P132曾我之物語巻第三
@〔九月名月に出でて、一万・箱王、父の事歎く事〕S0301N045
抑、伊豆の国赤沢山の麓にて、工藤左衛門の尉祐経に打たれし、河津の三郎が子二人有り。兄をば、一万と言ひて、五つに成り、弟は、箱王と言ひて、三つにぞ成りにける。父におくれて後、いづれも母に付き、継父曾我の太郎がもとに育ちける。やうやう成人する程に、父が事を忘れずして、歎きけるこそ、無慙なれ。人の語れば、兄も知り、弟も知り、恋しさのみに明け暮れて、積もるは涙ばかりなり。心のつくに従ひて、いよいよ忘るる暇も無し。我等二十に成り、父を打ちけん左衛門の尉とやらんを打ち取りて、母の御心をも慰め、父の孝養にも報ぜんと、忙はしきは月日なり。数ならぬ身にも、日数の積もれば、はや憂き事共にながらへて、九つ・七つにぞなりにける。折節、九月十三夜の、誠に名有る月ながら、隈無き影に、兄弟、庭に出でて遊びけるが、五つつれたる雁がねの、西に飛びけるを、一万が見P133て、「あれ御覧ぜよ、箱王殿。雲居の雁の、何処を差してか飛び行くらん。一つらも離れぬ中の羨ましさよ」。弟聞きて、「何かはさ程うらやむべき。我等が伴ふ物共も、遊べば、共に打ちつれ、帰れば、つれて帰るなり」。兄聞きて、「さにはあらず。いづれも同じ鳥ならば、鴨をも鷺をもつれよかし。空とべども、己がともばかりなる事ぞとよ。五つ有るは、一つは父、一つは母、三つは子供にてぞ有るらん。わ殿は弟、我は兄、母は誠の母なれども、曾我殿、誠の父ならで、恋しと思ふ其の人の、行方も敵のわざぞかし。哀れや」「親の敵とやらんが首の骨は、石よりもかたき物かや」と問へば、兄が聞きて、袖にて弟が口を抑へ、「かしかまし、人や聞くらん、声高し、隠す事ぞ」と言へば、箱王聞きて、「射殺すとも、首を切るとも、かくして適ふべきか」「さは無きぞとよ、其れまでも忍ぶ習ひ、心にのみ思ひて、上は物を習へとよ。能は稽古によるなるぞ。我等が父は、弓の上手にて、鹿をも鳥をも射給ひけるなるぞ。哀れ、父だに坐しまさば、馬をも鞍をも用意してたびなまし。さあらば、を犬・笠懸をも射習ひなん。我等より幼き者も、世にあれば、馬に乗り、もの射る、見るも羨まし」とくどきければ、箱王聞きてぞ、「父だに坐しまさば、自らが弓の弦くひ切りたる鼠の首は、射させ参らすべき物を、はらだちや」と言へば、兄、「其れP134よりもにくき物こそあれ」「誰なるらん、ままが子、自らが乗りつる竹馬打ち候ひつる事か」「其の事にては無きぞ、父を打ちける者のにくさに、月日の遅き」と言へば、「習はずとても、弓矢取る身が、弓射ぬ事や候ふべき」。兄が聞きて、打ち笑ひ、「わ殿、然様に言ふ共、てなれずしては、如何候ふべき。見よ」とて、竹の小弓に、篦は薄なる笹矧の矢差しつがひ、兄、障子を彼方此方に射通し、「いつかは、我等十五・十三に成り、父の敵に行き合ひ、斯様に心の儘に射通さん」。箱王聞きて、「然る事にては候へ共、大事の敵、弓にては、遠く覚えたるに、斯様に首を切らん」とて、障子の紙を引き切り、たかだかと差し上げ、側なる木太刀を取り直し、二つ三つに打ち切りて、捨てて立ちたる眼ざし、人に代はりてぞ見えたりける。
@〔兄弟を母の制せし事〕S0302N046
乳母、是を忍び見て、恐ろしき人々のくはたてかな、後は如何にと思ひければ、急ぎ母上にぞ語りける。母上、大きに驚き、彼等を一間所に呼びければ、箱王、居なほらざるに、障子の破れたるをしかり給ふべきと心得て、「障子P135をば損じ候はず、余所の童が破りて候ふを、乳母がことことしく申して」と言ひければ、母、涙を流し、「障子の事にては無きぞとよ。汝等、確かに聞け、わ殿原が祖父伊東と言ひし人は、君の若君を殺し奉るのみならず、無叛の同意たりしに依つて、切られ奉りし上は、汝等も、其の孫なればとて、首をも足をももがれて奉るべし。平家の公達をば、胎の内なるをだにも、求め失はるるぞかし。今より後、努々思ひもより、言ひも出だすべからず。あさましき事也。未だ上も知ろし召されぬに、御許し有りて、知らず顔にて、御尋ねも無きと覚ゆるなり。構へて、遊ぶとも、門より外へ出づべからず。汝等打ちつれ遊ぶを、物の隙より忍び見るに、いさみおごる時は、自らが心も共にいさましく、打ちしをるる物を。親にも添はぬみなし子の、育つ行方の無慙さよ。後ろに立ち添ひ見るぞとよ。乳母は、かくとも知らせぬぞ。近くより候へ」とて、二人が袖を取り、引き寄せ、小声に言ふ様、「誠や、さしも恐ろしき世の中に、悪事思ひ立つとな。