平曲譜本 藝大本 巻十
じゆえい三ねんにんぐわつなぬかのひ、せつつのくにいちのたににてうたれたまへる、へいじのくびども十二にちに
みやこへいるときこえしかば、へいけにむすぼれたりしひとびとは、こんどわがかたさまにいかなるうきこと
をかきかんずらんいかなるうきめをかみんずらんとなげきかなみあはれけり。なかにもだいがく
じにかくれゐたまへる、こまつの三みのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたは、ことさらおぼつかなうおもはれける
に、まだ三みといふくぎやういちにんいけどりにせられてのぼるなりとききたまひて、そのひとはなれじも
のをとてひきかづいてぞふしたまふ。あるにようばうのだいがくじにまゐつてまをしけるは、三みのちうじやうどのと
は、これのおんことにてはさふらはず、ほんざんみのちうじやうどののおんことなりとまをしければ、さてはくびども
のなかにこそあらんずらめとて、いととこころやすうもおもひたまはず、あくる十三にち、たいふのはうぐわん
なかより、六でうがはらにいでむかつて、へんじのくびどもうけとる。六でうをひんがしのどうゐんをきたへわ
たいて、ごくもんにかけらるべきよし、のりよりよしつねそうもんせられたりければ、ほふわうこのこといかがあ
らんずらんと、おぼしめしはづらはせたまひて、だいじやうだいじん、そうのだいじん、ないだいじん、ほりかはのだいな
ごんただちかのきやうらにおほせあはせらる、五にんのくぎやうまをされけるは、むかしよりきやうしやうのくらゐにいたるひと
のくび、おほぢをわたさるることせんれいなし。なかにもこのひとびとは、せんていのおんときよりせきりのしんと
してひさしくてうけにつかうまつる。はんらいぎけいがまをしでう、あながちにごきよようあるべからざるまをし
そうもんせられたりければ、ほふわうさらばわたさるまじきにさだめられたりしが、のりよりよしつね、
かさねてまをされけるは、ほうげんのむかしをおもへば、そふためよしがあだ、へいぢのいにしへをあんずるに、ちち
よしともがかたきなり。こんどへいじのくび、おほぢわたされざらんにおいては、じこんいごなんのゆうあつて
か、きようとをしりぞけんやと、かさねてそうもんせられたりければ、ほふわうちからおよばせたまはず、つひに
わたされけり。みるひといくせんばんといふすうをしらず、ていけつにそでをつらねしいにしへは、おぢおそるるやから
おほかりけり、ちまたにかうべをわたさるるいまは、あはれみかなしまずといふことなし。なかにもだいがくじにかく
れゐたまへる、こまつの三みのちうじやうこれもりのきやうのわかぎみ、六だいごぜんにつきたてまつたりける、さいとう
五さいとう六、あまりのせんかたなさにや、さまをやつしてみけるに、くびどもはみなみしりまゐらせたり
しかども、三みのちうじやうどののおんくびはみえたまはず。されどもあまりのかなしさに、つつむにた
へぬなみだのみしげかりければ、よそのひとめもおそろしくて、いそぎだいがくじへぞかへりける。きたのかた、
さていかにいかにととひたまへば、ごきやうだいのおんなかには、びつちうのかうのとののおんくびばかりこそみえさ
せたまひさふらへ、そのほかは、そんぢやうそのくび、そのおんくびとまをしければ、きたのかたそれもひと
のうへともおぼえずとて、ひきかづいてぞふしたまふ。ややあつてさいとう五またなみだをおさへてまを
しけるは、この一りやうねんはかくれゐさらふひて、ひとにもいたくみしられまゐらせさふらはねば、いましば
くもみまゐらすべうさふらひしかども、よにあんないくはしくしりまゐらせたるもののまをしさふらひしは、
こまつどののきんだちたちは、はりまとたんばとのさかひなる、みぐさのてをかためさせたまひてさふらひしが、
九らうよしつねにやぶられて、しんざんみのちうじやうどの、おなじきせうしやうどの、たんごのじじゆうどのは、はりまのたかさご
よりおんふねにめして、さぬきのやしまへわたらせたまひさふらひぬ。されどもそのなかにびつちうのかうのとの
ばかりこそ、なんとしてかはもれさせたまひけるやらん、こんどいちのたににてうたれさせたまひて
さふらふとまをしさふらひしほどに、さて三みのちうじやうどののおんことは、いかにととひまゐらせてさふらへば、それは
いくさいぜんよりだいじのおんいたはりとて、さぬきのやしまへわたらせたまひて、このたびはむかはせたまはず、と
まをすものにこそあひてさふらひしかとまをしければ、きたのかた、それもわれらがことをこころぐるしくおもひ
たまひて、あさらふきなげかせたまふがやまひとなりたるにこそ、かぜのふくひは、けふもやふねにのりたま
ふらんと、きもをけし、いくさといふときは、ただいまもやうたれたまふらんと、こころをつくす。ましてさ
やうのおんいたはりなんどをば、たれかこころやすうあつかひたてまつるべき。かれをくはしうきかばやとのたまへ
ば、わかぎみひめぎみも、などなんのおんいたはりとは、とはざりけるよと、のたまひけるこそあはれなれ。
三みのちうじやうも、かよふこころなれば、やにあたつてもしにみづにおぼれてもうせぬらん。いままだこの
よにあるものとはよもおもひたまはじ、つゆのいのちののながらへたるをつげしらせまゐらせんとて、
とかうしてつかひをいちにんしたてて、みやこへのぼせられけるが、みつのふみをぞかかれたる。まづきたの
かたへのおんふみには、みやこにはかたきみちみちて、おんみひとつのおきどころだにあらじに、をさなきものどもひき
ぐして、いかにかなしうおはすらん。これへむかへまゐらせて、ひとつところにていかにもならばや
とはおもへども、わがみこそあらめ、ひとのためいたはしくてなんど、こまごまとかいて、おくに一しゆのうた
ぞありける。
いづくともしらぬあふせのもしほぐさかきおくあとをかたみともみよ
さてをさなきひとびとのおんもとへのおんふみには、つれづれをばなんとしてかはなぐさみたまふらん。やがてこれへむかへと
らんずるぞと、おなじことばにかいてのぼせらる。つかひみやこへのぼり、いそぎだいがくじにまゐつてきたの
かたにおんふみとりいだしてたてまつる。これをあけてみたまひて、いとどおもひやまさられけん、ひきかづい
てぞふしたまふ。かくて四五にちもすぎしかば、つかひ、おんぺんじたまはつてかへりまゐりさふらはん、と
まをしければ、きたのかたなくなくかへりごとかきたまへり。わかぎみひめぎみもめんめんにふでをそめて、さてちち
におんぺんじをば、なんとまをすべきやらんととはれければ、たためんめんのおもひはんずるやうをまをす
べしとぞのたまひける。などやいままではむかへさせたまひさふらはぬぞ、あまりにおんこひしうおもひまゐらせ
さふらふほどにいそぎむかへとらせたまへと、ことばもかざらずかいてくだされけり。つかひ、やしまへかへりまゐつ
て、ちうじやうどのにおんぺんじとりだいてたてまつる。まづをさなきひとびとのかへりごとをひらけてみたまひて、いと
どせんかたなげにぞみえられける。そもそもこれよりゑどをいとふにいさみなし、ゑんぶあいしふのつなつよけ
れば、じやうどをねがふもこころうし、ただこれよりやまつたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いまいちど
みもしまみえてのち、じがいせんにはしかじとぞ、なくなくかたりたまひける。
おなじき十しにち、いきどりほんざんみのちうじやうしげひらのきやう、みやこへいつて、おほぢをわたさる。こばちえふ
のくるまのぜんごのみすをあげ、さうのものみをひらく。どひのじらうさねひらは、もくらんぢのひただれに、こ
ぐそくばかりして、ずゐひやう三十よにんひきぐして、くるまのぜんごをしゆごしたてまつる。きやうちうのじやうげ、あ
ないとほし、いくらもましますきんだちのなかに、この人いちにんかやうになりたまふことよ、にふだう
どのにも、二ゐどのにも、おぼえのおんこにて、いちもんのひとびともおもきことにして、ゐんへもうちへもまゐ
りたまひしには、ところおほくもてなしたてまつらせたまひしぞかし。いかさまにもこはならをやきたまへ
るがらんのばちといひあへり。六でうをひんがしへかはらまでわたいて、それよりかへつて、こなかのみかどのとう
ちうなごんかせいのきやうのみどう、八でうほりかはなるところにすゑたてまつて、きびしうしゆごしたてまつる。ゐんのごしよ
よりおつかひあり。くらんどのさゑもんごんのすけさだなが、八でうほりかはへぞむかひける。せきいにけんしやくをぞたい
したりける。三みのちうじやうは、こむらごのひただれに、をりゑばうしひきたてておはしける。ひごろは
なんともおもはれざりしさだながを、いまはめいどにてざいにんどもの、みやうくわんにあへるここちぞせられけ
る。おほせくだされけるは、やしまへかへりたくば、三じゆのしんきのおんことを一もんのうちへいひおく
つてみやこへかへしいれたてまつれ。しからばやしまへかへさるべしとのごきしよくなり。三みのちうじやうまをされ
けるは、さしにもわがてうのぢうほう三じゆのしんきを、しげひらいちにんへかへまゐらせんとは、だいふいか
一もんのものどもがよもまをしさふらはじ。にふしやうでさふらへば、もぎのにほんなんどやさもまをしさふらはん
ずらん、さりながらも、ゐながらもゐんぜんをかへしまゐらせんはそのおそれもさふらへば、すみやにまをしおく
つてこそみさふらふはめとぞまをされける。ゐんぜんのおつかひは、へいざゑもんしげくにおつぼのめしつぎはながたとい
ふものなり。おほいとのへいだいなごんへは、ゐんぜんのおもむきをまをさる。二ゐどのへは、おんふみこまごまとか
いてまゐらせらる。わたくしのふみをばゆるされなければ、ひとびとのもとへはことばにてことづてらる。きた
のかただいなごんのすけどのへも、ことはにてまをされけり。たびのそらにても、ひとはわれになぐさみ、われは
ひとになぐさみしものを、ひきわかれてのち、いかにかなしうおはすらん。ちぎりはくちせぬものとまをせ
ばのちのよにはうまれあひたてまつるべし、なならずひとつはちすにといのりたまへと、なくなくことづてたまへ
ば、しげくにもまことにあはれにおぼえて、なみだをおさへてたちにけり。ここに三みのちうじやうのとしごろのさふらひ
に、むくうまのぜうともときといふものあり。どひのひらうさねひらがもとにゆいて、これはねんらい三みのちう
じやうどのにめしつかはれさふらひしなにがしとまをすものにてさふらふが、こんにちおほぢにておんありさまをみまゐらせて
さふらへば、めもあてられず、あまりにおいたはしうおもひまゐらせさふらふ。なにかくるしくさふらふべき。ともとき
ばかりはおんゆるされをかうふりちかづきまゐつて、はかなきむかしがたりをもまをして、おんこころをもなぐさめたてまつ
らばやとぞんじさふらふ。さいこくへおんくだりさふらひしときもおんともつかまつるべうさふらしかども、八でうのによゐんに
けんざんのものにてさふらひしあひだきやうとにとどまつてさふらふ、ゆみやをとるみにてもさふらはねば、いくさかつせんのおんともを
もつかまつらず。あさいふたたおんまへにしこうせしばかりでさふらひき。それになほこころもとなくおぼしめされ
さふらはば、こしのかたなをめしおかれて、まげておんゆるされをかふふりさふらはばやとまをしければ、どひのじ
らうなさけあるものにて、まことにご一しんばかりはなにかくるしうさふらふべき、さりながらもとて、こしの
かたなをばこひとつてぞいれてんげる。うまのぜうなのめならずによろこび、いそぎまゐつてみたてまつるに、ま
づおすがたもしほれかへつてわたらせたまふをみまゐらせて、ともときなみだもさらにおさへがたし、三みの
ちうじやうもゆめにゆめみるここちして、しばしはものをものたまはず。ややあつてのたまひけるは、さてもなんぢし
てものいひしひとは、いまだだいりにとやきく。さこそうけたまはりさふらへ。さいこくへくだりしときも、ふみ
