玉虫の草紙

(『日本文学大系』第19巻「お伽草子」〈大正14年〉による。振り仮名省略版。入力:菊池真一)
玉虫の草紙

 天地開け、伊●諾伊●冊の尊、浮橋の上にてこと始めし給ひしより、八雲立つ出雲八重垣妻ごめに、八重垣造るその八重垣をと、ながめ給ひしこのかた、矛の露国となり、恋の煙たちなびきけり。さりながら百敷の内、または柴の戸の外までも、男女夫婦の道ならずといふ事なし。過ぎ行くまゝに、このかた浅茅が末の世となりて、露の情の戯れ、鳥類畜頻までも、この執心をこめられ、竹に鳴く鴬、水に住む蛙、野辺にある虫の声、みな歌にあらずといふことなし。此にちかき頃、きたいやさしき恋の道あり。頃は八月中の十日許りの頃なるに、野もせの花の色めく草の下葉に、すだく虫のその中に、白練衣の十二単に身をまとへる虫、輝く程なれば、名をぱ玉虫姫とぞ申しける。数々の虫共かの玉虫を見きき、同じ憂き世に生れあひても、玉むし姫と草の枕を竝べ、薄が袖をも重ねばやと、思ひを懸けぬ虫ぞなき。あまり思ふも苦しきに、各玉章を通はし、歌にて心をひき見ばやと思ひけり。まづかげろふの兵衛の方よりも、葦の葉に文をかき、歌を咏みてぞ通はしける。
 さても/\、いつぞや夕の月の影、ほの見えて、憧れまゐらせ、心露に乱れ候まゝ、一首贈りまゐらせ候。
  数ならぬ身はかげろふの袖のうへにいつか宿さむ玉むしの君
かやうに書きて送りければ、玉虫取上げて見て、玉章歌の心は優しけれども、見るにつけても、かげろふの様なる虫に、いかで靡くべきかとて、たゞ歌の返しばかりありけり。
  恥かしやいつまであらぬかげろふの影にやどさじ我が袖のつゆ
次に、蛙の雅楽助方よりも、玉章歌贈りけり。
 さては申すにつけても御物笑ひの種と思ひ申し候へども、夕の露のひま毎に、音をのみ泣くぱかりなり、御身故とてかくよめり。
  かはづなく田の面の水に玉むしのひとり宿かせ秋の夕暮
かやうに遣はしけれぱ、玉虫取上げて、なりは下種々々しくして、むさ/\げなれども、歌の心やさしさよとて、たゞ返歌のみかくなむ。
  およびなき田のもの井戸に雨乞ひてなくや蛙の空音なるらむ
 次に蝗の宰相の方より、
  そよや吹く稲葉の風の便りにて、一筆伝へまゐらせ候、御面影身にうち添ひて、天雲の上の空なろ恋ゆゑに、うちまどろまむひまもなく、心つくしにゆく船の、よるべも知らぬ思ひにてこそ候へば、かくなむ、
   秋の田の穂の上てらす稲妻の光のうちもわれになびけよ
玉むしこれを見て、あれが文のかきやう、歌のよみやう、やさしさよとて、
   たのめとて霜おく野辺の叢薄ひとり残らむ秋の末まで
 次に鈴虫の三位の中将の方より、
  さても/\宮城野にて、秋の萩の陰より見初めまゐらせ、しのぶもぢずり誰が故に、いつまで袖しぼりなむ
   おもひわびひとりふる野に鈴虫の啼きもやあかす秋の夜な/\
かやうにかきて贈りけれぱ、姫君御覧じて、やさしの事やとて、返歌ありけり。
  すゞ虫のすゞろに物をおもふとて及ばぬ野辺に心かくるな
 次に、ひぐらし山陰の方より、
  うつせみのもぬけに一首贈りまゐらせ候。
   いつもたゞひぐらしのおく山陰をひと方ならず問ふ人もなし
玉虫御返歌ありけり。
  よそまでも夜は明けがたし日ぐらしの住む山陰に秋の来つらめ
この御返しを見て、さてははや契らむこともいと難かるべしと、思ひに沈み、朝の露とぞ消えにける。
 其の後蝉の左大臣殿より、紅の花にふみかきそへて贈りけり。
 過ぎにし頃、姫君をひと目見まゐらせ候より、心空にあこがれて、有明のつれなき命もはや消えまゐらせ候。
とて、一首かくなむ、
 空蝉のもぬけの衣脱ぎおくぞたゞ君ゆゑとおもふ夜もなし
たまむし御覧じて、いと心細き様より、かの君に心はより候へども、人目の闇のはづかしければ、たゞ返しばかりありけり。
  我もたゞ心はおなじ思へどもまた来む春をしぱし待て君
 こゝに、いほ虫のへぼ入道、心に思ふやう、年よりといひ、しかも入道やうして、若き姫君の方へ玉章を贈らむこと恥かしくは思へども、恋のならひは、縁にまかせてある習ひなれば、かくのみ思ひ立ち候事も、前の世の縁ぞかしとて、文を通はす。
  おそれなる申し事に候へども、此の道には、高きも賤しきも、老いたるも若きも、思ひ惑へる事はなし。かく申す入道に御靡き候へ、一は御利益、二には人の思ひをかゝり候へば、末の世の障りとなるべし。昔志賀寺の上人は、八十三の歳御息所を見そめ給ひてより、恋となり、御手を執りたまひて、読み給ふと聞く。「初春の初音のけふの玉はゝき手にとるからにゆらぐたまの緒。」とあそばし、二条の后へ贈りたまへば、やがて御返歌に、「いざさらば真の道にしるべして我を誘へゆらぐ玉の緒。」とかやあそばし、遂に一夜はなびき給ふと承る。姫君の御なびき候はずは、数多の虫をたのみ、押寄せ奪ひとり申し候はむ時、われら怨みたまふなよとて、一首かくなむ、
   いほ虫のいふこと聞かぬ玉虫はいかなる鳥の餌ともなれかし
