曾我物語 国民文庫本
凡例
底本:国民文庫「曾我物語」 明治44年

章段名の後にS+巻(上2桁)+章段(下2桁)で表記しました。
岩波大系のP26〜35の諸本対照表の章段の通し番号をN+(3桁)で表記しました。
参考としまして岩波大系本のページ数を表示しました。改行なし。P+ページ数(3桁)。
語句を他本を参照して改めた箇所があります。
仮名を漢字に改め、漢字の表記を変えた箇所が有ります。
漢字を仮名に改めたものも有ります。

曾我物語
P049曾我物語巻第一(だいいち)
 〔神代(かみよ)の始(はじ)まりの事(こと)〕S0101N001
 夫(そ)れ、日域(じちゐき)秋津島(あきつしま)は、是(これ)、国常立尊(くにとこたちのみこと)より事(こと)起(お)こり、■土■(うひぢに)・沙土■(すひぢに)、男神(なんしん)・女神(によしん)を始(はじ)めとして、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)まで、以上天神七代にて渡(わた)らせ給(たま)ひき。又(また)、天照大神(あまてるおほんかみ)より、彦波瀲武■■草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあわせずのみこと)まで、以上地神五代にて、多(おほ)くの星霜(せいさう)を送(おく)り給(たま)ふ。然(しか)るに、神武(じんむ)天皇(てんわう)と申(まう)し奉(たてまつ)るは、葺不合(ふきあわせず)の御子(みこ)にて、一天(いつてん)の主(あるじ)、百皇(はくわう)にも始(はじ)めとして、天下(てんが)を治(をさ)め給(たま)ひしより此(こ)の方(かた)、国土(こくど)を傾(かたぶ)け、万民(ばんみん)の恐(おそ)るる謀(はかりこと)、文武(ぶんぶ)の二道(にだう)にしくは無(な)し。好文(かうぶん)の族(やから)を寵愛(ちようあい)せられずは、誰(たれ)か万機(ばんき)の政(まつりごと)を助(たす)けむ。又は、勇敢(ようかん)の輩(ともがら)を抽賞(ちうしやう)せられずは、如何(いか)でか四海(しかい)の乱(みだ)れを鎮(しづ)めん。かるが故(ゆゑ)に、唐(たう)の大宗文(たいそうぶん)皇帝(くわうてい)は、瘡(きず)をすひて、戦士(せんし)を賞(しやう)し、漢(かん)の高祖(かうそ)は、三尺(さんじやく)の剣(けん)を帯(たい)して、諸侯(しよこう)を制(せい)し給(たま)ひき。然(しか)る間(あひだ)、本朝(ほんてう)にも、中頃(なかごろ)より、源平(げんぺい)両氏(りやうじ)を定(さだ)め置(お)かれしより此(こ)の方(かた)、武略(ぶりやく)を振(ふ)るひ、朝家(てうか)を守護(しゆご)し、互(たが)ひに名将(めいしやう)P050の名(な)を現(あらは)し、諸国(しよこく)の狼藉(らうぜき)を鎮(しづ)め、既(すで)に四百余回(よくわい)の年月(としつき)を送(おく)り畢(をは)んぬ。是(これ)清和(せいわ)の後胤(こうゐん)、又(また)桓武(くわんむ)の累代(るいたい)なり。然(しか)りと雖(いへど)も、皇氏(わうじ)を出(い)でて、人臣(じんしん)に連(つら)なり、鏃(やじり)をかみ、鋒先(ほこさき)を争(あらそ)ふ志(こころざし)、とりどり也(なり)。
 〔惟喬(これたか)・惟仁(これひと)の位(くらゐ)争(あらそ)ひの事(こと)〕S0102N002
 抑(そもそも)、源氏(げんじ)と言(い)つぱ、桓武天皇(くわんむてんわう)より四代の皇子(わうじ)を田村(たむら)の御門(みかど)と申(まう)しけり。皇子(わうじ)二人御座(おは)します。第一(だいいち)、惟喬(これたか)の親王(しんわう)と申(まう)す。帝(みかど)殊(こと)に御志(おんこころざし)思(おぼ)し召(め)して、東宮(とうぐう)にも立(た)て、御位(くらゐ)を譲(ゆづ)り奉(たてまつ)らばやと思(おぼ)し召(め)されける。第二(だいに)の御子(みこ)をば、惟仁(これひと)の親王(しんわう)と申(まう)しき。未(いま)だ幼(いとけな)く御座(おは)します。御母(はは)は染殿(そめどの)の関白(くわんばく)忠仁公(ちゆうじんこう)の御娘(むすめ)也(なり)ければ、一門(いちもん)の公卿(くぎやう)、卿相(けいしやう)雲客(うんかく)共(ども)まで愛(あい)し奉(たてまつ)る。是(これ)も又(また)、黙(もだ)し難(がた)くぞ思(おぼ)し召(め)されける。彼(かれ)は継体(けいてい)あひふんの器量(きりやう)也(なり)。是(これ)は、万機(ばんき)ふいの臣相(しんさう)なり。是(これ)を背(そむ)きて、宝祚(ほうそ)を授(さづ)くる物(もの)ならば、用捨(ようしや)私(わたくし)有(あ)りて、臣下(しんか)唇(くちびる)を翻(ひるがへ)すに依(よ)りて、御位(くらゐ)を譲(ゆづ)り奉(たてまつ)るべしとて、天安二年三月二日に、二人の御子(みこ)達(たち)を引(ひ)き具(ぐ)し奉(たてまつ)り、右近の馬場(ばば)へ行幸(ぎやうがう)成(な)る。月卿(げつけい)雲客(うんかく)、花の袂(たもと)を重(かさ)ね、玉(たま)の裙(もすそ)を連(つら)ね、右近(うこん)の馬場(ばば)、供奉(ぐぶ)せらる。此(こ)の事(こと)、希代(きたい)の勝事(しようし)、天下(てんが)の不思議(ふしぎ)とぞ見(み)えし。御子(みこ)達(たち)P051も、東宮(とうぐう)の浮沈(ふちん)、是(これ)に有(あ)りと見(み)えし。然(さ)れば、様々(さまざま)の御(おん)祈(いの)り共(ども)有(あ)りける。惟喬(これたか)の御(おん)祈(いの)りの師(し)には、柿本(かきのもと)の紀(き)僧正(そうじやう)真済(しんぜい)とて、東寺(とうじ)の長者(ちやうじや)、弘法(こうぼふ)大師(だいし)の御弟子(でし)なり。惟仁(これひと)の親王(しんわう)の御(おん)祈(いの)りの師(し)には、我(わ)が山の住侶(ぢゆうりよ)に、恵亮(ゑりやう)和尚(くわしやう)とて、慈覚(じかく)大師(だいし)の御弟子(でし)にて、めでたき上人(しやうにん)にてぞ渡(わた)らせ給(たま)ひける。西塔(さいたふ)の平等坊(びやうどうばう)にて、大威徳(だいゐとく)の法(ほふ)をぞ行(おこな)ひける。既(すで)に競馬(けいば)は、十番(ばん)の際(きは)に定(さだ)められしに、惟喬(これたか)の御方(かた)に、続(つづ)けて四番(ばん)勝(か)ち給(たま)ひけり。惟仁(これひと)の御方(かた)へ心(こころ)を寄(よ)せ奉(たてまつ)る人々(ひとびと)は、汗(あせ)を握(にぎ)り、心(こころ)を砕(くだ)きて、祈念(きねん)せられける。惟仁(これひと)の御方(かた)へは、右近(うこん)の馬場(ばば)より、天台山(てんだいさん)平等坊(びやうどうばう)の壇(だん)上へ、御(おん)使(つか)ひ馳(は)せ重(かさ)なる事(こと)、只(ただ)櫛(くし)の歯(は)を引(ひ)くが如(ごと)し。「既(すで)に御方(みかた)こそ、四番続(つづ)けて負(ま)けぬれ」と申(まう)しければ、恵亮(ゑりやう)、心(こころ)憂(う)く思(おも)はれて、絵像(ゑざう)の大威徳(だいゐとく)を逆様(さかさま)に掛(か)け奉(たてまつ)り、三尺(さんじやく)の土牛(とぎう)を取(と)りて、北(きた)向(む)きに立(た)て、行(おこな)はれけるに、土牛(とぎう)躍(をど)りて、西(にし)向(む)きになれば、南(みなみ)に取(と)りて押(お)し向(む)け、東向(む)きになれば、西(にし)に取(と)りて押(お)し直(なほ)し、肝胆(かんたん)を砕(くだ)きて揉(も)まれしが、猶(なほ)居(ゐ)兼(か)ねて、独鈷(とつこ)を以て、自(みづか)ら脳(なづき)をつき砕(くだ)きて、脳(なう)を取(と)り、罌粟(けし)に混(ま)ぜ、炉(ろ)に打(う)ちくべ、黒煙(くろけぶり)を立(た)て、一揉(も)み揉(も)み給(たま)ひければ、土牛(とぎう)たけりて、声(こゑ)を上(あ)げ、絵像(ゑざう)の大威徳(だいゐとく)、利剣(りけん)を捧(ささ)げて、振(ふ)り給(たま)ひければ、所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)してげりと、御心(おんこころ)述(の)べ給(たま)ふ所(ところ)に、「御方(かた)こそ、六番(ろくばん)続(つづ)けて勝(か)ち給(たま)ひ候(さうら)へ」と、御(おん)使(つか)ひ走(はし)り付(つ)きければ、喜悦(きえつ)の眉(まゆ)を開(ひら)き、急(いそ)ぎ壇(だん)をぞ下(お)りられける。有(あ)り難(がた)しP052瑞相(ずいさう)なり。然(さ)れば、惟人(これひと)の親王(しんわう)、御位(おんくらゐ)に定(さだ)まり、東宮(とうぐう)に立(た)たせ給(たま)ひけり。然(しか)るに、延暦寺(えんりやくじ)の大衆(だいしゆ)の僉議(せんぎ)にも、「恵亮(ゑりやう)脳(なづき)を砕(くだ)きしかば、次弟(じてい)位(くらゐ)に即(つ)き、そんゑ剣(けん)を振(ふ)り給(たま)へば、菅丞(かんしやう)霊(れい)をたれ給(たま)ふ」とぞ申(まう)しける。是(これ)に依(よ)りて、惟喬(これたか)の御持僧(ぢそう)真済(しんぜい)僧正(そうじやう)は、思(おも)ひ死(じ)ににぞ失(う)せ給(たま)ひたる。御子(こ)も、都(みやこ)へ御(おん)帰(かへ)り無(な)くして、比叡山(ひえいさん)の麓(ふもと)小野(をの)と言(い)ふ所(ところ)に閉(と)ぢ籠(こも)らせ給(たま)ひける。頃(ころ)は神無月(かんなづき)末(すゑ)つ方(かた)、雪(ゆき)げの空(そら)の嵐(あらし)にさえ、しぐるる雲(くも)の絶間(たえま)無(な)く、都(みやこ)に行(ゆ)き交(か)ふ人も稀(まれ)なりけり。況(いはん)や小野(をの)の御(おん)住(す)まひ、思(おも)ひ遣(や)られて哀(あは)れ也(なり)。此処(ここ)に、在五(ざいご)中将(ちゆうじやう)在原(ありはら)の業平(なりひら)、昔(むかし)の御(おん)契(ちぎ)り浅(あさ)からざりし人也(なり)ければ、紛々(ふんぷん)たる雪(ゆき)を踏(ふ)み分(わ)け、泣(な)く泣(な)く御跡(あと)を尋(たづ)ね参(まゐ)りて、見(み)参(まゐ)らすれば、孟冬(まうとう)移(うつ)り来(き)たりて、紅葉(こうえふ)嵐(あらし)に絶(た)え、りういんけんかとうしやくしやくたり。折(をり)に任(まか)せ、人目(ひとめ)も草(くさ)も枯(か)れぬれば、山里(ざと)いとど寂(さび)しきに、皆(みな)白妙(しろたえ)の庭(には)の面(おも)、跡(あと)踏(ふ)み付(つ)くる人も無(な)し。御子(こ)は、端(はし)近(ちか)く出(い)でさせ給(たま)ひて、南殿(なんでん)の御格子(かうし)三間(げん)ばかり上(あ)げて、四方(よも)の山(やま)を御覧(ごらん)じ、珍(めづら)しげにや、「春(はる)は青(あを)く、夏(なつ)は茂(しげ)り、秋は染(そ)め、冬は落(お)つる」と言(い)ふ、昭明太子(せうめいたいし)の、思(おぼ)し召(め)し連(つら)ね、「香爐峰(かうろほう)の雪(ゆき)をば、簾(すだれ)を掲(かか)げて見(み)るらん」と、御口(くち)ずさみ給(たま)ひけり。中将(ちゆうじやう)、此(こ)の有様(ありさま)を見(み)奉(たてまつ)るに、只(ただ)夢(ゆめ)の心地(ここち)せられける。近(ちか)く参(まゐ)りて、昔(むかし)今(いま)の事(こと)共(ども)申(まう)し承(うけたまは)るに付(つ)けても、御衣(ぎよい)の御袂(たもと)、絞(しぼ)りも敢(あ)へさせ給(たま)はず、鳥飼(とりかひ)の院(ゐん)の御遊幸(いうがう)、交野(かたの)の雪(ゆき)の御鷹狩(たかがり)まで、思(おぼ)し召(め)し出(い)でP053られて、中将(ちゆうじやう)かくぞ申(まう)されける。忘(わす)れては夢(ゆめ)かとぞ思(おも)ふ思(おも)ひきや雪(ゆき)踏(ふ)み分(わ)けて君(きみ)を見(み)んとは W001御子(こ)も取(と)り敢(あ)へさせ給(たま)はで、返(かへ)り、夢(ゆめ)かとも何(なに)か思(おも)はん世(よ)の中を背(そむ)かざりけん事(こと)ぞ悔(くや)しき W002かくて、貞観(ぢやうぐわん)四年(しねん)に、御出家(しゆつけ)渡(わた)らせ給(たま)ひしかば、小野宮(をののみや)とも申(まう)しけり。又は、四品(しほん)宮内卿宮(くないきやうのみや)とも申(まう)しけり。文徳(もんどく)天皇(てんわう)、御年(とし)三十にて、崩御(ほうぎよ)なりしかば、第二(だいに)の皇子(わうじ)、御年(とし)九歳(さい)にて、御(おん)譲(ゆづ)りを受(う)け給(たま)ふ。清和(せいわ)天皇(てんわう)の御事(おんこと)、是(これ)なる。後(のち)には、丹波(たんば)の国(くに)水尾(みづのを)の里(さと)に閉(と)ぢ籠(こも)らせ給(たま)ひければ、水尾帝(みづのをのてい)とぞ申(まう)しける。皇子(わうじ)数多(あまた)御座(おは)します。第一(だいいち)を陽成院(やうぜいゐん)、第二(だいに)を貞固(ていこ)親王(しんわう)、第三をていけい親王(しんわう)、第四を貞保(ていほう)親王(しんわう)、此(こ)の皇子(わうじ)は、御琵琶(びは)の上手(じやうず)にて御座(おは)します。桂(かつら)の新王(しんわう)とも申(まう)しけり。鏨(こころ)を懸(か)けらる女(をんな)は、月の光(ひかり)を待(ま)ち兼(か)ね、蛍(ほたる)を袂(たもと)に包(つつ)む、此(こ)の御子(こ)の御事(おんこと)なり。今(いま)のしけのこの先祖(せんぞ)なり。第五(だいご)を貞平(ていへい)親王(しんわう)、第六を貞純(ていじゆん)親王(しんわう)とぞ申(まう)しける。六孫王(ろくそんわう)、是(これ)なり。然(さ)れば、彼(か)の親王(しんわう)の嫡子(ちやくし)、多田(ただ)の新発意(しんぼつ)満仲(まんぢゆう)、其(そ)の子摂津守(つのかみ)頼光(らいくわう)、次男(じなん)大和守(やまとのかみ)頼親(らいしん)、三男(さんなん)多田(ただ)の法眼(ほふげん)とて、山法師(やまぼふし)にて、三塔(さんたふ)第一(だいいち)の悪僧(あくそう)なり。四郎(しらう)河内守(かはちのかみ)頼信(よりのぶ)、其(そ)の子伊予(いよ)入道頼義(らいぎ)、其(そ)の嫡子(ちやくし)八幡(はちまん)太郎(たらう)義家(よしいへ)、其(そ)の子但馬守(たぢまのかみ)義親(よしちか)、次男(じなん)河内(かはち)の判官(はんぐわん)義忠(よしただ)、三男(さんなん)式部(しきぶ)の太夫義国(よしくに)、四男(なん)六条(ろくでう)の判官(はんぐわん)為義(ためよし)、其(そ)の子(こ)左馬(さま)の頭義朝(よしとも)、其(そ)の嫡子(ちやくし)鎌倉(かまくら)の悪源太(あくげんだ)義平(よしひら)、次男(じなん)中宮(ちゆうぐう)の大夫進(だいぶのしん)朝長(ともなが)、三男(さんなん)右近衛(うこんゑ)の大将(たいしやう)頼朝(よりとも)P054の上(うへ)越(こ)す源氏(げんじ)ぞ無(な)かりける。此(こ)の六孫王(ろくそんわう)より此(こ)の方(かた)、皇氏(わうじ)を出(い)でて、始(はじ)めて源(みなもと)の姓(しやう)を賜(たま)はり、正体(しやうたい)をさりて、長(なが)く人臣(じんしん)に連(つら)なり給(たま)ひて後(のち)、多田(ただ)の満仲(まんぢゆう)より、下野守(しもつけのかみ)義朝(よしとも)に至(いた)るまで七代は、皆(みな)諸国(しよこく)の竹符(ちくふ)に名(な)を掛(か)け、芸(げい)を将軍(しやうぐん)の弓馬(きゆうば)に施(ほどこ)し、家(いへ)にあらずして、四海(しかい)を守(まも)りしに、白波(はくは)猶(なほ)越(こ)えたり。然(さ)れば、各々(おのおの)剣(けん)を争(あらそ)ふ故(ゆゑ)に、互(たが)ひに朝敵(てうてき)に成(な)りて、源氏(げんじ)世(よ)を乱(みだ)せば、平氏(へいじ)勅宣(ちよくせん)を以(もつ)て、是(これ)を制(せい)して朝恩(てうおん)に誇(ほこ)り、平将(へいしやう)国(くに)を傾(かたぶ)くれば、源氏(げんじ)しよめいに任(まか)せて、是(これ)を罰(ばつ)して、勲功(くんこう)を極(きは)む。然(しか)れば、近頃(ちかごろ)、平氏(へいじ)長(なが)く退散(たいさん)して、源氏(げんじ)自(おの)づから世(よ)に誇(ほこ)り、四海(しかい)の波瀾(はらん)を治(をさ)め、一天(いつてん)のはうきよ定(さだ)めしより此(こ)の方(かた)、りらくりんゑたかいいて、吹(ふ)く風(かぜ)の声(こゑ)穏(おだ)やか也(なり)。然(しか)れば、叡慮(えいりよ)を背(そむ)くせいらうは、色(いろ)を雄剣(おうけん)の秋の霜(しも)にをかされ、てこそをみたすはしは、音(おと)を上弦(しやうげん)の月に澄(す)ます。是(これ)、偏(ひとへ)に羽林(うりん)の威風(いふう)、先代(だい)にも越(こ)えて、うんてうの故(ゆゑ)也(なり)。然(しか)るに、せいしをひそめて、せいとの乱(みだ)れを制(せい)し。私曲(しきよく)の争(あらそ)ひを止(や)めて、帰伏(きぶく)せらるるは無(な)かりけり。
 〔伊東(いとう)を調伏(てうぶく)する事(こと)〕S0103N006P055
