賜 天覧 台覧
日本児童文庫
図画と手工の話
             山本鼎著
              ARS



目上(めうへ)の方々(かた/゛\)へ

 日本児童文庫(につぽんじどうぶんこ)  巻中(かんちゆう)の一冊(いつさつ)を任(まか)せられたことは、実(じつ)に光栄(こうえい)でした。差(さ)し当(あた)り、数十万(すじゆうまん)の児童(じどう)ならびにその目上(めうへ)の方々(かた/゛\)に、自分(じぶん)の意見(いけん)を読(よ)んでもらへることはまことに果報(かほう)です。私(わたくし)は油絵(あぶらえ)かきですが、ふとした動機(どうき)で教育(きよういく)の方面(ほうめん)へ首(くび)を突(つ)つ込(こ)みました。教育(きよういく)といつてももちろん美術(びじゆつ)に関(かん)したことで、世(よ)に『自由画(じゆうが)』と称(よ)ばれる、あゝいふ絵(え)の最初(さいしよ)の鼓吹者(こすいしや)は私(わたくし)です。もちろん、今日(こんにち)のいはゆる自由画(じゆうが)の成績(せいせき)そのものには、私(わたくし)を安(やす)んぜしめない傾向(けいこう)がいろ/\あります。たとえぱ、色彩(しきさい)一途(いちず)に流(なが)れて、でつさんの進歩(しんぽ)を伴(ともな)はないことや、臨物写生(りんぶつしやせい)一点(いつてん)ばりの弊(へい)等々(とう/\)大(おほ)いに指導者(しどうしや)の注意(ちゆうい)を喚起(かんき)せねばなりませんが、しかし自分等(じぶんら)のあの運動(うんどう)は、結局(けつきよく)有意義(ゆういぎ)であつたと思(おも)ひます。日本(につぽん)の子供達(こどもたち)は、あの運動(うんどう)の結果(けつか)、『自然(しぜん)』に就(つ)いて学(まな)ぶようになり、各自(かくじ)に表現法(ひようげんほう)を工夫(くふう)し、独創(どくそう)の楽(たの)しみを知(し)るようになりました。そして小学校(しようがつこう)の美術的学科(びじゆつてきがくか)は、家庭(かてい)や社会(しやかい)に親(した)しいものとなつて来(き)たのであります。
 世(よ)には、高踏的(こうとうてき)な美術(びじゆつ)にのみ存在(そんざい)の意義(いぎ)を附(ふ)し、庶民通俗(しよみんつうぞく)の美術心(びじゆつしん)を蔑視(べつし)する人(ひと)がありますが、私(わたくし)の性分(しようぶん)及(およ)び思想(しそう)は、むしろ庶民通俗(しよみんつうぞく)の美術心(びじゆつしん)に、より多(おほ)く関心(かんしん)せしめ、成熟期(せいじゆくき)の画道(がどう)よりも、原始的(げんしてき)画道(がどう)の方(ほう)に美術(びじゆつ)の真髄(しんずい)を感悟(かんご)せしめます。私(わたくし)はもし父(ちゝ)の業(ぎよう)を継(つ)いで医(い)を職(しよく)としたなら、『公衆衛生(こうしゆうえいせい)』を専攻(せんこう)したかも知(し)れません。私(わたくし)は子供達(こどもたち)の図画手工(ずがしゆこう)の学習(がくしゆう)を『美(び)』に関(かん)した衛生思想(えいせいしそう)の涵養(かんよう)と見(み)てをります。国民(こくみん)の保健(ほけん)を完全(かんぜん)にし、体力(たいりよく)を増進(ぞうしん)せしむるには、衛生思想(えいせいしそう)の普及(ふきゆう)を第一(だいいち)とし、親切(しんせつ)で老練(ろうれん)な開業医(かいぎようい)を到(いた)る所(ところ)にもち、生粋(きつすい)の医学者(いがくしや)を数多(かずおほ)く持(も)たねばなりますまい。それと同(おな)じわけで、わが国民(こくみん)をして『美(び)』に対(たい)する徳性(とくせい)を完備(かんび)せしめ、作家(さつか)をして雄大(ゆうだい)な為事(しごと)をなさしむるには、生粋(きつすい)な美術(びじゆつ)だけでは足(た)りません。通俗(つうぞく)な美術(びじゆつ)も、小国民(しようこくみん)の美術教育(びじゆつきよういく)も、共(とも)に必要(ひつよう)です。しかも現状(げんじよう)はどうでせう、展覧会美術(てんらんかいびじゆつ)は繁盛(はんじよう)ですが、産業的美術(さんぎようてきびじゆつ)や、子供(こども)の美術教育(びじゆつきよういく)は貧相(ひんそう)もしくは陳腐(ちんぷ)です。すなはち、大衆(たいしゆう)の日常生活(にちじようせいかつ)には『肉(にく)』がありません。
 さて、この一冊(いつさつ)は、子供(こども)さんに図画(ずが)や手工(しゆこう)を教(をし)へるようにと、文庫(ぶんこ)は組(く)み込(こ)まれたものでせうが、技術(ぎじゆつ)の指導(しどう)は文字(もじ)ではやりにくい、それに綿密(めんみつ)にかけばかく程(ほど)、読(よ)む身(み)にとつては退屈(たいくつ)でせうし、描(か)き方(かた)作(つく)り方(かた)は学校(がつこう)でおほよそ教(をそ)はつてをられるわけですから、私(わたくし)はもつぱら興味(きようみ)をそゝるように心掛(こゝろが)けて、小説風(しようせつふう)に筋(すぢ)を立(た)てて、叙事(じよじ)や会話(かいわ)でそくばくの指導(しどう)を試(こゝろ)みました。それにしても、全体(ぜんたい)にむづかしすぎると思(おも)ひますが、とかく思想(しそう)を述(の)べたい私(わたくし)ではあるし、表現法(ひようげんほう)が未熟(みじゆく)なせいで致(いた)し方(かた)ありません。もつともところ/゛\、子供(こども)の知識(ちしき)をあへて度外視(どがいし)して、お両親(りようしん)や先生(せんせい)を相手(あひて)に書(か)いてあります。たとへば『四人展覧会(よにんてんらんかい)』の原(はら)さんのおしやべりなどがそれで、結局(けつきよく)私(わたくし)は、この本(ほん)を読(よ)む子供(こども)さんが親近(しんきん)な目(め)うへに、更(さら)に噛(か)みくだいてもらふことを望(のぞ)んでゐるのです。どうぞそのことを、よろしくお願(ねが)ひ致(いた)します。なほ解(かい)し難(がた)い点(てん)がありましたら、御指摘(ごしてき)下(くだ)さい、『学習新聞(がくしゆうしんぶん)』紙上(しじよう)でお答(こた)へ致(いた)しますから。

   昭和三年八月
                     山本 鼎




目次(もくじ)
 一 旅行(りよこう)のおしたく…………………………三
 二 高原(こうげん)の避暑地(ひしよち)……………一九
 三 浅間山(あさまやま)の写生(しやせい)…………二六
 四 太郎君(たろうくん)の静物画(せいぶつが)……三七
 五 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)…………五五
 六 油絵(あぶらえ)かきさん……………………………六五
 七 百姓家(ひやくしようや)の鎮雄君(しづをくん)七八
 八 油絵(あぶらえ)かきさんのお話(はなし)………八六
 九 みち子(こ)さんのすけつちぶつく…………………九六
一〇 雨(あめ)ふりの二日間(ふつかかん)……………一一二
一一 ぎによーるのお芝居(しばゐ)………………………一四二
一二 四人展覧会(よにんてんらんかい)…………………一六四
一三 みち子(こ)さんから鎮雄(しづを)さんへの手紙(てがみ)一七五
一四 鎮雄(しづを)さんからみち子(こ)さんへの手紙(てがみ)一八二
一五 お母(かあ)さんの夜話(やわ)……………………一九二
一六 お母(かあ)さんの夜話(やわ)……………………二〇三
一七 鎮雄君(しづをくん)からの小包(こづゝ)み……二〇九
一八 孝子(こうこ)さんの図案(ずあん)………………二一六
一九 みち子(こ)さんの更紗(さらさ)…………………二三二



図画と手工の話



装幀・恩地孝四郎
挿絵・山本 鼎




一、旅行(りよこう)のおしたく

 みち子(こ)さんのおうちでは、毎年(まいねん)海辺(うみべ)へ避暑(ひしよ)するのでしたが、今年(ことし)は山(やま)へゆくことになりました。それは、弟(おとうと)の太郎君(たろうくん)がいつぞや歌舞伎座(かぶきざ)の童謡音楽会(どうようおんがくかい)で、白秋(はくしゆう)さんの『秩父(ちゝぶ)の宮様(みやさま)』を聴(き)いて来(き)てから、急(きゆう)に山(やま)へゆきたくなり、姉(ねえ)さんも妹(いもうと)も身方(みかた)につけて、熱心(ねつしん)にお母(かあ)さんを説(と)き伏(ふ)せた結果(けつか)でした。
 太郎君(たろうくん)は丈夫(じようぶ)で活溌(かつぱつ)なくせに、皮膚(ひふ)だけは生(う)まれつき弱(よわ)く、虫(むし)にさゝれるとじきに水腫(みづぶく)れになつて、夏中(なつじゆう)両脚(りようあし)に繃帯(ほうたい)をしてゐるようなわけでしたから、お母(かあ)さんは、虻(あぶ)やぶよの多(おほ)い山地(さんち)をさけて、砂浜(すなはま)や塩風(しほかぜ)で皮膚(ひふ)を鍛(きた)へてやらなければならないと考(かんが)へ、静浦(しづうら)行(ゆ)きを主張(しゆちよう)したのですが、とう/\子供達(こどもたち)の同盟軍(どうめいぐん)に負(ま)かされて、信州(しんしゆう)行(ゆ)きときまり、軽井沢(かるゐざは)と山(やま)一(ひと)つを隔(へだ)てた星野温泉(ほしのおんせん)の、落葉松(からまつ)林(ばやし)のなかの小(ちひ)さな夏季別荘(かきべつそう)をかりて、八月(はちがつ)一(いつ)ぱいをそこに送(おく)ることになつたのでした。
 で、昨日(きのふ)からその旅行(りよこう)のお支度(したく)でうちじゆう大騒(おほさわ)ぎなのです。大小(だいしよう)の旅行鞄(りよこうかばん)が三(みつ)つ、蒲団包(ふとんづゝ)みが二(ふた)つ、柳行李(やなぎごうり)が一(ひと)つ、すつかり荷造(にづく)りがすんで玄関(げんかん)にまとめられ、お母(かあ)さんが、茶(ちや)の間(ま)で飲料(いんりよう)や薬品類(やくひんるい)をばすけつとにつめてゐるところに、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)が、買(か)ひ物(もの)を両手(りようて)に提(さ)げて、えらい勢(いきほ)ひで帰(かへ)つて来(き)ました。そして先(さき)を争(あらそ)つて買(か)ひ物(もの)の御報告(ごほうこく)です。
「お母(かあ)さん、僕(ぼく)ね、お金(かね)をみんな使(つか)つちまひましたよ、三脚(さんきやく)はずいぶん高(たか)いんですよ。ほらこんな三脚(さんきやく)、僕(ぼく)、山崎(やまざき)さんの持(も)つてゐるような大(おほ)きいのが欲(ほ)しかつたのだけれど、あれは二円(にえん)八十銭(はちじつせん)もするんですつて、かなはないや……」
「子供(こども)はそれでたくさんだわ、──お母(かあ)さん、太郎(たろう)さんはずいぶんなまいきよ、しよーういんどの油絵(あぶらえ)の道具(どうぐ)が欲(ほ)しくてしようがないの」
「なんだい、みいちく、自分(じぶん)だつて欲(ほ)しいくせに、こないだ山崎(やまざき)さんに空(から)のちゆーぶを貰(もら)つてよろこんでゐたぢやないか」
「空(から)ぢやないわ、お気(き)の毒様(どくさま)、とても美(うつく)しいばいおれつとこばるとがどつさり出(で)て来(き)たわ。──くれぱすさん、いーだ」
「なにつ」
 太郎君(たろうくん)はいきなり姉(ねえ)さんの買(か)ひ物(もの)に飛(と)びかゝりました。姉(ねえ)さんは驚(おどろ)いてかなきり声(ごゑ)をあげ、くれいよんや鉛筆(えんぴつ)の組(く)み合(あは)せを買(か)つてもらつて大(おほ)よろこびの小(ちひ)さい孝子(こうこ)さんも、びつくりしてお母(かあ)さんの背(せ)なかへ駈(か)け寄(よ)りました。お母(かあ)さんは破顔(はがん)しながらたしなめます。
「みち子(こ)さん。大(おほ)きななりをしてその声(こゑ)はなんですね。二人(ふたり)とも早(はや)くお買(か)ひ物(もの)をお父様(とうさま)にお目(め)にかけていらつしやい」
 みち子(こ)さんたちのお父(とう)さんは、お医者様(いしやさま)です。午前(ごぜん)の診療(しんりよう)がすみ、その時(とき)手術服(しゆじゆつふく)のまゝ庭(には)に出(で)て花畑(はなばたけ)をいぢつてゐられましたが、子供(こども)たちに呼(よ)ばれると縁側(えんがは)へ戻(もど)つて来(き)て、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)の買(か)ひ物(もの)の説明(せつめい)を、面白(おもしろ)そうに、ちよい/\質問(しつもん)をはさみながら聴(き)くのでした。
「お父(とう)さん、僕(ぼく)のはこれだけです」
 さういふ太郎君(たろうくん)の買(か)ひ物(もの)は、三脚(さんきやく)、かるとん、画板(がばん)、ぺーぱぶろつく、くれぱすの五品(いつしな)で、皆(みな)絵(え)の用品(ようひん)でした。お父(とう)さんにまづ、
「ほう、絵(え)かきさんの腰(こし)かけを買(か)つて来(き)たね」
といはれて、太郎君(たろうくん)は、はにかみながらも大得意(だいとくい)でした。
 今度(こんど)の買(か)ひ物(もの)で、太郎君(たろうくん)を有頂天(うちようてん)にさしたのは、一本(いつぽん)の丸太(まるた)が、開(ひら)くと三本脚(さんぼんあし)になるこの奇妙(きみよう)な腰(こし)かけでした。学校(がつこう)で遠足(えんそく)をした時(とき)、大勢(おほぜい)があるひは草原(くさはら)の上(うへ)に坐(すわ)り、あるひは石(いし)に腰(こし)かけ、あるひは新聞紙(しんぶんし)や風呂敷(ふろし)きを地面(じめん)に敷(し)いて写生(しやせい)をやつてゐるなかに、四五人(しごにん)、この腰(こし)かけをもつてゐる子供(こども)がゐて、勝手(かつて)なところで腰(こし)かけてゐるのを見(み)てから、欲(ほ)しくてたまらなかつた器具(きぐ)でした。それ故(ゆゑ)太郎君(たろうくん)は、顔(かほ)を輝(かゞや)かしてお父(とう)さんに説明(せつめい)するのです。
「お父(とう)さん、これはね、三脚(さんきやく)つていふんですよ。こないだ山崎(やまざき)さんがお母(かあ)さんに『三脚(さんきやく)を買(か)つておやりなさい』つていつたの、地(じ)べたや草(くさ)の上(うへ)に坐(すわ)つて写生(しやせい)すると病気(びようき)になるんですつて、──僕(ぼく)これですつかり揃(そろ)つちやつた」
「道具(どうぐ)をそろへて、へたくそな絵(え)をかいては駄目(だめ)だぜ太郎(たろう)、──なんだい、このぼーる紙(がみ)に紐(ひも)のついてる物(もの)は……」
 太郎君(たろうくん)が即答(そくとう)出来(でき)なかつたので、みち子(こ)さんが説明(せつめい)しました。
「お父(とう)さん、これはかるとんていふ物(もの)よ、描(か)いた絵(え)を散(ち)らさずにこのなかにしまつておくんです。かるとんて、フランス語(ご)ですつて。先生(せんせい)がね、自分(じぶん)の作(つく)つた物(もの)を粗末(そまつ)にするようではいけません。絵(え)や図案(ずあん)はかるとんに挟(はさ)んでちやんと保存(ほぞん)しなさいとおつしやつたんです。それで、わたし達(たち)は皆(みんな)かるとんを持(も)つてゐるんです。太郎(たろう)さんは甲上(こうじよう)の絵(え)でもなんでも、かまはずなくしてしまひますから、私(わたし)が買(か)つてやつたんです」
「ふむ、そりや感心(かんしん)だ、みいちくさんも女学校(じよがつこう)になつてから急(きゆう)にえらくなつたね」
「知(し)らないわ、いやあなお父(とう)さん」
「あつはつはつはつ──くれぱすつてやはりくれいよんかい」
 太郎君(たろうくん)は、かうきかれてちよつとひるみました。といふのは、さつき、姉(ねえ)さんといひあひをした時(とき)、「くれぱすさん、いーだ」といはれたあのことからです。太郎君(たろうくん)がくれぱすを愛用(あいよう)しだしたのは今学期(こんがつき)からですが、くれぱすを使(つか)ふようになつてから、太郎君(たろうくん)はめきめきと絵(え)が上手(じようず)になつて、学校(がつこう)では甲上(こうじよう)をつゞけ、展覧会(てんらんかい)ではきつと賞(しよう)をもらふのでした。それは、くれぱすはくれいよんよりもずつと描(か)きいゝからで、例へば、くれいよんは色(いろ)が重(かさ)なり合(あ)ふだけで、よくまざりませんが、くれぱすはぱすてるのように自由自在(じゆうじざい)にまざるのです。又(また)くれいよんでは、暗(くら)い色(いろ)の上(うへ)へ明(あか)るい色(いろ)はきゝませんが、くれぱすはそれが勝手(かつて)にきゝます。ですからこの頃(ごろ)の太郎君(たろうくん)の絵(え)は、まるで油絵(あぶらえ)のようです。もつとも大人(おとな)の油絵(あぶらえ)のように、丸(まる)みや遠近(えんきん)の感(かん)じは出(で)てゐませんが、色合(いろあ)ひの深(ふか)さや、明(あか)るい色(いろ)で描(か)きおこしてあることなどがさうです。
 太郎君(たろうくん)は好(この)んでみち子(こ)さんや、孝子(こうこ)さんや、女中(じよちゆう)の徳(とく)やなどをもでるにして、肖像(しようぞう)を描(か)きますが、その顔(かほ)の肉色(にくしよく)の出(だ)し方(かた)は、ざつとこんなあんばいです。まづ、くれぱすのほわいと(白(しろ))で顔全体(かほぜんたい)を薄(うす)く塗(ぬ)りつぶします。それからその上(うへ)を、おれんぢ(橙黄(だい/\き))でかきまはします、次(つ)ぎにばあみりよん(朱(しゆ))とくりむそん(紅(あか))をまぜくります。そして又(また)、ほわいと(白(しろ))を使(つか)つて描(か)きまぜながら、思(おも)ふ肉色(にくしよく)を作(つく)るのですが、それは実(じつ)に、ちーすのように潤(うるほ)ひをもつた底味(そこあぢ)のある肉色(にくしよく)なんです。面白(おもしろ)いのは、眉毛(まゆげ)や瞳(ひとみ)のところなどを、ないふの尖(さき)を使(つか)つてくれぱすをさらひ取(と)ることです。くれぱすは柔(やはら)かいから、さうしないと眉毛(まゆげ)や瞳(ひとみ)を描(か)き表(あらは)さうとする黒(くろ)なり暗褐色(あんかつしよく)なりが、地(じ)の明(あか)るい色(いろ)とまじつてぼやけてしまふからなのです。また着物(きもの)の模様(もよう)とか屋根瓦(やねがはら)とかいふものを、太郎君(たろうくん)は、まづ地(じ)を一様(いちよう)に塗(ぬ)りつぶしておいて、明(あか)るい色(いろ)でのんきに描(か)きおこすのです。すべてかうした技巧(ぎこう)は、くれぱすを使(つか)ひ出(だ)してから、太郎君(たろうくん)がひとりでくふうしたものでした。
 太郎君(たろうくん)やみち子(こ)さんが、よく山崎(やまざき)さん山崎(やまざき)さんといふのは、お母様(かあさま)の従弟(いとこ)に当(あた)る人(ひと)で、美術学校(びじゆつがつこう)の生徒(せいと)さんですが、その人(ひと)が太郎君(たろうくん)のくれぱす画(が)を見(み)て感心(かんしん)し、「太郎君(たろうくん)は色(いろ)に対(たい)していゝ感覚(かんかく)をもつてゐる、いつそ油絵(あぶらえ)をやらして見(み)たいね」と申(まを)したことがありますが、太郎君(たろうくん)も実(じつ)はこの頃(ごろ)、油絵(あぶらえ)を描(か)いて見(み)たいのです。くれぱすそつくりの色合(いろあ)ひが出(で)て、くれぱすよりはずつと高等(こうとう)なものらしい油絵(あぶらえ)の具(ぐ)といふものが欲(ほ)しくてたまらないのですが、文房堂(ぶんぼうどう)のしよーういんどに飾(かざ)つてあるうちの一番(いちばん)安(やす)いものでも、一揃(ひとそろ)ひ七円(しちえん)五十銭(ごじつせん)もするし、すもーるちゆーぶでも一色(いつしよく)二三十銭(にさんじつせん)しますから、太郎君(たろうくん)はたゞ眺(なが)めて楽(たの)しむより仕方(しかた)がない、そこで姉(ねえ)さんに「くれぱすさん」とひやかされて、ひどく侮辱(ぶじよく)を感(かん)じたわけなんです。
 しかし、中学(ちゆうがく)にはひれば、山崎(やまざき)さんが、今(いま)自分(じぶん)の使(つか)つてゐる本式(ほんしき)の絵(え)の具箱(ぐばこ)をくれるといふし、その時(とき)、お母(かあ)さんが絵(え)の具(ぐ)や筆(ふで)を買(か)つてくださる約束(やくそく)ですから、太郎君(たろうくん)は内心(ないしん)楽観(らつかん)はしてゐるんです。で、活溌(かつぱつ)な声(こゑ)でお父(とう)さんに答(こた)へました。
「ちがひます、くれいよんなんて、孝子(こうこ)ちやんの使(つか)ふ絵(え)の具(ぐ)ですよ、くれぱすはね、お父(とう)さん、要(よう)するに固形(こけい)油絵(あぶらえ)の具(ぐ)なんですつて、だから僕(ぼく)の……」
「要(よう)するにだつて、山崎(やまざき)さんのまねをしてゐるわ、なまちやんね」
「だまつてろい、みいちく、いーぜるをおつぺつしよつちまふぞ」
 今日(けふ)みち子(こ)さんの買(か)ひ物(もの)のうちで、いーぜる(画架(がか))はすたー(明星(みようじよう))でした。折(を)り畳(だゝ)み式(しき)の旅行用(りよこうよう)いーぜるを手(て)に入(い)れたみち子(こ)さんの喜(よろこ)びは、小(ちひ)さい頃(ころ)、友禅(ゆうぜん)の振(ふ)り袖(そで)を着(き)せたお人形(にんぎよう)さんを京都(きようと)の叔母(をば)さんからもらつた時(とき)の喜(よろこ)びと同(おな)じものでした。太郎君(たろうくん)は得意(とくい)で三脚(さんきやく)に腰(こし)かけて見(み)せましたが、みち子(こ)さんも得意(とくい)でいーぜるをそこに組(く)み立(た)てゝお父(とう)さんにお目(め)にかけました。
「きやしやな画架(がか)だね、風(かぜ)に吹(ふ)き飛(と)ばされそうだな」
「えゝ、これが一番(いちばん)小(ちひ)さいの、でも旅行(りよこう)のすけつちにはこれで十分(じゆうぶん)よ。風(かぜ)が強(つよ)い時(とき)は、ここのところに紐(ひも)をつけて、石(いし)か棒杭(ぼうぐひ)にゆはひつけておけば大丈夫(だいじようぶ)ですつて、お父(とう)さん、信州(しんしゆう)は風(かぜ)が吹(ふ)いて──。西(にし)の方(ほう)に日本(につぽん)アルプスが見(み)えるんですつてね、私(わたし)早(はや)くいーぜるを立(た)てゝ描(か)きたいわ」
「今夜(こんや)たつのかい」
「いゝえ、明日(あした)になつちやつたの」
「あの辺(へん)は風(かぜ)が強(つよ)いよ、それにすさまじい夕立(ゆふだ)ちが来(く)るね、雷(かみなり)の大(おほ)きいこと」
「やあこはいな、僕(ぼく)、蚊帳(かや)のなかへ逃(に)げ込(こ)むんだ。お父(とう)さん、虹(にじ)が出(で)ますか」
「そりや出(で)るとも」
「二重(にじゆう)の虹(にじ)も出(で)ますか」
「出(で)るだらうな」
「すてきだなあ、お父(とう)さんね、姉(ねえ)さんがもつてゐる英国(えいこく)の絵(え)に、二重(にじゆう)の虹(にじ)が出(で)てゐるんですよ」
「えゝ、ジヨン・シスレーの『盲(めしひ)たる少女(しようじよ)』つて絵(え)よ。手風琴(てふうきん)を膝(ひざ)においた盲(めくら)の娘(むすめ)が土堤(どて)に腰(こし)かけてゐて、遠景(えんけい)に村(むら)が見(み)えて、暗(くら)い空(そら)に虹(にじ)が二筋(ふたすぢ)出(で)てゐたわね。太郎(たろう)さん、どうして二重(にじゆう)の虹(にじ)が出(でせ)るか知(し)つてゝ」
「知(し)つてる、蜃気楼(しんきろう)とおんなじなんだらう」
「えゝ、さう、太郎(たろう)さんえらいわね。──お父(とう)さん、こんないゝ水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)も買(か)ひました。ちゆーぶのよりは、この陶器(とうき)にはひつた練(ね)り製(せい)のが、絵(え)の具(ぐ)がかたまらなくて一番(いちばん)いゝんですつて。──私(わたし)、うんと水絵(みづえ)を描(か)かなくつちや」
「ふむ、これはちよーくだね」
「いゝえ、こんてーです。こんてーで素描(そびよう)して、らつくで止(と)めて、それから水絵(みづえ)の具(ぐ)で淡彩(たんさい)するのが、今(いま)学校(がつこう)で大(おほ)はやりなんです。滝田先生(たきたせんせい)はお父(とう)さん、そりや効果(こうか)がやかましいんですよ。水絵(みづえ)は手際(てぎは)がむづかしいから、でつさんがくづれがちでいけない。君達(きみたち)の眼(め)と手(て)にはこんてー淡彩(たんさい)が最(もつと)も適(てき)してゐるつておつしやるの。私(わたし)もこんてー淡彩(たんさい)は、はぎれがよくて好(す)き……」
「その巻(ま)き尺(じやく)のようなのはなんだね」
「これですか、画用紙(がようし)を水張(みづば)りにする時(とき)の縁貼(ふちば)り用(よう)の紙(かみ)です」
「なに、そんなものか、ちとぜいたくだね」
 みち子(こ)さんは、首(くび)をすくめて赤(あか)くなりました。滝田先生(たきたせんせい)もおつしやつた、「水絵(みづえ)の写生(しやせい)には、必(かなら)ず画板(がばん)に紙(かみ)を水張(みづば)りすることを怠(おこた)つてはいけない。縁貼(ふちば)りの紙(かみ)は丈夫(じようぶ)な紙(かみ)でさへあれば、ほぐで結構(けつこう)だ。五分(ごぶ)ぐらゐの幅(はゞ)に切(き)つて、糊(のり)をたつぷりつけて、手早(てばや)くお貼(は)りなさい」と。ところが、今日(けふ)文房堂(ぶんぼうどう)で、美(うつく)しいお嬢(じよう)さんがこれを買(か)つてゐたので、みち子(こ)さんはつい釣(つ)り込(こ)まれて買(か)つてしまつたのです。それ故(ゆゑ)、お父(とう)さんに「ぜいたくだね」といはれてぐうの音(ね)も出(で)ませんでした。みち子(こ)さんはてれた顔(かほ)をして、お父(とう)さんに文房堂(ぶんぼうどう)の伝票(でんぴよう)をお目(め)にかけました。それには左(さ)のように表示(ひようじ)してあります。
 画架(がか)(五号(ごごう)) 三円(さんえん)五十銭(ごじつせん)
 三脚(さんきやく) 一円(いちえん)七十銭(しちじつせん)
 画板(がばん) 五十銭(ごじつせん)
 かるとん 五十銭(ごじつせん)
 十三色入(じゆうさんしよくい)り水彩(すいさい)絵(え)の具箱(ぐばこ)
    三円(さんえん)五十銭(ごじつせん)
 筆(ふで)10、7、1、三本(さんぼん) 七十八銭(しちじゆうはつせん)
 ぺーぱーぶろつく三冊(さんさつ)一円(いちえん)
    五十九銭(ごじゆうきゆうせん)
 すけつちぶつく 一冊(いつさつ) 三十八銭(さんじゆうはつせん)
 こんてー 三本(さんほん) 三十銭(さんじつせん)
 くれぱす(二十四色入(にじゆうししよくい)り)一個(いつこ)
    六十銭(ろくじつせん)
 組(く)み合(あは)せ文房具(ぶんぼうぐ)一個(いつこ)
    五十銭(ごじつせん)
 縁貼(ふちば)り用紙(ようし)一巻(ひとま)き 十五銭(じゆうごせん)
   合計(ごうけい)金(きん)拾四円也(じゆうよえんなり)
 みち子(こ)さんは、それに、かう説明(せつめい)を加(くは)へました。
「今日(けふ)のお買(か)ひ物(もの)は、お母(かあ)さんにおゆるしを受(う)けて、めい/\の郵便貯金(ゆうびんちよきん)を使(つか)ひました、太郎(たろう)さんが四円(よえん)出(だ)し。私(わたし)が十円(じゆうえん)出(だ)したんです。太郎(たろう)さんのお買(か)ひ物(もの)は三円(さんえん)七十三銭(しちじゆうさんせん)で、私(わたし)のが九円(きゆうえん)七十二銭(しちじゆうさんせん)でしたから、五十五銭(ごじゆうごせん)あまつたの。それで孝子(こうこ)さんに組(く)み合(あは)せ文房具(ぶんぼうぐ)を買(か)つてやりました。──孝子(こうこ)ちやん、あなたのお土産(みやげ)をお父(とう)さんにお目(め)にかけない」
 孝子(こうこ)さんは、もう箱(はこ)から出(だ)して、なかみをそこらに散(ち)らかしてゐましたが、姉(ねえ)さんにさういはれて、急(いそ)いで箱(はこ)へあつめかゝりました。

