P388曾我物語巻第十一
@〔虎が曾我へ来たる事〕S1101N157
抑、建久四年長月上旬の頃、つながぬ月日も移り来て、昨日今日とは思へ共、憂き夏も過ぎ、秋も漸々立ちぬれば、賓鴈書を掛けて、上林の霜にとぶ、貞女何処んにか有る、くはんしよ衣を打ちて、良人未だ帰らざる所に、せんき尼一人、濃き墨染の衣に、同じ色の袈裟を掛けて、葦毛なる馬に、貝鞍おき、引かせて来けり。何者ぞと見れば、十郎が通ひし大磯の虎也。彼等が母のもとに行き、間近き所に立ち入り、使ひして言ひけるは、「此の人々の百ケ日の孝養、大磯にても、形の如く営むべけれ共、箱根の御山にて有るべしと承り候へば、此の仏事をも聴聞申し、我が身の営みをも、其の次にして、一しゆの諷誦をも捧げばやと思ひ、参り候ふ」と言ひければ、母聞きて、「嬉しくも思ひ寄り御座します物かな。十郎有りし方へ入らせ給へ。やがて見参に入るべし」と、あれたる住み処の扉をあけて、P389呼び入りにけり。虎は、十郎が住み所へ立ち入り見れば、いつしか庭の通ひ路に草茂り、跡踏み付くる人も無し。塵のみ積もる床の上、打ち払ひたる気色も見えず。今はの別れの暁まで、見なれし所なれば、変はる事は無けれども、主は無し。思ひしより、過ぎ方のゆかしく、我が身はもとの身なれども、心は有りし心ならず。月やあらぬ、春や昔のかこち草、古き名残の尽きせねば、泣くより外の事ぞ無き。まろび入りたる其の儘にて、しばしはおきも居ざりけり。枕も袖もうくばかり、立ち添ふ物は面影の、其れとばかりの情にて、涙も更に止まらず。やや暫く有りて、母出で合ひけり。虎を一目見しより、何と物をば言はで、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣きけり。虎も、母を見付けて、有りし顔ばせの残り止まる心地して、打ち傾き、声も惜しまず泣き居たり。夫の歎き、子の別れ、さこそは悲しかりけめ、推し量られて、哀れ也。母、涙を抑へて言ひけるは、「かく有るべしと思ひなば、十郎が有りし時、恥づかしながら、見奉るべかりし物を、身の貧なるに依り、親しむべきにもうとし、語らふべきにも、さもあらで、万思ふ様にも候はで、打ち過ぎし事の悔しさよ。十郎、浅からず思ひ奉りし事なれば、只十郎に向かふ心地して、なつかしく思ふ」と、泣く泣く語りければ、虎も又、「身の数ならぬに依りて、御見参申さず」とて、是も涙を流しけり。「形見とてP390残し置かれし馬・鞍、見る度ごとに、目もくれ、仏の御名を唱ふる障りとなり候へば、なき人の御為も然るべからず。此の度の御仏事の御布施に思ひ定めて候ふ」と、言ひもはてず、打ち傾きけり。「仰せの如く、形見は由無き物にて、是等が狩場より返したる小袖を見る度に、殊に心乱れ候ふぞや。是も、此の度の御布施に思ひ向けて候ふ。御身は、十郎が事ばかりこそ歎き給へ。童ほど罪深き者は候はじ。河津殿におくれたりし時、一日片時の命もながらへ難かりしに、つれなき身のながらへ、百日の内に、数多の子におくれたり。如何ばかりとか思し召す。殊に彼等二人は、身をはなさで、左右の膝にすゑ育て、父の形見と思へば、憂き時も、彼等にこそは慰みしか。今より後は、誰を見、何に心の慰むべき。箱王は、法師にならざりしを、仮初に「不孝」と言ひし其の儘、「許せ」と言ふ人も無し。身の貧なるに、何と無く打ち過ぎ、月日を送り、年頃添はざりし、今更悔しく候ふぞとよ。