P272曾我物語巻第七

 @〔千草の花見し事〕S0701N103
 「夫れ、迷ひの前の是非は、是非共に非なり。夢の内の有無は、有無共に無也。然れば、我等が身の有様、あれば有るが間也。夢の浮き世に、何をか現と定むべき。然れば、刹那の栄華にも、心をのぶる理を思へば、無為の快楽に同じ。いざや、最後のながめして、しばしの思ひを慰まん」とて、兄弟共に庭に下りて、うゑ置きし千草のさかえたるを見るにも、名残ぞ惜しかりける。「心のあらば、草も木も、如何で哀れを知らざるべき」と、彼方此方にやすらひけり。是によそへ、古き歌を見るに、
故郷の花のもの言ふ世なりせば如何に昔の事を問はまし W020
今更思ひ出でられて、情を残し、哀れを掛けずと言ふ事無し。五郎きいて、「草木も、心無しとは申すべからず。釈迦如来、涅槃に入らせ給ひし時は、心無き植木の枝葉P273に至るまでも、歎きの色を現しけり。我等が別れを惜しみ候ふやらん。如何でか知り候ふべき」とて、草を分けければ、卯の花のつぼみたる、一房落ちたりけり。十郎、是を取り上げて、「如何に、見給へ、五郎殿。老少不定の習ひ、今に始めぬ事なれ共、おいたる母は止まり、若き我等が先立ち申さん事、是にひとしき物を。開きたるは止まり、つぼみたるはちりたるとや。名にしおふ忘草ならば、名残を忘れてやちりつらん。其れは、昔、住吉に、諸神影向なりける事有り。御帰りを止め奉らんとて、此の花をうゑて、忘草と名づけ給ひけるなり。歌にも、
紅葉ぢては花さく色を忘草一つ秋ながら二まちの頃 W021
其の忘れ草は、紫苑とこそ聞きて候へ」とて、猶草むらに分け入りければ、ふかみ草のさかりさきたるを見て、「卯の花は、つぼみてだにもちるに、此の花の思ふ事無げにさかりなるや。如何にさくとも、二十日草、さかりも日数の有るなれば、花の命も限り有り。哀れ、身に知る心かな」と涙ぐみければ、五郎聞きて、「此の草の事は、花開き落ちて同じく、一城の人たぶらかすが如しと見えたり。是は、楽府の言葉なり。又、歌にも、
名ばかりはさかでも色のふかみ草花さくならば如何で見てまし W022
P274と口ずさみければ、十郎聞きて、「此の歌は、未ださかざる時も、色深き草とこそ詠みたれ。さかりの花にも、心や違ふべからん」とたはぶれけるにも、哀れ残さぬ言の葉は無かりけり。無慙なりし志共なり。「さても、我等が思ひ立つ事、母に露程も知らせ奉るべきか。はからひ候へ」と言ひければ、時致聞き、「思ひもよらぬ御事なり。是程思ひ定めざる前は知らず、今は如何でか変じ候ふべき。其の上、人の子が謀叛起こして出で候はんに、其の親聞きて、急ぎしにて、もの思はせよとて、喜ぶ母や候ふべき。某は、只御形見を賜はりて、最後まで身に添へ、此方よりも又参らせて、罷り出でんとこそ存じ候へ」。十郎聞きて、「誠に此の儀然るべし。然らば、其のついでに、御分が勘当をも申し許して見ん」とて、母の方へぞ出でたりける。 十郎、御前に畏まり、扇笏に取り、申しけるは、「奉公を致し、御恩蒙るべき身にては候はね共、末代の物語に、富士野御狩の御供に思ひ立ちて候ふ。恐れ入りたる申事にて候へ共、御小袖を一つかし賜はり候へ」と申しければ、母聞きて、「「君臣を使ふに、礼を以てし、臣君に使ふるに、忠を以てす」と、論語の内に候ふぞや。何の忠に依つてか、御感も有るべき。御恩無くは、無益なり。哀れ、此の度の御供は、思ひ止まり給へかし。如何にと言ふに、伊東殿父、奥野の狩場より、P275病づきて帰り、幾程無くて、死に給ひぬ。御分の父、河津殿、狩場にて打たれ給ひ、斯かる事共を思ひ続くるに、狩場程憂き所無し。しかも、謀叛の者の末、上にも御許し無きぞかし。又、馬鞍見苦しくて、物を見れば、帰りて人にみらるる物を。思ひ止まりて、親しき人々の方にて慰み給へ。斯様に申せば、小袖を惜しむに似たり。よくは無けれ共、紋柄面白ければ」とて、秋の野にすりつくしぬひたる練貫の小袖一つ取り出だしてたびにけり。畏まつて、障子の内にてきかへ、我が小袖をば打ち置きて出でぬ。なき後の形見にとぞ思ひ置きたりける。五郎は不孝の身にて、兄が方に、空しく泣き居たり。よくよく物を案ずるに、母の不幸を許されずして、死なん事こそ無念なれ。推参して見ばや。いきたる程こそ仰せらるるとも、死して後、くやみ給はん事、疑ひ無し。思ひ切り申して見んとて、母の方へは出でたれども、さすがに内へは入りえず、広縁に畏まり、障子を隔てて、「そも、誰が御子にて候はん、時致にも、召しかへの御小袖一つ賜はりて、狩場のはれにき候はん」。母聞きて、「誰そや、来たりて小袖一つと言ふべき子こそ持たね。十郎は、只今取りて出でぬ。京の小二郎は、奉公の者なり。二宮の女房、又斯様に言ふべからず。禅師法師とて、乳の内より捨てし子は、叔父養育して、越後に有り。又、箱王とて、わろ者の有りしは、勘当して、行く末知らず。P276是は只、武蔵・相模の若殿原の貧なる童を笑はんとて、かく宣ふと覚えたり。しかも、留守居の体見苦し。はや門の外へ出で候へ」と、殊の外にぞ言ひける。時致思ひ切りたる事なれば、「其の箱王が参りて候ふ」「其れは、誰が許し置きたるぞ。女親とて、賎しみ候ふか、然様には候ふまじ。