P365曾我物語巻第十
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扨も、仰せを承りて、小平次罷り出で、御馬屋の下部、総追国光、五郎を預かり、既に御馬屋の柱にしばり付けて、其の夜、守り明しければ、「大将殿より尋ね聞こし召さるべき事有り。曾我の五郎つれて参れ」との御使ひ有りければ、小平次、縄取りにて参りけるを、母方の伯父、伊豆の国の住人、小川の三郎祐定申しけるは、「如何に小平次、侍程の者に、縄付けず共、具して参れかし。山賊海賊の族にもあらざれば、逃げうすべきにもあらず。事に依り、人にこそよれ。むげに情無し」と言ひければ、五郎笑ひて、「誰一言の情をも残す者の無きに、御分の芳志嬉しさよ。さりながら、御分、時宗に親しき事は、皆人知れり。斯様の身に成りて、親類入るべからず。詮無き沙汰して人に聞かれ、方人したと言はれ給ふな。人の上をよく言ふ者は無きぞとよ。時致、盗み強盗せざれば、千筋の縄は付くとも恥ならず、是は、父の為に読み奉りし法花経の紐よ」とて、事とも思はざる気色して、御坪の内へぞ引き入れられける。「其の上、敵の為にとらはるる者、時致一人にも限らず、殷湯は、夏台にとらはれ、P366文王は、■里にとらはる。是、更に恥辱にあらず」とて、打ち笑ひてぞ居たりける。哀れとは言はぬ者ぞ無き。五郎、御前に参りければ、君御覧ぜられて、「是が曾我の五郎と言ふ者か」「某が事候ふよ」とて、立ち上がり、縄取りを宙に引きたてければ、警固の者共、狼籍也とて、引き据ゑたり。其の時、相模の国の住人あらうみ四郎真光、伊豆の国の住人狩野介宗茂、座敷を立ちて、「申し上ぐる事あらば、急ぎ申し候へ」と言ふ。時致聞きて、大の眼を見出だして、彼をはたとにらみて、「見苦しし、人々、御前遠くは、さも有りなん、近ければ、直に申すべし。さ様なれば、問はれて申す白状に似たり。問はるるに依りて、申すまじき事を申すべきにあらず。面々、骨折にのき候へ」とて、あざ笑つてぞ居たりける。君、聞こし召され、「神妙に申したり。各々のき候へ。頼朝、直に聞くべし」と仰せ下されけり。扨、五郎居なほり、顔振り上げて、たからかに申しけるは、「兄にて候ふ十郎が、最後に申し置きて候ふ。我等が父を祐経に打たせ候ひしより此の方、年月狙ひ候ひし心の内、如何ばかりとか思し召され候ふ。其れに付きては、一年君御上洛の時、酒匂の宿よりつき奉りて、祐経が御供して候ひしを、泊々にやすらひ、便宜を窺ひ候ひしかども、適はで京に上り、四条の町にて、鉄よき太刀をかひ取り、昨夜の夜半に、御前にて本意を遂げ候ひぬ。今は、何を思ひ残して、命も惜しく候ふべき。御恩には、今一時も、とく首をはねられP367候へ」とぞ申しける。京へは上らざりしかども、箱根の別当に契約せし故に、太刀の由来をも隠し、又は別当の罪科もやと思ひ、斯様にぞ申したりける。君聞こし召され、「此の太刀の出所、隠さん為にこそ申すらん。更に別当の科にあらず。先祖重代の太刀、箱根の御山に込めし由、予てより伝へ聞き、如何にもして取り出ださばやと思ひしを、神物に成る間、力及ばざりつるに、只今、頼朝が手に渡る事、偏に正八満大菩薩の御はからひと覚えたり。斯様の事無くは、如何にして二度主に成るべき」とて、自ら御頂戴有りて、錦の袋に入れ、深くをさめ給ふ、御重宝の其の一つなり。代々伝はりけるとかや。やや有りて、君仰せられけるは、「此の事、曾我の父母に知らせけるか」。五郎承りて、「日本の大将軍の仰せとも存じ候はぬ物かな。