P304曾我物語巻第八
@〔箱根にて暇乞(いとまごひ)の事(こと)〕S0801N116
抑(そもそも)、彼(か)の箱根山と申(まう)すは、関東(くわんとう)第一(だいいち)の霊山(れいさん)なり。後(うし)ろには、高山(かうざん)峨々(がが)と連(つら)なりて、真如(しんによ)の月影(かげ)を宿(やど)す。前には、生死(しやうじ)の海漫々(まんまん)として、波煩悩(ぼんなう)の垢(あか)をすすげば、無始(むし)の罪障(ざいしやう)も消滅(せうめつ)すと覚(おぼ)えたり。本地文殊師利菩薩(ほんぢもんじゆしりぼさつ)、衆生(しゆじやう)を化度(けど)し給(たま)へば、有為(うゐ)の都(みやこ)と名付(なづ)けたり。然(さ)れば、一度縁(えん)を結(むす)ぶ者(もの)は、長(なが)く悪所に落(お)とさじと誓(ちか)ひ給(たま)ふ事(こと)、頼(たの)もしくぞ覚(おぼ)えける。此(こ)の人々(ひとびと)は、御前(おんまへ)に参(まゐ)り、「帰命(きみやう)頂礼(ちやうらい)、願(ねが)はくは、浄土(じやうど)に向(む)かへ取(と)り給(たま)へ。時致(ときむね)十一より、此(こ)の御山に参(まゐ)り、今(いま)に至(いた)るまで、毎日(まいにち)に三巻(さんぐわん)づつ、普門品(ふもんぼん)怠(おこた)らず読(よ)み奉(たてまつ)るも、只(ただ)此(こ)の為(ため)なり。哀(あは)れみ給(たま)へ」と念誦(ねんじゆ)して、別当(べつたう)の坊(ばう)へぞ行(ゆ)きたりける。 行実(ぎやうじつ)、やがて出(い)で合(あ)ひ給(たま)ひて、古(いにしへ)今の物語(ものがたり)し給(たま)ふ。「男(をとこ)になり給(たま)へばとて、昔(むかし)に代(か)はりて思(おも)ふべきにあらず、御身(おんみ)こそよそがましくし給(たま)へ、面々(めんめん)の心中(しんちゆう)、始(はじ)めより詳(くは)しくP305知(し)りて候(さうら)ふぞ。哀(あは)れにのみこそ思(おも)ひ奉(たてまつ)れ。如何(いか)でか恨(うら)み申(まう)すべき。人に頼(たの)まるる事(こと)は、在家(ざいけ)出家(しゆつけ)によるべからず、愚僧(ぐそう)も、年だに若(わか)く候(さうら)はば、などかは頼(たよ)りにならざるべき」とて、墨染(すみぞめ)の袖を顔(かほ)に押(お)し当(あ)て、さめざめと泣(な)き給(たま)へば、十郎(じふらう)承(うけたまは)り、「御意(ぎよい)は、畏(かしこ)まり入(い)り候(さうら)へ共(ども)、更(さら)に野心(やしん)の候(さうら)はず。時宗も、其(そ)の後、やがて罷(まか)り上り、男(をとこ)に成(な)りて候(さうら)ふ怠(おこた)りをも申(まう)すべきにて候(さうら)ひしを、母(はは)には不孝(ふけう)せられ候(さうら)ひぬ。又(また)、恐(おそ)れをなし奉(たてまつ)る故(ゆゑ)、今におそなはり候(さうら)ふ」。別当(べつたう)聞(き)き給(たま)ひ、「祈祷(きたう)は頼(たの)もしく思(おも)ひ給(たま)へ。千騎万騎の方人(かたうど)と思(おぼ)し召(め)せとて、酒(さけ)取(と)り出(い)だして、三三九度(ど)すすめ給(たま)ひつつ、 「何(なに)を以(もつ)てか、方々(かたがた)の門出(かどいで)いははん」とて、鞘巻(さやまき)一腰(こし)取(と)り出(い)だし、十郎(じふらう)に引(ひ)かれけり。「此(こ)の刀(かたな)と申(まう)すは、木曾(きそ)義仲(よしなか)の三代相伝(さうでん)とて、三(み)つの宝(たから)有(あ)り。第一(だいいち)に、竜王(りゆうわう)作の長刀(なぎなた)、第二(だいに)に、雲落(お)としと言(い)ふ太刀、第三に、此(こ)の刀也(なり)。名をば微塵(みぢん)と言(い)ふ。通(とほ)らぬ物無(な)ければなり。然(さ)れば、此(こ)の三(み)つの宝(たから)を秘蔵(ひさう)して持(も)たれたり。御子清水(きよみづ)御曹司(ざうし)、鎌倉(かまくら)殿(どの)の聟(むこ)になり給(たま)ひて、国(くに)の大将軍(たいしやうぐん)賜(たま)はりて、海道(かいだう)を攻(せ)め上り給(たま)ひ候(さうら)ふ由(よし)聞(き)こえければ、彼(か)の宝(たから)を祈(いの)りの為(ため)とて、此(こ)の御山へ参(まゐ)らせらる。宝殿(ほうでん)の事(こと)は、一向(いつかう)別当(べつたう)の計(はから)ひたるに依(よ)りて、是(これ)を御分(ごぶん)に奉(たてまつ)る。高名(かうみやう)し給(たま)へ」とて、引(ひ)かれけり。五郎(ごらう)には、兵庫鎖(ひやうごくさり)の太刀(たち)を一振(ふ)り取(と)り出(い)だし、引(ひ)かれけり。「此(こ)の太刀(たち)と申(まう)すは、昔(むかし)頼光(らいくわう)の御時(とき)、大国(たいこく)よりぶあく大夫(たいふ)と言(い)ふ莫耶(ばくや)を召(め)し、三ケ月に作(つく)らせ、一月にみがかせ二尺(しやく)八寸(すん)に打(う)ち出(い)だす。P306秘蔵(ひさう)並(なら)ぶ物無(な)くして持(も)たれける。或(あ)る時(とき)、此(こ)の太刀(たち)を枕にたてられし時(とき)、俄(にはか)に雨風ふきて、此(こ)の太刀(たち)をふき動(うご)かしければ、刃風(はかぜ)に、側(そば)なりける草紙(さうし)三帖(でう)が紙(かみ)数七十枚(まい)きれたりけり。頼光(らいくわう)、てうかと名付(なづ)けて持(も)たれたり。其(そ)れより、河内守(かはちのかみ)頼信(よりのぶ)のもとへ譲(ゆづ)られぬ。其(そ)れにての不思議(ふしぎ)に、此(こ)の太刀(たち)をぬかれければ、四方(しはう)五段(たん)ぎりの虫(むし)も、翼(つばさ)もきれ落(お)ちにければ、虫(むし)ばみとぞ付(つ)けられける。其(そ)れより、頼義(らいぎ)のもとへ譲(ゆづ)られたり。其(そ)れにての不思議(ふしぎ)には、折々(をりをり)御所(ごしよ)中(ぢゆう)震動(しんどう)して、人死(し)にうする事(こと)、度々なり。或(あ)る時(とき)、頼義(らいぎ)、此(こ)の太刀(たち)を枕(まくら)にたてられしに、例(れい)の如(ごと)くに、雷電(らいでん)はげしくして、御所(ごしよ)中(ぢゆう)騒(さわ)がし。此(こ)の太刀(たち)、己(おのれ)とぬけ出(い)でて、大地(だいぢ)一丈(いちぢやう)が底(そこ)に入(い)り、斯(か)かる悪事仕(つかまつ)る大蛇(だいじや)の尾頭(をかしら)九尋(いろ)有(あ)りけるを、四(よ)つにこそは切(き)りたりける。其(そ)の後よりぞ、御所(ごしよ)中(ぢゆう)の狼籍(らうぜき)も止(とど)まりける。あやしみて、跡(あと)を尋(たづ)ね尋(たづ)ねて見(み)給(たま)へば、斯(か)かる不思議(ふしぎ)をしたりければ、毒蛇(どくじや)と名付(なづ)けて、持(も)たれたり。其(そ)れよりして、八幡(はちまん)殿(どの)へ譲(ゆづ)られける。其(そ)れにての不思議(ふしぎ)には、其(そ)の頃(ころ)、宇治(うぢ)の橋姫(はしひめ)の、あれて人を取(と)ると。或(あ)る夕暮(ゆふぐれ)に、八満(はちまん)殿(どの)、宇治(うぢ)へ参(まゐ)られけるに、人の申(まう)すに違(たが)はず、川(かわ)の水(みづ)波しきりにして、十八九計(ばかり)なる美女(びぢよ)一人、橋(はし)の上に上(あ)がりて、八満(はちまん)殿(どの)を馬(むま)よりいだき下(お)ろし、川(かわ)の中(なか)へ入(い)れんとす。彼(か)の太刀(たち)、己(おのれ)とぬけ出(い)でて、橋姫(はしひめ)の弓手(ゆんで)の腕(かひな)を切(き)り落(お)とす。力(ちから)及(およ)ばず、川(かは)へ飛(と)び入(い)りぬ、其(そ)れより、宇治(うぢ)の狼籍(らうぜき)も止(とど)まりけり。然(しか)れば、此(こ)の太刀(たち)、姫切(ひめきり)と名付(なづ)けて、持(も)たれたり。其(そ)れより、P307六条(ろくでう)の判官(はんぐわん)為義(ためよし)のもとへ譲(ゆづ)られたる。其(そ)れにての奇特(きどく)には、此(こ)の太刀(たち)に六寸(ろくすん)ばかり勝(まさ)りたる太刀を立(た)て添(そ)へて置(お)かれたり。夜(よ)に入(い)りぬれば、切(き)り合(あ)ひける。判官(はんぐわん)、此(こ)の由(よし)聞(き)き給(たま)ひて、予(かね)てより様(よう)有(あ)る物(もの)をとて、五夜までこそ立(た)て添(そ)へて置(お)かれけれ。五夜の間(あひだ)、隙無(な)く戦(たたか)ひて、六夜と申(まう)すに、我(わ)が寸(すん)に勝(まさ)りたるを、安(やす)からずとや思(おも)ひけん、余(あま)る六寸(ろくすん)を切(き)り落(お)とす。然(さ)れば、友切(ともきり)と名付(なづ)けて、持(も)たれたり。源氏(げんじ)重代(ぢゆうだい)にも伝(つた)ふべかりしを、保元(ほうげん)の合戦(かつせん)に、為義(ためよし)切(き)られ給(たま)ひ、嫡子(ちやくし)左馬頭(さまのかみ)義朝(よしとも)の手(て)へ渡(わた)りけるに、仏法(ぶつぽふ)守護(しゆご)の仏とて、鞍馬(くらま)の毘沙門(びしやもん)に込(こ)め給(たま)ふ。然(さ)れども、過(す)ぎにし合戦(かつせん)に、父(ちち)を切(き)り給(たま)ひしかば、多聞(たもん)も受(う)けずや思(おぼ)し召(め)しけん、合戦(かつせん)に打(う)ち負(ま)け、東国(とうごく)差(さ)して落(お)ち給(たま)ふ。尾張(をはり)の国(くに)知多郡(ちたのこほり)野間(のま)の内海(うつみ)と言(い)ふ所(ところ)にて、相伝(さうでん)の家人鎌田兵衛(かまだびやうゑ)正清(まさきよ)が舅(しうと)、長田(をさだ)の四郎(しらう)忠致(ただむね)に打(う)たれ給(たま)ひて後、伝(つた)ふべき人無(な)かりしに、義朝(よしとも)の末(すゑ)の子九郎判官(はんぐわん)殿(どの)、未(いま)だ牛若殿(うしわかどの)にて、鞍馬(くらま)の東光坊(とうくわうばう)のもとに、学問(がくもん)して御座(おは)しけるが、如何(いか)にして聞(き)き給(たま)ひけん、折々、毘沙門(びしやもん)に参(まゐ)り、「帰命(きみやう)頂礼(ちやうらい)、願(ねが)はくは、父義朝(よしとも)の太刀、此(こ)の御山に込(こ)められて候(さうら)ふ。