 此処(ここ)に、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、伊東(いとう)の二郎(じらう)祐親(すけちか)が孫(まご)、曾我(そが)の十郎(じふらう)祐成(すけなり)、同(おな)じく五郎(ごらう)時致(ときむね)と言(い)ふ者(もの)有(あ)りて、将軍(しやうぐん)の陣内(ぢんない)も憚(はばか)らず、親(おや)の敵(かたき)を打(う)ち取(と)り、芸(げい)を戦場(せんぢやう)に施(ほどこ)し、名(な)を後代(こうたい)に止(とど)めけり。由来(ゆらい)を詳(くは)しく尋(たづ)ぬれば、即(すなは)ち一家(か)の輩(ともがら)、工藤(くどう)左衛門(さゑもん)祐経(すけつね)なり。例(たと)へば、伊豆(いづ)の国(くに)伊東(いとう)・河津(かはづ)・宇佐美(うさみ)、此(こ)の三ケ所(しよ)をふさねて、■美庄(くすみのしやう)と号(かう)するの本主(ほんじゆ)は、■美(くすみ)の入道(にふだう)寂心(じやくしん)にてぞ有(あ)りける。在国(ざいこく)の時(とき)は、工藤(くどう)大夫(たいふ)祐隆(すけたか)と言(い)ひけり。男子(なんし)数多(あまた)持(も)ちたりしが、皆(みな)早世(さうせい)して、遺跡(ゆいせき)既(すで)に絶(た)えんとす。然(しか)る間(あひだ)、継女(ままむすめ)の子(こ)を取(と)り出(い)だし、嫡子(ちやくし)に立(た)てて、伊東(いとう)を譲(ゆづ)り、武者所(むしやどころ)に参(まゐ)らせ、工藤(くどう)武者(むしや)祐継(すけつぐ)と号(かう)す。又(また)、嫡孫(ちやくそん)有(あ)り、次男(じなん)に立(た)てて、河津(かはづ)を譲(ゆづ)り、河津(かはづ)二郎(じらう)と名乗(なの)らせ、然(しか)る間(あひだ)、寂心(じやくしん)他界(たかい)の後(のち)、祐親(すけちか)思(おも)ひけるは、我(われ)こそ、嫡々(ちやくちやく)なれば、嫡子(ちやくし)に、異姓(いしやう)他人(たにん)の継女(ままむすめ)の子、此(こ)の家(いへ)に入(い)りて、相続(さうぞく)するこそ、安(やす)からねと思(おも)ふ心(こころ)付(つ)きにけり。是(これ)、誠(まこと)に神慮(しんりよ)にも背(そむ)き、子孫(しそん)も絶(た)えぬべき悪事(あくじ)なるをや。仮令(たとひ)他人(たにん)なりと言(い)ふとも、親(おや)養(やう)じて譲(ゆづ)る上(うえ)は、違乱(いらん)の義(ぎ)有(あ)るべからず。まして、是(これ)は、寂心(じやくしん)、内々(ないない)継女(ままむすめ)のもとに通(かよ)ひて、設(まう)けたる子(こ)也(なり)。誠(まこと)には兄(あに)なり。譲(ゆづ)りたる上(うへ)、争(あらそ)ふ事(こと)、無益(むやく)の由(よし)、余所(よそ)余所(よそ)にも申(まう)し合(あ)ひけり。然(さ)れども、祐親(すけちか)止(とど)まらで、対決(たいけつ)度々に及(およ)ぶと雖(いへど)も、譲状(ゆづりぢやう)を捧(ささ)ぐる間(あひだ)、伊東(いとう)が所領(しよりやう)に成(な)りて、河津(かはづ)は負(ま)けてぞ下(くだ)りける。其(そ)の後(のち)、上(うへ)に親(した)しみながら、内々(ないない)安からぬ事(こと)にぞ思(おも)ひける。然(さ)れども、P056我(わ)が力(ちから)には適(かな)はで、年月(としつき)を送(おく)り、或(あ)る時(とき)、祐親(すけちか)、箱根(はこね)の別当(べつたう)を秘(ひそ)かに呼(よ)び下(くだ)し奉(たてまつ)り、種々(しゆじゆ)にもてなし、酒宴(しゆえん)過(す)ぎしかば、近(ちか)く居(ゐ)寄(よ)り、畏(かしこ)まりて申(まう)しけるは、「予(かね)てより知(し)ろし召(め)されて候(さうら)ふ如(ごと)く、伊東(いとう)をば、嫡々(ちやくちやく)にて、祐親(すけちか)が相(あひ)継(つ)ぎ候(さうら)ふべきを、思(おも)はずの継女(ままむすめ)の子来(き)たりて、父(ちち)の墓所(はかどころ)、先祖(せんぞ)の重代(ぢゆうだい)の所領(しよりやう)を横領(わうりやう)仕(つかまつ)る事(こと)、余所(よそ)にて見(み)え候(さうら)ふが、余(あま)りに口惜(くちを)しく候(さうら)ふ間(あひだ)、御心(おんこころ)をも憚(はばか)らず、申(まう)し出(い)だし候(さうら)ふ。然(しか)るべくは、伊東(いとう)武者(むしや)が二(ふた)つ無(な)き命(いのち)を、立所(たちどころ)に失(うしな)ひ候(さうら)ふ様(やう)に、調伏(てうぶく)有(あ)りて見(み)せ給(たま)へ」と申(まう)しければ、別当(べつたう)聞(き)き給(たま)ひて、暫(しばら)く物(もの)も宣(のたま)はず、やや有(あ)りて、「此(こ)の事(こと)、よくよく聞(き)き給(たま)へ。一腹(いつぷく)一生(いつしやう)にてこそ坐(ま)しまさね、兄弟(きやうだい)なる事(こと)は眼前(がんぜん)也(なり)。公方(くばう)までも聞(き)こし召(め)し開(ひら)かれ、既(すで)に御下知(げぢ)をなさるる上は、隔(へだ)ての御(おん)恨(うら)みは、然(さ)る事(こと)にて候(さうら)へども、忽(たちま)ちに害心(がいしん)を起(お)こし、親(おや)の掟(おきて)を背(そむ)き給(たま)はん事(こと)、然(しか)るべからず。神明(しんめい)は、正直(しやうじき)の頭(かうべ)に宿(やど)り給(たま)ふ事(こと)なれば、定(さだ)めて天の加護(かご)も有(あ)るべからず、冥(みやう)の照覧(せうらん)も恐(おそ)ろし。其(そ)の上(うへ)、愚僧(ぐそう)は、幼少(えうせう)より、父母(ちちはは)の塵欲(ぢんよく)を離(はな)れ、師匠(ししやう)のかんしんに入(い)りて、所説(しよせつ)の教法(けうぼふ)を学(がく)し、円頓(ゑんどん)止観(しくわん)の門(もん)をのぞみ、一ねんまいに、稼穡(かしよく)の艱難(かんなん)を思(おも)ひ、一度(ひとたび)切(き)る時(とき)、紡績(ばうせき)の辛苦(しんく)を忍(しの)ぶ。三衣(ゑ)を墨(すみ)に染(そ)め、鬢髪(びんぱつ)をまろめ、仏(ほとけ)の遺願(ゆいぐわん)に任(まか)せ、五戒(ごかい)を保(たも)ちしより此(こ)の方(かた)、物(もの)の命(いのち)を殺(ころ)す事(こと)、仏(ほとけ)殊(こと)に戒(いまし)め給(たま)ふ。然(さ)れば、衆生(しゆじやう)の身(み)の中には、三身(さんじん)仏性(ぶつしやう)とて、P057三体(さんたい)の仏(ほとけ)の坐(ま)します。然(しか)るに、人の命(いのち)を奪(うば)はん事(こと)、三世(さんぜ)の諸仏(しよぶつ)を失(うしな)ひ奉(たてまつ)るに同(おな)じ。諸々(もろもろ)以(もつ)て、思(おも)ひ寄(よ)らざる事(こと)なり」とて、箱根(はこね)に上(のぼ)り給(たま)ひけり。河津(かはづ)は、なまじひなる事(こと)申(まう)し出(い)だして、別当(べつたう)、承引(しよういん)無(な)かりければ、其(そ)の後(のち)、消息(せうそく)を以(もつ)て、重(かさ)ね重(がさ)ね申(まう)しけれども、猶(なほ)用(もち)ひ給(たま)はず。如何(いかが)せんとて、秘(ひそ)かに箱根(はこね)に上(のぼ)り、別当(べつたう)に見参(げんざん)して、近(ちか)く居(ゐ)寄(よ)りて、ささやきけるは、「物(もの)其(そ)の身(み)にては候(さうら)はねども、昔(むかし)より師檀(しだん)の契約(けいやく)浅(あさ)からで、頼(たの)み頼(たの)まれ奉(たてまつ)りぬ。祐親(すけちか)が身(み)におきて、一生(いつしやう)の大事(だいじ)、子々(しし)孫々(そんそん)までも、是(これ)にしくべからず候(さうら)ふ。再往(さいわう)に、申(まう)し入(い)れ候(さうら)ふ条(でう)、誠(まこと)に其(そ)の恐(おそ)れ少(すく)なからず候(さうら)へども、彼(か)の方(かた)へ返(かへ)り聞(き)こえなば、重(かさ)ねたる難儀(なんぎ)、出(い)で来(き)たり候(さうら)ふべし。然(さ)ればにや、浮沈(ふちん)に及(およ)び候(さうら)ふ」と、くれぐれ申(まう)しければ、始(はじ)めは、別当(べつたう)、大(おほ)きに辞退(じたい)有(あ)りけるが、誠(まこと)に檀那(だんな)の情(なさけ)もさり難(がた)くして、おろおろ領状(りやうじやう)有(あ)りければ、河津(かはづ)、里(さと)へぞ下(くだ)りける。別当(べつたう)、そき無(な)き事(こと)ながら、檀那(だんな)の頼(たの)むと申(まう)しければ、壇(だん)を立(た)て、荘厳(しやうごん)して、伊東(いとう)を調伏(てうぶく)せられけるこそ、恐(おそ)ろしけれ。始(はじ)め三日の本尊(ほんぞん)には、来迎(らいかう)の阿弥陀(あみだ)の三尊(ぞん)、六道能化(のうけ)の地蔵(ぢざう)菩薩(ぼさつ)、檀那(だんな)河津(かはづ)次郎(じらう)が所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)の為(ため)、伊東(いとう)武者(むしや)が二(ふた)つ無(な)き命を取(と)り、来世(らいせ)にては、観音(くわんおん)・勢至(せいし)、蓮台(れんだい)を傾(かたぶ)け、安養(あんやう)の浄刹(じやうせつ)に引接(いんぜう)し給(たま)へ、片時(へんし)も、地獄(ぢごく)に落(お)とし給(たま)ふなと、他念(たねん)無(な)く祈(いの)られけり。後(のち)七日の本尊(ほんぞん)には、烏蒭沙摩金剛(うすさまこんがう)とかう童子(どうじ)、五大明王(みやうわう)の威験(いげん)殊勝(しゆせう)なるを、P058四方(しはう)に掛(か)けて、紫(むらさき)の袈裟(けさ)を帯(たい)し、種々(しゆじゆ)に壇(だん)を飾(かざ)り、肝胆(かんたん)を砕(くだ)き、汗(あせ)をものごはず、面(おもて)をもふらず、余念(よねん)無(な)くこそ祈(いの)られけれ。昔(むかし)より今(いま)に至(いた)るまで、仏法(ぶつぽふ)護持(ごぢ)の御力(ちから)、今(いま)に始(はじ)めざる事(こと)なれば、七日に満(まん)ずる寅(とら)の半(なか)ばに、伊藤(いとう)武者(むしや)がさかんなる首(くび)を、明王(みやうわう)の剣(けん)の先(さき)に貫(つらぬ)き、壇上(だんじやう)に落(お)つると見(み)/て、さては威験(いげん)現(あらは)れたりとて、別当(べつたう)、壇(だん)を下(お)り給(たま)ふ、恐(おそ)ろしかりし事(こと)共(ども)也(なり)。
 〔同(おな)じく伊東(いとう)が死(し)する事(こと)〕S0104N007
 伊東(いとう)武者(むしや)、是(これ)をば夢(ゆめ)にも知(し)らで、時(とき)ならぬ奥野(おくの)の狩(かり)して遊(あそ)ばんとて、射手(いて)を揃(そろ)へ、勢子(せこ)を催(もよほ)し、若党(わかたう)数(かず)相(あひ)具(ぐ)して、伊豆(いづ)の奥野(おくの)へぞ入(い)りにける。頃(ころ)しも、夏(なつ)の末(すゑ)つ方(かた)、峰(みね)に重(かさ)なる木(こ)の間(ま)より、村々(むらむら)に靡(なび)くは、さぞと見(み)えしより、思(おも)はざる風(かぜ)にをかされて、心地(ここち)例(れい)ならずわづらひ、志(こころざ)す狩場(かりば)をも見(み)ずして、近(ちか)き野辺(のベ)より帰(かへ)りけり。日数(ひかず)重(かさ)なる程(ほど)に、いよいよ重(おも)くぞなりにける。其(そ)の時(とき)、九つになりけるかないしを呼(よ)び寄(よ)せて、自(みづか)ら手(て)を取(と)り、申(まう)しけるは、「如何(いか)に己(おのれ)、十歳(さい)にだにもならざるを、見(み)捨(す)てて死(し)なん事(こと)こそ、悲(かな)しけれ。生死(しやうじ)限(かぎ)り有(あ)り、逃(のが)るべからず。汝(なんぢ)を、誰(たれ)哀(あは)れみ、誰(たれ)育(はごく)みて育(そだ)てん」と、さめざめと泣(な)きP059けり。かないしは幼(をさな)ければ、只(ただ)泣(な)くより外(ほか)の事(こと)は無(な)し。女房(にようばう)、近(ちか)く居(ゐ)寄(よ)り、涙(なみだ)を抑(おさ)へて言(い)ひけるは、「適(かな)はぬ浮(う)き世(よ)の習(なら)ひなれども、せめて、かないし十五にならんを待(ま)ち給(たま)へかし。然(さ)ればとて、数多(あまた)有(あ)る子(こ)にもあらず、又(また)、かけこ有(あ)る中の身(み)にても無(な)し。如何(いかが)はせん」と、歎(なげ)きけるこそ、理(ことわり)なれ。此処(ここ)に、弟(おとと)の河津(かはづ)の次郎(じらう)祐親(すけちか)が、訪(とぶら)ひ来(き)たりけるが、此(こ)の有様(ありさま)を見(み)/て、近(ちか)く居(ゐ)寄(よ)り、申(まう)しけるは、「今(いま)を限(かぎ)りとこそ、見(み)えさせ給(たま)ひて候(さうら)へ。今生(こんじやう)の執心(しうしん)を御(おん)止(とど)め候(さうら)ひて、一筋(ひとすぢ)に後生(ごしやう)菩提(ぼだい)を願(ねが)ひ給(たま)へ。かないし殿(どの)においては、祐親(すけちか)かくて候(さうら)へば、後見(こうけん)し奉(たてまつ)るべし。努々(ゆめゆめ)疎略(そりやく)の義(ぎ)有(あ)るべからず。心(こころ)安(やす)く思(おも)ひ給(たま)へ。然(さ)ればにや、史記(しき)の言葉(ことば)にも、「昆弟(こんてい)の子(こ)は、なほし己(おのれ)が子(こ)の如(ごと)し」と見(み)えたり。如何(いか)でか愚(おろ)かなるべき」と申(まう)しければ、祐継(すけつぎ)、是(これ)を聞(き)き、内(うち)に害心(がいしん)有(あ)るをば知(し)らで、大(おほ)きに喜(よろこ)び、かき起(お)こされ、人の肩(かた)にかかり、手(て)を合(あ)はせ、祐親(すけちか)を拝(をが)み、やや有(あ)りて、苦(くる)しげなる息(いき)を付(つ)き、「如何(いか)に候(さうら)ふ。只今(ただいま)の仰(おほ)せこそ、生前(しやうぜん)に嬉(うれ)しく覚(おぼ)え候(さうら)へ。此(こ)の頃(ごろ)、何(なに)と無(な)く下説(げせつ)について、心(こころ)よからざる事(こと)にて坐(ま)しまさんと存(ぞん)ずる所(ところ)に、斯様(かやう)に宣(のたま)ふこそ、返(かへ)す返(がへ)すも本意(ほんい)なれ。然(さ)らば、かないしをば、偏(ひとへ)にわ殿(との)に預(あづ)け奉(たてまつ)る。甥(をひ)なりとも、実子(じつし)と思(おも)ひ、娘(むすめ)数多(あまた)持(も)ち給(たま)ふ中(なか)にも、万刧(まんこう)御前(ごぜん)に合(あ)はせて、十五にならば、男(をとこ)に成(な)し、当庄(たうしやう)のほんけん小松(こまつ)殿(どの)の見参(げんざん)に入(い)れ、わ殿(との)の娘(むすめ)P060とかないしに、此(こ)の所(ところ)をさまたげ無(な)く知行(ちぎやう)せさせよ」とて、伊東(いとう)の地券(ぢけん)文書(もんじよ)取(と)り出(い)だし、かないしに見(み)せ、「汝(なんぢ)にぢきに取(と)らすべけれども、未(いま)だ幼稚(ようち)なり。いづれも親(おや)なれば、愚(おろ)か有(あ)るべからず。母(はは)に預(あづ)くるぞ。十五にならば、取(と)らすべし。よくよく見(み)置(お)け。今(いま)より後(のち)は、河津殿(かわづどの)を、叔父(をぢ)なりとも、誠(まこと)の親(おや)と頼(たの)むべし。心(こころ)おきて、にくまれ奉(たてまつ)るな。祐継(すけつぎ)も、草(くさ)の陰(かげ)にて、立(た)ち添(そ)ひ守(まも)るべし」とて、文書(もんじよ)母(はは)が方(かた)へ渡(わた)し、今(いま)は心(こころ)安(やす)しとて、打(う)ち伏(ふ)しぬ。かくて、日数(ひかず)の積(つ)もり行(ゆ)けば、いよいよ弱(よわ)りはてて、七月十三日の寅(とら)の刻(こく)に、四十三にて失(う)せにけり。哀(あは)れなりし例(ためし)なり。弟(おとと)の河津(かはづ)の次郎(じらう)は、上(うへ)には歎(なげ)く由(よし)なりしかども、下(した)には喜悦(きえつ)の眉(まゆ)を開(ひら)き、箱根(はこね)の別当(べつたう)の方(かた)をぞ拝(をが)みける。一旦(いつたん)猛悪(まうあく)は、勝利(せうり)有(あ)りと雖(いへど)も、遂(つひ)には子孫(しそん)にむくふ習(なら)ひにて、末(すゑ)如何(いかが)とぞ覚(おぼ)えける。やがて、河津(かはづ)が、我(わ)が家(いへ)を出(い)で、伊東(いとう)の館(たち)に入(い)り代(か)はり、内々(ないない)存(ぞん)ずる旨(むね)有(あ)りければ、兄(あに)の為(ため)、忠(ちゆう)有(あ)る由(よし)にて、後家(ごけ)にも子(こ)にも劣(おと)らず、孝養(けうやう)を致(いた)す。七日(なぬか)七日(なぬか)の外(ほか)、百ケ日、一周忌(いつしゆき)、第(だい)三年(さんねん)に至(いた)るまで、諸善(しよぜん)の忠節(ちゆうせつ)をつくす。人是(これ)を聞(き)き、「神をまつる時(とき)は、神のます如(ごと)くにせよ。使(つか)ふる時(とき)は、生(しやう)に使(つか)ふる如(ごと)くなれ」とは、論語(ろんご)の言葉(ことば)なるをやと感(かん)じけるぞ、愚(おろ)かなる。さて、かないしには、心(こころ)安(やす)き乳母(めのと)を付(つ)けてぞ、養(やう)じける。遺言(ゆいごん)違(たが)へず、十五にて元服(げんぶく)させ、うすみの工藤(くどう)祐経(すけつね)と号(かう)す。やがて、娘(むすめ)万刧(まんこう)に合(あ)はせ、P061其(そ)の秋、相(あひ)具(ぐ)して、上洛(しやうらく)し、即(すなは)ち、小松(こまつ)殿(どの)の見参(げんざん)に入(い)れ、祐経(すけつね)をば、京都(きやうと)に止(とど)めおき、我(わ)が身(み)は、国(くに)へぞ下(くだ)りける。其(そ)の後(のち)、かひがひしき侍(さぶらひ)の一人も付(つ)けず、おとなしき物(もの)も無(な)し。所帯(しよたい)におきては、祐親(すけちか)一人して横領(わうりやう)し、祐経(すけつね)には、屋敷(やしき)の一所(いつしよ)をも配分(はいぶん)せざりけり。誠(まこと)や、文選(もんぜん)の言葉(ことば)に、「徳(とく)をつみ、行(かう)をけぬる事(こと)、其(そ)の善(ぜん)を知(し)らず、然(さ)れども時(とき)に用(もち)ひる事(こと)有(あ)り、義(ぎ)を捨(す)て、理(り)を背(そむ)く事(こと)、其(そ)の悪(あく)を知(し)らざれども、時(とき)に滅(ほろ)ぶる事(こと)有(あ)り。身(み)の危(あや)ふきは、勢(いきほひ)の過(す)ぐる所(ところ)と成(な)り、禍(わざわい)の積(つ)もるは、寵(てう)のさかんなるを越(こ)えてなり」。然(さ)れども、祐経(すけつね)は、たれをしゆるとも無(な)きに、公所(くしよ)を離(はな)れず、奉行所(ぶぎやうしよ)におきて、身(み)を打(う)たせ、沙汰(さた)になれける程(ほど)に、善悪(ぜんあく)を分別(ふんべつ)して、理非(りひ)を迷(まよ)はず、諸事(しよじ)に心(こころ)を渡(わた)し、手跡(しゆせき)普通(ふつう)に過(す)ぎ、和歌(わか)の道(みち)を心(こころ)に懸(か)け、酣暢(かんちやう)の筵(むしろ)に推参(すいさん)して、其(そ)の衆(しゆう)に連(つら)なりしかば、伊東(いとう)の優男(やさをとこ)とぞ召(め)されける。十五歳(さい)より、武者所(むしやどころ)に侍(はんべ)つて、礼儀(れいぎ)正(ただ)しくして、男(をとこ)がら尋常(じんじやう)なりければ、田舎(ゐなか)侍(さぶらひ)とも無(な)く、心(こころ)にくしとて、二十一歳(さい)にして、武者(むしや)の一郎をへて、工藤(くどう)一郎とぞ召(め)されける。