当代ならず、いづれの世にか、継子が悪事くはたてんとて、暇こひ候はんに、「神妙也、急ぎ僻事して、我惑ひ物になせ」とて、出だし立つる父や候ふべき、又、母の慈悲は、山野の獣、江河の鱗までも、子を思ふ志の深き事は、父には母はすぐれたりとこそ申し候へ。況や、人界に生を受けて、二十余りの子供が、命死なんとて、母に知らせ候はんに、急ぎしにて物思はせよと、喜ぶ母や候ふべき。御景迹」とぞ申しける。「さて、親しき者共には、如何に」「身貧にして、世に有る人々に、かくと申し候はんは、只手を捧げて、是をしばらせ、首を延べて、是をきれとP368こそ申し候はんずれ。誰かは頼まれ候ふべき。愚かなる御諚候ふかな」とぞ申しける。君、実にもとや思し召しけん、「父母類親に至るまでも、子細無し。又、祐経は、伊豆より鎌倉へ、しげく通ひしに、道にては、狙はざりつるか」「さん候、此の四五ケ年の間、足柄・箱根・湯本・国府津・酒匂・大磯・小磯・砥上原・もろこし・相模河・懐嶋・八的原・腰越・稲村・由比の浜・深沢辺にやすらひ、野路・山路・宿々・泊々にて狙ひしかども、敵のつるる時は、四五十騎、つれざる時も、二三十騎、我々は、つるる時は、兄弟二人、つれざる時は、只一人、思ひながらも、空しく今までのび候ひぬ」。又、「祐経は、敵なれば、限り有り。何とて、頼朝がそぞろなる侍共をば、多く切りけるぞ」「其れこそ、理にて候へ。御所中に参りて、斯かる狼藉を仕る程にては、千万騎にて候ふとも、余さじと存ずる所に、こざかしく、「敵は何処に有るぞ」と尋ね候ふ間、公には忠をつくし、忠には命を捨つる習ひ、神妙に存じて、「是に有り」と申す声に驚きて、足のたて所も知らず、逃げ候ひし間、罪作りと存じて、おひて切り殺すに及ばず、只かうばかりの側太刀、形の如くあてたるまでにて候ふ。面傷はよも候はじ。只今召し出だして御覧候へ」と申しければ、やがて、御使ひして、聞こし召されけるに、申す如く、面の傷は稀なり。面目無くぞ聞こえける。又、「王藤内を何とて打ちける」「恐れ入りて候へ共、年頃の傍輩のうたP369れ候ふを、見捨てて逃ぐる不覚人や候ふべき。誠にけなげに振舞ひ候ひつる物をや。「人と見て、古郷に帰らざるは、錦をきて、夜行くが如し」と言ふ古き言葉をや知りけん、所領安堵の証に、本国へ下りしが、祐経に暇こはんとて、道より帰りての討死、不便なり」とぞ申しける。此の言葉に依り、「神妙也。是も、頼朝が先途に立ちけるよ」とて、「本領、子孫において子細無し」と、御判重ねて下されける。是も、兄の十郎が屋形を出でし時、「王藤内が妻子、さこそ歎かんずらん、無慙なり」と、言ひし言葉の末にぞ申しける。偏に、時宗が情に依つて、所領安堵す、有り難しとぞ感じける。やや有りて、「頼朝を敵と思ひけるか」と御尋ね有りければ、五郎承りて、「さん候、身に思ひの候ひし時は、木も草も恐ろしく、命も惜しく存じ候ひしが、敵打つての後は、如何なる天魔疫神なり共と存じ候ふ。まして其の外は、いきたる者とも思ひ候はず。然れば、千万人の侍よりも、君一人をこそ思ひ掛け奉りしかども、御果報めでたき御事に渡らせ給へば、御運におされて、斯様に罷り成りて候ふ」と申したりければ、君聞こし召され、「敵打つての後、身をかろく思ふは理也。頼朝をば、何とて敵と思ひけるぞ」「自業自得果とは存じ候へ共、伊藤入道が謀叛に依り、我等長く奉公をたやすのみならず、子孫の敵にては渡らせ給はずや。又は、閻魔王の前にて、「日本の将軍鎌倉殿を手に掛け奉りぬ」と申さば、P370一の罪や許さるべきと、随分窺ひ申して候ひつれ共」と申す。「扨、五郎丸には、如何にしていだかれけるぞ」「其れは、彼の童を女と見成し、何事候はんと存じて、不慮に取られて候ふ。