P272曾我物語巻第七

 @〔千草(ちくさ)の花見(み)し事(こと)〕S0701N103
 「夫(そ)れ、迷(まよ)ひの前(まへ)の是非(ぜひ)は、是非(ぜひ)共(とも)に非(ひ)なり。夢(ゆめ)の内(うち)の有無(うむ)は、有無(うむ)共(とも)に無(む)也(なり)。然(さ)れば、我(われ)等(ら)が身(み)の有様(ありさま)、あれば有(あ)るが間也(なり)。夢(ゆめ)の浮(う)き世(よ)に、何(なに)をか現(うつつ)と定(さだ)むべき。然(さ)れば、刹那(せつな)の栄華(えいぐわ)にも、心(こころ)をのぶる理(ことわり)を思(おも)へば、無為(むゐ)の快楽(けらく)に同(おな)じ。いざや、最後(さいご)のながめして、しばしの思(おも)ひを慰(なぐさ)まん」とて、兄弟(きやうだい)共(とも)に庭(には)に下(お)りて、うゑ置(お)きし千草(ちくさ)のさかえたるを見(み)るにも、名残(なごり)ぞ惜(を)しかりける。「心(こころ)のあらば、草(くさ)も木も、如何(いか)で哀(あは)れを知(し)らざるべき」と、彼方(かなた)此方(こなた)にやすらひけり。是(これ)によそへ、古(ふる)き歌(うた)を見(み)るに、
故郷(ふるさと)の花のもの言(い)ふ世(よ)なりせば如何(いか)に昔(むかし)の事(こと)を問(と)はまし W020
今更(いまさら)思(おも)ひ出(い)でられて、情(なさけ)を残(のこ)し、哀(あは)れを掛(か)けずと言(い)ふ事(こと)無(な)し。五郎(ごらう)きいて、「草木(そうもく)も、心(こころ)無(な)しとは申(まう)すべからず。釈迦如来(しやかによらい)、涅槃(ねはん)に入(い)らせ給(たま)ひし時(とき)は、心(こころ)無(な)き植木(うゑき)の枝葉(えだは)P273に至(いた)るまでも、歎(なげ)きの色(いろ)を現(あらは)しけり。我(われ)等(ら)が別(わか)れを惜(を)しみ候(さうら)ふやらん。如何(いか)でか知(し)り候(さうら)ふべき」とて、草(くさ)を分(わ)けければ、卯(う)の花(はな)のつぼみたる、一房(ふさ)落(お)ちたりけり。十郎(じふらう)、是(これ)を取(と)り上(あ)げて、「如何(いか)に、見(み)給(たま)へ、五郎(ごらう)殿(どの)。老少(らうせう)不定(ふぢやう)の習(なら)ひ、今(いま)に始(はじ)めぬ事(こと)なれ共(ども)、おいたる母(はは)は止(とど)まり、若(わか)き我(われ)等(ら)が先(さき)立(だ)ち申(まう)さん事(こと)、是(これ)にひとしき物(もの)を。開(ひら)きたるは止(とど)まり、つぼみたるはちりたるとや。名(な)にしおふ忘草(わすれぐさ)ならば、名残(なごり)を忘(わす)れてやちりつらん。其(そ)れは、昔(むかし)、住吉(すみよし)に、諸神(しよじん)影向(やうがう)なりける事(こと)有(あ)り。御(おん)帰(かへ)りを止(とど)め奉(たてまつ)らんとて、此(こ)の花をうゑて、忘草(わすれぐさ)と名(な)づけ給(たま)ひけるなり。歌(うた)にも、
紅葉(もみ)ぢては花さく色(いろ)を忘草(わすれぐさ)一(ひと)つ秋(あき)ながら二まちの頃(ころ) W021
其(そ)の忘(わす)れ草(ぐさ)は、紫苑(しおん)とこそ聞(き)きて候(さうら)へ」とて、猶(なほ)草(くさ)むらに分(わ)け入(い)りければ、ふかみ草(ぐさ)のさかりさきたるを見(み)て、「卯(う)の花は、つぼみてだにもちるに、此(こ)の花の思(おも)ふ事(こと)無(な)げにさかりなるや。如何(いか)にさくとも、二十日草(ぐさ)、さかりも日数(ひかず)の有(あ)るなれば、花の命も限(かぎ)り有(あ)り。哀(あは)れ、身(み)に知(し)る心(こころ)かな」と涙ぐみければ、五郎(ごらう)聞(き)きて、「此(こ)の草(くさ)の事(こと)は、花開(ひら)き落(お)ちて同(おな)じく、一城(じやう)の人たぶらかすが如(ごと)しと見(み)えたり。是(これ)は、楽府(がふ)の言葉(ことば)なり。又(また)、歌(うた)にも、
名(な)ばかりはさかでも色(いろ)のふかみ草(ぐさ)花(はな)さくならば如何(いか)で見(み)てまし W022
P274と口(くち)ずさみければ、十郎(じふらう)聞(き)きて、「此(こ)の歌(うた)は、未(いま)ださかざる時(とき)も、色(いろ)深(ふか)き草(くさ)とこそ詠(よ)みたれ。さかりの花にも、心(こころ)や違(たが)ふべからん」とたはぶれけるにも、哀(あは)れ残(のこ)さぬ言(こと)の葉(は)は無(な)かりけり。無慙(むざん)なりし志(こころざし)共(ども)なり。「さても、我(われ)等(ら)が思(おも)ひ立(た)つ事(こと)、母(はは)に露(つゆ)程(ほど)も知(し)らせ奉(たてまつ)るべきか。はからひ候(さうら)へ」と言(い)ひければ、時致(ときむね)聞(き)き、「思(おも)ひもよらぬ御事(おんこと)なり。是(これ)程(ほど)思(おも)ひ定(さだ)めざる前(さき)は知(し)らず、今(いま)は如何(いか)でか変(へん)じ候(さうら)ふべき。其(そ)の上(うへ)、人の子(こ)が謀叛(むほん)起(お)こして出(い)で候(さうら)はんに、其(そ)の親(おや)聞(き)きて、急(いそ)ぎしにて、もの思(おも)はせよとて、喜(よろこ)ぶ母(はは)や候(さうら)ふべき。某(それがし)は、只(ただ)御形見(かたみ)を賜(たま)はりて、最後(さいご)まで身(み)に添(そ)へ、此方(こなた)よりも又(また)参(まゐ)らせて、罷(まか)り出(い)でんとこそ存(ぞん)じ候(さうら)へ」。十郎(じふらう)聞(き)きて、「誠(まこと)に此(こ)の儀(ぎ)然(しか)るべし。然(さ)らば、其(そ)のついでに、御分(ごぶん)が勘当(かんだう)をも申(まう)し許(ゆる)して見(み)ん」とて、母(はは)の方(かた)へぞ出(い)でたりける。 十郎(じふらう)、御前(おんまへ)に畏(かしこ)まり、扇(あふぎ)笏(しやく)に取(と)り、申(まう)しけるは、「奉公(ほうこう)を致(いた)し、御恩(ごおん)蒙(かうぶ)るべき身(み)にては候(さうら)はね共(ども)、末代(まつだい)の物語(ものがたり)に、富士野(ふじの)御狩(みかり)の御供(おんとも)に思(おも)ひ立(た)ちて候(さうら)ふ。恐(おそ)れ入(い)りたる申事(まうしごと)にて候(さうら)へ共(ども)、御小袖(こそで)を一(ひと)つかし賜(たま)はり候(さうら)へ」と申(まう)しければ、母(はは)聞(き)きて、「「君(きみ)臣(しん)を使(つか)ふに、礼(れい)を以(もつ)てし、臣(しん)君(きみ)に使(つか)ふるに、忠(ちゆう)を以(もつ)てす」と、論語(ろんご)の内(うち)に候(さぶら)ふぞや。何(なに)の忠(ちゆう)に依(よ)つてか、御感(ぎよかん)も有(あ)るべき。御恩(ごおん)無(な)くは、無益(むやく)なり。哀(あは)れ、此(こ)の度(たび)の御供(おんとも)は、思(おも)ひ止(とど)まり給(たま)へかし。如何(いか)にと言(い)ふに、伊東(いとう)殿(どの)父(ちち)、奥野(おくの)の狩場(かりば)より、P275病(やまひ)づきて帰(かへ)り、幾程(いくほど)無(な)くて、死(し)に給(たま)ひぬ。御分(ごぶん)の父(ちち)、河津殿(かわづどの)、狩場(かりば)にて打(う)たれ給(たま)ひ、斯(か)かる事(こと)共(ども)を思(おも)ひ続(つづ)くるに、狩場(かりば)程(ほど)憂(う)き所無(な)し。しかも、謀叛(むほん)の者(もの)の末(すゑ)、上(うへ)にも御(おん)許(ゆる)し無(な)きぞかし。又(また)、馬鞍(むまくら)見(み)苦(ぐる)しくて、物(もの)を見(み)れば、帰(かへ)りて人にみらるる物(もの)を。思(おも)ひ止(とど)まりて、親(した)しき人々(ひとびと)の方(かた)にて慰(なぐさ)み給(たま)へ。斯様(かやう)に申(まう)せば、小袖(こそで)を惜(を)しむに似(に)たり。よくは無(な)けれ共(ども)、紋柄(もんがら)面白(おもしろ)ければ」とて、秋の野(の)にすりつくしぬひたる練貫(ねりぬき)の小袖(こそで)一(ひと)つ取(と)り出(い)だしてたびにけり。畏(かしこ)まつて、障子(しやうじ)の内(うち)にてきかへ、我(わ)が小袖(こそで)をば打(う)ち置(お)きて出(い)でぬ。なき後(あと)の形見(かたみ)にとぞ思(おも)ひ置(お)きたりける。五郎(ごらう)は不孝(ふけう)の身(み)にて、兄(あに)が方(かた)に、空(むな)しく泣(な)き居(ゐ)たり。よくよく物(もの)を案(あん)ずるに、母(はは)の不幸(ふけう)を許(ゆる)されずして、死(し)なん事(こと)こそ無念(むねん)なれ。推参(すいさん)して見(み)ばや。いきたる程(ほど)こそ仰(おほ)せらるるとも、死(し)して後(のち)、くやみ給(たま)はん事(こと)、疑(うたが)ひ無(な)し。思(おも)ひ切(き)り申(まう)して見(み)んとて、母(はは)の方へは出(い)でたれども、さすがに内(うち)へは入(い)りえず、広縁(ひろえん)に畏(かしこ)まり、障子(しやうじ)を隔(へだ)てて、「そも、誰(たれ)が御子(こ)にて候(さうら)はん、時致(ときむね)にも、召(め)しかへの御小袖(こそで)一(ひと)つ賜(たま)はりて、狩場(かりば)のはれにき候(さうら)はん」。母(はは)聞(き)きて、「誰(た)そや、来(き)たりて小袖(こそで)一(ひと)つと言(い)ふべき子(こ)こそ持(も)たね。十郎(じふらう)は、只今(ただいま)取(と)りて出(い)でぬ。京(きやう)の小二郎(こじらう)は、奉公(ほうこう)の者(もの)なり。二宮(にのみや)の女房(にようばう)、又(また)斯様(かやう)に言(い)ふべからず。禅師(ぜんじ)法師(ほつし)とて、乳(ち)の内(うち)より捨(す)てし子(こ)は、叔父(をぢ)養育(やういく)して、越後(ゑちご)に有(あ)り。又(また)、箱王(はこわう)とて、わろ者(もの)の有(あ)りしは、勘当(かんだう)して、行(ゆ)く末(すゑ)知(し)らず。P276是(これ)は只(ただ)、武蔵(むさし)・相模(さがみ)の若殿(わかとの)原(ばら)の貧(ひん)なる童(わらは)を笑(わら)はんとて、かく宣(のたま)ふと覚(おぼ)えたり。しかも、留守居(るすゐ)の体(てい)見(み)苦(ぐる)し。はや門(かど)の外(ほか)へ出(い)で候(さうら)へ」と、殊(こと)の外(ほか)にぞ言(い)ひける。時致(ときむね)思(おも)ひ切(き)りたる事(こと)なれば、「其(そ)の箱王(はこわう)が参(まゐ)りて候(さうら)ふ」「其(そ)れは、誰(た)が許(ゆる)し置(お)きたるぞ。女親(おんなおや)とて、賎(いや)しみ候(さぶら)ふか、然様(さやう)には候(さうら)ふまじ。