落語と都々逸

                         菊池真一


 本稿は、「甲南国文」第52号(平成17年3月発行)に掲載した「落語と都々逸」に改訂を施したものである。


  一、はじめに
 都々逸が落語にどのように取り入れられ、どのように生かされているか、速記資料・テープ起し資料に基づいて検証してみる。
 主な資料は、『圓朝全集』(注1)『〔口演速記〕明治大正落語集成』(注2)『落語全集』(注3)『昭和戦前傑作落語全集』(注4)『古典落語』(注5)『圓生全集』(注6)『五代目古今亭志ん生全集』(注7)『初代桂春団治落語集』(注8)『米朝落語全集』(注9)『志ん朝の落語』(注10)である。


  二、三遊亭円朝と都々逸
  (一)万延元年の円朝
 大阪大学忍頂寺文庫に光盛舎さく丸撰の『都々一はうた節用集』なる書物が二種類ある。同名異書である。このいずれにも、三遊亭円朝の都々逸が掲載されている。忍頂寺文庫G212を甲本、忍頂寺文庫G247を乙本とする。甲本は、蓬左文庫本(尾19−160)と同内容だが、蓬左文庫本は『都々一図会』という手書き題簽が付いている。乙本と同じものには、国文学研究資料館本と菊池蔵本とがあるが、内容は同じものながら、丁の綴じ順がことなっている。
 甲本『都々一はうた節用集』所載の円朝作都々逸は、
  おまへゆへならういつらいめも〔(はうた)みやまのおくのわびずまゐしばかるてわざいとぐるまほそだにがはのぬのさらし〕いとやせぬぞへともかせぎ(浅草 円朝)
というものである。
 乙本『都々一はうた節用集』所載のの円朝作都々逸は、
  こひのしんくにあきかぜもれてこゑもほそるよきりぎりす(三遊亭円朝)
というものである。
 甲本の序記には「万延と改る夏日 光盛舎さく丸誌」とある。乙本の序記には「万延初めといふ皐月 泉通舎房丸述」とある。
 円朝は、天保十年生れ。安政五年二十歳の時に浅草茅町に転居して世帯を持っており、万延元年二十二歳時にはここにいたものと思われる。前年の安政六年には真打となっており、万延元年は新作の工夫を重ねていた頃であろう。光盛舎さく丸一派との関りは詳らかでないが、この時期、都々逸連・端唄連と交際のあったことは興味深い。

  (二)『圓朝全集』
 『圓朝全集』全十三巻におさめられた三十八の人情噺等を調べると、都々逸の引用は、一箇所しか見られない。巻十一の「鏡ケ池操松影」に、
  都々一にも有る通り、人の恋路の邪魔する奴は犬に喰れて死ぬがいゝ、と、実に捌けない奴だねえ、
とあるのみである。正に男女二人が楽しんでいる所に男が踏み込んだ場面を唄ったもので、そのものずばりの都々逸である。
  「鏡ケ池操松影」は、『円朝全集』巻十三の解説によれば、明治二年頃の作、単行本としては明治十八年に出版されたという。
 若い頃、都々逸の創作もしていた円朝の噺に都々逸の登場することの少ないのは、意外な感じがする。


  三、明治期落語と都々逸
 『〔口演速記〕明治大正落語集成』所載落語のうち、明治期に発表された三百七十九席について調べると、都々逸が十三首出て来る。
 第一巻所載「小言幸兵衛」(二代目古今亭今輔。『百花園』一巻十二号。明治二十二年十月二十日)には、次のようにある。
  唄『是程思ふに若し添はれずば実も宝の持腐れ………』唄『足らぬ私の智恵とは云へど惚れりや人並苦労する………』
都々逸のやりとりが色の取り持ちをするというものである。
 第一巻所載「二階の間男」(三代目三遊亭円遊。『百花園』二巻二十六号。明治二十三年五月二十日)には、次のようにある。
  『色の取持親より可愛出来たあかつきや憎らしい』
これは色の取り持ちを詠んだものである。
 第三巻所載「初音のお松」(四代目橘家円喬。『百花園』十四巻百三十四号。明治二十七年十一月二十日)には、次のようにある。
  『お医者の頭に雀が留まる留まる筈だよ籔だもの』
薮医者を詠んだものである。
 第四巻所載「三百餅」(三代目春風亭小柳。『百花園』二百十六号。明治三十一年十一月三日)には、次のようにある。
  俄雨ぢやと諦めしやんせ今に晴れます此苦労
辛抱を説いたものである。
 第四巻所載「夢の株式」(三代目三遊亭円遊。『百花園』二百四号 明治三十年十一月三日)には、次のようにある。
  夢で大変な
   夢でなりとも会してお呉れ夢ぢや浮名が立はせぬ
  これは都々逸と云ふ書物に出て居ります………
これは、耳からの情報ではなく、目からの情報であることを示しているかのようである。
 第四巻所載「妙な艶種」(四代目柳亭左楽。『百花園』二百十七号。明治三十一年十二月三日)には、次のようにある。
  転寝は毒になるよとゆり起こされて、起きて毒やら薬やら
色事を詠んだものである。
 第五巻所載「美人の乳」(三代目春風亭小柳枝。『百花園』二百二十号 明治三十二年三月三日)には、次のようにある。
  人の恋路の邪魔する奴は犬に食はれて死ねば宜(い)い。
これは、男女二人でいる所を邪魔された者の心中表現である。
 第六巻所載「全快」(三代目三遊亭円遊。『文芸倶楽部』三巻十二号。明治三十年九月十日)には、次のようにある。
  夫故都々一にもありますが
   落語家(はなしか)殺すにや刃物は要らぬ欠伸三つで直ぐ殺す
  なか(ママ)と云ふ文句がありますのが証拠でございます。
これはマクラでの、言わば遊びの部分とも言うべきものである。
 第六巻所載「胆潰し」(初代三遊亭円歌。『文芸倶楽部』十四巻七号。明治四十一年五月一日)には、次のようにある。
  人の恋路の邪魔する奴は、犬に食はれて死ねば宜い
恋路を邪魔された者の心情である。
 第六巻所載「三百餅」(三代目蝶花楼馬楽。『文芸倶楽部』十四巻十六号。明治四十一年十二月一日)には、次のようにある。
  熊「ぢやアやります。何うでげせう斯ういふのは。世帯固めてヤレ嬉しいと………」
  差「面白い口調だな。世帯固めてヤレ嬉しいと」
  熊「思や吹き出す両横根」
放蕩の結果を詠んだものである。
 第七巻所載「二段目」(三代目柳家小さん。『文芸倶楽部』十六巻二号。明治四十三年一月十五日)には、次のようにある。
  快い心持に温たまつて俗にいふ湯腫(ゆぶくれ)都々逸
   「先でー丸く出りや、なに此方でーも、角にやーデやせぬー窓の月………」
  「其からどうしたんだー」跡を聞いて居る人がある。
これは湯屋の湯船の中でののど自慢様々の中の一つである。
 第七巻所載「子別れ」(三代目柳家小さん。『文芸倶楽部』十八巻二号。明治四十五年一月十五日)には、次のようにある。
  一度云や判る事だよ二度も三度も諄(くど)いぢやないか、汝(てめえ)だつて泥水飲んだ人
これは癪に障って唄ったという都々逸であるが、破調である。


