(たま)ひて、車(くるま)の宣旨(せんじ)許(ゆ)り給(たま)ふ。御送(おく)りに御子の公衡(きんひら)の中納言。御甥(をひ)の通重(みちしげ)の左衛門(さゑもん)の督(かみ)など、殿上人共(ども)数多(あまた)也(なり)。縫殿(ぬひどの)の陣(ぢん)より出(い)で給(たま)ふ気色(けしき)、いとよそほし。誠(まこと)や、御入内の夜の御(おん)使(つか)ひ、勾当(こうたう)の内侍(ないし)参(まゐ)れりし禄(ろく)に、表着(うはぎ)・唐衣(からぎぬ)を賜(たま)はる。御消息(せうそこ)に御(おん)使(つか)ひに参(まゐ)れりし上人(うへびと)も、女(をんな)の装束(しやうぞく)かづきながら帰(かへ)り参(まゐ)りて、殿上の口(くち)に落(お)とし捨(す)つ。主殿寮(とのもりづかさ)ぞ取(と)る習(なら)ひなりけり。後朝(こうてう)の御(おん)使(つか)ひには、実連(さねつら)の中将(ちゆうじやう)なりし。公衡(きんひら)の中納言対面(たいめん)して、勧盃(けんぱい)の後(のち)、是(これ)も女(をんな)の装束(しやうぞく)かづけらる。かくて八月二十日、后に立ち給(たま)ふ。予(かね)てより今出川(いまでがは)の御家(いへ)へまかで給(たま)ひて、節会(せちゑ)の儀式(ぎしき)、引(ひ)き移(うつ)し待(ま)ち取(と)り給(たま)ふ様(さま)、いとめでたく、今更(いまさら)ならぬ事(こと)なれど、父の殿も遂(つひ)の御位(くらゐ)はさこそなれど、只今(ただいま)差(さ)しあたりては、未(いま)だ浅(あさ)く御座(おは)するに、すがやかに后妃(こうひ)の位(くらゐ)に定(さだ)まり給(たま)ふ事(こと)、限(かぎ)り無(な)き御世覚(おぼ)えと、めでたく見(み)ゆ。大宮院・本院・東二条院、皆(みな)渡(わた)り御座(おは)しまして、見奉(たてまつ)り給(たま)ふさへぞ止(や)む事(ごと)無(な)き。今日(けふ)は、紅(くれなゐ)のはり一重(ひとへ)がさね・ひへぎ・女郎花(をみなへし)の表着(うはぎ)・二藍(ふたあゐ)
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の唐衣(からぎぬ)・薄色(うすいろ)の裳(も)、すべて二十人、同(おな)じ色の装(よそ)ひ也(なり)。此(こ)の外(ほか)、威儀(ゐぎ)の女房八人、白(しろ)きはり一重(ひとへ)がさね、濃(こ)きひへぎ、同(おな)じ袴(はかま)、女郎花(をみなへし)の衣にて候(さぶら)ふ。いづれと無(な)く、形(かたち)共(ども)きよげに目(め)安(やす)し。其(そ)の年(とし)の十一月八日ぞ、后(きさい)の宮(みや)の御父(ちち)、右大将になり給(たま)ひぬる。同(おな)じ二十五日、正(しやう)二位し給(たま)ふ。此(こ)の程(ほど)は、大嘗会(だいじやうゑ)・五節(ごせち)など罵(ののし)る。前(さき)の御世(よ)には引(ひ)きかへて、中宮〈 永福門院(えいふくもんゐん) 〉、皇后〈 遊義門院(いうぎもんゐん) 〉、宮、院達(たち)、あかれあかれ多(おほ)く御座(おは)しませば、殿上人共(ども)推参(すいさん)の所多(おほ)く、頭(かしら)痛(いた)きまでめぐり歩(あり)く。其(そ)の年(とし)十二月に、御門(みかど)の御母三位殿、院号(ゐんがう)有(あ)り。朝に准后の宣旨(せんじ)有(あ)りて、同(おな)じ日の夕べに玄輝門院(げんきもんゐん)と申(まう)す。めでたくいみじかりき。年(とし)返(かへ)りて、正応も二年(にねん)になりぬ。万(よろづ)めでたき事(こと)共(ども)多(おほ)くて、三月二十三日、鳥羽殿へ朝覲(てうきん)の行幸(ぎやうがう)なる。本院は、予(かね)てより鳥羽(とば)殿(どの)に御座(おは)しまして、池の水草(みくさ)かき払(はら)ひ、いみじう磨(みが)かれて、例(れい)のことごとしき唐(から)の御船(みふね)浮(う)かめられて、二十四日〔に〕舞楽(まひがく)有(あ)りき。六日にぞ返(かへ)らせ給(たま)ひける。さても、去年(こぞ)の三月三日かとよ、経氏(つねうじ)の宰相の娘(むすめ)〈 中そのの准后 〉の御腹(おんはら)に、若宮(わかみや)出(い)で来(き)させ給(たま)へりしを、太子〈 後伏見 〉に立(た)て奉(まつ)らせ給(たま)ふ。いと賢(かしこ)き御宿世(しゆくせ)也(なり)。中宮の御子にぞなし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。同(おな)じうは、誠(まこと)にて御座(おは)せしかばとぞ、大将殿など思(おぼ)しけんかし。おりゐの御門(みかど)〈 後宇多 〉、御子数多(あまた)御座(おは)しませば、坊になど思(おぼ)しけるを、引(ひ)き避(よ)ぎぬる、いと本意(ほい)無(な)し。十月五日に、一院〈 後深草 〉の御所にて、真魚(まな)聞(き)こし召(め)す。いとめでたき事(こと)共(ども)、罵(ののし)り過(す)ぎもて行(ゆ)く。同(おな)じ
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三年三月四日五日の頃(ころ)、紫宸殿(ししんでん)の獅子(しし)・狛犬(こまいぬ)、中(なか)より割(わ)れたり。驚(おどろ)き思(おぼ)して御占(うら)有(あ)るに、「血(ち)流(なが)るべし」とかや申(まう)しければ、如何(いか)なる事(こと)の有(あ)るべき〔に〕かと、誰(たれ)も誰(たれ)も思(おぼ)し騒(さわ)ぐに、其(そ)の九日の夜、衛門(ゑもん)の陣より、恐(おそ)ろしげなる武士(もののふ)三、四人(さんよにん)、馬に乗(の)りながら九重(ここのへ)の中(なか)へ馳(は)せ入(い)りて、上(うへ)に昇(のぼ)りて、女嬬(によず)が局(つぼね)の口(くち)に立(た)ちて、「やや」と言(い)ふ〔者(もの)〕を見(み)上(あ)げたれば、丈(たけ)高(たか)く恐(おそ)ろしげなる男(をとこ)の、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の鎧(よろひ)直垂(ひたたれ)に、緋(ひ)をどしの鎧(よろひ)着(き)て、只(ただ)赤鬼(あかおに)などのやうなる面付(つらつき)にて、「御門(みかど)は何処(いづく)に御(お)寝(よ)るぞ」と問(と)ふ。「夜(よる)の御殿(おとど)に」といらふれば、「何処(いづく)ぞ」と又問(と)ふ。「南殿(なんでん)より東(ひんがし)北の隅(すみ)」と教(をし)ふれば、南(みなみ)様(ざま)へ歩(あゆ)み行(ゆ)く間(ま)に、女嬬(によず)、内(うち)より参(まゐ)りて、権大納言(だいなごん)の典侍(すけ)殿(どの)・新内侍殿などに語(かた)る。上(うへ)は、中宮の御方に渡(わた)らせ給(たま)ひければ、対(たい)の屋(や)へ忍(しの)びて逃(に)げさせ給(たま)ひて、春日(かすが)殿(どの)へ、女房のやうにて、いと怪(あや)しき様(さま)を作(つく)りて、入(い)らせ給(たま)ふ。内侍(ないし)、剣璽(けんじ)を取(と)りて出(い)づ。女嬬(によず)は玄象(げんしやう)・鈴鹿(すずか)取(と)りて逃(に)げけり。春宮をば、中宮の御方(かた)の按察(あぜち)殿(どの)抱(いだ)き参(まゐ)らせて、常盤井(ときはゐ)殿(どの)へ徒歩(かち)にて逃(に)ぐ。其(そ)の程(ほど)の心(こころ)の中(うち)共(ども)言(い)はん方無(な)し。此(こ)の男(をとこ)をば、浅原(あさはら)の某(なにがし)とか言(い)ひけり。からくして、夜(よる)の御殿(おとど)へ尋(たづ)ね参(まゐ)りたれども、大方(おほかた)人も無(な)し。中宮の御方(かた)の侍(さぶらひ)の長(をさ)景政(かげまさ)と言(い)ふ者(もの)、名乗(なの)り参(まゐ)りて、いみじく戦(たたか)ひ防(ふせ)きければ、疵(きず)被(かうぶ)りなどしてひしめく。斯(か)かる程(ほど)に、二条京極(きやうごく)の篝屋(かがりや)備後(びんご)の守(かみ)とかや、五十余騎(よき)にて馳(は)せ参りて時(とき)を作(つく)るに、合(あ)はする声(こゑ)、はつかに聞(き)こえければ、心(こころ)安(やす)くて内に参(まゐ)る。御殿共(ども)の格子(かうし)
