P242曾我物語巻第六
@〔大磯の盃論の事〕S0601N087
さても、十郎祐成は、三浦より曾我へ帰りけるが、定め無き浮き世の習ひ、つくづくと案ずるに、明日富士野に打ち出でて、帰らん事は不定なり、此の三四年情を懸けて浅からぬ虎に暇こはんとて、宿河原・松井田と申す所より、大磯にこそ行きにけれ。折節、鎌倉殿召しに従ひて、近国の大名小名、打ちつれて通りけり。十郎、虎が宿所に立ち寄りて有りけるが、心をかへて思ひけるは、国々の待多く通る折節、流れをたつる遊び者、我ならぬ情もやと、心にふしが思はれて、暫く駒をひかへつつ、内の体をぞ聞き居たり。折節、虎が帳台には、友の遊君数多なみ居て、物語しける中に、虎が声して、「只今上る人々は、何処の国の誰ぞ」と言ふ。「聞き給はずや、先陣は、波多野の右馬助。後陣は、横山の藤馬允」とぞ申しけれ。虎聞きて、「誠や、孔子の言葉かや、「耳の楽しみ所に、つつしむP243べからず、心起こる所に、ほしい儘に習はざれ」とは申せども、哀れ、実に、此の殿原の馬・鞍・鎧・腹巻を童にくれよかし」。女房立ち聞きて、「あはぬ御願ひ、何の御用とも知らざるにや」と。「祐成に参らせ、思ふ事を」とばかり言ひて、涙を浮かべけり。友の遊君聞きて、不思議やな、思ふ事は何なるらんとあやしみながら、問ふべきにあらず、敵打ちて後こそ、此の事よとは思ひ合はせられけり。然れば、此の人も、予てより知りけるよとは申し合ひけり。祐成、物ごしに聞きて、如何でか是程情深き者に、たちぎきしたりと思はれては、後の恨み残るべし、其れ程に思ひなば、こぬこそと思ひつつ、知らざる体にもてなし、駒の口をしばしひかへ、何と無く広縁に下り、行縢脱ぎて、鞭にて簾を打ち上げて、内に入りぬ。虎も、やがて出でて、いつより睦ましく語り寄り、あかぬ世の中の夢か現かと思ひ居たりける所に、思ひの外なる事こそ出で来たりける。 由来を尋ぬるに、和田の義盛、一門百八十騎打ちつれ、下野へ通りけるが、子供にあひて言ふ様、「都の事はそ限り有り、田舎辺には、黄瀬川に亀鶴、手越に少将、大磯に虎とて、海道一の遊君ぞかし。一獻すすめて、通らばや」「然るべく候ふ」とて、長の方へ使ひをたてて、かくぞ言はせける。なのめならずに喜びて、遠侍の塵とらせ、「義盛、是へ」と、請じけり。虎に劣らぬ女三十余人出で立たせ、P244座敷へこそは出だしけれ。朝比奈の三郎義秀、古郡左衛門、種氏を先として、八十余人居流れ、既に酒宴ぞ始まりける。され共、虎は、座敷へ出でざりける。義盛、心得ず思ひて、「此の君達も、然る事なれども、虎御前の見参の為なり。などや見え給はぬ。義盛悪しくや参りて候ふ」と言ひければ、母聞きて、「此の程、心わづらはしくて」と言ひながら、座敷を立ち、虎が方へ行きて、「などや遅く出で給ふ。とくとく」と言ひ置きて、母は、座敷に出で、「只今、虎は参り候ふ」と言ひけり。義盛、盃抑へて、今やとまてども、見えざりけり。中々始めより、「心地例ならで」と言ひなば、よかるべき物を、「只今」と言ふに依りて、義盛、気を損じ、「御心に背く事あらば、罷り立ちて、後日に参るべし」と言ふ。母聞き兼ねて、又座敷を立ち、「何とて出で給はぬぞや。時世に従ふ習ひ、思はぬ人になるるも、さのみこそ候へ。恨めしの御振舞ひや」とてたたずむ。虎は又、十郎が心をかねて、衣引きかづき、打ち伏しぬ。母は、此の心を見兼ねて、「如何にやは君、昔のふん女が事をば知り給はずや。然様の事だにも有りしぞかし。猶も出でまじくは、六字の名号も御覧ぜよ、生々世々まで不孝ぞ」と言ひ捨てて、座敷へ出でにけり。P245
@〔弁才天の御事〕S0602N092
抑、ふん女と例へに引きける由来を尋ぬれば、昔、大国流沙の水上に、ふん女といへる女有り。天下に聞こゆる長者也。金銀珠玉のみにあらず、七珍万宝、四方の蔵に余りける。然れども、如何なる前業にや、一人の子無し。悲しみて、祈れども、適はず。或る時、思はざる懐妊す。喜びの内、苦悩言ふ計り無し。され共、出で来たるべき嬉しさに、物の数とも思はざりけり。日数積もる程に、産の紐をとく。見れば、人にはあらで、かひ子を五百うみたり。「是は如何に、一つなりとも、不思議の事ぞかし。五百人まで生まるる事、只事にあらず。縁無き子をしひて祈るに依りて、天のにくみを蒙ると覚えたり。帰りなば、如何なる物にて、親をも損じ、人をも害すべきやらん。其の上、胎卵湿化の内、卵生罪深しととかれたり。おくべからず」とて、箱に入れて、流沙の波に流し捨てけり。不思議なる例也。遙かの川の末に、れうかんと言ふ所に、きよはくと言ふ貧道無縁の老人有り。明け暮れ、此の川の鱗をすなどり、身命を助かる者有り。折節、釣する所へ、此の箱流れ寄りたり。取り上げ、開きて見れば、卵なり。何者の子やらんと思ひ、家に取りて返り、妻にかくと言ふ。女、是を見て、「恐ろしや、如何なるP246者にか帰りなん。主も様有りてこそ捨てつらん。急ぎ元の川に入れよ」と言ふ。「只おき候へ。斯様なる物には、不思議もこそあれ。