とても、斯様(かやう)にあなづらるる身(み)、七代(だい)まで不孝(ふけう)するぞ。対面(たいめん)思(おも)ひもよらず」とぞ言(い)ひける。五郎(ごらう)は、許(ゆる)さるる事(こと)は適(かな)はで、結句(けつく)、後(のち)の世(よ)までと、深(ふか)く勘当(かんだう)せられて、前後(ぜんご)を失(うしな)ひ、物思(おも)ひはててぞ居(ゐ)たりけり。やや有(あ)りて、小声(こごゑ)に成(な)りて申(まう)しけるは、「斯様(かやう)の身(み)に罷(まか)り成(な)りて、重(かさ)ねて申(まう)し入(い)るべき事(こと)、上(かみ)までも恐(おそ)れにて候(さうら)へば、女房(にようばう)達(たち)、心(こころ)有(あ)る人あらば、聞(き)こし召(め)せ。人の親(おや)の習(なら)ひ、盗(ぬす)みする子(こ)はにくからで、縄(なは)作(つく)る者(もの)を恨(うら)むるは、常(つね)の親(おや)の習(なら)ひにて候(さうら)ふぞや」。母(はは)聞(き)きて、「然様(さやう)ならん者(もの)を、わ殿(との)が母(はは)にして、童(わらは)が様(やう)なる者(もの)をば、親(おや)とな思(おも)ひそとよ。人の言葉(ことば)を重(おも)くせず、言葉(ことば)を返(かへ)す、憂(う)き子(こ)かとよ」「御(おん)言葉(ことば)を重(おも)くして、御返事(ごへんじ)を申(まう)さじとてこそ、御前(ごぜん)の人々(ひとびと)には申(まう)し候(さうら)へ」「然様(さやう)に申(まう)せば、返事(かへりごと)にては無(な)きか。一念(いちねん)の瞋恚(しんい)に、倶胝劫(くていこう)のせんこをやき、刹那(せつな)の怨害(おんがい)には、無量(むりやう)の苦報(くほう)を招(まね)く。聞(き)けば、いよいよ腹(はら)ぞ立(た)つ。其(そ)の座敷(ざしき)立(た)ちて」と宣(のたま)ふ。「恐(おそ)れながら、普門品(ふもんぼん)をば遊(あそ)ばし候(さうら)はずや」「如何(いか)なる観音(くわんおん)の誓(ちか)ひにも、背(そむ)く者(もの)許(ゆる)し候(さうら)へとはとき給(たま)はぬぞ」。P277 「聞(き)こし召(め)され候(さうら)へ。昔(むかし)、天竺(てんぢく)に、しやうめつ婆羅門(ばらもん)と言(い)ふ人有(あ)り。物(もの)の命(いのち)を千日(せんにち)千殺(ころ)して、悪王(あくわう)に生(う)まれんと言(い)ふ願(ぐわん)を起(お)こし、はや九百九十日に、九百九十九の生物(いきもの)を殺(ころ)し、千日(せんにち)に満(まん)ずる日、西山(せいざん)に上(のぼ)りて見(み)れ共(ども)無(な)し。玉江(ぎよつかう)に下(くだ)り、船(ふね)に乗(の)り、海中(かいちゆう)に出(い)でて、比翼(ひよく)の亀(かめ)を一(ひと)つ取(と)りて、害(がい)せんとす。母(はは)、是(これ)を悲(かな)しみて、渚(なぎさ)に出(い)でて見(み)れば、波風(なみかぜ)高(たか)くして、雲(くも)の雷電(らいでん)おびたたしく、其(そ)の中(なか)に、婆羅門(ばらもん)、亀を害(がい)せんとす。母(はは)是(これ)を見(み)て、「其(そ)の亀(かめ)はなせ。汝(なんぢ)が父(ちち)の命日ぞ」。婆羅門(ばらもん)聞(き)きて、「忌日(きにち)ならば、沙門(しやもん)をこそ供養(くやう)せめ」と言(い)ひて、抑(おさ)へて殺(ころ)さんとす。亀(かめ)涙(なみだ)を流(なが)して、我(わ)が八十年後(ご)、我不堕地獄(がふだぢごく)、大慈(だいじ)大悲故(だいひこ)、必生安楽国(ひつしやうあんらくこく)」とぞ鳴(な)きける。母(はは)、是(これ)を聞(き)き、「汝(なんぢ)、亀(かめ)の言葉(ことば)聞(き)き知(し)れりや」「知(し)らず」と答(こた)ふ。「亀(かめ)は、罪(つみ)深(ふか)き物(もの)にて、万劫(まんごふ)の罪障(ざいしやう)をへて、成仏(じやうぶつ)すべきに、今(いま)剣(つるぎ)に従(したが)はば、又劫(こふ)をへ返(かへ)すべき悲(かな)しさよと也(なり)。願(ねが)はくは、其(そ)の亀(かめ)をはなして、自(みづか)らを殺(ころ)し候(さうら)へ」と言(い)ふ。「誠(まこと)に亀(かめ)の命に代(か)はり給(たま)ふべきにや」と言(い)ひもはてず、亀(かめ)を海上(かいしやう)に投(な)げ入(い)れ、即(すなは)ち剣(つるぎ)を抜(ぬ)き、母(はは)に向(む)かふ時(とき)、天神地神も、是(これ)を捨(す)て給(たま)へば、大地(だいぢ)さけわれて、奈落(ならく)に沈(しづ)む。母(はは)を殺(ころ)さんとする子(こ)の命(いのち)を悲(かな)しみて、心(こころ)ならずに母(はは)走(はし)り向(む)かひ、婆羅門(ばらもん)が髻(もとどり)を取(と)り給(たま)へば、即(すなは)ち頭(かしら)はぬけて、母(はは)の手(て)に止(とど)まり、其(そ)の身(み)は無間(むけん)に沈(しづ)みけり。され共(ども)、亀(かめ)をはなせし力(ちから)に依(よ)りて、仏果(ぶつくわ)をえ、法華経(ほけきやう)の普門品(ふもんぼん)を、婆羅門身(ばらもんしん)P278ととかれたる。斯様(かやう)の子(こ)をだにも、親(おや)は哀(あは)れむ習(なら)ひにて候(さうら)ふ物(もの)を」。母(はは)聞(き)きて、「や、殿(との)、其(そ)れも、母(はは)が言(い)ふ事(こと)を聞(き)きて、亀(かめ)をはなちてこそ、成仏(じやうぶつ)はし給(たま)へ。汝(なんぢ)、何(なに)と無(な)く我(わ)らはが教(をし)へを聞(き)かざるぞ」「わろき子(こ)を思(おも)ふこそ、誠(まこと)の親(おや)の御慈悲(じひ)にては候(さうら)へ。又(また)、母(はは)の哀(あは)れみの深(ふか)きには、事(こと)長(なが)く候(さうら)へ共(ども)、或(あ)る国(くに)の王(わう)、一人の太子(たいし)の無(な)き事(こと)を歎(なげ)き、天に祈(いの)りし感応(かんおう)にや、后(きさき)懐妊(くわいにん)し給(たま)ふ。国王(こくわう)の喜(よろこ)びなのめならず。され共(ども)、三年まで生(う)まれ給(たま)はず。公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)有(あ)りて、博士(はかせ)を召(め)して尋(たづ)ね給(たま)ふ。勘文(かんもん)に曰(いは)く、「御位(くらゐ)は転輪(てんりん)聖王(じやうわう)たるべし。但(ただ)し、御産(おさん)はたひらかなるまじ」と申(まう)す。后(きさき)聞(き)き給(たま)ひて、「賢王(けんわう)の太子(たいし)、如何(いか)で空(むな)しくすべき。自(みづか)らが腹(はら)をさき破(やぶ)りて、王子(わうじ)をつつがなく取(と)り出(い)だすべし」と宣(のたま)ふ。大王(だいわう)、大(おほ)きに歎(なげ)きて、許(ゆる)し給(たま)はず。后(きさき)、「然(さ)らば、干死(ひじに)にせん」とて、食事(しよくじ)を止(とど)め給(たま)ひしかば、力(ちから)無(な)く、大臣(だいじん)に仰(おほ)せ付(つ)けて、御腹(はら)をさかれにけり。其(そ)の半(なか)ばに、后(きさき)仰(おほ)せられけるは、「太子(たいし)の誕生(たんじやう)は如何(いか)に」と問(と)はせ給(たま)ふ。「御(おん)つつがなし」と申(まう)せば、喜(よろこ)び給(たま)ふ色(いろ)見(み)えて、打(う)ちゑみたる儘(まま)、御年(とし)十九にて、はかなくなり給(たま)ひぬ。さて、此(こ)の太子、御位(くらゐ)につき給(たま)ひしが、母(はは)の御志(おんこころざし)を悲(かな)しみ、御菩提(ぼだい)の為(ため)、三年胎内(たいない)にして苦(くる)しめ奉(たてまつ)りし日数(ひかず)千日(せんにち)にあてて、千間(せんげん)に御堂(みだう)をたて給(たま)ひけり。今(いま)の慈恩寺(じおんじ)是(これ)也(なり)。日本(につぽん)には、西(にし)の寺(てら)なり。然(さ)ればにや、后(きさき)即(すなは)ち成仏(じやうぶつ)し給(たま)ふ時(とき)に、こん蓮台(れんだい)P279を傾(かたぶ)け、来迎(らいかう)し給(たま)ふ。其(そ)のしこんになぞらへて、藤(ふぢ)を多(おほ)くうゑられたり。さてこそ、藤(ふぢ)の名所(めいしよ)には入(い)りたりけれ。母親(ははおや)の慈悲(じひ)は、斯様(かやう)にぞ候(さうら)へ」。母(はは)聞(き)きて、「おいたる自(みづか)ら、あはぬ教(をし)へのむつかくして、腹(はら)をもさきて、死(し)に失(う)せよと。汝(なんぢ)も、母(はは)と見(み)ず、童(わらは)も、子(こ)とも思(おも)はぬまで」とて、障子(しやうじ)あららかにたて給(たま)ふ。只今(ただいま)はてずは、永劫(えいごふ)をふる共(とも)、適(かな)ふまじければ、五郎(ごらう)打(う)ちふてて、
 @〔斑足王(はんぞくわう)が事(こと)〕S0702N106
 「仁王経(にんわうぎやう)の文(もん)をば御覧(ごらん)じ候(さうら)はずや。昔(むかし)、天羅(てんら)国に、王(わう)一人坐(ま)します。太子(たいし)有(あ)り、名(な)をば斑足王(はんぞくわう)と言(い)ふ。外道羅陀(げだうらだ)の教訓(けうくん)に付(つ)きて、千人(せんにん)の王(わう)の首(くび)を取(と)り、塚(つか)の神(かみ)にまつり、其(そ)の位(くらゐ)を奪(うば)ひ、大王(だいわう)にならんとて、数万(すまん)の力士(りきじ)・鬼王(おにわう)を集(あつ)めて、東西(とうざい)南北(なんぼく)、遠国(をんごく)近国(きんごく)の王城(わうじやう)に、押(お)し寄(よ)せ押(お)し寄(よ)せ搦(から)め取(と)り、既(すで)に九百九十九人の王(わう)を取(と)り、今(いま)一人たらで、「如何(いかが)せん」と言(い)ふ。或(あ)る外道(げだう)教(をし)へて曰(いは)く、「是(これ)より北(きた)へ一万里行(ゆ)きて、王(わう)有(あ)り、名(な)を普明王(ふみやうわう)と言(い)ふ。是(これ)を取(と)りて、一千人(せんにん)にたすべし」と言(い)ふ。やがて、力士(りきじ)を差(さ)し遣(つか)はし、彼(か)の王(わう)を取(と)りぬ。今は、千人(せんにん)にみちぬれば、一度(いちど)に首(くび)を切(き)らんとす。此処(ここ)に、普明王(ふみやうわう)、合掌(がつしやう)して曰(いは)く、「願(ねが)はくは、我(われ)に一日の暇(いとま)をえさせよ。古里(ふるさと)P280帰(かへ)り、三宝(さんぼう)を頂戴(ちやうだい)し、沙門(しやもん)を供養(くやう)して、闇路(やみぢ)の頼(たよ)りにせん」と言(い)ふ。安(やす)き間の事(こと)とて、一日の暇(いとま)を取(と)らす。