父(ちち)の形見(かたみ)に、一目(ひとめ)見(み)せしめ給(たま)へ」と、祈念(きねん)申(まう)されければ、多聞(たもん)、哀(あは)れとや思(おぼ)しけん、此(こ)の太刀(たち)を下(くだ)し給(たま)ふと、夢想(むさう)を蒙(かうぶ)り、喜(よろこ)びの思(おも)ひをなし、急(いそ)ぎ参(まゐ)りて見(み)奉(たてまつ)り給(たま)へば、現(うつつ)に御戸(と)開(ひら)き、此(こ)の太刀有(あ)り。盗(ぬす)み出(い)だし、深(ふか)く隠(かく)し置(お)きて、十三になり給(たま)ひける年(とし)、相伝(さうでん)の郎等(らうどう)、奥州(あうしう)の秀衡(ひでひら)を頼(たの)み、P308商人(あきんど)に伴(ともな)ひて、下(くだ)り給(たま)ひけるに、美濃(みの)の国(くに)垂井(たるゐ)の宿にて、商人(あきうど)の宝(たから)を取(と)らんとて、夜討(ようち)の多(おほ)く入(い)りたりしか共(ども)、おきあふ者(もの)も無(な)かりしに、牛若殿(うしわかどの)一人おき合(あ)ひ、究竟(くつきやう)の兵(つはもの)十二人切(き)り止(とど)め、八人に手(て)を仰(おほ)せて、多(おほ)くの強盗(がうだう)追(お)つ返(かへ)す、高名(かうみやう)したる太刀也(なり)とて、奥州(あうしう)まで秘蔵(ひさう)せられけるに、十九の年(とし)、兵衛佐(ひやうゑのすけ)殿(どの)謀叛(むほん)を起(お)こし給(たま)ふと聞(き)こし召(め)し、鎌倉(かまくら)に上り、見参(げんざん)に入(い)り、幾程(いくほど)無(な)くして、西国(さいこく)の大将軍(たいしやうぐん)にて、発向(はつかう)せられけるに、今度(こんど)の合戦(かつせん)に打(う)ちかたせ給(たま)へとて、此(こ)の御山へ参(まゐ)らせられ給(たま)ひて候(さうら)ふ。自然(しぜん)に僻事(ひがこと)し出(い)だし候(さうら)ひて、上(かみ)より御(おん)尋(たづ)ねあらば、法師(ほふし)が御辺(へん)に奉(たてまつ)りて、狼籍(らうぜき)なりと、御不審(ふしん)あらん時(とき)は、京(きやう)に上(のぼ)り、四条町(でうまち)にてかひ取(と)りたる由(よし)申(まう)さるべし。御分(ごぶん)男(をとこ)になり給(たま)へば、今は見参(げんざん)には入(い)りたくは無(な)けれども、志(こころざし)を思(おも)ひ遣(や)られて、哀(あは)れなるぞとよ。祈祷(きたう)頼(たの)もしく思(おも)ひ給(たま)へ。此(こ)の法師(ほつし)が息(いき)の通(かよ)はん程(ほど)は、明王(みやうわう)攻(せ)め奉(たてまつ)らんに、何(なに)の疑(うたが)ひか有(あ)るべき」と宣(のたま)ひける。時致(ときむね)承(うけたまは)りて、「仰(おほ)せ忝(かたじけな)けれ共(ども)、更(さら)に野心(やしん)の儀(ぎ)は候(さうら)はず。御不審(ふしん)の条(でう)、もつともにて候(さうら)へども、恐(おそ)れ奉(たてまつ)りて参(まゐ)らぬなり。狩場(かりば)よりの帰(かへ)りには、参(まゐ)るべく候(さうら)ふ。又は、思(おぼ)し召(め)し合(あ)はする事(こと)も候(さうら)ひなん」とて、罷(まか)り立(た)ち、然(さ)らぬ体(てい)にはもてなせども、今(いま)を限(かぎ)りなれば、忍(しの)びの涙(なみだ)を流(なが)しける。別当(べつたう)も、縁(えん)まで立(た)ち出(い)で給(たま)ひて、はるばる見(み)送(おく)りつつ、名残(なごり)惜(を)しくぞ思(おも)はれける。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、駒(こま)に鞭(むち)を上(あ)げて、急(いそ)がれける程(ほど)に、三島(みしま)P309近(ちか)く成(な)り、
@〔三嶋にて笠懸(かさかけ)いし事(こと)〕S0802N119
十郎(じふらう)、道にて申(まう)しけるは、「只今(ただいま)の別当(べつたう)の御(おん)言葉(ことば)、偏(ひとへ)に御託宣(たくせん)と覚(おぼ)えたり。其(そ)の上、我(われ)等(ら)に権現(ごんげん)より剣(つるぎ)一(ひと)つづつ賜(たま)はり候(さうら)ふ上(うへ)は、今度(こんど)敵(かたき)を打(う)たん事(こと)、疑(うたが)ひ有(あ)るべからず」と喜(よろこ)びて、三島(みしま)の大明神(だいみやうじん)の御前(ごぜん)にこそつきにけれ。此(こ)の人々(ひとびと)、畳紙(たたふがみ)をはさみ、七番づつの笠懸(かさかけ)を射(い)て、法楽(ほふらく)し奉(たてまつ)り、敵(かたき)の事(こと)、心(こころ)の儘(まま)にぞ祈(いの)られける。「誠(まこと)、思(おも)ふ事(こと)適(かな)はずは、我(われ)等(ら)敵(かたき)の手(て)に掛(か)けて、足柄(あしがら)を東へ二度返(かへ)し給(たま)ふべからず、南無(なむ)三嶋大明神(だいみやうじん)」とぞ念(ねん)じける。皆人(みなひと)、神(かみ)や仏(ほとけ)に参(まゐ)りては、或(ある)いは寿命(じゆみやう)長遠(ちやうおん)と祈(いの)り、諸病悉除(しよびやうしつじよ)とこそ祈(いの)るに、此(こ)の人々(ひとびと)の明(あ)け暮(く)れは、「父(ちち)の為(ため)、命を召(め)せ」とのみ申(まう)しけるこそ、無斬(むざん)なる。斯様(かやう)の事(こと)共(ども)をも、最後の文(ふみ)に詳(くは)しく書(か)きて、富士(ふじ)より曾我(そが)へぞ返(かへ)しける。母(はは)見(み)給(たま)ひて、五つや三(み)つより思(おも)ひ寄(よ)りけるとも知(し)られける。 さても、御寮(れう)は、浮島(うきしま)が原(はら)に御座の由(よし)承(うけたまは)り、曾我(そが)兄弟(きやうだい)も、急(いそ)ぎ追(お)つ付(つ)き奉(たてまつ)りぬ。其(そ)の夜、其(そ)れにて、便宜(びんぎ)を狙(ねら)へ共(ども)、用心(ようじん)隙(ひま)も無(な)かりければ、力(ちから)無(な)し。其(そ)の夜(よ)も、其処(そこ)にて窺(うかが)へども、北条(ほうでう)殿(どの)の警固(けいご)にて、隙(ひま)も無(な)し。P310
@〔富士野(ふじの)の狩場(かりば)への事(こと)〕S0803N121
御寮(れう)は、合沢(あひざは)の御所(ごしよ)に坐(ま)しましける。梶原(かぢはら)源太(げんだ)左衛門(さゑもん)を召(め)して、仰(おほ)せ下(くだ)されけるは、「昨日(きのふ)の狩場(かりば)より、富士野はひろければ、勢子(せこ)少(すく)なくては適(かな)ふまじ。其(そ)の由(よし)、相(あひ)ふれよ」。承(うけたまは)りて、人々(ひとびと)にふれ、射手(いて)を揃(そろ)へけり。先(ま)づ武蔵(むさし)の国(くに)には、畠山(はたけやま)の庄司(しやうじ)次郎(じらう)重忠(しげただ)、三浦(みうら)和田(わだ)の左衛門(さゑもん)義盛(よしもり)、三浦介(みうらのすけ)義澄(よしずみ)、下総国(しもつふさ)の国(くに)には、千葉介(ちばのすけ)、古郡(ふるこほり)左衛門(さゑもん)兼忠(かねただ)、武田(たけだ)の太郎信義(のぶよし)、下野(しもつけ)の国(くに)には、宇都宮(うつのみや)の弥三郎(やさぶらう)朝綱(ともつな)、横山(よこやま)の藤馬允(とうまのじよう)、相模(さがみ)の国(くに)に、松田(まつだ)、川村の人々(ひとびと)を先(さき)として、以上、三百余人(よにん)なり。若侍(わかさぶらひ)には、畠山(はたけやま)の二郎(じらう)重保(しげやす)、梶原(かぢはら)源太(げんだ)左衛門(さゑもん)景季(かげすゑ)、朝比奈(あさいな)の三郎(さぶらう)義秀(よしひで)、同(おな)じく彦太郎(ひこたらう)、御所(ごしよ)の太郎、毛利(もり)の五郎(ごらう)、林(はやし)の四郎(しらう)、小山(をやま)の三郎(さぶらう)、葛西(かさい)の六郎(ろくらう)、板垣(いたがき)の弥三郎(やさぶらう)、本間(ほんま)の彦七(ひこしち)、渋谷(しぶや)の小五郎(ごらう)、愛甲(あいきやう)の三郎(さぶらう)を始(はじ)めとして、四百五十余人(よにん)なり。総(そう)じて、弓持(も)ち、馬(うま)に乗(の)る侍(さぶらひ)、三百万騎も有(あ)るらんと見(み)えし。其(そ)の後、勢子(せこ)を山へ入(い)れけるに、東は足柄(あしがら)の峰(みね)をさかひ、北は富士野裾野(すその)を限(かぎ)り、西は富士川(ふじがは)を際(きは)として、引(ひ)きまはされけり。勢子(せこ)は、雲霞(うんか)の如(ごと)し。峰(みね)に上(のぼ)り、谷(たに)に下(くだ)り、野干(やかん)を平野(ひらの)に追(お)ひ下(くだ)し、思(おも)ひ思(おも)ひに射(い)止(とど)めけり。御寮(れう)の其(そ)の日の御装束(しやうぞく)には、羅綺(らき)の重衣(ちようい)の富士松(ふじまつ)の、風折(かざをり)したる立烏帽子(たてえぼし)、御狩衣(かりぎぬ)は柳(やなぎ)色、大紋(もん)のP311指貫(さしぬき)に、熊(くま)の皮(かは)の行縢(むかばき)、芝打長(しばうちなが)に召(め)し、連銭葦毛(れんぜんあしげ)なる馬(うま)の五尺(しやく)に余(あま)りたるに、白鞍(しろくら)置(お)かせ、厚総(あつぶさ)の鞦(しりがひ)掛(か)けてぞ召(め)されたる。御剣(けん)の役(やく)、江戸(えど)の太郎、御笠(かさ)の役(やく)は、豊島(としま)の新五郎(ごらう)、沓(くつ)の役(やく)は、小山(をやま)の五郎(ごらう)、御敷皮(しきがは)、金子(かねこ)の十郎なり。其(そ)の外(ほか)、一人(いちにん)当千(たうぜん)の兵(つはもの)六七百人、御馬まはりと見(み)えたりし。其(そ)の中に、殊(こと)にすぐれて見(み)えたりしは、五郎丸(ごらうまる)なり。萌黄威(もよぎをどし)の胴丸(どうまろ)に、一尺(しやく)八寸(すん)の大刀差(さ)し、四尺(しやく)八寸(すん)の太刀をはき、鉄(くろがね)の棒(ぼう)の、三人して持(も)ちけるを、本(もと)かろげにつきて、御馬の先(さき)にぞ立(た)ちたりける。御陣(ぢん)の左右(さう)には、和田(わだ)・畠山(はたけやま)、何(いづれ)も鷹(たか)をぞ据(す)ゑさせける。馬(むま)うち静(しづ)かにして、又(また)並(なら)ぶ人無(な)くぞ見(み)えし。其(そ)の外(ほか)、数千騎の出立(いでたち)、花(はな)ををり、月を招(まね)く装(よそほ)ひ、ひろき富士野も、所無(な)く見(み)えし。