然様の事、人々聞かれなば、よかるべきか。上様の御耳に入りなば、召し取られ、禁獄、死罪にも行はれなん、恐ろしさよ」とぞ制しける。一万は、顔打ちあかめ、打ち傾きて居たり。箱王は、打ち笑ひ、「乳母が申し成しと覚えたり。更に後先も知らぬ事なり」と申しければ、母聞きて、「今よりP136後、思ひもよらざれ。構へて構へて」と言ひて立ちぬ。其の後は、余所目を忍びて、おとといは語りけれども、人には更に知らせざりけり。或る日の徒然に、友の童も無く、軒の松風、耳に止まり、暮れ遣らぬ日は、一万門に出でて、人目を忍び、さめざめと泣きけり。箱王も同じく出でけるが、兄が顔をつくづくと見て、「何を思ひ給へば、兄子は、向かひの山を見て、さのみ泣かせ給ふぞや」と言ふ。兄が聞きて、「然ればこそとよ、何とやらん、殊の外に、父の面影思ひ出でられて、恋しく覚ゆるぞ」と言ひければ、「愚かに渡らせ給ふ物かな、思ひ給ふとも、父の帰り給ふまじ。帰り給へ。童共の、又参り候ふに、囃子物して遊び候はん」とて、打ちつれて帰る時も有り。又、或る夕暮に、夜に近き、軒端の雨のもの哀れなる折節に、箱王、門に立ち出でて、涙にむせぶ時は、一万、袖をひかへつつ、「何を思ひ給へば、四方の梢に目を懸けて、さのみ泣かせ給ふぞや」「覚えぬ父ごとやらんの恋しきは、斯様に心のすごきやらん。兄ごは、何とか御座する」とて、さめざめとこそ泣き居たれ。一万、弟が手を取りて、「覚えず、知らぬ父を恋しと言はんより、いとほしとのみ仰せらるる母に、いざや参らん」とて、袖を引きてぞ入りにける。是も、人目を忍ばんとて、互ひにいさめいさめられて、心ばかりと思へども、さすが幼き心にて、忍ぶ余所目P137の隙々の、もるるを見聞く人ごとに、舌を振り、哀れを催さぬは無かりけり。良竹は、おひいづればすぐなり、栴檀は、二葉よりかうばしとは、斯様の事に知られたり。然れば、遂に敵を思ふ儘に打ち、名を万天の雲居に上げ、威勢一天に余れり。哀れにも、いみじきにも、申し伝へたるは、此の人々の事なり。
@〔源太、兄弟召しの御使ひに行きし事〕S0303N048
かくて、三年の春秋の過ぐる程も無かりけり。早くも、一万十一、箱王九にぞなりにける。其の頃、彼等が身の上に、思はぬ不思議ぞ出で来たる。故を如何にと尋ぬるに、鎌倉殿、侍共に仰せられけるは、「保元の合戦に、為義、義朝に切られ、平治の乱れに、義朝、長田に打たれしより此の方、おごりし平家をことごとく滅ぼし、天下を心の儘にする事、我等が先祖におきては、頼朝に勝る果報者あらじ」と仰せ下されければ、御前祗候の侍共、一同に、「さん候」と申し上げければ、伊豆の国の住人工藤左衛門祐経、畏まつて申しけるは、「仰せの如く、四海鎮まり、きうたう狼煙立たざる所に、間近き御膝の下に置きて、幼く候へ共、末の御敵と成るべき者こそ、一二人候へ」と申しければ、御前に有りける侍共、P138知るも知らざるも、誰が身の上やらんと、目を合はせ、拳を握らざるは無かりけり。君聞こし召されて、御気色変はり、「頼朝こそ知らね、何物ぞ」と、御尋ね有りければ、祐経承りて、「先年切られ参らせ候ひし伊東の入道が孫、五つや三つにて、父河津におくれ、継父曾我の太郎がもとに養じ置きぬ。成人の後、御敵とやなり候ふべき。身にも又、野心有る者にて候ふ」と申し上げたりければ、君聞こし召し、「不思議なり。祐信は、随分心安き物に思ひつるに、末の敵を養ひ置くらん不思議さよ。急ぎ梶原召せ」とて召さるる。源太景季、御前に畏まりければ、「急ぎ曾我に下り、伊東の入道が孫共を隠し置く由聞こゆ。急ぎ具足して参るべし。もし異議に及ばば、其れにて首をはねよ」とぞ仰せ下されける。景季承り、御前を罷り立ち、急ぎ曾我へぞ下りける。祐信が屋形近くなりしかば、使者をたてて、「曾我殿や坐します。君の御使ひに、景季参りたり」と言はせければ、祐信、何事なるらんと、「思ひ寄らざる御入り珍し」と言ひければ、景季も、暫く辞退して、「さん候、上よりの御使ひ」とばかり言ひて、面目無き事なれば、左右無く言ひも出ださず。やや有りて「御為ゆゆしき事ならぬ仰せを蒙りて候ふ。其の故は、故伊東殿の孫養育の由、君聞こし召して、「頼朝が末の敵なり。急ぎ具して参るべし」との御使ひを蒙り、参りP139て候ふ」と申しければ、祐信、とかくの返事にも及ばず、やや有りて、「世間に歎き深き者を尋ぬるに、祐信にすぐべからず。幼き者二人候ひし、五つ・三つにて失ひ候ふ。其の思ひ未だはれざるに、彼等が母におくれ候ひぬ。一方ならぬ思ひの浅からざりしに、彼等が母も、夫におくれ、子を持ちたる由聞き候らひ、しかも、親しく候ふ上、失ひし子供、同じ年にて候ふ。然れば、人の歎きをも、我等が思ひをも、語り慰まんと思ひ、抑へ取り、今年は、此の者共、十一・九に罷り成り候ふ。殊の外けなげに候ふ間、実子の如く養じたてて、此の頃、斯様の仰せを蒙り候ふべしとこそ存じ候はね。子に縁無き者は、人の子をも養ずまじき事にて候ひける」とて、袖を顔に押し当てけり。景季も、誠に理とぞ思ひける。