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引(ひ)きかなぐりて乱(みだ)れ入(い)るに、適(かな)はじと思(おも)ひて、夜(よる)の御殿(おとど)の御褥(しとね)の上(うへ)にて、浅原(あさはら)自害(じがい)しぬ。太郎なりける男(をのこ)は、南殿(なんでん)の御帳(みちやう)の内(うち)にて自害(じがい)しぬ。弟(おとと)の八郎と言(い)ひて十九になりけるは、大床子(だいしやうじ)の足(あし)の下(した)にふして、寄(よ)る者(もの)の足(あし)を斬(き)り斬(き)りしけれども、さすが、数多(あまた)して搦(から)めんとすれば、適(かな)はで自害(じがい)するとて、腸(はらわた)をば皆(みな)繰(く)り出(い)だして、手(て)にぞ持(も)たりける。其(そ)の儘(まま)ながら、いづれをも六波羅(ろくはら)へ舁(か)き続(つづ)けて出(い)だしけり。ほのぼのと明(あ)くる程(ほど)に、内・春宮、御車にて忍(しの)びて帰(かへ)らせ給(たま)ひて、昼(ひる)つ方(かた)ぞ、又(また)更(さら)に春日(かすが)殿(どの)へなる。大方、雲の上(うへ)汚(けが)れぬれば、如何(いかが)にて、中宮の昼(ひ)の御座(ござ)へ腰輿(えうよ)寄(よ)せて、兵衛の陣より出(い)でさせ給(たま)ふ。春宮は糸毛(いとげ)の御車にて、又常盤井(ときはゐ)殿(どの)へ渡(わた)らせ給(たま)ふ。中宮も春日(かすが)殿(どの)へ行啓(ぎやうげい)なる。世(よ)の中(なか)ゆすり騒(さわ)ぐ様(さま)、言(こと)の葉(は)も無(な)し。此(こ)の事(こと)、次第(しだい)に六波羅(ろくはら)にて尋(たづ)ね沙汰(さた)する程(ほど)に、三条の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)実盛(さねもり)も召(め)しとられぬ。三条の家に伝(つた)はりて、鯰尾(なまづを)とかや言(い)ふ刀(かたな)の有(あ)りけるを、此(こ)の中将(ちゆうじやう)、日頃(ひごろ)持(も)たれたりけるにて、彼(か)の浅原(あさはら)自害(じがい)したるなど言(い)ふ事(こと)共(ども)出(い)で来(き)て、中(なか)の院(ゐん)〈 亀山、後宇多歟 〉も知(し)ろし召(め)したるなど言(い)ふ聞(き)こえ有(あ)りて、心(こころ)憂(う)くいみじきやうに言(い)ひあつかふ、いとあさまし。中宮の御兄(せうと)権大納言公衡(きんひら)、一院の御前(まへ)にて、「此(こ)の事(こと)は、猶(なほ)、禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)の御心(おんこころ)合(あ)はせたるなるべし。後嵯峨院の御処分(そぶん)を引(ひ)き違(たが)へ、東(あづま)よりかく当代(たうだい)をも据(す)ゑ奉(たてまつ)り、世(よ)を知(し)ろし召(め)さする事(こと)を、心(こころ)よからず思(おぼ)すによりて、世(よ)を傾(かたぶ)け給(たま)はんの御本意(ほんい)なり。さてなだらかにも御座(おは)しまさば、勝(まさ)る事(こと)や出(い)で詣(まう)でこ
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ん。院を先(ま)づ六波羅(ろくはら)に移(うつ)し奉(たてまつ)らるべきにこそ」など、彼(か)の承久の例(ためし)も引(ひ)き出(い)でつべく申(まう)し給(たま)へば、いといとほしうあさましと思(おぼ)して、「如何(いか)でか、さまでは有(あ)らん。実(じち)ならぬ事(こと)をも、人はよく言(い)ひなす物(もの)也(なり)。故(こ)院の無(な)き御影(かげ)にも、思(おぼ)さん事(こと)こそいみじけれ」と涙ぐみて宣(のたま)ふを、心(こころ)弱(よわ)く御座(おは)しますかなと、見奉(たてまつ)り給(たま)ひて、猶(なほ)内(うち)よりの仰(おほ)せなど、厳(きび)しき事(こと)共(ども)聞(き)こゆれば、中(なか)の院(ゐん)〈 亀山 〉も新院〈 後宇多 〉も思(おぼ)し驚(おどろ)く。いとあわたたしきやうになりぬれば、如何(いかが)はせんにて、知(し)ろし召(め)さぬ由(よし)誓(ちか)ひたる御消息(せうそこ)など、東(あづま)へ遣(つか)はされて後ぞ、事(こと)鎮(しづ)まりにける。〔さて〕九月(ながつき)の初(はじ)めつ方(かた)、中(なか)の院(ゐん)は御髪(みぐし)下(お)ろさせ給(たま)ふ。いと哀(あは)れなる事(こと)共(ども)多(おほ)かるべし。禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)にて、やがて御如法経(によほふきやう)など書(か)かせ給(たま)ふ。一院の世(よ)の中(なか)恨(うら)み思(おぼ)されし時、既(すで)にと聞(き)こえしは、さも御座(おは)しまさで、かくすがやかにせさせ給(たま)ひぬる、いと定(さだ)め無(な)し。しばしは禅僧にならせ給(たま)ふとて、緑衫(ろうさう)の御衣(ころも)に掛絡(くわら)と言(い)ふ袈裟(けさ)掛(か)けさせ給(たま)へり。四十一にぞ物(もの)し給(たま)ひける。御法名(ほふみやう)金剛覚(こんがうかく)と申(まう)すなり。新陽明門院(しんやうめいもんゐん)を始(はじ)め奉(たてまつ)りて、色々(いろいろ)の御召人(めしうど)共(ども)、廊(らう)の御方(かた)・讚岐(さぬき)の二位殿など、寂(さび)しき院に残(のこ)りて、或(ある)は様(さま)かへ、或(ある)は里(さと)へまかでなど、様々(さまざま)散(ち)り散(ぢ)りになる程(ほど)、いと心(こころ)細(ぼそ)し。中務(なかづかさ)の宮(みや)の御娘(むすめ)は、もとよりいとあざやかならぬ御覚(おぼ)えなりしかば、世(よ)を捨(す)てさせ給(たま)ふ際(きは)とても、取(と)りわきたる御名残(なごり)も無(な)かるべし。禅林寺(ぜんりんじ)の上(うへ)の院の、人離(はな)れたる方(かた)に据(す)ゑ聞(き)こえさせ給(たま)へれば、殊(こと)に触(ふ)れて、いと寂(さび)しく、