  四、大正期落語と都々逸
   『〔口演速記〕明治大正落語集成』第七巻には、四十三席の大正期落語が掲載されている。都々逸を含む噺は二話。二首の都々逸が見られる。
 「とろゝん」(三代目古今亭今輔。『文芸倶楽部』二十巻八号。大正三年六月一日)には、次のようにある。
  箱根山にも名所がござる、曾我の五郎の手玉石、
名所を詠んだものである。
 「素人占ひ」(六代目金原亭馬生。『三遊連柳連名人落語十八番』大正四年九月十五日)には、次のようにある。
  女郎の誠と玉子の四角あれば晦日に月が出る
女郎の誠実を疑ったものである。


  五、昭和初期落語と都々逸
   (一)『落語全集』
 『落語全集』全三冊は昭和四年の刊行である。これによって昭和初期の落語における都々逸を伺う。
 『落語全集』上巻所載「天災」(春風亭柳橋)には、次のような一節がある。
  紅『モウ宜しい、貴下(あなた)は唄はお好きかな』
  ○『大好きだ、唄と来た日にやアお前さんの前だが、デヽ一だ』
  紅『デヽ一……成程都々一は宜かつたな、情があつて中々良い文句がありますな』
  ○『良い文句があるなんて、お前さんの前だが世の中にデヽ一ぐらゐ妙(おつ)なものはねえ、「四国西国島々までも都々一ア恋路の橋渡し」と云ふが全くだよ。「抓(つね)りや紫食ひ付きや紅(あか)よ、色で仕上げたこのからだ」「小指切らしてまだ間もないに、手まで切ろとは胴欲な」と云ふなア何(ど)うだい、タングス』
  紅『タングスは恐れ入つたなあ、アハヽヽヽ、乃公(わし)のはそんな妙(おつ)な文句ではないが、兄さん聞いて頂きたいな』
  ○『ヘツヘ、話せる、この逆蛍』
  紅『タングスの後が逆蛍は驚きましたナア、アハヽヽヽ、「頭はられて痛くはあれど、笑つて居られりや気が楽だ」「借りたものなら寒くはあれど、脱いで返せば気が楽だ」「己(おの)が稼業を精出す人は、骨が折れても気が楽だ」』
  ○『上野の動物園で子供を生んで、ノソ/\歩いてゐりや気がらくだつてえのはどうだい』
これは、紅羅坊名丸先生と八公らしき人物とのやりとりである。八公が艶っぽい都々逸を披露するのに対して、紅羅坊が道歌めいた都々逸で返す、この対照の妙が何とも言えない。七七七五というのは枠組みであるから、そこに男女の痴情を盛ることもできれば、教訓啓蒙を盛ることもできる訳である。
 『落語全集』上巻所載「洒落小町」(桂文治)には、次のような一節がある。
  『家(うち)は家内に任して置いて……』などと云ふ古い都々逸がありますが、
ここでは下の七五が省略されている。
 『落語全集』中巻所載「士族の商法」(古今亭雷門)には、次のような一節がある。
  おや世の中は三日見ぬ間の桜かなといふが、変れば変るものだな、馬に乗つて家来を連れて往来をした殿様が、武士の見識を捨ててしまつて、汁粉屋になるとは感心だ、「時世時節とあきらめしやんせ馬に乗る殿汁粉売る」ツてな何(ど)んなもんだい……
これは事実をそのまま都々逸にしただけのものである。
 『落語全集』中巻所載「道具屋」(春錦亭柳桜)には、次のような一節がある。
  けれども石川五右衛門などは死ぬときに都々逸を唄つたつてね、石川や浜の真砂は尽きるとも我が衣手は露にぬれつゝツてね
ここでは、七七や七五があると何でも都々逸だと思ってしまう与太郎の面白さが描かれているが、都々逸そのものが出て来る訳ではない。
 『落語全集』下巻所載「東男」(桂文治)には、次のような一節がある。
  権『何を言やアがる、厭なことをいふな……オイ好きな事には心を奪はれるといふから手前の好きなことをすると大概のことは忘れてしまふ、都々逸か何かやつて見ろ、都々逸には乙な文句が幾らもあるな』
  半『あるやうに思はれるね』
  権『何をツ、思はれるといふことがあるか、粋な文句の奴でもやつて見ろ』
  半『やりてえと思ふけども、何しろモウ腹の中に米ツ気がなくなつちまつたからな』
  権『止せやい、さういふことをいふと物が陰気になつていけねえから、忘れろといふんだ、「地味な異見も結城の羽織、艶のないのが末の為」なんていつたな』
  半『ウムさうだな、結城といふものは着て居て徳用だからな』
  権『何を言つてやアがるんだ馬鹿、得だ損だといふ話をして居るんぢやアねえ、都々逸をやつて居るんだ……宜いのがあるな都々逸にや「別れて此のかた便りはないが、心変りか若しや又」なんてえのがあつたな』
  半『アヽさうかね』
  権『さうかねといふのはねえよ、仕様のねえ野郎だな、「偶々逢ふのに東が白む、日の出に日延があれば宜い」なんてえな何うだい』
  半『ウーン宜い塩梅だね』
  権『何を言つてやアがるんだ、湯へ入つて居るんぢやアねえや、宜い塩梅といふ奴があるか、何かやつて見ろ』
  半『壊れた枕をそくひで付けてと……』
  権『よう/\出たな、好きな道といふものは格別だ、呼出しが宜いから直ぐに出て来らア』
  半『壊れた枕をそくひで付けてと……、聞いたかい』
  権『聞かないよ』
  半『きかなきや釘でも打つが宜いと』
  権『殴るぜ此ん畜生、落語(おとしばなし)をしやアがる』
  半『壊れた枕をそくひで付けて……』
  権『オイ/\それは今聞いたよ』
  半『ウム、きいたら釘にやア及ぶめえ』
これは権太と半馬とのやりとりだが、権太が艶っぽい都々逸を出すのに対して、半馬が掛け合いを生かしながら、都々逸の続き物を出しているのが面白い所である。

