P333曾我之物語巻第九
@〔和田(わだ)の屋形(やかた)へ行(ゆ)きし事(こと)〕S0901N131
「来(き)たつて暫(しばら)くも止(とど)まらざるは、有為(うゐ)転変(てんべん)の里(さと)、さりて二度帰(かへ)らざるは、冥途(めいど)隔生(きやくしやう)の別(わか)れなり。哀傷(あいしやう)恋慕(れんぼ)の悲(かな)しみ、今に始(はじ)めぬ事(こと)なれ共(ども)、日本国(につぽんごく)に我(われ)等(ら)程物(もの)思(おも)ふ者(もの)あらじと案(あん)ずるに、劣(おと)らず歎(なげ)きをする者(もの)の有(あ)るべきこそ、不便(ふびん)なれ」。五郎(ごらう)聞(き)き、「誰やの者(もの)か、我(われ)等(ら)に勝(まさ)りて候(さうら)ふべき」「然(さ)ればこそとよ、備前(びぜん)の王藤内(わうとうない)が、七年御不審(ふしん)を蒙(かうぶ)り、此(こ)の度、安堵(あんど)の御下文(くだしぶみ)を給(たま)はると言(い)ふ使(つか)ひ、先(さき)に下(くだ)り、かくと言(い)はば、国(くに)に止(とど)まる親類(しんるい)集(あつ)まり、喜(よろこ)び合(あ)はん所(ところ)に、又(また)人下(くだ)りて、打(う)たれぬと言(い)ふならば、さこそ歎(なげ)かんずらんと、深(ふか)き言葉(ことば)を案(あん)ずるに、人としてのふ有(あ)る物(もの)は、天の加護(かご)に依(よ)り、人としてさい有(あ)る者(もの)は、歎(なげ)きによると見(み)えたり。然(さ)れば、王藤内(わうとうない)助(たす)けばやとは思(おも)へども、雑言(ざふごん)余(あま)りに奇怪(きくわい)なれば、祐成(すけなり)におきては余(あま)すべからず。御分(ごぶん)ももらすな」と申(まう)しければ、「承(うけたまは)る」とぞ言(い)ひける。「かくて、夜P334のふけん程(ほど)待(ま)たんも、遙(はる)かなり。いざや、和田(わだ)殿の屋形(やかた)へ行(ゆ)き、最後(さいご)の対面(たいめん)せん」「然(しか)るべし」とて、二人打(う)ちつれ、義盛(よしもり)の屋形(やかた)へぞ行(ゆ)きける。やがて、義盛(よしもり)出(い)で合(あ)ひて、「如何(いか)に殿(との)原(ばら)達(たち)、遙(はる)かにこそ存(ぞん)ずれ。狩座(かりくら)の体(てい)、是(これ)が始(はじ)めにてぞ坐(ま)しますらん。何(なに)とか思(おも)ひ給(たま)ひけん。見物(けんぶつ)には上(うへ)や有(あ)るべき」。十郎(じふらう)、扇(あふぎ)笏(しやく)に取(と)り直(なほ)し、畏(かしこ)まつて、「さん候(ざうらふ)。斯様(かやう)の事(こと)は、珍(めづら)しき見事、末代(まつだい)の物語(ものがたり)に、あの冠者(くわんじや)に見(み)せ候(さうら)はん為(ため)、二三日の用意(ようい)にて、罷(まか)り出(い)で候(さうら)ふが、余(あま)りの面白(おもしろ)さに、斧(をの)の柄(ゑ)のくつるを忘(わす)れ、曾我(そが)へ人おこして候(さうら)ふ、其(そ)の程(ほど)と存(ぞん)じて、参(まゐ)りて候(さうら)ふ」と言(い)ひければ、和田(わだ)聞(き)きて、なんでふ其(そ)の儀(ぎ)有(あ)るべき、日頃(ひごろ)の本意(ほんい)を遂(と)げんとするが、一家(か)の見(み)はてに、義盛(よしもり)に今(いま)一度対面(たいめん)せんとてぞ来(き)たりぬらんと、哀(あは)れに思(おも)ひければ、「さぞ思(おぼ)すらん、数多(あまた)見(み)て候(さうら)ふだにも、面白(おもしろ)く候(さうら)ふ。まして、若(わか)き人々(ひとびと)の始(はじ)めて見(み)給(たま)はんに、さぞ思(おぼ)し召(め)すらん。嬉(うれ)しくも来給(たま)ふ物(もの)かな。予(かね)てより知(し)り奉(たてまつ)りなば、始(はじ)めより申(まう)すべかりつるを」とて、酒(さけ)取(と)り出(い)だし、すすめられけり。盃二三度(さんど)めぐりて後、和田(わだ)宣(のたま)ひけるは、「相(あひ)かまひて、せばよくし給(たま)へ。し損(そん)じなば、一家(か)の恥辱(ちじよく)なるべし。後楯(うしろだて)にはなり申(まう)すべし。頼(たの)もしく思(おも)ひ給(たま)へ」とて、盃(さかづき)差(さ)されけり。折節(をりふし)、梶原(かぢはら)源太(げんだ)、屋形(やかた)の前を通(とほ)りけるが、かく言(い)ふを聞(き)き付(つ)けて、「何事(なにごと)ぞや、和田(わだ)殿(どの)。曾我(そが)の人々(ひとびと)に、「せばよくせよ」と仰(おほ)せられつる、不審(ふしん)なり。御耳(おんみみ)にや入(い)れ候(さうら)ふべき」と言(い)ふ。和田(わだ)殿(どの)聞(き)きて、こP335は如何(いか)に、曲者(くせもの)通(とほ)りけるよ、さりながら陳(ちん)じて見(み)んと思(おも)ひければ、「自然(しぜん)の物語(ものがたり)、何(なに)と聞(き)きて、御分(ごぶん)、御耳(おんみみ)に入(い)れんとは宣(のたま)ふぞ。此(こ)の面々(めんめん)、我(われ)に親(した)しき事(こと)、上にも知(し)ろし召(め)されたり。其(そ)れに付(つ)き、「御狩(みかり)と承(うけたまは)り、必(かなら)ず召(め)しは無(な)けれども、末代(まつだい)の見物(けんぶつ)に、忍(しの)びて御供(おんとも)仕(つかまつ)り候(さうら)ふ。若(わか)き者(もの)の習(なら)ひ、黄瀬川(きせがは)にて、女(をんな)共(ども)と遊(あそ)びて候(さうら)ひしが、君合沢(あひざは)の御所(ごしよ)に御入の由(よし)承(うけたまは)り、急(いそ)ぎ参(まゐ)り候(さうら)ひし間(あひだ)、引出物(ひきでもの)をせず候(さうら)ふ。帰(かへ)りに何(なに)にても候(さうら)へ、とらせん」と申(まう)し候(さうら)ふ間(あひだ)、「道(みち)の者(もの)は恥(は)づかしきぞ。引出物(ひきでもの)せばよくせよ、し損(そん)じなば一家(か)の恥(はぢ)ぞ」と申(まう)しつるが、此(こ)の事(こと)ならでは、何(なに)申(まう)したりとも覚(おぼ)えず、急(いそ)ぎ御申(まう)し有(あ)りて、義盛(よしもり)失(うしな)ひ給(たま)へ」と、高声(かうしやう)也(なり)ければ、景季(かげすゑ)も、「一興(いつきよう)にこそ申(まう)し候(さうら)へ。何(なに)とてか、和田(わだ)殿は、某(それがし)にあひ給(たま)へば、由(よし)無(な)き事(こと)にも、角(かど)をたてて宣(のたま)ふらん。是(これ)は苦(くる)しからぬ事(こと)なり」とて、そら笑(わら)ひして通(とほ)りけり。猶(なほ)も和讒(わんざん)の者(もの)にて、何(なに)とか言(い)ふと思(おも)ひ、しばしたたずむ。是(これ)をば知(し)らで、和田(わだ)宣(のたま)ひけるは、「水(みづ)をよく泳(およ)ぐ者(もの)はむもれ、馬(うま)によく乗(の)る物(もの)は落(お)ち、日はちう中に移(うつ)る、月はみつるに傾(かたぶ)く、高天(かうてん)にせくぐまれ、厚地(かうち)に抜(ぬ)き足(あし)せよと有(あ)るをや。此(こ)の者(もの)は、十分(じふぶん)に過(す)ぎて、如何(いかが)ぞと覚(おぼ)ゆる」。五郎(ごらう)、是(これ)を聞(き)きて、「御陳法(ちんぽふ)を用(もち)ひず、通(とほ)る者(もの)ならば、何程(ほど)の事(こと)すべき。しや細首(ほそくび)ねぢ切(き)りて、捨(す)て候(さうら)ふべきを」と申(まう)しければ、梶原(かぢはら)立(た)ち聞(き)きて、誠(まこと)や、此(こ)の者(もの)は、朝比奈(あさいな)にみぎは勝(まさ)りの大力(だいぢから)、をこの者P336と聞(き)きたり、此処(ここ)にて、喧嘩(けんくわ)し出(い)だし、勝負(しようぶ)せんよりも、上(かみ)へ申(まう)し上(あ)げて、我(わ)が力(ちから)もいらで失(うしな)はん事(こと)、安(やす)かるべしと思(おも)ひ定(さだ)めて、聞(き)かざる由(よし)にて、帰(かへ)りにけり。和田(わだ)宣(のたま)ひけるは、「今(いま)暫(しばら)くも候(さうら)ひて、こまかに物語(ものがたり)申(まう)したけれ共(ども)、源太(げんだ)と申(まう)す曲者(くせもの)が、御前(おんまへ)に参(まゐ)りつるが、いか様(やう)にか申(まう)し上(あ)げ候(さうら)はんずらん。相(あひ)構(かま)へてし損(そん)じ給(たま)ふな」と言(い)ひ置(お)きて、和田(わだ)は、御前(ごぜん)へぞ参られける。此(こ)の人々(ひとびと)は、屋形(やかた)に帰(かへ)る。夜(よ)のふくるを待(ま)ちけるが、やや有(あ)りて、十郎(じふらう)申(まう)しけるは、「件(くだん)の梶原(かぢはら)が、御分(ごぶん)が言(い)ひつる事(こと)を立(た)ち聞(き)きけるが、いか様(さま)、大勢(おほぜい)にて寄(よ)せぬと覚(おぼ)ゆる。屋形(やかた)をかへん」と言(い)ひければ、五郎(ごらう)聞(き)きて、「源太(げんだ)程(ほど)の奴(やつ)、何十人(なんじふにん)も候(さうら)へ、一々(いちいち)に切(き)りふせなん」と申(まう)す。十郎(じふらう)聞(き)きて、「身(み)に大事(だいじ)だに無(な)くは、言(い)ふに及(およ)ばず。只(ただ)某(それがし)に任(まか)せ候(さうら)へ」とて、
@〔兄弟(きやうだい)屋形(やかた)をかゆる事(こと)〕S0902N132
柴(しば)の庵(いほり)を引(ひ)き払(はら)ひ、思(おも)はぬ所(ところ)へ寄(よ)り居(ゐ)つつ、時を待(まつ)こそ哀(あは)れなる。是(これ)をば知(し)らで、源太(げんだ)百余人(よにん)の兵者(つはもの)引(ひ)きつれて、人々(ひとびと)の屋形(やかた)へぞ押(お)し寄(よ)せたる。然(さ)れども、人は無(な)かりければ、「日本(につぽん)一(いち)の不覚人(ふかくじん)、斯様(かやう)に有(あ)るべしと思(おも)ひしに違(たが)はず、人にては無(な)かりけり」と、広言(くわうげん)して帰(かへ)りしは、をこがましくぞ見(み)えし。是(これ)や、鼠(ねずみ)深(ふか)く穴(あな)P337をほりて、くんきん害(がい)を逃(のが)れ、鳥(とり)高(たか)くとんで、さうめい害(がい)をさけるとは、斯様(かやう)の事(こと)なり。あやしかりし事(こと)なり。
@〔曾我(そが)へ文書(か)きし事(こと)〕S0903N133