@〔母歎きし事〕S0304N049
やや有りて、「つれて参るべし。さりながら」とて内に入り、彼等が母に申しけるは、「故伊東殿、君に御敵とて失せ給ひし、其の孫とて、二人の幼き者共を参らせよとの御使ひに、梶原殿の来たれり」と言ひければ、母は聞きも敢へず、P140「心憂や、是は何と成り行く世の中ぞや、夢とも現とも覚えず。実に夢ならば、さむる現も有りなまし。憂き身の上の悲しきも、彼等二人を持ちてこそ、万うさも慰みつれ。身の衰ふるをば知らで、いつか成人して、おとなしくもなりなんと、月日の如く頼もしく、後の世掛けて思ひしに、切られ参らせて、其の後、憂き身は何とながらへん。只諸共に具足して、とにもかくにもなし給へ」と泣き悲しむ、其の声は、門の辺まで聞こえける。実にや園生にうゑし紅の、焦がるる色の現れて、余所に見えしぞ、哀れなる。たへぬ思ひの余りにや、母は、二人の子供を左右の膝にすゑおき、髪かきなでてくどきけるは、「祖父伊東殿、君に情無くあたり奉りし故に、其の孫とて、汝等を召さるるぞや。如何なる罪のむくいにて、人こそ多けれ、御敵となりぬらん心憂さよ。さりながら、汝等が先祖、東国において、誰にかは劣るべき、知らぬ人有るべからず。君の御前なりとも、恐るる事無く。最期の所にて、言ふ甲斐無くして適ふまじ。さしもいさみし親祖父の、世に有りし故にこそ、御敵ともなり給ひしか。幼くとも、思ひ切りて、臆する色有るべからず、けなげに」と申せども、涙にこそむせびけれ。「実にや適はぬ事なれども、汝等を止めおき、其の代はりに、童出でて、如何にもなりなば、心安かりなん」と泣きP141ければ、二人の子供は、聞き分けたる事は無けれども、只泣くより外の事ぞ無き。賎しき賎に至るまで、泣き悲しむ事、叫喚・大叫喚の悲しみも、是には過ぎじとぞ覚えし。時移りければ、景季、使ひを以て、母の方へ申しけるは、「御名残、理と存じ候へ共、御思ひはつくべきにあらず、とくとく」と攻めければ、祐信、「承り候ふ」とて、嬉しからざる出立を急ぎける。母も、今を限りの事なれば、介錯するぞ、哀れなる。一万が装束には、精好の大口、顕紋紗の直垂をぞ着たりける。箱王には、紅葉に鹿書きたる紅梅の小袖に、大口ばかり着せたりける。斯様に介錯せん事も、今を限りにてもやと、後ろにめぐり、前に立ち、つくづくと是を見るに、一万が着たる小袖の紋、心得ぬ物かな。さても、あだなる朝顔の花の上露、時の間も、残る例は無き物を。さて、箱王が小袖の色、ぬれてや、鹿のひとり鳴くらんも、憂き身の上の心地して、いよいよ袖こそぬれまされ。古は何とも見ざりし衣裳の紋、今は目に立ちて、思ひ残せる事も無し。やがて帰るべき道だにも、差しあたりたる別れは悲しきに、帰らん事は不定なり。見みえん事も、今ばかりぞと覚えば、肝魂も身に添はず。一万おとなしやかに、「余り御歎き候ひそ。御思ひを見奉れば、道安かるべしとも覚えず。もし切られ参らせば、前世の事と思し召せ」と言ひければ、箱王、「兄の仰せP142らるる如く、御歎きを御止め候へ。同じ御歎きながら、敵を致したる事も候はず。其の上、未だ幼く候へば、御許しも候ふべし。仏にも御申し候へ」。誠にげにげにしく申すに付けても、いよいよ名残ぞ惜しかりける。さりともとは思へども、まさしき御敵なり。帰らん事は、不定也。止まり居て、物思はん事も、悲しければ、一所にて、如何にもならんと、出で立ちけるぞ、哀れなる。祐信、是を見、大きに制しける。「さりとも、切らるるまでは有るまじ。誰々も、よき様に申し成し給はば、いかさま、遠き国に流し置かれぬと覚えたり。然様なりとも、命だにあらば」と慰め置きて、二人の子共をいざなひ出でける、心の中こそ哀れなれ。母は、梶原が見るをも憚らず。事のなのめの時こそ、恥も人目も包まるれ、誠の別れになりぬれば、かちはだしにて、乳母諸共に、庭上に迷ひ出でて、「暫く、や、殿、一万。止まれや、箱王。我が身は何と成るべき」と、声を惜しまず泣き悲しみければ、上下男女諸共に、「今暫く」と泣き悲しむ有様、たとふべき方も無し。