二、高原(こうげん)の避暑地(ひしよち)

 信越線(しんえつせん)軽井沢駅(かるゐさはえき)のつぎが沓掛駅(くつかけえき)、そこで下車(げしや)して、旧草津街道(きゆうくさつかいどう)を浅間山(あさまやま)のほうへ十八町(じゆうはつちよう)ばかりはひると、「星野温泉(ほしのおんせん)入(い)り口(ぐち)」とかいたぺんき塗(ぬ)りの標柱(ひようちゆう)にでつくはします。温泉宿(おんせんやど)はそれからなほ四五町(しごちよう)おくの谷合(たにあ)ひのへいぼんな盆地(ぼんち)に建(た)つてゐますが、木造(もくぞう)のごく粗末(そまつ)な、ちよつとあのへんの小学校(しようがつこう)に似(に)た横長(よこなが)い家屋(かおく)、別棟(べつむね)の浴場(よくじよう)があり、玉突(たまつ)き場(ば)があり庭(には)には田船(たぶね)をうかべた池(いけ)もあれば、てにすこーともあつて、夏場(なつば)は、避暑客(ひしよかく)と浅間登山(あさまとざん)のすぽーつ連(れん)でことのほか混雑(こんざつ)するところです。しかし、それは宿(やど)の近辺(きんぺん)にかぎられ、まはりの小山(こやま)の落葉松(からまつ)林(ばやし)のなかに点在(てんざい)する別荘(べつそう)は、又(また)さびしいくらゐ閑静(かんせい)なのです。
 昨日(きのふ)みち子(こ)さん達(たち)が、こゝへ着(つ)いた時(とき)は、あいにく吹(ふ)き降(ぶ)りで、まるで景色(けしき)は見(み)えず、迎(むか)への自動車(じどうしや)に体(からだ)と荷物(にもつ)を無事(ぶじ)にはこばれて、まづ安心(あんしん)はしたものゝ、宿(やど)に一(いち)ばん遠(とほ)い別荘(べつそう)とて、水(みづ)も火(ひ)もなか/\間(ま)に合(あ)はず、雨気(うき)は部屋(へや)いつぱいにつまつて、八月(はちがつ)といふに唇(くちびる)が灰色(はひいろ)になりそうな冷(ひ)えかた、とりあへず障子(しようじ)をしめて、子供達(こどもたち)にめりやすのしやつを着(き)せたようなわけでした。
 間(ま)もなく、宿(やど)からをかもちで運(はこ)ばれた食膳(しよくぜん)で、お夕飯(ゆふはん)をすませて、お母(かあ)さんも徳(とく)やも、ほつとしましたが、電燈(でんとう)は東京(とうきよう)へんの五燭(ごしよく)ほどに暗(くら)く、そのうへ幾度(いくど)か消(き)えて、蝋燭(ろうそく)の用意(ようい)のない身(み)をめんくらはせ、谷(たに)あひにしぶく風雨(ふうう)の声(こゑ)がだん/\恐(おそ)ろしくなりだして、孝子(こうこ)さんはとう/\泣(な)き出(だ)すし、太郎君(たろうくん)もみち子(こ)さんもお母(かあ)さんの傍(そば)にかたまつてだまつてしまふありさま。誰(たれ)しも幻滅(げんめつ)を感(かん)じて、口(くち)には出(だ)さないが、「こんなことならおなじみの静浦(しづうら)にすればよかつた」と後悔(こうかい)しながら、言葉(ことば)すくなに一同(いちどう)早寝(はやね)をしたのでありました。
 ところが今朝(けさ)起(お)きて見(み)るとどうでせう、天地(てんち)は嘘(うそ)のように変(かは)つてゐます。朝(あさ)五時(ごじ)、がらす窓(まど)が映写幕(えいしやまく)のように明(あか)るくなつた部屋(へや)のなかで、みち子(こ)さんは、ばつちり眼(め)をあいてゐます。むろん寝床(ねどこ)のなかで、両手(りようて)をかろく蒲団(ふとん)の上(うへ)へ投(な)げ出(だ)して、なにかうれしそうに聴(き)き耳(みみ)を立(た)つてゐましたが、やがてお母(かあ)さんに呼(よ)びかけました。
「お母(かあ)さん──お母(かあ)さん──お母(かあ)さんてば。鳥(とり)が鳴(な)いてゝよ、お天気(てんき)そうよ」
「をや/\、おねぼうしましたね、でもみいちやん、雨(あめ)は降(ふ)つてゐるようね」
「いゝえ、あれ瀬(せ)の音(おと)よ。私(わたし)もはじめ雨(あめ)の音(おと)と思(おも)つたわ。ほら、鳥(とり)が鳴(な)いてゐるでせう、ぴーぴちよ──ぴーぴちよつて。変(かは)つた声(こゑ)ね、あの声(こゑ)を聴(き)いてゐるとなんだかお母(かあ)さん、深山(しんざん)へ来(き)たような気(き)がするわ」
「ほんとにね、お母(かあ)さんもなんて鳥(とり)か知(し)らないけれど、谷川(たにがは)にゐる小(ちひ)さな鳥(とり)で、あの鳥(とり)が鳴(な)くと雨(あめ)が霽(は)れるといふね。いつかみいちやんも村山(むらやま)さんに、登山(とざん)のお話(はなし)をうかゞつたでせう。村山(むらやま)さんがお友達(ともだち)と二人(ふたり)で、日本(につぽん)アルプスへ登(のぼ)つて、鎗(やり)が岳(たけ)の下(した)から飛騨(ひだ)の蒲(かま)が谷(たに)に下(くだ)らうとして、大(たい)そう難儀(なんぎ)をなすつた、あのお話(はなし)さ」
「えゝ、ひどい夕立(ゆふだ)ちで、焚(た)き火(び)は消(き)えちやうし、てんとのなかまで水(みづ)が流(なが)れるのでまつ暗(くら)やみのなかに強力(ごうりき)と四人(よにん)で、わらぢを積(つ)み重(かさ)ねてそれに腰(こし)かけて夜明(よあ)けを待(ま)つたお話(はなし)でせう」
「さう/\、やつと夜(よ)が明(あ)けて見(み)ると、一(いつ)ぱいの濃霧(のうむ)で、まだ小雨(こさめ)がふつてゐて、とんと島流(しまなが)しにあつてゐるようであつたとおつしやつたね。着物(きもの)もお米(こめ)もぐつしより濡(ぬ)れてしまふし、もしこの霧(きり)がはれなかつたら立(た)ち往生(おうじよう)と観念(かんねん)してゐると、なんといふ強力(ごうりき)だつたかね、あゝさう、惣八(そうはち)といふ、自分(じぶん)の打(う)つた羚羊(くらしゝ)の毛皮(けがは)を、胴着(どうぎ)に仕立(した)てゝ着(き)てゐるおぢいさんでしたね。その人(ひと)が、小鳥(ことり)の鳴(な)き声(ごゑ)を聴(き)きつけて、あいつが鳴(な)いてゐるから、大丈夫(だいじようぶ)雨(あめ)は上(あが)るといつたので、皆(みな)活(い)きかへつたとお話(はなし)になつたらう。──あの鳥(とり)ですよ、きつと」
「ぢやあ、今日(けふ)は大丈夫(だいじようぶ)お天気(てんき)ね。もう起(お)きて開(あ)けませうか、お母(かあ)さん」
 みち子(こ)さんは縁側(えんがは)の戸(と)を開(あ)けると、叫(さけ)び声(ごゑ)をあげました。
「まあ、すてき。お母(かあ)さん早(はや)く来(き)てごらんあそばせよ。とても美(うつく)しい景色(けしき)よ、上天気(じようてんき)で、遠(とほ)くの山(やま)が見(み)えます」
 なるほど、その縁側(えんがは)からは、雨(あめ)の玉(たま)のきら/\する渓谷(けいこく)の草木(そうもく)を前景(ぜんけい)にして、遠(とほ)く甲信国境(こうしんこつきよう)の連山(れんざん)よりも又(また)うすく、麗(うるは)しい朝日(あさひ)に霞(かす)んで八(やつ)が嶽(たけ)が見(み)えました。中景(ちゆうけい)のそーす色(いろ)の帯(おび)は、沓掛(くつかけ)の民家(みんか)でせう。今(いま)そこから、瓢箪(ひようたん)の形(かたち)に白(しろ)い煙(けむ)りが吐(は)き出(だ)されました。駅(えき)の汽缶車(きかんしや)の蒸気(じようき)です。そのあたり一(いつ)たいの、畳(たゝみ)を敷(し)いたような緑野(りよくや)は、桑畑(くはばたけ)、馬鈴薯畑(じやがいもばたけ)、きやべつ畑(ばたけ)です。きやべつ畑(ばたけ)は青磁色(せいじいろ)で、もつと高(たか)みへいつて見(み)おろすならば、同色(どうしよく)の畑(はたけ)がこの辺(へん)一(いつ)ぱいにひろがつてゐるのに驚(おどろ)くでせう。なんでも東長倉村(ひがしながくらむら)西長倉村(にしながくらむら)にかけて、五千町歩(ごせんちようぶ)もきやべつ畑(ばたけ)があるといふことです。も一(ひと)つこの辺(へん)に目立(めだ)つものは、氷室(ひむろ)です。みち子(こ)さんの別荘(べつそう)からも、一(ひと)つ見(み)えます。地面(じめん)にめり込(こ)んだようなせいの低(ひく)い藁屋根(わらやね)の家(いへ)がそれで、そばに必(かなら)ず池(いけ)があります。冬(ふゆ)にかゝるとその池(いけ)の面(おもて)は、落葉松(からまつ)の丸太(まるた)と蓆(むしろ)で造(つく)つた高(たか)い防風壁(ぼうふうへき)でいくつかにしきられて、清水(しみづ)が張(は)られます。軽井沢(かるゐざは)の天然氷(てんねんごほり)なるものは、その清水(しみづ)で造(つく)られてあの小屋(こや)に貯蔵(ちよぞう)されるのです。
 みち子(こ)さん達(たち)の別荘(べつそう)のあるところは、わらび野(の)といふ、小高(こだか)い岡(をか)で、南向(みなみむ)きの縁側(えんがは)の前(まへ)は、わづかな地面(じめん)をのこして、野菜(やさい)の段々畑(だん/\ばたけ)になつてをり、そのさきは虎杖(いたどり)の茂(しげ)つた河原(かはら)で、昨夜(ゆふべ)の豪雨(ごうう)に水(みづ)かさをました瀬川(せがは)が、碓氷河(うすひがは)を目(め)ざして、見(み)えがくれにはしつてゐます。眼近(まぢか)く、落葉松(からまつ)山(やま)の交叉(こうさ)するかなたに、雲水(うんすい)の笠(かさ)を伏(ふ)せたような浅間(あさま)が、空(そら)いつぱいに跨(またが)つてゐます。沓掛(くつかけ)からの登山路(とざんろ)は頂上(ちようじよう)までわづかに三里(さんり)、この上台(うはだい)の千(せん)が滝(たき)遊園地(ゆうえんち)をぬけて、山道(さんどう)にはひり、小浅間(こあさま)の裾(すそ)を通(とほ)つて急(きゆう)な登(のぼ)りにかゝるのですが、登山者(とざんしや)は松明(たいまつ)をもやして、たいてい深夜(しんや)に出発(しゆつぱつ)し、夜明(よあ)け前(まへ)に頂上(ちようじよう)へ着(つ)き、頂上(ちようじよう)で日(ひ)の出(で)を拝(おが)むのをめあてにするのです。しかし、なにぶん昨夜(ゆうべ)のあの風雨(ふうう)では、さぞ美(うつく)しかつたであらう今朝(けさ)の日(ひ)の出(で)を拝(をが)んだ人(ひと)は一人(ひとり)もなかつたに相違(そうい)ない。
 太郎君(たろうくん)は、浅間(あさま)が見(み)えると聞(き)いて、顔(かほ)も洗(あら)はずに丸木橋(まるきばし)のところへおりて来(き)て、まともに朝日(あさひ)を浴(あ)びた赤肌(あかはだ)の浅間(あさま)を、絶(た)え間(ま)なく吐(は)き出(だ)されるうす茶色(ちやいろ)の煙(けむ)りを、あかず眺(なが)めてゐるのでした。

二、浅間山(あさま)の写生(しやせい)