仮令僻事有りとも、我等は、齢幾程有るべきならねば、様を見よ」とて、物に包み、あたたかにして置きたりければ、程も無く、いつくしき男子に返りぬ。我、古より、一人も子の無き事を歎きに思ふに、然るべき哀れみにやと喜びて、又見れば、帰り帰りて、五百人にぞ帰りそろひける。一つを捨てて、一つを養はん事、恨み有り。黙し難くて、取り集め、養ひけるに、一つもつつがなく、成長しけるぞ、不思議なる。夫婦二人の時だにも、渡世適ひ難し。此の者共を育てける程に、朝夕の世路にわびければ、此処や彼処に徘徊し、命を助からんとする程に、心ならず猛悪に成り、思はずも、欲心に住す。瞋恚を旨として、驕慢に余りければ、外道にも近付きけり。或る時、彼等言ひけるは、「我等一人ならず、餓死に及べり。然ればとて、徒らに身を捨つべきにあらず、此の川上に、ふん女とて、長者有り。財宝を蔵に置き余る。いざや行きて、打ち破らん。宝は取りあきぬべし」と言ひければ、一人が言ふ様、「然る事なれども、其れ程いみじき果報者を、我等賎しき貧力にて、宝を奪はん事、思ひもよらず、かへつて身の仇となりぬべし、案じ給へ」と言ふ。今一人が言ふ様、「然らば、外道共を語らひ、彼等P247が神通の力をかりて、破りて見ん」「然るべし」とて、非天外道と言ふ者のもとへ遣りたりければ、もとより闘諍修羅を好む者なりければ、同類を催し、打ち立ちける。装束には、流転生死の鎧直垂に、悪業煩悩の籠手を差し、とくの脇楯に、因果撥無の脛当し、愚痴暗蔽の綱貫はき、極大邪見の鎧に、誹謗三宝の裾金物をぞ打ちたりける。三界無安の白星の兜に、六趣輪廻の頬当し、貪欲心いの刀を差し、邪見放逸の太刀をはき、殺生偸盗の大弓に、破戒無慙の弦を掛けて、苦患無明の箙には、諸法愛著の矢数を差し、四顛倒の馬の太くたくましきに、四苦八苦の鞍を置きてぞ乗りたりける。其の外、異類異形のちた外道共、思ひ思ひの装束に色々の旗差させ、数を知らずぞ集まりける。城中には、鎮まりかへりて、音もせず。され共、用心厳しくて、たやすく入るべき様は無かりけり。時を移して、ゆらへたる。彼のふん女は、同じく福者と言ひながら、三宝を崇め、仁義を乱らで、言ふ計り無き賢人なり。如何でか験無かるべき。諸天、是を哀れみて、ふん女を渇仰し給ひける。かくては、如何有るべきとて、死生不知の外道共、をめきさけびて、乱れ入る時に、悪魔降伏の四天・十二天、影向成りて、四角四方を守り給ふ。四天は、もとより甲冑をよろひ、弓箭をはなさぬ勇士なれば、面もふらで、ささへ給ふ。火天、猛火をはなし、風天、風を深せ、各々城を守り給ふ。中にも、P248水天は、弓矢を守らんと誓ひ給ふなれば、数の眷属を引きつれ、妙観みつちの旗差させ、殊にすすみて見え給ふ。其の日の御装束には、九ほん正覚の鎧直垂、相好荘厳の籠手を差し、上求菩提の膝鎧、下化衆生の脛当し、二求両願の綱貫はき、大悲だいじゆ等の頬当し、無数方便の赤糸の鎧に、紫磨黄金の裾金物を打ちける、万徳円満の月、まかうに打ちたる、畢竟空しくの四方白の兜を猪首にき、五劫思惟の厳物づくりの太刀はき、首楞厳定の刀差し、くわしや三昧の月弓に、実相般若の弦を掛け、智徳無量の矢数を、随類化現の筥に差して、はたかに追ひ成し給ふ。もとより手なれたる大蛇、後ろよりはひかかり、左右の肩に手をおき、兜の上に頭をもたし、両眼の光明らかにして、時々雷四方にちり、紫の舌の色あざやかにして、折々火焔をふき出だす勢、天に余る。今の代に、兜の竜頭を打つ事、此の時よりも始まりける。床几に腰を掛け、宣ひけるは、「大阿修羅王が戦ひのこはきも、仏力には適はず。ましてや言はん。彼等がいさみ、蟻のたけりと覚えたり。城中鎮まれ」とぞ下知しける。此処に、城の内より武者一人すすみ出でて申しけるは、「只今寄せ来たる兵は、何処の国の何者ぞ。又、如何なる宿意有るぞ。詳しく名乗れ」と言ひける。五百人の兵聞きて、「彼等には、親も無し。氏も無し。生まるる所を知らざれば、なにじやう誰と名乗るべき。朝夕思ふ事とては、宝のほしきばかりなり。P249急ぎ蔵を開き、財宝を与へよ。我等、思ふ程取りて帰らん」と言ひける。「心得ぬ言葉かな。人に依り、分に従ひ、氏も、名字も有る物を、猛悪の身が不思議なり。申せ」と言ひければ、「問ひては何にし給ふべき。さりながら、此の上より流れ来たる五百人の流人なり。言はれん物も無ければ、人知らず。急ぎ宝を施して、返すべし」と申しけり。流れ来たる兵と言ふを、ふん女、つくづく聞きて、あやしく思ひ、櫓の下に歩み出でて、「五百人の殿原、近くより給へ。尋ぬべき事有り」と言ひければ、一人、塀の際によりたり。「抑、「流れ来たる」と仰せられつる言葉について申すぞとよ。姿は何にて流れけるぞ」「宝をば出ださで、むつかし」とは言ひながら、「我等が昔、如何なる者かうみけん。五百の卵にて、水上より流れけるを、人取り上げて、育てける」と言ふ。然ればこそと思ひ、「其の卵は、何に入りけるぞや」「玉の手箱に入り、上には銘を書きし也」「銘をば何と書きたるぞ」「はうしやうろうの箱と書けり」「さては、疑ふ所無し。