扨(さて)、兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、ふけ行(ゆ)く夜はを待(ま)ち兼(か)ねて、十郎(じふらう)言(い)ひける、「いざや、此(こ)の暇(ひま)に、幼少(えうせう)よりの思(おも)ひし事(こと)を詳(くは)しく文(ふみ)に書(か)きて、曾我(そが)へ参(まゐ)らせん」「然(しか)るべし」とて、各々(おのおの)文(ふみ)を書(か)きける。「我(われ)等(ら)五つや三(み)つよりして、父敵(てき)に打(う)たれし事(こと)、忘(わす)るる隙(ひま)無(な)くて、七(なな)つ・九(ここの)つと申(まう)せしに、月の夜(よ)に出(い)でて、雲井(くもゐ)の雁(かり)がねを見(み)て、父(ちち)をこひ、明(あ)くれば、小弓に小矢(こや)を取(と)り添(そ)へて、障子(しやうじ)を射(い)通(とほ)し、敵(てき)の命になずらへ、彼(かれ)を打(う)たん事(こと)を願(ねが)ひ泣(な)きしを、母(はは)の制(せい)し給(たま)ひし事(こと)、又(また)、父(ちち)の恋(こひ)しき時(とき)は、一ま所にて、二人は語(かた)りて慰(なぐさ)めども、人々(ひとびと)には言(い)はざりし也(なり)。祐成(すけなり)は、十三にて元服(げんぶく)し、五郎(ごらう)は、十一より箱根に上(のぼ)り、学問(がくもん)せしに、十二月の末(すゑ)つ方(かた)、里々よりの衣裳(いしやう)音物(ゐんぶつ)取(と)り添(そ)へ取(と)り添(そ)へ送(おく)りしに、箱王(はこわう)が里(さと)よりは贈(おく)り物(もの)も無(な)し。まして、父(ちち)の文も無(な)し。明(あ)け暮(く)れ、只(ただ)父(ちち)を恋(こひ)しく思(おも)ひ、権現(ごんげん)へ参(まゐ)り、敵(かたき)を見(み)んと祈(いの)りしに、程無(な)く、御前(ごぜん)にて祐経(すけつね)を見(み)そめし事(こと)、不思議(ふしぎ)なりとて、法師(ほふし)に成(な)るべかりしが、此(こ)の事(こと)に依(よ)りて、只(ただ)一人夜(よ)にまぎれ、P338曾我(そが)へ逃(に)げ下(くだ)りしなり。男(をとこ)に成(な)りて、母(はは)の御勘当(かんどう)蒙(かうぶ)りし事(こと)、出(い)でし時(とき)、互(たが)ひの形見(かたみ)賜(たま)はり参(まゐ)らせ置(お)きて出(い)でし事(こと)、信濃(しなの)のみ狩(かり)に、かちにて下(くだ)り狙(ねら)ひし事(こと)、虎(とら)に契(ちぎ)りを込(こ)めし事(こと)、鞠子川(まりこがわ)、湯坂峠(ゆざかのとうげ)、箱根寺、大崩(おほくづれ)までの有様(ありさま)、矢立(やたて)の杉(すぎ)にての事(こと)共(ども)、今(いま)の様(やう)に覚(おぼ)えたり。思(おも)ふ事(こと)共(ども)詳(くは)しく書(か)き、命(いのち)をば父(ちち)に回向(ゑかう)申(まう)し、読誦(どくじゆ)の経文(きやうもん)をば母(はは)にたむけ奉(たてまつ)る。親(おや)は一世(せ)の契(ちぎ)りと申(まう)せども、是(これ)を形見(かたみ)にて、来世(らいせ)にて参(まゐ)り合(あ)はん」と、同(おな)じ心(こころ)に書(か)き止(とど)めければ、大(おほ)きなる巻物(まきもの)一(ひと)つづつぞ書(か)きたりける。十郎(じふらう)は言葉(ことば)の末(すゑ)、五郎(ごらう)に代(か)はりたるは、大磯(おほいそ)の虎(とら)の事(こと)也(なり)。五郎(ごらう)が言葉(ことば)の、十郎(じふらう)に代(か)はりたるは、箱根(はこね)の別当(べつたう)の事(こと)なり。さては、いづれも同(おな)じ文章(ぶんしやう)也(なり)。哀(あは)れにこそ覚(おぼ)えし。
@〔鬼王(おにわう)・道三郎(だうざぶらう)帰(かへ)りし事(こと)〕S0904N134
さて、鬼王(おにわう)・道三郎(だうざぶらう)を呼(よ)びて、「汝(なんぢ)、急(いそ)ぎ曾我(そが)へ帰(かへ)るべし。小袖(こそで)をば、上へ参(まゐ)らせよ。馬鞍(むまくら)は、曾我(そが)殿(どの)に奉(たてまつ)れ。自然(しぜん)の時(とき)は、御前(ごぜん)に代(か)はり参(まゐ)らせべき由(よし)、随分(ずいぶん)心(こころ)に懸(か)けしを、父(ちち)の敵(てき)に志(こころざし)深(ふか)くして、先(さき)立(だ)ち申(まう)す事(こと)、無念(むねん)に存(ぞん)じ候(さうら)へ共(ども)、恐(おそ)れながら、二人の子供(こども)の形見(かたみ)に御覧候(さうら)へ。五つ・三(み)つよりして、左右(さう)のP339御膝(ひざ)にて、育(そだ)てられ参(まゐ)らせし御恩(ごおん)、忘(わす)れ難(がた)くこそ存(ぞん)じ候(さうら)へ。はだの守(まも)りと、鬢(びん)の髪(かみ)をば、弟(おとと)共(ども)の形見(かたみ)に御覧(ごらん)じ候(さうら)へとて、二宮(にのみや)殿に参(まゐ)らせよ。弓と矢は、汝(なんぢ)等(ら)に取(と)らするぞ。なき後(あと)の形見(かたみ)に見(み)候(さうら)へ。鞭(むち)と弓懸(ゆがけ)をば、二人の乳母(めのと)が方へ遣(や)るべし。沓行縢(くつむかばき)は、もり育(そだ)てし二人が守(もり)にとらせよ。夜(よ)もこそふくれば、是(これ)を持(も)ちて落(お)ち候(さうら)へ」と有(あ)りければ、二人の者(もの)共(ども)、次第(しだい)の形見(かたみ)を受(う)け取(と)りて、申(まう)しけるは、「我(われ)等(ら)、相模(さがみ)を出(い)でしより、自然(しぜん)の事(こと)候(さうら)はば、君(きみ)より先(さき)に命を捨(す)て、死出(しで)・三途(さんづ)の御供(おんとも)とこそ存(ぞん)じ候(さうら)ふに、下郎(げらう)をば命(いのち)を惜(を)しむ者(もの)と思(おぼ)し召(め)し、斯様(かやう)に承(うけたまは)り候(さうら)ふ、只(ただ)具(ぐ)せられ候(さうら)へ。ゆゆしき御用(ごよう)までこそたち申(まう)さずとも、志(こころざし)計(ばかり)の御供(おんとも)」と申(まう)しければ、十郎(じふらう)聞(き)きて、「各々(おのおの)が思(おも)ひ寄(よ)る所(ところ)、誠(まこと)に神妙(しんべう)也(なり)。斯様(かやう)なる者(もの)共(ども)を、世(よ)に無(な)ければ、恩(おん)をもせで、離(はな)れん事(こと)こそ無念(むねん)なれ。憂(う)き世(よ)の中、何事(なにごと)も思(おも)ふ様(やう)ならば、如何(いか)で適(かな)はぬ事(こと)あらん。しくんは三世(ぜ)の縁(えん)有(あ)り。来世(らいせ)にて此(こ)の恩(おん)をば報(ほう)ずべし。只(ただ)此(こ)の形見(かたみ)共(ども)をことごとく曾我(そが)へとどけたらんには、最後の供(とも)に勝(まさ)りなん。狩場(かりば)に事(こと)出(い)で来(こ)ぬと聞(き)こえなば、物思(おも)ふ子供(こども)、待(ま)ち給(たま)へる母(はは)の、我(わ)が子供(こども)やらんと歎(なげ)き給(たま)はんに、急(いそ)ぎ参(まゐ)りて、此(こ)の由(よし)かくと申(まう)すべし。今(いま)少(すこ)しもとく急(いそ)げや」と有(あ)りければ、道三郎(だうざぶらう)承(うけたまは)りて、「帰(かへ)り候(さうら)ふまじ、聞(き)こし召(め)せ、君(きみ)をば乳(ち)の内(うち)より、某(それがし)こそ取(と)り上(あ)げ奉(たてまつ)りては候(さうら)へ。然(さ)れば、九夏(きうか)三伏(さんぷく)のあつき日は、扇(あふぎ)の風を招(まね)き、玄冬(けんとう)素雪(そせつ)の寒(さむ)き夜(よ)は、衣を重(かさ)ねて、膚(はだへ)をあたためP340参(まゐ)らせ、胆(きも)心(こころ)も尽(つ)くし育(そだ)て、月とも、星(ほし)共(とも)、明(あ)け暮(く)れは見(み)上(あ)げ、見(み)下(くだ)し、頼(たの)み奉(たてまつ)り、御世(よ)にも出(い)でさせ給(たま)ひ候(さうら)はば、誰やの者(もの)にか劣(おと)るべき。頼(たの)もしくも、いとほしくも思(おも)ひ、奉(たてまつ)り、今まで影形(かげかたち)の如(ごと)く、付(つ)き添(そ)ひ参(まゐ)らせたる験(しるし)に、情(なさけ)無(な)く落(お)ちよと承(うけたまは)る。仮令(たとひ)罷(まか)り帰(かへ)りて候(さうら)ふとも、千年(せんねん)万年を保(たも)ち候(さうら)ふべきか。只(ただ)御供(おんとも)に召(め)し具(ぐ)せられ候(さうら)へ」とて、幼(いとけな)き子(こ)の親(おや)の跡(あと)をしたふ如(ごと)くに、声も惜(を)しまず泣(な)き居(ゐ)たり。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)も、心(こころ)弱(よわ)くぞ見(み)えける。如何(いか)にもして返(かへ)すべき物(もの)をと、声(こゑ)を高(たか)くして、「如何(いか)に未練(みれん)なり。君臣(くんしん)の礼(れい)黙(もだ)し難(がた)けれども、心(こころ)に従(したが)ふを以(もつ)て、孝行(かうかう)とせり。其(そ)の上、遂(つひ)に添(そ)ひはつまじき身(み)なれば、名残(なごり)の惜(を)しき事(こと)、つくべきにあらず。急(いそ)ぎ出(い)で候(さうら)へ」とて、あららかにこそ承(うけたまは)る。鬼王(おにわう)居(ゐ)なほり、畏(かしこ)まつて申(まう)しけるは、「某(それがし)も、母(はは)の胎内(たいない)を出(い)で、竹馬(ちくば)に鞭(むち)をあてしより、君(きみ)につき添(そ)ひ申(まう)し、成人(せいじん)の今(いま)に至(いた)るまで、片時(へんし)も離(はな)れて奉(たてまつ)る事(こと)無(な)し。其(そ)の験(しるし)にや、落(お)ちよとの仰(おほ)せこそ、誠(まこと)に御(おん)恨(うら)めしくは候(さうら)へ。捨(す)てられ参(まゐ)らせて後、何(なに)にかかりて、片時(へんし)のながらへも有(あ)るべき。憂(う)き身(み)のはてか」とて、さめざめと泣(な)き居(ゐ)たり。志(こころざし)の誠(まこと)、なじみの久(ひさ)しさ、互(たが)ひに語(かた)り語(かた)れば、身(み)の憂(う)きに付(つ)けても、夜(よ)や明(あ)け、日や暮(く)れむ。「既(すで)に明方(あけがた)近(ちか)く成(な)る物(もの)を、急(いそ)げや、汝(なんぢ)等(ら)、早(はや)くも行(ゆ)けと、重(かさ)ね重(がさ)ね攻(せ)めければ、二人の者(もの)共(ども)言(い)ひ兼(か)ねて、「御供(おんとも)申(まう)すべき命、何処(いづく)も同(おな)じ遂(つひ)の住(す)み処(か)、おくれ先(さき)立(だ)つP341道芝(しば)の、変(か)はらぬ露のぬれ衣、払(はら)ひて、御供(おんとも)申(まう)さん」とて、二人が袖を引(ひ)き違(ちが)へ、既(すで)に刀をぬかんとす。時宗、早(はや)くも座敷(ざしき)を立(た)ち、二人が間に押(お)し入(い)りて、涙(なみだ)と共(とも)に言(い)ひけるは、「誠(まこと)に汝(なんぢ)等(ら)が志(こころざし)切(せつ)也(なり)。然(しか)りとは雖(いへど)も、我(われ)等(ら)、是(これ)程(ほど)に、篇目(へんもく)をたてて、制(せい)するを聞(き)かで、狼藉(らうぜき)を致(いた)す物(もの)ならば、浅間(せんげん)大菩薩(だいぼさつ)も御覧(ごらん)ぜよ、未来(みらい)永劫(えいごふ)不孝(ふけう)すべし。我(われ)等(ら)に命を捨(す)つると言(い)ふとも、故郷(こきやう)へ形見(かたみ)を付(つ)けずは、長(なが)く志(こころざし)にうくべからず。此(こ)の上は、制(せい)するに及(およ)ばず」と、あららかにこそ語(かた)りけれ。あかぬは君(きみ)の仰(おほ)せなり。次第(しだい)の形見(かたみ)を賜(たま)はりて、曾我(そが)へとてこそ帰(かへ)りけれ。互(たが)ひの心(こころ)の内、さこそは悲(かな)しからめと、思(おも)ひ遣(や)られて哀(あは)れなり。
