P161曾我物語巻第四
@〔十郎元服の事〕S0401N058
光陰惜しむべし、時人を待たざる理、隙行く駒、つながぬ月日重なりて、一万は十三歳になりにける。身の不祥なるに、又、公方を憚る事なれば、秘かに元服して、継父の名を取り、曾我の十郎祐成と名乗りける。
@〔箱王、箱根へ上る事〕S0402N059
母、弟の箱王を呼び寄せて宣ひけるは、「わ殿は、箱根の別当のもとへ行き、法師に成り、学問して、親の後世弔へ。努々、男羨ましく思ふべからず。世を逃るる身なれば、綾羅錦繍の袖も、衣に同じ。十善帝王も、身を捨て、人に対するに、所無し。憂きもつらきも、世の中は、夢ぞと思ひ定むべし。伝へ聞くP162大目連せしは、母の教へ給ひし御言葉を、耳の底に保ち給ひてこそ、五百大阿羅漢には越え給ひし。構へて法師と成りて、父の跡をも、童が後生をも助け給へ」と申されければ、箱王、身に思ふ事有ると思ひけれども、「承り候ふ」とぞ言ひける。母喜びて、生年十一歳より、箱根に上せ、年月を送りける程に、箱王、十三にぞ成りにける。十二月下旬の頃、彼の坊の稚児・同宿、二十余人有りける者共の末まで、親・親しき方より、面々に音信共有りけるに、「下れ」と書きたる文も有り、或いは元三の装束に、師の御坊への贈り物添へたる文も有り、或いは父の文、母の文、伯父・伯母の文などとて、二つ三つよむ稚児も有り、五つ六つよむ稚児も有りける中に、箱王は、只母の文ばかりに、からがら装束添へて送りける。万羨ましくて、文袂に入れ、傍に行き、泣きしをれて、或る稚児にあひて言ひけるは、「人は皆、父母の文、親しき方の御文とて、読み給ふに、我は只、母の御文ばかりにて、父とやらんの御文は知らず。何とかかれたる物ぞや。見せ給へ。十郎殿と二宮殿は、何とやらん、此の程は、かき絶え問ひ給はず。曾我殿は坐しませども、一度のことづてにも預からず、一月に一度也とも、父の御文とて、「学問よくせよ、不用するな」なんどと言はれ奉らば、如何ばかりか、嬉しく恐ろしくも有りなまし。いつよりも恨めしきは、年の暮れ、P163恋しく見たき物は、父の御文なり」とて、さめざめとぞ泣きける、心無き稚児も、理とや思ひけん、共に涙を流しけり。然れば、箱王は、あらたま年の祝言をも忘れ、あたらしき春の朝拝をも、物ならず思ひ焦がれて、昼夜は、権現に参り、「南無帰命頂礼、願はくは、父の敵を打たしめ給へ」と、歩みを運びけるぞ、無慙なる。
@〔鎌倉殿、箱根御参詣の事〕S0403N060
御感応にや、同じき正月十五日に、鎌倉殿、二所御参詣とぞ聞こえける。箱王、是を聞き、年来の祈りの功積もり、神慮の御哀れみにしかじとぞ、喜びける。実にや、「九層の台は、累土より起こり、千里の行は、一歩より始まる」と言ふ老子の教へも、功は積もりて、遂に事をなす物をと、頼もしくぞ思ひける。工藤祐経は、切り者にて有るなれば、定めて御供には参り候はんを、見知らん事よと喜び、其の日を待ちし心の内、只千年を送るばかりなり。伝へ聞く、北洲の命も、千年の限りを保つなり。其れも限りあればにや、つながぬ日数重なりて、其の折節にもなりにけり。御供の人々には、和田、畠山、川越、高坂、江戸、P164豊島玉井、小山、宇都宮、山名、里見の人々を始めとして、以下三百五十余騎、花ををり、紅葉を重ね、装束共、綺羅天をかかやかし、陣頭に雲をおほひ、水干、浄衣、白直垂、布衣、権勢あたりを払ひ、行粧目を驚かす。凡そ、中間・雑色に至るまで、気色に色をつくす。後陣の警固の武士、甲冑をよろひ、弓箭を帯する隨兵、上下につがひ、左右の帯刀、二行に並び、御調度懸の人、左手、右手に相並ぶ。御向かへの伶人は、伎楽を調へ、羅綾の袂を翻す。御前の舞人は、■婁を打つて、舞行の踵をそばだつ。君の召さるる御船は、大船数多組み合はせ、幔幕を引き、沈のにほひ、四方にみつ。是や、諸仏の弘誓の船も、かくやと思ひ知られたり。侍共の乗りける船数、百艘に及べり。いづれも、屋形を打ちたりける。無双の武具を立て並べ、鎮まり返り、漕ぎつれたり。上代は知らず、末代斯かる見物あらじと、貴賎群集をぞなしける。大衆、稚児達を引きつれ、船付きまで、御向かひに参る。船より社頭までは、四方輿にぞ召されける。神前には、禰宜・神主、幣帛を大床に捧げ、別当・社僧は、経の紐を玉の甍にとき、神楽男は、銅拍子を合はせて、拝殿に祗候す。しかのみならず、臨時の陪従、当座の神楽、朝倉がへしのうたひものは、拍子の甲乙をしらべて、れいはんしよさいの儀を返りまうす。神感の起こるを厳重にして、掲焉も莫大なり。耳目の及ぶ所、こくちんP165にいとまあらず。高察仰ぐのみにぞ覚えける。
@〔箱王、祐経にあひし事〕S0404N061
箱王は、御奉幣の時までも、人一人もつれず、介錯の僧一人相具し、御座所の後ろに隠れ居て、御供の人々を、「彼は誰そ、是は如何に」と、詳しく問ひければ、此の僧、鎌倉の案内者にて、大名・小名のこさい知りたれば、教へけり。され共、未だ祐経をばあかさず。哀れ、問はばやと思へども、あやしく思はれじとて、残りの人を問ひまはす。「君の左の一座は誰そ」「彼こそ、秩父の重忠よ」「右の一座は如何に」「是ぞ、三浦の義盛よ」「さて、其の次は誰人ぞ」「里見の源太と言ふ人よ」「さて、其の次は」「豊島の冠者と言ふ人なれ」「只今、もの仰せらるるは、誰やらん」「是こそ、当時聞こゆる梶原平三景時とて、侍共の、鬼うらめに思ふ者よ」「又、右手の方に、少し引きのきて、半装束の数珠持ちて、香の直垂きたるは、如何なる人にて有るやらん」「彼こそ、御分達の一門、今伊東の主、工藤左衛門祐経よ。御分の父河津殿とは、従兄弟也。御前然らぬ切り者」とぞ教へける。さては、其れにて有りけるよ。