P132曾我之物語巻第三

 @〔九月名月(めいげつ)に出(い)でて、一万(いちまん)・箱王(はこわう)、父(ちち)の事(こと)歎(なげ)く事(こと)〕S0301N045
 抑(そもそも)、伊豆(いづ)の国(くに)赤沢山(あかざはやま)の麓(ふもと)にて、工藤(くどう)左衛門(さゑもん)の尉(じよう)祐経(すけつね)に打(う)たれし、河津(かはづ)の三郎(さぶらう)が子二人有(あ)り。兄(あに)をば、一万(いちまん)と言(い)ひて、五つに成(な)り、弟(おとと)は、箱王(はこわう)と言(い)ひて、三(み)つにぞ成(な)りにける。父(ちち)におくれて後(のち)、いづれも母(はは)に付(つ)き、継父(ままちち)曾我(そが)の太郎がもとに育(そだ)ちける。やうやう成人(せいじん)する程(ほど)に、父(ちち)が事(こと)を忘(わす)れずして、歎(なげ)きけるこそ、無慙(むざん)なれ。人の語(かた)れば、兄(あに)も知(し)り、弟(おとと)も知(し)り、恋(こひ)しさのみに明(あ)け暮(く)れて、積(つ)もるは涙(なみだ)ばかりなり。心(こころ)のつくに従(したが)ひて、いよいよ忘(わす)るる暇(ひま)も無(な)し。我(われ)等(ら)二十に成(な)り、父(ちち)を打(う)ちけん左衛門(さゑもん)の尉(じよう)とやらんを打(う)ち取(と)りて、母(はは)の御心(おんこころ)をも慰(なぐさ)め、父(ちち)の孝養(けうやう)にも報(ほう)ぜんと、忙(いそが)はしきは月日(つきひ)なり。数(かず)ならぬ身(み)にも、日数(ひかず)の積(つ)もれば、はや憂(う)き事(こと)共(ども)にながらへて、九(ここの)つ・七(なな)つにぞなりにける。折節(をりふし)、九月十三夜(や)の、誠(まこと)に名(な)有(あ)る月ながら、隈(くま)無(な)き影(かげ)に、兄弟(きやうだい)、庭(には)に出(い)でて遊(あそ)びけるが、五つつれたる雁(かり)がねの、西(にし)に飛(と)びけるを、一万(いちまん)が見P133て、「あれ御覧(ごらん)ぜよ、箱王(はこわう)殿(どの)。雲居(くもゐ)の雁(かり)の、何処(いづく)を差(さ)してか飛(と)び行(ゆ)くらん。一(ひと)つらも離(はな)れぬ中(なか)の羨(うらや)ましさよ」。弟(おとと)聞(き)きて、「何(なに)かはさ程(ほど)うらやむべき。我(われ)等(ら)が伴(ともな)ふ物(もの)共(ども)も、遊(あそ)べば、共(とも)に打(う)ちつれ、帰(かへ)れば、つれて帰(かへ)るなり」。兄(あに)聞(き)きて、「さにはあらず。いづれも同(おな)じ鳥(とり)ならば、鴨(かも)をも鷺(さぎ)をもつれよかし。空(そら)とべども、己(おのれ)がともばかりなる事(こと)ぞとよ。五つ有(あ)るは、一(ひと)つは父(ちち)、一(ひと)つは母(はは)、三(み)つは子供(こども)にてぞ有(あ)るらん。わ殿(との)は弟(おとと)、我(われ)は兄(あに)、母(はは)は誠(まこと)の母(はは)なれども、曾我殿(そがどの)、誠(まこと)の父(ちち)ならで、恋(こひ)しと思(おも)ふ其(そ)の人の、行方(ゆくへ)も敵(かたき)のわざぞかし。哀(あは)れや」「親(おや)の敵(かたき)とやらんが首(くび)の骨(ほね)は、石(いし)よりもかたき物(もの)かや」と問(と)へば、兄(あに)が聞(き)きて、袖(そで)にて弟(おとと)が口(くち)を抑(おさ)へ、「かしかまし、人や聞(き)くらん、声(こゑ)高(たか)し、隠(かく)す事(こと)ぞ」と言(い)へば、箱王(はこわう)聞(き)きて、「射(い)殺(ころ)すとも、首(くび)を切(き)るとも、かくして適(かな)ふべきか」「さは無(な)きぞとよ、其(そ)れまでも忍(しの)ぶ習(なら)ひ、心(こころ)にのみ思(おも)ひて、上(うへ)は物(もの)を習(なら)へとよ。能(のう)は稽古(けいこ)によるなるぞ。我(われ)等(ら)が父(ちち)は、弓(ゆみ)の上手(じやうず)にて、鹿(しし)をも鳥(とり)をも射(い)給(たま)ひけるなるぞ。哀(あは)れ、父(ちち)だに坐(ま)しまさば、馬(むま)をも鞍(くら)をも用意(ようい)してたびなまし。さあらば、を犬(いぬ)・笠懸(かさかけ)をも射(い)習(なら)ひなん。我(われ)等(ら)より幼(をさな)き者(もの)も、世(よ)にあれば、馬(むま)に乗(の)り、もの射(い)る、見(み)るも羨(うらや)まし」とくどきければ、箱王(はこわう)聞(き)きてぞ、「父(ちち)だに坐(ま)しまさば、自(みづか)らが弓(ゆみ)の弦(つる)くひ切(き)りたる鼠(ねずみ)の首(くび)は、射(い)させ参(まゐ)らすべき物(もの)を、はらだちや」と言(い)へば、兄(あに)、「其(そ)れP134よりもにくき物(もの)こそあれ」「誰(たれ)なるらん、ままが子(こ)、自(みづか)らが乗(の)りつる竹馬(たけむま)打(う)ち候(さうら)ひつる事(こと)か」「其(そ)の事(こと)にては無(な)きぞ、父(ちち)を打(う)ちける者(もの)のにくさに、月日(つきひ)の遅(おそ)き」と言(い)へば、「習(なら)はずとても、弓矢(ゆみや)取(と)る身(み)が、弓(ゆみ)射(い)ぬ事(こと)や候(さうら)ふべき」。兄(あに)が聞(き)きて、打(う)ち笑(わら)ひ、「わ殿(どの)、然様(さやう)に言(い)ふ共(とも)、てなれずしては、如何(いかが)候(さうら)ふべき。見(み)よ」とて、竹(たけ)の小弓(こゆみ)に、篦(の)は薄(すすき)なる笹矧(ささはぎ)の矢(や)差(さ)しつがひ、兄(あに)、障子(しやうじ)を彼方(かなた)此方(こなた)に射(い)通(とほ)し、「いつかは、我(われ)等(ら)十五・十三に成(な)り、父(ちち)の敵(かたき)に行(ゆ)き合(あ)ひ、斯様(かやう)に心(こころ)の儘(まま)に射(い)通(とほ)さん」。箱王(はこわう)聞(き)きて、「然(さ)る事(こと)にては候(さうら)へ共(ども)、大事(だいじ)の敵(てき)、弓(ゆみ)にては、遠(とほ)く覚(おぼ)えたるに、斯様(かやう)に首(くび)を切(き)らん」とて、障子(しやうじ)の紙(かみ)を引(ひ)き切(き)り、たかだかと差(さ)し上(あ)げ、側(そば)なる木太刀(きだち)を取(と)り直(なほ)し、二(ふた)つ三(み)つに打(う)ち切(き)りて、捨(す)てて立(た)ちたる眼(まなこ)ざし、人に代(か)はりてぞ見(み)えたりける。
 @〔兄弟(きやうだい)を母(はは)の制(せひ)せし事(こと)〕S0302N046
 乳母(めのと)、是(これ)を忍(しの)び見(み)て、恐(おそ)ろしき人々(ひとびと)のくはたてかな、後(のち)は如何(いか)にと思(おも)ひければ、急(いそ)ぎ母上(ははうへ)にぞ語(かた)りける。母上(ははうへ)、大(おほ)きに驚(おどろ)き、彼(かれ)等(ら)を一間所(まどころ)に呼(よ)びければ、箱王(はこわう)、居(ゐ)なほらざるに、障子(しやうじ)の破(やぶ)れたるをしかり給(たま)ふべきと心(こころ)得(え)て、「障子(しやうじ)P135をば損じ候(さうら)はず、余所(よそ)の童(わらんべ)が破(やぶ)りて候(さうら)ふを、乳母(めのと)がことことしく申(まう)して」と言(い)ひければ、母(はは)、涙(なみだ)を流(なが)し、「障子(しやうじ)の事(こと)にては無(な)きぞとよ。汝(なんぢ)等(ら)、確(たし)かに聞(き)け、わ殿(との)原(ばら)が祖父(おほぢ)伊東(いとう)と言(い)ひし人は、君(きみ)の若君(わかぎみ)を殺(ころ)し奉(たてまつ)るのみならず、無叛(むほん)の同意(どうい)たりしに依(よ)つて、切(き)られ奉(たてまつ)りし上は、汝(なんぢ)等(ら)も、其(そ)の孫(まご)なればとて、首(くび)をも足(あし)をももがれて奉(たてまつ)るべし。平家(へいけ)の公達(きんだち)をば、胎(はら)の内(うち)なるをだにも、求(もと)め失(うしな)はるるぞかし。今(いま)より後(のち)、努々(ゆめゆめ)思(おも)ひもより、言(い)ひも出(い)だすべからず。あさましき事(こと)也(なり)。未(いま)だ上(かみ)も知(し)ろし召(め)されぬに、御(おん)許(ゆる)し有(あ)りて、知(し)らず顔(がほ)にて、御(おん)尋(たづ)ねも無(な)きと覚(おぼ)ゆるなり。構(かま)へて、遊(あそ)ぶとも、門(かど)より外(ほか)へ出(い)づべからず。汝(なんぢ)等(ら)打(う)ちつれ遊(あそ)ぶを、物(もの)の隙(ひま)より忍(しの)び見(み)るに、いさみおごる時(とき)は、自(みづか)らが心(こころ)も共(とも)にいさましく、打(う)ちしをるる物(もの)を。親(おや)にも添(そ)はぬみなし子(ご)の、育(そだ)つ行方(ゆくへ)の無慙(むざん)さよ。後(うし)ろに立(た)ち添(そ)ひ見(み)るぞとよ。乳母(めのと)は、かくとも知(し)らせぬぞ。近(ちか)くより候(さうら)へ」とて、二人が袖(そで)を取(と)り、引(ひ)き寄(よ)せ、小声(こごゑ)に言(い)ふ様(やう)、「誠(まこと)や、さしも恐(おそ)ろしき世(よ)の中(なか)に、悪事(あくじ)思(おも)ひ立(た)つとな。然様(さやう)の事(こと)、人々(ひとびと)聞(き)かれなば、よかるべきか。上様(うへさま)の御耳(おんみみ)に入(い)りなば、召(め)し取(と)られ、禁獄(きんごく)、死罪(しざい)にも行(おこな)はれなん、恐(おそ)ろしさよ」とぞ制(せい)しける。一万(いちまん)は、顔(かほ)打(う)ちあかめ、打(う)ち傾(かたぶ)きて居(ゐ)たり。箱王(はこわう)は、打(う)ち笑(わら)ひ、「乳母(めのと)が申(まう)し成(な)しと覚(おぼ)えたり。