 〔伊東(いとう)の二郎(じらう)と祐経(すけつね)が争論(さうろん)の事(こと)〕S0105N008P062
 かくて、二十五まで、給仕(きうじ)怠(おこた)らざりき。此処(ここ)に、思(おも)はずに、田舎(ゐなか)の母(はは)、一期(いちご)つきて、形見(かたみ)に、父(ちち)が預(あづ)け置(お)きし譲状(ゆづりじやう)を取(と)り添(そ)へて、祐経(すけつね)がもとへぞ上(のぼ)せたりける。祐経(すけつね)、是(これ)を披見(ひけん)して、「こは如何(いか)に、伊豆(いづ)の伊藤(いとう)と言(い)ふ所(ところ)をば、祖父(おほぢ)入道(にふだう)寂心(じやくしん)より、父(ちち)伊東(いとう)武者(むしや)祐継(すけつぎ)まで、三代(だい)相伝(さうでん)の所領(しよりやう)なるを、何(なに)に依(よ)つて、叔父(をぢ)河津(かはづ)の二郎(じらう)、相続(さうぞく)して、此(こ)の八か年(ねん)が間(あひだ)、知行(ちぎやう)しける。いざや冠者(くわんじや)原(ばら)、四季(しき)の衣(ころも)がへさせん」とて、暇(いとま)を申(まう)しけれども、御気色(ごきしよく)最中(さいちゆう)なりければ、左右(さう)無(な)く暇(いとま)を賜(たま)はらざりけり。然(さ)らばとて、代官(だいくわん)を下(くだ)して、催促(さいそく)を致(いた)す。伊東(いとう)、是(これ)を聞(き)き、「祐親(すけちか)より外(ほか)に、またく他(た)の地頭(ぢとう)無(な)し」とて、冠者(くわんじや)原(ばら)を放逸(はういつ)に追放(ついはう)す。京(きやう)より下(くだ)る者(もの)は、田舎(ゐなか)の子細(しさい)をば知(し)らで、急(いそ)ぎ逃(に)げ上(のぼ)り、一臈(いちらふ)に此(こ)の由(よし)を訴(うつた)ふ。「其(そ)の儀(ぎ)ならば、祐経(すけつね)下(くだ)らん」とて、出(い)で立(た)ちけるが、案者(あんじや)第一(だいいち)の者(もの)にて、心(こころ)をかへて思(おも)ひけるは、人の僻事(ひがこと)すると言(い)ふを聞(き)きながら、我(われ)又(また)下(くだ)りて、劣(おと)らじ、負(ま)けじとせん程(ほど)に、勝(まさ)る狼藉(らうぜき)引(ひ)き出(い)だし、両方(りやうばう)得替(とくたい)の身(み)となりぬべし、其(そ)の上、道理(だうり)を持(も)ちながら、親方(おやかた)に向(む)かひ、意趣(いしゆ)を込(こ)めん事(こと)、詮(せん)無(な)し、祐経(すけつね)程(ほど)の者(もの)が、理運(りうん)の沙汰(さた)にまくべきにあらず、田舎(ゐなか)より彼(か)の仁(じん)を召(め)し上(のぼ)せて、上裁(じやうさい)をこそ仰(あふ)がめと思(おも)ひ、あたる所(ところ)の道理(だうり)、差(さ)し詰(つ)め差(さ)し詰(つ)め、院宣(ゐんぜん)を申(まう)し下(くだ)し、小松(こまつ)殿(どの)の御状(じやう)を添(そ)へ、検非違使(けんびいし)を以(もつ)て、伊東(いとう)を京都(きやうと)に召(め)し上(のぼ)せ、事(こと)のちきやうなる時(とき)こそ、田舎(ゐなか)にて、横紙(よこがみ)をも破(やぶ)り、ちやうちやく共(ども)P063言(い)ひけれ、院宣(ゐんぜん)を成(な)し、重(かさ)ねてからく召(め)されければ、一門(いちもん)馳(は)せ集(あつ)まり、案者(あんじや)・口(くち)聞(き)き寄(よ)り合(あ)ひ、伴(ともな)ひ談(だん)すると雖(いへど)も道理(だうり)は一(ひと)つも無(な)かりけり。祐継(すけつぎ)存生(ぞんじやう)の時(とき)より、執心(しうしん)深(ふか)くして、如何(いか)にも此(こ)の所(ところ)を、祐親(すけちか)が拝領(はいりやう)にせんと、多年(たねん)心(こころ)に懸(か)け、既(すで)に十余年(よねん)知行(ちぎやう)の所(ところ)なり。一期(いちご)の大事(だいじ)と、金銀(きんぎん)を調(ととの)へ、秘(ひそ)かに奉行所(ぶぎやうしよ)へぞ上(のぼ)せける。誠(まこと)や、文選(もんぜん)の言葉(ことば)に、「青蝿(せいよう)も、すひしやうを汚(けが)さず、邪論(じやろん)も、くの聖(ひじり)を惑(まど)はず」とは申(まう)せども、奉行(ぶぎやう)のめづるも、理(ことわり)也(なり)。漢書(かんじよ)を見(み)るに、「水(みづ)いたつて清(きよ)ければ、底(そこ)に魚(うを)住(す)まず。人いたつてせんなれば、内(うち)に徒(と)も無(な)し」と見(み)えたり。然(さ)ればにや、奉行(ぶぎやう)、誠(まこと)に宝(たから)重(おも)くして、祐経(すけつね)が申状(まうしじやう)、立(た)たざる事(こと)こそ、無念(むねん)なれ。月は明(あき)らかならんとすれども、浮雲(ふうん)是(これ)をおほひ、水(みづ)はすまんとすれども、泥沙(でいしや)是(これ)を汚(けが)す。君(きみ)賢(けん)なりと雖(いへど)も、臣(しん)是(これ)を汚(けが)す理(ことわり)に依(よ)つて、本券(ほんけん)、箱(はこ)の底(そこ)にくちて、空(むな)しく年月(としつき)を送(おく)る間(あひだ)、祐経(すけつね)、鬱憤(うつぷん)に住(ぢゆう)して、重(かさ)ねて申状(まうしじやう)を奉行所(ぶぎやうしよ)に捧(ささ)ぐ。其(そ)の状(じやう)に曰(いは)く、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)伊東(いとう)工藤(くどう)一郎平(たひら)の祐経(すけつね)、重(かさ)ねて言上(ごんじやう)、 早(はや)く、御裁許(さいきよ)を蒙(かうぶ)らんと欲(ほつ)する子細(しさい)の事。右(みぎ)件(くだん)の条(でう)、祖父(おほぢ)■美(くすみ)の入道(にふだう)寂心(じやくしん)他界(たかい)の後(のち)、親父(しんぷ)伊東(いとう)武者(むしや)祐継(すけつぎ)、舎弟(しやてい)祐親(すけちか)、兄弟(きやうだい)の中、不和(ふわ)なるに依(よ)つて、対決(たいけつ)度々(どど)に及(およ)ぶと雖(いへど)も、祐継(すけつぎ)、当腹(たうぶく)寵愛(ちようあい)たるに依(よ)つて、安堵(あんど)の御(おん)下(くだ)し文(ぶみ)を賜(たま)はつて、P064既(すで)に数(す)ケ年をへ畢(をは)んぬ。此処(ここ)に、祐継(すけつぎ)、一期(いちご)限(かぎ)りの病(やまひ)の床(ゆか)にのぞむきざみ、河津(かはづ)の二郎(じらう)、日頃(ひごろ)の意趣(いしゆ)を忘(わす)れ、忽(たちま)ちに訪(とぶら)ひ来(き)たる。其(そ)の時(とき)、祐経(すけつね)は、生年(しやうねん)九歳(きうさい)也(なり)き。叔父(をぢ)河津(かはづ)の二郎(じらう)に、地券(ぢけん)文書(もんじよ)、母(はは)共(とも)に預(あづ)け置(お)きて、八か年(ねん)の春(はる)秋を送(おく)る。親方(おやかた)にあらずは、しこうのしんと申(まう)すべきや。所詮(しよせん)、世(よ)のけいに任(まか)せ、伊東(いとう)の二郎(じらう)に賜(たま)はるべきか、又(また)祐経(すけつね)に賜(たま)はるべきか、相伝(さうでん)の道理(だうり)について、憲法(けんばう)の上裁(じやうさい)を仰(あふ)がんと欲(ほつ)す。よつて、誠惶(せいくわう)誠恐(せいきよう)、言上(ごんじやう)件(くだん)の如(ごと)く。仁安二年三月日平(たひら)の祐経(すけつね)と書(か)きてさうさう。ししよに、此(こ)の状(じやう)を披見(ひけん)有(あ)りて、差(さ)しあたる道理(だうり)にわづらひけるよと、人々(ひとびと)寄(よ)り合(あ)ひ、内談(ないだん)す。誠(まこと)に、祐経(すけつね)が申状(まうしじやう)、一(ひと)つとして僻事(ひがこと)無(な)し。是(これ)は裁許(さいきよ)せずは、憲法(けんばう)にそねまれなん。又(また)、伊東(いとう)宝(たから)を上(のぼ)せて、万事(ばんじ)奉行(ぶぎやう)を頼(たの)むと言(い)ふ。然(しか)れども、祐経(すけつね)は、左右(さう)無(な)く理運(りうん)たる間(あひだ)、奉行所(ぶぎやうしよ)のはからひとして、よの安堵(あんど)の状(じやう)二書(か)きて、大宮(おほみや)の令旨(りやうじ)を添(そ)へ、りやうへ下(くだ)さる。伊東(いとう)は、半分(はんぶん)也(なり)とも賜(たま)はる所(ところ)、奉行(ぶぎやう)の御恩(ごおん)と喜(よろこ)びて、本国(ほんごく)へぞ下(くだ)りける。書(しよ)は言葉(ことば)をつくさず、言葉(ことば)は心(こころ)をつくさずと雖(いへど)も、一郎は、言葉(ことば)を失(うしな)ひ、十五より、本所(ほんじよ)に参(まゐ)り、日夜(にちや)朝暮(てうぼ)、給仕(きうじ)を致(いた)し、今年(ことし)八年か九年(ねん)かと覚(おぼ)ゆるに、重(かさ)ねて御恩(ごおん)こそ蒙(かうぶ)らざらめ、先祖(せんぞ)所領(しよりやう)を半分(はんぶん)召(め)さるる事(こと)そも何事(なにごと)ぞ、「源(みなもと)濁(にご)れる時(とき)は、清(きよ)からんをのぞみ、P065形(かたち)ゆがめる時(とき)は、影(かげ)のどかならんを思(おも)ふ」と、かたに見(み)えたり、父(ちち)祐継(すけつぎ)が世(よ)には、斯様(かやう)によも分(わ)けじ、今(いま)なんぞ半分(はんぶん)の主(ぬし)たるべきや、是(これ)偏(ひとへ)に親方(おやかた)ながら、伊東(いとう)が致(いた)す所(ところ)なり、我(わ)が身(み)こそ、京都(きやうと)にすむとも、せんこは皆(みな)、弓矢(ゆみや)取(と)りの遺恨(いこん)なり、如何(いか)でか、此(こ)の事(こと)恨(うら)みざるべきとて、秘(ひそ)かに都(みやこ)を出(い)でて、駿河(するが)の国(くに)高橋(たかはし)と言(い)ふ所(ところ)に下(くだ)り、きつかひ・船越(ふなこし)・おきの・蒲原(かんばら)・入江(いりえ)の人々(ひとびと)、外戚(げしやく)につきて、親(した)しかりければ、二百四人寄(よ)り合(あ)ひて、祐親(すけちか)打(う)ちて、領所(りやうしよ)を一人して進退(しんだい)せんと思(おも)ふ心、付(つ)きにけり。此(こ)の儀(ぎ)、神慮(しんりよ)も量(はか)り難(がた)し。例(たと)へば、差(さ)しあたる道理(だうり)は、顕然(けんぜん)たりと雖(いへど)も、昔(むかし)の恩(おん)を忘(わす)れ、忽(たちま)ちに悪行(あくぎやう)をたくむ事(こと)、いとう昔(むかし)をも思(おも)ひ、てんしゆか古(いにしへ)も尋(たづ)ぬべき。第一(だいいち)に叔父(をぢ)なり、第二(だいに)に養父(やうぶ)也(なり)、第三に舅(しうと)なり、第四に烏帽子親(えぼしおや)なり、第五(だいご)に一族(いちぞく)中(ちゆう)の老者(らうしや)なり、方々(かたがた)以(もつ)て、愚(おろ)かならず。斯様(かやう)に思(おも)ひ立(た)つぞ、恐(おそ)ろしき。如何(いか)にも思慮(しりよ)有(あ)る人に候(さうら)ふや。剰(あまつさ)へ地領(りやう)を奪(うば)はん事(こと)、不可思議(ふかしぎ)なり。祐親(すけちか)、是(これ)を返(かへ)り聞(き)きて、嫡子(ちやくし)河津(かはづ)三郎(さぶらう)祐重(すけしげ)、次男(じなん)伊藤(いとう)九郎祐清(すけきよ)、其(そ)の外(ほか)一門(いちもん)老少(らうせう)呼(よ)び集(あつ)め、用心(ようじん)厳(きび)しくしければ、力(ちから)に及(およ)ばす。是(これ)や、富貴(ふき)にして、善(ぜん)を成(な)し安(やす)く、貧賎(ひんせん)にして、工(こう)を成(な)し難(がた)しと、今(いま)こそ思(おも)ひ知(し)られたり。其(そ)の後(のち)、伊東(いとう)の二郎(じらう)、此(こ)の事(こと)有(あ)りの儘(まま)に京都(きやうと)へ訴(うつた)へ申(まう)して、長(なが)く祐経(すけつね)を本所(ほんじよ)へ入(い)れ立(た)てずして、年貢(ねんぐ)所当(しよたう)におきては、芥子(けし)程(ほど)も残(のこ)らず、横領(わうりやう)する間(あひだ)、祐経(すけつね)、身(み)の置(お)き所(どころ)無(な)くP066して、又(また)、京都(きやうと)に帰(かへ)り上(のぼ)り、秘(ひそ)かに住(ぢゆう)す。伊東(いとう)に、祐経(すけつね)は悩(なや)まされ、本意(ほんい)を忘(わす)れ、祐経(すけつね)が妻女(さいぢよ)取(と)り返(かへ)し、相模(さがみ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)土肥(とひ)の二郎(じらう)実平(さねひら)が嫡子(ちやくし)弥太郎(やたらう)遠平(とほひら)に合(あ)はせけり。国(くに)には又(また)、並(なら)ぶ者(もの)無(な)くぞ見(み)えたり。然(さ)れども、「功賞(こうしやう)無(な)き不義(ふぎ)の富(とみ)は、禍(わざわひ)の媒(なかだち)」と、左伝(さでん)に見(み)えたり。然(さ)れば、行(ゆ)く末(すゑ)如何(いかが)とぞ覚(おぼ)えし。工藤(くどう)一郎は、なまじひの事(こと)を言(い)ひ出(い)だして、叔父(をぢ)に中(なか)を違(たが)はれ、夫妻(ふさい)の別(わか)れ、所帯(しよたい)は奪(うば)はれ、身(み)を置(お)き兼(か)ねて、胆(きも)をやきける間(あひだ)、給仕(きうじ)も疎略(そらく)になりにけり。然(さ)ればにや、御気色(ごきしよく)も悪(あ)しく、傍輩(はうばい)も、側目(そばめ)に懸(か)けければ、積鬱(せきうつ)たゑすかと思(おも)ひ焦(こ)がれて、秘(ひそ)かに本国(ほんごく)に下(くだ)り、大見庄(おほみのしやう)に住(ぢゆう)して、年頃(としごろ)の郎等(らうどう)に、大見(おほみ)の小藤太(ことうだ)、八幡(やはた)の三郎(さぶらう)を招(まね)き寄(よ)せて、泣(な)く泣(な)くささやきけるは、「各々(おのおの)、つぶさに聞(き)け。相伝(さうでん)の所領(しよりやう)を横領(わうりやう)せらるるだにも、安からざるに、結句(けつく)、女房(にようばう)まで取(と)り返(かへ)されて、土肥(とひ)の弥太郎(やたらう)に合(あ)はせらるる条(でう)、口惜(くちを)しきとも、余(あま)り有(あ)り。今(いま)は命(いのち)を捨(す)てて、矢(や)一(ひと)つ射(い)ばやと思(おも)ふなり。現(あらは)れては、せん事(こと)適(かな)ふまじ。我(われ)又(また)、便宜(びんぎ)を窺(うかが)はば、人に見(み)知(し)られて、本意(ほんい)を遂(と)げ難(がた)し。然(さ)ればとて、止(とど)まるべきにもあらず。如何(いかが)せん、各々(おのおの)さりげなくして、狩(かり)すなどりの所(ところ)にても、便(びん)を窺(うかが)ひ、矢(や)一(ひと)つ射(い)んにや、もし宿意(しゆくい)を遂(と)げんにおきては、重恩(ぢゆうおん)、生々(しやうじやう)世々(せせ)にも、報(ほう)じて余(あま)り有(あ)り。如何(いかが)せん」とぞくどきけり。二人の郎等(らうどう)聞(き)き、一同(いちどう)に申(まう)しけるは、「是(これ)までも、仰(おほ)せらるべからず。弓矢(ゆみや)を取(と)り、P067世(よ)を渡(わた)ると申(まう)せども、万死(ばんし)一生(いつしやう)は、一期(いちご)一度(いちど)とこそ承(うけたまは)れ。然(さ)れば、古(ふる)き言葉(ことば)にも、「功(こう)は成(な)し難(がた)くして、しかも破(やぶ)れ安(やす)き、時(とき)はあひ難(がた)くして、しかも失(うしな)ひ安し」。此(こ)の仰(おほ)せこそ、面目(めんぼく)にて候(さうら)へ。是非(ぜひ)命(いのち)におきては、君(きみ)に参(まゐ)らする」とて、各々(おのおの)座敷(ざしき)を立(た)ちければ、頼(たの)もしくぞ思(おも)ひける。伊東(いとう)は、いささか此(こ)の儀(ぎ)を知(し)らざるこそ、悲(かな)しけれ。