此の事思ひ寄りて、言ふやらん、知りぬれP166ども、何事かあらんと、思ひこなして、言ふやらんと、いつしか胸打ち騒ぎ、思ひ寄らざる様にて、「此の者は、よき男にて有りけるや。三十二三にぞ成るらん。自らが父にや似たる」と問ふ。「少しもに給はず。まさしき兄弟さへ、似たるは少なし。まして、従兄弟に似たる者は無し。年こそ、河津殿の打たれ給ひし程なれ、其の坐しまさば、四十余りの人なるべし。是より遙かに丈高く、骨太くして、前より見れば、胸そり、後ろより見れば、うつぶき、側より見れば、四角なる大男にて坐しませしが、馬の上、かちだち、並ぶ人無し。殊に鹿の上手にて、力の強き事、四五か国には、並ぶ人無き大力なり。然れば、相模の国の住人大庭の三郎が弟、又野の五郎景久とて、相撲に負けざる大力を、伊豆の奥野の狩場にて、片手をはなちて、相撲に三番勝ちてこそ、いとど名を上げ給ひしか。其れを最後にて、帰り様に、敢へ無く打たれ給ひき。大力と申せ共、死の道には、力及ばず」とぞ語りける。箱王は、父が昔をつくづくと聞きて、今更なる心地して、忍びの涙にむせびけり。やや有りて、我、此の間祈りし願ひの、適ふにこそ有るべし。窺ひ寄りて、便宜よくは、一刀差し、如何にもならんと思ひ定めて、「御坊は、是に坐しませ。法師こそよらね、童は近くよりても、苦しからず。山寺にすめばとて、人を見知らぬはむげ也。近くよりて、見知らん」とて、赤地のP167錦にて、柄鞘まきたる守り刀を、脇に差し隠し、大衆の中をぬけ出でて、祐経が後ろ近くぞ、狙ひ寄りける。祐経も、しばしの冥加や有りけん、梶原三郎兵衛を隔てて、箱王を見付けて、是なる童の眼ざし、河津の三郎に似たる者かな、誠や、此の御山に、伊東が孫の有りと聞けば、もし是にてもや有るらんと、目をはなさず、守りければ、左右無くよらざりけり。祐経、猶よくよく見れば、眼の見返し、顔魂、少しも違ふ所無し。祐経は、念誦はてて後、大衆の中へ立ち入りて、「伊東の入道が孫、此の御山に候ふと聞く。何処の坊に候ふぞや。名をば何と申すぞ」と問ひければ、或る僧申す様、「御名をば、箱王殿と申して、別当の坊に坐しまし候ふ」「此の頃は、里に候ふか、是に候ふか」と問ひければ、「是にこそ」とて、東西を見めぐらし、「長絹の直垂に、松に藤をぬひて、萌黄の糸にて、菊綴して、此方向きにたち給ふこそ」と教へければ、然ればこそと思ひ、本座に帰り、箱王を招きければ、願ふ所と喜びて、祐経が膝近く添ひ寄りける。左の手にて、箱王が肩を抑へ、右の手にては、髪をかきなでて、「あつぱれ、父にに給ふ物かな。今まで見奉らざる事の本意無さよ。わ殿は河津殿の子息と聞くは、誠か。兄は男になり給ふか。曾我の太郎は、いとほしくあたり奉るか。知らざる者の、なれなれしく、斯様に申すとばし思ひ給ふな。御分の父河津殿とは、従兄弟子なり。P168殿原にも、親しき者とては、祐経ばかり也。見奉れば、昔の思ひ出でられて、今更哀れに存ずるぞ。急ぎ法師に成り、別当に継ぎ給へ。弟子多しと言ふとも、祐経程の方人持ちたる人あらじ。便宜を以て、上様へも、よき様に申し、寺門の訴訟あらば、申し達すべし。今より後は、如何なる大事なり共、心を置かず、仰せられよ。適へ奉るべし。わ殿の兄にも、斯様に申すと伝へ給へ。父にも添はで、如何に頼り無く坐しますらん。行縢、乗馬などの用の時は、承るべし。身貧にして、他人に交はらんより、親しければ、つねに問ひ給へ。誠や、古き言葉に、「尊きは賎しきがそねみ、智者をば愚人がにくむ。さいちよは千歳に絶えず、むくわひは千劫絶えず」と申し伝へたり。さても、見参の始めに、折節、引出物こそ無けれ、又空しからんも、無念なり。是を」とて、懐より赤木の柄に胴金入れたる刀一腰取り出だし、箱王にこそとらせけれ。何と無く受け取れ共、箱王は、涙にむせびけり。便宜よくは、一刀差さんと思へども、目をはなさず、其の上、大の男、つねに刀に手を置きければ、なましひなる事をし出だし、小腕取られて、人に笑はれじと、思ひ止まりぬ。只言ふ事とては、「さん候」とばかり也。「卒爾の見参こそ、所存の外なれ。さりながら、喜び入りて存じ候ふ。里下りのついでには、わ殿の兄十郎殿と打ちつれて、来たり候へ、P169返す返す」と言ひて、立ちにけり。箱王、力に及ばず、止まりぬ。日暮れければ、もしやと便宜を窺ひけれども、宵の程は、御前に祗候しをれば、夜ふけて、罷り出づる所を伺ひけれども、庭上に、兵いらかをなす。火は天の眼の様なれば、返りて、我が身を隠さんと立ち忍ぶ声、人までの事は、思ひもよらず。左衛門の尉が宿坊と御前との間なる石橋の辺に、徘徊し待ちけれども、鰭板の陰に、郎等共立ちかこみ、前後左右に有りければ、其れも適はで、暁に及ぶまで、心をつくし狙へども、少しの隙無ければ、徒らに夜をあかす、心の内ぞ、無慙なる。次の日は、君の御下向の船に召され、滄海を渡り給ふ。箱王は、船出まで、人目がくれに交はりて、敵の後ろを見送れば、侍共、思ひ思ひの屋形船にて、御共申す。箱王は、左衛門が船の内のみ見送りて、泣くより外の事ぞ無き。彼の松浦佐用姫が、雲井の船を見送りて、石となりけん昔、思ひ遣られて、空しく坊に帰りけり。其の後、いよいよ此の事のみ心にかかりて、一字も忘れじと思ふ経文をも打ち捨てて、昼夜権現に参り、「今度こそ、空しく候ふとも、遂には、我が手に掛け給へ」と、祈り申すぞ、哀れなる。P170
@〔眉間尺が事〕S0405N062