更(さら)に後先(あとさき)も知(し)らぬ事(こと)なり」と申(まう)しければ、母(はは)聞(き)きて、「今(いま)よりP136後(のち)、思(おも)ひもよらざれ。構(かま)へて構(かま)へて」と言(い)ひて立(た)ちぬ。其(そ)の後(のち)は、余所目(よそめ)を忍(しの)びて、おとといは語(かた)りけれども、人には更(さら)に知(し)らせざりけり。或(あ)る日の徒然(つれづれ)に、友(とも)の童(わらんべ)も無(な)く、軒(のき)の松風(まつかぜ)、耳(みみ)に止(とど)まり、暮(く)れ遣(や)らぬ日は、一万(いちまん)門(かど)に出(い)でて、人目(ひとめ)を忍(しの)び、さめざめと泣(な)きけり。箱王(はこわう)も同(おな)じく出(い)でけるが、兄(あに)が顔(かほ)をつくづくと見(み)て、「何(なに)を思(おも)ひ給(たま)へば、兄子(あにご)は、向(む)かひの山(やま)を見(み)て、さのみ泣(な)かせ給(たま)ふぞや」と言(い)ふ。兄(あに)が聞(き)きて、「然(さ)ればこそとよ、何(なに)とやらん、殊(こと)の外(ほか)に、父(ちち)の面影(おもかげ)思(おも)ひ出(い)でられて、恋(こひ)しく覚(おぼ)ゆるぞ」と言(い)ひければ、「愚(おろ)かに渡(わた)らせ給(たま)ふ物(もの)かな、思(おも)ひ給(たま)ふとも、父(ちち)の帰(かへ)り給(たま)ふまじ。帰(かへ)り給(たま)へ。童(わらんべ)共(ども)の、又(また)参(まゐ)り候(さうら)ふに、囃子物(はやしもの)して遊(あそ)び候(さうら)はん」とて、打(う)ちつれて帰(かへ)る時(とき)も有(あ)り。又(また)、或(あ)る夕暮(ゆふぐれ)に、夜(よ)に近(ちか)き、軒端(のきば)の雨(あめ)のもの哀(あは)れなる折節(をりふし)に、箱王(はこわう)、門(かど)に立(た)ち出(い)でて、涙(なみだ)にむせぶ時(とき)は、一万(いちまん)、袖(そで)をひかへつつ、「何(なに)を思(おも)ひ給(たま)へば、四方(よも)の梢(こずゑ)に目(め)を懸(か)けて、さのみ泣(な)かせ給(たま)ふぞや」「覚(おぼ)えぬ父(ちち)ごとやらんの恋(こひ)しきは、斯様(かやう)に心(こころ)のすごきやらん。兄(あに)ごは、何(なに)とか御座(おは)する」とて、さめざめとこそ泣(な)き居(ゐ)たれ。一万(いちまん)、弟(おとと)が手(て)を取(と)りて、「覚(おぼ)えず、知(し)らぬ父(ちち)を恋(こひ)しと言(い)はんより、いとほしとのみ仰(おほ)せらるる母(はは)に、いざや参(まゐ)らん」とて、袖(そで)を引(ひ)きてぞ入(い)りにける。是(これ)も、人目(ひとめ)を忍(しの)ばんとて、互(たが)ひにいさめいさめられて、心(こころ)ばかりと思(おも)へども、さすが幼(をさな)き心(こころ)にて、忍(しの)ぶ余所目(よそめ)P137の隙々(ひまびま)の、もるるを見(み)聞(き)く人ごとに、舌(した)を振(ふ)り、哀(あは)れを催(もよほ)さぬは無(な)かりけり。良竹(れうちく)は、おひいづればすぐなり、栴檀(せんだん)は、二葉(ふたば)よりかうばしとは、斯様(かやう)の事(こと)に知(し)られたり。然(さ)れば、遂(つひ)に敵(かたき)を思(おも)ふ儘(まま)に打(う)ち、名(な)を万天(ばんてん)の雲居(くもゐ)に上(あ)げ、威勢(いせい)一天(いつてん)に余(あま)れり。哀(あは)れにも、いみじきにも、申(まう)し伝(つた)へたるは、此(こ)の人々(ひとびと)の事(こと)なり。
 @〔源太(げんだ)、兄弟(きやうだい)召(め)しの御(おん)使(つか)ひに行(ゆ)きし事(こと)〕S0303N048
 かくて、三年(みとせ)の春(はる)秋の過(す)ぐる程(ほど)も無(な)かりけり。早(はや)くも、一万(いちまん)十一、箱王(はこわう)九にぞなりにける。其(そ)の頃(ころ)、彼(かれ)等(ら)が身(み)の上(うへ)に、思(おも)はぬ不思議(ふしぎ)ぞ出(い)で来(き)たる。故(ゆゑ)を如何(いか)にと尋(たづ)ぬるに、鎌倉(かまくら)殿(どの)、侍(さぶらひ)共(ども)に仰(おほ)せられけるは、「保元(ほうげん)の合戦(かつせん)に、為義(ためよし)、義朝(よしとも)に切(き)られ、平治(へいじ)の乱(みだ)れに、義朝(よしとも)、長田(おさだ)に打(う)たれしより此(こ)の方(かた)、おごりし平家(へいけ)をことごとく滅(ほろ)ぼし、天下(てんが)を心(こころ)の儘(まま)にする事(こと)、我(われ)等(ら)が先祖(せんぞ)におきては、頼朝(よりとも)に勝(まさ)る果報者(くわほうしや)あらじ」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、御前(ごぜん)祗候(しこう)の侍(さぶらひ)共(ども)、一同(いちどう)に、「さん候(ざうらふ)」と申(まう)し上(あ)げければ、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)工藤(くどう)左衛門(さゑもん)祐経(すけつね)、畏(かしこ)まつて申(まう)しけるは、「仰(おほ)せの如(ごと)く、四海(しかい)鎮(しづ)まり、きうたう狼煙(らうゑん)立(た)たざる所(ところ)に、間近(まぢか)き御膝(ひざ)の下(した)に置(お)きて、幼(をさな)く候(さうら)へ共(ども)、末(すゑ)の御敵(おんてき)と成(な)るべき者(もの)こそ、一二人候(さうら)へ」と申(まう)しければ、御前(おんまへ)に有(あ)りける侍(さぶらひ)共(ども)、P138知(し)るも知(し)らざるも、誰(た)が身(み)の上(うへ)やらんと、目(め)を合(あ)はせ、拳(こぶし)を握(にぎ)らざるは無(な)かりけり。君(きみ)聞(き)こし召(め)されて、御気色(ごきしよく)変(か)はり、「頼朝(よりとも)こそ知(し)らね、何物(なにもの)ぞ」と、御(おん)尋(たづ)ね有(あ)りければ、祐経(すけつね)承(うけたまは)りて、「先年(せんねん)切(き)られ参(まゐ)らせ候(さうら)ひし伊東(いとう)の入道(にふだう)が孫(まご)、五つや三(み)つにて、父(ちち)河津(かはづ)におくれ、継父(ままちち)曾我(そが)の太郎がもとに養(やう)じ置(お)きぬ。成人(せいじん)の後(のち)、御敵(おんてき)とやなり候(さうら)ふべき。身(み)にも又(また)、野心(やしん)有(あ)る者(もの)にて候(さうら)ふ」と申(まう)し上(あ)げたりければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「不思議(ふしぎ)なり。祐信(すけのぶ)は、随分(ずいぶん)心(こころ)安(やす)き物(もの)に思(おも)ひつるに、末(すゑ)の敵(てき)を養(やしな)ひ置(お)くらん不思議(ふしぎ)さよ。急(いそ)ぎ梶原(かぢはら)召(め)せ」とて召(め)さるる。源太(げんだ)景季(かげすゑ)、御前(おんまへ)に畏(かしこ)まりければ、「急(いそ)ぎ曾我(そが)に下(くだ)り、伊東(いとう)の入道(にふだう)が孫(まご)共(ども)を隠(かく)し置(お)く由(よし)聞(き)こゆ。急(いそ)ぎ具足(ぐそく)して参(まゐ)るべし。もし異議(いぎ)に及(およ)ばば、其(そ)れにて首(かうべ)をはねよ」とぞ仰(おほ)せ下(くだ)されける。景季(かげすゑ)承(うけたまは)り、御前(おんまへ)を罷(まか)り立(た)ち、急(いそ)ぎ曾我(そが)へぞ下(くだ)りける。祐信(すけのぶ)が屋形(やかた)近(ちか)くなりしかば、使者(ししや)をたてて、「曾我殿(そがどの)や坐(ま)します。君(きみ)の御(おん)使(つか)ひに、景季(かげすゑ)参(まゐ)りたり」と言(い)はせければ、祐信(すけのぶ)、何事(なにごと)なるらんと、「思(おも)ひ寄(よ)らざる御(おん)入(い)り珍(めづら)し」と言(い)ひければ、景季(かげすゑ)も、暫(しばら)く辞退(じたい)して、「さん候(ざうらふ)、上(うへ)よりの御(おん)使(つか)ひ」とばかり言(い)ひて、面目(めんぼく)無(な)き事(こと)なれば、左右(さう)無(な)く言(い)ひも出(い)ださず。やや有(あ)りて「御(おん)為(ため)ゆゆしき事(こと)ならぬ仰(おほ)せを蒙(かうぶ)りて候(さうら)ふ。其(そ)の故(ゆゑ)は、故(こ)伊東(いとう)殿(どの)の孫(まご)養育(やういく)の由(よし)、君(きみ)聞(き)こし召(め)して、「頼朝(よりとも)が末(すゑ)の敵(てき)なり。急(いそ)ぎ具(ぐ)して参(まゐ)るべし」との御(おん)使(つか)ひを蒙(かうぶ)り、参(まゐ)りP139て候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、祐信(すけのぶ)、とかくの返事(へんじ)にも及(およ)ばず、やや有(あ)りて、「世間(せけん)に歎(なげ)き深(ふか)き者(もの)を尋(たづ)ぬるに、祐信(すけのぶ)にすぐべからず。幼(をさな)き者(もの)二人候(さうら)ひし、五つ・三(み)つにて失(うしな)ひ候(さうら)ふ。其(そ)の思(おも)ひ未(いま)だはれざるに、彼(かれ)等(ら)が母(はは)におくれ候(さうら)ひぬ。一方(ひとかた)ならぬ思(おも)ひの浅(あさ)からざりしに、彼(かれ)等(ら)が母(はは)も、夫(おつと)におくれ、子(こ)を持(も)ちたる由(よし)聞(き)き候(さう)らひ、しかも、親(した)しく候(さうら)ふ上(うへ)、失(うしな)ひし子供(こども)、同(おな)じ年(とし)にて候(さうら)ふ。然(さ)れば、人の歎(なげ)きをも、我(われ)等(ら)が思(おも)ひをも、語(かた)り慰(なぐさ)まんと思(おも)ひ、抑(おさ)へ取(と)り、今年(ことし)は、此(こ)の者(もの)共(ども)、十一・九に罷(まか)り成(な)り候(さうら)ふ。殊(こと)の外(ほか)けなげに候(さうら)ふ間(あひだ)、実子(じつし)の如(ごと)く養(やう)じたてて、此(こ)の頃(ごろ)、斯様(かやう)の仰(おほ)せを蒙(かうぶ)り候(さうら)ふべしとこそ存(ぞん)じ候(さうら)はね。子(こ)に縁(えん)無(な)き者(もの)は、人の子(こ)をも養(やう)ずまじき事(こと)にて候(さうら)ひける」とて、袖(そで)を顔(かほ)に押(お)し当(あ)てけり。景季(かげすゑ)も、誠(まこと)に理(ことわり)とぞ思(おも)ひける。