かくて、山より鹿(しか)共多(おほ)く追(お)ひ下(お)ろし、思(おも)ひ思(おも)ひに止(とど)めて、御寮(れう)の御見参(ごげんざん)にぞ入(い)れにける。畠山(はたけやま)の六郎(ろくらう)重保(しげやす)、左手(ゆんで)右手(めて)に相(あひ)付(つ)けて、鹿(しか)二頭(かしら)止(とど)む。宇都宮(うつのみや)は、五頭(かしら)、一条(いちでう)・板垣(いたがき)、五頭(かしら)、武田(たけだ)・小山(をやま)の人々(ひとびと)も、五頭(かしら)こそ止(とど)めけれ。其(そ)の狩場(かりば)の物数(かず)は、此(こ)の人々(ひとびと)とぞ聞(き)こえし。此処(ここ)に、葛西(かさい)の六郎(ろくらう)清重(きよしげ)、日の暮(く)れ方(がた)に至(いた)るまで、鹿(しか)一頭(かしら)も止(とど)めずして、勢子(せこ)にもるる鹿(しか)もやと、しげみしげみに、目(め)を懸(か)けてまはりける折節(をりふし)、左手(ゆんで)のしげみより、鹿(しか)一頭(かしら)出(い)で来(き)たる。願(ねが)ふ所(ところ)と見(み)渡(わた)せば、矢(や)ごろに少(すこ)しのびたり。鐙(あぶみ)に鞭(むち)を打(う)ち添(そ)へて、下(くだ)り様(さま)にぞ落(お)としける。既(すで)に二三段(だん)ぎり違(ちが)へて、弓(ゆみ)打(う)ち上(あ)げて、引(ひ)かんとする所(ところ)に、思(おも)はぬ岩石(がんぜき)に馬を乗(の)り掛(か)けて、四足(あし)一(ひと)つに立(た)て兼(か)ねて、わななきP312てこそ立(た)ちたりけり。下(お)ろすべき様(やう)も無(な)く、又(また)上(のぼ)すべき所(ところ)も無(な)く、進退(しんだい)此処(ここ)にきはまれり。上下万民(ばんみん)、是(これ)を見(み)て、只(ただ)、「それそれを」とぞ申(まう)しける。今は、馬人諸(もろ)共(とも)に、微塵(みぢん)に成(な)るとぞ見(み)えたりける。清重(きよしげ)、手綱(たづな)を静(しづ)かに取(と)り、とねりなしを結(むす)びおき、かがみの鞭(むち)を打(う)ち添(そ)へて、二(ふた)つ一(ひと)つの捨(す)て手綱(たづな)はちて、後(うし)ろに下(お)り立(た)つたり。馬は、手綱(たづな)を捨(す)てられて、まなごと共(とも)に落(お)ちて行(ゆ)く。主(ぬし)は、つきたる弓の本(もと)、岩角(いはかど)にゑりたてて、しばしこらへて、立(た)ちなほる。諸人(しよじん)、目をこそ澄(す)ましけれ。「乗(の)りたり、下(お)りたり、すへたりや、こらへたり」と、しばしなりも鎮(しづ)まらず。君(きみ)の、御感(ぎよかん)の余(あま)りにや、常陸(ひたち)の国(くに)小栗庄(おぐりのしやう)三千七百町(ちやう)下(くだ)されけり。時の面目(めんぼく)、日の高名(かうみやう)、何事(なにごと)か是(これ)にしかんと、感(かん)ぜぬ人こそ無(な)かりけれ。 斯(か)かる所(ところ)に、上(うへ)のしげみより、鹿(しか)一頭(かしら)出(い)で来(き)たり、梶原(かぢはら)源太(げんだ)ひかへたる左手(ゆんで)を取(と)つてぞ下(くだ)りける。景季(かげすゑ)、幸(さいは)ひにやと喜(よろこ)びて、鹿矢(ししや)を打(う)ちつがひ、よつぴいてはなつ。おつさま、筋(すぢ)違(ちが)ひに首(くび)を掛(か)けずつつとぞ射(い)抜(ぬ)きたる。され共(ども)、鹿(しか)は物(もの)ともせず、思(おも)ふしげみに飛(と)び下(くだ)り、二の矢を取(と)つてつがひ、鞭(むち)打(う)ち下(くだ)す所(ところ)に、伏木(ふしき)に馬(むま)を乗(の)り掛(か)けて、足並(あしなみ)乱(みだ)るる所(ところ)に、下(お)り立(た)ちて馬(うま)ひつ立(た)つ。其(そ)の隙に、畠山(はたけやま)の六郎(ろくらう)重保(しげやす)、馳(は)せ並(なら)べて、よつぴいてはなつ。源太(げんだ)には、したたかにいられぬ。鹿(しし)は、少(すこ)しも働(はたら)かず、二(ふた)つの矢(や)にてぞ止(とど)まりける。重保(しげやす)、馬(うま)打(う)ち寄(よ)せ見(み)る所(ところ)に、源太(げんだ)が馬も掛(か)け寄(よ)せP313て、「其(そ)の鹿(しし)は、景季(かげすゑ)が止(とど)めて候(さうら)ふぞ」。重保(しげやす)聞(き)きて、「心(こころ)得(え)ぬ事(こと)を宣(のたま)ふ物(もの)かな。鹿(しし)は、重保(しげやす)が矢(や)一(ひと)つにて止(とど)めたる鹿(しか)を、誰人(たれびと)か主(ぬし)有(あ)るべき」。源太(げんだ)、弓取(と)り直(なほ)し、あざ笑(わら)ひて申(まう)す様(やう)、「狩場(かりば)の法(ほふ)定(さだ)まれり。一(いち)の矢、二の矢(や)の次第(しだい)有(あ)り。矢目(やめ)は二(ふた)つもあらばこそ、一二の論(ろん)も有(あ)るべけれ」。景季(かげすゑ)も、まさしく射(い)つる物(もの)をとて見(み)れば、実(げ)にも矢目(やめ)は一(ひと)つならでは無(な)かりけり。さりながら、抑(おさ)へて取(と)らるる物(もの)ならば、時の恥辱(ちじよく)に思(おも)ひければ、源太(げんだ)、大(おほ)きに怒(いか)りをなし、「勢子(せこ)の奴(やつ)原(ばら)は無(な)きか。よりて此(こ)の鹿(しし)取(と)れ」。重保(しげやす)も、駒(こま)打(う)ち寄(よ)せ、「雑人(ざふにん)は無(な)きか。重保(しげやす)が止(とど)めたる鹿(しし)の皮(かは)たて」。源太(げんだ)も、然(さ)る者(もの)なりければ、少(すこ)しもひるむ気色(けしき)は無(な)し。「臆(おく)したる奴(やつ)原(ばら)かな。景季(かげすゑ)が止(とど)めたる鹿(しか)の皮(かは)たて、書(か)きて取(と)れ」。重保(しげやす)、然(さ)らぬ体(てい)にて、駒(こま)掛(か)けまはし、「雑色(ざふしき)共(ども)は、など鹿(しか)をば取(と)らぬぞ」と、はや事実(じじつ)なる詰論(つめろん)なり。源太(げんだ)、手綱(たづな)かいくり、駒(こま)打(う)ち寄(よ)せ、小声(こごゑ)に成(な)りて言(い)ふ様(やう)、「恋路(こひぢ)に迷(まよ)ふ隠(かく)し文、遣(や)る者(もの)こそ主(ぬし)候(さうら)ふよ」。重保(しげやす)聞(き)きて、「やさしく宣(のたま)ふ例(たと)へかな。思(おも)ひの色の数、読(よ)まで空(むな)しく返(かへ)すには、返(かへ)し得(え)たるぞ、主(ぬし)と成(な)る」。源太(げんだ)打(う)ち笑(わら)ひ、「吉野(よしの)・立田(たつた)の花紅葉(もみぢ)、誘(さそ)ふ嵐(あらし)は主(ぬし)ならずや」。重保(しげやす)聞(き)きて、「言(い)はれずや、誘(さそ)ふ嵐(あらし)も其(そ)の儘(まま)に、遂(つひ)につれて行(ゆ)かばこそと宣(のたま)ふ。立田の川波(かはなみ)に、ちりて雲(くも)は花の雪(ゆき)、紅葉(もみぢ)の錦(にしき)渡(わた)りなば、中や絶(た)えなん、さりながら、流(なが)れてとまる所(ところ)こそ、誠の主(ぬし)と思(おも)はるれ」「実(げ)に故(ゆゑ)有(あ)りて聞(き)こえたる。波にもつれて行(ゆ)かP314ばこそ。斯(か)かる堰(いせき)も、主(ぬし)なるべき」「堰(いせき)も、止(とど)めはてばこそ。流(なが)れてとまる水門(みなと)こそ、誠の主とは覚(おぼ)えたれ」。源太(げんだ)、此(こ)の言葉(ことば)を打(う)ち捨(す)てて、「ふけ行(ゆ)く月の傾(かたぶ)くをも、ながらむる者(もの)こそ主(ぬし)となれ」。重保(しげやす)聞(き)きて、たからかに打(う)ち笑(わら)ひ、「世界(せかい)をてらす日月を、主(ぬし)と宣(のたま)ふ、過分(くわぶん)也(なり)」「過分(くわぶん)は、人による物(もの)を、御分(ごぶん)一人(ひとり)に帰(き)すかと」。重保(しげやす)、たまらぬ男(をのこ)にて、「一人(ひとり)に帰(き)すか、帰(き)せざるか、手並(てなみ)の程(ほど)を見(み)せん」とて、既(すで)に矢をこそ抜(ぬ)き出(い)だす。源太(げんだ)も、しらまぬ者(もの)なれば、「案(あん)の内(うち)よ」と言(い)ふ儘(まま)に、既(すで)に中差(なかざし)抜(ぬ)き出(い)だす。梶原(かぢはら)が郎等(らうどう)は言(い)ふに及(およ)ばず、時の綺羅(きら)並(なら)ぶ物無(な)かりしかば、知(し)るも知(し)らぬも押(お)しなべて、梶原(かじはら)方(がた)へぞ馳(は)せ寄(よ)りける。三浦(みうら)の人々(ひとびと)も、是(これ)を見(み)て、源太(げんだ)に意趣(いしゆ)有(あ)る上は、秩父(ちちぶ)方(がた)へは所縁(そえん)なり、みはなすまじとて、馳(は)せ寄(よ)りける。いけの人、児玉(こだま)の人々(ひとびと)は、梶原(かじはら)方(がた)へぞ寄(よ)り来(き)ける。みま・本間(ほんま)の人々(ひとびと)は、秩父(ちちぶ)方(がた)へぞ与力(よりき)する。駿河(するが)の国(くに)の人々(ひとびと)は、梶原(かじはら)方(がた)へぞよりにける。伊豆(いづ)の国(くに)の人々(ひとびと)は、北条(ほうでう)殿(どの)を先(さき)として、秩父(ちちぶ)方(がた)へぞ馳(は)せ寄(よ)りける。安房(あは)と上総(かづさ)の侍(さぶらひ)は、二(ふた)つにわれてよりにける。常陸(ひたち)・下総国(しもつふさ)の人々(ひとびと)は、秩父(ちちぶ)方(がた)へぞ集(あつ)まりける。東八ケ国(はつかこく)のみにあらず、日本国(につぽんごく)中(ぢゆう)に知(し)らるる程(ほど)の侍(さぶらひ)、魚鱗(ぎよりん)に重(かさ)なり、鶴翼(くわくよく)に連(つら)なりて、ひたひしめきにひしめきける。畠山(はたけやま)殿は、始(はじ)めより知(し)り給(たま)ひしが、如何(いかが)思(おも)はれけん、知(し)らぬ由(よし)にてぞ坐(ま)しましける。頼朝(よりとも)、是(これ)を御覧(ごらん)じて、「あれあれ、義盛(よしもり)、鎮(しづ)め候(さうら)へ」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、和田(わだ)殿(どの)、両陣(りやうぢん)のP315間(あひ)へ馬(うま)掛(か)け入(い)れ、「上意(じやうい)にて候(さうら)ふぞ。鹿(しか)論(ろん)の事(こと)、互(たが)ひに其(そ)の理(り)有(あ)り。