斯様なるべしと存ずる物ならば、只一太刀の勝負にて候はんずる物をと、後悔益無し。是、偏に宿運のつきぬる故也。実にや、「羅網の鳥は、高くとばざるを恨み、呑鉤の魚は、海を忍ばざるを歎く」とは、要覧の言葉なるをや、今こそ思ひ知られたる。君の御佩刀の鉄の程をも見奉り、時宗がくたり太刀の刃の程をもためし候はんずる物を」と、言葉をはなちてぞ申しける。君聞こし召されて、「猛将勇士も、運のつきぬるは」と仰せられ、双眼より御涙を流させ給ひて、「是聞き候へ。日来は、更に思はぬ事なれ共、今、頼朝に問はれて、当座の構への言葉なり。適はぬまでも、逃れんとこそ言ふべきに、露程も命を惜しまぬ者かな。世に有りなば、思ひ止まる事も有りぬべし。余の侍、千万人よりも、斯様の者をこそ、一人なりとも召し使ひたけれ。無慙の者の心やな。惜しき武士かな」とて、御袖を御顔に押し当てさせ給ひければ、御前祗候の侍共、心有るも無きも、涙を流さぬは無かりける。やや有りて、君御涙を抑へさせ給ひて、十郎が振舞ひを聞こし召すに、「何れを分けて言ひ難し。誠に打たれたるやらん」と仰せられければ、「新田に御尋ね候へ。黒鞘巻に赤胴作の太刀、村千鳥の直垂ならば、誠にP371候ふ」と申す。「然らば実検有るべし」とて、新田の四郎を召されければ、黒鞘巻に赤胴作の太刀、村千鳥の直垂に、首を包みて、童に持たせ、五郎が左手の方を間近く、首を見せてぞ通りける。五郎、今までは、思ふ事無く、広言して見えけるが、兄が首を一目見て、肝魂を失ひ、涙にむせぶ有様は、さかりなる朝顔の、日影にしをるる如くにて、無慙と言ふも余り有り。やや有りて申しける、「羨ましくも、先立ち給ふ物かな。同じ兄弟と申しながら、幼少より、親の敵に志深くして、一所とこそ契りしに、如何なれば、祐成は、昨夜夜半に打たれ給ふに、時宗が心ならず、今までながらふる事の無念さよ。誰か此の世にながらへはて候ふべき。死出の山にて待ち給へ。追つ付き奉り、三途の河を、手と手を取り組みて渡り、閻魔王宮へは諸共に」と、言ひもはてず、涙にむせびけり。袖にて顔をも抑へたけれ共、高手小手に戒められければ、左手の方へ傾き、右手の方へうつぶき、こぼるる涙をば、膝に顔を持たせ、只おめおめとこそ泣き居たり。和田・畠山を始めとして、皆袖をぞ濡らされける。斯かる所に、十郎がをり太刀を御侍に取り渡し、「よきぞ、悪しきぞ」と申し合ひけり。中にも、昨夜追つたてられて、柴垣破りて逃げたりし新海の荒四郎真光、すすみ出でて申しけるは、「曾我の者共は、敵をば打ちて、高名はしたれ共、太刀こそわるき太刀を持ちたれ。是程の太刀を持ちて、我が君の御前P372にて、斯かる大軍しける不思議さよ」と言ひければ、時宗聞きて、眼を見出だして、荒四郎をはたとにらみて、「何処を見て、其れをえせ太刀とは申すぞ。只今、御前にて申して、無用の事なれども、男のわろき太刀持ちたるは、恥辱にて候ふ間、申すなり。其れこそ、や、殿、よく聞け、平家に聞こえし新中納言の太刀よ。八嶋の合戦に、如何しけん、船中に取り忘れ給ひしを、曾我の太郎取りて、九郎判官へ参らせしを、義経、「神妙なり、さりながら、御分、高名して、取りたる太刀なれば、汝に取らする」とて、賜はりたる太刀也。奥州丸と言ふ太刀よ。祐成が元服せし時、曾我殿のたびたるぞとよ。其れに付きては、思ひの儘に、敵を打ち取りぬ。兄弟して切り止むる者、一二百人もこそ有るらん。是程こらへたる太刀を、如何でかえせ太刀なるべき」。真光、猶も止まらで、「既に太刀をれぬる上は」と言ひければ、五郎、からからと打ち笑ひ、「人の太刀わろしと言ふ人、定めてよき太刀は持ちぬらん。あのえせ太刀におはれて、小柴垣を破りて逃げしは如何に。御分のよき太刀も、心にくからず」と言ひければ、聞く人、皆汗を流さぬは無かりけり。真光は、なましひなる事を言ひ出だし、赤面してぞ立ちにける。是や、三思一言、思慮有るべきにや。P373