とても、斯様にあなづらるる身、七代まで不孝するぞ。対面思ひもよらず」とぞ言ひける。五郎は、許さるる事は適はで、結句、後の世までと、深く勘当せられて、前後を失ひ、物思ひはててぞ居たりけり。やや有りて、小声に成りて申しけるは、「斯様の身に罷り成りて、重ねて申し入るべき事、上までも恐れにて候へば、女房達、心有る人あらば、聞こし召せ。人の親の習ひ、盗みする子はにくからで、縄作る者を恨むるは、常の親の習ひにて候ふぞや」。母聞きて、「然様ならん者を、わ殿が母にして、童が様なる者をば、親とな思ひそとよ。人の言葉を重くせず、言葉を返す、憂き子かとよ」「御言葉を重くして、御返事を申さじとてこそ、御前の人々には申し候へ」「然様に申せば、返事にては無きか。一念の瞋恚に、倶胝劫のせんこをやき、刹那の怨害には、無量の苦報を招く。聞けば、いよいよ腹ぞ立つ。其の座敷立ちて」と宣ふ。「恐れながら、普門品をば遊ばし候はずや」「如何なる観音の誓ひにも、背く者許し候へとはとき給はぬぞ」。P277 「聞こし召され候へ。昔、天竺に、しやうめつ婆羅門と言ふ人有り。物の命を千日千殺して、悪王に生まれんと言ふ願を起こし、はや九百九十日に、九百九十九の生物を殺し、千日に満ずる日、西山に上りて見れ共無し。玉江に下り、船に乗り、海中に出でて、比翼の亀を一つ取りて、害せんとす。母、是を悲しみて、渚に出でて見れば、波風高くして、雲の雷電おびたたしく、其の中に、婆羅門、亀を害せんとす。母是を見て、「其の亀はなせ。汝が父の命日ぞ」。婆羅門聞きて、「忌日ならば、沙門をこそ供養せめ」と言ひて、抑へて殺さんとす。亀涙を流して、我が八十年後、我不堕地獄、大慈大悲故、必生安楽国」とぞ鳴きける。母、是を聞き、「汝、亀の言葉聞き知れりや」「知らず」と答ふ。「亀は、罪深き物にて、万劫の罪障をへて、成仏すべきに、今剣に従はば、又劫をへ返すべき悲しさよと也。願はくは、其の亀をはなして、自らを殺し候へ」と言ふ。「誠に亀の命に代はり給ふべきにや」と言ひもはてず、亀を海上に投げ入れ、即ち剣を抜き、母に向かふ時、天神地神も、是を捨て給へば、大地さけわれて、奈落に沈む。母を殺さんとする子の命を悲しみて、心ならずに母走り向かひ、婆羅門が髻を取り給へば、即ち頭はぬけて、母の手に止まり、其の身は無間に沈みけり。され共、亀をはなせし力に依りて、仏果をえ、法華経の普門品を、婆羅門身P278ととかれたる。斯様の子をだにも、親は哀れむ習ひにて候ふ物を」。母聞きて、「や、殿、其れも、母が言ふ事を聞きて、亀をはなちてこそ、成仏はし給へ。汝、何と無く我らはが教へを聞かざるぞ」「わろき子を思ふこそ、誠の親の御慈悲にては候へ。又、母の哀れみの深きには、事長く候へ共、或る国の王、一人の太子の無き事を歎き、天に祈りし感応にや、后懐妊し給ふ。国王の喜びなのめならず。され共、三年まで生まれ給はず。公卿僉議有りて、博士を召して尋ね給ふ。勘文に曰く、「御位は転輪聖王たるべし。但し、御産はたひらかなるまじ」と申す。后聞き給ひて、「賢王の太子、如何で空しくすべき。自らが腹をさき破りて、王子をつつがなく取り出だすべし」と宣ふ。大王、大きに歎きて、許し給はず。后、「然らば、干死にせん」とて、食事を止め給ひしかば、力無く、大臣に仰せ付けて、御腹をさかれにけり。其の半ばに、后仰せられけるは、「太子の誕生は如何に」と問はせ給ふ。「御つつがなし」と申せば、喜び給ふ色見えて、打ちゑみたる儘、御年十九にて、はかなくなり給ひぬ。さて、此の太子、御位につき給ひしが、母の御志を悲しみ、御菩提の為、三年胎内にして苦しめ奉りし日数千日にあてて、千間に御堂をたて給ひけり。今の慈恩寺是也。日本には、西の寺なり。然ればにや、后即ち成仏し給ふ時に、こん蓮台P279を傾け、来迎し給ふ。其のしこんになぞらへて、藤を多くうゑられたり。さてこそ、藤の名所には入りたりけれ。母親の慈悲は、斯様にぞ候へ」。母聞きて、「おいたる自ら、あはぬ教へのむつかくして、腹をもさきて、死に失せよと。汝も、母と見ず、童も、子とも思はぬまで」とて、障子あららかにたて給ふ。只今はてずは、永劫をふる共、適ふまじければ、五郎打ちふてて、
 @〔斑足王が事〕S0702N106
 「仁王経の文をば御覧じ候はずや。昔、天羅国に、王一人坐します。太子有り、名をば斑足王と言ふ。外道羅陀の教訓に付きて、千人の王の首を取り、塚の神にまつり、其の位を奪ひ、大王にならんとて、数万の力士・鬼王を集めて、東西南北、遠国近国の王城に、押し寄せ押し寄せ搦め取り、既に九百九十九人の王を取り、今一人たらで、「如何せん」と言ふ。或る外道教へて曰く、「是より北へ一万里行きて、王有り、名を普明王と言ふ。是を取りて、一千人にたすべし」と言ふ。やがて、力士を差し遣はし、彼の王を取りぬ。今は、千人にみちぬれば、一度に首を切らんとす。此処に、普明王、合掌して曰く、「願はくは、我に一日の暇をえさせよ。古里P280帰り、三宝を頂戴し、沙門を供養して、闇路の頼りにせん」と言ふ。安き間の事とて、一日の暇を取らす。其の時、王宮に帰り、百人の僧を請じて、過去七仏の法より、般若波羅蜜を講読せしかば、其の第一の僧、普明王の為に偈をとく。