打ち出でし時、兄がつれて来たり、限りと思ひてや、「許せ」と申せしに、「然らば」と言ひし言の葉を、嬉しげなりし顔ばせの、現れたりし無慙さよ。親ならず、子ならずは、おいたる童が言葉の末、誰か重く思ふべきと、頼もしく思ひて、つくづくと罷りしに、盃取り上げ、傾く程、涙うかみて候ひしを、不孝を許す嬉しさの涙と思ひて候へば、P391斯様に成るべきとて、限りの涙にて候ひけるを、凡夫の身の悲しさは、夢にも知らで、なつかしかりける顔ばせ、何しに年月不孝しけんと、過ぎにし方まで悔しきに、せめて三日打ち添はで、帰れとばかりのあらましを、如何に哀れに思ひけん。いつの世にか相見て、憂きを語りてまし」とて、又打ち伏して泣きけり。虎も、涙にむせびつつ、しばしは物をも言はざりけり。互ひの心の内、さこそと思ひ遣られたり。「是なる御経は、彼等が最後に富士野より送りたる文の裏にかき奉りて候ふ。此の文を読まんとすれば、文字も見えず。近く居寄りて読み給へ。聞き候はん」とて差し出だす。十郎が文と聞けば、なつかしくて、読まんとすれば、目もくれ、いつを其処とも見えわかず、只胸にあてて、泣くばかりにてぞ有りし。流れをたつる習ひ、か程の志有るべしとは思はざりしを、やさしくも見ゆる也けりと思ふに、涙ぞまさりける。「今宵は、是に止まりて、心静かに物語申すべきを、箱根への用意させ候ふべし。暁に出で候ふべし。聞き給ひぬるや、是等が孝養せよとて、君よりは所領賜はり候ふ。世には、敵打つ者こそ多く候ふなれども、心様人にすぐるるに依り、斯様の御恩に預かり候ふ。如何に言ふ甲斐無しとも、彼等が安穏ならんこそ、嬉しくも」とて、「是や昔、上東門院の御時、和泉式部が、娘小式部の内侍におくれて、悲しみけるに、君、哀れに思し召して、母が心を慰めんとP392思し召し、衣を下されしに、和泉式部、
諸共に苔の下にもくちずしてうづもれぬ名を聞くぞ悲しき W036
斯様に詠みたりし事まで思ひ知られて、忝く覚え候ふぞや。其れにつき候ひては、此の度仏事、心の及び、営むべきにて候ふ。此の辺には、さりぬべき導師も候はねば、別当を導師に定め参りて候ふ。五郎が事忘れず、御歎き候へば、一入懇ろなるべし。暁は、伴ひ奉るべし」とて、帰りにけり。虎は、母が後姿を見送り、十郎が装ひ思ひ出でられて、是も名残は惜しかりけり。然らぬだに、秋の夕は寂しきに、一人ふせ屋の軒の月、涙にくもる折からや、折知り顔の鹿の声、枕に弱る蟋蟀、軒端の荻を吹く風に、古里思ひ知られつつ、時しも長き夜もすがら、明かし兼ねたる思ひねの、あふ夢だにも無ければや、形しく閨の枕に置き添ふ露の重なれば、現の床もうくばかり、明け方の雁がねの友を語らひ泣く声も、羨ましくぞ思ひ遣る。余所の砧を聞くからに、身にしむ風のいとどしく、鐘聞く空に明けにけり。
@〔母と虎、箱根へ上りし事〕S1102N160
P393 あれぬる宿とは思へ共、枕並べし睦言の、出でぬる別れ路は、今も打ち添ふ心地して、おきもせず、ねもせで、物を思ひ居たる所に、馬に鞍おきひつ立つる、使ひは来たり木幡山、君を思へば心から、上の空にや籠るらん。母も立ち出でて、急ぐと言へば、打ち出でぬ。自づから成る道の辺、我が方遠く成り行けば、其処とも知らぬ鞠子河、け上げて波や渡るらん。湯坂峠を上るにも、別れし人、此の道を、かくこそ通ひなれしと、思ひ遣らるる梓弓、矢立の杉を見上げつつ、其の人々の射ける矢も、此の木の枝に有るらんと、梢の風もなつかしく、山路はるばる行く程に、箱根の坊につきけり。