@〔犬房が事〕S1002N147
此処に、祐経が嫡子犬房とて、九つになりける童有り。御前然らぬ切り者にてぞ有りける。傍にて、父が事をよくよく聞き、さめざめと泣き居たりしが、思ひやかねけん、走りかかり、五郎が顔を二つ三つ扇にてぞ打ちたりける。時宗打ち笑ひ、「己は、祐経が嫡子犬房な。其の年の程にて、よくこそ思ひ寄りたれ。打てや打てや、打つべし打つべし、犬房よ。我々も、幼少にして、汝が親に、父を打たせぬ。年頃の思ひ、如何ばかりぞや。今更思ひ知られたり。古を思へば、打つ杖をいたまずして、弱る親の力を歎きし志、五郎が今に知られたり」。打たるる杖をばいたまずして、主が心を思ひ遣る五郎が心ぞ哀れなる。「珍しからぬ事なれども、果報程勝劣有る物は無し。我々、祐経を思ひ掛けて、此の二十余年の春秋を送りしに、汝は、いみじき生まれ性にて、昨夜打ちたる親の敵を、只今心の儘にする事の羨ましさよ。其れに付きても、前生の宿業こそつたなけれ。現在の果を以て、未来を知る事なれば、来世又如何ならん、阿弥陀仏」とぞ申しける。犬房は、猶も打たんとよりけるを、「まさなしや、のき給へ」と、縄取りの者共言ひけれども、聞かざりけり。御寮御覧ぜられて、「犬房のき候へ。猶物問はん」と仰せられけれP374ば、其の時のきにけり。是や、禽鳥百をかぞふると雖も、一鶴にしかず、数星相連なると雖も、一月にしかず、君の御言葉一つにてぞのきにける。
@〔五郎が切らるる事〕S1003
君仰せられけるは、「汝が申す所、一々に聞き開きぬ。然れば、死罪をなだめて、召し使ふべけれ共、傍輩是をそねみ、自今以後、狼藉たゆべからず。其の上、祐経が類親多ければ、其の意趣逃れ難し。然れば、向後の為に、汝を誅すべし。恨みを残すべからず。母が事をぞ思ひ置くらん、如何にも不便にあたるべし。心安く思へ」とて、御硯を召し寄せ、「曾我の別所二百余町を、彼等兄弟が追善の為に、頼朝一期、母一期」と自筆に御判を下され、五郎に頂かせ、母が方へぞ送られける。実にや、心のたけさ、情の深き事、人にすぐるるに依り、屍の上の御恩有り難と感じける。是や、文選の言葉に、「晋の文王は、其の仇を親しみて、諸侯を悟り、斉の桓公は、其の仇を用ひて、天下をただす」とは、今の御世に知られたり。五郎、詳しく承りて、「首を召されんにおいては、逃るる所有るべからず。暫くもなだめられ申さん事、深き愁へと存ずべし。母が事は、忝くP375仰せ下され候へ共、故郷を出でし日よりも、一筋に思ひ切り候ひぬ。御恩に、今一時もとく、首を召され候へ。兄が遅しと待ち候ふべし。急ぎ追ひ付き候はん」とすすみければ、力無く、御馬屋の小平次に仰せ付けられ、切らるべかりしを、犬房が、「親の敵にて候ふ」とて、ひらに申し受けければ、渡されにけり。口惜しかりし次第也。祐経が弟に、伊豆の二郎祐兼と言ふ者有り。五郎を受け取りて、出でにけり。時致、東西を見渡し、「某が姿を見ん人々は、如何にをこがましく思ふらん。さりながら、親の為に捨つる命、天衆地類も納受し給ふべし。付けたる縄は、孝行の善の綱ぞ。各々結縁にて掛け候へ」と申しければ、実にもと言はぬ人ぞ無き。其の後、五郎を浜すかにつれて、松崎と言ふ所の岩間に引きすゑ、切らんとす。時宗見帰り申しけるは、「構へてよく切り候へ。