或いは、馬の口に取り付き、或いは、直垂の袖をひかへければ、景季も、猛き武士とは申せ共、涙にせき敢へず、「由無き御使ひ承りて、斯かる哀れを見る悲しさよ」とて、直衣の袖を顔に押し当てて泣きけり。母は、猶も止まり兼ねて、門の外まで惑ひ出でP143て、彼等が後姿を見送り、泣くより外の事ぞ無き。子供も、後ろのみ見返りしかば、駒をも急がず、後に心は止まりけり。互ひの思ひ、さこそと推し量られて、哀れなり。母は、子供の後ろも見えず、とほざかり行きければ、即ち倒れ伏しにけり。女房達、急ぎ引きたて、やうやう介錯して、泣く泣く内にぞ入りにける。持仏堂に参り、くどきけるは、「大慈大悲の誓願、枯れたる草木にも、花さき実成るとこそ聞け。などや、彼等が命をも助け給はざらん。是、幼少の古より、深く頼みを懸け奉る。毎日に三巻普門品怠らざる証に、彼等が命を助け給へ」と、悶え焦がれけるぞ、無慙なる。せめての事にや、仏に向かひてくどきけるは、「実にや、彼等が父の打たれし時、如何なる淵瀬にも入りなんと、思ひ焦がれしに、彼等を世にたてんと思ひて、つれなく命ながらへ、あかぬ住まひの心憂かりつるも、偏に子供の為ぞかし。切られ参らせての後、一日片時の程も、身は、誰が為に惜しかるべき。願はくは、我等が命も取り給ひて、彼等一所に向かへ取り給へ」と、声も惜しまず泣き居たり。誠や、身に思ひの有る時は、科も坐しまさぬ神仏を恨み奉り、泣きてはくどき、恨みては泣き、伏し沈みけるこそ、せめての事とは覚えける。P144
@〔祐信、兄弟つれて、鎌倉へ行きし事〕S0305N050
さて、祐信は、梶原諸共に打ちつれて、駒を早むるとは無けれども、夜に入りて、鎌倉へこそつきにけれ。今夜は、遙かにふけぬらんとて、景季が屋形に止め置きたり。祐信は、二人の子供近く居て、こよひばかりと思ふにも、残り多くぞ思はれける。名残の夜はも明け安き、隈無き軒をもる月も、思ひの涙にかきくもり、鶏と同じく泣きあかす、心の内こそ無慙なれ。早天に、源太左衛門、御所へ参りければ、祐信、遙かに門送りして、「彼等が事は、一向に頼み奉る。如何にもよき様に申しなされ、郎等二人有りと思し召し候へ」と、誠に思ひ入りたる有様、哀れにて、源太も、不便に覚えて、「実にや、子ならずは、何事にか、是程宣ふべき。人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道に迷ふとは、実に理と覚えて、景季も、子供数多持ちたる身、さらさら人の上共存じ候はず」とて、忍びの涙を流しけり。「心の及ぶ所は、等閑有るべからず候ふ。心安く思ひ給へ」とて出でければ、頼もしくぞ思ひける。 其の後、景季、御前に畏まりければ、君御覧じて、「咋日は、参らざりけるP145ぞ。祐信は、異議にや及びける」「如何でか、惜しみ申すべき。ゆふべ、景季がもとまで具足して、候ひつるを、夜ふけ候ふ間、明くるを待ち申して候ふ。従ひ候ひては、母や曾我の太郎が歎き、申すに及ばず。かはゆき有様を見てこそ候へ。同じ仰せにて、戦場にして、一命を捨て候はん事は、物の数とも存じ候ふまじ。斯様に難儀の事こそ候はざりしか」と申しければ、君聞こし召されて、「さぞ母も惜しみつらん。同じ科とは言ひながら、未だ幼き者共なり。歎きつるか」と仰せられければ、此の御言葉に取り付き、畏まつて申しけるは、「斯様に申す事、恐れ多く候へども、母が思ひ、余りに不便なる次第に候ふ。未だ幼き者共に候へば、成人の程、景季に預けさせ給ひ候へかし」と申しければ、君聞こし召されて、「汝が申す所、理と思へ共、伊東の入道に、情無くあたられし事を、聞きも及びぬらん。三歳の若を失はれ、剰へ女房さへ取り返されて、歎きの上に、恥を見、其の上、由比の小坪にて、頼朝を打たんとせし恨み、条々、例へて遣る方無し。せめて、伊豆の国一国の主にもならばやと、明け暮れ思ひ祈りしは、只伊東にあたり返さんと願ひしぞかし。然れば、彼の者の末と言はんをば、乞食非人なりとも、掛けて見んとは思はざりき。況や、彼等は現在の孫なり。しかも、嫡孫なり。急ぎ誅して、若が孝養に報ずべし。頼朝恨むべからず」と仰せ下さP146れければ、重ねて申すに及ばで、御前を罷り立ちにけり。「時を移さず、由比の浜にて害せよ」と承りて、宿所に帰り、祐信、遅しと待ち受けて、「彼等が命如何に」と問ふ。