   (二)『昭和戦前傑作落語全集』
 『昭和戦前傑作落語全集』第一巻「洒落小町」には、次のようにある。
  「家は家内に任して置いて……」などと云う古い都々逸がありますが、
ここでは下の句が省略されている。
 『昭和戦前傑作落語全集』第三巻「竃泥棒」には、次のようにある。
  金「火鉢引寄せ灰掻きならし」
  清「それは古い文句じゃアないか、主の名を書き目に涙というのやろ」
  金「それは昔の都々逸や」
  清「違うか、じゃア何というのや」
  金「火鉢引寄せ灰掻ならし、焼けた白銅でも出ればええ」
  清「なるほどお前の作らしいな。焼けた白銅が出たらどうする」
  金「近眼の饂飩屋にやって剰余金(つり)を取る」
  清「そんなに欲張ったのはいかないな、外にあるか」
  金「ある。行燈引寄せ灯を掻き立てて」
  清「なるほど、どうやら都々逸らしいな。主の手紙を繰返しか」
  金「そうじゃない、憎や襦袢の虱取る」
  清「汚い事をいうな。モット変ったのはないか」
  金「あるな、すゞり引寄せ……」
  清「よく引寄せるな」
  金「そんなら引寄せないのをやろうか。胸に手を当て思案をすれば、親父は乃公より年が上」
  清「当然(あたりまえ)じゃ、すべて唄うものは、ちょっと聞いて分らんで、よく考えると面白味のあるのがええな」
  金「なるほど、ちょっと聞いて分らんのがええか」
  清「そうや」
  金「やって見よう」
  清「やれるか」
  金「沖の暗いのに天鵞絨の脚半、賽の河原で銭拾うた」
  清「何やこれは分らんな。どういう訳や」
  金「乃公にも分らん」
  清「むちゃくちゃじゃないか。モット変ったのはないか」
  金「毀れた枕を続飯(そくい)で附けてというのを聞いたか」
  清「聞かないな」
  金「聞かなきゃ釘でも打つがええ」
  清「馬鹿にするな、一生懸命聞いてるのに」
  金「怒っちゃアいかん、モウ一ツやろうか」
  清「ウム」
  金「毀れた枕を続飯で附けてというのを聞いたか」
  清「今聞いたばかりじゃ」
  金「きいたら釘には及ばない」
 『昭和戦前傑作落語全集』第三巻「からくり屋」には、次のようにある。
  「容姿(ようす)がいいので惚れても見たが大飯食うのでいやになる」という古い都々逸がございますが、
 『昭和戦前傑作落語全集』第三巻「棒鱈」には、次の都々逸がある。
  酒がアお客か、お客がア酒か、酒がアお客を連れて来るウ
 『昭和戦前傑作落語全集』第三巻「囃し船」には、次の都々逸がある。
  男が好くような男でなけりゃァ、粋な女は惚れやせぬという都々逸があらァ。
 『昭和戦前傑作落語全集』第五巻「源太の産」には、次のようにある。
  止めちゃいやだよこの酒ばかり、真逆(まさか)白顔(しらふ)じゃ言いかねる
 『昭和戦前傑作落語全集』第六巻「天災」には、次のようにある。
  紅「逆蛍は恐れ入ったな。『頭はられて痛くはあれど、笑っていられりゃ気が楽だ』とはいかゞで」
  ○「上野の動物園で子供を産んでノソ/\歩いてれア気がらくだってえのはどうだい」


  六、戦後昭和期落語と都々逸
   (一)『古典落語』
 筑摩書房から刊行された『古典落語』第一期全五巻(昭和四十三年)、第二期全五巻(昭和四十六年)について、戦後の大物落語家の話に当ってみる。

     ア、古今亭志ん生
 第一期第四巻の志ん生「三枚起請」には、次の一節がある。
  あア……こんな都々逸があったねェ、『年季があけたらお前のそばへ、きっと行きます断わりに』ツて都々逸があった、
これは話と同じ内容の都々逸を引き合いに出している。
 「三枚起請」の末尾は次のようになっている。
  「おいおい、ちょいと、俺がかけあってやるから……おう、もっと前へ出ねえ、おめえはたいそうな技倆だなア、え? 客をだますのに、起請を書かなきゃおめえだませねえのか、え? 口先でだませ、卑怯なことをするな本当(んと)に、いやで起請を書くときは、熊野で烏が三羽死ぬといわァ」
  「(しゃァしゃァとして)あ、そォお? あたしゃ三羽どこじゃないよ、いやな起請をどっさり書いて、世界の烏をみんな殺すんだよゥ」
  「烏を殺して、どうするんだい」
  「朝寝がしたい」
これは有名な「三千世界の烏を殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」を踏まえたオチである。
 第二期第二巻の志ん生「お化長屋」には、次の都々逸が出て来る。
  九尺二間に過ぎたるものは、紅のついたる火吹き竹
有名なものである。
 第二期第二巻の志ん生「親子酒」には、次の都々逸が出て来る。
  この酒を止めちゃいやだよ…酔わしておくれ…サ…まさか素面(しらふ)じゃ言うくわれない
この都々逸は志ん生のお気に入りだったらしく、CDを聞いていると、あちこちで出て来る。

     イ、三遊亭圓生
 第一期第一巻の圓生「妾馬」には次の都々逸が現れる。
  解いて結んで結んで解いて、今度結べば駒結び
これは、袴の紐を結ぶ時の台詞である。
 「妾馬」では、殿様と八五郎のやりとりで都々逸が出て来るのが定型のようである。
  「……酒が少し湿めッぽくなってきやがった。殿様ァ、景気が悪いから、一つ歌でも唄おうかね」
  「何か珍歌があるか。どうじゃ」
  「……ちんか。なんだ、変なことを言っちゃいけねえや。なんでえ、ちんかッてのァ」
  「何か珍しき歌があるか、どうじゃ」
  「珍しき歌が? あッははは、冗談言っちゃいけねえ、珍しい歌なんてえのァ俺達(こちとら)ァ知らねえけれども、都々逸なんてえのァ乙なのがありまさあ、ねェ、
    三日月は痩せるはずだよありゃ病み〔闇〕あがり、それにさからう時鳥……
  なんてえのは、いいねえ。えへへ、
    この酒をとめちゃ厭だよ酔わしておくれ、まさか素面(しらふ)じゃ言いにくい……
  なんていい文句だねェ殿様」
  「おゥ左様か」
  「……こりゃ驚いた。へへ、なんだい。都々逸を聞いたら『よォこらこら』とかなんとか言ってもらいてえなァ、ッへへ。都々逸を聞いて『さようか』ッてやがら、厭だよおい。さようかじゃ都々逸ァあとが出てこねえや、これァどうも……
    悪縁か因果同士か仇(かたき)の末か
   ッて、ねェ……、
  (節になって)ェェ、添われェェぬゥゥ(ママ)ほどォなおかァわいィ……
  なんてねェ、おォォいッと、くらあ……どうでえ殿公」
八五郎にとって酒の席で出て来る唄といえば、都々逸であったことが知れる。
 第二期第五巻の圓生「夢金」には、次の都々逸が出て来る。
  「鷺を烏と言うたが無理か…」て言わあァ、「場合じゃ亭主を兄と言う」て言わァ、
男女二人連れの関係を疑ってのものである。