 菜(な)つぱの味噌汁(みそしる)と福神漬(ふくじんづ)けで朝御飯(あさごはん)がすむと、みち子(こ)さんも太郎(たろう)さんもさつそく写生(しやせい)に出(で)かけました。お母(かあ)さんは、「まあ、もう出(で)かけるのかい。荷物(にもつ)のしまつをしたり、皆(みんな)でお父(とう)さんへ御手紙(おてがみ)を出(だ)したりして、午後(ごご)に写生(しやせい)に出(で)ればいゝのに」とおつしやつたが、二人(ふたり)ともがまんが出来(でき)ませんでした。
 太郎君(たろうくん)は、くれぱすと画用紙(がようし)のぶろつくを風呂敷(ふろし)きに包(つゝ)んで左手(ひだりて)にかゝへ、御自慢(ごじまん)の三脚(さんきやく)を大事(だいじ)そうに右手(みぎて)にもつて先(さき)にたち、みち子(こ)さんは、買(か)ひたての絵(え)の具箱(ぐばこ)とこんてー、筆巻(ふでま)きに巻(ま)いた筆(ふで)、(みち子(こ)さんは、筆(ふで)の尖(さき)がいたまないように簾(すだれ)の筆巻(ふでま)きに巻(ま)いてもつ)清水(しみづ)をみたした水筒(すいとう)、らつくの壜(びん)と霧吹(きりふ)きなどを入(い)れた雑嚢(ざつのう)を肩(かた)に掛(か)け、画用紙(がようし)のぶろつくをむき出(だ)しで小(こ)わきにかゝへ、お気(き)に入(い)りの画架(がか)を三脚(さんきやく)と一(いつ)しよに紐(ひも)でゆはへて右手(みぎて)で鉄砲(てつぽう)担(かつ)ぎにかついで後(あと)につゞきました。
 うちの前(まへ)をすぐ河原(かはら)におりて一本橋(いつぽんばし)のところへ来(き)てちよつと浅間山(あさまやま)を眺(なが)めてゐましたが、二人(ふたり)ともそこで描(か)く気(き)はないと見(み)えて、むかうの土手(どて)を登(のぼ)つて街道(かいどう)へ出(で)ました。昨日(きのふ)雨(あめ)のなかを自動車(じどうしや)で上(のぼ)つて来(き)た道(みち)です。右手(みぎて)は赤土(あかつち)の崖(がけ)、左手(ひだりて)には製材所(せいざいしよ)があつて、大(おほ)きな丸太(まるた)がどつさり転(ころが)してありました。
「太郎(たろう)さん、こゝの音(おと)よ、あのぷろぺらのような響(ひゞ)きは、こゝの丸鋸(まるのこぎり)の唸(うな)りだつたわ」
 さつき、御飯(ごはん)をたべてゐた時(とき)、どこからともなく響(ひゞ)いて来(く)る、かん高(だか)い、けれども澄(す)んだ気(き)もちのいゝ唸(うな)りは、皆(みんな)を不思議(ふしぎ)がらせましたが、不思議(ふしぎ)のありかはこゝでした。
 初(はじ)めて製材所(せいざいしよ)を見(み)た太郎君(たろうくん)は、ぴつくりした顔(かほ)で眺(なが)めてゐます。ずつくの厚(あつ)ぼつたい布(ぬの)を縄(なは)で前掛(まへか)けにしめて鉢巻(はちま)きをしたをぢさんが、鎖(くさり)で釣(つ)つた巨大(きよだい)な丸太(まるた)を、捻(うな)りをたてて回転(かいてん)する大丸鋸(おほまるのこぎり)に押(お)し当(あ)てると、まるで薯(いも)を切(き)るように無造作(むぞうさ)に切(き)れてゆく。みち子(こ)さんは、見(み)てゐるうちに、自分(じぶん)の体(からだ)に鋸(のこぎり)の歯(は)がはひつて来(き)そうな気(き)がして寒気(さむけ)だちました。
「私(わたし)こはいわ、太郎(たろう)さん、もう行(ゆ)きませうよ」
「ゆかう、どつちへ、姉(ねえ)さん」
「浅間山(あさまやま)の方(ほう)へ行(ゆ)きませうよ」
 二人(ふたり)は、間(ま)もなく千(せん)が滝(たき)の遊園地(ゆうえんち)へ出(で)ました。そこは縦横(じゆうおう)に道路(どうろ)が作(つく)られた広(ひろ)い野原(のはら)で赤屋根(あかやね)あるひは破風作(はふづく)りの夏季(かき)別荘(べつそう)があちこちに散在(さんざい)し、原(はら)をめぐる丘陵(きゆうりよう)の中心(ちゆうしん)に、ちようどお伽話(とぎばなし)のお城(しろ)のようなぐりーんほてるが建(た)つてゐます。遊園地(ゆうえんち)からは浅間山(あさまやま)が裾野(すその)までも一目(ひとめ)にはひりました。前景(ぜんけい)はたゞ野(の)つ原(ぱら)で、雑多(ざつた)な花(はな)が咲(さ)いてゐます。二人(ふたり)は明(あか)るい広大(こうだい)な風景(ふうけい)に呑(の)まれて、文句(もんく)なく写生(しやせい)にとりかゝりました。太郎君(たろうくん)は道(みち)ばたに三脚(さんきやく)を据(す)ゑ、みち子(こ)さんは草原(くさはら)へ少(すこ)しはひつたところにいーぜるを立(た)てゝゐます。「太郎(たろう)さん、少(すこ)し雲(くも)が出(で)て来(き)てね。空(そら)にも噴煙(ふんえん)にも、山(やま)にも、太陽(たいよう)の光線(こうせん)が輝(かゞや)いてゐて、まるで印象派(いんしようは)の油絵(あぶらえ)のようね」
「………………」
「中腹(ちゆうふく)から上(うへ)のあづき色(いろ)は、あれはみんな石(いし)や灰(はひ)よ。頂上(ちようじよう)のゑぐつたようなところがえるみりよんでせう、あすこはきつと昔(むかし)の噴火口(ふんかこう)だわ」
「………………」
「双眼鏡(そうがんきよう)があると、きつと頂上(ちようじよう)にゐる人(ひと)たちが見(み)えてよ。太郎(たろう)さん。お父(とう)さんがいらしつた時(とき)、登(のぼ)つて見(み)ない」
「だまつておかきよ、姉(ねえ)さん」
「いーぜるは案外(あんがい)描(か)きにくいわね、私(わたし)やはり膝(ひざ)の上(うへ)で描(か)かう」
「姉(ねえ)さん、はんけち下(くだ)さい」
「はんけち──あら、忘(わす)れて来(き)てゐるわ」
「困(こま)つたなあ、僕(ぼく)も忘(わす)れて来(き)ちやつた、着物(きもの)で拭(ふ)かうかしら」
「くれぱすの滓(かす)を拭(ふ)きとるのでせう、それなら、草(くさ)の葉(は)の大(おほ)きいのをとつて使(つか)ふといゝわ」
 太郎君(たろうくん)はなるほどゝ思(おも)つて、柏(かしは)の葉(は)をもぎつて来(き)ました。くれぱすはくれいよんよりは軟(やはら)かなので、描(か)くにつれ絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)に少(すこ)しづゝ滓(かす)が出(で)ます。又(また)、ほわいと(白(しろ))などを他(ほか)の絵(え)の具(ぐ)とまぜた場合(ばあひ)、絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)がよごれますから、次(つ)ぎの色(いろ)に用(もち)ひる時(とき)、きれで尖(さき)を拭(ふ)く必要(ひつよう)があります。
それにくれぱす画(が)は、しば/\指(ゆび)を使(つか)ひますから、指(ゆび)を拭(ふ)く為(ため)にもきれが入(い)り用(よう)です。そこで、いつもはんけちのぼろを用意(ようい)してゐるのですが、今日(けふ)はあわてゝ、忘(わす)れて来(き)てしまつたのです。
 太郎君(たろうくん)は、ぶろつくを膝(ひざ)の上(うへ)にひらき、こばると(青(あお))、ほわいと(白(しろ))、れもん(黄(き))、ぴんく(赤(あか))などのくれぱすの棒(ぼう)を左手(ひだりて)に握(にぎ)つて、今(いま)しきりに空(そら)を描(か)いてゐます。例(れい)の通(とほ)り、鉛筆(えんぴつ)でかろく図取(ずど)りをつけて、それから空(そら)と山(やま)と野原(のはら)とを、大(おほ)まかな色(いろ)の面(めん)に描(か)きわけました。 冴(さ)えた空(そら)の色(いろ)は、最初(さいしよ)一面(いちめん)にほわいとが塗(ぬ)られ、その上(うへ)へこばるとが加(くは)へられて、指(ゆび)で平(たひら)にまぜられました。それから又(また)、れもんえろーや、ぴんくや、ほわいと(ほわいと)や、こばるとなどが使(つか)はれて、しかもそれが、一面(いちめん)の澄(す)んだ空色(そらいろ)となつてゐます。それは、単(たん)に画用紙(がようし)の上(うへ)へこばるとをあつさりつけたよりは、たしかに深(ふか)みのある美(うつく)しい色合(いろあ)ひでした。
 太郎君(たろうくん)は空(そら)がすむと山(やま)へうつりました。
 今度(こんど)は、山(やま)の色(いろ)を出(だ)すのに必要(ひつよう)な色(いろ)を、一束(ひとたば)に手(て)にもつて、せつせと描(か)き進(すゝ)んでゐます。今度(こんど)は空(そら)の時(とき)のように、指(ゆび)を使(つか)はずに、絵(え)の具(ぐ)の尖(さき)で、ぱすてるを描(か)く時(とき)のように調色(ちようしよく)するのでした。錆色(さびいろ)の山肌(やまはだ)に灰色(はひいろ)の皺(しわ)が表(あらは)れてをりますが、太郎君(たろうくん)はそれを現(あらは)すのにやはり例(れい)の手法(しゆほう)でやつてゐます。すなはち、えろーおーかーで、素描(そびよう)をするように山(やま)の姿(すがた)をべたに描(か)いてから、その上(うへ)へらいとれつどを用(もち)ひ、それをほわいとでうすめて、更(さら)に又(また)、うるとらまりんや、くりむそんれーきや、えろーおーかーを交互(こうご)に使(つか)つて、ほゞ眼(め)に見(み)る山(やま)の色(いろ)を出(だ)すのでした。そしてその錆色(さびいろ)の面(めん)へ、灰色(はひいろ)の絵(え)の具(ぐ)で、のんきに皺(しわ)を描(か)きおこしました。
 太郎君(たろうくん)はちやめでおしやべりですが、絵(え)を描(か)いてゐる間(あひだ)は、おそろしくまじめです。口(くち)をとがらし、身(み)をかゞめ、だまりこくつて描(か)いてゐます。ところが、みち子(こ)さんは絵(え)を描(か)いてゐる時(とき)の方(ほう)がおしやべりです。
「太郎(たろう)さん、うまく出来(でき)て。私(わたし)てこずつてしまつたわ。こんてーでは、かういふぼうつとした景色(けしき)はむづかしいわよ」
「………………」
「だめ/\、あんなに軽々(かる/゛\)と空(そら)に消(き)えてゆく煙(けむ)りが、こんなに重(おも)たく描(か)けちやつた。まるで、お蚕(かひこ)がくつついてゐるようだわ」
などゝひとりごとが絶(た)えません。
 実際(じつさい)かうつした、ぼうとした、色(いろ)と調子(ちようし)で持(も)つてゐる景色(けしき)には、こんてーは不向(ふむ)きでした。こんてーは、どうしても、形(かたち)のはつきりした物(もの)を描(か)くのに適(てき)してゐます。例(たと)へば、この景色(けしき)にしても、煙(けむ)りは空(そら)よりもこんてーに描(か)きいゝでせうし、山(やま)は煙(けむ)りよりも描(か)きいゝでせうし、陰日向(かげひなた)のはつきりした中景(ちゆうけい)の森(もり)は山(やま)よりも描(か)きよいでせう。
 全体(ぜんたい)、みち子(こ)さんが、この景色(けしき)を見(み)て、「まあ美(うつく)しい」と思(おも)つた時(とき)、なにを美(うつく)しいと思(おも)つたのでせうか。おそらく色彩(しきさい)と調子(ちようし)の美(うつく)しさでしたらう。さうならば、みち子(こ)さんは、水彩画(すいさいが)を作(つく)る方(ほう)が賢(かしこ)かつたといふものです。水色(みづいろ)の空(そら)へ仄(ほの)かに渦(うづ)を描(えが)くうす茶色(ちやいろ)の噴煙(ふんえん)は、水絵(みづえ)の具(ぐ)ならやりよいです。みち子(こ)さんの形容(けいよう)した、あづき色(いろ)の山(やま)と、染(そ)め出(だ)されたような裾野(すその)の緑(みどり)、又(また)それを遠見(とほみ)にする手前(てまへ)の原(はら)のあざやかな緑草(りよくそう)、その緑(みどり)の毛氈(もうせん)に、とんと刺繍(ししゆう)をしたように、紅(あか)、紫(むらさき)、黄(き)、白(しろ)の草花(くさばな)がまき散(ち)らされてゐる、さような色(いろ)どりの美観(びかん)は、こんてー淡彩(たんさい)ではどうも表(あらは)しにくいのです。こんてー淡彩(たんさい)には、かへつて、みち子(こ)さんが背(せ)をむけてゐる、東(ひがし)の方(ほう)の落葉松(からまつ)山(やま)がいゝもていふでせう。それは、うぐひす餅(もち)を積(つ)んだような、輪郭(りんかく)の面白(おもしろ)い山々(やま/\)で、植林(しよくりん)された落葉松(からまつ)の鉾尖(ほこさき)が、日(ひ)に光(ひか)つて鱗(うろこ)のようですし、前景(ぜんけい)の原(はら)つぱには、野生(やせい)の秦柏(ぺぼう)などがぼつ/\生(は)えてゐて、素描(そびよう)にもつて来(こ)いの景色(けしき)です。
 みち子(こ)さんも、ひとりごとのなかで、絵(え)の具(ぐ)を選(えら)びそこなつたことをこぼしてゐますが、なにごとにも、はまり役(やく)といふものがあつて、目的(もくてき)によつて、それ/゛\そのはまり役(やく)を用(もち)ひないと結局(けつきよく)骨折(ほねを)り損(ぞん)になるのです。例(たと)へば、『君(きみ)が代(よ)』はらつぱで吹(ふ)くよりおるがんで弾(ひ)く方(ほう)がいゝようなものです。みち子(こ)さんは、今日(けふ)の写生(しやせい)で、も一(ひと)つ似(に)たような経験(けいけん)をしてゐます。それはこんてーで素描(そびよう)する時(とき)には、いーぜるを置(お)いて描(か)くより膝(ひざ)の上(うへ)で描(か)く方(ほう)がやりよく、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)する場合(ばあひ)は、膝(ひざ)の上(うへ)よりは、いーぜるの上(うへ)に置(お)いてする方(ほう)がやりよく、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)する場合(ばあひ)は、膝(ひざ)の上(うへ)よりは、いーぜるの上(うへ)に置(お)いてする方(ほう)が手捌(てさば)きがよいといふことです。こんてーの棒(ぼう)が短(みじか)い為(ため)ばかりでなく、素描(そびよう)の場合(ばあひ)は、指(ゆび)に力(ちから)がはひるので、台(だい)のある方(ほう)がぐあひよく毛筆(もうひつ)で色(いろ)どりする時(とき)には、軽(かる)くふれるからいーぜるでさしつかへない、のみならず、筆洗(ひつせん)をとりつけた絵(え)の具箱(ぐばこ)を片手(かたて)にもつてしなければならないので、膝(ひざ)の上(うへ)ではすこぶる手都合(てつごう)が悪(わる)いのです。
 さて太郎君(たろうくん)の絵(え)もみち子(こ)さんの絵(え)も、殆(ほとん)ど同時(どうじ)に出来(でき)上(あが)りました。見(み)れば、空(そら)には団子雲(だんごぐも)がおびたゞしく散(ちら)ばつて、山(やま)の色(いろ)はずつと濃(こ)くなつてゐます。太陽(たいよう)は次第(しだい)に南(みなみ)に廻(まは)り、風(かぜ)も出(で)て来(き)ました。
 散歩(さんぽ)の避暑客(ひしよかく)も三々五々(さん/\ごゞ)、太郎君(たろうくん)やみち子(こ)さんの写生(しやせい)を、立(た)ち寄(よ)つて眺(なが)めて、ほゝゑんで過(す)ぎ去(さ)りました。いつか野球(やきゆう)もはじまつてゐます。上(うへ)の方(ほう)に大(おほ)きなぐらうんどがあつて、毎年(まいねん)早稲田(わせだ)の選手連(せんしゆれん)が練習(れんしゆう)に来(く)るのでした。真夏(まなつ)の豪快(ごうかい)な山野(さんや)に、ばつとの音(おと)がかつと鳴(な)つて、守備軍(しゆびぐん)の緊張(きんちよう)したかけ声(こゑ)が湧(わ)く。
 太郎君(たろうくん)は、姉(ねえ)さんを促(うなが)して、赤土(あかつち)の土手(どて)の上(うへ)からしばらく、見物(けんぶつ)しました。

四、太郎君(たろうくん)の静物画(せいぶつが)