やがて、別当出で合ひ給ひて、「さても、御歎きの日数の、哀れにて」と仰せられければ、此の人々にも、仏事の本意を申しけり。別当、虎を見給ひて、「何処よりの客人にや」と問ひければ、母、有りの儘に語り奉る。別当も、有り難き志とて、墨染の袖を濡らし給ふ。やや有りて、別当、涙を止めて、仰せられけるは、「法師が思ひとて、方々に劣り奉らず。さかりなる子を先に立つる親、わかうして夫におくるる妻、世の常多しと申し候へ共、師に先立つ弟子は、稀なり。其れも先規無きにあらず。遠く震旦を思へば、顔回は、貫首の弟子にて、才智並ぶ人無かりしかども、二十五歳にて、先立ち給ふ。我が朝の慈覚大師の御弟子、大師に先立ち奉る。西方院の座主院源僧正は、りやうゐんP394大徳におくれ給ふ。斯様の事を思ひ出だせば、愚僧一人が歎き也。げにげに曠劫をへても、相見ん事有るまじき別れの道、歎き給ふも、理なり。歎くべし歎くべし」とて、御涙をはらはらと流し給ふ。「思へば、誰も劣るべきにはあらね共、大磯の客人の御志こそ、誠有り難くこそ候へ。相構へて、深く歎き給ふべからず。是を誠の善知識として、他念無く菩提心を起こし給へ。一念の随喜だにも、莫大にて候ふぞかし。斯様に思ひ切り、誠の道に入り給ひ候はば、余念無く行じ給ひ候へよ。仏も六年、仙人に給仕きやうしてこそ、法花をば授かり給ひし。構へて、悪念を捨て給ふべし。人々を打ちける人を恨めしと思ひ給はば、瞋恚の妄執と成りて、輪廻の業つくべからず。あながち、手を下ろして殺し、行きて盗まざれども、思へば、其の科ををかすにて候ふぞ。構へて構へて、殺生を心にのぞき給ふべし。然れば、第一の戒にて候ふぞ。女は、殊に執情深きに依りて、三途の業つきず候ふぞや。聞き給へ。
@〔鬼の子取らるる事〕S1103N161
昔、天竺に、鬼子母という鬼有り。大阿修羅王が妻なり。五百人の子を持ち、是をP395養はんとて、物の命をたつ事、恒河沙の如し。殊に親の愛する子を好み、取りくふ罪つくし難し。仏、是を悲しみ思し召し、如何して此の殺生を止めんとて、智慧第一の迦葉尊者に告げ給ふ。迦葉、仏に申させ給ひけるは、「彼が五百人持ちて候ふ子の中に、殊に自愛を御隠し候ひて、御覧ぜられ候へ」と、御申し有りければ、「然るべし」とて、五百人の乙子取り、御鉢の下に隠し給ふ。父母の鬼、是を尋ねけり。神通自在の物なりければ、上は非想非非想天、六欲天の雲の上、下は九山、八海、竜宮、奈落の底までも、くもり無く尋ねけれども、無かりけり。鬼共、力を失ひ、大地に伏しまろび、泣き悲しみけるぞ、愚かなる。思ひの余りに、仏に参り申しけるは、「我、五百人の子を持ちて候ふ、其の中にも、乙子こそ、殊に不便に候ひしを、物に取られ失ひて候ふ。余りに悲しみ候ひて、至らぬ隈も無く、尋ねて候へども、我等が神通にては、尋ね出だすベしとも覚えず。然るべくは、御慈悲を以て、教へさせ給ひ候へ」とて、黄なる涙を流しけり。其の時、仏宣はく、「さて、子を失ひて尋ぬるは、悲しき物か」「申すにや及び候はず。是だにも出で来候はば、我等二人は、如何になり候ふとも、余りにかはゆく候ふ」と申しければ、「然様に、子は悲しく、無慙なる者ぞとよ。汝、五百人の子を養はんが為に、者の命を殺す事、いか程とか思ふ。其の殺さP396るる者の中に、親も有り、子も有り、兄弟親類、いか程の歎きとか思ふ。