@〔悉達(しつだ)太子(たいし)の事(こと)〕S0905N135
是(これ)や、悉題(しつだ)太子(たいし)の、十九にて、菩提(ぼだい)の志(こころざし)を起(お)こし、檀特山(だんどくせん)に入(い)り給(たま)ひしに、車匿舎人(しやのくとねり)、■陟駒(こんでいこま)を賜(たま)はり、王宮(わうくう)へ帰(かへ)りし思(おも)ひ、今更(いまさら)に思(おも)ひ知(し)られたり。鞍(くら)の上(うへ)空(むな)しき駒(こま)の口(くち)を引(ひ)き、古里(ふるさと)へとは急(いそ)げども、心(こころ)は後(あと)にぞ止(とど)まりける。五月雨(さみだれ)の雲間(くもま)も知(し)らぬ夕暮(ゆふぐれ)に、何処(いづく)を其処(そこ)とも知(し)らねども、そなたばかりを顧(かへり)みて、涙(なみだ)と共(とも)に歩(あゆ)みける、心(こころ)の内(うち)ぞ、無慙(むざん)なる。P342 さても、此(こ)の人々(ひとびと)は、「郎等(らうどう)共(ども)はこしらへ返(かへ)しぬ、今は、思(おも)ひ置(お)く事(こと)も無(な)し。いざや、最後の出立(いでたち)せん」「然(しか)るべし」とて、十郎(じふらう)が其(そ)の夜(よ)の衣裳(いしやう)に、白(しろ)き帷子(かたびら)の腋(わき)深(ふか)くかきたるに、村千鳥(むらちどり)の直垂(ひたたれ)の袖(そで)を結(むす)びて、肩(かた)に掛(か)け、一寸(いつすん)斑(まだら)の烏帽子懸(えぼしかけ)を強(つよ)く掛(か)け、黒鞘巻(くろざやまき)・赤銅(しやくどう)づくりの太刀をぞ持(も)ちたる。同(おな)じく五郎(ごらう)が衣裳(いしやう)には、袷(あわせ)の小袖(こそで)の腋(わき)深(ふか)くかきたるを、狩場(かりば)の用(よう)にやしたるらん、唐貲布(からさゆみ)の直垂(ひたたれ)に、蝶(てふ)を三(み)つ二(ふた)つ所々(ところどころ)に書(か)きたるに、紺地(こんぢ)の袴(はかま)のくくりゆるらかに寄(よ)せさせ、袖(そで)をば結(むす)びて、肩(かた)に掛(か)け、平紋(ひやうもん)の烏帽子懸(えぼしかけ)を強(つよ)く掛(か)け、赤木(あかぎ)の柄(つか)の刀を差(さ)し、源氏(げんじ)重代(ぢゆうだい)の友切(ともきり)肩(かた)に打(う)ち掛(か)け、誠(まこと)にすすめる姿(すがた)、ふきうが昔(むかし)とも言(い)ひつべし。頼(たの)もしとも余(あま)り有(あ)り。十郎(じふらう)、松明(たいまつ)振(ふ)り上(あ)げて、「此方(こなた)へ向(む)き候(さうら)へや、時致(ときむね)。あかぬ顔(かほ)ばせ見参(げんざん)せん」と言(い)ふ。五郎(ごらう)聞(き)きて、敵(てき)にあひ、刹那(せつな)の隙(ひま)も有(あ)るまじければ、是(これ)こそ、最後(さいご)の見参(げんざん)の為(ため)なるべし。誠(まこと)に、祐成(すけなり)を兄(あに)と見(み)奉(たてまつ)らんも、今計(ばかり)かと思(おも)ひければ、兄が顔(かほ)をつくづくと守(まも)りけり。十郎(じふらう)も又(また)、弟(おとと)を見(み)んも、是(これ)を限(かぎ)りと思(おも)ひければ、松明(たいまつ)差(さ)し上(あ)げ、つくづく見(み)、涙ぐみけり。互(たが)ひの心(こころ)の内、推(お)し量(はか)られて哀(あは)れなり。「今は是(これ)まで候(さうら)ふ。御(おん)急(いそ)ぎ候(さうら)へ」とて、五郎(ごらう)、「先(さき)にすすみけるを、十郎(じふらう)、袖をひかへて、「女(をんな)共(ども)数多(あまた)有(あ)るべきぞ。太刀の振(ふ)りまはし心(こころ)得(え)候(さうら)へ。罪(つみ)作(つく)りに、手(て)ばしかくるな。後日(ごにち)の沙汰(さた)も、憚(はばか)り有(あ)り」と言(い)ひければ、「左右(さう)にや及(およ)び給(たま)ふ」とて、足早(あしばや)P343にこそ急(いそ)ぎける。
@〔屋形(やかた)屋形(やかた)にて咎(とが)められし事(こと)〕S0906N137
此処(ここ)に、座間(ざんま)と本間(ほんま)と、屋形(やかた)数十間(すじつけん)、向(む)かひ合(あ)ひてぞ打(う)ちたりける。彼(か)の両人(りやうにん)が郎等(らうどう)、篝(かがり)を数多(あまた)所にたかせ、木戸(きど)をゆひ重(かさ)ね、辻(つじ)を固(かた)め、通(とほ)るべき様こそ無(な)かりけれ。如何(いかが)せんとやすらふを見(み)て、「何者(なにもの)ぞや。是(これ)程(ほど)に夜ふけて通(とほ)るは。殊(こと)に其(そ)の体(てい)事がましく出(い)で立(た)ちたり。あやしや。通(とほ)すまじ」とぞ咎(とが)めける。「苦(くる)しからぬ者(もの)也(なり)。是(これ)も用心(ようじん)の形(かたち)、人をこそ咎(とが)むべけれ」「いや、誰にても坐(ま)しませ。五つ以後の通(かよ)ひ、適(かな)ふべからずとの御(おん)掟(おきて)なり。通(とほ)すまじき」とぞ支(ささ)へける。十郎(じふらう)打(う)ち向(む)かひて、「御(おん)咎(とが)め有(あ)るまじき物(もの)なり。是(これ)は、土屋(つちや)殿(どの)より愛甲(あいきやう)殿(どの)への御(おん)使(つか)ひ也(なり)。通(とほ)し給(たま)へ」と言(い)ひければ、「然(さ)らば通(とほ)せ」と許(ゆる)しけり。此処(ここ)をば過(す)ぎぬれど、未(いま)だ幾(いく)つの木戸(きど)、幾重(いくへ)の関(せき)、警固(けいご)をか通(とほ)るべき。事(こと)むつかしき折節(をりふし)かなと、足早(あしばや)に行(ゆ)きけるに、千葉介(ちばのすけ)が屋形(やかた)の前をぞ通(とほ)りける。此処(ここ)にも、木戸(きど)をきぶくたてて、半装束(しやうぞく)の警固(けいご)の者(もの)数十人(すじふにん)、是(これ)も、篝(かがり)をたきてぞ固(かた)めける。「何物(なにもの)なれば、是(これ)程(ほど)夜ふけて通(とほ)るらん。遣(や)るまじき」とぞ咎(とが)めける。五郎(ごらう)打(う)ち寄(よ)りて、「御内方(うちがた)のP344者(もの)なり。苦(くる)しからず」とて打(う)ち寄(よ)り、木戸(きど)を押(お)し開(ひら)く。「抑(おさ)へて通(とほ)るは、様(やう)有(あ)り。我(われ)等(ら)が知(し)らぬ人有(あ)るまじ。御内方(うちがた)とは誰なるらん。名字(みやうじ)を名乗(なの)れ」とぞ咎(とが)めける。「我(われ)等(ら)は、名字(みやうじ)も無(な)き者(もの)なり。通(とほ)し給(たま)へ」と言(い)ひければ、「御内方(うちがた)へとは、大様(やう)也(なり)。やはか通(とほ)る」と広言(くわうげん)して、木戸(きど)をあらくぞ押(お)したてたる。五郎(ごらう)は、木戸(きど)をたてられて、大(おほ)きにいかつて言(い)ひけるは、「苦(くる)しからねば、通(とほ)る也(なり)。苦(くる)しき者(もの)の振舞(ふるま)ひを見(み)よ。是(これ)こそ、然(さ)る所(ところ)へ強盗(がうどう)に入(い)る者(もの)よ。止(とど)めんと思(おも)はん奴(やつ)原(ばら)は、組(く)み止(とど)めよ。手(て)には掛(か)けまじき物(もの)を」と言(い)ひければ、番の者(もの)共(ども)、是(これ)を聞(き)き、「夜番の兵士(ひやうじ)は、何(なに)の用(よう)ぞや、斯様(かやう)の狼藉(らうぜき)鎮(しづ)めん為(ため)也(なり)。打(う)ち止(とど)めよ」と追(お)ひ掛(か)けたり。五郎(ごらう)も、「心(こころ)得(え)たりや、ことことし。かかりて見(み)よ」と言(い)ふ儘(まま)に、太刀取(と)り直(なほ)し、待(ま)ち掛(か)けたり。十郎(じふらう)、少(すこ)しも騒(さわ)がず、しづしづと立(た)ち帰(かへ)り、「是(これ)は、更(さら)に苦(くる)しからぬ者(もの)にて候(さうら)ふ。庁南(ちやうなん)殿(どの)より北条(ほうでう)殿(どの)へ、大事(だいじ)の御物(もの)の具(ぐ)の候(さうら)ふ、取(と)りに参(まゐ)り候(さうら)ふが、夜ぶかに候(さうら)ふ間(あひだ)、人をつれて候(さうら)へば、若(わか)き者(もの)にて、酒(さけ)に酔(ゑ)ひ候(さうら)ひて、雑言(ざふごん)申(まう)し候(さうら)ふ。只(ただ)某(それがし)に御免(ごめん)候(さうら)へ」と、打(う)ち笑(わら)ひてぞ言(い)ひたりける。御免(ごめん)と言(い)ふに、勝(か)つに乗(の)り、「然(さ)ればこそとよ、不審(ふしん)也(なり)。其(そ)の儀(ぎ)ならば、事(こと)安(やす)し。庁南殿(ちやうなんどの)へ尋(たづ)ね申(まう)すべし。其(そ)の程(ほど)待(ま)ち給(たま)へ」とぞ怒(いか)りける。十郎(じふらう)聞(き)きて、斯(か)かる勝事(しようし)こそ無(な)けれ、さりながら、陳(ちん)じて見(み)んと思(おも)ひければ、此(こ)の者(もの)共(ども)、怒(いか)りける其(そ)の中へ、ながながと立(た)ち交(まじ)はり、「御分(ごぶん)達(たち)、我々(われわれ)P345をば見(み)知(し)り給(たま)はずや。庁南(ちやうなん)殿(どの)の御内(みうち)に、弥源次(いやげんじ)・弥源太(いやげんた)とて、兄弟(きやうだい)の馬屋(うまや)の者(もの)也(なり)。いつぞや、宇都宮(うつのみや)殿(どの)、北山への御出(おいで)の時(とき)、見参(げんざん)に入(い)り候(さうら)ひしをば、忘(わす)れ給(たま)ひ候(さうら)ふや」と言(い)ふ。其(そ)の中(なか)に、おとなしき雑色(ざふしき)歩(あゆ)み出(い)でて、十郎(じふらう)が顔(かほ)をつくづくと守(まも)りけり。祐成(すけなり)、こはしと思(おも)へば、松明(たいまつ)少(すこ)し脇(わき)へまはし、眼(め)を少(すこ)しすがめて居(ゐ)たりけり。