 @〔母(はは)歎(なげ)きし事(こと)〕S0304N049
 やや有(あ)りて、「つれて参(まゐ)るべし。さりながら」とて内(うち)に入(い)り、彼(かれ)等(ら)が母(はは)に申(まう)しけるは、「故(こ)伊東(いとう)殿(どの)、君(きみ)に御敵(おんてき)とて失(う)せ給(たま)ひし、其(そ)の孫(まご)とて、二人の幼(をさな)き者(もの)共(ども)を参(まゐ)らせよとの御(おん)使(つか)ひに、梶原(かじはら)殿(どの)の来(き)たれり」と言(い)ひければ、母(はは)は聞(き)きも敢(あ)へず、P140「心(こころ)憂(う)や、是(これ)は何(なに)と成(な)り行(ゆ)く世(よ)の中ぞや、夢(ゆめ)とも現(うつつ)とも覚(おぼ)えず。実(げ)に夢(ゆめ)ならば、さむる現(うつつ)も有(あ)りなまし。憂(う)き身(み)の上(うへ)の悲(かな)しきも、彼(かれ)等(ら)二人を持(も)ちてこそ、万(よろづ)うさも慰(なぐさ)みつれ。身(み)の衰(おとろ)ふるをば知(し)らで、いつか成人(せいじん)して、おとなしくもなりなんと、月日(つきひ)の如(ごと)く頼(たの)もしく、後(のち)の世(よ)掛(か)けて思(おも)ひしに、切(き)られ参(まゐ)らせて、其(そ)の後(のち)、憂(う)き身(み)は何(なに)とながらへん。只(ただ)諸(もろ)共(とも)に具足(ぐそく)して、とにもかくにもなし給(たま)へ」と泣(な)き悲(かな)しむ、其(そ)の声(こゑ)は、門(かど)の辺(ほとり)まで聞(き)こえける。実(げ)にや園生(そのふ)にうゑし紅(くれなゐ)の、焦(こ)がるる色(いろ)の現(あらは)れて、余所(よそ)に見(み)えしぞ、哀(あは)れなる。たへぬ思(おも)ひの余(あま)りにや、母(はは)は、二人の子供(こども)を左右(さう)の膝(ひざ)にすゑおき、髪(かみ)かきなでてくどきけるは、「祖父(おほぢ)伊東(いとう)殿(どの)、君(きみ)に情(なさけ)無(な)くあたり奉(たてまつ)りし故(ゆゑ)に、其(そ)の孫(まご)とて、汝(なんぢ)等(ら)を召(め)さるるぞや。如何(いか)なる罪(つみ)のむくいにて、人こそ多(おほ)けれ、御敵(おんてき)となりぬらん心(こころ)憂(う)さよ。さりながら、汝(なんぢ)等(ら)が先祖(せんぞ)、東国(とうごく)において、誰(たれ)にかは劣(おと)るべき、知(し)らぬ人有(あ)るべからず。君(きみ)の御前(おんまへ)なりとも、恐(おそ)るる事(こと)無(な)く。最期(さいご)の所(ところ)にて、言(い)ふ甲斐(かひ)無(な)くして適(かな)ふまじ。さしもいさみし親祖父(おやおほぢ)の、世(よ)に有(あ)りし故(ゆゑ)にこそ、御敵(おんてき)ともなり給(たま)ひしか。幼(いとけな)くとも、思(おも)ひ切(き)りて、臆(おく)する色(いろ)有(あ)るべからず、けなげに」と申(まう)せども、涙(なみだ)にこそむせびけれ。「実(げ)にや適(かな)はぬ事(こと)なれども、汝(なんぢ)等(ら)を止(とど)めおき、其(そ)の代(か)はりに、童(わらは)出(い)でて、如何(いか)にもなりなば、心(こころ)安(やす)かりなん」と泣(な)きP141ければ、二人の子供(こども)は、聞(き)き分(わ)けたる事(こと)は無(な)けれども、只(ただ)泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。賎(いや)しき賎(しづ)に至(いた)るまで、泣(な)き悲(かな)しむ事(こと)、叫喚(けうくわん)・大叫喚(けうくわん)の悲(かな)しみも、是(これ)には過(す)ぎじとぞ覚(おぼ)えし。時(とき)移(うつ)りければ、景季(かげすゑ)、使(つか)ひを以(もつ)て、母(はは)の方(かた)へ申(まう)しけるは、「御名残(おんなごり)、理(ことわり)と存(ぞん)じ候(さうら)へ共(ども)、御思(おも)ひはつくべきにあらず、とくとく」と攻(せ)めければ、祐信(すけのぶ)、「承(うけたまは)り候(さうら)ふ」とて、嬉(うれ)しからざる出立(いでたち)を急(いそ)ぎける。母(はは)も、今(いま)を限(かぎ)りの事(こと)なれば、介錯(かいしやく)するぞ、哀(あは)れなる。一万(いちまん)が装束(しやうぞく)には、精好(せいがう)の大口(おほくち)、顕紋紗(けんもんしや)の直垂(ひたたれ)をぞ着(き)たりける。箱王(はこわう)には、紅葉(もみぢ)に鹿(しか)書(か)きたる紅梅(かうばい)の小袖(こそで)に、大口(おほくち)ばかり着(き)せたりける。斯様(かやう)に介錯(かいしやく)せん事(こと)も、今(いま)を限(かぎ)りにてもやと、後(うし)ろにめぐり、前(まへ)に立(た)ち、つくづくと是(これ)を見(み)るに、一万(いちまん)が着(き)たる小袖(こそで)の紋(もん)、心(こころ)得(え)ぬ物(もの)かな。さても、あだなる朝顔(あさがほ)の花の上露(うはつゆ)、時(とき)の間(ま)も、残(のこ)る例(ためし)は無(な)き物(もの)を。さて、箱王(はこわう)が小袖(こそで)の色(いろ)、ぬれてや、鹿(しか)のひとり鳴(な)くらんも、憂(う)き身(み)の上(うへ)の心地(ここち)して、いよいよ袖(そで)こそぬれまされ。古(いにしへ)は何(なに)とも見(み)ざりし衣裳(いしやう)の紋(もん)、今(いま)は目(め)に立(た)ちて、思(おも)ひ残(のこ)せる事(こと)も無(な)し。やがて帰(かへ)るべき道(みち)だにも、差(さ)しあたりたる別(わか)れは悲(かな)しきに、帰(かへ)らん事(こと)は不定(ふぢやう)なり。見(み)みえん事(こと)も、今(いま)ばかりぞと覚(おぼ)えば、肝(きも)魂(たましひ)も身(み)に添(そ)はず。一万(いちまん)おとなしやかに、「余(あま)り御(おん)歎(なげ)き候(さうら)ひそ。御(おん)思(おも)ひを見(み)奉(たてまつ)れば、道(みち)安(やす)かるべしとも覚(おぼ)えず。もし切(き)られ参(まゐ)らせば、前世(ぜんぜ)の事(こと)と思(おぼ)し召(め)せ」と言(い)ひければ、箱王(はこわう)、「兄(あに)の仰(おほ)せP142らるる如(ごと)く、御(おん)歎(なげ)きを御(おん)止(とど)め候(さうら)へ。同(おな)じ御(おん)歎(なげ)きながら、敵(てき)を致(いた)したる事(こと)も候(さうら)はず。其(そ)の上(うへ)、未(いま)だ幼(をさな)く候(さうら)へば、御(おん)許(ゆる)しも候(さうら)ふべし。仏(ほとけ)にも御申(まう)し候(さうら)へ」。誠(まこと)にげにげにしく申(まう)すに付(つ)けても、いよいよ名残(なごり)ぞ惜(を)しかりける。さりともとは思(おも)へども、まさしき御敵(おんてき)なり。帰(かへ)らん事(こと)は、不定(ふぢやう)也(なり)。止(とど)まり居(ゐ)て、物思(おも)はん事(こと)も、悲(かな)しければ、一所(ひとところ)にて、如何(いか)にもならんと、出(い)で立(た)ちけるぞ、哀(あは)れなる。祐信(すけのぶ)、是(これ)を見(み)、大(おほ)きに制(せい)しける。「さりとも、切(き)らるるまでは有(あ)るまじ。誰々(たれたれ)も、よき様(やう)に申(まう)し成(な)し給(たま)はば、いかさま、遠(とほ)き国(くに)に流(なが)し置(お)かれぬと覚(おぼ)えたり。然様(さやう)なりとも、命(いのち)だにあらば」と慰(なぐさ)め置(お)きて、二人の子(こ)共(ども)をいざなひ出(い)でける、心(こころ)の中(うち)こそ哀(あは)れなれ。母(はは)は、梶原(かじはら)が見(み)るをも憚(はばか)らず。事(こと)のなのめの時(とき)こそ、恥(はぢ)も人目(ひとめ)も包(つつ)まるれ、誠(まこと)の別(わか)れになりぬれば、かちはだしにて、乳母(めのと)諸(もろ)共(とも)に、庭上(ていしやう)に迷(まよ)ひ出(い)でて、「暫(しばら)く、や、殿(との)、一万(いちまん)。止(とど)まれや、箱王(はこわう)。我(わ)が身(み)は何(なに)と成(な)るべき」と、声(こゑ)を惜(を)しまず泣(な)き悲(かな)しみければ、上下男女(なんによ)諸(もろ)共(とも)に、「今(いま)暫(しばら)く」と泣(な)き悲(かな)しむ有様(ありさま)、たとふべき方(かた)も無(な)し。或(ある)いは、馬(むま)の口(くち)に取(と)り付(つ)き、或(ある)いは、直垂(ひたたれ)の袖(そで)をひかへければ、景季(かげすゑ)も、猛(たけ)き武士(もののふ)とは申(まう)せ共(ども)、涙(なみだ)にせき敢(あ)へず、「由(よし)無(な)き御(おん)使(つか)ひ承(うけたまは)りて、斯(か)かる哀(あは)れを見(み)る悲(かな)しさよ」とて、直衣(なほし)の袖(そで)を顔(かほ)に押(お)し当(あ)てて泣(な)きけり。母(はは)は、猶(なほ)も止(とど)まり兼(か)ねて、門(かど)の外(ほか)まで惑(まど)ひ出(い)でP143て、彼(かれ)等(ら)が後姿(うしろすがた)を見(み)送(おく)り、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。