人もこそ見るに、悪しく切り給ひ候はば、悪霊と成りて、七代まで取るべし」と言ひければ、祐兼聞きて、誠に切り損じなば、如何なる悪霊にも成るべしと思ひしより、膝振るひ、太刀の打ち共覚えざりける所に、筑紫の仲太と申しけるは、御家人訴訟の事有りて、左衛門の尉につきけるが、訴訟適ふべき頃、祐経打たれければ、是等が所為とや思ひけん、わざと太刀にては切らで、苦痛をさせん為に、にぶき刀にて、かき首にこそしたりけれ。さしたる親類・知音にあらざる者も、別れを惜しみ、名残を悲しまずと言ふ事無し。然るに、P376勇士のいたつて猛きは、破り館落とし、軍の先をかくる故に、敵の為に取らるると雖も、芸を感じ、身を助け、情をかくるは、先規なり。伝へ聞く、紀信が軍車に乗りしも、武意を感じ、楚王、将になさんと言ひしかども、自ら死をのぞみ、沛公、軍を破り、片時もいきん事を悲しみて、戦場の石に、脳を砕きて失せにき。よつて、勇士、敵の為に、命を暫くも又失せざるは、古今の例なり。然れば、五郎も、宵にや失せんと思ひけん、覚束無し。
@〔伊豆の二郎が流されし事〕S1004N149
扨も、悪事千里を走る習ひにて、伊豆の二郎未練なりと、鎌倉中に披露有りければ、秩父の重忠、御前にて此の事を聞き、「曾我の五郎をば、重忠賜はりて、重代のかうひらにて、誅し候ふべきを、不覚第一の伊豆の二郎に下し賜はりて、かはゆき次第と承り、口惜しさよ」と申されければ、君聞こし召し、「斯様の不覚人にて有るべくは、誰にても仰せ付けらるべき物を」とて、伊豆の二郎は、御不審をかうふり、奥州外浜へ流されしが、幾程無くて、悪しき病を受けて、当年の九月に二十七歳にして失せにけり。これ偏に、五郎が憤りむくふ所にやと、口びるを返さぬは無かりP377けり。時致は、五月に切られければ、祐兼は、九月に失せにけり。不思議なる例、因果歴然とぞ見えける。
@〔鬼王・道三郎が曾我へ帰りし事〕S1005N150
此処に、此の人々の二人の郎等、鬼王・道三郎は、富士の裾野井出の屋形より、次第の形見を取り、曾我の里へぞ急ぎける。然れども、惜しみし名残なれば、心は後にぞ止まりける。実にや、幼少より取り育て奉り、世にも出で給はば、我々ならでは、誰か有るべきと、人も思ひ、我も又頼もしかりつるに、斯様に成り行き給ひしかば、したひあくがれしも適はで、泣く泣く曾我へぞ帰りける。思ひの余りに、道の辺にしばしやすらひ、富士野の空を顧みしかば、松明多く走り、只万燈会の如し。今こそ事出で来ぬると見えければ、我が君の御命、如何渡らせ給ふらんと、心許無さ限り無し。只二人坐しませば、大勢に取り込められ、如何に隙無く坐しますらん、今は御身も疲れ給ふらんと思へば、走り帰りて、御最後見奉らまほしきも、隔たりぬれば、適はず、只泣くより外の事ぞ無き。暫く有りて、たい松の数も、次第に少なく成り、火の光も、うすく成り行けP378ば、君の御命もかくやと、火の光も、名残惜しく思ひければ、道の辺に倒れ伏し、声も惜しまず泣き居たり。馬も、生有る者なれば、人々の別れをや惜しみけん、富士野の空を顧みて、二三度までぞいばへける。扨有るべきにあらざれば、をちこちのたづきも知らぬ山中に、覚束無きは、富士野なり。泣く泣く空しき駒の口を引き、古里へとは急げども、行きも遣られぬ山道の、末もさだかに見えわかず。此処に、人の使ひと思しくて、文持ちたる者、後より急ぎ来たる。道三郎、袖をひかへて、「出での御屋形には、今宵、何事の有りければ、松明の数の見え候ひつる」と問ひければ、「然ればこそとよ。知り給はずや。