其(そ)の時(とき)、王宮(わうくう)に帰(かへ)り、百人の僧(そう)を請(しやう)じて、過去(くわこ)七仏の法(ほふ)より、般若波羅蜜(はんにやはらみつ)を講読(かうどく)せしかば、其(そ)の第一(だいいち)の僧(そう)、普明王(ふみやうわう)の為(ため)に偈(げ)をとく。「劫焼終訖(ごふせうしゆこつ)、乾坤洞然(けんこんとうねん)、須弥(しゆみ)巨海(こかい)、都為灰煬(といけやう)」と述(の)べ給(たま)ふ。普明王(ふみやうわう)、此(こ)の文(もん)を聞(き)きて、四諦(たひ)十二(じふに)因縁(いんえん)をえたり。ほんけむくうを悟(さと)る。然(さ)ればにや、斑足王(はんぞくわう)、諸法(しよほふ)皆空(みなくう)の道理(だうり)を聴聞(ちやうもん)して、忽(たちま)ちに悪心(あくしん)を翻(ひるがへ)して、取(と)りこむる千人(せんにん)の王(わう)に曰(いは)く、「面々(めんめん)の科(とが)にはあらず。我(われ)外道(げだう)にすすめられ、悪心(あくしん)をおこす。不思議(ふしぎ)の至(いた)りなり。今(いま)は、助(たす)け奉(たてまつ)るべし。急(いそ)ぎ本国(ほんごく)に帰(かへ)り、般若(はんにや)を修行(しゆぎやう)して、仏道(ぶつだう)をなし給(たま)へ」とて、即(すなは)ち、道心(だうしん)おこし、無生(むしやう)法忍(ほふにん)をえたりと見(み)えたり。是(これ)も、普明王(ふみやうわう)を許(ゆる)してこそ、共(とも)に仏果(ぶつくわ)をえ給(たま)ひしか」。母(はは)聞(き)きて、「其(そ)の如(ごと)く、仏果(ぶつくわ)を証(しよう)して、多(おほ)くの人を助(たす)くべき。汝(なんぢ)、などや法師(ほふし)に成(な)りて、童(わらは)をばすくはぬぞ。誠(まこと)や、「重(おも)きに従(したが)つて、道(みち)遠(とほ)ければ、やすむ事(こと)、地(ち)を選(えら)ばず。家貧(ひん)にして、親(おや)おいたる時は、官(くわん)を選(えら)ばずして、仕(つか)へよ」とこそ、古(ふる)き言葉(ことば)にも見(み)えたれ。何(なに)とて、童(わらは)が言(い)ふ事(こと)を聞(き)かざるぞ」。五郎(ごらう)も、思(おも)ひ切(き)りたる事(こと)なれば、居(ゐ)なほり畏(かしこ)まつて、「只(ただ)御(おん)許(ゆる)し候(さうら)へ」とのみぞ申(まう)し居(ゐ)たりけれ。十郎(じふらう)は、我(わ)が所(ところ)にて、五郎(ごらう)をまて共(ども)、見(み)えざりけり。余(あま)りに遅(おそ)くて、又(また)母(はは)の方(かた)へ行(ゆ)きて見(み)れば、五郎(ごらう)、内(うち)までは入(い)り得(え)ず、P281広縁(ひろえん)に泣(な)きしをれて居(ゐ)たり。余(あま)りに無慙(むざん)に覚(おぼ)えて、障子(しやうじ)を引(ひ)きあけ、畏(かしこ)まつて、五郎(ごらう)が申(まう)す理(ことわり)、つくづくと聞(き)き居(ゐ)たり。やや有(あ)りて、「某(それがし)、兄弟(きやうだい)数多(あまた)候(さうら)へ共(ども)、身(み)の貧(ひん)なるに依(よ)りて、所々(ところどころ)の住(す)まひ仕(つかまつ)る。只(ただ)、あの殿(との)一人こそ、つれ添(そ)ひては候(さうら)へ。祐成(すけなり)を不便(ふびん)に思(おぼ)し召(め)され候(さうら)はば、御慈悲(じひ)を以(もつ)て、御(おん)許(ゆる)し候(さうら)へかし。御子(こ)とても、御身(おんみ)に添(そ)ふ者(もの)、我(われ)等(ら)二人ならでは候(さうら)はぬぞかし」。母(はは)聞(き)きて、「意(こころ)にあふ時(とき)は、胡越(こゑつ)もらんていたり。あはざる時(とき)は、骨肉(こつにく)もてきしやうたり。智者(ちしや)の敵(てき)とは成(な)るとも、愚者(ぐしや)の友(とも)とは成(な)るべからず。位(くらゐ)の高(たか)からぬを歎(なげ)かざれ、知(ち)のひろからぬをば歎(なげ)くべし」とは、漢書(かんじよ)の言葉(ことば)ならずや」。十郎(じふらう)承(うけたまは)りて、「其(そ)れは、然(さ)る事(こと)にて候(さうら)へ共(ども)、観経(くわんぎやう)の文(もん)を見(み)るに、「諸仏(しよぶつ)念衆生(ねんしゆじやう)、衆生(しゆじやう)不念(ふねん)仏、父母常念子(ぶもじやうねんし)、子不念(しふねん)父母」ととかれて候(さうら)ふ。此(こ)の文(もん)を釈(しやく)すれば、「仏は衆生(しゆじやう)を思(おぼ)し召(め)さるれども、衆生(しゆじやう)は、仏(ほとけ)を思(おも)はず」とこそ見(み)えて候(さうら)へ。親(おや)として、子(こ)を思(おも)はぬは無(な)き物(もの)をや」。母(はは)聞(き)きて、「汝(なんぢ)等(ら)は、親(おや)のよきを申(まう)しあつむるかや。出(い)で又(また)、自(みづか)ら、子(こ)の孝行(かうかう)なる事(こと)を言(い)ひて聞(き)かせん。孟宗(まうそう)は、雪(ゆき)の内(うち)に筍(たかんな)をえ、王祥(しやう)は、氷(こほり)の上に魚(うを)をえ、くわけんは、眼(まなこ)を抜(ぬ)き、おんせうは、耳(みみ)をやき、ちそくは、足(あし)を切(き)る、せんめむは、舌(した)を抜(ぬ)き、くわそくは、歯(は)を施(ほどこ)し、くはふめいは、身(み)をあたへ、めうしき、子(こ)を殺(ころ)す。これ皆(みな)、孝行(かうかう)の為(ため)ならずや。「扁鵲(へんじやく)も、鍼薬(しんやく)をしやうぜざる病(やまひ)を治(ち)せず。けんしやう王(わう)P282も、善言(ぜんげん)の聞(き)かざる君(きみ)をば用(もち)ひず」とこそ申(まう)せ。人の言葉(ことば)を聞(き)かざる者(もの)、何(なに)の用(よう)にか立(た)つべき。其(そ)の上(うへ)、不孝(ふけう)の者(もの)をば、同(おな)じ道をも行(ゆ)くべからず。急(いそ)ぎ出(い)でよ」と言(い)ひける。祐成(すけなり)、重(かさ)ねて申(まう)しけるは、「一旦(いつたん)の御心(おんこころ)を背(そむ)き、法師(ほふし)にならざるは、不孝(ふけう)ににて候(さうら)へ共(ども)、父母に志(こころざし)の深(ふか)き事(こと)、法師(ほふし)によるべからず、僧俗(そうぞく)の形(かたち)にはよるべからず。時致(ときむね)、箱根(はこね)に候(さうら)ひし時(とき)、法華経(ほけきやう)を一部(ぶ)読(よ)み覚(おぼ)え、父(ちち)の御(おん)為(ため)に、はや二百六十部(ぶ)読誦(どくじゆ)す、毎日(まいにち)、六万返(ろくまんべん)の念仏(ねんぶつ)怠(おこた)らずし、父(ちち)に回向(ゑかう)申(まう)すと承(うけたまは)り候(さうら)へば、大地(だいぢ)を頂(いただ)き給(たま)ふ堅牢地神(けんろうぢじん)も、地(ち)の重(おも)き事(こと)は無(な)し。不孝(ふかう)の者(もの)の踏(ふ)む跡(あと)、骨髄(こつずい)に通(とほ)りて、悲(かな)しみ給(たま)ふ也(なり)。一(ひと)つは、彼(か)の御跡(あと)を弔(とぶら)ひ、一(ひと)つは、御慈悲(じひ)を以(もつ)て、祐成(すけなり)に御(おん)許(ゆる)し候(さうら)へかし。父(ちち)に幼少(えうせう)よりおくれ、親(した)しき者(もの)は、身貧(ひん)に候(さうら)へば、目(め)も懸(か)けず、母(はは)ならずして、誰(たれ)か哀(あは)れみ給(たま)ふべきに、斯様(かやう)に御心(おんこころ)強(つよ)く坐(ま)しませば、立(た)ち寄(よ)る陰(かげ)も無(な)き儘(まま)に、乞食(こつじき)とならん事(こと)、不便(ふびん)に覚(おぼ)え候(さうら)ふぞや」。哀(あは)れ、実(げ)に今(いま)を限(かぎ)りと申(まう)すならば、如何(いかが)安(やす)かるべきを、申(まう)す事(こと)ならねば、忍(しの)びの涙(なみだ)に目(め)もくれて、暫(しばら)くは物(もの)も言(い)はざりけり。猶(なほ)も、「許(ゆる)す」と宣(のたま)はねば、十郎(じふらう)、怒(いか)りて見(み)ばやと思(おも)ひて、持(も)ちたる扇(あふぎ)をさつと開(ひら)き、大(おほ)きに目(め)を見(み)出(い)だし、「とてもかくても、いきがひ無(な)き冠者(くわんじや)、有(あ)りても何(なに)にかあふべき。御前(ごぜん)に召(め)し出(い)だし、細首(ほそくび)打(う)ち落(お)として、見参(げんざん)に入(い)れん」と、大声(おほごゑ)を捧(ささ)げ、座敷(ざしき)を立(た)つ。女房(にようばう)達(たち)驚(おどろ)き、「いかP283にや」とて、取(と)り付(つ)く袖(そで)に引(ひ)かれて、板敷(いたじき)あらく踏(ふ)みならし、怒(いか)りければ、母(はは)も驚(おどろ)き、すがり付(つ)き、「物(もの)に狂(くる)ふか、や、殿(との)。身貧(ひん)にして、思(おも)ふ事(こと)適(かな)はねばとて、現在(げんざい)の弟(おとと)の首(くび)を切(き)る事(こと)や有(あ)る。其(そ)れ程(ほど)までは思(おも)はぬぞ。しばし、や、殿」とて、取(と)り付(つ)き給(たま)ふ。事(こと)こそよけれと思(おも)ひければ、「助(たす)け候(さうら)はん。御(おん)許(ゆる)し候(さうら)へ」と言(い)ふ。母(はは)、「然(さ)らば、許(ゆる)す。止(とど)まり候(さうら)へ」と宣(のたま)へば、其(そ)の時(とき)、十郎(じふらう)、怒(いか)りを止(とど)めて、声(こゑ)をやはらかにして、座敷(ざしき)になほり畏(かしこ)まり居(ゐ)たりけり。然(さ)れども、忍(しの)びの涙(なみだ)のすすみければ、とかく物(もの)をも言(い)はざりけり。五郎(ごらう)も、恨(うら)みの涙(なみだ)の引(ひ)きかへて、嬉(うれ)しさの忍(しの)びの涙しきりにして、前後を更(さら)にわきまへず。
 @〔勘当(かんだう)許(ゆる)す事(こと)〕S0703N107