「劫焼終訖、乾坤洞然、須弥巨海、都為灰煬」と述べ給ふ。普明王、此の文を聞きて、四諦十二因縁をえたり。ほんけむくうを悟る。然ればにや、斑足王、諸法皆空の道理を聴聞して、忽ちに悪心を翻して、取りこむる千人の王に曰く、「面々の科にはあらず。我外道にすすめられ、悪心をおこす。不思議の至りなり。今は、助け奉るべし。急ぎ本国に帰り、般若を修行して、仏道をなし給へ」とて、即ち、道心おこし、無生法忍をえたりと見えたり。是も、普明王を許してこそ、共に仏果をえ給ひしか」。母聞きて、「其の如く、仏果を証して、多くの人を助くべき。汝、などや法師に成りて、童をばすくはぬぞ。誠や、「重きに従つて、道遠ければ、やすむ事、地を選ばず。家貧にして、親おいたる時は、官を選ばずして、仕へよ」とこそ、古き言葉にも見えたれ。何とて、童が言ふ事を聞かざるぞ」。五郎も、思ひ切りたる事なれば、居なほり畏まつて、「只御許し候へ」とのみぞ申し居たりけれ。十郎は、我が所にて、五郎をまて共、見えざりけり。余りに遅くて、又母の方へ行きて見れば、五郎、内までは入り得ず、P281広縁に泣きしをれて居たり。余りに無慙に覚えて、障子を引きあけ、畏まつて、五郎が申す理、つくづくと聞き居たり。やや有りて、「某、兄弟数多候へ共、身の貧なるに依りて、所々の住まひ仕る。只、あの殿一人こそ、つれ添ひては候へ。祐成を不便に思し召され候はば、御慈悲を以て、御許し候へかし。御子とても、御身に添ふ者、我等二人ならでは候はぬぞかし」。母聞きて、「意にあふ時は、胡越もらんていたり。あはざる時は、骨肉もてきしやうたり。智者の敵とは成るとも、愚者の友とは成るべからず。位の高からぬを歎かざれ、知のひろからぬをば歎くべし」とは、漢書の言葉ならずや」。十郎承りて、「其れは、然る事にて候へ共、観経の文を見るに、「諸仏念衆生、衆生不念仏、父母常念子、子不念父母」ととかれて候ふ。此の文を釈すれば、「仏は衆生を思し召さるれども、衆生は、仏を思はず」とこそ見えて候へ。親として、子を思はぬは無き物をや」。母聞きて、「汝等は、親のよきを申しあつむるかや。出で又、自ら、子の孝行なる事を言ひて聞かせん。孟宗は、雪の内に筍をえ、王祥は、氷の上に魚をえ、くわけんは、眼を抜き、おんせうは、耳をやき、ちそくは、足を切る、せんめむは、舌を抜き、くわそくは、歯を施し、くはふめいは、身をあたへ、めうしき、子を殺す。これ皆、孝行の為ならずや。「扁鵲も、鍼薬をしやうぜざる病を治せず。けんしやう王P282も、善言の聞かざる君をば用ひず」とこそ申せ。人の言葉を聞かざる者、何の用にか立つべき。其の上、不孝の者をば、同じ道をも行くべからず。急ぎ出でよ」と言ひける。祐成、重ねて申しけるは、「一旦の御心を背き、法師にならざるは、不孝ににて候へ共、父母に志の深き事、法師によるべからず、僧俗の形にはよるべからず。時致、箱根に候ひし時、法華経を一部読み覚え、父の御為に、はや二百六十部読誦す、毎日、六万返の念仏怠らずし、父に回向申すと承り候へば、大地を頂き給ふ堅牢地神も、地の重き事は無し。不孝の者の踏む跡、骨髄に通りて、悲しみ給ふ也。一つは、彼の御跡を弔ひ、一つは、御慈悲を以て、祐成に御許し候へかし。父に幼少よりおくれ、親しき者は、身貧に候へば、目も懸けず、母ならずして、誰か哀れみ給ふべきに、斯様に御心強く坐しませば、立ち寄る陰も無き儘に、乞食とならん事、不便に覚え候ふぞや」。哀れ、実に今を限りと申すならば、如何安かるべきを、申す事ならねば、忍びの涙に目もくれて、暫くは物も言はざりけり。猶も、「許す」と宣はねば、十郎、怒りて見ばやと思ひて、持ちたる扇をさつと開き、大きに目を見出だし、「とてもかくても、いきがひ無き冠者、有りても何にかあふべき。御前に召し出だし、細首打ち落として、見参に入れん」と、大声を捧げ、座敷を立つ。女房達驚き、「いかP283にや」とて、取り付く袖に引かれて、板敷あらく踏みならし、怒りければ、母も驚き、すがり付き、「物に狂ふか、や、殿。身貧にして、思ふ事適はねばとて、現在の弟の首を切る事や有る。其れ程までは思はぬぞ。しばし、や、殿」とて、取り付き給ふ。事こそよけれと思ひければ、「助け候はん。御許し候へ」と言ふ。母、「然らば、許す。止まり候へ」と宣へば、其の時、十郎、怒りを止めて、声をやはらかにして、座敷になほり畏まり居たりけり。然れども、忍びの涙のすすみければ、とかく物をも言はざりけり。五郎も、恨みの涙の引きかへて、嬉しさの忍びの涙しきりにして、前後を更にわきまへず。
 @〔勘当許す事〕S0703N107