「然ればこそとよ、再三申しつれども、故伊東殿の不忠、始めよりをはりに至るまで、御物語有りて、若君の草の陰にて思し召す所も有り、此の人々を切りて、御追善に報ぜんと、御意の上、力及ばず」と言ひければ、祐信、頼みし力つきはてて、「今は、適ふまじきにや」とて、二人の子供を近付けて、装束引きつくろひ、鬢の麈打ち払ひ、「汝、如何なるむくいにて、乳の内にして、父におくれ、重代の所領に離れ、命だにも、十五・十三にもならず、切らるるのみにあらず、母にも又、思ひを授くる事の不思議さよ。祐信も、汝等におくれて後、千年をふるべきか。髻切り、後世懇ろに問ひて取らすべし。今生こそ、宿縁うすくとも、来世には、必ず一蓮に生まれあふべし」と、涙にむせびけり。子供聞き、「祖父子の御事に依り、我等幼けれ共、許されず、切られん事、力に及ばず。さりながら、殿の御恩こそ、有り難く思ひ奉り候へ。御遁世、努々有るまじき事なり。母御の御思ひ、いよいよ重かるべし。其れを慰めて賜はり候へ。其れならでは」とばかりにて、泣くより外の事ぞ無き。景季が妻女も、女房達引きつれ、中門に出で、ものごしに彼等がP147言葉を立ち聞きて、「実にや、然る者の子供とは聞こえたり。優におとなしやかに言ひつる言葉かな。余所にて聞くだにも、哀れに無慙なるに、如何に今まで取り育てぬる母や乳母の思ふらん。かたはなる子をさへ、親は悲しむ習ひぞかし。弓取りの子の七つにて、親の敵を打ちけると申し伝へたる事も、彼等がおとなしやかなるにて思ひ知られたり。弓取りの子なり」とて、涙にむせびければ、及ぶも及ばざるも、皆袂をぞ絞りける。
@〔由比のみぎはへ引き出だされし事〕S0306N052
やや有りて、景季来たり、「時こそ移り候へ」と言ひければ、祐信、彼等を出で立たせ、由比の浜へぞ出でける。今に始めぬ鎌倉中のことことしさは、彼等が切らるる見んとて、門前市をなす。源太が屋形も、浜のおもて程遠からで、行く程に、羊の歩み猶近く、命も際になりにけり。既に敷皮打ちしきて、二人の者共なほりにけり。今朝までは、さり共、源太や申し助けんと、頼みし心もつきはて、彼等に向かひ申しけるは、「母が方に、思ひ置く事や有る」と問ふ。「只何事も、御心得候ひて、仰せられ候へ。但し、最期は、御教へ候ひし如く、思ひ切りP148て、未練にも候はざりしとばかり、御語り候へ」「箱王は如何に」と問へば、「同じ御心なり。今一度見奉て」と言ひも敢へず、涙にむせび、深く歎く色見えけり。一万是を見て、「仰せられしをや。祖父の孫ぞと思ひ出だして、思ひ切るべし。構へて、母や乳母が事、思ひ出だすべからず。然様なれば、未練の心出で来るぞ。「只一筋に思ひきれ」と教へ給ひし事、忘れ給ふかや。人もこそ見れ」といさめければ、箱王、此の言葉にや恥ぢけん、顔押しのごひ、あざ笑ひ、涙を人に見せざりけり。貴賎、惜しまぬ者は無かりけり。曾我の太郎も、此の色を見て、今は心安くて、敷皮に居かかり、鬢の麈打ち払ひ、心しずかに介錯し、「如何に汝等、よくよく聞け。始めたる事にあらね共、弓矢の家に生まるる者は、命よりも名をば惜しむ者ぞとよ。「竜門原上の骨をばうづめども、名をば雲井に残せ」と言ふ言葉、予て聞き置きぬらん。最期見苦しくは見えねども、心を乱さで、目をふさぎ、掌を合はせ、「弥陀如来、我等を助け給へ」と祈念せよ」。一万聞きて、「如何に祈り候ふとも、助かる命にても候はぬ物を」と言ひければ、「其の助けにては無し。別の助けぞとよ。御分の父、一所に向かへ取り給ふべき誓願の助けぞとよ。頼み候へ」と言ひければ、「申すにや及ぶ。故郷を出でしより、思ひ定むる事なれば、何に心を残すべき。P149父にあひ奉らん頼みこそ、嬉しく候へ」とて、西に向かひ、各々ちひさき手を捧げて、「南無」とたからかに聞こえければ、堀の弥太郎、太刀抜き、引きそばめ、二人が後ろに近付きて、兄を先づ切らんは、順次なり、然れども、弟見て、驚きなんも、無慙なり、弟を切るは、逆なりと、思ひわづらひ、立ちたりしを、祐信、思ひに絶え兼ねて、走り寄り、取り付き、「然るべくは、打物を某に預けられ候へ。我等が手に掛けて、後生を弔はむ」と申しければ、「御はからひ」とて、太刀をとらせけり。祐信取りて、先づ一万を切らむとて、太刀差し上げ見れば、折節、朝日かかやきて、白く清げなる首の骨に、太刀影の移りて見えければ、左右無く切るべき所も見えざりけり。祐信、猛き武士と申せども、打物を捨てて、くどきけるは、「中々思ひ切りて、曾我に止まるべかりし物を、是まで来たりて、憂きめを見る事の口惜しさよ。然るべくは、先づ某を切りて後に、彼等を害し給へ」と歎きければ、見物の貴賎、「理かな。幼少より育てて、哀れみ給へば、さぞ不便なるらん」と、訪はぬ者は無かりけり。P150