 今日(けふ)、太郎君(たろうくん)は静物画(せいぶつが)を描(か)きました。きやべつと茄子(なす)がもでるで、八(や)つ切(ぎ)りの画用紙(がようし)へくれぱすで十二分(じゆうにぶん)に描(か)いてあります。十二分(じゆうにぶん)といつても、太郎君(たろうくん)のことだから、細(こま)かいところを描(か)いてはゐない。物(もの)をかたまりに見(み)て、その大(おほ)づかみな色合(いろあ)ひなり濃淡(のうたん)なりをかなり真実(しんじつ)に写生(しやせい)してゐるのです。例(たと)へば、きやべつは、葉脈(ようみやく)とか、ひだのぴら/\とかいつたものは、すこぶる大(おほ)ざつぱに描(か)いてありますが、きやべつのもつ新鮮(しんせん)な明(あか)るい緑色(りよくしよく)が冴(さ)え冴(ざ)えと出(だ)されてをり、それに照応(しようおう)する茄子(なす)の暗紫色(あんししよく)など実(じつ)に良(よ)い色(いろ)です。その上(うへ)形(かたち)の特色(とくしよく)がうまくつかんである。物(もの)の丸(まる)みも描(か)いてなく、ばつくとの関係(かんけい)などいろ/\、むろん行(ゆ)き届(とゞ)いた描写(びようしや)はしてなくも、とにかく、為事(しごと)に迷(まよ)ひがなく、絵(え)が活(い)きてゐるから愉快(ゆかい)です。
 太郎君(たろうくん)のように、肖像(しようぞう)を描(か)くことのすきな者(もの)は、風景画(ふうけいが)よりも静物画(せいぶつが)がうまいようです。それは、肖像(しようぞう)も静物(せいぶつ)も室内(しつない)でおちついてやれる、そのことが性分(しようぶん)に合(あ)ふからでもありませうが、それよりも、静物(せいぶつ)は肖像(しようぞう)と同様(どうよう)、実物大(じつぶつだい)に描(か)くことが出来(でき)るのに、風景(ふうけい)となると幾万立方尺(いくまんりつぽうしやく)の景色(けしき)を、一尺四方(いつしやくしほう)の絵(え)にしようといふのですから、見(み)る眼(め)と描(か)く手(て)との聯絡(れんらく)がなか/\むづかしい。みち子(こ)さんの先日(せんじつ)の浅間山(あさまやま)の写生(しやせい)なども、噴煙(ふんえん)のむく/\を、静物(せいぶつ)を描(か)く時(とき)の気(き)もちで描(か)いたからあんなに重(おも)くるしくなつてしまつたのです。煙(けむ)りを景色(けしき)として描(か)けばよかつた、煙(けむ)りでも、山(やま)でも、草木(くさき)でも、景色(けしき)の道具(どうぐ)と思(おも)つて描(か)かないとしくじります。みち子(こ)さんが、あの噴煙(ふんえん)を景色(けしき)の一(ひと)つの道具(どうぐ)と思(おも)つて描(か)いたら、山(やま)や森(もり)にくらべて、うつすりと流(なが)れたあの煙(けむ)りを、もつと/\簡単(かんたん)な線(せん)ですましておいたにちがひありません。
 太郎君(たろうくん)は、東京(とうきよう)では静物(せいぶつ)を描(か)いたことがなく、こゝへ来(き)てはじめてその面白(おもしろ)みを知(し)りました。なんでも、温泉宿(おんせんやど)から西瓜(すいか)をもらつた時(とき)のこと、皮(かは)の黒(くろ)ずんだ、みの赤(あか)い、とんと鯨(くぢら)の切(き)り身(み)のようなあの西瓜(すいか)に、ふと絵心(えごゝろ)が動(うご)いて、皿(さら)に二切(ふたき)れ盛(も)つて写生(しやせい)したのがはじめでした。その後(ご)、胡瓜(きうり)を描(か)き、とまとを描(か)き、信州特産(しんしゆうとくさん)の青(あを)いりんごを描(か)きました。そして今度(こんど)のきやべつと茄子(なす)です。それらの野菜(やさい)は、いつもお夜食(やしよく)後(ご)、提灯(ちようちん)をつけて、徳(とく)やと一(いつ)しよに、時(とき)にはお母(かあ)さんを引(ひ)つぱり出(だ)して、沓掛(くつかけ)の町(まち)へ出(で)かけて買(か)ひ出(だ)して来(く)るのでした。
 市中(しちゆう)で育(そだ)つたみち子(こ)さん達(たち)にとつて、この沓掛(くつかけ)行(ゆ)きは、別荘(べつそう)へ来(き)てからの一(ひと)つの楽(たの)しみでした。町(まち)へ出(で)て見(み)ると、なか/\賑(にぎ)やかで、どの店(みせ)でも別荘(べつそう)の人達(ひとたち)が買(か)ひ物(もの)をしてゐました。買(か)ひ物(もの)ばかりでなく、二軒(にけん)ある理髪店(りはつてん)はいつも満員(まんいん)ですし、夏季(かき)を当(あ)てこみに出来(でき)た一軒(いつけん)のかふえも、あかりが輝(かゞや)いて、二階(にかい)にも下(した)にも酔(よ)つぱらひがゐました。ある晩(ばん)は、停車場前(ていしやじようまへ)の大榎(おほえのき)の下(した)に、救世軍(きゆうせいぐん)が大提灯(おほじようちん)を立(た)て、太鼓(たいこ)を打(う)つて人寄(ひとよ)せをやつてゐました。
 昨夜(ゆうべ)は、みち子(こ)さんと徳(とく)やがお留守番(るすばん)で、お母(かあ)さんと太郎君(たろうくん)と孝子(こうこ)さんの三人(さんにん)づれで買(か)ひ物(もの)に出(で)ました。ちようど旧(きゆう)のお盆(ぼん)に当(あた)り、町(まち)ではあちこちで迎(むか)へ火(び)を焚(た)いてゐました。東京辺(とうきようへん)では精霊迎(しようりようむか)へにをがらを焚(た)きますが、この地方(ちほう)では樺(かば)の樹皮(じゆひ)を焚(た)く習慣(しゆうかん)です。
 その光景(こうけい)は、太郎君(たろうくん)や孝子(こうこ)さんの眼(め)に珍(めづら)しいものでした。
「お母(かあ)さん、あれなにしてゐるの」
と、孝子(こうこ)さんが質問(しつもん)します。
「お母(かあ)さん、あすこにあるものなに」
と、火(ひ)の前(まへ)に置(お)かれた、箸(はし)で脚(あし)をつけた、胡瓜(きうり)や茄子(なす)を、太郎君(たろうくん)が不思議(ふしぎ)がります。
「あれはね、お迎(むか)へ火(び)といつてね、もうおなくなりになつたお祖父様(ぢいさま)やお祖母様(ばあさま)や、御先祖(ごせんぞ)の方々(かた/゛\)を御招待(ごしようたい)する為(ため)の焚(た)き火(び)なの。よく御覧(ごらん)、胡瓜(きうり)がお馬(うま)で、茄子(なす)が牛(うし)なんですよ。お祖父様達(ぢいさまたち)は、あのお馬(うま)やお牛(うし)に乗(の)つていらつしやるのよ」
「あんな小(ちひ)さなお馬(うま)に乗(の)るお租父様(ぢいさま)なの」
「お祖父様(ぢいさま)といつてもね、形(かたち)はないの、お祖父様(ぢいさま)の魂(たましひ)が今夜(こんや)めい/\のおうちへ帰(かへ)つていらつしやるんです。みんなが、丈夫(じようぶ)に、正直(しようじき)に、楽(たの)しく暮(くら)してゐるかどうか見(み)にいらつしやるの」
「そしてどうするの」
「そしてどうするのには困(こま)りましたね、──お祖父様達(ぢいさまたち)の魂(たましひ)は、お盆(ぼん)の間(あひだ)、めい/\のおうちの仏壇(ぶつだん)のなかにいらしつて、皆(みんな)が仲(なか)よく働(はたら)いてゐるのを見(み)ると、安心(あんしん)してお帰(かへ)りになるんです」
「どこへお帰(かへ)りになるの」
「十万億土(じゆうまんおくど)といふ遠(とほ)い/\魂(たましひ)の国(くに)へ」
「お母(かあ)さん、なぜうちではお迎(むか)へ火(び)を焚(た)かないの。うちにはお祖父様(ぢいさま)たちの魂(たましひ)は帰(かへ)つて来(こ)ないの」
「さあ、おうちはね、お祖父様達(ぢいさまたち)の魂(たましひ)はお盆(ぼん)だけでなく、始終(しじゆう)おうちに、私達(わたしたち)と一(いつ)しよにいらつしやるのです。だから太郎(たろう)さんがだゞをこねたり、喧嘩(けんか)をしたりするのを、にがい顔(かほ)して見(み)ていらつしやるだらうし、おさらひをしたり、絵(え)を描(か)いたりするのを、うれしそうに見(み)ていらつしやるにちがひない」
 をりから、子供(こども)の一隊(いつたい)が、盆燈籠(ぼんどうろう)を提(さ)げたり、ほゝづき提燈(ちようちん)をもつたりして、「ぼん/\ぼんの十六日(じゆうろくにち)に……」といふお盆(ぼん)の歌(うた)を合唱(がつしよう)しながらやつて来(き)ました。この一隊(いつたい)は、駅(えき)を突(つ)き当(あた)りに見(み)る四辻(よつつじ)の、左右二町(さゆうにちよう)ばかりの間(あひだ)を幾度(いくど)となく練(ね)り歩(ある)くのでした。
 それらの絵巻(えま)き物(もの)のような情景(じようけい)は、太郎君(たろうくん)や孝子(こうこ)さんの頭(あたま)に強(つよ)くのこりました。そして二人(ふたり)の記憶(きおく)から幾枚(いくまい)となく面白(おもしろ)い絵(え)が生(うま)れたことです。
 お母(かあ)さんは、荒物屋(あらものや)へ寄(よ)つて、日和下駄(ひよりげた)と蝋燭(ろうそく)を買(か)ひ、お菓子屋(かしや)へ寄(よ)つて、源氏豆(げんじまめ)とかきもちを買(か)ひ、最後(さいご)に四辻(よつつじ)の角(かど)の八百屋(やほや)で、今日(けふ)太郎君(たろうくん)のもでるとなつた野菜(やさい)を買(か)ひました。
 八百屋(やほや)の亭主(ていしゆ)は熊(くま)さんといつて、まつたく名(な)の通(とほ)り毛(け)むくじやらの大男(おほをとこ)ですが、子供好(こどもず)きな人(ひと)で、わらび野(の)へ御用(ごよう)きゝに来(く)るたび、みち子(こ)さんや太郎君(たろうくん)の絵(え)を見(み)て、ぎようさんに感心(かんしん)して見(み)せたり、わざと悪口(わるくち)をいつたりして、特(とく)に太郎君(たろうくん)とは仲(なか)よしでした。別荘(べつそう)へ来(く)るとまづ最初(さいしよ)に、
「坊(ぼつ)ちやん、新(あたら)しい絵(え)が出来(でき)たかね」
といつた調子(ちようし)です。
「いつか、皆(みな)さんを押(お)し出(だ)しにつれてつてやるかない。そりやあ面白(おもしれ)えですぞ、お嬢(じよう)さん。熔岩(ようがん)つうものを知(し)つてゐますか」
「知(し)つてゐるわ、──押(お)し出(だ)しに迷(まよ)ひ込(こ)むと出(で)られなくなるつて、ほんとう」
「そりやあ、へえつてはあぶないね。今度(こんど)荷馬車(にばしや)をもつて来(き)て、皆(みな)さんを乗(の)せてつてあげませう」
「おほゝ、荷馬車(にばしや)へ乗(の)るんですの」
「奥(おく)さんもお出(で)かけなせえまし、歩(ある)くには、女衆(をんなしゆう)の足(あし)では少(すこ)し遠(とほ)すぎやすからなあ。車(くるま)の上(うへ)へ蒲団(ふとん)を敷(し)いて、そこにある赤(あか)げつとうでも敷(し)いて乗(の)り込(こ)んで御覧(ごらん)なさい。屋台(やたい)でお花見(はなみ)にゆくあんばいですぞ。あつはつはつはつ」
などゝ、気(き)のいゝおやぢさんです。
 その熊(くま)さんが、ちようど店(みせ)にゐて、
「やあ坊(ぼつ)ちやん、今晩(こんばん)は。今夜(こんや)はお母(かあ)さんをひつぱつて来(き)たね」
と、もみ手(で)をして迎(むか)へるのでした。お母(かあ)さんの買(か)ひ物(もの)を風呂敷(ふろし)きにまとめてから、別(べつ)にきやべつを一(ひと)つ、大(おほ)きな手(て)のひらにのせて、
「坊(ぼつ)ちやんどうだい、これを描(か)いて見(み)やせんか。とても見事(みごと)なきやべつだね、静物(せいぶつ)にようごわすぞ」
 熊(くま)さんは、わらび野(の)の別荘(べつそう)で、絵(え)に関(かん)したいろ/\なてくにつく(術語(じゆつご))ををそはりました。すけつち、もでる、素描(そびよう)、静物(せいぶつ)等々(とう/\)、そして静物(せいぶつ)のもでるにといつて、太郎(たろう)さんにきやべつをくれたわけです。
 きやべつに就(つ)いて、熊(くま)さんはお母(かあ)さんにこんな話(はなし)をしました。
「奥(おく)さん、昨今(さつこん)めしあがるきやべつは、とてもおいしうごわせうが。一年中(いちねんじゆう)で今(いま)が一番(いちばん)うめえ時(とき)だし、なんしよ、こゝのきやべつと来(き)た日(ひ)にやあ日本一(につぽんいち)でごわすからなあ。きやべつは土地(とち)がよかつたり、こやしがきゝすぎたりすると育(そだ)ちがよすぎて、葉(は)がこはくなりましてなあ。ところがこゝらの火山灰(かざんばひ)で練(ね)れた畑(はたけ)に出来(でき)るきやべつときちやあ、甘(あま)くてやはらかで、よそのきやべつとくらべて、たしかに四五枚(しごまい)は葉(は)が多(おほ)ごわせう。それに御覧(ごらん)なさい、こねえに球(たま)が引(ひ)き緊(しま)つてゐて、しかもしな/\してゐるからね。──東京辺(とうきようへん)のお知(し)り合(あ)ひへ送(おく)つておあげになるなら、奥(おく)さん、今(いま)がようごわすぞ」
 熊(くま)さんは、商売(しようばい)にもなか/\じよさいがない。太郎君(たろうくん)は、もらつたきやべつを風呂敷(ふろし)きにわたさずに、自分(じぶん)でかゝへてかへりました。
 太郎君(たろうくん)の今日(けふ)の静物画(せいぶつが)は、まつたく傑作(けつさく)です。描(か)き方(かた)がよかつたといふばかりでなく、静物(せいぶつ)の組(く)み立(た)てがまづよかつたのです。静物(せいぶつ)の組(く)み立(た)てとは、例(たと)へば今日(けふ)の場合(ばあひ)で、きやべつと茄子(なす)と、それを入(い)れた笊(ざる)との取(と)り合(あは)せ及(およ)びその置(お)き場所(ばしよ)の選(えら)び方(かた)がそれです。御覧(ごらん)なさい、きやべつはやゝ扁平(へんぺい)な球体(きゆうたい)、茄子(なす)は袋形(ふくろがた)の球体(きゆうたい)でいづれもどつしりしたかたまり。それを盛(も)つた笊(ざる)はあらい籠目(かごめ)がところ/゛\こはれてゐる軽(かる)い物体(ぶつたい)です。又(また)、きやべつは明(あか)るく涼(すゞ)しい緑色(みどりいろ)で、茄子(なす)は深(ふか)い烏羽色(からすばいろ)、茎(くき)のところに眼(め)のさめるような緑(みどり)がぼかしにされてゐます。そして、笊(ざる)は黄色味(きいろみ)がゝつた灰色(はひいろ)、その色合(いろあ)ひや形態(けいたい)の取(と)り合(あは)せがまづよいぢやあしませんか。それが、縁側(えんがは)の板(いた)の間(ま)に、白壁(しらかべ)の陰(かげ)になつた部分(ぶぶん)をばつくにして、いゝぐあひに置(お)かれてゐるのです。
 太郎君(たろうくん)はまだ小(ちひ)さいから、かれこれと四捨五入(ししやごにゆう)して配置(はいち)したわけではなく、無造作(むぞうさ)に笊(ざる)に入(い)れられた野菜(やさい)なり、その笊(ざる)の無造作(むぞうさ)に置(お)かれた場所(ばしよ)なりが、偶然(ぐうぜん)、形(かたち)、色(いろ)、濃淡(のうたん)のいい配合(はいごう)をもつてゐたといふものです。さういへば、偶然(ぐうぜん)な趣(おもむ)きにかへつて面白(おもしろ)いものがあるものです。静物(せいぶつ)なども、わざ/\くふうして組(く)み立(た)てるより、物(もの)の偶然(ぐうぜん)な組(く)み立(た)てを、絵心(えごゝろ)でとらへたがよろしい。太郎君(たろうくん)は、もちまへの率直(そつちよく)さで、いゝ偶然(ぐうぜん)をとらへたのであります。
 お夜食後(やしよくご)、みち子(こ)さんは、そのまゝちやぶ台(だい)のところにのこつて、お母(かあ)さんを相手(あひて)に、太郎君(たろうくん)の今日(けふ)の静物画(せいぶつが)の批評(ひひよう)をきつかけに、なが/\とおしやべりをやりました。
「今日(けふ)の太郎(たろう)さんの静物画(せいぶつが)は、ほんとによく出来(でき)てゐるわね。太郎(たろう)さんはひよつとすると天才(てんさい)よ、美術家(びじゆつか)になるといゝわ」
「美術家(びじゆつか)なんて、まつぴらです。太郎(たろう)はお父(とう)さんのあとつぎですよ」
「美術家(びじゆつか)は一生(いつしよう)貧乏(びんぼう)するもんだつて、ほんとかしら。でもみんな立派(りつぱ)なうちに住(すま)つて、気楽(きらく)そうぢやないの」
「さういふ人(ひと)は、千人(せんにん)のうちの十人(じゆうにん)ですよ」
「だつてお母(かあ)さん、お医者(いしや)だつて、えらい人(ひと)やお金(かね)もちの人(ひと)は、千人(せんにん)のうちの十人(じゆうにん)ぢやなくつて」
「そりやあさうですが、美術家(びじゆつか)なんて、天才(てんさい)がなければなるもんぢやないでせうね」
「でもお母(かあ)さん、自分(じぶん)がすきなら仕方(しかた)ないでせう。すきなことを職業(しよくぎよう)にする方(ほう)が幸福(こうふく)よ」
「職業(しよくぎよう)にせずに、美術(びじゆつ)は楽(たの)しみにするがいゝのね」
「滝田先生(たきたせんせい)も同(おな)じことをいつていらしつたわ。だけど私達(わたくしたち)は皆(みんな)さう思(おも)つてゐるわ、好(す)きなことを職業(しよくぎよう)にしなければならないつて」
「そりやあなた達(たち)のその考(かんが)へはまちがつてはゐないけれど、好(す)きなことでは職業(しよくぎよう)にならない場合(ばあひ)もかなり多(おほ)いのよ。世(よ)の中(なか)とか、くらしとかいふものは又(また)別(べつ)でね。……おほゝ、みいちやんをお相手(あひて)に大(たい)そう年寄(としよ)りじみたお話(はなし)になつたのねえ」
「さうかしら」
「あなた、さつき太郎(たろう)に大(たい)そうむづかしいお講義(こうぎ)をしてゐましたねえ」
「お講義(こうぎ)ぢやないわ、滝田先生(たきたせんせい)の静物画(せいぶつが)のお話(はなし)でせう」
『お母(かあ)さんも拝聴(はいちよう)しませうかね」
「いやあだ、お講義(こうぎ)ぢやないつてば。──ぢやお話(はなし)しませうか、なんだかごてついたお話(はなし)よ。お母(かあ)さんにもわからないか知(し)れない、よくつて、──静物画(せいぶつが)つてねお母(かあ)さん、フランス語(ご)で、なちゆーるもるとといふのですつて、なちゆーるは『自然(しぜん)』といふことで、もるとは『死(し)』といふことなのですつて、それが熟語(じゆくご)になつて『静物(せいぶつ)』、画家(がか)の術語(じゆつご)なんです。花(はな)や果物(くだもの)の絵(え)は昔(むかし)からありますが、静物画(せいぶつが)といふ名(な)は十九世紀(じゆうくせいき)のフランスの絵(え)かきがつけたんですつて。お母(かあ)さん、セザンヌつて人(ひと)知(し)つてるでせう。山崎(やまざき)さんが崇拝(すうはい)してゐる人(ひと)よ。そのセザンヌの静物(せいぶつ)が有名(ゆうめい)になつてから、世界中(せかいじゆう)に静物画(せいぶつが)がはやり出(だ)したのですつて。それまでは、肖像(しようぞう)とか歴史(れきし)とか、風俗(ふうぞく)とか風景(ふうけい)とか、また裸体(らたい)などゝいふものでなければ、立派(りつぱ)な絵(え)とならなかつたのが、セザンヌが出(で)て以来(いらい)、林檎(りんご)や、ぱんや、なぷきんや、花瓶(かびん)などゝいふものも、絵(え)の立派(りつぱ)なもていふとして取(と)り扱(あつか)はれるようになつたのですつて」
「近頃(ちかごろ)、みいちやんは、よくもていふ/\といふのね、なんのことですの」
「もていふつてこと、──それも画家(がか)の術語(じゆつご)よ、絵(え)になるもでるのことなんです。太郎(たろう)さんが、徳(とく)やの肖像(しようぞう)をかくでせう。すると、徳(とく)やがその絵(え)のもていふなんです。私(わたくし)が浅間山(あさまやま)を写生(しやせい)したでせう、その時(とき)は浅間山(あさまやま)がもていふだつたんです。わかつて、──でね、セザンヌの描(か)いた林檎(りんご)の静物画(せいぶつが)なんか、絵(え)の具(ぐ)が二三分(にさんぶ)の厚(あつみ)みになるくらゐ、研究的(けんきゆうてき)に描(か)きつめてあるのですつて、セザンヌは、もでるの林檎(りんご)が腐(くさ)つてしまふと、他(ほか)の林檎(りんご)と取(と)り代(か)へて描(か)いたそうです。セザンヌつて人(ひと)は、それは為事(しごと)に熱心(ねつしん)な人(ひと)で、写生(しやせい)に夢中(むちゆう)になつてゐて、とう/\お母(かあ)さんのお葬式(そうしき)に間(ま)に合(あ)はなかつたんですつてさ」
「ですから、絵(え)かきさんなどゝいふものはしまつが悪(わる)いのよ、変人揃(へんじんぞろ)ひですからねえ」
「まつたくそれはさうね、滝田先生(たきたせんせい)なんかもやつぱり変人(へんじん)だわ。私達(わたくしたち)もう半年(はんとし)になるでせう、だのに絵(え)の先生(せんせい)でゐながら、ちつとも描(か)くことを教(をし)へてくれないわ」
「理窟(りくつ)ばかり教(をし)へるんだね」
「さうでもないわ、たゞ描(か)き方(かた)なんかを教(をし)へないの。そのくせ、絵(え)は眼(め)と手(て)の為事(しごと)ですと、口癖(くちぐせ)のようにおつしやるんです。──おつと、又(また)お話(はなし)が脱線(だつせん)しちまつたわ。静物画(せいぶつが)のお話(はなし)は、これからが大切(たいせつ)なのよ。静物画(せいぶつが)を描(か)く時(とき)には、二方面(にほうめん)の注意(ちゆうい)がいると、滝田先生(たきたせんせい)はおつしやつたの。一(ひと)つは『画的構成(がてきこうせい)』に関(かん)する注意(ちゆうい)で、一(ひと)つは『詩的景情(してきけいじよう)』に関(かん)する注意(ちゆうい)ですつて、むづかしいでせう。肖像(しようぞう)や風景(ふうけい)を写生(しやせい)する場合(ばあい)とちがつて、静物画(せいぶつが)を作(つく)る場合(ばあい)はね、お母(かあ)さん、もていふを勝手(かつて)に作(つく)ることが出来(でき)るんですつて。そりやさうなの、肖像(しようぞう)や風景(ふうけい)では、目鼻(めはな)を置(お)きかへて見(み)たり、山(やま)や草木(くさき)の位置(いち)をかへて見(み)たりすることは出来(でき)ませんものね。ところが、静物(せいぶつ)は、自分(じぶん)の考(かんが)へで自由(じゆう)に作(つく)つて見(み)られるでせう。だからそれぞれの、物(もの)の形(かたち)なり色合(いろあ)ひなり、又(また)は濃淡(のうたん)なり、線(せん)なりを、好(す)きに組(く)み合(あは)せて、いゝもていふを作(つく)り上(あ)げることが出来(でき)る、その為事(しごと)は、洋品店(ようひんてん)で、わいしやつや、帽子(ぼうし)や、すてつきや、ねつくたいなどをしよーういんどに美(うつく)しく飾(かざ)りつけるのと同(おな)じわけなんですつて。だけど、その為事(しごと)が、物(もの)の形(かたち)や色合(いろあ)ひや濃淡(のうたん)の、面白(おもしろ)い組(く)み合(あは)せといふだけでは足(た)りないとおつしやるんです。例(たと)へば、どんなにさうした画的構成(がてきこうせい)の面白味(おもしろみ)を出(だ)す為(ため)といつても、鮭(さけ)の切(き)り身(み)と長靴(ながぐつ)とを一(いつ)しよに持(も)ち出(だ)してはをかしいし、林檎(りんご)と金槌(かなづち)をもち出(だ)してもをかしい。やはりそこに作(つく)られる景情(けいじよう)には、無理(むり)のない、詩的統一(してきとういつ)がなくてはいけないとおつしやるんです。そのお話(はなし)のあとでね、私達(わたくしたち)の描(か)いた静物画(せいぶつが)を例(れい)にとつて批評(ひひよう)をなすつたのですが、面白(おもしろ)かつたわ。菅野(すがの)さんの絵(え)にね、香水(こうすい)の壜(びん)と、ばたのいれ物(もの)とが配置(はいち)してあつたもんだから、『これもその一例(いちれい)です、なる程(ほど)、おきしふるの壜(びん)は青(あを)く、ばたのはひつたがらす器(き)は黄色(きいろ)く、どちらも透明体(とうめいたい)でその点(てん)に別段(べつだん)不調和(ふちようわ)はない。だが、ばたのいれ物(もの)と香水(こうすい)の壜(びん)の同居(どうきよ)は少(すくな)くとも鑑賞(かんしよう)をつまづかせるものがある』と、おつしやつたので、菅野(すがの)さん真赤(まつか)になつて突(つ)つ伏(ぷ)してしまつたわ。私(わたし)その時(とき)は成功(せいこう)しちやつたのよ、板(いた)の間(ま)の玉葱(たまねぎ)を描(か)いたんです。その絵(え)を先生(せんせい)が取(と)り上(あ)げて、『これなどは、景情(けいじよう)がまことに自然(しぜん)ですね。その上(うへ)画的構成(がてきこうせい)も無難(ぶなん)です。この作者(さくしや)は、玉葱(たまねぎ)のぐるーぷを絵(え)にしたばかりでなく、玉葱(たまねぎ)が板(いた)の間(ま)に倒影(とうえい)してゐるその影(かげ)の画的効果(がてきこうか)をも見(み)のがさなかつた』とおつしやつたの。私(わたし)さういはれて、きまりが悪(わる)かつたわ。なぜつて、私(わたし)、影(かげ)が見(み)えたからたゞ描(か)いたゞけなんですもの。ですが、先生(せんせい)のお話(はなし)を聴(き)いて以後(いご)、私(わたし)は影(かげ)とかばつくといふ、物体(ぶつたい)をとりまくまはりの現象(げんしよう)を注意(ちゆうい)するようになつたわ」
 みち子(こ)さんのお話(はなし)はなほも続(つゞ)きました。その間(あひだ)、太郎君(たろうくん)は、お座敷(ざしき)の方(ほう)で、『世界童話集(せかいどうわしゆう)』にはまりこんでゐるのでした。

五、孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)

