付喪神
(『日本文学大系』第19巻「お伽草子」〈大正14年〉による。振り仮名省略版。入力:菊池真一)
付喪神
上巻
陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。是れによりて世俗、毎年、立春に先立ちて、人家の古道具を払ひ出だして、路吹に棄つる事侍り、これを煤払と云ふ。これすなはち百年に一年たらぬ付喪神の災難にあはじとなり。又新玉の始め、楡柳の火を切り、若水をむすび、衣装家具等にいたるまで、みな新らしく、声華やかなる事、たゞ富貴の家のおごれるよりおこりたると思ひたれば、かの付喪神をつゝしみて、新を賞しけりと、今こそ思ひ合はせて侍れ。
こゝに康保の頃にや、件の煤払とて、洛中洛外の在家より取出して、捨てたる古具足ども、一所に寄り合ひて評定しけるは、「さても我等、多年家々の家具となりて、奉公の忠節を尽したるに、させる恩賞こそなからめ、剰へ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかゝる事、恨みの中の恨みにあらずや、詮ずる所、如何にもして妖物となりて、各仇を報じ給へ。」と議定するところに、数珠の入道一連差出で申しけるは、「各斯様になる事も、皆因果にてこそ候らめ、たゞ仇をば恩にて報じ給へ。」と云ひければ、中にも手棒の箸太郎進み出でて、「推参なる入道が申す事かな、総じて人は生道者めきたるが見られぬぞ、まかり立ち候へ。」とて、左右なく、緒とゞめのふしの砕くるばかりぞあてたりける。一連手をすりて逃げけるが、あまりに強く打たれて息の緒の絶えけるを、弟子共やう/\にいたはり扶けてぞ立ちてける。かくて已むべきにあらずとて、各意見をうかゞふに、古文先生申しけるは、「それ造化のききは一気渾々として、かつて人類草木の形ある事なし。然れども陰陽の銅、天地の爐に従ひて、かりに万物を化成せり。我に若し天地陰陽の工にあはば、必ず無心を変じて精霊を得べし。昔、托礫物いひ虞氏名車となる、これ豈陰陽の変を受けて、動植の化を致すにあらずや、須く今度の節分を相待つべし、陰陽の両際反化して物より形を改むる時節なり、我等その時身を虚にして、造化の手に従はば妖物と成るべし。」と教へければ、各命をかうぷりける。紳のはたにしるしてぞかへりける。
此に一連道心者とは申し乍ら、余りに無念にや侍りけむ、立帰り鬱憤を散ずべきよし申せば、弟子共引止めける程に思ひつゞけ侍り、
一筋に思ひもきらぬ玉の緒の結ぼられたるわが心かな
既に其の夜にもなりしかば、古文先生の教への如く、各其の身を虚無にして、造化神の懐に入る。彼等すでに百年を経たる功あり、造主に又変化の徳を備ふ。かれこれ契合して忽ちに妖物となる。或は男女老少の姿を現はし、或は魑魅悪鬼の相を変じ、或は狐狼野干の形をあらはす。色々様々の有様、恐ろしとも中々申すずかりなり。
妖物共、住むべき在所を定めけるに、あまりに人里遠くては、食物の便あるぺからずとて、船岡山の後、長坂の奥と定めて、皆々かしこに居移り、常には京白河に行て、捨てられし仇をも報じ、又は食物の為に貴賤男女は申すに及ばず、牛馬六畜までも取りければ、人皆悲しむ事限りなし。されども目に見えぬ化生のものなれば、対治するに計なくして、偏に仏神の力許りをぞたのみける。妖物共、肉の城を築き、血の池をたゝへ、舞、酒宴、遊戯、歓楽しつゝ、人間の楽しみをさみし、天上の快楽、あら羨ましからずやなどとぞ申し合ひける。
或時、妖物の中に申しけるは、「夫れ我が朝は本より神国にて、人みな神道を信じ奉る。我等すでに形を造化神にうけながら、彼の神をあがめ奉らざる事、心なき木石の如し、今よりして此の神を氏神と定めて、如在礼奠を致さば、運命久しく保つて、子孫繁昌せむ事疑ひあらじ。」とて、やがて此の山の奥に社壇を建てて、その名を変化大明神と号し奉る。立烏帽子の祭文の督を神主とし、小鈴の八乙女、手拍子の神楽男などさだめおきて、朝に祈り夕に祭り申す事、猛悪不善の妖物とは申しながら、信に傾く志、かの盗跖が五常の法に相似たるかな。