     ウ、三遊亭金馬
 第一期第四巻の金馬「居酒屋」には、酒がらみの都々逸が二首出て来る。
  この酒をさ 止めちゃあいやだよ 飲ましておくれさ
  まさかしらふじゃあいわれない
都々逸の内容とは異なり、近くに好きな人がいる訳ではなく、ただ酒が飲みたいといって唄っているだけである。
  好きなお酒を飲むなじゃあないが、まだその癖がやまぬのか
これも都々逸の内容とは関係なく、ただ酒が飲みたいというので唄う都々逸である。
 第一期第五巻の金馬「唐茄子屋」には、四首の都々逸が出て来る。
  富士の山ほど苦労はするが
   元は一夜の出来心……
浮気心を唄ったものである。
  あざのつくほどつねっておくれ
   それをのろけのたねにする……
のろけ都々逸とでも言うべきものである。
  酒も飲みなよ博奕も打ちな
   たんと稼いだ端しただけ……
遊びの楽しみを唄ったものである。
  玉の輿、乗りそこなってもくよくよするな
   まさか味噌漉ゃ、下げさせぬ……
強がりの都々逸である。

     エ、柳家小さん
 第一期第一巻の小さん「長屋の花見」には、次の都々逸が出て来る。
  佃育ちの白魚(しらお)でさえも花に浮かれて隅田川……
花見時の風物を唄ったものである。
 第一期第五巻の小さん「浮世根問」には四首の都々逸が見られる。
  お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪のはえるまで
これは有名なものである。
  皺のよるまであの梅の実は、味も変わらず酸いのまま
  竹ならば割ってみせたいわたしの心、さきへとどかぬふし〔節〕あわせ
  松の双葉はあやかりものよ、枯れて落ちても夫婦(みょうと)連れ
これらは松竹梅にかけた都々逸である。

     オ、林家正蔵
 第二期第四巻の正蔵「中村仲蔵」には次の都々逸が出て来る。
  都々逸にもございますが……
   夢でもいいから持ちたいものは
          金の成る木といい女房
  というのがある。もう、あたくしどもの学問は、もっぱらこの都々逸にたよっていまして、他には何もないんでございますから、お買い被りのないように。あたくしの好きな都々逸は
   これほど惚れても死ぬのはいやよ
       死んじゃおまんまが食べられね
これは落語家一流の卑下である。

     カ、桂三木助
 第一期第二巻の三木助「芝浜」には、次の都々逸が出て来る。
  佃育ちの白魚さへも花に浮かれて隅田川……
これは、第一期第一巻の小さん「長屋の花見」で出て来るものと同じである。いずれもマクラの部分で用いられている。

   (二)『圓生全集』
 昭和の大物ということで、圓生・志ん生を取り上げる。まずは圓生から。
 『圓生全集』第一巻上の「子別れ」には、次の都々逸が出て来る。
  ま、譬に、七刻さがりに降りだした雨と四十過ぎて道楽をはじめたのはやまないと言いますが、やまぬはずだよ先がないという都々逸がある。
これは有名なので上の七七を省略したものであろう。「年はとっても浮気はやまぬやまぬはずだよ先がない」というのが全体の形である。
 『圓生全集』第一巻下の「小言幸兵衛」には、次の一節がある。
  「こうなると唄わない訳にはいかないから、おまいの伜が都々逸を唄うだろう」
  「ほう、伜が都々逸なぞを……」
  「唄わなきゃァしょうがねえじゃァねえか、新しいのにいいのもできるが、古い文句にまた捨てがたいのがある『竹ならば割って見せたいわたしの心、先へ届かぬふしあわせ』なんてえのァずいぶん古い文句だ、お花がすぐ取って『これほど想うにもし添われずば、実も宝の持ちぐされ』なんてなことで、おたがいにいい仲になったのも知らねえで、やァどうも、都々逸は陽気でおもしろいなんて、てめえがそばで、えへらえへら笑ってら、馬鹿野郎ッ」
否定的な表現をしつつ、心の内を明かす、という設定にしてある。
 『圓生全集』第三巻上の「居残り左平次」には、次の都々逸がある。
  浮名立てちゃ、それも困るし世間の人に、知らせないのも惜しい仲……
恋の真っ只中にある若者の心をうまく表現したものである。
 『圓生全集』第三巻上の「唐茄子屋」には、次の都々逸が出て来る。
  玉の輿、乗りそこのうてもくよくよするな、まさか味噌こしゃさげさせぬ
味噌こしならぬ唐茄子売りの籠を下げているという対照が面白い。
 『圓生全集』第三巻下の「雁風呂」には、次の都々逸がある。
  噺家殺すに刃物は要らぬ
   欠伸三っつで即死する……
これはあくびの縁で出た、遊びの都々逸
 『圓生全集』第四巻上の「不孝者」には、次の都々逸がある。
  叱言聞くときゃ頭をお下げ
   下げりゃ意見が通りこす……
教訓と言っていいのか、どうか、説明に困る都々逸である。
 『圓生全集』第五巻上の「湯屋番」には、次の都々逸がある。
  大きな時計に小さい時計、どッちも時間が同じだ
  別れられられられない訳は、言われられられられられぬ
いずれも字数を合わせただけで、内容のないものである。
 『圓生全集』第五巻下の「妾馬」には、次の一節がある。
  「何か珍歌があるか。どうじゃ」
  「……ちんか。なんだ、変なことを言っちゃいけねえや。なんでえ、ちんかッてのァ」
  「何か珍しき歌があるか、どうじゃ」
  「珍しき歌が? あッははは、冗談言っちゃいけねえ、めずらしい唄なんてえのァこちとらァ知らねえけれども、都々逸なんてえのァ乙なのがありまさあ、ねェ、
    三日月は痩せるはずだよありゃ病み(闇)あがり、それにさからう時鳥……
  なんてえのは、いいねえ…えへへ、
    この酒をとめちゃ厭だよ酔わしておくれ、まさか素面(しらふ)じゃ言いにくい……
  なんていい文句だねェ殿さま」
  「おゥ、さようか」
  「……こりゃ驚いた。へへ、なんだい。都々逸を聞いたら『よォこらこら』とかなんとか言ってもらいてえなァ、ッへへ。都々逸を聞いて『さようか』ッてやがら……厭だよおい。さようかじゃ都々逸ァあとが出てこねえや、これァどうも……
    悪縁か因果同士か仇(かたき)の末か
   ッて、ねェ……。
  (節になって)ェェ、添われェ…ぬゥ…人ほどォなおかァわいィ……
  なんてねェ、おォ…ォいッと、くらあ……どうでえ殿公」
八五郎の得意が都々逸であったことを示すものである。
 『圓生全集』別巻上の「田能久」には、次の都々逸が出て来る。
  書いた起請もあてにはならぬ、筆に狸の毛が混じる
狸の縁で出てきた都々逸であって、文脈的にはあまり意味がない。
 『圓生全集』別巻上の「吉住万蔵」には、次の都々逸が出て来る。
  女郎の誠と玉子の四角、あれば晦日に月が出る
女郎遊びを戒めたものである。
 『圓生全集』別巻中の「たらちね」は、
  縁は異なもの、さて、あじなもの、独活が刺身のつまになる……
という都々逸で始まっている。「縁」を出すための都々逸である。
 『圓生全集』別巻中の「浮世風呂」には、「湯ぶくれ都々逸」というものが出て来る。これは「あくびにはじまってあくびでおしまいになるという」ものである。
 『圓生全集』別巻中の「近江八景」には、次の都々逸が出て来る。
  男の好くよな男でなけりゃ粋な年増は惚れやせぬ
さもあらんという都々逸である。
 『圓生全集』別巻中の「傾城瀬川」には、次の一節がある。
  女郎の誠と雪駄の裏は、金のあるうち、ちゃらちゃらと…
女郎遊びを戒めたものである。
 『圓生全集』別巻下の「五百羅漢」には、次の都々逸が出て来る。
  鐘の中でもいらない鐘はかねがね気兼ねに明けの鐘
「かね」づくしで洒落ているが、枕の部分で遊びに使った都々逸である。