 〔佐(すけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま)します事(こと)〕S0106N010
 かくて、隙(ひま)を窺(うかが)ふ程(ほど)に、其(そ)の頃(ころ)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)、伊東(いとう)の館(たち)に坐(ま)しましけるに、相模(さがみ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)大庭(おほば)の平太(へいだ)景信(かげのぶ)と言(い)ふ者(もの)有(あ)り。一門(いちもん)寄(よ)り合(あ)ひ、酒(さか)もりしけるが、申(まう)しけるは、「我(われ)等(ら)は、昔(むかし)は、源氏(げんじ)の郎等(らうどう)也(なり)しかども、今(いま)は、平家(へいけ)の御恩(ごおん)を以(もつ)て、妻子(さいし)を育(はごく)むと雖(いへど)も、古(いにしへ)のこう、忘(わす)るべきにあらず。いざや、佐(すけ)殿(どの)の、いつしか流人(るにん)として、徒然(とぜん)に坐(ま)しますらん。一夜(いちや)、宿直(とのゐ)申(まう)して、慰(なぐさ)め奉(たてまつ)り、後日(ごにち)の奉公(ほうこう)に申(まう)さん」「もつとも然(しか)るべし」とて、一門(いちもん)五十余人(よにん)、出(い)で立(た)ちたり。人別(べつ)筒(つつ)一あてぞ持(も)ちにける。是(これ)を聞(き)き、三浦(みうら)、鎌倉(かまくら)、土肥(とひ)の二郎(じらう)、岡崎(をかざき)、本間(ほんま)、渋谷(しぶや)、糟屋(かすや)、松田(まつだ)、土屋(つちや)、曾我(そが)の人々(ひとびと)、思(おも)ひ思(おも)ひに出(い)で立(た)ちにけり。然(さ)る程(ほど)に、近国(きんごく)の侍(さぶらひ)、聞(き)き伝(つた)へ、「我(われ)も如何(いか)でかP068逃(のが)るべき。いざや参(まゐ)らん」とて、相模(さがみ)の国(くに)には、大庭(おほば)が舎弟(しやてい)三郎(さぶらう)、俣野(またの)の五郎(ごらう)、さこしの十郎(じふらう)、山内(やまうち)滝口(たきぐち)の太郎、同(おな)じく三郎(さぶらう)、海老名(えびな)の源八(げんぱち)、荻野(おぎの)五郎(ごらう)、駿河(するが)の国(くに)には、竹下(たけのした)の孫八(まごはち)、合沢(あひざは)の弥五郎(やごらう)、吉川(きつかは)、船越(ふなこし)、入江(いりえ)の人々(ひとびと)、伊豆(いづ)の国(くに)には、北条(ほうでう)の四郎(しらう)、同(おな)じく三郎(さぶらう)、天野(あまの)の藤内(とうない)、狩野(かの)の工藤五(くとうご)を始(はじ)めとして、むねとの人々(ひとびと)五百人、伊豆(いづ)の伊東(いとう)へぞ移(うつ)りける。伊東(いとう)、大(おほ)きに喜(よろこ)びて、内外(ないげ)の侍(さぶらひ)、一面(めん)に取(と)り払(はら)ひ、猶(なほ)狭(せば)かりなんとて、壼(つぼ)に仮屋(かりや)を打(う)ち出(い)だし、大幕(おほまく)引(ひ)き、上下二千四五百人の客人(きやくじん)を、一日(いちにち)一夜(いちや)ぞもてなしける。土肥(とひ)の二郎(じらう)、是(これ)を見(み)/て、「雑掌(ざつしやう)は、百人二百人までは安し。既(すで)に二三千人の客人(きやくじん)を一人に預(あづ)くる事(こと)、無骨(ぶこつ)なり」と言(い)ふ。伊東(いとう)、是(これ)を聞(き)き、「河津(かはづ)と申(まう)す小郷(せうがう)を知行(ちぎやう)せし時(とき)にも、いづれの誰(たれ)に、我(わ)が劣(おと)りて振舞(ふるま)ひし。ましてや、■美庄(くすみのしやう)をふさねて持(も)ち候(さうら)ふ間(あひだ)、予(かね)て承(うけたまは)る物(もの)ならば、などや面々(めんめん)に引出物(ひきでもの)申(まう)さで有(あ)るべき。是(これ)程(ほど)の事(こと)、何(なに)かは苦(くる)しかるべき」とて、山海(さんかい)の珍物(ちんぶつ)にて、三日三夜(や)ぞもてなしける。又(また)、海老名(えびな)の源八(げんぱち)の申(まう)しけるは、「斯(か)かる寄(よ)り合(あ)ひに参(まゐ)るべしと存(ぞん)じて候(さうら)はば、国(くに)より勢子(せこ)の用意(ようい)して、音(おと)に聞(き)こゆる奧野(おくの)に入(い)り、物頭(ものがしら)に馬(むま)相(あひ)付(つ)け、鏑(かぶら)のとほなりさせざるが、無念(むねん)なり」と言(い)ひければ、伊東(いとう)、是(これ)を聞(き)き、「祐親(すけちか)を人と思(おも)ひてこそ、両三日国(がこく)の人々(ひとびと)打(う)ち寄(よ)りて、遊(あそ)び給(たま)ふらめ。左右(さう)無(な)く、座敷(ざしき)にて、勢子(せこ)の願(ねが)ひやうこそ、心(こころ)狭(せば)けれ。それそれ河津(かはづ)の三郎(さぶらう)、勢子(せこ)催(もよほ)して、鹿(しし)P069射(い)させ申(まう)せ」と言(い)ひけるぞ、伊東(いとう)の運(うん)の極(きは)めなる。河津(かはづ)は、もとより穩便(おんびん)の者(もの)にて、心(こころ)の内(うち)には、殺生(せつしやう)を禁(きん)ずる人なりければ、如何(いか)にもして、此(こ)の度(たび)の狩(かり)を申(まう)し止(とど)めなば、よからましと思(おも)へども、多(おほ)き侍(さぶらひ)の中(なか)にて、親(おや)の申(まう)す事(こと)なれば、力(ちから)及(およ)ばで、座敷(ざしき)を立(た)ち、我(われ)と勢子(せこ)をぞ催(もよほ)しける。「幼(をさな)き者(もの)は、馬(むま)に乗(の)りて出(い)でよ。大人(おとな)は、弓矢(ゆみや)をもて」とふれければ、■美庄(くすみのしやう)ひろくして、老若(らうにやく)に三千四五百人ぞ出(い)でたりける。彼(かれ)等(ら)を先(さき)として、三が国(こく)の人々(ひとびと)、我(われ)も我(われ)もと打(う)ち出(い)でたり。伊東(いとう)・河津(かはづ)が妻女(さいぢよ)、数(かず)の女房(にようばう)引(ひ)きつれて、南(みなみ)の中門(ちゆうもん)に立(た)ち出(い)でて、打(う)ち出(い)でける人々(ひとびと)を見(み)送(おく)りける。中(なか)にも、河津(かはづ)三郎(さぶらう)は、余(よ)の人にもまがはず、器量(きりやう)骨柄(こつがら)すぐれたり。「此(こ)の内(うち)のたいしんと言(い)ひたりとも、悪(あ)しからじ。子(こ)ながらも、優(いう)に見(み)ゆる物(もの)かな。頼(たの)もし」と宣(のたま)ひければ、河津(かはづ)が女房(にようばう)、是(これ)を聞(き)き、「弓矢(ゆみや)取(と)りの物(もの)いでの姿(すがた)、女(をんな)見(み)送(おく)る事(こと)、詮(せん)無(な)し。内(うち)に入(い)らせ給(たま)へ」と言(い)ひければ、実(げ)にもとて、各々(おのおの)内(うち)にぞ入(い)りにける。神無月(かんなづき)十日余(あま)りに、伊豆(いづ)の奥野(おくの)へ入(い)りにけり。
 〔大見(おほみ)・八幡(やはた)が伊東(いとう)狙(ねら)ひし事(こと)〕S0107N011
 此処(ここ)に、祐経(すけつね)が二人の郎等(らうどう)大見(おほみ)・八幡(やはた)は、是(これ)を聞(き)き、斯様(かやう)の所(ところ)こそ、よき便宜(びんぎ)P070なれ、いざや、我(われ)等(ら)、便(たよ)りを狙(ねら)はんと、各々(おのおの)、柿(かき)の直垂(ひたたれ)に、鹿矢(ししや)さけたる竹箙(たけえびら)取(と)りて付(つ)け、白木(しらき)の弓(ゆみ)のいよげなるを打(う)ちかたげ、勢子(せこ)にかきまぎれ、狙(ねら)ふ所々(ところどころ)は、一日は柏峠(かしはがたうげ)、熊倉(くまくら)、二日は荻窪(おぎがくぼ)、椎沢(しいがさは)、三日は長倉(ながくら)が渡(わた)り、朽木沢(くちきがさは)、赤沢峰(あかざはがみね)を始(はじ)めとして、七日が間(あひだ)、つきめぐりてぞ狙(ねら)ひける。然(しか)れども、伊藤(いとう)、国(くに)一番(いちばん)の大名(だいみやう)にて、家(いへ)の子(こ)郎等(らうどう)多(おほ)かりければ、たやすく討(う)つべき様(やう)ぞ、無(な)かりける。
 〔杵臼(しよきう)・程嬰(ていえい)が事(こと)〕S0108N012
 此(こ)の者(もの)共(ども)が、心(こころ)をつくしける有様(ありさま)にて、昔(むかし)を思(おも)ふに、大国(たいこく)に、かうめひ王(わう)と言(い)ふ国王(こくわう)有(あ)り、国(くに)を争(あらそ)ひて、並(なら)びの国(くに)の王(わう)と軍(いくさ)し給(たま)ふ事(こと)、度々(たびたび)なり。然(しか)るに、かうめい王(わう)、戦(たたか)ひ負(ま)けて、自害(じがい)に及(およ)ばんとす。時(とき)に、杵臼(しよきう)・程嬰(ていえい)とて、二人の臣下(しんか)有(あ)り。彼(かれ)等(ら)を近付(ちかづ)けて、「汝(なんぢ)等(ら)は、定(さだ)めて、我(われ)と共(とも)に自害(じがい)せんとぞ思(おも)ふらん。是(これ)、誠(まこと)にしゆんろ、逃(のが)るる所(ところ)無(な)し。さりながら、我(われ)、一人の太子(たいし)に、屠岸賈(とがんか)と言(い)ひて十一歳(さい)に成(な)るを、故郷(ふるさと)に止(とど)め置(お)きぬ。我(われ)自害(じがい)の後(のち)、雑兵(ざふひやう)の手(て)にかかりて、命を空(むな)しくせん事(こと)、口惜(くちを)しければ、汝(なんぢ)等(ら)、如何(いか)にもして逃(のが)れ出(い)でて、此(こ)の子(こ)を育(はごく)み育(そだ)てて、敵(かたき)を滅(ほろ)ぼし、無念(むねん)の散(さん)ぜよ」と宣(のたま)ひけれP071ば、二人の臣下(しんか)、異議(いぎ)に及(およ)ばずして、城(しろ)の内(うち)を忍(しの)び出(い)でにけり。国王(こくわう)、心(こころ)安(やす)くして、自害(じがい)し給(たま)ひけり。さて、二人の臣下(しんか)、都(みやこ)に帰(かへ)り、太子(たいし)をいざあひ出(い)だして、養(やう)じけるぞ、無慙(むざん)なる。敵(かたき)の大王(だいわう)、是(これ)を聞(き)き伝(つた)へ、「末(すゑ)の世(よ)には、我(わ)が敵(かたき)なり。彼(か)の太子(たいし)、同(おな)じく二人の臣下(しんか)、共(とも)に、首(くび)を取(と)りて来(き)たらん者(もの)には、勲功(くんこう)は所望(しよまう)によるべし」と、国々(くにぐに)に宣旨(せんじ)を下(くだ)されけり。此(こ)の宣旨(せんじ)に従(したが)つて、彼(か)の人々(ひとびと)に心(こころ)を懸(か)け、如何(いか)にもとあやしみ思(おも)はぬ者(もの)は無(な)し。然(しか)れども、一所(いつしよ)の住(す)まひ適(かな)はで、或(ある)いは、遠(とほ)き里(さと)に交(まじ)はり、深(ふか)き山に籠(こも)りて、身(み)を隠(かく)すと雖(いへど)も、所(ところ)無(な)くして、二人寄(よ)り合(あ)ひ、如何(いかが)せんとぞ歎(なげ)きける。程嬰(ていえい)申(まう)しけるは、「我(われ)等(ら)が、君(きみ)を養(やう)じ奉(たてまつ)るに、敵(かたき)こはくして、国中(こくちゆう)に隠(かく)れ難(がた)し。然(さ)れば、我(われ)等(ら)二人が内(うち)に、一人、敵(かたき)の王(わう)に出(い)で仕(つか)へん。然(さ)る物(もの)とて、使(つか)ふとも、心(こころ)を許(ゆる)す事(こと)あらじ。我(われ)、きくわくと言(い)ひて、十一歳(さい)に成(な)る子(こ)を、一人持(も)ちたり。幸(さいは)ひ、是(これ)も、若君(わかぎみ)と同年(どうねん)也(なり)。是(これ)を大子(たいし)と号(かう)して、二人が中、一人は山に籠(こも)り、一人は討手(うつて)に来(き)たり、主従(しゆうじゆう)二人を打(う)ち、首(くび)を取(と)り、敵(かたき)の王(わう)に捧(ささ)げなば、如何(いか)でか心(こころ)許(ゆる)さざるべき。其(そ)の時(とき)、敵(かたき)をやすやすと打(う)ち取(と)るべし」と言(い)ひければ、杵臼(しよきう)申(まう)しけるは、「命(いのち)ながらへて後(のち)に、事(こと)をなすべきこらへのせいは、遠(とほ)くしてかたし。今(いま)、太子(たいし)と同(おな)じく死(し)せんは、近(ちか)くして安し。然(しか)れば、杵臼(しよきう)は、こらへのせい、少(すく)なき者(もの)なり。安(やす)きP072に付(つ)き、我(われ)先(ま)づ死(し)ぬべし。程嬰(ていえい)は、敵方(てきはう)に出(い)でん事(こと)を急(いそ)ぎ給(たま)へ」とぞ申(まう)しける。其(そ)の後(のち)、程嬰(ていえい)、我(わ)が子(こ)のきくわくを近付(ちかづ)けて、「如何(いか)にや、汝(なんぢ)、詳(くは)しく聞(き)け。我(われ)等(ら)は、主君(しゆくん)の大子(たいし)を隠(かく)し奉(たてまつ)る。既(すで)に我々(われわれ)、汝(なんぢ)等(ら)までも、敵(かたき)にとらはれて、犬死(いぬじに)をせん事(こと)、疑(うたが)ひ無(な)し。然(しか)れば、汝(なんぢ)を太子(たいし)と偽(いつは)り奉(たてまつ)りて、首(くび)を取(と)るべし。恨(うら)むる事(こと)無(な)くして、御命(おんいのち)に代(か)はり奉(たてまつ)りて、君(きみ)をも安全(あんぜん)ならしめよ。親(おや)なればとて、添(そ)ひはつべきにもあらず。来世(らいせ)にて生(う)まれあふべし」と申(まう)しければ、きくわく、聞(き)きも敢(あ)へず、涙(なみだ)を流(なが)して、しばしは返事(へんじ)せざりけり。父(ちち)、此(こ)の色(いろ)を見(み)/て、「未練(みれん)なり。汝(なんぢ)、はや十歳(さい)に余(あま)るぞかし。弓矢(ゆみや)取(と)る者(もの)の子(こ)は、胎(はら)の内(うち)よりも、物(もの)の心(こころ)は知(し)るぞかし」といさめければ、きくわく、此(こ)の言葉(ことば)に恥(は)ぢて、言(い)ひけるは、言葉(ことば)こそ無慙(むざん)なる、「辞退(じたい)申(まう)すべきにあらず。誠(まこと)に、某(それがし)は、命(いのち)一(ひと)つにて、君(きみ)と父(ちち)との孝行(かうかう)に捧(ささ)げ申(まう)さん事(こと)、惜(を)しからざる物(もの)をや、歎(なげ)きの中(なか)の喜(よろこ)び也(なり)」と言(い)ひも敢(あ)へず、涙(なみだ)にむせびける。父(ちち)、是(これ)を聞(き)き、子(こ)ながらも、優(いう)に使(つか)ひたる言葉(ことば)かな、未(いま)だ幼(をさな)き者(もの)ぞかし、誠(まこと)に我(わ)が子(こ)なり、成人(せいじん)の後(のち)、惜(を)しと言(い)ふも余(あま)り有(あ)り、弱(よわ)き心(こころ)の見(み)えなば、もし未練(みれん)にもやと思(おも)ひければ、流(なが)るる涙(なみだ)を押(お)し止(とど)め、「弓矢(ゆみや)の家(いへ)に生(う)まれて、君(きみ)の為(ため)に命(いのち)を捨(す)つる事(こと)、汝(なんぢ)一人にも限(かぎ)らず、最後(さいご)未練(みれん)にては、君(きみ)の御(おん)為(ため)、P073父(ちち)が為(ため)、中々(なかなか)見(み)苦(ぐる)しとて、一命(めい)を損(そん)にすべき也(なり)」と言(い)ひければ、きくわく、涙(なみだ)を抑(おさ)へて、「か程(ほど)には、深(ふか)く思(おも)ひ定(さだ)めて候(さうら)へば、如何(いか)で愚(おろ)かなるべき。さりながら、差(さ)しあたる父母(ちちはは)の御(おん)別(わか)れ、如何(いか)でか惜(を)しからでそろべき。心(こころ)安(やす)く思(おぼ)し召(め)せ。最後(さいご)におきては、思(おも)ひ定(さだ)めて候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、父(ちち)も、心(こころ)安(やす)くぞ思(おも)ひける。