子供(こども)も、後(うし)ろのみ見(み)返(かへ)りしかば、駒(こま)をも急(いそ)がず、後(あと)に心(こころ)は止(とど)まりけり。互(たが)ひの思(おも)ひ、さこそと推(お)し量(はか)られて、哀(あは)れなり。母(はは)は、子(こ)供(ども)の後(うし)ろも見(み)えず、とほざかり行(ゆ)きければ、即(すなは)ち倒(たふ)れ伏(ふ)しにけり。女房(にようばう)達(たち)、急(いそ)ぎ引(ひ)きたて、やうやう介錯(かいしやく)して、泣(な)く泣(な)く内(うち)にぞ入(い)りにける。持仏堂(ぢぶつだう)に参(まゐ)り、くどきけるは、「大慈(だいじ)大悲(だいひ)の誓願(せいぐわん)、枯(か)れたる草木(くさき)にも、花さき実(み)成(な)るとこそ聞(き)け。などや、彼(かれ)等(ら)が命(いのち)をも助(たす)け給(たま)はざらん。是(これ)、幼少(えうせう)の古(いにしへ)より、深(ふか)く頼(たの)みを懸(か)け奉(たてまつ)る。毎日(まいにち)に三巻(さんぐわん)普門品(ふもんぼん)怠(おこた)らざる証(しるし)に、彼(かれ)等(ら)が命(いのち)を助(たす)け給(たま)へ」と、悶(もだ)え焦(こ)がれけるぞ、無慙(むざん)なる。せめての事(こと)にや、仏(ほとけ)に向(む)かひてくどきけるは、「実(げ)にや、彼(かれ)等(ら)が父(ちち)の打(う)たれし時(とき)、如何(いか)なる淵瀬(ふちせ)にも入(い)りなんと、思(おも)ひ焦(こ)がれしに、彼(かれ)等(ら)を世(よ)にたてんと思(おも)ひて、つれなく命(いのち)ながらへ、あかぬ住(す)まひの心(こころ)憂(う)かりつるも、偏(ひとへ)に子供(こども)の為(ため)ぞかし。切(き)られ参(まゐ)らせての後(のち)、一日(いちにち)片時(へんし)の程(ほど)も、身(み)は、誰(た)が為(ため)に惜(を)しかるべき。願(ねが)はくは、我(われ)等(ら)が命(いのち)も取(と)り給(たま)ひて、彼(かれ)等(ら)一所(いつしよ)に向(む)かへ取(と)り給(たま)へ」と、声(こゑ)も惜(を)しまず泣(な)き居(ゐ)たり。誠(まこと)や、身(み)に思(おも)ひの有(あ)る時(とき)は、科(とが)も坐(ま)しまさぬ神仏(かみほとけ)を恨(うら)み奉(たてまつ)り、泣(な)きてはくどき、恨(うら)みては泣(な)き、伏(ふ)し沈(しづ)みけるこそ、せめての事(こと)とは覚(おぼ)えける。P144
 @〔祐信(すけのぶ)、兄弟(きやうだい)つれて、鎌倉(かまくら)へ行(ゆ)きし事(こと)〕S0305N050
 さて、祐信(すけのぶ)は、梶原(かぢはら)諸(もろ)共(とも)に打(う)ちつれて、駒(こま)を早(はや)むるとは無(な)けれども、夜(よ)に入(い)りて、鎌倉(かまくら)へこそつきにけれ。今夜(こんや)は、遙(はる)かにふけぬらんとて、景季(かげすゑ)が屋形(やかた)に止(とど)め置(お)きたり。祐信(すけのぶ)は、二人の子供(こども)近(ちか)く居(ゐ)て、こよひばかりと思(おも)ふにも、残(のこ)り多(おほ)くぞ思(おも)はれける。名残(なごり)の夜(よ)はも明(あ)け安(やす)き、隈(くま)無(な)き軒(のき)をもる月も、思(おも)ひの涙(なみだ)にかきくもり、鶏(とり)と同(おな)じく泣(な)きあかす、心(こころ)の内(うち)こそ無慙(むざん)なれ。早天(さうてん)に、源太(げんだ)左衛門(さゑもん)、御所(ごしよ)へ参(まゐ)りければ、祐信(すけのぶ)、遙(はる)かに門(かど)送(おく)りして、「彼(かれ)等(ら)が事(こと)は、一向(いつかう)に頼(たの)み奉(たてまつ)る。如何(いか)にもよき様(やう)に申(まう)しなされ、郎等(らうどう)二人有(あ)りと思(おぼ)し召(め)し候(さうら)へ」と、誠(まこと)に思(おも)ひ入(い)りたる有様(ありさま)、哀(あは)れにて、源太(げんだ)も、不便(ふびん)に覚(おぼ)えて、「実(げ)にや、子(こ)ならずは、何事(なにごと)にか、是(これ)程(ほど)宣(のたま)ふべき。人の親(おや)の心(こころ)は闇(やみ)にあらねども、子(こ)を思(おも)ふ道(みち)に迷(まよ)ふとは、実(げ)に理(ことわり)と覚(おぼ)えて、景季(かげすゑ)も、子供(こども)数多(あまた)持(も)ちたる身(み)、さらさら人の上(うへ)共(とも)存(ぞん)じ候(さうら)はず」とて、忍(しの)びの涙(なみだ)を流(なが)しけり。「心(こころ)の及(およ)ぶ所(ところ)は、等閑(とうかん)有(あ)るべからず候(さうら)ふ。心(こころ)安(やす)く思(おも)ひ給(たま)へ」とて出(い)でければ、頼(たの)もしくぞ思(おも)ひける。 其(そ)の後(のち)、景季(かげすゑ)、御前(おんまへ)に畏(かしこ)まりければ、君(きみ)御覧(ごらん)じて、「咋日(きのふ)は、参(まゐ)らざりけるP145ぞ。祐信(すけのぶ)は、異議(いぎ)にや及(およ)びける」「如何(いか)でか、惜(を)しみ申(まう)すべき。ゆふべ、景季(かげすゑ)がもとまで具足(ぐそく)して、候(さうら)ひつるを、夜ふけ候(さうら)ふ間(あひだ)、明(あ)くるを待(ま)ち申(まう)して候(さうら)ふ。従(したが)ひ候(さうら)ひては、母(はは)や曾我(そが)の太郎(たらう)が歎(なげ)き、申(まう)すに及(およ)ばず。かはゆき有様(ありさま)を見(み)てこそ候(さうら)へ。同(おな)じ仰(おほ)せにて、戦場(せんぢやう)にして、一命(いちめい)を捨(す)て候(さうら)はん事(こと)は、物(もの)の数(かず)とも存(ぞん)じ候(さうら)ふまじ。斯様(かやう)に難儀(なんぎ)の事(こと)こそ候(さうら)はざりしか」と申(まう)しければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)されて、「さぞ母(はは)も惜(を)しみつらん。同(おな)じ科(とが)とは言(い)ひながら、未(いま)だ幼(をさな)き者(もの)共(ども)なり。歎(なげ)きつるか」と仰(おほ)せられければ、此(こ)の御(おん)言葉(ことば)に取(と)り付(つ)き、畏(かしこ)まつて申(まう)しけるは、「斯様(かやう)に申(まう)す事(こと)、恐(おそ)れ多(おほ)く候(さうら)へども、母(はは)が思(おも)ひ、余(あま)りに不便(ふびん)なる次第(しだい)に候(さうら)ふ。未(いま)だ幼(をさな)き者(もの)共(ども)に候(さうら)へば、成人(せいじん)の程(ほど)、景季(かげすゑ)に預(あづ)けさせ給(たま)ひ候(さうら)へかし」と申(まう)しければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)されて、「汝(なんぢ)が申(まう)す所(ところ)、理(ことわり)と思(おも)へ共(ども)、伊東(いとう)の入道(にふだう)に、情(なさけ)無(な)くあたられし事(こと)を、聞(き)きも及(およ)びぬらん。三歳(ざい)の若(わか)を失(うしな)はれ、剰(あまつさ)へ女房(にようばう)さへ取(と)り返(かへ)されて、歎(なげ)きの上(うへ)に、恥(はぢ)を見(み)、其(そ)の上(うへ)、由比(ゆひ)の小坪(こつぼ)にて、頼朝(よりとも)を打(う)たんとせし恨(うら)み、条々(でうでう)、例(たと)へて遣(や)る方(かた)無(な)し。せめて、伊豆(いづ)の国(くに)一国の主(ぬし)にもならばやと、明(あ)け暮(く)れ思(おも)ひ祈(いの)りしは、只(ただ)伊東(いとう)にあたり返(かへ)さんと願(ねが)ひしぞかし。然(さ)れば、彼(か)の者(もの)の末(すゑ)と言(い)はんをば、乞食(こつじき)非人(ひにん)なりとも、掛(か)けて見(み)んとは思(おも)はざりき。況(いはん)や、彼(かれ)等(ら)は現在(げんざい)の孫(まご)なり。しかも、嫡孫(ちやくそん)なり。急(いそ)ぎ誅(ちゆう)して、若(わか)が孝養(けうやう)に報(ほう)ずべし。頼朝(よりとも)恨(うら)むべからず」と仰(おほ)せ下(くだ)さP146れければ、重(かさ)ねて申(まう)すに及(およ)ばで、御前(ごぜん)を罷(まか)り立(た)ちにけり。「時(とき)を移(うつ)さず、由比(ゆひ)の浜(はま)にて害(がい)せよ」と承(うけたまは)りて、宿所(しゆくしよ)に帰(かへ)り、祐信(すけのぶ)、遅(おそ)しと待(ま)ち受(う)けて、「彼(かれ)等(ら)が命(いのち)如何(いか)に」と問(と)ふ。「然(さ)ればこそとよ、再三(さいさん)申(まう)しつれども、故(こ)伊東(いとう)殿(どの)の不忠(ふちゆう)、始(はじ)めよりをはりに至(いた)るまで、御物語(ものがたり)有(あ)りて、若君(わかぎみ)の草(くさ)の陰(かげ)にて思(おぼ)し召(め)す所(ところ)も有(あ)り、此(こ)の人々(ひとびと)を切(き)りて、御追善(ついぜん)に報(ほう)ぜんと、御意(ぎよい)の上(うへ)、力(ちから)及(およ)ばず」と言(い)ひければ、祐信(すけのぶ)、頼(たの)みし力(ちから)つきはてて、「今(いま)は、適(かな)ふまじきにや」とて、二人の子(こ)供(ども)を近付(ちかづ)けて、装束(しやうぞく)引(ひ)きつくろひ、鬢(びん)の麈(ちり)打(う)ち払(はら)ひ、「汝(なんぢ)、如何(いか)なるむくいにて、乳(ち)の内(うち)にして、父(ちち)におくれ、重代(ぢゆうだい)の所領(しよりやう)に離(はな)れ、命(いのち)だにも、十五・十三にもならず、切(き)らるるのみにあらず、母(はは)にも又(また)、思(おも)ひを授(さづ)くる事(こと)の不思議(ふしぎ)さよ。