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心(こころ)細(ぼそ)き御有様(おんありさま)なるを、自(おの)づから言(こと)問(と)ひ聞(き)こゆる人も無(な)し。源氏(げんじ)の末の君に、中将(ちゆうじやう)ばかりなる人、院に親(した)しく仕(つかうまつ)りなれて、家もやがて其(そ)の渡(わた)りにあれば、程(ほど)近(ちか)き儘(まま)に、折々(をりをり)此(こ)の宮の御宿直(とのゐ)など心(こころ)に掛(か)けて仕(つかまつ)るを、候(さぶら)ふ人々(ひとびと)もいと有(あ)り難(がた)くもと思(おも)ふ。宮の御方(かた)は、此(こ)の頃(ごろ)いみじき御盛(さか)りの程(ほど)にて、まほに美(うつく)しう御座(おは)しますを、あたらしう見奉(たてまつ)りはやす人の無(な)き事(こと)と思(おも)ひあへり。七月ばかり、風あららかに吹(ふ)き、稲妻(いなづま)けしからずひらめきて、神鳴(な)り騒(さわ)ぐ、常(つね)よりも恐(おそ)ろしき夜、はかばかしき人も無(な)ければ、上下(かみしも)いとあわたたしく、心(こころ)細(ぼそ)う思(おぼ)し惑(まど)ふ。法皇は、亀山(かめやま)殿(どの)に過(す)ぎにし頃(ころ)より御座(おは)しませば、近(ちか)きあたりにだに人のけはひも聞(き)こえず。哀(あは)れなる程(ほど)の御有様(おんありさま)にて、墨(すみ)をすりたらむやうなる空の気色(けしき)のうとましげなるを、眺(なが)めさせ給(たま)ふ程(ほど)に、例(れい)の中将(ちゆうじやう)、そぼち参(まゐ)りて、侍(さぶらひ)めく者(もの)一(ひとり)、二人(ふたり)、弓をなど持(も)たせて、「御宿直(とのゐ)仕(つかまつ)らせ侍(はべ)るべし。某(なにがし)も、侍(さぶらひ)の方(かた)に侍(はんべ)らん」など申(まう)すにぞ、いささか頼(たの)もしくて、人々(ひとびと)慰(なぐさ)め給(たま)ふ。御座(おは)します母屋(もや)にあたれる廂(ひさし)の勾欄(かうらん)に押(お)し掛(か)かりて、香染(かうぞ)めのなよらかなる狩衣(かりぎぬ)に、薄色(うすいろ)の指貫(さしぬき)打(う)ちふくだめたる気色(けしき)にて、しめじめと物語(ものがたり)しつつ、いたう更(ふ)け行(ゆ)くまで、つくづくと候(さぶら)ひ給(たま)へば、御簾(みす)の中(なか)にも心(こころ)遣(づか)ひして、はかなきいらへなど聞(き)こゆ。暁(あかつき)がたになりぬれば、御几帳(きちやう)引(ひ)き寄(よ)せて、御殿(との)ごもりぬる傍(かたは)らに、いと馴(な)れ顔(がほ)に添(そ)ひふす男(をとこ)有(あ)り。夢かやと思(おぼ)して御覧(ごらん)じ上(あ)げたれば、「年月(としつき)、思(おも)ひ聞(き)こえ
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つる様(さま)、おほけなく有(あ)るまじき事(こと)と思(おも)ひかへさひ、ここら忍ぶるに余(あま)りぬる程(ほど)、只(ただ)少(すこ)し、かくて胸(むね)をだに休(やす)め侍らんばかり」など、いみじげに聞(き)こゆるは、早(はや)う有(あ)りつる中将(ちゆうじやう)なりけり。いとうたて、心(こころ)憂(う)の業(わざ)やと思(おぼ)すに、御涙もこぼれぬ。近(ちか)き手(て)あたり御もてなしのなよびかさなど、まして思(おも)ひ沈(しづ)むべうも無(な)ければ、いといとほしう、ゆくりなき事(こと)とは思(おも)ひながら、残(のこ)りなうなりぬ。身のうさの限(かぎ)りなうも有(あ)るかなと、前(さき)の世(よ)も恨(うら)めしう、言(い)ふ甲斐(かひ)無(な)き事(こと)を思(おぼ)し続(つづ)けて、よよと泣(な)き給(たま)ふ様(さま)、いよいよらうたし。見(み)るとしも無(な)き夢のただぢを打(う)ち驚(おどろ)かす鐘(かね)の声(こゑ)・鳥の音も、人遣(や)りならぬ心(こころ)づくしに、え出(い)で遣(や)らず。
起(お)き別(わか)れ行(ゆ)く空も無(な)き道芝(みちしば)の露より先(さき)に我(われ)や消(け)なまし W
出(い)でがてに休(やす)らひたる面影(おもかげ)も、何(なに)の御目(め)止(と)まるふしも無(な)し。さばかりいみじかりし院の御目(め)うつりに、こよなの契(ちぎ)りの程(ほど)やと、思(おぼ)し知(し)らるるもつらければ、いらへもし給(たま)はず。あさましうも心(こころ)憂(う)くも、様々(さまざま)思(おぼ)し乱(みだ)るるに、御心地(ここち)もまめやかに損(そこ)なはれぬべし。按察(あぜち)の君(きみ)と言(い)ふ人、語(かた)らひとられけるなめり。忍(しの)びて御消息(せうそこ)繁(しげ)う聞(き)こゆるをも、いとうたて、心(こころ)づきなう思(おぼ)されながら、さてしも果(は)てぬ習(なら)ひにや、いと又哀(あは)れなる事(こと)さへ物(もの)し給(たま)ひけり。斯(か)かるに付(つ)けても、此(こ)の世一(ひと)つには有(あ)らざりける御契(ちぎ)りの程(ほど)、浅(あさ)からず推(お)し量(はか)らる。中将(ちゆうじやう)も世(よ)と共(とも)にあくがれ勝(まさ)りて、夢の通(かよ)ひ路(ぢ)、足(あし)も休(やす)めず成(な)り行(ゆ)く。此(こ)の御気色も漸(やうや)うしるき程(ほど)になり給(たま)へ
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ば、空恐(おそ)ろしと、忍(しの)びて御乳母(めのと)だつ人の家など言(い)ひなして、白河(しらかは)わたり、かごやかにをかしき所用意(ようい)して、率(ゐ)て渡(わた)し奉(たてまつ)りつつ、猶(なほ)自(みづか)らは、さすがに世(よ)のつつましければ、忍(しの)びつつぞ御宿直(とのゐ)しける。そこにてこそ御子も生(う)み給(たま)ひけれ。此(こ)の中将(ちゆうじやう)、才(ざへ)賢(かしこ)くて、末の世(よ)には、事(こと)の外(ほか)にもてなされて、先(ま)づ一品(いつぽん)して、しばし御座(おは)せし頃(ころ)、御百首(ひやくしゆ)の歌に、
位山(くらゐやま)上(のぼ)り果(は)てても峰(みね)に生(お)ふる松(まつ)に心(こころ)を猶(なほ)残(のこ)すかな W
さて遂(つひ)に内大臣まで昇(のぼ)られき。さて元応の頃(ころ)かとよ、百首歌(ひやくしゆうた)奉(たてまつ)りし中(なか)に、
集(あつ)めこし窓(まど)の蛍(ほたる)の光もて思(おも)ひしよりも身をてらすかな W
と詠(よ)まれ侍(はべ)りき。有房(ありふさ)と聞(き)こえしが、若(わか)くての世(よ)の異(こと)なるべし。新陽明門院(しんやうめいもんゐん)も、禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)の下(しも)の放(はな)ち出(い)でに、徒然(つれづれ)として御座(おは)します程(ほど)に、松殿宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)兼嗣(かねつぐ)、如何(いかが)したりけん、常(つね)に参(まゐ)り給(たま)ひし程(ほど)に、果(は)てには、其(そ)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)の御子に、世(よ)を逃(のが)れたる人有(あ)りき。其(そ)の御房に思(おぼ)しうつりて、限(かぎ)り無(な)く思(おぼ)したりし程(ほど)に、御子をさへ生(う)み給(たま)ふ。其(そ)の姫君(ひめぎみ)は、始(はじ)めは富(とみ)の小路の中納言季雄(すえを)の北(きた)の方(かた)にて御座(おは)せしが、後には歓喜園(くわんきをん)の摂政と聞(き)こえ給(たま)ひし末の御子に、基教(もとのり)の三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)と聞(き)こえし上(うへ)になりて、失(う)せ給(たま)ふまで御座(おは)しき。故(こ)女院いとほしくし給(たま)ひしかば、御処分(そうぶん)など、いといと猛(まう)に有(あ)りき。「さのみ斯(か)かる御事(こと)共(ども)をさへ聞(き)こゆるこそ、物(もの)言(い)ひさが無(な)き罪(つみ)去(さ)り所(どころ)無(な)けれど、よしや昔(むかし)も然(さ)る事有(あ)りけりと、此(こ)の頃(ごろ)の人の御有様(おんありさま)