をもやらず、いひおくこともなかりしかば、よよのちぎりはみないつはりになりにけるよ、とおもふさ
へこそかなしけれ。ふみをやらばやとおもふはいかに、たづねゆきてんやとのたまへば、ともとき、やす
いほどのおんことさふらふおんふみたまはつてまゐりさふらはんとまをしければちうじやうなのめならずよろこびやがて、かき
てぞたうでんげる。ともときこれをたまはつて、すでにいでんとしければ、しゆごのぶしども、いか
なるおんふみにてかさふらふらん、みまゐらせさふらはんとまをしければ、ちうじやうみせよとてみせんてげり。
にようばうのもとへのふみなりくるしかるまじとて、とらせてんげり。ともときこれをとつて、だいりへはせまゐ
り、ひるはひとめのしげければ、あるこやにたちより、ひをまちくらし、たそがれときにまぎれいつて
くだんのにようばうのつぼねのしもぐちべにたたずんでききければ、かのにようばうのこゑとおぼしくてひとはみなならを
やきたまへるがらんのばちといひあへり。ちうじやうもさぞいひし。わがこころにおこつてはやかねども、
あくたうおほかりしかば、てんでにひをはなつて、おほくのたふだうをやきはらふ、すゑのつゆ、もとのしづくの
ためしあれば、しげひらひとりがざいごふにこそならんずらめといひしか、げにさとおぼゆるなりとて、
なかれければ、ともときあないたましこれにもいまだわすれたまはぬことよとおもひ、ものまをさうといへ
ば、なにごととこたふ、これに三みのちうじやうどののおんふみのさふらふ、とあんないいひいれたりければ、ひごろ
ははぢてみえたまはぬひとの、いづらや、いづらとて、はしりいで、てづからこのふみをひらきて
みたまふに、さいこくにていけどりにせられたりしありさま、けふあしたをもしらぬみのゆくへをこまごまと
かいて、おくには一しゆのうたぞありける。
なみだがはうきなをながすみなりともいまひとたびのあふせともがな
にようばうこのふみをかほにおしあてて、しばしはとかくのことをものたまはず、ひきかついぞふしたまふ。か
くてじこくはるかにおしうつりければ、ともときおんぺんじたまはつて、かへりまゐりさふらはんとまをしければ、にようばう
なくなくかへりごとかきたまへり。こころぐるしういぶせくて、このふたとせをおくりたりしありさま、こまごまと
かいて、おくには一しゆのうたぞありける。
きみゆゑにわれもうきなをながすともそこのみくづとともになりなん
ともときこれをたまはつて、かへりまゐりたりければ、しゆごのぶしども、またいかなるおんふみにてかさらふ
ふらん、みまゐらせさふらひなんとまをしければ、ちうじやうみせよとてみせてげり。くるしくさふらふまじ
とてたてまつる。ちうじやうこれをあけてみたまひて、いとせんかたなげにぞみえられける。そののちちうじやうしゆご
のぶしにのたまひけるは、さてもこのほどおのおののはうしんおはしけるこそなによりもまたうれしけれ、いま一ど
はうおんかうむりたきことあり。われは一にんのこなければ、うきよにおもひおくことなし。ねんらいちぎつ
たるにようばうに、いま一どけんざんして、ごしやうのことをもいひおかばやとおもふはいかにとのたま
へば、どひのじらうなさけあるもにてまことににようばうなんどのおんことはなにかくるしうさふらふべき、
とうとうとてゆるしたてまつる。ちうじやうなのめならずよろこび、ひとにくるまかりてつかはされたりければ、によう
ばうとるものもとりあへず、いそぎのつてぞいでられける。ちうじやうくるまよせまでいでむかつて、しゆ
ごのぶしどものみまゐらせさふらふに、おんくるまよりはくだりさせたまふべからずとて、みすつちかづぎ、
てにてをとりくみ、かほにかほをおしあてて、しばしはとかうのことをものたまはず、ややあつて、ちう
じやうなみだをおさへてのたまひけるは、さいこくへまかりくだりさふらひしときも、おんげんざんにいりたかりつれど
も、おほかたせけんのものさはがしさ、まをしおくこともなくしてうちすぎまかりくだりさふらひぬ。そののちはかなきふで
のあとをもまてまつり、おんかへりごとをもいま一どみまゐらせたくはぞんじさふらひしかども、あさいふのいくさだちに
ひまなくして、むなしうまかりすぎさらふひき。さいこくにて、いかにもなるべかりしみのいきながら
とらはれて、これまでのぼりさふらふことも、ふたたびおんげんざんにまかりいるべきにてさふらひけりとて、またなみだをぞ
ながされける。さよもやうやうふけゆけば、しゆごのぶしども、このごろはおほぢのらうぜきもぞさふらふ
らん、とうとういだしまゐらつさせたまへかしとまをしければ、ちうじやうちからおよびたまはず。つひに
いだしまゐらつさせたまひけり。もんにくるまやりいだせば、ちうじやう、にようばうのたもとをひかへて、
あふこともつゆのいのちももろともにこよぴばかりやかぎりなるらん
にようばうのかへりごとに
かぎりとてたちわかるればつゆのみのきみよりさきにきえぬべきかは
さてにようばうはだいりへかへりまゐりたまふ。そののちは、しゆごのぶしどもゆるさねば、ときどきたたおんふみばか
りぞかよひける。そもそもこのにようばうとまをすは、みんぶきやうにふだうしんぱんのむすめなり。ちうじやうなんとへわたされて、
きられたまひぬときこえしかば、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはて、かのごせぼだいを
ともらひたまふぞあれはなる。
おなじき廿八にちゐんせんのおつかひへい三ざゑもんのしげくにおつぼのめしつぎはながた、やしまにくだりついて、ゐん
ぜんをとりだいてたてまつる。おほいとのいげのきやうしやううんかくよりあひたまひて、このゐんぜんをひらかれけり。
『一にんせいたい、ほくけつのきうきんをいでしよしうにかうし、三じゆのしんき、なんかい四こくにうづもれて、すうねんのふ、
もつともてうかのなげき、ばうこくのもとゐなり。そもそもかのしげひらのきやうは、とうだいじせうしつのぎやくしんなり。すべからくより
とものあつそんまをしうくるむねにまかせて、しざいにおこなはるべしといへども、ひとり、しんぞくにわかれて、
すでにいけどりとなる、ろうてうくもをこひふるおもひ、はるかにせんりのなんかいにうかび、きがんともをうしなふこころ、さだ
めてきうちやうのちうとにつうぜんか。しかればすなはち三じゆのしんき、みやこへかへしいれたてまつられんにおいて
は、かのきやうをくわんいうせらるべきなり、ていれば、ゐんぜんかくのごとく、よつてしつたつくだんのごとし。
じゆえい三ねんにんぐわつ十しにち、だいぜんのだいぶなりただがうけたはつてしんじやう、さきのへいだいなごんへ』とぞかかれたる。
おほいとの、へいだいなごんへ、ゐんぜんのおもむきをまをさる。二ゐどのへもおんふみこまごまとかいてまゐらせら
れたりければ、二ゐどのこのふみをあけてみたまふに、げにもしげひらをこんじやうにていまいちどごらんぜん
とおぼしめさんにおいいては、三じゆのしんきのおんことをよきやうにまをさせたまひて、みやこへかへしいれさ
せたまへ、ささふらはではこのよにておんめにかかるべしともぞんじさふらはずとぞかかれたる。二ゐ
どのこのふみをかほにおしあてて、ひとびとのおはしけるうしろのしやうじをひきあけ、おほいとののまへにたふれふ
し、しばしはとかうのことをものたまはず。ややあつてなみだをおさへてきやうよりちうじやうがいひおこしつること
のむざんさよ、げにもこころのうちに、いかばかんのことをかおもふらん。三じゆのしんきのおんことは、
たたわれにおもひゆるいてみやこへかへしいれさせたまへとのたまへば、おほいとの、むねもりさこそはぞんじさふらへど
も、ていわうのおんよなたもたせたまふおんこともひとへにかのないしじしよのわたらせたまふおんゆゑなり、かつうはよのきこ
えもしかるべからず。かつうはよりともがかへりきかんずるところもいひがひなうおぼえさふらふ。さてよのこ
どもしたしきひとびとをば、しげひら一にんにおぼしめしかへられさふらはんずるか、このかなしいも、ことにこそよ
りさふらへ、ゆめゆめかなひさふらふまじとまをされたりければ、二ゐどの、よにもほいなげにて、
かさねてのたまひけるは、わがこにふだうしやうこくにおくれてよりこのかた一にちへんじも、いのちいきてよにあるべ
しとは、おもはざりしかども、しゆじやうのいつとなく、さいかいのなみのうへにただよはせたまふおんこころぐるし
つさに、きみをもいま一どよにあらせたてまつらんとおもふためにこそ、うきながらこんにちまでもなが
らへたれ。ちうじやういちのたににていけどりにせられぬとききしのちは、いとどむせきてゆみづものどへ
いれられず。ちうじやうこのよになきものときかば、われもおなじみちにおもむかんとおもふなり、ふたたびもの
をおもはせぬさきに、ただわれをうしなへやとて、こころこがれたまへば、まことにさこそはとおぼえで、みなふしめ
にぞなられける。しんちうなごんとももりのきやうのいけんにまをされけるは、さしもにわがてうのぢうほう、
三じゆのしんきをみやこへかへしいれさせたまひたりとも、しげひらをかへしたまはらんことはりがたし。ただ
そのやうを、はばかりなうおんうけぶみにまをさせたまふべうもやさふらふらんと、まをされければ、このぎ
もつともしかるべしとて、おほいどの、へいだいなごんはおんうけぶみをまをさる。二ゐどのはなみだにくれて、ふでの
たちともおぼえたまはねども、こころざしをしるべに、なくなくかへりごとかきたまへり。きたのかただいなごんの
すけどのは、とかうのことをものたまはず、ひきかづいてぞふしたまふ。しげくにもまことにあはれとおぼえてなみだ
をおさへていでにけり。へいだいなごんときただきやう、おつぼのめしつぎはながたをめして、なんぢほふわうのおつかひとし
て、みやこよりおほくのなみぢをしのぎつつ、はるばるとこれまでくだつたるに、なんぢ一ごがあひだのおもひでひとつ
あるべしとて、はながたがつらに、なみかたといふやいじるしをぞせられける。みやこへかへりのぼつたりけれ
ば、ほふわうえいらんなつて、はながたか。さんざふらふ。よしよし、さらばなみかたともめせかしとて、
わらはせおはします。
『こんぐわつ十しにちのゐんぜん、おなじき二十八にち、さぬきのくにやしまのいそにたうらい、つつしんでうけたまるところ
くだんのごとし。ただしそれについてかれをあんずるに、みちもりのきやういげ、たうけすうはい、せつしういちのたににて、
すでにちうせられをはんぬ。なんぞしげひら一にんがくわいいうをよろこぶべきや。それわれきみは、こたかくらのゐんの
おんゆづりをうけさせたまひて、ございゐすでに四かねん、まつりごと、げうしゆんのこふをとぶろふところに、とういほくてきたう
をむすび、むれをなしてじゆらくのあひだ、かつうはえうていぼこうのおんなげきもつともふかく、かつうはぐわいせききんしんのいきとぼり
あさからざるによつて、しばらく九こくにかうす。くわんかうなからんにおいては、三じゆのしんき、いかで
かぎよくたいをはなちたてまつるべきや。それしんはきみをもつてこころとして、きみはしんをもつてたいとす。きみやすけれ
ばすなはちしんやすく、しんやすければすなはちくにやすし。きみ、かみにうれふれば、しん、しもにたのしまず。しんちう
にうれひあれば、たいぐわいによろこびなし。なうそへいしやうぐんさだもり、さうまのこじらうまさかどをつゐたうせしより
このかた、とう八かこくをしづめて、てうてきのばうしんをちうばつして、だいだいせせにいたるまで、てうかのせい
うんをまぼりたてまつる。しかればすなはち、こばうふだいじやうだいじん、ほうげんへいぢりやうどのげきらんのとき、ちよくめいをおも
んじてわたくしのめいをかろんず。これひとへにきみのためにして、まつたくみのためにせず。なかんづく、か
のよりともは、さんぬるへいぢぐわんねん十にんぐわつ、さまのかみよしともがむほんによつて、そのときすでにちうばつせ
らるべきよし、しきりにおほせくださるといへどもこにふだうたいしやうこくじひのあまり、まをしなだめられ