此の心にて、古きを思へば、昔、大国に、楚しやう大王有り。后数多持ち給ふ中に、とうやう夫人と申す后、御身つねづね劣りければ、鉄の柱にむつれつつ、御身をひやしけるが、程無く、懐妊し給ひける。大王聞き給へて、位をゆずるべき王子も無かりつるに、誕生成り給はん事よと、喜び給ひけれども、三年まで、生まれ給はず。大王、不思議に思し召し、博士を召し、御尋ね有りければ、「誠に、君の御宝をうみ給ふべし。さりながら、人にては有るべからず」と申す。「何物なるべき」と、覚束無くて待ち給ふ所に、博士の申す如く、人にてはあらで、鉄のまるかせをうみ給ひけり。大王是を取り、莫邪を召し、剣に作らせ給ひければ、光世に越え、験あらたなる名剣にて有りける。大王賞玩し、昼夜身をはなし給ふ事無し。然るに、此の剣、つねに汗をぞかきける。不思議なりとて、又博士を召し、うらなはせ給ふ。勘文にて、申し上げけるは、「過ぎにし金は、雌剣・雄剣とて、剣二つ作り、是夫婦なり。雄剣ばかり参らせて、雌剣を隠す故に、妻をこひて、汗をかき候ふ。是を召し、添へて置かるべし」と奏聞申しければ、即ち、其の鍛冶を召されける。鍛冶、家を出づるとて、妻女にあひて申しけるP171は、「我隠し置きたる剣、尋ね給ふべきにぞ、召さるらん。取り出だすまじければ、定めて攻め殺されなんず。彼の剣は、南山の其処許にうづみ置きたる。我が三歳の男、成人の後、ほり出だしてとらせよ」と言ひ置きて、王宮へ参りぬ。陳じ申しければ、拷問の後、遂に攻め殺されにけり。さて、鍛冶が子、二十一歳にして、母の教へに従ひ、彼の剣ほり出だして持ちけり。然れども、王威を恐れて、里へは出でず、山に隠れ居たりける。或る時、君王の夢に、眉の間一尺有る者来たり、我を殺すべし、其の名を眉間尺と言ふと見えたり。王、此の夢に恐れて、「斯様の者あらば、搦めても参らせよ」と、国々に宣旨を下さる。「勲功は、こふによるべし」とぞ聞こえし。此処に、伯仲と言ふ者、眉間尺がもとに行き、「汝が首、多くの功に仰せられたり。然るに、汝が為に、君王は、まさしき親の敵ぞかし。さぞ、打ちたくぞ思ふらん。我が為にも、又重き敵なり。己が首を切りて、我にかせ。件の剣、共に持ちて行き、大王に近付き、打たん事安かるべし。然れば、御分が首をかりて、本意をとぐるにおきては、我とても、遅速の命、王の為に失ひなん」と言ひければ、眉間尺聞きて、「父の敵、打たんにおきては、我が命、何か惜しかるべき。構へて」と言ひて、自ら首をかき落として、出だしけり。然れども、件の剣の先をくひ切りて、口にふくみP172て、持ちたりけり。伯仲は、剣に取り添へ、王宮に捧ぐ。大臣に見せられければ、夢に違はず、眉の間一尺有る首。又、剣も、我が持ちたる剣に、露も違はず」とて、君王喜び給ふ事限り無し。然れども、此の首の勢、未だつきず、眼を見開きたり。大王、いよいよ恐れ給ひて、「然らば、釜に湯を沸かしてによ」とて、大きなる釜に此の首を入れて、三七日ぞ、にたりける。然れ共、猶眼をふさがず、あざ笑ひて有りければ、其の時、伯仲申す様、「是は大王の御敵なれば、王を見奉らんとの執情に依り、勢残り覚え候ふ。何かは苦しく候ふべき。一目見えさせ給ひて、彼が念をもはらさせ給へかし」と申したりければ、君王聞こし召し、「然らば」とて、端近く出でさせ給ひて、釜の辺に近付き給ふ。其の時、眉間尺が首を見せ申す時に、彼の首、口にふくみ置きし剣の先を、王にふき掛けければ、即ち、大王に飛び付き、首を打ち落とす。伯仲走り寄り、大王の首を取り、眉間尺がにらるる釜の中へ打ち入れたり。王の首も、勢劣らで、眉間尺が首とくひ合ひけり。其の時、伯仲、山にて約束せし事なれば、「我も、大王に野心深し。此の為ぞかし」と言ひもはてず、我が首をかき切り、釜の中へ投げ入れたり。此の三つの首、釜の中にて、一日一夜ぞ、くひ合ひける。遂には、王の首、負けにけり。其の後、二つの首も、威勢衰へにけり。執心の程ぞ、恐ろしき。さて、P173此の三つの首を、三つの塚につき込めて、三王塚とて、今に有りとぞ伝へける。今の箱王も、未だ幼き者なれども、親の敵に心を染め、昼夜忘れぬ志、是にも劣らじとぞ見えける。是や、文選の言葉に、「流れ長じては、即ちつき難く、願ひ深くしては、即ちくち難し」と見えたり。然れば、此の人々の成長の末、おにとほめざるは無かりけり。
@〔箱王、曾我へ下りし事〕S0406N063
然る程に、年月過ぎ行きければ、十七にぞなりける。或る時、別当、箱王を近付けて、「御分は、はや十七になり給へば、上洛し、受戒をし給ふべしなれば、垂髪にて上り給はば、ものくきよらで適ふまじ。其れ又、大事なり。是にて、髪を下ろして、上るべし」と宣ひければ、身に思ひの有る物をと思ひながら、「御はからひ」とぞ申されける。「然らば」とて、大衆にふれ、出家の用意有り。母の方へも、言ひ下しけり。既に明旦とぞ定まりける。箱王、つくづくと思ひけるは、我法師になりたりとも、折節に付けて、此の事思ひ思はば、罪深かるべし、一向に思ひ切り、男に成りて、本意をとぐべし、其のみぎりに成りては、後悔すとも、P174適ふまじ、此の事を、十郎殿と言ひ合はせて、とにもかくにも定めんと案じ、人にも知らせずして、只一人夜にまぎれて、曾我の里へぞ下りける。「山月東に、前途を差して、しかも思ひを労ず、辺雲秋すずしくして、こうくわを同じくして、しかも魂をけす」と言ふ、藤原の篤茂が餞別の詩、今更思ひ出でられて、曾我の里にぞつきにける。十郎が乳母の家に立ち入りて、十郎を呼び出だし、対面しければ、「如何にして坐しますぞや。明日は、一定出家の由、聞きつる間、上りて見奉らんと存ずる所に、下り給ふ嬉しさよ」と言ひければ、箱王聞きて、「のびのびの御心なるべしと思ひつるに、少しも違はず。斯様の事、きはきはと、予てより御定め候へかし。既に明けなば、事定まるべし。打ちのびて、道行くべきにあらず。よくぞ参り候ひける。御左右を待ち参らせなば、空しく髪をそられなん。其れにつきては、一年、鎌倉殿箱根参詣の時、祐経御供せしを見そめしより、少しも忘るる隙無し。