 孝子(こうこ)さんは九(こゝの)つ、尋常(じんじよう)二年生(にねんせい)です。ふだんはむつつり屋(や)でひよつとすねて泣(な)き出(だ)せば半日(はんにち)も泣(な)いてゐるといふたち。みち子(こ)さんも太郎君(たろうくん)も行(おこな)ひが目(め)に立(た)つ方(ほう)ですが、孝子(こうこ)さんの行(おこな)ひは目立(めだ)ちません。それゆゑ、寝(ね)そべつて本(ほん)を読(よ)んでゐたり、とくにつれられて温泉場(おんせんば)の方(ほう)に遊(あそ)んでゐたりするところを見(み)てはゐても、なにが好(す)きで、どうして遊(あそ)んでゐるかはつきりしません。ところが、孝子(こうこ)さんがひとり黙(だま)つて描(か)いた絵(え)の数(かず)は、みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)の描(か)いた絵(え)を一(いつ)しよにしたのよりもまだ多(おほ)いのだから面白(おもしろ)い。
 孝子(こうこ)さんは小(ちひ)さいからでもありますが、性分(しようぶん)もあつて、いつさい写生(しやせい)といふことをしません。いつも、自分(じぶん)の見(み)たこと聞(き)いたこと、あるひは本(ほん)で知(し)つたことなどを、苦(く)もなくぶつつけに描(か)くのでした。さうして、たいていの絵(え)には孝子(こうこ)さん自身(じしん)が描(か)き込(こ)んであります。
 このあひだの晩(ばん)、町(まち)で見(み)て来(き)たお迎(むか)へ火(び)の光景(こうけい)なども、幾枚(いくまい)かに描(か)いてありますが、どれにもぎやんぷどれすを着(き)て、小(ちひ)さなお下(さ)げ髪(がみ)に大(おほ)きなりぼんを結(むす)んだ孝子(こうこ)さんが描(か)いてあります。あの時(とき)は、お母(かあ)さんも太郎君(たろうくん)も一(いつ)しよでしたから、お母(かあ)さんも太郎君(たろうくん)も描(か)いてあります。かういふ絵(え)は写生(しやせい)では出来(でき)ないわけです。
 孝子(こうこ)さんはくれいよんよりも毛筆(もうひつ)で描(か)くのが好(す)きで、普通(ふつう)の墨(すみ)をすり、普通(ふつう)の水筆(すいひつ)を使(つか)つて素描(そびよう)して、水絵(みづえ)の具(ぐ)で彩色(さいしき)したものが一番(いちばん)多(おほ)く、素描(そびよう)だけのものや、色彩(しきさい)をくれいよんでやつたものや、万年筆用(まんねんひつよう)のいんきで描(か)いたものなどもあります。紙(かみ)は、画用紙(がようし)でも、半紙(はんし)でも広告(こうこく)のちらしの裏(うら)だつても、白(しろ)い紙(かみ)でありさへすればよいらしく、たゞどうも大(おほ)きい紙(かみ)が好(す)きのようです。だから、こちらへ来(き)たてに、お母(かあ)さんが「はい、孝子(こうこ)さんの画用紙(がようし)」といつて、藁半紙(わらばんし)を一帖(いちじよう)下(くだ)さつた時(とき)には、孝子(こうこ)さん大喜(おほよろこ)びでした。以後(いご)、たいてい、藁半紙(わらばんし)に絵(え)を描(か)いてゐますが、一帖(いちじよう)はとうに描(か)きつくして、お草紙(そうし)がもう三(みつ)つも出来(でき)てゐます。お草紙(そうし)といふのは、藁半紙(わらばんし)に描(か)いた孝子(こうこ)さんの絵(え)が、二十枚(にじゆうまい)ぐらゐもたまるとお母(かあ)さんが綴(と)ぢて表紙(ひようし)をつけて、日(ひ)づけと番号(ばんごう)を書(か)いておいて下(くだ)さるその帖(じよう)のことです。さうした絵草紙(えぞうし)を一枚々々(いちまい/\)見(み)てゆくと、こゝへ来(き)てからの孝子(こうこ)さんの行動(こうどう)が、一々(いち/\)わかりました。
 ある日(ひ)、孝子(こうこ)さんは落葉松林(からまつばやし)に遊(あそ)んで、蟻(あり)の巣(す)をひつくりかへしてゐます。林(はやし)のなかの日当(ひあた)りのいゝ、人(ひと)の通(とほ)りそうもない小道(こみち)には、瀬戸(せと)の竈(かまど)のように蟻(あり)の巣(す)が並(なら)んでゐますが、莨色(たばこいろ)に枯(か)れた、落葉松(からまつ)の細(こま)かい葉屑(はくづ)を積(つも)らしてこしらへた、山(やま)の形(かたち)のお城(しろ)で、そこに住(す)む蟻(あり)は、黒(くろ)いかなり大(おほ)きな蟻(あり)です。蟻達(ありたち)はところ/゛\に窪(くぼ)んでゐるゑくぼのような門(もん)から出(で)たりはひつたりして働(はたら)いてゐます。たつた三疋(さんびき)で虻(あぶ)の死骸(しがい)を引(ひ)つぱり込(こ)んでいつたり羽蟻(はあり)の羽(はね)の片(かた)つぺらをくはへて馳(か)けて来(き)たり、門(もん)のところで、出(で)て来(き)た蟻(あり)とくちづけしてせはしく引(ひ)つかへしたりするのを見(み)てゐるうちに、誰(たれ)しも、お城(しろ)のなかの模様(もよう)を見(み)たくなりますが、孝子(こうこ)さんもやはり見(み)たくなつて、自分(じぶん)がやつたか、徳(とく)やにやらしたか、とにかく巣(す)をひつくりかへしたと見(み)えます。
 そして蟻(あり)のお城(しろ)の大混乱(だいこんらん)を見(み)てびつくりし、悪(わる)いことをしたと後悔(こうかい)したことでせう。せつかく大勢(おほぜい)がゝりで立派(りつぱ)なお城(しろ)を築(きづ)きあげ、お城(しろ)のなかにはちやんとした町(まち)と住居(すまゐ)を作(つく)り、女王様(じよおうさま)を護(まも)りながら、食(た)べ物(もの)を蓄(たくは)へたり、子供(こども)を育(そだ)てたり、誰(たれ)ひとり休(やす)む者(もの)もなく、平和(へいわ)に勤勉(きんべん)に働(はたら)いてゐるところへ、だしぬけの災難(さいなん)です。たちまちお城(しろ)はくづれて町(まち)も住居(すまゐ)も埋(うづ)まつてしまひ女王様(じよおうさま)も護衛兵(ごえいへい)も、落葉松(からまつ)の砂(すな)の奥深(そこふか)く埋(うづ)められてしまひました。でもその砂(すな)のなかゝら、そくばくが、すばやく湧(わ)くように出(で)て来(く)る。見(み)ると、どの蟻(あり)も、自分(じぶん)の体(からだ)の三倍(さんばい)ぐらゐもある、半透明(はんとうめい)な白(しろ)い俵(たはら)をかついで右往左往(うおうさおう)に逃(に)げのびてゆくのでした。孝子(こうこ)さんは、学校(がつこう)で蟻(あり)のお城(しろ)のお話(はなし)を聴(き)いてゐましたから、その白(しろ)い俵(たはら)が、蟻(あり)の赤(あか)ちやんを入(い)れた包(つゝ)みであることは知(し)つてゐました。
 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)には、『黒蟻(くろあり)の御殿(ごてん)』といふ画題(がだい)で、この時(とき)の情景(じようけい)が、三枚(さんまい)続(つゞ)きに描(か)かれてゐます。『平和時代(へいわじだい)の御殿(ごてん)』『大震火災(だいしんかさい)』『女王様(じよおうさま)の病院(びよういん)慰問(いもん)』といひたいような三図(さんず)になつてゐて、皆(みな)人(ひと)の姿(すがた)に描(か)いてあり、緋(ひ)の袴(はかま)や、軍服(ぐんぷく)や、白(しろ)い看護服(かんごふく)などを着(き)てゐるのです。たゞ顔(かほ)や手足(てあし)は皆(みな)黒(くろ)んぼうで小(ちひ)さい黒(くろ)い赤(あか)ちやんは、白(しろ)い抱(だ)き蒲団(ぶとん)にくるんでありました。
 ある日(ひ)はまた、孝子(こうこ)さんは谷(たに)の方(ほう)で鳩(はと)を見(み)て来(き)て鳩(はと)を描(か)いてゐます。この辺(へん)にゐる鳩(はと)はもちろん山鳩(やまばと)で、真昼時(まひるどき)、閑静(かんせい)な森(もり)のなかで、ぽつぽーお/\/\と、いかにもゆるやかに鳴(な)いてをります。孝子(こうこ)さんの絵(え)には、ちよこれーと色(いろ)の鳩(はと)が、落葉松(からまつ)の枝(えだ)にとまつてゐた、見(み)たまゝを描(か)いてありました。
 ある日(ひ)は又(また)、孝子(こうこ)さんは、みなし子(ご)になつた仔犬(こいぬ)を描(か)いてゐます。温泉宿(おんせんやど)の前(まへ)の池(いけ)の端(はし)の貸(か)し別荘(べつそう)で、ある朝(あさ)犬(いぬ)が子(こ)を産(う)みました。ところが、困(こま)つたことに、子(こ)を産(う)み落(おと)して間(ま)もなく、母犬(はゝいぬ)が行(ゆ)くへ不明(ふめい)になりました。宿(やど)の者(もの)や別荘(べつそう)の人達(ひとたち)が、その日(ひ)霧雨(きりさめ)の降(ふ)るなかを手分(てわ)けしてさがしましたが見(み)つかりません。馬車屋(ばしやや)さんは、「それらしい犬(いぬ)が河原(かはら)で草(くさ)を食(た)べてゐた」といふし、町(まち)から上(のぼ)つて来(き)た豆腐屋(とうふや)の小僧(こぞう)さんは、「その犬(いぬ)が、わらび野(の)の一本橋(いつぽんばし)を渡(わた)つてゐるのを見(み)た」といひました。けれども、よく朝(あさ)になつても帰(かへ)つて来(き)ませんでした。なんでも、その母犬(はゝいぬ)は、お腹(なか)がだいぶ大(おほ)きくなつてから、ある晩(ばん)梯子段(はしごだん)を落(お)ちて、頭(あたま)をひどく打(う)つて気(き)が変(へん)になつたのだといふことでした。しかし、お産(さん)は尋常(じんじよう)にすみ、子供達(こどもたち)はみなし子(ご)になつたことも知(し)らずに、みるくで無事(ぶじ)に育(そだ)ちました。一体(いつたい)母犬(はゝいぬ)といふのが、リリー(白百合(しらゆり))と名(な)づけられたお姫様(ひめさま)のような犬(いぬ)でしたから、誰(たれ)の目(め)にもついてゐて、その子(こ)の不幸(ふこう)は遠(とほ)い沓掛(くつかけ)の町(まち)の方(ほう)でも噂(うはさ)になりました。孝子(こうこ)さんもその噂(うはさ)を聞(き)いて、わざ/\見(み)に出(で)かけた一人(ひとり)です。びーるの空(あ)き箱(ばこ)に藁(わら)を敷(し)いたなかに、まだ眼(め)を開(あ)かない三匹(さんびき)が、芋虫(いもむし)のように這(は)ひ廻(まは)つてゐました。孝子(こうこ)さんの絵(え)には、その見(み)たまゝの子犬(こいぬ)と、重(おも)そうな乳房(ちぶさ)をさげたリリーが、雨(あめ)の中(なか)にしよんぼりとたゝずんでゐる姿(すがた)が描(か)いてありました。
 ある日(ひ)は又(また)、遊園地(ゆうえんち)の方(ほう)へいつたと見(み)えて、和服(わふく)でぱらそるをさした、三人(さんにん)づれの都(みやこ)びたお嬢(じよう)さんや、檜木笠(ひのきがさ)をかむり、着蓙(きござ)をしよつて千(せん)が滝(たき)の原(はら)をおりて来(く)る。浅間帰(あさまがへ)りの一行(いつこう)を描(か)いてゐます。
 ある日(ひ)は又(また)、孝子(こうこ)さんは、『棟梁(とうりよう)の死(し)』を絵(え)にしてゐます。それはなかば話(はなし)に聞(き)き、なかば見(み)て来(き)て描(か)いたもので、これは二枚続(にまいつゞ)きです。街道(かいどう)から温泉道(おんせんみち)へ少(すこ)しはひつた小高(こだか)いところに桐(きり)と楓(かへで)で日射(につしや)を防(ふせ)いだ一軒家(いつけんや)がありますが、そこは、勘(かん)さんとよばれる棟梁(とうりよう)の住(す)まゐで、棟梁(とうりよう)の他(ほか)に、二人(ふたり)の若(わか)いお弟子(でし)が寝泊(ねとま)りしてゐて、貸(か)し別荘(べつそう)の建築(けんちく)やら普請(ふしん)やらをやつてゐるのでありますが、ある真(ま)つ昼間(ぴるま)、棟梁(とうりよう)の勘(かん)さんは、突然(とつぜん)卒中(そつちゆう)でなくなりました。
 勘(かん)さんは禿頭(はげあたま)の小男(こをとこ)で、おだやかな老人(ろうじん)でしたが、寂(さび)しいことに子供(こども)はなく、二人(ふたり)の弟子(でし)を自分(じぶん)の子(こ)のように可愛(かわい)がつてゐるのでした。故郷(こきよう)といつても、そこから五里(ごり)ばかり南(みなみ)の松原湖(まつばらこ)の近(ちか)くの村(むら)で、そこには先祖(せんぞ)の墓地(ぼち)と、勘(かん)さんよりも年寄(としよ)りのおかみさんが、留守(るす)をしてゐるといふことでした。棟梁(とうりよう)の死(し)はまもなく付近(ふきん)へ知(し)れわたつて別荘(べつそう)の人達(ひとたち)も次(つ)ぎ/\にその一軒家(いつけんや)へくやみを述(の)べに来(き)ました。といふのは、この棟梁(とうりよう)はいつもにこ/\してゐたばかりでなく、無口(むくち)で親切(しんせつ)だつたからです。例(たと)へば、建(た)て具(ぐ)のちよつとした直(なほ)しでも気軽(きがる)く受(う)け合(あ)つて、しかもそのうちの人達(ひとたち)が散歩(さんぽ)に出(で)た留守(るす)とか、湯(ゆ)にいつた留守(るす)とかに出(で)かけていつて註文通(ちゆうもんどほ)り直(なほ)しておくといつたふうでした。ですから誰(だれ)しにも『善人(ぜんにん)の死(し)』といふ、感(かん)じを与(あた)へて、その夜(よ)のお通夜(つや)は、まるで、お釈迦様(しやかさま)のお通夜(つや)のようでした。お弟子達(でしたち)の手製(てせい)の棺(かん)に納(をさ)められた勘(かん)さんのなきがらを取(と)り巻(ま)いて、二人(ふたり)のお弟子(でし)はもちろん、千(せん)が滝(たき)の方(ほう)の別荘(べつそう)普請(ふしん)に出稼(でかせ)ぎに来(き)てゐる。お仲間(なかま)の大工(だいく)さん連(れん)もゐれば、別荘(べつそう)のはいからな奥(おく)さんや旦那方(だんながた)、温泉宿(おんせんやど)の主人(しゆじん)、番頭(ばんとう)、女中(じよちゆう)さん、それから、二人(ふたり)の通夜僧(つやそう)など狭(せま)い部屋(へや)に一(いつ)ぱいでした。そして家(いへ)の外(そと)には、縁側近(えんがはちか)く、主人(しゆじん)におともをして来(き)た別荘(べつそう)の犬達(いぬたち)が五六匹(ごろつぴき)ゐますし、勘(かん)さんの養(やしな)つてゐた、猫(ねこ)も金魚(きんぎよ)も、やはりこの活(い)きた涅槃図(ねはんず)のなかにありました。
 孝子(こうこ)さんの絵草紙(えぞうし)には、蝋燭(ろうそく)の光線(こうせん)に強(つよ)められたその涅槃図(ねはんず)が描(か)いてあります。一枚(いちまい)には、早朝(そうちよう)、人力車(じんりきしや)に乗(の)つた坊(ぼう)さんを先頭(せんとう)に、棺(かん)を護(まも)つて故郷(こきよう)へ向(むか)つた、質素(しつそ)な行列(ぎようれつ)が描(か)いてありました。
 こんな風(ふう)に、孝子(こうこ)さんはあらゆる事柄(ことがら)を絵(え)にするのです。むろん絵草紙(えぞうし)のなかには、花(はな)も野菜(やさい)も描(か)いてあるし、牛(うし)も馬(うま)も昆虫(こんちゆう)も描(か)いてあれば、水車(すいしや)もとろつこも描(か)いてあります。たゞ、孝子(こうこ)さんが描(か)かないのは肖像(しようぞう)です。なるほど、孝子(こうこ)さんは、事柄(ことがら)の絵(え)のなかにいろいろな人物(じんぶつ)を描(か)いてゐますが、その顔(かほ)でも姿(すがた)でも、皆(みんな)同(おな)じようで、むしろ着物(きもの)で老若男女(ろうじやくだんじよ)がわかるくらゐなものです。つまり孝子(こうこ)さんは、浮世絵画家(うきよえがか)です。見(み)たり、聞(き)いたりする世間(せけん)の行事(ぎようじ)や風俗(ふうぞく)を、皆(みな)毛筆画(もうひつが)に描(か)いてのける、無邪気(むじやき)な浮世絵師(うきよえし)なのです。

六、油絵(あぶらえ)かきさん

 ある日(ひ)の午後(ごゞ)、日盛(ひざか)りのすばらしい暑(あつ)さが少(すこ)しくゆるんで、空(そら)にのし上(あが)つた入道雲(にゆうどうぐも)が北(きた)へ崩(くづ)れはじめ、そろ/\横雲(よこぐも)が棚曳(たなび)き入(い)らうとする時分(じぶん)、遊園地(ゆうえんち)の原(はら)の、人気(ひとけ)に遠(とほ)いところで、油絵(あぶらえ)を描(か)いてゐる人(ひと)がありました。大(おほ)きないーぜるに十二号(じゆうにごう)ほどのかんばす(絵布(えぬの))を立(た)てかけ、三脚(さんきやく)に腰(こし)をおろして、一心(いつしん)ふらんに谷向(たにむか)うの落葉松山(からまつやま)を写生(しやせい)してゐるのです。白地(しろじ)の絣(かすり)を着(き)て、鍔(つば)の広(ひろ)い海水帽(かいすいぼう)をかむつたせいの高(たか)い人(ひと)で、この人(ひと)は、もう三日前(みつかまへ)からいつも今頃(いまごろ)こゝにいーぜるを立(た)てゝゐるのですが、太郎君(たろうくん)は、今日(けふ)写生(しやせい)帰(がへ)りにふとそれを見(み)つけてみち子(こ)さんと一(いつ)しよに、行(ゆ)く手(て)をさへぎる塹壕(ざんごう)のような空堀(からぼり)を、降(お)りて登(のぼ)つて、やつとこゝへ来(き)たのです。
 来(き)て見(み)ると、自分達(じぶんたち)より先(さき)に男(をとこ)の子(こ)が一人(ひとり)、熱心(ねつしん)に油絵(あぶらえ)かきさんの為事(しごと)を見(み)てゐました。その子(こ)も鍔広(つばひろ)の麦藁帽(むぎわらぼう)をかむり、餌箱(ゑさばこ)のような木作(きづく)りの箱(はこ)を肩(かた)にかけ、手(て)には風呂敷(ふろしき)包(づゝ)みと手製(てせい)らしい三脚(さんきやく)をもつてゐるのでした。太郎君(たろうくん)とみち子(こ)さんは、それを見(み)ると、顔(かほ)を見合(みあは)せて柔和(にゆうわ)にうなづき合(あ)ひました。
 油絵(あぶらえ)かきさんは、谷(たに)から首(くび)を出(だ)したうるしの木(き)を描(か)いてゐるところでした。柄(え)の長(なが)い筆(ふで)で、ぱれつとの絵(え)の具(ぐ)をすくひ取(と)つて、右上(みぎあが)りに、弾(はじ)くような筆(ふで)つきで描(か)いてゐます。太郎君(たろうくん)もみち子(こ)さんも、山崎(やまざき)さんの描(か)き振(ぶ)りとはまるで違(ちが)ふのを面白(おもしろ)く思(おも)ひました。山崎(やまざき)さんのはかんばすの上(うへ)へ絵(え)の具(ぐ)を置(お)いてゆくような描(か)きぶりですが、この人(ひと)のは絵(え)の具(ぐ)を打(う)ち付(つ)けるような描(か)きぶりです。又(また)、山崎(やまざき)さんの使(つか)つてゐる筆(ふで)は赤毛(あかげ)ですが、この人(ひと)のは白毛(しろげ)です。みち子(こ)さんは、太郎君(たろうくん)の耳(みゝ)に口(くち)を寄(よ)せて、
「この方(かた)のは豚毛(ぶたげ)よ」
と、さゝやきました、すると太郎君(たろうくん)は、普通(ふつう)の声(こゑ)で、「姉(ねえ)さん、山崎(やまざき)さんとどつちが上手(じようず)でせう」
と、たづねます。みち子(こ)さんがめんくらつて答(こた)へずにゐると、太郎君(たろうくん)は又(また)、
「空(そら)の色(いろ)がすてきだねえ」
といひます。絵(え)かきさんは、そのませたいひ方(かた)に破顔(はがん)して、写生(しやせい)しながら太郎君(たろうくん)に話(はなし)かけました。
「君(きみ)は絵(え)が好(す)きだね」
「…………」
「君(きみ)は油絵(あぶらえ)をかくの」
「描(か)かない。僕(ぼく)、くれぱすで描(か)くんです」
「姉(ねえ)さんは描(か)くの」
「姉(ねえ)さんは水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)で描(か)くんです」
「東京(とうきよう)から来(き)たのですか」
「えゝ」
「絵(え)がたくさん出来(でき)たかね」
「えゝ」
「君(きみ)のおうちはどこ」
「僕(ぼく)のうち、──牛込(うしごめ)の喜久井町(きくゐちよう)」
「いや、こゝでのおうちさ」
「おほゝ、太郎(たろう)さん。いやあね、──あの私達(わたくしたち)、星野温泉(ほしのおんせん)のわらび野(の)の別荘(べつそう)にゐるんです〕
と、みち子(こ)さんが引(ひ)き取(と)つて答(こた)へました。
「あゝ星野(ほしの)ですか、──君(きみ)はどこです」
と、だまつてゐるも一人(ひとり)の男(をとこ)の子(こ)に振(ふ)り向(む)いて絵(え)かきさんがたづねました。
「おらあうちは、こゝぢやねえ」
との答(こた)へ、
「ぢや沓掛(くつかけ)かね」
「うむ」
と、甚(はなは)だ簡単(かんたん)です。
 やがて絵(え)かきさんは、為事(しごと)を切(き)り上(あ)げて、絵(え)の具(ぐ)箱(ばこ)を閉(と)ぢ、画架(がか)や三脚(さんきやく)をたゝんでずつくの袋(ふくろ)にをさめ、さて大(おほ)きく伸(の)びを一(ひと)つしてから、子供達(こどもたち)の方(ほう)へ向(む)いて草(くさ)のなかにあぐらをかきました。それから煙草(たばこ)を取(と)り出(だ)してうまそうにふかすのでした。ふかしながら、はじめて三人(さんにん)の子供(こども)が皆(みんな)写生道具(しやせいどうぐ)を携(たづさ)へてゐるのに気(き)がついて、
「やあ、みんな吾輩(わがはい)と同(おな)じ商売(しようばい)なんだね」
と、とんきよな声(こゑ)を出(だ)したものですから、子供達(こどもたち)はいはるゝまゝに面白(おもしろ)がつて自分達(じぶんたち)の絵(え)を出(だ)して見(み)せました。絵(え)かきさんは、それを愉快(ゆかい)そうに見(み)て、
「どうして、君達(きみたち)はなか/\うまいや、いつかもつと絵(え)を見(み)せてもらひたいね。──僕(ぼく)のゐるところは遊園地(ゆうえんち)のね、お湯(ゆ)のところから右(みぎ)へ曲(まが)つて二軒(にけん)めのうちだから、いつでも遊(あそ)びに来給(きたま)へ」
 さういつてさようならをしたのであります。これが縁(えん)で、三人(さんにん)の子供(こども)と油絵(あぶらえ)かきさんはその後(ご)大(だい)の仲(なか)よしになりました。
 この油絵(あぶらえ)かきさんは、原四郎(はらしろう)といつて、美術雑誌(びじゆつざつし)などにをり/\名(な)を見(み)かける、新進(しんしん)の画家(がか)でした。目下(もつか)の職業(しよくぎよう)は学校(がつこう)の先生(せんせい)ですが、道楽(どうらく)に絵(え)を描(か)いてゐるのではなく、東京(とうきよう)で小学校(しようがつこう)に勤(つと)めながら、出来(でき)るだけのひまで、画家(がか)の修業(しゆぎよう)をしてゐるのです。で、この夏季休暇(かききゆうか)には、雲(くも)と山(やま)とをうんと描(か)くつもりで、年(とし)とつたお母(かあ)さんと一(いつ)しよに、千(せん)が滝(たき)の貸(か)し別荘(べつそう)にもう一月(ひとつき)も前(まへ)から来(き)てゐるのでした。みち子(こ)さんと太郎君(たろうくん)は、あの後(ご)幾度(いくど)も原(はら)さんの別荘(べつそう)をたづねて、お母(かあ)さんとも懇意(こんい)になり、時々(とき/゛\)一(いつ)しよになる沓掛(くつかけ)の少年(しようねん)ともお友達(ともだち)になりました。あの少年(しようねん)は、沓掛(くつかけ)の町(まち)はづれにある射的場(しやてきば)の近(ちか)くの百姓家(ひやくしようや)の子供(こども)で、太郎君(たろうくん)よりは一(ひと)つ年上(としうへ)の十二歳(じゆうにさい)、軽井沢小学校(かるゐざはしようがつこう)の尋常五年生(じんじようごねんせい)でした。
 原(はら)さんが、ゆつくりお話(はなし)をしてくれるのは、いつも雨(あめ)の降(ふ)る日(ひ)でしたから、雨(あめ)が降(ふ)ると、たいてい三人(さんにん)が原(はら)さんのところで一(いつ)しよになりました。原(はら)さんのお母(かあ)さんはもう腰(こし)の曲(まが)りかけたおばあさんでしたが、まめな人(ひと)で、三人(さんにん)の子供(こども)がそろつた日(ひ)には、おやつになにかしらこしらへてくれました。葛(くず)のお菓子(かし)、かるめら、稲荷(いなり)ずし、この年(とし)とつたお母(かあ)さんは、息(むすこ)の四郎(しろう)も加(くは)へて四人(よにん)の子供(こども)が、自分(じぶん)の手作(てづく)りの御馳走(ごちそう)を食(た)べながら、無邪気(むじやき)な話(はなし)にふけるのを大(たい)そう満足(まんぞく)に思(おも)ひました。原(はら)さんは顎(あご)の角(かく)ばつた、眉毛(まゆげ)の太(ふと)い、一見(いつけん)武骨(ぶこつ)な骨相(こつそう)ですが、案外(あんがい)声(こゑ)のやさしい、それにお話(はなし)のうまい人(ひと)でした。
「みち子(こ)さんの御注文(ごちゆうもん)で、今日(けふ)は油絵(あぶらえ)のお話(はなし)をする約束(やくそく)だつたね」
と、原(はら)さんが始(はじ)め出(だ)すと、三人(さんにん)はゐずまひをなほして緊張(きんちよう)するのです。
「油絵(あぶらえ)のお話(はなし)といつてもいろ/\あるが、まづ油絵(あぶらえ)の歴史(れきし)を話(はな)さうかね。──油絵(あぶらえ)つてものは、今(いま)からざつと五百年(ごひやくねん)ばかりも昔(むかし)、十五世紀(じゆうごせいき)の頃(ころ)に、ドイツのフランドルといふところの絵(え)かきさんが発明(はつめい)したものです。その絵(え)かきさんはジヤン・ワ゛ン・アイクといふ名(な)だがその人(ひと)の有名(ゆうめい)な絵(え)を、君達(きみたち)もいつか三色版刷(さんしよくばんず)りで見(み)るにちがひない。それはね、『フラマンドの商人夫妻(しようにんふさい)』といふ画題(がだい)の、縦長(たてなが)い暗(くら)い絵(え)で、衣(ころも)のような服(ふく)を着(き)た商人夫婦(しようにんふうふ)が向(むか)ひ合(あ)ひに立(た)つてゐて、突(つ)き当(あた)りの壁(かべ)に懸(かゝ)つた円(まる)い鏡(かゞみ)に、二人(ふたり)の顔(かほ)が映(うつ)つてゐる、それが『二重(にじゆう)の肖像(しようぞう)』といはれて有名(ゆうめい)になつたんだとさ。つまりその時分(じぶん)にはさういふ綿密(めんみつ)な写生(しやせい)は珍(めづら)しかつたんだね。油絵(あぶらえ)のない前(まへ)の、西洋(せいよう)の絵(え)は、おもにふれすこといふ絵(え)でね、これはずつと大昔(おほむかし)からあつた。どういふ絵(え)かといふに、多(おほ)く壁画(へきが)でね、漆食(しつく)ひを塗(ぬ)つてそれが乾(かわ)かないうちに、泥絵(どろえ)の具(ぐ)で描(か)き上(あ)げてしまはなければならない厄介(やつかい)な絵(え)なのさ。今(いま)も見(み)られるイタリアのお寺(てら)の壁画(へきが)は、たいていこのふれすこなんだよ。ところで、ワ゛ン・アイクが油絵(あぶらえ)をやり出(だ)すと、その頃(ころ)立派(りつぱ)な絵(え)かきが大勢(おほぜい)ゐたイタリアへたちまち広(ひろ)まつて、間(ま)もなく世界中(せかいじゆう)へ行(ゆ)きわたつてしまつた。どうして油絵(あぶらえ)がそんなにすばやく広(ひろ)まつたかといへば、絵(え)の持(も)ちがいゝばかりでなく、使(つか)ひよくて、どんなものでも描(か)き現(あらは)せるとくをもつてゐたからだね。太郎君(たろうくん)はくれぱすを使(つか)つてゐるけれども僕達(ぼくたち)が小学生(しようがくせい)の時分(じぶん)にはあんなものはなかつた。似(に)たようなものでは、けちな色(いろ)しか出(で)ない色鉛筆(いろえんぴつ)があつたゞけさ。ところが、やがてくれいよんが出(で)て来(く)るし、くれいよんよりももつと都合(つごう)のいゝくれぱすなんてものが出(で)て来(き)た。ちようど、歩(ある)くよりお駕籠(かご)がしやれてゐると思(おも)つてゐると、人力車(じんりきしや)が現(あらは)れてお駕籠(かご)がぺけになり、人力車(じんりきしや)でをさまつてゐると自転車(じてんしや)が出(で)て来(き)て人力車(じんりきしや)がぺけになり、自転車(じてんしや)で鼻(はな)を高(たか)くしてゐると自動車(じどうしや)が飛(と)び出(だ)して、自転車(じてんしや)はぺけになつた。いまに飛行機(ひこうき)が飛(と)びまはつて自動車(じどうしや)がぺけになるかも知(し)れないね。もつともそんなにどん/゛\便利(べんり)になることが、人間(にんげん)のしあはせかどうかは、わからない」
「西洋(せいよう)では、油絵(あぶらえ)ばつかりなんですか」
「まあさうだね、そりやあ、油絵(あぶらえ)の他(ほか)に水彩画(すいさいが)もあれば木炭画(もくたんが)もあり、鉛筆画(えんぴつか゜)もあればぺん画(が)もあり、ぱすてる画(が)もあればてんぺら画(が)もある。さつき話(はな)したふれすこを描(か)く人(ひと)だつてあるにはあるが、百分(ひやくぶん)の九十(くじゆう)ぱーせんとは油絵(あぶらえ)だね」
「まあ、日本(につぽん)もいまにさうなるでせうか」
「さあ、どうかねえ、日本(につぽん)には日本画(につぽんが)といふものがあるからね、しかし、二十年前(にじゆうねんまへ)には東京美術学校(とうきようびじゆつがつこう)の日本画科(につぽんがか)の志望者(しぼうしや)は西洋画科(せいようがか)の倍(ばい)できかなかつたといふが、この節(せつ)は反対(はんたい)に西洋画(せいようが)の志望者(しぼうしや)が日本画(につぽんが)の倍(ばい)になつてゐるそうだ。そして西洋画(せいようが)をやる連中(れんじゆう)は、たいてい油絵(あぶらえ)かきだからねえ……みち子(こ)さんの学校(がつこう)では油絵(あぶらえ)をやる人(ひと)は少(すくな)いですか」
「えゝ、先生(せんせい)が別段(べつだん)おすゝめにならないせいか、五年(ごねん)の人(ひと)が七八人(しちはちにん)やつてるくらゐです」
「みち子(こ)さんは昨年(さくねん)、明治大正美術展覧会(めいじたいしようびじゆつてんらんかい)を見(み)たでせうね。あの時(とき)、高橋由一(たかはしよしいち)といふ人(ひと)の『鮭(さけ)』の絵(え)が出(で)てゐたが覚(おぼ)えてゐますか」
「覚(おぼ)えてゐます。鱗(うろこ)の銀光(ぎんびか)りした皮(かは)や赤(あか)い身(み)のところなど、まるでほん物(もの)のようでしたわ」
「あの絵(え)などがね、日本人(につぽんじん)の描(か)いた有名(ゆうめい)な古(ふる)い油絵(あぶらえ)の一(ひと)つです。もつとも、あれより前(まへ)にも油絵(あぶらえ)を描(か)いた人(ひと)はある。日本(につぽん)に油絵画法(あぶらえがほう)を輸入(ゆにゆう)したのは、永禄年間(えいろくねんかん)阿蘭陀船(おらんだぶね)で長崎(ながさき)へやつて来(き)たスペイン人(じん)やポルトガル人(じん)で、その赤髯(あかひげ)さんに教(をそ)はつた山田右衛門(やまだうえもん)といふ武士(さむらひ)が日本(につぽん)で最初(さいしよ)の油絵(あぶらえ)かきだそうだ。その人(ひと)の描(か)いた『泰西(たいせい)王族(おうぞく)騎馬図(きばず)』といふ絵(え)が、松平(まつだひら)子爵(ししやく)、たぶん節子姫(せつこひめ)の御実家(ごじつか)と思(おも)ふが、そこに今(いま)でもあるといふことです」
「先生(せんせい)、その山田(やまだ)といふ油絵(あぶらえ)かきは、刀(かたな)をさしてゐたんですか」
と、太郎君(たろうくん)が質問(しつもん)しました。
「むろん両刀(りようとう)をさしてゐたね、裃(かみしも)をつけて、ちよん髷(まげ)を結(ゆ)つてゐたさ」
 武士(さむらひ)がぱれつとをもつていーぜるにむかつて油絵(あぶらえ)を描(か)いてゐる姿(すがた)を想像(そうぞう)して、四人(よにん)とも笑(わら)ひ出(だ)しました。
「ちよん髷(まげ)といへば、このあひだ雑誌(ざつし)をよんだら、面白(おもしろ)いことが書(か)いてあつたよ、話(はな)さうか」
 話(はな)して頂戴(ちようだい)、話(はな)して/\と大騒(おほさわ)ぎです。「そんなに騒(さわ)ぐ程(ほど)の話(はなし)ぢやないんだよ。──あのね、ロシアの小説家(しようせつか)でゴンチヤロフといふ人(ひと)があるんだ。その人(ひと)が若(わか)い時分(じぶん)、軍艦(ぐんかん)へ乗(の)つて日本(につぽん)へ来(き)たのさ。そして見聞(みき)きしたことを日記(につき)に書(か)いておいたんだが、その日記(につき)にこんなことが書(か)いてある。日本(につぽん)の浦賀(うらが)といふ港(みなと)の入(い)り口(ぐち)へ錨(いかり)をおろした。朝(あさ)、靄(もや)の晴(は)れるのを待(ま)つて望遠鏡(ぼうえんきよう)で陸地(りくち)を見(み)たが、ずいぶん美(うつく)しい景色(けしき)だ。小山(こやま)のところ/゛\に大砲(たいほう)がならんでゐた。噂(うはさ)にきいた通(とほ)り日本人(につぽんじん)は戦争(せんそう)好(ず)きな民族(みんぞく)らしい。誰(たれ)も/\頭(あたま)の上(うへ)にぴすとるを一挺(いつちよう)づゝ載(の)せてゐる」
「いやあだ、おほ、ほ、ほ」
「あつはつはつはつ」
「あつはつはつはつ」
 原(はら)さんのお講話(こうわ)は、いつもこんな風(ふう)に脱線(だつせん)して、しりきりとんぼに終(をは)るのが例(れい)でした。