 やや有りて、十郎、座敷を立ち、「御許し有るぞ、時致。此方へ参り候へ」。五郎は、しをるる袖に忍び兼ね、しばしは出でこそかねたりけれ。暫く有りて、時致、袖打ち払ひ、顔押しのごひ、出でければ、十郎も嬉しく、哀れにて、打ち傾き居たり。兄弟共に、物をも言はで、さめざめと泣き居たり。母、此の有様を見て、「実にや、親子の中程、哀れなる事無し。年おい、身貧にして、人数ならぬ童P284が言葉一つを重くして、泣きしをるる無慙さよ。かたはなる子をだにも、親は悲しむ習ひぞかし。如何でにくかるべき。只よかれと思ふ故なり」と言ひもわかで、母も涙を流しけり。其の後、兄弟の者共、畏まり居たるを、母、つくづくと守り、いつしかの心地して、「汝、自らを愚かにや思ひけん。十郎が有り所をみするに、五郎有りと言ふ時は、心安し。無しと聞けば、心許無くて、童も立ちて見しぞとよ。此の三年が程、打ち添はで、恨めしく思はれ、つくづく見るに、直垂の衣紋、袴の着際、烏帽子の座敷に至るまで、父の思ひ出だされ、昔に袖ぞしをれける。さても、五郎は、箱根にても聞きつらん。十郎は、如何にして、経文をば知りけるぞや」。祐成承りて、「馬やせて、毛長く、いばゆるに力無し。人貧にして、智短く、言葉賎し。何に依りてか、たふとくも候ふべき」。女房達聞きて、「勧学院の雀とかや」と申しければ、打ちゑみて、「それそれ、酒をのませよ」と有りければ、種々の肴、盃取り添へて、二人の前にぞ置きたりける。母取り寄せ、のみ給ひて、其の盃、十郎のむ。其の盃を、五郎三度ほして置きければ、其の盃、母取り上げて、「此の三年、不孝の事、只今許したる証に、此の盃、思ひどりにせん。但し、親と師匠に盃さすは、必ず肴の添ふなるぞ。当時、鎌倉には、秩父の六郎が今様、梶原源太横笛と聞く。然れども、他人なれば、見もし、聞きもせらればこそ。P285わ殿は、箱根に有りし時、舞の上手と聞きしなり。忘れずは、舞ひ候へかし」。十郎、腰より横笛取り出だし、平調に音取り、「如何に如何に、遅し」と攻めければ、しばし辞退に及びけるを、十郎、はやしたてて待ちければ、五郎、扇を開き、かうこそうたひて、舞ひたりけれ。
君が代は千代に一度ゐる塵の白雲斯かる山と成るまで W023
と、押し返し押し返し、三返踏みてぞ舞ひたりける。其の儘、拍子を踏みかへて、
別れのことさら悲しきは
親の別れと子の歎き
ふうふの思ひ今兄弟
いづれを思ふべき
袖に余れる忍び音を
返して止むる関もがな W024
と、二返攻めにぞ踏みたりける。母は、昔を思ひいづれば、彼等は、さても憂き命近き限りの涙の露、思はぬ余所目に取り成して、袖の返しにまぎらかし、しばし舞ひてぞ入りたりける。かくて、酒も過ぎければ、十郎畏まつて、「今度、御狩に罷り出で、兄弟中に、如何なる高名をも仕り、思はず御恩にも預かり候はP286ば、率塔婆の一本をも心安くきざみ、父聖霊にそなへ奉らばやと存じ候ふ」。母聞き給ひて、「などやらん、此の度の道心、心許無く覚ゆるぞや。よき程にも候はば、思ひ止まり給へかし。さりながら、もしやののぞみも哀れなり。女房達」と宣へば、白き唐綾に鶴の丸所々にぬひたる小袖一つ取り出だし、「十郎にもとらせぬるぞ。失はで返し候へ。十郎は、つねに小袖をかりて返さず。是は、曾我殿の見たる小袖也。二度とも見えずは、又例の子供にとらせたりと思はれんも恥づかし。小袖をしたためておくべし。構へて構へて、とく帰り給へ」と有りければ、「承り候ふ」とて、練貫の損じたるに脱ぎかへ、「見苦しく候へども、人にたび候へ」とて、帰りにけり。小袖の用はあらねども、互ひの形見のかへ衣、袖なつかしく打ち置きける。さても、兄弟、座敷を立ちければ、母見送り、宣ひけるは、「過ぎにし頃、十郎、小袖をかり、二度とも見せず、如何なる遊び者にもとらせぬるよと思ひしに、さは無くして、弟の五郎にきせけるや。又近き頃、大口・直垂したててとらせしを、是も二度とも見せざりしが、道三郎にきせたりと思へば、是も弟にきせけるぞや。兄弟をば、野の末、山の奥にももつべかりけるぞや。父には、幼くしておくれ、一人の母には、不孝せられ、貧なれば、親しきにもうとく、有るか無きかに世に無し者、誰やの人か哀れむべき」とて、P287涙をはらはらと流し給ひければ、其の座に有りし女房達、袖をぞ濡らしける。さて、兄弟の人々は、我が方に帰り、此の小袖を中におき、「嬉しくも推参しつる物かな。只今許されずしては、多生をふる共適ふまじ。いきて二度帰る様に、小袖返せと仰せられつるこそ、愚かなれ。何しに返せとは言ひつらん、神ならぬ身の悲しさよと、後悔し給はん事、今の様に覚えたり」とて、打ち傾きて泣き居たり。「我等、世に有りて、心の儘に、親の孝養をも致さば、是程まで思はぬ事も有りなまし。此の三年こそ、不孝の身にては候へ。其れさへ恋しく思ひ奉る。或る時は、物ごしにも見奉りて慰みしに、只今御許しを蒙り、一日だにも無くて、出でん事こそ悲しけれ。死に給へる父を思ひて、孝養せんとすれば、いき給へる母に、物を思はせ奉る。然れば、我等程、親に縁無き物は無し。後の世まで尽きせぬ、手跡に過ぎたる形見無し。いざや、我等一筆づつ、忘れ形見残さん」とて、墨すり流し、かくばかり、
「今日出でてめぐり合はずは小車のこのわの内に無しと知れ君 W025
祐成年二十二、後の世の形見」とぞ書ける。
「ちちぶ山下ろす嵐のはげしさに枝ちりはてて葉は如何にせん W026