@〔人々、君へ参りて、こひ申さるる事〕S0307N054
此処に梶原平三景時、近くよりて、祐信に申しけるは、「御歎きを見奉るに、推し量られて覚ゆるなり。暫く待ち給へ。一はし申して見ん」と言ひければ、弥太郎、大きに喜びて、暫く時を移しける。誠に景時、差し切りて申されんには、適ひつべしと、人々頼もしくぞ思ひける。景時、御前に畏まりければ、君御覧ぜられて、「梶原こそ、例ならず訴訟顔なれ」「さん候。曾我の太郎が養子の子供、只今、浜にて誅せられ候ふ。哀れ、某に、御預けもや候へかし。景時が申状、聞こし召し入れらるべきと、あまねく思ひ候ふ物をや」と、申しければ、君聞こし召て、「今朝より、源太申しつれ共、預けず。汝、恨むべからず」と仰せ下されければ、力及ばず、御前を罷り立ちけり。次に、和田の左衛門義盛、御前に畏まり、「景時が親子、申して適はざる所を、義盛、重ねて申し上ぐる条、かつうは、其のおほそれ少なからず候へども、人を助くる習ひ、さのみこそ候へ。義盛、御大事に罷り立ちて、度々なりと雖も、わきては、衣笠城にて、御命に代はり奉り、御世に出でさせ給ひ候ひぬ。其の忠節に申しかへて、曾我の子供を預かりおき候はば、生前の御恩と存じ候ふべし」と申さP151れければ、君聞こし召されて、「彼の者共の事は、切らで適ふべからず」と仰せ下されければ、義盛、重ねて申されける、「もとより、罪軽くして、追罰せらるべきを、申し預かりては、御恩と申し難し。重罪の者を賜はりてこそ、掟を背く御恩にては候へ。義盛が一期の大事、何事か是にしかん」と、差し切りて申されたりしかば、君も、誠に難儀に思し召しけるが、しばし、御思案に及び、「御分の所望、何をか背き奉るべき。然れども、此の事においては、頼朝に差しおき給へ。伊東が情無かりし振舞ひ、只今報ぜん」と仰せられければ、義盛、力に及ばずして、御前を罷り立たれけり。其の次に、宇都宮の弥三郎朝綱、思ひけるは、面々申し適へられずして、罷り立たれぬ、さりながら、数多の力、もしもやと存じ、御前に祗候す。君御覧ぜられて、「今日の訴訟人は、適ふべからず、別に、思ふ子細有り」とて、御気色悪しかりければ、申し出だすに及ばず、退出せられにけり。又、千葉介常胤、座敷に居代はりて、畏まつて、「人々の申されて適はざる所を申し上ぐる条、誠てうたうのあとを尋ね、れいきのををひにて候へ共、竜の鬚をなで、虎の尾を踏むも、事による事にて候へば、今日の人々の訴訟御聞き入れ候はば、畏まり存ずべき由、方々申すげに候ふ」と申し上げければ、君聞こし召し、「御分の事、身にかへても余り有り。其れを如何にP152と言ふに、頼朝、石橋山の合戦に打ち負けて、只七騎に成りて、杉山を出でて、ゆきの浦に着き、既に自害に及びし時、数千騎にて、合力せられ奉り、今は世を取る事、偏に御分の恩ぞかし。其の故、忘るべきにあらず。然れども、伊豆の伊東が恨めしさは、知り給ひぬらん」と仰せ有りて、其の後は、御返事も無し。常胤、重ねて申されけるは、「恐れ存じ候ふ事なれども、某に限らず、今日の訴訟人、時に取りての御大事、誰か身命を惜しみ、不忠を思ひ奉る者の候ふべき。其の御心ざしに、御免渡らせ御座しまして、彼等を御助け候ふべし」「さても、彼等が祖父は、不忠の者にはあらざるをや」「さてこそ、御慈悲にて、御助け候へとは申せ」「奈落に沈む極重の罪人をば、慈悲の仏だにも、すくひ給はずとこそ聞け」。常胤承りて、「地蔵薩■の第一の誓願には、無仏世界の衆生をすくはんとこそ、誓ひの深く坐しますなれ」。君聞こし召し、「然れば、地蔵は、未だ正覚なり給はずとこそ聞け」「斯様の悪人をすくひつくして、正覚有るべしと承る。其れは、慈悲にて坐しまさずや」。君聞こし召し、「誠に其れは、仏の御法の言葉、如来にあひて、問ひ給へ。彼等は、世上の政道也。切らでは適ふべからず」とて、御気色悪しく見えければ、其の後は、物をも申さず。御前に祗候の人々も、力を落とし、如何せんとぞ思はれける。P153
@〔畠山の重忠こひ許さるる事〕S0308N055