七、百姓家(ひやくしようや)の鎮雄君(しづをくん)

 沓掛(くつかけ)の少年(しようねん)は、名(な)を鎮雄(しづを)といひ、代々(だい/\)養蚕(ようさん)を主業(しゆぎよう)とする、自作農(じさくのう)の家庭(かてい)に生(お)ひ立(た)ちました。今(いま)は両親(りようしん)とお祖母(ばあ)さんと、まだ乳(ちゝ)ばなれをしない小(ちひ)さな妹(いもうと)との五人家族(ごにんかぞく)で、庭(には)の方(ほう)には、とらくたーの代(かは)りをしてくれる土佐牛(とさうし)や、毎日(まいにち)卵(たまご)を産(う)んでくれる鶏(にはとり)や、鎮雄君(しづをくん)の弁当箱(べんとうばこ)をくはへて、小学校(しようがつこう)へのおともをする、忠実(ちゆうじつ)な白犬(しろいぬ)などが住(す)んでゐます。鎖雄君(しづをくん)のお父(とう)さんはだんまりやでつきのわるい人(ひと)ですが、お母(かあ)さんの方(ほう)は人(ひと)づきのいゝ、賑(にぎや)かな、すこしあわて者(もの)です。しかし二人(ふたり)とも案外(あんがい)気(き)の弱(よわ)い正直(しようじき)なたちですから、借金(しやつきん)も作(つく)らず喧嘩(けんか)もせず、いたつて平和(へいわ)な一家(いつか)です。
 鎮雄君(しづをくん)はおつとりした子供(こども)で、小(ちひ)さい時(とき)から絵(え)を描(か)くことが好(す)きでした。一般(いつぱん)の農家(のうか)では、子供(こども)が学校(がつこう)で絵(え)を習(なら)ふことなどは無用(むよう)のことゝ思(おも)ひ、一箱(ひとはこ)二十五銭(にじゆうごせん)もするくれいよんを、年(ねん)に二箱(ふたはこ)も買(か)つてやらねばならぬ、近来(きんらい)の学校(がつこう)のやり方(かた)に不服(ふふく)でしたが、鎮雄君(しづをくん)は幸(さいは)ひに、両親(りようしん)がある事情(じじよう)で子供(こども)の美育(びいく)に興味(きようみ)をもつてゐたので、まだ絵(え)らしいものゝ描(か)けない四五歳(しごさい)ぐらゐの時分(じぶん)から、鎮雄君(しづをくん)の描(か)くものを、両親(りようしん)が面白(おもしろ)がつて見(み)てくれました。
「この子(こ)はまあ、めたなを描(か)いてるの。地(じ)べたにすわつちまつて、着物(きもの)が汚(よご)れるでねえかい」
「はふときなあ、母(かあ)やんを描(け)えてるとよ」
「鎮坊(しづぼう)、これ母(かあ)やんかや。まるで輪(わ)つぱのようだいな」
 その頃(ころ)、鎮雄君(しづをくん)の筆(ふで)は、石(いし)ころや棒(ぼう)つ切(き)れで、地面(じめん)や壁(かべ)が紙(かみ)でした。その広(ひろ)い紙(かみ)の面(めん)へ牛(うし)、犬(いぬ)、鶏(にはとり)、蛙(かへる)、鯉(こひ)、自転車(じてんしや)、鉄砲(てつぽう)、母(かあ)さんなどを描(か)いて遊(あそ)ぶのでしたが、さういふものを描(か)き表(あらは)さうとして描(か)くのではなく、右(みぎ)から左(ひだり)へぐる/\線(せん)を描(か)き廻(まは)したり、とん/\点(てん)を打(う)つたりしてゐるうちに、偶然(ぐうぜん)それらしい形(かたち)が現(あらは)れると、あつぷ(鯉(こひ))だとか、しろ(犬(いぬ))だとか、母(かあ)やんだとかいつてお得意(とくい)なのでした。そのうち、鎮雄君(しづをくん)は古新聞紙(ふるしんぶんし)を八(や)つ切(ぎ)りにした画用紙(がようし)をあてがはれて、墨筆(ぼくひつ)で描(か)くようになりました。もう『輪(わ)つぱの母(かあ)やん』でなく、円(まる)い線(せん)のなかへ、眼鼻(めはな)がつきました。しかしまだ、顔(かほ)からじかに手足(てあし)の出(で)た母(かあ)やんでした。間(ま)もなく鎮雄君(しづをくん)の『母(かあ)やん』には胴体(どうたい)がつき、耳(みゝ)がつき、着物(きもの)が着(き)せられました。たぶん、その頃(ころ)でしたらう、お母(かあ)さんが藁半紙(わらばんし)を買(か)つてくれると、お父(とう)さんが泥絵(どろえ)の具(ぐ)を作(つく)つてくれました。お茶碗(ちやわん)のなかに、墨(すみ)、紺青(こんじよう)、生黄(きおう)、べんがらの四色(ししよく)を、薄(うす)い膠(にかは)で溶(と)いてくれたのですが、それは、お父(とう)さんが、冬(ふゆ)の間(あひだ)、木彫(きぼ)りの風俗人形(ふうぞくにんぎよう)に用(もち)ひる絵(え)の具(ぐ)でした。
 ついでにお話(はなし)しますが、信州(しんしゆう)には農民美術研究所(のうみんびじゆつけんきゆうじよ)といふものがあつて、毎年(まいねん)冬(ふゆ)になると、農家(のうか)の人達(ひとたち)に、木彫(きぼ)りの人形(にんぎよう)を作(つく)ることや、指(さ)し物(もの)で箱(はこ)をこしらへてそれに浮(う)き彫(ぼ)りを施(ほどこ)すことや、くり物(もの)の木地(きじ)に模様(もよう)をつけて美(うつく)しく塗(ぬ)り上(あ)げることや、小(ちひ)さな家具(かぐ)を作(つく)ることや、刺繍(ししゆう)や機織(はたお)りでいろ/\な布帛(ふはく)工芸品(こうげいひん)を作(つく)ることなどを教(をし)へてゐますが、鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんも、そこで風俗人形(ふうぞくにんぎよう)を彫(ほ)ることを教(をそ)はつて、もう四五年来(しごねんらい)、それを冬期(とうき)の副業(ふくぎよう)にしてゐるのであります。
 その年(とし)の農事(のうじ)も終(をは)り、田畑(たはた)は一面(いちめん)の鳶色(とびいろ)にさびれて、国境(こつきよう)の山々(やま/\)に初雪(はつゆき)のかぶる頃(ころ)となれば、鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんは、蚕室(さんしつ)の一角(いつかく)を仕切(しき)つた臨時(りんじ)の為事場(しごとば)に、ゆつくりとあぐらをかいて、左手(ひだりて)に握(にぎ)つた朴(ほう)の木(き)の個材(こざい)を、二三挺(にさんちよう)の鑿(のみ)を動(うご)かしてずん/\人形(にんぎよう)にしてゆきます。この人(ひと)の御得意(おとくい)は高(たか)さ二三寸(にさんずん)の『養蚕(ようさん)風俗人形(ふうぞくにんぎよう)』で、その白木彫(しろきぼ)りがいくつかたまると、為事場(しごとば)を掃(は)き浄(きよ)めて、絵(え)の具(ぐ)を溶(と)き、終日(しゆうじつ)色彩(しきさい)をやるのでした。
 鎮雄君(しづをくん)は、それが見(み)てゐたくて、幾度(いくど)も為事場(しごとば)に入(い)り込(こ)みましたが、すぐと、
「子供(こども)は来(く)るでねえ」
と、追(お)ひ出(だ)されてしまひ、そのたびにあばれ泣(な)きをしました。するとお祖母(ばあ)さんが、赤砂糖(あかざとう)を一(ひと)さじ手(て)のひらにあけてくれて、
「鎮坊(しづぼう)にも大(おほ)きくなつたら、父(とう)やんのような為事場(しごとば)をつくつてやらずいなあ。そしたら、鎮坊(しづぼう)は、でかい人形(にんぎよう)を彫(ほ)るかや」
などゝなだめてくれるのでした。お父(とう)さんは木彫(きぼ)りの人形(にんぎよう)を作(つく)りますが、お母(かあ)さんは織(お)り物(もの)をやりました。やはり研究所(けんきゆうじよ)で習(なら)つた技術(ぎじゆつ)で、一貫目(いつかんめ)二円(にえん)ばかりの屑繭(くづまゆ)を買(か)つて、それから腕(うで)よりの太(ふと)い糸(いと)をとり、それを色染(しきせん)して、この辺(へん)にありふれた機(はた)にかけて織(お)るのです。むろん反物(たんもの)は織(お)らず、帯地(おびじ)や嚢物地(ふくろものじ)を変(かは)つた縞柄(しまがら)に織(お)るのでした。──こんなわけで、鎮雄君(しづをくん)は、同村(どうそん)の多(おほ)くの子供達(こどもたち)より、たしかにしあはせでした。お父(とう)さんもお母(かあ)さんも、質朴(しつぼく)な農家(のうか)に人(ひと)となつた者(もの)ですから、美術(びじゆつ)について、なんのお話(はなし)もしてくれませんでしたが、鎮雄君(しづをくん)の図画(ずが)や手工(しゆこう)の進歩(しんぽ)を他(ほか)の学科(がつか)の進歩(しんぽ)と同様(どうよう)に喜(よろこ)んでくれる、そのことはすいぶん幸福(こうふく)でした。
 小学校(しようがつこう)へはひつて、級(きゆう)の上(のぼ)るに従(したが)ひ、すべての科目(かもく)にいろ/\な用具(ようぐ)がいりますが、両親(りようしん)は文句(もんく)いはずにそれを買(か)つてくれました。それ故(ゆえ)鎮雄君(しづをくん)は、くれいよんも、くれぱすも水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)ももつてゐるのです。でも「三脚(さんきやく)を買(か)つておくれ」とせがんだ時(とき)には、「自分(じぶん)で作(つく)りな」と叱(しか)られました。しかし結局(けつきよく)、お父(とう)さんがこしらへてくれました。胡桃(くるみ)の木(き)で脚(あし)を作(つく)つて、お母(かあ)さんの織(お)つたぼろ織(お)りを座(ざ)にした立派(りつぱ)なものです。絵(え)の具箱(ぐばこ)は鎮雄(しづを)さんが最近(さいきん)作(つく)つたものでした。写生用(しやせいよう)の絵(え)の具(ぐ)その他(た)の雑品(ざつぴん)を入(い)れて持(も)ち歩(ある)くための箱(はこ)で、みかん箱(ばこ)を板(いた)にくづして鉋(かんな)をかけ、四隅(よすみ)の組(く)み方(かた)は簡単(かんたん)にして、膠(にかは)でつけた上(うへ)に、襖(ふすま)の取(と)つ手(て)に用(もち)ひる、細(ほそ)い丈夫(じようぶ)な四分一針(しぶいちばり)を細(こま)かく打(う)ちました。それからお父(とう)さんに教(をそ)はつた通(とほ)り、べんがらにすこし墨(すみ)をまぜた泥絵(どろえ)の具(ぐ)を酪素(らくそ)で溶(と)いて一面(いちめん)に塗(ぬ)り、細(ほそ)い丸鑿(まるのみ)で、考(かんが)へておいた縁飾(ふちかざ)りを浮(う)き彫(ぼ)りに彫(ほ)つてから、お父(とう)さんにふき漆(うるし)を三度(さんど)ばかりかけてもらつたものです。鎮雄君(しづをくん)のこの絵(え)の具箱(ぐばこ)は、学校(がつこう)で有名(ゆうめい)なものとなり、いつの写生(しやせい)にも得意(とくい)で肩(かた)にかけて出(で)るのでした。
 近頃(ちかごろ)鎮雄君(しづをくん)の描(か)く絵(え)は、ちよつと孝子(こうこ)さんの絵(え)と太郎君(たろうくん)の絵(え)を一(いつ)しよにしたようなものでした。まはりの生活情景(せいかつじようけい)を好(この)んで絵(え)にするところは孝子(こうこ)さんのようだし、山(やま)なり、木(き)なり、家屋(かおく)なり、静物(せいぶつ)なりの形(かたち)を、洋画風(ようがふう)に影日向(かげひなた)に現(あらは)したりする工合(ぐあひ)は太郎君(たろうくん)のようです。しかし、鎮雄君(しづをくん)の絵(え)は、今(いま)も大部分(だいぶぶん)水墨彩画(すいぼくさいが)です。子供(こども)の時分(じぶん)から描(か)きなれた毛筆(もうひつ)と泥絵(どろえ)の具(ぐ)とは、くれぱすよりも水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)よりも使(つか)ひいゝのでした。
 学校(がつこう)の校長(こうちよう)さんは、他(ほか)の生徒(せいと)が皆(みな)くれいよんあるひはくれぱすで描(か)いてゐるなかに、鎮雄君(しづをくん)だけが、ちがつた材料(ざいりよう)で描(か)いてゐることを、教育的(きよういくてき)でないとしていやがりましたが、受(う)け持(も)ちの先生(せんせい)が「もていふと画用品(がようひん)は、生徒(せいと)に自由(じゆう)に選(えら)ばせるのがほんとだ」といつてなつとくさせました。その受(う)け持(も)ちの先生(せんせい)は、若(わか)い人(ひと)ですが、小学校(しようがつこう)の勤(つと)めを心(こゝろ)から楽(たの)しんでゐる非常(ひじよう)なまじめな人(ひと)でした。「自分(じぶん)は生徒(せいと)に仕(つか)へること武士(ぶし)の主君(しゆくん)に仕(つか)へるごとくありたい」また「教室(きようしつ)の設備(せつび)のごときは末(すゑ)の問題(もんだい)である、自分(じぶん)が教師(きようし)として教室(きようしつ)にゐさへすれば、それで生徒(せいと)が安心(あんしん)して勉強(べんきよう)するように、己(おのれ)を修養(しゆうよう)しなければならない」これがその人(ひと)の言葉(ことば)です。
 鎮雄君(しづをくん)は、よい風景(ふうけい)の田舎(ゐなか)に、よい御両親(ごりようしん)と、よい先生(せんせい)に育(そだ)てられてゐるしあはせな子供(こども)でありました。

八、油絵(あぶらえ)かきさんのお話(はなし)