しところなり。しかるに、むかしのこうおんをわすれて、はういをぞんぜず、たちまちにらうれいのみをもつてみだりに
ほうきのらんをなす、しぐのはなはだしきことまをしてあまりあり。はやくしんめいのてんばつをまねぎ、ひそかにはいせき
のそんめつをごするものか。それじつげつは一もつのためにそのあきらかなることをくらうせず。めいわうは
一にんがためにそのはふをまげず。一あくをもつてそのぜんをすてず、せうかをもつてそのこうをおふ
ことなかれ。かつうはたうけすだいのほうこう、かつうはばうふすどのちうせつ、おぼしめしわすれずば、きみかたじけな
くも四こくのごかうあるべきか。ときにしんらゐんぜんをうけたまはつて、ふたたびきうとにかへつて、くわいけいのはぢを
きよめん。もししからずば、きかい、かうらい、てんぢく、しんだんにいたるべし。かなしきかな。にんわう
八十一だいのぎようにおよんで、わがてうかみのよのれいほう、つひにむなしくいこくのたからとなさんか。よろし
くこれらのおもむきをもつて、しかるべきやうにもらしそうもんせしめたまへ。むねもりとんじゆ、つつしんでまをす。じゆ
えい三ねん二ぐわつ二十八にち、じゆう一ゐさきのないだいじんたひらのあくそんむねもりがうけぶみとこそかかれたれ。
『いまださうをまをされざりつるほどは、なんとなくこころもとなうおもはれけるに、うけぶみすでにたうらいし
てんげれば、さればこそさしもにわがてうのぢうほう三じゆのしんきをしげひら一にんにかへまゐらせんとは
よもまをされじとこそおもひつるにとぞひとびとささやきあはれける。三みのちうじやうもないふいげのものどもが
いかにあしうおもはんずらんとこうくわいせられけれども、かひぞなき』。うけぶみすでにたうつたいしてくわん
とうへくだらるべきにさだまりしかば、三みのちうじやうみやこのなごりもいまさらをしうやおもはれけん、どひ
のじらうさねひらをめして、しゆつけをせばやとおもふはいかにとのたまへば、九らうおんざうしにこのよしをまを
す。ほふわうへうかがひまをされたりければ、かまくらのよりともにみせてのちこそともかうもはからはめ。ただ
いまはいかでゆるすべきとおほせければ、ちうじやうどのにこのよしをまをす。さらばねんらいちぎりたるひじりに
いま一どげんざんして、ごやうのことをもまをしだんぜばやとおもふはいかにとのたまへば、どひのじらう
さてそのひじりをばたれとまをしさふらふやらん。くろだにのほふねんばうといふひとなり。そのひとならばくろしかるま
じ、とうとうとてゆるしたてまつる。ちうじやうなのめならずによろこび、いそぎひじりをしやうじしやうにんにむかつてまをされ
けるは、さいこくにていかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれてこれまでのぼりさふらことは、
ふたたびしやうにんのおんげんざんにまかりいるべきにてさふらひけり。さてもしげひらがこうしやういかがさふらふべき、みの
みにてさふらひしときは、しゆつしにまぎれ、せいむにほだれ、けうまんのこころのみふかくして、たうらいのせうちん
をかへりみず。うんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、ここにあらそひかしこにたたかひ、ひとをほろぼしみを
たすからんとおもふあくしんのみさへぎつて、ぜんしんはかつておこらず、そもそも、なんとえんしやうのことは、わうめいと
いひ、ふめいといひ、きみつかへ、よにしたがふはふ、のがれがたうして、ただしうとのあくぎやうをしづめんが
ために、まかりむかつてさふらへば、ふりよにがらんのめつばうにおよびぬることは、ちからおよばざるしだいな
り。されどもときのたいしやうぐんにてさふらひしあひだ、せめ一にんにきすとかやまをしさふらへば、しげひら一にん
がざいごふにこそなりさふらはんずらめ。かれこれはぢをさらしさふらふことも、しかしながらそのむくいと
のみこそぞんじさふらへ。このついでにかしらをそり、かいをももちなんどしてひとへにぶつだうしうぎやうした
うはさふらへども、けふあすをもしらぬみのゆくへにまかりなりてさふらへば、いかならんぎやうをしうし
ても、いちがうたすかりぬべきとおぼえぬことこそくちをしうはさふらへ。つらつらいつしやうのけぎやうをあんず
るに、ざいごふはしゆみよりもたかく、ぜんごんはみぢんばかりもたくはへなし。かくてむなしうをはりさふらひな
ば、くわけつたうのくくわあえて\うたがひ-なし。ねがくはしやうにんじひをおこし、あはれみをたれたまひて、かかるあく
にんのたすかりぬべきはうはふさふらはば、しめしたまへとまをされければ、しやうにんなみだにむせびうつぶし
て、しばしはとかうのへんじにもおよひたまはず。ややあつておきあがりなみだをおさへてまことにうけがた
きじんしんをうけながら、むなしう三づにかへりましまさんこと、かなしんでもなほあまりあり。しかる
にいまゑどをいとひ、じやうどをねがはんとおぼしめさば、あくしんをすてて、ぜんしんをおこしましまさば、
三せいのしよぶつもさだめてずゐきしたまふらん。しゆつりのみちまちまちなりとはまをせども、まつほふじよくらんのき
には、しようみやうをもつてすぐれたりとす。こころざしをくほんにわかち、ぎやうを六じにつづめて、いかなるぐち
あんどんのものもとなふるにたよりあり。つみふかければとて、ひげしたまふべからず。十あく五ぎやくゑしんす
れば、わういじゃうをとぐ、くどくすくなければとて、のぞみをたつべからず。一ねん十ねんのこころをいたせばらい
がうす。せんしようみやうがうしさいはうとしやくして、もつぱらみやうがうをしようすれば、せいはうにたり、ねんねんしようめいじやう
ざんげとのべて、ねんねんにおんなをとなふれば、ざんげするなりとぞをしへける。りけんそくぜみだ
がうをたのめばまえんちかづかず。一せいしようねんざいかいぢよとねんずれば、つみみたのぞけりとみえたり。じやうど
しうのしごくは、おのおのりやくをぞんじて、たいりやくこれをかんしんとす。ただしわうじやうのとくふは、しんじんのうむに
よるべし。ただこのをしへをふかくしんじて、ぎやうぢうざぐわ、じしよしよえんをきらはず、三ごふ四ゐぎにおいて、
しねんくしようをわすれたまはずば、ひつみやうをごとして、このくゐきのかいをいでて、ふたいのどにわうじやうし
たまはんこと、なんのうたがひかあらんや、とけうげしたまへば、かいをたもちたうさふらふ、しゆつけつかまつらでは
かなひさふらふまじやと、まをされたりければ、しやうにん、しゆつけせぬひとの、かいをたもつことはつねのなら
ひなりとて、ひたひにかみそりをあてて、そるまねをして、十かいをさづけらる。ちうじやうずゐきのなみだを
ながいて、これをうけたもちたまふ。しやうにんもものあはれにおぼえて、かきくらすここちして、なく
なくかいをぞとかれける。ややあつてごふせとおぼしくて、ひごろおはしてあそばれたりける、
さふらひのもとにあづけおかれたりけるおんすずりを、ともときしてめしよせしやうにんにたてまつり、あひかまへてこれ
をばひとにたまひさふらはで、つねにおんめのかからんずるところにおかれさふらひて、それがしがものとごらんぜら
れんたびごとに、おんねんぶつさふらふべし。またおんすきには、きやうをも一くわんおゑかうさふらはば、ありがたきおんなさけに
てこそさふらはんずらめとまをされければ、しやうにんとかうのへんじにもおよびたまはず、これをとつて
ふところにひきいれてなくなくくろだにへぞかへられける。くだんのすずりは、しんぷにふだうさうこく、そうてうのみかどへさ
きんをおほくまゐらつさせたまひたりしかば、へんぱうとおぼしくて、につぽんわだのへいだいさうこくのもとへと
て、おくられたりけるとかや。なをばまつかげとぞまをしける。
さるほどに、ほんざんみのちうじやうしげひらのきやうをば、かまくらのさきのうひやうゑのすけよりとも、しきりにのたまふあはひ、
さらばくださるべしとて、どひのじらうさねひらがてより、九らうおんざうしのしゆくしよへわたしたてまつる。じゆ
えい三ねん三ぐわつ十かのひ、かぢはらへいざうかげときにぐせられて、くわんとうへこそくだられけれ。さいこくにて
いかにもなるべかりしみの、いきながらとらはれて、みやこへのぼりたまふだにあるに、いまさらま
たせきのひんがしへおもむかれけんこころのうち、おしはかられてあはれなり。しのみやがはらになりぬれば、
ここは、むかしえんぎだい四のわうじせみまるの、せきのあらしにこころをすまし、びはをひきたまひしに、はくがの
三みといつしひと、かぜのふくひもふかぬひも、あめのふるよもふらぬよも、みとせがあひだあるみ
をはこび、たちききて、かの三きよくをつたへけん、わらやのとこのいにしへも、おもひやられてあは
れなり。あふさかやまをうちこえて、せだのからはし、こまもとどろとふみならし、ひばりあがれるの
ぢのさと、しがのうらなみはるかけて、かすみにくもるかがみやま、ひらのたかねをきたにして、いぶきのたけも
ちかづきぬ。こころをとむとしなけれども、あれてなかなかやさしきは、ふはのせきやのいたびさし、
いかになるみのしほひがた、なみだにそではしをれつつ、かのありはらのなにがしの、からごろもきつつなれ
にしとながめけん、三かはのくにやつはしにもなりぬれば、くもでにものをとあはれなり。はまなの
はしをわたりたまへば、まつのこずゑにかぜさえて、いりえにさわぐなみのおと、さらでもたびはものうきに、こころ
をつくすゆふまぐれ、いけだのしゆくにもつきたまひぬ。そのよはかのしゆくのちやうじやゆやがむすめじじゆうが
もとに、しゆくせられたりければ、じじゆう、三みのちうじやうどのをみたてまつつて、ひごろはつてにだにおぼし
めしよらざりしひとの、けふはかかるとこはへいらせたまふことのふしぎさよとて、一しゆのうた
をたてまつる。
たびのそらはにふのこやのいぶせさにふるさといかにこひしかるらん
ちうじやうのへんじに、
ふるさともこひしくもなしたびのそらみやこもつひのすみかならねば
そののち三みのちうじやうかぢはらをめして、さてもたたいまのうたのぬしはなをばなんといふやらん、いかなる
ものぞとききたまへば、かげときかしまつてまをしけるは、きみはいまだしろしめされさふらはずや。あれこ
そやしまのおほいとのの、いまだたうごくのかみにてわたらせたまひしとき、めされまゐらせて、ごさいあいさふらひ
しが、らうぼをこれにとどめおき、いとまひをまをししかどもたまはらざりしに、ころはやよひのはじめつかた
にてもやさふらひけん、
いかにせんみやこのはるもをしけれどなれしあづまのはなやちるらん
といふめいかつかまつて、まかりくだりさふらひける、かいだういちのめいじんにてさふらふとぞまをしける。みやこをた
つてひかずふれば、やよひもなかばすぎ、はるもすでにくれなんとす。えんざんのはなはのこんのゆきかとみえ
て、うらうらしまじまかすみわたり、こしかたゆくすゑのことども、おもひつづけたまふにも、こはさればいか
なるしゆくごふのうたてさぞとのたまひて、ただつきせぬものはなみだなり。おんこの一にんもおはせぬこ
とを、ははの二ゐどのもなげき、きたのかただいなごんのすけどのもほいなきことにして、よろづのかみほとけに
かけていのりまをされけれども、そのしるしなし、かしこうぞなかりける。こだにもあら
ましかば、いかにこころぐるしからんとのたまひけるこそはじめてのことなれ。さよのなかやまにかかり
たまふにも、またこゆべしともおぼえねば、いとどあはれのかずそひて、たもとぞいたくぬれまさる。
うつのやまべのつたのみち、こころぼそくもうちこえて、てごしをすぎてゆけば、きたにとほざかつて、
ゆきしろきやまあり。とへば、かひのしらねといふ。そのとき三みのちうじやう、おつるなみだをおさへつ
つ、
をしからぬいのちなれどもけふまでにつれなきかひのしらねをもみつ
きよみがせきうちこえて、ふじのすそのになりぬれば、きたにはせいざんががとして、まつふくかぜさつ