五郎時致、生年二十、親は一世と申せ共、必ず、浄土にて参りあふべし」とこそかきP288たりける。各々、箱に入れて、「我等打たれぬと聞き給はば、母、此の所にまろび入りて、伏し鎮み給ふべし。いざや、御まうけせん」とて、畳しき直し、めんらうの塵打ち払ひ、先づ見給ふ様にとて、さし入りの障子の際にぞ置きたりける。「空しき人をば、常の所よりは出ださず。我等、死人に同じ」とて、馬屋のあれ間より出でたりける。最後の文にこそ、斯様の事まで書きにける。かくて出でけるが、「いざや、今一度、母を見奉らん」とて、暇乞にぞ出でける。母宣ひけるは、「構へて、人といさかひし給ふな。世に有る人は、貧なる者をば、をこがましく思ひあなづるべし。然様なりとも、咎むべからず。三浦・土肥の人々は、然様にはあらじ。其の人々に交はり、歩き給へ。心のはやる儘に、人の相付けたる鹿、射給ふべからず。公方の御許しも無きに、弓矢持たずとも、出で給ふべし。謀叛の者の末とて、咎めらるる事もやあらん。如何にも、事過ごし給ふな。年頃、にくまれずして養ぜられたる曾我殿に、大事掛けて、恨み受け給ふな」と、こまごまとぞ教へける。五郎は、聞きても色に出ださず、十郎は、斯様の教へも、今を限りと思ひ、心の色の現れて、涙ぐみければ、急ぎ座敷を立ちにけり。五郎も、名残の涙抑へ兼ね、余所目にもてなしけるが、妻戸の閾につまづきて、うつぶしに倒れけれども、人目にもらさじとて、「色有る小鳥の、東より、P289西の梢に伝ひしを、目に懸け、思はずの不覚なり」とて、打ち笑ひける。母、是を見給ひて、「今日の道、思ひ止まり候へ。門出悪しし」と有りければ、五郎立ち帰り、「馬に乗る者は落ち、道行く者は倒る。皆人ごとの事也。是はとて、止まり候はんには、道行く者候はじ」と、打ちつれてこそ出でにけれ。五郎は、猶母の名残をしたひ兼ね、今一度とや思ひけん、「扇の見苦しく候ふ」とて、帰りにければ、母、是をば夢にも知らずして、「折節、扇こそ無けれ、わろけれ共」とて、たびにけり。時致、是も形見の数と思ひ、母の賜はるよと思へば、扇さへなつかしくて、開きて見れば、霞に雁がねをぞ書きたりける。折にふれなば、夏山の、しげる梢の松の風、五月雨雲の晴間より、遠里小野の里つづき、我等が道の行く末も、現るべきに、さはあらで、其の色違ふも、理なり。憂き身の故と案ずれば、
同じくは空に霞の関もりて雲路の雁をしばし止めん W027
是は、為世卿の詠みし歌ぞかし。我が限りの道を歎け共、誰一たん止むる者も無きに、扇心の有るやらん、「しばし」と言ふ言の葉の読まれたり。十郎が、供には道三郎、五郎が供には、鬼王、其の外四五人召し具して、打ち出でける有様、母は、乳母引きつれ、広縁に立ち出で、見送り、様々にぞ言ひける。「直垂のき様、行縢の引き合はせ、P290馬乗り姿、手綱の取り様、十郎は、父に似たれども、器量は、遙かの劣りなり。五郎は、烏帽子の座敷、矢のおひ様、弓の持ち様に至るまで、父には少し似たれども、是も、遙かの劣り也。山寺にて育ちたれども、色くろく、下種しくみゆる。十郎は、里に住みしかととも、色白く、尋常なり。我が子と思ふ故にや、いづれも清げなる者共かな。如何なる大将軍と言ふ共、恥づかしからじ物を。哀れ、世にあらば、誰にかは劣るべき。同じくは、彼等を父諸共に見るならば、如何に嬉しく有りなん」と、さめざめと泣きけり。女房達、是を見て、「物への御門出に、御涙いまはし」と申しければ、「誠に、彼等貧なる出で立ち、すずろなる事共思ひ連ねられて、袖のみ昔にぬれ侍ふぞや。げにげに千秋万歳とさかふべき子供の門出、嬉しくも言ひ出だし給ふ物かな。此の度、御狩より帰りなば、上の御免蒙り、本領ことごとく安堵して、思ひの儘なるかへるさをまつべき」とて、急ぎ内にぞ入りにける。後に思ひ合はすれば、是ぞ最後の別れなりけりと、思ひ出でられて哀れなり。
 @〔李将軍が事〕S0704N109P291
 さても、鎌倉殿は、合沢原に御座の由聞こえしかば、此の人々も、駒に鞭を添へて、急ぎける。道にて、十郎言ひけるは、「名残惜しかりつる古里も、一筋に思ひ切りぬれば、心の引きかへて、先へのみぞ急がれ候ふぞや」。時致聞きて、「さん候。思ふ程は現、すぐれば夢にて、心の儘に本意を遂げ、浮き世を夢に成しはてて、早く浄土に生まれつつ、恋しき父、名残惜しかりつる母、かく申す我等まで、一蓮の縁とならん」とて、ひつ掛けひつ掛け打ちて行く。やや有りて、十郎申しけるは、「我等が有様を、物にたとふれば、寒苦鳥に似たり。如何にと言ふに、大唐しくう山に、雪深うして、春秋をわかざる山なり。其の山に、頭は二つ、身は一つ有る鳥有り。彼の山には、青き草無ければ、くふべき物無し。然れば、其の頭右を取らんとし、右の頭は左を取らんとする。悲しみの涙を餌食として、命をのぶる鳥也。我等も、敵の手にやかからん、敵をや手に掛けんと思ふ、憂き身のながらへて、いつまで物を思はまし。此の度は、さり共」と申しければ、五郎聞きて、「弱き御例へ仰せ候ふ。何によりてか、空しく敵の手にかかり候ふべき。本意を遂げて後は、知り候はず、其れは、ともかくも候ひなん、事長く候へ共、昔、大国に、李将軍とて、猛くいさめる武勇の達者有り。一人の子の無き事、天に祈る、哀れみにや、妻女懐妊す。将軍喜ぶ所に、女房言ふ様、「いきたる虎の肝こそ願ひなれ」。将軍、安き事とて、P292多くの兵を引きつれ、野辺に出でて、虎をかりけるに、かへつて、将軍、虎にくはれて失せぬ。乗りたりける雲上龍、鞍の上空しくして帰りぬ。