さて又(また)、二人寄(よ)り合(あ)ひ、内談(ないだん)する様(やう)、「先(ま)づ今(いま)、君(きみ)の御(おん)為(ため)に、打(う)たるべき命(いのち)は安(やす)く、残(のこ)り止(とど)まりて、敵(かたき)を打(う)ち、太子(たいし)世(よ)に立(た)て申(まう)さん事(こと)、重(おも)きが上(うへ)の大事(だいじ)なり。如何(いかが)はせん。ながらへ、功(こう)をなす事(こと)、堪忍(かんにん)し難(がた)し。我(われ)、先(ま)づしなん」とて、杵臼(しよきう)は、十一歳(さい)のきくわくをつれて、山に籠(こも)り、討手(うつて)を待(ま)ちける心(こころ)の内(うち)、無慙(むざん)と言(い)ふも余(あま)り有(あ)り。其(そ)の後(のち)、程嬰(ていえい)、敵(かたき)の王(わう)のあたりに行(ゆ)き、「召(め)し使(つか)はれむ」と申(まう)す。敵王(てきわう)聞(き)き、此(こ)の者(もの)、身(み)を捨(す)て、面(おもて)をよごし、我(われ)に使(つか)ふべき臣下(しんか)にあらず、さりながら、世変(か)はり、時(とき)移(うつ)れば、さもやと思(おも)ひ、かたはらに許(ゆる)し置(お)くとは雖(いへど)も、猶(なほ)害心(がいしん)に恐(おそ)れて、許(ゆる)す心(こころ)無(な)かりけり。言(い)ひ合(あ)はせたる事(こと)なれば、「我(われ)、今(いま)、君王(くんわう)に仕(つか)へて、二心(ふたごころ)無(な)し。疑(うたが)ひ事(こと)わりなれども、世界(せかい)を狭(せば)められ、恥辱(ちじよく)にかへて、助(たす)かるなり。なほし、用(もち)ひ給(たま)はずは、主君(しゆくん)の太子(たいし)、臣下(しんか)の杵臼(しよきう)諸(もろ)共(とも)に、隠(かく)れ居(ゐ)たる所(ところ)を、詳(くは)しく知(し)れり。討手(うつて)を賜(たま)はつて向(む)かひ、彼(かれ)等(ら)を打(う)ち、首(くび)を取(と)りて見(み)せ参(まゐ)らせん」と言(い)ふ。其(そ)の時(とき)、国王(こくわう)、和睦(くわぼく)の心(こころ)を成(な)し、数千人(すせんにん)P074の兵(つはもの)を差(さ)し添(そ)へ、彼(かれ)等(ら)隠(かく)れ居(ゐ)たる山へ押(お)し寄(よ)せ、四方(しはう)をかこみ、閧(とき)の声(こゑ)をぞ上(あ)げたりける。杵臼(しよきう)は、思(おも)ひ設(まう)けたる事(こと)なれば、鎮(しづ)まり返(かへ)りて、音(おと)もせず。程嬰(ていえい)、すすみ出(い)で申(まう)しけるは、「是(これ)は、かうめい王(わう)の太子(たいし)屠岸賈(とがんか)や坐(ま)します。程嬰(ていえい)、討手(うつて)に参(まゐ)りたり。雑兵(ざふひやう)の手(て)にかかり給(たま)はんより、急(いそ)ぎ自害(じがい)し給(たま)へ。逃(のが)れ給(たま)ふべきにあらず」と申(まう)しければ、杵臼(しよきう)立(た)ち出(い)で、「若君(わかぎみ)の坐(ま)します事(こと)、隠(かく)し申(まう)すべきにあらず。待(ま)ち給(たま)へ。御自害(じがい)有(あ)るべし。さりながら、今日(けふ)の大将軍(たいしやうぐん)の程嬰(ていえい)は、昨日(きのふ)までは、まさしき相伝(さうでん)の臣下(しんか)ぞかし。一旦(いつたん)の依怙(ゑこ)に住(ぢゆう)すとも、遂(つひ)には、天罰(てんばつ)降(ふ)り来(き)たり、遠(とほ)からざるに、失(う)せなん果(はて)を見(み)ばや」とぞ申(まう)しける。程嬰(ていえい)、是(これ)を聞(き)き、「時世(ときよ)に従(したが)ふ習(なら)ひ、昔(むかし)は、さもこそ有(あ)りつらめ、今(いま)又(また)、変(か)はる折節(をりふし)なり。然(さ)ればにや、君(きみ)も、御運(ごうん)もつきはて、命(めい)もつづまり給(たま)ふぞかし。徒(いたづ)らごとにかかはりて、命(いのち)失(うしな)ひ給(たま)はんより、兜(かぶと)を脱(ぬ)ぎ、弓(ゆみ)の弦(つる)をはづし、降参(かうさん)し給(たま)へ。古(いにしへ)の情(なさけ)を以(もつ)て、助(たす)くべし」とぞ言(い)ひける。十一歳(さい)のきくわく、討手(うつて)は父(ちち)よと知(し)りながら、予(かね)て定(さだ)めし事(こと)なれば、父(ちち)重代(ぢゆうだい)の剣(けん)をよこたへて、高(たか)き所(ところ)に走(はし)り上(あ)がり、「如何(いか)に、人々(ひとびと)、聞(き)き給(たま)へ。かうめい王(わう)の太子(たいし)として、臣下(しんか)の手(て)に掛(か)かるべき事(こと)にもあらず。又(また)、臣下(しんか)心(こころ)がはりも、恨(うら)むべきにもあらず。只(ただ)前業(ぜんごふ)つたなけれ。さりながら、其(そ)の家(いへ)久(ひさ)しき郎等(らうどう)ぞかし。程嬰(ていえい)、出(い)で給(たま)へ。日頃(ひごろ)のよしみに、今(いま)一度(いちど)見参(げんざん)せん」と言(い)ひけれP075ば、程嬰(ていえい)、我(わ)が子(こ)の振舞(ふるま)ひを見(み)/て、心(こころ)安(やす)く思(おも)へども、忍(しの)びの涙(なみだ)ぞすすみける。兵(つはもの)あやしくや見(み)るらんと、落(お)つる涙(なみだ)を押(お)し止(とど)め、「人々(ひとびと)、是(これ)を聞(き)き給(たま)へ。国王(こくわう)の太子(たいし)とて、優(いう)に使(つか)ひたる言葉(ことば)かな。かうこそ」と言(い)ひけるが、さすが恩愛(おんあい)の別(わか)れ、包(つつ)み兼(か)ねたる涙(なみだ)の袖(そで)、絞(しぼ)りも敢(あ)へず、余所(よそ)の哀(あは)れを催(もよほ)しつつ、相(あひ)従(したが)ふ兵(つはもの)、差(さ)しあたりたる道理(だうり)なれば、共(とも)に感(かん)ぜぬは無(な)かりけり。其(そ)の後(のち)、太子(たいし)、高声(かうしやう)に曰(いは)く、「我(われ)は是(これ)、かうめい王(わう)の子、生年(しやうねん)十一歳(さい)。父(ちち)一所(いつしよ)に向(む)かへ給(たま)へ」と言(い)ひもはてず、剣(けん)を抜(ぬ)き、貫(つらぬ)かれてぞ、伏(ふ)しぬ。杵臼(しよきう)、同(おな)じく立(た)ち寄(よ)りて、「御(おん)けなげにも、御自害(じがい)候(さうら)ふ物(もの)かな。某(それがし)も、追(お)ひ付(つ)き奉(たてまつ)らん」とて、腹(はら)十文字(じふもんじ)にかき破(やぶ)り、太子(たいし)の死骸(しがい)にまろびかかりて、伏(ふ)しける有様(ありさま)、みるに言葉(ことば)も及(およ)ばれず、無慙(むざん)なりし例(ためし)なり。さて、二人が首(くび)を取(と)り、帝王(ていわう)に捧(ささ)ぐ。叡覧(えいらん)有(あ)りて、喜悦(きえつ)の眉(まゆ)を開(ひら)き給(たま)ふ。今(いま)は、疑(うたが)ふ所(ところ)無(な)く、程嬰(ていえい)に心(こころ)を許(ゆる)し、一(いち)の大臣(だいじん)にいはひたも(ま)ふ、御運(ごうん)の極(きは)めとぞ覚(おぼ)えべし。さて、隙(ひま)を窺(うかが)ひ、敵(てき)王(わう)を討(う)つ事(こと)、いと安(やす)し。すみやかに、主君(しゆくん)の屠岸賈(とがんか)を取(と)り立(た)て、二度(ふたたび)国(くに)を開(ひら)く事(こと)、案(あん)の内(うち)なり。然(さ)ればにや、もとの如(ごと)く、程嬰(ていえい)をさう臣(しん)に立(た)てらるに依(よ)つて、杵臼(しよきう)、きくわくの為(ため)に、追善(ついぜん)其(そ)の数(かず)を知(し)らず。かくて、三年(みとせ)に、国(くに)ことごとく鎮(しづ)まりをはりて後(のち)、程嬰(ていえい)、君(きみ)に暇(いとま)をこひて曰(いは)く、「我(われ)、杵臼(しよきう)に契約(けいやく)して、命(いのち)を君(きみ)に捨(す)つる事(こと)、P076遅速(ちそく)を争(あらそ)ひしなり。御位(おんくらゐ)、是(これ)までなり。今(いま)は、思(おも)ひ置(お)く事(こと)無(な)ければ、杵臼(しよきう)が草(くさ)の陰(かげ)にての心(こころ)も恥(は)づかし。自害(じがい)仕(つかまつ)らん」と申(まう)す。帝王(ていわう)、大(おほ)きに歎(なげ)きて、是(これ)を許(ゆる)す事(こと)無(な)し。然(さ)れども、隙(ひま)をはからひ、忍(しの)び出(い)でて、杵臼(しよきう)が塚(つか)の前(まへ)に行(ゆ)き、「君(きみ)の御位(おんくらゐ)、思(おも)ふ儘(まま)なり。如何(いか)にも嬉(うれ)しく思(おも)ひ給(たま)ふらん。我(われ)又(また)、かくの如(ごと)し。古(いにしへ)の契約(けいやく)忘(わす)れず」と言(い)ひて、腹(はら)かき切(き)り、失(う)せにけり。哀(あは)れなりし例(ためし)なり。大見(おほみ)・八幡(やはた)が、主(しゆう)の為(ため)に、命(いのち)をかろんじて、伊東(いとう)を狙(ねら)ひし志(こころざし)、是(これ)には過(す)ぎじとぞ覚(おぼ)えたり。
 〔奥野(おくの)の狩(かり)の事(こと)〕S0109N013
 さても、両三が国(こく)の人々(ひとびと)は、各々(おのおの)奥野(おくの)に入(い)り、方々(はうばう)より勢子(せこ)を入(い)れて、野干(やかん)をかりける程(ほど)に、七日が内(うち)に、猪(ゐのしし)六百、鹿(かのしし)千頭(せんかしら)、熊(くま)三十七、■鼠(むささび)三百、其(そ)の外(ほか)、雉(きじ)、山鳥(やまどり)、猿(さる)、兎(うさぎ)、貉(むじな)、狐(きつね)、狸(たぬき)、豺(さい)、大かめの類(たぐひ)に至(いた)るまで、以上其(そ)の数(かず)二千七百余(あま)りぞ、止(とど)められける。今(いま)は、さのみ野干(やかん)を滅(ほろ)ぼして、何(なに)にかせんとて、各々(おのおの)柏峠(かしはがたうげ)にぞ打(う)ち上(あ)がり、此(こ)の程(ほど)の雑掌(ざつしやう)は、伊東(いとう)一人して、暇(ひま)無(な)かりければ、「持(も)た/せたる酒(さけ)、人々(ひとびと)の見参(げんざん)に入(い)れざるこそ、本意(ほんい)無(な)けれ。いざや、山陣(ぢん)取(と)りて、頼朝(よりとも)に、今(いま)P077一獻(こん)すすめ奉(たてまつ)らん」「然(しか)るべし」とて、むねとの人々(ひとびと)五百余人(よにん)、峠(たうげ)に下(お)り居(ゐ)て、用意(ようい)す。N014土肥(とひ)の二郎(じらう)が申(まう)す、「今日(けふ)の御酒(さか)もりは、予(かね)て座敷(ざしき)の御(おん)定(さだ)め有(あ)るべし。若(わか)き方々(かたがた)の御違乱(いらん)もや候(さうら)ふべき」。大庭(おほば)の平太(へいだ)、「是(これ)、芝居(しばい)の座敷(ざしき)、誰(たれ)を上下と定(さだ)むべき。年寄(としより)の盃(さかづき)は、海老名殿(えびなどの)より始(はじ)め、若殿(わかとの)原(ばら)は、滝口殿(たきぐちどの)より始(はじ)めよ。此(こ)の人は、いづかたにぞ」と申(まう)しければ、弟(おとと)の三郎(さぶらう)聞(き)き、「兄(あに)にて候(さうら)ふ者(もの)は、熊倉(くまくら)の北(きた)の脇(わき)に、鹿(しし)の候(さうら)ひつるを、目(め)に懸(か)け、深(ふか)入(い)りして、未(いま)だ見(み)えず候(さうら)ふ。家俊(いへとし)こそ参(まゐ)りて候(さうら)へ」。土屋(つちや)が申(まう)しけるは、「三郎(さぶらう)殿(どの)こそ、滝口殿(たきぐちどの)よ。兄弟(きやうだい)中(ぢゆう)に、誰(たれ)をかわきて隔(へだ)つべき。其(そ)の盃(さかづき)、三郎(さぶらう)殿(どの)より始(はじ)めよ」と言(い)ふ。大庭(おほば)聞(き)き、「滝口殿(たきぐちどの)は、年(とし)こそ若(わか)けれども、然(さ)る人ぞかし。今(いま)来(き)たると言(い)ふを、少(すこ)しの間(あひだ)、待(ま)たぬか。左右(さう)無(な)く肴(さかな)あらすな」とて、奥野(おくの)の山口(やまぐち)方(がた)へ向(む)かひ遣(や)り、滝口(たきぐち)遅(おそ)しとまつ所(ところ)に、滝口(たきぐち)は、熊倉(くまくら)の北(きた)の脇(わき)を過(す)ぐるに、埒(らち)の外(そと)に、熊(くま)の大王(だいわう)を見(み)付(つ)けて、元山(もとやま)ヘ入(い)れじと、平野(ひらの)に追(お)ひ下(くだ)す所(ところ)に、滝口(たきぐち)、大(おほ)きなる伏木(ふしき)に馬(むま)を乗(の)り掛(か)け、真逆様(まつさかさま)に馳(は)せ倒(たふ)す。倒(たふ)るる馬(むま)を顧(かへり)みず、弓(ゆみ)のもとを、左右(さう)の鐙(あぶみ)に乗(の)りかかり、草葉(くさば)隠(かく)れに、矢(や)ごろ少(すこ)しのびたりけるを、三人ばりに、十三束(ぞく)の大(だい)の鏑矢(かぶらや)つがひ、拳上(こぶしうへ)に引(ひ)き掛(か)け、ひやうどはなつ。ひやうどとほなりして、右(みぎ)の折骨(をりぼね)二(ふた)つ三(み)つ、はらりと射(い)ければ、鏑(かぶら)はわれて、さつとちりければ、P078鏃(やじり)は、岩(いは)にがしとあたる。熊(くま)は、手(て)をおひ、滝口(たきぐち)にたけりて掛(か)かる。勢子(せこ)の者(もの)共(ども)、是(これ)を見(み)/て、四方(しはう)へばつとぞ逃(に)げたりける。滝口(たきぐち)、此(こ)の矢(や)をつがひ、絞(しぼ)り返(かへ)して、月の輪(わ)をはすしろに、射(い)を懸(か)けて射(い)ければ、熊(くま)は、少(すこ)しも動(うご)かず、矢(や)二(ふた)つにて、止(とど)まりける。其(そ)の後(のち)、勢子(せこ)の者(もの)共(ども)呼(よ)び寄(よ)せ、熊(くま)をかかせて、人々(ひとびと)の下(お)り居(ゐ)たる峠(たうげ)に打(う)ち上(のぼ)り、急(いそ)ぎ馬(むま)より下(お)り、「御肴(おんさかな)尋(たづ)ね候(さうら)ふとて、深(ふか)入(い)り仕(つかまつ)り、遅参(ちさん)申(まう)すなり。御免(ごめん)候(さうら)へ」と言(い)ひ、笠(かさ)をも脱(ぬ)がず、靫(うつぼ)をもとかず、行縢(むかばき)ながら、弓杖(ゆんづゑ)付(つ)きて立(た)ちたり。吉川(きつかは)の四郎(しらう)、俣野(またの)にいくみて有(あ)りけるが、是(これ)を見(み)/て、「滝口(たきぐち)殿(どの)は、聞(き)きしより、見(み)まして覚(おぼ)ゆる物(もの)かな。哀(あは)れ、男(をとこ)かな」とほめければ、座敷(ざしき)に居(ゐ)わづらひたり。誠(まこと)に気色顔(きしよくがほ)にて、何事(なにごと)がな、力業(ちからわざ)して、猶(なほ)ほめられんと思(おも)へ共(ども)、芝居(しばい)の事(こと)なれば、適(かな)はで有(あ)りけるを、弟(おとと)の滝口(たきぐち)三郎(さぶらう)と船越(ふなこし)十郎(じふらう)が居(ゐ)たりける間(あひだ)に、あをめなる石(いし)の、高(たか)さ三尺(さんじやく)ばかりなるをよりて、持(も)た/せばやと思(おも)ひければ、するすると歩(あゆ)みけるを見(み)/て、弟(おとと)の家俊(いへとし)、立(た)たんとす。膝(ひざ)を抑(おさ)へて、はつたとにらみて、「弓矢(ゆみや)の座敷(ざしき)をかたさるとは、我(わ)が居(ゐ)たる家(いへ)を出(い)でて、他所(たしよ)に居(ゐ)渡(わた)り、其(そ)の家(いへ)に人をおくをこそ、座敷(ざしき)かたさるとはいへ。是(これ)、此処(ここ)なる石(いし)の、二人が間(あひだ)に有(あ)りて、つまりやうのにくさにこそ」と言(い)ひ、右(みぎ)の手(て)を差(さ)し延(の)べて、後(うし)ろ様(ざま)へおしければ、大石(せき)がおされて、谷(たに)へどうど落(お)ち行(ゆ)く。海老名(えびな)の源八(げんぱち)、是(これ)を見(み)/て、東(とう)八か国(こく)の中(なか)に、男子(をのこご)持(も)ちP079たらん人は、滝口殿(たきぐちどの)を呼(よ)びて、ものあやかりにせよ、器量(きりやう)と言(い)ひ、弓矢(ゆみや)取(と)りては、樊噌(はんくわい)・張良(ちやうりやう)なり。哀(あは)れ、侍(さむらひ)や」とほめられ、いよいよ気色(きしよく)をまし、老(おい)の末座敷(ばつざしき)よりすすみ出(い)で、申(まう)しけるは、「只今(ただいま)の盃(さかづき)も、然(さ)る事(こと)にて候(さうら)へども、余(あま)りにもどかしく覚(おぼ)え候(さうら)ふ。大(おほ)きなる盃(さかづき)をもつて、一(ひと)つづつ御(おん)まはし候(さうら)へかし」と申(まう)しければ、「滝口殿(たきぐちどの)の仰(おほ)せこそ、面白(おもしろ)けれ」とて、伊東(いとう)の二郎(じらう)貝(かひ)と言(い)ふ貝(かひ)を取(と)り出(い)だし、此(こ)の貝(かひ)は、日本(につぽん)一二番(ばん)の貝(かひ)とて、院(ゐん)へ参(まゐ)らせたりしを、公家(くげ)には、貝(かひ)を御(おん)用(もち)ひ無(な)き事(こと)なれば、武家(ぶけ)に下(くだ)さる、太郎(たらう)貝(かひ)をば、秩父(ちちぶ)に下(くだ)さる、提子(ひさげ)五つぞ入(い)りける、二郎貝(じらうがひ)をば、三郎に下(くだ)さる、新介(しんすけ)賜(たま)はりて、土肥(とひ)の二郎(じらう)に取(と)らする、殿上(てんじやう)を許(ゆる)されたる器物(うつはもの)とて、秘蔵(ひさう)して持(も)ちけるを、折節(をりふし)、河津(かはづ)の三郎(さぶらう)、土肥(とひ)の聟(むこ)に成(な)りて来(き)たりしを、引出物(ひきでもの)にしたりけり。内(うち)は己(おのれ)なりに、外(そと)は梨子地(なしぢ)にまきて、いそなりにめおさしたり、提子(ひさげ)三(み)つぞ入(い)りける、是(これ)を取(と)り出(い)だし、滝口(たきぐち)がもとより始(はじ)めて、三度(さんど)づつぞまはしける。五百余人(よにん)の持(も)ちたる酒(さけ)なれば、酒(さけ)の不足(ふそく)は無(な)かりけり。後(のち)には、乱舞(らんぶ)して、躍(をど)りはねてぞ、遊(あそ)びける。海老名(えびな)の源八(げんぱち)、盃(さかづき)ひかへて、申(まう)しけるは、「是(これ)は、めでたき世(よ)の中(なか)を、夢現(ゆめうつつ)とも定(さだ)め難(がた)く、昔(むかし)がたりにならん事(こと)こそ、悲(かな)しけれ。老少(らうせう)不定(ふぢやう)と言(い)ひながら、若(わか)きは、頼(たの)み有(あ)る者(もの)を、若殿(わかとの)原(ばら)の様(やう)に、舞(ま)ひうたはんと思(おも)へども、膝(ひざ)振(ふ)るひ、声(こゑ)も立(た)たず、りうせきが、塚(つか)より出(い)でて、はんらうが、茫然(ばうぜん)とせしP080様(やう)に、酒(さけ)もれや、殿(との)原(ばら)。哀(あは)れ、きみかく有(あ)りし時(とき)は、是(これ)程(ほど)の盃(さかづき)二三十のみしかども、座敷(ざしき)に伏(ふ)す程(ほど)の事(こと)はあらねども、老(おい)の極(きは)めやらん、腰膝(こしひざ)の立(た)たざるこそ、悲(かな)しけれ。白居易(はつきよい)が昔(むかし)、思(おも)ひ出(い)でられたり。