此(こ)の者(もの)共(ども)、よくよく守(まぼ)りて、「誠(まこと)に思(おも)ひ出(い)だしたり、片瀬(かたせ)よりせきとのへ御(おん)帰(かへ)りに、寄(よ)り合(あ)ひたる様(やう)に覚(おぼ)ゆるぞや」。十郎(じふらう)、事(こと)こそよけれと思(おも)ひければ、「さぞかし、殿(との)原(ばら)、其(そ)の時(とき)の酒盛(さかもり)には、座敷(ざしき)の狂(くる)ひ人ぞかし。忘(わす)れ給(たま)ふか」と言(い)ひければ、「実(げ)に、其(そ)の人にて坐(ま)しましけり。わ殿(との)は、人をば宣(のたま)へども、二王舞(にわうまひ)をばし給(たま)はぬか」。側(そば)なりける男(をとこ)が、「是(これ)程(ほど)の知音(ちいん)にて坐(ま)しましけるや。御(おん)使(つか)ひなるに、急(いそ)ぎ通(とほ)し給(たま)へ」と言(い)ふ。「哀(あは)れ、濁(にご)り酒(ざけ)一桶(をけ)あらば、如何(いか)なる御(おん)使(つか)ひなりとも、得手(えて)の二王舞(にわうまひ)を所望(しよまう)申(まう)さぬか。一番(いちばん)見(み)たし」と言(い)ひければ、十郎(じふらう)聞(き)きて、「同(おな)じ御心(おんこころ)也(なり)。さりながら、後日(ごにち)に参(まゐ)り合(あ)はん」とて、余所目(よそめ)に懸(か)けてぞ通(とほ)りけり。此(こ)の者(もの)共(ども)打(う)ち寄(よ)りて、「過(あやま)ちしたりけん。通(とほ)り給(たま)へや、人々(ひとびと)」とて、木戸(きど)を開(ひら)きて押(お)し出(い)だす。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、鰐(わに)の口を逃(のが)れたる心地(ここち)して、十郎(じふらう)言(い)ひけるは、「斯様(かやう)の所(ところ)にては、如何(いか)にも、降(かう)をこふべきに、御分(ごぶん)の雑言(ざふごん)心(こころ)得(え)ず。孔子(くじ)の言葉(ことば)をば聞(き)き給(たま)はずや。「事(こと)を見(み)ては、いさむ事(こと)無(な)かれ。大事(だいじ)の前に、少事無(な)し」とこそ見(み)え候(さうら)へ。身(み)ながらP346も、よくこそ陳(ちん)じぬれ。是(これ)や、富楼那(ふるな)の弁舌(べんぜつ)にて、くわうの憤(いきどほ)りを止(や)めけるも、今に知(し)られたり」とぞ申(まう)しける。
@〔波斯匿王(はしのくわう)の事(こと)〕S0907N138
抑(そもそも)、富楼那(ふるな)の弁舌(べんぜつ)にて、くわうの怒(いか)りを止(や)めける来歴(らいれき)を尋(たづ)ぬるに、昔(むかし)、釈尊(しやくそん)、霊山(りやうぜん)にて法(ほふ)をとき給(たま)ひしに、波斯匿王(はしのくわう)、聞法(ききほふ)結縁(けちえん)の為(ため)に、参(まゐ)らせられたり。富楼那尊者(ふるなそんじや)と申(まう)すは、弁舌(べんぜつ)第一(だいいち)の仏弟子(ぶつでし)にて坐(ま)しましけり。然(しか)れども、彼(か)のくわうの臣下(しんか)の子(こ)也(なり)。教法(けうぼふ)に心(こころ)を染(そ)めて、くわうの方(かた)をだに見(み)遣(や)り給(たま)はざりける。くわう、怒(いか)りをなして曰(いは)く、「扨(さて)も、尊者(そんじや)は、自(みづか)ら仏前(ぶつぜん)に有(あ)りつるを、遂(つひ)に其(そ)れとだにも見(み)られざりつる奇怪(きくわい)さよ。此(こ)の度、参(まゐ)らむ時(とき)は、其(そ)の色みすべし」とて、幸臣(かうしん)数(かず)相(あひ)具(ぐ)し、怨敵(おんでき)をふくみて、参(まゐ)られける時(とき)、富楼那尊者(ふるなそんじや)は、路中にて行(ゆ)き合(あ)ひ給(たま)ひ、「如何(いか)に尊者(そんじや)、何処(いづく)へ」と問(と)ふ。尊者(そんじや)聞(き)き給(たま)ひて、殊(こと)の外(ほか)に恭敬(くぎやう)して、「過(す)ぎにし仏(ほとけ)の御説法(せつぽふ)の時(とき)、君参(まゐ)り給(たま)ひしか共(ども)、法門(ほふもん)歓喜(くわんぎ)のみぎり、身(み)を忘(わす)れ、他(た)を知(し)らざりし事(こと)なれば、其(そ)の礼(れい)更(さら)に無(な)かりしなり」。くわうは、未(いま)だ真俗(しんぞく)残(のこ)り、是非(ぜひ)に携(たづさ)はり給(たま)ひき。其(そ)れ又(また)、理(ことわり)無(な)きにあらず。御(おん)憤(いきどほ)り黙(もだ)し難(がた)し。王宮(わうくう)よりの御(おん)たくみ、さぞとP347知(し)られて、急(いそ)ぎ参(まゐ)りたる。「誠(まこと)に此(こ)の理(ことわり)わきまへ給(たま)ふにや。真如(しんによ)、禅定(ぜんぢやう)の時(とき)は、無二(むに)亦(やく)無三(むさん)ととかれてこそ候(さうら)へ。然(さ)るにおきて、自(じ)も無(な)く他(た)も無(な)く、法界(ほふかい)平等(びやうどう)なり。何者(なにもの)か有(あ)りて、しやうとも又正(しやう)とも隔(へだ)てん。万法(まんぼふ)一如(によ)にして、阿字本不生(あじほんふしやう)の観(くわん)をなし給(たま)へ」と示(しめ)し給(たま)ひければ、くわう、猶(なほ)しも邪(じや)に入(い)りて、「自(みづか)らが言葉(ことば)徒(いたづ)らに成(な)りて、無礼(ぶれい)にひとしく候(さうら)ふべきにや」。いよいよ怒(いか)りを高(たか)くして、尊者(そんじや)の理(り)に受(う)け候(さうら)はず。これ偏(ひとへ)に驕慢(けうまん)瞋恚(しんゐ)の外道(げだう)と、あさましくこそ覚(おぼ)えけれ。其(そ)の時(とき)、富楼那(ふるな)、「「にやくいしきたんが、ひおんしんしやうくが、斯様(かやう)の人は、まさに邪道(じやだう)を行(ぎやう)じて、如来(によらい)を見(み)る事(こと)適(かな)ふべからず」とこそとかれて候(さうら)へ。色(いろ)にふける、言葉(ことば)に尋(たづ)ねんは、無縄自縛(むじやうじばく)かんかんと見(み)えたるをや」。くわう、猶(なほ)承(うけたまは)つて、「其(そ)の縄(なは)は誰(たれ)か致(いた)しける」「其(そ)の心(こころ)に帰(かへ)りて尋(たづ)ね給(たま)へど、外(ほか)には無(な)し」と宣(のたま)ひける所(ところ)に、くわう、一理(り)を受(う)けて、恭敬(くぎやう)礼拝(らいはい)して、仏果(ぶつくわ)に成(じやう)じ給(たま)ふ。即(すなは)ち、尊者(そんじや)引(ひ)き具(ぐ)し、霊山(りやうぜん)に参(まゐ)り給(たま)ふ。「実(げ)にや、本文(ほんもん)に、「私(わたくし)の志(こころざし)を忘(わす)れ、誠(まこと)の恭敬(くぎやう)によつて、波斯匿王(はしのくわう)も、方便(はうべん)の教化(けうけ)によれる、返(かへ)す返(がへ)す私(わたくし)無(な)し」とこそしめされてこそ候(さうら)へ。但(ただ)し、梶原(かぢはら)と言(い)ふ曲者(くせもの)の屋形(やかた)の前、如何(いかが)すべき。我(われ)等(ら)を見(み)知(し)りたる者(もの)なり。然(さ)れども、帰るべき道(みち)にもあらず。浮沈(ふちん)、此処(ここ)にきはまれり。運(うん)に任(まか)せよ」とて通(とほ)る。案(あん)の如(ごと)く、辻(つじ)がための兵数十人(すじふにん)、長具足(ながぐそく)立(た)て並(なら)べ、誠(まこと)に厳(きび)しく見(み)えたり。P348詮方(せんかた)無(な)くして、南無(なむ)二所(にしよ)権現(ごんげん)、助(たす)け給(たま)へ」と祈念(きねん)して、知(し)らぬ様(やう)にて通(とほ)りける。然(さ)れども、神慮(しんりよ)の御(おん)助(たす)けにや、咎(とが)むる者(もの)も無(な)かりけり。「すはや、よきぞ」とささやきて、足早(あしばや)にこそ通(とほ)りけれ。只事(ただこと)ならずとぞ見(み)えける。
@〔祐経、屋形(やかた)を返(かへ)し事(こと)〕S0908N139
既(すで)に祐経(すけつね)が屋形(やかた)近(ちか)く成(な)りて、此処(ここ)ぞと言(い)へば、打(う)ちうなづきて、既(すで)に屋形(やかた)へ入(い)らんとしける時(とき)、十郎(じふらう)、弟(おとと)が袖(そで)をひかへて、「我々(われわれ)、敵(てき)に打(う)ち合(あ)ひなば、刹那(せつな)の隙(ひま)も有(あ)るまじ。今こそ最後(さいご)の際(きは)なれ。心(こころ)静(しづ)かに念仏(ねんぶつ)せよ」と言(い)ひければ、「然(しか)るべし」とて、兄弟(きやうだい)、西に向(む)かひ手(て)を合(あ)はせ、「臨命終(りんみやうじう)の仏達(たち)、親(おや)の為(ため)に回向(ゑかう)する命、諸尊(しよそん)も知(し)り給(たま)はん。安楽(あんらく)世界(せかい)に向(む)かへ給(たま)へ」と祈念(きねん)して、屋形(やかた)の内へぞ入(い)りにける。然(さ)れども、王藤内(わうとうない)が申(まう)す様(やう)に従(したが)ひ、祐経(すけつね)、思(おも)はざる所(ところ)に屋形(やかた)をかへたりければ、只(ただ)空(むな)しく土器(かはらけ)踏(ふ)み散(ち)らして、人一人も無(な)かりけり。是(これ)は如何(いか)にと、松明(たいまつ)振(ふ)り上(あ)げ見(み)れば、屋形(やかた)も同(おな)じ屋形(やかた)、座敷(ざしき)も宵(よひ)の所(ところ)なり。人は多(おほ)く伏(ふ)したれども、狩(かり)に疲(つか)れ、酒(さけ)に酔(ゑ)ひ伏(ふ)したりければ、「誰(た)そ」と咎(とが)むる者(もの)も無(な)し。此(こ)の人々(ひとびと)は、力(ちから)無(な)く屋形(やかた)を立(た)ち出(い)でて、天(てん)に仰(あふ)ぎ、地に伏(ふ)し、悲(かな)しみけるぞ、理(ことわり)なり。「敵に縁(えん)P349無(な)き者(もの)を尋(たづ)ぬるに、我(われ)等(ら)には過(す)ぎじ。今宵(こよひ)は、さりともと思(おも)ひしに、余(あま)しぬるこそ、口惜(くちを)しけれ。斯様(かやう)に有(あ)るべしと知(し)るならば、曾我(そが)へ返(かへ)すまじきに、さ無(な)き物(もの)故(ゆゑ)に、世間(せけん)に披露(ひろう)せられんこそ、悲(かな)しけれ。自害(じがい)して失(う)せなん」とて、立(た)ちたりける。 然(さ)れども、御屋形(やかた)の東のはづれは、秩父(ちちぶ)の屋形(やかた)なりけり。折節(をりふし)、本田(ほんだ)の二郎(じらう)、小具足(こぐそく)差(さ)し固(かた)め、夜まはりの番(ばん)也(なり)しが、庭上(ていしやう)に、「今宵(こよひ)も余(あま)しけるよ」と、小声(こごゑ)に言(い)ふ音(おと)しけり。