延慶本平家物語 ひらがな(一部漢字)版
平家物語五(第二末)
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たうくわんのうちうたじふろくしゆこれあり。
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一 ひやうゑのすけよりともむほんをおこすゆらいのこと
二 もんがくがだうねんのいうしよのこと
三 いてうとうふのせつぢよのこと
四 文学ゐんのごしよにてことにあふこと
五 文学いづのくにへはいるせらるること
六 文学くまのなちのたきにうたるること
七 文学兵衛佐にあひたてまつる事
八 文学きやうじやうしてゐんぜんをまうしたまはること
九 ささきのものどもすけどののもとへまゐること
十 やまきのはんぐわんかねたかをようちにする事
十一 兵衛佐にせいのつくこと
十二 兵衛佐くにぐにへめぐらしぶみをつかはさるること
十三 いしばしやまのかつせんのこと
十四 こつぼざかのかつせんのこと
十五 きぬがさのじやうのかつせんのこと
十六 兵衛佐あはのくにへおちたまふこと
十七 つちやのさぶらうとこじらうとゆきあふこと
十八 みうらのひとびと兵衛佐にたづねあひたてまつること
十九 かづさのすけひろつねすけどののもとへまゐること
廿 はたけやま兵衛佐どのへまゐる事
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廿一 よりともをついたうすべきよしくわんぷをくださるること
廿二 むかしまさかどをついたうせらるること
廿三 これもりいげとうごくへむかふこと
廿四 しんゐんいつくしまへごかうのことつけたりぐわんもんあそばす事
廿五 だいじやうにふだうゐんにきしやうもんかかせたてまつること
廿六 ほふわうゆめどのへわたらせたまふこと
廿七 平家の人々するがのくによりにげのぼること
廿八 平家の人々きやうへのぼりつくこと
廿九 きやうぢゆうにらくしよする事
卅 平家みゐでらをやきはらふこと
卅一 ゑんけいほふしんわうてんわうじのじむとどめらるること
卅二 をんじやうじのしゆとそうがらげくわんせらるること
卅三 園城寺のあくそうらをすいくわのせめにおよぶこと
卅四 くにつなのきやうだいりをつくりてしゆしやうをわたしてまつること
卅五 だいじやうゑえんいんのことつけたりごせちのゆらいのこと
卅六 さんもんのしゆとみやこがへりのためにそうじやうをささぐること付みやこがへりあること
卅七 いつくしまへほうへいしをたてらるること
卅八 ふくだのくわんじやまれよしをちゆうせらるること
卅九 平家あふみのくにやまもとかしはぎらをせめおとすこと
四十 なんとをやきはらふことつけたりさせうべんゆきたかのこと
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平家物語第二末
一 ひやうゑのすけみなもとのよりともはせいわてんわうじふだいのこういん、ろくでうのはんぐわんためよしがまご、さきのしもつけのかみよしともがさんなん也。きゆうせんるいたいのいへにて、ぶようさんりやくのほまれをほどこす。しかるに、いんじへいぢぐわんねん十二月九日、あくうゑもんのかみのぶよりのきやうむほんをおこししきざみ、よしともかのかたらひにくみせしによりて、しそくよりとも、えいりやく元年三月にいづのくにほうでうのこほりにはいるせられて、いたづらに廿一年のしゆんしうをおくり、むなしく卅三のねんれいをつみて、ひごろとしごろもさてこそすごしつるに、今年いかにしてかかるむほんをおもひくはたてけるぞと、人あやしみをなす。ごにちにきこへけるは、四五月の程はたかくらのみやのせんじをたまはりてもてなされ
たりける
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ほどに、みやうせさせたまひてのち、いちゐんのゐんぜんをくださるること有けり。そのゆゑは、としごろのしゆくいもさる事にて、たかをのもんがくがすすめとぞきこへし。かのもんがくは、ざいぞくの時は、ゑんどううこんのしやうげんもちとほがこに、ゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのしゆうなりけるが、十八のとし、だうしんをおこしてもとどりをきりて、もんがくばうとてかうやこかはのやまやまてらでらまどひありきけるが、ひやうゑのすけにあひたてまつりて、すすめ奉りたりけるとぞきこへし。
二 そもそももんがくがだうねんのいうしよをたづぬれば、をんなゆゑとぞきこへし。ざいぞくの時は、わたなべのゑんどうむしやもりとほとて、しやうさいもんゐんのむしやどころにて、ひさしくりようがんにつかへて、いんはのさんゐをほどこし、もつぱらほうけつにじして、しやてうのめいよをふるひ
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き。しかるをこのうちをまかりいでてのち、わたなべのはしくやうのとき、きたいのしようしなりければ、えぐち、かんざき、はしらもと、むかひ、すみよし、てんわうじ、あかし、ふくはら、むろ、たかさご、よどや、かはじり、なにはがた、かなや、かたの、いはしみづ、うどの、やまざき、とばの里、おのおのあゆみをはこびつつ、「霞のうちにたまをかけ、ながらの橋のごとくにて、くちせざれ」とぞいのりける。せつぽふはんじにおよびて、ふたつがわらのふねいつそうぞくだりける。げにん、くわんじやばらに至るまで、さわさわとしてぞみへける。中にあじろごし、にちやうあり。橋よりかみいつたんばかりの西の岸につく。やがてこしに乗てざしきへいる。こしのかなもの、たち、ぐそく、りきしや法師にいたるまで、つきづきしくありけるあひだ、「いづれの座敷へいるやらむ」とみるほどに、やがてならびのつぼへいる。盛遠ぐそくに
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ばかされて、ぬしはいかなる人やらむと、ひたすらのぞきゐたるに、をりふしかはかぜすずしくして、なにわわたりのあしすだれ、しづまりやらずぞあがりける。是よりみれば、まことにいうなる十六七の女にてぞ有ける。青きまゆずみみどりにして、ゑめるかほばせ花ににたり。漢のりふじん、そとほりひめ、かぎりあらば、これにはすぎじとぞみえし。もりとほおもひけるは、「うきみの程もしらなみの、すめばすまるる事なれど、男とならばこれほどの女に枕をならべばや。あはれ、いづくにすきかはとたつるまもなき人やらむ」と、しづごころなくもだへつつ、「あひかまへて返りいらむ所へ、いづくなりともみをかむ」とおもひける程に、ちやうもんのさいちゆうににはかに、「ぜうまう」とののしる。きとみれば、くろけぶりすじつちやうにふきつづいて、じやうげのしよにんさわぎあへり。いづくなるらむとたちいでて、むちを
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うちてはせけるに、けんもんの者多かりければ、ことゆゑなくもみけちぬ。このあひだにほふゑもまたをはんぬ。盛遠またおもひいだして、ありつる人はいかになりつらむと、あさましくいそぎかへりみれば、やかたばかりにて人もなし。なにしにわがみのいでつらむと、ちたびももたびなげけども、くゆるにかひぞなかりける。そのよはなほもゆかしさに、座敷にゐてぞあかしける。あけはなれぬれば、「さてもこのしやうにんはきやうとあまたみ給へる人也。もししりたまひたる事もや」と、いそぎあんじつへわたりて、ものがたりのついでに、「そもそもきのふごせつぽふのさいちゆうに、いかいかの船にしかしかのこしに乗て、それがしが座敷のならびへいりさうらひしは、いかなる人やらむ。きよげにさうらひしものかな」と申ければ、ひじり、「かの人はこさんでうのさへきのとうの娘、たうじはとばのぎやうぶざゑもんがにようばう也。父のてうにつかへしあひだに、かのぎやうぶ
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なむどをば、めざましくこそ思はむずれども、なにもののしわざにか、刑部とつれさせたれども、母のにこうのあるも、いまだ心よからずとこそ申せ」。そのときもりとほおもふやう、「さすがぎやうぶざゑもんがこれほどの女ぐそくせるこそ、心にくけれ。今はかのじんにしたがいて、ほんいをこそとげずとも、こゑをもきき、たまたまかたちをみたりとも、なぐさみなむ」とおもひけるが、「まてまてしばし。わがみゆゆしからねども、しやうさいもんゐんにつかへ奉てとしひさし。そのうへいちもんのものどものめざましくおもふもことわりなり。かの女房の母につかへむ」とて、しゆくしよへもかへらず、やがて三条をさしてぞのぼりける。にしのとうゐんをのぼりに、三条よりは南、にしのとうゐんよりは西にすみあらして、としひさしくなり、ついぢやぶれて、のきまばらなるひはだやあり。これなるらむと思てたちいれば、むなしくしへきのうちをみれば、きうたいふうじて
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ちりをまじへ、やうやくちひさきすまひのあたりをのぞめば、しんさうとぢてつゆをおびたり。をりふしかどに女あり。まねきよせて、「これはこさへきのとうのとののおんいへか。いささかしさいあつて申すぞ。このうちにわれみやづかへをまうさばや。よきやうにげんざんにいれ」て云ければ、女「このよしをまうしてこそみさぶらはめ」とてたちいりぬ。しばらくありて、「たちいりたまへ。うけたまはらむ」といふ。盛遠まづうれしくて、いそぎすすめば、ちゆうもんのつまどを開く人あり。ごじふいうよなるにこう也。「是へ」といへど、男かしこまる。「いかにいかに」とたびかさぬれば、盛遠内へぞ入ける。いへあるじのいはく、「まことにこれにゐむとおほせのあるが、おもひもよらぬことかな。おんけしきをみたてまつるに、尼がはぐくみたてまつるべき人ともみへ給わぬごしんぢゆうの程こそ、かへすがへすもおぼつかなけれ。いづれのへんにつくべしともおぼえず。こばうふがぞんじやうのあひだは、みかひがひしからずといへども、おほやけに
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つかへたてまつりしかば、さやうのこともはべりき。今はらうにのふるやにをき奉ても、なにかせむ。ただしおほせある事を、いなといはば、さだめてごしよぞんにたがふらむ。それも又ほひなし。ともどもそれのおんぱからひ」とぞ宣ひける。盛遠申けるは、「わがみえうせうより、しやうさいもんゐんのむしやどころへて候しが、思わざるほかにかのごしよをまかりいでてのち、ふるさとなればゐなかにすみはべれども、何事も物うくて、都の事のみ心にかかり、『六はらのへんにゐばや』と申せども、『しやうさいもんゐんにめしつかはれて、としひさしくむしやどころふるほどの者をつかわじ』とまうして、ゆるされず。またもとよりの事なれば、くげをこそうかがふべけれども、さもと申じんはわが心にかなわず。おもひわづらひてさうらふが、この御事をあらあらつたへうけたまはりて、御目にもかからばやと、参てさうらふなり」といへば、にこうからからと
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わらひて申けるは、「人々のおそれたてまつりてをき奉らぬ人を、このくちあまがかへりみ奉らむ事こそ、かへすがへすをかしけれ。よしよしそれも苦しからじ。今より尼を親とたのみたまへ。をそれながらことあふぎ奉らむ。故さへきのとうと、あさゆふはぐくみいたわりしをんなごひとりあり。父ぞんじやうのあひだは、いかならむたかふるまひをせさせばやとこそいとなみしに、かのちちうせてのち、思のほかに、とばのぎやうぶざゑもんとかやまうすもの、あひつれてさぶらへば、これにつけてもばうふの事のみ思われて、よろづめざましければ、つやつやまうしかよわさでまかりすぎしほどに、いつぞやばうふが為にかたのごとく仏事をいとなみしに、しやうだうのおんことばに、『はるのはなこずゑをじして、うゐむじやうのなみだをのごひ、あきのははやしにとびて、しやうじやひつめつのくわんをもよほす。さんがいはまぼろしのごとし、たれかじやうぢゆうのおもひをなさむ。ろくだうはゆめににたり、なんぞかくごのつきをたづねざらむ。
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らんぽうの鏡の上にならべるかげも、ばせうのかたちやぶれざるほど、ゑんあうのふすまの内に遊びたはぶるるも、くさのつゆのいのちきえざるあひだ』とさぶらひしをちやうもんして、みにしみことわりにおぼえさぶらひしあひだ、やがてほつしんしゆぎやうをもして、ばうふがごしやうを助け、又わがりんじゆうをも祈らばやとこそおもひしか。それもさてやみぬ。月日のかさなるにしたがひて、このをんなごのことおもひいでられ、又いくほどつれはつまじき事を思ふにも、なにの心もよわりて、ふけうゆるしてさぶらへば、このほどはよろこびて通ふ也。およそはいくほどならぬ夢のよに、心をたてたりとも、なにかせむ。さしもちぎりふかくて、朝夕はばんぜいせんしうとこそいのりしに、さへきのとうにもおくれぬ。としつきはへだつれども、おもひはさらにやすらまらず。ひすいのすだれのまへには、花のえだいにしへをこふるいろをそへ、さんごのとこのしたには、かがみのはこなみだをそむるちりをのこす。ざしてもうれへふしても
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うれふ。むなしくこじんのさるひをおもふ。いづれのあした、いづれのゆふべにかふたたびばうふのかへらむときにあはむ。かなしみざすればてんもくれがたし、なげきふせればよもあけず、かなしみみればますます悲し。はるのやまをへだつるしもの影、歎ききけばいよいよ歎かし。あかつきのまどにさへづるとりのこゑ、いつたんよをそむきしうれへ、すでにしんぢのつきにくらく、ひやくねんかいらうのちぎり、ゆめぢのはなにことならず。かかるおもひをするみにてあれば、このをんなごをもひとところにをき、つれづれならむ時は、みばやみへばやとこそ思へども、かれもせけんのならひにて、今はとばにありつきたるぶんなれば、ふそくなし。よしよし、尼いそぢに余りて、かうしをうみたるにてこそあらむずれ。このいへなむどまうすも、尼いちごののちは、あづけ奉らむ。さてもをわせよかし」といふ。男こののちはよろづ深くとりいりて、あけぬくれぬとすぐしつつ、ひたすら女の事のみ深く心にかかりて、さりともみではは
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てじと心深く思へども、たまたまきたる時は車にて、つまどふかくやりいれば、ゆきもかへりもしのびて、形をだにもみせず。これにつけてもうれふるに、今はすなはちうちふしぬ。あけくれ歎きかなしめば、いへあるじもこれをみて、「いかなる事ぞ」とさわぎつつ、いけじゆつだうをつくしつつ、しんめいぶつだに祈る。しかれどもつゆもしるしぞなかりける。昔ちやうぶんせいと云し人、しのびてそくてんくわうごうにあひ奉りたりけるが、またおもひよるべきやうなかりければ、よるひるこれをなげきけり。ことわりや、このひとははんあんじんにはははかたのめい、しやくきけいには妹にておわしければ、みめかたちもよかりけり。よふけひとしづまりて、琴をひきたまふを聞て、いきたえなむとおもふほどにありけるに、心ならずちかづけられたてまつりて、のちまたまみへたてまつることもなければ、しんぢゆうにはいきたるかしにたるか、夢かうつつともなければ、人しれぬ恋にし
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づみて、いもねられぬに、たまたままどろめば、又やもめがらすのめをさますもなさけなく、まことに忍ぶなかはひとめのみしげければ、苦しきよをおもひわづらひて、まれの玉づさばかりだに、水くきのかへるあとまれなれば、涙にしづむものがなしさに、思わじとすれど、思ひわするる時なくて、常にはかくぞえいじける。「あなにくのびやうじやくのはんやにひとをおどろかす。はくびときやうけいのさんかうにあかつきをとなふ」。さればこの心をみつゆきは。
ひとりぬるやもめがらすはあなにくやまだ夜ぶかきにめをさましつる K099
かのちやうぶんせいは、しのびてもきさきにもあひたてまつり、人目をこそなげきしに、このむしやどころは、せめてみばやとおもへども、かなわぬ事をぞなげきける。かくてつながぬつきひなれば、既にみとせになりにけり。あるときこのにこうびやうしよにきたりていはく、「さてもごへんのおんいたわり、としつきあまたかさなれど、そのしるしもなし。
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かつうはみたまふやうにあけくれは、そのいとなみよりほかはたじなけれども、今はかひなくひにそへてのみよわり給へば、ほひなき事はかぎりなし。ただしいかさまにも、ただならぬ心のおわするとおぼゆるはいかに。若き時のならひなればいかなるゐんぐうのみやばらの人に心をかけ、歎き給とこそおぼゆれ。今は親子のよしみをろかならず。鳥羽のむすめにもをとらずこそおもひたてまつれ。へだてごころなくのたまへ」といへば、盛遠これをききて、としごろはこふる心にせめられて、物をだにもはかばかしくいはざりしが、このことをさとられて、かべにむかひてぞわらひける。にこう「さればこそ」とのたまひて、枕近くたちよりていひけるは、「さてもふかくにおわするものかな。いふかひなくぞをぼしめされさぶらふとも、わがみむかしはしよぐうしよゐんをけいくわいして、かうしよく
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いうえんのかたがた、さりとも多くこそみしりたまふらめ。これほどの事をなげきて、今までしらせずわづらひ給ける事、さばかりのむしやどころともおぼえず。おほかたろくはらのへんなりとも、などかそのこころたすけ奉らであるべき。まことにやすかるべき事也」。盛遠これをききつつ、あわれたよりやと思へども、せめてはよその事ならば、なげきてこそはみへけれども、まことに鳥羽の女房の事なれば、とにもかくにもおもひわづらひて、つやつやへんじぞせざりける。かさねて「いかにいかに」とせめければ、のぶべき方なくて、いはばやと思へども、「よしよしよその事ならば、恥をもすて、歎くべけれども、いかがはもらさむ」とおもひければ、へんじもなくて、いきつぎいたり。かさねてにこうのいはく、「わがみ今はすたれものなれども、昔まうしうけたまはりし人のみこそおわ
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すれ。をんごくまではかなわずとも、らくちゆうにてはいづれのおんかたなりとも、又ろくはらのひとどものひめどもなりとも、『かかるなげきする者あり。たすけ給へ』と申さむに、なじかはかなわで有べき。われ親子のやくそくまうして、既にさんがねんになりぬ。こころざしの程をも今はみへ奉りつらむ。鳥羽のをんなごにも劣らず、こころぐるしくこそ思奉れ。これほど心をかれたてまつりて、どうじゆくむやくなり。あま、ひとならねば、それをだいじとおもひたてまつれとにはあらず。ともどもそれのおんぱからひ」とぞのたまひける。盛遠しんぢゆうにおもひけるは、これほどの時、露ばかりももらさでは、いつをごすべしともなければ、おもてにひをばやけども、しぶしぶにこそ申けれ。「おほせかしこまりてうけたまはりさうらひぬ。さてもひととせ、わたなべのはしくやうの時、せつぽふなかばにおよびて、ふたつがはらの船にあじろごしにちやういりて、橋よりかみいつたんばかり
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の西の岸に、つきたまひし人をうけたまはりさうらひしかば、これへおんまゐりときこへさうらひしが、そのときおんともなひ候し人の、ふかくの心にうちそいて、あさゆふわするる事もなし。そのゆくへはたれびとにておわしけるやらむと、おぼつかなさのあまりに、たづね参てさうらひしかども、今まであらはれずして、むなしくまかりすぎさうらひぬ」と、おめおめとぞかたりける。そのときにこううちわらひていはく、そのはしくやうの時は参てさぶらひし也。さてそのにようばうが心にかかりておぼしめすか。それこそ鳥羽の娘にてさぶらひしか。いとやすしいとやすし」とぞ云ける。「かつうはめんぼくにてこそあらめ。皆よのつねのならひなり。若くさいとうなきあひだは、わがみに思ふ事もあり、人に思わるる事もあり。こさへきのとうとつれしも、このふぜいにてこそありしか。これほどやすき事を、今までこころぐるしくなげきたまひけむ事こそ
