第十三 秋のみ山

文保二年(にねん)二月二十六日、御門(みかど)降(お)り居(ゐ)させ給(たま)ふ。春宮は既(すで)に、三十(みそぢ)に満(み)たせ給(たま)へば、待(ま)ち遠(どほ)なりつるに、めでたく思(おぼ)さるべし。法皇、都(みやこ)に出(い)でさせ給(たま)ひて、世(よ)の中(なか)知(し)ろし召(め)す。亀山殿は然(さ)る事(こと)にて、近頃(ちかごろ)は、大覚寺(だいかくじ)の辺(ほとり)に御堂(みだう)建(た)てて籠(こも)り御座(おは)しましつつ、いよいよ密教(みつけう)の深(ふか)き心ばへをのみ勤(つと)め学(まな)ばせ給(たま)へば、自(おの)づからも京に出(い)でさせ給(たま)ふ事無(な)く、又(また)参(まゐ)り通(かよ)ふ人も稀(まれ)なるやうにて、神(かう)さび〔たり〕つるを、引(ひ)きかへ事(こと)繁(しげ)き世(よ)に、行(おこな)ひも懈怠(けだい)して、むつかしく思(おぼ)さる。三月二十九日御即位(そくゐ)也(なり)。行幸(ぎやうがう)の当日(たうじつ)に、左大将内経(うちつね)・花山院(くわさんゐん)の右大将家定(いへさだ)、行列(ぎやうれち)を争(あらそ)ひて、随身(ずいじん)共(ども)わわしく罵(ののし)れば、御輿(こし)を押(お)さへて、職事(しきじ)奏(さう)し下(くだ)しなどすめり。左大将の父君(ちちぎみ)は、内実の大臣(おとど)と聞(き)こえし。嘉元の頃(ころ)、俄(にはか)に隠(かく)れ給(たま)ひにしかば、摂〓(せうろく)もしあへ給(たま)はざりしにより、今(いま)は只人(ただひと)にてこそいますべければとて、かく争(あらそ)ふとぞ聞(き)こえし。神無月(かみなづき)二十七日大嘗会(だいじやうゑ)、清暑堂(せいしよだう)の御神楽(みかぐら)の拍子(ひやうし)の為(ため)に、綾(あや)の小路(こうぢ)の宰相(さいしやう)有時と言(い)ふ人、大内へ参(まゐ)るを、車より降(お)るる程(ほど)に、いとすくよかなる田舎(ゐなか)侍(ざぶらひ)めく物(もの)、太刀を抜(ぬ)きて走(はし)り寄(よ)る儘(まま)に、あや無(な)く討(う)ちてけり。さばかり立(た)ちこみたる人の中(なか)にて、〔いと珍(めづら)かに〕あさまし。さて拍子(ひやうし)俄(にはか)に異人(ことひと)承(うけたまは)る。大事(だいじ)の事共(ども)
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果(は)てて後(のち)、尋(たづ)ね沙汰(さた)ある程(ほど)に、紙屋川(かいかは)の三位(さんみ)顕香(あきか)と言(い)ふものの、此(こ)の拍子(ひやうし)をいどみて、我(われ)こそ勤(つと)むべけれと思(おも)ひければ、斯(か)かる事(こと)をせさせけり。道(みち)に好(す)ける程(ほど)はやさしけれども、いとむくつけし。さて彼(か)の三位は流(なが)されぬ。かくて今年(ことし)は暮(く)れぬ。誠(まこと)や、こたみの春宮には、後二条院(にでうのゐん)の一の御子(みこ)定(さだ)まり給(たま)ひぬれば、御門(みかど)坊にて御座(おは)しましし時(とき)の儘(まま)に、冷泉(れいぜい)万里小路(までのこうじ)殿(どの)寝殿(しんでん)に移(うつ)り住(す)ませ給(たま)へるに、二月(きさらぎ)の頃、軒の桜盛(さか)りにをかしき夕(ゆふ)ばえを御覧(ごらん)じて、内に奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。彼(か)の花(はな)に付(つ)けて、
なれにける花(はな)は心(こころ)や移(うつ)すらん同(おな)じ軒端(のきば)の春にあへども W
御返(かへ)しは、南殿(なんでん)の桜(さくら)に差(さ)しかへ給(たま)ふ。
花(はな)はげに思(おも)ひ出(い)づらん春をへてあかぬ色香(いろか)に染(そ)めし心(こころ)を W
おりゐの御門(みかど)は、御兄(このかみ)の本院と一(ひと)つ持明院(ぢみやうゐん)殿(どの)に住(す)ませ給(たま)ふ。もとより御子の由(よし)にて御座(おは)しませば、まいて、一(ひと)つ院(ゐん)の内(うち)にて、いささかも隔(へだ)て無(な)く聞(き)こえさせ給(たま)ふ。いと思(おも)ふやうなる御有様(おんありさま)也(なり)。さべき御中(なか)と言(い)へども、昔(むかし)も今(いま)も御腹(おんはら)など変(か)はりぬるは、如何(いか)にぞや、そばそばしき事(こと)も打(う)ちまじり、くせある習(なら)ひにこそ有(あ)るを、此(こ)の院(ゐん)の御あはひ、まめやかに思(おも)ほしかはしたる、いと有(あ)り難(がた)うめでたし。本院は、広義門院(くわうぎもんゐん)の御腹(おんはら)の一の御子(みこ)を、此(こ)の度(たび)の坊にやと思(おぼ)されしかど、引(ひ)き過(す)ぎぬれば、いと遙(はる)けかるべき世(よ)にこそと、さうざうしく
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思(おぼ)さるべし。御歌合(うたあはせ)のついでなりしにや、