いかさま、伊豆(いづ)・駿河(するが)の盗賊(とうぞく)の奴(やつ)原(ばら)にて有(あ)るらん、打(う)ち止(とど)め、高名(かうみやう)せんと思(おも)ひ、太刀の鍔元(つばもと)、二三寸(ずん)すかし、足早(あしばや)に歩(あゆ)み寄(よ)りけるが、心(こころ)をかへて思(おも)ふ様(やう)、一定(いちぢやう)、曾我(そが)の殿(との)原(ばら)の、日頃(ひごろ)の本意(ほんい)遂(と)げんとて、夜昼(よるひる)付(つ)けめぐりつる、然様(さやう)の人にてもやと、障子(しやうじ)の隙(すき)より、忍(しの)びて見(み)れば、案(あん)にも違(たが)はず、兄弟(きやうだい)は、敵のかへたる屋形(やかた)を知(し)らで、あきれてこそは居(ゐ)たりけれ。いたはしく思(おも)ひて、左衛門(さゑもん)の尉(じよう)が伏(ふ)したる屋形(やかた)の妻戸(つまど)を、秘(ひそ)かに押(お)し開(ひら)き、何(なに)共(とも)物(もの)をば言(い)はずして、扇(あふぎ)を出(い)だして招(まね)きたり。五郎(ごらう)、此(こ)の由(よし)きつと見(み)て、本田(ほんだ)が我(われ)等(ら)を招(まね)きつるは、様(やう)こそあれと思(おも)ひ、松明(たいまつ)脇(わき)に引(ひ)きそばめ、広縁(ひろえん)にづんど上(あ)がり、「何事(なにごと)ぞや、本田(ほんだ)殿(どの)」とささやきければ、本田(ほんだ)、小声(こごゑ)に成(な)りて、「夜陰(いん)の名字(みやうじ)は詮(せん)無(な)し。波にゆらるる沖(おき)つ船(ふね)、しるべの山は此方(こなた)ぞ」と、言(い)ひ捨(す)ててこそ忍(しの)びけれ。「其処(そこ)とも知(し)らぬ夜(よ)の波(なみ)、風を頼(たよ)りの湊(みなと)入(い)り、心(こころ)有(あ)るよ」とたはぶれて、屋形(やかた)の内(うち)へぞ入(い)りにける。兄弟(きやうだい)共(とも)に立(た)ち添(そ)ひて、松明(たいまつ)振(ふ)り上(あ)げ、P350よく見(み)れば、本田(ほんだ)が教(をし)へに違(たが)はず、敵は、此処(ここ)にぞ伏(ふ)したりける。二人が目(め)と目(め)を見(み)合(あ)はせ、あたりを見(み)れば、人も無(な)し。左衛門(さゑもん)の尉(じよう)は、手越(てごし)の少将(せうしやう)と伏(ふ)したり。王藤内(わうとうない)は、畳(たたみ)少(すこ)し引(ひ)きのけて、亀鶴とこそ伏(ふ)したりけれ。十郎(じふらう)、敵を見(み)付(つ)けて、弟(おとと)に言(い)ひけるは、「わ殿は、王藤内(わうとうない)を切(き)り給(たま)へ。祐経(すけつね)をば、祐成(すけなり)に任(まか)せて見(み)よ」とぞ言(い)ひたりける。時宗聞(き)きて、「愚(おろ)かなる御(おん)言葉(ことば)かな。我々幼少(えうせう)より、神仏に祈(いの)りし事(こと)は、王藤内(わうとうない)を打(う)たん為(ため)か。彼(か)の者(もの)は、にがすべし。立(た)て合(あ)はば、切(き)るべし。祐経(すけつね)をこそ、千太刀も百太刀も、心(こころ)の儘(まま)に切(き)るべけれ。はや切(き)り給(たま)へ。切(き)らん」とて、すぞろきてこそ立(た)ちたりけれ。果報(くわほう)めでたき祐経(すけつね)も、無明(むみやう)の酒(さけ)に酔(ゑ)ひぬれば、敵(てき)の入(い)るをも知(し)らずして、前後も知(し)らでぞ伏(ふ)したりける。二人の君(きみ)共(ども)をば、衣(きぬ)に押(お)しまき、畳(たたみ)より押(お)し下(お)ろし、「己(おのれ)、声立(た)つな」と言(い)ひて、松明(たいまつ)側(そば)に差(さ)しおき、十郎(じふらう)、枕にまはりければ、五郎(ごらう)は、後(あと)にぞめぐりける。二人の君(きみ)共(ども)、始(はじ)めより、知(し)りたりけれども、余(あま)りの恐(おそ)ろしさに、音(おと)もせず。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、祐経(すけつね)を中(なか)に置(お)きて、各々(おのおの)目(め)と目(め)を見(み)合(あ)はせて、打(う)ちうなづきて喜(よろこ)びけるぞ、哀(あは)れなる。「三千年に花さき実(み)成(な)る西王母(せいわうぼう)の園(その)の桃(もも)、優曇華(うどんげ)よりも珍(めづら)しや。優曇華(うどんげ)をば、拝(をが)みてをると言(い)ふなれば、其(そ)れにたとふる敵なれば、拝(をが)みてきれやきれや」とて、喜(よろこ)びける。さて、二人が太刀を左衛門(さゑもん)の尉(じよう)にあてては引(ひ)き、引(ひ)きてはあて、七八度こそあてにけれ。P351やや有(あ)りて、時致(ときむね)、此(こ)の年月(としつき)の思(おも)ひ、只(ただ)一太刀にと思(おも)ひつる気色(けしき)現(あらは)れたり。十郎(じふらう)、是(これ)を見(み)て、「まてしばし、ね入(い)りたる者(もの)を切(き)るは、死人(しにん)を切(き)るに同(おな)じ。起(お)こさん物(もの)を」とて、太刀(たち)のきつ先(さき)を、祐経が心(こころ)もとに差(さ)し当(あ)て、「如何(いか)に左衛門(さゑもん)殿(どの)、昼(ひる)の見参(げんざん)に入(い)りつる曾我(そが)の者(もの)共(ども)参(まゐ)りたり。我(われ)等(ら)程(ほど)の敵(てき)を持(も)ちながら、何(なに)とて打(う)ちとけて伏(ふ)し給(たま)ふぞ。おきよや、左衛門(さゑもん)殿(どの)」と起(お)こされて、祐経も、よかりけり、「心(こころ)得(え)たり。何程(なにほど)の事(こと)あふるべき」と言(い)ひもはてず、おき様(さま)に、枕元(もと)にたてたる太刀を取(と)らんとする所(ところ)を、「やさしき敵の振舞(ふるま)ひかな。おこしはたてじ」と言(い)ふ儘(まま)に、左手(ゆんで)の肩(かた)より右手(めて)の脇(わき)の下(した)、板敷(いたじき)までも通(とほ)れとこそは、切(き)り付(つ)けけれ。五郎(ごらう)も、「えたりや、おう」と罵(ののし)りて、腰(こし)の上手(うはて)を差(さ)し上(あ)げて、畳(たたみ)板敷(いたじき)切(き)り通(とほ)り、下もちまでぞ打(う)ち入(い)れたる。理(ことわり)なるかな、源氏(げんじ)重代(ぢゆうだい)友切(ともきり)、何物(なにもの)かたまるべき。あたるにあたる所(ところ)、続(つづ)く事(こと)無(な)し。「我(われ)幼少(えうせう)より願(ねが)ひしも、是(これ)ぞかし。妄念(まうねん)払(はら)へや、時致(ときむね)。忘(わす)れよや、五郎(ごらう)」とて、心(こころ)の行(ゆ)く行(ゆ)く、三太刀づつこそ切(き)りたりけれ。無慙(むざん)なりし有様(ありさま)なり。 後(あと)に伏(ふ)したる王藤内(わうとうない)、ねおびれて、「詮(せん)無(な)き殿(との)原(ばら)の夜ちうのたはぶれかな。過(あやま)ちし給(たま)ふな。人違(たが)ひし給(たま)ふな。人々(ひとびと)をば見(み)知(し)りたり。後日(ごにち)に争(あらそ)ふな」とは言(い)ひけれども、刀をだにも取(と)らずして、たかばひにしてぞ、逃(に)げたりける。十郎(じふらう)追(お)ひ掛(か)けて、「昼(ひる)の言葉(ことば)にはにざる物(もの)かな。何処(いづく)まで逃(に)ぐるぞ。余(あま)すまじ」とて、P352左の肩(かた)より右の乳(ち)の下掛(か)けて、二(ふた)つに切(き)りて、押(お)しのけたり。五郎(ごらう)走(はし)り寄(よ)り、左右(さう)の高股(たかもも)二(ふた)つに切(き)りて、押(お)しのけたり。四十余(あま)りの男(をとこ)なりしが、時(とき)の間(ま)に、四(よ)つに成(な)りてぞ、失(う)せにける。にがすべかりつる者(もの)、かい伏(ふ)しては逃(に)げずして、なましひなる事(こと)を言(い)ひて、四(よ)つに成(な)るこそ、無慙(むざん)さよ。五郎(ごらう)、王藤内(わうとうない)が果(はて)を見(み)て、一首(しゆ)取(と)り敢(あ)へず詠(よ)みたりける。馬(むま)はほえ牛(うし)はいななく逆様(さかさま)に四十の男(をとこ)四(よ)つになりけり W035「よくよく仕(つかまつ)り候(さうら)ふかな。一期(いちご)詠(えい)じても、是(これ)程(ほど)こそ詠(よ)み候(さうら)はんずれ。詩歌(しいか)においては、時宗、集(しう)にもめととなん。思(おも)ふ本意(ほんい)をば遂(と)げぬ。今は憚(はばか)る事(こと)無(な)し」と、高声(たかごゑ)に言(い)ひ散(ち)らし、どつと笑(わら)ひて、出(い)でけるが、
@〔祐経(すけつね)に止(とど)め差(さ)す事(こと)〕S0909N142
十郎(じふらう)言(い)ひけるは、「祐経に止(とど)めを差(さ)さざりけるか。止(とど)めは、敵(かたき)を打(う)つての法(ほふ)也(なり)。実検(じつけん)の時(とき)、止(とど)めの無(な)きは、敵打(う)ちたるにいらず」「然(さ)らば、止(とど)めをさし候(さうら)はん」とて、五郎(ごらう)立(た)ち帰(かへ)り、刀(かたな)を抜(ぬ)き取(と)りて抑(おさ)へ、「御辺(ごへん)の手(て)より賜(たま)はりて候(さうら)ふ刀(かた)な、確(たし)かに返(かへ)し奉(たてまつ)る。取(と)らずと論(ろん)じ給(たま)ふな」とて、柄(つか)も拳(こぶし)も通(とほ)れ通(とほ)れとさす程(ほど)に、P353余(あま)りにしげく差(さ)しければ、口(くち)と耳(みみ)と一(ひと)つになりにけり。扨(さて)こそ、後に人の申(まう)しけるは、「宵(よひ)に悪口(あつこう)せられし其(そ)のねたに、わざと口(くち)をさかるる」とぞ申(まう)しける。「幼少(えうせう)より、敵(かたき)を見(み)んと、箱根に祈誓(きせい)申(まう)し、御前(ごぜん)にて祐経を見(み)染(そ)むるのみならず、一腰(こし)の刀(かたな)をえたる、今(いま)止(とど)めを差(さ)したる刀(かたな)、是(これ)也(なり)。権現(ごんげん)の御(おん)恵(めぐ)みとて感(かん)じける。さすがに離(はな)れぬ一門(いちもん)の中、哀(あは)れとや思(おも)ひけん、「我、過去(くわこ)の宿業(しゆくごふ)と言(い)ひながら、一念(いちねん)の瞋恚(しんい)に依(よ)り、敵御方(みかた)とは隔(へだ)たるなり。慚愧(ざんぎ)懺悔(さんげ)の力(ちから)に依(よ)り、六根(こん)の罪障(ざいしやう)を消滅(せうめつ)し、因果(いんぐわ)の輪廻(りんゑ)を只今(ただいま)つくしはてて、一念(いちねん)の菩提心(ぼだいしん)誤(あやま)り給(たま)はで、一蓮(ひとつはちす)の縁(えん)となし給(たま)へ。