 原(はら)さんは、今日(けふ)も三人(さんにん)の子供(こども)にとりまかれてお講話(こうわ)をやつてゐます。
「版画(はんが)の話(はなし)をしろ、には困(こま)つたな。こいつ案外(あんがい)ごて/\してゐてね。だが君達(きみたち)のように知識欲(ちしきよく)の盛(さか)んなのは結構(けつこう)、外国(がいこく)の小説(しようせつ)を読(よ)むと、十(とを)ぐらゐの子供(こども)がいろ/\なことを知(し)つてゐて、なまいきなことをしやべるのに驚(おどろ)くが、考(かんが)へて見(み)ると上杉謙信(うへすぎけんしん)は十三歳(じゆうさんさい)で三軍(さんぐん)を指揮(しき)してゐるし、森鴎外(もりおうがい)さんは十四歳(じゆうしさい)の時(とき)、新聞(しんぶん)に論説(ろんせつ)を発表(はつぴよう)したといふからねえ。──ぢやあ、このことは簡単(かんたん)にお話(はなし)するとしよう。でも眠(ねむ)くなるかも知(し)れないぜ、眠(ねむ)くなつたら遠慮(えんりよ)なくお眠(ねむ)りなさい。この原(はら)大先生(だいせんせい)も、おねむになつたらかまはずねてしまふから」
「あらひどい、そんな大先生(だいせんせい)つてないわ。眠(ねむ)くなつたら、みんな自分(じぶん)の膝(ひざ)をつねりませうよ、いゝこと」
「おら、股(また)に錐(きり)をぶつさすかなあ」
「僕(ぼく)のお父(とう)さんはね、昔(むかし)ねむたい時(とき)に、金盥(かなだらひ)に水(みづ)を張(は)つて、そこへ時々(とき/゛\)顔(かほ)を突(つ)つ込(こ)んでは勉強(べんきよう)したとさ。そのうちにあんまり眠(ねむ)くなつて、とう/\金盥(かなだらひ)に顔(かほ)を突(つ)つ込(こ)んだまゝ寝(ね)てしまつたんだつて」
「金盥(かなだらひ)のなかで、いびきをぶく/\ぶく/\とかきながらね。──どつこい、お話(はなし)にとりかゝらう。少々(しよう/\)むづかしいが、まづ最初(さいしよ)にこれだけのことは頭(あたま)に入(い)れておいてもらひたいね。版画(はんが)には、『創作版画(そうさくはんが)』と『複製版画(ふくせいはんが)』の二種類(にしゆるい)があつて、創作版画(そうさくはんが)は美術品(びじゆつひん)として扱(あつか)はれ、複製版画(ふくせいはんが)は工業品(こうぎようひん)として扱(あつか)はれる。──これが一(ひと)つ、次(つ)ぎに、版画(はんが)は、絵(え)と、彫(ほ)りと、摺(す)りの三(みつ)つの技術(ぎじゆつ)から成(な)り立(た)つてゐる。──これが一(ひと)つ。それから、版画(はんが)の種類(しゆるい)には、銅版(どうばん)、石版(せきばん)、木版(もくはん)がある、──これが又(また)一(ひと)つ。なほ、版(はん)には、凹版(おうはん)、凸版(とつぱん)、平版(へいはん)の三種類(さんしゆるい)がある。これがも一(ひと)つ。都合(つごう)四(よつ)つのけぢめをしつかり、覚(おぼ)えておき給(たま)へ。そこで木版(もくはん)の話(はなし)となるが、木版(もくはん)は日本(につぽん)のも西洋(せいよう)のも凸版(おうはん)なんだ、鎮雄君(しづをくん)は、でこぼこといふ言葉(ことば)を知(し)つてゐるかね」
「知(し)りやせん」
「さうだらう、江戸(えど)の言葉(ことば)だからな、でこぼことは、出(で)たりへこんだりといふ言葉(ことば)で、漢語(かんご)がすなはち凹凸(おうとつ)さ。だから凹版(おうはん)はへこんだ版(はん)で、凸版(とつぱん)は出(で)た版(はん)さ。銅版(どうはん)は凹版(おうはん)、石版(せきはん)は平版(へいはん)、木版(もくはん)は凸版(とつぱん)、鎮雄君(しづをくん)のやる芋版(いもばん)も凸版(とつぱん)さね。凸版(とつぱん)は板面(ばんめん)のけづり残(のこ)された部分(ぶぶん)へ肉(にく)をつけて、摺(す)られるが、凹版(おうはん)は反対(はんたい)に、けづり取(と)つた部分(ぶぶん)へ肉(にく)を食(く)はしておしつけるようにして刷(す)る。紙幣(おさつ)や郵便切手(ゆうびんきつて)など皆(みな)その凹版(おうはん)を刷(す)つたものです。だから、指(ゆび)でさすつてみ給(たま)へ、肉(にく)が紙(かみ)の上(うへ)へ盛(も)り上(あが)つてゐるから」
「平版(へいはん)はどうするです」
「平版(へいはん)、すなはち石版(せきはん)はね、平(たひら)な石版石(せきばんいし)の上(うへ)へ油墨(あぶらずみ)かくれいよんで絵(え)を描(か)いて、薬品(やくひん)で止(と)めると、絵(え)のところだけ肉(にく)が乗(の)るんさ」
「それなら、謄写版(とうしやばん)も、平版(へいはん)ね」
「まあさうだね、──さて日本木版(につぽんもくはん)と西洋木版(せいようもくはん)だが、これが同(おな)じ木版(もくはん)でもだいぶちがふ。まづ、日本(につぽん)の木版(もくはん)は板目(いため)へ彫(ほ)るが、西洋(せいよう)の木版(もくはん)は木口(こぐち)へ彫(ほ)る。板目(いため)は逆目(さかめ)が立(た)つから彫刻道具(ちようこくどうぐ)は自然(しぜん)細(ほそ)い切(き)り出(だ)しのような小刀(こがたな)か丸鑿(まるのみ)を用(もち)ひる、従(したが)つてあまり細(こまか)いものは彫(ほ)りにくい。ところが、木口(こぐち)は縦横自在(じゆうおうじざい)に刀(とう)がきくから、突(つ)いて彫(ほ)るような刀(とう)でさしつかへなく、それに木口(こぐち)は堅(かた)いから細(こま)かい彫刻(ちようこく)がやれる。それで西洋(せいよう)の木版(もくはん)は、絵(え)の陰日向(かげひなた)がみんな細(こま)かい線(せん)で彫(ほ)り出(だ)してあるね」
「西洋(せいよう)の版画(はんが)はみんな機械刷(きかいず)りだつて、さうですか」
「さうです、日本(につぽん)の木版(もくはん)は板目(いため)を使(つか)ふでせう、だから水絵(みづえ)の具(ぐ)で摺(す)れるが、外国(がいこく)の木版(もくはん)は木口(こぐち)で、しかも堅(かた)い柘植(つげ)の木(き)を使(つか)ふから水分(すいぶん)を吸収(きゆうしゆう)しない、そこで肉刷(にくず)りとなる。肉刷(にくず)りは機械(きかい)で刷(す)れるが水絵(みづえ)の具(ぐ)では機械刷(きかいず)りは困難(こんなん)だ」
「おらあ学校(がつこう)では、版画(はんが)によく謄写版(とうしやばん)の肉(にく)を使(つか)うぜや」
「君達(きみたち)の木版(もくはん)は、やはり水墨(すいぼく)で摺(す)るがいゝね」
「お習字(しゆうじ)の墨(すみ)でいゝですか」
「お習字(しゆうじ)の墨(すみ)は膠(にかは)が多(おほ)すぎて摺(す)りにくいから、やはり版摺(はんす)りの使(つか)ふ墨(すみ)を使(つか)ふことだね。摺(す)る時(とき)にちよい/\糊(のり)をまぜながら使(つか)ふのだがね」
「おら、版画(はんが)は彫(ほ)る時(とき)の方(ほう)が面白(おもしれ)え」
「そりや、たゞ墨摺(すみず)りだからさ。一体(いつたい)日本(につぽん)の木版画(もくはんが)は、摺(す)りに直(ね)うちがあるんだぜ。あの『ばれん』といふやつが大(たい)したものなんだ、世界中(せかいじゆう)のどんな精巧(せいこう)な印刷機械(いんさつきかい)も、あの竹(たけ)の皮(かは)に包(つゝ)んだおせんべいのような道具(どうぐ)にかなはないのだから面白(おもしろ)いよ」
「どうしてゞせう」
「水絵(みづえ)の具(ぐ)のせいもあるが、手(て)で摺(す)るからだね」
「浮世絵(うきよえ)は先生(せんせい)、みんな版画(はんが)ですか」
「いや、浮世絵(うきよえ)の古(ふる)いところは、皆(みな)肉筆(にくひつ)ですよ。版画(はんが)も初(はじ)めは墨摺(すみず)りで、色(いろ)は皆(みな)筆(ふで)でさしたものでね、だん/\色数(いろかず)が多(おほ)くなつて、鈴木春信(すゞきはるのぶ)といふ絵師(えし)が出(で)て、錦絵(にしきえ)といはれるほどに、浮世絵(うきよえ)版画(はんが)を色彩的(しきさいてき)なものにしたといふ話(はなし)です」
「今(いま)でも、浮世絵師(うきよえし)はあるんですか」
「さあ今(いま)、浮世絵師(うきよえし)とはつきり折(を)り紙(がみ)のついた人(ひと)はゐないようだが、鏑木清方(かぶらききよかた)さんとか伊東深水(いとうしんすい)さんとかいふ人達(ひとたち)は浮世絵画家(うきよえがか)といふのだらうね、版画(はんが)で浮世絵(うきよえ)を作(つく)る人(ひと)は全(まつた)くないようだ。──どうです。版画(はんが)の話(はなし)はこゝらで切(き)り上(あ)げようぢやないか」
「えゝ、でも先生(せんせい)、なにか他(ほか)に版画(はんが)に関係(かんけい)した面白(おもしろ)いお話(はなし)はなくつて」
「そりやあ、いろ/\あるさ、だが太郎君(たろうくん)はねむたそうぢやないか。──ぢやあね、『不動様(ふどうさま)の眼玉(めだま)』といふお話(はなし)をして打(う)ち切(き)りにしよう。面白(おもしろ)い話(はなし)ぢやなくてちよつと気味(きみ)の悪(わる)いお話(はなし)ですよ。今(いま)から四十年(しじゆうねん)も昔(むかし)のことだが、審美書院(しんびしよいん)といふ、おもに美術(びじゆつ)の絵本(えほん)を出版(しゆつぱん)してゐる本屋(ほんや)の、版彫(はんほ)りの為事場(しごとば)に、銀(ぎん)さんに、も一人(ひとり)なんといふ名(な)の人(ひと)だつたか忘(わす)れてしまつたが、とにかく、板目彫(いためぼ)りの名人(めいじん)が二人(ふたり)ゐたんだ。ある時(とき)、すてきにやかましい為事(しごと)があつて二人(ふたり)の腕競(うでくら)べになつたんだね、そのやかましい為事(しごと)の一番(いちばん)むづかしいところは、不動様(ふどうさま)の瞳(ひとみ)の小(ちひ)さい線(せん)を彫(ほ)ることで、かれ等(ら)二人(ふたり)はその一点(いつてん)に神魂(しんこん)をこらしたといふものさ、さつきも話(はなし)したように、板目(いため)は逆目立(さかめだ)つから、細(ほそ)い切(き)り出(だ)しのような小刀(こがたな)だといつたでせう。さういふ刃先(はさき)で小(ちひ)さい丸(まる)い線(せん)をすつきりと彫(ほ)り上(あ)げることは容易(ようい)なわざぢやないんだ。──銀(ぎん)さんが朝早(あさはや)く為事場(しごとば)へ来(き)て見(み)ると、もう×さんは為事場(しごとば)へ先(さき)に来(き)て机(つくゑ)にうつむいてゐる。翌朝(よくあさ)、×さんは自分(じぶん)より先(さき)に来(き)て机(つくゑ)に向(むか)つてゐる銀(ぎん)さんを見(み)た。そんな風(ふう)でせり合(あ)ひは日(ひ)に/\深刻(しんこく)になつていつたが、ある朝(あさ)×さんが出勤(しゆつきん)して見(み)ると、為事場(しごとば)の梁(はり)に銀(ぎん)さんがぶらさがつて冷(つめた)くなつてゐる。それから×さんも間(ま)もなく気(き)が狂(くる)つちまつたそうだ。銀(ぎん)さんも×さんも、小(ちひ)さな丸(まる)い線(せん)を彫(ほ)るには、その部分(ぶぶん)へ柘植(つげ)の木口(こぐち)を入(い)れ木(き)して、西洋木版(せいようもくはん)のびゆらんといふ刀(とう)で彫(ほ)れば、楽(らく)にうまくゆくことを知(し)らなかつた筈(はず)はないんだが、二人(ふたり)の腕競(うでくら)べは、子供(こども)の時(とき)から使(つか)ひなじんだ、あの小(ちひ)さな切(き)り出(だ)しの先(さき)で、不動様(ふどうさま)の眼玉(めだま)の円(えん)を見事(みごと)に仕上(しあげ)げて見(み)せることにあつたので、とう/\命(いのち)まで賭(か)けちまつた。──みち子(こ)さんどう思(おも)ひますね、かういふ真剣(しんけん)な職人(しよくにん)気質(かたぎ)を貴(たふと)く思(おも)ふでせう。ほんとに、まつたく貴(たふと)い。だからこの場合(ばあひ)のようなもつたいない使(つか)ひ方(かた)を、僕(ぼく)は惜(を)しく思(おも)ふ」

九、みち子(こ)さんのすけつちぶつく

 みち子(こ)さんはこつち(信州(しんしゆう))へ来(く)る時(とき)、すけつちぶつくを買(か)つて来(き)ましたが、入道雲(にゆうどうぐも)が一枚(いちまい)、豚(ぶた)と鶏(にはとり)が一枚(いちまい)描(か)いてあるだけで、あとは皆(みな)白紙(はくし)です。みち子(こ)さんはそれを苦(く)にして幾度(いくど)も「私(わたし)困(こま)つてしまふわ、すけつちぶつくがちつとも填(うま)らないのですもの」とこぼすのでした。実(じつ)は、お休(やす)みになる前(まへ)の日(ひ)、滝田先生(たきたせんせい)が生徒(せいと)に夏休(なつやす)み中(ちゆう)の絵(え)のことについて、いろ/\な注意(ちゆうい)をなさつた時(とき)、みち子(こ)さんにはかうおつしやつたのです。
「あなたはくろつきいが下手(へた)だから、この夏(なつ)すけつちぶつくをくろつきいで一(いつ)ぱいにしておいでなさい」
と、くろつきいとはやはりすけつちのことで、たゞ普通(ふつう)すけつちといへば、物(もの)に臨(のぞ)んで写生(しやせい)することですが、くろつきいといふ言葉(ことば)は、それを一(いつ)そう手早(てばや)く大(おほ)づかみにやる場合(ばあひ)に使(つか)はれるのです。みち子(こ)さんは、女学校(じよがつこう)へはひつた最初(さいしよ)の週(しゆう)にそのくろつきいをやらされました。滝田先生(たきたせんせい)が、「今日(けふ)はこれからくろつきいをやりますが、くろつきいといふことを知(し)らない方(かた)が多(おほ)いかも知(し)れない、知(し)つてゐる人(ひと)はちよつと手(て)をあげて見(み)て下(くだ)さい」
といはれた時(とき)、手(て)を挙(あ)げた人(ひと)は二人(ふたり)しかありませんでした。みち子(こ)さんも小学校(しようがつこう)では聴(き)いたこともない名(な)でしたから、なんのことだらうと胸(むね)を轟(とゞろ)かして先生(せんせい)の説明(せつめい)を聴(き)きました。
「くろつきいはフランス語(ご)で、美術家(びじゆつか)の間(あひだ)では普通(ふつう)のてくにつく(術語(じゆつご))ですが、そのことは別段(べつだん)珍(めづら)しいことでなく、あなた達(たち)も誰(だれ)だつて二三度(にさんど)はやつたことがあるはずです。つまり、すばやくすけつちをすることで、たゞ変(かは)つてゐるのは、くろつきいの学習(がくしゆう)では、描写(びようしや)の目的(もくてき)を単純(たんじゆん)にし、時間(じかん)を制限(せいげん)することです。例(たと)へば、くろつきいの為事(しごと)では、多(おほ)く姿勢(しせい)をつかまうとします、そして、十分(じつぷん)、十五分(じゆうごふん)といふ短時間(たんじかん)に写生(しやせい)し終(をは)るようなわけですから、普通(ふつう)のすけつちの気構(きがま)へだとめんくらひます。しかしこのくろつきいの勉強(べんきよう)は、眼(め)と手(て)を鍛(きた)へるためには大(おほ)いに必要(ひつよう)で、僕(ぼく)は皆(みな)さんにこれをうんとやらせるつもりです。くろつきいがうまくなると人物(じんぶつ)や動物(どうぶつ)に限(かぎ)らず、山(やま)に対(たい)しても花(はな)に対(たい)しても、そのもちまへの姿勢(しせい)が一目(ひとめ)で頭(あたま)にはひるようになり、簡潔(かんけつ)な線(せん)や濃淡(のうたん)ですつきりとそれを表(あらは)すことが出来(でき)るでせう──東洋画(とうようが)の批評(ひひよう)に、よく気韻(きいん)生動(せいどう)といふことを申(まを)しますが、東洋画(とうようが)のみならず、西洋画(せいようが)にも、いや、それはあらゆる美術(びじゆつ)に大切(たいせつ)なことで、僕(ぼく)は皆(みな)さんの為事(しごと)に対(たい)しても第一(だいいち)にそれを見(み)るでせう。ところで、気韻(きいん)の方(ほう)はとにかく、生動(せいどう)の方(ほう)は、くろつきいの学習(がくしゆう)が大(おほ)いにこれを養(やしな)つてくれるはずです。僕(ぼく)は技術(ぎじゆつ)の素性(すじよう)のよしあしをいつもくろつきいで判断(はんだん)しますが、たいてい間違(まちが)ひません。それは工夫(くふう)する余裕(よゆう)のないとつさの場合(ばあひ)の行為(こうい)に、その人(ひと)の素質(そしつ)が丸出(まるだ)しになるのと同(おな)じようなわけで、眼(め)と手(て)が一気(いつき)に働(はたら)かなければならぬくろつきいは、ごまかしが利(き)かないからであります。
 さて、これから庭(には)へ出(で)てくろつきいをやることにしますが、まづ道具(どうぐ)を周到(しゆうとう)に用意(ようい)して下(くだ)さい。画板(がばん)に画用紙(がようし)をぴんでしつかりと止(と)めて下(くだ)さい、庭(には)での為事(いごと)ですから風(かぜ)が吹(ふ)いて紙(かみ)がへら/\動(うご)くと描(か)きにくいから、ぴんで四隅(よすみ)を止(と)めて下(くだ)さい。それから鉛筆(えんぴつ)だつたらなるべく濃(こ)くかける鉛筆(えんぴつ)をありつたけ削(けづ)つておくのです、といふのは、短時間(たんじかん)の写生(しやせい)ですから、折(を)れたのを途中(とちゆう)で削(けづ)つてゐると、気(き)がせいて気合(きあ)ひが乱(みだ)れるからです。鉛筆(えんぴつ)の他(ほか)、こんてーでも、くれいよんでも、ぺんにいんきでも、墨(すみ)と毛筆(もうひつ)でもよろしい。しかしさういふものは消(け)すことが利(き)かないから、くろつきいには鉛筆(えんぴつ)が一番(いちばん)便利(べんり)です。丸(まる)しんの4B(しびー)位(くらゐ)がちようどいゝですね、で、その用意(ようい)が出来(でき)たら、めい/\椅子(いす)をもつて外(そと)へ出(で)て下(くだ)さい」
 かういつて滝田先生(たきたせんせい)は庭(には)へ生徒(せいと)をつれ出(だ)して、そこでまたいはれました。
「そこでと、今日(けふ)は最初(さいしよ)ですから僕(ぼく)がもでるになりませう。さあ、蛇(へび)でも打(う)つような恰好(かつこう)だが、これがもでるです。皆(みな)さんは、僕(ぼく)から二間(にけん)もはなれたところへ思(おも)ひ/\に位置(いち)をきめて下(くだ)さい、立(た)つて描(か)かうと、腰(こし)かけて描(か)かうと、それは御自由(ごじゆう)、今日(けふ)のくろつきいは僕(ぼく)の姿勢(しせい)をすけつちすることが目的(もくてき)ですから、よく『姿勢(しせい)』を見(み)て下(くだ)さい。あなた達(たち)はいつたい絵(え)を描(か)く時(とき)に、描(か)かうとする物(もの)を頭(あたま)に入(い)れず、もていふにむかつてすぐ筆(ふで)をとつて描(えが)き出(だ)す癖(くせ)があるでせう。あれがいけません、もていふをとつくりと眺(なが)めて、対象(たいしよう)の特色(とくしよく)を十分(じゆうぶん)頭(あたま)に入(い)れてから筆(ふで)をおとりなさい。
 例(たと)へば、今(いま)の場合(ばあひ)、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をそれ/゛\の座位(ざい)からよく御覧(ごらん)なさい、僕(ぼく)といふ人間(にんげん)の姿勢(しせい)がどんな感(かん)じであるかに注意(ちゆうい)して御覧(ごらん)なさい。僕(ぼく)の体(からだ)はずいぶん頑固(がんこ)です、鶴(つる)のようにすつきりとしてはゐないし、象(ぞう)のように丸々(まる/\)ともしてゐない、とにかく、あなた達(たち)の眼(め)の前(まへ)にはつきりと僕(ぼく)の姿勢(しせい)があります。その姿勢(しせい)は、手(て)、足(あし)、胴(どう)、頸(くび)、頭(あたま)のつりあひ、及(およ)び運動(うんどう)から作(つく)られてをり、その全体(ぜんたい)にもまた部分(ぶぶん)にもこの姿勢(しせい)の意気組(いきぐ)みが行(ゆ)きわたつてゐるはずです。──位置(いち)がきまつたらよく見(み)るために一二分間(いちにふんかん)を費(つひや)しなさい、そして形(かたち)がよく頭(あたま)にはひつたところで勇敢(ゆうかん)に筆(ふで)をお運(はこ)びなさい。ところで、も一(ひと)つ注意(ちゆうい)しておきたいことは、画用紙(がようし)の面(めん)へ、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をどういふ風(ふう)にとり入(い)れるかの問題(もんだい)です。これもなかなか重大(じゆうだい)なことなんです、あなた達(たち)の前(まへ)に構(かま)へられたその画用紙(がようし)は、絵(え)を描(か)くに臨(のぞ)んで、もはや単(たん)なる紙(かみ)ではない、それはすなはち形(かたち)を具(そな)へた面(めん)です。それは壁画(へきが)をかく時(とき)の壁(かべ)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)であり、刺繍(ししゆう)する時(とき)の布(ぬの)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)であり、眼(め)鼻(はな)口(くち)を配置(はいち)されてある顔(かほ)の面(めん)と同(おな)じ意義(いぎ)の面(めん)です。そこで、同(おな)じすけつちをするにしても、僕(ぼく)の姿勢(しせい)をその紙(かみ)の面(めん)へ工合(ぐあひ)よくとり入(い)れてもらひたい。もしも手当(てあた)り放題(ほうだい)に描(か)くならば、全身(ぜんしん)を描(か)くつもりではじめながら、腰(こし)のあたりで紙(かみ)の端(はし)になつてしまつたり、または片隅(かたすみ)へちゞこまつて、見苦(みぐる)しい紙(かみ)の空地(あきち)が出来(でき)てしまつたりするでせう。──では始(はじ)めますよ、時間(じかん)は十分間(じつぷんかん)です、いゝですか」
 みち子(こ)さんは、もでるを横向(よこむ)きに見(み)る位置(いち)に椅子(いす)を据(す)ゑて、いはれた通(とほ)りにもでるを眺(なが)め、紙(かみ)の面(めん)をはかり、またもでるを見(み)たりして描(か)きはじめましたが、気(き)がせいて筆(ふで)が空走(からばし)りするので、消(け)したり描(か)いたりして姿勢(しせい)が容易(ようい)につかめませんでした。ちよつと隣(とな)りの人(ひと)のを覗(のぞ)いて見(み)ると、自分(じぶん)のよりはずつと大(おほ)きく描(か)いてゐます、で、はつと迷(まよ)ひかけた時(とき)、もでるの先生(せんせい)が「ちよつと皆(みな)さん、こゝで描(か)く手(て)を休(やす)めて下(くだ)さい」とおつしやつたので、思(おも)はず溜(た)め息(いき)をついたようなわけでした。
「今(いま)ちようど五分(ごふん)たつたところです。こゝでちよつと注意(ちゆうい)しておきますがね、どうももでるをよく見(み)ないで描(か)いてゐる人(ひと)がある、紙(かみ)の上(うへ)へこゞみかゝるようにして、夢中(むちゆう)で描(か)いてゐる、それはいゝが、その描(か)きつゝあるくろつきいがその人(ひと)の眼(め)に見(み)たもでる、すなはち僕(ぼく)の姿勢(しせい)と似(に)てゐるかどうか、とにかくこゝらで筆(ふで)を休(やす)めて、自分(じぶん)の絵(え)と自分(じぶん)の見(み)るもでるとをよく見(み)くらべて御覧(ごらん)なさい。そしてちがつてゐたら、どこが違(ちが)つてゐるかを見出(みいだ)して御覧(ごらん)なさい。しかる後(のち)、そのをかしい部分(ぶぶん)をぐん/\直(なほ)すのです。ごむで消(け)して直(なほ)してもいゝし、かまはず上(うへ)へ、より濃(こ)い線(せん)で描(か)きおこしてもよろしい、そんな直(なほ)しをしてゐる間(あひだ)に時間(じかん)がたつてしまつて、半(なか)ばで終(をは)るかも知(し)れないが、決(けつ)して差(さ)し支(つか)へない。さういふ骨折(ほねを)りは、次(つ)ぎのくろつきいに役立(やくだ)つて来(き)ますからね。ではあと五分間(ごふんかん)、さあ」
 みち子(こ)さんは、もでると自分(じぶん)の絵(え)とを見(み)くらべてびつくりしました。肩(かた)がまるで違(ちが)つてゐるのです、もでるの肩(かた)は、日々(にち/\)の夕刊(ゆふかん)で見(み)る宇治山田(うじやまだ)の米友(よねとも)のようにがつしりしてゐるのに、自分(じぶん)のすけつちした肩(かた)はびーる壜(びん)のようにこけてゐるではありませんか、のみならず、手(て)が脚(あし)よりも長(なが)くなつてゐました。みち子(こ)さんは気(き)まり悪(わる)さに顔(かほ)を赤(あか)くして直(なほ)しにかゝりました。
「おしまひ」
 五分(ごふん)たつと先生(せんせい)はかういつてぽーず(姿勢(しせい))をやめました、すると「あら」とか「あら困(こま)るわ私(わたし)」とか「あらひどいわ」とかいふ声(こゑ)があちこちに起(おこ)りました、多(おほ)くの人(ひと)が描(か)きかけであつたからです。でも皆(みな)ほつとして、絵(え)を見(み)せ合(あ)つたりかくしたりしてはしやぎ出(だ)しました。滝田先生(たきたせんせい)は椅子(いす)をならべさせて、そこへ全部(ぜんぶ)の絵(え)を立(た)てかけて総評(そうひよう)を試(こゝろ)みました。
「やあ、奇抜(きばつ)なのがあるぞ、これはまるで木(き)の根(ね)つこだね。これはまた、豚(ぶた)の胎児(たいじ)だ、をや、これは筋(すぢ)ばつてみいらのようだ……」
 まつたく先生(せんせい)の比喩(ひゆ)通(どほ)りの絵(え)であつたし、それがさつき大(おほ)まじめで写生(しやせい)した結果(けつか)なのですから、それを描(か)いた者(もの)も見(み)る者(もの)も、涙(なみだ)の出(で)るほど笑(わら)ひこけました。
「今日(けふ)は一(ひと)つ/\の批評(ひひよう)はやめます、全体(ぜんたい)についていふと、第一(だいいち)に為事(しごと)の目的(もくてき)をよくのみ込(こ)んでゐないのがいけない。姿勢(しせい)をつかむといふその事(こと)をはつきり頭(あたま)においてゐない結果(けつか)、もでるを眼(め)の前(まへ)においてのすけつちであるのに、僕(ぼく)の姿勢(しせい)がつかめてゐないといふどころではなく、人間(にんげん)だか木(き)の根(ね)つこだかわからぬものが出来(でき)上(あが)つたりしてゐる、まさか、僕(ぼく)の姿(すがた)がさう見(み)えたわけではない、『姿勢(しせい)』を見(み)ずに部分々々(ぶぶん/\)を、おつかなぴつくりで描(か)いたためと思(おも)ひます。まつたく細(こま)かいところに気(き)をとられて、姿勢(しせい)を作(つく)つてゐる大(おほ)きな線(せん)を見出(みいだ)せなかつた人(ひと)が多(おほ)いですね。今日(けふ)のくろつきいは姿勢(しせい)を描(か)くのですから例(たと)へぱ、眼(め)鼻(はな)口(くち)なぞは略(りやく)しちまつても差(さ)し支(つか)へない。ところが、耳(みゝ)のなかのれりーふ(浮(う)き彫(ぼ)り)や、洋服(ようふく)のぼたんや、小(ちひ)さな皺(しわ)などを描(か)いてゐて、かんじんな姿勢(しせい)が一寸法師(いつすんぼうし)になつてゐたりしては、あいた口(くち)がふさがらないといふものです。それから、相当(そうとう)達者(たつしや)にすけつちしてはあるが、眼(め)と手(て)が別々(べつ/\)に働(はたら)くらしい人(ひと)がだいぶある、眼(め)が見(み)て命(めい)ずるものを手(て)が描(か)くのでなく、手(て)が習慣的(しゆうかんてき)に動(うご)いて、無意味(むいみ)に筆(ふで)が走(はし)るのです。例(たと)へば、顔(かほ)の輪廓(りんかく)を、もでるの如何(いかん)にかゝはらず玉子(たまご)なりに描(か)いちまつたり、僕(ぼく)の洋服姿(ようふくすがた)はきつとむく/\した線(せん)が出(で)てゐるはずと思(おも)ふが、それが、きりつと緊(しま)つた、洋服屋(ようふくや)のかたろぐにあるような洋服姿(ようふくすがた)になつてゐたりすることです。人物(じんぶつ)に限(かぎ)らず、すべての物(もの)にそれ/゛\の特徴(とくちよう)がありますその特徴(とくちよう)があるひは線(せん)に、あるひは色彩(しきさい)に、あるひは調子(ちようし)に、あるひは組(く)み立(た)てに、際立(きはだ)つて表(あらは)れてゐるとする、それを眼(め)ざとく見(み)きはめて、簡潔(かんけつ)に表現(ひようげん)するのがくろつきいの精神(せいしん)なのですから、そのことをしつかりと意識(いしき)してほしいです」
 みち子(こ)さんの絵(え)は、滝田先生(たきたせんせい)が終(をは)りに注意(ちゆうい)した「無意味(むいみ)に筆(ふで)が走(はし)る」欠点(けつてん)をもつてゐました。水彩画(すいさいが)にはその欠点(けつてん)がないのに、鉛筆(えんぴつ)のすけつちだと眼(め)と手(て)がはなれ/゛\に働(はたら)くのは、まつたく不思議(ふしぎ)なことでした。
 山崎(やまざき)さんは、それを「絵手本(えてほん)を模写(もしや)した祟(たゝ)りだ」と申(まを)しましたが、さうかも知(し)れません。みち子(こ)さんは『すけつち画帖(がちよう)』といふ本(ほん)をもつてゐて、熱心(ねつしん)にそれをまねたものです。ですから、みち子(こ)さんの鉛筆(えんぴつ)すけつちは、略(りやく)し方(かた)でも、陰日向(かげひなた)のつけ方(かた)でも、線(せん)の筆勢(ふつせい)でも、よくその『すけつち画帖(がちよう)』の絵(え)に似(に)てゐます。滝田先生(たきたせんせい)はその上(うは)つすべりな技巧(ぎこう)をきらつて、かつてみち子(こ)さんにかう注意(ちゆうい)したことがあります。
「あなたは、手(て)で描(か)かずに眼(め)で描(か)く習慣(しゆうかん)をおつくりなさい」
と、──かような次第(しだい)でみち子(こ)さんは、日(ひ)がたつにつれてすけつちぶつくの余白(よはく)が苦(く)になるのでした。ところが一昨日(をととひ)のことです、油絵(あぶらえ)かきさんが遊(あそ)びに来(き)て、みち子(こ)さんの心配(しんぱい)をまじめに聴(き)いてくれ、そしてかう教(をし)へました。
「ぢやあね、みち子(こ)さん、かうし給(たま)へ、孝子(こうこ)さんのように、藁半紙(わらばんし)へ墨(すみ)と毛筆(もうひつ)ですけつちして見給(みたま)へ」
「藁半紙(わらばんし)へ、でも滝田先生(たきたせんせい)がすけつちぶつくへ一(いつ)ぱい描(か)いて来(こ)いとおつしやつたのよ」
「だつて、すけつちぶつくへ何(なに)を描(か)けといふのですか、くろつきいぢやないのですか。すれば、どんな紙(かみ)へくろつきいしてもよいわけですよ、またくろつきいが鉛筆(えんぴつ)に限(かぎ)つたことはない」
「えゝ、それは先生(せんせい)もおつしやいました」
「さうでせう、だから、こゝでみち子(こ)さんに今(いま)まで使(つか)ひつけない材料(ざいりよう)で、同(おな)じくくろつきいをやらして見(み)ようといふんです。まあ心配(しんぱい)しずに僕(ぼく)のいふ通(とほ)りにして御覧(ごらん)なさい。僕(ぼく)が竹(たけ)の矢立(やた)てをかすから、あれをもち、藁半紙(わらばんし)を十枚(じゆうまい)ばかりも画板(がばん)へぴんで止(と)めて持(も)つて出給(でたま)へ」
「私(わたし)毛筆(もうひつ)のすけつちなんて、したことがないからなんだか恐(おそ)ろしいわ、どんな風(ふう)に描(か)くんでせう」
「描(か)き方(かた)なぞあらかじめ考(かんが)へずに、物(もの)にぶつかつてぐん/\描(か)き給(たま)へ」
「鉛筆(えんぴつ)で下図(したず)をつけるのですか」
「さあ、さうでもよいし、ぶつつけでもいゝ。さうだ、ぜひ共(とも)ぶつつけにおやりなさい。
毛筆(もうひつ)は一本(いつぽん)の筆(ふで)で毛(け)のように細(ほそ)い線(せん)も出(だ)せるし、棒(ぼう)のように太(ふと)い線(せん)も出(だ)せるから、それをうまく使(つか)ふのですね。今(いま)までの鉛筆(えんぴつ)すけつちの呼吸(こきゆう)なんか考(かんが)へずに、毛筆(もうひつ)と墨(すみ)を使(つか)ひいゝように使(つか)つて見給(みたま)へ」
 ちようどその晩(ばん)、温泉宿(おんせんやど)の方(ほう)で盆踊(ぼんをど)りの催(もよほ)しがありました。てにすこーとのある広揚(ひろば)のまんなかへ長(なが)い落葉松(からまつ)の柱(はしら)を立(た)てゝ、そのてつぺんから八方(はつぽう)へ綱(つな)を引(ひ)いてあたりの立(た)ち木(き)に結(むす)びつけ、その綱(つな)に万国旗(ばんこくき)やもーるを飾(かざ)りつけてありました。日(ひ)が暮(く)れると、沓掛(くつかけ)の町(まち)から踊(をど)り自慢(じまん)や唄(うた)ひ自慢(じまん)の若(わか)い衆(しゆう)がやつて来(く)る、大太鼓(おほだいこ)が運(はこ)ばれる、篝火(かゞりび)が焚(た)かれる、宿(やど)のお客(きやく)や別荘(べつそう)の人達(ひとたち)が三々五々(さん/\ごゞ)浴衣(ゆかた)がけでやつて来(く)る、踊(をど)り場(ば)をとりまく蓆(むしろ)の見物席(けんぶつせき)にびーるやお煮(に)しめが運(はこ)ばれる、谷向(たにむか)うの落葉松山(からまつやま)からまん丸(まる)いお月様(つきさま)が出(で)て来(く)る、そして早(はや)くも頬(ほゝ)かむり尻(しり)つぱしよりの一列(いちれつ)の大(おほ)きな輪(わ)がつくられる。その最初(さいしよ)の輪(わ)に参加(さんか)した連中(れんじゆう)は、たいていこの辺(へん)の盆踊(ぼんをど)りを心得(こゝろえ)た人々(ひと/゛\)と見(み)えて、音頭取(おんどうと)りが、
  天龍(てんりゆう)くだあればあしぶうきにい
        濡(ぬ)れえるう…………
と唄(うた)ひ出(だ)すと、一斉(いつせい)に両手(りようて)を前後(ぜんご)にさばいて、脚(あし)どりおもしろく踊(をど)り出(だ)すのでした。みち子(こ)さんは、うち中(じゆう)で蓆(むしろ)の席(せき)からそれを見物(けんぶつ)しました。むろん千(せん)が滝(たき)から油絵(あぶらえ)かきさんも見(み)に来(き)て、輪(わ)が四五度(しごど)も廻(まは)つた時分(じぶん)、尻(しり)つぱしよりになつて踊(をど)りの渦(うづ)へ飛(と)び込(こ)んでゆきました。
  天龍(てんりゆう)くだればしぶきに濡(ぬ)れる
        袷(あはせ)やりたや足袋(たび)そへて
  木曾(きそ)へ木曾(きそ)へと搗(つ)き出(だ)す米(こめ)は
        伊那(いな)や高遠(たかと)のあまり米(ごめ)
  笠(かさ)を手(て)にとり皆(みな)さまさらば
        長(なが)いお世話(せわ)になりました
 数(かず)ある伊那節(いなぶし)の踊(をど)りが終(をは)ると、「木曾(きそ)のなあ、なかのりさん」といふ木曾節(きそぶし)がはじまり、その踊(をど)りがすむと安来節(やすきぶし)、大漁節(たいりようぶし)、佐渡(さど)おけさ、といふ風(ふう)に各地(かくち)の俗謡(ぞくよう)がくりかへされて、踊(をど)りの輪(わ)はかれこれ三時間(さんじかん)も続(つゞ)きました。
 みち子(こ)さんはこの晩(ばん)、真剣(しんけん)に毛筆(もうひつ)のくろつきいをやりました、踊(をど)つてゐる有(あ)り様(さま)や立(た)つたり、坐(すわ)つたり、腰(こし)かけたりして踊(をど)りを見(み)てゐる、さま/゛\なぐるーぷ(群(む)れ)やぽーず(姿勢(しせい))を、熱心(ねつしん)に写生(しやせい)しました。月光(げつこう)や篝火(かゞりび)で、明暗(めいあん)の二調子(ふたちようし)に浮(う)き出(だ)した偶然(ぐうぜん)のもでるは毛筆(もうひつ)に捉(とら)へよかつたし、暗(くら)い部分(ぶぶん)を墨(すみ)で大胆(だいたん)に描(か)きつぶすのが愉快(ゆかい)でした。材料(ざいりよう)が変(かは)つたため、これまでの鉛筆画(えんぴつが)の技巧(ぎこう)が役立(やくだ)たなくなつたと見(み)えて、自然(しぜん)と新味(しんみ)なでつさん(素描(そびよう))が出来上(できあが)りました。もつともみち子(こ)さんにはそれが、従来(じゆうらい)の鉛筆(えんぴつ)のでつさん(素描(そびよう))よりもはつきりとよいものであるかどうかはわかりませんでしたが、とにかくそれを描(か)いた時(とき)、もつと/\描(か)きたくて、紙(かみ)が足(た)りなかつた程(ほど)に油(あぶら)が乗(の)つた、その緊張(きんちよう)した気持(きも)ちを思(おも)ひ出(だ)して嬉(うれ)しくなりました。それに翌日(よくじつ)、原(はら)さんに見(み)せると、原(はら)さんは、
「これは大漁(たいりよう)だ、しめ/\、皆(みな)活(い)きてゐる」
といつて賞(ほ)めましたから、みち子(こ)さんはすけつちぶつくに対(たい)して、すつかり気楽(きらく)になりました。