 やや有(あ)りて、十郎(じふらう)、座敷(ざしき)を立(た)ち、「御(おん)許(ゆる)し有(あ)るぞ、時致(ときむね)。此方(こなた)へ参(まゐ)り候(さうら)へ」。五郎(ごらう)は、しをるる袖(そで)に忍(しの)び兼(か)ね、しばしは出(い)でこそかねたりけれ。暫(しばら)く有(あ)りて、時致(ときむね)、袖(そで)打(う)ち払(はら)ひ、顔(かほ)押(お)しのごひ、出(い)でければ、十郎(じふらう)も嬉(うれ)しく、哀(あは)れにて、打(う)ち傾(かたぶ)き居(ゐ)たり。兄弟(きやうだい)共(とも)に、物(もの)をも言(い)はで、さめざめと泣(な)き居(ゐ)たり。母(はは)、此(こ)の有様(ありさま)を見(み)て、「実(げ)にや、親子(おやこ)の中(なか)程(ほど)、哀(あは)れなる事(こと)無(な)し。年(とし)おい、身貧(ひん)にして、人数(かず)ならぬ童(わらは)P284が言葉(ことば)一(ひと)つを重(おも)くして、泣(な)きしをるる無慙(むざん)さよ。かたはなる子(こ)をだにも、親(おや)は悲(かな)しむ習(なら)ひぞかし。如何(いか)でにくかるべき。只(ただ)よかれと思(おも)ふ故(ゆゑ)なり」と言(い)ひもわかで、母(はは)も涙(なみだ)を流(なが)しけり。其(そ)の後(のち)、兄弟(きやうだい)の者(もの)共(ども)、畏(かしこ)まり居(ゐ)たるを、母(はは)、つくづくと守(まも)り、いつしかの心地(ここち)して、「汝(なんぢ)、自(みづか)らを愚(おろ)かにや思(おも)ひけん。十郎が有(あ)り所(どころ)をみするに、五郎(ごらう)有(あ)りと言(い)ふ時は、心(こころ)安(やす)し。無(な)しと聞(き)けば、心(こころ)許(もと)無(な)くて、童(わらは)も立(た)ちて見(み)しぞとよ。此(こ)の三年が程(ほど)、打(う)ち添(そ)はで、恨(うら)めしく思(おも)はれ、つくづく見(み)るに、直垂(ひたたれ)の衣紋(えもん)、袴(はかま)の着際(きぎは)、烏帽子(えぼし)の座敷(ざしき)に至(いた)るまで、父(ちち)の思(おも)ひ出(い)だされ、昔(むかし)に袖ぞしをれける。さても、五郎(ごらう)は、箱根(はこね)にても聞(き)きつらん。十郎(じふらう)は、如何(いか)にして、経文(きやうもん)をば知(し)りけるぞや」。祐成(すけなり)承(うけたまは)りて、「馬(うま)やせて、毛(け)長(なが)く、いばゆるに力(ちから)無(な)し。人貧(ひん)にして、智(ち)短(みじか)く、言葉(ことば)賎(いや)し。何に依(よ)りてか、たふとくも候(さうら)ふべき」。女房(にようばう)達(たち)聞(き)きて、「勧学院(くわんがくゐん)の雀(すずめ)とかや」と申(まう)しければ、打(う)ちゑみて、「それそれ、酒(さけ)をのませよ」と有(あ)りければ、種々(しゆじゆ)の肴(さかな)、盃(さかづき)取(と)り添(そ)へて、二人の前にぞ置(お)きたりける。母(はは)取(と)り寄(よ)せ、のみ給(たま)ひて、其(そ)の盃(さかづき)、十郎(じふらう)のむ。其(そ)の盃(さかづき)を、五郎(ごらう)三度(さんど)ほして置(お)きければ、其(そ)の盃、母(はは)取(と)り上(あ)げて、「此(こ)の三年(さんねん)、不孝(ふけう)の事(こと)、只今(ただいま)許(ゆる)したる証(しるし)に、此(こ)の盃(さかづき)、思(おも)ひどりにせん。但(ただ)し、親(おや)と師匠(ししやう)に盃さすは、必(かなら)ず肴(さかな)の添(そ)ふなるぞ。当時(たうじ)、鎌倉(かまくら)には、秩父(ちちぶ)の六郎(ろくらう)が今様(いまやう)、梶原(かぢはら)源太(げんだ)横笛(よこぶえ)と聞(き)く。然(さ)れども、他人(たにん)なれば、見(み)もし、聞(き)きもせらればこそ。P285わ殿は、箱根(はこね)に有(あ)りし時(とき)、舞(まひ)の上手(じやうず)と聞(き)きしなり。忘(わす)れずは、舞(ま)ひ候(さうら)へかし」。十郎(じふらう)、腰(こし)より横笛(よこぶえ)取(と)り出(い)だし、平調(ひやうでう)に音(ね)取(と)り、「如何(いか)に如何(いか)に、遅(おそ)し」と攻(せ)めければ、しばし辞退(じたい)に及(およ)びけるを、十郎(じふらう)、はやしたてて待(ま)ちければ、五郎(ごらう)、扇(あふぎ)を開(ひら)き、かうこそうたひて、舞(ま)ひたりけれ。
君(きみ)が代は千代に一度(ひとたび)ゐる塵(ちり)の白雲(しらくも)斯(か)かる山と成(な)るまで W023
と、押(お)し返(かへ)し押(お)し返(かへ)し、三返(べん)踏(ふ)みてぞ舞(ま)ひたりける。其(そ)の儘(まま)、拍子(ひやうし)を踏(ふ)みかへて、
別(わか)れのことさら悲(かな)しきは
親(おや)の別(わか)れと子(こ)の歎(なげ)き
ふうふの思(おも)ひ今(いま)兄弟(きやうだい)
いづれを思(おも)ふべき
袖に余(あま)れる忍(しの)び音(ね)を
返(かへ)して止(とど)むる関(せき)もがな W024
と、二返(へん)攻(せ)めにぞ踏(ふ)みたりける。母(はは)は、昔(むかし)を思(おも)ひいづれば、彼(かれ)等(ら)は、さても憂(う)き命(いのち)近(ちか)き限(かぎ)りの涙(なみだ)の露、思(おも)はぬ余所目(よそめ)に取(と)り成(な)して、袖(そで)の返(かへ)しにまぎらかし、しばし舞(ま)ひてぞ入(い)りたりける。かくて、酒(さけ)も過(す)ぎければ、十郎(じふらう)畏(かしこ)まつて、「今度(こんど)、御狩(みかり)に罷(まか)り出(い)で、兄弟(きやうだい)中(ぢゆう)に、如何(いか)なる高名(かうみやう)をも仕(つかまつ)り、思(おも)はず御恩(ごおん)にも預(あづ)かり候(さうら)はP286ば、率塔婆(そとば)の一本(ぽん)をも心(こころ)安(やす)くきざみ、父聖霊(しやうりやう)にそなへ奉(たてまつ)らばやと存(ぞん)じ候(さうら)ふ」。母(はは)聞(き)き給(たま)ひて、「などやらん、此(こ)の度(たび)の道心(だうしん)、心(こころ)許(もと)無(な)く覚(おぼ)ゆるぞや。よき程(ほど)にも候(さぶら)はば、思(おも)ひ止(とど)まり給(たま)へかし。さりながら、もしやののぞみも哀(あは)れなり。女房(にようばう)達(たち)」と宣(のたま)へば、白(しろ)き唐綾(からあや)に鶴の丸(まる)所々(ところどころ)にぬひたる小袖(こそで)一(ひと)つ取(と)り出(い)だし、「十郎にもとらせぬるぞ。失(うしな)はで返(かへ)し候(さうら)へ。十郎(じふらう)は、つねに小袖(こそで)をかりて返(かへ)さず。是(これ)は、曾我(そが)殿(どの)の見(み)たる小袖(こそで)也(なり)。二度(にど)とも見(み)えずは、又(また)例(れい)の子供(こども)にとらせたりと思(おも)はれんも恥(は)づかし。小袖(こそで)をしたためておくべし。構(かま)へて構(かま)へて、とく帰(かへ)り給(たま)へ」と有(あ)りければ、「承(うけたまは)り候(さうら)ふ」とて、練貫(ねりぬき)の損(そん)じたるに脱(ぬ)ぎかへ、「見(み)苦(ぐる)しく候(さうら)へども、人にたび候(さうら)へ」とて、帰(かへ)りにけり。小袖(こそで)の用(よう)はあらねども、互(たが)ひの形見(かたみ)のかへ衣(ごろも)、袖(そで)なつかしく打(う)ち置(お)きける。さても、兄弟(きやうだい)、座敷(ざしき)を立(た)ちければ、母(はは)見(み)送(おく)り、宣(のたま)ひけるは、「過(す)ぎにし頃(ころ)、十郎(じふらう)、小袖(こそで)をかり、二度とも見(み)せず、如何(いか)なる遊(あそ)び者(もの)にもとらせぬるよと思(おも)ひしに、さは無(な)くして、弟(おとと)の五郎(ごらう)にきせけるや。又(また)近(ちか)き頃(ころ)、大口(おほくち)・直垂(ひたたれ)したててとらせしを、是(これ)も二度(にど)とも見(み)せざりしが、道三郎(だうざぶらう)にきせたりと思(おも)へば、是(これ)も弟(おとと)にきせけるぞや。兄弟(きやうだい)をば、野(の)の末(すゑ)、山の奥(おく)にももつべかりけるぞや。父(ちち)には、幼(いとけな)くしておくれ、一人の母(はは)には、不孝(ふけう)せられ、貧(ひん)なれば、親(した)しきにもうとく、有(あ)るか無(な)きかに世(よ)に無(な)し者(もの)、誰(たれ)やの人か哀(あは)れむべき」とて、P287涙(なみだ)をはらはらと流(なが)し給(たま)ひければ、其(そ)の座に有(あ)りし女房(にようばう)達(たち)、袖をぞ濡(ぬ)らしける。さて、兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、我(わ)が方に帰(かへ)り、此(こ)の小袖(こそで)を中(なか)におき、「嬉(うれ)しくも推参(すいさん)しつる物(もの)かな。只今(ただいま)許(ゆる)されずしては、多生(たしやう)をふる共(とも)適(かな)ふまじ。いきて二度帰(かへ)る様(やう)に、小袖(こそで)返(かへ)せと仰(おほ)せられつるこそ、愚(おろ)かなれ。何しに返(かへ)せとは言(い)ひつらん、神(かみ)ならぬ身(み)の悲(かな)しさよと、後悔(こうくわい)し給(たま)はん事(こと)、今の様(やう)に覚(おぼ)えたり」とて、打(う)ち傾(かたぶ)きて泣(な)き居(ゐ)たり。「我(われ)等(ら)、世(よ)に有(あ)りて、心(こころ)の儘(まま)に、親(おや)の孝養(けうやう)をも致(いた)さば、是(これ)程(ほど)まで思(おも)はぬ事(こと)も有(あ)りなまし。此(こ)の三年こそ、不孝(ふけう)の身(み)にては候(さうら)へ。其(そ)れさへ恋(こひ)しく思(おも)ひ奉(たてまつ)る。或(あ)る時は、物ごしにも見(み)奉(たてまつ)りて慰(なぐさ)みしに、只今(ただいま)御(おん)許(ゆる)しを蒙(かうぶ)り、一日だにも無(な)くて、出(い)でん事(こと)こそ悲(かな)しけれ。死(し)に給(たま)へる父(ちち)を思(おも)ひて、孝養(けうやう)せんとすれば、いき給(たま)へる母(はは)に、物(もの)を思(おも)はせ奉(たてまつ)る。然(さ)れば、我(われ)等(ら)程(ほど)、親(おや)に縁(えん)無(な)き物(もの)は無(な)し。後の世(よ)まで尽(つ)きせぬ、手跡(しゆせき)に過(す)ぎたる形見(かたみ)無(な)し。いざや、我(われ)等(ら)一筆づつ、忘(わす)れ形見(がたみ)残(のこ)さん」とて、墨(すみ)すり流(なが)し、かくばかり、
「今日(けふ)出(い)でてめぐり合(あ)はずは小車(おぐるま)のこのわの内(うち)に無(な)しと知(し)れ君 W025
祐成年二十二、後の世(よ)の形見(かたみ)」とぞ書(かき)ける。
「ちちぶ山(やま)下(お)ろす嵐(あらし)のはげしさに枝(えだ)ちりはてて葉(は)は如何(いか)にせん W026