所詮(しよせん)、鹿(しか)をば上へ召(め)され候(さうら)ふ。両人(りやうにん)御前(ごぜん)へ参(まゐ)られよとの御諚(ごぢやう)にて候(さうら)ふ」と、大音声(だいおんじやう)にて言(い)ひ、其(そ)の後(のち)、勢子(せこ)を召(め)し、彼(か)の鹿(しし)をかかせ、六郎(ろくらう)と源太(げんだ)と引(ひ)きつれ、御前(ごぜん)差(さ)して参(まゐ)られけり。扨(さて)こそ、両陣(りやうぢん)は破(やぶ)れにけり。危(あや)ふかりし事(こと)也(なり)。然(さ)ればにや、君(きみ)の御(おん)恵(めぐ)みあまねく、御(おん)哀(あは)れみの深(ふか)くして、事(こと)鎮(しづ)まりぬ。 曾我(そが)の人々(ひとびと)は、哀(あは)れ、事(こと)の出(い)で来(き)たれかし、方人(かたうど)する風情(ふぜい)にて、狙(ねら)ひ寄(よ)りて、一刀差(さ)さんとて思(おも)ひける。かくて、日も暮(く)れ方(がた)になりしかば、今日(けふ)を限(かぎ)りと、傾(かたぶ)く日影(ひかげ)を惜(を)しみける。 此処(ここ)に、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)新田(につた)の四郎(しらう)忠綱(ただつな)、未(いま)だ鹿(しか)にあはずして、落(お)ち来(く)る鹿(しか)を相(あひ)待(まつ)所(ところ)に、幾(いく)年ふる共(とも)知(し)らざる猪(ゐのしし)が、ふし草かか十六つきたるが、主(ぬし)をば知(し)らぬ鹿矢(ししや)共(ども)、四五(よついつつ)立(た)つたりしが、大(おほ)きにたけつて掛(か)けまはる。例(たと)へば、養由(やういう)が術弓(じゆつきゆう)、李廣(りくはう)しんへんも、及(およ)ぶべしとは見(み)えざりけり。近付(ちかづ)く者(もの)をたければ、落(お)ちあふ者(もの)も無(な)くして、徒(いたづ)らに中をあけてぞ通(とほ)しける。忠綱(ただつな)、是(これ)を幸(さいは)ひと掛(か)け寄(よ)せけり。御前(ごぜん)ちかうなりければ、「よしや、新田(につた)、よしや、忠綱(ただつな)」とぞ仰(おほ)せ下(くだ)されけり。人もこそ多(おほ)き中(なか)に、斯様(かやう)の御諚(ごぢやう)かうむる事(こと)、生前(しやうぜん)の面目(めんぼく)、何事(なにごと)か是(これ)にしかんと存(ぞん)ずる間(あひだ)、鉄銅(てつどう)をまろめたる猪(しし)なりとも、余(あま)さじ物(もの)をと思(おも)ひければ、大(だい)の鹿矢(ししや)を抜(ぬ)き出(い)だし、P316只(ただ)一矢に問(と)ひ来(き)てはなつ所(ところ)に、矢よりも先(さき)に飛(と)び来(き)たり、乗(の)りたる馬を主(ぬし)共(とも)に中にすくうて投(な)げ上(あ)げ、落(お)ちば掛(か)けんとする所(ところ)に、適(かな)はじとや思(おも)ひけん、弓も手綱(たづな)も打(う)ち捨(す)てて、向(む)かう様(さま)にぞ乗(の)り移(うつ)る。され共(ども)、逆様(さかさま)にこそ乗(の)りたりけれ。鹿(しし)は乗(の)られて、腹(はら)をたて、馬を彼処(かしこ)へ掛(か)け倒(たふ)し、雲霞(かすみ)に分(わ)け入(い)りて、虚空(こくう)をとんでまはりしは、周(しう)の穆王(ぼくわう)、釈尊(しやくそん)の教法(けうぼふ)を聞(き)かんと、八匹(ひつ)の駒(こま)に鞭(むち)を上(あ)げ、万里の道、刹那(せつな)に飛(と)び付(つ)きしも、是(これ)には如何(いか)で勝(まさ)るべき、新田(につた)は、習(なら)ひし綱(つな)の様(やう)、腰(こし)もきれよとはさみ付(つ)け、尾筒(をづつ)を手綱(たづな)に取(と)り、楽天(らくてん)の伝(つた)へし三頭(かしら)、王良(りやう)が秘(ひ)せし手綱(たづな)、是(これ)なりけりと、こらへけれ共(ども)、詮方(せんかた)無(な)くぞ見(み)えたりけり。鹿(しし)は、いよいよたけりをかき、木(き)の下(もと)、草(かや)の下、岩(いは)、岩石(がんぜき)を嫌(きら)はずして、宙(ちう)に取(と)つてまはりしかば、烏帽子(えぼし)・竹笠(たけがさ)・沓(くつ)・行縢(むかばき)、一度にきれて落(お)ちにけり。大童(わらは)に成(な)りて、只(ただ)落(お)ちじとばかりぞこらへける。大(おほ)きに猛(たけ)き猪(ゐのしし)も、数多(あまた)手(て)はおひぬ。新田(につた)が威(い)にやおされけん、御前(ごぜん)近(ちか)き枯株(かれくゐ)に、つまづき弱(よわ)る所(ところ)に、過(あやま)たず腰(こし)の刀(かた)なを抜(ぬ)き、胴中(どうなか)につきたて、肋骨(あばらぼね)二三枚(まい)かき切(き)りければ、鹿(しし)は、四足(そく)を四五寸(すん)土に踏(ふ)み入(い)れて、立(た)ちずくみにこそなりにけれ。新田(につた)は、急(いそ)ぎ飛(と)び下(お)りて、数(かず)の止(とど)めをさす。上下の狩(かり)人、是(これ)を見(み)て、「前代未聞(ぜんだいみもん)の振舞(ふるま)ひかな。面白(おもしろ)くも止(とど)めたり。乗(の)りも乗(の)りたり、こらへたり」と、感(かん)ぜぬ者(もの)こそ無(な)かりけれ。君(きみ)も、此(こ)の由(よし)御覧(ごらん)じて、「狩場(かりば)の内の高名(かうみやう)は、是(これ)にしかじ」と、御感(ぎよかん)有(あ)り。富士のP317下方(しもがた)にて、五百余町を賜(たま)はりにけり。勢(いきほひ)余(あま)りてぞ見(み)えし。然(さ)れども、此(こ)の鹿(しし)は、富士(ふじ)の裾(すそ)、かくれいの里と申(まう)す所(ところ)の、山の神にてぞ坐(ま)しましける。凡夫(ぼんぶ)の身(み)の悲(かな)しさは、夢(ゆめ)にも是(これ)を知(し)らずして、止(とど)めにけり、御(おん)咎(とが)めにや、やがて、其(そ)の夜、曾我(そが)の十郎に打(う)ち合(あ)ひ、数多(あまた)手(て)負(お)ひ、危(あや)ふかりし命、幾程(いくほど)無(な)くて、田村(たむら)の判官(はんぐわん)が謀叛(むほん)同意(どうい)の由(よし)、讒言(ざんげん)せられて、打(う)たるべかりしを、重保(しげやす)に付(つ)き申(まう)し開(ひら)き、御目(め)にかからんとて、参(さん)じける折節(をりふし)、召(め)しの御馬(うま)離(はな)れたりしが、御庭(には)狭(せば)しと馳(は)せまはる。日本一(につぽんいち)の荒馬(あらうま)なれば、追(お)ひまはす人々(ひとびと)、是(これ)を見(み)て、「よしや、新田(につた)、取(と)れや、忠綱(ただつな)、縄(なは)を掛(か)けよ、過(あやま)ちすな」と、声々(こゑごゑ)に呼(よ)ばはりて、庭上(ていしやう)騒動(さうどう)す。新田(につた)が郎等(らうどう)、門外(もんぐわい)に集(あつ)まりて、「我(われ)等(ら)が主(しゆう)、只今(ただいま)搦(から)め取(と)らるるぞや。主(しゆう)の打(う)たるるを捨(す)てて、何処(いづく)まで逃(のが)るべき」とて、思(おも)ひ切(き)りたる兵二三十人抜(ぬ)きつれて、御前(ごぜん)差(さ)してきつて入(い)る。新田(につた)が運(うん)の極(きは)め也(なり)。御所(ごしよ)方(がた)の人々(ひとびと)、是(これ)を見(み)て、「新田(につた)が謀叛(むほん)誠(まこと)也(なり)。余(あま)すな、方々(かたがた)」とて、日番・当番(たうばん)の人々(ひとびと)出(い)で合(あ)ひて、火(ひ)出(い)づる程(ほど)こそ戦(たたか)ひけれ。御所(ごしよ)方(がた)の人々(ひとびと)、数多(あまた)打(う)たれしかば、新田(につた)が陳法(ちんぽふ)逃(のが)れずして、二十七にて打(う)たれけり。不便(ふびん)なりし事(こと)共(ども)なり。是(これ)も、しかしながら、富士の裾野(すその)の猪(ゐのしし)の咎(とが)めなりと、舌(した)をまかぬは無(な)かりけり。 梶原(かぢはら)源太(げんだ)左衛門(さゑもん)景季(かげすゑ)は、未(いま)だ鹿(しし)にあはずして、落(お)ち来(く)る鹿(しし)を待(ま)ち掛(か)けつつ、掛(か)け並(なら)べ、よつぴきてはなつ。され共(ども)、上(うへ)を遙(はる)かに射(い)こして通(とほ)しけり。景季(かげすゑ)、取(と)り敢(あ)へP318ずかくこそ申(まう)しけれ。夏草(なつくさ)のしげみが下(した)を行(ゆ)く鹿(しか)のそての横矢(よこや)は射(い)にくかりける W032君(きみ)聞(き)こし召(め)して、神妙(しんべう)なりとて、是(これ)も富士(ふじ)の裾野(すその)百余町をぞ賜(たま)はりけり。人々(ひとびと)、是(これ)を見(み)聞(き)きて、「鹿(しし)射(い)はづし、歌(うた)詠(よ)みてだに、恩賞(おんしやう)に預(あづ)かる。まして、よく止(とど)めたらん輩(ともがら)は如何(いか)に」とぞ申(まう)しける。御寮(れう)は、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)祐経を召(め)して、「不審(ふしん)なる事有(あ)り、用心(ようじん)せよ」と仰(おほ)せ下(くだ)されければ、畏(かしこ)まり存(ぞん)じ候(さうら)ふ由(よし)を申(まう)しける。此処(ここ)に、梶原(かぢはら)源太(げんだ)景季(かげすゑ)、侍(さぶらひ)の所司(しよし)にて、総奉行(そうぶぎやう)なる上(うへ)、わざん第一(だいいち)の者(もの)にて、上の御諚(ごぢやう)を承(うけたまは)り、曾我(そが)の人々(ひとびと)を近付(ちかづ)けて申(まう)しけるは、「神妙(しんべう)に御供(おんとも)申(まう)されて候(さうら)ふ。奉公(ほうこう)は、いづれも同(おな)じ事(こと)、御宿(やど)に、大事(だいじ)の御物(もの)の具(ぐ)有(あ)り。留守(るす)の御宿直(おんとのゐ)申(まう)されよ。いか様(さま)、今度(こんど)鎌倉へ入(い)らせ坐(ま)しまして、御免(ごめん)蒙(かうぶ)り給(たま)ふべし。奉公(ほうこう)心(こころ)に入(い)れられよ。」と申(まう)しければ、祐成(すけなり)、是非(ぜひ)に及(およ)ばずして、「畏(かしこ)まり入(い)り候(さうら)ふ。よき様(やう)に御申(おんまうし)候(さうら)へ。頼(たの)み奉(たてまつ)る」とぞ、返事(へんじ)しける。