祐信(すけのぶ)も、汝(なんぢ)等(ら)におくれて後(のち)、千年(ちとせ)をふるべきか。髻(もとどり)切(き)り、後世(ごせ)懇(ねんご)ろに問(と)ひて取(と)らすべし。今生(こんじやう)こそ、宿縁(しゆくえん)うすくとも、来世(らいせ)には、必(かなら)ず一蓮(ひとつはちす)に生(う)まれあふべし」と、涙(なみだ)にむせびけり。子供(こども)聞(き)き、「祖父子(おほぢご)の御事(おんこと)に依(よ)り、我(われ)等(ら)幼(をさな)けれ共(ども)、許(ゆる)されず、切(き)られん事(こと)、力(ちから)に及(およ)ばず。さりながら、殿(との)の御恩(ごおん)こそ、有(あ)り難(がた)く思(おも)ひ奉(たてまつ)り候(さうら)へ。御遁世(とんせい)、努々(ゆめゆめ)有(あ)るまじき事(こと)なり。母御(ははご)の御(おん)思(おも)ひ、いよいよ重(おも)かるべし。其(そ)れを慰(なぐさ)めて賜(たま)はり候へ。其(そ)れならでは」とばかりにて、泣(な)くより外(ほか)の事(こと)ぞ無(な)き。景季(かげすゑ)が妻女(さいぢよ)も、女房(にようばう)達(たち)引(ひ)きつれ、中門(ちゆうもん)に出(い)で、ものごしに彼(かれ)等(ら)がP147言葉(ことば)を立(た)ち聞(き)きて、「実(げ)にや、然(さ)る者(もの)の子(こ)供(ども)とは聞(き)こえたり。優(いう)におとなしやかに言(い)ひつる言葉(ことば)かな。余所(よそ)にて聞(き)くだにも、哀(あは)れに無慙(むざん)なるに、如何(いか)に今(いま)まで取(と)り育(そだ)てぬる母(はは)や乳母(めのと)の思(おも)ふらん。かたはなる子(こ)をさへ、親(おや)は悲(かな)しむ習(なら)ひぞかし。弓(ゆみ)取(と)りの子(こ)の七つにて、親(おや)の敵(かたき)を打(う)ちけると申(まう)し伝(つた)へたる事(こと)も、彼(かれ)等(ら)がおとなしやかなるにて思(おも)ひ知(し)られたり。弓(ゆみ)取(と)りの子(こ)なり」とて、涙(なみだ)にむせびければ、及(およ)ぶも及(およ)ばざるも、皆(みな)袂(たもと)をぞ絞(しぼ)りける。
 @〔由比(ゆひ)のみぎはへ引(ひ)き出(い)だされし事(こと)〕S0306N052
 やや有(あ)りて、景季(かげすゑ)来(き)たり、「時(とき)こそ移(うつ)り候(さうら)へ」と言(い)ひければ、祐信(すけのぶ)、彼(かれ)等(ら)を出(い)で立(た)たせ、由比(ゆひ)の浜(はま)へぞ出(い)でける。今(いま)に始(はじ)めぬ鎌倉(かまくら)中(ぢゆう)のことことしさは、彼(かれ)等(ら)が切(き)らるる見(み)んとて、門前(もんぜん)市(いち)をなす。源太(げんだ)が屋形(やかた)も、浜(はま)のおもて程(ほど)遠(とほ)からで、行(ゆ)く程(ほど)に、羊(ひつじ)の歩(あゆ)み猶(なほ)近(ちか)く、命(いのち)も際(きは)になりにけり。既(すで)に敷皮(しきがは)打(う)ちしきて、二人の者(もの)共(ども)なほりにけり。今朝(けさ)までは、さり共(とも)、源太(げんだ)や申(まう)し助(たす)けんと、頼(たの)みし心(こころ)もつきはて、彼(かれ)等(ら)に向(む)かひ申(まう)しけるは、「母(はは)が方(かた)に、思(おも)ひ置(お)く事(こと)や有(あ)る」と問(と)ふ。「只(ただ)何事(なにごと)も、御(おん)心(こころ)得(え)候(さうら)ひて、仰(おほ)せられ候(さうら)へ。但(ただ)し、最期(さいご)は、御(おん)教(をし)へ候(さうら)ひし如(ごと)く、思(おも)ひ切(き)りP148て、未練(みれん)にも候(さうら)はざりしとばかり、御(おん)語(かた)り候(さうら)へ」「箱王(はこわう)は如何(いか)に」と問(と)へば、「同(おな)じ御心(おんこころ)なり。今(いま)一度(ひとたび)見(み)奉(たてまつ)て」と言(い)ひも敢(あ)へず、涙(なみだ)にむせび、深(ふか)く歎(なげ)く色(いろ)見(み)えけり。一万(いちまん)是(これ)を見(み)て、「仰(おほ)せられしをや。祖父(おほぢ)の孫(まご)ぞと思(おも)ひ出(い)だして、思(おも)ひ切(き)るべし。構(かま)へて、母(はは)や乳母(めのと)が事(こと)、思(おも)ひ出(い)だすべからず。然様(さやう)なれば、未練(みれん)の心(こころ)出(い)で来(く)るぞ。「只(ただ)一筋(ひとすぢ)に思(おも)ひきれ」と教(をし)へ給(たま)ひし事(こと)、忘(わす)れ給(たま)ふかや。人もこそ見(み)れ」といさめければ、箱王(はこわう)、此(こ)の言葉(ことば)にや恥(は)ぢけん、顔(かほ)押(お)しのごひ、あざ笑(わら)ひ、涙(なみだ)を人に見(み)せざりけり。貴賎(きせん)、惜(を)しまぬ者(もの)は無(な)かりけり。曾我(そが)の太郎も、此(こ)の色(いろ)を見(み)て、今(いま)は心(こころ)安(やす)くて、敷皮(しきがは)に居(ゐ)かかり、鬢(びん)の麈(ちり)打(う)ち払(はら)ひ、心(こころ)しずかに介錯(かいしやく)し、「如何(いか)に汝(なんぢ)等(ら)、よくよく聞(き)け。始(はじ)めたる事(こと)にあらね共(ども)、弓矢(ゆみや)の家に生(う)まるる者(もの)は、命(いのち)よりも名(な)をば惜(を)しむ者(もの)ぞとよ。「竜門原上(りゆうもんげんしやう)の骨(ほね)をばうづめども、名(な)をば雲井(くもゐ)に残(のこ)せ」と言(い)ふ言葉(ことば)、予(かね)て聞(き)き置(お)きぬらん。最期(さいご)見(み)苦(ぐる)しくは見(み)えねども、心(こころ)を乱(みだ)さで、目(め)をふさぎ、掌(たなごころ)を合(あ)はせ、「弥陀(みだ)如来(によらい)、我(われ)等(ら)を助(たす)け給(たま)へ」と祈念(きねん)せよ」。一万(いちまん)聞(き)きて、「如何(いか)に祈(いの)り候(さうら)ふとも、助(たす)かる命(いのち)にても候(さうら)はぬ物(もの)を」と言(い)ひければ、「其(そ)の助(たす)けにては無(な)し。別(べち)の助(たす)けぞとよ。御分(ごぶん)の父(ちち)、一所(いつしよ)に向(む)かへ取(と)り給(たま)ふべき誓願(せいぐわん)の助(たす)けぞとよ。頼(たの)み候(さうら)へ」と言(い)ひければ、「申(まう)すにや及(およ)ぶ。故郷(こきやう)を出(い)でしより、思(おも)ひ定(さだ)むる事(こと)なれば、何(なに)に心(こころ)を残(のこ)すべき。P149父(ちち)にあひ奉(たてまつ)らん頼(たの)みこそ、嬉(うれ)しく候(さうら)へ」とて、西(にし)に向(む)かひ、各々(おのおの)ちひさき手(て)を捧(ささ)げて、「南無(なむ)」とたからかに聞(き)こえければ、堀(ほり)の弥太郎(やたらう)、太刀(たち)抜(ぬ)き、引(ひ)きそばめ、二人が後(うし)ろに近付(ちかづ)きて、兄(あに)を先(ま)づ切(き)らんは、順次(じゆんし)なり、然(しか)れども、弟(おとと)見て、驚(おどろ)きなんも、無慙(むざん)なり、弟(おとと)を切(き)るは、逆(ぎやく)なりと、思(おも)ひわづらひ、立(た)ちたりしを、祐信(すけのぶ)、思(おも)ひに絶(た)え兼(か)ねて、走(はし)り寄(よ)り、取(と)り付(つ)き、「然(しか)るべくは、打物(うちもの)を某(それがし)に預(あづ)けられ候(さうら)へ。我(われ)等(ら)が手(て)に掛(か)けて、後生(ごしやう)を弔(とぶら)はむ」と申(まう)しければ、「御(おん)はからひ」とて、太刀(たち)をとらせけり。祐信(すけのぶ)取(と)りて、先(ま)づ一万(いちまん)を切(き)らむとて、太刀(たち)差(さ)し上(あ)げ見(み)れば、折節(をりふし)、朝日(あさひ)かかやきて、白(しろ)く清(きよ)げなる首(くび)の骨(ほね)に、太刀影(たちかげ)の移(うつ)りて見(み)えければ、左右(さう)無(な)く切(き)るべき所(ところ)も見(み)えざりけり。祐信(すけのぶ)、猛(たけ)き武士(もののふ)と申(まう)せども、打物(うちもの)を捨(す)てて、くどきけるは、「中々(なかなか)思(おも)ひ切(き)りて、曾我(そが)に止(とど)まるべかりし物(もの)を、是(これ)まで来(き)たりて、憂(う)きめを見(み)る事(こと)の口惜(くちを)しさよ。然(しか)るべくは、先(ま)づ某(それがし)を切(き)りて後(のち)に、彼(かれ)等(ら)を害(がい)し給(たま)へ」と歎(なげ)きければ、見物(けんぶつ)の貴賎(きせん)、「理(ことわり)かな。幼少(えうせう)より育(そだ)てて、哀(あは)れみ給(たま)へば、さぞ不便(ふびん)なるらん」と、訪(とぶら)はぬ者(もの)は無(な)かりけり。P150
 @〔人々(ひとびと)、君(きみ)へ参(まゐ)りて、こひ申(まう)さるる事(こと)〕S0307N054