是は、そなたの支証なり。此方よりの証據には、「もし此の卵つつがなく成長あらば、尋ねこよ。ふん女」と書きて、判をおし、箱の底に入れたりしが、刹那も膚をはなさじと、首に掛けて持ちたり」とて、懐よりも取り出だす。「さては、疑ふ所無し。汝等は、自らが子供なり」と、戸を開きて、出でければ、P250尾花の如くささへたる鉾剣をも捨てにけり。母も子供のなつかしさに、剣の刃を忘れ、彼等が中に立ち入りて、見まはしければ、兵も、兜を脱ぎ、弓矢をよこたへ、各々大地にひざまづく。いつしか母はなつかしく、思ひの涙うかびければ、なみ居たりける兵の中を、彼方此方に行きめぐり、彼もか、是もかと言ふ露の袖のにほひもかうばしく、哀れみ哀れむ装ひは、見る目もすすむ涙なり。実にや、恩愛の中程、悲しき事あらじ。夜叉羅刹をだにも従へて、猛くいさめる武士も、母一人の言葉に、皆々靡くぞ哀れなる。かくて、城中にいざなひ、親子のむつび、懇ろなり。 後には、ふん女、大弁才天と現れ給ふとかや。五百人の人々は、五百童児と成り、其の一つは、印鎰預かり、神と現れ給ふ。はうしやうろうの箱をも、其の中にもたし給ふ。一切衆生の願ひをことごとく見て、安楽世界に向かへむと誓ひ給ふ。「斯様に猛き弓取りも、母には従ふ習ひぞかし。 何とて、虎は、母に従はざるや」とぞ言ひける。虎は、猶も涙にむせび、「流れをたつる身程、悲しき事は無し。夫の心を思ひ知れば、母の命に背く。又、母に従へば、時の綺羅にめづるに似たり。とにもかくにも、我が思ひ、乱れ染めける黒髪の、あかぬ情の悲しさよ。如何なる罪のむくいにて、女の身とP251は生まれけん。然ればにや、五障三従ととき給ひけるぞや」とて、さめざめと泣き居たり。十郎、此の有様を見て、「何かは苦しかるべき。一獻の程の隙、出だし給へかし。母の命背きなば、冥の照覧も恐ろし」と申しければ、虎は、是にも従はで、只泣くより外の事は無し。義盛、是をば知らずして、「何とて、虎は遅きやらん」とて、一さいに興を失ひけり。母も又、待ち兼ねけるにや、「曾我の十郎殿坐しますが、さてや、出で兼ね候ふらん」。和田は、是を聞きて、「心得ぬ振舞ひかな。我こそ出でて、対面せざらめ、流れの遊君をふさぐべきか。誠に僻事なり。四郎左衛門、朝比奈は無きか。御向かひに参れ」と言ふ。四百余人の殿原も、はや事出で来ぬと、色めきける。祐成が有り所近ければ、義盛が言葉、手に取る様にぞ聞こえける。「不思議やな。思はぬ最後の出で来たるぞや。身に思ひのあれば、千金万玉よりも惜しき命也。され共、逃れぬ所は、力無し。徒らなる死にして、五郎に恨みられん事こそ、思ひ遣られて悲しけれ。さりながら、斯様の所は、神も仏も許し給へ」と観じて、烏帽子押し直し、直垂の露結びて、肩に掛け、伊東重代の赤銅づくりの太刀を二三寸抜き掛け、片膝押したて、一方の戸を開き、「ことことし、三浦の者共、何十人もあれ、一番にいらん朝比奈が諸膝なぎふせ、続かん奴原、物の数にや有るべき、伊東の手なみ見せP252ん。遅し」とこそは待ち掛けたり。虎も、此の有様を見て、実にや、冥途より来たるなる獄卒の追つ立つる道だにも、主君・師匠の命には変はるぞかし。ましてや、夫婦恩愛の契り浅からずとは、古今までも伝へ聞くなる物を、後の世までも離れじと思ひ切りて、守り刀、衣の褄に取りくくみ、三浦の人々、如何にいさみ乱れ入るとも、何と無く立ちまはり、よき隙に、義盛を一刀差し、如何にもならんと、只一筋に思ひ定め、祐成近く居寄り、今やとまつぞ、哀れなる。時移りにければ、和田、いよいよ腹をたて、「如何に、朝比奈は無きか。御向かひに参れ。無骨の訴訟も苦しかるまじ」とぞ怒りける。義秀聞き兼ね、座敷を立ち、虎が向かひに行きけるが、つくづく案ずる様、十郎と言ふも、伊東の嫡々たり、心も又、立て切りたり、始めより出ださで、斯様に成りては、よも出ださじ、我又、あらく怒りて出ださんも、恥辱也、所詮、難無き様に打ち向かひて、すかさばやと思ひければ、静かに歩み入りけるが、此の殿原、兄弟は、身こそ貧なりとも、心は貧にあらばこそ、楚忽に入りて、細首打ち落とされ、悪しかりなんと思ひ、扇、笏に取り直し、畏まりて、「是に、曾我の十郎殿の御入りの由、父にて候ふ者承り、御向かひの為に、義秀を参らせられて候ふ。何かは苦しく候ふべき。御出有りて、親にて候ふ者に、御対面や候ふべき。其れに又、某一期に一度の所望の候ふ。P253御前の事、ゆかしき事に、義盛思ひ候ふが、御座を存知して、義秀申し止めて候ふ。然るべくは、諸共に御出で有りて、父が所望をも養ひ、義秀も、面目有る様に御はからひ候へ、一向頼み奉り候ふ。さりながら、御心に違ひ候はば、罷り帰り候ふべし」と、障子ごしに言ひければ、十郎聞きて、「頼む」と言ふに、やはらぎて、「左右にや及ぶ、朝比奈殿、如何でか異議に及ぶべき。たち給へや、御前。祐成も出でん」とて、烏帽子の筒押したて、直垂の衣紋引きつくろひ、虎を先にたてて、各々三人出でたり。