仮令法師に成りて候ふとも、此の悪念は、はれ候ふまじ。一念無量劫と成る事、今に始めざる事にて候へば、思ひわづらひて、罷り下りて候ふ。定めて、御上り候はんと存じ候ひしかども、其の儀も候はず。申し合はせてこそ、とにもかくにもなり候はめ。もし又思し召し捨てさせ給はば、りのついでに上洛して、我が山にて髪そり落とし、膚を墨に染め隠し、足に任せP175て、頭陀乞食して、一期の程、親の後世、懇ろに弔ひ奉るべし。又、男に成り、御あらましの御事、適はぬまでも、仕るべきか。はやはや是非の御返事を承り切るべし。身の浮沈、今に候ふなり。なまじひに罷り下りて、帰山も見苦し。あとに如何ばかり、騒ぎ候はん。夜もふけ行き候ふ」と攻めければ、やや有りて、「祐成が心を見んとて、斯様に宣ふか。烏帽子をきせん事こそ、本意なれ。思案に及ばず」と言ふ。箱王聞きて、「さ程思し召し定むる事、などや、予てより承り候はぬや。某、罷り下り候はずは、御左右有るまじきにや」と言ひければ、十郎聞きて、「此の事は、内々別当も知り給はぬ事あらじ。夜明けて上らむと存じ候ひしに、嬉しくも下り給ひける」と言ひければ、箱王申しけるは、「母や師匠の御心に違はん事、如何すべきなれ共、いづかたの御事も、一旦の事と覚えたり」と言ひければ、十郎聞きて、「其の科をば、祐成に任せよ。如何にも申し許すべし」。夜も明けければ、「いざや」とて、馬に打ち乗り、只二騎、曾我を出でて、北条へこそ行きにけれ。
@〔箱王が元服の事〕S0407N064P176
さきざきもつねに越えて、遊ぶ所なりければ、時政見参して、「如何に、珍しや」と、色代しければ、十郎、笏取り直し、申しけるは、「弟にて候ふ童を、母が箱根へ上せて、法師になさんと仕り候へば、世に不用にて、学問の名字をも聞かず、剰へ、鹿・鳥くはで適はじと申し候ふ間、堅固の徒ら者、教へに従はざらん弟子をば、早く父母に返すべきと言ふ言葉に付き、里へ追ひ下さるる折をえて、男にならんと仕り候ふを、母にて候ふ者、曾我の太郎など、しきりに制し候ふ間、親しき三浦の人々、伊東の方様にてと存じ、相具して参りて候ふ。仮令道の辺にて、頭を切りて候ふとも、御前にてと申し候はば、其の身の勘当は候ふまじ」と申しければ、「誠に、面々の御事、見はなし申すべきにあらず。然れば、余所にても、さあらば、無念なるべし。もつ共本望也。時政が子と申さん」とて、髪を切り、烏帽子をきせて、曾我の五郎時致と名乗らせける。鹿毛なる馬の、五臓太くたくましきに、白覆輪の鞍置かせ、黒糸の腹巻一領添へて、引かれけり。「つねに越えて、遊び給へ。定めて、母の心には違ひ給ふべし」と、色代して、帰りけり。P177
@〔母の勘当蒙る事〕S0408N065
箱根の別当、是をば知らで、箱王を尋ねけるに、閨の枕も衾も変はらで、主は見えざりければ、急ぎ曾我へ人を下し尋ねけれども、「是にも無し」と答へければ、別当、大きに騒ぎ、方々を尋ね給ふぞ、愚か也。其の後、十郎は五郎と打ちつれて、曾我へ帰りぬ。内の者共見て、「箱王殿を男になし、十郎殿のつれ参らせて坐しましたり」と言ひければ、母聞きて、「別当の物騒がしく尋ね給ひけるぞや。十郎、昨日より見えざると言ひつるが弟が、法師に成るを見んとて、箱根へ上りけるかや。稚児にてよりもわろきやらん」。「男になりたる」と言ふを、「法師になりたる」と聞きまがひ、いつもの所に出で、「是へ」と宣へ共、身の科に依り、五郎、左右無く内へも入らざりけり。母待ち兼ねて、急ぎ見んとて、障子をあけければ、男に成りてぞ居たりける。母思ひの外にて、二目共見ず、障子を引きたて、「是は夢かや、現かや、心憂や、今より後、子とも母共思ふべからず。仮初にも見えず、音にも聞かざらん方へ惑ひ行け。何のいさましさに、男にはなりたるぞや。十郎が有様を、羨ましく思ふか。一匹持ちたる馬をだにも、けならかにかはず、一人具したる下人にだにも、四季折節に扶持をもせP178ず、明け暮れ見苦しげにて、目もあてられず。世に有る人々の子供を見る時は、誰かは劣るべきと思ふにも、涙の隙は無きぞとよ。思ひ知らずして、物に狂ふか、恨めしや。法師になりぬれば、上臈も下臈も、乞食頭陀をしても苦しからず。又、下臈なれども、智恵才覚あれば、法師にそしり無し。十郎だにも、男になせし事の悔しくて、入道せよかしと思うたる所に、口惜しの有様や。「善を見ては喜び、悪を見ては驚け」とこそいへ。哀れ、河津殿程、罪深き人は無し。後世弔ふべき人々は、御敵とて滅びはてぬ。たまたま持ちたる子供さへ、孝養すべき物一人も無し。誠に末の絶えなば、まのあたりの本領を余所に見んも悲しくて、もしやと思ふ頼みに、兄は男になしたれども、親の跡をこそつがざらめ、名をさへかへて、曾我の十郎なんどといはるるも、口惜しし。一人の子は、父死して後、生まれしかば、捨てんとせしを、叔父伊東の九郎が養育せしが、其れも平家へ参り給ひて後は思ひ掛けざる武蔵守義信、取りて養育して、今は、越後の国の国上と言ふ山寺に有りと聞けども、父をも見ず、母にも親しまねば、思ひ出だして、一返の念仏を申す事もあらじ。其れは只他人の如し。彼の子をこそ法師になして、父の孝養をもさせんと思ひしに、斯様に成り行く事の悲しさよ。しかも、忘るる事は無けれども、心ならずに、忍びてこそ過ごせ、今は、誰にか、P179後の世をも問はるべき。哀れ、斯かる憂き身の生をかゆるならば、昔よりなどや無かるらん。夫れ、「良薬は口ににがくして、しかも病に利有り。忠言は耳にさかひて、しかも行を利せり」と申す言葉の有るなるぞ。よくよく案じても見給へ」と、泣く泣くくどきければ、五郎物ごしに聞きて、泣き居たりけるが、兄の方に帰りて、申しけるは、「只今の母の仰せられし事共、一々其のいはれ有りて覚え候ふ。