曾我の十郎・五郎殿と言ふ人、兄弟して、一族の工藤左衛門の尉殿を、親の敵とて打ち給ひぬ。剰へ、御所の内まで切り入りて、日本国の侍共の、切られぬ者は候はず、手負・死人二三百人も候ふらん。然れども、兄の十郎は、夜半に討死し給ひぬ。弟の五郎殿は、暁に及び、生捕られ給ひき。此の人々の振舞ひは、天魔・鬼神のあれたるにや、斯かるおびたたしき事こそ候はざりつれ。斯様の事を、大磯の虎御前の妹、黄瀬川の亀鶴御前より、大磯へ告げさせ給ふ御使ひなり」とて、走り通りけり。二人の物共聞きて、し損じ給ふべしとは思はねども、一期の大事なれば、心許無く思ひ奉りしに、何事無く本意を遂げ給ひぬるよと、歎きの中の喜びにて、次第の形見P379を面々に奉り、
@〔同じく彼の者共遁世の事〕S1006N151
我が家にも帰らず、高野山に尋ね上り、共に髻切り、墨染の衣の色に心をなし、一筋に此の人々の後生菩提を弔ひけるぞ有り難き。
@〔曾我にて追善の事〕S1007N152
さても、母、子供の返したる小袖を取り、各々顔に押し当てて、其の儘倒れ伏し、消え入りにけり。女房達、やうやう介錯し、薬など口にそそき、養生しければ、わづかに目計持ち上げ給ひけり。せめての事に、文を開きて読まんとすれ共、目もくれ、心も心ならねば、文字も更に見えわかず。「恨めしや、童を」とばかり言ひて、胸に引き当て、また打ち伏しぬ。やや有りて、息の下にてくどきけるは、「誠に凡夫の身ほどはかなき事は無し。此の小袖をこひ、長き世までの形見と思ひて、時折節こそ有るに、二人つれて来たりこひける者を知らずして、返せといひP380けむ悔しさよ。五郎も、限りと思ひてや、此の度、強く言ひけるぞや。幾程無き物故に、不孝して、年頃添はざりける、悲しさよ。猶も、心強く許さざりせば、一目も見ざらまし。久しく添はざりしに、珍しくも、頼もしくも覚えし物を、せめて三日とも打ち添はで、名残惜しさよ。なつかしかりつる面影を、何の世にかは相見ん」とて、声を惜しまず泣き居たり。如何なる賎の男、賎の女に至るまで、涙を流さぬは無かりけり。二宮の女房を始めとして、親しき人々馳せ集まりて、泣き悲しむ事、なのめならず。思ひの余りに、母は、十郎が居たりける所に倒れ入り、「此処に住みし物を」と計にて、うかり伏しぬ。傍に書きたる筆のすさみを見れば、「一切有為法、如夢幻泡影、如露亦如電、応作如是観」とぞ書きたりける。我が身を有りとも思はぬ口ずさみ、見るに涙も止まらず。此の押板には、古今・万葉を始めとして、源氏・伊勢物語に至るまで、数の草子をつみたれども、今より後の慰みには、誰かは是を見るべきと、見るに思ひぞ勝りける。文をば、二宮の女房ぞ、泣く泣く読み連ねける。聞くに付けても、心は心とも覚えず。「人の習ひ、神や仏に参りては、命を長く福幸をこそ祈るに、此の者共は、只明け暮れしに失せんとのみ申しければ、此の度逃れたりとも、遂に添ひはつまじきぞや。其れに付けても、箱王を年頃不孝して、添はざりし事の悔しさよ。其れP381は、草の陰にても聞け、誠には不孝せず。例へば、法師になさんとせし事の適はぬに、不孝と言ひしを、ついで無くして、何と無く、月日を重ねしばかりなり。小袖直垂をきせし事も、日頃に変はらざりしを、二宮の女房のきする様にてとらせしを、誠と思ひ、童をば、つらき者にや思ひけん。よし、中々に今は歎きの便り也。打ち添ひなるる身なりせば、いよいよ名残も惜しかるべし。かくても、我が身、何にかはながらへはてん、憂き命、有るもあられぬ例かな」と、悶え焦がれける。