さてこそ、なみ居たりける人々も、いきたる心地はしたりけれ。誠に、義秀の振舞ひ、優なる物かな、座敷に事も起こらず、虎も出でて、十郎も心を破らで、事過ぎにける。是や、せようろんに、「国の誠興貴する事は、諌臣に有り、家のまさにさかんにたつとうする事は、諌子によつてなり」と、斯様の事をや申すべき。朝比奈無かりせば、由無き事出で来、十郎も打たれ、和田にも、人多く滅びなん。深淵にのぞんで、薄氷を踏むが如く、危ふかりし事なり。 義盛、ゑみをふくみ、「十郎殿の坐しましけるや。余所の人の様に、隔心候ふ物かな。御入りを知り奉らば、最前より申すべかりつる物を。是へ是へ」と請じける。十郎、笏取り直し、「さん候。もつとも御目にかかり候ふべきを、御存知の如く、P254異体の無骨に、斟酌を致し候ひぬ」。本意にあらざる由、色代して、左手の畳になほりける。虎も、座敷に定まりければ、盃前にぞ置きたりける。義盛、虎をつくづく見て、「ききしは物の数ならず、斯かる者も有りけるよ。十郎が心をかねて出でざるさへ、やさしく覚ゆるにや、其れ其れ」と言ふ。何と無く盃取り上げ、其の盃、和田のみて、祐成にさす。其の盃、義秀のみて、面々に下し、思ひざし、思ひどり、其の後は乱舞に成る。此処に、又始めたる土器、虎が前にぞ置きける。取り上げけるを、今一度としひられて、受けて持ちける。義盛、是を見て、「如何に御前、其の盃、いづかたへも思し召さん方へ、思ひざしし給へ。是ぞ、誠の心ならん」と有りければ、七分に受けたる盃に、心をちぢに使ひけり。和田に差し奉らん事、時の賞玩のいかんなし、然れども、祐成の心恥づかしさよ、流れをたつる身なればとて、人を内に置きながら、座敷に出づるは、本意ならず、ましてや、此の盃、義盛に差しなば、綺羅にめでたりと思ひ給はんも口惜し、祐成にさすならば、座敷に事起こりなん、かく有るべしと知るならば、始めより出でもせで、内にて如何にも成るべきを、二度思ふ悲しさよ、よしよし、是も前世の事、もし思はずの事あらば、和田の前下がりに差し給ふ刀こそ、童が物よ、さゆる体にもてなし、奪ひ取り、一刀差し、とにもかくにもと思ひ定めて、P255義盛一目、祐成一目、心を使ひ、案じけり。和田は、我にならではと思ふ所に、さは無くて、「許させ給へ、さりとては、思ひの方を」と打ち笑ひ、十郎にこそ差されけれ。一座の人々、目を見合はせ、「是は如何に」と見る所に、祐成、盃取り上げて、「身の賜はらん事、狼籍に似たる。是をば御前に」と言ふ。義盛きいて、「志の横どり、無骨なり。如何でか然るべき。はやはや」と色代也。さのみ辞すべきにあらず、十郎、盃取り上げ、三度ほす。義盛、ゐだけだかに成り、「年程、物憂き事は無し。義盛が齢、二十だにも若くは、御前には背かれじ。仮令一旦嫌はるる共、斯様の思ひざし、余所へは渡さじ。南無阿弥陀仏」と、高声也ければ、殊の外にて、にがにがしく見えければ、九十三騎の人々も、義秀の方を見遣りて、事や出で来なんと色めきたる体、差し現れける。十郎、もとより騒がぬ男にて、何程の事か有るべき、事出で来なば、何十人もあれ、義盛と引き組みて、勝負をせんずるまでと思ひ切り、あざ笑ひてぞ居たりける。 此処に、五郎時致、曾我に居たりけるが、父の為に法華経読みて、本尊に向かひ、念誦しけるが、しきりに胸騒ぎしけり。心得ぬ今の胸騒ぎや、いかさま、祐成の大磯へこし給ひぬるが、東国の武士、富士野へ打ち出づる折節なり。流れの遊君故、事し出だし給ふにやと、心許無く思ひければ、帳台に走り入り、緋威のP256腹巻取つて引き掛け、伊藤重代の四尺六寸の赤銅づくりの太刀、十文字に結びさげ、鞍おくべき暇無ければ、膚背馬に打ち乗りて、二十余町の其の程、只一馬場に掛け通し、門外を見渡せば、長者の門の辺、鞍おき、馬一二百匹ひつたてたり。侍所には、物の具の音しきりにして、只今、事出で来ぬとぞ見えける。入るべき所無くして、門の外をめぐり、日頃、祐成に行きつれて通りしかん小路にめぐり、竹垣をくぐり、虎が居所にこそつきにけれ。「十郎殿は、如何に」と問へば、「和田殿と盃を論じて、只今事出で来ぬ」と申す。然ればこそと思ひ、透垣をはね越え、兄の居たりける後ろの障子を隔て立ちけり。時致、是に有りと知られん為に、■にて、障子ごしに、袴の着際を差しければ、十郎「誰そ」と問ふ。五郎、小声に成りて、「時致、是に有り」と言ふ。十郎聞きて、万騎の兵を後ろに持ちたるより頼もしくぞ思ひける。義盛の声して、「上も無く振舞ふ物かな」と聞こえける。祐成の御事ぞと心得て、何事もあらば、障子一重踏み破りて、飛び出でて、一の太刀にて義盛、二の太刀にて朝比奈、其の外の奴原、何十人もあれかし、物の数にてあらばこそと思ひ切り、四尺六寸の太刀、杖につきて立つ。忍び兼ねたる有様は、刀八毘沙門の悪魔を降伏し給ふかとぞ覚えける。夕日脚の事なれば、太刀影の障子にすきて見えければ、朝比奈、是を見て推量し、誠や、彼等兄弟は、兄が座敷P257に有る時は、弟が後ろに立ち添ひ、弟が座敷に有る時は、兄が後ろに有る物を。