源太(げんだ)、重(かさ)ねて申(まう)す様(やう)、「御給仕(きうじ)に依(よ)りて、本領(ほんりやう)子細(しさい)あらじと存(ぞん)じ候(さうら)ふ」と言(い)ひてこそ、帰(かへ)りにけれ。時致(ときむね)、是(これ)を聞(き)きて、「哀(あは)れ、源太(げんだ)、我々(われわれ)をすかさんと思(おも)ひたる気色(きしよく)の差(さ)し現(あらは)れたる奴(やつ)かな。蛇(じや)は一寸(いつすん)を出(い)だして、其(そ)の大小(せう)を知(し)り、人は一言(ごん)を以(もつ)て、其(そ)の賢愚(けんぐ)を知(し)る。狐(きつね)の子(こ)は、子狐(ぎつね)より、父(ちち)が孫(そん)を継(つ)ぎて、此(こ)の冠者(くわんじや)が面(つら)の白(しろ)さよ。いつの奉公(ほうこう)に依(よ)りてか、御気色(ごきしよく)もよかるべき。定(さだ)めて、P319御寮(れう)の仰(おほ)せには、其(そ)の冠者(くわんじや)原(ばら)は、誰が許(ゆる)して、狩場(かりば)へは出(い)でけるぞ。よくよくすかし置(お)きて、首(くび)をきれとの御諚(ごぢやう)か、流罪(るざい)せよとの仰(おほ)せにてぞ有(あ)るらん。実(げ)にや、古(ふる)き言葉(ことば)を案(あん)ずるに、国(くに)の賢(けん)を以(もつ)て興(こう)し、へつらひを以(もつ)て衰(おとろ)ふ。君(きみ)は忠(ちゆう)もて安(あん)じ、偽(いつは)りを以(もつ)て危(あや)ふし。人は、たくみにして偽(いつは)らむよりも、つたなうして誠(まこと)有(あ)るにはしかず。此(こ)の者(もの)の振舞(ふるま)ひ・言葉(ことば)、世(よ)のわづらひともなりぬべし。其(そ)の上(うへ)、奉公(ほうこう)申(まう)すべき為(ため)ならず。哀(あは)れ、身(み)に思(おも)ひだに無(な)かりせば、此(こ)の冠者(くわんじや)が面(つら)、一太刀きつて慰(なぐさ)まんずる物(もの)を」とぞ申(まう)しける。さて、兄弟(きやうだい)は、見(み)えがくれにつれつ離(はな)れつ、心(こころ)をつくし狙(ねら)ひけるこそ、無慙(むざん)なれ。十郎(じふらう)が其(そ)の日の装束(しやうぞく)には、萌黄(もえぎ)にほひの裏(うら)打(う)ちたる竹笠(たけがさ)、村千鳥(むらちどり)の直垂(ひたたれ)に、夏毛(なつげ)の行縢(むかばき)脇(わき)深(ふか)く引(ひ)きこうで、鷹(たか)うすべうの鹿矢(ししや)、筈高(はづだか)に取(と)つて付(つ)け、重籐(しげどう)の弓(ゆみ)のまん中(なか)取(と)り、葦毛(あしげ)なる馬に、貝鞍(かひくら)置(お)きてぞ乗(の)りたりけり。五郎(ごらう)が其(そ)の日の装束(しやうぞく)には、薄紅(うすぐれなゐ)にて裏(うら)打(う)つたる平紋(ひやうもん)の竹笠(たけがさ)、まぶかにきて、唐貲布(からさいみ)に、蝶(てう)を三(み)つ二(ふた)つ所々(ところどころ)に付(つ)けたる直垂(ひたたれ)に、紺小袴(こんこはかま)、秋毛(げ)の行縢(むかばき)、たぶやかにはき下(くだ)し、鶴(つる)の本白(もとじろ)の征矢(そや)、筈高(はづだか)に追(お)ひ成(な)し、二所籐(ふたところどう)の弓(ゆみ)のまん中(なか)取(と)り、鹿毛(かげ)なる馬に、蒔絵(まきゑ)の鞍(くら)を聞(き)きて乗(の)りたり。遙(はる)かに遠(とほ)く敵を見(み)付(つ)けて、十郎(じふらう)に告(つ)げ、互(たが)ひに、心(こころ)を通(かよ)はしけり。人は皆(みな)、鹿(しか)に心(こころ)を入(い)れ、如何(いか)にもして、上の見参(げんざん)に入らんと、峰(みね)に上(のぼ)り、谷(たに)に下り、野(の)を分(わ)け、里を尋(たづ)ねけれ共(ども)、余所目(よそめ)如何(いかが)と思(おも)ひしP320に、勢子(せこ)を破(やぶ)りて、鹿(しし)こそ三頭(かしら)出(い)で来(き)たりけれ。是(これ)は如何(いか)にと見(み)る所(ところ)に、彼(か)の祐経(すけつね)こそ、おつすがひては落(お)としけれ。其(そ)の日(ひ)の装束(しやうぞく)、花やかなり。浮線綾(ふせんれう)の直垂(ひたたれ)に、大斑(まだら)の行縢(むかばき)に切斑(きりう)の矢おひ、吹寄籐(ふきよせどう)の弓のまん中(なか)取(と)り、金紗(きんしや)にて裏(うら)打(う)ちたる浮紋(うきもん)の竹笠(たけがさ)、嵐(あらし)にふき靡(なび)かせ、くろき馬の太(ふと)くたくましきに、白覆輪(しろぶくりん)の鞍(くら)置(お)きてぞ乗(の)りたりける。馬(うま)も聞(き)こふる名馬(めいば)なり、主(ぬし)も究竟(くつきやう)の乗(の)り手(て)なり。三(み)つ有(あ)る鹿(しか)に隔(へだ)たりぬ。馬(うま)の掛(か)け場(ば)もよかりける。十郎(じふらう)、是(これ)を見(み)て、「此(こ)の鹿(しか)は、埒(らち)の外(ほか)に、勢子(せこ)を破(やぶ)りて落(お)ち来(き)たるにや、追(お)つ返(かへ)して奉(たてまつ)らん」とて、十三束(ぞく)の大(だい)の中差(なかざし)取(と)りてつがひ、矢所(やどころ)多(おほ)しと雖(いへど)も、奥野(おくの)の狩(かり)の帰(かへ)り様(さま)に、父(ちち)の射(い)られけん鞍(くら)の山形(がた)の端(はづれ)、行縢(むかばき)の引(ひ)き合(あ)はせ、むくいの知(し)らする恨(うら)みの矢(や)、余(よ)の所(ところ)をば言(い)ふべからず。如何(いか)なる金山鉄壁(きんざんてつぺき)とも、志(こころざし)のなどか通(とほ)らざらんと、左手(ゆんで)になしてぞ下(くだ)りける。五郎(ごらう)も、同(おな)じく中差(なかざし)取(と)りてつがひ、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)が首(くび)の骨(ほね)に目(め)を懸(か)け、大磐石(だいばんじやく)を重(かさ)ねたりと言(い)ふとも、などかきつて捨(す)てざらんと、鞭(むち)に鐙(あぶみ)をも見(み)添(そ)へて、右手(めて)に相(あひ)付(つ)け馳(は)せ並(なら)べ、三(み)つ有(あ)る鹿(しか)と左衛門(さゑもん)をまん中(なか)に取(と)り込(こ)め、矢先(やさき)を左衛門(さゑもん)に差(さ)し当(あ)てて、引(ひ)かんとする所(ところ)に、祐経がしばしの運(うん)や残(のこ)りけん、祐成(すけなり)が乗(の)りたる馬を、思(おも)はぬ伏木(ふしき)に乗(の)り掛(か)けて、真逆様(まつさかさま)にころびけり。過(あやま)たず弓の本(もと)をこして、馬(むま)の頭(かしら)に下(お)り立(た)つたり。五郎(ごらう)は、是(これ)を知(し)らずして、矢筈(はづ)を取(と)り立(た)ち上(あ)がりける。兄(あに)の有様(ありさま)一目(ひとめ)見(み)て、目(め)もくれ、心(こころ)も消(き)えP321にけり。此(こ)の隙に、敵(かたき)は、遙(はる)かに馳(は)せのびぬ。鹿(しか)をも、人に射(い)られけり。五郎(ごらう)、空(むな)しく引(ひ)き返(かへ)し、急(いそ)ぎ馬(むま)より下(お)り立(た)つて、兄(あに)を介錯(かいしやく)しける心(こころ)の内こそ悲(かな)しけれ。「哀(あは)れ、実(げ)に我(われ)等(ら)程(ほど)、敵(かたき)に縁(えん)無(な)き者(もの)あらじ。只今(ただいま)は、さりともとこそ思(おも)ひしに、馬(むま)強(つよ)かりせば、斯様(かやう)には成(な)り行(ゆ)かじ。是(これ)も、只(ただ)貧(ひん)より起(お)こる事(こと)なり。人(ひと)を恨(うら)むべきにもあらず。適(かな)はぬ命(いのち)ながらへて、物(もの)を思(おも)はんよりも、自害(じがい)して、悪霊(あくりやう)死霊(しりやう)にも成(な)りて、本意(ほんい)を遂(と)げん」とぞ悲(かな)しみける。十郎(じふらう)、是(これ)を聞(き)きて、「暫(しばら)く待(ま)ち給(たま)へ。夫(そ)れ泰山(たいざん)の霤(らい)は、石(いし)をうがつ。うんてくの■(つるべのなわ)は、幹(いげた)を立(た)つ。水(みづ)は、石鑽(いしのみ)にあらず。索(なは)は、木(き)の鋸(のこぎり)にあらず。せんひのしからしむる所(ところ)なり。只(ただ)心(こころ)を述(の)べて、功(こう)をつみ給(たま)へ。今宵(こよひ)は命を待(ま)ち給(たま)へ」とて、馬(うま)引(ひ)き寄(よ)せ打(う)ち乗(の)りけり。 其(そ)の後は、人々(ひとびと)如何(いか)に見(み)るらんとて、十郎(じふらう)かくれば、五郎(ごらう)ひかへ、五郎(ごらう)行(ゆ)けば、十郎止(とど)まり、余所目(よそめ)をも包(つつ)みけりは、時(とき)移(うつ)り、事(こと)のび行(ゆ)きければ、其(そ)の日も、既(すで)に暮(く)れなんとす。畠山(はたけやま)殿は、程(ほど)近(ちか)く坐(ま)しませば、兄弟(きやうだい)の有様(ありさま)をつくづくと御覧(ごらん)じて、今まで本意(ほんい)を遂(と)げぬぞや、哀(あは)れ、平家(へいけ)の御代と思(おも)はば、などか矢(や)一(ひと)つ訪(とぶら)はざらん。当(たう)君(きみ)の御代には、斯様(かやう)の事(こと)も適(かな)はず、重忠(しげただ)も、若(わか)き子供(こども)を持(も)ちぬれば、人の上(うへ)とも思(おも)はずして、誠(まこと)無慙(むざん)に覚(おぼ)えたり。梶原(かぢはら)触状(ふれぢやう)には、明日、鎌倉(かまくら)へ入らせ給(たま)ふべきなれば、今宵(こよひ)、打(う)たでは適(かな)ふまじ、此(こ)の由(よし)知(し)らせんと思(おも)ひ給(たま)へども、P322人々(ひとびと)数多(あまた)有(あ)りければ、歌(うた)にてぞ弔(とぶら)ひ給(たま)ひける。まだしきに色(いろ)づく山の紅葉(もみぢ)かな此(こ)の夕暮(ゆふぐれ)を待(ま)ちて見(み)よかし W033とながめ給(たま)ひて、涙(なみだ)ぐみ給(たま)ひけり。折節(をりふし)、梶原(かじはら)源太(げんだ)左衛門(さゑもん)がちかうひかへたりしが、「何事(なにごと)にや、曾我(そが)の殿(との)原(ばら)に、「まだしきに色(いろ)づく」と詠(えい)じ給(たま)ふは、心(こころ)得(え)ず」。重忠(しげただ)聞(き)きて、「夏山(なつやま)に夕(ゆふ)日影(ひかげ)の残(のこ)る、風情(ふぜい)、初紅葉(はつもみぢ)に似(に)ずや。