五郎(ごらう)時致(ときむね)、生年(しやうねん)二十、親(おや)は一世と申(まう)せ共(ども)、必(かなら)ず、浄土(じやうど)にて参(まゐ)りあふべし」とこそかきP288たりける。各々(おのおの)、箱(はこ)に入(い)れて、「我(われ)等(ら)打(う)たれぬと聞(き)き給(たま)はば、母(はは)、此(こ)の所(ところ)にまろび入(い)りて、伏(ふ)し鎮(しづ)み給(たま)ふべし。いざや、御(おん)まうけせん」とて、畳(たたみ)しき直(なほ)し、めんらうの塵(ちり)打(う)ち払(はら)ひ、先(ま)づ見(み)給(たま)ふ様(やう)にとて、さし入(い)りの障子(しやうじ)の際(きは)にぞ置(お)きたりける。「空(むな)しき人をば、常(つね)の所(ところ)よりは出(い)ださず。我(われ)等(ら)、死人(しにん)に同(おな)じ」とて、馬屋(うまや)のあれ間(ま)より出(い)でたりける。最後(さいご)の文にこそ、斯様(かやう)の事(こと)まで書(か)きにける。かくて出(い)でけるが、「いざや、今(いま)一度、母(はは)を見(み)奉(たてまつ)らん」とて、暇乞(いとまごひ)にぞ出(い)でける。母(はは)宣(のたま)ひけるは、「構(かま)へて、人といさかひし給(たま)ふな。世(よ)に有(あ)る人は、貧(ひん)なる者(もの)をば、をこがましく思(おも)ひあなづるべし。然様(さやう)なりとも、咎(とが)むべからず。三浦(みうら)・土肥(とひ)の人々(ひとびと)は、然様(さやう)にはあらじ。其(そ)の人々(ひとびと)に交(まじ)はり、歩(あり)き給(たま)へ。心(こころ)のはやる儘(まま)に、人の相(あひ)付(つ)けたる鹿(しし)、射(い)給(たま)ふべからず。公方(くばう)の御(おん)許(ゆる)しも無(な)きに、弓矢(ゆみや)持(も)たずとも、出(い)で給(たま)ふべし。謀叛(むほん)の者(もの)の末(すゑ)とて、咎(とが)めらるる事(こと)もやあらん。如何(いか)にも、事(こと)過(す)ごし給(たま)ふな。年頃(としごろ)、にくまれずして養(やう)ぜられたる曾我(そが)殿(どの)に、大事(だいじ)掛(か)けて、恨(うら)み受(う)け給(たま)ふな」と、こまごまとぞ教(をし)へける。五郎(ごらう)は、聞(き)きても色に出(い)ださず、十郎(じふらう)は、斯様(かやう)の教(をし)へも、今(いま)を限(かぎ)りと思(おも)ひ、心(こころ)の色(いろ)の現(あらは)れて、涙(なみだ)ぐみければ、急(いそ)ぎ座敷(ざしき)を立(た)ちにけり。五郎(ごらう)も、名残(なごり)の涙抑(おさ)へ兼(か)ね、余所目(よそめ)にもてなしけるが、妻戸(つまど)の閾(とざい)につまづきて、うつぶしに倒(たふ)れけれども、人目(ひとめ)にもらさじとて、「色(いろ)有(あ)る小鳥(ことり)の、東より、P289西(にし)の梢(こずゑ)に伝(つた)ひしを、目(め)に懸(か)け、思(おも)はずの不覚(ふかく)なり」とて、打(う)ち笑(わら)ひける。母(はは)、是(これ)を見(み)給(たま)ひて、「今日(けふ)の道、思(おも)ひ止(とど)まり候(さうら)へ。門出(かどいで)悪(あ)しし」と有(あ)りければ、五郎(ごらう)立(た)ち帰(かへ)り、「馬(うま)に乗(の)る者(もの)は落(お)ち、道(みち)行(ゆ)く者(もの)は倒(たふ)る。皆(みな)人ごとの事(こと)也(なり)。是(これ)はとて、止(とど)まり候(さうら)はんには、道行(ゆ)く者(もの)候(さうら)はじ」と、打(う)ちつれてこそ出(い)でにけれ。五郎(ごらう)は、猶(なほ)母(はは)の名残(なごり)をしたひ兼(か)ね、今(いま)一度とや思(おも)ひけん、「扇(あふぎ)の見(み)苦(ぐる)しく候(さうら)ふ」とて、帰(かへ)りにければ、母(はは)、是(これ)をば夢(ゆめ)にも知(し)らずして、「折節(をりふし)、扇(あふぎ)こそ無(な)けれ、わろけれ共(ども)」とて、たびにけり。時致(ときむね)、是(これ)も形見(かたみ)の数(かず)と思(おも)ひ、母(はは)の賜(たま)はるよと思(おも)へば、扇(あふぎ)さへなつかしくて、開(ひら)きて見(み)れば、霞(かすみ)に雁(かり)がねをぞ書(か)きたりける。折(をり)にふれなば、夏山(なつやま)の、しげる梢(こずゑ)の松(まつ)の風、五月雨雲(さみだれぐも)の晴間(はれま)より、遠里(とほざと)小野(をの)の里(さと)つづき、我(われ)等(ら)が道(みち)の行(ゆ)く末(すゑ)も、現(あらは)るべきに、さはあらで、其(そ)の色(いろ)違(たが)ふも、理(ことわり)なり。憂(う)き身(み)の故(ゆゑ)と案(あん)ずれば、
同(おな)じくは空(そら)に霞(かすみ)の関(せき)もりて雲路(くもぢ)の雁(かり)をしばし止(とど)めん W027
是(これ)は、為世卿(ためよのきやう)の詠(よ)みし歌ぞかし。我(わ)が限(かぎ)りの道を歎(なげ)け共(ども)、誰一たん止(とど)むる者(もの)も無(な)きに、扇(あふぎ)心(こころ)の有(あ)るやらん、「しばし」と言(い)ふ言(こと)の葉(は)の読(よ)まれたり。十郎(じふらう)が、供(とも)には道三郎(だうざぶらう)、五郎(ごらう)が供(とも)には、鬼王(おにわう)、其(そ)の外(ほか)四五人召(め)し具(ぐ)して、打(う)ち出(い)でける有様(ありさま)、母(はは)は、乳母(めのと)引(ひ)きつれ、広縁(ひろえん)に立(た)ち出(い)で、見(み)送(おく)り、様々(さまざま)にぞ言(い)ひける。「直垂(ひたたれ)のき様(やう)、行縢(むかばき)の引(ひ)き合(あ)はせ、P290馬乗(の)り姿(すがた)、手綱(たづな)の取(と)り様(やう)、十郎(じふらう)は、父(ちち)に似(に)たれども、器量(きりやう)は、遙(はる)かの劣(おと)りなり。五郎(ごらう)は、烏帽子(えぼし)の座敷(ざしき)、矢のおひ様(やう)、弓の持(も)ち様(やう)に至(いた)るまで、父(ちち)には少(すこ)し似(に)たれども、是(これ)も、遙(はる)かの劣(おと)り也(なり)。山寺にて育(そだ)ちたれども、色(いろ)くろく、下種(げす)しくみゆる。十郎(じふらう)は、里(さと)に住(す)みしかととも、色(いろ)白(しろ)く、尋常(じんじやう)なり。我(わ)が子(こ)と思(おも)ふ故(ゆゑ)にや、いづれも清(きよ)げなる者(もの)共(ども)かな。如何(いか)なる大将軍(たいしやうぐん)と言(い)ふ共(とも)、恥(は)づかしからじ物(もの)を。哀(あは)れ、世(よ)にあらば、誰にかは劣(おと)るべき。同(おな)じくは、彼(かれ)等(ら)を父(ちち)諸(もろ)共(とも)に見(み)るならば、如何(いか)に嬉(うれ)しく有(あ)りなん」と、さめざめと泣(な)きけり。女房(にようばう)達(たち)、是(これ)を見(み)て、「物(もの)への御門出(かどいで)に、御涙いまはし」と申(まう)しければ、「誠(まこと)に、彼(かれ)等(ら)貧(ひん)なる出(い)で立(た)ち、すずろなる事(こと)共(ども)思(おも)ひ連(つら)ねられて、袖(そで)のみ昔(むかし)にぬれ侍ふぞや。げにげに千秋(せんしう)万歳(ばんぜい)とさかふべき子供(こども)の門出(かどいで)、嬉(うれ)しくも言(い)ひ出(い)だし給(たま)ふ物(もの)かな。此(こ)の度、御狩(みかり)より帰りなば、上の御免(ごめん)蒙(かうぶ)り、本領(ほんりやう)ことごとく安堵(あんど)して、思(おも)ひの儘(まま)なるかへるさをまつべき」とて、急(いそ)ぎ内(うち)にぞ入(い)りにける。後に思(おも)ひ合(あ)はすれば、是(これ)ぞ最後(さいご)の別(わか)れなりけりと、思(おも)ひ出(い)でられて哀(あは)れなり。
 @〔李将軍(りしやうぐん)が事(こと)〕S0704N109P291
 さても、鎌倉(かまくら)殿(どの)は、合沢原(あひざはがはら)に御座の由(よし)聞(き)こえしかば、此(こ)の人々(ひとびと)も、駒(こま)に鞭(むち)を添(そ)へて、急(いそ)ぎける。道にて、十郎(じふらう)言(い)ひけるは、「名残(なごり)惜(を)しかりつる古里(ふるさと)も、一筋(ひとすぢ)に思(おも)ひ切(き)りぬれば、心(こころ)の引(ひ)きかへて、先(さき)へのみぞ急(いそ)がれ候(さうら)ふぞや」。時致(ときむね)聞(き)きて、「さん候(ざうらふ)。思(おも)ふ程(ほど)は現(うつつ)、すぐれば夢(ゆめ)にて、心(こころ)の儘(まま)に本意(ほんい)を遂(と)げ、浮(う)き世(よ)を夢(ゆめ)に成(な)しはてて、早(はや)く浄土(じやうど)に生(う)まれつつ、恋(こひ)しき父(ちち)、名残(なごり)惜(を)しかりつる母(はは)、かく申(まう)す我(われ)等(ら)まで、一蓮(ひとつはちす)の縁(えん)とならん」とて、ひつ掛(か)けひつ掛(か)け打(う)ちて行(ゆ)く。やや有(あ)りて、十郎(じふらう)申(まう)しけるは、「我(われ)等(ら)が有様(ありさま)を、物(もの)にたとふれば、寒苦鳥(かんくてう)に似(に)たり。如何(いか)にと言(い)ふに、大唐(だいたう)しくう山(ざん)に、雪(ゆき)深(ふか)うして、春秋をわかざる山(やま)なり。其(そ)の山(やま)に、頭(かしら)は二(ふた)つ、身(み)は一(ひと)つ有(あ)る鳥有(あ)り。彼(か)の山(やま)には、青(あを)き草無(な)ければ、くふべき物無(な)し。然(さ)れば、其(そ)の頭(かしら)右(みぎ)を取(と)らんとし、右(みぎ)の頭(かしら)は左(ひだり)を取(と)らんとする。悲(かな)しみの涙(なみだ)を餌食(ゑじき)として、命をのぶる鳥(とり)也(なり)。我(われ)等(ら)も、敵(てき)の手(て)にやかからん、敵(てき)をや手(て)に掛(か)けんと思(おも)ふ、憂(う)き身(み)のながらへて、いつまで物(もの)を思(おも)はまし。此(こ)の度は、さり共(とも)」と申(まう)しければ、五郎(ごらう)聞(き)きて、「弱(よわ)き御(おん)例(たと)へ仰(おほ)せ候(さうら)ふ。何(なに)によりてか、空(むな)しく敵(てき)の手(て)にかかり候(さうら)ふべき。本意(ほんい)を遂(と)げて後(のち)は、知(し)り候(さうら)はず、其(そ)れは、ともかくも候(さうら)ひなん、事(こと)長(なが)く候(さうら)へ共(ども)、昔(むかし)、大国(たいこく)に、李将軍(りしやうぐん)とて、猛(たけ)くいさめる武勇(ぶよう)の達者(たつしや)有(あ)り。一人の子(こ)の無(な)き事(こと)、天に祈(いの)る、哀(あは)れみにや、妻女(さいぢよ)懐妊(くわいにん)す。将軍(しやうぐん)喜(よろこ)ぶ所(ところ)に、女房(にようばう)言(い)ふ様(やう)、「いきたる虎(とら)の肝(きも)こそ願(ねが)ひなれ」。将軍(しやうぐん)、安(やす)き事(こと)とて、P292多(おほ)くの兵(つはもの)を引(ひ)きつれ、野辺(のべ)に出(い)でて、虎(とら)をかりけるに、かへつて、将軍(しやうぐん)、虎(とら)にくはれて失(う)せぬ。乗(の)りたりける雲上龍(うんしやうりゆう)、鞍(くら)の上(うへ)空(むな)しくして帰(かへ)りぬ。女房(にようばう)あやしみて、「将軍(しやうぐん)、虎(とら)にくはれけるや」と問(と)へば、竜(りゆう)、涙(なみだ)を流(なが)し、膝(ひざ)ををり、なけ共(ども)適(かな)はず。我(わ)が胎内(たいない)の子(こ)は、父(ちち)を害(がい)する敵(てき)なり、生(う)まれ落(お)ちなば捨(す)てんと、日数(ひかず)をまつ所(ところ)に、月日(つきひ)に関守(せきもり)無(な)ければ、程(ほど)無(な)く生(う)まれぬ。