 〔同(おな)じく相撲(すまふ)の事(こと)〕S0110N015
 秀貞(ひでさだ)がわかざかり、鷹狩(たかがり)、川狩(かはがり)の帰(かへ)り足(あし)には、力業(ちからわざ)、相撲(すまふ)がけこそ、面白(おもしろ)けれ。若(わか)き人々(ひとびと)、相撲(すまふ)取(と)り給(たま)へ。見(み)/て遊(あそ)ばん。見物(けんぶつ)には、上や有(あ)るべき」と言(い)ひければ、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、三島(みしま)の入道(にふだう)将監(しやうげん)、ゐだけだかに成(な)りて、「石(いし)ころばかしの滝口殿(たきぐちどの)と合沢(あひざは)の弥五郎(やごらう)殿(どの)、出(い)でて取(と)り給(たま)へ。是(これ)こそ、あひごろの力(ちから)と聞(き)け。さもあらば、入道(にふだう)出(い)でて、行司(ぎやうじ)に立(た)たん」と言(い)ふ。滝口(たきぐち)聞(き)きて、「坂東(ばんどう)八か国(こく)に、強(つよ)き者(もの)は無(な)きか。か程(ほど)の小男(こをとこ)に、相手(あひて)に差(さ)さるるは、馬(むま)の上(うへ)、かちだちなりとも、脇(わき)にはさみたたむに、働(はたら)かさじ」と言(い)ひければ、弥五郎(やごらう)聞(き)きて、「伊豆(いづ)、駿河(するが)、武藏(むさし)、相模(さがみ)に、強(つよ)き者(もの)は無(な)きか。滝口(たきぐち)がせいと力(ちから)をうらやむは。下臈(げらふ)の所(ところ)にこそ、器量(きりやう)に依(よ)りて、荷(に)をばもて、侍(さむらひ)は、せいちひさく、力は弱(よわ)けれども、鎧(よろひ)一領(りやう)にしかるる者(もの)無(な)し。弓(ゆみ)押(お)しはり、矢(や)かきおひ、よき馬(むま)に打(う)ち乗(の)りて、戦場(せんぢやう)に掛(か)け出(い)でて、思(おも)ふP081敵(かたき)にひつ組(く)みて、両馬(りやうば)が間(あひだ)に落(お)ち重(かさ)なり、胆(きも)勝(まさ)りて、腰(こし)の刀(かたな)を抜(ぬ)き、下(した)に伏(ふ)しながら、大(だい)の男(をとこ)をひつ掛(か)け、草摺(くさずり)をたたみ上(あ)げ、急所(きうしよ)を隙(ひま)無(な)く差(さ)して、はね返(かへ)し、抑(おさ)へて、首(くび)を取(と)る時(とき)は、大(だい)の男(をとこ)も、物(もの)ならず」と、あざ笑(わら)ひてぞ申(まう)しける。滝口(たきぐち)、たまらぬ男(をとこ)にて、「首(くび)を取(と)るか、取(と)らるるか、力(ちから)は、外(ほか)にもあらばこそ。いざや、老(おい)の御肴(おんさかな)に、力(ちから)くらべの腕相撲(うでずまふ)一番(いちばん)」と言(い)ふ儘(まま)に、座敷(ざしき)を立(た)ち、直垂(ひたたれ)を脱(ぬ)ぎ、「何程(なにほど)の事(こと)の候(さうら)ふべき。しや肋骨(あばらぼね)二三枚(まい)、つかみ破(やぶ)りて、捨(す)つべき物(もの)を」とて、つつと出(い)でけり。弥五郎(やごらう)も、「心(こころ)得(え)たり。物々し。力拳(ちからこぶし)のこらへん程(ほど)は、命(いのち)こそ限(かぎ)りよ」と言(い)ひ、座敷(ざしき)を立(た)つ。一座(ざ)の人々(ひとびと)、是(これ)を見(み)/て、あはや、事(こと)こそ出(い)で来(き)ぬと見(み)る程(ほど)に、近(ちか)くに有(あ)りける合沢(あひざは)、申(まう)す様(やう)、「余(あま)りはやし、滝口(たきぐち)殿(どの)。相撲(すまふ)は、小童(こわらんべ)、冠者(くわんじや)原(ばら)に、先(ま)づとらせて、取(と)り上(あ)げたるこそ、面白(おもしろ)けれ。おとなげ無(な)し、滝口殿(たきぐちどの)。止(とど)まり給(たま)へ」と引(ひ)き据(す)ゑたり。吉川(きつかは)、是(これ)を見(み)/て、「弥五郎(やごらう)殿(どの)も、先(ま)づ抑(おさ)へよ。合沢(あひざは)が弟(おとと)の弥七(やしち)殿(どの)に、出(い)でよ」と言(い)ふ。少(すこ)し辞退(じたい)に及(およ)びしを、船越(ふなこし)引(ひ)き立(た)てて、たづな取(と)りかへ、出(い)だしけり。年(とし)におきては、十五なり。姿(すがた)を物(もの)にたとふれば、まだ声(こゑ)若(わか)き鴬(うぐひす)の、谷(たに)より出(い)づるもかくやらん。「誰(たれ)をか相手(あひて)にさすべき」と、座敷(ざしき)を見(み)まはしければ、「滝口(たきぐち)が弟(おとと)の三郎(さぶらう)、出(い)でよ」と言(い)ふ、言葉(ことば)の下(した)より、出(い)でにけり。年(とし)におきて、十八なり。いづれも、相撲(すまふ)は上手(じやうず)なれば、各々(おのおの)差(さ)し寄(よ)りて、つまどりしP082たる有様(ありさま)は、春(はる)待(ま)ち兼(か)ねてさく梅(むめ)の、雪(ゆき)をふくめる如(ごと)くなり。我(われ)人、力(ちから)は知(し)らねども、雲(くも)ふき立(た)つる山風(かぜ)の、松(まつ)と桜(さくら)に音(おと)立(た)てて、鳥(とり)も驚(おどろ)く梢(こずゑ)かと、諸人(しよじん)、目(め)をこそさましけれ。弥七(やしち)は、力(ちから)劣(おと)りなれども、手合(てあひ)はましてぞ見(み)えにける。三郎は、力(ちから)勝(まさ)りけれ共(ども)、くまんとのみにて、差(さ)し詰(つ)め結(むす)べば、捨(す)ててぬけ、なぐれば、掛(か)けてまはりしは、桃華(たうくわ)の節会(せちゑ)の鶏(にはとり)の、心(こころ)を砕(くだ)き、羽(は)をつがひ、勝負(しようぶ)を争(あらそ)ふ鶏(とり)合(あ)はせも、是(これ)には過(す)ぎじとぞ見(み)えける。老若(らうにやく)、座敷(ざしき)にこらへ兼(か)ね、「哀(あは)れ、浮(う)き世(よ)の見ごとや」と、上下暫(しばら)くののめきて、東西(とうざい)更(さら)に鎮(しづ)まらず。然(さ)れども、弥七(やしち)は、地下(さ)がりへ押(お)し掛(か)けられ、とどろ走(はし)りて、そ首(くび)をつかれ、遂(つひ)に弥七(やしち)ぞ、負(ま)けたりける。兄(あに)の弥六(やろく)、つつと出(い)で、三郎(さぶらう)をはたとけて、あふのき様(ざま)に打(う)ちにける。滝口(たきぐち)、無念(むねん)に思(おも)ひて、弟の三郎(さぶらう)が、未(いま)だおきざる先(さき)に、躍(をど)り出(い)で、大力(だいぢから)なりければ、弥六(やろく)は、手(て)にもたまらず、負(ま)けにけり。兄(あに)の弥五郎(やごらう)、弟(おとと)二人をまかして、安(やす)からずに思(おも)ひ、袴(はかま)の腰(こし)、とくを遅(おそ)しと引(ひ)き切(き)り、たづな二筋(ふたすぢ)えり合(あ)はせ、強(つよ)くをさめ、走(はし)り出(い)で、近々(ちかぢか)と差(さ)し合(あ)ひて、力(ちから)引(ひ)きて見(み)れば、大(だい)の男(をとこ)が、ふんばりて、少(すこ)しも動(うご)かざれば、一定(いちぢやう)、我(われ)も負(ま)けぬべし、誠(まこと)や、相撲(すまふ)は、力(ちから)によらず、手(て)だに勝(まさ)れば、みぎわ勝(まさ)りの相手(あひて)を討(う)つ物(もの)をと思(おも)ひ出(い)だして、合沢(あひざは)、右(みぎ)の拳(こぶし)を握(にぎ)り固(かた)め、滝口(たきぐち)、鬢(びん)のはづれ、きれてのけと、打(う)ちければ、滝口(たきぐち)、打(う)たれP083て、左右(さう)の拳(こぶし)を打(う)ち返(かへ)す。其(そ)の後(のち)、負(ま)けじ、劣(おと)らじと、手(て)をはなちて、はり合(あ)ひける。今(いま)は、相撲(すまふ)は取(と)らで、偏(ひとへ)に当座(たうざ)の口論(こうろん)とぞ見(み)えける。両方(りやうばう)、さへむとする所(ところ)に、弥五郎(やごらう)、隙(ひま)無(な)く、つつと入(い)り、滝口(たきぐち)が小股(こまた)をかいて、はなじろに押(お)し据(す)ゑたり。いきほひし滝口(たきぐち)、敢(あ)へ無(な)く負(ま)けしかば、暫(しばら)く相撲(すまふ)ぞ無(な)かりける。弥五郎(やごらう)は、広言(くわうげん)しつる滝口(たきぐち)に勝(か)ちて、百千番(ばん)の負(ま)けも物(もの)ならず、是(これ)に勝(か)つこそ嬉(うれ)しけれ、何者(なにもの)なりともと思(おも)ふ所(ところ)に、葛山(かつらやま)の又七出(い)でて、手(て)にもたまらず負(ま)けて後(のち)、究竟(くつきやう)の相撲(すまふ)五番まで勝(か)ちて、立(た)ちたる有様(ありさま)は、勢(いきほひ)余(あま)りてぞ見(み)えける。此処(ここ)に、相模(さがみ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、柳下(やぎした)の小六郎(ころくらう)出(い)でて、合沢(あひざは)の弥五郎(やごらう)を始(はじ)めとして、よき相撲(すまふ)六番(ろくばん)勝(か)つ。駿河(するが)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、竹下(たけのした)の孫八(まごはち)出(い)でて、小六(ころく)を始(はじ)めとして、よき相撲(すまふ)九番(ばん)打(う)つて、入(い)らんとする所(ところ)に、大庭(おほば)が舎弟(しやてい)の俣野(またの)の五郎(ごらう)出(い)でて、孫八(まごはち)を始(はじ)めとして、よき相撲(すまふ)十番打(う)ちければ、「出(い)でて取(と)らん」と言(い)ふ者(もの)無(な)し。駿河(するが)の国(くに)高橋(たかはし)の忠六(ちゆうろく)、「いざや取(と)らん」と言(い)ふ。側(そば)に有(あ)りける海老名(ゑびな)の秀貞(ひでさだ)、「是(これ)こそ、俣野(またの)の五郎(ごらう)よ。道理(だうり)にて、打(う)ちけるぞや」。景久(かげひさ)聞(き)き候(さうら)ひて、「相撲(すまふ)が、絶(た)えて無(な)からんにこそ」と言(い)ひければ、土屋(つちや)の平太(へいだ)、是(これ)を聞(き)き、「俣野(またの)も、手(て)一(ひと)つ、我(われ)も、手(て)一(ひと)つ、臆(おく)してばし、負(ま)けけるか。彼(かれ)体(てい)の相撲(すまふ)をば、十人ばかり一(ひと)つかみにて、物(もの)を脱(ぬ)ぎおき、たづなかきまうけ、まくれば、乗(の)り越(こ)え、移(うつ)れば、入(い)れかへ、息(いき)をもつがせず、隙(すき)をもあらせず、攻(せ)め倒(たふ)せ」「此(こ)の儀(ぎ)面白(おもしろ)し」とて、P084十人ばかり並(なら)び居(ゐ)て、まくれば、つつと出(い)で、移(うつ)れば、はね越(こ)え、攻(せ)めけれども、究竟(くつきやう)の上手(じやうず)の大力(だいぢから)なれば、続(つづ)けて、二十一番(いちばん)勝(か)ちけり。其(そ)の時(とき)、土肥(とひ)の二郎(じらう)実平(さねひら)、座敷(ざしき)を立(た)ち、つま紅(ぐれなゐ)に、日出(い)だしたる扇(あふぎ)を開(ひら)きて、俣野(またの)をしばし仰(あふ)ぎて、「よき御相撲(すまふ)かな。哀(あは)れ、実平(さねひら)が年十四五も若(わか)くは、出(い)でて取(と)らばや」と言(い)ふ。俣野(またの)聞(き)きて、「何(なに)かは苦(くる)しかるべき。出(い)で給(たま)へ。一番(いちばん)取(と)らん。相撲(すまふ)は、年(とし)に依(よ)り候(さうら)はず」と言(い)ひければ、土肥(とひ)は、なまじひに、言葉(ことば)を掛(か)けて、各々(おのおの)と言(い)はれて、取(と)るより外(ほか)に、言葉(ことば)も無(な)し。伊東(いとう)は、三浦(みうら)に親(した)しく、河津(かはづ)は、土肥(とひ)が聟(むこ)なり、土肥(とひ)が今日(こんにち)の恥辱(ちじよく)は、此(こ)の一門(いちもん)に離(はな)れじと思(おも)へば、伊東(いとう)の二郎(じらう)が嫡子(ちやくし)河津(かはづ)の三郎(さぶらう)祐重(すけしげ)をば、父(ちち)伊東(いとう)より人重(おも)く思(おも)ひければ、無二(むに)無三(むさん)の遊(あそ)びなれども、「出(い)でて取(と)れ」と言(い)ふ人無(な)し、老(おい)の末座(ばつざ)に有(あ)りけるが、座敷(ざしき)を立(た)ちて、舅(しうと)の土肥(とひ)の二郎(じらう)にささやきけるは、「今日(こんにち)の御酒(さか)もりには、老若(らうにやく)の嫌(きら)ひ無(な)く候(さうら)ふに、などや祐重(すけしげ)一番(いちばん)とも承(うけたまは)り候(さうら)はず。空(むな)しく帰(かへ)り候(さうら)はば、若(わか)き者(もの)のおひすけしたるににて候(さうら)ふ。御(おん)はからひ候(さうら)へ。一番(いちばん)取(と)り候(さうら)はん」と言(い)ひければ、実平(さねひら)聞(き)きて、俣野(またの)が言葉(ことば)、にがにがしさにぞ、取(と)らんと言(い)ふらん、さりながら、聟(むこ)をまかしては、面目(めんぼく)無(な)しとや思(おも)ひけん、返事(へんじ)にも及(およ)ばで、赤面(せきめん)してぞ居(ゐ)たりける。父(ちち)伊東(いとう)、是(これ)を聞(き)き、子(こ)ながらも、力(ちから)は強(つよ)き者(もの)を、とらせ見(み)ばやと思(おも)ひけれども、ためらふ折節(をりふし)、此(こ)の言葉(ことば)を聞(き)き、「神妙(しんべう)に申(まう)したり。P085出(い)でて取(と)れ」と言(い)ひければ、直垂(ひたたれ)脱(ぬ)ぎおき、白(しろ)きたづな二筋(ふたすぢ)寄(よ)り合(あ)はせ、かたくをさめて、出(い)でんとす。伊東(いとう)方(がた)の者(もの)出(い)でて、「御相撲(すまふ)に参(まゐ)らん。俣野(またの)殿(どの)」と言(い)ふ。景久(かげひさ)きいて、腹(はら)を立(た)て、「相撲(すまふ)は是(これ)に候(さうら)ふぞ。出(い)で合(あ)はせ候(さうら)へと言(い)ふは、常(つね)の事(こと)。総(そう)じて、相撲(すまふ)の座敷(ざしき)にて、左右(さう)無(な)く相手(あひて)の名字(みやうじ)呼(よ)ぶ事(こと)無(な)し。氏(うぢ)と言(い)ひ器量(きりやう)と言(い)ひ、河津(かはづ)にやまくべき。小腕(こがひな)押(お)しをり捨(す)つべき物(もの)を」と、笑(わら)ひて出(い)づるを見(み)れば、菩薩(ぼさつ)なりにして、色(いろ)あさぐろく、丈(たけ)は六尺(ろくしやく)二分(にぶん)、年(とし)は三十一にぞなりにける。俣野(またの)が姿(すがた)は、さし肩(かた)にして、かを骨(ほね)あれて、首(くび)太(ふと)く、頭(かしら)少(すこ)し、裾(すそ)ふくらに、後(うし)ろの折骨(をりほね)、臍(ほぞ)の下(した)へ差(さ)しこみ、力士(りきじ)なりにして、丈(たけ)は五尺(しやく)八分(ぶん)、年(とし)は三十二なり。差(さ)し寄(よ)り、つまどり、ひしひしとして、押(お)し離(はな)れ、河津(かはづ)思(おも)ひけるは、俣野(またの)は聞(き)きつるに似(に)ず、さしたる力(ちから)にては無(な)かりけり、今日(けふ)、人々(ひとびと)の多(おほ)く負(ま)けけるは、酒(さけ)に酔(ゑ)ひけるか、臆(おく)しける故(ゆゑ)なり、今度(こんど)は、手(て)にもたつまじき物(もの)をと思(おも)ひけるが、心(こころ)をかへて思(おも)ふ様(やう)、さすが俣野(またの)は、相撲(すまふ)の大番(おほばん)勤(つと)めに、都(みやこ)へ上(のぼ)り、三年の間(あひだ)、京(きやう)にて相撲(すまふ)になれ、一度(いちど)不覚(ふかく)を取(と)らぬ者(もの)なり。