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こそ。かへすがへすもふかくなれ。今はおとといのあわいぞかし。たまたまきたる時もげんざんしたまひて、おそれながら尼がつかひしてもとばのへんへもをわしたらば、うへにこそかなわずとも、さる人おわするとは、などかみ奉り、又みえ奉らざるべき。なにかはくるしかるべき。よびてみせ奉らむ」とて、いそぎふみを書て、鳥羽へつかわす。「けさよりゐれいのここちゐできて、せけんもあぢきなし。おいたる、若き、きらわず、しやうじむじやうのならひなれば、いかがあるべかるらむ。きたり給へ。みたてまつらむ」といひつかわす。鳥羽の女房これをみて、あわてさわぎてきたれり。つねのゐどころにいそぎいりてみれば、にこうさきざきよりも心よげにて、うちわらひて、「是へ是へ」とのたまへば、「夢か、幻か。うつつならぬけしきかな」とみれども、まづ近くよりてゐれば、「さこそさわぎたまひ
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つらめ。不思議にをかしき事の侍れば、語てわらひ奉らむとて申てなり」。何事なるらむときくほどに、「まことに女のみとなりては、これほどのめんぼくいかが有べき。しやうさいもんゐんのむしやどころ、この三がねん尼につかはれておわしつるが、わづらひたまふこと余りにだいじにおわせしが、尼も心苦くて、朝夕なげきしかども、つゆそのしるしなし。ことはりにて有けるぞとよ。あまりのこころもとなさに、けふやまひのさまをせめとふに、とりわけへんじもなかりつる程に、事の有様くはしくとへば、人をこふるやまひにて有けるぞとよ。たにんにてもなく、にようばうを心にかけたりけるとおぼゆるぞ。なにかくるしかるべき。おとといのあわひにおわすれば、今までげんざんし給わぬこそうたてけれ。すがたばかりをみえ給へ。人をたすくるはよのつねのならひ也」とくどき給へば、女房あまりの事にて
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つゆその返事もなし。「いかにいかに」とせむれども、おみなへしのつゆ重げなるけしきにて、とかふのことばもなし。にこうまたのたまはく、「おんけしきこそぞんぐわいなれ。それにこそ、今は鳥羽におもひつきて、このくちあまのまうしごとはようもなけれども、親となりことなるもぜんぜのちぎり也。かのひとをこのやぶれやにをき奉ても、すでにみとせになる。只一人おわする女房にも劣らず、いとほしと思ふ也。こどのにをくれてのち、さる女房は鳥羽にこそつねはおわすれ。これにていかにと、をきてたまふこともなし。うちすてられ奉て、何事もたよりなきさまにてこそありしか。しかるにかのひと尼をたのみ給て、きうかさんぶくのえんてんにも、あふぎをもつてとこをあふぎ、けんとうそせつのかんやも、ふすまをいだきて是をあたたむ。かやうにつかわれ給て、こころざしあさからず。尼にはむしやどころにすぎ給へるこ
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なし。それに只今さながらおくれ奉らむ事、しやうがいのうらみなり。めをととなれともいわばこそかたからめ。人の心をたすくるは、せけんのみなならひなり。すがたばかりをもみへよかし。それかなふまじくは、けふよりのちは、ははありともおもひ給べからず。又それにをわするとも思ふまじ」と、かきくどきせめければ、「おほせはそむきがたけれども、このほどもぎやうぶがまうしさぶらふは、『さんでうにはきやくじんおわするなり。かろがろしくかよふべからず。あまごぜんもわれをばさげしめ給ふむこなれば、ありはてむ事もかたし』と、常にまうしさぶらふ。そのうへ女のならひ、ひとりをたのむほか、ほかの心をもてる、今も昔も人の命を失ふわざ也。ことさらにおほせのごとくは、おとといのあはひなり。とにもかふにも、このことなをもうけたまわらじ」と云。にこう又宣けるは、「おほせの如くをととひのあはひにおわすれば、ほんいをとげよともまうさばこそ、今まで
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げんざんし給わぬこそ、わろくおわすれ。たがひにみへ奉なば、なにか苦しかるべき。このひと鳥羽なむどへもこへ給わむ時は、おとといのあはひなれば、たまたまのたいめんをもし給へかし。それをばよもさゑもんもいさかわじ。あらぬふるまひをもし給へともまうさばこそ。まれの対面だにもあらば、この家にさてこそおわせむずれ。たとひ尼いかになりたりとも、をととひの有様にて時々かよい給わんに、なにか苦しかるべき」とさまざまにのたまへば、「さらばげんざんせむ。よび給へ」と、しぶしぶに有ければ、いそぎつかひして、「まうすべき事あり。これへいりたまへ」といわす。もりとほうれしさのあまりに、いそぎはいをきて、おほいきつきてぞきたりける。みとせの間のおもひにやせをとろへたれども、さすがそのひさしさ、しやうさいもんゐんにありしかば、なへやかなるひたたれのこしつき、又へりぬりのえぼしのきわにいたるまで、なま
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めきてぞみへける。是をみて、にこうはまぎれいでたまひぬ。しかるにこのにようばうすこしもはばからず、盛遠をまぼりて、今や物いふとまてども、そのひさしさ、をともせず、うつぶき入てぞ有ける。そのとき女房、「さてもこのみとせの程、是におんわたりとはうけたまはりさぶらへども、常には鳥羽にゐてさぶらへば、今までげんざんしたてまつらぬ事、かへすがへす心のほかにおぼえさぶらふ。すべて心のそらくはさぶらわず。じねんのけだいにてこそさぶらふらめ。今はかやうに対面の上は、なにごとにつけても、こころやすきほとりにこそおもひたてまつりさぶらへ。母にてさぶらふらうこうも、ひたすらたのみたてまつるよしまうしさぶらふ。このほどもおんいたはりのよし申されさぶらひつれども、しんぢゆうに歎きいりてはさぶらひつれども、いまだみへたてまつることもなくて、いかにとまうさむことも、なにとやらむさぶらひつるあひだ、むなしくすぎさぶらひぬ」と、こまごまにいへども、へんじもせず。かさねていはく、「まことにかたわらいたき事を、母のに
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こうの語りまうしつるを、あるべからざるよしまうしさぶらひぬ。女のみには、これにすぎたるめんぼくやはあるべき。いせのいつきのみやは、
きみやこしわれやゆきけむおぼつかなしのぶのみだれかぎりしられず K100
とながめ、にでうのきさきは、
むさしのはけふはなやきそわかくさのつまもこもれり我もこもれり K101
なむどえいじたまひしも、このみちのわざなり。それもさてこそおわせしかど、今はよの末となりて、ふたごころある女にすぎたるなんはなし。さなきだに、ぎやうぶが『めづらしき人もちたてまつりて』と、あさゆふは申す。このこといかがをぼしめす。いかさまにもおんぱからひなくては、のちよかるべしともおぼへず。女のみにてかやうの事を申せば、時のほどに、やがてうとまれ奉らむずれども、まことにこころざしおわせば、
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刑部をいそぎうち給へ。これもぜんぜのちぎりにてこそ有らめ。そののちはいかにもおほせをそむくべからず。母のにこうも、さしもなき者につれたりとて、ふけうの者にてさぶらひしが、ひがしやまのしやうにんのけうけに、このほどはゆりたれども、底のおんこころはうちとけ給わぬふぜい也。これにつけても、いちうのすまいとならむはよくさぶらひなむ」といふ。もりとほをめをめとしてゐたりけるが、このことをききてうちわらひてのち、はんくわいが如くけしきして、「おほせよろこびてうけたまはりさうらひぬ。わがみいみじからずといへども、ぶようの家にうまれて、きゆうせんにたづさわるしたしきもの、三百余人あり。かれらをたいしやうぐんとしては、につぽんのほかなるしんらはくさいなりとも、などかせめではさうらふべき。これほどの事はくわんじやばらにしらするにおよばず。わがみばかりしてなりともいとやすし」。女房又いはく、「さらばいまみつかとまうさむひ、京より鳥羽へきやくじん
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きたるべし。ひのほどしゆえん、夜にいらば、くわんげん、れんが有べし。そののちかへるべし。ぎやうぶさだめてゑはむずらむ。そのようかがひ給へ。刑部がねどころは、しゆえんの家をひとつへだてて、西にあたりたるやなり。常にひがしやまにいづる月をみむと、東にむけてすめり。ひろえんの南のはしをさしいりてみたまはば、つまどのくちにふしたらむをさし給へ。あなかしこみたがへてふかくすな。われははるかのをくにふすべし。あひかまへてもとどりをさぐり給へ。さらばいとままうして。こよひもこれにさぶらひて、何事も申たくは候へども、母のゐれいとて、つかはしたりつる文を、あしくをきて有つる。さだめて刑部みさぶらひなば、いそぎこゆらむとおぼゆ。いかにもおんぱらかひののちは、ともどもおほせにしたがふべし」とて返りぬ。ゑんどうこれを聞ておもふやう、「みとせの間むなしきとこにむかひて
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ひとりふしたれば、秋の夜長し。よながくしてねぶることなし。かうかうとほのかなるのこんのともしびの壁にそむくる影、せうせうとしづかなるやみのあめの窓をうつおとのみ友となり、春のひ遅し。ひおそくしてひとりゐれば、天もくれぬ。のきのうぐひすのひやくてんを、うれひあれば、きくことをいとふ。はりのつばくらめのならびずみをば、ねたましくのみおもひつつ、みとせのほどもすぎしぞかし。いまみつかとちぎりしも、まちくるしく」ぞ思ける。さてもみつかといふひは、もえぎのはらまきに、さうのこて、すねあてばかりに、三尺五寸のおほだちに、ろうさふのこそでをかづきて、やぶれがさにかををかくし、三条を西へ、大宮を南へゆく。たけ七尺に余りたりければ、ゆくもかへるもあやしがりて、みおくらぬ者はなかりけり。いまだひたかかりければ、ごしよのへんにやすらいて、かしこをうかがうに、いひしにたがわず、きやう
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よりきやくじんいりぬ。ひくれぬれば、管絃、連歌ののち、このひといそぎ返りぬ。さてもこのにようばう、こよひをかぎりの事なれば、三条のにこうのわれにおくれて歎き給はむ事、又しなばともにとちぎりふかき刑部が事もかなしくて、ただまなこにさえぎる物とては、つきせぬなみだばかりなり。「さればとて、かくてやむべきにもあらず。いこくにも、かなしき男にかわりて、ごしやうを助けられし女もありしぞかし」とおもひきりて、ゑひたるをとこをいだきて、奥のつぼにふせて、もとどりをみだり、わがたけなるかみをきりをろして、女の姿にぞつくりける。そののちわがかみをとりあげて、もとどりになす。さてぎやうぶがえぼし、たち、刀を、つまどのくちにとりわたして、ひがしまくらにふしにけり。今をかぎりと思ふにも、しのびの涙せきあへず。かんのりふじんにあら
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ざれば、すがたを移してもたれかみむ。たうのやうきひに異なれば、たづねとふべき人もあらじ。只うきめをみむものは、三条の母のらうにばかりとおもふほどに、むかひのやのちゆうもんの程、ぎいりとなりけるが、みれば、はらまきにたちわきにはさみたるおほわらは一人、ひろえんへつとのぼり、わがうへをとびこえて、奥のつぼへぞとほりける。「あなこころうや、いかになりぬる事やらむ。すでにあやまたれぬるやらむ。をきてもとりつかばや」とは思へども、しばらく有様をみるに、女とやみなしてけむ、たちかへりうつぶくかとおもふほどに、女のくびは前のえんへぞおちにける。もりとほ、うちおほせぬとよろこびて、いとままうして返りまゐらむとて、いそぎくびとり、三条かへる。このくびをばあるたの中にふみいれて、三条のやにかへりて、たかねんぶつしてえんぎやうだうす。しばらくありて、かどのとをたたく。
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「たそ」ととへば、「とばより、女房を、ただいまようちいりて、ころし奉りた」と申す。もりとほおもふやう、「げらふのふかくさ、なんでふさる事はあるべきぞ」とおもひて、「いかにものぐるはしきまうしやうぞ。とのの御あやまちか」といふ。ししやいはく、「さわ候わず。いちぢやう女房の御あやまちとこそおほせありつれ」とつまびらかならず。さればこそとて、にこうにこのよしをつぐ。「女房の御あやまちとて、鳥羽よりししやは候へども、よもさる事は候わじ。殿のあやまちにてぞさうらふらむ」といへば、にこうあわてさわぎ給ふ。又かさねてつかひあり。「いかに」ととへば、「女房の御あやまち」。又をしかさねて使者あり。きたるも、又きたるも、人はかわれども、ことばはおなじことばなり。されどもなを盛遠もちひず。「げらふほどふかくのものはあらじ。わがしらざる事ならば、いかにふしんならまし。あわてたるものかな」と、心の内にはかへすがへすもにくがり
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き。尼公にともなひて、盛遠も鳥羽へ行ぬ。みればこのをとこ、くびもなきからだゐだきて、「夢かうつつか。これはいかなりけるあへなさぞ。いづくへわれをすておきて。同じ道へとこそちぎりしに。ぐしてゆけ」とぞなげきける。にこうは、是を一目みてよりは、とかふのことばもなく、ひきかづきてふしたまひぬ。盛遠あさましく思て、いそぎ家をはしりいでて、すてつるくびを尋ぬるに、はづきはつかあまりの月なれど、をりふしおぼろにかすみて、いづくともおぼえず。されども田の中をあまりに求めければ、あるふかたにて求めえたり。水にてふりすすぎてみれば、このにようばうのくびなりけり。いそぎ鳥羽に持て行き、はしりいりて、「おんてきにんぐして参て候。ごらん候へ」とて、ふところより女房のくびをとりいだして、そのみにさしあはせて、「これは盛遠がしよぎやうなり。ひとひこの女房のちぎりたまひしにばかされて、わどののくびを
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かくと思て候へば、かかるふかくをしつる事なれば、わがくびをちきだももきだにもきざみ給へ。あなこころうの有様や。いかなりける事ぞや。是にてきりたまへ」とて、こしがたなをぬきいだして、さゑもんのじようにあたへて、くびをのべてさしいでたり。左衛門尉、このもりとほをみるに、つらきにつけ、うらめしきにつけても、ただひとかたなにさし殺さばやと思けるが、つらつらくりかへし物をあんずるに、「たうたうとして長きかはのみづ、みづなくしてしばしとどまり、しうしうとしてうけるよのひと、ひとなくしてよくひさし。ていしようばんしゆんのさかへ、かんきくせんしうのにほひ、つひにくつるときあり。いかにしぼめるときなからむ。かかるうきよにまじはればこそ、うきめをもみれ」とて、その刀をばなげかへして、「刀はこれにも候」とて、おのれが刀をぬきて、みづから髪を切てけり。盛遠ふりあをぎみてまうしけるは、「いきて物を思わむよりは、只はやきりたまへ。じがいせむとは思へども、おなじくはわどののてにかけ
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給へ。それはよろこびたるべし」とて、しきりにくびをのべたり。さゑもんのじようまうしけるは、「ごへん誠にじやうにたてごもりて、あひたたかはむとする事ならば、もつともうちいりてこそきるべけれども、かくし給わむ上は、たとひ女房いきかへるべしとまうすとも、切奉るべきにあらず。じがいもせんなきことなるべし。それよりは只なき人のごせをとぶらひ、いちぶつじやうどのわうじやうこそ、あらまほしくおぼゆれ。こんじやうごしやうむなしからむ事、やうごふちんりんふかくなるべし。つらつらあんずるに、この女房はくわんおんのすいしやくとして、われらがだうしんをもよほし給ふとくわんずべし」。そのときもりとほたちて、さゑもんのにふだうをかいしとやおもひけむ、しちどらいはいして、髪切てけり。りやうばうにあま、法師になる者、さんじふよにんなり。母もすみぞめのころも、涙の露にしほれつつ、いつかわくべしともみへず。かのをんなせうそくこまごまと書て、てばこにいれて、かたみにとてとどめおきたるをみれば、「いとど女のみは罪ふかき
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事にこそさぶらふなるに、うきみゆえに、おほくの人のうせぬべくさぶらへば、わがみひとつをうしなひさぶらひぬる也。ことさらにつみふかくおぼえさぶらふことは、母にさきだちまひらせて、物を思わせまひらせむきみこそ心うく候へ。あひかまへてごせをよくとぶらひ給べし。仏にだにもなりさぶらひなば、母をもさゑもんのとのをも、などかむかひまひらせさぶらはざるべき。よろづなにごともこまかにまうしおきたく候
へども、おつる涙にみづくきのあともみへずして、くはしからず。かへすがへすみのほどの心うさ、ただをしはからせ給べし」とて、
露ふかきあさぢがはらにまよふみのいとどやみぢにいるぞかなしき K102
母これをみるに、いとどめもくれ心もきへて、もだへこがるるありさま、ためし有べしとも覚へず。「めいどにも共に迷ひ、みやうくわにも共にやけむ事ならば、いかがはせむ。いきてかひなき露のみを、むぐらの宿にとどめをきて、れんぼの
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なみだ、いつかかわかむ。せめての事に、じやうはりの鏡にやうかびてみゆる」とて、うたのかへりごとをよみて、なくなくそのうたのかたはらにぞかきならべたりける。
やみぢにもともにまよはでよもぎふにひとり露けきみをいかにせん K103
とよみて、そののちはてんわうじにまゐりて、「只はや命をめして、じやうどにみちびき給へ。われほとけになりて、なき人のしやうしよをも求めつつ、いちぶつれんだいの上にふたたびゆきあわむ」ときねんすることなのめならず。さる程につぎのとしの十月八日、しやうねん五十五にしてつひにわうじやうのそくわいをとげにけり。ぎやうぶさゑもんのじようは、としごろのししやうしやうじて、髪うるはしくそり、さんじゆじやうかいたもちて、ほふみやうをばとあみだぶとぞ申ける。ざいぞくの時はわたるとなのりければ、出家ののちもわたるのじをぞよびける。こころざしはしやうじのくかいをわたりて、ねはんのひがんにつかむ事を
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くわんじける心ばへ也。ゑんどうむしやうもりとほにふだうは、これももりとほのもりのじをほふみやうとして、じやうあみだぶとぞ申ける。うせにし女のしやりを取て、こうゑんに墓をして、第三年の内までは、ぎやうだうねんぶつしてごせをとぶらふ事、人にすぐれたり。さればにや、墓の上にれんげひらくと夢にみて、くわんぎの涙袖にふれり。そののち盛あみだぶだうしんをこして、かうやにてかいをたもち、くまのにこもり、年をへけり。こんがうはちえふのみねよりはじめて、熊野、きんぷ、てんわうじ、しくわんだいじようれうごんゐん、すべてふさういつしうにをひては、至らぬれいちもなかりけり。十八才より出家して、一十三年之あひだは、ぢさいぢりつのぎやうじや也。春は霞に迷へども、みねにのぼりてたきぎをとり、夏はくさむらしげけれど、しばのとぼそにかうをたき、秋はもみぢにみをよせ
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よせ[* 「よせ」衍字]て、のわきの風に袖をひるがへし、冬はせうさくたるかんこくに、月をやどせる水を結びなむどして、やまぶし、しゆぎやうじやのつとめねんごろなり。しんれいのこゑは谷をひびかし、せうかうのけぶりはみねにきゆ。かのしやうざんのおきなにはあらねども、わらびををりて命をささへ、げんけんがとぼそにはあらねども、ふぢごろもをつづつてはだへをかくせり。さんえいつぱつのほかには、たくはへたるいちざいなく、ざぜんじようしやうの扇ばこには、ほんぞんぢきやうよりほかにもちたる物なし。かんぢごくのくるしみをこんじやうにみて、ごしやうにのがれんとぞちかひける。ちほふうげんの時までも、昔の女の事わすれずして、常にはころものそでをしぼりけるとかや。もしや心をなぐさむるとて、昔の女のかたちをゑにかきて、ほんぞんと共に、くびにかけてみをはなたざりける事こそ
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あはれなれ。かくてざいざいしよしよをしゆぎやうしければ、あるときは東の旅に迷ひて、なりひらがたづねわびしあこやの松に宿をかり、あるときは西の海ちひろの浪にただよひて、光る源氏のあとををひ、すまよりあかしにつたふ時もあり。ひとへにいつしよふぢゆうのぎやうをなして、りやくしゆじやうのつとめをもつぱらにす。せんだいにも少なく、こうたいもありがたきほどの、きひじりにてぞ有ける。かの女のえんにあはずは、いかでかこんどしやうじのおきてをさとるべき。ありがたかるべきぜんぢしきなりとて、いよいよかのごせをぞとぶらひける。じやうあみだぶをあらためて、もんがくとぞよばれける。