思ひ知れりや、汝今、只一人失ひてだにも、斯様に悲しむにや。まして、他人如何」と、示し給ひければ、鬼共、首をうなだれ、涕泣して、先非をくいけり。「如何に汝等、猶しも者の命をやたつべき。止まるならば、有り所知らせん」と仰せられければ、鬼、大きに喜び、「今より後は、更に殺生すまじくて候ふ。失ひし子の有り所教へ給へ」と、たひはう申しけり。「然らば、かたく約束有りて、殺生止めよ」と仰せられければ、鬼、重ねて申す様、「肉食をたやしては、我等身命助かり難し。御慈悲の方便に預からん」と申す。仏、御思案有りて、「然らば、一切衆生の用ひる飯の上を、少し生飯取り、汝等に与ふべし。其れにて命を継ぎ候へ」と、仏勅有りければ、鬼承り、「我等は、悪業煩悩にて、身をまろめたり。仮令仏説の如く、頂戴申すと言ふとも、肉食を止めては、命あらじ」と申しければ、「然らば、一口の飯に、人の肉をすりぬりて与ふべし」と、御約束有りけり。今に至りて、生飯とて、飯の上を少し取り、掌にあてておく事は、此のいはれにてぞ有りける。斯様に、かたく御誓約有りて、御鉢の下より、子鬼を取り出だし給ひけり。此の時、鬼申しけるは、「我等、神通を越えたりと思へ共、仏の方便に及び難し。まして、後世こそ恐ろしけれ」とて、即ち、御弟子と成り、P397仏果をえるとかや。剰へ、法華守護神と成り、法花経を擁護せんと誓ひ給ふ。抑此の鬼子母は、形世に越えければ、帝釈、是を奪ひ取り給ひぬ。阿修羅王、大きに怒り、瞋恚の猛火をはなち、既に須弥の半腹まで攻め上り、戦ふ事、恒河沙のをふるとも、作る事無し。其の時、帝釈は、善法堂に立て籠り、仁王経を講じ給ひつつ、四しゆ五わうの印を結び給ふ。時に、虚空より、磐石雨の如くに降り下り、修羅の大敵を粉灰に打ち砕き、然れども、業因つきざれば、又よみ帰り、大苦を受けたりと伝へたり。然れども、鬼子母は、仏弟子となりしかば、苦悩をはなるるのみならず、法花の守護神となり給ふ。斯様に鬼神だにも、随喜すれば、かくの如し。
@〔箱根にて仏事の事〕S1104N162
ましてや、人の身として願はんに、何の疑ひ候ふべき。既に斯様の法者と成り給へば、身の為、他の為、未来永々有り難き御事なり。法師とて、御導師に成るべき身にあらねども、有り合ひ、如何でか空しかるらん。其の上、五郎は、寵愛なじみにて、御思ひ、共に劣らねば、一入弔ひ奉るべし。誰か、P398僧達を請じ申せ。持仏堂の荘厳せよ。客殿の塵取れ」と、様々下知し給ひけり。虎は、別当の教化を聞き、身ながらも嬉しくぞ思ひける。其の後、数の僧達集まり給ふ。御経多しと雖も、殊にすぐれたる一乗妙典八巻、同音に読誦し給ふ。五十展転の功力だにも有り難し。受持読誦の結縁頼もしかりけり。御経やうやうはてしかば、別当高座に上り、彼等が追善の鐘打ちならし、施主の志を計り給へば、先づ、御涙にむせびつつ、説法の御声も出だし給はず。やや有りて、別当涙を抑へ、花房を捧げ、「其れ、生死の道は殊にして、をつれをいづれの方にか通ぜん。分段境を隔つ、はいきをいつの時にか期せん。二十三年の夢、暁の月と空に隠れぬ。千万端の愁へ、夕の嵐、一人吟じて、雲と成り、雨と成り、哀憐の涙、かわく事無し。朝を向かへ、夕を送りて、懐旧の腸絶えなんとす。所作未だやまざるに、百日の忌景、既にみてり。悲しみ至りて悲しきは、おいて子におくれ、恨みの殊に恨めしきは、さかんにして夫におくるる程の愁へ無し。