其(そ)の故(ゆゑ)、院(ゐん)・内(うち)の御目(め)にかかり、日本(につぽん)一番(いちばん)の名(な)をえたる相撲(すまふ)なり。今(いま)ここもとにて、物手(て)無(な)くまかさん事(こと)は、返(かへ)りて言(い)ふ甲斐(かひ)無(な)しと思(おも)へば、二度目(どめ)には差(さ)し寄(よ)り、左右(さう)の腕(かひな)をつかむで、左手(ゆんで)・右手(めて)に御座(おは)します、雑人(ざふにん)の上(うへ)に掛(か)け、膝(ひざ)をつかせて、入(い)りにけり。俣野(またの)は、只(ただ)も入(い)らずして、「此処(ここ)なる木(き)の根(ね)にけつまづきて、不覚(ふかく)P086の負(ま)けをぞしたりける。いざや、今(いま)一番(いちばん)取(と)らん」と言(い)ふ。大庭(おほば)、是(これ)を聞(き)き、走(はし)り寄(よ)り、「げにげに、是(これ)に木(き)の根(ね)有(あ)り。まん中(なか)にて、勝負(しようぶ)し給(たま)へ」と言(い)ひければ、伊東(いとう)申(まう)しけるは、「河津(かはづ)が膝(ひざ)、少(すこ)し流(なが)れて見(み)え候(さうら)ふ。ねきりの相撲(すまふ)ならばこそ、意趣(いしゆ)もあらめ。只(ただ)一座(ざ)の一興(いつきよう)に負(ま)け申(まう)して、面白(おもしろ)し。出(い)で合(あ)ひ申(まう)せ」と言(い)ひければ、河津(かはづ)は、やがてぞ出(い)でにける。俣野(またの)も、出(い)でんとしけるを、一族(いちぞく)共(ども)、「如何(いか)に取(と)るとも、勝(か)つまじきぞ。只(ただ)此(こ)の儘(まま)にて、入(い)り給(たま)へ。論(ろん)の相撲(すまふ)は、勝負(しようぶ)無(な)し。勝(か)ちたるには、勝(まさ)るぞかし。此(こ)の度(たび)負(ま)けなば、二度(にど)の負(ま)けなるべし」と言(い)ひければ、俣野(またの)が言(い)ふ様(やう)は、「河津(かはづ)は、力(ちから)は強(つよ)く覚(おぼ)ゆれども、相撲(すまふ)の故実(こじつ)は候(さうら)はず、御覧(ごらん)ぜよ」と言(い)ひ捨(す)てて、猶(なほ)も出(い)でんとする所(ところ)を、しばし止(とど)めて言(い)ひけるは、「河津(かはづ)が手合(てあひ)をよく見(み)れば、御分(ごぶん)にみぎわ勝(まさ)りの力(ちから)なり。彼(かれ)体(てい)の相撲(すまふ)をば、左右(さう)の手(て)を上(あ)げ、爪先(つまさき)を立(た)てて、上手(うはて)に掛(か)けて待(ま)ち給(たま)へ。敵(てき)も上手(うはて)に目(め)を懸(か)けて、のさのさとよる所(ところ)を、小臂(こひぢ)を打(う)ち上(あ)げ、違(ちが)ひ様(さま)によついを取(と)り、足(あし)を抜(ぬ)きてはねまはれ。大力(だいぢから)も、はねられて、足(あし)の立(た)てどのうく所(ところ)を、捨(す)てて足(あし)を取(と)りて見(み)よ。組(く)みては適(かな)ふまじきぞ。もし又(また)、くまで適(かな)はずは、うちがらみに、しはと掛(か)けて、髻(もとどり)をおちをはかせ、一(ひと)はねはねて、しとと打(う)て。なんでふ七はなれ八はなれは、見(み)苦(ぐる)しきぞ。侍相撲(さぶらひすまふ)と申(まう)すは、よるかとすれば、勝負(かちまけ)有(あ)り。余(あま)りにはやきも、見(み)分(わ)けられず。又(また)、斯様(かやう)のP087ひね物(もの)をば、わづらひ無(な)くのし寄(よ)りて、小首(こくび)ぜめに攻(せ)めて、背(せ)をこごめて、まはる所(ところ)を、大さか手(て)に入(い)れて、かいひねつて、け捨(す)てて見(み)よ。真逆様(まつさかさま)に負(ま)けぬべし」と、こまごまと教(をし)へければ、「心(こころ)得(え)たり」とて出(い)で合(あ)ひけり。教(をし)への如(ごと)く、爪先(つまさき)を立(た)てて、腕(かひな)を上(あ)げ、隙(すき)あらばと狙(ねら)ひけり。河津(かはづ)は、前後(ぜんご)相撲(すまふ)は、是(これ)が始(はじ)めなれば、やうも無(な)く、するすると歩(あゆ)み寄(よ)り、俣野(またの)が、ぬけんと相(あひ)しらふ所(ところ)を、右(みぎ)の腕(かひな)をつつと延(の)べ、又野(またの)が前(まへ)ほろをつかんで差(さ)しのけ、あらくも働(はたら)かば、たづなも腰(こし)もきれぬべし。暫(しばら)く有(あつ)て、むずと引(ひ)き寄(よ)せ、目(め)より高(たか)く差(さ)し上(あ)げ、半時(はんとき)ばかり有(あ)りて、横(よこ)様(さま)に片手(かたて)をはなちて、しとと打(う)つ。又野(またの)は、やがておきなほり、「相撲(すまふ)にまくるは、常(つね)の習(なら)ひ、なんぞ御分(ごぶん)が片手業(かたてわざ)」。河津(かはづ)言(い)ひけるは、「以前(ぜん)も、勝(か)ちたる相撲(すまふ)を、御論(ごろん)候(さうら)ふ間(あひだ)、今度(こんど)は、まつ中にて、片手(かたて)を以(もつ)て打(う)ち申(まう)したり。未(いま)だ御不審(ふしん)や候(さうら)ふべき。御覧(ごらん)じつるか、人々(ひとびと)」と言(い)ふ。大庭(おほば)、是(これ)を見(み)/て、童(わらは)に持(も)た/せたる太刀(たち)追(お)つ取(と)り、するりと抜(ぬ)きて、とんで掛(か)かる。座敷(ざしき)、俄(にはか)に騒(さわ)ぎ、ばつと立(た)つ。伊東(いとう)方(がた)による者(もの)も有(あ)り、大庭(おほば)が方(かた)による者(もの)も有(あ)り。両方(りやうばう)さへんと下(お)りふさがり、銚子(てうし)・盃(さかづき)踏(ふ)みわり、酒肴(さけさかな)をこぼす。雑兵(ざふひやう)三千(さんぜん)余人(よにん)までも、軍(いくさ)せんとてひしめきけり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)、此(こ)の由(よし)御覧(ごらん)じ、「如何(いか)に頼朝(よりとも)が情(なさけ)捨(す)てて、仇(あた)を結(むす)び給(たま)ふか。大庭(おほば)の人々」と仰(おほ)せられければ、大庭(おほば)の平太(へいだ)承(うけたまは)り、「田舎(ゐなか)住(す)まひの物(もの)共(ども)、出仕(しゆつし)なれP088候(さうら)はで、斯(か)かる狼藉(らうぜき)を仕(つかまつ)り候(さうら)ふ。相撲(すまふ)は負(ま)けても、恥(はぢ)ならず、我(われ)が方人(かたうど)は言(い)ふべからず、一々(いちいち)に記(しる)し申(まう)すべきぞ。後日(ごにち)に争(あらそ)ふな」と怒(いか)りければ、大庭(おほば)の鎮(しづ)め給(たま)ふ上(うへ)はとて、鎮(しづ)まりけり。伊東(いとう)は、もとより意趣(いしゆ)無(な)しとて、やがて面々(めんめん)にこそ鎮(しづ)まりけれ。是(これ)や、瓊瑶(けいよう)は少(すく)なきを以(もつ)て奇(き)也(なり)とし、磧礫(せきれき)は多(おほ)きを以(もつ)て賎(いや)しとす。人多(おほ)しと雖(いへど)も、景信(かげのぶ)が言葉(ことば)一(ひと)つにてぞ、鎮(しづ)まりける。斯(か)かる所(ところ)に、祐経(すけつね)が郎等(らうどう)共(ども)、彼(かれ)等(ら)に交(まじ)はり、伺(うかが)ひけるが、哀(あは)れ、事(こと)のあれかし、間近(まぢか)に攻(せ)め寄(よ)りて、打(う)たんとする由(よし)にて、伊東(いとう)殿(どの)をおつ様(さま)に射(い)落(お)とさむとて、ささやきける。七日が間(あひだ)、夜昼(よるひる)つきて伺(うかが)へども、然(しか)るべき隙(ひま)無(な)くして、狩座(かりくら)既(すで)に過(す)ぎければ、各々(おのおの)、空(むな)しく帰(かへ)らんとす。小藤太(ことうだ)、申(まう)しけるは、「さても、一郎殿の御心(おんこころ)をつくして、今(いま)や今(いま)やと待(ま)ち給(たま)ふらん。徒(いたづ)らに帰(かへ)らん事(こと)こそ、口惜(くちを)しけれ。いざや、思(おも)ひ切(き)り、とにもかくにもならん」と言(い)ひければ、「八幡(やはた)三郎(さぶらう)申(まう)しけるは、「暫(しばら)く功(こう)をつみて見(み)給(たま)へ。如何(いか)でか空(むな)しからん。
 〔費長房(ひちやうばう)が事(こと)〕S0111N016
 古(ふる)きを思(おも)ふに、昔(むかし)、大国(たいこく)に、費長房(ひちやうばう)と言(い)ふ者(もの)有(あ)り。仙術(せんじゆつ)を習(なら)ひ得(え)て、暗(くら)き所(ところ)P089も無(な)かりしが、天(てん)に上(あ)がる術(じゆつ)を習(なら)はずして、未(いま)だ空(むな)しく凡夫(ぼんふ)に交(まじ)はり歩(あり)きけり。或(あ)る時(とき)、所用(しよよう)の事(こと)有(あ)つて、長安(ちやうあん)の市(いち)に出(い)でて、商人(あきびと)に伴(ともな)ひしに、或(あ)る老人(らうじん)、腰(こし)に壺(つぼ)を付(つ)けて、此(こ)の者(もの)、市(いち)に交(まじ)はりける。知音(ちいん)は、知(し)る理(ことわり)にて、此(こ)の者(もの)、只人(ただひと)ならずと、目(め)をはなさで見(み)るに、此(こ)の老人(らうじん)、傍(かたはら)に行(ゆ)き、腰(こし)なる壺(つぼ)を下(お)ろし、其(そ)の壺(つぼ)に出(い)で入(い)りにけり。然(さ)ればこそ、仙人(せんにん)なれとて、其(そ)の人の家(いへ)につきて行(ゆ)きぬ。費長房(ひちやうばう)、彼(か)の仙人(せんにん)に仕(つか)へんとて、三年までぞ仕(つか)へける。或(あ)る時(とき)、老人(らうじん)言(い)ひて曰(いは)く、「汝(なんぢ)、如何(いか)なる志(こころざし)有(あ)りて、三年(さんねん)まで、一(ひと)言葉(ことば)も違(たが)へず、我(われ)等(ら)に仕(つか)へけるぞや」。費長房(ひちやうばう)聞(き)きて、「我(われ)、仙術(せんじゆつ)を習(なら)ふと雖(いへど)も、天(てん)に上(あ)がる事(こと)を知(し)らず。老人(らうじん)の壺(つぼ)に出(い)で入(い)り給(たま)ふ事(こと)を教(をし)へ給(たま)へ」と言(い)ひければ、「安(やす)き事(こと)なり。我(わ)が袖(そで)に取(と)り付(つ)け」と言(い)ふ。即(すなは)ち、取(と)り付(つ)きければ、二人共(とも)に、彼(か)の壺(つぼ)の内(うち)へ飛(と)び入(い)りぬ。此(こ)の壺(つぼ)の内(うち)に、めでたき世界(せかい)有(あ)り、月日(つきひ)の光(ひかり)は、空(そら)にやはらぎ、四方(よも)に四季(しき)の色(いろ)を現(あらは)し、百二十丈(ぢやう)の宮殿(くうでん)楼閣(ろうかく)有(あ)り、天(てん)にて聖衆(しやうじゆ)舞(ま)ひ遊(あそ)ぶ。鳧(かも)・雁(がん)・鴛鴦(をし)の声(こゑ)やはらかにして、池(いけ)には弘誓(ぐぜい)の船(ふね)を浮(う)かべり。よくよく見(み)めぐりて、「今(いま)は出(い)でん」と言(い)ふ。老人(らうじん)、竹(たけ)の杖(つゑ)を与(あた)へて、「是(これ)を付(つ)きて出(い)でよ」と言(い)ふ。即(すなは)ち、つくと思(おも)へば、時(とき)の間(ま)に、をしみつと言(い)ふ所(ところ)に至(いた)りぬ。此(こ)の杖(つゑ)を捨(す)てければ、即(すなは)ち竜(りゆう)と成(な)りて、天(てん)に上(あ)がりぬ。費長房(ひちやうばう)は、鶴(つる)に乗(の)りて、天(てん)に上(のぼ)りけり。是(これ)も、功(こう)を積(つ)もる故(ゆゑ)なり。P090三年(さんねん)までこそ無(な)くとも、待(ま)ちて見(み)よ」とぞ申(まう)しける。
 〔河津(かはづ)が打(う)たれし事(こと)〕S0112N017
 「然(さ)らば此(こ)の帰(かへ)り足(あし)を狙(ねら)ひて見(み)ん」「然(しか)るべし」とて、道(みち)をかへて、先(さき)に立(た)ち、奥野(おくの)の口(くち)、赤沢山(あかざはやま)の麓(ふもと)、八幡山(やはたやま)の境(さかひ)に有(あ)る切所(せつしよ)を尋(たづ)ねて、椎(しい)の木(き)三本(ぼん)、小楯(こだて)に取(と)り、一(いち)の射翳(まぶし)には大見(おほみ)の小藤太(ことうだ)、二の射翳(まぶし)には八幡(やはた)の三郎(さぶらう)、手だれなれば、余(あま)さじ物(もの)をとて、立(た)ちたりけり。各々(おのおの)待(ま)ち掛(か)けける所(ところ)に、一番(いちばん)に通(とほ)るは、波多野(はだの)の右馬允(むまのじよう)、二番に通(とほ)るは、大庭(おほば)の三郎(さぶらう)、三番に通(とほ)るは、海老名(えびな)の源八(げんぱち)、四番(ばん)は、土肥(とひ)の二郎(じらう)、後陣(ごぢん)遙(はる)かに引(ひ)き下(さ)がりて、流人(るにん)兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)ぞ通(とほ)られける。敵(かたき)ならねば、皆(みな)遣(や)り過(す)ごし、此(こ)の次(つぎ)に、伊東(いとう)が嫡子(ちやくし)河津(かはづ)の三郎(さぶらう)ぞきたりける。面白(おもしろ)くこそ出(い)で立(た)ちたれ。秋野(あきの)のすりつくしたる間々(あひあひ)に、引(ひ)き柿(がき)したる直垂(ひたたれ)に、斑(まだら)の行縢(むかばき)裾(すそ)たぶやかにはき成(な)し、鶴(つる)の本白(もとじろ)にてはぎたる白(しら)こしらへの鹿矢(ししや)、筈高(はずだか)に追(お)ひ成(な)し、千段籐(せんだんどう)の弓(ゆみ)まん中(なか)取(と)り、萌黄裏(もよぎうら)付(つ)けたる竹笠(たけがさ)、木枯(こがらし)にふきそらせ、宿月毛(さびつきげ)の馬(むま)の五臓(ざう)大(おほ)きなるが、尾髪(をかみ)あくまでちぢみたるに、梨子地(なしぢ)にまきたる白覆輪(しろぶくりん)の鞍(くら)に、連著鞦(れんじやくしりがひ)の山吹色(やまぶきいろ)なるを掛(か)け、銜轡(ふくみぐつわ)、紺(こん)の手綱(たづな)を入(い)れてぞ乗(の)りたりける。馬(むま)も聞(き)こゆる名馬(めいば)なり、主(ぬし)も究竟(くつきやう)の馬(むま)乗(の)りにて、P091伏木(ふしき)・悪所(あくしよ)を嫌(きら)はず、差(さ)しくれてこそ歩(あゆ)ませけれ。折節(をりふし)、乗(の)りがへ一騎(き)もつかざれば、一(いち)の射翳(まぶし)の前(まへ)を遣(や)り過(す)ごす。二の射翳(まぶし)の八幡(やはた)三郎(さぶらう)、もとより騒(さわ)がぬ男(をのこ)なれば、「天(てん)の与(あた)へを取(と)らざるは、返(かへ)りて咎(とが)をうる」と言(い)ふ、古(ふる)き言葉(ことば)を思(おも)ひ出(い)で、すはい損(そん)ずべき。射翳(まぶし)の前(まへ)を三段(たん)ばかり、左手(ゆんで)の方(かた)へ遣(や)り過(す)ごして、大(だい)のとがり矢(や)差(さ)しつがひ、よつぴき、しばし固(かた)めて、ひやうどはなす。思(おも)ひもよらで通(とほ)りける河津(かはづ)、乗(の)りたる鞍(くら)の後(うし)ろの山形(がた)をいけづり、行縢(むかばき)の着際(きぎは)を前(まへ)へつつとぞ射(い)通(とほ)しける。河津(かはづ)もよかりけり。弓(ゆみ)取(と)り直(なほ)し、矢(や)取(と)つてつがひ、馬(むま)の鼻(はな)をひつ返(かへ)し、四方(しはう)を見(み)まはす。「知者(ちしや)は惑(まど)はず、仁者(じんしや)は愁(うれ)へず、勇者(ようしや)は恐(おそ)れず」と申(まう)せども、大事(だいじ)のいた手(で)なれば、心(こころ)は猛(たけ)く思(おも)へ共(ども)、性根(しやうね)次第(しだい)に乱(みだ)れ、馬(むま)より真逆様(まつさかさま)に落(お)ちにけり。後陣(ごぢん)に有(あ)りける父(ちち)伊東(いとう)の二郎(じらう)は、是(これ)をば夢(ゆめ)にも知(し)らずぞ下(くだ)りける。頃(ころ)は神無月(かんなづき)十日余(あま)りの事(こと)なれば、山(やま)めぐりけるむら時雨(しぐれ)、降(ふ)りみふらずみ定(さだ)め無(な)く、たつより雲(くも)のたえだえに、ぬれじと駒(こま)を早(はや)めて、手綱(たづな)かいくる所(ところ)に、一(いち)の射翳(まぶし)に有(あ)りける大見(おほみ)の小藤太(ことうだ)、待(ま)ち受(う)けて居(ゐ)たりけれども、験(しるし)無(な)し。左(ひだり)の手(て)の内(うち)の指(ゆび)二(ふた)つ、前(まへ)の■(しほで)の根(ね)に射(い)立(た)てたり。伊東(いとう)は、然(さ)るふる兵(つはもの)にて、敵(てき)に二(ふた)つの矢(や)を射(い)させじと、大事(だいじ)の手(て)にもてなし、右手(めて)の鐙(あぶみ)に下(お)り下(さ)がり、馬(むま)を小楯(こだて)に取(と)り、「山賊(やまだち)有(あ)りや。