   (三)『五代目古今亭志ん生全集』
 『五代目古今亭志ん生全集』第一巻の「三枚起請」には、次の都々逸がある。
  年期(ねん)があけたらお前のそばへきっと行きますことわりに
約束を反故にするというものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第一巻の「船徳」には、次の一節がある。
  でいろんなもんがいたんですねェ─あすこにねェ……ェェ、いっぺん海豚が泳いで来たことがある……ええ、ちょうどォ四月頃でしたなァ。『荒海育ちの海豚でさいも、花に浮かれて隅田川』なんという、都々逸を、都新聞に、誰だかがだしましたけども、ェェちょうどそうですなァ、六十年ぐらい前ですなァ……考ィりゃァよくそういうことを覚ィてるもんですよ。
これは新聞投稿の都々逸のようである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第一巻の「五人廻し」には、次の都々逸がある。
  送る朝寒、迎える夜寒
    遊里(さと)の廊下に泣く素足
これは花魁が素足でいることの辛さを詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第二巻の「怪談・阿三の森(上)」には、次の都々逸がある。
  立てば芍薬坐れば牡丹、歩く姿が百合の花
美人の形容である。
 『五代目古今亭志ん生全集』第二巻の「犬の災難」には、次の都々逸がある。
  『この酒を止めちゃいやだよ酔わしておくれ』なんてなァ、まさァかァ素面じゃあァ……(唄いながら茶碗をあおり)言われなァあィ……
都々逸の内容とは無関係に、酒飲みが酒を飲む景気づけに唄っているようなものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第二巻の「付き馬」には、次の都々逸がある。
  惚れて通えば千里も一里
    長い田圃もひと跨ぎ……。
これは吉原通いの都々逸である。
  宵に格子ですすめた牛(ぎゅう)は
    今朝はのこのこ馬になる。
付き馬を詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第三巻の「お茶汲み」には、次の都々逸が出て来る。
  惚れて通えば千里も一里
    長い田圃もひと跨ぎ……
同じく吉原田圃を唄ったものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第四巻の「子別れ」には、次の都々逸が出て来る。
  初会惚れして私ゃ羞恥(はずか)しい、裏に来るやら来ないやら
これは女郎買いに行く男が、女郎にこう言われるのではないかという期待感から唄ったものである。
  惚れェてェェ、通えばァ─てなァ、
後ろが省略されているが、「惚れて通えば千里も一里長い田圃もひと跨ぎ」である。
 『五代目古今亭志ん生全集』第四巻の「文違い」には、次の都々逸が出て来る。
  星の数ほど男はあれど月と思うは主一人
これは間夫を詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第四巻の「妾馬」の最後の所には、沢山の都々逸が出て来る。
  「(略)……『この酒をとめちゃ嫌だよ酔わしておくれさ、まさか素面じゃ言われない』とくらァ。ねえ殿様ァ」
  「あァ、左様か」
  「……なァんだ、都々逸を左様かだッて。え?面白くねえじゃねえか左様かッてえのァ、ねえ、
    まるめて投げ込む紙屑籠は
    愚痴や怨みの棄てどころ……
  とくらァ。ねえ、殿様ァ」
しばらくして酔いが更に回ると新内の後で都々逸が立て続けに出てくる。
    芝や神田は粗末にゃならぬ
    末は神輿の据えどころ……
   いいねェ、え?
    色のつくほど抓っておくれ
    それを惚気のたねにする……
   なァんてなァ……
    色のつくほど抓ってみたが
    色が黒いんでわからねえ……
   なんて……
    顔を眺めてつくづく言うが、
    私ゃお前の膝に寝る……
   なんてね、いいね。え? ええ……あァ、
    一生懸命に駆けてもみたが、
    どうも馬には敵わねえ……
   なァんて。腹が減るねェこういうのは。ねえもうひとつ、ひとつ歌(や)ろうじゃねえか。ねえ……(三味線で)ととォんとォん、とととォん、さァ、ねえ……
    三日月は痩せるはずだよ、ありゃ病み〔闇〕あがり、
    それを苛める時鳥……
   ときやがらァ、ねえ……おォォいッとくらァ。どうだい殿公」
酔ったという設定でないと、これだけ多くの都々逸が次々と現れることはないであろう。
 『五代目古今亭志ん生全集』第四巻の「二階ぞめき」には、次の都々逸が出て来る。
  惚れて通えば千里も一里
    長い田圃もひと跨ぎ─
これは吉原田圃を詠んだもの。
 『五代目古今亭志ん生全集』第五巻の「五銭の遊び」には、次の都々逸が出て来る。
  別れがつらいと小声でいえば、締める博多の帯が泣く
これは別れの辛さを色っぽく詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第五巻の「首ったけ」には、次の都々逸が出て来る。
  惚れて通えば千里も一里長い田圃もひと跨ぎ
度々出て来るが、吉原通いを詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第五巻の「御家安とその妹」には、次の都々逸が出て来る。
  伝言(ことづけ)たのまれ目籠に入れて
   帰る途中に洩っちゃった