 此処(ここ)に梶原(かじはら)平三(へいざう)景時(かげとき)、近(ちか)くよりて、祐信(すけのぶ)に申(まう)しけるは、「御(おん)歎(なげ)きを見(み)奉(たてまつ)るに、推(お)し量(はか)られて覚(おぼ)ゆるなり。暫(しばら)く待(ま)ち給(たま)へ。一(ひと)はし申(まう)して見(み)ん」と言(い)ひければ、弥太郎(いやたらう)、大(おほ)きに喜(よろこ)びて、暫(しばら)く時(とき)を移(うつ)しける。誠(まこと)に景時(かげとき)、差(さ)し切(き)りて申(まう)されんには、適(かな)ひつべしと、人々(ひとびと)頼(たの)もしくぞ思(おも)ひける。景時(かげとき)、御前(おんまへ)に畏(かしこ)まりければ、君(きみ)御覧(ごらん)ぜられて、「梶原(かじはら)こそ、例(れい)ならず訴訟顔(そしようがほ)なれ」「さん候(ざうらふ)。曾我(そが)の太郎が養子(やうし)の子(こ)供(ども)、只今(ただいま)、浜(はま)にて誅(ちゆう)せられ候(さうら)ふ。哀(あは)れ、某(それがし)に、御(おん)預(あづ)けもや候(さうら)へかし。景時(かげとき)が申状(まうしじやう)、聞(き)こし召(め)し入(い)れらるべきと、あまねく思(おも)ひ候(さうら)ふ物(もの)をや」と、申(まう)しければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)て、「今朝(けさ)より、源太(げんだ)申(まう)しつれ共(ども)、預(あづ)けず。汝(なんぢ)、恨(うら)むべからず」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、力(ちから)及(およ)ばず、御前(ごぜん)を罷(まか)り立(た)ちけり。次(つぎ)に、和田(わだ)の左衛門(さゑもん)義盛(よしもり)、御前(おんまへ)に畏(かしこ)まり、「景時(かげとき)が親子(おやこ)、申(まう)して適(かな)はざる所(ところ)を、義盛(よしもり)、重(かさ)ねて申(まう)し上(あ)ぐる条(でう)、かつうは、其(そ)のおほそれ少(すく)なからず候(さうら)へども、人を助(たす)くる習(なら)ひ、さのみこそ候(さうら)へ。義盛(よしもり)、御大事(だいじ)に罷(まか)り立(た)ちて、度々なりと雖(いへど)も、わきては、衣笠城(きぬかさのじやう)にて、御命(おんいのち)に代(か)はり奉(たてまつ)り、御世(よ)に出(い)でさせ給(たま)ひ候(さうら)ひぬ。其(そ)の忠節(ちゆうせつ)に申(まう)しかへて、曾我(そが)の子供(こども)を預(あづ)かりおき候(さうら)はば、生前(しやうぜん)の御恩(ごおん)と存(ぞん)じ候(さうら)ふべし」と申(まう)さP151れければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)されて、「彼(か)の者(もの)共(ども)の事(こと)は、切(き)らで適(かな)ふべからず」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、義盛(よしもり)、重(かさ)ねて申(まう)されける、「もとより、罪(つみ)軽(かる)くして、追罰(ついばつ)せらるべきを、申(まう)し預(あづ)かりては、御恩(ごおん)と申(まう)し難(がた)し。重罪(ぢゆうざい)の者(もの)を賜(たま)はりてこそ、掟(おきて)を背(そむ)く御恩(ごおん)にては候(さうら)へ。義盛(よしもり)が一期(いちご)の大事(だいじ)、何事(なにごと)か是(これ)にしかん」と、差(さ)し切(き)りて申(まう)されたりしかば、君(きみ)も、誠(まこと)に難儀(なんぎ)に思(おぼ)し召(め)しけるが、しばし、御思案(しあん)に及(およ)び、「御分(ごぶん)の所望(しよまう)、何(なに)をか背(そむ)き奉(たてまつ)るべき。然(しか)れども、此(こ)の事(こと)においては、頼朝(よりとも)に差(さ)しおき給(たま)へ。伊東(いとう)が情(なさけ)無(な)かりし振舞(ふるま)ひ、只今(ただいま)報(ほう)ぜん」と仰(おほ)せられければ、義盛(よしもり)、力(ちから)に及(およ)ばずして、御前(ごぜん)を罷(まか)り立(た)たれけり。其(そ)の次(つぎ)に、宇都宮(うつのみや)の弥三郎(いやさぶらう)朝綱(ともつな)、思(おも)ひけるは、面々(めんめん)申(まう)し適(かな)へられずして、罷(まか)り立(た)たれぬ、さりながら、数多(あまた)の力(ちから)、もしもやと存(ぞん)じ、御前(おんまへ)に祗候(しこう)す。君(きみ)御覧(ごらん)ぜられて、「今日(けふ)の訴訟人(そしようにん)は、適(かな)ふべからず、別(べち)に、思(おも)ふ子細(しさい)有(あ)り」とて、御気色(ごきしよく)悪(あ)しかりければ、申(まう)し出(い)だすに及(およ)ばず、退出(たいしゆつ)せられにけり。又(また)、千葉介(ちばのすけ)常胤(つねたね)、座敷(ざしき)に居(ゐ)代(か)はりて、畏(かしこ)まつて、「人々(ひとびと)の申(まう)されて適(かな)はざる所(ところ)を申(まう)し上(あ)ぐる条(でう)、誠(まこと)てうたうのあとを尋(たづ)ね、れいきのををひにて候(さうら)へ共(ども)、竜(りゆう)の鬚(ひげ)をなで、虎(とら)の尾(を)を踏(ふ)むも、事(こと)による事(こと)にて候(さうら)へば、今日(けふ)の人々(ひとびと)の訴訟(そしよう)御(おん)聞(き)き入(い)れ候(さうら)はば、畏(かしこ)まり存(ぞん)ずべき由(よし)、方々(かたがた)申(まう)すげに候(さうら)ふ」と申(まう)し上(あ)げければ、君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「御分(ごぶん)の事(こと)、身(み)にかへても余(あま)り有(あ)り。其(そ)れを如何(いか)にP152と言(い)ふに、頼朝(よりとも)、石橋山(いしばしやま)の合戦(かつせん)に打(う)ち負(ま)けて、只(ただ)七騎(き)に成(な)りて、杉山(すぎやま)を出(い)でて、ゆきの浦(うら)に着(つ)き、既(すで)に自害(じがい)に及(およ)びし時(とき)、数千騎(すせんぎ)にて、合力(かうりよく)せられ奉(たてまつ)り、今(いま)は世(よ)を取(と)る事(こと)、偏(ひとへ)に御分(ごぶん)の恩(おん)ぞかし。其(そ)の故(ゆゑ)、忘(わす)るべきにあらず。然(さ)れども、伊豆(いづ)の伊東(いとう)が恨(うら)めしさは、知(し)り給(たま)ひぬらん」と仰(おほ)せ有(あ)りて、其(そ)の後(のち)は、御返事(ごへんじ)も無(な)し。常胤(つねたね)、重(かさ)ねて申(まう)されけるは、「恐(おそ)れ存(ぞん)じ候(さうら)ふ事(こと)なれども、某(それがし)に限(かぎ)らず、今日(こんにち)の訴訟人(そしようにん)、時(とき)に取(と)りての御大事(だいじ)、誰(たれ)か身命(しんみやう)を惜(を)しみ、不忠(ふちゆう)を思(おも)ひ奉(たてまつ)る者(もの)の候(さうら)ふべき。其(そ)の御心(おんこころ)ざしに、御免(ごめん)渡(わた)らせ御座(おは)しまして、彼(かれ)等(ら)を御(おん)助(たす)け候(さうら)ふべし」「さても、彼(かれ)等(ら)が祖父(おほぢ)は、不忠(ふちゆう)の者(もの)にはあらざるをや」「さてこそ、御慈悲(じひ)にて、御(おん)助(たす)け候(さうら)へとは申(まう)せ」「奈落(ならく)に沈(しづ)む極重(ごくぢゆう)の罪人(ざいにん)をば、慈悲(じひ)の仏(ほとけ)だにも、すくひ給(たま)はずとこそ聞(き)け」。常胤(つねたね)承(うけたまは)りて、「地蔵(ぢざう)薩■(さつた)の第一(だいいち)の誓願(せいぐわん)には、無仏(むぶつ)世界(せかい)の衆生(しゆじやう)をすくはんとこそ、誓(ちか)ひの深(ふか)く坐(ま)しますなれ」。君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「然(さ)れば、地蔵(ぢざう)は、未(いま)だ正覚(しやうがく)なり給(たま)はずとこそ聞(き)け」「斯様(かやう)の悪人(あくにん)をすくひつくして、正覚(しやうがく)有(あ)るべしと承(うけたまは)る。其(そ)れは、慈悲(じひ)にて坐(ま)しまさずや」。君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「誠(まこと)に其(そ)れは、仏(ほとけ)の御法(のり)の言葉(ことば)、如来(によらい)にあひて、問(と)ひ給(たま)へ。彼(かれ)等(ら)は、世上(せじやう)の政道(せいたう)也(なり)。切(き)らでは適(かな)ふべからず」とて、御気色(ごきしよく)悪(あ)しく見(み)えければ、其(そ)の後(のち)は、物(もの)をも申(まう)さず。御前(おんまへ)に祗候(しこう)の人々(ひとびと)も、力(ちから)を落(お)とし、如何(いかが)せんとぞ思(おも)はれける。P153
 @〔畠山(はたけやま)の重忠(しげただ)こひ許(ゆる)さるる事(こと)〕S0308N055
 此処(ここ)に、武蔵(むさし)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、畠山(はたけやま)の庄司(しやうじ)二郎(じらう)重忠(しげただ)、在鎌倉(ざいかまくら)して、筋違橋(すぢかひばし)に有(あ)りけるが、此(こ)の事(こと)を聞(き)き、取(と)る物(もの)も取(と)り敢(あ)へず、急(いそ)ぎ御前(おんまへ)に参(まゐ)られける。君(きみ)御覧(ごらん)ぜられて、「重忠(しげただ)珍(めづら)し」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、「さん候(ざうらふ)」とて、深(ふか)く畏(かしこ)まり、やや有(あ)りて、申(まう)されけるは、「伊東(いとう)が孫(まご)共(ども)を、浜にて切(き)られ候(さうら)ふなる。未(いま)だ幼(をさな)く候(さうら)へば、成人(せいじん)の程(ほど)、重忠(しげただ)に御(おん)預(あづ)け候(さうら)へかし」。君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「存知(ぞんぢ)の如(ごと)く、伊東(いとう)が振舞(ふるま)ひ、条々(でうでう)の旨(むね)、忘(わす)るべきにあらず。彼(かれ)等(ら)が子孫(しそん)におきては、如何(いか)に賎(いや)しき者(もの)なりとも、助(たす)け置(お)かんとは覚(おぼ)えず。