いかさま、五郎は、後ろに有りと覚えたり。さしたる事も無きに、大事引き出だして、何の詮かあらん。又、いつしやう他人にもあらざるなり。何と無き体にもてなし、座敷を立たばやと思ひければ、紅に月出だしたる扇開き、「何とやらん、御座敷鎮まりたり。うたへや、殿原、はやせや、舞はん」とて、既に座敷を立ちければ、面々にこそはやしけれ。義秀、拍子を打ちたてさせ、「君が代は千代に八千代をさざれ石の」としをり上げて、「巖と成りて苔のむすまで W019」と、踏みしかくまうてまはりしに、 五郎が立ちたる前の障子を引きあけ見れば、案に違はず、時致は、四天王を作り損じたる様にて、踏みしかりてぞ立ちたりけれ。朝比奈、過たず、狂言に取り成して、「是にも、客人坐しますぞや。此方へ入らせ給へ」とて、草摺一二間、むずと取りて引きけれども、少しも働かず。磐石なり共、義秀が手を掛けなば、動かぬ事有るべきかと思ひ、力に任せ、ゑいやゑいやと引きけれ共、五郎物とも思はねば、引くとも無く、引かるる共無く、あざ笑ひてぞ立ちたり。大力に引かれて、横縫草摺こらへず、一度にきれて、朝比奈は、後ろへ、どうど倒れければ、五郎は、少しも働かで、二王だちにぞ立ちたり。さて、五郎時致は、みぎは勝りの大力と、余所の人まで知りける。誠や、此の者父河津の三郎は、東八ケ国に聞こゆる又野の五郎P258に、片手をはなちて、相撲に三番勝ちてこそ、大力の覚えは取りたりしが、其の子なるをや、力くらべは適ふまじ、すかさん物をと打ち笑ひ、「是へ是へ」と請ずれば、「余りの辞退はいこく人、異体は御免候へ」と言ふ言ふ、座敷に出でけるが、持ちたる太力と草摺にて、末座なる人々の首まはり、側顔を打ちなぐり、差し越え差し越え行き過ぎて、朝比奈が下なる畳になほりける、座敷に余りて見えたり。朝比奈、急ぎ座敷を立ちて、義盛の前に有りける盃を五郎が前にぞ置きたりける。時致、盃取り上げて、酌に立ちたる朝比奈に色代して、「御盃の前後は、遅参の無礼、御免あれ。御盃は賜はり候ふ」とて、三度までこそほしたりけれ。其の盃、朝比奈取り、「遙かに久しう候ふ御盃、思ひどり申さん」とて、元の座敷になほりけり。五郎も、酌に手を掛け、「近くも参らぬ御酌に、時致立たん」とゆるぎ立つ。四郎左衛門、座を立つて、「某、是に候ふ」とて、銚子に取り付けば、五郎もしばし色代す。義盛、是を見て、「客人の御酌、然るべからず。其れ其れ」と有りければ、つねうぢ、酌にぞ立ちける。朝比奈、盃取り上げ、三度ほし、其の盃を虎のみて、義盛にさす。其の時、五郎、扇、笏に取り直し、「今暫くも候ふべけれども、曾我にさしたる急ぐ事の候ふ。後日に恐れ申さん」とて、兄諸共に立ちければ、虎も、同じく立ちにけり。一座も、無興至極にして、和田は、鎌倉へ通りければ、此の人々は打ちつれP259て、曾我へとてこそ返りけれ。
@〔曾我にて虎が名残惜しみし事〕S0603N098
是や、名翼は、昊天に遊べ共、小沢に移り、九そうの愁へにあひ、■■は、深淵の底を保て共、浅渚に出でて、ほこうの愁へにあそふと見えたり。十郎も、身に思ひの有る物ぞかし、由無き女のもとにて、思はずの難にあはんとしけるぞ、口惜しき。人ごとに心得べき事也。祐成は、虎を具して、曾我に帰り、つねに住みける所に隠しおき、いつよりもこまごまと物語しけり。「此の度、御狩の御供申し、思はずの峰ごしの矢にもあたり、くち木、むもれ木共成るならば、身こそ貧に生まれめ、鬢なる塵の見苦しさよと、人の言はんも口惜し。髪けづりてたび候へ」と言ひければ、虎は、何としも思はで、数の櫛を取り散らし、暫く髪をぞけづりける。十郎は、女の膝に伏しながら、虎が顔をつくづく見て、祐成を睦ましと見んも、是ぞ限りなるべきと思へば、流るる涙を見て、「例ならぬ御涙、心許無さよ。何なるらん」と問ひければ、「今に始めぬ事とは言ひながら、憂き世の中の定め無さよ。此の程の万あぢきなく、何事も心細く覚ゆれば、あだに契り、同じP260世の、名の立つ程も、如何にやと思へば、心に涙のこぼるるぞ。実にや、頼まぬ身の習ひ、かこつ命も、露の間も、いまはしくこそ思はるれ」「実にも、さ様に思ひ給はば、此の度の御狩、思し召し止まり給へかし。君に知らるる宮づかひの隙無きわざにも候はず。止まり給へ」と言ひければ、「思ひ立つ御供なり。何事かは」と言ひながら、か程深く思ふ中、思ひ知らせず出でなば、情の色も絶えぬべし。せめて夢程、此の事を知らせばやと思へども、女は、甲斐無き者なれば、あかぬ別れの悲しさに、止めん為に、母にもや語りひろめん。此の度は、思ひ定めたるもの故に、適はぬ事を母聞きて、思ひの種ともなりぬべし。又は、五郎も恨みなん。思ひ切りたる一大事、女にさぞと言はん事、悪しかるべしと思ひ切り、何としも無くたはぶれけり。忍ぶとすれど、其の色のあやしく思ひ奉り、「覚束無し」と問ひければ、深き思ひの切なるに、束の間も、思ひ合はする事無くて、はてぬる物ならば、後の恨みも深かるべし。