女房あやしみて、「将軍、虎にくはれけるや」と問へば、竜、涙を流し、膝ををり、なけ共適はず。我が胎内の子は、父を害する敵なり、生まれ落ちなば捨てんと、日数をまつ所に、月日に関守無ければ、程無く生まれぬ。見なれば男子なり。いつしか、捨つべき事を忘れ、取り上げ、名をかふりよくと付けて、もてなしけり。名将軍の子にて、胎内より、父虎にくはれけるを、安からずに思ひ、敵取るべき事をぞ思ひける。光陰矢の如し。かふりよく、はや七歳にぞなりにける。或る時、父重代の刀を差し、角の槻弓に、神通の鏑矢を取り添へ、馬屋に下り、父の乗りて死にける雲上龍に曰く、「汝、馬の中の将軍なり。然るに、父の敵に志深し、父の取られける野辺に、我を具足せよ」と言ふに、黄なる涙を流して、高声にいばえけり。かふりよく、大きに喜びて、彼の竜に乗り、馬に任せて、行く程に、千里の野辺に出でて、七日七夜ぞ尋ねける。八日の夜半に及びて、或る谷間に、獣多く集まりねたり。其の中に、臥長一丈余りなる虎の、両眼は日月を並べたる様にて、紅の舌を振り、伏しければ、肝魂を失ふべきに、然る将軍の子なりければ、是こそ父の敵よと、矢取つて差しつがひ、よ引きてはなつ。過たず、虎の左の眼に射たてたり。P293少し弱ると見えければ、かうりよく、馬よりとんで下り、腰の刀を抜き、虎を切らんと見ければ、虎にては無し。年へたる石の苔むしたるにてぞ有りけり。斯様の志にて、遂に敵を打つ。今の世に、石竹と言ふ草、かふりよくが射ける矢なりとぞ申し伝へたる。然れば、弓取りの子は、七歳になれば、親の敵を打つとは、此の心なり。志に依り、石にも矢のたち候ふぞや。此の心を歌にも詠みけるとぞ、
虎と見て射る矢の石に立つ物をなど我がこひの通らざるべき」 W028
十郎聞きて、「や、殿、歌は然様なりとも、祐成にあひての物語、「など我が敵打たで有るべき」と語れかし」「実にや、折による歌物語、悪しく申して覚ゆるなり。歌はともあれ、かくもあれ、此の度は、敵打たん事安かるべし。老少不定の習ひなれば、我等は、悪霊とも成りて、取るべきにや」とたはぶれて、鞭を打ちてぞ、急ぎける。
 @〔三井寺大師の事〕S0705N110
 十郎は、「足柄を越えて行かん」と言ふ。五郎は、「箱根を越えん」と言ふ。いはれ有り。此の三四年、別当の呼び給へ共、男になりける面目無さに、見参に入らず、ついでに打ち寄りて、御目に掛かるべし、最後の暇をも申さんとて参りたりと思し召さば、聖教P294の一巻、陀羅尼の一返なりとも、弔ひ給ふべき善知識なり。其の上、師の恩を重くすれば、法に預かる例有り。近き頃の事にや、園城寺に、智興太子とて、めでたき上人渡らせ給ひけり。顕密有験の高僧とは申せ共、未だ肉身を離れ給はざりける故に、重病にをかされて、苦痛なう覧わきまへ難し。即ち、晴明を呼びてうらなはせけるに、「定業限りにて、助かり給ふ事有るべからず。但し、多き御弟子の中に、法恩を重くし、命をかろくして、師の御命に変はるべき人坐しまさば、まつりかへん」と申す。上人は、苦痛の儘に、誰とは宣はね共、御目を上げて、御弟子を見まはし給ふ。並び居給ふ御弟子二百余人なれども、我変はらんと仰せらるる方一人も無し。目を見合はせ、赤面し給ふ色現れにけり。うたてかりし御事也。此処に、証空阿闍梨と申して、十八になり給ふが、末座よりすすみ出でて、「我、法恩の哀れみ、つくし難し。何にか報じ奉るべき。我等が命なりとも、代はり奉る身なりせば、喜びの上の喜び、何事か是にしかんや。はやはや」とて、墨染の御袖をかき合はせ給ひて、晴明が前にひざまづき給ふ。上人聞こし召し、悩める御眦に、御涙を浮かべさせ給ひて、御顔を振り上げ、本尊の御方を御覧じけるは、証空の命を御惜しみ有りて、御身は如何にもと思し召さるる御顔ばせの現れたり。是又、御慈悲の御心中とぞ見えける。証空、重ねて申されけるP295は、「深く思ひ定めて候ふ。変ずべきにも候はず。其の上、上人の苦悩見奉るに、刹那の隙も惜しくこそ候へ。御心に任すべきにあらず。急ぎ法会を行ひ、まつりを急がれ候へ。但し、八旬に余る母を持ちて候ふ。今一度、今生の姿見みえ候ひて、帰り参るべし。待ち給ふべし」とて、出で給ふ。証空を哀れと言はぬ者は無し。其の後、母のもとに行き、此の事くはしく語り給ふ。母聞きもはてず、証空の袖に取り付き、「思ひもよらず、師匠の御恩ばかりにて、母が哀れみをば捨て給ふべきか。御身を残し、自らさきだちてこそ、順次なるべけれ。思ひもよらぬ例」とて、証空の膝に倒れかかり、涙にむせぶばかりなり。証空は、母の心を取り鎮めて、「よくよく聞こし召せ、師匠の御恩徳に、何をか例へ候ふべき。はかなき仰せとぞ覚えて候へ」「はかなき母がうみ置きてこそ、たふとき師匠の恩徳をも蒙り給へ。母の恩、大海よりも深しとは、誰やの者かいひそめける」「親は一世、師は三世、浅き哀れみなり。知らせ給ふらん」「何とて、情は坐しまさぬぞ。今日の命を知らぬ身の、恥をば誰か隠すべき。適ふまじ」とて、取り付きたり。「聞き給はずや、浄飯大王の御子悉達太子は、一人御座します父大王を振り捨てて、阿羅邏仙人に給仕し給ひしぞかし」「其れは、いきての御別れ、是は、死すべき別れなり。