曾我の太郎も、幼き時より育てて、わり無き事なれば、実子にも劣らず、心様、又さかしかりしかば、梅兄竹弟の思ひをなし、朝夕愚かならざりしかども、所領ひろからざれば、一所をわくる事も無し。其の上、御勘当の人々の末なれば、清げならんも恐れ有り。きよくほく幸ひに、各々かるる事もこそと、思ひし事も夢ぞかし。今更後悔、益無しとぞ歎きける。母は、日の暮れ、夜の明くるに従ひて、いよいよ思ひぞ勝りける。「惜しからざりし憂き身なれども、彼等が行方、もしやと思ふ故にこそ、つらき命も惜しかりつれ。今は、浄土にて生まれ合ひ、今一度見ん」とて、湯水をたち、伏し鎮みければ、露命も危ふくぞ見えし。親しき人々集まりて、「浮き世の習ひ、御身一つの歎きにあらず。さしも、繁昌し給ひし平家の公達も、一度に十二十人、目の前にて海中P382に沈み、九泉に携はり給ひし憂き別れ共、日数積もり、年月隔たりぬれば、さてのみこそ過ぎ候ひしか。今の世にも、或いは父母におくれ、或いは夫妻に別れ、又は親子兄弟に離れ、歎く者のみこそ多く候へ共、忽ち命を捨つる者無し。誠に御子の為、御身を捨て給はん事、逆様なる罪の深さ、如何計と思し召す。泣く涙も、猛火と成りて、子に掛かるとこそ聞きけれ、まして、子の為に、正命を失ひ給はん事、罪業の程を知らず。如何にも身をまたくして、後生菩提を問ひ給へ」と、様々に申しければ、わづかに湯水ばかりぞ聞き入れ給ひける。さて有るべきならねば、僧達を遣り奉り、成等正覚、頓証菩提とぞ取りをさめける。母、猶訪はるべき身の、逆様なる事に歎き悲しみける。実にや、世の中の定め無き、涙の種とぞなりにける。箱根の別当も、此の事を聞き、急ぎ曾我に下り、諸共に歎き給ふ。「箱王が出でし時の面影、愚老が涙の袖に止まり、師弟親子の別れ、変はるべきにあらず」とて、さめざめと泣き給ふ。其の後、持仏堂に参り、彼の菩提を弔ひ給ひけり。七日七日、四十九日まで、怠らぬ追善有り。誠に弥陀の誓願は、十悪五逆の大罪をも、一念十念の力を以て、来迎引接し給ふべき他力の本願、頼もしかりけり。此の人々は、父の為に身を捨てける志無ければ、罪にして、しかも罪にあらず、其の上、在世の時も、仁義を乱さP383ざりしかば、後の世までも、悪道には堕罪せられじと、頼もしく覚えける。
@〔禅師法師が自害の事〕S1008N153
又、此の人々の弟に、御房とて、十八に成る法師有り。故河津三郎が忌の内に生まれたる子也。母、思ひの余りに、捨てんとせしを、叔父伊藤九郎養じて、越後の国国上と言ふ山寺に上せ、伊東の禅師とぞ言ひける。九郎、平家へ参りて後、親しきに依り、源の義信が子と号して、折節、武蔵の国に有りけるを、頼朝、聞こし召し、義信に仰せ付けて、召されければ、力無く、家の子郎等数十人下されし事、不便なりし次第也。大方、兄弟とは申しながら、乳の内より他人に養ぜられ、しかも、出家の身なり。是も、只普通の儀なりせば、彼等まで御尋ね有るまじきを、兄共の世に越え、名を万天に上げし故ぞかし。義信の使ひは、彼の本坊に来たりて、斯様の次第を言ふ。禅師聞きて、「心憂や、弓矢取りの子が、我が家を捨てて、他の親につく事は、努々有るまじき事也。斯様の罪過は、其の源をただされけるをや。同じ死する命、兄弟三人、一つ枕に討死せば、如何人目もうれからまし」。今更後悔すれども適はず、仏前に参り、御経開き読まんとすれども、文字も見えざりければ、まきをさめ、P384数珠をさらさらと押し揉み、「南無平等大慧、一乗妙典、願はくは、法華読誦の功力に依り、刹那の妄執を消滅し、安楽世界に向かへ取り給へ」と祈誓して、剣を抜き、左手の脇につきたて、右手へ引きまはさんとする所を、同宿早く見付けて、「是は如何に」と、取り付き抑へければ、「のき候へ。