(三) とほくいてうをたづぬれば、さきむかしもろこしにをつとを思へる女あり。とうふのせつぢよとこれをいふ。ちやうあんのたいしやうりじんの娘なり。かいらうどうけつとちぎりあさからざりし夫に、
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朝夕うかがふをんできあり。このをとこも、りりよう、ちやうりやうがわざをえて、たやすからざりければ、あるときかたきこのせつぢよをとらへて、「なんぢが夫を我に殺させよ。しからば君にともなひて、しゆんくわめいげつのえいをもなし、さんてうはくせつのきようをもまさむ。それかなふまじくは、すみやかに汝に殺すべし」といふ。せつぢよ是を聞て、「ただかりそめのよがれをだにも歎くに、このこと夢かうつつか。はなのしたのはんにちのきやく、はうしをゆふかぜにのこし、つきのまへのいちやのとも、きんはをげううんにをしむならひにてこそあれ。まして夫となり妻となる、このよひとつの事ならず。たがひにみへそめてのち、おほくのとしつきを送り、朝夕はせんしうばんぜいとこそ、ちぎりふかき男をうしなひて、汝とすまむ事、いかがあるべかるらむとをぼゆ。しかれ、たださらば、なんぢがことばの如く我を失へ」といふ。かたきこれを聞て、「さらば汝が
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親をもおなじく殺すべし。わがみ又親ををつとにかへむ事、よくよくはからへ」と云。せつぢよ是を聞て、親を思ふかなしさに、「さらばわがはかりことにて汝に男をうたせむ。わがをつとろうの上にねたらむを殺せ。夫は東にふすべし。我は西にふさむずるなり。東の枕をほこをもつてさせ。男は安く死なむ」とてゆるされぬ。さて女、今を限りと思ふにも、夫に別れむかなしさに、しのびの涙せきあへず。夫あやしみてくはしくたづぬれども、さらにしらせず。「ただよのなかのありはつまじきをおもふにも、いとどかなしく」とぞいひける。夫あはれと思て、もろともにぞなきける。女こよひをかぎりの事なれば、ひなのすにかへるがごとし、いづれをひがしとしいづれをにしとせむ。こうしのちちをうしなへるににたり、いくるにあらずをはるにあらず。こころをせいさつのあかつきのつきにすますといへども、ふかきうらみをろうしやうのゆふべのくもにのこす。かうたけひとしづまりて、けいじんすでにとなへ、てうしようひびきを送る程になりて、夫を西になし、わがみ
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ひがしまくらにふして、かたきをあひまつところに、男、せつぢよがちぎりしことばにまかせて、東の枕をさす。女ほこを取てわがくびにあて、をつとにかわつてうせぬ。かたき、うちをうせつとてみければ、この女なり。めもくれ心もきへて、夫にかわつて命をうしなへるこころざしの深きを思ふに、あやまちをくゆる歎き、たとふる方なし。かなしさの余りに、節女が夫にむかひて、「すみやかにわがみをいかにもなせ。汝を失わむとて、かかるうきめをみつる」とて、悲しめり。夫これを聞て、「かたきすでにきたるを殺して、いみじかるべきにあらず。只かかるうきよをそむきて、女のぼだいを祈らむ」とて、もとどりをきり、さまをかへてけり。ひつきはへだたれども、しうしやうのはらはたなをあらたなり。じせつは移れども、こひのなみだ
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いまだかわかず。さんせんいづれのかたぞ、せいてうのつばさもいたることあたはず。ちゆういんたが家ぞ、しえんのひづめもはしるによしなし。あにはかりきや、あしたにたはぶれゆふべにたはぶれしはうけいのこころをひるがへして、夜も歎き昼も歎くしうこくのかなしみとなるとは。かなしみてみればかなしみをます、ていしやうの花のぬしをうしなへるいろ。うらみてきけばうらみをます、林中の鳥のきみをしのぶこへ。ぶんだんのことわりをおもはずは、いかでかこのかなしみにたへんや。しやうじのならひをしらずは、あにこのうらみをしのばんや。きたりてとどまらず、きようろうのつゆににたるいのち。さりてかへらず、きんりの花のごとくなるみ。なげきてもよしなしとて、おのおのかのをんなのごしやうをぞいのりける。
くさまくらいかに結びしちぎりにて露の命にをきかわるらむ K104
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四 かくてもんがく、冬のよひからもらしねがうて、しうちやうすんずんにたえやすく、春のてんじつななめにして、きようくわそうそうにのごひがたくして、諸国をるらうしてありきけるが、都へ帰り、めぐりて、たかをのへんにすみけり。だうしんののちにも、心おほきにくせみつつ、ふつうの人にはにざりけり。ここにたかをのじんごじと申すは、さうさうとしふりて、ぶつかくはゑのすがたをみるに、めいげつのほかはさしいる人もなし。ていしやうくさふかくして、こらうやかんのすみかにて、ちとのあそびにきようおほし。とびらは風に倒れて、おちばのしたにくちすたれ、のきばは雨にをかされて、ぶつだんさらにあらはなり。かなしきかな、ぶつぽふそうといふとりだにもおとづれずして、むなしきあとのいしずへは、をどろの為にかくされ、いたましきかな、みやまがくれのほそ
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みちも、つたしげくはひかかり、せうふさうぢよのたもとまでも、露やをくらんとあはれなり。ここにもんがくおもひけるは、「しゆくいんたかうにして、しゆつけにふだうの形をえたり。ぜんごふしよかんにして、ぶつぽふちぐのみとなれり。むえんのだうぎをとぶらふは、ぼさつのしよしうのぎそく也。はゑのだうじやをしゆふくするは、ぶつぽふをさいこうするこんぽんなり。はげみてもなをはげむべきは、しゆふくしゆざうのぜんごん、ぎやうじてもなほぎやうずべきは、りやくけちえんのしらうなり」とおもひけるが、ただしじりきざうえいの事はいかでかかなふべきなれば、ちしきほうがにてじんごじをつくらむといふ、だいせいぐわんをおこしつつ、じつぱうのだんなをすすめありきけるほどに、ゐんのごしよ、ほふぢゆうじどのへまゐりて、ごほうがあるべきよし申けるほどに、をりふしぎよいうの程
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にて、そうしやもごぜんへまいらず、まうしいるる人もなかりければ、ごぜんのぶこつとは思わで、人のうたてきにてこそあれとおもひける故に、てんぜいのふたうの者の、しかもものぐるはしきにてありければ、つねのごしよのおつぼの方へすすみ入て、だいおんじやうをはなちて、「だいじだいひの君にてまします。たかをのじんごじにごほうがさうらへよ」と申けるおほごゑに、てうしもはとぞきようさめにけり。やがて腰よりくわんじんちやうをとりいだし、高らかにぞよみたりける。そのじやうにいはく、
くわんじんそうもんがくうやまひてまうす
ことにきせんだうぞくのじよじやうをかうぶりて、たかをのれいちにいちゐんをこんりふし、にせあんらくのだいりをごんしゆせしめんとこふしさいのじやう
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それしんによくわうだいにして、しやうぶつのけみやうをほどこすといへども、ほつしやうずいえんのくもあつくおほひて、じふにいんえんのみねにたなびきしよりこのかた、ほんうしんれんのつきのひかりかすかにして、いまださんどくしまんのたいきよにあらはれず。かなしきかな、ぶつにちはやくもつして、しやうじるてんのちまたみやうみやうたり。いろにふけりさけにふける、たれかきやうしやうたうゑん[キヤウシヤウタウエン]のまどひをしやせん。いたづらにひとをそしりほふをそしる、あにえんらごくそつのせめをまぬかれんや。ここにもんがく、たまさかぞくぢんをはらひ、ほふえをかざるといへども、あくごふなほこころにたくましくにちやにつくり、ぜんべうまたみみにあざむいててうぼにすたる。いたましきかな、ふたたびさんづのくわけうにかへり、ながくししやうのくりんにまはらんこと。ゆゑにむにのけんぼふせんまんぢく、ぢくぢくにぶつしゆのいんをあかし、ずいえんしじやうのほふ、ひとつとしてぼだいのひがんにいたらずといふことなし。ゆゑにもんがくむじやうのくわんもんになみだをおとして、じやうげしんぞくのけちえんをもよほし、じやうぼんのれんだいにこころをはこびて、とうめうかくわうのれいぢやうをたてんとなり。そもそもたかをは、やまうづたかくして
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じゆぶせんのこずゑをあらはし、たにしづかにしてしやうざんとうのこけをしけり。がんせんにむせんでぬのをひき、れいゑんさけびてえだにあそぶ。じんりとほくしてきやうぢんなく、しせきことむなしくしてしんじんのみあり。ちけいすぐれたり、もつともぶつてんをあがむべし。ほうがすこしきなりとも、たれかじよじやうせざらむや。ほのかにきく、じゆしやゐぶつたふのくどく、たちまちにぶついんをかんず。いかにいはむやいつしはんせんのほうざいにおいてをや。ねがはくはこんりふじやうじゆして、きんけつほうれきごぐわんゑんまんし、ないし、とひゑんきんしんそりみん、げうしゆんぶゐのくわをうたひ、ちんえふさいくわいのゑみをひらかん。いはむやしやうりやういうぎぜんごだいせう、すみやかにいちぶつぼだいのうてなにあそび、かならずさんじんまんどくのつきをもてあそばむ。よつてくわんじんしゆぎやうじやのおもむき、けだしもつてかくのごとし。
ぢしようさんねんさんぐわつ ぴ もんがくけいびやくとぞよみたりける。
そのときのくわんげんにはめうおんゐんのだいじやうだいじんもろながこう、おんびはのやくなり。このひとのおんびはには、くわんかいのてんにんもたびたびあまくだりたまひたりけるじやうずなり。あぜちのだい
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なごんすけかたのきやうは、もみぢといふふえをぞふきたまひける。げんせうしやうまさかたはほうくわんのじやうずなり。ほうくわんとまうすはしやうのふえのことなり。ほうわうのなくこえをききて、れいこうといひけるひと、しやうのふえをばつくりはじめたり。せんじもんとまうすふみに、「めいほうきにあり、はつくにはにはむ」とて、「めいわうのよにはかならずほうわうきたりて、ていぜんのきにすむ」といふほんもんあり。これによつて、このげんせうしやうまさかたつねにまゐりて、つかへたてまつる。けふはめされて、はやくさんじたりけり。すいしやうのくだにわうごんのふくりんおきたるしやうのふえ、わうじきでうにぞしらべたりける。わうじきでうとまうすは、しんのざうよりいづるいきのひびきなり。このざうのねは、ぎやくにおつのねよりたかく、かふのねにあがるあひだ、ひのざうのつちのねにどうず。じゆんにかふのねよりおつのねにさがるときは、はいのざうのこがねのねにどうず。ゆゑにつちのいろをわうとなづく、こがねのいろをじきとなづく。まさにしるべし、つちとこがねとはおんやうのぎにて、なんによさうおうのぎしきなり。ゆゑにほふわうとにようゐんとのおんまへなれば、ゑんまんさうおうのおん
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いのりとて、わうじきでうにしらべたり。またわうじきでうはりよのねなり。これをなづけてきえつの音とす。又はごぎやうの中にはくわど也。ごはうの中にはなんばう也。しやうぢゆういめつのしさうの中にはぢゆうのくらゐ也。ぢゆうの位とは、人のよはひにあつる時は、さんじふいご、しじふいぜんのころ也。さればげんせうしやうも、そのときはさかりすぎてしじふいち也。法皇のおんとしは、もみぢのころに移らせ給たりけれども、いはひ奉りて、なほ夏のけいきにしらべたり。くわさんのちゆうじやうきんたかは、ときどきわごんをかきならして、ふうぞくさいばらをうたいすまし、だいじやうだいじんもろながは、らうえいめでたくせさせ給。すけかたのきやうのしそく、すけときのあつそん、ひやうしをとる。しゐのじじゆうもりさだのあつそん、いまやうとりどりにうたひなむどして、しんかんにめいじておもしろかりければ、しやうじゆもたもとをひるがへし、天人も雲にのりたまふらむとぞ、みのけいよだち
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ておぼえける。さればじやうげかんるいををさへて、ぎよくれんきんちやうれいれいたり。ぎよかんにたへさせ給わずして、法皇も時々はしやうがせさせおわしまし、つけうたなむどあそばして、きようにいらせたまひたりけるに、このもんがくがくわんじんちやうのおんじやうに、てうしもそれ、ひやうしもたがひて、人々皆きようさめにければ、法皇たちまちにげきりんわたらせ給て、「こはなにものぞ。きくわいなり。ほくめんのともがらはなきか。しやそくびつきさうらへ」とおおほせくだされければ、なにごとがな、事にあひてかうみやうせむと思たるものども、そのかずおほかりければ、我も我もとはしりかかる。そのなかにへいはんぐわんすけゆき、さうなくくびをつかむとて、はしりかかりたりけるを、もんがくくわんじんちやうをとりなほして、えぼしをうちおとして、しや胸つきて、のけさまにつきたをしてけり。すけゆきはなちもとどり
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にて、おめおもとおほゆかの上へにげあがる。北面のものども、われもわれもとはしりかかりければ、文学ふところより、しちすんばかりなる刀の、つかに馬のをまきたるが、氷なむどのやうなるを、さらとぬきて、よりこん者をつかむとまちかけたり。たけしちしやくばかりなるだいほふしの、すぐれたるだいぢからのこころたけきが、右手には刀をもちて、左手にはくわんじんちやうをささげてくるひまはりければ、さうのてに刀をもちたるやうにぞみへける。おもひよらぬにはかごとにてはあり、ゐんぢゆうさうどうす。くぎやうてんじやうびと、「こはいかにこはいかに」とたちさわぎたまひければ、ぎよいうのせきもそれにけり。くないはんぐわんきんとも、「からめよといふおんけしきにてあるぞ。すみやかにまかりいでよ」と云けれども、すこしもしひず。「ただいままかりいでては、いづくにてたれにこのことをまうさんぞ。さてあらんずるやふに、いのちをごしよのうちにてうしなふとも、じんごじにしやうをよせられざらむには、いつさいにまかり
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いづまじきものを」とぞしかりける。あんどううまのたいふみぎむねがたうしよくの時、むしやどころにさうらひけるが、たちをとり、はしりむかひたり。もんがくすこしもひるまず、よろこびてかかる所を、右の肩をくびかけて、たちのみねにてつよくうちたりけるに、うたれてちとひるむやふにしける所を、たちをすててくみてふす。もんがくいだかれながら、みぎむねがこがひなをつく。つかれながらしめたりけり。そののちぞ、ものどもかしこがをに、ここかしこよりはしりいでて、てとりあしとり、はたらく所をばかくかくうてどもはれども、すこしもいたまず、なほさんざんのあつこうをはく。もんぐわいへひきいだして、すけゆきがしもべにたびてけり。もんがくひつぱられてたちたるが、ごしよのかたをにらみつめて、「ほうがをこそし給はざらめ、文学にからきめをみせ給つるほうたふは、おもひしらせ申さんずるぞ」と、をどりあがりをどりあがり、
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みこゑまでぞののしりける。資行はえぼしうちおとされて、はぢがましくて、しばらくはしゆつしもせざりけり。みぎむねはぎよかんにあづかりて、べちのこうにをさまりにけり。たうざにいちらふをへずして、うまのかみにめしおほせられけるこそ、ゆみやとるもののめんぼくとみへけれ。もんがくはごくしやにいれられにけり。されどもいつさいこれをだいじともせず。そのころ、しやうさいもんゐんのほうぎよにて、ひじやうのだいしやをおこなはれければ、やがていだされにけり。しばしはひきこもりてあるべけれども、なほもへらず、もとのごとくにすすめありきけり。さらばただもなくて、「このよの中は只今に乱れて、君も臣も皆ほろびなむずるものを」など、さまざまのくわうげんはなちて、いまいましき事をぞいひありきける。むじやうのさんといふものをつくりて、「さんがいはみなくわたくなり。わうぐうもそのなんをのがるべからず。じふぜんのわうゐに
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ほこりたぶとも、くわうせんのたびにいでなふ後は、ごづめづの杖にはさいなまれ給わふずらふは」とて、ゐんのごしよをとざまにはにらみてとをり、かうざまにはにらみてとをりけるあひだ、「なほきくわいなり」といふさたありて、「めしとりてをんるせよ」とて、伊豆の国へぞ流しつかはされける。
五 げんざんゐにふだうのいまだうたれぬ時なりければ、しそくいづのかみなかつな、ゐんぜんをうけたまはりて、らうどうわたなべのはぶくがぐしてくだるべかりけるを、をりふしこくじんこんどうしちくにひらがしやうらくしたりけるに、ぐしてつかはす。「とうかいだうを船にて下るべし」とて、いせのくにへひきいてくだる。はうべんりやうさんにんつけられたりけるが、申けるは、「ちやうのしもべのならひ、かやうの事につけてこそ、おのづからえ
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こもあれ。さやふの事のあればこそ、又はうじんも当り奉る事にてあれ。いかにこれほどの事にあひてくだりたまふに、しかるべきだんをつなどはもち給はぬか。くにのとさん、道のらうれうなむどをもこひ給へかし。かやうの時よりこそ、たがひのこころざしもあらわるれ」なむど云ければ、もんがく、「人はおほくしりたれども、ひがしやまにこ〔そ〕よきとくいは持ちたれ。ふみつかはさむ」と申ければ、これらよろこびて、紙をもとめてえさせたりければ、「かかる紙にてふみ書きたる事おぼえず」とて、なげかへしてけり。すぎはらをたづねてえさす。そのとき人をよびて文をかかす。「もんがく、たかをのじんごじをしゆざうとげむと云だいぐわんをおこして、すすめさうらひつるほどに、きこしめしてもさうらふらむ、かかるあくわうのよにしもうまれあひて、しよぐわんをこそはたさざらめ、あまつさへきんごくせられて、はてにはをんるの罪をかうぶりて、いづのくにへながさる。ゑんろのあひだなり。らうれう
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によほふたいせつに候。このつかひにせうせうたまはりさうらふべし」と、いふがごとくにかきて、「たてぶみのうはがきにはたれへとかくべきぞ」と云ければ、文学おほきにわらひて、「せいすいじのくわんおんばうへとかきたまへ」とぞ申ける。そのときしもべども、「くわんにんどもをあざむくにこそあれ」とて、くちぐちにはらだちければ、文学、「きよみづの観音をこそふかくたのみたれ。さなくてはたれにかはえうじいふべき」とぞまうしける。これにも限らず、文学、なほこのものどもはかりてわらはばやとおもひて、くわんにん多くなみゐたる中にて昼寝をして、そらねごとをぞしたりける。「このほどくわんじんしたりつるようどどもをひとのもとにあづけたりつるは、文学いづへくだりたりとも、その人のとくにもなれかし。さめうじのとりゐのしたにうづめおきたりつるようどどもの、いたづらにくちうせなむずる事よ」とて、ねざめたるけいきをぞしたりける。そのときくわんにんども、うれしき事ききいだし
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たりとおもひて、めをみあはせて、かんじよへたちのきて、「いざさらばほりいだしてみむ」とて、ゆきむかひて、まづ左のとりゐの下をさんじやくばかりほりたりけれども、みへざりけり。「心深き者なれば、浅くはよもうづまじ」とて、いちぢやうばかりほりたりけれども、そうじてなにもなかりけり。「さらば右のとりゐの下にてや有らむ」とて、又堀たりけれども、それもなにもなかりけり。そののちは、「このひじりにたびたびはかられにけり。やすからず」とて、いよいよ深くいましめけれども、文学すこしも痛まず、ことにくわうげんをのみはきけり。さるほどにふねおしいだしてくだりけるに、あるひ、とほうみなるによりて、にはかにおほかぜいできたりて、このふねへうたうせむとす。かこ、かぢとりしばしはろかゐを取て、船をはさみて助けむとしけれども、なみかぜいよいよあれまさりければ、ろかゐをすててふなぞこにたふれふして、こゑをととのへてさけびけり。あるいは観音の