色々(いろいろ)に都(みやこ)は春の時(とき)にあへど我(わ)がすむ山(やま)は花(はな)も開(ひら)けず W
大覚寺(だいかくじ)殿(どの)には、引(ひ)きかへ、馬(うま)・車(くるま)の立(た)ち混(こ)みたるを御覧(ごらん)じて、法皇詠(よ)ませ給(たま)ひける。
我(われ)住(す)めば寂(さび)しくも無(な)し山里(やまざと)もあさまつりごと怠(おこた)らずして W
今(いま)の上(うへ)は、早(はや)うより、西園寺(さいをんじ)の入道大臣(おとど)実兼の末の御娘(むすめ)、兼季の大納言(だいなごん)の一(ひと)つ御腹(おんはら)に物(もの)し給(たま)ふを、忍(しの)びて盗(ぬす)み給(たま)ひて、わく方(かた)無(な)き御思(おも)ひ、年(とし)に添(そ)へて止(や)む事(ごと)無(な)う御座(おは)しつれば、いつしか女御の宣旨(せんじ)など聞(き)こゆ。程(ほど)も無(な)く、やがて八月に后だちあれば、入道殿も、齢(よはひ)の末(すゑ)にいと賢(かしこ)くめでたしと思(おぼ)す。北山にまかで給(たま)へる頃(ころ)、行幸(ぎやうがう)有(あ)り。八月十五日(じふごにち)の夜、名(な)をえたる月も殊(こと)に光を添(そ)へ、所がら折(をり)から面白(おもしろ)く、めでたき事(こと)共(ども)花(はな)やかなるに、御姉(あね)の永福門院(えいふくもんゐん)より、今(いま)の后の御方(かた)へ、御消息(せうそこ)聞(き)こえ給(たま)ふ。
今宵(こよひ)しも雲井の月も光そふ秋のみ山(やま)を思(おも)ひこそ遣(や)れ W
御返(かへ)しは、「まろ聞(き)こえん」と宣(のたま)はせて、内の上、
昔(むかし)見(み)し秋のみ山(やま)の月影を思(おも)ひ出(い)でてや思(おも)ひ遣(や)るらん W
御門(みかど)の同(おな)じ御腹(おんはら)の前(さき)の斎宮も、皇后宮に立(た)たせ給(たま)ふ。御母准后も院号(ゐんがう)有(あ)り
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て、談天門院(だんてんもんゐん)とぞ聞(き)こゆめる。万(よろづ)花(はな)やかにめでたき事(こと)共(ども)繁(しげ)う聞(き)こゆ。内には、万里小路(までのこうじ)〈 北畠と申す也、 〉大納言(だいなごん)入道師重(もろしげ)と言(い)ひしが娘(むすめ)、大納言(だいなごん)の典侍(すけ)とて、いみじう時(とき)めく人有(あ)るを、堀川(ほりかは)の春宮の権大夫具親(ともちか)の君、いと忍(しの)びて見(み)初(そ)められけるにや、彼(か)の女、かき消(け)ち失(う)せぬとて、求(もと)め尋(たづ)ねさせ給(たま)ふ。二三日こそあれ、程(ほど)無(な)く其(そ)の人と現(あらは)れぬれば、上(うへ)いとめざましく憎(にく)しと思(おぼ)す。止(や)む事(ごと)無(な)き際(きは)には有(あ)らねど、御覚(おぼ)えの時(とき)なれば、厳(きび)しく咎(とが)めさせ給(たま)ひて、げに須磨(すま)の浦へも遣(つか)はさまほしきまで思(おぼ)されけれども、さすがにて、官(つかさ)皆(みな)止(とど)めて、いみじう勘(かう)ぜさせ給(たま)へば、畏(かしこ)まりて、岩倉(いはくら)の山庄に籠(こも)り居(ゐ)ぬ。花(はな)の盛(さか)りに面白(おもしろ)きを眺(なが)めて、
うき事(こと)も花(はな)にはしばし忘(わす)られて春の心(こころ)ぞ昔(むかし)なりける W
典侍(すけ)の君は返(かへ)り参(まゐ)れるを、つらしと思(おぼ)す物(もの)から、「うきに紛(まぎ)れぬ恋(こひ)しさ」とや、いよいよらうたがらせ給(たま)ふを、さしもあかず正身(さうじみ)は猶(なほ)好(す)き心(ごころ)ぞ絶(た)えず有(あ)りけんかし。
絶(た)え果(は)つる契(ちぎ)りを一人(ひとり)忘(わす)れぬも憂(う)きも我(わ)が身の心(こころ)なりけり W
とて、一人(ひとり)ごたれける。末(すゑ)様(ざま)には、公泰(きんやす)の大納言(だいなごん)、未(いま)だ若(わか)う御座(おは)せし頃(ころ)、御心(おんこころ)〔と〕許(ゆる)して給(たま)はせければ、思(おも)ひかはして住(す)まれし程(ほど)に、彼処(かしこ)にて失(う)せにき。御門(みかど)の御母女院、十一月失(う)せ給(たま)ひにしかば、内の上(うへ)御服(ぶく)奉(たてまつ)る。天下(てんか)一(ひと)つに染(そ)め渡(わた)し