阿弥陀仏」と回向(ゑかう)して、屋形(やかた)をこそ出(い)でたりけれ。十郎(じふらう)は、庭上(ていしやう)に立(た)ちて、五郎(ごらう)を待(ま)ち得(え)て言(い)ひけるは、「我(われ)名乗(なの)りて、人々(ひとびと)に知(し)られん」「もつとも」とて、大音声(だいおんじやう)にて罵(ののし)りける。「遠(とほ)からん人は、音(おと)にも聞(き)け。近(ちか)からん者(もの)は、目(め)にも見(み)よ。伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)伊藤(いとう)の二郎(じらう)祐親(すけちか)が孫(まご)、曾我(そが)の十郎(じふらう)祐成(すけなり)、同(おな)じく五郎(ごらう)時致(ときむね)とて、兄弟(きやうだい)の者(もの)共(ども)、君(きみ)の屋形(やかた)の前(まへ)にて、親(おや)の敵、一家(か)の工藤(くどう)左衛門(さゑもん)の尉(じよう)祐経(すけつね)を打(う)ち取(と)り、罷(まか)り出(い)づる。我(われ)と思(おも)はん人々(ひとびと)は、打(う)ち止(とど)め高名(かうみやう)せよ」と雖(いへど)も、昼(ひる)の狩座(かりくら)につかれければ、音(おと)もせず。小柴垣(こしばがき)のもとに躍(をど)り寄(よ)り、猶(なほ)声を上(あ)げて、呼(よ)ばはりけれども、東西(とうざい)南北(なんぼく)に音(おと)もせず。三浦(みうら)の屋形(やかた)には、予(かね)てより知(し)りたれば、わざと出(い)づる者(もの)も無(な)し。次(つぎ)の屋形(やかた)に聞(き)き付(つ)けて、榛沢(はんざは)・あかさは・柏原(かしはばら)を始(はじ)めとして、むねとの者(もの)共(ども)、出(い)でんとする所(ところ)を、重忠(しげただ)聞(き)き、P354「余(あま)りな騒(さわ)ぎそ。一定(いちぢやう)、曾我(そが)の人々(ひとびと)が、本意(ほんい)をとぐると覚(おぼ)えたり。如何(いか)に嬉(うれ)しく思(おも)ふらん。心(こころ)静(しづ)かによくさせよ。然(さ)らぬだに、若(わか)き者(もの)は、心(こころ)騒(さわ)ぎて、し損(そん)ずる事有(あ)りぬべし。鎮(しづ)まり候(さうら)へ」と有(あ)りければ、出(い)づる者(もの)こそ無(な)かりけれ。兄弟(きやうだい)の人々(ひとびと)は、しばしやすらひ、敵をまて共(ども)、無(な)かりければ、十郎(じふらう)言(い)ひけるは、「いざや時宗、ひとまづ落(お)ちて、今(いま)一度母(はは)にあひ奉(たてまつ)り、思(おも)ふ事(こと)をも語(かた)り申(まう)し、猶(なほ)事(こと)のびば、髻(もとどり)切(き)り、如何(いか)ならん野(の)の末(すゑ)、山の中にも閉籠(へいろう)し、父(ちち)の孝養(けうやう)をもせん。其(そ)れ適(かな)はずは、心(こころ)静(しづ)かに念仏(ねんぶつ)申(まう)し、自害(じがい)するまで」と言(い)ひければ、五郎(ごらう)聞(き)き、余(あま)りのにくさに音(おと)もせず、やや有(あ)りて、「此(こ)の仰(おほ)せこそ、条々(でうでう)然(しか)るべしとも覚(おぼ)えず候(さうら)へ。弓矢(ゆみや)取(と)る者(もの)の習(なら)ひには、仮初(かりそめ)にも一足(あし)も逃(に)ぐると言(い)ふ事(こと)、口惜(くちを)しき事(こと)にて候(さうら)ふ。命(いのち)の惜(を)しき者(もの)こそ、入道をもし、山林(さんりん)に閉籠(へいろう)し候(さうら)はんずれ。幼少(えうせう)より思(おも)ひし事(こと)はとぐるなり。何事(なにごと)を思(おも)ひ残(のこ)して、落(お)ち候(さうら)ふべき。母(はは)に対面(たいめん)の事(こと)、科(とが)を奉(たてまつ)るべき為(ため)か。させる孝養(けうやう)報恩(ほうおん)こそ贈(おく)らざらめ、科(とが)も無(な)き母(はは)さへいたまれ、「子供(こども)の行(ゆ)き方知(し)らぬ事(こと)あらじ」とぞ攻(せ)め問(と)はれ、禁獄(きんごく)死罪(しざい)にも行(おこな)はれば、我(われ)等(ら)が出(い)ださずして適(かな)ふまじ。なましひに逃(に)げ隠(かく)れて、彼処(かしこ)此処(ここ)より搦(から)め出(い)だされ、剰(あまつさ)へ諸国(しよこく)の侍(さぶらひ)共(ども)に、「幾程(いくほど)の命(いのち)惜(を)しみて、曾我(そが)の物(もの)共(ども)が髻(もとどり)切(き)り、乞食(こつじき)をす」と、沙太(さた)せられん事(こと)は恥(は)づかし。其(そ)の上、一旦(いつたん)隠(かく)れ得(え)たりと言(い)ふとも、東は奥州(あうしう)外浜(そとのはま)、西は鎮西(ちんぜい)鬼界島(きかいがしま)、南は紀伊路(きいのぢ)熊野山(くまのさん)、P355北は越後の荒海(あらうみ)までも、君(きみ)の御息(おんいき)の及(およ)ばぬ所有(あ)るべからず。天(てん)に掛(か)けり、地(ち)に入(い)らざらん程(ほど)は、一天(いつてん)四海(しかい)の内に、鎌倉(かまくら)殿(どの)の御権威(けんい)の及(およ)ばざる事(こと)無(な)し。只(ただ)羅網(らまう)の鳥(とり)、つりをふくむ魚(うを)の如(ごと)し。真実(しんじつ)の仰(おほ)せとも覚(おぼ)えず。時宗におきては、向(む)かふ敵(てき)あらば、太刀(たち)の目釘(めくぎ)のこらへん程(ほど)は、命(いのち)こそ限(かぎ)りなれ」と申(まう)しければ、十郎(じふらう)聞(き)きて、「わ殿(との)が試(こころ)みんとてこそ言(い)ひたれ、祐成(すけなり)が心(こころ)も、予(かね)てより知(し)りぬらん。一足(あし)も引(ひ)き候(さうら)ふまじき」と語(かた)らひ、よする敵を待(ま)ち掛(か)けたり。
@〔十番ぎりの事(こと)〕S0910N143
然(さ)る程(ほど)に、夜討(ようち)の時(とき)、恐(おそ)ろしさに声(こゑ)もたてざりし二人の君(きみ)共(ども)が、「御所(ごしよ)中(ぢゆう)に、狼藉人(らうぜきにん)有(あ)りて、祐経(すけつね)も打(う)たれたり。王藤内(わうとうない)も打(う)たれたる」と、声々(こゑごゑ)にこそ呼(よ)ばはりけれ。鎧(よろひ)・兜(かぶと)・弓矢(ゆみや)・太刀、馬(むま)よ、鞍(くら)よと、ひしめきあわつる程(ほど)に、具足(ぐそく)一領(りよう)に、二三人取(と)り付(つ)きて、引(ひ)きあふ者(もの)も有(あ)り、つなぎ馬(うま)に乗(の)りながら、打(う)ちあふる者(もの)も有(あ)り。某(それがし)、かれがしと罵(ののし)る音(おと)は、只(ただ)六種(ろくしゆ)震動(しんどう)にも劣(おと)らず。やや有(あ)りて、武者(むしや)一人出(い)で来(き)て、申(まう)しけるは、「何物(なにもの)なれば、我(わ)が君(きみ)の御前(ごぜん)にて、斯(か)かる狼藉(らうぜき)をば致(いた)すぞ。名乗(なの)れ」とぞ言(い)ひける。十郎(じふらう)打(う)ち向(む)かひて、「以前(いぜん)名乗(なの)りぬれば、定(さだ)めて聞(き)きつらん。P356かく言(い)ふ者(もの)は、如何(いか)なる者(もの)ぞ」「是(これ)は、武蔵(むさし)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)大楽(たいらく)の平(へい)右馬助(むまのすけ)」と名乗(なの)る。祐成(すけなり)聞(き)きて、「薫蕕(くんゆ)は、入物(もの)同(おな)じくせず、梟鸞(けうらん)は、翼(つばさ)をまじへず、我(われ)等(ら)にあひて、斯様(かやう)の事(こと)は、過分(くわぶん)なり。是(これ)こそ、曾我(そが)の物(もの)共(ども)よ。敵(てき)打(う)ちて出(い)づるぞ。止(とど)めよ」と言(い)ひて、追(お)ひ掛(か)けたり。右馬助(むまのすけ)、言葉(ことば)には似(に)ず、かひふつて逃(に)げけるが、押付(おしつけ)のはづれに、胛(かひがね)掛(か)けて打(う)ちこまれ、太刀を杖(つゑ)にて、引(ひ)き退(しりぞ)く。二番に、是(これ)等(ら)が、姉聟(あねむこ)横山(よこやま)党(たう)愛甲(あいきやう)の三郎(さぶらう)と名乗(なの)りて、押(お)し寄(よ)せたり。五郎(ごらう)打(う)ち向(む)かひ、言(い)ひけるは、「紫燕(しゑん)は、柳樹(りうじゆ)の枝(えだ)にたはぶれ、白鷺(はくろ)は、蓼花(れうくわ)の陰(かげ)に遊(あそ)ぶ。斯様(かやう)の鳥類(ちやうるい)までも、己(おのれ)が友(とも)にこそ交(まじ)はれ。御分(ごぶん)達(たち)、相手(あひて)には不足(ふそく)なれども、人を選(えら)ぶべきにあらず。時致(ときむね)が手並(てなみ)の程見(み)よ」とて、紅(あけ)にそまはりたる友切(ともきり)、まつこうに差(さ)しかざし、電(いなづま)の如(ごと)くに、とんで掛(か)かる。適(かな)はじとや思(おも)ひけん。少(すこ)しひるむ所(ところ)を、すすみかかりて打(う)ちければ、五郎(ごらう)が太刀を受(う)けはづし、左手(ゆんで)の小腕(こがひな)を打(う)ち落(お)とされて、引(ひ)き退(しりぞ)く。三番に、駿河(するが)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)岡部(をかべ)の弥三郎(やさぶらう)、十郎(じふらう)に走(はし)り向(む)かひて、左(ひだり)の手(て)の中指(なかゆび)二(ふた)つ打(う)ち落(お)とされて逃(に)げけるが、御所(ごしよ)の御番の内に走(はし)り入(い)り、「敵は二人ならでは無(な)く候(さうら)ふ。いたくな御(おん)騒(さわ)ぎ候(さうら)ひそ」と申(まう)しければ、「神妙(しんべう)に申(まう)したり。いしくも見(み)たり」とて、高名(かうみやう)の御意(ぎよい)にぞ預(あづ)かりける。四番(ばん)に、遠江(とほたふみ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)原(はら)の小次郎、切(き)られて、引(ひ)き退(しりぞ)く。五番(ばん)に、御所(ごしよ)の黒弥五(くろやご)と名乗(なの)り押(お)し寄(よ)せ、十郎(じふらう)に追(お)つたてられ、小鬢(こびん)切(き)られて、引(ひ)き退(しりぞ)く。P357六番(ろくばん)に、伊勢(いせ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)加藤(かとう)弥太郎(やたらう)攻(せ)め来(き)て、五郎(ごらう)が太刀受(う)けはずし、二の腕(うで)切(き)り落(お)とされて、引(ひ)き退(しりぞ)く。