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みやうがうをとなへ、あるいは最後のじふねんにおよぶ。されども文学すこしもさわぎたるけしきなし。既にかうとおぼえける時、文学船のへにたちいでて、をきの方をまもりて、「りやうわうやあるりやうわうやある」とさんどよびて、「いかにこれほどのだいぐわんおこしたる僧の乗たる船をば、あやまたむとはするぞ。ただいまてんのせめをかうぶらむずるりゆうじんどもかな。すいくわらいでんはなきか。とくとくこの風しづめ候へ」と、かうしやうにののしりていりぬ。「れいの又あの入道がものぐるはしさよ」と、しよにんをこがましくききゐたるところに、そのしるしにや有けむ、又じねんにやむべき時にてや有つらむ、すなはちかぜしづまりてけり。そののちはくわんにんら舌をふるひて、いたくなさけなくあたる事もせざりけり。いかさまにもやうありける者にこそ。りやうそうしども文学にとひていはく、「そもそもたうじせけんになるいかづちをこそりゆうわうとしりてさうらふに、そのほかまただいりゆうわうのござさうらふやうにおほせさうらひつるは、いかなる事にてさうらふぞや」。文学
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こたへていはく、「これらになりさうらふやつばらは、大龍王のはき物をだにもえとらぬせうりゆうどもなり。そのはちだいりゆうわうとまうすは、ほつけきやうのどうもんしゆなり。じよほんの中にそのみやうじをあかすに、『なんだりゆうわう、ばつなんだ龍王、しやから龍王、わしゆきつりゆうわう、とくしやかりゆうわう、あなばだつたりゆうわう、まなしりゆうわう、うはつらりゆうわうとう、おのおのにやくかんひやくせんけんぞくとともなり』ととかれたる、これなり。このりゆうわうたちは、おのおのひやくせんのけんぞくをぐして、さうめい三千の底、はちまんしせんぐうのあるじたり。このそらになりてありき候やつばらは、八大龍王のけんぞくのまたじゆうしやの又従者也。そのあるじのはちだいりゆうわうは、もんがくをしゆごせむと申すちかひあり。いはむやせうりゆうらがあんないをしりはべらで、いささかもわづらひをなすでう、あるまじき事にて候也」。りやうそうしかさねてとひていはく、「されば八大龍王は、いかなるこころざしにて、文学ごばうをば守護しまひらせむといふ、ちかひはさうらひけるやらむ」。文学こたへていはく、「むかしぶつざいせの時、八大龍王まゐりて、ほとけのおんためにまうしていはく、『ぶつとくそんかう
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にして、まんとくじざいにましますおんこころに、かなはぬ事やおはします』とまうしし時、仏こたへていはく、『われよくまんとくじざいのみをえたりといへども、心にかなはぬ事にしゆあり。ひとつには、われよにくぢゆうして、法をとき、常にしゆじやうをりやくせばやと思へども、ぶんだんしやうじのならひなれば、百年が内にねはんの雲に隠れむ事、命を心にまかせぬうれひ也。ふたつには、にふねはんののち、もしぜんごんのしゆじやうありといふとも、まわうの為にしやうげせられて、しよぐわんじやうじゆのものあるべからず。そのぜんごんの衆生をたれにあつらふべしとも思わず。これまたおほきなるなげきなり』とのたまひき。時にはちだいりゆうわうざを立て、仏をさんざふして、しやうめんにきたりて、仏のそんがんをせんがうして、さんじゆのだいぐわんをおこしていはく、『ひとつにはわれねがはくは、ぶつにふねはんののち、けうやうほうおんの者を守護すべし。ふたつにはわれねがはくは、仏入ねはんの後、かんりんしゆつけの者を守護すべし。みつにはわれねがはくは、仏入ねはんの
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後、ぶつぽふこうりゆうの者を守護すべし』。このぐわんの心をあんずるに、しかしながらもんがくがみの上にあり。かやうに文学は心そうそうにして、ものぐるはしきやうにははべれども、父にも母にもみなしごにてさうらひしあひだ、親を思ふこころざし、今になをあさからず。つまにおくれて出家入道はすれども、ほんいは只しかうほうおんのだうしんなり。さればはちだいりゆうわうの第一のぐわんにこたへて、しゆごせらるべき文学也。第二のぐわんは、かんりんしゆつけと候へば、十八のとし出家して、今になほさんりんるらうのぎやうにんなり。などか守護し給はざらむや。況や第三のぐわんとは、『ぶつぽふこうりゆうの者をしゆごすべし』とちかひたれば、たうじの文学こそ、仏法興隆のこころざしふかくして、わどのばらにもにくまれ奉れ、八大龍王はあはれみたまふらむ物をや。かかるほふもんしやうげうをさとりたるゆゑに、せうりゆうらなどをば物の数ともぞんぜずさうらふあひだ、『りゆうわうりゆうわう』ともまうし
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はべるなり。さるわどのばらなりとも、親にけうやうする志の深く、入道出家をもしてかんりんにとぢこもり、ぶつぽふこうりゆうをもし給わむには、大龍王にしゆごせられたまふべし。もんがく一人をとちかひたるせいぐわんにはあらず。かまへてとのばら、親のけうやうして、ぶつぽふにこころざしをはこび給べし。こんじやうごしやうのおほきなるさいはひなり。まうしてもまうしても、ほふわうのじやけんこそ、さこそせうこくのあるじと申ながら、けぎたなき人のよくしんかな。だいこくの王はしからず。はかいなれどもびくをうやまひ、むしつなれどもくわんじんにいりたまふ事にてはべるなり。わどのばらもあゐそへて、ぶつぽふそりやくのひとどもとみるぞ。よくよくはからひたまへ。いかに道理をせむれども、もんがくがじやうをしんようし給わぬ事のあさましさに、しんをもとらせたてまつり、法をも悟らせ給へかしとて、はうべんの為に、せうりゆうらをまねきて、ふうはのなんをげんじてさうらひつるぞ。
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さればおのおの皆しんぷくしたまひて、ことのほかにきりてつぎたるれいぎども、誠にあはれにはべるめり。りようのさわぎだにもなのめならず。いかにいわんや、むじやうの風もふき、ごくそつのせめも、きたらむ時には、いさいさしらず。かやうにまうす文学だにもかなふまじ。につぽんのあるじもよもかなひたまわじ。むじやうせそんもにふめつしたまひき。ましてそのほかのいんゐのぼさつ、ていげのぼんぶ、わどのばらまでも、かなふべしともおぼへず。今度文学があくじして、いづのくにへをんるせらるることは、仏のごはうべんとしりたまふべし。いつかうに文学が申さむことばにしたがひて、けふよりのちは、ぶつだうに心をかけて、らいかうのいんぜふをまちたまふべし。いちじゆのかげに宿るも、ぜんぜのちぎりなければかなわず。どうがの水をくむことも、やうごふのえんと伝へ
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たり。いかにいはむや、かくのごときぎやくえんなりといへども、すじつどうぜんのむつびをやしづかにきかるべし。そもそもぶつだうに心をかくるとまうすは、ないしんに常に仏をねんずれば、りんじゆうじゆえんの時にいたりて、さだめてらいかういんぜふし給ふ也。ゆゑにくわんおんせいしあみだによらい、むしゆのしやうじゆをひきぐしたまひて、ぐぜいのふねにさをさして、にじふごうのくかいをわたり、ほうれんだいの上にわうじやうして、ぼだいのひがんにいたり遊ばむ事、たれかはこれをのぞまざらむ。かへすがへすもたのむべし。よくよくねんじたまふべし」と、かしこき父のおろかなるこを教ふるやふに、おなじふねなれば、かたときもたちはなるる事はなし。ふしても教へ、おきてもこしらふ。事にふれ、物にしたがひてぞ、けうくんしける。かやふにをりをりにしたがひて、しゆつりせむえうろをけうかいせられて、はう
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べんの中に、しやうねんにじふさんになりける、ぎやうぶのじよう、かけのあきずみと云ける男、ほつしんしてもとどりをきりて、もんがくが弟子になりにけり。文学これをみて、「誠にほんい也」とて、やがてかいさづけて、ざいぞくのなのりのいちじをとり、わがなのかたなを取て、なをばもんみやうとぞつけたりける。そのほかのものどもは、文学がことばをきくときばかりはだうねんのここちにおもむきけれども、しゆつけとんぜいするまでの事はなかりけり。このもんがくはてんぐの法をじやうじゆしてければ、ほふしをばをとこになし、男をば法師になしけるとかや。文学船に乗ける処にて、天にあふぎてちかひけるは、「われさんぼうのちけんにこたへて、ふたたび都へ帰りて、ほんいのごとくじんごじをざうりふくやうすべくは、ゆみづをのまずとも、げちやくまで命をまつたくすべし。
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わがぐわんじやうじゆすまじきならば、けふよりなぬかが内にいのちをはるべし」とちかひて、おんじきをだんず。くわせけれども、くちのへんへもよせず。卅一日といふに、いづのくににくだりつきにけり。そのあひだゆみづをだにものまず。ましてごこくのたぐひはいふにおよばず。されどもいろかすこしもおとろへず、ぎやううちしてありければ、文学は昔よりさるいかめしき者にて、みのほどあらはしたりし者ぞかし。そのかみだうしんをおこして、もとどりを切て、かうやこかは、山々寺々しゆぎやうしありきけるが、
六 あるときはだしにてごこくをたちてくまのへまゐり、みつのやまのさんけいことゆゑなくとげて、なちの滝に七日だんじきにてうたれむといふ、ふてきのぐわんをおこしけり。ころは十二月の中旬の事なりければ、ごくかんのさいちゆうにて、谷の
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つづらもうちとけず、まつふくかぜもみにしみて、たへがたくかなしきこと、既に二三日もなりければ、ひとつみゐてこほりて、ひげにはたるひと云者さがりて、からからとなる程なりしかども、はだかにて有ければ、こほりつまりて、わづかにいきばかりかよへども、のちにはわづかにかよひつる息もとまりて、すでにこのよにもなき者になりて、なちのたきつぼへぞたふれいりける。滝のおもてにて、もんがくをひたととらへてたてり。又わらは二人きたりて、さうのてとおぼしき所をとらへて、文学がくびよりあしてのつまさきまで、しとしととなでくだしければ、いてこほりたりつるみも皆とけて、もんがくひとごこちつきていきいでにけり。文学息の下にて、「さてもわれをとらへて、なでたまひつる人は、たれにて渡らせたまひつるぞ」ととひければ、「いまだしらずや、われはだいしやうふどうみやうわうのおん
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つかひに、こんがら、せいたかといふ、二人のどうじのきたるぞ。おそるるこころあるべからず。なんぢこのたきにうたれむといふぐわんをおこしたるが、そのぐわんをはたさずしていのちをはるを、みやうわうおんなげきあつて、『このたきけがすな。あの法師よりて助けよ』とおほせられつる間、われらがきたるなり」とて帰り給へば、文学、「不思議の事ごさむなれ。さるにてもいかなる人ぞ。よの末のものがたりにもせむ」とおもひて、たちかへりてみければ、十四五ばかりなる、あかがしらなるどうじ二人、雲をわけてのぼりたまひにけり。もんがくおもひけるは、「これほどにみやうわうのまもりたまわんには、このついでにいまさんしちにちうたれむ」といふぐわんをおこして、すなはち又うたれけり。そののち文学がみには水ひとつもあたらず。まれにもれてあたる水はゆの如し。かかりければ、いくかいくつきうたるとも、いたみとおもふべきにあらずとて、おもひのごとく三七
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日うたれにけり。つひにしゆくぐわんをとげたりし文学なれば、さも有けむとぞ、きくひとみなおそれあひける。
(七) かくていづのくににくだりつきてさいげつをへけるほどに、ほうでうひるがしまのかたはらに、なごやがさきといふところに、なごやでらとて、くわんおんのれいちおはします。もんがくかのところへ行て、しよにんをすすめてさうだうを
いちうつくりて、びしやもんのざうをあんぢして、平家をしゆそしけり。「われゆるされをかうぶらざらむかぎりは、あからさまにも里へいでじ」とちかひて、おこなひすすまし[* 「す」一つ衍字]てぞ侍りける。ぎやうぼふくんじゆのこうつもり、だいひせいぐわんののぞみふかし。昼はひねもすにせんじゆきやうをよみ、夜はよもすがらさんじのぎやうぼふをこたらず。人これをあはれみて、おりおりいしやうなむどを送れ
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ども、うけとる事はまれなり。なにとしてときのれうなむどもあるべしとはおぼへねども、どうじゆくなどもあまたあり。ゆゑにをちこちびとのたびびとは、ろだんのけぶりに心をすまし、いそべのあまのかぢまくら、とうろの光に夢もむすばず。ちどり、しろかもめ、よぶこどり、せんぼふの声にともなひて、ぶつぽふそうともなりぬべし。かいじん、ぎよをうのすなどりも、ずいきのたもとに露をそそき、とうがんせいがんのいろくづは、しんれいのこゑにうかみぬべし。りやうぜんじやうどのしやうじゆも、常にはこれにやうげんし、じゆぶけいそくのほらの内も、おもひやられてあはれなり。かかりければ、いづのくにのもくだいをはじめ、こくちゆうのじやうげしよにん、ことごとくしんがうのかうべをかたぶけて、ずいきのあなうらを運び、きえのおもひをなして、ざいせのたくはへを送る。しかりといへども、文学まつたくせけんをへつらひ、うき
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みを渡らむとする事なかりければ、わづかにしんみやうをつぎて、うゑをのぞくばかりのほかはとどめずして返しけり。まことにそれ文学がなくがぎやうぼふのくりきに、ほうおんしやとくのためならば、あくごふぼんなうもきへはてて、むしのざいしやうたえぬべく、げんぜあんをんのいのりならば、さんさいしちなんをとほくしりぞけて、じゆふくをひさしく心にまかせつべし。きせいもぶついにさうおうし、しよぐわんもわがみにじやうじゆすらむと、たつとかりけるぎやうぎなり。かくのごとくおこなひすまして有ければ、かのみだうにもくだいらがさたとして、さんじふよちやうのめんでんをよせたりけるが、今にあるこそいみじけれ。このだうのそばに又ゆやをたてて、一万人によくす。あるとき、をりえぼしにこんのこそでふたつきて、白きこばかまにあしだはきて、くろうるしののだちわきにかひはさみて、つゑつきたる男一人きたりて、ゆやのさうをみ
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まはす。もんがくはめももてあげず、釜の火たきてゐたり。又たかしこかひつけて、黒ぬりの弓持たるくわんじやひとりきたる。さきにきたりつる人のげにんとおぼしくて、ともにあり。こわらはべども、「ひやうゑのすけどのこそおわしたれ」といひてささやくめり。そのとき、さてはきこゆる人にこそとおもひて、やわら顔をもてあげてみければ、かのひと湯にをりぬ。共にあるをとこきたりて、「や、ごばう、湯のしゆぐわんとかやして、人にあむせまひらせよ」といへば、「かやうのこつじきほふし近く参らむもおそれあり。かひげに湯をくみてたべ。ここにてともかくもしゆぐわんのまねかたせむ」といひければ、いふがごとくにして湯をあびらる。いまだよじんはよらず、ともの男は文学がそばにゐて、ひにあたる。もんがくしのびやかに、「これはながされておわしまするなるひやうゑのすけどのか」ととひければ、男にがわらひて物
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もいわず。文学、「ころぞこの入道がさうでんのしゆうよ」といひける時、男申けるは、「しゆうならばみしりたてまつりたまひたるらむに、事あたらしくとひたまふものかな」と云ければ、文学申けるは、「そよ、このとのをさなくおわしまししほどはみやづかへき。かやうにこつじきほふしになりてのちは、くにぐにまどひありくほどに、まゐりよる事もなし。よにをとなしくなられたり。人はなのりのよかるべきぞ。よりともといふなのよきぞ。たいしやうぐんのさうもおわすめり。君に申て、きせんじやうげあつまるゆやなむどへは、いでたまふらめ。人はおくぢあるこそよけれ。法師とてもかたきにてあらむはかたかるべきか。人にくびばしきられうとて、ふかくの人かな」と云ければ、このをとこ「不思議のひじりのひたごころかな」と思へども、とかくいふにもおよばずして、「あまりざふにんおほくさうらふに、はやあがらせ給へ」と、しゆうをすすめてたつところに、このよしをしゆうに
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ささやきたりけるにや、この男たちかへりて、「里にいでたらむ時には、かならずたづねておわせよ」と、文学が耳にささやきければ、「そよや、殿くだりはてばげんざん
にいらばやとおもひしかども、さすが事しげく、すいさんせむもこちなくてまかりすぎつるに、今日のびんぎに御目にかかりぬる事こそうれしけれ。ひまには必ずまゐるべし。さきに申つるそぞろごと、くちよりほかへもらしたまふな」とぞ云ける。そののちひやうゑのすけははづかしくおぼしければ、かのゆへはおわせず。みそかばかりすぎて、文学さとにいでたりつるついでに、さらぬやうにて兵衛佐のもとへたづねきたりて、すけほつけきやうよみてゐられたる所へ、いれられたりければ、文学てをすりて、「もつともほんいにさうらふ。たつとくさうらふ」とて、さめざめとなく。酒、くわしていの物とりいだしてすすめられてのち、「さてごばう、けふはしづかにゐて、せけんのものがたり
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してあそび給へ。つれづれなるに」とのたまひければ、文学、兵衛佐のひざちかくゐよつて申けるは、「はなはひととき、ひとはひとときとまうすたとへあり。平家はよのすゑになりたりとみゆ。だいじやうにふだうのちやくし、こまつのないだいじんこそ、はかりこともかしこく、心もかうにて、父のあとをもつぐべき人にておわせしか。せうこくにさうおうせぬ人にて、父にさきだちてうせられぬ。そのおととどもあまたあれども、うだいしやうむねもりをはじめとして、いうじやくばうのひとどもにて、一人としてにつぽんごくのたいしやうぐんになりぬべき人のみへぬぞや。とのはさすが末たのもしき人にておわする上、かううんのさうもおわす。たいしやうになりたまふべきさうもあり。さればこまつどのにつぎて、わどのぞ日本国のあるじとなりたまふべき人にておわしける。今は何事かはあるべきぞや。むほんおこして、日本国のたいしやうぐんになり給へ。ふその恥をもきよめ、君のおんいきどほりをもやすめ
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奉り給へ。かつうは、『てんのあたへをとらざれば、かへりてそのとがをうく。こといたりておこなはざれば、かへりてそのわざはひをうく』と云ほんもんあり。もんがくはかくいやしげなれども、くつきやうのさうにんにて、左のまなこはだいしやうふどうみやうわうのおんまなこなり。右のまなこはくじやくみやうわうのおんまなこなり。人のくわほうしりて、につぽんごくをみとほす事は、たなごころをさすが如し。今も末も、すこしもたがはず。いかさまにも殿をばだいくわほうの人とみまうすぞ。とくとくおもひたち給へ。いつをごしたまふべきぞ」と、はばかる所もなく、こまごまと申ければ、すけおもはれけるは、「このひじりは、心深くおそろしき者にて流さるる程の者なれば、かくかたらひよりてもろくあひしたがはば、頼朝がくびを取て、平家にたてまつりて、おのれが罪をのがれむとてはかるやらむ」と、おもはれければ、すけのたまひけるは、「さんぬるえいりやくぐわんねんの春のころより、いけどののあまごぜん
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に命をいけられたてまつりて、たうごくにぢゆうして、すでに廿余年を送りぬ。いけどのおほせらるるむねありしかば、まいにちほつけきやうをにぶよみたてまつりて、いちぶをばいけのあまごぜんのごぼだいにゑかうし奉り、一部をばぶものけうやうにゑかうするほかは、又ふたついとなむ事なし。ちよくかんの者は、ひつきの光にだにもあたらずとこそまうしつたへたれ。いかでかこのみにてさやうの事をばおもひたつべき」と、ことばにはのたまひけれども、しんぢゆうには「なむはちまんだいぼさつ、いづはこねりやうじよごんげん、ねがはくはしんりきをあたへ給へ。たねんのしゆくばうをとげて、かつうはくんしんのおんいきどほりを休め奉り、かつうはばうふがそくわいをとげむ」とこころざしふかければ、「ひろつね、よしあきいげのつはものにちぎりて、ひまをうかがふものを」とおもはれけれども、もんがくにはうちとけざりけり。ややひさしくものがたりして、文学帰りぬ。又四五日ありて、文学きたりければ、すけいであはれたり。「いかに」とのたまへば、