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て、葦(あし)簾(すだれ)とか、いとまがまがしき物(もの)共(ども)掛(か)け渡(わた)したるも、哀(あは)れにいみじくぞ見(み)ゆる。五節(ごせち)も止(と)まりぬ。若(わか)き人々(ひとびと)などさうざうしく思(おも)へり。当代(たうだい)も又(また)敷島(しきしま)の道もてなさせ給(たま)へば、いつしかと勅撰の事(こと)仰(おほ)せらる。前(さき)の藤大納言(だいなごん)為世(ためよ)承(うけたまは)る。玉葉のねたかりしふしも、今(いま)ぞ胸(むね)あきぬらんかし。此(こ)の大納言(だいなごん)の娘(むすめ)、権大納言(だいなごん)の君とて、坊の御時(とき)限(かぎ)り無(な)く思(おぼ)されたりし御腹(おんはら)に、一の御子(みこ)・女(をんな)三(さん)の御子(みこ)・法親王など、数多(あまた)物(もの)し給(たま)ふ。彼(か)の大納言(だいなごん)の君も、早(はや)う隠(かく)れにしかば、此(こ)の頃(ころ)三位贈(おく)らせ給(たま)ふ。贈(ぞう)従三位(さんみ)為子とて、集にもやさしき歌多(おほ)く侍(はべ)るべし。さて大納言(だいなごん)は、人々(ひとびと)に歌(うた)すすめて、玉津島の社に詣(まう)でられけり。大臣・上達部(かんだちめ)より始(はじ)めて、歌詠(よ)むと思(おも)へる限(かぎ)り、此(こ)の大納言(だいなごん)〔の〕風を伝(つた)へたるを、もるるも者(もの)無(な)し。子共(ども)孫(うまご)共(ども)などは、勢(いきほ)ひ殊(こと)に響(ひび)きて下(くだ)る。先(ま)づ住吉(すみよし)へ詣(まう)づ。逍遙(せうえう)しつつ罵(ののし)りて、九月にぞ玉津島へ詣(まう)でける。歌共(ども)の中(なか)に、大納言(だいなごん)為世(ためよ)、
今(いま)ぞ知(し)る昔(むかし)にかへる我(わ)が道(みち)の誠(まこと)を神も守(まも)りけりとは W
かくて、元応二年(にねん)四月十九日、勅撰(ちよくせん)は奏(そう)せられけり。続千載(しよくせんざい)と言(い)ふなり。新後撰集と同(おな)じ撰者(せんじや)の事(こと)なれば、多(おほ)くは彼(か)の集に変(か)はらざるべし。為藤の中納言、父(ちち)よりは少(すこ)し思(おも)ふ所加(くは)へたる主(ぬし)にて、今(いま)少(すこ)し、此(こ)の度(たび)は心(こころ)憎(にく)き様(さま)也(なり)などぞ、時(とき)の人々(ひとびと)沙汰(さた)しける。院(ゐん)にも内にも、朝政(あさまつりごと)のひまひまには、御歌合(うたあはせ)のみ繁(しげ)う聞(き)こえし中(なか)に、元亨元年(ぐわんねん)八月十五夜(じふごや)
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かとよ。常(つね)より殊(こと)に月面白(おもしろ)かりしに、上(うへ)、萩(はぎ)の戸に出(い)でさせ給(たま)ひて、異(こと)なる御遊(あそ)びなども有(あ)らまほしげなる夜なれど、春日(かすが)の御榊(さかき)、うつし殿に御座(おは)します頃(ころ)にて、糸竹(しちく)の調(しら)べは折(をり)あしければ、例(れい)の只(ただ)内々(うちうち)御歌合(うたあはせ)有(あ)るべしとて、侍従(じじゆう)の中納言為藤召(め)されて、俄(にはか)に題奉(たてまつ)る。殿上に候(さぶら)ふ限(かぎ)り、左右(さう)同(おな)じ程(ほど)の歌詠(よ)みを択(え)らせ給(たま)ふ。左は、内の上(うへ)・春宮の大夫公賢(きんかた)・左衛門佐公敏(きんとし)・侍従(じじゆう)の中納言為藤・中宮の権大夫師賢・宰相(さいしやう)維継・昭訓門院の春日(かすが)為世(ためよ)の娘(むすめ)、右(みぎ)は藤大納言(だいなごん)為世(ためよ)・富小路大納言(だいなごん)実教・X洞院(とうゐん)の中納言季雄(すゑを)・公修(きんなか)の宰相(さいしやう)、実任(さねたふ)の少将(せうしやう)、内侍(ないし)〈 為信の娘(むすめ) 〉、忠定の朝臣・為冬、忠守など言(い)ふ医師(くすし)も、此(こ)の道の好(す)き物(もの)なりとて、召(め)し加(くは)へらる。衛士のたく火も月の名だてにやとて、安福殿(あんぷくでん)へ渡(わた)らせ給(たま)ふ。忠定の中将(ちゆうじやう)、昼(ひ)の御座(ござ)の御佩刀(はかし)を取(と)りて参(まゐ)る。殿上のかみの戸を出(い)でさせ給(たま)ひて、無名門より右近(うこん)の陣の前(まへ)を過(す)ぎさせ給(たま)へば、遣水(やりみづ)に月のうつれる、いと面白(おもしろ)し。安福殿(あんぷくでん)の釣(つり)殿(どの)に床子(しやうじ)立(た)てて、東南(ひんがしみなみ)に御座(おは)します。上達部は簀子(すのこ)の勾欄(かうらん)に背中(せなか)押(お)し当(あ)てつつ、殿上人は庭に候(さぶら)ひあへるもいと艶(えん)也(なり)。池の御船(みふね)差(さ)し寄(よ)せて、左右(さう)の講師(かうし)隆資(たかすけ)・為冬乗(の)せらる。御酒(みき)など参(まゐ)る様(さま)も、うるはしき事(こと)よりは、艶(えん)に艶(なま)めかし。人々(ひとびと)の歌いたく気色(けしき)ばみて、とみにも奉(たてまつ)らず、いと心(こころ)許(もと)無(な)し。照(て)る月波も、曇(くも)り無(な)き池の鏡(かがみ)に、言(い)はねどしるき秋のもなかは、げにいと異(こと)なる空の気色(けしき)に、月も傾(かたぶ)きぬ。明(あ)けがた近(ちか)うなりにけり。上(うへ)の御製(ぎよせい)、
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鐘(かね)の音(おと)もかたぶく月にかこたれて惜(を)しと思(おも)ふ夜(よ)は今宵(こよひ)也(なり)けり W