死し給へる父を悲しみて、孝養を致さんとすれば、いきて坐します母の不孝を蒙る事、これ誠にひたうの故なり。身の罪の程こそ、知られて候へ。あまねく人の知らざる先に、髪切り候はん」と申しければ、十郎言ひけるは、「母の御勘当は、予てより思ひ設けし事なり。然ればとて、昨日男に成りて、今日又入道するに及ばず。人こそ数多知らず共、先づ北条殿の思はれん事も、かろがろしし。かつうは、物苦はしきにも似たり。ししやうの事にてはあらじ。いざや、いづかたへも行きて、慰み候はん」とて、打ちつれてぞ、出でにける。遊ぶ所は、三浦介義澄は、伯母聟なり、土肥の二郎が嫡子弥太郎も、伯母聟也、平六兵衛は、従姉妹聟、北条殿は、烏帽子親、二宮の太郎は、姉聟なれば、彼等がもとに通ひつつ、二三日、四五日づつぞ遊びける。たまたま曾我に帰りて、五郎は不孝の身なれば、十郎がもとに隠れ居て、母の恋しき折々は、物の隙より見奉れども、我が身はP180見えじと隠れける。「然れば、人界に生まるるとは雖も、白駒の隙を過ぐるに似たり。老少不定の習ひなれば、彼も我等も、おくれ先立つ習ひ、空しかるべきこそ、無念なれ。時致も、法師に成るべき身の、男に成りて、母の勘当を蒙るも、只此の故なり。如何にも、とく急ぎ給へ」と申しければ、祐成も、「さぞ思ひ候へ。さりながら、いま一人も人をからふべし」。
@〔小二郎語らひ得ざる事〕S0409N066
「誰にや」と問ふ。「京の小二郎とて、河津殿在京の時、人に相なれて、設け給ふ子なり。彼を呼び寄せて、語らはん」と言ひければ、五郎聞きて、「よくよく御ためらひ候へ。一腹一生の兄ならば、如何に臆病に候ふ共、罪科逃れ難くて、同意すべし。彼は、別の事。如何で左右無く、大事を仰せ出だされん。をさまり難く覚え候ふ。御契約には過ぐべからず候へ共、もし聞き入れずは、わろき事や出で来なん。橘は、淮北に生じて、枳殻と成り、水土の事なればなり。隔てのあれば、兄弟なりとも、心をおくべき物をや」と言ひければ、十郎聞きて、「さりとも、其の儀はあらじ。男と言はるる程の者が、異姓他人なり共、打ち頼まんに、聞かざるP181事やあらん。まして、一腹の兄弟にて、如何でか同心せざるべき」とて、小二郎を呼びて言ふ様、「かねても、大方知り給ひぬらん。此の事を思ひ立ちて候ふ。然れば、一期の大事なれば、只二人して遂げ難し。三人寄り合ふ物ならば、安かるべし」と言ひければ、小二郎聞きて、大きに騒ぎ、「此の事、如何思ひ給ふ。当代然様に成りては、親の敵、其の数有りと雖も、勝負を決する事無し。只、上意を重くして、肩を並べ、膝をくむ次弟なれば、是を恥とも言はずして、所領をもつ折節なり。当時、然様の事する者は、剛の者とは言はで、しれ者とこそ申せ。誠に、敵をまのあたりにおきて、見給ふ事のめざましくは、京都に上り、如何にもして、本所の末座に連なりて、院内の御見参にも入り、冥加あらば、御気色を窺ひ、院宣・令旨を申し下し、鎌倉殿に付け奉り、敵を本所に召し上せ、記録所にて問答し、敵人をまかし、所領を心に任すべし。君敵と成りては適ふべからず。古人の言葉にも、「徳を以て人に勝つ者はさかえ、力を以て人に勝つ者は、遂に滅ぶ」と見えたり。其の上、さばかり果報めでたき左衛門の尉を、各々の分限にて、打たん事は適ふまじ。とまり給へ」と言ひ捨てて、立ちにけり。兄弟の人々は、大事をば言ひ聞かせ、言葉にも掛けず、座敷をけたてられぬ。あきれはてて居たりける。やや有りて、五郎申しけるは、「然ればこそ、P182今はよき事あらじ、日本一の不覚悟人にて有りける物。所知荘園の敵ならばこそ、訴訟をも致さめ。不思議の事を言ひつる物かな。金を試みるは火なり。人を試みるは酒なり。彼の者は、酒をだにのみぬれば、何事がな言はんと思ふ者なり。夫れ、大海の辺の猩々は、酒に著して、血を絞られ、滄海の底の犀は、酒を好みて、角を切らるる也。斯様の理を知りながら、言ひつる事こそ悔しけれ。一定、二宮の太郎に言ひつること覚えたり。其れ、曾我殿に語りなん。さあらば、母も知り給ふべし。彼是以て、祐経に知られ、返りて狙はれん事、疑ひ無し。斯かる大事こそ候はね。第一、上へ聞こし召されては、死罪・流罪にも行はれ、身を徒らにせん事の無念さよ。いざや、此の事漏れぬ先に、小二郎が細首打ち落とし、九万九千の軍神の血まつりにせん。我等がしたるとは、誰か知るべき」と怒りければ、十郎聞きて、「然ればとて、か程の大事、如何でかもらすべき。罪の疑ひをばかろくし、功の疑ひをば重くせよ。喜ぶ時は、みだりに無功を賞し、怒る時は、みだりに無罪を殺す。是は、大きなる誤り也。仏も深く戒め給ふ。心得べし」と言ひければ、五郎聞き、「是は無罪を殺すにては候はず。斯かる不覚人、有罪とも、無罪とも、言葉に立たざる奴めをば、急ぎ暇をくれ候ふべきにて候ふ」と申しければ、「如何で、他人に、P183かくとは言ふべき。是も、只、我等を世にあれと思ひてこそ、言ひつらめ。然らば、口を固めよ」とて、追ひ付きて、「只今申しつる事は、たはぶれごとなり。誠し顔に、人に語り給ふな。もし聞こゆる物ならば、偏に御辺の所為と存じ、長く恨み奉るべし。返す返す」と言ひければ、「さ承る」とて、さりぬ。此の約束有りながら、小二郎思ひけるは、余所へもらさばこそ悪しからめ、母に見参して、此の事を詳しく語る。母、聞きも敢へず、十郎を呼びければ、五郎、先に心得て、「此の事と覚えたり。時致も、身を隠し、御供して聞き候はん」とて、十郎とつれて、母の有り所へ来たり、ものごしに聞けば、母、女房達を遠くのけて、泣く泣く宣ひけるは、「誠か、殿原は、さばかり恐ろしき世の中に、謀叛を起こさんと宣ふなるか。童や二宮の姉をば、何となれと思ひて、斯かる悪事をば、思ひ立ち給ふぞ、死したる親のみにて、いきたる我は親ならずや。