まさなしや。人手にかからんより、清き自害して見せ申さん。一つは、同朋達の思し召さるる所。空しく鎌倉へ取られん事は、寺中坊中の名をり、はなし給へ」と怒りけれ共、大勢なれば、いよいよ弱りはてにけり。人々は、数多有り、働かさず、自害を半にぞしたりける、無念と言ふも愚かなり。御使ひは、庭上に充満して攻めければ、力及ばず、上意黙し難くして、渡されにけり。口惜しかりし次第なり。御使ひ受け取り、輿に乗せて、鎌倉へこそ上りけれ。君聞こし召されて、御前へ召されければ、かかれて参りけり。君御覧ぜられて、「わ僧は、河津が子か」と、御尋ね有りければ、禅師は、前後も知らざりけるが、君の仰せを聞き、両の手をおして、おき上がらんと志しけれ共、適はで、頭を持ち上げ、「さん候、伊東が為には、孫候ふ」と申す。さて、「兄共が、敵打ちけるをば知らざりけるか」「おほそれながら、将軍の仰せとも存じ候はず。一腹一生の兄共が、親の敵打つとて知らせ候はんに、黒衣にて候ふとも、同意せぬ畜生や候ふべき。御推量も候へ」とぞ申し上げたりける。「汝が眼ざしP385を見るに、頼朝に意趣有りと見えたり。事を尋ねん為に召しつるに、楚忽の自害、所存の外也」「楚忽とは、如何でか承り候ふ。既に御使ひ賜はりて、召し取れとの御諚を承りて、其の用心仕らぬ事や候ふべき。哀れ、兄共が知らせて候はば、二人の者をば、祐経に押し向け、愚僧は、一人にて候ふとも、君を一太刀窺ひ奉りて、後生の訴へに仕るべきか」とて、御前をにらみ、言葉をはなちてぞ申しける。君聞こし召して、「頼朝には、何の宿意有りけるぞ」「我等先祖の敵、又は兄弟の敵にて候はぬか。果報の勝劣程、憂き物は候はず。只御威勢におされて、斯様に罷り成りて候ふ。おほそれながら、身が身にて候はば、源平両氏、何れ甲乙候ふべき」と申しければ、君、暫く物をも仰せられず、やや有りて、猶も心を見んと思し召しけん、「其の手にても、いきてんや。さも思はば、助くべき」由仰せ下されければ、禅師承りて、からからと打ち笑ひ、「よくよく人共思し召され候はざりける。御助け有る程ならば、如何で、是まで召さるべき。もしさもとや申す、聞こし召されん為か。まさなや、人に依りてこそ、然様の御言葉は候ふべけれ。口惜しき仰せかな」とぞ申しける。御寮聞こし召し、此の法師も、兄には劣らざりけり。助け置きなば又大事を起こすべき者也。よくぞ召し寄せたりけると思しける。禅師、重ねて申しけるは、「とても助かるまじき身、刹那のながらへも苦しく候ふ。急ぎ首を召さP386れ候へ」と、しきりに申しければ、生年十八にして、遂に切られにけり。無慙なりし次第なり。君、此の者の気色を御覧じて、「剛なる者の孫は、剛なり。哀れ、彼等に世の常の恩をあたへ、召し使はば、思ひ止まる事も有りなまし。弓矢取る者は、誰劣るべきにはあらねども、か程の勇士、天下にあらじ」と仰せも敢へず、御涙をこぼさせ給ひしかば、御前祗候の侍共、袖を濡らさぬ無かりけり。
@〔京の小二郎が死事〕S1009N155
又、此の人々に語らはれ、同意せざりし一腹の兄、京の小二郎も、同じ八月に、鎌倉殿の御一門、相模守の侍に、ゆらの三郎が謀叛起こして出でけるを、止めんとて、由比の浜にて、大事の傷を蒙り、曾我に帰り、五日をへて、死にけり。同じくは、さんぬる五月に、兄弟共と一所に死にたらんは、如何よかるべきとぞ申し合ひける。
@〔三浦の与一が出家の事〕S1010N156
P387 三浦の与一も、与せざりしが、幾程無くして、御勘当を蒙り、出家してげり。人は只不孝の道をば、正しくすベき事や。