此(こ)の夕暮(ゆふぐれ)こそ、猶(なほ)も移(うつ)り行(ゆ)かば、誠(まこと)秋にや成(な)り行(ゆ)かん」。源太(げんだ)は、猶(なほ)も言葉(ことば)有(あ)り顔(がほ)なりしを、君(きみ)より急(いそ)ぎ召(め)されしかば、掛(か)け通(とほ)るとて、「重忠(しげただ)の御歌(うた)の不審(ふしん)残(のこ)りて」と言(い)ひながら、馳(は)せ付(つ)きければ、人々(ひとびと)聞(き)きて、「今(いま)に始(はじ)めぬ梶原(かぢはら)が和讒(わざん)とは言(い)ひながら、殊(こと)にかかりて見(み)えぬるをや」と申(まう)し合(あ)ひける。重忠(しげただ)仰(おほ)せけるは、「「命(いのち)を養(やしな)ふ者(もの)は、病(やまひ)の先(さき)に薬(くすり)を求(もと)め、代ををさむる者(もの)は、乱(みだ)れの先(さき)に賢(けん)を習(なら)ふ」と、さんふろんに見(み)えたり。其(そ)れまでこそ無(な)くとも、斯様(かやう)のえせ者(もの)を近(ちか)く召(め)し使(つか)ひて、末(すゑ)の世如何(いかが)」とぞ仰(おほ)せける。其(そ)の後、曾我(そが)の人々(ひとびと)を近付(ちかづ)けて、「今夜、重忠(しげただ)が所(ところ)へ坐(ま)しませ。歌の物語(ものがたり)申(まう)さん」と宣(のたま)へば、畏(かしこ)まり存(ぞん)ずる由(よし)、返事(へんじ)して、十郎(じふらう)、弟(おとと)に言(い)ひけるは、「畠山(はたけやま)殿は、情(なさけ)を以(もつ)て、はや、此(こ)の事(こと)を知(し)り給(たま)ひけるぞや。「耳(みみ)を信(しん)じて、目(め)を疑(うたが)ふ者(もの)は、耳(みみ)の常(つね)の弊(へい)なり。尊(たつと)みて、近付(ちかづ)くを賎(いや)しむる者(もの)は、人の常(つね)の情(なさけ)」と、抱朴子(はうぼくし)に見(み)えたり。然(さ)れば、歌(うた)の心(こころ)は如何(いか)に」と問(と)へば、「知(し)らず」と言(い)ふ。十郎(じふらう)は、P323万(よろづ)に情(なさけ)深(ふか)くして、歌(うた)の心(こころ)をえたり。「「思(おも)ふ事(こと)あらば、今宵(こよひ)限(かぎ)り」と告(つ)げ給(たま)ふぞや。君(きみ)は明日、伊豆(いづ)の国府(こう)、明後日、鎌倉(かまくら)へ入(い)らせ坐(ま)します由(よし)、其(そ)の聞(き)こえ有(あ)り。思(おも)ひ定(さだ)め給(たま)ふべき」と言(い)ふ。「珍(めづら)しくも思(おも)ひ定(さだ)め候(さうら)ふべきか」「申(まう)すにや及(およ)ぶ」とぞ申(まう)しける。元来(ぐわんらい)剛(かう)なる時宗が、重忠(しげただ)にいさめられ、いよいよ今宵(こよひ)を限(かぎ)りとぞ定(さだ)めける。予(かね)てより思(おも)ひ定(さだ)めし事(こと)なれ共(ども)、差(さ)しあたりての心(こころ)細(ぼそ)さ、思(おも)ひ遣(や)られて無慙(むざん)なる。日暮、君(きみ)、井出(ゐで)の屋形(やかた)へ入(い)り給(たま)ひしかば、国々の大名(だいみやう)・小名(せうみやう)、御供(おんとも)してぞ帰(かへ)りける。曾我(そが)の兄弟(きやうだい)も、人(ひと)なみなみに、柴(しば)の庵(いほり)へぞ帰(かへ)りける。
@〔屋形(やかた)まはりの事(こと)〕S0804N128
道(みち)にて、十郎(じふらう)が申(まう)す様(やう)は、「御所(ごしよ)は、屋形(やかた)へ帰(かへ)り給(たま)ふべし。二人つれては、人もあやしく思(おも)ひなん。祐成(すけなり)計(ばかり)行(ゆ)きて、屋形(やかた)の案内(あんない)見(み)て帰(かへ)らん」とて、太刀ばかり持(も)たせ、屋形(やかた)屋形(やかた)をめぐりけり。思(おも)ひ思(おも)ひの幕(まく)の紋(もん)、心々 (こころごころ)の屋形(やかた)の次第(しだい)、中々(なかなか)言葉(ことば)も及(およ)ばれず。此処(ここ)に、二(ふた)つ木瓜(もつかう)の幕(まく)打(う)ちたる屋形(やかた)有(あ)り。誰(た)が幕(まく)やらん、是(これ)は、我(われ)等(ら)が家(いへ)の紋(もん)也(なり)、近(ちか)き頃(ころ)は、伊東(いとう)の一門(いちもん)、御敵と成(な)り滅(ほろ)びぬ、伊東(いとう)と名乗(なの)る者(もの)無(な)ければ、此(こ)の幕(まく)打(う)つべき者(もの)無(な)し、誰(たれ)なるらんと、不思議(ふしぎ)にて立(た)ち寄(よ)り、幕(まく)のほころびより見(み)入(い)れP324て見(み)れば、敵(かたき)左衛門(さゑもん)が屋形(やかた)なり。是(これ)は如何(いか)に、一木瓜(ひとつもつかう)の幕(まく)をこそ打(う)つべきに、心(こころ)得(え)ぬ物(もの)かな、誠(まこと)や、人々にあらず、知(し)るを以(もつ)て人とし、家家(いへいへ)にあらず、何処(いづく)を以(もつ)てか家(いへ)とす、つぐべきをばつがで、すずろなる曾我(そが)のなにがしと呼(よ)ばれぬる上(うへ)は、家(いへ)の紋(もん)入(い)るべからず、祐経(すけつね)は、誠(まこと)とやらん、我々(われわれ)が先祖(せんぞ)の知行(ちぎやう)せし所領(しよりやう)を知(し)るに依(よ)りて、斯様(かやう)に成(な)り行(ゆ)く物(もの)をや、哀(あは)れ昔(むかし)、斯様(かやう)には無(な)かりし物(もの)をと、見(み)入(い)れて通(とほ)りけるに、 祐経が嫡子(ちやくし)犬房(いぬばう)見(み)付(つ)けて、「只今(ただいま)、此(こ)の前を十郎(じふらう)殿(どの)通(とほ)り候(さうら)ふ」。左衛門(さゑもん)聞(き)きて、「玉井(たまのい)の十郎か、横山(よこやま)の十郎か」と問(と)ふ。「曾我(そが)の十郎(じふらう)殿(どの)」と言(い)ふ。「是(これ)は、祐経(すけつね)が屋形(やかた)にて候(さうら)ふ。立(た)ち寄(よ)り給(たま)へ」と言(い)はせければ、祐成(すけなり)、少(すこ)しも憚(はばか)らず、屋形(やかた)の内(うち)へ入(い)り見(み)れば、手越(てごし)の少将(せうしやう)は、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)が君(きみ)と見(み)えたり。黄瀬川(きせがは)の亀鶴(かめづる)は、備前(びぜん)の国(くに)吉備津宮(きびつみや)の王藤内(わうとうない)が君(きみ)と見(み)えたり。嫡子(ちやくし)犬房(いぬばう)に酌(しやく)とらせ、酒盛(さかもり)しける折節(をりふし)也(なり)。幾(いく)程(ほど)の栄華(えいぐわ)なるべき、今宵(こよひ)の夜半(やはん)に引(ひ)きかへん事(こと)の無慙(むざん)さよと思(おも)ひながら、座敷(ざしき)にぞなほりける。祐経(すけつね)、敷皮(しきがは)をさりて、「是(これ)へ」と言(い)ふ。十郎(じふらう)、「かくて候(さうら)はん」とて、押(お)しのけ居(ゐ)たり。祐経が初対面(しよたいめん)の言葉(ことば)ぞこはかりける。「誠や、殿(との)原(ばら)は、祐経(すけつね)を敵(かたき)と宣(のたま)ふなる。努々(ゆめゆめ)用(もち)ひ給(たま)ふべからず。人の讒言(ざんげん)なりと覚(おぼ)えたり。差(さ)しあたる道理(だうり)に任(まか)せて、人の申(まう)すも理(ことわり)なり。伊東(いとう)は、嫡々(ちやくちやく)なる間(あひだ)、祐経(すけつね)こそもつべき所(ところ)を、面々(めんめん)祖父(おほぢ)伊東(いとう)殿(どの)横領(わうりやう)し、P325一所をも分(わ)けられざりしかば、一旦(いつたん)は恨(うら)むべかりしを、第一(だいいち)養父(やうぶ)なり、第二(だいに)に叔父(をぢ)なり、第三に烏帽子親(えぼしおや)也(なり)、第四に舅(しうと)なり、第五(だいご)に一族(いちぞく)の中の老者(おとな)なり、一方(ひとかた)ならざるに依(よ)りて、こらへて過(す)ぎしに、是(これ)は只(ただ)、「高(たか)きにのぞみ上(のぼ)らざれ、賎(いや)しきをそしり笑はざれ」と言(い)ふ本文(ほんもん)を捨(す)てて、我(われ)等(ら)を員外(いんぐわい)に思(おも)ひ給(たま)ふ故(ゆゑ)なり。面々(めんめん)の父(ちち)河津(かはづ)殿(どの)、奥野(おくの)の狩場(かりば)帰(かへ)りに打(う)たれ給(たま)ひぬ。猟師(れうし)多(おほ)き山なれば、峰(お)ごしの矢(や)にやあたり給(たま)ひけん。又は、伊豆(いづ)・駿河(するが)の人々(ひとびと)、多(おほ)く打(う)ち寄(よ)り、相撲(すまふ)取(と)りて、遊(あそ)び給(たま)ひけるに、股野(またの)の五郎(ごらう)と勝負(しようぶ)を争(あらそ)ひ、当座(たうざ)にて喧嘩(けんくわ)に及(およ)びしを、御寮(れう)の御成敗(ごせいばい)に依(よ)り鎮(しづ)まりぬ。然様(さやう)の宿意(しゆくい)にてもや、打(う)たれ給(たま)ひけんを、在京(ざいきやう)したる祐経(すけつね)に掛(か)けて、申(まう)されけるなれども、更(さら)に知(し)らず。剰(あまつさ)へ、祐経が郎等(らうどう)共(ども)、数多(あまた)失(うしな)ひぬ。其(そ)の時分(ぶん)、やがて対決(たいけつ)を遂(と)げたりせば、逃(のが)るべかりしを、幾程(いくほど)無(な)くして、当(たう)御代と成(な)りて、面々(めんめん)親(した)しき人々(ひとびと)、皆(みな)御敵(かたき)とてそんし給(たま)ひぬ。只(ただ)祐経(すけつね)一人に成(な)りて、遂(つひ)に此(こ)の事(こと)さんだんせずしてやみぬ。然(しか)れば、只(ただ)祐経(すけつね)がしたるに成(な)りて、年月(としつき)をへ候(さうら)ふ。是(これ)、不祥(ふしやう)と言(い)ふも余(あま)り有(あ)り。よく聞(き)き給(たま)へ、十郎(じふらう)殿(どの)」。祐成(すけなり)聞(き)きて、とかく言(い)ふに及(およ)ばず、只(ただ)つしんで居(ゐ)たり。