箱王が男に成るにて、一定悪事せんと聞く。わ殿がすかしてこそ、男にはなしつらめ。わ殿、無用の事くはたてつる物かな。恥は家の病にて、末代失せずと申ども、事にこそよれ。世にあらんと思はば、恥を忍びて、益を蒙れとこそ申せ。実にや、河津殿の打たれし時、童思ひに絶え兼ねて、言ひし事を聞き持ち給ふか。一旦はさこそ思ひしか。狩場へ打ち出で給ふに、四五百騎P184の中に、すぐれて見えしが、帰り様に、引きかへたりし悲しさ、火にも水にも沈まんと思ひしに、五つや三つになりしを、左右の膝にすゑ、「二十にならざる先に、親の敵を打ちて見せよ」と、童言ひし時、箱王は聞きも知らず、わ殿は言ひつる、「おとなしく成りて、父の敵の首を切らん」と言ひしこそ、多くの人をば泣かせしか。其れを忘れずして、母が言ひし事なればとて、斯様に思ひ立ち給ふかや。うたてさよ。返す返すもとまり給へ。此の頃は、昔の世にも似ず、平家の世には、伊豆・駿河にて、敵打ちたる人も、武蔵・相模・安房・上総へも越えぬれば、日数積もり、年隔たりぬれば、さてのみこそあれ。当代には、いささかも悪事をする者は、蝦夷が千島へ至りても、其の科逃れず、又親しき者までも、其の科逃れ難し。女とて、所にも置かれず。幼ければとて、助かる事無し。斯様に、さしも厳しき世の中に、如何で悪事を思ひ立ち給ふぞ。汝等十一・九になりし時、祖父伊東の御敵とて、召し出だし、既に切らるべかりしを、畠山殿、「自然の事あらば、かかり申すべし」とて、預かり申し、命共を助けられしぞかし。数ならぬ童が事は、さて置きぬ。重忠の大事をば、如何し給ふべき。童がいきたらん程は、目をふさぎ、恥をも余所にして坐しませ。心憂き目を見せ給ふな。殿原、今まで有り付けざるこそ、心にかかり候へども、何事も思ふ様にP185あらねばぞとよ。童が身にては、憚りあれども、男は、思はしき物にだにあへば、然様に詮無き心はうするぞや。哀れ、父だに坐しまさば、童に、心はつくさせじ。如何なる人の聟にも成り、思ひ止まりて、念仏をも申し、父にも回向、童をも助けよ。論語に曰く、「極めて衰ふる時は、必ず又さかんなる事有り」と申すに、などや、方々のさのみ申す事の適はざらん、悲しさよ。箱王、如何に男にならんと言ふとも、御分として止めんに、左右無く男に成るべからず。哀れ、実に適はぬ事なれ共、童死して、父だにいきて坐しまさば、如何なる不思議を思ひ立つとも、父の命をば背かじ。二宮の娘、如何なる有様を思ひ立つとも、童が打ちくどき言はんに、などか聞かで候ふべき。男子の為に、母親は何にも立たず」とて、さめざめと泣き給ふぞ、哀れなれ。十郎、流るる涙を直垂の袖にて押し止め、つしんでぞ居たりける。やや有りて、母宣ひけるは、「此の事を小二郎大きに驚き、制させんとて、聞かせたるぞ。然ればとて、小二郎恨み給ふな。人に知らすなとて、自らが口を固めつるぞ。「其れ程の大事を左右無く語り申すは、此の殿原返り聞きては、悪し様に思ひ候はんずれども、人々の祖父こそあらめ、さのみ末々まで絶えせん事、不便なりと思し召され、君より御尋ね有りて、先祖の所領を安堵するか、しからずは、別の御恩を蒙りP186候はば、各々までも、面目にて候ふべし」と申して立ちつる。其れも、殿原を思ひてこそ、言ひつらめ。努々憤り給ふべからず。理をまげて、思ひとまり給へ」と宣ひければ、十郎、「承りぬ。但し、此の事は、何と無きたはぶれに申しつるを、誠し顔に申されつらん不覚さよ。かつうは、御推量も候へ。当時、我等が姿にて、思ひもよらぬ事」とて立ちければ、五郎も足抜きして立ちけるが、十郎に申しけるは、「然ればこそ申しつれ、小二郎を失ふべかりつる物を、助け置きて、斯かる大事をもらされぬる事こそ、安からね。心にかからん事をば、ためらひ候はず、逸早にすへべき物を。哀れみ胸をやくとは、斯かる事をや申すべき。今は適はじ。我等が所為と思さめ」とて、息継ぎ居たる。「さても、此の事思ひ止まるべき様に、妻子持ちて、安堵せよと仰せられつるこそ、耳に止まりて、哀れにこそ候へ。寒(さむ)き者は、尺玉をもむさぶらで、たんかを思ひ、うゑたる者は、千金をも顧みずして、一食を美す。身に思ひのあれば、顧みずして、所領所帯も、のぞみ無し。只思ふ事こそ、忙はしくは存ずれ。男の心止まる物は、妻子に過ぎずと雖も、我等討死の後、残り止まりて、山野に交はらんも不便なり。又、男女の習ひ、若き子一人も出で来たらば、我法師に成るべき身なれ共、此の為に斯様になりぬれば、定めたる妻もつべからP187ず。遊びなんどは、夫の僻事掛かるまではあらじ。然れば、手越・黄瀬川の辺にて、さりぬべき遊君あらば、相なれて通ひ給へ。しかも、道の辺なり。敵を窺ふべき便りも、然るべし」と申しければ、「執心、後生の為、然るべからず。一日も命あらん限りは、心静かに念仏申して、後生を願ふべし。我等が命、今あれば有るが、只今も便宜よくは、打ち出でなん。阿弥陀仏」と申して、過ぎ行ける心の内こそ、無慙なれ。
@〔大磯の虎思ひ染むる事〕S0410N068
然れば、しうれんのせいつきずして、大磯の長者の娘虎と言ひて、十七歳になりける傾城を、祐成の、年頃思ひ染めて、秘かに三年ぞ通ひける。是や、古き言葉に、「移し得たりや楊妃らうの靨を、成し現せりにんみんあをきたる唇を」なんど思ひ出だして、折々情を残しける。五郎も、影の如く、寸も離れずして、諸共に通りけり。是も只、敵の便宜を狙はん為とぞ見えし。哀れなる有様、志の程、無慙と言ふも余り有り。或る時、敵左衛門の尉、伊豆より鎌倉へ参りける折節、曾我兄弟、大磯に有りけるが、五郎見付けて、十郎に告げたりP188ければ、「斯様の便宜を狙はん為にこそ、年来是へも通ひつれ。砥上原こそ、よき原なれ。いざや、追ひ付き、矢一つ射ん」とて、弓押しはり、矢かきおひ、馬に打ち乗り、追ひ付き見れば、江間の小四郎打ちつれて、五十騎ばかりにて、打ちかこみ歩ませければ、「左右無く二騎掛け入りて、打たん事も適ふまじ。一期の大事にて有りければ、し損じ、はられんより、只何と無く通らんと思ふは、如何に」と言ふ。時致も、「かうこそ」とて、打ちつれて、通りけり。「是より帰らば、人もあやしと思ふべし。ついでに三浦へ通り候ヘ」とて、遙かに引き下がりて、歩ませ行く程に、彼は鎌倉へ行きぬ。兄弟は、三浦へこそ行きにけれ。