と講(かう)じ上(あ)げたる程(ほど)、景陽(けいやう)の鐘(かね)も響(ひび)きを添(そ)へたる、折(をり)からいみじうなん。いづれもけしうは有(あ)らぬ歌共(ども)多(おほ)く聞(き)こえしかど、御製(ぎよせい)の鐘(かね)の音(おと)に勝(まさ)れるは無(な)かりしにや。かくて今年(ことし)も又暮(く)れぬ。明(あ)くる春元亨二正月三日、朝覲(てうきん)の行幸(ぎやうがう)あり。法皇は御弟(おとうと)の式部卿(しきぶきやう)の親王(みこ)の御家大炊御門(おほひのみかど)京極(きやうごく)常盤井(ときはゐ)殿(どの)と言(い)ふにぞ御座(おは)します。内裏(だいり)は二条万里(まで)の小路(こうぢ)なれば、陣の中(なか)にて、大臣以下かちより仕(つかまつ)らる。関白内経・太政大臣通雄・左大臣実泰(さねやす)・右大将兼季・左大将冬教・中宮の大夫実衡(さねひら)、〔中納言には〕具親(ともちか)・公敏(きんとし)・為藤・顕実(あきざね)・経定、宰相(さいしやう)実任(さねたふ)・冬定・公明(きんあきら)・光忠、公泰・資朝(すけとも)、殿上人は頭(とう)の中将(ちゆうじやう)為定・修理大夫冬方を始(はじ)めて、残(のこ)るは少(すく)なし。此(こ)の院(ゐん)は、池のすまひ、山の木立(こだち)、もとより由(よし)あるさまなるに、時(とき)ならぬ花(はな)の梢(こずゑ)をさへ造(つく)り添(そ)へられたれば、春の盛(さか)りに変(か)はらず咲(さ)きこぼれたるに、雪(ゆき)さへいみじく降(ふ)りて、残(のこ)る常盤木(ときはぎ)も無(な)し。州崎(すさき)に立(た)てる鶴(つる)の気色(けしき)も、千代を込(こ)めたる霞(かすみ)の洞(ほら)は、誠(まこと)に仙人(やまびと)の宮(みや)もかくやと見(み)えたり。京極(きやうごく)表(おもて)の棟門(むねもん)に御輿(こし)を抑(おさ)へて、院司(ゐんし)事(こと)の由(よし)を奏(そう)す。乱声(らんじやう)の後、中門に御輿(こし)を寄(よ)す。中門の下より出(い)づる遣(や)り水(みづ)に、小(ちひ)さく渡(わた)されたる反橋(そりはし)の左右(さう)に、両大将跪(ひざまづ)く。剣璽(けんじ)は権(ごん)の亮(すけ)宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)公泰勤(つと)められしにや。関白、公卿(くぎやう)の座の妻戸(つまど)の御簾(みす)をもたげて入(い)り奉(たてまつ)らせ給(たま)ふ。とばかり有(あ)りて、寝殿(しんでん)の母屋(もや)の御簾(みす)皆(みな)上(あ)げ渡(わた)して、法皇出(い)でさせ給(たま)へ
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り。香染(かうぞ)めの御衣(おんぞ)、同(おな)じ色の御袈裟(けさ)なり。御袈裟(けさ)の箱(はこ)、御そばに置(お)かる。内(うち)の上(うへ)、公卿(くぎやう)の座より勾欄(かうらん)を経(へ)給(たま)ふ。御供(とも)に関白候(さぶら)ひ給(たま)ふ。階(はし)の間(ま)より出(い)で給(たま)ひて、廂(ひさし)に御座(おまし)奉(たてまつ)りたれば、御拝し給(たま)ふ程(ほど)、西東(にしひんがし)の中門の廊(らう)に、上達部(かんだちめ)多(おほ)く立(た)ち重(かさ)なりて見(み)遣(や)り奉(たてまつ)る中(なか)に、内の御乳母(めのと)の吉田の前(さき)の大納言(だいなごん)定房(さだふさ)、まみいたう時雨(しぐ)れたるぞ哀(あは)れに見(み)ゆ。其(そ)のかみの事(こと)など思(おも)ひ出(い)づるに、めでたき喜(よろこ)びの涙ならんかし。御拝(はい)終(をは)りぬれば、又もとの道を経(へ)給(たま)ひて、公卿(くぎやう)の座に入(い)らせ給(たま)ひぬ。法皇も内(うち)に入(い)り給(たま)ひて、しばし有(あ)りて、左右(さう)の楽屋の調子(てうし)整(ととの)ほりて後(のち)、又御門(みかど)入(い)らせ給(たま)ふ。法皇も同(おな)じ間(ま)の内(うち)に、御褥(しとね)ばかりにて御座(おは)します。末(すゑ)の廂(ひさし)に、内(うち)より参(まゐ)れる女房共(ども)候(さぶら)ふ。一(いち)の車に小大納言(せうだいなごん)の君〈 師重の娘 〉、「うきも我(わ)が身の」と詠(よ)みし人の妹(いもうと)なり。帥典侍(そちのすけ)資茂の娘(むすめ)、讚岐(さぬき)・こいまとかや。二の左に新兵衛、中宮の内侍(ないし)、後に准后(じゆんこう)と聞(き)こえにき。しりに夏びき・いはねを。三(さん)の車に少将(せうしやう)の内侍(ないし)・尾張(をはり)の内侍(ないし)、しりに青柳(あをやぎ)・今参(いままゐ)りなど聞(き)こゆ。上達部、御前(まへ)の座に着(つ)きて後(のち)、御台(みだい)参(まゐ)る。役送(やくそう)公泰宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)、陪膳(はいぜん)右大将兼季、其(そ)の程(ほど)、舞人(まひびと)跪(ひざまづ)く。