此処に、武蔵の国の住人、畠山の庄司二郎重忠、在鎌倉して、筋違橋に有りけるが、此の事を聞き、取る物も取り敢へず、急ぎ御前に参られける。君御覧ぜられて、「重忠珍し」と仰せ下されければ、「さん候」とて、深く畏まり、やや有りて、申されけるは、「伊東が孫共を、浜にて切られ候ふなる。未だ幼く候へば、成人の程、重忠に御預け候へかし」。君聞こし召し、「存知の如く、伊東が振舞ひ、条々の旨、忘るべきにあらず。彼等が子孫におきては、如何に賎しき者なりとも、助け置かんとは覚えず。是等はまさしき孫ながら、嫡孫ぞかし。頼朝が末の敵と成るべし。然れば、誅してもたらざる物を。頼朝恨み給ふべからず」と仰せられければ、「適はじとの御諚、重ねて申し上ぐる条、恐れにて候へども、成人の後、如何なる振舞ひ候ふとも、重忠かかり申すべし。其の上、一期に一度の大事をこそと存じ候ひて、つねには訴訟を申さず候へ。是ばかりをば、御免渡らせ給へ」と申されければ、君の仰せには、「彼等が先祖の不忠、皆々存知の事、何とてか程に宣ふ。此の事適へぬ怠りに、武蔵の国二十四郡P154を奉らん」と仰せ下されしぞ、誠に忝くは覚えける。重忠承り、「御諚の趣、畏まり存ずれども、国を賜はり、彼等を誅せられては、世の聞こえ、重忠が恥辱にて候ふべし。某がもと参りて候ふ所領を参らせ上げ、彼等を助け候ひてこそ、人の思はくも候へ」と申されければ、君御返り事にも及ばざりけり。重忠、ゐだけだかに成りて、「恐れ多き申事にて候へ共、平治の乱に、義朝打たれ給ひき。其の御子として、清盛に取り込められ、既に御命あやしく渡らせ給ひしに、池殿申されしに依つて、助かり坐しましぬ。其の御喜びを思し召し寄り、彼等を御助け候へかし」。君御顔色変はり、事悪しく見えければ、暫く物も申されず。悪し様也、申し過ごしぬると存じて、只つつしんで有りける。やや暫く有りて、君如何思し召しけん、御扇をさつと開き、「げにげに重忠宣ふ如く、平家の一門、頼朝に情を懸け、助け置きて、頼朝に退治をせられぬ。其の如く、彼等を助け置きて、末代に頼朝滅ぼされぬと覚ゆる。然れば、彼等をば、一々に切りて、由比の浜にかくべし」と、あららかにこそ仰せけれ。重忠も、申しかかりたる事なれば、言葉も違はず、のび上がり、「さん候。滅びし平家の悪行、如何ばかりとか思し召す。仏法に恐れず、王法にも従はず、官を止め、職を奪ひ、子孫に伝はるP155と雖も、よこしまなる沙汰、天是を許さざるに依つて、自滅す。政道順義にして、政専ならば、末代までも、如何でか絶え候ふべき。只神慮に背かで、よこ様なる事さへ候はずは、位は転輪聖王とひとしかるべし」と申されければ、御寮聞こし召して、「忠を高く感じ、科を深く戒むる事、よこしまなるべきにや」「其の儀にては候はず、只御慈悲渡らせ給へとこそ候へ。御敵の末、不忠の至り、陳じ申すには及ばず。さりながら、幼く候へば、成人の程、御預け候へかし。忝くも、君の御恩に誇り、栄華にそなふる事、世の人にすぐれたり。然れば、重忠が訴訟、何事も適ふべしと、人々存ずる所に、御許され無くは、命いきても、無益也。御前にて、首を召され候へ。其れ適はずは、浅間菩薩も、御照覧候へ。重忠自害仕り候ふべし。もの其の身にては候はずとも、某御前にて失せぬと聞き候はば、自害とは申し候はじ。一門馳せ集まり、御不審の歎きを申し上げ候ふべし。しからば、今日の訴訟人、定めて同意有りぬべし。さあらんに取りては、諸国のわづらひとこそ存じ候へ」。君聞こし召し、「然様の儀に至りては、頼朝騒ぐべきにあらず、只天の照覧に身を任せ候ふべし」とて、御返事も無かりけり。P156
@〔臣下ちやうしが事〕S0309N056
重忠畏まつて、「恐れ存ずる次第にて候へども、昔、大国に太王有り、武勇の臣下を集めて、千人愛し、玉の冠、金の沓を与へて、召し使ふ。其の中の臣下に、ちやうしと言ふ賢人有り。大王是を召し、「此の仰せを保つて、七珍万宝、一つとして不足なる事無し。然るに、並びの国の市に、宝の数をうるなり。汝、彼の市に行きて、我が倉の内に、無からん宝をかひて来たるべし」とて、多くの宝を与へぬ。ちやうし、是を受け取り、彼の市に行きて見るに、王宮の宝に、一つとして漏れたる物無し。然れども、王宮、善根長く絶えて無かりけり。是をかひ取らんと思ひて、保つ所の財宝を、彼の国のひ人共を集めて、ことごとく施し、手を空しくして帰りぬ。大王問ひて曰く、「かひ取る所の珍宝如何に、見ん」と宣ふ。其の時、ちやうし答へて曰く、「王宮の宝蔵を見るに、金銀珠玉を始めとして、不足なる事無し。然れども、善根の無かりしかば、かひ取りぬ」と答ふ。大王、歓喜して、「其の善根見む」と宣ふ。ちやうしが曰く、「彼の国の貧者を集め、もつ所の宝をとらせぬ」と答ふ。大王、P157不思議に思ひしかども、賢人のはからふ事なりしかば、さてのみ過ごし給ふ。其の頃、国の兵起こりて、大王を傾く。