見(み)なれば男子(なんし)なり。いつしか、捨(す)つべき事(こと)を忘(わす)れ、取(と)り上(あ)げ、名(な)をかふりよくと付(つ)けて、もてなしけり。名将軍(めいしやうぐん)の子(こ)にて、胎内(たいない)より、父(ちち)虎(とら)にくはれけるを、安(やす)からずに思(おも)ひ、敵(かたき)取(と)るべき事(こと)をぞ思(おも)ひける。光陰(くわういん)矢の如(ごと)し。かふりよく、はや七歳(さい)にぞなりにける。或(あ)る時(とき)、父(ちち)重代(ぢゆうだい)の刀を差(さ)し、角(つの)の槻弓(つきゆみ)に、神通(じんづう)の鏑矢(かぶらや)を取(と)り添(そ)へ、馬屋(うまや)に下(お)り、父(ちち)の乗(の)りて死(し)にける雲上龍(うんしやうりゆう)に曰(いは)く、「汝(なんぢ)、馬(むま)の中(なか)の将軍(しやうぐん)なり。然(しか)るに、父(ちち)の敵(かたき)に志(こころざし)深(ふか)し、父(ちち)の取(と)られける野辺(のべ)に、我(われ)を具足(ぐそく)せよ」と言(い)ふに、黄(き)なる涙(なみだ)を流(なが)して、高声(かうしやう)にいばえけり。かふりよく、大(おほ)きに喜(よろこ)びて、彼(か)の竜(りゆう)に乗(の)り、馬(むま)に任(まか)せて、行(ゆ)く程(ほど)に、千里の野辺(のべ)に出(い)でて、七日七夜ぞ尋(たづ)ねける。八日の夜半(やはん)に及(およ)びて、或(あ)る谷間(たにあひ)に、獣(けだもの)多(おほ)く集(あつ)まりねたり。其(そ)の中(なか)に、臥長(ふしたけ)一丈(いちぢやう)余(あま)りなる虎(とら)の、両眼(りやうがん)は日月を並(なら)べたる様(やう)にて、紅(くれなゐ)の舌(した)を振(ふ)り、伏(ふ)しければ、肝(きも)魂(たましひ)を失(うしな)ふべきに、然(さ)る将軍(しやうぐん)の子(こ)なりければ、是(これ)こそ父(ちち)の敵(てき)よと、矢(や)取(と)つて差(さ)しつがひ、よ引(ひ)きてはなつ。過(あやま)たず、虎(とら)の左(ひだり)の眼(まなこ)に射(い)たてたり。P293少(すこ)し弱(よわ)ると見(み)えければ、かうりよく、馬(むま)よりとんで下(お)り、腰(こし)の刀(かたな)を抜(ぬ)き、虎(とら)を切(き)らんと見(み)ければ、虎(とら)にては無(な)し。年(とし)へたる石(いし)の苔(こけ)むしたるにてぞ有(あ)りけり。斯様(かやう)の志(こころざし)にて、遂(つひ)に敵(かたき)を打(う)つ。今(いま)の世(よ)に、石竹(せきちく)と言(い)ふ草(くさ)、かふりよくが射(い)ける矢(や)なりとぞ申(まう)し伝(つた)へたる。然(さ)れば、弓(ゆみ)取(と)りの子(こ)は、七歳(さい)になれば、親(おや)の敵(かたき)を打(う)つとは、此(こ)の心(こころ)なり。志(こころざし)に依(よ)り、石(いし)にも矢(や)のたち候(さうら)ふぞや。此(こ)の心(こころ)を歌(うた)にも詠(よ)みけるとぞ、
虎(とら)と見(み)て射(い)る矢の石(いし)に立(た)つ物(もの)をなど我(わ)がこひの通(とほ)らざるべき」 W028
十郎(じふらう)聞(き)きて、「や、殿(との)、歌(うた)は然様(さやう)なりとも、祐成(すけなり)にあひての物語(ものがたり)、「など我(わ)が敵(かたき)打(う)たで有(あ)るべき」と語(かた)れかし」「実(げ)にや、折(をり)による歌(うた)物語(ものがたり)、悪(あ)しく申(まう)して覚(おぼ)ゆるなり。歌(うた)はともあれ、かくもあれ、此(こ)の度は、敵(てき)打(う)たん事(こと)安(やす)かるべし。老少(らうせう)不定(ふぢやう)の習(なら)ひなれば、我(われ)等(ら)は、悪霊(あくりやう)とも成(な)りて、取(と)るべきにや」とたはぶれて、鞭(むち)を打(う)ちてぞ、急(いそ)ぎける。
 @〔三井寺(みゐでら)大師(だいし)の事(こと)〕S0705N110
 十郎(じふらう)は、「足柄(あしがら)を越(こ)えて行(ゆ)かん」と言(い)ふ。五郎(ごらう)は、「箱根(はこね)を越(こ)えん」と言(い)ふ。いはれ有(あ)り。此(こ)の三四年、別当(べつたう)の呼(よ)び給(たま)へ共(ども)、男(をとこ)になりける面目(めんぼく)無(な)さに、見参(げんざん)に入(い)らず、ついでに打(う)ち寄(よ)りて、御目(め)に掛(か)かるべし、最後(さいご)の暇(いとま)をも申(まう)さんとて参(まゐ)りたりと思(おぼ)し召(め)さば、聖教(せうぎやう)P294の一巻(くわん)、陀羅尼(だらに)の一返(ぺん)なりとも、弔(とぶら)ひ給(たま)ふべき善知識(ぜんぢしき)なり。其(そ)の上、師(し)の恩(おん)を重(おも)くすれば、法(ほふ)に預(あづ)かる例(ためし)有(あ)り。近(ちか)き頃(ころ)の事(こと)にや、園城寺(をんじやうじ)に、智興(ちかう)太子(たいし)とて、めでたき上人(しやうにん)渡(わた)らせ給(たま)ひけり。顕密(けんみつ)有験(うげん)の高僧(かうそう)とは申(まう)せ共(ども)、未(いま)だ肉身(にくしん)を離(はな)れ給(たま)はざりける故(ゆゑ)に、重病(ちやうびやう)にをかされて、苦痛(くつう)なう覧わきまへ難し。即(すなは)ち、晴明(せいめい)を呼(よ)びてうらなはせけるに、「定業(ぢやうごふ)限(かぎ)りにて、助(たす)かり給(たま)ふ事(こと)有(あ)るべからず。但(ただ)し、多(おほ)き御弟子(でし)の中に、法恩(ほふおん)を重(おも)くし、命をかろくして、師(し)の御命(おんいのち)に変(か)はるべき人坐(ま)しまさば、まつりかへん」と申(まう)す。上人(しやうにん)は、苦痛(くつう)の儘(まま)に、誰とは宣(のたま)はね共(ども)、御目(め)を上(あ)げて、御弟子(でし)を見(み)まはし給(たま)ふ。並(なら)び居(ゐ)給(たま)ふ御弟子(でし)二百余人(よにん)なれども、我(われ)変(か)はらんと仰(おほ)せらるる方(かた)一人も無(な)し。目(め)を見(み)合(あ)はせ、赤面(せきめん)し給(たま)ふ色(いろ)現(あらは)れにけり。うたてかりし御事(おんこと)也(なり)。此処(ここ)に、証空(しようくう)阿闍梨(あじやり)と申(まう)して、十八になり給(たま)ふが、末座(ばつざ)よりすすみ出(い)でて、「我(われ)、法恩(ほふおん)の哀(あは)れみ、つくし難(がた)し。何(なに)にか報(ほう)じ奉(たてまつ)るべき。我(われ)等(ら)が命(いのち)なりとも、代(か)はり奉(たてまつ)る身(み)なりせば、喜(よろこ)びの上(うへ)の喜(よろこ)び、何事(なにごと)か是(これ)にしかんや。はやはや」とて、墨染(すみぞめ)の御袖(そで)をかき合(あ)はせ給(たま)ひて、晴明(せいめい)が前にひざまづき給(たま)ふ。上人(しやうにん)聞(き)こし召(め)し、悩(なや)める御眦(まなじり)に、御涙(なみだ)を浮(う)かべさせ給(たま)ひて、御顔(かほ)を振(ふ)り上(あ)げ、本尊(ほんぞん)の御方(かた)を御覧(ごらん)じけるは、証空(しようくう)の命を御(おん)惜(を)しみ有(あ)りて、御身(おんみ)は如何(いか)にもと思(おぼ)し召(め)さるる御顔(かほ)ばせの現(あらは)れたり。是(これ)又(また)、御慈悲(じひ)の御心中(しんちゆう)とぞ見(み)えける。証空(しようくう)、重(かさ)ねて申(まう)されけるP295は、「深(ふか)く思(おも)ひ定(さだ)めて候(さうら)ふ。変(へん)ずべきにも候(さうら)はず。其(そ)の上(うへ)、上人(しやうにん)の苦悩(くなう)見(み)奉(たてまつ)るに、刹那(せつな)の隙も惜(を)しくこそ候(さうら)へ。御心(おんこころ)に任(まか)すべきにあらず。急(いそ)ぎ法会(ほうゑ)を行(おこな)ひ、まつりを急(いそ)がれ候(さうら)へ。但(ただ)し、八旬(はつしゆん)に余(あま)る母(はは)を持(も)ちて候(さうら)ふ。今(いま)一度、今生(こんじやう)の姿(すがた)見みえ候(さうら)ひて、帰り参(まゐ)るべし。待(ま)ち給(たま)ふべし」とて、出(い)で給(たま)ふ。証空(しようくう)を哀(あは)れと言(い)はぬ者(もの)は無(な)し。其(そ)の後、母(はは)のもとに行(ゆ)き、此(こ)の事(こと)くはしく語(かた)り給(たま)ふ。母(はは)聞(き)きもはてず、証空(しようくう)の袖に取(と)り付(つ)き、「思(おも)ひもよらず、師匠(ししやう)の御恩(ごおん)ばかりにて、母(はは)が哀(あは)れみをば捨(す)て給(たま)ふべきか。御身(おんみ)を残(のこ)し、自(みづか)らさきだちてこそ、順次(じゆんし)なるべけれ。思(おも)ひもよらぬ例(ためし)」とて、証空(しようくう)の膝(ひざ)に倒(たふ)れかかり、涙(なみだ)にむせぶばかりなり。証空(しようくう)は、母(はは)の心(こころ)を取(と)り鎮(しづ)めて、「よくよく聞(き)こし召(め)せ、師匠(ししやう)の御恩徳(おんどく)に、何(なに)をか例(たと)へ候(さうら)ふべき。はかなき仰(おほ)せとぞ覚(おぼ)えて候(さうら)へ」「はかなき母(はは)がうみ置(お)きてこそ、たふとき師匠(ししやう)の恩徳(おんどく)をも蒙(かうぶ)り給(たま)へ。母(はは)の恩(おん)、大海(だいかい)よりも深(ふか)しとは、誰(たれ)やの者(もの)かいひそめける」「親(おや)は一世(せ)、師(し)は三世(ぜ)、浅(あさ)き哀(あは)れみなり。知(し)らせ給(たま)ふらん」「何(なに)とて、情(なさけ)は坐(ま)しまさぬぞ。今日(けふ)の命を知(し)らぬ身(み)の、恥(はぢ)をば誰(たれ)か隠(かく)すべき。適(かな)ふまじ」とて、取(と)り付(つ)きたり。「聞(き)き給(たま)はずや、浄飯(じやうぼん)大王(だいわう)の御子悉達太子(しつだたいし)は、一人御座(おは)します父(ちち)大王(だいわう)を振(ふ)り捨(す)てて、阿羅邏仙人(あららせんにん)に給仕(きうじ)し給(たま)ひしぞかし」「其(そ)れは、いきての御(おん)別(わか)れ、是(これ)は、死(し)すべき別(わか)れなり。例(たと)へにも成(な)るべからず」「御(おん)言葉(ことば)の重(おも)きとて、只今(ただいま)隠(かく)れ給(たま)ふ師匠(ししやう)をや殺(ころ)し奉(たてまつ)るP296べき」「誠(まこと)に、自(みづか)ら物(もの)ならずは、暇(いとま)をこひても、何(なに)かせん。七生(しやう)まで不孝(ふけう)ぞ」と言(い)ふ言(い)ふ、まろび給(たま)ひける。