これは頼まれた伝言を忘れた様を面白く詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第六巻の「居残り佐平治」には、次の都々逸が出て来る。
  「この酒を、とめちゃ嫌だよ酔わしておくれ」か、「まさか素面(しらふ)じゃいわれない」
本来の趣旨とは離れて、前半(上の句)だけの意味で使っている。
  男を惚れさす男でなけりゃ、粋な女は惚れやせぬ
ここでは、おだて文句として使って祝儀をせしめている。
  芝や神田は粗末にならぬ、末は味噌漉さげどころ
これは遊女が惚れた客のことを地名を詠み込んで唄ったものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第六巻の「穴釣三次」には、次の都々逸が出て来る。
  伝言(ことづて)たのまれ目籠に入れて
   帰る途中に洩っちゃった
これはそのまま、頼まれた伝言を忘れた都々逸である。
  立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿が百合の花
これは美女の形容で有名なものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第七巻の「祇園会」には、次の一節が出て来る。
  「なんだい……いい都々逸があるぜ、なァ。『たまたま会うのに東が白む、日の出に日延べがしてみてえ』なんてなァいいなァ」
  「ああそうかなァ」
  「お前もなんかやってみなよォ」
  「うん……『毀れた枕を続飯(そくい)でつけて』てんだ」
  「そいつァ効かねえなァ」
  「『効かなきゃ釘でも打つがいい』」
  「なにィいってやァんでィ……くたばってなんかいってやァン。ほかにねえかい?─」
  「『毀れた枕を、続飯でつけて』てえン」
  「いま聞いたよォ」
  「『効〔聞〕いたら釘にはおよばない』─」
  「なァにをいってんだ─しかしィ味のあるもんじゃァねえかァ、都々逸ァなァ、え?『火鉢引き寄せ灰かきならし、主の名を書き目に涙』なんてなァいいなァ」
  「『火鉢引き寄せ灰かきならし』」
  「それいまァ俺がやったじゃァねえかァ、あと違うのかァ?─」
  「うん。『焼けた天保銭でも出ればいい』」
  「いやしいねェお前のァ……。『痣のつくほどつねつておくれ、それを惚気(のろけ)の種にする』」
  「『痣のつくほどつねってみたが、色が黒いんでわからねえン』」
  「手前のァ変だなァ……もっとォ乙なのをやんなよォ、なァ。『膝にもたれて顔うちながめ、こうも可愛くなるものか』さァ」
  「ェェ、『壁にもたれて箪笥をながめ、こうも空っぽになるものか』」
これは二人旅の暇つぶしに都々逸を唄いながら行くものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第七巻の「塩原多助一代記」には、次の都々逸がある。
  立てば芍薬座れば牡丹歩く姿が百合の花
美女の形容である。
 『五代目古今亭志ん生全集』第七巻の「親子酒」には、次の都々逸がある。
  この酒を止めちゃ嫌だよ酔わしておくれさ、まさか素面じゃ告白(いわ)れない
前半だけの趣旨で使っている。
 『五代目古今亭志ん生全集』第七巻の「火事息子」には、次の都々逸がある。
  婀娜な深川、勇肌(いさみ)は神田
  人の悪いは飯田町─
これは芸者の気風を詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第七巻の「井戸の茶碗」には、次の都々逸がある。
  立てば芍薬・坐れば牡丹・歩く姿が百合の花。
美人の形容である。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「寝床」には「ゆうくれ都々逸」というのが出て来る。これは湯船の中で唄う都々逸である。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「道灌」のオチの部分では都々逸が使われている。
  「ああ『ななえやえ』か。『ななえやえ─は、はなはさけども、やまぶしの、みそひとだると、なべぞかましき』」
  「へッへッへェ、変な読みようすんなよォ」
  「ェェ都々逸かァ?─」
  「ああ都々逸だってえやがン。手前は歌道が暗ェなァ─」
  「暗ェから提灯借りに来たんだよ」
和歌(短歌)を知らず、都々逸と思いこむという趣向がオチの前提となっている。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「紙入れ」には、次の都々逸がある。
  言付け頼まれ目籠に入れて帰る途中に漏っちゃった
頼まれた言伝てを忘れたことを面白く詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「お化け長屋」には、次の都々逸がある。
  九尺二間にすぎたるものは、紅のついたる火吹き竹だよォ
新婚生活を詠んだものである。高杉晋作のものと伝えられている。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「三助の遊び」には、次の都々逸がある。
  古木集めて古釘貯めて、これが売れたらにごり酒
三助の生活を詠んだものである。
 『五代目古今亭志ん生全集』第八巻の「心中時雨傘」には、次の唄が出て来る。
  可愛いいおかたに謎かけられて解かざなるまい繻子の帯
この落語では「その頃の流行の歌」とあるので、都々逸ではないかもしれないが、歌型は都々逸と同じである。