地下の舞(まひ)は目(め)なれたる事(こと)なれど、折(をり)からにや、今日(けふ)は殊(こと)に面(おも)もち足(あし)ぶみもめでたく見(み)ゆ。院(ゐん)の御覚(おぼ)えにて、寿王(ずわう)と言(い)ふ人、松殿の某(なにがし)とかやが子也(なり)。落蹲(らくそん)など舞(ま)ふと聞(き)きしかど、夜も更(ふ)け雪(ゆき)も事(こと)にかき暗(くら)して、何(なに)のあやめも見(み)えざりき。其(そ)の後(のち)御前(まへ)の御遊(あそ)び始(はじ)まる。頭(とう)の太夫冬方、御箱(はこ)の蓋(ふた)に御笛入(い)れて持(も)ちて参(まゐ)る。関白取(と)り
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て御前(まへ)に参(まゐ)らせ給(たま)ふ。右大将も笛、中宮の大夫琵琶、大宮(おほみや)大納言(だいなごん)笙(しやう)、春宮の大夫琴(こと)、右宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)和琴(わごん)、光忠宰相篳篥(ひちりき)、兼高(かねたか)も吹(ふ)きしにや。拍子(ひやうし)は左大臣、末(すゑ)は冬忠(ふゆただ)の宰相なり。更(ふ)け行(ゆ)く儘(まま)に、上(うへ)の御笛(ふえ)の音(ね)すみ上(のぼ)りて、いみじくさえたり。左の大臣(おとど)の安名尊(あなたふと)・伊勢の海(うみ)、限(かぎ)り無(な)くめでたく聞(き)こゆ。事(こと)共(ども)果(は)てぬれば、御贈(おく)り物(もの)参(まゐ)る。錦(にしき)の袋(ふくろ)に入(い)れたる御笛(ふえ)、箱(はこ)の蓋(ふた)に据(す)ゑらる。左大臣取(と)り次(つ)ぎて関白に奉(たてまつ)る。御前(まへ)に御覧(ごらん)ぜさせて、冬方を召(め)して賜(たま)はす。次に唐(から)の赤地(あかぢ)の錦(にしき)の袋(ふくろ)に琵琶入(い)れて参(まゐ)る。其(そ)の後(のち)、御馬(うま)、殿上人口(くち)を取(と)りて、御前(まへ)に引(ひ)き出(い)でたり。ほのぼのと明(あ)くる程(ほど)にぞ帰(かへ)らせ給(たま)ひぬる。法皇は、ややもすれば、大覚寺(だいかくじ)殿(どの)にのみ籠(こも)らせ御座(おは)します。人々(ひとびと)、世(よ)の中(なか)の事(こと)共(ども)奏(そう)しに参(まゐ)り集(つど)ふ。今(いま)は一筋(すぢ)に御行(おこな)ひにのみ御心(おんこころ)入(い)れ給(たま)へるに、いとうるさく思(おぼ)せば、其(そ)の夏(なつ)の頃(ころ)、定房の大納言(だいなごん)、東(あづま)へ遣(つか)はさる。御門(みかど)に天(あめ)の下(した)の事(こと)、譲(ゆづ)り申(まう)さむの御消息(せうそこ)なるべし。大方(おほかた)は、いとあさましう成(な)り果(は)てたる世(よ)にこそあめれ。かばかりの事(こと)は、父(ちち)御門(みかど)の御心(おんこころ)にいと安(やす)く任(まか)せぬべき物(もの)をと、めざまし。然(さ)れど、昨日今日(けふ)始(はじ)まりたるにも有(あ)らず、承久より此方(こなた)は、かくのみ成(な)り持(も)て来(き)にければなめり。内に近(ちか)く候(さぶら)ふ上達部(かんだちめ)などの、なま腹(はら)ぎたなき、我(わ)が思(おも)ふ事(こと)のとどこほりなどするを、猶(なほ)法皇をうれはしげに思(おも)ひ奉(たてまつ)りて、此(こ)の事如何(いか)で東(あづま)より許(ゆる)し申(まう)す業(わざ)もがなと、祈(いの)りなどをさへぞしける。かくて、大納言(だいなごん)
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程(ほど)無(な)く帰(かへ)り上(のぼ)りぬ。御心(おんこころ)の儘(まま)なるべく奏(そう)したりとて、院(ゐん)の文殿、議定所(ぎぢやうしよ)にうつされ、評定衆(ひやうぢやうしゆ)など、少々(せうせう)変(か)はるも有(あ)り。さて世(よ)をしたためさせ給(たま)ふ事(こと)、いと賢(かしこ)う明(あき)らかに御座(おは)しませば、昔(むかし)に恥(は)ぢずいとめでたし。御才(ざえ)もいとはしたなう物(もの)し給(たま)へば、万(よろづ)の事曇(くも)りなかんめり。三史(さんし)五経の御論議(ろんぎ)なども隙(ひま)無(な)し。六月(みなづき)の頃、中殿の作文(さくもん)せさせ給(たま)ふ。題は式部(しきぶ)の大輔藤範奉(たてまつ)る。久しかるべきは賢人(けんじん)の徳(とく)とかや聞(き)こえしにや。女(をんな)の学(まね)ぶべき事(こと)ならねばもらしつ。上達部(かんだちめ)・殿上人三十余人(よにん)参(まゐ)れり。関白殿〔房実〕ばかり直衣(なほし)にて御几帳の後(うし)ろに候(さぶら)はせ給(たま)ふ。上(うへ)は御引直衣(ひきなほし)、御琵琶(びは)玄象(げんしやう)ひかせ給(たま)ふ。