証空(しようくう)、進退(しんだい)此処(ここ)にきはまり、師匠(ししやう)の恩徳(おんどく)を報(ほう)じ奉(たてまつ)らんとすれば、母(はは)の不孝(ふけう)、永却(えいごふ)にもうかび難(がた)し。身(み)の置(お)き所(どころ)無(な)かりければ、母(はは)の御前(ごぜん)にひざまづき、「不孝(ふけう)の仰(おほ)せ、悲(かな)しみても余(あま)り有(あ)り。奈落(ならく)の攻(せ)め、いつをか期(ご)せん。此(こ)の世(よ)は、かりの宿(やど)りなり。未来(みらい)こそ、誠(まこと)の住(す)み処(か)にて候(さうら)へ。師匠(ししやう)の命に代(か)はり奉(たてまつ)らば、御(おん)向(む)かひにも参(まゐ)るべし。さあらば、一蓮(ひとつはちす)の縁(えん)にも、などかはならで候(さうら)ふべき。思(おぼ)し召(め)し切(き)り候(さうら)へ」とて、名残(なごり)の袂(たもと)を引(ひ)きわくる。母(はは)は、猶(なほ)もしたひ兼(か)ね、「然(さ)らば、自(みづか)らをもつれ、一蓮(ひとつはちす)の縁(えん)になし給(たま)へや。捨(す)てられて、老(おい)の身(み)の、何(なに)と成(な)るべき」と、悶(もだ)え悲(かな)しみ給(たま)ふ。阿闍梨(あじやり)は、母(はは)をなだめ兼(か)ね、斯様(かやう)ならんと思(おも)ひなば、中々(なかなか)申(まう)し出(い)だすまじかりつる物(もの)を、又は、母(はは)暇(いとま)申(まう)さずとも、思(おも)ひ定(さだ)むべかりつる事(こと)を、心(こころ)弱(よわ)くて、斯様(かやう)に憂(う)き目(め)を見(み)る事(こと)よ。惜(を)しみ給(たま)ふも、理(ことわり)也(なり)。只(ただ)一人有(あ)る子(こ)なり。月とも星(ほし)とも、我(われ)をならでは、頼(たの)み給(たま)はぬ御事(おんこと)なり。一日(いちにち)片時(へんし)も、見(み)奉(たてまつ)らぬだに、心(こころ)許(もと)無(な)くて、隙無(な)き行法(ぎやうぼふ)の間(あひだ)は、心(こころ)ならず見(み)奉(たてまつ)る事(こと)無(な)し。遅(おそ)き時(とき)は、杖(つゑ)にすがり来(き)たり給(たま)ひて、ひざまづき、後(うし)ろに立(た)ち、夏は扇(あふぎ)を使(つか)ひ、冬はあたたむる様(やう)にたため給(たま)ふ。「是(これ)、然(しか)るべからず」と申(まう)せば、「幾程(いくほど)無(な)き自(みづか)らが心(こころ)に任(まか)せてくれよ」と仰(おほ)せければ、上人(しやうにん)も、P297哀(あは)れみ有(あ)りて、「心(こころ)に任(まか)せよ」と、御慈悲(じひ)有(あ)るに依(よ)つて、片時(へんし)も離(はな)れ給(たま)ふ事無(な)し。我(われ)又(また)、御(おん)哀(あは)れみの黙(もだ)し難(がた)さに、暇(ひま)をはからひ、見(み)奉(たてまつ)らんと、通(かよ)ひしぞかし。実(げ)にも、今(いま)別(わか)れ奉(たてまつ)りなば、さこそ悲(かな)しく坐(ま)しまさめと思(おも)へば、涙(なみだ)もせき敢(あ)へず。誠(まこと)に、自(みづか)ら失(う)せなば、やがても絶(た)え入(い)りしに給(たま)ふべき志(こころざし)なれば、立(た)つも立(た)たれず、ぬるもねられず、黯然(あんぜん)として、泣(な)くばかりなり。猶(なほ)しも、母(はは)は、ひかへたる袂(たもと)をはなさで、寄(よ)りかかり、泣(な)き鎮(しづ)み給(たま)ひければ、袖(そで)引(ひ)き分(わ)け難(がた)くて、掌(たなごころ)を合(あ)はせ、「自(みづか)らが申(まう)す理(ことわり)、よくよく聞(き)こし召(め)し候(さうら)へ。惜(を)しみ思(おぼ)し召(め)さるる御事(こと)、僻事(ひがこと)とは存(ぞん)じ候(さうら)はず。さりながら、かねても申(まう)しし如(ごと)く、此(こ)の世(よ)は、夢(ゆめ)幻(まぼろし)と住(す)み成(な)し給(たま)へ。仏と申(まう)す事(こと)、外(ほか)に無(な)し。我(わ)がなす胸(むね)の内(うち)に明(あき)らかなる。月輪(ぐわちりん)のくもらぬを悟(さと)りと申(まう)し、うづもるるを迷(まよ)ひと申(まう)し候(さうら)ふ。然(さ)れば、仏(ほとけ)は、衆生(しゆじやう)善悪(ぜんあく)隔(へだ)て無(な)き由(よし)、とき置(お)かせ御座(おは)します物(もの)を。さあらば、親(おや)と成(な)り、子(こ)と成(な)り、師(し)と成(な)り、弟子(でし)と成(な)り、是(これ)皆(みな)一心(いつしん)の願(ぐわん)に依(よ)り、山河(さんが)大事(だいじ)、ことごとく阿字(あじ)の一字(じ)にこそをさまりて候(さうら)へ」と怒(いか)りければ、母(はは)、ひかへたる袖を少(すこ)し許(ゆる)しける所(ところ)に、棄恩入無為(きおんにふむゐ)、真実(しんじつ)報恩者(はうおんしや)の理(ことわり)をつぶさにときければ、母(はは)、涙(なみだ)を抑(おさ)へて、「然(さ)らば」とて、許(ゆる)しけり。証空(しようくう)嬉(うれ)しくて、急(いそ)ぎ坊(ばう)に帰(かへ)りけり。孝行(かうかう)の程(ほど)ぞ頼(たの)もしき。 晴明(せいめい)遅(おそ)しと、待(ま)ちし事(こと)なれば、七尺(しやく)に床(ゆか)をかき、五色の幣(へい)を立(た)て並(なら)べ、金銭散供(きんせんさんぐ)、P298数(かず)の菓子(くわし)をもりたて、証空(しようくう)を中(なか)に据(す)ゑて、晴明(せいめい)、礼拝(らいはい)恭敬(くぎやう)して、数珠(じゆず)はらはらと押(お)し揉(も)み、上は梵天(ぼんでん)帝釈(たいしやく)、四大天王(てんわう)、下は堅牢地神(けんらうぢじん)、八大龍王(はつだいりゆうわう)まで勧請(くわんじやう)して、既(すで)に祭文(さいもん)に及(およ)びければ、護法(ごほふ)の渡(わた)ると見(み)えて、色々(いろいろ)の金銭幣帛(きんせんへいはく)、或(ある)いは空(そら)に舞(ま)ひ上(あ)がりて、舞(ま)ひ遊(あそ)び、或(ある)いは壇上(だんじやう)を躍(をど)りまはる。絵像(ゑざう)の大聖(だいしやう)不動明王(ふどうみやうわう)は、利剣(りけん)を振(ふ)り給(たま)ひければ、其(そ)の時(とき)、晴明(せいめい)、座を立(た)つて、数珠(じゆず)、証空(しようくう)の頭(かうべ)をなで、「平等(びやうどう)大慧(ゑ)、一乗(いちじよう)妙典(めうでん)」と言(い)ひければ、即(すなは)ち、上人(しやうにん)の苦悩(くなう)さめて、証空(しようくう)に移(うつ)りけり。やがて、五体(ごたい)より汗(あせ)を流(なが)し、五蘊(ごうん)を破(やぶ)り、骨髄(こつずい)を砕(くだ)く事(こと)、言(い)ふに及(およ)ばず。是(これ)を見(み)る人(ひと)、晴明(せいめい)が奇特(きどく)のたふとき、証空(しようくう)の志(こころざし)の有(あ)り難(がた)さに、色々(いろいろ)の袖(そで)絞(しぼ)るばかりなり。さて、証空(しようくう)の方(かた)よりは、煙(けぶり)立(た)ちて、苦悩(くなう)忍(しの)び難(がた)かりしかば、年頃(としごろ)頼(たの)み奉(たてまつ)る絵像(ゑざう)の不動明王(ふどうみやうわう)をにらみ奉(たてまつ)り、「我(われ)、二無(な)き命(いのち)を召(め)し取(と)りて、屍(かばね)を壇上(だんじやう)に止(とど)む。正念(しやうねん)に住(ぢゆう)して、安養浄刹(あんやうじやうせつ)に向(む)かへ取(と)り給(たま)へ。知我心者(ちがしんしや)、即身(そくしん)成仏(じやうぶつ)、誤(あやま)り給(たま)ふな」と、一心(いつしん)の願(ぐわん)をなしければ、明王(みやうわう)、哀(あは)れとや思(おぼ)しけん。絵像(ゑざう)の御眼(まなこ)より、紅(くれなゐ)の御涙はらはらと流(なが)させ給(たま)ひて、「汝(なんぢ)、たふとくも法恩(ほふおん)を重(おも)くして、一人の親(おや)を振(ふ)り捨(す)て、命(めい)に変(か)はる志(こころざし)、報(ほう)じても余(あま)り有(あ)り。我(われ)又(また)、如何(いか)でか汝(なんぢ)が命(いのち)に変(か)はらざるべき。行者(ぎやうじや)を助(たす)けん。かたいしゆくの誓(ちか)ひは、地蔵(ぢざう)薩■(さつた)に限(かぎ)らず。うくる苦悩(くなう)を見(み)よ」と、あらたに霊験(れいげん)現(あらは)れければ、明王(みやうわう)の御頂(いただき)P299より、猛火(みやうくわ)ふすぼり出(い)で、五体(ごたい)をつつめ給(たま)ふ。たふとしとも、忝(かたじけな)し共(とも)言(い)ひ難(がた)し。即(すなは)ち、証空(しようくう)が苦悩(くなう)止(とど)まりけり。智興(ちこう)上人(しやうにん)も助(たす)かり給(たま)ふ事(こと)、有(あ)り難(がた)かりし例(ためし)なり。然(さ)れば、三井寺(みゐでら)に泣不動(なきふどう)とて、寺の重宝(ちようほう)の其(そ)の一(ひと)つ也(なり)。流(なが)させ給(たま)ひし御涙紅(くれなゐ)にして、御胸(むね)まで流(なが)れかかりて、今(いま)に有(あ)るとぞ承(うけたまは)り伝(つた)へたる。師匠(ししやう)の御恩(ごおん)は、斯様(かやう)にこそ重(おも)き事(こと)にて候(さうら)へ。
 @〔鞠子川(まりこがわ)の事(こと)〕S0706N112
 「寺(てら)を忍(しの)び出(い)で候(さうら)ひし時(とき)、権現(ごんげん)に御暇(おんいとま)をも申(まう)さず、まして、師匠(ししやう)にかくとも申(まう)さざりし事(こと)、今に其(そ)の恐(おそ)れ残(のこ)りて覚(おぼ)え候(さうら)ふ」と申(まう)したりければ、十郎(じふらう)も、「さこそ」とて、箱根路にぞかかりける。鞠子河(まりこがは)渡(わた)りけるが、手網(たづな)かいくり申(まう)しけるは、「わ殿(どの)三(み)つ、祐成五(いつ)つの年より、二十余の今まで、此(こ)の川(かわ)を一月に四五度づつも渡(わた)りつらん。如何(いか)なる日なれば、今(いま)渡(わた)りはてん事(こと)の哀(あは)れさよ。などや覧(らん)、いつよりも、此(こ)の川の水(みづ)濁(にご)りて候(さうら)ふ。心(こころ)許(もと)無(な)し」と言(い)ひければ、五郎(ごらう)申(まう)す様(やう)、「皆人(みなひと)の冥途(めいど)におもむく時は、物(もの)の色変(か)はり候(さうら)ふ。我(われ)等(ら)が行(ゆ)くべき道、曾我(そが)を出(い)づるは、娑婆(しやば)を別るるにて候(さうら)ふ。此(こ)の川(かは)は、三途川(さんづかは)、湯坂峠(ゆざかのたうげ)は、死出(しで)の山、鎌倉(かまくら)殿(どの)は、閻魔王(えんまわう)、御前(ごぜん)祗候(しこう)の侍(さぶらひ)共は、獄卒阿防羅刹(ごくそつあはうらせつ)、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)は、P300善知識(ぜんぢしき)、箱根(はこね)の別当(べつたう)は、六道能化(のうけ)地蔵(ぢざう)菩薩(ぼさつ)と念(ねん)じ奉(たてまつ)る。此(こ)の川(かわ)の水(みづ)、色変(か)はると見(み)えてこそ候(さうら)へ」とて、駒(こま)打(う)ち入(い)れけるが、やや有(あ)りて、十郎(じふらう)、