老少不定を知ると雖も、猶、前後の相違に迷ふ事、歎けども適はず、惜しめ共験無し。然れば、仏も愛別離苦ととき給ふ。一生は夢の如し、誰か百年の齢を保たん。万事は皆空し、いづれか常住の思ひをなさん。命は、水の上の泡の如し。魂は、籠の内の鳥、開くを待ちて、然るに同じ。きゆるものP399は、二度見えず、然る者は、重ねて来たらず。恨めしきかなや、釈迦大士の慇懃の教化忘れ、悲しきかなや、閻魔法王の呵責の言葉を聞く。名利は、身を助くと雖も、未だ北■の屍を養はず。恩愛の心悩ませども、誰黄泉の攻めをまぬかれん。是に依つて馳走す、所得幾何の利ぞや。是が為に追求す、所作多罪也。暫く目をふさぎて、往事を思ふに、きゆふ皆空し。指ををりて、薨人をかぞふれば、親疎多く隠れぬ。時移り、事さりて、今何ぞ渺茫たらんや。人止めて、我行き、誰か又しやうしやせん、三界無安、猶如火宅と見れば、王宮も、これ夢なり。天子と言ふも、四苦の身なり。況や、下劣貧賎の輩、などか其の罪かろかるべき。死に苦しみをまし、業に悲しみを添ふべし。思ひ取らぬぞ、愚かなる。「まさに今こんかく塵深くして、竹簡幾何の千巻ぞ。苔■雲静かにして、松風只一声、てんちうくわせつ、相伝ふるに、主を失ふ。七月半ばの盂蘭盆、のぞむ所、誰にかあらん」と、泣く泣く当座にぞ書きける。誠理きはまりけり。然れば、親の子を思ふ志の深き事、父の恩を須弥に例へ、母の恩を大海に同じと言へり。もし我一劫の間とく共、父母の恩、作る事無しと見えたり。胎内に宿り、身を苦しめ、心をつくし、月を重ね、日を送り、生まるる時は、桑の弓・蓬の矢を以て、天地四方を射、身体髪膚を父母に受け、敢へてそこなひ破らP400ざるを、孝の始めとす、襁褓の嚢に包まれしより、今に至るまで、昼夜に安き事無し。人の親の習ひ、我が身の衰へをば知らずして、子の成人を願ひしぞかし。此の恩を捨て、未ださかりにもみちずして、母に先立ちぬ。然れば、孝経に曰く、「君は尊くして親しからず、母は親しくして尊からず、尊親共に是をかねたるは、父一人なり」と雖も、四の恩の中には、二親なれば、母の歎きも切なれども、あたる所を恥ぢ、父の敵に身を捨て、各々命を失ふ。人の親の子を思ふ闇に迷ふ道、愚かなる子もいとしほしく、かたはなるも悲しきに、此の人々は、弓馬の家に生まれ、武略共にかしこし。後代に止む事、遠きも近きも、知らぬ人無し。同じ兄弟と雖も、中の悪しきも有るぞかし。此の殿原は、幼少竹馬の昔より、なれむつぶる事、類無し。浄蔵・浄眼の古にも恥ぢず、早離・速離の昔にも似たり。遂に富士の裾野にして、同じ草葉の露と消え給へり。彼の一条摂政謙徳公の二人の御子、前少、後少将とて御座しける、朝夕に失せ給へり。斯かる例もあれば、生死無常の理、始めて驚くべきにあらず。今、開眼供養の御経、人々の手跡の裏也。斯様に書き置きしを、余所にて見るだにも悲しきに、まして御身にあて、御心中、さぞ思し召すらめ。是は、親子の別れの事、兄弟の契りのわり無きを、一言述べて候ふ。又、夫に別るる歎き、今一入色深きP401事なり。虚弓止まりて、閨に寄せ立つ、上弦の月、空に暮れぬ。三年のなじみ、忽ちつき、孤枕床に上りて、虞氏が古にあらねども、数行が涙、袂をうるほすらん。しやう蘭のにほひ、そらだき物とぞなりにける。宵暁の鐘の声、枕を並べし音には似ず、おきゐに見れば、なれ来し人はよも添はじ。