@〔平六兵衛が喧嘩の事〕S0411N069
此処に、十郎が身にあてて、思はざる不思議こそ出で来けれ。故を如何にと尋ぬるに、三浦平六兵衛が妻女は、合沢の土肥の弥太郎が娘なり。此の人々とは従姉妹なり。幼少より、叔母に養ぜられて、伊藤に有りける程に、十郎と一所に育ちけり。やうやう成人する程に、十郎、彼に忍びて、情を懸けたりける。互ひの志深ければ、家にも取りすゑ、誠の妻にも定むべかりしを、敵を打たんと思ひけるP189間、家を忘れて、只女のもとへぞ通ひける。かくて、日数をふる程に、父、是をば知らずして、平六兵衛にあはすべしとてこひけり。忍ぶ事なりければ、知らで、成人の娘、一人おくべきにあらずとて、三浦へ遣りにけり。女又、「斯かる事有り」と言ふべきにあらねば、十郎が方へ、忍びて文を遣り、詳しく問ふ。然れども、けはけはしく、誠の妻とも頼まざりければ、恨みの袖しをるるのみにて、親にはからはれて、力及ばずして、義村が方へ行きにけり。然れども、志の深ければ、或る時、義村が在京の隙に、忍びて十郎がもとへ文を遣はしけり。従姉妹の文也ければ、祐成見て、苦しからずと思ひけれども、留守の間は、然るべからずとて、返事もせざりけり。人の口のはかなさは、義村に知らせたりけり。不思議に思ひ、内々尋ね聞かばやと思ふ程に、京都の御用過ぎて、鎌倉へ参りけるに、曾我の人々は、三浦より帰り様に、腰越にて行き合ひけり。兄弟の人々は、三浦の殿原とは知らで、馬鞍見苦しと思ひければ、傍へ駒打ち寄せ、人々を通さんとす。平六兵衛は、曾我の十郎と見て、日頃の便宜を喜び、郎等二三騎有りけるを、遙かの後に残しおき、むねとの者六七騎相具して、此の人々の隠れ居たる船の陰に押し寄せ、「誠や、御分は、義村が在京の間に聞く事有り」と、にがにがしく言ひ掛けたり。然れども、十郎事ともせず、あざ笑ひ、P190「いかさま、人の讒言と覚え候ふ。よくよく尋ね聞こし召し候へ。斯様の次第、見参に入り、ぢきに承り候ふ所、所縁の証と存ずる也。仮令身に誤り有り共、一度は御免にや蒙るべき」とぞ言ひける。五郎は、義村が大きに怒りたる気色を見て、靫より大の雁股抜き出だし、矢先を義村にあて、只一矢と思ふ顔魂、差し現れたり。義村、五郎が勢を見て、誠に大剛のをこの者也、命勝負しては、損なり、後日をこそと思ひ鎮めて、何と無き辞儀に言ひ成して、鎮まりぬ。此の人々、事弱くも見えなば、即ち内も違へべき体なりしかども、五郎も、思ひ切りたる色見えければ、其の儘通りにけり。身をかろくして、名を重くすれば、十分に死ぬべき害を逃るるとは、斯様の事を言ふべきにや、不思議なりし事共なり。
@〔三浦の片貝が事〕S0412N070
又、此の人々の伯母聟に、三浦の別当と言ふ者有り。片貝と言ひて、優なる美女を召し使ひけり。別当、折々情を懸けたりしを、女房聞き、安からずに思ひ、淵川にも身を沈めんと言ひければ、「如何でか、彼等体の者に思ひかへ奉るべき。P191月まつ程の夕まぐれ、風の便りの徒然を慰むにこそ。今より後は、思ひ捨てぬべし。心安く」と言ひけれ共、猶も思ひ止まらで、うづみ火の下に焦がるるたきもののにほひは、余所に現れて、心を此の儘にて、事を限らんと思ひつつ、十郎に言ひ合はせんとて、急ぎ人を遣はし、十郎を呼び寄せけり。いつと無く、行きむつぶる事なれば、伯母は十郎を傍に招き寄せ、「是に、片貝とて、召し使ふ女有り。かたち・心様・品、世に越えたり。一人あれば、如何なる事もこそと覚束無く覚ゆれば、風の便りのおとづれに、まつには音する習ひなり。何かは苦しかるべき。曾我へ具足し給へかし」と語りければ、親方の言ふ事なり、かねても斯様の事とは夢にも知らで、「さ承りぬ」と言ふ。女房、やがて片貝を呼び出だして、しかしかと語る。十郎は、曾我にさして用の事有りければ、其の夜をまつまでも無く、暮れ程に帰りけり。此の事、別当が郎等共、ほの聞きて、片貝を曾我へ取りて行くぞと心得て、伊沢の平蔵、深瀬の源八、難波の太郎を先として、むねとの者七八人寄り合ひて、「不思議を振舞ひ給ふ祐成かな。是程の事、別当に申すまでも有るべからず。いざや行きて、彼の女奪ひ返さん」「然るべし」とて、馬引き寄せ引き寄せ打ち乗りて、三浦を打ち出でつ、ふ川のはたにて、追ひ付きたり。彼等、片手矢をはめて、矢筈を取り、余すまじとて、思ひ掛けP192たり。十郎、何事とは知らねども、子細有りと心得て、馬より下り立ち、弓取り直し、「何事にや」と問ふ。此の者共、掛け見れば、片貝は無し。然れども、言ひかかりたる事なれば、振舞ひ然るべからず、尋ねて参らん為なりとて、既に事実に見えけり。始めをはりをも知らず、敵は又、伯母の若党なり。打ち違へても、詮無し。如何にもして、逃ればやと思ひければ、自ら弓を投げ出だし、「陳ずるには似たれども、身におきて、事を覚えず。さもあれ、僻事有りとも、斯様には有るまじ。鎮まり給へ。別に思ふ子細有りて、降をこひ申すなり。自然の時、思ひ知るべし」と言ひければ、伊沢の平三、「仰せの如く、人の讒言にてもや有るらん。まさしく片貝を具足して、御こしとこそ聞きつる。