右大将実衡(さねひら)琵琶(びは)、春宮の大夫箏(こと)、権大納言(だいなごん)親房笙(しやう)、権中納言氏忠和琴(わごん)、左(ひだり)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)公泰笙(しやう)〔の笛(ふえ)、〕右衛門督嗣家(つぎいへ)笛、右(みぎ)の宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)光忠篳篥(ひちりき)、拍子(ひやうし)は例(れい)の左の大臣(おとど)実泰(さねやす)、末(すゑ)は冬定なりしにや。上(うへ)の御琵琶(びは)の音(ね)、言(い)ひ知(し)らずめでたし。右大将は何(なに)にか有(あ)らん、心(こころ)とけてもかき立(た)てられざりき。御遊(あそ)び果(は)てて後、文台(ぶんだい)召(め)さる。蔵人内記俊基(としもと)、人々(ひとびと)の文(ふみ)を取(と)り集(あつ)めて、一度(いちど)に文台(ぶんだい)の上(うへ)に置(お)く。披講(ひかう)の終(を)はる程(ほど)に、短(みじ)か夜もほのぼのと明(あ)け果(は)てぬ。御製(ぎよせい)を左の大臣(おとど)返(かへ)す返(がへ)す誦(じゆ)して、うるはしく朗詠(らうゑい)にし給(たま)ふ。声(こゑ)いと美(うつく)し。折節(をりふし)郭公の一声(こゑ)名乗(なの)り捨(す)てて過(す)ぎたるは、いみじく艶(えん)也(なり)。斯様(かやう)の誠(まこと)しき事(こと)は、予(かね)て人々(ひとびと)も心(こころ)遣(づか)ひすれば、あやまち無(な)かるべし。時(とき)に臨(のぞ)みて、俄(にはか)に難(かた)き題(だい)を賜(たま)はせて、内々(うちうち)詩(し)を作(つく)らせ歌を詠(よ)ませて、賢(かしこ)く愚(おろ)かなると御覧(ごらん)じわくに、いとからい事多(おほ)く、地(ち)ゆるび無(な)き世(よ)なり。
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其(そ)の七月七日、乞巧奠(きかうでん)、いつの年(とし)よりも御心(おんこころ)止(とど)めて、予(かね)てより人々(ひとびと)に歌〔も〕召(め)され、ものの音(ね)共(ども)も試(こころ)みさせ給(たま)ふ。其(そ)の夜は、例(れい)の玄象(げんしやう)ひかせ給(たま)ふ。人々(ひとびと)の所作、有(あ)りし作文(さくもん)に変(か)はらず。笛(ふえ)・篳篥(ひちりき)などは、殿上人共(ども)、鳴板(なるいた)の程(ほど)に候(さぶら)ひて仕(つかうまつ)る。中宮も上(うへ)の御局(みつぼね)にまう上(のぼ)らせ給(たま)ふ。御簾(みす)の内(うち)にも琴(こと)・琵琶(びは)数多(あまた)有(あ)りき。播磨(はりま)の守(かみ)長清(ながきよ)の娘(むすめ)、今(いま)は左大臣の北(きた)の方(かた)にて三位殿と言(い)ふも、箏(こと)ひかれけり。宮の御方(かた)の播磨(はりま)の内侍(ないし)も、同(おな)じく琴(こと)ひきけるとかや。琵琶(びは)は権大納言(だいなごん)の三位殿師藤大納言(だいなごん)の娘(むすめ)、いみじき上手(じやうず)に御座(おは)すれば、めでたう面白(おもしろ)し。蘇香(そかう)・万秋楽(まんじうらく)、残(のこ)る手(て)無(な)く幾(いく)返(かへ)りと無(な)く尽(つ)くされたる明(あ)け方(がた)は、身にしむばかり若(わか)き人々(ひとびと)めであへり。さらでだに、秋の初風は、げにそぞろ寒(さむ)き習(なら)ひを、理(ことわり)にや。御遊(あそ)び果(は)てて文台召(め)さる。此(こ)の度(たび)は和歌の披講(ひかう)なれば、其(そ)の道の人々(ひとびと)、藤大納言(だいなごん)為世(ためよ)、子共(ども)孫(うまご)共(ども)引(ひ)き連(つ)れて候(さぶら)へば、上(うへ)の御製(ぎよせい)、
笛竹(ふえたけ)の声(こゑ)も雲井に聞(き)こゆらし今宵(こよひ)手むくる秋の調(しら)べは W
順(ずん)ながるめりしかど、いづれも只(ただ)天(あま)の川、鵲(かささぎ)の橋(はし)より外の珍(めづら)しきふしは聞(き)こえず。誠(まこと)、実教の大納言(だいなごん)なりしにや、
同(おな)じくは空まで送(おく)れ焚(た)き物(もの)の匂(にほ)ひを誘(さそ)ふ庭の秋風 W
げにえならぬ名香(みやうかう)の香(か)共(ども)ぞ、めでたくかうばしかりし。花(はな)も紅葉(もみぢ)も散(ち)り果(は)てて、雪(ゆき)積(つ)もれる日数(ひかず)