例へにも成るべからず」「御言葉の重きとて、只今隠れ給ふ師匠をや殺し奉るP296べき」「誠に、自ら物ならずは、暇をこひても、何かせん。七生まで不孝ぞ」と言ふ言ふ、まろび給ひける。証空、進退此処にきはまり、師匠の恩徳を報じ奉らんとすれば、母の不孝、永却にもうかび難し。身の置き所無かりければ、母の御前にひざまづき、「不孝の仰せ、悲しみても余り有り。奈落の攻め、いつをか期せん。此の世は、かりの宿りなり。未来こそ、誠の住み処にて候へ。師匠の命に代はり奉らば、御向かひにも参るべし。さあらば、一蓮の縁にも、などかはならで候ふべき。思し召し切り候へ」とて、名残の袂を引きわくる。母は、猶もしたひ兼ね、「然らば、自らをもつれ、一蓮の縁になし給へや。捨てられて、老の身の、何と成るべき」と、悶え悲しみ給ふ。阿闍梨は、母をなだめ兼ね、斯様ならんと思ひなば、中々申し出だすまじかりつる物を、又は、母暇申さずとも、思ひ定むべかりつる事を、心弱くて、斯様に憂き目を見る事よ。惜しみ給ふも、理也。只一人有る子なり。月とも星とも、我をならでは、頼み給はぬ御事なり。一日片時も、見奉らぬだに、心許無くて、隙無き行法の間は、心ならず見奉る事無し。遅き時は、杖にすがり来たり給ひて、ひざまづき、後ろに立ち、夏は扇を使ひ、冬はあたたむる様にたため給ふ。「是、然るべからず」と申せば、「幾程無き自らが心に任せてくれよ」と仰せければ、上人も、P297哀れみ有りて、「心に任せよ」と、御慈悲有るに依つて、片時も離れ給ふ事無し。我又、御哀れみの黙し難さに、暇をはからひ、見奉らんと、通ひしぞかし。実にも、今別れ奉りなば、さこそ悲しく坐しまさめと思へば、涙もせき敢へず。誠に、自ら失せなば、やがても絶え入りしに給ふべき志なれば、立つも立たれず、ぬるもねられず、黯然として、泣くばかりなり。猶しも、母は、ひかへたる袂をはなさで、寄りかかり、泣き鎮み給ひければ、袖引き分け難くて、掌を合はせ、「自らが申す理、よくよく聞こし召し候へ。惜しみ思し召さるる御事、僻事とは存じ候はず。さりながら、かねても申しし如く、此の世は、夢幻と住み成し給へ。仏と申す事、外に無し。我がなす胸の内に明らかなる。月輪のくもらぬを悟りと申し、うづもるるを迷ひと申し候ふ。然れば、仏は、衆生善悪隔て無き由、とき置かせ御座します物を。さあらば、親と成り、子と成り、師と成り、弟子と成り、是皆一心の願に依り、山河大事、ことごとく阿字の一字にこそをさまりて候へ」と怒りければ、母、ひかへたる袖を少し許しける所に、棄恩入無為、真実報恩者の理をつぶさにときければ、母、涙を抑へて、「然らば」とて、許しけり。証空嬉しくて、急ぎ坊に帰りけり。孝行の程ぞ頼もしき。 晴明遅しと、待ちし事なれば、七尺に床をかき、五色の幣を立て並べ、金銭散供、P298数の菓子をもりたて、証空を中に据ゑて、晴明、礼拝恭敬して、数珠はらはらと押し揉み、上は梵天帝釈、四大天王、下は堅牢地神、八大龍王まで勧請して、既に祭文に及びければ、護法の渡ると見えて、色々の金銭幣帛、或いは空に舞ひ上がりて、舞ひ遊び、或いは壇上を躍りまはる。絵像の大聖不動明王は、利剣を振り給ひければ、其の時、晴明、座を立つて、数珠、証空の頭をなで、「平等大慧、一乗妙典」と言ひければ、即ち、上人の苦悩さめて、証空に移りけり。やがて、五体より汗を流し、五蘊を破り、骨髄を砕く事、言ふに及ばず。是を見る人、晴明が奇特のたふとき、証空の志の有り難さに、色々の袖絞るばかりなり。さて、証空の方よりは、煙立ちて、苦悩忍び難かりしかば、年頃頼み奉る絵像の不動明王をにらみ奉り、「我、二無き命を召し取りて、屍を壇上に止む。正念に住して、安養浄刹に向かへ取り給へ。知我心者、即身成仏、誤り給ふな」と、一心の願をなしければ、明王、哀れとや思しけん。絵像の御眼より、紅の御涙はらはらと流させ給ひて、「汝、たふとくも法恩を重くして、一人の親を振り捨て、命に変はる志、報じても余り有り。我又、如何でか汝が命に変はらざるべき。行者を助けん。かたいしゆくの誓ひは、地蔵薩■に限らず。うくる苦悩を見よ」と、あらたに霊験現れければ、明王の御頂P299より、猛火ふすぼり出で、五体をつつめ給ふ。たふとしとも、忝し共言ひ難し。即ち、証空が苦悩止まりけり。智興上人も助かり給ふ事、有り難かりし例なり。然れば、三井寺に泣不動とて、寺の重宝の其の一つ也。流させ給ひし御涙紅にして、御胸まで流れかかりて、今に有るとぞ承り伝へたる。師匠の御恩は、斯様にこそ重き事にて候へ。
 @〔鞠子川の事〕S0706N112
 「寺を忍び出で候ひし時、権現に御暇をも申さず、まして、師匠にかくとも申さざりし事、今に其の恐れ残りて覚え候ふ」と申したりければ、十郎も、「さこそ」とて、箱根路にぞかかりける。鞠子河渡りけるが、手網かいくり申しけるは、「わ殿三つ、祐成五つの年より、二十余の今まで、此の川を一月に四五度づつも渡りつらん。如何なる日なれば、今渡りはてん事の哀れさよ。などや覧、いつよりも、此の川の水濁りて候ふ。心許無し」と言ひければ、五郎申す様、「皆人の冥途におもむく時は、物の色変はり候ふ。我等が行くべき道、曾我を出づるは、娑婆を別るるにて候ふ。此の川は、三途川、湯坂峠は、死出の山、鎌倉殿は、閻魔王、御前祗候の侍共は、獄卒阿防羅刹、左衛門の尉は、P300善知識、箱根の別当は、六道能化地蔵菩薩と念じ奉る。此の川の水、色変はると見えてこそ候へ」とて、駒打ち入れけるが、やや有りて、十郎、