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文学ふところより、白きぬのぶくろのもちならしたるが、中にものいれたるをとりいだしたりければ、すけ、なにやらむとあやしくおもはれけるに、もんがくまうしけるは、「これこそはとのの父のこしもつけどののかうべよ。いんじへいぢのらんの時、さのごくもんのあふちの木にかけられたりしが、ほどへてのちにはめもみかけず、このもとにおちてありしを、これへながさるべしと、かねてききたりし時に、としごろみ奉りたりしほんいもあり、又よはやうある物なれば、おのづから殿にまゐりあふことあらばたてまつらむとて、ごくあづかりのしもべをすかしてこひとりて、ぢきやうとともにくびにかけて、人目にはわがおやのかうべをたくはへたるやうにて、京をながされていでし時、いかにもしてよをとらむひとをだんをつにして、ほんいをとげむとおもひしこころざしの深さをさんぼうにいのりて、声をあぐ。『わがぐわんじやうじゆせよ』とをめきさけびて、物もくわ
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でありしかば、みきくひとは皆、『文学にはてんぐのつきて、物にくるふか』などまうしあいたりき。今はそのぐわんみちぬ。さればにや、とのよにおわして、このほふしをもかへりみ給へ。このれうにこそ、としごろたくわへもちてはべりしか。ねんぶつどきやうの声は、こんばくにきこへて、めつざいの道となられぬらむ」とて、さめざめとなきければ、「『人の心をひきみむれうに、何となくいふか』とおもひたれば、まめやかにこころざしのありける事のあはれさよ。さだめてこのよひとつのことにてはあらじ」とおもはれければ、いちぢやうはしらねども、父のかうべときくより、なつかしくおぼへて、ひたたれの袖をひろげて、なくなくうけとりて、きやうぎの上にならべて、わがみをうちおほひて、「あはれなりけるちぎりかな」とて、涙をぞうかべられける。のちにこそはかりことともしらせけれ、そのときはまこととおもはれければ、おのづからそののちはうちとけられにけり。「又」とちぎりて、文学帰りぬ。さて
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かのかうべを箱にいれて、ぶつぜんにをきて、ひやうゑのすけちかはれけるは、「まことにわがちちのかうべにておわしまさば、よりともにみやうがをさづけ給へ。頼朝よにあらば、すぎにし御恥をもきよめ奉り、ごしやうをもたすけ奉らむ」とて、ぶつきやうにつぎては、花をきようしかうをたきて、くやうぜらる。そののち文学又きたりければ、すけたいめんして、「さてもいかがしてちよくかんをゆりさうらふべき。さなくはなにごともおもひたつべくもなし。いかさまにも道ある事こそ、しじゆうもよかるべけれ。さてもとうくらうもりながをともにて、みしまのやしろへややいつせんにちのひまうでをせしに、一千日にまんぜし夜、つやしたりし夜の夢に、みしまの東のやしろより、なを東へいつちやうばかりへだてて、第三の前に大なるたかきあり。そのわうじの所をなほ東へいつちやうばかりゆきて、又おほきなるははそのきあり。このき二本があひだ
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に、くろがねのつなをはりて、あけのいとをすがりにして、平家の人々の首をかけならべたりしとみたれば、いかなるべき事やらむ」なむど、まめやかにのたまひければ、「そのことあんじたべ。京へのぼりてゐんぜんまうしてたてまつらむ」。「そのみにてやはかかなふべき」。もんがくまうしけるは、「院のきんじゆしやに、さきのうゑもんのかみみつよしのきやうといふひとあり。かのじんにないないゆかりありて、としごろまうしうけたまはることあり。かのじんのもとへひそかにまかりて、このよしをまうすべし。ものぐるはしくいづちともなくうせたるものかなとおぼすな。かやうのにふだうほふしはふるまひやすき上、『さんしちにちのぢやうにいる事あり。そのあひだは人にもたいめんもすまじきよしをひろうせよ』とて、弟子にまうしおきて、いそぎのぼるべし」なむど、さまざまにちぎりていでぬ。やがて京へのぼる。
八 そのときゐんはふくはらのろうのごしよにわたらせたまひけるに、夜にまぎれてみつよしのきやう
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のもとへ行て、人にもしられず、ある女をもつて、ひそかにふみをつかはしたりければ、みつよしのきやうげんざんしたまひて、「さてもさても夢のやうにこそおぼゆれ。いかにいかに」ととはれければ、文学近くさしよりて、「やぶにめ、壁に耳ありといふこと、いとしのびてまうしあはすべき事ありて、わざと人にもしられず、夜にまぎれてまゐりてさうらふなり」といひ、ささやきけるは、「伊豆国にさうらふ、ひやうゑのすけよりともこそ、院のかくて渡らせたまふことをばうけたまはり、なげきて、『ゐんぜんだにもたまはりたらば、とうはつかこくのけにんあひもよほして京へうちのぼりて、君のおんかたき平家をばやすくほろぼして、げきりんをもやすめ奉り、人々のなげきをもしづめてむ物を』とまうしさうらへば、だいみやう、せうみやう一人もしたがわぬ者なし。このやうをひそかにほふわうに申させ給へ」と云ければ、みつよしのきやう、「まことに君もかくうちこめられさせたまひて、よのまつりごとをもしろし
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めさず。我もさんぎ、うひやうゑのかみ、くわうだいこうくうのごんのだいぶ、さんくわんをみなながら平家にとどめられて、心うしとおもひなげきゐたり」とおもはれければ、「いかさまにもひまをうかがひておんけしきをとるべし。かくのたまふもしかるべきことにてこそ有らめ。今二三日のほどはこれにおわせよ」とて、そのよもあけぬ。つぎのあしたみつよしのきやうゐんぜんせらる。ゆふべに帰て、「かのことしかるべきひまなくて、いまだそうせず也」とありけれども、もんがくなほかたすみにかがまりゐたり。つぎのひまゐりたまひて、よふけていでられたり。おんゆるされやありけむ、ゐんぜんを書てたまはりたりけるを、文学たまはりて、くびにかけて、よるひる五ケ日いづのくにへはしりくだりて、ひやうゑのすけにたてまつりたりければ、てあらひ、くちそそいで、ひもさして、ゐんぜんをみたまふに、そのじやうにいはく、
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はやくきよもりにふだうならびにいちるいをついたうすべきこと
みぎかのいちるいは、てうかをいるかせにするのみにあらず、しんゐをうしなひぶつぽふをほろぼし、すでにぶつじんのをんできたり、かつうは、わうぼふのてうてきたり。よつてさきのうひやうゑのすけみなもとのよりともにおほせて、よろしくかのともがらをついたうして、はやくげきりんをやすめたてまつるべきじやう、ゐんぜんによつて、しつぽうくだんのごとし。
ぢしようしねん七月六日 さきのうひやうゑのかみふぢはらのみつよしがうけたまはり
さきのうひやうゑのすけどのへとぞかかれたりける。兵衛佐このゐんぜんをみ給て、なくなく都のかたへむかひて、はちまんだいぼさつををがみたてまつり、たうごくにはいづ、はこねにしよにぐわんをたてて、まづほうでうのしらうにのたまひあはせて、おもひたち給へり。石橋のかつせんの時も、しらはたの上にこのゐんぜんをよこさまにむすびつけられたりけるとぞきこへし。
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おなじくゐんぜんのいほんにいはく。
きやうねんよりこのかた、へいじわうくわをないがしろにして、せいたうにはばかることなく、ぶつぽふをはめつし、てうゐをかたぶけむとほつす。それわがてうはしんこくなり。そうべうあひならびて、しんとくこれあらたなり。ゆゑにてうていかいきののち、すせんよさいのあひだ、ていいうをかたぶけ、こくかをあやぶむるもの、みなもつてはいぼくせずといふことなし。しかればすなはちかつうはしんたうのみやうじよにまかせ、かつうはちよくせんのしいしゆをまもりて、へいじのいちるいをちゆうし、てうかのをんできをしりぞけて、ふだいきゆうせんのへいりやくをつぎ、るいそほうこうのちゆうきんをぬきんでて、みをたていへをおこすべしてへれば、ゐんぜんかくのごとし。よつてしつたつくだんのごとし。
ぢしようしねんしちぐわつ ぴ さきのうひやうゑのかみざいはん
さきのひやうゑのすけどのうんうん
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九 ひやうゑのすけながされたまひてのち、にじふいちねんとまうすに、このゐんぜんをたまはりて、ほうでうのしらうとさまさをまねきよせて、「へいけをついたうすべきよしのゐんぜんをたまはりたるが、たうじ、せいのなきをばいかがはすべき」とのたまへば、ときまさまうしけるは、「とうはつかこくのうちに、たれかきみのごけにんならぬものはさうらふ。かづさのすけはちらうひろつね、へいけのごかんだうにて、そのしそくやましろのごんのかみよしつね、きやうにめしこめられさうらひつるが、このほどにげくだりてようじんしてさうらふとうけたまはる。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたね、みうらのすけよしあき、このさんにんをかたらはせたまへ。このさんにんだにもしたがひつきまゐらせさうらひなば、とひ、をかざき、ふところじまは、もとよりこころざしおもひたてまつるものどもでさうらへば、まゐりさうらはんずらむ。もしきみをつよくせきまひらせさうらはむずるは、はたけやまのしやうじじらうしげただ、おなじくいとこいなげのさぶらうしげなり、これら
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がちちはたけやまのしやうじしげよし、おなじくしやていをやまだのべつたうありしげ、兄弟二人、平家につかへて、京に候へば、つよきかたきにてさうらふべし。さがみのくににはかまくらたうおほばのさぶらうかげちか、さんだいさうでんのごけにんにてさうらへども、たうじへいけのだいごおんのものにてさうらふあひだ、きみをそむきたてまつるべきものにてさうらふ。ひろつね、つねたね、よしあき、これらさんにんだにもまゐりさうらひなば、につぽんごくはおんてのしたにおぼしめすべしとまうしければ、そのことばまことあつて、そのべんぜつありければ、よりともふかくしんじてけり。ときまさもしてんをしるときか、はたまたつはものをうるほふか、そのことばひとこととしてたがふことなかりけり。むかししんの、ぶん、ほくていのことばをしんじて、もつてゐをふるつておどろかし、せいのくわん、くわんちゆうのはかりことをもちゐて、もつててんがをただしうせりき。いまよりとも、ときまさと、がつたいをどうしんして、はかりことをほうちやうのうちにめぐらさば、うがふぐんぼうのぞく、てをくんもんにつかね、かつことをてうさいのほかにけつし、
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らうれいほんぎやくのともがら、かうべをきやうとにつたへ、てんがへいていをとげて、かいだいながくいつかいせり。まことなるかな、そのひとをえてすなはちそのくにもつておこり、そのひとをうしなひてすなはちそのくにもつてほろぶ」といへることは。兵衛佐のたまひけるは、「ゐんぜんをたまはりぬるうへは、ひつきをおくるにおよばず。やがてけふあすにもと、いそぎたくはそんずれども、きたる八月十五日いぜんにはいかにもおもひたたじとおもふなり。それはいかにといふに、こんみやうむほんをおこしてかつせんをするならば、しよこくにいははれまします、はちまんだいぼさつのごはうじやうゑのために、さだめてゐらんとなりなむず。しかればかのはうじやうゑいご、しづかにおもひたつべし」とのたまひければ、時政「もつともしかるべし」とて、つきひのすぎゆくをまちたまひけるほどに、八月九日、おほばのさぶらう京より下りたりけるが、ささきのさぶらうひで
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よしをよびて申けるは、「をさだのにふだう、かづさのかみがもとへ、『いづのひやうゑのすけどのを北条四郎、かもんのじよう、ひきたてたてまつりて、むほんをおこさんとしたくつかまつるよしうけたまはる。いそぎめしあげておきのくにへながされ候べし』といふふみをつかはしたりけるを、かづさのかみとりいだして、かげちかにみせさうらひしかば、『かもんのじようはやしにさうらひにき。北条四郎はさもさうらふらむ』とまうしたりしかば、『いかさまにも、大政入道殿の福原よりのぼらせたまひたらむに、みせまいらせむとて、めいかきておきさうらひき。このたびたかくらのみやのみゐでらにひきこもらせたまひてのちは、国々の源氏一人もあらすまじ』とさうらひしかば、よもただには候わじ」とぞかたりける。ひでよしあさましとおもひて、いそぎしゆくしよに帰りて、「かげちかかかる事をこそかたりまうしつれ」と、いづへつげまうさむとしけるに、「三郎はかんだうの者也。二郎は
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いまだすけどののみしりたまわず。たらうゆけ」とて、しもつけのうつのみやに有けるたらうさだつなをよびて、ほうでうに参てまうすべきやうは、「おんふみはおちちる事もぞ候とて、わざと定綱を参らせ候。ひごろないないごだんぎさうらひし事を、かげちかもれききたりげに候ぞ。おぼしめしたたばいそがるべし。さなくはとくしてあうしうへこえさせ給へ。これまではとうくらうばかりをぐしてわたらせ給へ。こどもをつけておくりまうすべし」とて、つかはしけり。十二日、さだつなかへりきたりて、「このことくはしくまうしてさうらひしかば、『よりとももさきだちてききたるなり。めしにつかはさむとおもひつるに、たれしていふべきともおもひわづらひて有つるに、しんべうにきたり。さらばやがてこれにゐるべし』ととどめたまひつれども、『いそぎまかりかへりて、おととどもをもぐし、もののぐをも取てまゐりさうらわむ』とまうししかば、『さらばよしきたらむ。人にもきかれなむず』とのたまひければ、さまざまのちかごと
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をたてさうらひしかば、『さらばとくかへりて、十六日にはかならずきたれ。なんぢらをまちつけて、伊豆のものどもをぐして、かねたかをばうたむずるなり。ただし二郎はしぶやのしやうじがむこにて、こにもおとらずおもひたむなれば、よもくみせじ。三郎ばかりをぐせよ』とさうらひし」と申ければ、じらうつねたか是をききてまうしけるは、「三郎にも四郎にもなつげたまひそ。それらはいかにもおもひきるまじき者也。兵衛佐殿さ程のだいじをおもひたちたまふに、人をばしるべからず、つねたかにをきてはぜんあくまゐるべし」と申ければ、さらばとて、やがてさがみのはだのに有ける三郎もりつながもとへ、ししやをはしらかす。四郎たかつなは、きんねん平家にほうこうして有けるが、兵衛佐むほんのくはたてあるよしきこへければ、うきぐもにむちをあげてとうごくへはせくだりて、たらうがもとにかくれゐたりけるがもとへも、おなじく使
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者をぞつかはしける。つつむとすれども、かげちかこれをつたへききて、「いかがすべき」と、こくちゆうのひとびとにいひあはするよしきこへけり。さる程に佐々木のものども兄弟四人はせあつまりて、夜中にほうでうへ行けるに、二郎つねたかがしうとしぶやのしやうじ、人をはしらかしてつねたかに申けるは、「いかに人をまどはさむとはするぞ。ことひとどもはゆけども、経高ひとりはとどまるべし」といひつかはしたりければ、経高申けるは、「こと人々こそ、恩をもえたれば、だいじともおもふらめ。経高はさせるみえたる恩もなければ、さらに大事とも思わず。かくいふにとどまらずは、さいしをとつていかにもこそはなさむずらめ。おもひきりていづることなれば、まつたく妻子の事心にかからず。さりともすけどのよをとりたまはば、経高が妻子をばたれかはとりはつべき」と、さんざんにへんたふして、うちとほりぬ。
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十 さるほどに十六日にもなりにけり。ひやうゑのすけ、ほうでうのしらうをめしてのたまひけるは、「ひごろつきひのたつをこそまちつれば、こよひ、へいけのけにんたうごくのもくだい、いづみのはんぐわんかねたかがやまきのたちにあむなるを、よせてようちにせむとおもふなり。もしうちそんじたらば、じがいをすべし。うちをほせたらば、やがてかつせんをおもひたつべし。これをもつてよりともがみやうがのうむは、わびとどもがうんふうんをばしるべし。ただし佐々木のものどもが、さしもやくそくしたりしが、いまだみへぬこそほいなけれ」とのたまふ。ときまさまうしけるは、「こよひはたうごくのちんじゆみしまのだいみやうじんのじんじにて、たうごくのうちにゆみやをとることさうらわず。かつうは佐々木のものどもをもまたせたまへ。きちにちにてもさうらふ、あすにて候べし」とていでにけり。さるほどに、ささきのきやうだい十七日ひつじのときばかり、ほうでうへはせつきたりければ、ひやうゑのすけどのは
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あはせのこそでに、あゐずりのこばかまき給て、えぼしをして、ひめぎみのふたつばかりにやをわしけむ、そばにをきておわしけり。これらがきたる事みたまひて、よにうれしげにおぼして、「いかに、つねたかは。しぶやがあさからずおもひたむなれば、よも参らじとおもひつるに、いかにしてきたるぞ」とのたまひければ、「千人のしやうじを、きみひとりにおもひかへまゐらせさうらふべきにさうらわず」とまうしければ、「さほどに思はむ事は、とかくいふにおよばず。頼朝がこのことをおもひたたば、わびとどもがよとはしらぬか」とのたまひければ、「ただいまよをよならぬ事までは思候わず。ただかほどの大事をおぼしめしたたむに、今日参り候わでは、いつをごしさうらふべきと存ずるばかりに候」と申ければ、「頼朝はもとはこえたりしが、このひやくよにちばかり、よるひるこのことをあんずるほどに、やせたるぞ。そもそもけふじふしちにちひのとのとりをきちにちにとりて、このあかつきたうごくのもくだい、
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いづみのはんぐわんたひらのかねたかをちゆうせむとおもひつるに、くちをしくもおのおのきのふみへぬによりて、今日はさてやみぬ。明日はしやうじんのひ也。十九日はひなみあし。廿日までのびば、かへりてかげちかにねらはれぬとおぼゆるなり」とのたまひければ、さだつな申けるは、「十五日にまゐるべきにてさうらひしほどに、三郎四郎をもまちさうらひし上、をりふしこのほどのおほあめおほみづに、思わざるほかにいちにちとうりうして候」と申ければ、「あわれゐこんの事かな。さらばおのおのやすみ給へ」とのたまひければ、さぶらひにいでてやすみけるほどに、ひすでにいりてくらくなりぬ。しばらくありて、「おのおのもののぐしてこれへ」とありければ、やがて物具とりつけてまゐりたりければ、すけのたまひけるは、「これに有ける女を、かねたかがざつしきをとこがめにして有けるが、ただいまこれにきたるなり。このけしきをみてしゆうにかたりなば、いちぢやうねらわれぬべければ、
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かの男をばとらへて置たるぞ。このうへはただとくこよひよりてうつべし」とのたまひければ、十七日のねのこくばかり、ほうでうのしらうときまさ、しそくさぶらうむねとき、おなじくこしらうよしとき、ささきのたらうさだつな、おなじくじらうつねたか、さぶらうもりつな、おなじくしらうたかつないげ、かれこれむまのうへかちともなく、三十余人、四十人ばかりもや有けむ、やまきのたちへぞおしよせける。かどをうちいでければ、とうごくのぢゆうにんかとうじかげかどは、げにんにたちばかりもたせて、ただいつきおんとのゐにとてうちとほりけるが、これらがうちいづるをみて、「いかに、なにごとのあるぞ」とて、やがて打通りて、内へいりにけり。このかげかどは、もとはいせのくにのぢゆうにん、かとうごかげかずが二男、かとうだもとかずがしやてい也。ちちかげかず、かたきにおそれて、いせのくにをにげいでて、いづのくににくだりて、くどうのすけもちみつが聟になりてゐたり