山の端出づる月影を、心苦しく待ち得ても、見し面影にはことなれば、是ぞ、慰み給ふ事あらじ。誠、夫婦の別れ、忍び難けれども、昔今も、力に及ばざる道なれば、思ひ慰み給ふべし。彼の唐の玄宗の楊貴妃も、はつかに事を蓬莱宮の波に伝ふらん、穆公の弄玉をおもんぜしも、徒らに鳳凰台の月によす。彼を思ひ、是を思ふに付けても、昔を今になずらへて、一仏浄土の縁を結び、願はくは、九品往生ののぞみを遂げ、七世の父母、六親眷属成仏」と、回向の鐘をならし、別当高座を下り給ふとて、
定め無き浮き世といとど思ひしに問はるべき身の問ふに付けても W037
と詠じ給ひければ、聴聞の貴賎、哀れを催し、袖を絞らぬは無かりけり。供養もやうやう過ぎしかば、僧達も、皆々帰り給ひぬ。やや暫く有りて、「急ぎ下り度候へ共、たまたま上りて候へば、五郎が幼くて住み候ひし方を見候はん」と申されければ、別当宣ひけるは、「男に成りて後、其の形見と思へば、P402人をも置かず、わざと破れをも修理せず、昔に少しも違はず候ふ。いざさせ給へ。墓所をもつきて候へば、御覧ぜよ」とて、つれて行き、立ち寄り見給へば、墓の上に草おひけるを、別当見給ひて、「君見ずや、北■の暮の雨、でうでうたる青塚の色を。また見ずや、とうはうの秋の風、歴々たる白楊の声を」と、古き詩を思ひ出で給ふ。是は、もとの住み処と宣へば、軒の荵は、紅葉して、思ひの色を現せり。歎きは、いつも尽きせねば、しげる甲斐無き忘れ草、其の名計は、由ぞ無き。長月上旬の事なれば、よもの紅葉の色は、袖の涙を染むるかと見え、世に古里は苦しきに、安くも過ぐる初時雨、羨ましくぞ覚えけり。壁に書きたる筆のすさみを見れば、
出でていなば心かろしと言ひやせん身の有様を人の知らねば W038
と言ふ古歌の端を、「箱王丸」とぞ書きたりける。師匠に暇をもこはず、人にも行方を知らせず、只一人出づる事、思ひ寄りて語り、幼かりし面影、只今の心して、由無き所へ来たりけると、絶え焦がれければ、胸を焦がす焔は、咸陽宮の夕の煙にことならず。袂に落つる涙の、竜門原上の草葉を染むる、おもての涙とも言ひつべし。名残は尽きすまじ。さてしも有るべきにあらざれば、泣く泣く母は、曾我に下り、虎は、大磯に帰らんとす。別当も五郎に別るる心して、「扨も、此の度の御仏事、有り難くこそ候へ。過去幽霊、定めて正覚なり給ふべし。又、大磯の客人の御志P403こそ、世にすぐれては候へ。構へて構へて、怠らず弔ひ給へ」と仰せられければ、虎も、涙を抑へて、「仏事と承り候へば、誠に恥ぢ入る心し、あかぬ別れの道、いつかは怠り候はん」と申しければ、「数多の宝をつまんより、誠の志にはしかずと承る。
@〔貧女が一燈の事〕S1105N165
其の古を思ふに、天竺の阿闍世王は、常々仏を請じ奉り、数の宝を捧げ給ふ。或る時、仏の御帰り、夜に入りければ、王宮より、祇園精舎まで、十方国土の油を集めて、万燈をともし給ひけり。此処に、貧なる女有り、如何にもして、此の燈明の数に入らばやと思ひけれども、朝夕の営みだにも無き貧女なれば、一燈の力も無し。涙を流し、如何にもと方便すれども、適はで、東西に馳走し、自ら髪を切り、銭二文にぞうりたりけり。是にてもやと思ひければ、油を彼の銭にてかひ、わぶわぶ一燈ともして、くどきけるは、「我、前業如何なりければ、百千燈をだにともす人の有るに、一燈をだにともし兼ねたる、憂き身の程の恨めしさよ」とて、彼の燈明の下に泣き伏しけり。