さつたり。みなみにはさうかいまんまんとして、きしうつなみもばうばうたり。こひせばやせぬべし、こひせずも
ありけりと、みやうじんのうたひはじめたまひけん、あしがらのやまうちこえて、こゆるぎのもり、まりこがは、
こいそ、おほいそのうらうら、やつまと、とがみがはら、みこしがさきをもうちすぎて、いそがぬたびとはお
もへども、ひかずやうやうかさなれば、かまくらへこそいりたまへ。
そののち、ひやうゑのすけどの、三ゐのちうじやうどのにたいめんあつてまをされけるは、てうけのおんかたきをたひらげちち
のはぢをきよめんとおもひたつしうへは、ごいつけのひとびとをかたむけまゐらせんことは、あんのうちにさふらひ
しかども、まさしうこれにてかやうにおんめにかかるべしとは、かねてもぞんぜずさふらひき。こ
のじやうでは、やしまのおほいとののげんざんにもいりぬべしとおぼえさふらふ。そもそももなんとえんじやうのことは、
こにふだうしやうこくのごせいばいにてさふらふかときにとつてのおんぱからひか、もつてのほかのざいごふにこそなりさふらはん
ずらめ、とまをされたりければ、三みのちうじやうのたまひけるは、まづなんとえんじやうのことは、こにふ
だうしやうこくのせいばいにもあらず、またしげひらがわたくしのほつぎにてもさふらはず、しうとのあくぎやうをしづめんがた
めに、まかりむかつてさふらへば、ふりよにがらんのめつばうにおよびさふらひぬることは、ちからおよばざるしだい
なり、ことあたらしうまをすべきにあらず。むかしはげんぺいそうにあらそひて、てうけのおんかためたりしかど
も、ちかごろは、げんじのうんかたむきたりしことをば、ひとみなぞんちのむねなり。たうけはほうげんへいじよりこの
かた、たびたびてうてきをたひらげ、けんしやうみにあまり、ていそだいじやうだいじんにいたり、一ぞくのしやうじん六十よにん、
二十よねんがこのかたは、たのしみさかえてまをすばかりなし。それにつきさふらひてはていわうのおんかたきうち
たるもの、七だいまでてうおんつきずとまをすことは、きはめたるひがごとにてぞさふらひける。そのゆゑ
は、こにふだうしやうこくまのあたり、きみのおんためにいのちをうしなはんとすること、とどにおよぶ。されどもそのみ
一だいのさいはひにて、しそんかやうになるべきやは。うんつきよみだれて、みやこをいでしのちは、かばねをさん
やにさらし、うきなをさいかいのなみにながさばやとこそぞんぢしか、いきながらとらはれて、これまで
くだりさふらひける、ただせんぜのしゆごふこそくちをしうはさふらへ、ただしいんたうはかだいにとらはれ、ふんわうは
いうりにとらはるといふぶんあり。じやうこなほかくのごとし。ましてまつだいにおいてをや。ゆみやをとる
みのなかたひ、かたきのてにわたつてしぬることは、まつたくはじにてはじならず。ただはんおんには、とく
とくかうべをはねられさふらへとて、そののちはものをものたまはず。かぢはらへい三かげときごぜんにさふらひける
が、あつぱれたいしやうぐんやとて、なみだをながす。これをみてだいみやうもせうみやうもみなそでをぞぬらされける。
ひやうゑのすけどのも、さすがはづかしうおもはゆうやおもはれけん、へいけをまつたくよりともがわたくしのおんかたきとは、
ゆめゆめおもひたてまつらず。ただていわうのあふせこそおもうはさふらへとてぞたたれける。このひとはならをやき
たまへるがらんのかたきなれば、たいしうさだめてまをすむねもやあらんずらんとて、いづのくにのぢうにん、
かのうのすけむねもちにぞあつけられける。そのていめいどにて、しやばせかいのざいにんを、なのかなのかに十
わうのてへわたさるらんも、かくやとぞおぼえたる。されどもかうののすけもなさけあるものにて、い
たうきびしうもあたりたてまつらず。やうやうにいたはりまゐらせ、ゆどののしつらひなんどして、
おゆひかせたてまつる。ちうじやうこれはこのほどみちすがらのあせいぶせかりければ、みをきよめてちかううしなは
れんずるにこそとおもひたまふところに、さはなくしてとしのよはひ二十ばかんなるにようばうの、いろしろう
きよげにて、かみのかかりまことにうつくしきが、めゆひのかたびらにそめつけのゆまきして、ゆどののとおしあ
けてまゐりたり。ややあつてまた十四五ばかりなるめのわらはの、かみはあこめだけなりけるが、こんむら
ごのかたびらに、はんざうだらひにくしいれてもつてまゐりたり。ちうじやうこのにようばうかいしやくにて、おゆしばらくあ
び、かみあらはせなんどして、あがりたまひぬ。さてかのにようばういとままをしてかへらんとしけるが、をとこ
はことなうもぞおぼしめす。をんなはなかなかくるしかるまじ、なにごとにてもあれおぼしめされれ
んずるおんことあらば、うけたまはつてまをせとこそ、ひやうゑのすけどのはあふせさふらひしかとまをしければ、
ちうじやういまはかかるみとなつて、またなにごとをかおもふべき。ただししゆつけぞしたしとのたまへば、すけどのに
ののよしをまをす。それはよりともがわたくしのかたきならばこそ、てうてきとしてあづかりたてまつつたれば、ゆめ
ゆめかなふまじとぞのたまひける。ちうじやうどのにこのよしをまをす。そののち、ちうじやうしゆごのぶしにのたまひけ
るは、さてもただいまのにようばうは、いうにやさしかりけるものかな、なをばなんといふやらん、い
かなるものぞととひたまへば、あれはてごしのちやうじやがむすめ千じゆのまへとまをしさふらふが、みめかたちこころ
ざま、いうにわりなきとて、この二三ねんがあはひは、すけどのにめしおかれてさふらふ、とぞまをしけ
る。そのせふべあめすこしふつて、よろづものさびしげなるをりふし、くだんのにようばうびはごともたせてまゐりたり。
かのうのすけも、なさけあるものにていへのこらうだう十よにんひきぐして、ちうじやうどののごぜんにまゐり、さけすす
めたてまつる。ちうじやうすこしうけて、いときやうなげにておはしければ、かのうのすけまをしけるは、かつきこ
しめされてもやさふらふらん。むねもちはもといづのくにのものにて、かまくらにてはたびにてさふらへども、
なにごとにてもあれおぼしめされんずるおんことあらば、こころのおよばんほどほうこうつかまつりさふらふべし。げたい
してわれうらむなとこそひやうゑのすけどのもあふせられさふらひしかそれなにごとにてもあれ、まをしてさけを
すすめたてまつりたまへといひければ、せんじゆのまへ、しやくをさしおき、らきのぢういたる、なさけなきこと
をきふにねたむといふらうえいを、一りやうへんぞしたりければ、三みのちうじやう、このらうえいをせんひとを
ば、きたののてんじん、ひびに三たびかけつてまもらんとちかはせおはしませ。されどもしげひらは、
こんじやうにてははやすてられたてまつつたるみなれば、じよいんしてもなにかせん。ただざいしやうかるみぬべき
ことならば、したがふべしとのたまへば、千じゆのまへまた十あくといへどもなほいんじやうすといふらうえい
をして、ごくらくねがはんひとは、みなみだのみやうがうをとなふべしといふいまやうを、四五へんうたひすま
したりければ、そのとき三みのちうじやうさかづきをかたむけらる。千じゆのまへたまはつて、かのうのすけにさ
す。むねもちがのむとき、ことをぞひきすましたる。三みちうじやう、このがくをばつねには、五じやうらく
といへども、いましげひらがためには、ごしやうらくとこそくわんずべけれ。やがてわうじやうのきふをひかん
とたはむれ、びはをとり、てんじゆをねぢて、わうしやうのきふをぞひかれける。ふけゆくままによろづこころ
もすみければ、あなおもはずや、わがつまにもかかるいうなるひとのありけるよ。それなにごとにて
もあれ、いま一こゑとのたまへば、千じゆのまへ、かさねて一じゆのかげにやどりあひ、おなじながれをむすぶも、
みなこれせんぜのちぎりといふしらびやうしを、まことにおもしろうかぞへたりければ、三みのちうじやうも、ともしびくら
うしてはすうかうぐしがなみだといふらうえいをぞせられける。たとへば、このらうえいのこころは、むかしもろこしに、
かんのかうそとそのかううとくらゐをあらそひ、かつせんすること七十二たび、たたかうごとにかううかちぬ。されど
もつひには、かううたたかひまけて、ほろびしとき、すゐといふうまの、一にちに千りをとぶにのつて、ぐ
しといふきさきとともににげさらんとせしに、うまいかがおもひけん、あしをととのへてはたらかず。かうう
なみだをながいて、わがゐせいすでにすたれたり、かたきのおそふはことのかずならず、ただこのきさきにわかれんこと
をのみ、なげきかなしみたまひけり。ともしびくらうなりしかば、こころぼそくてぐしなみだをながす。ふけゆくま
まには、ぐんびやう四めんにときをつくる。このこころをきつしやうこうのしにつくるを、三みのちうじやうおもひいで
られけるにや、いとやさしうぞきこえし。あけければ、ぶしどもはみないとままをしてまかりいづ。
千じゆのまへもかへりにけり。をりふしひやうゑのすけどのは、ぢぶつだうにほけきやうようでおはしけるところへ、
千じゆのまへかへりまゐりたり。ひやうゑのすけどのうちゑみたまひて、さてもゆふべ、ちうじんをばおもしろうもし
つるものかなとのたまへば、さいゐんのじくそんちかよし、おんまへにものかいてさふらひけるが、なにごとにてさふらふ
やらんとたづねまをされたりければ、すけどののたまひけるは、へいけのひとびとは、あさゆふは、いくさかつせんの
いとなみのほかは、またたじあるまじきとこそみなおもひしか、三みのちうじやうのびはのばちおと、らうえいの
くちずさみ、よもすがらたちぎきつるに、いうにわりなきひとにておはすなりとのたまへば、ちか
よしまをされけるは、たれもゆふべちうじんをばうけたまはりたうぞんじさふらひしかども、をりふしあひいたはることあつ
て、うけたまはらずさふらふ。こののちはつねにたちぎきさふらふべし。へいけのひとびとは、だいだいかじんさいじんたち
にてわたらせたまひさふらふ。せんねんあのひとびとを、はなにたとへてさふらひしには、この三みのちうじやうどのを
ば、ぼたんのはなにこそたとへてさふらひしかとぞまをされける。三みのちうじやうのびはのばちおと、らうえい
のくちずさみ、ひやうゑのすけどの、のちまでもありがたきことにぞのたまひける。千じゆのまへは、なかなかおも
ひのたねとやなりにけん、ちうじやうなんとへわたされて、きられたまひぬときこえしかば、やがてさまを
かへ、こきすみぞめにやつれはてて、しなののくにぜんくわうじにおこなひすまして、かのごせぼだいをとぶ
らひ、わがみもわうじやうのそくわいをとげけるとぞきこえし。
さるほどに、こまつの三みのちうじやうこれもりのきやうは、みがらはやしまにありながら、こころはただみやこへ
かよはれけり。ふるさとにとどめおきたまひし、きたのかた、をさなきひとびとのそのおもかげのみ、みにひしとた
ちそひて、わするるひまもなかりしかば、あるにかひなきわがみかなとて、じゆえい三ねん三ぐわつ十五
にちのあかつき、しのびつつやしまのたちをばひそかにおんいであつて、よ三びやうゑしげかけ、わらべいしどうまる、ふねにこころ
えたればとて、とねりのたけさと、かれら三にんをめしぐして、あはのくにゆふきのうらよりふねにのり、
なるとのおきをこぎすぎて、きのぢへおもむきたまひけり。わか、ふきあげ、そとほりひめのかみとあらはれたまへ
る、たまつしまのみやうじん、にぢぜん、こつけんのおまへをすぎて、きのみなとにこそつきたまへ。これよりやまづた
ひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いま一どみもしみえばやとおもはれけれども、をぢ
ほん三みのちうじやうしげひらのきやうのいけどりにせられて、きやうかまくらにはじをさらしたまふだにもくちをしきに、
このみさへとらはれて、ちちのかばねにちをあやさんこともこころうしとて、ちたびこころはすすめども、こころ