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けり。弓矢の道、兄弟いづれも劣らざりけれども、ことにかげかどはくらきりなきかうの者、そばひらみずのゐのししむしやにて有けるが、いかがおもひけむ、時々兵衛佐にほうこうしけるが、そのよ、兵衛佐のもとにひそめくことありとききて、何事やらむとて、行たりけるなり。さて北条、ささきのものどもは、ひたがはらといふところにうちいでて、北条四郎申けるは、「やまきへわたるつつみのはなに、いづみのはんぐわんがいちのらうどう、ごんのかみかねゆきと云者あり。とのばらはまづそれをよりて打給へ。時政はうちとほりて、おくのはんぐわんをせむべし」とて、あんないしやをつく。さだつなはかの案内者をさきとして、うしろへからめでにまはる。つねたかぞ前よりうちいるる。いまだからめでの廻らぬ先にうちいりて、みければ、もとよりふるつはものにて、まちやうけたりけむ、さしりたりとて、さんざんに
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いる。かたきはひつじさるにむかひ、経高はうしとらにむかふ。月もあかかりければ、たがひのしわざ隠るる事なし。よせあはせてたたかふほどに、経高うすでおひぬ。さるほどに、たかつなうしろよりきくははりたりけるに、やをばぬかせてけり。さて兼行をば、定綱盛綱おしあはせて、打ををせつ。はんぐわんがたちとかねゆきがいへと、あひだごちやうばかりなり。かたきうちををせてのち、やがて奥のやまきのたちへぞはせとほりける。兵衛佐はえんにたたれたりけるが、かげかどがきたるをみたまひて、「をりふししんべうなり。かげかどは頼朝がとぎにさうらふべし」とおかれたり。はるかによふけてのち、「こよひ時政をもつて、かねたかをうちにつかはしつるが、『うちををせたらば、たちにひをかけよ』といひつるが、はるかになれどもひのみへぬは、うちそんじたるやらむ」とひとりごとにのたまひければ、かげかどききあへず、「さてはにつぽんだいいちのおんだいじをおぼしめしたちける
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に、今までかげかどにしらせさせ給はざりける事の心うさよ」といふままに、やがてかぶとのををしめて、つといでけるを、兵衛佐、かげかどをめしかへして、しろかねのひるまきしたるこなぎなたを、てづからとりいだしたまひて、「これにてかねたかが首をつらぬきて参れ」とて、景廉にたぶ。景廉これをたまはりてはせむかふ。かち一人ぐしたりける、兵衛佐よりざつしき一人つけられたりけるに、なぎなたをばもたせて、はんぐわんがたちちかくはせてみれば、北条はいへのこらうどうおほくておひ、むまどもいさせて、しらみてたちたる所に、かげかどきくははりければ、北条いひけるは、「かたきてごわくて、すでに五六度までひきしりぞきたるぞ。佐々木のものどもはかねゆきをばうちて、このたちのうしろへからめでにむかひたるなり」といへば、「したたかならむ者にたてつかせてたべ。ひとあてあててみむ」と申ければ、ほうでうがざつしきをとこ、げんとう
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じといひける者にたてつかせて、馬よりをりて、弓矢は元よりもたざりければ、一人のゆみはりのやみすぢかなぐり取て、たてのかげよりすすみいでて、やおもてに立たるかたき三人、みつのやにてい殺しつ。さて弓をばなげうてて、なぎなたをくきみじかにとりなして、かぶとのしころをかたぶけて、うちはらひて内へつといり、さぶらひをみれば、たかとうだいにひ白くかきたてたり。そのまへにじやうえきたる男の、おほなぎなたのさやはづしてたちむかひけるを、かとうじはしりちがひて、こなぎなたにてゆんでのわきをさして、なげふせたり。やがて内へせめいりてみれば、ひたいつきの前にひををこしたり。又ひ白くかきたてたり。ふしからかみのしやうじたてたりけるをほそめにあけて、たちのおびとり、ごろくすんばかりひきのこして、かたきこれにいりたりとおもひて、みいだしたり。かとうじ、ふたつのなぎなたをもつてしやうじをさし
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あけてみれば、いづみのはんぐわんをば、ぢゆうしよにつきてやまきのはんぐわんとぞ申ける、判官かたひざをたて、たちをひたひにあてて、いらばきらむと思ひたりげにて、まちかけたり。かとうじしころをかたぶけて、いらむとするやうにすれば、判官かたきをいれじと、むずときる所に、うへのかもゐにきりつけて、たちをぬかむとしけるを、ぬかせもはてさせずして、しやくびをさしつらぬきて、なげふせてくびをかくをみて、判官がうしろみの法師、もとはやまほふしにちゆうきと云者にて有けるが、つとよる所をにのかたなにくびをうちおとしつ。さてしゆうじゆうふたりが首を取て、しやうじにひふきつけて、心のすむとしはなけれども、
ほけきやうをいちじもよまぬかとうじがやまきのはてを今みつるかな K105
とうちながめて、つといでて、「かねたかをばかげかどがうちたるぞや」とののしりけり。
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判官がしゆくしよのやけけるを、兵衛佐みたまひて、「兼隆をばいちぢやうかげかどがうちつるとおぼゆるぞ。かどでよし」とよろこび給けるほどに、北条使者をたてて、「兼隆を景廉が討て候なり」とまうしたりければ、兵衛佐「さればこそ」とぞのたまひける。景廉はせんこうをたうじにあぐるのみにあらず、もつぱらめいばうをこうせいにのこせり。
十一 これをはじめとして、いづのくによりひやうゑのすけにあひしたがふともがらは、
ほうでうのしらうときまさ、しそく三郎むねとき、おなじくこしらうよしとき、くどうのすけしげみつ、子息かりののごらうちかみつ、うさのみへいだ、おなじくへいじ、おなじく三郎すけもち、かとうだみつかず、おなじくしやていかとうじかげかど、とうくらうもりなが、あまののとうないとほかげ、おなじく六郎、につたのしらうただつね、ぎしようばうじやうじん、ほりのとうじちかいへ、ささきのたらうさだつな、
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同二郎つねたか、同三郎もりつな、同四郎たかつな、しちらうむしやのぶちか、ちゆうしらうこれしげ、ちゆうはちこれひら、きつじよりむら、さめしまのしらうむねふさ、こんどうしちくにひら、おほみのへいじむねひで、しんどうじとしなが、こちゆうだみついへ、じやうのへいだ、さはのろくらうむねいへ、ふところじまのへいごんのかみかげよし、おなじくしやていとよだのじらうかげとし、つくゐのじらうよしゆき、同八郎よしやす、とひのじらうさねひら、同子息やたらうとほひら、しんかいのあらじらうさねしげ、つちやのさぶらうむねとほ、同小次郎よしきよ、まごやじらうただみつ、をかざきのしらうよしざね、さなだのよいちよしただ、なかむらのたらう、同次郎、いひだのごらう、へいさうたらうためしげ、
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をぬまのしらう、はたけのさぶらうよしくに、まるのごらうのぶとし、あんざいのさぶらうあきますらをあひぐして、八月廿日、さがみのくにとひへこえて、ときまさ、むねとほ、さねひらごときのをとなどもをめして、「さてこのうへはいかがあるべき」とひやうぢやうあり。
十二 さねひら、「まづくにぐにのごけにんのもとへめぐらしぶみのさうらふべきなり」と申ければ、「もつともさるべし」とて、とうくらうもりながをつかひにて、めぐらしぶみをつかはさる。まづさがみのくにのぢゆうにん、はだののうまのじようやすかげをめしけれども、さんぜず。かづさのすけはちらうひろつね、ちばのすけつねたねがもとへ、ゐんぜんのおもむきを、おほせつかはしたりければ、「いきてこのことをうけたまはる、みのさいはひにあらずや。ちゆうをあらわし、なをとどめむこと、このときにあり」。むかしろれん、べんげんしてもつてえんをしりぞけ、はうしよ、たんじしてもつてそを
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そんせりき。もりながすでにしせつをせんじゆつにまつたくして、さんずんのしたをうごかして、深くににんのこころをたぶれければ、つねたねら、ゐせいをきようしゆうにふるひて、はつこくのつはものをくつして、つひにしいのらんををさめけり。それべんしはくにのらうやくなり。ちしやはてうのみやうきやうなりといへり。このことまことなるかなや。しかのみならず、昔のあんえい、ゆうをさいしよにおこし、ていえい、ぎをてうぶにあらわせりき。今のつねたねら、よりとものために、たちまちにきうおんをむくふ。つひにしんこうをたて、ほまれをしはうにあらはし、なをはくたいにふるへり。かやふによろこびぞんじければ、さうなくりやうじやうまうしたりければ、おのおのいそぎはせむかはむとしけれども、わたりあまたあつて、船いかだにわづらひおほかりければ、八月下旬のころをいまでちから及ばず、ちさんす。やまのうちすどうぎやうぶのじようとしみちが孫、すどうたきぐちとしつながこども、たきぐちさぶらう、おなじくしらうを
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めされければ、ややひさしくへんじもせず。もりながを内へだにもいるる事なくして、はるかに程をへだててのちに、盛長にいであひて、おんつかひの返事をばせずして、さんざんのあつこうをぞしける。としむねぎやくじゆんのぶんをしらず。りがいのようをわきまへず。ただきやうだいのかたきをおそれ、たちまちにしんきうのあるじをそむく。口にばうげんをはき、心にじやうしんなし。すこぶるようじのほふにあらず。ひとへにきやうじんのていににたり。四郎申しけるは、「われらが父、ほうげんの乱にろくでうはんぐわんどののおんともを致して合戦し、次にへいぢのいくさにしんみやうをすててふせきたたかひしかば、おやこふたりつひにかたきのためにうたる。しかるうへは、いまひやうゑのすけどののおんともして、命をうしなふべくやはべるらむ」。三郎これをききて、盛長がききをもはばからず、しやていの四郎に申けるは、「わどのは物にくるふな。人
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は、いたりてわびしくなりぬれば、すまじき事をもし、おもひよるまじき事をもおもひよるとは、これていの事をいふなり。そのゆゑは、ひやうゑのすけどののたうじのすんぽふにて、平家にたてあひ奉らむとて、かくのごとくの事をひきいだしたまふことよ。によほふふじの山とたけくらべ、ねこのひたひにつきたる物を、ねずみのねらふににたり。なむあみだぶつなむあみだぶつ」とかうしやうにまうして、おんぺんじにおよばず。さてみうらのすけよしあきがもとへおんふみもちむかひたりければ、をりふしふうきにてふしたりけるが、「兵衛佐殿のつかひあり」とききて、いそぎをきあがりて、えぼしをしいれて、ひたたれうちかけて、盛長にいでむかひて、めぐらしぶみひけんして申けるは、「こさまのかみどののおんすゑは、皆たえはてたまひぬるかとおもひつるに、よしあきがよにそのおんすゑいできたまわむ事、ただいつしんのよろこびなり。しそんみなまゐるべし」とてめしあつめけり。ちやくし
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すぎもとのたらうよしむねは、ちやうぐわんぐわんねんのあきのいくさに、あはのくにながさのじやうをせむとて、だいじのておひて、みうらにかへりて百日にみたざるに、卅九にて死にけり。じなんみうらのべつたうよしずみ、おほたわのさぶらうよしひさ、さはらのじふらうよしつら、まごどもには、わだのこたらうよしもり、おなじく二郎よしもち、同三郎むねざね、たたらのさぶらう、おなじく四郎、さののへいだ、らうどうには、きつご、やとうだ、みうらのとうへい、これらをまへに呼て申けるは、「昔はさんじふさんねんをもつてひとむかしとしけり。今はにじふいちねんをもつてひとむかしとす。廿一年すぎぬれば、淵は瀬となり、瀬は淵になる。平家既ににじふよねんのあひだ、てんがををさむ。今はよの末に成て、あくぎやうひをへてばいぞうす。めつばうのごきたるかとみえたり。そののちはまたげんじのはんじやううたがひなし。おのおの早くいちみどうしんにて、すけどののおんもとにさんずべし。もしみやう
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がおわせずして、うちじにをもし給はば、おのおのまたかうべをひとところにならぶべし。さんぞく、かいぞくをもしたらばこそかきんならめ。すけどの、もしくわほうをはして、よをとり〔たま〕はば、おのれらが中に一人もいきのこりたらむ者、よにあひてはんじやうすべし」と申ければ、おのおのみな「さうにおよばず」とぞ申ける。
十三 さるほどに、北条、佐々木がいちるいをはじめとして、いづさがみりやうごくのぢゆうにんどういよりきするともがら、三百余騎にはすぎざりけり。八月廿三日のゆふべにとひのがうをいでて、はやかはじりといふところにぢんをとる。はやかはたうが申けるは、「これはいくさばにはあしくさうらふべし。ゆもとのかたよりかたき〔山〕をこえてうしろをうちかこみ、なかにとりこめられさうらひなば、一人ものがるべからず」と申ければ、とひのかたへひきしりぞきて、こめかみいしばしと云所にぢんを取て、うへの山の腰にはかいだてをかき、しものだいだうをばきりふさぎて、たて
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ごもる。へいけのかたうど、たうごくのぢゆうにんおほばのさぶらうかげちか、むさしさがみりやうごくのせいをまねきて、同廿三日のとらうの時に、おそひきたりて、あひしたがふともがらには、おほばのさぶらうかげちか、しやていまたののごらうかげひさ、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、かがはのごらういげのかまくらたう、一人ももれざりけり。このほか、えびなのげんぱちごんのかみひでさだ、しそくをぎののごらう、おなじくひこたらう、えびなのこたらう、かはむらのさぶらう、はらのそうしらう、そがのたらうすけのぶ、しぶやのしやうじしげくに、やまのうちたきぐちさぶらう、おなじくしらう、いなげのさぶらうしげなり、くげのごんのかみなほみつ、しそくくまがえのじらうなほざね、あさまのじらう、ひろせのたらう、をかべのろくやたただずみらをはじめとして、むねとの者三百余騎、いへのこらうどうそうじて三千余騎にて、いしばしのじやうへおしよす。
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みちみち兵衛佐のかたうどの家々、いちいちにやきはらひて、谷をひとつへだて、海をうしろにあててぢんをとる。さるほどにとりのこくにもなりにけり。いなげのさぶらうが云けるは、「けふはひ既にくれぬ。かつせんはあすたるべきか」と。おほばのさぶらうがまうしけるは、「あすならば、ひやうゑのすけどののかたへせいはつきかさなるべし。うしろより又みうらの人々きたるときこゆ。りやうばうをふせかむ事、道せばく、あしだちわろし。ただいますけどのをおひおとして、明日はいつかう三浦の人々としようぶをけつすべし」とて、三千余騎声をととのへてときを作る。兵衛佐のかたよりも時の声をあはせて、かぶらやをいければ、山びここたへて、かたきがたのおほぜいにもおとらずぞきこへける。おほばのさぶらうかげちか、あぶみふみはり、ゆんづゑつき、たちあがりて申けるは、「そもそもきんだいにつぽんごくに光をはなち、肩をならぶる人もなき、平家のみよをかたぶけ奉り、をかし奉らむとけつこう
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するは、たれびとぞや」。ほうでうのしらうときまさあゆませいだしてまうしていはく、「なんぢはしらずや。わが君は、せいわてんわうのだいろくのわうじ、さだずみのしんわうのおんこ、ろくそんわうつねもとよりは七代のこういん、はちまんたらうどのにはおんひこ、ひやうゑのすけどののおはしますなり。かたじけなくだいじやうてんわうのゐんぜんをたまはりて、おんくびにかけ給へり。とうはつかこくのともがら、たれびとかごけにんにあらざるや。馬に乗ながらしさいをまうすでう、はなはだきくわいなり。すみやかにおりて申べし。さておんともには、北条四郎時政をはじめとして、しそくさぶらうむねとき、おなじくしらうよしとき、佐々木がいつたう、とひ、つちやをはじめとして、伊豆相模りやうごくのぢゆうにん、ことごとくまゐりたり」。かげちか又申けるは、「むかしはちまんどののごさんねんのいくさのおんともして、ではのくにかねざはのじやうをせめられし時、十六才にてせんぢんかけて、右目をいさせて、たふのやをいて
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そのかたきを取て、なをこうたいにとどめたりし、かまくらのごんごらうかげまさがばつえふ、おほばのさぶらうかげちかをたいしやうぐんとして、きやうだいしんるいさんぜんよきなり。みかたのせいこそむげにみへ候へ。いかでかてきたいせらるべき」。時政かさねて申けるは、「そもそもかげちかは、かげまさがばつえふとなのりまうすか。さてはしさいはしりたりけり。いかでかさんだいさうでんの君にむかひ奉りて、弓をもひき、やをはなつべき。すみやかにひきてのき候へ」。かげちかまたまうしていはく、「さればしゆうにあらずとは申さず。ただし昔はしゆう、今はかたき。弓矢をとるもとらぬも、おんこそ主よ。たうじは平家のごおん、山よりも高く、海よりも深し。昔をぞんじて、かうにんになるべきにあらず」とぞ申ける。兵衛佐のたまひけるは、「むさしさがみにきこゆるものども、皆あんなり。中にもおほばの三郎とまたののごらうとは、かうみやうのつはものとききおきたり。たれびとにてかくます
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べき」。をかざきのしらうすすみいでて申けるは、「かたき一人にくまぬ者の候か。親のみにて申べきにはさうらわねども、よしざねが子息のしれものくわんじやよしただめこそさうらふらめ」と申ければ、さらばとて、さなだのよいちよしただをめして、「けふのいくさのいちばんつかまつれ」とのたまひければ、よいち「うけたまはりぬ」とて、たちにけり。与一がらうどうさなだのぶんざういへやすをまねきよせて、「さなだへ行て、母にもにようばうにも申せ。『よしただけふのいくさのせんぢんをかくべきよし、ひやうゑのすけどのおほせらるるあひだ、先陣つかまつるべし。いきてふたたびかへるべからず。もし兵衛佐よをうちとりたまはば、二人のこども、すけどのにまゐりて、をかざきとさなだとをつがせて、子共のうしろみして、義忠がごせをとぶらひてたべ』といふべし」と申ければ、「殿を二才の年より今年廿五になりたまふまで、もり奉て、只
今しなむとのたまふ
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をみすてて、帰るべきにあらず。これほどの事をばさぶらうまるしてのたまふべきか」とて、三郎丸をめして、いへやすこのよしをいひふくめてぞつかはしける。よいち十七騎のせいにてあゆませいだして申けるけるは、「みうらのおほすけよしあきがしやてい、みうらのあくしらうよしざねがちやくなん、さなだのよいちよしただ、しやうねんにじふご、源氏のよをとりたまふべきいくさのせんぢんなり。われと思わむともがらはいでてくめ」とて、かけいだしたり。平家のぐんびやう是をききて、「さなだはよきかたきや。いざうれまたの、くみてとらむ」とて、進む者は、ながをのしんご、しんろく、やぎしたの五郎、をぎののごらう、そがの太郎、しぶやのしやうじ、はらの四郎、たきぐち三郎、いなげの三郎、くげのごんのかみ、かさまのさぶらう、ひろせの大郎、をかべのろくやた、くまがえの次郎をはじめとして、むねとのものども七十三騎、われをとらじ