  七、上方落語
   (一)初代桂春団治落語集
 ここには六十三話あるが、都々逸は現れない。大体大正時代から昭和初期のものである。

   (二)『米朝落語全集』
 『米朝落語全集』第二巻の「いもりの黒焼」には、次の都々逸が出て来る。
  惚れ薬、何がよいかといもりに聞けば、今じゃわしより佐渡が土
金銭万能の世の中を唄ったものである。
 『米朝落語全集』第二巻の「景清」には、次の都々逸が出て来る。
  あいた眼で見て、苦労するよりも、いっそー盲がましであろ。
米朝は「昔流行ったよしこの」と言っている。
 『米朝落語全集』第二巻の「高津の富」には、次の都々逸が出て来る。
  赤衿さんでは年季が長い、あだな年増にゃ間夫がある
 『米朝落語全集』第三巻の「持参金」には、次の都々逸が出て来る。
  知らぬお方に三円もらい、これが五円(御縁)になればよい
明治時代のものである。
 『米朝落語全集』第四巻の「三十石夢の通路」には、次の都々逸が出て来る。
  安倍の保名の子別れよりも、今朝の別れがなおつらいィ
意味内容とは全く無縁の状況で使っている。
 『米朝落語全集』第七巻の「くやみ」には、次の一節がある。
  文句だけ聞いてもらいますわ、文句だけな。都々逸には良え文句があるさかいな。この舌で、この舌で嘘をつくかと思えば憎い、エヘッ、咬んでーエ、やりたいィ時もあァるゥー、言うたら嬶、三味線放り出してわたいの膝へ、好きやあ─言うてな、どゥーッと……。……アッハッハッハーあいつ今時分、心配して待ってるやろと思う。早よ帰って、顔見せて安心さしてやりま。さいなら、ごめん
これは悔やみに来た筈がのろけて帰る男の言葉である。色っぽい都々逸を有効に使っている。
 『米朝落語全集』第七巻の「かわり目」には、次の一節がある。
  けどなあ……お前いま縁というたやろ、なぁほんまや。縁は異なもの、また味なもちゅう都々逸があるやろ、うどが刺身のつまとなるう……
これは「縁」という言葉から思い出した都々逸である。

  八、昭和平成落語と都々逸
 昭和後期から平成にかけて活躍した古今亭志ん朝の落語について、ちくま文庫『志ん朝の落語』を調べてみる。
 『志ん朝の落語』第一巻の「駒長」には、次の都々逸が出て来る。
  三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい
余りにも有名なものである。
 『志ん朝の落語』第三巻の「三枚起請」には、次の都々逸が出て来る。
  三千世界の烏を殺しぬしと朝寝がしてみたい
前と同じものである。
  年季(ねん)が明けたらお前のそばへきっと行きます断りに
遊女の都々逸である。
 『志ん朝の落語』第四巻の「妾馬」には、次の都々逸が出て来る。
  「ほれほれ、捨ておけ捨ておけってんだい、(軽く袂を払って)捨ておけよ、本当に。なアッ。何うたいましょう? 何でもようござんすか? ああ、そうですかァ。都々逸なんてのァいかがでござんしょうねえ? ええ? ご存じない? あ、それァいけません。ねえ? 都々逸知るってェと人間が粋ンなりますよ。乙な文句がいくらもあるんだァ、ねえ? 『仇な立て膝、鬢掻き上げてェ、忘れしゃんすないまのこと』なんてェのァ、よござんしょォ?」
  「(無感動に)おお。おもしろいのお」
  「(調子をくらい)うう…、はァ……おもしろいのう…、ときちゃったんだ…おもしろいかな? これがな。『明けの鐘ごんと鳴る頃三日月型の、櫛が落ちてる四畳半』なんてのもよござんしょオッ?」
  「おお、左様かァ」
  「帰ろうかなァ、おれァ…。都々逸聞いて、『左様かァ』ってのァないよ。『ようようっ』てなこと言ってもらいてェや、なア。『別れが辛いと小声で言えば』ってねえ、(うたい始め)締めるゥーーーーーー博多のーーォーー帯ィーーがァー泣くゥーー』っとくらーアっ。うわアーーーーいってんだァッ、これアッ。(大いに盛り上がって手を打ち)どっか行くかァい? 殿公っ」
志ん生とは違う、色っぽい都々逸を使っている。
 『志ん朝の落語』第六巻の「二番煎じ」には、次の都々逸が出て来る。
  ええーエ さわぐ鴉ゥにイ』と、 石ィィーィイ投げつけりェりゃーァ、それてェェーェェおてェらのォォォ鐘が鳴るゥゥゥ』


  九、まとめ
 各資料における都々逸の出現状況は次の通りである。
 『圓朝全集』では、人情噺三十八話中、都々逸が現れるのは一話、一首のみである。若い時、都々逸の創作があった円朝の話に都々逸の現れることが少ないのは意外であった。
 『〔口演速記〕明治大正落語集成』の明治期の話三百七十六話中、都々逸が現れるのは十二話、十三首である。
 『〔口演速記〕明治大正落語集成』の大正期の話四十三話中、都々逸が現れるのは二話、二首である。。
 『落語全集』全三冊百十四話中、都々逸は四話に十四首現れる。これは昭和初期の資料であるが、「天災」に七首、「東男」に五首と集中的に出てくるのが特徴的である。
 『昭和戦前傑作落語全集』では、全百六十八話中、都々逸は七話に十五首出て来る。
この二者を合わせると、昭和初期の二百八十二話中、都々逸は十一話に二十九首出て来ることになる。
 『古典落語』では、全百七十話中、都々逸は十一話に二十二首現れる。
 『圓生全集』では、全百七十五話中、都々逸は十三話に十八首出て来る。
 『五代目古今亭志ん生全集』では、全百四十八話中、都々逸は二十五話に延べ四十三首出て来るが、重複を省くと三十首となる。。志ん生は、都々逸を好み、落語にも多く登場させていたことが分かる。
 『初代桂春団治落語集』には六十三話が載っているが、都々逸は現れない。『米朝落語全集』では、全百二十九話中、都々逸は七話に七首現れるのみである。上方落語では、都々逸を引用することが少ないようである。
 『志ん朝の落語』では、全七十一話中、都々逸は四話に六首出て来る。
 総じて、明治・大正に比べて、昭和、特に戦後の落語に都々逸の引用されることが多い。これは何故であろうか。その理由の一つとして、音曲師の消滅が考えられるのではなかろうか。音曲師がどのような活動をしていたのか、正確な資料を把握している訳ではないが、六代目三遊亭円生の話によれば、昭和初期までは音曲師が音曲噺をしていたとのことである。それまで、都々逸は音曲師に任せていたものが、音曲師の消滅により、音曲噺を聞き覚えていた落語家は、都々逸を落語の中に盛んに取り入れるようになったのではなかろうか。古今亭志ん朝の入門は昭和三十二年、音曲師が消滅した後であった。志ん朝の落語に都々逸がさほど多くは現れないのは、そのためであろう。