にこころをからかひて、かうやのおやまにこそのぼりたまへ。かうやにとしごろしりたまへるひじりあり。三でうの
さいとうさゑもんもちよりがこに、さいとうたきぐちときよりとて、もとはこまつどののさふらひなり。十三のとし、ほんじよへ
まゐりたりしが、けんれいもんゐんのざふしによこぶえといふをんなあり。たきぐちかれにさいあいす。ちちこのよしをつた
へきいて、いかならんよにあるひとのむこにもなして、しゆつしなどをも、こころやすうせさせん
とおもひゐたれば、よしなきものをみそめてなんど、あながちにいさめければ、たきぐちまをし
けるは、せいわうぼといつしひと、むかしはありていまはなし、とうばうさくときえしものも、なをのみ
ききてめにはみず。らうせうふぢやうのよのなかは、ただせきくわのひかりにことならず。たとへひとちやうめいといへ
ども、七十八十をばすぎず。そのうちにみのさかんなることは、わづかに二十よねんなり。ゆめまぼろしのよ
のなかにみにくきものを、かたときもみてなにかせん。おもはしきものをみんとすれば、ちちのめいをそむく
ににたり。これぜんちしきなり。しかじうきよをいとひ、まことのみちにいりなんにはとて、十九のとし
もとどりきつて、さがのわうじやうゐんにおこなひすましてぞゐたりける。よこぶえこのよしをつたへきいて、われ
をこそすてめ、さまをさへかへけんことのうらめしつさよ、たとへよをばそむくとも、などかは
かくとしらせざるべき。たづねていま一どうらみばやとおもひ、たそがれにひそかにだいりをばまぎれいで
て、さがのかたへぞあくがれける。ころはきさらぎ十かあまりのことなれば、うめづのさとのはるかぜに、よ
そのにほひもなづかしう、おほゐがはのつきかげも、かすみにこめておぼろなり。ひとかたならぬあはれさも、
たれゆゑとこそおぼえけめ。わうじやうゐんとはききつれども、さだかにいづれのばうともしらざれば、
ここにやすらひ、かしこにただずみ、たづねかぬるぞむざんなる。すみあらしたるそうばうに、ねんじゆのこゑの
しけるを、たきぐちにふだうがこゑにききなして、さまのかはつておはすらんをも、みもしみえまゐら
せんがかめに、わらはこそこれまでまゐつてさぶらへと、ぐしたるをんなをもつていはせたりければ、
たきぐちにふだうむねうちさわぎ、あさましつさに、しやうじのすきよりのぞいてみれば、すそはつゆ、そではなみだに
しほれつつ、まことにたづねかねたるありさま、いかなるだうしんしやもこころよわうやなりぬべし。たきぐちにふ
だうひとをいだいて、まつたくここにはさることなし。もしかどちがひにてもやさふらふらんとて、つひにあは
でぞかへしける。よこぶえなさけなううらめしけれども、さてしもあるべきことならねば、ちからおよば
ず、なみだをおさへてみやこにかへりのぼりにけり。そののち、たきぐちにふだうどうしゆくのそうにかたりけるは、これ
もよにしづかにて、ねんぶつのしやうげはさふらはねども、あかでわかれしをんなに、このすまゐをみえてさふらへば
たとへ一どこそこころつよくとも、またもしたふことあらば、いとどこころもうごきさらふひなんず、いとままをす
とて、さがをばいでかうやへのぼり。しやうじやうしんゐんにぞいたりける。よこぶえもさまかへぬるよしきこえし
かば、たきぐちにふだう、一しゆのうたをぞおくりける。
そるまではうらみしかどもあづさゆみまことのみちにうるぞうれしき
よこぶえがへんじに、
そるとてもなにかうらみんあづさゆみひきとどむべきこころならねば
そののちよこぶえは、ならのほつけじにおこなひすましてゐたりけるが、そのおもひのつもりにや、いくほど
なくてつひにはかなくなりにけり。たきぐちにふだうこのよしをつたへきいて、いよいよふかくおこなひすまし
てゐたりければ、ちちもふかうをゆるしけり。したしきものもみなもちひて、かうやのひじりとぞまをしける。
三みのちうじやう、それにたづねあうてみたまふに、みやこにありしときは、ほういにたたてゑぼし、いもんを
つくろひ、びんをなで、はなやかなりしをとこぞかし。しゆつけののちは、けふはじめてみたまふに、いまだ三十
にもならざるが、らうそうすがたにやせくろみ、こきすみぞのにおなじけさ、かうのけぶりにそみかをり、さ
かしげに、おもひいりたるだうしんしや、うらやしうやおもはれけん、かのしんの七けん、かんの四こうがす
みけん、ちくりんしやうざんのありさまも、これにはすぎじとぞみえし。
さるほどにたきぐちにふだう、三みのちうじやうどのをみまつて、そもそもやしまをば、なんとしてかははる
はるとこれまではのがれさせたまひてさふらふやらん、うつつともさらにおぼえさふらはぬものかなとまをしけ
れば、三みのちうじやうのたまひけるは、さればとよみやこをばひとなみなみにいでて、さいこくのかたまで
おちくだりたりしかども、ふるさとにとどめおきしこひしきものどものそのおもかげのみみにひしとたちそ
ひて、わするるひまもなかりしかば、そのものおもふこころやいはぬにしるくやみえけん。おほいとの
も二ゐどのもいけのだいなごんのやうに、ふたごころありなんどおもひへだてたまふあひだ、いとどこころもとどまらず、
これまであこがれていでたんなり。これよりやまづたひにみやこへのぼり、こひしきものどもをも、いま一
どみもしみえばやとはおもへども、ほんざんみのちうじやうどののおんことがこころうければそれもかなはず。さては
ここにてしゆつけして、ひのなかみづのそこへもいりなばやとはおもへども、くまのへまゐらんとおもふ
しゆくぐわんありとのたへへば、たきぐちにふだうまをしけるは、ゆめまぼろしのよのなかは、とてもかくてもさふら
ひなんず、たたながきよのやみこそこころうかるべうさふらとぞまをしける。やがてこのたきぐちにふだうをせん
だつにて、だふたふじゆんれいしておくのゐんへぞまゐられける。かうやさんはていせいをさつてじはくり、きやうりを
はなれてむにんじやう、せいらんこずゑをならしては、せきじつのかげしづかなり。八えふのみね、八つのたに、まことに
こころもすみぬべし。はなのいろはりんぶのそこにほころび、れいのねはをのへのくもにひびけり。かはらにまつお
ひ、かきにこけむして、せいざうひさしくおぼえたり。むかし、えんぎのみかどのおんとき、ごむさうのおつげあつ
て、ひけだいろのぎよいをまゐらつさせたまふに、ちよくしちうなごんすけずみのきやう、はんにやじのそうじやうくわんけんをあひ
ぐして、このおやまにのぼり、みめうのとびらをひらいて、ぎよいをきせたてまつらんとしけるに、きりあつう
へだててだいしをがまれさせたまはず。ここにくわんけんふかくしうるゐして、われひものたいないをいで、ししやうの
しつにいつしよりこのかた、いまだきんかいをぼんせず、さればなどかをがみたてまつらざるべきとて、
五たいをちになげ、ほつろていきうしたまへば、やうやうきりはれて、つきのいづるがごとくに、だい
しをがまれさせたまひけり。ときにくわんけんずゐきのなみだをながいて、ぎよいをきせたてまつり、おんぐしのながうお
ひのびさせたまひたるをも、そりたてまつるこそありがたけれ。ちよくしとそんじやうはをがみたまへども、
そうじやうのでしいしやまのないくじゆんいう、そのときはいまだどうぎやうにてさふらはれけるが、だいしをがみたてまつらずし
て、ふかくなげきしづんでおはしけるを、そうじやうてをとつてたいしのおんひざにおしあてられたりけ
れば、そのて一ごがあひだかうばしかりけるとかや。そのうつりかは、いしやまのしやうぎやうにのこつて、いまに
ありとぞうけたまはる。だいし、みかどのおんぺんじにまをさせたまひけるは、われむかしさつたにあひて、まのあ
たりことごとくいんみやうをつたふ。むびのせいぐわんをおこして、へんぢのいゐきにはべり、ちうやにばんみんをあはれんで
ふげんのひぐわんにぢうし、にくしんにさんまいをしようじて、じしのげしやうをまつとぞまをさせたまひける。か
のまかかせうのけいそくのほらにこもつて、しづのはるのかぜをごしたまふらんも、かくやとぞおぼえた
る。ごにふぢやうは、しようわ二ねん三ぐわつ二十一にちとらの一てんのことなれば、すぎにしかたは三百よさい、
ゆくすゑもなほ、五十六おく七せんまんざいののち、じそんのしゆつせ、さんねのあかつきをまたせたまふらんこそひさし
けれ。
これもりがみのいつとなく、せつせんのとりのなくらんやうに、けふよあすよとおもふことをとて、
なみだぐみたまふぞあはれなる。しほかぜにくろみ、つきせぬものおもひにやせおとろへて、そのひととはみ
えたまはねども、なほよのひとにはすぐれたまへり。そのよはたきぐちにふだうがあんじつにかへつて、むかしいまの
ものがたりどもしたまひけり。ふけゆくままに、ひじりがぎやうぎをみたまふに、しごくじんしんのゆかのうへには、
しんりのたまをみがくらんとみえて、ごやじんてうのかねのこゑには、しやうしのねむりをさますらんともおぼえた
り。のがれぬべくは、かくてもあらまほしくやおもはれけん、あけければ、とうぜんゐんのちがく
しやうにんとまをすひじりをしやうじたてまつりて、しゆつけせんとしたまひけるが、よ三ひやうゑ、いしどうまるをめして
のたまひけるは、これもりこそひとしれぬおもひをみにそひながら、こころせまうのがれがたきみなれば、いか
にもなるといふとも、なんぢらはいのちをすてつべからず。そのゆゑはいかなるありさまともをもして、
などかすぎざるべき。このごろはよにあるひとこそおほけれ。いかにもしてながらへてかつうはさいしを
もはごくみ、かつうはこれもりがごせをおとぶらへかしとのたまへば、ふたりのものどもなみだにむせびうつぶし
て、しばしはとかうのおんぺんじにもおよばず。ややあつておきあがりしげかげ、なみだをおさへてまをしける
は、しげかげがちち、よ三ざゑもんかげやすは、へいぢのげきらんのとき、ことののおんともにさふらひて、二でうほりかは
のほとりにて、かまだひやうゑとくんで、あくげんだにうたれさふらひぬ。しげかげもなじかはおとりさふらふべきな
れども、そのときはいまだ二さいになりさふらへば、すこしもおぼえさふらはず。ははには七さいにておくれさらふ
ひぬ。なさけをかくべきしたしきひと、一にんもさふらはらざりしに、こおほいとの、しげかげをおんまへめして、
あれはわがいのちにかはりたるもののこなればとて、あさゆふおんまへにてそだてられまゐらせて、しやうねん九つ
とまをししとし、きみのおんげんぷくさふらひしよ、かみをとりあげられまゐらせてかたじけなくももりのじはいへの
じなれば、五だいにつく、しげのじをばまつわうにとおほせられて、しげかげとはつけられまゐらせける
なり。そのうへわらはなをまつわうとまをしけることも、うまれていみ五十にちとまをすに、ちちがいだいてまゐ
りたりしかば、このいへをこまつといへば、いはうてつくるなりとおほせられて、まつわうとはめ
されまゐらせけるなり。おやのやうでしにさふらふも、わがみのめうがとおぼえさふらふ、すゐぶんどうれいども
にも、はうじんせられてこそまかりすぎさふらひしか。さればごりんじうのおんときも、このよのなかのこと
ともをばおぼしめしすてて、一じもおほせざりしに、こおほいとの、しげかげをごぜんへめして、あな
むざん、なんぢはしげもりをちちがかたみとおもひ、しげもりはなんぢをかげやすがかたみとおもひてこそすごしつれ。
こんどのぢもくにゆきへのぜうになして、ちちかげやすをよびしやうに、めささばやとこそおぼしめしつ
るに、むなしうなるこそかなしけれ。あひかまへて、せうしやうどののみこころにばしちがひまゐらすな、とこ
そおほせさふらひしか。しぜんのこともさふらはば、みすてまゐらせて、おつべきものとおぼしめされさふら
ひける、おんこころのうちこそはづかしうさふらへ。このごろはよにあるひとこそおほけれどおほせをかうむりさふらふは、
たうじのごとき、みなげんじのらうたうどもこそおほうさふらはんずらめ。きみのかみにもほとけにもならせたまひな