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も、自(おの)づから軽(かろ)き事有(あ)らば、思(おも)ひ許(ゆる)さるる例(ためし)にもなりてん物(もの)をぞと思(おも)へば、遠(とほ)き人の御事(こと)は、今(いま)は何(なに)の苦(くる)しからんぞとて、少(すこ)しづつ申(まう)すなり」と、打(う)ち笑(わら)ふもはしたなし。「いづら。此(こ)の頃(ごろ)は、誰(たれ)か悪(あ)しく御座(おは)する」と問(と)へば、「いないなそれは空恐(おそ)ろし」とて、頭(かしら)をふるもさすがをかし。さても、石清水(いはしみづ)の流(なが)れを分(わ)けて、関(せき)の東(ひんがし)にも、若宮(わかみや)と聞(き)こゆる社(やしろ)御座(おは)しますに、八月十五日(じふごにち)、都(みやこ)の放生会(はうじやうゑ)を学(まね)びて行(おこな)ふ。其(そ)の有様(ありさま)、誠(まこと)にめでたし。将軍も詣(まう)で、位ある兵(つはもの)・諸国(しよこく)の受領(ずりやう)共(ども)など、色々(いろいろ)の狩衣(かりぎぬ)、思(おも)ひ思(おも)ひの衣重(かさ)ねて出(い)で立(た)ちたり。赤橋(あかはし)と言(い)ふ所に、将軍御車(くるま)止(とど)めて降(お)り給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)は、上(うへ)の衣(きぬ)なるも有(あ)り。殿上人などいと多(おほ)く仕(つかうまつ)る。此(こ)の将軍は、中務(なかづかさ)の宮(みや)の御子なり。此(こ)の頃(ごろ)権中納言にて、右大将兼(か)ね給(たま)へれば、御随身(みずいじん)共(ども)、花(はな)を折(を)らせてさうぞきあへる様(さま)、都(みやこ)めきて面白(おもしろ)し。法会の有様(ありさま)も、本社に変(か)はらず。舞楽(ぶがく)・田楽(でんがく)・獅子(しし)がしら・流鏑馬(やぶさめ)など、様々(さまざま)所にし付(つ)けたる事(こと)共(ども)面白(おもしろ)し。十六日にも、猶(なほ)斯様(かやう)の事(こと)なり。桟敷(さじき)共(ども)いかめしく造(つく)り並(なら)べて、色々(いろいろ)の幔幕(まんまく)など引(ひ)き続(つづ)けて、将軍の御桟敷(さじき)の前(まへ)には、相模(さがみ)の守(かみ)を初(はじ)め、そこらの武士(ぶし)共(ども)並(な)み居(ゐ)たる気色(けしき)、様(さま)変(か)はりて、好(この)ましううけばりたる、心地(ここち)よげに、所に付(つ)けては又無(な)くは見(み)えたり。其(そ)の後(のち)、幾(いく)程(ほど)無(な)く、鎌倉(かまくら)中(うち)騒(さわ)がしき事(こと)出(い)で来(き)て、皆人(みなひと)肝(きも)をつぶし、つぶし、ささめくと言(い)ふ程(ほど)こそあれ、将軍都(みやこ)へ流(なが)され給(たま)ふとぞ聞(き)こゆる。珍(めづら)しき言(こと)の葉(は)なりかし。近(ちか)く仕(つかうまつ)る
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男(をとこ)女、いと心(こころ)細(ぼそ)く思(おも)ひ歎(なげ)く。例(たと)へば、御位などの変(か)はる気色(けしき)に異(こと)ならず。さて上(のぼ)らせ給(たま)ふ有様(ありさま)、いと怪(あや)しげなる網代(あじろ)の御輿(みこし)を逆様(さかさま)に寄(よ)せて、乗(の)せ奉(たてまつ)るも、げにいとまがまがしき事(こと)の様(さま)也(なり)。打(う)ち任(まか)せては、都(みやこ)へ御上(のぼ)りこそ、いと面白(おもしろ)くもめでたかるべき業(わざ)なれど、かく怪(あや)しきは珍(めづら)か也(なり)。御母御息所(みやすどころ)は、近衛殿(このゑ)の大殿と聞(き)こえし御娘(むすめ)也(なり)。父(ちち)御子(みこ)の、将軍にて御座(おは)しましし時(とき)の御息所(みやすどころ)也(なり)。先(さき)に聞(き)こえつる禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)の宮(みや)の御方(かた)も、同(おな)じ御腹(おんはら)なるべし。文永三年より今年(ことし)まで二十四年、将軍にて、天下(てんか) の固(かた)めといつかれ給(たま)へれば、日の本の兵(つはもの)を従(したが)へてぞ御座(おは)しましつるに、今日(けふ)は彼(かれ)等(ら)にくつ返(がへ)されて、かくいとあさましき御有様(おんありさま)にて上(のぼ)り給(たま)ふ。いといとほしう哀(あは)れなり。道すがらも思(おぼ)し乱(みだ)るるにや、御たたう紙(がみ)の音(おと)繁(しげ)う漏(も)れ聞(き)こゆるに、猛(たけ)き武士(もののふ)も涙落(お)としけり。さて、此(こ)の代(か)はりには、一院の御子(みこ)、三条の内大臣公親の御娘(むすめ)、御匣(みくしげ)殿(どの)とて候(さぶら)ひ給(たま)ひし御腹(おんはら)也(なり)。当代(たうだい)の御はらからにて、今(いま)少(すこ)し寄(よ)せ重(おも)く止(や)む事(ごと)無(な)き御有様(おんありさま)なれば、〔只(ただ)〕受禅の心地(ここち)ぞする。もとの将軍御座(おは)せし宮をば造(つく)り改(あらた)めて、いみじう磨(みが)きなす。兵(つはもの)の勝(すぐ)れたる七人、御迎(むか)へに上(のぼ)る中(なか)に、飯沼(いひぬま)の判官(はうぐはん)と言(い)ふ者、前(さき)の将軍上(のぼ)り給(たま)ひし道(みち)もまがまがしければ、あとをも越(こ)えじとて、足柄山(あしがらやま)をよぎて上(のぼ)るとぞ、余(あま)りなる事(こと)にや。御子(みこ)は十月三日御元服し給(たま)ふ。久明の親王(しんわう)と聞(き)こゆ。同(おな)じ十日、院よりやがて六波羅(ろくはら)の北方、さきざきも宮の
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渡(わた)り給(たま)ひし所へ御座(おは)して、それよりぞ東(あづま)に赴(おもむ)かせ給(たま)ふ。同(おな)じ二十五日、鎌倉(かまくら)へ着(つ)かせ給(たま)ふにも、御関迎(せきむか)へとて、ゆゆしき武士共(ども)打(う)ちつれて参(まゐ)る。宮は菊(きく)のとれんじの御輿(こし)に御簾(すだれ)上(あ)げて、御覧(ごらん)じならはぬ夷(えびす)共(ども)の打(う)ち囲(かこ)み奉(たてまつ)れる、頼(たの)もしく見(み)給(たま)ふ。しのぶを乱(みだ)れ織(お)りたる萌黄(もよぎ)の御狩衣(かりぎぬ)・紅(くれなゐ)の御衣(おんぞ)・濃(こ)き紫(むらさき)の指貫(さしぬき)奉(たてまつ)りて、いと細(ほそ)やかに艶(なま)めかし。飯沼(いひぬま)の判官(はうぐわん)、とくさの狩衣(かりぎぬ)、青毛(あをげ)の馬に、黄金物(きかなもの)の鞍(くら)置(お)きて、随兵(ずいびやう)いかめしく〔召(め)し具(ぐ)〕して、御輿(こし)の際(きは)にうちたるも、都(みやこ)に例(たと)へば、行幸(ぎやうがう)に然(しか)るべき大臣などの仕(つかまつ)り給(たま)へるによそへぬべし。