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の程(ほど)なさに、又年(とし)変(か)はりて正中元年(ぐわんねん)と言(い)ふ。三月(やよひ)の二十日余(あま)り、石清水(いはしみづ)の社に行幸(ぎやうがう)し給(たま)ふ。上達部(かんだちめ)・殿上人いみじき清(きよ)らをつくせり。関白殿〔房実〕は御車也(なり)。右大将実衡(さねひら)、松がさねの下襲(したがさね)、鶴(つる)の丸(まろ)を織(お)る。蘇芳(すはう)の固紋(かたもん)の衣(きぬ)。左大将経忠(つねただ)、桜萌黄(さくらもえぎ)の二重(ふたへ)織物(おりもの)の御下襲(したがさね)桜(さくら)に蝶(てふ)を色々(いろいろ)に織(お)る。花山吹(はなやまぶき)の上(うへ)の袴(はかま)・紅(くれなゐ)のうちたる御衣(おんぞ)、人より殊(こと)にめでたく見(み)え給(たま)ふ。御形(かたち)〔も〕、匂(にほ)ひやかにけだかき様(さま)して、誠(まこと)に、一の人とは斯(か)かるをこそ聞(き)こえめと、あかぬ事(こと)無(な)く見(み)え給(たま)ふ。土御門(つちみかど)の中納言顕実(あきざね)、花桜(はなざくら)の下襲(したがさね)なりき。花山院(くわさんゐん)の中納言経定などぞ、上臈(じやうらふ)の若(わか)き上達部(かんだちめ)にて、如何(いか)にも珍(めづら)しからんと、世(よ)の人(ひと)も思(おも)へりしかど、家のやうとかや何(なに)とかやとて、只(ただ)いつもの儘(まま)也(なり)。公泰宰相(さいしやう)の中将(ちゆうじやう)剣璽(けんじ)の役(やく)勤(つと)めらる。桜萌黄(さくらもえぎ)の上(うへ)の袴(はかま)・樺桜(かばざくら)の下襲(したがさね)・山吹(やまぶき)の浮織物(うきおりもの)の衣(きぬ)・紅(くれなゐ)のうちたる単(ひとへ)を重(かさ)ねられたり。白(しろ)くまろく肥(こ)えたる人の、眉(まゆ)いとふとくて、おひかけのはづれ、あなきよげと頼(たの)もしくぞ見(み)えられし。頭亮(とうのすけ)藤房、樺桜(かばざくら)の下襲(したがさね)・蘇芳(すはう)の浮織物(うきおりもの)の衣(きぬ)、弟(おとうと)の職事(しきじ)季房(すゑふさ)も、山吹(やまぶき)の下襲(したがさね)・紅(くれなゐ)の衣。衛府のすけ共(ども)は、打(う)ちこみたれば見(み)も別(わか)ず。別当左兵衛督(さひやうゑのかみ)資朝(すけとも)、はしり下部(しもべ)とかや言(い)ふ物(もの)八人に、地は皆(みな)銀(しろかね)を延(の)べたるにやと見(み)ゆるに、鶴(つる)の丸を黄(き)に磨(みが)きたる、好(この)もしうきよげ也(なり)。舞人(まひびと)にも、良(よ)き家の子共(ども)を選(えら)び整(ととの)へられたり。一(いち)の左に、中(なか)の院(ゐん)の前(さき)の大納言(だいなごん)道顕の子通冬少将(せうしやう)、まだいとちいさきに、童(わらは)なども同(おな)じ程(ほど)なるを、好(この)み整(ととの)へて、いと清(きよ)らにいみじうし立(た)て
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て、秦(はた)の久俊(ひさとし)と言(い)ふ御随身(みずいじん)をぞ具(ぐ)せられたる。右(みぎ)に久我(こが)の少将(せうしやう)通宣、いたく過(す)ぐしたる程(ほど)にて、ひげがちに、ねび給(たま)へる形(かたち)して、ちいさきに立(た)ち並(なら)ばれたる、いとたとしへ無(な)くぞ見(み)えし。それより次々(つぎつぎ)は、むつかしさに忘(わす)れぬ。大将の随身(ずいじん)共(ども)こそ、昔(むかし)の事(こと)はげには見(み)ねば知(し)らず、いとゆゆしく、誠(まこと)に花(はな)を折(を)るとは是(これ)にやと、めでたう面白(おもしろ)かりし。左大将殿の随身(ずいじん)は、赤地(あかぢ)の錦(にしき)の色も文(もん)も目(め)なれぬ様(さま)に好(この)もしきを、情(なさ)け無(な)きまでさながらだみて、ませに山吹(やまぶき)を、銀(しろかね)にてうち物(もの)にして、ひしと付(つ)けたり。花(はな)の色、重(かさ)なりなどまで、こまかに美(うつく)し。露を水晶(すいしやう)の玉にて置(お)きたる、朝日(あさひ)に輝(かかや)きて、すべていみじうぞ見(み)ゆる。西園寺(さいをんじ)の随身(ずいじん)も、同(おな)じ錦(にしき)なれど、松(まつ)を結(むす)びて、鶴(つる)の丸(まろ)を白と黄(き)とにうちて付(つ)けたる、山吹(やまぶき)よりは匂無(な)く見(み)えき。様々(さまざま)の神宝(しんぽう)・神馬(じんめ)・御てぐらなど、夜もすがら罵(ののし)りあかして、又(また)の日の暮(く)れつ方(かた)返(かへ)らせ給(たま)ひぬ。同(おな)じ卯月(うづき)十七日、賀茂の社に行幸(ぎやうがう)なる。上達部(かんだちめ)など多(おほ)くは先(さき)に同(おな)じ。衣がへの下襲(したがさね)共(ども)、けぢめ無(な)くすずしげ也(なり)。別当の下部(しもべ)、此(こ)の度(たび)は十二人、かちんに雉(きじ)の尾(を)を白(しろ)く打(う)ち違(ちが)へて付(つ)けたる、是(これ)も掲焉(けちえん)に好(この)ましげ也(なり)。明(あ)くる日は祭(まつり)なれば、神館(かんだち)の方(かた)、打(う)ち続(つづ)き花やかに面白(おもしろ)し。今日(けふ)の使(つか)ひは、徳大寺(とくだいじ)の中将(ちゆうじやう)公清也(なり)。春宮の大夫公賢(きんかた)の聟(むこ)にて御座(おは)すればにや、左大臣の大炊御門(おほひのみかど)富小路の御家よりぞ出(い)で立(た)たれける。人柄(ひとがら)と言(い)ひ、万(よろづ)めでたく見(み)ゆ。萌黄(もえぎ)の下襲(したがさね)、