余社の法例に准じて、祭礼行ふべしとて、神輿を造立し奉る。頃は卯月始めの五日、深更に及びて、一条を東へ幸行なす。山をつくり、鉾をかざる。様々の風流美を尽し、善を尽せり。時に関白殿下、臨時の除目行はれむがために、一条を西に達智門より御参内ある所に、件の祭礼と行きあひ給へり。前駆の輩、馬より落ちて絶入す。その外の供奉の人々みな地に倒れ伏す。されども殿はちとも騒ぎましまさず、御車の内より、化生のものをはたと睨み給へり。不思議なる事には、はだの御守より忽ちに火炎を出す。其の火炎、無量の火村となりて、化生の者に負ひかゝる。化生の者転び倒れて述げ失せけり。
下巻
今夜、路吹の騒ぎによりて、御参内事ゆかず、返り給ひぬ。未明にこの由奏上せらる。主上おほきに御驚きありて、やがて御占行はる。占文のさす所、御慎み、軽からざる由奏しければ、諸社の奉幣、顕密の御祈祷始めらるべき由定めらる。
抑昨夜殿下の御守の奇特をたづぬれば、なにがしの僧正、御師檀たるによりて、御守のために、手づから尊勝陀羅尼を書き、供養して進ぜらる。御身を離たせ給はずして懸けられける、そのしるしにてぞ侍りける。主上も此の由聞召し、今度の御祈りは、併しながら彼の僧正に委すべき由仰せ下さる。再三の辞み申さるゝと雖も、敕諚背き難くして、すなはち清涼殿に於て、如法尊勝大法行はる。伴僧二十口、皆これ一門の秀才、瑜伽教の達者なり。護摩の煙、禁中に薫じ、念珠の声、禁裏をひたす。然るに第六日の後夜の時に御聴聞の為に、主上出御なるとて、御殿の上を御覧ぜらるゝに、赫奕たる光明あり。その中に奇異なる天童七八人、或は劒を提げ、或は宝捧をかたげて立ちけろが、同時に北をさして飛び去りぬ。是れ則ち、二明王の眷族、悪魔降伏の為に現じたまふらむと、渇仰の御涙叡襟をぞ湿ほしける。すなはち御聴聞所に出御なり、本尊を拝しまし/\、結願の後、御布施の儀式はてて、阿闍梨を御前近く召され、仰せ下されけるは、「真言道の奇特、今に始めぬ事なれども、今度の效験、併しながら僧正が練行の功より起りたる由、敕諚ありければ仏法を貴み思召す叡慮のかたじけなきに、僧正、涙に咽びて御前をぞ出でられける。
さる程に案の如く、護法童子、化生のものの城へ飛びうつり、忽ちに降伏し給ふ。「輪宝虚空に転じ、火焔身を攻む、汝等もし生命を害せず、諸人を悩ます事なくして、三宝を帰依し、終に菩提を証せむと思はば、たゞその命をたすくべし、しからずば悉く降伏すべき由。」宣へば、変化の者共、深く憤み畏れて、かたく誓約申して後、教誡に従ひけり。
其の後妖物ども一所に寄り合ひて、冥威恐ろしくて、命の危なかりける事ども申し合ひて、いきつき居たりけるが、或る妖物申しけるは、「我等此の間多くの生類を殺し、邪見放逸なるに依りて、忽ちに冥の責を蒙りぬ、然れども過ちを悔ゆる心を顧みて、かたじけな命を助け給へり、早く一旦の栄花をなげうてて、菩提の菓実を求むべし。」と申しければ、怪物共、みな一同に発心せり。然るに善知識を尋ぬるに、かの一連こそ道学ともに諸宗に用ゐられたる名匠なれ、此の人を知識とすべし、但し去年の冬、恥を与へたる事こそ口惜しけれども、我等もし罪を悔ゆる心あらば、なんぞ博愛の恵みなからむとて、みな彼の栖をぞたづねける。
一連上人は、過ぎにし冬の頃より、ひとへに浮世を厭ひはてて、山深くとぢ籠り、嶺の松風を友として、十二因縁の眠りをさまし、谷の水音を知識としては、百八煩悩の垢をすすげり。折節古寺の入相の物すごく、かすかに聞えければ、今日も暮れけるになどと、一人口ずさむところに、柴のとぽそをほと/\とたゝく。誰なるらむと思ひて見るに、異類異形の妖物ぞ来りける。こはそも何者ぞ、天魔外道の我が道心をさまたぐるにやとて、深くおどろくところに、「これこそありし器物共のなれる姿にて候へ。」とて、此の程の有様、発心の由来など語りければ、上人のたまひけるは、「其の後、御行方ども聞かまほしく候ひつるに、逢ひ奉るうれしさのみにあらず、剰へ、発心し給ふこそ目出度けれ。」とぞ喜びける。なかにも手棒の妖物、殊更とがをおこたり申しけれぱ、上人、「さなのたまひそよ。それ因縁によりてこそ世を厭ひ侍れ、我をすゝめし知識にてましますものを。」などとぞのたまひける。