んのち、たのしみさかえさふらふとも、せんねんのよはひをふるべきか。たとへまんねんをたもちさふらふともつひにはをはりの
なかるべきかは。これにすぎたるぜんちしきなにごとかさふらふべきとて、てづからもとどりきつて、なく
なくたきぐちにふだうにぞそらせける。いしどうまるもこれをみてもとゆひぎはよりかみをきる。これも八つより
つきまゐらせて、しげかげにもおとらず、ふびんにしたまひしかば、おなじうたきぐちにふだうにぞそらせけ
る。これらがかやうにさきたつてなるをみたまふにつけても、いとどこころぼそうなられける。さ
てしもあるべきことならねば、るてん三かいちう、おんあいふのうだん、きおんにうむゐ、しんじつほうおんじやと三
ぺんとなへ、つひにそりおとされさせたまひけり。三みのちうじやうとよ三ひやうゑはどうねんにて、ことしは二
十七さいなり。いしどうまるは十八にぞなりにける。三みのちうじやうのたひひけるは、ふるさとにとどめおき
しこひしきものどもをも、いま一どみもしみえてのちかくならば、おもふことあらじと、のたまひけるこ
そあはれなれ。そののちちうじやうとねりたけさとをめして、あなかしこ、なんぢはこれよりみやこへはのぼるべから
ず、そのゆゑはつひにはかくれあるまじけれども、このありさまをききたまひて、さこそはおんなげきかなし
みたまはんずらめ。ただこれより八しまへまゐつて、ひとびとにまをさんずることはよな、かつごらんじ
さふらひしやうに、おほかたのせけんもものうくあぢきなさも、よろづかずそひておぼえさふらひしほどに、ひとびと
にもしらせまゐらせずして、かやうになりさふらふことは、さいこくにてひだんのちうじやううせさふらひ
ぬ。いちのたににて、びつちうのかみうたれさふらひぬ。これもりさへかやうになりさふらへば、さこそおのおの
のたよりなうおぼしめされさふらふらん。それにつきさふらひては、からかはといふよろひ、こがらすといふたちは、
へんしやうぐんさだもりより、たうけにつたへて、これもりまでは、ちやくちやく九だいにあひあたる。もしふしぎにうん
めいひらけて、みやこへかへりのぼらせたまふこともさふらはば、六だいにたふべしとまをすべしとぞのたまひけ
る。たけさと、なみだにむせびうつぷして、しばしはとかうのおんぺんじにもおよばず、ややあつておきあがり
なみだをおさへてまをしけるは、きみのかみにもほとけにも、ならせたまひなんを、みまゐらせてのちこそ、
ともかうも、とまをすべけれ、ただいまは、いかでかまゐるべきとまをしければ、さらばとてめしぐ
せらる。ぜんちしきのためにとて、たきぐちにふだうをもぐせられけり。かうやをばやまぶししゆぎやうじやのやう
のいでたつて、おなじきくにのうち、さんどうへこそいでられけれ。ふぢしろのわうじをはじめたてまつつて
わうじわうじふしをがみ、せんりのはまのきた、いはしろのわうじのおんまへにて、かりしやうぞくなるもの七八きがほど
ゆきあひたてまつる。ただいまもやからめとられんずるにこそ、はらをきらんと、おのおのこしのかたなにてをか
けたまふところに、さはなくして、うまよりおりふかうかしこまつてとほりぬ。みしりまゐらせたるに
こそ、たれなるらんとはづかしくて、いとどあしはやにぞさらせおはします。三みのちうじやうあれは
いかにととひたまへば、たうごくのぢうにん、ゆあさのごんのかみむねしげがこに、ゆあさの七らうひやうゑむねみつとい
ふものなり。らうたうども、あれはいかにととひければ、あなこともおろかや、あれこそこまつのおほい
とのおんちやくし三、みのちうじやうどのよ、そもそもやしまをばなんとしてかは、はるばると、これまではのがれさ
せたまひたりけるやらん、はやおんさまかへさせたまひたり。よ三ひやうゑいしどうまるも、おなじくしゆつけ
しておんともにまゐりたり。ちかづきまゐつて、おんげんざんにもいりたかりつれども、おんはばかりもぞおぼ
しめすとてとほりぬ。あなあはれなりけるおんことかなとて、そでをかほにおしあてて、さめざめ
となきければ、らうたうどもも、みなかりぎぬのそでをぞぬらしける。
やうやうさしたまふほどに、いはたがはにもつきたまひぬ。このかはのながれを、いちどもわたるものは、
あくごふ、ぼんなう、むしのざいしやうもきゆなるものをと、たのもしうこそおもはれけれ。ひかずふれば
ほんぐうせうじやうでんのごぜんにまゐりつつ、しづかにほつせまゐらせて、よもすがらおやまのやう、をがみたまふに、こころ
もことばもおよばれず。だいひおうごのかすみは、ゆやさんにたなびき、れいげんぶさうのしんめいは、おとなしがはにあと
をたる。一じようしゆぎやうのきしには、かんおうのつきくまもなく、六こんざんげのにはには、もうざうのつゆもむす
ばず。いづれもいづれもたのもしからずといふことなし。よふけひとしづまつてのち、けいひやくしたまひ
けるは、ちちのおとどの、このおんまへにていのちをめして、ごせをたすけさせたまへと、まをさせたまひ
しおんことなんど、おぼしめしいでてあはれなり。なかにもたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにて
おはします。せつしゆふしやのほんぐわんあやまたず、じやうどへみちびきたまへとまをされけり。なかにもふるさとにとど
めおきし、さいしあんをんにと、いのられけるこそかなしけれ。うきよをいとひ、まことのみちにいりたま
へども、もうじふはなほつきずとおぼえてあはれなりしことどもなり。あけければほんぐうよりふねにの
りしんぐうへぞまゐられける。かんのくらををがみたまふに、がんせうたかくそびて、あらしもうざうのゆめをやぶり、
りうすゐきよくながれて、なみ、ぢんあいのあかをすすぐらんともおぼえたり。あすかのやしろふしをがみ、さのの
まつばらさしすぎて、なちのおやまにまゐりたまふ。さんぢうにみなぎりおつるたきのみづ、すうせんぢやうまでよぢ
のぼり、くわんおんのれいざうはいはのうへにあらはれて、ふだらくせんともいひつべし。かすみのそこには、ほけ
どくしゆのこゑたえず、りやうしゆせんともまをしつべし。そもそもごんげんたうざんに、あとをたれましましてよりこの
かた、わがてうのきせんじやうげあゆみをはこび、かうべをかたむけ、たなごころをあはせて、りしやうにあづからずといふことな
し、さればそうりよいらかをならべだうぞくそでをつらねたり。くわんわのなつのころ、くわざんのほふわう、十ぜんのてんゐ
をすべらせたまひて、くほんのじやうせつをおこなはせたまひたりけん、おんあんじつのきうせきには、むかしをしのぶ
とおぼしくて、おいきのさくらぞさきにける。いくらもなみゐたりけるなちごもりのそうどものうちに、
この三みのちうじやうどのを、みやこにてよくみしりたるとおぼしくて、どうぎやうのそうにかたりけるは、こ
れなるしゆぎやうしやを、たれやらんとおもひゐたれば、あなこともおろかや、あれこそこまつのおほいとのの
おんちやくし三みのちうじやうどのよ、あのとののいまだ四ゐのせうしやうなりし、あんげんのはるのころ、ほふぢうじどのに
て、五十のおんかのありしに、ちちこまつとのは、ないだいじんのさだいしやうにてわたらせたまふ。をぢむねもり
のきやうは、ちうなごんのうたいしやうにて、かいかにちやくざせられき。そのほか三みのちうじやうとももり、とうのちうじやう
しげひらいげ、一もんのひとびと、けふをはれとときめき、かいじろにたちたまふなかより、この三みのちう
じやうどの、さくらのはなをかざして、せいかいなをまうていでられたりしかば、つゆにこびたるはなのおん
すがた、かぜにひるがへるまひのそで、ちをてらし、てんもかがやくばかんなり。によゐんよりくわんぱくどのをおつかひにて、
ぎよいをかつげさせおはします。ちちのおとどざをたち、これをたもつて、みぎのかたにかけ、ゐん
をはいしたてまつりたまふ。めんぼくたぐひすくなうぞみえし。かたへのくげでんじやうびとも、いかばかりうらやまし
うやおもはれけん。だいりのにようばうだちのなかには、みやまぎのなかのやうばいとこそおぼゆれといはれ
たまひしひとぞかし。たんだいまだいじんのだいしやうを、まちつけさせたまふひとこそみまつりしに、けふは
かくやつれはてたまへるおんありさま、かねてはおもひよらざりしか、うつればかはるよのならひといひ
ながら、あなあはれなりけるおんことかなとて、すみぞめのそでをかほにおしあてて、さめざめとな
きければ、なちごもりのそうどもも、みなうちごろものそでをぞしぼりける。
かく三つのおやまのごさんけい、ことゆゑなうとげたまひしかば、はまのみやとまをしたてまつる、わうじのおん
まへより、一えふのふねにさほささせ、ばんりのさうかいにぞうかびたまふ。はるかのおきにやまなりのしまといふ
ところありき。ちうじやうそれにふねこぎよせさせ、きしにあがり、おほきなるまつのきをけづつて、なくなく
めいぜきをぞかきつけらる。そふだいじやうだいじんたひらのあつそんきよもりこうほふみやうじやうかい、しんぶこまつのないだいじん
のさだいしやうしげもりこうほふみやうじやうれん、そのこ三みのちうじやうこれもりほふみやうじやうれんとし二十七さいじゆえい三ねん三ぐわつ
二十八にちなちのおきにてじゆすゐすとかきつけて、またふねにのり、おきへぞこぎいでたまひける。
おもひきりぬるみちなれども、いまはのときにもなりぬれば、さすがこころぼそうかなしからずといふ
ことなし。ころは三ぐわつ二十八にちのことなれば、かいろはるかにかすみわたり。あはれをもよほすたぐひか
な。ただおほかたのはるだにも、くれゆくそらはものうきに、いはんやこれはけふをさいご、ただいまかぎりのこと
なれば、さこそはこころぼそかりけめ。おきのつりふねのなみにきえいるやうおぼゆるが、さすがしづみ
もはてぬをみたまひても、わがみのうへとやおもはれけん、おのがひとつらひきつれて、いまはとかへ
るかりがねの、こしぢをさしてなきゆくも、こきやうへことつてせまほしくて、そぶがここくのうらみ
まで、おもひやられてくまもなし。きたしかたゆくすゑのことどもをおもひつづけたまふにも、なほもうじふのつ
きぬにこそとやおもはれけん。たちまちにもうねんをひるがへしにしにむかつててをあはせ、かうじやうにねんぶつした
まふこころのうちにも、さてもみやこには、けふをさいごただいまかぎりとはいかでかしるべきなれば、かぜ
のたよりのおとづれをも、いまやいまやとこそまたんずらめとおもはれければ、がつしやうをみだりねんぶつ
をとどめ、ひじりにむかつてのたまひけるは、あはれひとのみにさいしといふものをば、もつまじかりけ
るものかな。こんじやうにてものをおもはするのみならず、ごせぼだいのさまたげとなりぬることこそくちを
しけれ。かやうのことどもをしんぢうにのこしおけば、あまりにつみふかかんなるあひだざんげするなりとぞかたりたま
ふ。ひじりもあはれにおもひけれども、われさへこころよわうしてははなはじとやおもひけん、なみだおしのぐひ、
さらぬていにもてなし、あはれたかきもいやしきも、おんあいのみちはおもひきられぬことにてさふらへ
ば、まことにさこそもおぼしめされさふららはめ。なかにもふさいはいちやのまくらをならぶるも、五百しやう
のしゆくえんとうけたまはれば、ぜんぜのちぎりあさからずさふらふ。しやうじやひつめつ、ゑしやぢやうりは、うきよのなかのならひ、
すゑのつゆ、ほとのしづくのためしあれば、たとへちそくのふどうありといふとも、おくれさきだつおんわかれ、つひ
になくてしもやさふらふべき。かのりさんきうのあきのゆふべのちぎりも、つひにはこころをくだくはしとなり、かん
せんでんのせいぜんのおんもをはりなきにしもあらず。しようしばいせいしやうがいのうらみあり。とうがく十ぢなほしやうしのおきて
にしたがふ。たとへきも、ちやうせいのたのしみのほこりたまふといふとも、おくれさきだつおんわかれ、つひになくて
しもやさふらふべき。たとへまたはくねんのよはひをたもたせたまふとも、このおんなげきはいつもただおなじこと