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とをめいてかく。ゆんでは海、めては山、暗さはくらし、雨はゐにいつてふる、道はせばし。心は先にとはやれども、ちからおよばぬみちなれば、むましだいにぞかけたりける。さなだがらうどうぶんざういへやす、あゆませいだして申けるは、「とうはつかこくのとのばら、たれびとか君のごけにんならぬや。あすははづかしからむずるに、やひとつもいぬさきに、かぶとをぬぎてみかたへ参れや」と申ければ、しぶやのしやうじしげくに、「かくまうすはたれびとのことばぞや。家安がまうすにや。あたら詞かな。しゆうにはいわせで、ひとびとしくまたらうどうの」といひければ、家安かさねて申けるは、「人のらうどうは人ならぬか。二人のしゆうにあわず、他人の門へ足ふみいれず。わどのばらこそうつつの人よ。ちちぶのばつえふとて口はきき給へども、いつぱうのたいしやうぐんをもせで、おほばのさぶらうがしりまひしてまどひありくめり。よきひとのきたなきふる
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まひするをぞ人とはいわぬ。やひとすぢ奉らむ」とて、つるのもとじろのくろぬりのじふさんぞくをよくひきていたりければ、かぶとのてさきにたちにけり。そのときかたきもみかたも、いちどうにはとぞわらひける。さるほどに廿三日のたそかれどきにもなりにければ、おほばの三郎、しやていまたのの五郎に申けるは、「またのどの、かまへてさなだにくみ給へ。かげちかもおちあわむずるぞ」。俣野、「余りにくらくて、かたきもみかたもみへわかばこそくみさうらはめ」と云ければ、大庭、「佐奈多はあしげなる馬に乗りたりつるが、かたじろのよろひにすそかなものうちて、白きほろをかけたるぞ。それをしるしにて、かまへてくめ」とぞ申しける。「うけたまはりぬ」とて、俣野すすみいでて申けるは、「そもそも佐奈多の与一がここにありつるが、みへぬは。はやおちにけるやらむ」といへども、佐奈多をともせず。
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かたきをまぢかくあゆませよせ、ありどころをたしかにききをほせて、まがたわらにこたへたり。「さなだのよいちよしただここにあり。かくまうすはたれびとぞ」といふ声につきて、「俣野五郎かげひさなり」といひはつれば、やがておしならべてさしうつぶきてみれば、馬もあしげなる上に、すそかなものきらめきてみへければ、やがてよせあはせてひきくみて、馬よりどうどおちにけり。うへになりしたになり、山のそわをくだりに、だいだうまでさんだんばかりぞころびたる。いまひとかへしも返したらば、海へいりてまし。またのはだいぢからときこへたりけれども、いかがしたりけむ、下になる。うつぶしにさがりがしらにふしたりければ、枕もひきし、あとは高し、をきうをきうとしけれども、佐奈多うへにのりゐたりければ、かなわじとやおもひけむ、「おほばのさぶらうがしやていまたののごらうかげひさ、さなだのよいちにくみたり。つづけ
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やつづけや」と云けれども、家安をはじめとして、らうどうどもみなおしへだてられて、つづく者もなかりければ、俣野がいとこながをのしんごおちあひて、「うへやかたき、したやかたき」ととひければ、与一は敵の声とききなして、「上ぞかげひさ。ながをどのか。あやまちすな」。俣野は下にて、「下ぞかげひさ。長尾殿か。あやまちすな」といふ。「上ぞ」、「下ぞ」といふほどに、かしらはひとところにあり、暗さはくらし、声はひきし、いづれとも聞わかず。「うへぞかげひさ、したさなだ」、「上は佐奈多、下は景尚」とたがひに云。またの、「ふかくの者かな。よろひのかなものをさぐれかし」と云ければ、二人のものどもがよろひのひきあはせをさぐりけるを、さなださぐられて、右の足をもつて、ながをが胸をむずとふむ。しんごふまれてくだりさまに、ゆんだけばかりぞととばしりてたふれにけり。そのあひだに佐奈多かたなをぬきて、
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またのがくびをかくに、きれず。させどもさせどもとをらず。刀をもちあげてくもすきにみれば、さやまきのくりかたかけて、さやながらぬけたり。さやじりをくわへてぬかむとす〔る〕所に、しんごがおととしんろくおちかさなりて、よいちがやなぐひのあわひにひたとのりゐて、かぶとのてへんの穴にてをさしいれて、むずとひきあをのけて、佐奈多がくびをかきければ、水もさわらずきれにけり。やがてまたのをひきをこして、「てやおひたる」ととひければ、「くびこそすこししひておぼゆれ」といふを、さぐればてのぬれければ、かたきが刀をとるに、「みよ」とて右手をみれば、さやじりいつすんばかりくだけたる刀をぞもちたりける。誠につよくさしたりとみへたりけり。そのてをいたみて、またのはいくさもせざりけり。「またのの五郎
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かげひさ、さなだのよいちうちたり」とののしりければ、源氏のかたにはなげきけり、平家の方にはよろこびけり。父のをかざき、ひやうゑのすけに、「よいちくわんじやこそ既にうたれさうらひにけれ」と申ければ、兵衛佐は、「あたらつはものをうたせたるこそくちをしけれ。もし頼朝よにあらば、義忠がけうやうをば頼朝すべし」とて、あわれげに思われたり。岡崎は、「十人のこにこそおくれさうらはめ、君のよに渡らせ給わむ事こそ、ねがはしく候へ」とまうしながら、さすがおんあいの道なれば、よろひの袖をぞぬらしける。ぶんざういへやすは、与一がうたれたる所より、ををひとつへだてて、たたかひけるを、いなげのさぶらう、「しゆうは既にうたれぬ。今はわぎみにげよかし」といひければ、家安まうしけるは、「えうせうよりかけくむ事はならひたれども、にぐる事はいまだしらず。さなだどのうたれたまひぬとききつるより、心こそいよいよ
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たけくおぼゆれ」とて、ぶんどり八人して、うちじにに死にけり。いくさはよもすがらにありけり。あかつきがたになりて、兵衛佐のせい、とひをさしてひきしりぞく。すけもごぢんにひかへて、「あなこころうや。おなじくひくともおもふやひとついておちよや。かへせやかへせや」とのたまひけれども、いつきもかへさず、みなおちぬ。ほりぐちと云所にて、かとうじかげかど、ささきのしらうたかつな、おほたわのさぶらうよしひさ、三騎おちのこりて、十七度までかへしあはせ、さんざんに戦ふ。かたきはすせんありけれども、道もせばくあしだちあしく、一度にもおしよせず。わづかに二三騎づつこそかけたりけれ。このものどもかたき多くうちとりて、やだねつきにければ、おなじく一度にひきしりぞく。さるほどに夜もほのぼのとあけにければ、廿四日のたつのときにうへの山へひかれけるを、をぎののごらうすゑしげ、おなじくしそくひこたらうひでみついげ、兄弟
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五人、兵衛佐のあとめにつきておひかかりて、「このさきにおちたまふはたいしやうぐんとこそみえまうせ。いかに源氏のなをれに、よろひのうしろをばかたきにみせたまふぞ。きたなしや。かへしあはせたまへ」とて、をめいてかく。すけかなわじとや思われけむ、ただ一人かへしあはせて、やひとついられたり。をぎののごらうがゆんでのくさずりに、ぬひさまにぞ立たりける。にのやはくらのまへわにたつ。つぎのやはをぎのが子息ひこたらうが馬の、左のむながひづくしにたちにけり。馬はねてのりたまらず。足をこしてをりたちぬ。伊豆国の住人おほみのへいじ、かへしあはせてすけの前にふさげたり。又むしや一騎はせきたりて、大見が前にひかへて、「むかしものがたりにも、たいしやうぐんのおんたたかひはなき事にて候。只ここをひかせ給へ」と申ければ、「ふせきやいるものなければこそ」とのたまひければ、「相模国の住人、いひだのさぶらうむねよしさうらふ」〔と〕
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まうして、やみすぢいたりけり。そのあひだに兵衛佐はすぎやまへいりたまひにけり。のこりの人々も、みちさがしくて、たやすく山へいるべきやうもなかりければ、たちばかりにてぞ山へはいりにける。伊豆国の住人さはのろくらうむねいへも、ここにてうたれにけり。どうこくのぢゆうにんくどうのすけもちみつは、ふとりおほきなる男にて、山へも登らず、あゆみもやらず、のぶべしともおぼへざりければ、しそくかりののごらうちかみつをまねきよせて、「ひとでにかくな。わがくびうて」と云ければ、ちかみつのくびをきらむ事のかなしさ、父を肩にひきかけて山へ登りけるに、ががたる山なれば、たやすくのぼるべしともおぼへざりければ、とびにものびやらず。かたきはせめちかづきて、既にいけどらるべかりければ、もちみつ腹かひきりて死にけり。茂光が娘に、いづのくにのこくしためつながぐしてまうけたりける、たしろのくわんじやのぶつなこれを
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みて、そぶくどうのすけがくびを切て、しそく狩野五郎にとらせて、山へいりにけり。ほうでうがちやくし、三郎むねときも、いとうのにふだうすけちかほふしにうたれにけり。さてひやうゑのすけは山のみねにのぼりて、ふしきのありけるに、しりうちかけてゐられたりけるに、人々あとをたづねてせうせうきたりたりければ、「おほば、そがなむどは山のあんないしやなれば、さだめて山ふませむずらむ。人おほくては中々あしかりなむ。おのおのこれよりちりぢりになるべし。われもしよにあらば、必ずたづねきたるべし。我も又たづぬべし」とのたまひければ、「われら既ににつぽんごくをかたきにうけて、いづくのかたへまかりさうらふとも、のがるべしともおぼえさうらはず。おなじくはただひとところにてこそは、ぢんくわいにもなりさうらわめ」と申ければ、「よりとも、おもふやうありてこそかくいふに、なほしひておちぬこそあやしけれ。おのおのぞんずるむねのあるか」と、かさねてのたまひければ、このうへはとて、おもひおもひにおちゆきけり。ほうでうのし
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らうときまさ、おなじくしそくよしとき、父子二人はそれよりやまづたひに、かひのくにへぞおもむきける。かとうじかげかどとたしろのくわんじやのぶつなとは、いづみしまのほうでんの内にこもりたりけるが、よほのぼのとあけければ、宝殿をいでておもひおもひにぞ落行ける。かげかどはあにかとうだみつかずにゆきあひて、かひのくにへぞおちにける。残るともがらは、いづ、するが、むさし、さがみの山林へぞにげこもりける。ひやうゑのすけにつきて山に有ける人とては、とひのじらう、おなじく子息やたらう、をひのしんかいのあらじらう、つちやのさぶらう、をかざきのしらう、いじやう五人、げらふには土肥二郎がこどねりをとこしちらうまる、ひやうゑのすけぐしたてまつりて、じやうげ只七騎ぞ有ける。とひが申けるは、「てんきねんぢゆうにこいよのにふだうどの、さだたふをせめたまひし時、わづかに七騎におちなりて、いつたんは山にこもり
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たまひしかども、つひにそのごほんいをとげたまひにけり。けふのおんありさま、すこしもかれにたがわず。もつともきちれいとすべし」とぞまうしける。G21
十四 三浦の人々は、さがみがはのはた、はまのみやの前にぢんをとりて、おのおのまうしけるは、「いしばしのいくさはこのゆふべまではなかりけり。今はひもくれぬ。けうてんののちよりよすべし」とて、ゆらへて有けるほどに、兵衛佐のかたにおほぬまのしらうといふものあり、かたきの中をまぎれいでたりけるが、三浦の人々の陣の前のかはばたにきたりてよばはりけるを、「たそ」ととひければ、「大沼の四郎也。石橋のいくさ既にはじまり、さんざんのことどもあり。そのしだいまゐりてまうさむとすれば、馬にははなれぬ、夜はふけたり、河のふちせもみへわかず。馬をたべ。まゐりて申さむ」と云ければ、いそぎ馬をぞ渡しける。大沼が参て申けるは、「とりのときにいくさはじまりて、只今までひいづる
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程の合戦す。さなだのよいち既にうたれぬ。兵衛佐もうたれ給たるとこそまうしあひてさうらひつれ。まことにのがれ給べきやうもなかりつる上に、てをくだしてたたかひたまひつれば、いちぢやううたれたまひつらむ」とぞ申ける。人々是を聞て、「兵衛佐殿もうたれたまひにけり。たいしやうぐんのたしかにましますときかばこそ、百騎が一騎にならむまでも戦はめ。前にはおほばのさぶらう、いとうのにふだう、うんかのせいにてまちかけたり。うしろにははたけやまのじらう、むさしのたうのものどもひきぐして、五百余騎にてかなえがはのはたに陣を取てあんなり。なかにとりこめられなば一人ものがるまじ。たとひいつぱうをうちやぶりて通りたりとも、てうてきとなりぬる上は、ついにあんをんなるべからず。しかじ、ひとでにかからむよりは、おのおのじがいをすべし」といひければ、よしずみが申けるは、「しばし、とのばらの自害あまりに
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とよ。かやうの時はひがことそらごとも多し。兵衛佐殿もいちぢやううたれてもやをわすらむ、又のがれてもやをわすらむ、そのかばねをみまうさず。とひ、をかざきはいづのくにの人也。まづこのひとびとうたれてのちこそ、たいしやうぐんはうたれ給わむずれ。うみべ近ければ、ふねにのりたまひて、あはかづさのかたへもやこころざしたまひぬらむ。又いしばしはみやまはるかにつづきたれば、それにもこもりてやおわすらむ。いかさまにも兵衛佐殿のおんかうべをもみざらむほどは、自害をせむ事あしかりなむ。さりとも兵衛佐殿くわうりやうにうたれたまわじ者を。たとひしにたまふとも、かたきに物をば思わせ給わむずらむ。いかさまにもおほばにもはたけやまにも、いつぱうにむかひてこそ、うちじに、いじにをもせめ。はたけやまがせい五百余騎とこのせい三百余騎と、おしむかひたらむに、などかはしばしはささへ
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ざるべき。ここをばかけやぶり、みうらにひきこもりたらむに、につぽんごくのせい一度によせたりとも、ひいづるほどのたたかひしてやだねつきば、そのときこそよしずみはじがいをもせむずれ」とて、やがてかぶとのをしめて、やはんばかりにこいそがはらをうちすぎて、なみうちぎはをくだりに、かなえがはのしりへむけてぞあゆませける。わだのこたらうよしもりがしやてい、二郎よしもちは、かうみやうのあらつはもののだいぢからにて、おほやのせいびやうなるが、まうしけるは、「このみちはいつのならひの道ぞや。上のだいだうをばなどうちたまわぬぞ。ただだいだうをうちすぎさまに、はたけやまがぢんをかけやぶりて、つよきむまどもせうせううばひとりてゆかばや」と云ければ、兄のよしもり、「なんでふそぞろごとのたまふとのばらかな」といひければ、よしずみいひけるは、「畠山このほど馬かひたてて休みゐたり。つよきむまとらむとて、かへりてよわきむまばしとられ、馬の足をとは、なみに
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に[* 「に」一つ衍字]まぎれてきこゆまじ。くつばみをならべてとをれ、わかたう」と云ければ、あるいはうつぶきてみづつきをにぎり、あるいはくつわをゆいからげなむどしてぞ、とほりける。あんのごとく畠山二郎ききつけて、めのとのはんざはの六郎なりきよをよびていひけれるは、「只今三浦の人々の通るとおぼゆるぞ。しげただこのひとびとにいしゆなしといへども、かれらはいつかうすけどののかたうどなり。重忠は、ちちしやうじ平家にほうこうして、たうじざいきやうしたり。これをひとやいずして通したらば、おほば、いとうなむどにざんげんせられて、いちぢやう平家のかんだうかうぶりぬとおぼゆるなり。いざおひかかりてひとやいむ」といひければ、なりきよ「もつともしかるべし」とて、馬のはらおびつよくしめておひかくる。三浦の人々はかくともしらで、さがみがはをうちわたり、こしごえ、いなむら、ゆゐのはまなむどうちすぎて、こづぼざかをうちあがれば、夜もやうやく
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あけにけり。こたらうよしもりがいひけるは、「これまではべつじなくきたり。今はなにごとかはあるべき。たとひてきにんおひきたるとも、あしだちあしきところなれば、などかひとささへせざるべき。馬をも休め、わりごなむどをもおこなひ給へかし、とのばら」とて、おのおの馬よりおりゐて、うしろの方を見返りたれば、いなむらがさきにむしや卅騎ばかりうちいでたり。こたらうこれをみて、「ここにきたるむしやはかたきか、またこのぐそくのさがりたるか」といひければ、みうらのとうへいさねみつ、「このぐそくにはさるべき人もさうらわず。じらうどのばかりこそ、鎌倉をのぼりにうたせたまひつれ。あれよりきたりまうすべき者をぼへず」と申ければ、小太郎、「さてはかたきにこそあんなれ」とて、をぢのべつたうただずみにむかひていひけるは、「はたけやますでにおひかかりきたる。殿ははやあづまぢにかかりて、あぶずりくつきやうのこじやうなれば、
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かひだてかかせてまちたまへ。義盛はこれにてひとささへして、もしかなはずは、あぶずりにひきかけて、もろともにたたかふべし」。義澄は、「もつともさるべし」とて、あぶずりへ行けるに、はたけやまのじらう四百余騎にて、あかはたてんをかかやかして、ゆゐのはま、いなせがはのはたにぢんをとる。畠山、らうどう一人めして、「わだのこたらうのもとへ行て、『しげただこそきたりてさうらへ。おのおのにいしゆをおもひ奉るべきにあらねども、ちちしやうじ、をぢをやまだのべつたう、平家のめしによつて、をりふしろくはらにしこうす。重忠が陣の前をぶいんに通し奉りなば、平家のかんだうかうぶらむ事うたがひなし。よつてこれまで参たり。これへやいでさせ給べき。それへや参べき』とまうせ」とてつかはしけり。つかひゆきてこのよしを云ければ、郎等さねみつをよびて、かのつかひにあひぐしてへんたふしけるは、「おんつかひのまうしじやうくはしくうけたまはりさうらふ。おほせもつともそのいはれあり。
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ただししやうじどのとまうすはおほすけのまごむこぞかし。さればぞうそぶにむかひて、いかでかゆみやをとりてむかはるべき。もつともしゆいあるべし」といわせたりければ、重忠かさねていわせけるは、「もとより申つるやうに、すけどののおんことといひ、おのおのの事とまうし、まつたくいしゆをおもひ奉らず。ただちちとをぢとの首をつがむが為に、是まできたるばかりなり。さらばおのおの三浦へかへり給へ。重忠も帰らむ」とて、わよして帰る処に、かやうにもんだふわへいするをもいまだききさだめざるさきに、よしもりがげにん一人、しやていよしもちがもとへはせきたりて、「ゆゐのはまに既にいくさはじまりさうらふ」といひければ、義茂是を聞て、「穴心うや。たらうどのはいかに」と云て、かぶとのををしめて、いぬかけざかをはせこえて、ながへが下にて浜をみおろしたれば、なにとはしらず、ひたかぶと四百騎ばかりうつたちたり。よしもち只八騎にて
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をめいてかく。はたけやまこれをみて、「あれはいかに。わへいのよしはそらごとにて有けり。からめでをまたむとていひけるものを。やすからぬ事かな」とて、やがてかけむとす。さるほどに兄の義盛、こつぼざかにて是をみて、「ここにくだりさまに七八騎ばかりにてはするは二郎よな。和平のしさいもききひらかず、さうなくかくるとおぼゆるなり。せいもすくなし、あしくしてうたれなむず。遠ければ、よぶともきこゆまじ。いざさらば只かけむ」とてかけいだしけり。こたらうよしもり、らうどうさねみつに云けるは、「たてつくいくさはたびたびしたれども、はせくむいくさはこれこそはじめなれ。いかやうにあふべきぞ」と云ければ、さねみつまうしけるは、「今年五十八にまかりなりさうらふ。いくさにあふこと十九度。まことにいくさのせんだつ真光にあるべしとて、いくさにあふは、かたきもゆんで、われもゆんでにあは
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むとするなり。うちとけゆみをひくべからず。あきまを心にかけて、ふりあはせふりあはせして、うちかぶとををしみ、あだやをいじとやをはげながら、やをたばいたまふべし。やひとつはなちては、つぎのやをいそぎうちくわせて、かたきのうちかぶとをおんこころにかけ給へ。むかしやうには馬をいることはせざりけれども、なかごろよりは、まづしや馬のふとばらをいつれば、はねをとされてかちだちになり候。きんだいは、やうもなくおしならべてくみて、中におちぬれば、たち、こしがたなにてしようぶはさうらふなり」とぞ申ける。さるほどに、あぶずりにひきあげて、かいだてかひてまちつるみうらのべつたうよしずみ、すでにかつせんはじまるとみて、こつぼざかををくればせにしておしよす。道せばくて、わづかに二三騎づつをつすがいにはせきたりければ、はるかにつづきてぞみへける。はたけやまのせいこれをみて、「みうらのせいばかりに