由、思ひ出に、一はしを言ひてや、心をやすむると、「身の有様を思ふには、憂きが住まひの詮無くて、世には住まじの其の故を、如何にと言ひて知らすべき。然ればにや、祖父人道の謀叛に依りて、切られ参らせし孫なれば、君にも召し使はれ、御恩蒙る事も無し。まして、先祖の本領は、年月余所にみなす上、馬の一匹もなだらかにかはず、又、父の為とて、P261経巻の一部もかかず、有りとしも無き憂き身の仕儀、人にみゆるも恥づかしく、面並ぶる便りも無し。然れば、此の度、御狩よりも帰りなば、出家を遂げ、墨の衣に染めかへて、頭陀乞食して、霊仏霊社に参り、父の後世をも弔ひ、我が身をも助からんと思ひ候ふ也。世に有りとも、夢幻の如く、はう心を残すべきにあらず。花山法皇だにも、万乗の位をさりて、山林に交はり給ふぞかし。ましてや、貧道無縁の祐成が、何に命も惜しかるべき。今度の御供を最後に、二度返らじと思へば、あかぬ別れの道捨て難くて」と申しければ、虎聞きも敢へず、十郎が膝に泣きかかり、しばしは物も言はざりけり。やや有りて、「恨めしや、問はずは知らせじと思し召すかや。誠、童は大磯の君、あさましき者の子なれば、誠の道をも思し召さじなれ共、女の身のはかなさ、身にかへてもとこそ思ひ奉れ。見えそめしより、などやらん、思ひの色の深草や、忍ぶの袖にすり衣、忘れ奉る便り無し。御志は知らねども、御かねことの違ふをば、偽りに又成るらんと、心をつくし待たれしに、然様に思ひ立ち給はば、我らはも、同じく髪を下ろし、墨染の衣に身をやつし、一つ庵にあらばこそ、別に庵室引き結び、衣をすすぎて参らせん。香をそなへ給はば、花をつみ、薪をひろひ給はば、水を結び、一蓮の縁をも願はん。其のむつびをも、いなと宣はば、山寺に修行して、余所ながら見奉らP262ん。其れも、憚り思し召さば、聞き給へ、身をなげ、一日片時も別れ奉る事あらじ」とて、涙にむせびけり。十郎が膝の上も、虎が涙にうくばかりなり。袖も所狭くぞ覚えし。十郎、つくづくと案ずるに、是程思ひ入りたる志、露程も知らせずして、心強く隠し遂げぬる物ならば、長き恨みとなりぬべし。もし立ち帰らぬ習ひあらば、思ひ出だして、念仏をも申すべし。然ればとて、人にもらすなと言はん事を、あだにやすべき。其の上、日数無ければ、知らせばやと思ひ、「此の事、母にだにも知らせ奉らで、今まで過ぎしかど、御身の志切にして、知らせ奉るぞ。もらし給ふべからず。誠の道心にもあらず、出家遁世にても無し。年頃、祐成が身に思ひ有りとは知り給ひぬらん。其の本意を遂げんと思へば、此の度出でて後、二度返るまじければ、相見ん事も、今宵計也。さてしも、何と無く申し契りて、時の間と思へ共、三年に成りぬ。思ひ出も無くて、はてん事こそ、無念なれ。御志の程こそ、有り難く思ひ奉れ。面々如きの人は、祐成風情の貧者、頼む所無し。何に依りてか、露の情も有るべきに、三年の間の顔ばせの、変はらぬ色は常磐山、己泣きてや、憂きを知る。情に引かれて、身の程を、恥ぢず忘れし中なれば、前世の事と言ふ計りにて、過ぎにし事の恥づかしさよ。奉公の身ならねば、御恩の時とも言はず、廻船の身ならねば、利のあらん折とも言はず、P263思ひ出無き事を思ひ出だし給はん事よ」とて、さめざめと泣きけり。虎も、此の言葉を聞きて、又打ち伏して、泣くより外の事ぞ無き。やや有りて、おきなほり、「そも、是は、何と成り行く事共ぞや。是程の大事、はかなき女の身なり共、如何でか人にもらすべき。一人坐します母にだにも聞かせ奉らず、振り捨てて、心強く思ひ立ち給はん事、数ならぬ童申すとも、止まり給ふべきか。何に付けても、あかぬ別れの道こそ、悲しみても余りあれ。斯様の大事、心置かず、しらさせ給ふこそ、返す返すも嬉しけれ。さても、此の年月の御なじみ、いつの世にかは忘るべき。思ふに適はぬ事なれ共、御物の具の見苦しきを見参らする折節は、人々しき身なりせば、などや頼りにもなり奉らざらんと、しづ心をつくし、明かしくらしつるに、世を捨てて、何処とも無くならんと仰せらるるをこそ、身の置き所無かりしに、思ひもよらぬ長き別れ路とならん悲しさよ」とて、声も惜しまず泣き居たり。十郎も、せん方無くして、「余りな歎き給ひそ。人々聞き候ふべし。名残は誰も同じ心ぞ」と慰めつつ、「是を形見に」とて、「祐成に添ふと思し召せ」とて、鬢の髪を切りてとらせぬ。虎は、涙諸共に受け取り、膚の守りに深くおさめ、物をも言はで伏し鎮みぬ。十郎も、同じ枕に打ち傾き、涙にむせぶ計也。日も既に暮れければ、今宵ばかりの名残ぞと、思ひ遣るこそ悲しけれ。P264千代を一夜に重ねても、明けざれかしと思はるる。頃さへ、五月の短夜の有明なれば、宵の間の、待たるる程も無ければや、出づると見れば、其の儘に、傾く空も恨めし、八声と言ふも、鶏の、夜や知りふると明け安く、夢見る程も微睡まで、東にたなびく横雲の、東雲しらむうき枕、又睦言のつきなくに、きぬぎぬに成る曉の、涙に床もうきぬべし。互ひの名残、心の中、さこそと思ひ知られたれ。