とおぼしめされさふらへ。だい六てんのまわうといふげだうは、よくかいの六てんをみなわがものとりやうじて、なか
にもこのかいのしゆじやうのしやうじにはなるることををしみ、あるひはつまとなり、あるひはをつととなつて、これを
さまたげんとするに、さんぜんのしよぶつは、一さいしゆじやうを一しのごとくにおぼめして、かのごくらくじやうどの
ふたいのどにすすめいれんとしたまふ。さいしといふものはむしくわうごふよりこのかた、しやうじにりんゑ
するきづななるがゆゑに、ほとけはおもういましめたまふ。さればとて、こころよわうおぼしめすべからず。
げんじのせんぞいよのにふだうらいぎはちよくめいによつて、おうしうのえびすあべのさだたう、むねたうをせめたまひし
とき、十二ねんがあひだにひとのくびをきること一まん六せんにんなり。そのほかさんやのけだもの、ごうがのうろくづ、そのいのち
をたつこと、いくせんばんといふかずをしらず。されどもしうえんのとき、一ねんのぼだいしんをおこしたまへる
がゆゑに、わうじやうのそくわいをとぐ。しゆつけのくどくばくだいなれば、せんぜのざいしやうはみなぼろひさふらひなん
ず。ここにひとあつて、七ほうのたふをたてんこと、たかさ三十三てんにいたるといふとも、一にちの
しゆつけのくどくにはおよびがたし。また、百せんざいがあひだ、百らかんをくやうしたるくどくも、一にちのしゆつ
けのくどくにはおよばずとこそとかれたれ。つみふかかつしらいぎも、こころたけきがゆゑにわうじやうをと
ぐましてきみはさせるございごふもましまさねば、などかじやうどへまゐらせたまはでさふらふべき。
そのうへたうざんごんげんは、ほんぢあみだによらいにてましませば、はじめむ三あくしゆのねがひより、をはりとく
三ばうにんのねがひにいたるまで、いちいちのせいぐわんみなしゆじやうげどのねがひならずといふことなし。なかにも、
だい十八のぐわん/に\いはく、せつがとくぶつ十ばうしゆじやうししんしんげう、よくしやうがこく、ないし至十ねん、にやくふしやうしや、
ふしゆしやうがくととかれたれば、一ねん十ねんのたのみあり。ただこのけうをふくくしんじて、ゆめゆめ
うたがひをなしたまはで、む二のこんねんをいたして、もしは一ぺんも、もしは十ぺんもとなへたまふも
のならば、みだによらい六十まんおく、なゆたこうがしやのおんみをつづめ、ぢやう六しやくのおんかたちにて、くわんおん
せいしむしゆのしやうじゆ、けぶつぼさつ百ぢうせんぢうにいねうし、ぎがくかえいじて、ただいまごくらくのとうもんをいで
らいかういんぜふしたまはんずれば、おんみこそさうかいのそこにしづむとおぼしめさるとも、しうんのうへにのぼ
りたまふべし。じやうぶつとくだつしてさとりをひらきたまひなば、しやばのこきやうにたちかへつて、さいしをみちび
きたまはんこと、げんらいゑこくどにんでん、すこしもあやまちたまふべからずとて、しきりにかねうちならし、ねん
ぶつをのみすすめたてまつれば、ちうじやうもしかるべきぜんちしきとおぼしめし、にしにむかつて、てをあはせ、かう
じやうにねんぶつ百ぺんばかりとなへさせたまひつつ、なむととなふるこゑともに、うみにぞとびいりたまひけ
る。よ三ひやうゑいしどうもまるじうみなをとなへつつ、つづいてうみにぞしづみける。
たけさともこんどはおくれじと、つづいてうみへいらんとしけるを、ひじりとどめなくなくけうくんしけ
るは、げらうこそなほうたてけれ、いでかごゆいごんをばたがへまゐらせんとはするぞといひければ、
おくれたてまつりたるかなしさに、のちのおんけうやうのこともおぼえずとて、ふなそこにたふれふし、をめきさけび
しありさまは、むかし、しつだたいしのだんどくせんへいらせたまひしとき、しやのくとねりがんでいごまをたまはつて、わう
ぐうにかへりしかなしみも、これにはすぎじとぞみえし。うきもやあがりたまふと、しばしはふねをお
しまはしてみけれども、三にんともにふかくしづんでみえたまはず。さるほどにせきやうにしにかたむき、かいしやう
もくらくなりければ、なごりはつきせずおもへども、さてしもあるべきことならねば、むなしきなぎさ
にこぎかへる、とわたるふねのかいのしづくひじりがそでよりつたふなみだ、わきていづれもみえざりけり。ひじり
はかうやへかへりのぼり。たけさとはなくなくやしまへまゐりけり。おんおとうとしんざんみのちうじやうどのに、おん
ふみとりいだいてたてまつる。これをあけてみたまひて、あなおもはずや、わがおもひたてまつるほどは、ひとはおもひ
たまはざりけることよ、などさらばひきぐして、一つしよでしづみもはてたまはで、ところところにふ
さんことこそかなしけれ。おほいとのも二ゐとのも、いけのだいなごんのやうによりともにこころをとほはして
みやこへこそおはしたるらめとて、われらにも一かうこころをおきたまひしか、さてはなちのおきにて
おんみをなげてましましける事よ、おんことばにてもをせとおほせられおくことはなかりつるかととひたま
へば、おんことばにてまをせとおほせさふらひしは、かつごらんじさふらひしやうに、おほかたのせけんもものうくあなきな
さもよろづかずそひて、おぼえさえましましさふらふほどに、ひとびとにもしらせまゐらせずして、かやう
にならせましまししことは、さいこくにてひだんのちうじやうどのうせたまひさふらひぬ。いちのたににてびつちうのかう
のとの、うたれさせたまひさふらひぬ。おんみさへかやうにならせましましさふらへば、いかにおのおの
のびんなうおぼしめされさふらふらんと、ただこれのみこそ、おんこころぐるしうおほせられさふらひしか。からかは、
こがらすのおんことなんどまでも、こまごまとかたりまをしたりければ、しんざんみのちうじやうどの、いまはこのみと
てもながらふべしともおぼえずとて、そでをかほにおしあてて、さめざめとなきたまへば、まことに
おぼえてあはれなり。こ三みどのにいたくにまゐらつさせたまひたりしかば、これをみるさふらひどもも、
さしつどひてそでをぬらしける。おほいとのも二ゐどのも、このひとはいけのだいなごんのやうによりともにこころを
かよはして、みやこへこそおはしたるらめなんどおもひゐたれば、さはおはせざりしかとて、
いまさらいまもだえこがれたまひけり。しんぐわつひといのひかいげんあつて、げんりやくとがうす、そのひどもくおこなはれ
て、かまくらのさきのうひやうゑのすけよりともじやうげの四ゐしたまふ。もとはじゆうげの五ゐにておはせしが、たちまち
に五かいをこえたまふこそめでたけれ。おなじき三かのひ、しゆとくゐんをかみとあがめまてまつるべしとて
むかしごかつせんありしおほゐのみかどがすゑに、やしろをたてつくつてみやうつしあり。これはゐんのおんさてにて、
だいりには一かうしろしめされずとぞきこえし。五ぐわつ四かのひ、いけのだいなごんよりもりのきやうくわんとうへ
げかう、ここにやへいびやうゑむねきよといふさぶらひあり、せん一さうでんのものなりけるが。あひぐしてもくだらず、
さていかにやとのたまへば、きみこそかくてわたらせたまひさふらへども、さいかいのなみうへにただよはせたまふ
ご一けのきんだちちのおんことがおもはれまゐらせて、いまだあんどしてもおぼえさふらはず、こころすこしおとしす
ゑて、おつさまにこそまゐりさふらはめとぞまをしければ、だいなごんはづかしくかたはらいたくおもひたまひて、まこと
に一もんのなかをばひきわかれておちとどまつしことをば、わがみながらいみじとはおもはねども、
さすがいのちもをしう、みもすてがたければ、かくとどまつしなり。はるかのたびにおもむければ、などかみ
おくらざるべき。うけずもおもはばおちとどまつしとき、などさはいはざりしぞ、だいせうじいつかうなんぢ
にこそいひあはせしかとのたまへば、むねきよゐなほりかしこまつてまをしけるは、あはれたかきもいやしき
も、ひとのみにいのちほどをしいものやはさふらふ。さればよをばすてつれども、みをばすてずとこ
そ、いにしへよりまをしつたへてさふらふなれ。おんとどまりをあししとにはさふらはず、ひやうゑのすけも、かひな
きいのちをたすけられまゐらせてさふらへばこそ、けふはかかるさいはひにもあひさふらへ。るざいせられさふらひ
しとき、こあまごぜんのおほせによつて、あふみのくにしのはらのしゆくまでうちおくつたりしことなど、いまにわす
れずとまをしさふらふなれば、おんともにまかりくだつてさふらはば、さだめてひきでものきやうおうなんどしさふらはんずら
ん。それにつけても、せいかいのなみのうへにただよはせたまふごいつけのきんだち、またどうれいどものかへ
りきかんずるところも、いふがひなうおぼえさふらふ。はるかのたびにおもむかせたまふことも、さるおんことにて
はさふらへども、かたきをもせめにおんくだりさふらはば、まづ一ぢんにこそさふらべけれども、これはまゐらず
とも、さらにおんことかけさふらふまじ。ひやうゑすけのとのたづねまをされさふらはば、をりふしあひいたはることありとおほ
せられさふらふべしとて、なみだをおさへてとどりぬ。だいなごんにがにがしう、かたはらいたくおもひたまへど
も、このうへはくだらざるべきにもあらずとてやがてたちたまひぬ。おなじき二十三にち、いけのだい
なごんよりもりのきやう、くわんとうへげちやく、ひやうゑのすけどのやがていでたまひたいめんあつて、まづむねきよはおんともにまゐ
つてさふらやらんとたづねまをされたりければ、をりふしあひいたはることあつてとのたまへば、そもそもなにをいたはりさらふ
ふやらんいしゆをぞんじさふらふにこそ。せんねんあのむねきよがもとにあづけおかれさふらひしとき、ことにふ
れてはうしんせられしこと、いまにわすれずさふらへば、おんともにまかりくだつてさふらはばとくげんざんにいらん
と、こひしうこそぞんじさふらひつれ、うらめしうもくだりさふらはぬものかなとて、おんくだしぶみどもあま
おほなしまうけ、さまざまのひきだしものをたばんと、よういせられたりしかども、くだらざりければ、
じやうげほんいなきことどもにぞおもはれける。六ぐわつ九かのひ、いけのだいなごんよりもりのきやう、みやこへかへり
のぼりたまふ。ひやうゑのすけどの、いましばらくかくても、おはしませかしとのたまへども、だいなごん、みやこに
おぼつかなうおもふらんにとて、やがてたちたまひぬ。ちぎやうしたまふべきさうゑんしりやう、あまたなつしか
はし、もとのごとくだいなごんになしかへさるべきよし、ほふわうへまをさる。はだかうま三十ぴき、くらおきうま三十
ぴき、ながもち三十えだに、はこがね、まきぎぬ、そめもの、ふぜいのものをいれてたてまつらる。ひやうゑのすけどのかや
うにしたまふうへは、とうごくのだいみやうせうみやう、われもわれもとひきでものをたてまつらる。にかけだも、三百ぴき
までありけり。だいなごんは、いのちいきたまふのみならず、かたがたとくついて、みやこへかへりのぼら
れけり。おなじき十八にち、ひんごのかみさだよしがをぢ、ひらたのにふだうさだつぎをたいしやうとして、いが、
いせりやうごくのくわんびやうら、あふみのくにへうちていでたり、げんじのばちえふらはつかうして、これをふせぐ。
おなじき二十かのひ、いがいせりやうごくのくわんびやうら、しばしもたまらずせめおとさる。へいけさうでんの
けにんにて、むかしのよしみをわすれぬことはあはれなれども、おもひたつこそおほけなけれ、三か
へんじとはこれなり。
さるほどに、こまつの三みのちうじやうこれもりのきやうのきたのかたは、かぜのたよりのおとづれもたえてひさしう
なりければ、つきに一どなんどは、かならずおほづるるものをとおもひてまたれけれども、はるす
ぎなつにもなりぬ。三みのちうじやう、いまはやしまにもおはせぬものをなんど、まをすものありとき
きたまひて、とかうしてつかひを一にんしたてて、やしまへくだされたりけれども、つかひいそぎたちも
かへらず。なつたけあきにもなりぬ。七ぐわつのすゑに、かのつかひかへりまゐりたり。きたのかた、さてい
かにやととひたまへば、さんぬる三ぐわつ十五にちのあかつき、しのびつつやしまのたちをばひそかにおんいであつて、