七番(ばん)に、駿河(するが)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)船越(ふなこし)の八郎押(お)し寄(よ)せ、十郎(じふらう)に高股(たかもも)切(き)られて、引(ひ)き退(しりぞ)く。八番に、信濃(しなの)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)海野(うんの)小太郎(こたらう)行氏(ゆきうぢ)と名乗(なの)りて、五郎(ごらう)に渡(わた)り合(あ)ひ、しばし戦(たたか)ひけるが、膝(ひざ)をわられて、犬居(いぬゐ)に伏(ふ)す。九番に、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)宇田(うだ)の小四郎(こしらう)押(お)し寄(よ)せ、十郎(じふらう)に打(う)ち合(あ)ひけるが、如何(いかが)しけん、首(くび)打(う)ち落(お)とされて、二十七歳(さい)にて失(う)せにけり。十番(ばん)に、日向(ひうが)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)臼杵(うすき)の八郎押(お)し寄(よ)せ、五郎(ごらう)に渡(わた)り合(あ)ひ、まつかうわられて、失(う)せにけり。此(こ)の次(つぎ)に、安房(あは)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)安西(あんざい)の弥七郎と名乗(なの)りて、「敵は何処(いづく)に有(あ)るぞや」とて立(た)ちける。十郎(じふらう)打(う)ち向(む)かひて、「人々(ひとびと)、やさしく、下(お)りてふかで、討死(うちじ)にしたるは見(み)つらん。愚人(ぐにん)は、銅(あかがね)を以(もつ)て鏡(かがみ)とす。君子(くんし)は、友(とも)を以(もつ)て鏡(かがみ)とす。引(ひ)くな」と言(い)ひて、打(う)ち合(あ)ひける。弥七(やしち)も、然(さ)る者(もの)なり、「左右(さう)にや及(およ)ぶ」と言(い)ひも敢(あ)へず、とんで掛(か)かる。十郎(じふらう)、足(あし)を踏(ふ)み違(ちが)へ、側目(そばめ)に懸(か)けて、ちやうど打(う)つ。肩先(かたさき)より高紐(たかひも)のはづれへ、切先(きつさき)を打(う)ちこまれ、引(ひ)き退(しりぞ)くとは見(み)えしかど、其(そ)れも、其(そ)の夜(よ)に死(し)ににけり。頃(ころ)しも、五月二十八日の夜(よ)なりければ、暗(くら)さは暗(くら)し、ふる雨は、車軸(しやぢく)の如(ごと)くなり。敵(てき)は何処(いづく)に有(あ)るぞや」とて、走(はし)りめぐる所(ところ)を、小柴垣(こしばがき)に立(た)ち隠(かく)れて、出(い)づるをちやうど切(き)りては、陰(かげ)に引(ひ)き籠(こも)り、向(む)かふ者(もの)をば、はたと切(き)る。切(き)られて引(ひ)き退(しりぞ)く者(もの)を後陣(ごぢん)に受(う)け取(と)りて、御方(みかた)打(う)ちする所(ところ)も有(あ)り。二人のP358物(もの)共(ども)、呼(よ)ばはりけるは、「武蔵・相模(さがみ)のはや物(もの)共(ども)は、如何(いか)に。是(これ)も重代(ぢゆうだい)、是(これ)も重代(ぢゆうだい)と思(おも)ふ太刀と刀(かたな)の鉄(かね)の程(ほど)をも見(み)せよかし。敵は十人有(あ)る、二十人有(あ)ると、後日(ごにち)に沙太(さた)するな。我(われ)等(ら)兄弟(きやうだい)計(ばかり)ぞ。火(ひ)を出(い)だせ。其(そ)のあかりにて名乗(なの)り合(あ)はん。むげなる物(もの)共(ども)かな」と呼(よ)ばはりければ、御厩(むまや)の舎人(とねり)とくたけと言(い)ふ者(もの)、傘(からかさ)に火(ひ)を付(つ)けて投(な)げ出(い)だす。是(これ)を見(み)て屋形(やかた)屋形(やかた)より、我(われ)劣(おと)らじと、雑人(ざふにん)の、蓑(みの)に火(ひ)を付(つ)けて投(な)げ出(い)だす。二千間(にせんげん)の屋形(やかた)より松明(たいまつ)出(い)だしければ、万燈会(まんどうゑ)の如(ごと)し、白昼(はくちう)にも似(に)たり。彼(かれ)等(ら)二人は、素膚(すはだ)にて敵にあはんと走(はし)りまはる有様(ありさま)、小鷹(こたか)の鳥(とり)にあふが如(ごと)し。斯(か)かる所(ところ)に、武蔵(むさし)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)新開(しんかい)の荒四郎(あらしらう)と名乗(なの)り掛(か)けて、すすみ出(い)でて申(まう)しける、「敵(てき)は何十人(なんじふにん)もあれ、某(それがし)一人にやこゆべき。出(い)であへや、対面(たいめん)せん」とぞ言(い)ひける。十郎(じふらう)打(う)ち向(む)かひて、「やさしく聞(き)こゆる物(もの)かな、「大匠(たいしやう)に代(か)はりて仕(つか)へる者(もの)は、必(かなら)ず手(て)を破(やぶ)る」とは、文選(もんぜん)の言葉(ことば)なるをや。引(ひ)くな」と言(い)ひて、とんで掛(か)かる。言葉(ことば)は、主の恥(はぢ)を知(し)らず、「御免(ごめん)あれ」とて逃(に)げけるを、十郎(じふらう)、しげく追(お)ひ掛(か)けたり。余(あま)りに逃(に)げ所無(な)くして、小柴垣(こしばがき)を破(やぶ)りて、たかばひにして逃(に)げにける。次(つぎ)に、甲斐(かひ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)に、市河党(いちかはたう)に、別当(べつたう)の二郎(じらう)、すすみ出(い)でて申(まう)しけるは、「如何(いか)なるしれ者(もの)なれば、君(きみ)の御前(ごぜん)にて、斯(か)かる狼藉(らうぜき)をば致(いた)すぞ、名乗(なの)れ、聞(き)かん」と言(い)ふ。五郎(ごらう)申(まう)しけるは、「事(こと)あたらしき男(をとこ)の問(と)ひ様(やう)かな。曾我(そが)の冠者(くわんじや)原(ばら)が、親(おや)の敵打(う)ちて出(い)づると、幾度(いくたび)言(い)ふべきP359ぞ。臆(おく)して耳(みみ)がつぶれたるか。親(おや)の敵(かたき)は、陣(ぢん)の口(くち)を嫌(きら)はず。さて、斯様(かやう)に申(まう)すは誰人(たれびと)ぞ。聞(き)かん」と言(い)ふ。「是(これ)は、甲斐(かひ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)市河党(いちかはたう)の別当(べつたう)の大夫(たいふ)が次男(じなん)、別当(べつたう)の次郎(じらう)定光(さだみつ)とぞ答(こた)へける。五郎(ごらう)聞(き)きて、「わ殿(との)は、盗人(ぬすびと)よ。御坂(みさか)・かた山・都留(つる)・坂東(ばんどう)に籠(こも)り居(ゐ)て、京(きやう)鎌倉(かまくら)に奉(たてまつ)る年貢(ねんぐ)御物(みもつ)の兵士(ひやうじ)少(すく)なきを、遠矢(とほや)に射(い)て追(お)ひ落(お)とし、片山里(かたやまざと)の下種(げす)人の立(た)て合(あ)はざるを、夜打(ようち)などにし、物(もの)取(と)る様(やう)は知(し)りたりとも、恥(はぢ)有(あ)る侍(さぶらひ)に寄(よ)り合(あ)ひ、はれの軍(いくさ)せん事(こと)は、如何(いか)でか知(し)るべき。今(いま)、時致(ときむね)にあひて習(なら)へ。教(をし)へん」とて、躍(をど)りかかりて打(う)つ太刀に、高股(たかもも)切(き)られて、引(ひ)き退(しりぞ)く。是(これ)等(ら)を始(はじ)めとして、兄弟(きやうだい)二人が、手(て)に掛(か)けて、五十余人(よにん)ぞ切(き)られける。手(て)負(お)ふ者(もの)は、三百八十余人(よにん)なり。数々(かずかず)出(い)づる松明(たいまつ)も、一度(ひとたび)消(き)えて、元(もと)の闇(やみ)にぞなりにける。人は多(おほ)く有(あ)りけれども、此(こ)の人々(ひとびと)の気色(けしき)を見(み)て、此処(ここ)や彼処(かしこ)にむら立(だ)ちて、よする者(もの)こそ無(な)かりけれ。
@〔十郎(じふらう)が討(う)ち死(じ)にの事(こと)〕S0911N144
やや暫(しばら)く有(あ)りて、伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、新田(につた)の四郎(しらう)に、十郎(じふらう)打(う)ち向(む)かひ、「如何(いか)に曾我(そが)の十郎(じふらう)祐成(すけなり)か」「向(む)かひ誰(た)そ」「新田(につた)の四郎(しらう)忠綱(ただつな)よ」「さては、御分(ごぶん)と祐成(すけなり)は、正(ただ)しき親類(しんるい)なり」「其(そ)の儀(ぎ)ならば、互(たが)ひに後(うし)ろばし見(み)るな」「左右(さう)に及(およ)ばず。今夜、未(いま)だ尋常(じんじやう)P360なる敵にあはず。ゆひかひ無(な)き人の、郎等(らうどう)の手(て)にかからんずらんと、心(こころ)にかかりつるに、御辺(へん)にあふこそ嬉(うれ)しけれ」「一家(か)の験(しるし)に、同(おな)じくは、忠綱(ただつな)が手(て)に掛(か)けて、後日に勧賞(くわんじやう)に行(おこな)はれ給(たま)はば、御辺(へん)の奉公(ほうこう)と思(おも)ひ給(たま)へ」と言(い)ひて、打(う)ち合(あ)ひける。十郎が太刀は、少(すこ)し寸(すん)のびければ、一(いち)の太刀は、新田(につた)が小臂(こひぢ)にあたり、次(つぎ)の太刀(たち)に、小鬢(こびん)を切(き)られけり。然(さ)れども、忠綱(ただつな)、究竟(くつきやう)の兵(つはもの)なれば、面(おもて)もふらず、大音声(だいおんじやう)にて罵(ののし)りけるは、「伊豆(いづ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、新田(につた)の四郎(しらう)忠綱(ただつな)、生年(しやうねん)二十七歳(さい)、国(くに)を出(い)でしより、命(いのち)をば君(きみ)に奉(たてまつ)り、名(な)をば、後代(こうたい)に止(とど)め、屍(かばね)をば富士の裾野(すその)にさらす。さりとも、後(うし)ろを見すまじきぞ。御分(ごぶん)も引(ひ)くな」と言(い)ふ儘(まま)に、互(たが)ひに鎬(しのぎ)をけづり合(あ)ひ、時(とき)を移(うつ)して戦(たたか)ひけるに、新田(につた)の四郎(しらう)は、新手(あらて)也(なり)。十郎(じふらう)は、宵(よひ)の疲(つか)れ武者(むしや)、多(おほ)くの敵に打(う)ち合(あ)ひて、腕(かひな)下(さ)がり、力(ちから)も弱(よわ)る。