三日が程(ほど)は、椀飯(わうばん)と言(い)ふ事(こと)、又馬(うま)御覧(ごらん)、何(なに)くれといかめしき事(こと)共(ども)、鎌倉(かまくら)中(うち)の経営(けいめい)也(なり)。宮の中(うち)の飾(かざ)り御調度(てうど)などは更(さら)にも言(い)はず、帝釈(たいしやく)の宮殿(くうでん)もかくやと、七宝(しちぽう)を集(あつ)めて磨(みが)きたる様(さま)、目(め)も輝(かかや)く心地(ここち)す。いと有(あ)らまほしき御有様(おんありさま)なるべし。関(せき)の東(ひんがし)を都(みやこ)の外(ほか)とて、おとしむべくも有(あ)らざりけり。都に御座(おは)しますなま宮達(たち)の、拠(よ)り所(どころ)無(な)くただよはしげなるには、こよなく勝(まさ)りて、めでたくにぎははしく見(み)えたり。時宗の朝臣と言(い)ひしも、又頭(かしら)下(お)ろして、円覚寺の入道とて、いと尊(たふと)く行(おこな)ひて、世(よ)をもいろはず、貞時(さだとき)と言(い)ふ太郎、相模(さがみ)の守にぞ、万(よろづ)言(い)ひ付(つ)けける。上(のぼ)り給(たま)ひにし前(さき)の大将殿は、嵯峨(さが)の辺(ほとり)に御髪(おぐし)下(お)ろし、いとかすかに寂(さび)しくて御座(おは)す。かくて年(とし)変(か)はりぬれば、又(また)の年(とし)二月(きさらぎ)の頃(ころ)、一院御髪(みぐし)下(お)ろす。年月(としつき)の御本意(ほい)なれど、たゆたい過(す)ぐし給(たま)ひけるに、禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)、去年(こぞ)の秋思(おぼ)し立(た)ちにしに、
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いとど驚(おどろ)かされ給(たま)ひぬるにや有(あ)りけん。二月十一日、亀山殿にて、御いむ事受(う)けさせ給(たま)ふ。四十八にぞならせ給(たま)ふ。御法名(ほふみやう)素実と申(まう)す也(なり)。正月(むつき)一日(ついたち)、節会(せつゑ)など果(は)てて、夕つ方(かた)、内の上(うへ)、皇后宮の御方へ渡(わた)らせ給(たま)へれば、宮は〔中(なか)〕濃(こ)き紅梅(こうばい)の〔十二の〕御衣(おんぞ)に、同(おな)じ色の御単(ひとへ)・紅(くれなゐ)のうちたる・萌黄(もえぎ)の御表着(うはぎ)・葡萄染(えびぞ)めの御小袿(こうちき)・花山吹(はなやまぶき)の御唐衣(からぎぬ)、唐(から)の薄物(うすもの)の御裳(も)気色(けしき)ばかり引(ひ)き掛(か)けて、御髪(みぐし)ぞ少(すこ)し薄(うす)らぎ給(たま)へれど、いとなよびかに美(うつく)しげにて、常(つね)よりも殊(こと)に匂(にほ)ひ加(くは)はりて見(み)え給(たま)ふ。御前(まへ)に御匣(みくしげ)殿(どの)、花山院(くわさんゐん)の内大臣師継(もろつぐ)の娘(むすめ)、二藍(ふたあゐ)の七(なな)つに紅(くれなゐ)の単(ひとへ)・紅梅(こうばい)の表着(うはぎ)・赤色(あかいろ)の唐衣(からぎぬ)・地摺(ぢずり)の裳(も)、髪(かみ)うるはしく上(あ)げて候(さぶら)ひ給(たま)ふ。かんざし・やうだい、是(これ)もけしうは有(あ)らず見(み)ゆ。あたらしき年(とし)の御喜(よろこ)びなど少(すこ)し聞(き)こえ給(たま)ひて、例(れい)の只(ただ)ならぬ御事(こと)共(ども)打(う)ちささめきがちにて、是(これ)より公守(きんもり)の大納言(だいなごん)の娘(むすめ)の曹司(ざうし)差(さ)しのぞかせ給(たま)へば、いとささやかにて、衣がちにて、花桜(はなざくら)のあはひおかしきに、山吹(やまぶき)の表着(うはぎ)、裳(も)引(ひ)き掛(か)けて、寄(よ)り臥(ふ)し給(たま)へる、あてにらうたし。こまやかに打(う)ち語(かた)らひ聞(き)こえ給(たま)ふ。玄輝門院(げんきもんゐん)の御そばにかしづき聞(き)こえ給(たま)ひし習(なら)ひにや、押(お)しなべての上宮仕(うへみやづか)への様(さま)よりは、思(おも)ひ上(あ)がれる気色(けしき)なり。今(いま)一所〈 顕親門院(けんしんもんゐん) 〉の御曹司(ざうし)も近(ちか)き程(ほど)なれば、そなた様(ざま)に歩(あゆ)み御座(おは)して、いと心(こころ)静(しづか)ならねど、此(こ)の君をば、押(お)しなべての際(きは)ならず思(おぼ)すめり。此(こ)の御腹(おんはら)に、御子(みこ)達(たち)数多(あまた)御座(おは)しましき。かくめぐらせ給(たま)ふ程(ほど)に、いたく更(ふ)けてぞ、中宮上(のぼ)らせ給(たま)ふ。此(こ)の御代にも、いみじき行幸(ぎやうがう)ども、
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ゆゆしき事多(おほ)かりしかど、年(とし)の積(つ)もりに何事(なにごと)もさだかならず、月日(つきひ)などおぼろに侍れば、中々聞(き)こえず。程(ほど)無(な)く明(あ)け暮(く)れて、永仁も六年になりぬ。七月二十二日、春宮に位譲(ゆづ)りて、降(お)り給(たま)ひぬ。霜月になりて、五節(ごせち)の頃(ころ)、去年(こぞ)を思(おぼ)し出(い)でて、其(そ)の折(をり)に関白にて御座(おは)せし兼忠(かねただ)の大臣(おとど)に、櫛(くし)遣(つか)はすとて、新院、
乙女子(をとめご)がさすや小櫛(をぐし)の其(そ)のかみに共(とも)に馴(な)れこし時(とき)ぞ忘(わす)れぬ W
御返(かへ)し、歓喜園(くわんきをん)の前(さき)の摂政殿、
いとど又こぞの今宵(こよひ)ぞ忍(しの)ばるるつげの小櫛(をぐし)を見(み)るに付(つ)けても W
堀川(ほりかは)の具守の大臣(おとど)の娘(むすめ)の御腹(おんはら)に、前(さき)の新院の若宮(わかみや)〈 後二条 〉生(う)まれ給(たま)へりし、六月二十七日に、御元服(げんぶく)して、八月十日春宮に立(た)ち給(たま)ひぬ。御諱(いみな)邦治(くにはる)と聞(き)こゆ。是(これ)も、内(うち)より〔は〕御年(おんとし)三(み)つ勝(まさ)り給(たま)へり。今(いま)の御門(みかど)は十一になり給(たま)ふ。御諱(いみな)胤仁(たねひと)と聞(き)こゆ。あてに艶(なま)めかしう御座(おは)します。中宮の御腹(おんはら)には、大方(おほかた)、宮も物(もの)し給(たま)はねば、此(こ)の御門をぞ、御子にし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひける。譲位(じやうゐ)の後は、宮も降(お)りさせ給(たま)ひて、永福門院(えいふくもんゐん)と聞(き)こゆめり。皇后宮も此(こ)の頃(ごろ)は遊義門院(いうぎもんゐん)と申(まう)す。法皇の御傍(かたは)らに御座(おは)しましつるを、中(なか)の院(ゐん)〈 後宇多 〉、如何(いか)なる便(たよ)りにか、ほのかに見奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、いと忍(しの)び難(がた)く思(おぼ)されければ、とかくたばかりて、盗(ぬす)み奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、冷泉(れいぜい)万里小路(までのこうじ)殿(どの)に御座(おは)します。又(また)無(な)く思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)へる事限(かぎ)り無(な)し。