「是(これ)なる客人(きやくじん)をば知(し)り給(たま)ふにや」「今日始(はじ)めて、見参(げんざん)に入(い)り候(さうら)へば、如何(いか)でか見(み)知(し)り奉(たてまつ)るべき」「あれこそ、備前(びぜん)の国(くに)吉備津宮(きびつみや)の王藤内(わうとうない)とて、然(さ)る人なるが、今年(ことし)七年、君(きみ)の御不審(ふしん)を蒙(かうぶ)り、所領(しよりやう)召(め)されて有(あ)りつるP326を、此(こ)の三が年、祐経取(と)り継(つ)ぎ申(まう)しつる間(あひだ)、御免(ごめん)を蒙(かうぶ)り、所領(しよりやう)に安堵(あんど)して、蒲原(かんばら)まで下(くだ)り給(たま)ひぬるが、祐経(すけつね)に名残(なごり)惜(を)しまんとて、帰(かへ)り給(たま)ふ。斯様(かやう)に、他人(たにん)にだにも、申(まう)し承(うけたまは)れば、親(した)しく成(な)るぞかし。まして、殿(との)原(ばら)と祐経(すけつね)は、従兄弟甥(いとこをひ)と言(い)ふ者(もの)なれば、今(いま)は親(おや)とも思(おも)ふべし。便宜(びんぎ)然(しか)るべく候(さうら)はば、上様(さま)へ申(まう)し入(い)れ候(さうら)ひて、奉公(ほうこう)をも申(まう)し、一所賜(たま)はりて、馬の草かひ所(どころ)をもし給(たま)へ。殿(との)原(ばら)は、祐経(すけつね)が思(おも)ひ奉(たてまつ)る様(やう)には思(おも)ひ給(たま)はじ。北条(ほうでう)は、つねに越(こ)えて遊(あそ)び給(たま)へ共(ども)、何(なに)を恨(うら)みてか、更(さら)に伊豆(いづ)へは見(み)え給(たま)はず。しもたてぬ賢人(けんじん)せんよりも、我(われ)等(ら)にむつびて、若(わか)き者(もの)共(ども)に背(そむ)かれずして坐(ま)しませ。面々(めんめん)の馬(うま)の様(やう)を見(み)るに、やせ弱(よわ)り候(さうら)ふ。伊東(いとう)に駒(こま)共(ども)数多(あまた)候(さうら)へば、乗(の)り付(つ)けて乗(の)り給(たま)へ。なましひに人の言(い)ふ事(こと)について、祐経(すけつね)打(う)たんと思(おも)ひ給(たま)はん事(こと)、今生(こんじやう)にては適(かな)ふまじ。曾我(そが)殿(との)原(ばら)」とぞ広言(くわうげん)しける。如何(いかが)思(おも)ひけん、言葉(ことば)をかへて言(い)ひけるは、「酔狂(すひきやう)の余(あま)り、言失(ごんしつ)仕(つかまつ)ると覚(おぼ)えたり。今(いま)より始(はじ)めて、互(たが)ひの遺恨(いこん)をたやして、親子(おやこ)の契たるべし」とて、盃(さかづき)取(と)り寄(よ)せ、客人(きやくじん)なればとて、王藤内(わうとうない)に始(はじ)めさせ、其(そ)の盃(さかづき)、珍(めづら)しさとて、十郎にさす。其(そ)の盃(さかづき)、少将(せうしやう)にさす。其(そ)の盃(さかづき)、祐経にさす。其(そ)の盃(さかづき)、亀鶴(かめづる)にさす。其(そ)の盃(さかづき)を十郎(じふらう)にさす。酒(さけ)を八分(ぶん)に受(う)けて、思(おも)ひけるは、にくき敵の広言(くわうげん)かな、身不肖(ふせう)なり、何事(なにごと)か有(あ)るべきと、思(おも)ひこなし、初対面(しよたいめん)に散々(さんざん)に言(い)ひつるこそ、奇怪(きくわい)なれ、此(こ)のP327君(きみ)共(ども)が耳(みみ)こそ、東(とう)八か国の侍(さぶらひ)の聞(き)く所(ところ)、日頃(ひごろ)は親(おや)の敵、只今(ただいま)は日(ひ)の敵(かたき)、襖(あを)に衣(ころも)を重(かさ)ねても、逃(のが)すべきにあらず、哀(あは)れ、受(う)けたる盃(さかづき)、敵の面(おもて)にいつ掛(か)けて、一刀(かたな)差(さ)し、如何(いか)にもならばやと、千度(ちたび)百度(ももたび)すすめども、心(こころ)をかへて思(おも)ふ様(やう)、まてしばし、兄弟(きやうだい)と言(い)ひながら、祐成(すけなり)・時致(ときむね)は、父(ちち)の敵(かたき)に志(こころざし)深(ふか)くして、一所(ひとところ)にてとにもかくにもと契(ちぎ)りしに、心(こころ)はやりの儘(まま)に、祐成(すけなり)如何(いか)にもなるならば、五郎(ごらう)空(むな)しく搦(から)められ、恨(うら)みん事(こと)こそ不便(ふびん)なれ、此処(ここ)はこらふる所(ところ)と思(おも)ひ鎮(しづ)めて、止(とど)まりしは、情(なさけ)深(ふか)くぞ覚(おぼ)えける。左衛門(さゑもん)の尉(じよう)、神(かみ)ならぬ身(み)の悲(かな)しさは、我(われ)を心(こころ)にかくるとは、夢(ゆめ)にも知(し)らずして、「十郎(じふらう)殿(どの)、盃(さかづき)如何(いか)にほし給(たま)はぬ。御前(ごぜん)達(たち)、数多(あまた)坐(ま)しませば、肴(さかな)待(ま)ち給(たま)ふと覚(おぼ)えたり。今様(いまやう)うたひ給(たま)へ」と言(い)ひければ、二人の君(きみ)、扇拍子(あふぎひやうし)を打(う)ちながら、蓬莱山(ほうらいさん)には千年(ちとせ)ふる千秋(せんしう)万歳(ばんぜい)重(かさ)なれり松の枝(えだ)には鶴(つる)住(す)み巖(いはほ)の上(うへ)には亀(かめ)遊(あそ)ぶ W034と言(い)ふ一声(せい)を返(かへ)し、二辺(へん)までこそうたひけれ。其(そ)の時(とき)、盃(さかづき)取(と)り上(あ)げて、三度(さんど)までこそほしたりけれ。其(そ)の土器(かはらけ)祐経(すけつね)こうて、「方々(かたがた)は何(なに)とか思(おも)ひ給(たま)ふらん、知(し)らねども、P328今日(けふ)よりして、親子(しんし)の契約(けいやく)有(あ)るべし。あの童(わつぱ)めを弟(おとと)と思(おぼ)し召(め)され、汝(なんぢ)も兄(あに)と思(おも)ひ奉(たてまつ)れ。他人(たにん)の悪(あ)しからんは、恨(うら)みにあらず。親(した)しき中(なか)のうときをば、神明(しんめい)もにくみ給(たま)ふ事(こと)なれば、今(いま)より後(のち)、互(たが)ひに憚(はばか)り有(あ)るべからず。其(そ)の御盃(さかづき)賜(たま)はりて、いはひ候(さうら)はん。但(ただ)し、所望(しよまう)候(さうら)ふぞや。十郎(じふらう)殿(どの)は、乱拍子(らんびやうし)の上手(じやうず)と聞(き)けども、未(いま)だ見(み)ず。一(ひと)つ舞(ま)ひ給(たま)へ。一(ひと)つは客人(きやくじん)の為(ため)、一(ひと)つは祐経(すけつね)がいはひのあやにく、如何(いかが)有(あ)るべき。御前(ごぜん)達(たち)、面白(おもしろ)く候(さうら)ふ、はやはや」と攻(せ)めければ、犬房(いぬばう)、はやしぞたてたりける。祐成(すけなり)、子細(しさい)に及(およ)ばずして、持(も)ちたる扇(あふぎ)さつと開(ひら)きて、「君(きみ)がすむ亀(かめ)のふか山の滝(たき)つ瀬(せ)は」と言(い)ふ一声(せい)を上(あ)げて、しばし舞(ま)ひけるが、父(ちち)に心(こころ)を通(かよ)はして、とやせん、かくやせんと、思(おも)ひ乱(みだ)るる舞(まひ)の手(て)に、夜ふけば入(い)り候(さうら)ふべき道、つがひはづさん、長舞(ながまひ)に、此処(ここ)より入(い)り、彼処(かしこ)にめぐらん、彼処(かしこ)はつまり、此処(ここ)は通(かよ)ひ路(ぢ)、忍(しの)びて入(い)らば、音(おと)は立(た)たじ、入(い)る共(とも)知(し)らじ、さす腕(かひな)、袖の返(かへ)しに目(め)を使(つか)ひ、半時(はんし)ばかりぞ舞(ま)ひたりける。座敷(ざしき)に連(つら)なる人々(ひとびと)は、見(み)知(し)る証(しるし)の無(な)き儘(まま)に、興(きよう)を催(もよほ)す計(ばかり)也(なり)。君(きみ)共(ども)を始(はじ)めとして、はやすも覚(おぼ)えぬ風情(ふぜい)なり。かくて、十郎(じふらう)舞(ま)ひ入(い)りければ、祐経、盃(さかづき)思(おも)ひ返(かへ)しとて、十時に差(さ)したりければ、十郎(じふらう)取(と)り上(あ)げ、三度(さんど)ほして、扇(あふぎ)取(と)り直(なほ)し、畏(かしこ)まつて申(まう)しけるは、「今宵(こよひ)は、是(これ)に御宿直(おんとのゐ)申(まう)したく候(さうら)へども、北条(ほうでう)殿(どの)に申(まう)し合(あ)はする子細(しさい)候(さうら)ふ。いかさま、明日参(まゐ)りて、つねづね宿直(とのゐ)申(まう)すべし」P329と、暇(いとま)こうて出(い)でにけり。祐成(すけなり)、案者(あんじや)第一(だいいち)の男(をのこ)なり、敵何(なに)とか言(い)ふらんと思(おも)ひ、小柴垣(こしばがき)に立(た)ち隠(かく)れ聞(き)く事(こと)は知(し)らず、王藤内(わうとうない)、「此(こ)の殿(との)原(ばら)の父(ちち)をば、誠(まこと)打(う)ち給(たま)ひけるか」と問(と)ふ。左衛門(さゑもん)の尉(じよう)聞(き)きて、「今(いま)は、彼(かれ)が聞(き)かばこそ。以前(いぜん)、つぶさに申(まう)しつる様(やう)に、我(われ)等(ら)嫡孫(ちやくそん)にてもつべき所領(しよりやう)を、彼(かれ)等(ら)が祖父(おほぢ)に横領(わうりやう)せられぬ。某(それがし)在京(ざいきやう)ながら、田舎(ゐなか)の郎等(らうどう)共(ども)に申(まう)し付(つ)けて、彼(かれ)等(ら)が父(ちち)河津(かはづ)の三郎(さぶらう)と言(い)ひし者(もの)打(う)たせしなり。人もやさぞ知(し)りて候(さうら)ふらん。此(こ)の者(もの)共(ども)の子孫(しそん)、皆(みな)謀叛(むほん)の者(もの)、君(きみ)に失(うしな)はれ奉(たてまつ)り、今(いま)祐経(すけつね)一人に罷(まか)りなる。然(しか)れども、君不便(ふびん)の者(もの)に思(おぼ)し召(め)され、先祖(せんぞ)の所領(しよりやう)拝領(はいりやう)の上(うへ)は、祐経(すけつね)に狭(せば)められ、思(おも)ひながらぞ候(さうら)ふらん。彼(かれ)が此(こ)の頃(ごろ)分限(ぶんげん)にて、祐経(すけつね)に思(おも)ひかからんは、蟷螂(たうらう)が斧(をの)を取(と)りて、隆車(りうしや)に向(む)かひ、蜘蛛(ちちゆう)が網(あみ)をはりて、鳳凰(ほうわう)をまつ風情(ふぜい)也(なり)。哀(あは)れなる」とぞ申(まう)しける。王藤内(わうとうない)聞(き)きて、「其(そ)れこそ僻事(ひがこと)よ。世(よ)に有(あ)る人は、所領(しよりやう)財宝(ざいほう)に心(こころ)がとまり、思(おも)ふ事(こと)はとどこほるなり。然(さ)れば、寸(すん)の金(かね)を切(き)る事(こと)無(な)し。貧(ひん)なる侍(さぶらひ)と鉄(くろがね)とは、あなづらぬ物(もの)をや。