五月雨(さみだれ)に浅瀬(あさせ)も知(し)らぬ鞠子川(まりこがわ)波(なみ)に争(あらそ)ふ我(わ)が涙(なみだ)かな W029
五郎(ごらう)聞(き)きて、歌(うた)の体(たい)悪(あ)しくや思(おも)ひけん、行縢(むかばき)鼓(つづみ)打(う)ちならし、かくぞ詠(えい)じける、
渡(わた)るより深(ふか)くぞ頼(たの)む鞠子川(まりこがわ)親(おや)の敵(かたき)に逢瀬(あふせ)と思(おも)へば W030
斯様(かやう)に思(おも)ひ連(つら)ね、通(とほ)る所(ところ)は阿弥陀のいんしゆ、かさまてら、湯本(ゆもと)の宿(しゆく)を打(う)ち過(す)ぎ、湯坂峠(ゆざかのたうげ)に駒(こま)をひかへ、弓杖(ゆんづゑ)つきて、申(まう)しけるは、「人生(う)まれて、三ケ国にてはつるとは、理(ことわり)也(なり)。我(われ)生(う)まるる所(ところ)は伊豆(いづ)の国(くに)、育(そだ)つ所(ところ)は、相模(さがみ)の国(くに)、最後所は駿河(するが)の国(くに)富士野裾野(すその)の露と消(き)えなん不思議(ふしぎ)さよ」。五郎(ごらう)聞(き)きて、「其(そ)の最後(さいご)所が大事(だいじ)にて候(さうら)ふぞ。心(こころ)得(え)給(たま)へ」といさむれば、古里(ふるさと)の名残(なごり)や惜(を)しかりけん、我(わ)が方(かた)の空(そら)をはるばるとながむれば、只(ただ)雲(くも)のみうすけぶり、何処(いづく)を其処(そこ)共(とも)知(し)らねども、「煙(けぶり)少(すこ)し見(み)えたるは、もし曾我(そが)にてや候(さうら)ふらん」。道三郎(だうざぶらう)、是(これ)を顧(かへり)みて、「煙(けぶり)は余所(よそ)にて候(さうら)ふ。其(そ)れよりも南のくろき森(もり)に、雲のかかりて候(さうら)ふこそ、曾我(そが)にて候(さうら)へ」と申(まう)しければ、古き事(こと)共(ども)の思(おも)ひ出(で)られて、
曾我林(そがはやし)霞(かすみ)なかけそ今朝(けさ)ばかり今(いま)を限(かぎ)りの道(みち)と思(おも)へば W031
と打(う)ちながめ、涙ぐみけり。五郎(ごらう)、此(こ)の有様(ありさま)を見(み)て、此(こ)の心(こころ)に同心(どうしん)しては、はかばかしきことあらじ、いさめばやと思(おも)ひければ、しかり声(ごゑ)に成(な)りて、「殿こそ、大磯(おほいそ)・小磯(こいそ)P301や古里(ふるさと)をもながめ給(たま)へ。時宗におきては、思(おも)ふ事(こと)こそ、忙(いそが)はしく候(さうら)へ」とて、駒(こま)引(ひ)き寄(よ)せ、掛(か)け出(い)だし、二町(ちやう)計(ばかり)掛(か)け通(とほ)りぬ。十郎(じふらう)、興(きよう)さめて思(おも)ひながら、駒(こま)掛(か)け出(い)だし、追(お)ひ付(つ)きけり。五郎(ごらう)又(また)、引(ひ)き下(さ)がりくどきけるは、「人界(にんがい)に生(しやう)をうくる者(もの)、誰かは後(あと)の名残(なごり)惜(を)しからで候(さうら)ふべき。鬼王(おにわう)・道三郎(だうざぶらう)が心(こころ)をも、御(おん)兼(か)ね候(さうら)へかし。彼(かれ)等(ら)をば、曾我(そが)へ返(かへ)し候(さうら)ふべし。此(こ)の事(こと)適(かな)ひて候(さうら)はば、申(まう)すに及(およ)ばず。し損(そん)ずる物(もの)ならば、此(こ)の人々(ひとびと)が、此処(ここ)にて歌(うた)を詠(よ)み、彼処(かしこ)にては詩(し)を詠(えい)じて、しもたてぬ事(こと)なんどあざけらんも、口惜(くちを)し。如何(いか)ばかりとか思(おぼ)し召(め)し候(さうら)ふ」と申(まう)しければ、理(り)に攻(せ)められて、其(そ)の後、歌をも読(よ)まず、横目(よこめ)をもせで、打(う)ちける程(ほど)に、大崩(くづれ)にこそ付(つ)きけれ。
 @〔二宮(にのみや)の太郎にあひし事(こと)〕S0707N113
 道の末(すゑ)を見(み)渡(わた)しければ、馬(むま)乗(の)り五六騎(ごろつき)出(い)で来(き)たる。十郎(じふらう)見(み)て、「二宮(にのみや)殿(どの)と覚(おぼ)えたり。いざや、此(こ)の事(こと)一(ひと)はし語(かた)らん」と言(い)ふ。五郎(ごらう)聞(き)きて、余(あま)りの事(こと)なれば、返事(へんじ)もせず。やや有(あ)りて申(まう)しけるは、「如何(いか)で斯様(かやう)の大事(だいじ)、聟(むこ)には知(し)らせ候(さうら)ふべき。異姓(いしやう)他人(たにん)にては候(さうら)はずや。如何(いか)なる人か、世(よ)に無(な)き我(われ)等(ら)が死(し)にに行(ゆ)くと語(かた)らはんに、同意(どうい)する者(もの)や候(さうら)ふべき。対面(たいめん)計(ばかり)にて、御(おん)通(とほ)り候(さうら)へ」。十郎(じふらう)聞(き)きて、「御分(ごぶん)の心(こころ)を見(み)んとてこそ」と雑談(ざふたん)して、間(あひ)近(ちか)くなりP302ければ、此(こ)の人々(ひとびと)、馬(うま)より下(お)り、弓取(と)り直(なほ)し、色代(しきだい)す。「人々(ひとびと)、何処(いづく)へ行(ゆ)き給(たま)ふぞや」「鎌倉(かまくら)殿(どの)、富士野御狩(みかり)と承(うけたまわり)、狩座(かりくら)の体(てい)見(み)参(まゐ)らせて、末代(まつだい)の物語(ものがたり)にと思(おも)ひ立(た)ちて、罷(まか)り出(い)で候(さうら)ふ」と申(まう)す。義実(よしざね)聞(き)きて、「哀(あは)れ、人々(ひとびと)、無用(むよう)の見物(けんぶつ)かな。馬・鞍(くら)見(み)苦(ぐる)しくての見物(けんぶつ)、然(しか)るべからず。是(これ)より帰(かへ)り給(たま)へ。某(それがし)をも、御供(おんとも)と申(まう)されつるを、見(み)苦(ぐる)しさに、風気(かざけ)の由(よし)、梶原(かぢはら)が方(かた)へ申(まう)して遣(つか)はし候(さうら)ふぞ。面々(めんめん)も、只(ただ)是(これ)より帰(かへ)り給(たま)ひて、二宮(にのみや)に逗留(とうりう)し、笠懸(かさかけ)など射(い)て、遊(あそ)び給(たま)へ」と申(まう)しければ、十郎(じふらう)、「もつ共(とも)畏(かしこ)まり存(ぞん)じ候(さうら)へ共(ども)、斯様(かやう)の事(こと)、有(あ)り難(がた)し、見物(けんぶつ)と存(ぞん)じ、既(すで)に思(おも)ひ立(た)ち候(さうら)ふ。馬は山をば引(ひ)かせ候(さうら)ふべし。帰(かへ)りには参(まゐ)り、しばし逗留(とうりう)仕(つかまつ)り候(さうら)ふべし。まうけ肴(さかな)御用意(ごようい)候(さうら)へ」と申(まう)しければ、「此(こ)の上(うへ)は、御(おん)帰(かへ)りをこそ待(ま)ち申(まう)すべし」とて、馬(うま)引(ひ)き寄(よ)せ打(う)ち乗(の)り、東西(とうざい)へ打(う)ち別(わか)れけり。只(ただ)世(よ)の常(つね)とは思(おも)へ共(ども)、是(これ)ぞ最後なりける。扨(さて)も、我(われ)等(ら)討(う)ち死(じ)にの後、形見(かたみ)共(ども)送(おく)りなん。其(そ)の時(とき)、男子(をのこご)なりせば、一道にこそ成(な)るべきに、女(をんな)の身(み)の悲(かな)しさは、其(そ)れこそ適(かな)はずとも、道より最後(さいご)のことづてだにも無(な)かりつるよと恨(うら)み給(たま)はん事(こと)、疑(うたが)ひ無(な)し。志(こころざし)の程(ほど)こそ、無慙(むざん)なれ。
 @〔矢立(やたて)の杉(すぎ)の事(こと)〕S0708N114P303
 「とても捨(す)つべき命、遅速(ちそく)同(おな)じ事(こと)也(なり)。さりぬべき便宜(びんぎ)もこそあらめ、一時も急(いそ)げや」とて、駒(こま)め早(はや)めて打(う)つ程(ほど)に、矢立(やたて)の杉(すぎ)にぞつきにける。此(こ)の杉(すぎ)と申(まう)すは、もとは湯本(ゆもと)の杉(すぎ)と言(い)ひけるを、九州(きうしう)に阿蘇(あそ)の平(へい)権守(ごんのかみ)とて、虎狼臣(こらうしん)有(あ)り。九国を打(う)ち従(したが)へて、きちやうする事(こと)、四か年也(なり)。軍(いくさ)する事(こと)、五十余度也(なり)。其(そ)の時(とき)、生年(しやうねん)七十二歳(さい)也(なり)。剰(あまつさ)へ天下(てんが)を悩(なや)まし奉らんとて、国(くに)を催(もよほ)す聞(き)こえ有(あ)りければ、六孫王(ろくそんわう)の御時(とき)、其(そ)の討手(うつて)の為(ため)に、関東(くわんとう)の兵を召(め)されて上(のぼ)りしに、此(こ)の杉(すぎ)のもとに下(お)り居(ゐ)て、祈(いの)りけるは、「九州(きうしう)に下(くだ)り、権守(ごんのかみ)を打(う)ち従(したが)へ、難無(な)く都に帰(かへ)り上(のぼ)り、名を後代(こうたい)に上(あ)ぐべくは、一(いち)の矢受(う)け取(と)り給(たま)へ」とて、各(おのおの)射(い)けるに、一人も射(い)損(そん)ぜず。扨(さて)、筑紫(つくし)に下(くだ)り、合戦(かつせん)するに、難(なん)無(な)く打(う)ち勝(か)つて、帰(かへ)り上(のぼ)りぬ。其(そ)の時よりして、矢立(やたて)の杉(すぎ)と申(まう)しけり。「門出(かどいで)めでたき杉とて、上下旅人(たびびと)、心(こころ)有(あ)るも無(な)きも、此(こ)の木(き)に上矢(うはや)を参(まゐ)らせぬは無(な)し。況(いはん)や、我(われ)等(ら)、思(おも)ふ事(こと)有(あ)りて行(ゆ)く者(もの)ぞかし。如何(いか)で、上矢(うはや)を参(まゐ)らせざらんとて、十郎(じふらう)、一(いち)の枝(えだ)に止(とど)む。五郎(ごらう)は、二の枝(えだ)にぞ射(い)たてたる。何(なに)と無(な)く射(い)留(とど)めけれ共(ども)、十郎(じふらう)は、宵(よひ)に打(う)たれ、五郎(ごらう)は、朝(あした)切(き)られにけり。此(こ)の瑞相(ずいさう)現(あらは)れて、一二の枝(えだ)の隔(へだ)て、不思議(ふしぎ)也(なり)とて、思(おも)ひ合(あ)はせける。さて、駒(こま)を早(はや)めて打(う)つ程(ほど)に、箱根の御山にぞ付(つ)きにける。