太刀(たち)より伝(つた)ふ汗(あせ)に血(ち)と、手(て)の打(う)ちしげくまはりければ、太刀をひらめてうくる所(ところ)に、十郎(じふらう)が太刀(たち)、鍔(つば)本よりをれにけり。忠綱(ただつな)、かつのつて打(う)つ程(ほど)に、左(ひだり)の膝(ひざ)を切(き)られて、犬居(いぬゐ)に成(な)りて、腰(こし)の刀(かたな)を抜(ぬ)き、自害(じがい)に及(およ)ばんとする所(ところ)に、太刀(たち)取(と)り直(なほ)し、右の臂(ひぢ)のはづれを差(さ)して通(とほ)す。忠綱(ただつな)、今(いま)はかうと思(おも)ひ、屋形(やかた)を差(さ)して帰(かへ)りけるを、十郎(じふらう)伏(ふ)しながら、掛(か)けたる言葉(ことば)ぞ、無慙(むざん)なる。「新田(につた)殿(どの)、帰(かへ)るか、まさなし。同(おな)じくは首(くび)を取(と)りて、上(かみ)の見参(げんざん)に入(い)れよ。親(した)しき者(もの)の手(て)にかからんは、本意(ほんい)ぞかし。返(かへ)せ、や、殿(との)、忠綱(ただつな)」と呼(よ)ばはられて、実(げ)にもとや思(おも)ひけん、即(すなは)ちP361立(た)ち帰(かへ)り、乳(ち)の間(あひだ)切(き)りてぞふせたる。祐成(すけなり)が最後の言葉(ことば)ぞ、哀(あは)れなる。「五郎(ごらう)は、何処(いづく)に有(あ)るぞや。祐成(すけなり)、既(すで)に新田(につた)が手(て)にかかり、空(むな)しく成(な)るぞ。時致(ときむね)は、未(いま)だ手(て)負(お)ひたる共(とも)聞(き)こえず、如何(いか)にもして、君(きみ)の御前(ごぜん)に参(まゐ)り、幼少(えうせう)よりの事(こと)共(ども)、一々(いちいち)に申(まう)し開(ひら)きて死(し)に候(さうら)へ。死出(しで)の山にて待(ま)ち申(まう)すべきぞ。追(お)ひ付(つ)き給(たま)へ。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と言(い)ひもはてず、生年(しやうねん)二十二歳(さい)にして、建久(けんきう)四年(しねん)五月二十八日の夜半(やはん)計(ばかり)に、駿河(するが)の国(くに)富士(ふじ)の裾野(すその)の露と消(き)えにけり。弓矢(ゆみや)取(と)る身(み)の習(なら)ひ、今(いま)に始(はじ)めぬ事(こと)なれども、親(おや)の為(ため)に命(いのち)をかろくし、屍(かばね)は路逕(ろけい)の岐(ちまた)に捨(す)つれども、名(な)をば、竜門(りやうもん)の雲井(くもゐ)に上(あ)ぐる、哀(あは)れと言(い)ふも愚(おろ)か也(なり)。五郎(ごらう)は、兄(あに)が最後の言葉(ことば)を聞(き)きて、死骸(しがい)なりとも、今(いま)一目(ひとめ)見(み)んと思(おも)ひ、又(また)、忠綱(ただつな)を打(う)つとや思(おも)ひけん、太刀振(ふ)りまはし、大勢(おほぜい)の中を切(き)り分(わ)けて、走(はし)り寄(よ)り、兄が死骸(しがい)にまろびかかり、「恨(うら)めしや、時宗をば、誰に預(あづ)けおき、いついつまでいきよとて、捨(す)てて御座(おは)するぞや。ながらへはつべき憂(う)き身(み)にもあらず。つれて坐(ま)しませや」と打(う)ちくどき、涙(なみだ)にむせびて、伏(ふ)したりけり。実(げ)にや、同(おな)じ兄弟(きやうだい)と言(い)ひながら、互(たが)ひの志(こころざし)深(ふか)ければ、別(わか)れの涙(なみだ)さぞ有(あ)るらんと、推(お)し量(はか)られて哀(あは)れ也(なり)。此処(ここ)に又(また)、堀(ほり)の藤次(とうじ)と名乗(なの)りて、武者(むしや)一人出(い)でて、「五郎(ごらう)は、何処(いづく)へ行(ゆ)きたるぞや。兄(あに)の打(う)たるるを見(み)捨(す)てて、落(お)ちけるぞや。未練(みれん)なり」とぞ尋(たづ)ねける。五郎(ごらう)、此(こ)の言葉(ことば)を聞(き)きて、おき上(あ)がり、太刀取(と)り直(なほ)し、「や、殿(との)、藤次(とうじ)殿(どの)、P362兄(あに)の打(う)たるるを見(み)捨(す)てて、何処(いづく)へ落(お)つべき。祐成(すけなり)は、新田(につた)が手(て)にかかりぬ。時致(ときむね)をば、わ殿が手(て)に掛(か)けて、首(くび)を取(と)れ。惜(を)しまぬ身(み)ぞ」と言(い)ひければ、藤次(とうじ)は、五郎(ごらう)が太刀影(かげ)を見(み)て、かひ伏(ふ)して逃(に)げにけり。五郎(ごらう)追(お)ひ掛(か)け、「己(おのれ)は、何処(いづく)まで逃(に)ぐるぞ」とて、追(お)つ掛(か)けければ、余所(よそ)へ逃(に)げては、適(かな)はじとや思(おも)ひけん、御前(ごぜん)差(さ)して逃(に)げにけり。五郎(ごらう)も、続(つづ)きて入(い)りければ、親家(ちかいへ)、幕(まく)つかんで投(な)げ上(あ)げ、御侍所(さぶらひどころ)へ走(はし)り入(い)り、五郎(ごらう)も、幕(まく)を投(な)げ上(あ)げて、親家(ちかいへ)をつかまんつかまんと思(おも)ひける装(よそほ)ひは、只(ただ)、てんまの雷(いかづち)の落(お)ち掛(か)かるかとぞ覚(おぼ)えける。
@〔五郎(ごらう)召(め)し取(と)らるる事(こと)〕S0912N145
此処(ここ)に、五郎丸(ごらうまる)とて、御寮(れう)の召(め)し使(つか)ふ童(わらは)有(あ)り。もとは、京(きやう)の者(もの)なりしが、叡山(えいざん)に住(ぢゆう)して、十六の年、師匠(ししやう)の敵(かたき)を打(う)ち、在京(ざいきやう)適(かな)はで、東国(とうごく)に下(くだ)り、一条(いちでう)の二郎(じらう)忠頼(ただより)を頼(たの)みたりしに、忠頼(ただより)、御敵とて打(う)たれ給(たま)ひて後(のち)、此(こ)の君(きみ)に参(まゐ)りたりしが、究竟(くつきやう)の荒馬(あらうま)乗(の)りの者(もの)、七十五人が力(ちから)持(も)ちけり。宵(よひ)の程(ほど)は、夜討(ようち)と雖(いへど)も、音(おと)もせず。御前(ごぜん)近(ちか)く祗候(しこう)せしに、五郎(ごらう)が親家(ちかいへ)をおうて入(い)るを見(み)て、薄衣(うすぎぬ)引(ひ)きかづき、幕(まく)の際(きは)に立(た)ちけり。五郎(ごらう)は、一目(ひとめ)見(み)たりけれども、屋形(やかた)を出(い)でし時(とき)、「女房(にようばう)に手(て)ばしかくるな」と、兄(あに)がP363言(い)ひし言葉(ことば)有(あ)りければ、太刀の背(むね)にて、通(とほ)り様(さま)に、一太刀あててぞ過(す)ぎける。五郎丸(ごらうまる)と知(し)るならば、只(ただ)一太刀に失(うしな)はんと、危(あや)ふくこそ覚(おぼ)えけれ。時致(ときむね)は、猶(なほ)も親家(ちかいへ)を手(て)どりにせんとおふ所(ところ)を、五郎丸(ごらうまる)、我(わ)が前を遣(や)り過(す)ごし、続(つづ)きて掛(か)かる、腕(かひな)をくはへて取(と)り、「えたりや、おう」とぞいだきける。五郎(ごらう)は、大力(だいぢから)にいだかれながら、物(もの)ともせず、「こは如何(いか)に、女(をんな)にては無(な)かりけり、物々しや」と言(い)ひつつ、引(ひ)きて中(なか)へぞ入(い)りにける。五郎丸(ごらうまる)、適(かな)はじとや思(おも)ひけん、「敵(てき)をば、かうこそいだけ、斯様(かやう)にこそいだけ」と、高声(かうしやう)也(なり)ければ、彼(かれ)等(ら)が傍輩(はうばい)、相模(さがみ)の国(くに)のせんし太郎丸(まる)走(はし)り寄(よ)り、「にがすな」とて取(と)り付(つ)く。其(そ)の後、屋(うまや)の小平次を始(はじ)めとして、手がらの者(もの)共(ども)走(はし)り出(い)でて、五四人取(と)り付(つ)きけれども、五郎(ごらう)は、物(もの)ともせず、二三人をばけころばかし、大庭(おほには)に躍(をど)り出(い)でんと志(こころざし)けるが、板敷(いたじき)こらへずして、五郎(ごらう)は、足(あし)を踏(ふ)み落(お)とし、立(た)たん立(た)たんとする所(ところ)に、小平次・弥平次おき上(あ)がり、左右(さう)の足(あし)に取(と)り付(つ)きければ、其(そ)の外(ほか)の雑色(ざつしき)共(ども)、「余(あま)すな、もらすな」とて、かなぐり付(つ)く。是(これ)や、文選(もんぜん)の言葉(ことば)に、「百足(むかで)は、死(し)に至(いた)れども、たはふれすな」と也(なり)。心(こころ)は猛(たけ)く思(おも)へども、多勢に適(かな)はずして、空(むな)しく搦(から)め取(と)られけり。無慙(むざん)なりし有様(ありさま)也(なり)。君(きみ)も、此(こ)の由(よし)聞(き)こし召(め)して、糸毛(いとげ)の御腹巻(はらまき)に、御住代の鬚切(ひげきり)抜(ぬ)き、出(い)でさせ給(たま)ひける。相模(さがみ)の国(くに)の住人(ぢゆうにん)、大友(おほとも)の左近将監(さこんのしやうげん)が嫡子(ちやくし)、一法師丸(いちぼふしまる)とて、生年(しやうねん)十三になりけるが、御前(おんまへ)然(さ)らぬ物P364なるが、こざかしく、御寮(れう)の御袖をひかへ奉(たてまつ)り、「日本国(につぽんごく)をだにも、君(きみ)は居(ゐ)ながら従(したが)へ給(たま)ふべきに、是(これ)は、わづかなる事(こと)ぞかし。いか様、若(わか)き殿(との)原(ばら)の酔狂(すひきやう)か、女(をんな)又は盃論(ろん)か、宿論(ろん)か。いづれにて候(さうら)はんに、御座ながら、尋(たづ)ね聞(き)こし召(め)され候(さうら)へ」と止(とど)め申(まう)しければ、実(げ)にもとや思(おぼ)し召(め)し候(さうら)ひけん、止(とど)まり給(たま)ひけり。さしも出(い)でさせ給(たま)ひて、五郎(ごらう)に見(み)え給(たま)ふ物(もの)ならば、危(あや)ふくぞ覚(おぼ)えけり。後に、御恩賞(おんしやう)にぞ預(あづ)かりける。古(ふる)き言葉(ことば)を見(み)るに、大象(ぞう)兎径(とうけい)に遊(あそ)ばず、君子(くんし)文旨(ぶんし)にかかはらずと言(い)ふ事(こと)こそ思(おも)ひ知(し)られたり。其(そ)の後、小平次、御前(ごぜん)に参(まゐ)り、畏(かしこ)まつて申(まう)し上(あ)げけるは、「曾我(そが)の五郎(ごらう)をば搦(から)め取(と)りて候(さうら)ふ。十郎(じふらう)は打(う)たれて候(さうら)ふ」と申(まう)したりければ、「神妙(しんべう)に申(まう)したり。五郎(ごらう)をば、汝(なんぢ)に預(あづ)くるぞ」と仰(おほ)せ下(くだ)されけり。哀(あは)れなりし次第(しだい)なりけり。