やがて剃髪染衣の形となして、始め沙弥の十戒より、次第に具足戒をぞ進められける。ある時、諸僧、上人に申しけるは、「凡そ諸教の起り、いづれも仏果の大道なれども、成仏の遅速偏に教への浅深による由承る。同じくは深教に入りて、速かに菩提を証したく候。」と申せば、上人宣ひけるは、「小僧魯愚の身なりと雖と、久しく諸宗をうかゞひ、名徳の手に従ひて、東流の教門を叩かずと云ふ事なし。夫れ大聖の教へを設くる事、機の浅深に依つて、諸乗異なりと雖も、みなこれ普門法界の一徳を分てり、何たやすく是非を論ずる事あらむ。されども即身頓悟の旨を談ずるに至りては、偏に真言三密の力にあり。昔弘法大師ひとり此の趣を宣ひしかば、諸宗の英匠疑ひて伏膺せざりき。之によりて南北の諸徳、朝廷に競ひ集まり、旗鼓を争ひ、挙く各迦旃延の跡をとひ、互に布留那の弁をふるふと雖も、大師無碍弁の言説、懸河流れ滞りなく、三摩地の義趣、明鏡影明らかなり。即身成仏の旨文理極成するに至りて、義龍舌を捲き、智象声を呑む。時に主上仰せられけるは、『教文の妙なる事疑ふ所にあらず、然れども、朕なほ現証を見む事を望む。』と敕諚ありければ、大師南方に向ひて、三秘密に住し給ふ。肉身忽ちに遮那の真色に現はれて、是に五智の冠を戴き、項背に、五色の光明を放ち給へば、主上は首を傾けまし/\、羣臣諸徳、地に下つて拝謝し奉る。暫くありて、本体に還復し、生仏不二の理を示し給ふ。即身現証の疑ひ、この日忽ちに解け、秘密瑜伽の字、此の時より盛んに起れり。各早くこの一門に入りて、頓に菩提を讃すべし。」と語り給へば、諸徳歓喜踊躍して信受せずと云ふ事なし。
彼等生得の大器どもなれば、経王のえらぶ所にかなへりとて、両部理智の法門残る所なく授けられけり。上人宣ひけるは、「彼の龍智大士の神呪の妙薬をなめて、八百不老の佳算を保つ事は、全智広智のおそく来りしを待ち給ひしゆゑなり。われ今幸ひに諸徳を得て、法の有りとし有る所を授かり畢り、我が願ひ已に足りぬ。」とて、御齢一百八と申すに、瑜伽念誦の三摩地に入りて不起于座に成仏し給ふ。面門開きて真光を放ち、一宝破れて密厳界となる。凡そ、自証の成道は等覚十地なほ見聞する事なし、況んや薄地の凡夫をや。然れども真言所修の行者は、加持不思議の方便によつて、まのあたり其の相を見る事あり。諸徳各成仏の外迹を拝して、弥増進の修行をはげましけり。
其の後、諸徳の中より申し出しけるは、「共住は互に懈怠をすゝめて勇猛ならしめ、未知を教へて義解を増すには好きかたも侍れど、やゝもすれば閙憤のさはりあり。されば経にも、入於深山、思惟仏道を説けり、須く深山幽谷の中に入りて、永く世間の縁務を絶ちて精進修行すべし。」と申しければ、まことに然るべしとて、一旦の名残を忍びて、皆各別にぞ住しける。或は奥山の岩の峡に苔の筵を敷き、或は谷陰の松の下に庵を引結びてぞ行ひける。
修練功積りて、各即身に三昧を証す。一門普門の修行によりて所得の果相各別なり。或は瞿曇仙の真言を修めて、持明悉地の成仏を遂げ、或は中台法性の観に住して、法仏悉地の果体を開く。凡そ仏果の常相に於て、差別の義門を立つる事は、真言不共の実談にて顕家の嘗て知らざる所なり。
人 因徳本性王如来
仙 長寿大仙王如来
天 妙色自在王如来
金界 法界体性王如来
夫れ非情成仏の義趣に至つては、天台、華厳の両宗この旨を談ずと雖も、文理共に迂遠にして、未だ玄微をつくす事能はず。然るに真言三密の教旨のみ、ひとり其の実義を判せるもの哉。これによりて余宗には、唯草木成仏と云へるを、我が宗には草木非情、発心修行成仏と題せり。所謂十界の依正は、悉く阿字第一命の徳を具足せずと云ふ事なし。有情もし発心修行成仏せば、非情何ぞ然らずと云はむ。今器物非情成仏の因縁を聞きて、弥三密瑜伽の深奥なる事を信ず。然るに顕宗の学者の曰く、阿含の意に依るに、道路屋宅にみな鬼神ありて、寸隙を空しうする事なし。いまこの器物の妖変を思ふに、必ずかの鬼神の託せらろなるべし。器類、豈、其の性あるべきやと云へり。嗚呼、顕関深く閉せる哉。夫れ阿字の自性、情器ひとしく具して、闕減する所なし。何ぞ器物独り他性を惜しみて、自分とせんや。もし深意を知らむと思はば、九顕網を逃れて秘密に入れ。
(奥付)
大正十四年九月二十日印刷
大正十四年九月二十三日発行
(非売品)
日本文学大系
第十九巻
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