五月雨に浅瀬も知らぬ鞠子川波に争ふ我が涙かな W029
五郎聞きて、歌の体悪しくや思ひけん、行縢鼓打ちならし、かくぞ詠じける、
渡るより深くぞ頼む鞠子川親の敵に逢瀬と思へば W030
斯様に思ひ連ね、通る所は阿弥陀のいんしゆ、かさまてら、湯本の宿を打ち過ぎ、湯坂峠に駒をひかへ、弓杖つきて、申しけるは、「人生まれて、三ケ国にてはつるとは、理也。我生まるる所は伊豆の国、育つ所は、相模の国、最後所は駿河の国富士野裾野の露と消えなん不思議さよ」。五郎聞きて、「其の最後所が大事にて候ふぞ。心得給へ」といさむれば、古里の名残や惜しかりけん、我が方の空をはるばるとながむれば、只雲のみうすけぶり、何処を其処共知らねども、「煙少し見えたるは、もし曾我にてや候ふらん」。道三郎、是を顧みて、「煙は余所にて候ふ。其れよりも南のくろき森に、雲のかかりて候ふこそ、曾我にて候へ」と申しければ、古き事共の思ひ出られて、
曾我林霞なかけそ今朝ばかり今を限りの道と思へば W031
と打ちながめ、涙ぐみけり。五郎、此の有様を見て、此の心に同心しては、はかばかしきことあらじ、いさめばやと思ひければ、しかり声に成りて、「殿こそ、大磯・小磯P301や古里をもながめ給へ。時宗におきては、思ふ事こそ、忙はしく候へ」とて、駒引き寄せ、掛け出だし、二町計掛け通りぬ。十郎、興さめて思ひながら、駒掛け出だし、追ひ付きけり。五郎又、引き下がりくどきけるは、「人界に生をうくる者、誰かは後の名残惜しからで候ふべき。鬼王・道三郎が心をも、御兼ね候へかし。彼等をば、曾我へ返し候ふべし。此の事適ひて候はば、申すに及ばず。し損ずる物ならば、此の人々が、此処にて歌を詠み、彼処にては詩を詠じて、しもたてぬ事なんどあざけらんも、口惜し。如何ばかりとか思し召し候ふ」と申しければ、理に攻められて、其の後、歌をも読まず、横目をもせで、打ちける程に、大崩にこそ付きけれ。
 @〔二宮の太郎にあひし事〕S0707N113
 道の末を見渡しければ、馬乗り五六騎出で来たる。十郎見て、「二宮殿と覚えたり。いざや、此の事一はし語らん」と言ふ。五郎聞きて、余りの事なれば、返事もせず。やや有りて申しけるは、「如何で斯様の大事、聟には知らせ候ふべき。異姓他人にては候はずや。如何なる人か、世に無き我等が死にに行くと語らはんに、同意する者や候ふべき。対面計にて、御通り候へ」。十郎聞きて、「御分の心を見んとてこそ」と雑談して、間近くなりP302ければ、此の人々、馬より下り、弓取り直し、色代す。「人々、何処へ行き給ふぞや」「鎌倉殿、富士野御狩と承、狩座の体見参らせて、末代の物語にと思ひ立ちて、罷り出で候ふ」と申す。義実聞きて、「哀れ、人々、無用の見物かな。馬・鞍見苦しくての見物、然るべからず。是より帰り給へ。某をも、御供と申されつるを、見苦しさに、風気の由、梶原が方へ申して遣はし候ふぞ。面々も、只是より帰り給ひて、二宮に逗留し、笠懸など射て、遊び給へ」と申しければ、十郎、「もつ共畏まり存じ候へ共、斯様の事、有り難し、見物と存じ、既に思ひ立ち候ふ。馬は山をば引かせ候ふべし。帰りには参り、しばし逗留仕り候ふべし。まうけ肴御用意候へ」と申しければ、「此の上は、御帰りをこそ待ち申すべし」とて、馬引き寄せ打ち乗り、東西へ打ち別れけり。只世の常とは思へ共、是ぞ最後なりける。扨も、我等討ち死にの後、形見共送りなん。其の時、男子なりせば、一道にこそ成るべきに、女の身の悲しさは、其れこそ適はずとも、道より最後のことづてだにも無かりつるよと恨み給はん事、疑ひ無し。志の程こそ、無慙なれ。
 @〔矢立の杉の事〕S0708N114P303
 「とても捨つべき命、遅速同じ事也。さりぬべき便宜もこそあらめ、一時も急げや」とて、駒め早めて打つ程に、矢立の杉にぞつきにける。此の杉と申すは、もとは湯本の杉と言ひけるを、九州に阿蘇の平権守とて、虎狼臣有り。九国を打ち従へて、きちやうする事、四か年也。軍する事、五十余度也。其の時、生年七十二歳也。剰へ天下を悩まし奉らんとて、国を催す聞こえ有りければ、六孫王の御時、其の討手の為に、関東の兵を召されて上りしに、此の杉のもとに下り居て、祈りけるは、「九州に下り、権守を打ち従へ、難無く都に帰り上り、名を後代に上ぐべくは、一の矢受け取り給へ」とて、各射けるに、一人も射損ぜず。扨、筑紫に下り、合戦するに、難無く打ち勝つて、帰り上りぬ。其の時よりして、矢立の杉と申しけり。「門出めでたき杉とて、上下旅人、心有るも無きも、此の木に上矢を参らせぬは無し。況や、我等、思ふ事有りて行く者ぞかし。如何で、上矢を参らせざらんとて、十郎、一の枝に止む。五郎は、二の枝にぞ射たてたる。何と無く射留めけれ共、十郎は、宵に打たれ、五郎は、朝切られにけり。此の瑞相現れて、一二の枝の隔て、不思議也とて、思ひ合はせける。さて、駒を早めて打つ程に、箱根の御山にぞ付きにける。