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てはあらず。かづさ、しもつふさのひとどももいちみになりにけり。おほぜいにとりこめられてはかなふまじ」とて、をろをろたたかひてひきりしりぞく。三浦の人々いよいよかつにのりて、おひさまにさんざんにいければ、はまのごりやうのおんまへにて、わだのじらうよしもちとさがみのくにのぢゆうにん、つづくのたらうと組ておちぬ。つづくはだいのをとこの人にすぐれてたけ高くほねぶとなり。わだはせいは少しちひさかりけれども、きこゆるこずまふにて、かたきをおほわたしにかけて、えいごゑをいだして、なみうちぎはにまくらをせさせて、うちふせて、むないたの上をふまへて、こしがたなをぬきてくびをかく。これをみて、つづくが郎等おちあひたりけれども、わだたちをぬきて、うちかぶとへうちいれたりければ、ただひとうちにくびをうちおとす。ふたつのくびを前にならべて、石にしりうちかけて、波に足うちすすがせて、息つぎゐたるところに、つづくがしそく、つづくのじらうはせきたりて、わ
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だのじらうをいる。わだの二郎いむけの袖をふりあはせて、しころをかたぶけていひけるは、「父のかたきをばてどりにこそとれ。わぎみがゆんぜいにて、しかもとほやにいるには、よしもちがよろひとをらじ物を。人々にうたれぬさきにおちあへかし。をそろしきか、近くよらぬは。義茂はいくさにしつかれたれば、てむかひはすまじ。くびをばのべてきらせむずるぞ」とはげまされて、つづくのじらうたちをぬきておちあひたり。わだの二郎はかぶとのはちをからとうたせて、立あがりて、いだきふせて、みしとをさへて、こしがたなをぬきて首をきる。みつの首をくらのさうのとつつけにつけて、つづくが首をば片手に持て、かへりきたる。「そのひのかうみやう、わだの二郎にきはまりたり」と、かたきもみかたもののしりけり。はたけやまがかたには、律戸四郎、かはのじらうたいふ、あきをかのしらうらをはじめとして、さんじふよにん
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うたれにけり。ておひは数をしらず。みうらがかたには、たたらの太郎、おなじく二郎と、らうどう二人ぞうたれにける。そのときはたけやま、わがかたのぐんびやううたれて、ひきしりぞくけしきをみて、いひけるは、「ゆみやとるみち、ここにてかへしあはせずは、おのおの長く弓矢をばこつぼざかにてきりすつべし」とて、かたてやをはげて、あゆませいだして申けるは、「おとにもきき、めにもみ給へ。むさしのくにのちちぶのよりう、はたけやまのしやうじしげよしがじなん、しやうじじらうしげただ、わらはなうぢわうまる、しやうねん十七才。いくさにあふことけふぞはじめ。われと思わむ人々はいで給へ」とてかけいでたり。はんざはの六郎はせきたりて、馬のくつばみにとりつきて申けるは、「いのちをすつるもやうにこそより候へ。させるしゆくせのかたき、親の敵にもあらず。かやうのくじにつけたる事に、命をすつる事候わず。もしごいしゆあらば、のちのいくさにて
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あるべし」とてとりとどめければ、ちからおよばず。さがみのほんまのしゆくにひきしりぞく。かのしゆくに兵衛佐のかたうどおほくきよぢゆうしたりければ、そのいへいへにひをかけて、やましたむらまでやきはらふ。三浦の人々は、このいくさのしだいをくはしくおほすけよしあきにかたりければ、「おのおのがふるまひもつともしんべうなり。なかんづくよしもちがかうみやう、さうにおよばず」とて、たちひとふりとりいだして、まごよしもちにとらす。G22
十五 「かたき只今にきたりなむず。いそぎきぬがさのじやうにこもるべし」と云ければ、よしもり申けるは、「きぬがさはくちあまたありて、ぶせいにてはかなひがたかるべし。ぬたのじやうこそ、まはりは皆いしやまにて、いつぱうは海なれば、よきもの百人ばかりだにもさうらはば、いちにまんぎよせたりとも、くるしかるまじき所なれ」と申ければ、おほすけいひけるは、「さかしきくわんじやのいひごとかな。今はにつぽんごくをかたきにてうちじにせむと思わむ
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わむ[* 「わむ」衍字]ずるに、おなじくはめいしよのじやうにてこそしにたけれ。せんぞのきこゆるたちにてうちじにしてけりとこそ、平家にもきかれまうしたけれ」と云ければ、もつともしかるべしとて、きぬがさのじやうにこもりにけり。かづさのすけひろつねがしやてい、かねだのたいふよりつねは、よしあきがむこなりければ、七十余騎にてはせきたりて、おなじきじやうにぞこもりける。このせいあひぐしして、四百余騎におよびければ、じやうちゆうにもくわぶんしたり。おほすけいひけるは、「わかたうよりはじめて、むまやのくわんじやばらにいたるまで、つよゆみのともがらはやぶすまをつくりてさんざんにいるべし。又うつてにかしこからむものどもは、てんでになぎなたを持てふかたにおひはめてうつべし。じやうのにしうらのてをばよしずみふせくべし」とぞげぢしける。かくいふほどに、廿六日たつのこくに、むさしのくにのぢゆうにん、えどのたらう、かはごえのたらう、たうのものには、かねこ、むらやま、またの、〔の〕いよ、やまぐち、こだまたう
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をはじめとして、およそのせい二千余騎にておしよせたり。まづつづくのごらう、父と兄とをこつぼにてうたれたる事を、安からず思けるゆゑに、まさきかけていできたる。したくのごとく、じやうちゆうよりやさきをそろへてこれをいる。いつぱうはいしやま、にはうはふかたなれば、よせむしやうたれにけり。又うちものくわんじやばら、鼻をならべていでむかひてたたかひければ、おもてをむくる者なかりけり。かかりければつづくがたう少しひきしりぞきけるを、かねこのものどもいれかへて、かねこのじふらう、おなじくよいち、きどぐちへせめよせたり。城中よりれいのやさきをそろへていけれども、かねこすこしもしりぞかず。廿一までたちたるやをば、をりかけをりかけしてたたかひけり。そのときじやうちゆうより是を感じて、しゆかうをいちぐ、いへただがもとへおくりていひけるは、「とのばらのいくさのやう、誠におもしろくみへたり。このさけめして、ちから
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つけて、てのきはいくさし給へ」といひおくりければ、金子へんじに申けるは、「さうけたまはりさうらひぬ。よくよくのみて、じやうをば只今におひおとしまうすべし」とて、やがてかぶとの上にもえぎのいとをどしのはらまきをうちかけて、すこしもしひずせめよせければ、おほすけこれをみて、わかものどもにげぢしけるは、「あわれ、いふかひなきものどもかな。あれを、二三十騎馬の鼻をならべてかけいだして、むさしのくにの者の案内もしらぬを、ふかたにおひはめて、わらへかし」とののしりけれども、「いくほどなきせいにてうちいでむことも、中々あしかりなむ」とていでざりければ、おほすけらうらうとして、しかもしよらうのをりふしなりけるが、しろきひたたれになへえぼしをしいれて、馬にかきのせられて、ざつしき二人を馬のさうにつけて、ひざををさへさせて、たちばかりをはきて、かたきの中へうちいでむとしければ、いとこのさののへいだはせ
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きたりて、「すけどのには物のつきたまひたるか。うちいでたまひてはなにのせんかはあるべき」とてひきとどめければ、おほすけ、「おのれらにこそ物のつきたるとはみれ。いくさといふは、あるときはかけいだしてかたきをもおひちらし、あるときはかたきにもをわれてひきしりぞきなむどするこそ、めをもさましておもしろけれ。いつといふこともなく、さうしかまとなむどいるやうにいくさする事、みもならわず」といふままに、むちをあげてさののへいだをぞ打たりける。さるほどにひもくれぬ。いくさおのおのしつかれて、おほすけ、ことのほかに心よわげにみへければ、こまごどもをよびて云けるは、「今はじやうちゆうもつてのほかによわげにみゆ。さればとておのおのさうなくじがいすべからず。兵衛佐殿はくわうりやうにうたれたまふまじき人ぞ。すけどののししやうをききさだめむ程は、かひなきいのちをいきて、しじゆうをみはて奉るべし。いかにもあは、かづさの方へぞ
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おちたまひぬらむ。こよひここをひきて、船にのりてすけどののゆくへをたづねたてまつるべし。よしあきことしすでに七十九才[B 「八十四才」と傍書]にせまれり。そのうへしよらうのみなり。『よしあきいくほどの命ををしみて、じやうのうちをばおちけるぞ』と、ごにちにいわれむ事もくちをしければ、われをばすてておちよ。全くうらみあるべからず。いそぎすけどのにおちくははりたてまつりて、ほんいをとぐべし」といひけれども、さればとてすておくべきにあらねば、こまご、たごしにおほすけをかきのせておちむとすれば、大介おほきにしかりて、こしにものらず。されどもとかくこしらへ、をしのせて、じやうのうちをばおちにけり。むねとのものどもは、くりはまのみさきに有けるふねどもにはいのりはいのり、あはの方へぞおもむきける。おほすけがこしはざつしきどものかきたりけるが、かたき近くせめかかりければ、こしをもすててにげにけり。近くつきつかへける女一人ぞつきたりける。
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かたきがくわんじやばらおひかかりて、おほすけがいしやうをはぎければ、「われはみうらのおほすけといふものなり。かくなせそ」と云けれども、かなはず。直垂もはがれにけり。さるほどに夜もあけにければ、おほすけ、「あわれ、我はよくいひつるものを。じやうちゆうにてこそしなむとおもひつるに、若き者のいふにつきて、いぬじにしてむずる事こそくちをしけれ。さらばおなじくははたけやまがてにかかりてしなばや」と云けれども、えどのたらうはせきたりて、おほすけがくびをばうちてけり。「いかにもをとなのいふことはやうあるべし。もとより大介がいひつるやうに、城中にすてをきたらば、かほどの恥にはおよばざらばし」とぞひとまうしける。ひやうゑのすけは、とひのかぢやがいるといふやまにこもりておわしけるが、みねにてみやりければ、いとうのにふだう、とひにおしよせて、さねひらが家をついふくし、やきはらひけり。さねひら、山のみねよりはるかに
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みおろして、「とひにみつの光あり。第一の光は、はちまんだいぼさつの君をまもりたてまつりたまふおんひかりなり。次の光は、きみごはんじやうあつて、いつてんしかいをかかやかしたまわむずるおんひかりなり。次のちひさきひかりは、さねひらが君のごおんによつてはうくわうせむずる光なり」とて、まひかなでければ、ひとみなわらひけり。
十六 さるほどに、さねひらがめなりける人のもとより、ししやをつかはして云けるは、「三浦の人々は、こつぼざかのいくさには勝て、畠山の人々多くうたれたりけるが、きぬがさのじやうのいくさにうちおとされて、君をたづね奉りて、あはのくにのかたへおもむきにけり。いそぎかのひとびとにおちくははり給べし」と申たりければ、さねひらこのよしを聞て、「さてはうれしき事ごさむなれ」とて、「あひかまへてこよひのうちにあまぶねにめして、安房国へつかせたまひて、かさねてひろつね、たねつねらをもめして、今一度ご
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みやうがのほどをもごらんさうらへ」と申ければ、もつともしかるべしとて、こうらといふところへいでたまひて、あまぶねいつそうにのりて、安房国へぞおもむき給ける。ひやうゑのすけいげの人々、七人ながら皆おほわらはにて、えぼしきたる人もなかりけり。そのうらにじらうたいふといふもののありけるに、「えぼしやある。まゐらせよ」とのたまひければ、二郎大夫さるこらうの者なりければ、かひがひしくえぼしとをかしらまゐらせたりければ、兵衛佐よろこびたまひて、「このけんじやうにはくににてもしやうにても、なんぢがこふによるべし」とぞのたまひける。二郎大夫しゆくしよにかへりて、さいしにむかひてまうしけるは、「えぼしひとつをだにももたぬおちうとにてにげまどふひとの、くわうりやうにもあづかりたりつるくにしやうかな」とまうしてわらひけり。さねひら、「このおんふねとくいだせ」と云ければ、しそくとほひら、「しばらくあひまつことさうらふ」と云ければ、真平、「なに
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ごとをあひまつべきぞや。おのれがしうとのいとうのにふだうをまちえて、君をもわれをもうたせむとするな。をかざきどの、そのやたらうめがくびうちおとしてたべ」と云ければ、岡崎、「さるにてもしゆうと父との事を、しうとの事に思ひかへじな、やたらう」とぞ云ける。やがて船さしいだしたりければ、あんのごとくに、いとうのにふだうさんじふよき、ひたかぶとにて、かたてやはげておひきたる。おひさまにもすひやくきにてせめきたる。「かしこくぞとくおんふねをいだして」とぞ人々いひあひける。
十七 さてほうでうのしらうときまさはかひのくにへおもむき、いちでう、たけた、をがさはら、やすだ、いたがき、そねのぜんじ、なこのくらんど、このひとびとにつげけるをば、ひやうゑのすけはしりたまはで、「このことをかひの人々にしらせばや」とて、「むねとほゆけ」とて、おんふみかきてつかはし
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けり。夜にいりてあしがらやまをこえけるに、せきやの前にひたかくたきたり。人あまたふしたり。つちやのさぶらうあゆみよりて、あしおとたかくし、しわぶきしてののしりけれども、「たそ」ともいわず。つちやの三郎おもひけるは、「ね入たるよしをして、ここをとをして、先に人ををきて、なかにとりこめむとするやらむ」。さればとてかへるべきにもあらずして、はしりとほりければ、誠にね入たりける時にをともせず。さてひとひとりゆきあひたり。あれもをそれてものもいわず、これもをぢておともせず。なかいつたんばかりをへだてて、たがひににらまへて、時をうつすほど立たりけり。つちやの三郎はさるふるつはものにてありければ、声をかへてとひけり。「只今このやまをこえたまふはいかなる人ぞ」といひければ、「かくのたまふは又いかなる人ぞ」。「わどのはたそ」。「わどのはたそ」ととふ程に、たがひに知たる声にききなしつ。「つちやどののましましさうらふか」。「むね
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とほぞかし。こじらうどのか」。「よしはるざうらふ」。土屋はもとよりこなかりければ、兄をかざきのしらうがこを取て、をひながらやうじにして、平家につかへてざいきやうしたりけるが、このことを聞て、よるひるくだりけるが、しかるべきことにや、親にゆきあひにけり。夜中の事なれば、たがひに顔はみず。声ばかりを聞て、てにてを取組て、いひやるかたもなし。只「いかにいかに」とぞいひける。山中へいりて、このもとにゐて、つちやこじらうがまうしけるは、「きやうにてこのことをうけたまはりて、くだりさうらひつるが、けふいつかは馬のりたてて、かちにてくだりさうらふ、げにん一人もおひつかず。このひるきせがはのしゆくにてうけたまはりさうらひつれば、『いしばしのいくさにひやうゑのすけどのもうたれ給ひぬ。土屋、岡崎もうたれたり』とまうしさうらひつれば、『なましひに京をばまかりいでさうらひぬ。波にもいそにもつかぬここちしてさうらひつる
が、さるにても土屋のかたへまかり
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て、いちぢやうをうけたまはりさだめむ』とてくだりさうらひつるが、せきやのほどがおもひやられて、あしうらしてさうらひつるなり」とかたりければ、つちやの三郎おもひけるは、「ゆみやとるもののにくさは、親をうちてはこはよにあり、こを殺しては親よにあるならひなれば、しかもまことの親にてもなし。あれは只今まで平家につかへたり、これは源氏をたのみてあり。くびを取て平家のげんざんにもやいらむとおもふらむ」とおもひければ、ありのままにもいはざりけり。「うたれたる人とては、わどのが兄よいちどの、北条三郎、さはの六郎。くどうのすけはじがいしつ。ひやうゑのすけどのはかひへときくときに、たづねたてまつりておもむくなり。いざさらば、わどのも」とて、かひぐしてつれてゆく。かひのくにへおもむきて、いちでうのじらうがもとにてぞ、ありのままにはかたりける。
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十八 三浦の人々は、しゆうにはわかれぬ、親にはおくれぬ、あまの船流したるここちして、あはのくにのきたのかた、りようがいそにぞつきにける。しばらくやすらふほどに、はるかのをきに、くもゐにきへて、船こそいつそうみへたりけれ。このひとびとまうしけるは、「あれにみゆる船こそあやしけれ。これほどのおほかぜに、あまぶね、つりぶね、あきないぶねなむどにてあらじ。あわれ、ひやうゑのすけどののおんふねにてや有らむ。又かたきの船にてや有らむ」とて、ゆんづるしめして、ようじんしてありけるに、船は次第に近くなる。誠の兵衛佐の御船なりければ、かさじるしをみつけて、三浦の船よりもかさじるしをぞあはせける。なほようじんして、兵衛佐殿はうちいたの下にかくし奉りて、それが上にとのばらなみゐたり。三浦の人々はいつしか心もとなくて、船をぞおしあはせける。船おしあはせて、わだのこたらうまうしけるは、「いかに、すけどのは渡らせたまふ
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か」。をかざきまうしけるは、「われらもしりまゐらせぬ時に、たづねたてまつりてありくなり」とて、きのふ、をととひのいくさの物語をぞはじめける。三浦は「おほすけがいひし事は」とて、語りてなく。岡崎は「よいちがうたれし事は」とて、かたりてなく。兵衛佐はうちいたの下にてこれをききたまひて、「あはれ、よにありて、これらに恩をせばや」とぞ、さまざまにおもはれける。いたくひさしく隠れて、是等にうらみられじとて、「よりともはここにあるは」とて、うちいたの下よりいでたまひたりければ、三浦の人々これをみ奉りて、おのおのよろこびなきどもしあひけり。わだのこたらうがまうしけるは、「父もしね、子孫もしなばしね、只今君をみ奉りつれば、それにすぎたるよろこびなし。今はほんいをとげむ事、うたがひあるべからず。君、今は只さぶらひどもに国々をわかちたまふべし。よしもりにはさぶらひのべつたうをたまはるべし。かづ
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さのかみただきよが、平家より八ケ国のさぶらひの別当をたまはりて、もてなされしが、うらやましくさうらひしに」と申ければ、兵衛佐は、「ところあて余りに早しとよ」とて、わらひたまひけり。そのよは兵衛佐、あはのくに安戸だいみやうじんにさんけいして、せんべんのらいはいをたてまつりて。
みなもとはおなじながれぞいはしみづせきあげ給へ雲のうへまで K106
其夜ごほうでんよりけだかきみこゑにて。
ちひろまで深くたのみていはしみづ只せきあげよ雲の上まで K107
兵衛佐は、使者をかづさのすけ、ちばのすけがもとへつかはして、「おのおのいそぎきたるべし。既にこれほどのだいじをひきいだしつ。このうへは、頼朝をよにあらせむ、よにあらせじは、りやうにんがこころなり。ひろつねをば父とたのむ、たねつねをば母と
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おもふべし」とぞのたまひける。りやうにんともにもとよりりやうじやうしたりしかば、たねつね三千余騎のぐんびやうをそつして、ゆふきのうらにさんくわいして、すなはち兵衛佐殿をあひぐしたてまつりて、しもつふさのこくふにいれ奉りて、もてなし奉りて、たねつねまうしける