此の志を現さん為にや、折節、山風あらくふきて、数の燈明P404を一度にふき消しけり。然れば、貧女が一燈ばかりは消えず。目連、不思議に思し召し、袈裟にて仰がせ給ひけれども、消えざりけり。其の時、目連、仏に問ひ給ふ、「多くの燈明の消ゆる中に、如何なれば、一燈消えざる」と申させ給へば、仏宣はく、「阿闍世王が万燈の光、愚かにはあらね共、貧女が志の深き事を現さむが為に、万燈は消えて、一燈は残り」と示し給ふ。然ればにや、此の貧女成仏して、須弥燈光如来と申すは、此の貧女の事なり。「長者の万燈より、貧女が一燈」と申し伝へたるは、此の事也。御志をはげまし候へ。返す返す」と仰せられければ、虎も、母諸共に、深き追善し、諸仏哀れみ給ふらんと嬉しくて、各々暇申して、帰りにけり。母申しけるは、「今より後は、常々来たり、我はを御覧候へ。自らも又、十郎が名残に見奉りなん。暫く曾我に坐しまして、慰み給へ」などと語りて行きけるが、虎申しけるは、「嬉しくは承り候へ共、此の人々の御為に、毎日法花経六部あて六人して、第三年まで六部の志候ふ。我は無くては、無沙汰有るべし。詳しく申し付けて参るべし」と申しければ、母は、「誠の御志、有り難くこそ候へ。構へて構へて、絶えず問ひ問はれ参らすベし」とて、泣く泣く打ち別れにけり。実にや、有為転変の世の習ひ、花は根に帰り、鳥は、古巣に入り、日月天に傾き、松柏の青き色も、遂には五衰の時有り、蜉蝣のあだなる形、芭蕉風に破るる例、P405歎きても余り有り、悲しみてもたへず。只一筋に仏道を願ふ時は、草木国土悉皆成仏とぞ見えける。さても、大将殿御出に依り、富士の裾野の御屋形、甍を並べ、軒を知りて、数有りしかども、御狩過ぎしかば、一宇も残らず、元の野原になりにけり。然れども、残る者とては、兄弟の瞋恚執心、或る時は、「十郎祐成」と名乗り、或る時は、「五郎時致」と呼ばはり、昼夜戦ふ音絶えず。思はず通り合はする者、此の装ひを聞き、忽ちに死する者も有り、やうやういきたる者は、狂人と成りて、兄弟の言葉を移し、「苦悩離れ難し」と歎くのみなり。君聞こし召されて、不便なりとて、ようぎやう上人とて、めでたき法者を請じ、「如何せん」と仰せられければ、
@〔菅丞相の事〕S1106N166
上人聞こし召し、「昔も、然る例こそ多く候へ。忝くも、菅丞相の昔、讒言の瞋恚、くはういとなり給ひて、都を傾け給ひけるを、天台の座主、一字千金の力を以て、やうやうなだめ奉り、神といはひ奉る、威光あらたに坐します、天満大自在天神、此の御事なり。其の外、怒りをなして、神と崇められP406給ふ御事、承平の将門、弘二の仲成此の方、其の数多し。此の人々をも、神にいははれ候へ」と仰せられければ、
@〔兄弟、神にいははるる事〕S1107N167
「然るべし」とて、即ち勝名荒人宮と崇め奉り、やがて富士の裾野に、まつかぜと言ふ所を、長く御寄進有りけり。よつて、彼の上人を開山として、寺僧を定め、禰宜・神主をすゑ、五月二十八日には、殊に読経、神楽、色々の奉幣を捧ぐる事、今に絶えず。其れよりして、彼の所の戦ひ絶えて、仏果を証する由、神人の夢に見えけり。あらたに尊し共、言ふ計り無し。然れば、今に至るまでも、敵打たんと思ふ者は、此の神に参り、祈誓すれば、思ひの儘なりとて、遠国・近国の輩、歩みを運びけり。上下万民、仰がぬは無かりけり。