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正安二年(にねん)正月三日、御門、御元服し給(たま)ふ。今年(ことし)十三にならせ給(たま)へば、御行(ゆ)く末(すゑ)遙(はる)かなる程(ほど)也(なり)。又(また)の年正月(むつき)の頃、内侍所(ないしどころ)の御しめの下(お)り給(たま)へるは、如何(いか)なるべき事(こと)にかなど、忍(しの)びてささめく程(ほど)こそあれ、東(あづま)より御(おん)使(つか)ひの上(のぼ)るとて、世(よ)の中(なか)騒(さわ)ぎて、禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)見(み)奉(たてまつ)り給(たま)ふ世(よ)にとや、正月二十一日、春宮〈 後二条 〉位に即(つ)かせ給(たま)ひぬ。おりゐの御門(みかど)十四にて、太上天皇の尊号(そんがう)有(あ)り。いときびはにいたはしき御事(こと)なるべし。僅(わづ)かに三年(みとせ)にて降(お)り居(ゐ)させ給(たま)へれば、何事(なにごと)のはえも無(な)し。此(こ)の春は、春日(かすが)の社(やしろ)に御幸など有(あ)るべしとて、世(よ)の中(なか)まだきより面白(おもしろ)き事(こと)に言(い)ひあへりつるも、かいしめりていとさうざうし。さて此(こ)の君を新院と申(まう)せば、父の院をば中(なか)の院(ゐん)と聞(き)こゆ。御門の御父(ちち)は一(いち)の院と申(まう)す。法皇も此(こ)の頃(ごろ)は一(ひと)つに御座(おは)しますなめり。一(いち)の院、世(よ)の政(まつりごと)聞(き)こし召(め)せば、天下(てんか)の人、又押(お)し返(かへ)し、一方(ひとかた)に靡(なび)きたる程(ほど)も、さも目(め)の前(まへ)に移(うつ)ろひ変(か)はる世(よ)の中(なか)かなと、あぢきなし。土御門(つちみかど)の前(さき)の内の大臣(おとど)定実、六月に太政大臣になり給(たま)ふ、いとめでたし。故(こ)大納言(だいなごん)入道顕定(あきさだ)の、本意(ほい)無(な)かりし御面(おもて)おこし給(たま)へる、いとどゆゆし。院の御覚(おぼ)えの人なる上(うへ)、才(ざえ)も賢(かしこ)く御座(おは)すれば、世(よ)に用(もち)ゐられ給(たま)へり。御子の大納言(だいなごん)雅房(まさふさ)・中納言親定(ちかさだ)とて、いづれも才(ざえ)ある人にて御座(おは)しき。持明院(ぢみやうゐん)殿(どの)には、世(よ)の中(なか)すさまじく思(おぼ)されて、伏見殿に籠(こも)り御座(おは)しますべく宣(のたま)へれど、二の御子(みこ)坊に定(さだ)まり給(たま)へば、又めでたくて、なだらかにて御座(おは)しますべし。
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先(さき)に聞(き)こえつる御母女院の御はらからの姫君(ひめぎみ)、顕親門院(けんしんもんゐん)と聞(き)こえし御腹(おんはら)也(なり)。八月十五日(じふごにち)、先(ま)づ親王(しんわう)になし奉(たてまつ)らせ給(たま)ひて、同二十四日に春宮〈 花園院 〉に立(た)ち給(たま)ひぬ。かくて新帝〈 後二条 〉は十七になり給(たま)へば、いと盛(さか)りに美(うつく)しう、御心(おんこころ)ばへもあてにけだかう澄(す)みたる様(さま)して、しめやかに御座(おは)します。三月二十四日御即位(そくゐ)、此(こ)の行幸(ぎやうがう)の時、花山院(くわさんゐん)の三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)家定(いへさだ)、御剣(けん)の役(やく)を勤(つと)め給(たま)ふとて、逆様(さかさま)に内侍(ないし)に渡(わた)されけるを、今出川(いまでがは)の大臣(おとど)御覧(ごらん)じとがめて、出仕止(とど)めらるべき由(よし)申(まう)されしかど、鷹司の大殿、「中々沙汰(さた)がましくてあしかりなん。只(ただ)音(おと)無(な)くてこそ」と申(まう)し止(とど)め給(たま)へりしこそ、情(なさ)け深(ふか)く侍(はべ)りしか。後(のち)に思(おも)へば、げにあさましき事(こと)の験(しるし)にや侍(はべ)りけん。十月二十八日御禊(ごけい)、此(こ)の度(たび)の女御代にも、堀川(ほりかは)の大臣(おとど)の姫君(ひめぎみ)いで給(たま)へり。今(いま)の上(うへ)も、源氏(げんじ)の御腹(おんはら)にて物(もの)し給(たま)ふ。いと珍(めづら)しく止(や)む事(ごと)無(な)し。然(さ)れど、うけばりたる様(さま)には御座(おは)せぬぞ、心(こころ)許(もと)無(な)かめる。又(また)の年(とし)は乾元元年(ぐわんねん)、六月十六日亀山院へ行幸(ぎやうがう)有(あ)り。法皇〈 亀山院 〉、いと珍(めづら)しく美(うつく)しと見奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。暁(あかつき)帰(かへ)らせ給(たま)ひぬる後(のち)、法皇より内に聞(き)こえさせ給(たま)ふ。
したはるる名残(なごり)に堪(た)えず月を見(み)れば雲の上(うへ)にぞ影はなりぬる W
御返(かへ)し、内の上(うへ)、
君はよし千年(ちとせ)の齢(よはひ)保(たも)てれば相(あひ)見(み)ん事(こと)の数(かず)も知(し)られず W
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一院は、忠継(ただつぐ)の宰相の娘(むすめ)の中納言の典侍(すけ)殿(どの)と言(い)ふ腹(はら)にも、男(をとこ)女(をんな)御子(みこ)達(たち)数多(あまた)物(もの)し給(たま)ふ中(なか)に、勝(すぐ)れ給(たま)へる内親王を、いと悲(かな)しき物(もの)にかしづき聞(き)こえさせ給(たま)ふ。此(こ)の御世(よ)にも、又(また)、為世(ためよ)の大納言(だいなごん)承(うけたまは)りて撰集(せんじゆ)有(あ)り。新後撰集と聞(き)こゆ。嘉元元年(ぐわんねん)披露(ひろう)せらる。かくて、又(また)の年(とし)春の頃(ころ)より、東二条院、御悩(なや)み日々(ひび)におもり給(たま)ひて、今(いま)はと見(み)えさせ給(たま)へば、伏見殿へ出(い)でさせ給(たま)ひて、遂(つひ)に失(う)せさせ給(たま)ひぬ。七十に余(あま)らせ給(たま)へば、理(ことわり)の御事(こと)なり。法皇〈 後深草 〉も其(そ)の御歎(なげ)きの後(のち)、をさをさ物(もの)聞(き)こし召(め)さずなど有(あ)りしを始(はじ)めにて、打(う)ち続(つづ)き心(こころ)よからず、御わらはやみなど聞(き)こゆる程(ほど)に、七月十六日、二条富(とみ)の小路(こうぢ)殿にて、隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。六十二にぞならせ給(たま)ひける。いと哀(あは)れに悲(かな)しき事(こと)共(ども)、言(い)へば更(さら)也(なり)。御孫(まご)の春宮も一(ひと)つに御座(おは)しましつれば、急(いそ)ぎて外(ほか)へ行啓(ぎやうげい)なりぬ。御修法(みしゆほふ)の壇(だん)共(ども)こぼこぼと毀(こぼ)ちて、くづれ出(い)づる法師(ほふし)原(ばら)の気色(けしき)まで、今(いま)を限(かぎ)りと、とぢめ果(は)つる世(よ)の有様(ありさま)、いと悲(かな)し。