猶しも、虎は打ち伏して、消え入る様に見えしかば、十郎、彼をいさめんとて、「暇申して、祐成は、後生にて参り合はん」とて驚かせば、おきなほりたるばかりにて、もの言ふまでは無かりけり。今を限りの別れなり。後の世までの形見とて、十郎来たりける目結の小袖に、虎が紅梅の小袖にきかへて、「心のあらば、移り香よ、しばし残りて、憂き別れ、慰む程も、面影の、きかへし衣にとまれかし。互ひの名残尽きせず」と、又諸共に打ち伏しぬ。「幾万代を重ねても、名残つくべきにあらず。祐成も、途まで送り奉るべし。日こそたけ候へ」とて、葦毛なる馬に貝鞍置かせ、道三郎、門の辺にひかへたり。「此の馬鞍、返し給ふべからず。此の三年通ひしに、馬は変はれど、鞍変はらず。鞍は変はれども、馬変はらず。今日を最後の別れなれば、止め置きて、長き形見とも思ひ給ふべし。但し、馬は生有る物にて、変はる事有り、鞍をば失はで持ち給へ」と言ふ言ふ、P265馬にぞ乗せたりける。
@〔山彦山にての事〕S0604N099
「祐成も送るべし」とて、馬に鞍置かせ、打ち乗りて、「中村どほりに行くべし。大道は、馬鞍見苦し。君を祐成が思ふとは、皆人知られたり。供の者共も、かひがひしからず」とて、打ちつれてこそ送りけれ。曾我と中村の境なる山彦山の峠まで送り来て、十郎、此処に駒をひかへ、今少しも送りたくは候へ共、必ず今朝より出でんと定めしかば、定めて五郎も来たらん。名残はつくべきにあらず、此の世にて相見ん事も、今計ぞと思へば、遣る方無くして、涙にむせぶばかりなり。をちこちのたつき知らぬ山中の、道もさやかに見えわかず。彼の松浦佐用姫がひれ伏し姿は、石になりける、其れは昔の事ぞかし。今の別れの悲しさよ。駒近々と打ち寄せ、手に手を取り組み、涙にむせぶばかりなり。やや有りて、「祐成が心の中、推し量り給へ。是にて、年を送るべきにもあらず。只一筋に浄土の縁を結ばん。来世を深く頼むぞ」と、心強くも思ひ切り、ひかふる袖を引き分けて、泣く泣く立ち別れけり。実にや、かんかんの床の上には、遙かに契りを千年の鶴にP266結び、沈麝の筵の上には、遠く齢を万劫の亀に期して、契りしかども、逃れぬ別れの道は、力に及ばず。互ひに心を顧み、坂中にやすらひひかへたり。かすかに見えし姿も見えずなりければ、そなたの空のみ帰り見る。あしびきの山のあなたの恋しさは、何れも同じ心にて、現とも無き涙の袖、夢の如くに打ち別れにけり。思ひの余りに、虎が馬の口ひかへたる道三郎に、泣く泣く言ひけるは、「祐成を見奉らんも、今ばかりの名残なり。何事も、こまごまと言ひたかりつるを、涙にくれて言ひもせず、取り分け暇こひ給へるに、返事せざりし心許無ければ、今一度呼び奉りてたび候へ。物一言申さん」と言ひければ、道三郎、「只世の常の出家遁世にても無し」とて、さしても騒がざりけるが、なのめならざる互ひの歎きを見て、哀れに思ひ、急ぎ走り帰り、遙かに行きたりける十郎呼び帰し、もとの峠に打ち上がり、駒をひかへ、「何事ぞ」と問ひければ、虎は、涙に目もくれて、思ひ設けし言の葉の、いつしか今は失せはてて、鞍の前輪に打ちかかり、消え入る様に見えしかば、十郎も、わきたる事は無くて、泣く計にてぞ有りける。やや有りて、虎、息の下に言ひける、「いつと無く、さぞと契らぬ夕暮も、駒の足なみ、轡の音のする時は、もしやと思ふ折々の、其の人と無く過ぎ行けば、其の夜は、空しく床に伏し、鳥の音にたたへつつ、我が涙落つる枕の上より、明くる思ひP267をさへられ、夕の鐘の声には、くるる便りを待ちなれて、ほされぬ袖の其の儘に、はかなかりける契りかな。三年の夢の程も無く、別るる現になりにけり。さて、いつの世にめぐり合ひ、斯かる思ひの又もや」と、声も惜しまず泣き居たり。「祐成、身の上をつくづく思ふに、罪の深きぞ知られたる。幼くして、父におくれ、本領だにあたりつかず、母一人のはぐくみにて、身命を過ぐすと雖も、有る甲斐も無し。此の三年、御身にだにも相なれて、あかぬ別れの悲しさ、歎きの中の歎きなれ。五欲の無常は、春の花、娑婆は、かりの宿りなり。秋の紅葉の影ちりて、草葉にすがる露の身の、後生弔ひてたび給へ」とて、東西へ打ち別れけるにて、
@〔比叡山の始まりの事〕S0605N100
昔を思ふに、天地既にわかち、国未だ定まらざる時は、人寿二万歳を保ちける。迦葉尊者は、西天に出世し給ふ。大聖釈尊は、其の教義をえて、都率天に住し給ふ。「我、八相成道の後、遺教流布の地、何れの所にか有るべき」と、此の南閻浮洲をあまねく飛行して御覧じけるに、遠々たる大海の上に、「一切衆生、悉有仏生、如来常住、無有変易」。立つ波の声有り。此の波の止まらん所、一つの国と成りて、P268我、仏性をひろめ通ずべき霊地たるべし」とて、遙かの十万里の滄海をしのぎて行くに、葦の葉一つうかみたる所に、此の波流れ止まりぬ、今の比叡山の麓、大宮権現の坐します波止土濃是なり。然ればにや、「波止まり、土こまやかなり」と書けり。かく御覧じ置きて、釈尊、天に上がり給ふ。然れば、葦原の中国と申し習はせるは、此の一葉の葦の故とかや。