何(なに)とやらん、悪様(あしざま)に仰(おほ)せつる時に、しきりに目(め)を懸(か)け奉(たてまつ)り、刀(かたな)の柄(つか)に手(て)を掛(か)け、片膝(かたひざ)押(お)したてつる時(とき)、事(こと)出(い)で来(き)ぬと見(み)えしが、され共(ども)、色(いろ)には少(すこ)しも出(い)ださず。よき兵かな」とぞほめたりける。左衛門(さゑもん)の尉(じよう)、是(これ)を聞(き)き、「何程(ほど)の事(こと)か仕(つかまつ)るべき。竜(りゆう)ねぶりて、本体(ほんたい)を現(あらは)す。人酔(ゑ)ひて、本心(ほんしん)を現(あらは)す。思(おも)ふ事(こと)こそ言(い)はれ候(さうら)へ。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とぞ申(まう)しける。後に思(おも)ひ合(あ)はすれば、P330是(これ)や最後の念仏(ねんぶつ)と、哀(あは)れにぞ覚(おぼ)えし。十郎(じふらう)、かく言(い)ふを立(た)ち聞(き)きて、即(すなは)ち、屋形(やかた)への内(うち)に走(はし)り入(い)り、如何(いか)にもならばやと思(おも)ひしか共(ども)、五郎(ごらう)に憂(う)き身(み)の惜(を)しまれて、只(ただ)空(むな)しくて帰(かへ)りける、心(こころ)の内こそ、無慙(むざん)なれ。抑(そもそも)、只今(ただいま)の言葉(ことば)共(ども)、よくよく思(おも)へば、只(ただ)王藤内(わうとうない)が言(い)はする言葉(ことば)也(なり)。今夜は、落(お)ちば落(お)とさんと思(おも)ひつれども、今(いま)の言葉(ことば)の奇怪(きくわい)なれば、一(いち)の太刀(たち)には左衛門(さゑもん)、二の太刀(たち)には王藤内(わうとうない)と思(おも)ひ定(さだ)めて、屋形(やかた)よりこそ帰(かへ)りけれ。 五郎(ごらう)、兄(あに)を待(ま)ち兼(か)ねて、心(こころ)許(もと)無(な)くして、たたずみける所(ところ)へ、十郎(じふらう)来(き)たりて、「如何(いか)に待(ま)ちどほなるらん」。五郎(ごらう)聞(き)きて、「然(さ)らぬだに、人を待(まつ)は悲(かな)しきに、愚(おろ)かにや思(おぼ)し召(め)す」「祐成(すけなり)も、さ存(ぞん)ずるを、敵(かたき)左衛門(さゑもん)が屋形(やかた)へ呼(よ)び入(い)れられ、酒(さけ)をこそのみたりつれ」「さて、如何(いか)に候(さうら)ひける。便宜(びんぎ)悪(あ)しく候(さうら)ひけるか」「言(い)ふにや及(およ)ぶ。乱舞(らつぶ)の折節(をりふし)、哀(あは)れと思(おも)ひしかども、御分(ごぶん)一所にこそと存(ぞん)じて、こらへつる志(こころざし)、推(お)し量(はか)り給(たま)へ」。五郎(ごらう)も聞(き)きて、「御(おん)ふちは然(さ)る事(こと)にて候(さうら)へども、是(これ)程(ほど)よりつかずして、心(こころ)をつくす。便宜(びんぎ)よく候(さうら)はば、御(おん)うち候(さうら)ふべき物(もの)を。さりながら、一太刀づつともどもに切(き)りたく候(さうら)ふぞかし。其(そ)の屋形(やかた)の次第(しだい)、道(みち)すがらの様、御覧(ごらん)じ候(さうら)ひけるにや」「其(そ)の為(ため)、案内(あんない)は、よく見(み)おき候(さうら)ひぬ。但(ただ)し、屋形(やかた)の数(かず)多(おほ)くして、見(み)知(し)りたる人は、所々(ところどころ)にこそ候(さうら)ひつれ」。扇(あふぎ)開(ひら)きてこそはかぞへけれ。「先(ま)づ、君(きみ)の御屋形(やかた)に並(なら)べて打(う)ちたりP331しは、北条(ほうでう)の四郎(しらう)時政(ときまさ)、御一門(いちもん)に、一条(いちでう)・板垣(いたがき)・逸見(へんみ)・武田(たけだ)・小笠原(おがさわら)・南部(なんぶ)・下山(しもやま)・山名(やまな)・里見(さとみ)の人々(ひとびと)、石山(いしやま)・やまかた・梶原(かじはら)、屋形(やかた)並(なら)べて候(さうら)ふなり。東(ひがし)には、和田(わだ)・畠山(はたけやま)・黒戸(くろど)・姉崎(あにさき)・本田(ほんだ)・榛沢(はんざは)・池辺(いけのべ)・児玉(こだま)・小沢(おざは)・山口(やまぐち)・丹(たん)・横山(よこやま)・紀清(きせい)の両党(りやうたう)・岡部(をかべ)・はんさう・金子(かねこ)・村山(むらやま)・むらおり・なかさや・おかはら・比企(ひき)・中条(ちゆうでう)・三田(みた)・むろの人々(ひとびと)、屋形(やかた)を並(なら)べて候(さうら)ふなり。常陸(ひたち)の国(くに)には、佐竹(さたけ)・山内(やまのうち)・志太(しだ)・同地(どうち)・鹿島(かしま)・行方(なめかた)・こくは・宍戸(ししど)・森山(もりやま)・ちちわの殿(との)原(ばら)、下総国(しもつふさ)の国(くに)には、千葉介(ちばのすけ)常胤(つねたね)・相馬(そうま)の二郎師胤(もろたね)・武石(たけし)の三郎(さぶらう)胤盛(たねもり)・国分(こくぼ)の五郎(ごらう)胤通(たねみち)・東(とう)の六郎(ろくらう)胤兼(たねかぬ)・葛西(かさい)の三郎(さぶらう)清重(きよしげ)・あふ・猿島(さしま)・大原・小原(はら)、屋形(やかた)を並(なら)べ候(さうら)ふなり。上野(かうづけ)の国(くに)には、伊北(いほう)・伊南(いなん)・庁北(ちやうほく)・庁南(ちやうなん)・印東(いんどう)・金岡(かなをか)・小寺(こでら)・深栖(ふかず)・山上(やまがみ)・大こし・大室(むろ)、上総(かづさ)の国(くに)には、桐生(きりう)・黒川(くろかは)・多胡(たんご)・片山(かたやま)・新田(につた)・園田(そのだ)・玉村(たまむら)、安房(あは)の国(くに)には、安西(あんざい)・神余(かなまる)・東条(とうでう)、信濃(しなの)の国(くに)には、内藤(ないとう)・片桐(かたぎり)・くろた・すわう・さいたう・村上(むらかみ)・井上・高梨(たかなし)・海野(うんの)・望月(もちづき)、屋形(やかた)を並(なら)べて候(さうら)ふ也(なり)。下野(しもつけ)の国(くに)には、小山(をやま)・宇都宮(うつのみや)・結城(ゆうき)・長沼(ながぬま)・氏家(うぢいへ)・塩谷(しほのや)・木村(きむら)・皆河(みながは)・あしから・まのたの人々(ひとびと)、屋形(やかた)を並(なら)べ候(さうら)ひぬ。相模(さがみ)の国(くに)には、座間(ざんま)・本間(ほんま)・土屋(つちや)・愛甲(あいきやう)・土肥(とひ)の二郎(じらう)父子(ふし)・糟屋(かすや)藤五(とうご)・渋谷(しぶや)・さとう・波多野(はだの)の右馬丞(むまのじよう)・岡崎(をかざき)・三浦(みうら)の人々(ひとびと)、伊豆(いづ)の国(くに)には、入江(いりえ)・藁科(わらしな)・吉川(きつかは)・船越(ふなこし)・大森(もり)・葛山(かつらやま)、遠江(とほたふみ)の国(くに)には、いしあま・しとつ、三川(みかは)の国(くに)には、設楽(しだら)・中条(ちゆうでう)、尾張(をはり)の国(くに)には、大宮司(ぐうじ)・宮(みや)の四郎(しらう)・関(せき)の太郎、美濃(みの)の国(くに)には、高嶋(たかしま)・まつ井、P332近江(あふみ)の国(くに)には、山本(やまもと)・柏木(かしわぎ)・たつい・錦織(にしごり)・佐々木党(ささきたう)、屋形(やかた)を並(なら)べ候(さうら)ふ也(なり)。当番(たうばん)の人々(ひとびと)には、結城(ゆうき)の七郎・河越(かはごえ)・高坂(たかさか)・大胡(おうご)・おしむろ・難波(なんば)の太郎・上総介(かづさのすけ)父子(ふし)、屋形(やかた)を並(なら)べし也(なり)。坂東(ばんどう)八か国、海道(かいだう)七か国のみにあらず、三年(みとせ)の大番(おほばん)、訴訟人(そしようにん)と言(い)ふ程(ほど)の者(もの)の屋形(やかた)、雲霞(うんか)の如(ごと)くなり。さて、君(きみ)の御座所をばまん中(なか)に、四角(かく)四面(めん)に瑠璃(るり)を延(の)べ、五十九間に飾(かざ)られたり。面々(めんめん)思(おも)ひ思(おも)ひの屋形(やかた)づくり、色々(いろいろ)の幕(まく)の紋(もん)、金銀(きんぎん)をちりばみてこそ飾(かざ)られけれ。凡(およ)そ屋形(やかた)の数、二万五千三百八十(にまんごせんさんびやくはちじふ)余間(よけん)也(なり)。総(そう)じて上下の屋形(やかた)の数(かず)、十万八千間(じふまんはつせんげん)、軒(のき)を並(なら)べて小路を遣(や)り、甍(いらか)を並(なら)べて打(う)ちたりけり。東(ひがし)にそうたるは、梶原(かじはら)平三(へいざう)景時(かげとき)、西(にし)のはづれは、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)祐経(すけつね)が屋形(やかた)なり。幾程(いくほど)とこそ思(おも)ひけん」。五郎(ごらう)聞(き)きて、「さて、客人(きやくじん)は、何処(いづく)の国、如何(いか)なる人にて候(さうら)ひける」「備前(びぜん)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)吉備津宮(きびつのみや)の王藤内(わうとうない)、手越(てごし)の少将(せうしやう)、黄瀬川(きせがは)の亀鶴(かめづる)を並(なら)べ置(お)きて、酒盛(さかもり)半(なか)ばなりしに呼(よ)び入(い)れ、祐成(すけなり)も、舞(まひ)を舞(ま)ふ程(ほど)の事(こと)なりつるに、面(おもて)にあてて、広言(くわうげん)共(ども)しつる無念(むねん)さよ。一刀(かたな)差(さ)し、如何(いか)にもと思(おも)ひつるを、わ殿(との)に命が惜(を)しまれて、手に握(にぎ)りたる敵(かたき)を逃(のが)しつるこそ、無念(むねん)なれ」。五郎(ごらう)聞(き)きて、「是(これ)や、宝(たから)の山に入(い)りて、手を空(むな)しくする風情(ふぜい)なり。嬉(うれ)しくも、御(おん)こらへ候(さうら)ふ物(もの)かな。余(あま)し候(さうら)ふべきにも候(さうら)はず、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とぞ申(まう)しける。