さもあらねば、あらたむるに及ばず。其の上、御陳法の上は、重ねて申すべからず」とて、皆三浦に帰りけり。十郎は、ちぢに腹を切り、打ち違へても、あかず思ひけれども、父の為にそなへて置きたる命、思はざる事に、はつべきかと思ひ、自害を逃れけるこそ、無慙なれ。漢朝の呉王夫差は、越王勾踐の為に、みふんみつのみて、命を継ぎ、会稽山に、二度恥を清めるも、今の十郎が心に同じ。無慙と言ふも、言葉に余り、哀れと言ふも、涙に立たざりけり。別当、是を尋ね聞き、涙を流し、宣ひけるは、「思ひ忘るるかと案じつるに、未だ心に懸けらるるP193や。十郎呼べ」とて、呼ばせけり。過たず帰り来たりぬ。三浦の別当、対面して、「さても、是なる者共の、聞き分けたる事も無くて、不思議の振舞ひしつるらん。まつたく、某は知らず候ふ。もし偽り申さば、二所大権現も、御覧候へ、弓矢の冥加、立所に絶えなんずるに、思ひだによらざる事なり。仮令面々の誤り、十分に有りと言ふとも、如何でか、斯様の沙汰をば致すべき。其れ程の事に、迷ふべき身ならず。予ても知り給ひぬらん。腹い給へ」とて、片貝を呼び出だし、十郎にとらせけり。つつしんで申しけるは、「仰せまでも候はず。御意とは存ぜず。其の上、身に誤り候はねば、無念と申すべきにもあらず。然るに取りては、苦しく候はぬ」とて、片貝をば、別当のもとに捨ておき、曾我の里へぞ帰りにける。彼の郎等共、深く勘当しけるとかや。此の事を詳しく問ひければ、女のわざにてぞ有りける。然れば、嫉妬の女は、前後をわきまへずして、家を失ふ仮令、今に始めずと雖も、か程の大事出で来なんとは知らで、言ひ合はせけるぞ、誠の嫉妬にて有りける。別当は、しかしながら、向顔せざるまでとて、女と離別しける、理とぞ聞こえし。さても、十郎が此処へ逃れけるにて、左伝の言葉を思ふに、「身に思ひのあらん時は、万恥を捨てて、害を逃れよ」となり。相あふ心なるとかや。P194
@〔虎を具して、曾我へ行きし事〕S0413N071
かくて、月日を送りけるが、定むる妻もつべからずとて、只虎が情ばかりに引かれて、折々通ひなれける。互ひの志の深さは、たたふつくんにも劣らず、千代万世とぞ契りける。抑、此の虎と申すは、母は、大磯の長者、父は、一年東に流されし、伏見の大納言実基卿にてぞ坐しましける。男女の習ひ、旅宿の徒然、一夜の忘れがたみなり。然れば、虎が心様、尋常にして、和歌の道に心を寄せ、人丸・赤人の跡を尋ね、業平・源氏の物語に情を携へ、春は、花の梢にちりまがふ霞がくれの天つ雁、雲居の上に心を残し、秋は、月の前にくもらぬ時雨の夜嵐に、明け行く雲のうき枕、鹿の音近き虫の声、哀れを催す小田守の、庵寂しさまでも、心を遣らぬ方は無し。住みも定めぬ世の中の、移り変はるも恨めしく、こひの暮れとや偽りを、頼み顔なるうら情、向かひて言ふもさすがなり。さてまたいつと夕つ方、五月始めの事なるに、南面の御簾近く立ち出でて、来し方行く末の事共、つくづく思ひつらぬるに、誠に男の心程、頼み少なき物は無し、実に浅からず契りしも、空しかりける妹背の中、頼みP195し末もいつしかに、変はりはてぬる言の葉かな。さて又、いつの同じ世に、あひて恨みを語るべき。実にや、昔を思ふに、「物は遠きを珍しと、しはまれなるを尊しとす」と雖も、何とてさのみうときやらんと、涙にむせぶ夕暮に、五月雨の風よりはるる雲の絶間、其れとしも無き時鳥、只一声に聞き絶えぬ、憂き身の上もかくやらんと、古歌を思ひ出でて、夏山に鳴く時鳥心あらばもの思ふ身に声な聞かせそ W004と打ちながめて、立ちたる所に、十郎、三浦より帰りけるが、たたずみたる縁の際に、駒打ち寄せ、広縁に下り立ち、「如何にや、程遙かに、見参に入らざる、心許無きよ」とて、鞭にて簾打ち上げ、立ち入りければ、虎は返事もせずして、内に入りぬ。祐成、心得ず思ひ、「情は人の為ならず、無骨の所へ参りたり。又こそ参らめ」とて、駒引き寄せ、乗らんとす。虎、急ぎ立ち出でて、「然様には思ひ奉らず。此の程、かき絶え給へる恨めしと言ひ、万世の中のあぢきなくて、涙のこぼるる顔ばせの恥づかしくて」と、打ち笑ひて、袖差しかざし、「申すべき事の候ふ。しばしや」とて、直垂の袖に取り付きたる。心弱くも、祐成は、引かるる袖に立ち返り、「さぞ思すらん。此の程は、立つ名の余所にやもるると、粗略は無きを、何と無く打ち守られける、本意無さよ」と、こまごまと語りP196て、「今宵は、此処に止まりつつ、枕の上の睦言を、夢にもさぞと思へ共、さして所望の子細有り。いざさせ給へ」とていざなひ、乗りたる馬に打ち乗せ、曾我の里へぞ帰りける。日頃、世に無し物の君を思ふとて、内々母の制し給ふ由、ほの聞きければ、幾程有るまじき身の、心苦しく思はれ奉らじとて、母がもとより北に作りたる家有り、此処に隠し置きぬ。祐成、此の程、遙かに母を見奉らず、参りて見参らせんとて、沓・行縢、未だ脱がざるに、母の方へぞ出でける。祐成を見給ひて、「如何にや、遙かにこそ覚ゆれ。中々、御房、斯様にあらば、見んとも思ひ寄らじ。いきて、童が孝養に、つねに見え給へ。わ殿の父、打たれ給ひて後は、偏に形見と思ひ、いとほしくも、頼もしくも思ふぞとよ。箱王と申せし悪者は、不孝にして、行方も知らず。わ殿は何を不審して、此の程遙かに見え給はぬぞ」とくどき給ひけり。後に思ひ合はすれば、添ひはつまじきにて、斯様也と哀れ也。十郎承りて、無慙の子やと御覧ぜんも、今幾程と哀れにて、「何と無く、親しき方に遊び候ふ」とて、扇を取り直し、忍ぶ涙は、隙も無し。母又仰せられけるは、「是程にことことしく、親に思はれて何にかはせん。せめて五日に、一度は見え給へ」と有りければ、十郎涙を抑へ、「承りぬ」とて、罷り立ちにけり。虎をば、其の夜止め置きけり。