是(これ)等(ら)はまさしき孫(まご)ながら、嫡孫(ちやくそん)ぞかし。頼朝(よりとも)が末(すゑ)の敵(てき)と成(な)るべし。然(さ)れば、誅(ちゆう)してもたらざる物(もの)を。頼朝(よりとも)恨(うら)み給(たま)ふべからず」と仰(おほ)せられければ、「適(かな)はじとの御諚(ごぢやう)、重(かさ)ねて申(まう)し上(あ)ぐる条(でう)、恐(おそ)れにて候(さうら)へども、成人(せいじん)の後(のち)、如何(いか)なる振舞(ふるま)ひ候(さうら)ふとも、重忠(しげただ)かかり申(まう)すべし。其(そ)の上(うへ)、一期(いちご)に一度(いちど)の大事(だいじ)をこそと存(ぞん)じ候(さうら)ひて、つねには訴訟(そしよう)を申(まう)さず候(さうら)へ。是(これ)ばかりをば、御免(ごめん)渡(わた)らせ給(たま)へ」と申(まう)されければ、君(きみ)の仰(おほ)せには、「彼(かれ)等(ら)が先祖(せんぞ)の不忠(ふちゆう)、皆々(みなみな)存知(ぞんぢ)の事(こと)、何(なに)とてか程(ほど)に宣(のたま)ふ。此(こ)の事(こと)適(かな)へぬ怠(おこた)りに、武蔵(むさし)の国(くに)二十四郡(ぐん)P154を奉(たてまつ)らん」と仰(おほ)せ下(くだ)されしぞ、誠(まこと)に忝(かたじけな)くは覚(おぼ)えける。重忠(しげただ)承(うけたまは)り、「御諚(ごぢやう)の趣(おもむき)、畏(かしこ)まり存(ぞん)ずれども、国(くに)を賜(たま)はり、彼(かれ)等(ら)を誅(ちゆう)せられては、世(よ)の聞(き)こえ、重忠(しげただ)が恥辱(ちじよく)にて候(さうら)ふべし。某(それがし)がもと参(まゐ)りて候(さうら)ふ所領(しよりやう)を参(まゐ)らせ上(あ)げ、彼(かれ)等(ら)を助(たす)け候(さうら)ひてこそ、人の思(おも)はくも候(さうら)へ」と申(まう)されければ、君(きみ)御返(かへ)り事(ごと)にも及(およ)ばざりけり。重忠(しげただ)、ゐだけだかに成(な)りて、「恐(おそ)れ多(おほ)き申事(まうしごと)にて候(さうら)へ共(ども)、平治(へいぢ)の乱(らん)に、義朝(よしとも)打(う)たれ給(たま)ひき。其(そ)の御子(こ)として、清盛(きよもり)に取(と)り込(こ)められ、既(すで)に御命(おんいのち)あやしく渡(わた)らせ給(たま)ひしに、池殿(いけどの)申(まう)されしに依(よ)つて、助(たす)かり坐(ま)しましぬ。其(そ)の御(おん)喜(よろこ)びを思(おぼ)し召(め)し寄(よ)り、彼(かれ)等(ら)を御(おん)助(たす)け候(さうら)へかし」。君(きみ)御顔色(がんしよく)変(か)はり、事(こと)悪(あ)しく見(み)えければ、暫(しばら)く物(もの)も申(まう)されず。悪(あ)し様(ざま)也(なり)、申(まう)し過(す)ごしぬると存(ぞん)じて、只(ただ)つつしんで有(あ)りける。やや暫(しばら)く有(あ)りて、君(きみ)如何(いかが)思(おぼ)し召(め)しけん、御扇(あふぎ)をさつと開(ひら)き、「げにげに重忠(しげただ)宣(のたま)ふ如(ごと)く、平家(へいけ)の一門(いちもん)、頼朝(よりとも)に情(なさけ)を懸(か)け、助(たす)け置(お)きて、頼朝(よりとも)に退治(たいぢ)をせられぬ。其(そ)の如(ごと)く、彼(かれ)等(ら)を助(たす)け置(お)きて、末代(まつだい)に頼朝(よりとも)滅(ほろ)ぼされぬと覚(おぼ)ゆる。然(さ)れば、彼(かれ)等(ら)をば、一々(いちいち)に切(き)りて、由比(ゆひ)の浜(はま)にかくべし」と、あららかにこそ仰(おほ)せけれ。重忠(しげただ)も、申(まう)しかかりたる事(こと)なれば、言葉(ことば)も違(たが)はず、のび上(あ)がり、「さん候(ざうらふ)。滅(ほろ)びし平家(へいけ)の悪行(あくぎやう)、如何(いか)ばかりとか思(おぼ)し召(め)す。仏法(ぶつぽふ)に恐(おそ)れず、王法(わうぼふ)にも従(したが)はず、官(くわん)を止(とど)め、職(しよく)を奪(うば)ひ、子孫(しそん)に伝(つた)はるP155と雖(いへど)も、よこしまなる沙汰(さた)、天(てん)是(これ)を許(ゆる)さざるに依(よ)つて、自滅(じめつ)す。政道(せいたう)順義(じゆんぎ)にして、政(まつりごと)専(せん)ならば、末代(まつだい)までも、如何(いか)でか絶(た)え候(さうら)ふべき。只(ただ)神慮(しんりよ)に背(そむ)かで、よこ様(さま)なる事(こと)さへ候(さうら)はずは、位(くらゐ)は転輪(てんりん)聖王(じやうわう)とひとしかるべし」と申(まう)されければ、御寮(れう)聞(き)こし召(め)して、「忠(ちゆう)を高(たか)く感(かん)じ、科(とが)を深(ふか)く戒(いまし)むる事(こと)、よこしまなるべきにや」「其(そ)の儀(ぎ)にては候(さうら)はず、只(ただ)御慈悲(じひ)渡(わた)らせ給(たま)へとこそ候(さうら)へ。御敵(おんてき)の末(すゑ)、不忠(ふちゆう)の至(いた)り、陳(ちん)じ申(まう)すには及(およ)ばず。さりながら、幼(いとけな)く候(さうら)へば、成人(せいじん)の程(ほど)、御(おん)預(あづ)け候(さうら)へかし。忝(かたじけな)くも、君(きみ)の御恩(ごおん)に誇(ほこ)り、栄華(えいぐわ)にそなふる事(こと)、世(よ)の人にすぐれたり。然(さ)れば、重忠(しげただ)が訴訟(そしよう)、何事(なにごと)も適(かな)ふべしと、人々(ひとびと)存(ぞん)ずる所(ところ)に、御(おん)許(ゆる)され無(な)くは、命(いのち)いきても、無益(むやく)也(なり)。御前(おんまへ)にて、首(くび)を召(め)され候(さうら)へ。其(そ)れ適(かな)はずは、浅間(せんげん)菩薩(ぼさつ)も、御照覧(せうらん)候(さうら)へ。重忠(しげただ)自害(じがい)仕(つかまつ)り候(さうら)ふべし。もの其(そ)の身(み)にては候(さうら)はずとも、某(それがし)御前(ごぜん)にて失(う)せぬと聞(き)き候(さうら)はば、自害(じがい)とは申(まう)し候(さうら)はじ。一門(いちもん)馳(は)せ集(あつ)まり、御不審(ふしん)の歎(なげ)きを申(まう)し上(あ)げ候(さうら)ふべし。しからば、今日(けふ)の訴訟人(そしようにん)、定(さだ)めて同意(どうい)有(あ)りぬべし。さあらんに取(と)りては、諸国(しよこく)のわづらひとこそ存(ぞん)じ候(さうら)へ」。君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「然様(さやう)の儀(ぎ)に至(いた)りては、頼朝(よりとも)騒(さわ)ぐべきにあらず、只(ただ)天(てん)の照覧(せうらん)に身(み)を任(まか)せ候(さうら)ふべし」とて、御返事(ごへんじ)も無(な)かりけり。P156
 @〔臣下(しんか)ちやうしが事(こと)〕S0309N056
 重忠(しげただ)畏(かしこ)まつて、「恐(おそ)れ存(ぞん)ずる次第(しだい)にて候(さうら)へども、昔(むかし)、大国(たいこく)に太王(わう)有(あ)り、武勇(ぶゆう)の臣下(しんか)を集(あつ)めて、千人(せんにん)愛(あい)し、玉(たま)の冠(かぶり)、金(こがね)の沓(くつ)を与(あた)へて、召(め)し使(つか)ふ。其(そ)の中(なか)の臣下(しんか)に、ちやうしと言(い)ふ賢人(けんじん)有(あ)り。大王(だいわう)是(これ)を召(め)し、「此(こ)の仰(おほ)せを保(たも)つて、七珍(しつちん)万宝(まんぼう)、一(ひと)つとして不足(ふそく)なる事(こと)無(な)し。然(しか)るに、並(なら)びの国(くに)の市(いち)に、宝(たから)の数(かず)をうるなり。汝(なんぢ)、彼(か)の市(いち)に行(ゆ)きて、我(わ)が倉(くら)の内(うち)に、無(な)からん宝(たから)をかひて来(き)たるべし」とて、多(おほ)くの宝(たから)を与(あた)へぬ。ちやうし、是(これ)を受(う)け取(と)り、彼(か)の市(いち)に行(ゆ)きて見(み)るに、王宮(わうくう)の宝(たから)に、一(ひと)つとして漏(も)れたる物(もの)無(な)し。然(しか)れども、王宮(わうくう)、善根(ぜんこん)長(なが)く絶(た)えて無(な)かりけり。是(これ)をかひ取(と)らんと思(おも)ひて、保(たも)つ所(ところ)の財宝(ざいほう)を、彼(か)の国(くに)のひ人共(ども)を集(あつ)めて、ことごとく施(ほどこ)し、手(て)を空(むな)しくして帰(かへ)りぬ。大王(だいわう)問(と)ひて曰(いは)く、「かひ取(と)る所(ところ)の珍宝(ちんぽう)如何(いか)に、見(み)ん」と宣(のたま)ふ。其(そ)の時(とき)、ちやうし答(こた)へて曰(いは)く、「王宮(わうくう)の宝蔵(ほうざう)を見(み)るに、金銀(きんぎん)珠玉(しゆぎよく)を始(はじ)めとして、不足(ふそく)なる事(こと)無(な)し。然(さ)れども、善根(ぜんごん)の無(な)かりしかば、かひ取(と)りぬ」と答(こた)ふ。大王(だいわう)、歓喜(くわんぎ)して、「其(そ)の善根(ぜんごん)見(み)む」と宣(のたま)ふ。ちやうしが曰(いは)く、「彼(か)の国(くに)の貧者(ひんじや)を集(あつ)め、もつ所(ところ)の宝(たから)をとらせぬ」と答(こた)ふ。大王(だいわう)、P157不思議(ふしぎ)に思(おも)ひしかども、賢人(けんじん)のはからふ事(こと)なりしかば、さてのみ過(す)ごし給(たま)ふ。其(そ)の頃(ころ)、国(くに)の兵(つはもの)起(お)こりて、大王(だいわう)を傾(かたぶ)く。合戦(かつせん)に打(う)ち負(ま)けて、並(なら)びの国(くに)に移(うつ)りぬ。