宵(よひ)過(す)ぐる程(ほど)に、六波羅(ろくはら)の貞顕(さだあき)・憲時(のりとき)二人(ふたり)、御訪(とぶら)ひに参(まゐ)れり。京極(きやうごく)表(おもて)の門の前(まへ)に、床子(しやうじ)に尻(しり)掛(か)けて候(さぶら)ふ。従(したが)ふ者(もの)共(ども)左右(さう)に並(な)み居(ゐ)たる様(さま)、いとよそほしげ也(なり)。又(また)の日、夜に入(い)りて、深草(ふかくさ)殿(どの)へ率(ゐ)て渡(わた)し奉(たてまつ)る。御車差(さ)し寄(よ)せて、御棺(くわん)に乗(の)せ奉(たてまつ)る程(ほど)、内外(うちと)とよみ合(あ)ひたる、いと理(ことわり)に、心(こころ)をさむる人も無(な)し。院〈 伏見殿 〉の御前(まへ)・宮達(たち)など、藁履(わらぐつ)とかや言(い)ふ物(もの)奉(たてまつ)りて、門まで御送(おく)り仕(つかまつ)らせ給(たま)ひて、とみにえ上(のぼ)らせ給(たま)はず、御直衣(なほし)の袖を押(お)し当(あ)てて、遙(はる)かに程(ほど)経(へ)
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てぞ、御車に奉(たてまつ)りて、伏見殿への御送(おく)りもせさせ給(たま)ひける。院の中(うち)ゆゆしきまで泣(な)きあへり。後深草院とぞ聞(き)こゆめる。御日数(ひかず)の程(ほど)は、伏見殿に宮達(たち)・遊義門院(いうぎもんゐん)など御座(おは)します。秋さへ深(ふか)く成(な)り行(ゆ)く儘(まま)に、夜(よ)とともの御涙(なみだ)、干(ひ)る間(ま)無(な)く思(おぼ)し惑(まど)ふ。遊義門院(いうぎもんゐん)、
物(もの)をのみ思(おも)ひ寝覚(ねざ)めにつくづくと見(み)るも悲(かな)しき燈(とも)し火の色(いろ) W
春きてし霞(かすみ)の衣ほさぬまに心(こころ)もくるる秋霧(あきぎり)の空 W
年(とし)返(かへ)りぬれば、嘉元も三年になりぬ。万里小路(までのこうじ)殿(どの)の法皇、又御悩(なや)みとて、亀山殿へぞ移(うつ)らせ給(たま)ふ。色々(いろいろ)に、御修法(みしゆほふ)や何(なに)くれ御祈(いの)り共(ども)、こちたくせさせ給(たま)へるも験(しるし)無(な)くて、九月十五日(じふごにち)の曙(あけぼの)に遂(つひ)に隠(かく)れさせ給(たま)ひぬ。去年(こぞ)・今年(ことし)の世(よ)のさがなさ、打(う)ち続(つづ)きたる人々(ひとびと)の御歎(なげ)き共(ども)、言(い)はん方(かた)無(な)し。世(よ)を背(そむ)かせ給(たま)ひにし初(はじ)めつ方(かた)は、いと際(きは)だけう聖(ひじり)だちて、女房など御前(まへ)にだに参(まゐ)らぬ事(こと)なりしかど、後には有(あ)りしより猶(なほ)たはれさせ給(たま)ひし程(ほど)に、永福門院(えいふくもんゐん)の御差次(さしつぎ)の姫君(ひめぎみ)、はや御盛(さか)りも過(す)ぐる程(ほど)なりしを、此(こ)の法皇に参(まゐ)らせ奉(たてまつ)らせ給(たま)へりしが、かひがひしく「水(みづ)の白波」に若(わか)やがせ給(たま)ひて、やがて院号(ゐんがう)有(あ)りしかば、昭訓門院と聞(き)こえつる、其(そ)の御腹(おんはら)に、一昨年(をととし)ばかり、若宮(わかみや)生(う)まれ給(たま)へるを、限(かぎ)り無(な)く悲(かな)しき物(もの)に思(おぼ)されつるに、今(いま)少(すこ)しだに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)はずなりぬるを、いみじう
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思(おぼ)されけり。さてしも有(あ)らぬ習(なら)ひなれば、同(おな)じ十七日に、御業(わざ)の事(こと)せさせ給(たま)ふ。理(ことわり)と言(い)ひながら、いといかめしう人々(ひとびと)仕(つかうまつ)り給(たま)ふ。網代庇(あじろびさし)の御車、前(さき)の右大臣殿寄(よ)せさせ給(たま)ふ。烏帽子(えぼし)直衣(なほし)袴(はかま)際(きは)にて参(まゐ)り給(たま)ふ。院の上(うへ)も庭に下(お)りさせ給(たま)ふ。法親王達(たち)三人、山(やま)の座主・聖護院(しやうごゐん)、十楽院(じふらくゐん)の法親王などは、わらうづをぞ奉(たてまつ)る。上の山(やま)まで御供(とも)せさせ給(たま)ふ。上達部には、前(さき)の右(みぎ)の大臣(おとど)公衡(きんひら)・西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)公顕(きんあき)・万里小路(までのこうじ)大納言(だいなごん)師重(もろしげ)・源中納言有房(ありふさ)・三条の前(さき)の中納言実躬・宗氏(むねうぢ)の二位・重経(しげつね)の二位・為雅(ためまさ)の宰相・経守(つねもり)・為行・親氏など也(なり)。殿上人は頼俊(よりとし)の朝臣・忠氏(ただうぢ)・為藤・国房(くにふさ)・経世(つねよ)・泰忠(やすただ)・光忠(みつただ)、皆(みな)、狩衣(かりぎぬ)の袖を絞(しぼ)り絞(しぼ)り参(まゐ)る気色(けしき)さへ、哀(あは)れを添(そ)へたり。院も御供(とも)にひきさがりて参(まゐ)り給(たま)ふ。花山院(くわさんゐん)の権大納言(だいなごん)・西園寺(さいをんじ)の中納言・土御門(つちみかど)の大納言(だいなごん)、御子親実(ちかざね)の少将(せうしやう)、御太刀(たち)持(も)ちて御供(とも)せられたり。よそほしかりつる御有様(おんありさま)も、いと程(ほど)無(な)く、只(ただ)時(とき)の間(ま)の煙(けぶり)にて上(のぼ)り給(たま)ひぬれば、誰(たれ)も誰(たれ)も夢の心地(ここち)して、ほのぼのと明(あ)け行(ゆ)く程(ほど)に、各(おのおの)まかで給(たま)ふ。三条の大納言(だいなごん)入道公実(きんざね)・万里小路(までのこうじ)大納言(だいなごん)師重(もろしげ)などは、とりわき御志(おんこころざし)深(ふか)くて、御荼毘(だび)の果(は)つるまで、墨染(すみぞ)めの袖を顔(かほ)に押(お)し当(あ)てつつ候(さぶら)ひ給(たま)ふ。予(かね)てより山道作(つく)られて、木草切(き)り払(はら)ひなどせられつれど、露けさぞ分(わ)けん方(かた)無(な)き。涙の雨の添(そ)ふなるべし。内よりの御(おん)使(つか)ひに、始(はじ)め長親(ながちか)の朝臣、雅行(まさゆき)・有忠(ありただ)の朝臣など、三度(みたび)参(まゐ)る。古(ふる)き例(れい)なるべし。同(おな)じき二十六日、院の上(うへ)、御素服(そふく)奉(たてまつ)る。御座(おは)します