先陣(せんぢん)は返(かへ)せ、後陣(ごぢん)はすすめ」と呼(よ)ばはりければ、先陣(せんぢん)・後陣(ごぢん)、我(われ)劣(おと)らじとすすめども、P092所(ところ)しも悪所(あくしよ)なれば、馬(むま)のさくりをたどる程(ほど)に、二人の敵(かたき)は逃(に)げのびぬ。隈(くま)も無(な)く待(ま)ちけれども、案内者(あんないしや)にて、思(おも)はぬしげみ、道(みち)をかへ、大見庄(おほみのしやう)にぞ入(い)りにける。危(あや)ふかりし命(いのち)也(なり)。伊東(いとう)は、河津(かはず)の三郎(さぶらう)が伏(ふ)したる所(ところ)に立(た)ち寄(よ)りて、「手(て)は大事(だいじ)なるか」と問(と)ひけれども、音(おと)もせず。押(お)し動(うご)かして、矢(や)をあらく抜(ぬ)きければ、いよいよ前後(ぜんご)も知(し)らざりけり。河津(かはづ)が首(かうべ)を、父(ちち)伊東(いとう)が膝(ひざ)にかき乗(の)せ、涙(なみだ)を抑(おさ)へて申(まう)しけるは、「こは何(なに)と成(な)り行(ゆ)く事(こと)ぞや。同(おな)じあたる矢(や)ならば、など祐親(すけちか)には立(た)たざりけるぞ。齢(よはひ)傾(かたぶ)き、今日(けふ)明日(あす)をも知(し)らざる憂(う)き身(み)なれども、わ殿(との)を持(も)ちてこそ、公方私(くばうわたくし)心(こころ)安(やす)く、後(のち)の世掛(か)けても、頼(たの)もしく思(おも)ひつるに、敢(あ)へ無(な)く先(さき)立(だ)つ事(こと)の悲(かな)しさよ。今(いま)より後(のち)、誰(たれ)を頼(たの)みて有(あ)るべきぞ。汝(なんぢ)を止(とど)めおき、祐親(すけちか)先(さき)立(だ)つ物(もの)ならば、思(おも)ひ置(お)く事(こと)よもあらじ。老少(らうせう)不定(ふぢやう)の別(わか)れこそ悲(かな)しけれ」とて、河津(かはづ)が手(て)を取(と)り、懐(ふところ)に引(ひ)き入(い)れ、くどきけるは、「如何(いか)に定業(ぢやうごふ)なり共(とも)、矢(や)一(ひと)つにて、物(もの)も言(い)はで、死(し)ぬる者(もの)や有(あ)る」と言(い)ひて、押(お)し動(うご)かしければ、其(そ)の時(とき)、祐重(すけしげ)、苦(くる)しげなる声(こゑ)にて、「かくは度々(たびたび)仰(おほ)せらるれども、誰(たれ)とも知(し)り奉(たてまつ)らず候(さうら)ふ」と言(い)ふ。土肥(とひ)の二郎(じらう)申(まう)しけるは、「御分(ごぶん)の枕(まくら)にし給(たま)ふは、父(ちち)伊東(いとう)の膝(ひざ)よ。かく宣(のたま)ふも、伊東(いとう)殿(どの)。今(いま)又(また)斯様(かやう)に申(まう)すは、土肥(とひ)の二郎(じらう)実平(さねひら)なり。敵(てき)や覚(おぼ)え給(たま)ふ」と問(と)ひければ、やや有(あ)つて、目(め)を見(み)開(ひら)き、「祐親(すけちか)を見(み)参(まゐ)らせんとすれ共(ども)、今(いま)、其(そ)れも適(かな)はず。誰々(たれたれ)も、近(ちか)く御(おん)入(い)りP093候(さうら)ふか。御名残(おんなごり)こそ惜(を)しく候(さうら)へ」とて、父(ちち)が手(て)に取(と)り付(つ)きにけり。伊藤(いとう)、涙(なみだ)を抑(おさ)へて申(まう)しけるは、「未練(みれん)也(なり)。汝(なんぢ)、敵(かたき)は覚(おぼ)えずや」と言(い)ふ。「工藤(くどう)一郎こそ、意趣(いしゆ)有(あ)る者(もの)にて候(さうら)へ。其(そ)れに、只今(ただいま)、大見(おほみ)と八幡(やはた)こそ見(み)え候(さうら)ひつれ。あやしく覚(おぼ)え候(さうら)ふ。従(したが)ひ候(さうら)ひては、祐経(すけつね)在京(ざいきやう)して、公方(くばう)の御意(ぎよい)さかりに候(さうら)ふなる。然(しか)れば、殿(との)の御(おん)行方(ゆくへ)如何(いかが)と、黄泉(よみぢ)の障(さは)り共(とも)なりぬべし。面々(めんめん)頼(たの)み奉(たてまつ)る。幼(をさな)い者(もの)までも」と言(い)ひも敢(あ)へず、奥野(おくの)の露(つゆ)と消(き)えにけり。無慙(むざん)なりける有様(ありさま)かな、申(まう)す量(はか)りぞ無(な)かりける。伊東(いとう)は、余(あま)りの悲(かな)しさに、しばしば、膝(ひざ)を下(お)ろさずして、顔(かほ)に顔(かほ)を差(さ)し当(あ)て、くどきけるこそ哀(あは)れなれ。「や、殿(との)、聞(き)け、河津(かはづ)。頼(たの)む方(かた)無(な)き祐親(すけちか)を捨(す)てて、何処(いづく)へ行(ゆ)き給(たま)ふぞ。祐親(すけちか)をもつれて行(ゆ)き候(さうら)へ。母(はは)や子供(こども)をば、誰(たれ)に預(あづ)けて行(ゆ)き給(たま)ふ。情(なさけ)なの有様(ありさま)や」と歎(なげ)きければ、土肥(とひ)の二郎(じらう)も、河津(かはづ)が手(て)を取(と)り、「実平(さねひら)も、子(こ)とては遠平(とほひら)ばかりなり。御身(おんみ)を持(も)ちてこそ、月日(つきひ)の如(ごと)く頼(たの)もしかりつるに、斯様(かやう)に成(な)り行(ゆ)き給(たま)ふ事(こと)よ」と、泣(な)き悲(かな)しむ事(こと)限(かぎ)り無(な)し。国々(くにぐに)の人々(ひとびと)も同(おな)じく一所(ひとつところ)に集(あつ)まり居(ゐ)て、袖(そで)をぞ濡(ぬ)らしけり。さて有(あ)るべきにあらざれば、空(むな)しきかたちをかかせて、家(いへ)に帰(かへ)りければ、女房(にようばう)を始(はじ)めとして、あやしのしづの男(を)、しづの女(め)に至(いた)るまで、歎(なげ)きの声(こゑ)、せんかたも無(な)し。さても、彼(か)の河津(かはづ)の三郎(さぶらう)祐重(すけしげ)に、男子(なんし)二人有(あ)り。兄(あに)は、一万(いちまん)とて、五(いつ)つなり、弟(おとと)は、箱王(はこわう)とて、三(み)つにぞなりにける。母(はは)、思(おも)ひP094の余(あま)りに、二人の子(こ)供(ども)を左右(さう)の膝(ひざ)にすゑ置(お)きて、髪(かみ)かきなで、泣(な)く泣(な)く申(まう)しけるは、「胎(はら)の内(うち)の子(こ)だにも、母(はは)の言(い)ふ事(こと)をば聞(き)き知(し)る者(もの)を、まして汝(なんぢ)等(ら)、五(いつ)つや三(み)つに成(な)るぞかし。十五、十三にならば、親(おや)の敵(かたき)を打(う)ち、童(わらは)に見(み)せよ」と泣(な)きければ、弟(おとと)は、聞(き)き知(し)らず、手(て)ずさみして、遊(あそ)び居(ゐ)たるばかりなり。兄(あに)は、死(し)したる父(ちち)が顔(かほ)をつくづくと守(まぼ)りて、わつと泣(な)きしが、涙(なみだ)を抑(おさ)へて、「いつかおとなしく成(な)りて、父(ちち)の敵(かたき)の首(くび)切(き)りて、人々(ひとびと)に見(み)せ参(まゐ)らせん」と、泣(な)きしかば、知(し)るも知(し)らぬも押(お)しなべて、袖(そで)を絞(しぼ)らぬ人は無(な)し。猶(なほ)も、名残(なごり)をしたひ兼(か)ね、三日までぞおきたりける。黄泉(くわうせん)幽冥(いうめい)の道(みち)は、一度(ひとたび)さりて、二度(ふたたび)と帰(かへ)らぬ習(なら)ひなれば、力(ちから)及(およ)ばず、泣(な)く泣(な)く送(おく)り出(い)だし、夕(ゆふべ)の煙(けぶり)と成(な)しにけり。女房(にようばう)、一(ひと)つ煙(けぶり)とならんと、悲(かな)しみけり。伊東(いとう)の二郎(じらう)申(まう)しけるは、「恩愛(おんあい)の別(わか)れ、夫妻(ふさい)の歎(なげ)き、いづれか劣(おと)るべきにはあらねども、浮(う)き世(よ)の習(なら)ひ、力(ちから)及(およ)ばず候(さうら)ふ。親(おや)におくれ、夫妻(ふさい)に別(わか)るる度(たび)ごとに、命(いのち)を失(うしな)ふ物(もの)ならば、生老病死(しやうらうびやうし)も有(あ)るべからず。別(わか)れは人ごとの事(こと)なれども、思(おも)ひ過(す)ぐれば、自(おの)づから、忘(わす)るる心(こころ)の有(あ)るぞとよ。憂(う)きに付(つ)けても、身(み)をまたくして、後生(ごしやう)菩提(ぼだい)を弔(とぶら)ひ給(たま)へ」と、様々(さまざま)に慰(なぐさ)めければ、「誠(まこと)に理(ことわり)なれども、差(さ)しあたりたる悲(かな)しさなれば」とて、悶(もだ)え焦(こ)がれけり。「夫(おつと)の別(わか)れは、昔(むかし)も今(いま)も、重(おも)き所(ところ)なり。別(わか)れの涙(なみだ)、袂(たもと)に止(とど)まりて、かはく間(ま)も無(な)し。後先(あとさき)をも知(し)らぬ、P095幼(をさな)き者(もの)共(ども)に打(う)ち添(そ)へて、身(み)さへ只(ただ)ならず。様(さま)をかへんと思(おも)へ共(ども)、尼(あま)の身(み)にて、産所(さんところ)の体(てい)も、見(み)苦(ぐる)し。又(また)、淵川(ふちかは)へ沈(しづ)まんと思(おも)ふにも、此(こ)の身(み)にて死(し)しては、罪(つみ)深(ふか)かるべしと聞(き)けば、とにもかくにも、女(をんな)の身程(ほど)、心(こころ)憂(う)き者(もの)は無(な)し」とくどき立(た)てて、おきふしに、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。一日(いちにち)片時(へんし)も、只(ただ)忍(しの)ぶべき身(み)にて無(な)かりしが、明(あ)けぬ暮(く)れぬとする程(ほど)に、五七日にもなりにけり。N018父(ちち)伊東(いとう)の二郎(じらう)、逆様事(さかさまごと)なれども、彼(か)の菩提(ぼだい)を弔(とぶら)はんが為(ため)に、出家(しゆつけ)して、六道(だう)にあてて、三十六本(ぽん)の率塔婆(そとば)を造立(ざうりふ)供養(くやう)し奉(たてまつ)る日、聴聞(ちやうもん)の貴賎(きせん)男女(なんによ)、数(かづ)をつくして、来会(らいくわい)する所(ところ)に、五つに成(な)りける一万(いちまん)が、父(ちち)の蟇目(ひきめ)に鞭(むち)を取(と)り添(そ)へて、「是(これ)は父(ちち)の物」とて、ひつさげければ、母(はは)呼(よ)び寄(よ)せて、「なき人の物(もの)をば、持(も)た/ぬ事(こと)ぞ。皆々(みなみな)捨(す)てよ。行(ゆ)く末(すゑ)遙(はる)かの者(もの)ぞかし。汝(なんぢ)が父(ちち)は、仏(ほとけ)になり給(たま)ひて、極楽浄土(ごくらくじやうど)に坐(ま)しますぞ。童(わらは)も、遂(つひ)には参(まゐ)るべし」と言(い)ひければ、一万(いちまん)喜(よろこ)びて、「仏(ほとけ)とは、何(なん)ぞ。極楽(ごくらく)とは、何処(いづく)に有(あ)るぞや。急(いそ)ぎ坐(ま)しませ。我(われ)も行(ゆ)かん」と攻(せ)めければ、母(はは)は、言(い)ひ遣(や)る方(かた)無(な)くして、率塔婆(そとば)の方(かた)に指(ゆび)を差(さ)し、「彼(かれ)こそ、其(そ)れよ」と言(い)ひければ、一万(いちまん)、弟(おとと)の箱王(はこわう)が手(て)を引(ひ)き、「いざや、父(ちち)のもとに参(まゐ)らん」と、急(いそ)ぎけれども、箱王(はこわう)は、三(み)つになりければ、歩(あゆ)むにはかも行(ゆ)かず、急(いそ)ぐ心(こころ)に、弟(おとと)を捨(す)て、率塔婆(そとば)の中(なか)を走(はし)りめぐり、空(むな)しく帰(かへ)りて、母(はは)の膝(ひざ)の上(うへ)に倒(たふ)れ伏(ふ)して、「仏(ほとけ)の中(なか)P096にも、我(わ)が父(ちち)は坐(ま)しまさず」とて泣(な)きければ、乳母(めのと)も、共(とも)に泣(な)き居(ゐ)たり。其(そ)の日の説法(せつぽふ)のみぎりより、一万(いちまん)が振舞(ふるま)ひにこそ、貴賎(きせん)袂(たもと)を濡(ぬ)らしけれ。四十九日には、八塔(たふ)を供養(くやう)す。
 〔御房(ばう)が生(う)まるる事(こと)〕S0113N019
 其(そ)の次(つぎ)の日、女房(にようばう)、産(さん)をぞしたりける。此(こ)の程(ほど)の歎(なげ)きに、産(さん)は如何(いかが)と思(おも)ひしに、つつが無(な)く男子(なんし)にてぞ有(あ)りける。母(はは)申(まう)しけるは、「己(おのれ)は、果報(くわほう)少(すく)なき者(もの)かな。今(いま)少(すこ)しとく生(う)まれて、などや父(ちち)をも見(み)ざりける。蜉蝣(ふゆう)と言(い)ふ虫(むし)こそ、朝(あした)に生(う)まれ、夕(ゆふべ)に死(し)するなれ。汝(なんぢ)が命(いのち)、かくの如(ごと)し。童(わらは)も、尼(あま)に成(な)り、山々(やまやま)=寺々(てらでら)の麓(ふもと)に閉(と)ぢ籠(こも)り、花(はな)をつみ水(みづ)をくみ、仏(ほとけ)にそなへ奉(たてまつ)り、汝(なんぢ)が父(ちち)の孝養(けうやう)にせんと思(おも)へば、身(み)には添(そ)へざるぞ。努々(ゆめゆめ)恨(うら)むべからず」とて、やがて捨(す)てむとせし所(ところ)に、河津(かはづ)の三郎(さぶらう)が弟(おとと)、伊東(いとう)九郎祐清(すけきよ)と言(い)ふ者(もの)有(あ)り。一人も子(こ)を持(も)た/ざりければ、此(こ)の事(こと)を聞(き)き、女房(にようばう)急(いそ)ぎ来(き)たりて、「誠(まこと)や、今(いま)の幼(をさな)い人を捨(す)てんと仰(おほ)せらるる、如何(いか)でか然(さ)る事(こと)有(あ)るべきぞ。なき人の形見(かたみ)にも、罪(つみ)深(ふか)かるべし。又(また)、善悪(ぜんあく)の事(こと)も、其(そ)れを節(ふし)と思(おも)へば、折々(をりをり)に思(おも)ひ出(い)だすに成(な)る物(もの)を。しかも、男子(なんし)にて坐(ま)しませば、P097童(わらは)にたび給(たま)へ。養(やしな)ひ立(た)てて、一家(か)の形見(かたみ)にもせん」と言(い)ひければ、「此(こ)の身(み)の有様(ありさま)にて、身(み)に添(そ)ふる事(こと)、思(おも)ひもよらず候(さうら)ふ。然様(さやう)に思(おぼ)し召(め)さば」とて、とらせけり。やがて、心(こころ)安(やす)き乳母(めのと)を付(つ)けて、養育(やういく)す。名(な)をば、御房(ぼう)とぞ言(い)ひける。
 〔女房(にようばう)、曾我(そが)へ移(うつ)る事(こと)〕S0114N020
 然(さ)る程(ほど)に、忌(いみ)は八十日、産(さん)は三十日にも成(な)りにけり。百か日にあたらん時(とき)、必(かなら)ず尼(あま)になりぬべしとて、袈裟衣(けさころも)を用意(ようい)しけるを、伊東(いとう)入道(にふだう)伝(つた)へ聞(き)きて、人して申(まう)しけるは、「誠(まこと)や、姿(すがた)をかへんとし給(たま)ふなり。子(こ)供(ども)をば、誰(たれ)に育(はごく)めとて、然様(さやう)には思(おも)ひ給(たま)ふぞ。おい衰(おとろ)へたる祖父(おほぢ)・祖母(うば)を頼(たの)み給(たま)ふかや。其(そ)れ、更(さら)に適(かな)ふべからず。三郎(さぶらう)無(な)ければとて、幼(をさな)き者(もの)共(ども)数多(あまた)あれば、露(つゆ)程(ほど)も愚(おろ)かならず、偏(ひとへ)に祐重(すけしげ)が形見(かたみ)とこそ思(おも)ひ奉(たてまつ)れ。如何(いか)なる有様(ありさま)にても、身(み)をやつさずして、幼(をさな)き者(もの)共(ども)を。然(さ)れば、今更(いまさら)に、うとき方(かた)へ坐(ま)しまさば、我(われ)も人も、見(み)奉(たてまつ)る事(こと)も適(かな)ふまじ。相模(さがみ)の国(くに)曾我(そが)の太郎と申(まう)すは、入道(にふだう)にも所縁(しよえん)有(あ)る者(もの)にて候(さうら)ふ。折節(をりふし)、此(こ)の程(ほど)、年頃(としごろ)の妻女(さいぢよ)におくれて、歎(なげ)き未(いま)だはれ遣(や)らず候(さうら)ふと承(うけたまは)り候(さうら)ふ。其(そ)れへ遣(や)り奉(たてまつ)るべし。自(みづか)ら、心(こころ)をも慰(なぐさ)み給(たま)へ。入道(にふだう)があたりP098なれば、隔(へだ)ての心(こころ)はあらず」と、こまごまに言(い)ひて、やがて、人を付(つ)け、厳(きび)しく守(まぼ)りければ、尼(あま)に成(な)るべき隙(ひま)も無(な)し。即(すなは)ち、入道(にふだう)、曾我(そが)の太郎(たらう)がもとへ、此(こ)の由(よし)を詳(くは)しく文(ふみ)に書(か)きて、遣(つか)はしければ、祐信(すけのぶ)、文(ふみ)を披見(ひけん)して、大(おほ)きに喜(よろこ)び、やがて、使(つか)ひと打(う)ちつれ、伊東(いとう)へこして、子供(こども)諸(もろ)共(とも)に向(む)かへ取(と)りて、帰(かへ)りけり。いつしか、斯(か)かる振舞(ふるま)ひは、返(かへ)す返(がへ)すも口惜(くちを)しけれども、心(こころ)ならざる事(こと)なれば、恨(うら)みながらも、月日(つきひ)をぞ送(おく)りける。是(これ)を以(もつ)て、昔(むかし)を思(おも)ふに、せいぢよは、夫(おつと)の為(ため)に、禁獄(きんごく)にとめられ、はくゑいは、夫(おつと)におくれ、夷(えびす)の住(す)み処(か)になれしも、心(こころ)ならざる恨(うら)めしさ、今更(いまさら)、思(おも)ひ知(し)られたり。P099