よさうびやうゑしげかげ、いしどうまるばかりおんともにて、かうやのおやまへまゐらつさせたまひて、ごしゆつけせさ
せおはしまし、そののちくまのへまゐらつさせたまひて、なちのおきにておんみをなげてましまし
さふらふとこそ、おんともまをしたりしとねりたけさとはまをしさふらひしかとまをしければ、きたのかた、ききも
あへたまはず、ひきかづいでそふしたまふ。わかぎみひめぎみも、こゑごゑにをめきさけびたまひけり。ややあ
つてめのとのにようばう、なみだをおさへてまをしけるは、これはいまさらなげかせたまふべきにもさぶらはず、ほん三
みのちうじやうどののやうに、いきどりにせられたまひて、きやうかまくらにはづをさらさせたまひなば、いかばか
りこころよくこそさぶらふべきに、これはかうやのおやまへまゐらつさせたまひて、ごしゆつけせさせ
おはしまし、そののちくまのへまゐらつさせたまひて、なちのおきとかやにてみんみをなげてまし
ましさぶらふことこそ、なげきのなかのおよろこびにてはさぶらへ。いまはいかにもして、おんさまをかへ、ほとけの
みなをもとなへさせたまひて、なきひとのごぼだいをもとぶらひまゐらつさせたまへかしとまをしければ、
きたのかた、やがてさまをかへ、こきすみぞめにやつれはてて、かのごせいぼだいをとぶらひたまふぞあはれ
なる。
『さるほどにかまくらのさきのひやうゑのすけよりともこのよしをつたへききたまひて、あはれへだてなううちむかひて
もおはしたらば、さりともいのちばかりをばたすけたてまつてまし。そのゆゑは、よりともをるざいになだ
められけることは、ひとへにかのだいふのはうおんなり。そのなごりにておはすれば、しそくだちをも
まつたくおろそかにおもひたてまつらず。ましてさやうにしゆつけなんどせられなんうへは、しさいにやおよぶべ
きとぞのたまひける。』
へいけさぬきのやしまへわたりたまひてのちも、とうごくよりあらてのぐんびやうすまんぎ、みやこについてせめくだ
るともきこゆ。またちんせいより、うすき、へつき、まつらたう、どうしんしておしわたるともきこえけり。かれを
ききこれをきくにも、ただみみをおどろかしきもだましひをけすよりほかのことぞなき。こんどつのくにいちのたに
にていちもんのくぎやうでんじやうびとにんたいりやくうたれ、むねとのさふらひなかばすぎてほろびにしかば、いまは、あは
のみんぶしげよしがきやうだい、四こくのものどもかたらつて、さりともとまをしけるをぞ、たかきやま、ふかき
うみともたのみたまひける。さるほどに、七ぐわつ二十五にちもなりぬ。にようばうだちはさしつどひて、こぞ
のけふはみやこをいでしものを、ほどなくめぐりきにけりとて、にはかにあわただしうあさまし
かりしことどもおもひいでて、なきぬわらひぬぞしたまひける。おなじき二十八にち、みやこにはしんてい
のごそくゐありけり。しんし、ほうけん、ないしどころなくして、ごそくゐのれい、にんのう八十二だい、これはじめ
とぞうけたまはる。おなじき八ぐわつむゆかのひ、ぢもまくおこなはれて、がばのくわんじやのりより三かはのかみになる。九
らうくわんじやよしつね、さゑもんのじようになる。やがてしのせんじをかうふつて、九らうはうぐわんとぞまをしける。
さるほどに、をぎのうはかぜもやうやうみにしみ、はぎのしたつゆもいよいよしげく、うらむるむしのこゑごゑ、、
いなばうちそよぎ、このはかつちるけしき、ものおもはざらんだに、ふけゆくあきのたびのそらはかな
しきならひぞかし。いはんやへいけのひとびとのこころのうち、おしはかられてあはれなり。むかしはここのへのくもの
うへにて、はるのはなをもてあそび、いまはやしまのうらにしてあきのつきにかなしむ。およそさやけきつきをえいじて
も、みやこのこよひいかなるらんとおもひやり、なみだをながし、こころをすましてぞあかしくらしたまひける。さ
まのかみゆきもり
きみすめばここもくもゐのつきなれどなほこひしきはみやこなりけり
さるほどに、九ぐわつ十二にち、たいしやうぐん三かはのかみのりより、へいけつゐとうのゐんぜんをうけたまはつて、さいこくへはつかうす。
あひともなふひとびと、あしかがのくらんどよしかぬ、ほでうのこ四らうよしとき、さいゐんのしくわんちかよし、さぶらひだいしやうには、
どひのじらうさねひら、しそくのいやたらうとほひら、三うらのすけよしずみ、しそくのへい六よしむら、はたけやまのしやうじじ
らうしげただ、おなじきながのの三らうしげきよ、いなげの三らうしげなり、ささき三らうもりつな、つちやの三らうむね
とほ、あまののとうないとほかげ、ひきのとうないともむね、おなじきとう四らうよしかず、はつたの四らうむしやともいへ、あん
ざいの三らうあきます、おほごの三らうさねひで、ちうでうのとうぢいへなが、いつぽんつばうしやうげん、とさばうまさとし、これらを
さきとしてつがふそのせい三まんよきにてみやこをたつてはりまのむろにぞつきにける。へいけのかたのたいしやう
ぐんには、こまつのしん三みのちうじやうすけもり、おなじきせうしやうありもり、たんごのじじゆうただふさ、さぶらひだいしやうには
ゑつちうのじらうひやうゑもりつぎ、かづさの五らうひやうゑただみつ、あく七びやうゑかげきよをさきとして、五百よさうのへい
せんにのりつれてこぎきたり、びぜんのこじまにつくときこえしかば、げんじやがてむろをたつて、
これもびぜんのくににしかはじり、ふぢどにぢんをぞとつたりける。さるほどにげんぺいりやうはうぢんをあはす。
ぢんのあはひ、うみのおもて、わづか三十よちやうをぞへだてたる。ふねなくしてはたやすうわたすべきやうな
かりしかば、げんじのおほぜいむかひのきしにちやくしていたづらにひかずをぞおくりける。おなじき二十五にちたつ
のこくの一てんに、へいけのかたのはやりをのつはものども、こぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあげてげん
じここをよせよやとぞまねきける。げんじのかたのつはものども、いかがせんとくちぐちにまをすところに、あふみ
のくにのぢうにん、ささきの三らうもりつな、二十五にちのよにいつて、うらのをを一にんかたらひ、ひたたれ、
こそでおほぐちしらさやまきなんどとらせすかしおほせて、このうみにうまにてわたしぬべきところやあるとと
ひければ、をとこまをしけるは、うらのものどもいくらもさふらへども、あんないしりたるはまれにさふらふ。し
らぬものこそおほくさふらへ。このをとこはよくしつてさふらふ。たとへば、かはのせのやうなるところのさふら
ふが、つきがしらに、ひんがしにさふらふ、つきのすゑにはにしにさふらふ、せのあはひ、うみのおもて、十ちやうばかりも
さふらふらん、これはおんうまなんどにては、たやすくわたらせたまひさふらふなんずとまをしければ、ささ
き、いでさらばわたつてみんとて、かのをとこと二にんまぎれいでてはかになり、くだんのせのやうな
るところをわたつてみるに、げにもいたうふかうはなかりけり。ひざ、こし、かたにつくところもあり、
びんのぬれるるところもあり、ふかきところをおよいで、あさきところにおよぎつく。をとこまをしけるは、これよりみなみ
はきたよりははるかにあさうさふらふ、そのうへかたきやさきをそらへてまちまゐらせさふらふところに、はだかにてはいかに
もかなはせたまひさふらふまじ。ただこれよりとくかへらせたまへとてかへりけるが、ささきおもひけるは
げらうはどこともなきものにて、またひとにもかたらはれて、あんないもぞをしへんずらん、わればか
りこそしらめとて、かのをとこをさしころし、くびかききつてぞすててんげる。あくる二十
六にちのたつの一てんに、へいけのかたのはやりをのつはものども、またこぶねにのつてこぎいだし、あふぎをあ
げて、げんじここをよせよやとぞまねぎける。げんじやすからぬことなり、いかがせんとくちぐちに
まをすところに、ここにあふみのくにのぢうにん、ささき三らうもりつな、かねてあんないはしつたり。しげめゆひ
のひたたれにひをどしのよろひきて、れんぜんあしげなるうまに、きんぷくりんのくらをおいてのつたりける、いへの
こらうとう、ともに七きうちいれてわたす。たいしやうぐん三かはのかみのりよりこれをみたまひて、あれせいせよ
とどめよとのたまへば、どひのじらうさねひら、むちあぶみをあはせておひつき、いかにささきどのはもののつ
いてくろひたまふか、たいしやうぐんよりのおんゆるされもなきに、とどりたまへといひけれども、ささき
みみにもききいれず、うちいれてわたしければ、どひのじらうもせいしかねて、ともにつづいてうちい
れたり。うまのくさわき、むながひづくし、ふとばらにたつところもあり、くらつぼつすところもあり、ふかきところ
をおよがせて、あさきところにうちあがる。たいしやうぐんこれをみたまひて、ささきにたばかられぬるは、
あさかりけるぞ、わたせやわたせとげぢしたまへば、三萬よきのつはものども、みなうちいれてわたす。
へいけのかたにはこれをみて、ただいとれやいとれとて、さしつめひきつめ、さんざんにいけれど
も、げんじのかたのつはものども、これをことともせず、かぶとのしころをかたむけ、へいけのふねにのりうつりうつり
をめきさけんでせめたたかふ。一にちたたかひくらしよにいりければ、へいけのふねはおきにうかび、げんじ
はこじまのぢにうちあがつて、じんばのいきをぞやすめける。あけければ、へいけはさぬきのやしまへ
こぎしりぞく、げんじこころはたけうすめども、ふねなかりければちからおよばず。むかしよりうまにてかはをわたす
つはものおほしといへども、うまにてうみをわたすこと、てんぢくしんたんはしらず、わがてうにはきだいのた
めしなりとて、びぜんのこじまをささきにたぶ。かまくらどののみげうしよにものせられたり。
おなじき二十八にち、みやこにはぢもくおこなはれて、九らうはうぐわんよしつねしやう五ゐのじようになされて、九
らうたいふのはうぐわんとぞまをしける。さるほどに、十ぐわつにもなりぬ。やしまにうらふくかぜもいやしげく、
いそうつなみもたかかりしかば、つはものどももせめきたらず。しやうかくのゆきかひもまれにして、みやこのつて
もきかまほしく、あられうちちりいとぞきえいるここちぞせられける。おなじき三かのひ、しん
ていのごけいのぎやうがうありけり。ないべんをば、とくだいじどのつとめらる。おとしせんていのごけいのぎやうかう
のありしには、へいけのないだいじんむねもりこうつとめらる。せつげのあくやについて、まへにりやうのはたた
て、ゐたまひたりしぎしき、かぶりぎは、そでのかかり、うへのはかまのすそまでも、ことにすぐれてみえ
たまへり。そのほか三みのちうじやうとももり、とうのちうじやうしげひらいか、こんゑづかさみつなにさふらはれしには、また
たちならぶひともなかりしぞかし。けふは九らうたいふのはうぐわんよしつねせんぢんにぐぶす。これはきそ
なんどにはにずして、もつてのほかにきやうなれたりしかども、へいけのなかのえりくずよりもなほおとれ
り。おなじき十八にち、だいじやうゑのさたありけり。さんぬるぢしよう、やうわのころより、しよこく七だうの
にんみん百しやうら、あるひはげんじのためになやまされ、あるひはへいけのためにほろぼさる。いへかまどをすててさん
りんにまじはり、はるはとうさくのおもひをわすれ、あきはせいじうのいとなみにもおよばず。いかんとしてか、かや
うのたいれいなんどをばおこなはるべきなれども、さてしもあるべきことならねば、かたのごくくぞ
とげられける。たいしやうぐん三かはのかみのりより、なほのつづいてせめたまはば、へいけはたやすくほろぶべ
かりしを、むろ、たかさごにやすらひ、いうくんいうぢよどもめしあつめ、あそびたはぶれてのみ、つきひをおくり
たまひけり。とうごくのだいみやうせうみやうおほしといへども、たいしやうぐんのげぢにしたがふことなれば、ちからおよ
ばず、ただくにのつひえ、たみのはづらひのみあつて、ことしもすでにくれにけり。