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殿(でん)には、黒(くろ)き草にて編(あ)みたる簾(すだれ)を掛(か)けける。浅黄縁(あさぎべり)の御座(ござ)に、上(うへ)の御衣(おんぞ)黒(くろ)き、上(うへ)の御袴(はかま)、裏(うら)は柑子色(かんじいろ)、御下襲(したがさね)も黒(くろ)し。同(おな)じひへぎ、浅黄(あさぎ)の御桧扇(ひあふぎ)、御台(みだい)参(まゐ)る〔も〕、皆(みな)黒(くろ)き御調度(てうど)共(ども)なり。此(こ)の御ついでに、御方々(かたがた)も御素服(そふく)奉(たてまつ)る人数、昭訓門院(せうきんもんゐん)、昭慶門院(せうけいもんゐん)は御娘(むすめ)、近衛殿(このゑどの)の北(きた)の政所(まんどころ)、関白殿〈 九条(くでう)殿(どの) 〉の北(きた)の政所(まんどころ)、良助(りやうじよ)法親王、覚雲(かくうん)・順助(じゆんじよ)・慈道(じだう)・性恵(しやうゑ)・行仁(ぎやうにん)・性融(しやうゆう)の法親王達(たち)、上達部(かんだちめ)も、御山(おやま)の御供(とも)し給(たま)ふ人々(ひとびと)皆(みな)漏(も)れず。院の二の御子の御母も、近頃(ちかごろ)は法皇召(め)し取(と)りて、いと時(とき)めきて、准后(じゆんこう)など聞(き)こえつるも、思(おも)ひ歎(なげ)き給(たま)ふべし。昭訓門院、やがて御髪(みぐし)下(お)ろす。法皇は五十七にぞならせ給(たま)ひける。御骨(こつ)も、此(こ)の院に法華堂(ほつけだう)を建(た)てさせ給(たま)へば、亀山の院とぞ申(まう)すべかめる。禅林寺(ぜんりんじ)殿(どの)をば、御座(おは)しましし時(とき)より禅院になされき。南禅院と言(い)ふは是(これ)なめり。院の二の御子(みこ)、忠継(ただつぐ)の宰相の娘(むすめ)、今(いま)は准后(じゆんこう)の御腹(おんはら)に御座(おは)します。此(こ)の頃(ころ)帥宮(そちのみや)と聞(き)こゆるを、法皇とりわき御傍(かたは)ら去(さ)らず馴(な)らはし奉(たてまつ)り給(たま)ひて、いみじうらうたがり聞(き)こえさせ給(たま)ひしかば、人より殊(こと)に思(おぼ)し歎(なげ)くべし。頃(ころ)さへ時雨(しぐれ)がちなる空の気色(けしき)に、山(やま)の木の葉(は)も涙争(あらそ)ふ心地(ここち)して、いと悲(かな)し。所がらしもいとど哀(あは)れを添(そ)へたり。川波(かはなみ)の響(ひび)き、戸無瀬(となせ)の滝(たき)の音(おと)までも、取(と)り集(あつ)めたる御心(おんこころ)の中(うち)共(ども)なり。御日数(ひかず)の程(ほど)は、帥(そち)の宮一(ひと)つ御腹(おんはら)の内親王なども、此(こ)の院に御座(おは)します程(ほど)、徒然(つれづれ)なる儘(まま)に、はかなし事(ごと)など聞(き)こえかはして、花紅葉(はなもみぢ)に付(つ)けて
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も、睦(むつ)ましく馴(な)れ聞(き)こえ給(たま)ふべし。帥(そち)の御子(みこ)は、大多勝院(だいたしようゐん)に、西(にし)の廂(ひさし)に渡(わた)らせ給(たま)ふ。御前(まへ)の松(まつ)の木に這(は)ひかかれる蔦(つた)の、紅葉(もみぢ)にいたう染(そ)めこがしたるを取(と)りて、九月三十日の夕つ方(かた)、昭訓門院の御方(かた)へ奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。
あすよりの時雨(しぐれ)も待(ま)たで染(そ)めてけり袖の涙や蔦(つた)の紅葉葉(もみぢば) W
木(こ)の葉(は)よりももろき御涙は、ましていとどせき兼(か)ね給(たま)へり。御返(かへ)し、
四方(よも)は皆(みな)涙の色に染(そ)めてけり空にはぬれぬ秋の紅葉葉(もみぢば) W
哀(あは)れに見(み)奉(たてまつ)らせ給(たま)ひつつ、名残(なごり)もいみじく眺(なが)められて、勾欄(かうらん)に押(お)し掛(か)かり給(たま)へる夕(ゆふ)ばえの御形(かたち)、いとめでたし。有(あ)りつる紅葉(もみぢ)を、西園寺(さいをんじ)の大納言(だいなごん)公顕(きんあき)の宿直所(とのゐどころ)へ遣(つか)はす。
雨と降(ふ)る涙の色や是(これ)ならん袖より外(ほか)に染(そ)むる紅葉葉(もみぢば) W
女院の御兄(せうと)なれば、しめやかなる御山ずみの心(こころ)苦(ぐる)しさに、候(さぶら)ひ給(たま)ふなりけり。御返(かへ)し、
いくしほか涙の色に染(そ)めつらん今日(けふ)を限(かぎ)りの秋の紅葉葉(もみぢば) W
時雨(しぐれ)はしたなく、風あららかに吹(ふ)きて暮(く)れぬれば、宮、内に入(い)り給(たま)ひて、御殿油(とのあぶら)近(ちか)く召(め)して、昼(ひる)御覧(ごらん)じさしたる御経(きやう)など読(よ)み給(たま)ふ程(ほど)に、若(わか)殿上人共(ども)打(う)ち連(つ)れて、此方(こなた)の御宿直(とのゐ)に参(まゐ)れり。昼(ひる)の蔦(つた)の葉(は)の散(ち)りぼひたるを、人々(ひとびと)見(み)るに、宮、「それに各(おのおの)歌書(か)きて」と
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宣(のたま)へば、中将(ちゆうじやう)為藤の朝臣、
紅葉葉(もみぢば)になく音(ね)絶(た)えずば空蝉(うつせみ)のからくれなゐも涙とや見(み)ん W
清忠(きよただ)の朝臣、
山姫(やまひめ)の涙の色も此(こ)の頃(ごろ)はわきてや染(そ)むる蔦(つた)の紅葉葉(もみぢば) W
光忠(みつただ)の朝臣、
世(よ)の中(なか)の歎(なげ)きの色を知(し)らねばや去年(こぞ)に変(か)はらぬ蔦(つた)の紅葉葉(もみぢば) W
此(これ)等(ら)を取(と)り集(あつ)めて、北殿(きたどの)の内親王の御方(かた)へ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、
さすが猶(なほ)色は木(こ)の葉(は)に残(のこ)りける形見(かたみ)も悲(かな)し秋の別(わか)れ路(ぢ) W
雨打(う)ちそそきて、けはひ哀(あは)れなる夜、いたう更(ふ)けて、帥(そち)の宮、例(れい)の北殿(きたどの)へ参(まゐ)り給(たま)へれば、姫君(ひめぎみ)も御殿(との)ごもりぬ。候(さぶら)ふ人々(ひとびと)も皆(みな)静(しづ)まりぬるにや、格子(かうし)などたたかせ給(たま)へど、開(あ)くる人も無(な)ければ、空(むな)しく帰(かへ)らせ給(たま)ふとて、書(か)きて挿(さしはさ)ませ給(たま)ふ。
自(おの)づから眺(なが)めやすらむとばかりにあくがれ来(き)つる有明(ありあけ)の月 W
御返(かへ)し、又(また)の日、
徒(いたづ)らに待(ま)つ宵(よひ)すぎし村雨は思(おも)ひぞ絶(た)えし有明(ありあけ)の月 W
月日(つきひ)程(ほど)無(な)く移(うつ)り過(す)ぎぬれば、院も宮々も、各(おのおの)ちりぢりにあかれ給(たま)ふ程(ほど)、今(いま)少(すこ)し、
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物(もの)悲(がな)しさ勝(まさ)る御心(おんこころ)のうち共(ども)は尽(つ)きせねど、世(よ)の習(なら)ひなれば、さのみしもは如何(いかが)。昭慶門院(せうけいもんゐん)は、数多(あまた)の宮達(たち)の御中(なか)に、勝(すぐ)れて悲(かな)しき物(もの)に思(おも)ひ聞(き)こえさせ給(たま)ひしかば、御処分(そうぶん)などもいとこちたし。大井川(おほゐがは)に向(む)かいて、離(はな)れたる院の有(あ)るをぞ奉(たてまつ)らせ給(たま)へれば、そこに御座(おは)しましし程(ほど)に、川端殿(かはばたどの)の女院など、人は申(まう)し侍(はべ)りし。彼(か)の所は臨川寺(りんせんじ)と言(い)ふ。都(みやこ)にも土御門(つちみかど)室町(むろまち)に有(あ)りし院、いづれも此(こ)の頃(ごろ)は寺に成(な)りて侍(はべ)るめりとぞ。めでたくも哀(あは)れなる。