 三遊亭円生は、『圓生百席』所収の「汲みたて」のマクラで次のように述べている。

  昔はこの、音曲師というものがずいぶんございましたもので、一晩のうちに多い時には五六人ぐらい出ました。こんなに音曲師ばかり出てどうするかと思うと、やはりそこは商売人で、前の者は何を唄ったと聞いて、それをちゃんとよけます。ま都々逸を唄ったものがある、まあ都々逸ぐらいは、一晩に二人ぐらいはやりますが、たいていその後の者は前の人のものをさける、また他人の唄うものはやらないようにするというような訳で、えー音曲師と言えばただ唄を唄うだけだと思し召すかもしれませんが、噺家でございますから、やはりこの落語ができなければいけない訳で、ん、ま、私ども覚えまして最後の音曲師だと思いますのは、柳家枝太郎という人がありまして、これは戦災の時に確か亡くなったんでございますが、ええ、もとは初代圓右の弟子でございまして「うさぎ」と言いましたが、柳派へ参りまして、後に枝太郎になる、この人は音曲噺はたいてい一通りをやりまして、ま、唄った後で最後にあの「両国」という、両国の花火をすっかりうたいこんだ大津絵がある、あれをお得意にしてやっておりましたが、ま、格別音曲がうまいという訳ではありませんが、とにかく一流の唄を唄いまして面白うございました。ん、三遊派では、このォ三代目の三遊亭萬橘という人がいる。これは私はいっしょにずいぶん商売を致しましたが、噺もなかなかえーできましたし、音曲もいい声でございまして、ん、なかなか高い調子の出る人で、若い頃は七本ぐらい高い調子で唄ったといいますが、ん、とにかくま、噺も出来、音曲が出来る、それを本当の音曲師というんでございますが、音曲噺というものがいくらもありまして、中に唄がある、あるいはその音曲でサゲがつくという、それを音曲噺と申します。

 三遊亭円生は、また、『圓生百席』所収の「庖丁」のマクラで次のように述べている。

  「庖丁」というお噺でございますが、これは本来音曲噺、昔は我々がやると、「あれは音曲噺だから、素噺の者がやっちゃいけませんよ」なんてんで小言を言われましたが、今はもう音曲師というものがなくなってしまいました。えー唄を唄うから音曲師というんではなく、本来は噺ができなければいけないんでございまして、まあその専門の噺というものはいくらもありますが、ちょっと私が考えただけでも、「浮かれ三番」「かわりめ」「庖丁」「とろろん」「植木のお化け」「浮世風呂」「稽古所」「汲みたて」「貧乏神」なんという、この他にもずいぶんございますが、まぁざっと考えただけでもそんなもので、で、これはえー専門のその唄を唄う人がやったもんでございます。だいたい扇遊亭扇橋という人を元祖としてありまして、この人はもと奥平の家来で、常磐津かね太夫の弟子になり、若太夫という名を持っておりましたが、とうとう文化六年に侍をやめて寄席へ出まして、初代扇橋、噺も出来、なかなか唄もうまかったそうですが、これが元祖としてありまして、弟子はずいぶんございましたが、中で最も傑出したのは都々逸坊扇歌という人で、(下略)

 CD版『圓生百席』13(注11)添付の解説パンフレット中に、宇野信夫の「噺と芸」と題する文章がある。その中の「汲みたて」の解説で、宇野は次のように書いている。(これはレコード版の解説をそのまま転載したものと考えられる。)

  いつも言うことですが、寄席の高座と違って、時間に余裕のあるレコードでは、「まくら」をたっぷりときくことができます。圓生はここでも音曲噺について色々と話して居ります。戦災で亡くなった柳家枝太郎のことや、三遊亭萬橘のこと─私共が寄席へ通っていたころ、此の二人の音曲師は相当な年齢でした。二人ともに本筋の人であることは、その高座の態度─その風格でもわかりました。二人が人気のあったのは、おそらく震災前だったでしょう。私共の学生時代には、もう音曲は迎えられなくなって、寄席で音曲師の出るのは、一ト晩に一人がせいぜいでした。

宇野信夫は明治三十七年生れ。昭和四年に慶応大学を卒業している。従って、圓生の言う、音曲師がずいぶんあったという「昔」とは大正時代のことであることが知られる。宇野の証言によれば、最後の音曲師である柳家枝太郎や三遊亭萬橘の全盛期は震災前、昭和初期には音曲師は流行らなくなっていたという。
 我々は、都々逸というと柳家三亀松を思い起こすが、円生の定義からすると、三亀松は音曲師ではない、ということになる。都々逸漫談家といった所であろうか。
 時代の趨勢と共に、個人的な資質も無視することはできない。八代目桂文楽や五代目柳家小さんなどは「音痴」と言ってよいレベルのノドである。(文楽の方が程度は甚だしいが。)このような人達の噺には都々逸の登場することは殆どない。
 文楽や小さんに比べて音感に優れ、ノドに覚えのあった六代目三遊亭円生や五代目古今亭志ん生などの噺には、多くの都々逸が登場する。音感に優れた者は、都々逸などの音曲に対する興味も強く、それに対する耳も発達しているので、音曲師の芸が記憶にも残るのである。


 ただし、円生とは異なった証言もある。立川談志は、「立川談志のゆめの寄席」で次のように語っている。

 寄席から音曲がなくなりました。えぇ。私どもがガキの頃はまだ残ってましたね。これからお送りする小半治、大阪から来た春風亭枝雀、えー名古屋から来たよねぞう、衰えたりとはいいながら文のやかしく、橘屋円太郎。ん、それぞれが唄う音曲。出て来て軽くしゃべって都々逸を回して、え、そして、とっちりとんとか、大津絵とか、からかさなぞを唄ってね、そして真打にぽーんと渡す。何ともたまらない、これが寄席だないあというのを感じさせてくれる空間でござんした。江戸の音曲、ん、いいんだねえ。これがなくなりました。えぇ。最後の音曲師・柳家小半治、



(注1)『圓朝全集』全十三巻(春陽堂。大正十五年〜昭和三年。)
(注2)『〔口演速記〕明治大正落語集成』全七巻(講談社。昭和五十五年〜五十六年。)
(注3)『落語全集』全三巻(大日本雄弁会講談社。昭和四年。)
(注4)『昭和戦前傑作落語全集』(昭和五十六年・五十七年。)
(注5)『古典落語』第一期五冊・第二期五冊(筑摩書房。第一期昭和四十三年、第二期昭和四十六年。)
(注6)『圓生全集』第一巻〜第五巻(青蛙房。新版昭和四十二年〜四十七年。)別巻上中下(青蛙房。昭和四十三年。)追悼編(青蛙房。昭和五十五年。)
(注7)『五代目古今亭志ん生全集』全八巻(弘文出版。昭和五十二年〜平成四年。)
(注8)『初代桂春団治落語集』(講談社。平成十六年。)
(注9)『米朝落語全集』全七巻(創元社。昭和五十五年〜五十七年。)
(注10)『志ん朝の落語』(筑摩書房。ちくま文庫。平成十五年・十六年。)
(注11)『圓生百席』13(ソニーレコーズ。SRCL3825〜26)