姫君このよし御覧じて、あはれ女の身ほど哀れなろ事はよもあらじ、あのやうなる、いほ虫入道などにさへ、玉章を得ろことうさつらしとて衣引きまとひうち臥したまふ。御乳母小蝶の前申しけるは、「情はきはなき御事にて候。ある歌にもよみ給ふ、
  なさけには賤しき袖もなきものをもらさで宿れ衣半の月かげ
と候へば、御靡きの御返しは思召しより給はずとも、歌の返しばかり。」と申しければ、実にやと思ひ、むしんにはおもへども、さらば返歌ばかりとて、かくなむ、
  いかにたゞおどすときかじいほ虫のはいとるまでに我を思ふか
いほむし、かの御返歌を見て、おどしそんじけりとて、其の侭にやみにけりとかや。
 次にきり/゛\すの帥のすけ方より、文をまゐらせ候。
  いつぞや垣ほのひまより、燈火のかげほの/\と見そめまゐらせ候後は、明けぬ暮れぬ尽きせぬ思ひ深く候まゝ、一筆まゐらせ候となむ、
   きり/゛\すひとり啼くなる秋の夜の長きおもひを問ふ人もなし
姫君御覧じて、文歌の心もちやさしくは候へども、せいちひさく極めて声高きものなりとて、たゞ御かへしばかりなり。
  きり/゛\すいたくなわびそうき秋の思ひは我もおなじ心を
 次に、松虫の左大臣殿の方より、玉章を通はしたまひけり。
  初秋風を便りにて、心そらにあこがれて、雲ゆく月の御面影、身にうちそひて、今更忘れやらぬ恋草の身もうは枯れの野辺の露、消ゆるとすれば天雲の、晴るゝひまなく思へども、いつかは君をみよしのの、花の匂ひをわが袖にうつしもやせむと、心のみはや五月雨の、夜な/\の榻の端書数へつゝ、九十九夜まで通ひつゝ、一夜をまたで死したりける、人の心も知られけり。たゞ悔しきは錦木の、朽ちも果てなむ夕暮の、くれ/゛\おもひ参らせ候へども、御面影忘れやられで、一首かくなむ、
   わが恋は難波の浦の海人ごろもしほたれのみにぬるゝ袖かな
玉虫姫御覧じて、さても/\やさしき文の書きやうかな、古今、万葉、伊勢物語、源氏、狭衣の御面影、今のやうに見えまゐらせ候、これほど心の細き君に、さのみつれなかるまじとて返歌あり、
  人もこそ心つよくもたまかづら暮るゝ夕をわれもまたなむ
とありければ、松虫なのめならず喜び、比翼連理の契り、偕老同穴のかたらひ浅からずと見えたりける。
 其の後蓑虫の方より、
  身づから参り候て申したうは候へども、一しやうたゞ一の身にて候まゝ、余所の御目もはづかしくして、まづ文にて申しまゐらせ候。
   数ならぬみのむしなれどたまむしと一夜の枕竝べてもがな
姫君聞しめされ、古のひとりある身なりとも、あれ体のものをとりあげ、再度いふことなかれ、おうのにはめ、岩のものいふ世の中に、人の耳に入りなぱ、無き名の立たむこと口惜しさよとて、遂に返事もなし。
 その後、又此にこえむしとて、あけくれ春秋のこえの中にすむ虫、心に思ふやう、なさけは人によらずあるものなり。其の上わが名も世の中の人をこえむしなれぱとて、いかでか玉虫姫もなびかざるべきとて、墨すりながし、筆にそめ、頃は秋の中ばの事なるに、薄様に紅葉重ひきかさね、
  はつのに薄ほのめきて、風を便りながら一筆まゐらせ候。雲のよそなる人故に海士小舟こがれて物を思ふかや、小夜千鳥ひとり枕のさびしきに、起臥の涙の床にうきぬべし、かやうの心をも御慰めたまひなぱ、さこそ嬉しくおもひ参らせ候とて、かず/\のむしに御なびきたまはぬに、いかゞとはおもへども、一首かくなむ、
  かず/\の虫に心のおとらめやこのひめ君を我もこえむし
玉虫姫御覧じて、こは如何に、あけくれこえの中に住居する虫の身として、おもひをかくる無念さよ。さりながらあまり心つきなきとて返しばかり、
  世の中の人の噂の恋をのみ田の面のこえとおもふあはれさ
いかに平生一人の時も、御身のやうなる人に、おもひかけらるべきとは知らず、今ははやひとりならぬ身なるに、玉章たまはり候事不思議におもひ候。この水茎をぱ置きて殿に見せまゐらせむとて、便をかへしけり。
 さて其の後のこりの虫ども、はや人のもとに御出でわたらせたまふと聞く程に、水ぐき歌かよはし候は口惜しとて、おの/\已みにけり。末の世なれど、誰かは虫と生れ来て、秋の思ひの音をやなくらむとおもひつゞけて、一首かくなむ、
  恋ひこふる虫もうき世の人も皆のこらむものか秋の夕ぐれ
 かやうに心なき虫までも、うき世の中の思出に、恋を心にかけ、文、玉章を書きかよはし、歌をよみ、互になさけを忘れじと契ることの葉も、たゞ人の心を和らげ、末もめでたかるべきまゝ、かやうにかきとゞめおくなり。


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(奥付)
大正十四年九月二十日印刷
大正十四年九月二十三日発行
(非売品)
日本文学大系
第十九巻
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