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御家の紋(もん)のもかうを色々(いろいろ)に織(お)りたりしにや。近頃(ちかごろ)の使(つか)ひには似(に)ず、いといみじくきらめき給(たま)へり。中宮の使(つか)ひは亮(すけ)の藤房なり。此(こ)の頃(ごろ)、時(とき)にあひたる物(もの)なれば、いときよげに劣(おと)らぬ様(さま)也(なり)。其(そ)の二十七日に任大臣の節会(せちゑ)行(おこな)はる。左大将経忠、右大臣にならせ給(たま)ふ。内大臣冬教、左にうつり給(たま)へば、右大将実衡(さねひら)内大臣になさる。又(また)の日やがて右大臣殿、大饗(たいきやう)行(おこな)はせ給(たま)へば、尊者(そんじや)に内大臣参(まゐ)り給(たま)ふ。近衛殿(このゑどの)、近頃(ちかごろ)は御悩(なや)みがちにてのみ臥(ふ)し給(たま)へれど、今日(けふ)の御悦に珍(めづら)しく出(い)で居(ゐ)させ給(たま)へり。法皇は、今(いま)は大覚寺(だいかくじ)殿(どの)にのみ御座(おは)しませば、大炊御門(おほひのみかど)の式部卿(しきぶきやう)の親王(みこ)の御家を、内大臣殿申(まう)し受(う)けて、同(おな)じ日大饗(たいきやう)し給(たま)ふ。尊者(そんじや)には右(みぎ)の大臣(おとど)、やがて我(わ)が御家の大饗(たいきやう)果(は)つる儘(まま)に、引(ひ)き連(つ)れて渡(わた)り給(たま)へり。主(あるじ)も客人(まれびと)も、大将兼(か)ね給(たま)へれば、随身(ずいじん)共(ども)えならず経営(けいめい)して、形見(かたみ)に気色(けしき)取(と)りかはしたる、いと面白(おもしろ)し。主(あるじ)の大臣(おとど)琵琶、右衛門督兼高(かねたか)篳篥(ひちりき)、隆資(たかすけ)の朝臣笙(しやう)、室町(むろまち)三位(さんみ)の中将(ちゆうじやう)公春琴(こと)、教宗(のりむね)の朝臣笛、有頼宰相拍子(ひやうし)取(と)りて、遊(あそ)び暮(く)らし給(たま)ふ。御前(まへ)の物(もの)共(ども)など、常(つね)の作法(さほふ)に事(こと)を添(そ)へて、こまかに清(きよ)ら也(なり)。其(そ)の後(のち)幾(いく)程(ほど)無(な)く、右大臣殿の御父君(ちちぎみ)前(さき)の関白殿家平(いへひら)、御悩(なや)み重(おも)くなり給(たま)ひて、御髪(みぐし)下(お)ろす。俄(にはか)なれば、殿の内(うち)の人々(ひとびと)いみじう思(おも)ひ騒(さわ)ぐ。大方(おほかた)、若(わか)くてぞ、少(すこ)し女(をんな)にも睦(むつ)ましく御座(おは)しまして、此(こ)の右大臣殿なども出(い)で来(き)給(たま)ひける。中頃よりは、男(をとこ)をのみ御傍(かたは)らに臥(ふ)せ給(たま)ひて、法師(ほふし)のちごのやうに語(かた)らひ給(たま)ひつつ、ひと渡(わた)りづつ、いと花(はな)やか
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に時(とき)めかし給(たま)ふ事(こと)、けしからざりき。左兵衛督(さひやうゑのかみ)忠朝(ただとも)と言(い)ふ人も、限(かぎ)り無(な)く御覚(おぼ)えにて、七八年が程(ほど)、いとめでたかりし。時過(す)ぎて其(そ)の後(のち)は、成定と言(い)ふ諸大夫(しよだいぶ)いみじかりき。此(こ)の頃は〔又(また)、〕隠岐(おき)の守(かみ)頼基(よりもと)と言(い)ふもの、童(わらは)なりし程(ほど)より、いたくまとはし給(たま)ひて、昨日今日(けふ)までの召人(めしうど)なれば、御髪(みぐし)下(お)ろすにも、やがて御供(とも)仕(つかうまつ)りけり。病おもらせ給(たま)ふ程(ほど)も、夜(よる)昼(ひる)御傍(かたは)ら放(はな)たず遣(つか)はせ給(たま)ふ。既(すで)に限(かぎ)りになり給(たま)へる時(とき)、此(こ)の入道も御後(うし)ろに候(さぶら)ふに、寄(よ)り掛(か)かりながら、きと御覧(ごらん)じ返(かへ)して、「哀(あは)れ、諸(もろ)共(とも)に出(い)で行(ゆ)く道ならば、嬉(うれ)しかりなん」と、宣(のたま)ひも果(は)てぬに、御息(いき)止(と)まりぬ。右大臣殿も御前に候(さぶら)はせ給(たま)ふ。かくいみじき御気色(けしき)にて果(は)て給(たま)ひぬるを、心(こころ)憂(う)しと思(おぼ)されけり。さて其(そ)の後(のち)、彼(か)の頼基(よりもと)入道も病(やまひ)づきて、あと枕(まくら)も知(し)らずまどいながら、常(つね)は人に畏(かしこ)まる気色(けしき)にて、衣引(ひ)き掛(か)けなどしつつ、「やがて参(まゐ)り侍(はべ)る参(まゐ)り侍(はべ)る」と一人(ひとり)ごちつつ、程(ほど)無(な)く失(う)せぬ。粟田(あはた)の関白の隠(かく)れ給(たま)ひにし後(のち)、「夢見(み)ず」と、歎(なげ)きし者(もの)の心地(ここち)ぞする。故殿のさばかり思(おぼ)されたりしかば、召(め)し取(と)りたるなめりとぞ、いみじがりあへり。