其(そ)の時(とき)、千人(せんにん)の臣下(しんか)、さしも愛(あい)せし恩(おん)を捨(す)てて、一度(いちど)に逃(に)げ失(う)せにけり。王一人(いちにん)に成(な)りて、既(すで)に自害(じがい)に及(およ)びける時(とき)、ちやうしが、暫(しばら)く抑(おさ)へて曰(いは)く、「待(ま)ち給(たま)へ。此(こ)の国(くに)の市(いち)にてかひ置(お)きし善根(ぜんごん)、尋(たづ)ねて見(み)ん」とて行(ゆ)く。其(そ)の宝(たから)をえたりし貧人(ひんにん)の中(なか)に、しはうと言(い)ふ武勇(ぶゆう)の達者(たつしや)也(なり)。深(ふか)き志(こころざし)を感(かん)じ、多(おほ)くの兵(つはもの)を語(かた)らひ、此(こ)の王(わう)の為(ため)に、城郭(じやうくわく)をこしらへ、暫(しばら)く引(ひ)き籠(こも)りぬ。時(とき)有(あ)つて、運(うん)を開(ひら)き、二度(ふたたび)国(くに)に帰(かへ)り給(たま)ふ。これ偏(ひとへ)に、ちやうしがかひ置(お)きし善根(ぜんごん)の故(ゆゑ)と、国王(こくわう)感(かん)じ給(たま)ふ。一人(いちにん)当千(たうぜん)と言(い)ふ事(こと)、此(こ)の時(とき)より始(はじ)まりける。其(そ)の時(とき)、もと逃(に)げ失(う)せし千人(せんにん)の臣下(しんか)、又(また)出(い)でて、「仕(つか)へん」と言(い)ふ。大王(だいわう)聞(き)き給(たま)ひて、「又(また)事(こと)あらば、逃(に)げぬべし。あたらしき臣下(しんか)を召(め)し使(つか)ふべし」と宣(のたま)ふ。ちやうしいさめて、「始(はじ)めたる臣下(しんか)を、心(こころ)知(し)り難(がた)し。只(ただ)もと逃(に)げ失(う)せし臣下(しんか)を、召(め)し使(つか)ひ給(たま)へ。人心(こころ)有(あ)りて、二度(にど)の恩(おん)を忘(わす)れんや」と言(い)ふ。大王(だいわう)、理(ことわり)を案(あん)じて、逃(に)げ失(う)せし臣下(しんか)を、ことごとく尋(たづ)ね出(い)だして、召(め)し使(つか)ふ。時(とき)に又(また)、国(くに)大(おほ)きに起(お)こりて、王(わう)の都(みやこ)を傾(かたぶ)く。帰(かへ)り来(き)たる所(ところ)の臣下(しんか)、二度(にど)の忘恩(ばうおん)を恥(は)ぢて、身(み)を捨(す)て、命(いのち)を惜(を)しまず、防(ふせ)ぎ戦(たたか)ふ。然(さ)れば、勝(か)つ事(こと)を千里(せんり)の外(ほか)にえ、位(くらひ)を永久(えいきう)に保(たも)ち給(たま)ふと申(まう)し伝(つた)へP158て候(さうら)ふ。彼(かれ)等(ら)も、然(さ)る者(もの)の子(こ)にて候(さうら)へば、御恩(ごおん)を忘(わす)れ奉(たてまつ)るべきにあらず。遂(つひ)には、御用(ごよう)にこそたち申(まう)し候(さうら)はんずれ」。君(きみ)聞(き)こし召(め)し、「其(そ)れも、臣下(しんか)尊(たつと)きにあらず。ちやうしが賢(けん)に依(よ)つて也(なり)」「然(さ)らば、某(それがし)をちやうしと思(おぼ)し召(め)し、彼(かれ)等(ら)を臣下(しんか)になずらへて、御(おん)助(たす)け候(さうら)はば、後(のち)の御(おん)せんどにもや、たち候(さうら)ひなん。君(きみ)君(きみ)たる時(とき)は、臣(しん)礼(れい)を以(もつ)てし、臣(しん)臣(しん)たる時(とき)は、君(きみ)哀(あは)れみを残(のこ)すとこそ、見(み)えて候(さうら)へ」。頼朝(よりとも)、「彼(かれ)等(ら)、何(なに)の礼(れい)か有(あ)りし」。重忠(しげただ)承(うけたまは)つて、「御(おん)助(たす)け候(さうら)はば、如何(いか)でか、其(そ)の礼(れい)無(な)かるべき。君(きみ)御(おん)許(ゆる)し無(な)くは、我々(われわれ)までも、果(くわ)におごるべきにあらず。さあらんに取(と)りては、あはざる訴訟(そしよう)なりとも、一度(いちど)は、などや御免(ごめん)無(な)からん」「理(り)を破(やぶ)る法(ほふ)はあれども、法(ほふ)を破(やぶ)る理(り)は無(な)し。罪科(ざいくわ)と言(い)ひ、法(ほふ)と言(い)ひ、如何(いか)でか、彼(かれ)等(ら)逃(のが)るべき」。重忠(しげただ)も、申(まう)しかかりたる事(こと)なれば、身(み)をも命(いのち)をも惜(を)しまず、高声(たかごゑ)に成(な)りて、申(まう)しけるは、「国(くに)を滅(ほろ)ぼすてんけんも、さんせは聞(き)かずとこそ、承(うけたまは)りて候(さうら)へ。釈迦如来(しやかによらい)の昔(むかし)、善恵(ぜんゑ)仙人(せんにん)と申(まう)せし時(とき)、道(みち)を作(つく)り給(たま)ふ中間(ちゆうげん)に、燃燈仏(ねんどうぶつ)を通(とほ)り給(たま)ふ。道(みち)悪(あ)しくして、わづらひ給(たま)ふ時(とき)に、仙人(せんにん)、泥(でい)の上(うへ)に伏(ふ)し給(たま)ひて、御髪(ぐし)をしき、仏(ほとけ)を通(とほ)し奉(たてまつ)る。さつたい王子(わうじ)は、うゑたる虎(とら)に、身(み)を与(あた)へ、尸毘(しび)大王(だいわう)は、鳩(はと)の量(はか)りに、身(み)をかくる。是(これ)等(ら)皆(みな)、末代(まつだい)の衆生(しゆうじやう)を思(おぼ)し召(め)す、御慈悲(じひ)の故(ゆゑ)ぞかし。就中(なかんづく)、諸国(しよこく)を治(をさ)め給(たま)ふ事(こと)、理非(りひ)を正(ただ)し、情(なさけ)を旨(むね)とし、哀(あは)れみP159を本(ほん)とし給(たま)ふべきに、是(これ)程(ほど)面々(めんめん)の申(まう)す、彼(かれ)等(ら)を御(おん)助(たす)け無(な)くては、人頼(たの)み少(すく)なく思(おも)ひ奉(たてまつ)るべし。重忠(しげただ)が一期(いちご)の大事(だいじ)と思(おぼ)し召(め)し、助(たす)け置(お)かれ候(さうら)へかし」と、誠(まこと)思(おも)ひ切(き)りたる気色(けしき)で、仏法(ぶつぽふ)世法(せほう)、唐土(たうど)天竺(てんぢく)の事(こと)まで、引(ひ)き掛(か)け引(ひ)き掛(か)け、申(まう)されければ、君御思案(しあん)有(あ)りて、「誠(まこと)此(こ)の人は、内(うち)には五戒(ごかい)を守(まも)り、外(ほか)には仁義(じんぎ)を本(ほん)とす、賢人(けんじん)ぞかし。此(こ)の重忠(しげただ)を失(うしな)ひなば、神の恵(めぐ)みに背(そむ)き、天下(てんが)も穏(おだ)やかなるまじ」と思(おぼ)し召(め)しければ、「然(さ)らば、此(こ)の者(もの)共(ども)助(たす)け候(さうら)へ。但(ただ)し、御分(ごぶん)一人には預(あづ)けぬぞ。今日(けふ)の訴訟人(そしようにん)共(ども)に、ことごとく許(ゆる)す」と仰(おほ)せ下(くだ)されけり。御前(ごぜん)祗候(しこう)の侍(さぶらひ)共(ども)、思(おも)はずに、あつとぞ感(かん)じける。実(げ)にや、重忠(しげただ)、身(み)にかへて申(まう)さるる一人には、御(おん)許(ゆる)しも無(な)くて、「今日(けふ)の訴訟人(そしようにん)共(ども)に」と、仰(おほ)せ下(くだ)さるる有(あ)り難(がた)さよ。然(さ)れば、天下(てんが)の主(ぬし)ともなり給(たま)ふと、重忠(しげただ)、感(かん)じ申(まう)されけるとかや。
 @〔曾我(そが)へつれて帰(かへ)り、喜(よろこ)びし事(こと)〕S0310N057
 其(そ)の後、畠山(はたけやま)の重忠(しげただ)、成清(なりきよ)を呼(よ)び、「幼(をさな)き人々(ひとびと)の事(こと)、やうやうに申(まう)し預(あづ)かり候(さうら)ひぬ。はやはや御(おん)帰(かへ)り候(さうら)へ。曾我(そが)に、心(こころ)許(もと)無(な)く思(おも)ひ給(たま)ふべし。見参(げんざん)に入(い)れたく候(さうら)へ共(ども)、御前(ごぜん)に候(さうら)ふ間(あひだ)」と言(い)ひ送(おく)りければ、曾我(そが)の太郎、是非(ぜひ)をわきまへ兼(か)ねて、只(ただ)、P160「畏(かしこ)まり存(ぞん)ずる」とばかりぞ申(まう)しける。さて、二人の子(こ)供(ども)の馬(うま)を先(さき)にたて、曾我(そが)へ帰(かへ)りける心(こころ)の内(うち)、例(たと)へんかた無(な)し。母(はは)が宿所には、是(これ)をば知(し)らで、只(ただ)泣(な)くばかりなる所(ところ)へ、人々(ひとびと)、「帰(かへ)り給(たま)ふ」と告(つ)げければ、母(はは)を始(はじ)めて、喜(よろこ)ぶ事(こと)限(かぎ)り無(な)し。一万(いちまん)が乳母(めのと)、月さへと言(い)ふ女房(にようばう)、庭上(ていしやう)に走(はし)り向(む)かひ、馬の口(くち)を取(と)り、「君(きみ)達(たち)の御(おん)帰(かへ)り」と言(い)はんとて、余(あま)りにあわてて、「馬(むま)達(たち)の帰(かへ)り給(たま)ふぞや」と呼(よ)ばはりけり。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)、「馬(むま)より下(お)り、母(はは)が方(かた)に行(ゆ)きければ、一門(いちもん)馳(は)せ集(あつ)まり、喜(よろこ)びの見参(げんざん)、隙(ひま)も無(な)し。然(さ)れば、頼朝(よりとも)御(おん)憤(いきどほ)り深(ふか)く、御(おん)哀(あは)れみのあまねき事(こと)は、「めいてんの君(きみ)は、時(とき)に蔽壅(へいよう)の累(るい)をなし、しゆんゑんの臣(しん)は、しばしばしんしの悲(かな)しみをいだく」とは、文選(もんぜん)の言葉(ことば)なるをや、今更(いまさら)思(おも)ひ知(し)られたり。