合戦に打ち負けて、並びの国に移りぬ。其の時、千人の臣下、さしも愛せし恩を捨てて、一度に逃げ失せにけり。王一人に成りて、既に自害に及びける時、ちやうしが、暫く抑へて曰く、「待ち給へ。此の国の市にてかひ置きし善根、尋ねて見ん」とて行く。其の宝をえたりし貧人の中に、しはうと言ふ武勇の達者也。深き志を感じ、多くの兵を語らひ、此の王の為に、城郭をこしらへ、暫く引き籠りぬ。時有つて、運を開き、二度国に帰り給ふ。これ偏に、ちやうしがかひ置きし善根の故と、国王感じ給ふ。一人当千と言ふ事、此の時より始まりける。其の時、もと逃げ失せし千人の臣下、又出でて、「仕へん」と言ふ。大王聞き給ひて、「又事あらば、逃げぬべし。あたらしき臣下を召し使ふべし」と宣ふ。ちやうしいさめて、「始めたる臣下を、心知り難し。只もと逃げ失せし臣下を、召し使ひ給へ。人心有りて、二度の恩を忘れんや」と言ふ。大王、理を案じて、逃げ失せし臣下を、ことごとく尋ね出だして、召し使ふ。時に又、国大きに起こりて、王の都を傾く。帰り来たる所の臣下、二度の忘恩を恥ぢて、身を捨て、命を惜しまず、防ぎ戦ふ。然れば、勝つ事を千里の外にえ、位を永久に保ち給ふと申し伝へP158て候ふ。彼等も、然る者の子にて候へば、御恩を忘れ奉るべきにあらず。遂には、御用にこそたち申し候はんずれ」。君聞こし召し、「其れも、臣下尊きにあらず。ちやうしが賢に依つて也」「然らば、某をちやうしと思し召し、彼等を臣下になずらへて、御助け候はば、後の御せんどにもや、たち候ひなん。君君たる時は、臣礼を以てし、臣臣たる時は、君哀れみを残すとこそ、見えて候へ」。頼朝、「彼等、何の礼か有りし」。重忠承つて、「御助け候はば、如何でか、其の礼無かるべき。君御許し無くは、我々までも、果におごるべきにあらず。さあらんに取りては、あはざる訴訟なりとも、一度は、などや御免無からん」「理を破る法はあれども、法を破る理は無し。罪科と言ひ、法と言ひ、如何でか、彼等逃るべき」。重忠も、申しかかりたる事なれば、身をも命をも惜しまず、高声に成りて、申しけるは、「国を滅ぼすてんけんも、さんせは聞かずとこそ、承りて候へ。釈迦如来の昔、善恵仙人と申せし時、道を作り給ふ中間に、燃燈仏を通り給ふ。道悪しくして、わづらひ給ふ時に、仙人、泥の上に伏し給ひて、御髪をしき、仏を通し奉る。さつたい王子は、うゑたる虎に、身を与へ、尸毘大王は、鳩の量りに、身をかくる。是等皆、末代の衆生を思し召す、御慈悲の故ぞかし。就中、諸国を治め給ふ事、理非を正し、情を旨とし、哀れみP159を本とし給ふべきに、是程面々の申す、彼等を御助け無くては、人頼み少なく思ひ奉るべし。重忠が一期の大事と思し召し、助け置かれ候へかし」と、誠思ひ切りたる気色で、仏法世法、唐土天竺の事まで、引き掛け引き掛け、申されければ、君御思案有りて、「誠此の人は、内には五戒を守り、外には仁義を本とす、賢人ぞかし。此の重忠を失ひなば、神の恵みに背き、天下も穏やかなるまじ」と思し召しければ、「然らば、此の者共助け候へ。但し、御分一人には預けぬぞ。今日の訴訟人共に、ことごとく許す」と仰せ下されけり。御前祗候の侍共、思はずに、あつとぞ感じける。実にや、重忠、身にかへて申さるる一人には、御許しも無くて、「今日の訴訟人共に」と、仰せ下さるる有り難さよ。然れば、天下の主ともなり給ふと、重忠、感じ申されけるとかや。
@〔曾我へつれて帰り、喜びし事〕S0310N057
其の後、畠山の重忠、成清を呼び、「幼き人々の事、やうやうに申し預かり候ひぬ。はやはや御帰り候へ。曾我に、心許無く思ひ給ふべし。見参に入れたく候へ共、御前に候ふ間」と言ひ送りければ、曾我の太郎、是非をわきまへ兼ねて、只、P160「畏まり存ずる」とばかりぞ申しける。さて、二人の子供の馬を先にたて、曾我へ帰りける心の内、例へんかた無し。母が宿所には、是をば知らで、只泣くばかりなる所へ、人々、「帰り給ふ」と告げければ、母を始めて、喜ぶ事限り無し。一万が乳母、月さへと言ふ女房、庭上に走り向かひ、馬の口を取り、「君達の御帰り」と言はんとて、余りにあわてて、「馬達の帰り給ふぞや」と呼ばはりけり。兄弟の人々、「馬より下り、母が方に行きければ、一門馳せ集まり、喜びの見参、隙も無し。然れば、頼朝御憤り深く、御哀れみのあまねき事は、「めいてんの君は、時に蔽壅の累をなし、しゆんゑんの臣は、しばしばしんしの悲しみをいだく」とは、文選の言葉なるをや、今更思ひ知られたり。