日本我が朝は、葦の葉を表するとぞ申し習はせる。其の後、人寿百歳の時、悉達太子と生じて、八十年の春の頃、頭北面西右きうくわ、跋提の波と消え給ふ。され共、仏は、常住にして、むゑん法界の妙体なれば、昔、葦の葉の島となりし中国を御覧じける時、鵜■草葺不合尊の御世なれば、仏法の名字を人知らず。此処に、さざなみや志賀の浦の辺に、釣をする老翁有り。釈尊、彼に向かひて、「翁、もし此の所の主たらば、此の地を我にえさせよ。仏法結界の地となすべし」と宣へば、翁、答へて申さく、「我、人寿六万歳の始めより、此の所の主として、此の湖の七度まで、葦原に変ぜしをも、まさに見たりし翁也。然れば、此の地結界と成るならば、釣する所失せぬべし」と、深く惜しみ申せば、釈尊、力無くして、今は、寂光土に帰らんとし給ふ時に、東方より、浄瑠璃世界の薬師、忽然と出で給ひて、「よきかな、はや仏法をひろめ給へ。我、人寿八万歳の始めより、此の所の主たれど、老翁、未だ我を知らず。何ぞ此の山を惜しみ申すべき。はやしP269給へ。我も、此の山の王と成りて、共に後五百歳まで仏法をひろむべし」とて、二仏東西にさり給ふ。其の時の老翁は、今の白髭の明神にて坐しましける。東方よりの如来は、中堂の薬師にてぞ坐しましける。釈迦、薬師の東西に帰り給ひき。今の十郎と虎が行き別るるには、違ひぬる心なるをや、「蝸牛の角の上に、何事をか争ふ。石火の光の内、此の身を寄せつらん。名残の道つくべからず、後世には、参り合はん」と、「道三郎が心も恥づかし」とて、思ひ切りてぞ別れける。虎は、峠にひかへて、祐成の後姿、かくるるまで見送りける。さてしもあらねば、泣く泣く大磯にぞ帰りける。母のもとに入りしかば、友の遊君共、広縁に出でて、「思ひ掛けざる今の御入かな。いつと無き山路の寂しさ、推し量りて」などとたはぶれけれ共、虎は、馬よりおるると同じく、衣引きかづき、打ち伏しぬ。君共集まりて、「何とて、是程御歎き候ふやらん。十郎殿に捨てられ御座しますか」と、様々慰めけれども、かくと言ふべき事ならねば、只打ち伏し泣き居たり。人々打たれて後にこそ、かくとは申し聞かせけれ。道三郎申しけるは、「殿も、今朝は物へ御出有るべきにて候ふ。急ぎ御暇を申さん」と言ふ。虎は、彼を近く呼び寄せて、「三年が程、なれにし汝にさへ、別れなん事の悲しさよ」とて、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣きければ、道三郎、返事にも及ばず、涙を流しける。「昔が今に至るまで、主従の縁浅からP270ぬ事ぞ。構へて思ひ忘るな。二世までも縁はくちせぬ物ぞ」と言へば、道三郎、暇こひて出でにけり。志は、二世までも尽きせじと覚えけり。
@〔仏性国の雨の事〕S0606N101
然れば、縁に依りて、仏果をうる事を思へば、昔、仏性国に、血の雨ふりて、国土紅なり。御門、大きに驚かせ給ひて、博士を召して、御尋ね有りければ、占形を引き、申しけるは、「今宵、不思議の子をうむ者有り。尋ね出だして、遠き島に捨てらるべし」と申しければ、舎衛城の中に、其の夜、産したる者、千余人也。其の中より選び出だして、口より焔出づるをうみたる者有り。則、是を人蟒とぞ名付けける。是、不思議の者とて、官人に仰せ付けて、遠嶋に捨てけり。然るに此の人蟒、漸成人する程に、猛き鬼の姿に成りけり。此の嶋に来たる者をば、もらさずくらふ。又、国に罪有る者を此の島に流せば、是をも取りてくらふ。七万二千人までぞくらひける。其の罪尽くし難し。仏、是を哀れみ給ひて、阿難尊者を遣はし奉りて、善知識達、引導し給ひけるとかや。人蟒、阿難を七度見奉りし結縁に、七度天上に生じて、仏果をえたり。斯様の縁を思ふには、彼等が後世も、などや一蓮に乗らざらん。頼もしくぞ覚えし。扨、十郎が心の猛き事、P271四方にも越えしか共、差しあたりたる恩愛の道、迷ふ習ひ也。夏の虫、とんで火に入り、秋の鹿の、笛に心を乱し、身を徒らになす事、高きも、賎しきも、力及ばぬは、此の道なり。八苦の中にも、愛別離苦ととかれたり。内典・外典にも、深く戒めたる。
@〔嵯峨の釈迦作り奉りし事〕S0607N102
五郎、待遠なる折節、十郎来たりて、「此の者送りしとて、今まで時を移しぬ。如何に不思議に思ひ給ひけん」と申しければ、「何かは苦しく候ふべき。昔も、然る事の候ふ。釈尊、母の報恩の為に、■利天に上り給ふ。帝釈聞き給ひて、■首羯磨と言ふ天人を下し給ふ。う天王喜びて、赤栴檀にて、如来を作り奉り、何れを移したる姿共見えずぞ作りける。う天王、喜びの余りに、■首羯磨を留められければ、「我は是、善法の大工也。止まるべからず」とて、遂に天に上りぬ。其の像を玄弉三蔵盗み取りて、此の国に渡し、多くの衆生を済度し給ふ。今の嵯峨の釈迦、是也。ましてや、人間として、如何でか恩愛思はざるべき」。十郎聞きて、「大きに違ふ心かな。う天王は、利益方便の恋也。薄地凡夫、輪廻の執着也。一つにあらじ」と笑ひて、各富士野の出立をぞ急ぎける。