一〇、雨(あめ)ふりの二日間(ふつかかん)

「お母(かあ)さん、今日(けふ)の天気予報(てんきよほう)はね、『北寄(きたよ)りの風(かぜ)、雨(あめ)は降(ふ)つたりやんだり』と出(で)てゐますよ」
「まつたくその通(とほ)りのお天気(てんき)ですね、別所(べつしよ)行(ゆ)きはおやめだね」
「つまらないなあ、あしたお天気(てんき)になつたら行(ゆ)くの。お母(かあ)さん」
「別所(べつしよ)行(ゆ)きは、いつそお父様(とうさま)がおいでになつた時(とき)にしませうかね、みいちやんも風(かぜ)つぴきのようだし、このお天気(てんき)は二三日(にさんにち)なほらないでせうよ」
「いやだあ、お母(かあ)さん、僕(ぼく)つまらないや」
「かういふ時(とき)に太郎(たろう)さん、原(はら)さんにぎによーるを作(つく)ることを教(をし)へて戴(いたゞ)けばいゝでせう」
「さうだ、ぎによーるをこしらへよう。さうしてお父(とう)さんがいらしつたらぎによーるのお芝居(しばゐ)をしませうか」
「それがいゝ/\、皆(みな)さんでお父様(とうさま)の歓迎会(かんげいかい)をおしなさい」
「お母(かあ)さん、私(わたし)も計画(けいかく)があつてよ」
「さう、あなたの計画(けいかく)は何(なに)」
「私(わたし)のはね、四人(よにん)展覧会(てんらんかい)といふの、うちの三人(さんにん)に沓掛(くつかけ)の鎮雄(しづを)さんを入(い)れて四人(よにん)の美術展覧会(びじゆつてんらんかい)をするの、いけない」
「結構(けつこう)ですね、でもこのお部屋(へや)にならばるかしら」
「お母(かあ)さん、お父(とう)さんは幾日(いくにち)ぐらゐいらつしやるの」
「せい/゛\三日(みつか)でせうね」
「ぢや三日(みつか)にわけて陳列(ちんれつ)するわ」
「おほゝ、帝展(ていてん)と同(おな)じねえ」
「だつてお母(かあ)さん、四人(よにん)の絵(え)を集(あつ)めると三百枚(さんびやくまい)ぐらゐもあるわよ」
 前日来(ぜんじつらい)しけ気味(ぎみ)で、みち子(こ)さんはとう/\風(かぜ)をひき、検温(けんおん)して見(み)ると、三十七度(さんじゆうしちど)五分(ごぶ)ありました。それで蒲団(ふとん)のなかで本(ほん)を読(よ)んでゐたのでしたが、太郎君(たろうくん)がぎによーるを教(をそ)はりに原(はら)さんのところへ出(で)かけるといふので、一(いつ)しよに行(ゆ)かうとしてお母(かあ)さんに叱(しか)られました。で、太郎君(たろうくん)は女中(じよちゆう)の徳(とく)やに送(おく)られて千(せん)が滝(たき)へ参(まゐ)りました。原(はら)さんは机(つくゑ)のまはりに書類(しよるい)を散(ち)らかしてなにかせつせと書(か)き物(もの)をしてゐましたが、太郎君(たろうくん)の声(こゑ)を聴(き)くと、例(れい)の調子(ちようし)で机(つくゑ)に向(むか)つたまゝ声(こゑ)をかけました。
「太郎兵衛(たろべえ)さんやつて来(き)たな。いまゆくからねえ、そちらでおばあさんとお話(はなし)しておいで。や、ねえやと来(き)たね」
 茶(ちや)の間(ま)でおばあさんに、瓦(かはら)せんべいを御馳走(ごちそう)になつてゐると、間(ま)もなく原(はら)さんが出(で)て来(き)ました。
「姉(ねえ)さんはどうしたね」
「風(かぜ)をひいたんです、寝(ね)てゐます」
「熱(ねつ)があるの」
「五分(ごぶ)あるんですつて、でも僕(ぼく)と一(いつ)しよにぎによーるを教(をそ)はりに来(こ)ようとして、お母(かあ)さんに叱(しか)られちやつたのです」
「なに、ぎによーるを教(をそ)はりに来(き)たのかい、のんきだなあ」
「いけないの、僕(ぼく)ね、お父(とう)さんが来(き)たらぎによーるのお芝居(しばゐ)をしようと思(おも)つたのです。出来(でき)ますか」
「そりや出来(でき)るさ、だが姉(ねえ)さんの脚本(きやくほん)は出来(でき)たのかい」
「まだ出来(でき)ないの。お母(かあ)さんがね、原(はら)さんに作(つく)つてもらふといゝつて」
「原(はら)さんに作(つく)つてもらふといゝつて、のんきだなあ、僕(ぼく)は今(いま)大変(たいへん)なんだぜ」
「どうしたの」
「いや、どうもしたんぢやないがね、雑誌(ざつし)の原稿(げんこう)に追(お)はれてゐるのさ、──君(きみ)のお父(とう)さんはいつ来(く)るんだい」
「来週(らいしゆう)くるんですつて」
「そりや困(こま)つたね、こおつと、ぢやまりおねつとの脚本(きやくほん)からでもなにかさがして見(み)ようかな」
 原(はら)さんは奥(おく)へいつてまりおねつと(人形芝居(にんぎようしばゐ))の脚本(きやくほん)をもつて来(き)て、しきりに眼(め)を通(とほ)してゐましたが、やがてうなづいて、
「ぢや、これでもやるとして、まあ人形(にんぎよう)を作(つく)つて見(み)よう。『マルセルの悪戯(いたづら)』といふお芝居(しばゐ)だがね、人形(にんぎよう)が五(いつ)ついるね、犬(いぬ)が出(で)て来(く)るので困(こま)るが、やつぱり犬(いぬ)も作(つく)るんだな」
「マルセルつてなに」
「人(ひと)の名(な)だよ、マルセルつていふ少年(しようねん)が主人公(しゆじんこう)で、他(ほか)に役者(やくしや)が四人(よにん)出(で)るんだ、マルセルのお母(かあ)さんに、マルセルの妹(いもうと)のマルセリヌに、お友達(ともだち)のピエロ、それからトロアパツトといふ犬(いぬ)なんだ、──うまく人形(にんぎよう)が作(つく)れるかな」
「作(つく)れます、先生(せんせい)。鎮雄君(しづをくん)とちやんと約束(やくそく)してあるんです。鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんはね先生(せんせい)、人形(にんぎよう)を彫(ほ)るんですつて、人形(にんぎよう)を彫(ほ)る鑿(のみ)が三(みつ)つも四(よつ)つもあるんですつて、鎮雄君(しづをくん)は黒(くろ)ん坊(ぼう)のぎによーるを持(も)つてゐますよ」
「さうかね、そいつはうまいや。ぢや僕(ぼく)が今夜(こんや)これを翻訳(ほんやく)しておくからね、明日(あす)、君(きみ)のうちで鎮雄君(しづをくん)もよんで人形(にんぎよう)をこしらへることにしよう」
「えゝ、いゝなあ、ぢや僕(ぼく)、これから鎮雄君(しづをくん)のうちへいつて来(き)ませうか」
「それがいゝ、そして明日(あした)鑿(のみ)と鋸(のこぎり)を持(も)つて来(き)てもらふといゝね」
 太郎君(たろうくん)は、一(いつ)たんわらび野(の)へかへり、おひるをたべてから、又(また)徳(とく)やと一(いつ)しよに鎮雄君(しづをくん)のところへ出(で)かけましたが、途中(とちゆう)碓氷川(うすひがは)の河原(かはら)に鎮雄君(しづをくん)を見(み)かけました。四五人(しごにん)の子供(こども)と、大(おほ)きなかしぐるみの木(き)の下(した)で、小石(こいし)を投(な)げては落(おと)した胡桃(くるみ)を、河原(かはら)の岩(いは)の上(うへ)で割(わ)つてゐるところでした。鎮雄君(しづをくん)は太郎君(たろうくん)からぎによーるのことを聞(き)くとずいぶんよろこびました。
 翌日(よくじつ)もやはり降(ふ)つたりやんだりで、空(そら)は前日(ぜんじつ)よりも暗(くら)く、気温(きおん)は急(きゆう)に下(さが)つて皮膚(ひふ)が鳥肌(とりはだ)になりました。朝御飯(あさごはん)がすみ、日課(につか)のおさらひも終(をは)つた八時頃(はちじごろ)、鎮雄君(しづをくん)が鑿(のみ)や泥絵(どろえ)の具(ぐ)や黒(くろ)ん坊(ぼう)のぎによーるを持(も)つてやつて来(く)ると間(ま)もなく、油絵(あぶらえ)かきの原(はら)さんが、三尺(さんじやく)ばかりの細(ほそ)い丸太(まるた)を二本(にほん)、鉄砲(てつぽう)かつぎに担(かつ)いでやつて来(き)ました。原(はら)さんの顔(かほ)を見(み)ると太郎君(たろうくん)はいきなり脚本(きやくほん)のことをたづねる、原(はら)さんは原稿(げんこう)の綴(と)じたのを出(だせ)して振(ふ)つて見(み)せました。
 やがて一通(ひととほ)り挨拶(あいさつ)がすむと、うち中(じゆう)原(はら)さんを囲(かこ)んで脚本(きやくほん)を読(よ)んでもらひました。
「これは『マルセルの悪戯(いたづら)』といふ脚本(きやくほん)ですが、ぎによーる劇(げき)の脚本(きやくほん)ではなく、あやつり人形(にんぎよう)の脚本(きやくほん)です。登場人物(とうじようじんぶつ)は、
  マルセルといふ少年(しようねん)
  トロアパツトといふ犬(いぬ)
  ピエロといふ少年(しようねん)
  マルセリヌといふ少女(しようじよ)
  マルセルとマルセリヌの母親(はゝおや)
の五人(ごにん)で、一幕(ひとまく)二場(にじよう)になつてゐます。まづ第一場(だいいちじよう)──
    (往来(おうらい)あるひは広場(ひろば)の一隅(いちぐう)にて小犬(こいぬ)一匹(いつぴき)ゐる、マルセル、ぶら/\と遊(あそ)びながら登場(とうじよう))
マルセル──やあ、トロアパツトがゐる。来(こ)い/\、こんなところでなにをしてるの。つうつう、来(こ)い/\。
    (小犬(こいぬ)動(うご)かずにゐる、マルセル近(ちか)づいて犬(いぬ)の尻尾(しつぽ)を引(ひつぱる))
犬──わん、わん、わん
マルセル──やうやくものをいつたね、お友達(ともだち)が来(き)たからぼんじゆーる(今日(こんにち)は)といつてゐるのだらう。(なほ犬(いぬ)の尻尾(しつぽ)を引(ひ)つぱりつゞける)
犬──わん、わん、わん。
マルセル──僕(ぼく)を噛(か)むんだね、よし、食(く)ひつけるなら食(く)ひついて見(み)ろ。
    (犬(いぬ)は飛(と)びついて少年(しようねん)の手(て)を噛(か)む)
マルセル──をや/\大変(たいへん)だ、誰(だれ)か来(き)て下(くだ)さい……狂犬(きようけん)が出(で)た……
    (ピエロ、駈(か)け出(だ)して来(く)る)
ピエロ──なんだ、僕(ぼく)の犬(いぬ)が狂犬(きようけん)になつたつて。あんなおとなしい犬(いぬ)が、気(き)ちがひになつたつて。
マルセル──ほんとうだよ、こんなに僕(ぼく)の手(て)に食(く)ひついた。
ピエロ──どれ、見(み)せてごらん。
マルセル──〔手(て)を出(だ)しながら)こゝだよ、こんなに歯(は)の形(かたち)がついてるだらう。
ピエロ──これつぽつちなら大丈夫(だいじゆうぶ)だい、そして君(きみ)が犬(いぬ)をどうかしたのだらう。
マルセル──いゝや、僕(ぼく)は別(べつ)に大(たい)したことはしないよ。
ピエロ──大(たい)したことをしないつてのは、なにかしたことだらう。
マルセル──あの、ちよつとじようだんをしたゞけさ、……どうするだらうと思(おも)つて尻尾(しつぽ)をちよつと引(ひ)つぱつただけさ。
ピエロ──あゝ、きつとさうだらうと思(おも)つた。よし、そいぢや、君(きみ)ならどうするかちよつと耳(みゝ)を引(ひ)つぱつてやらう。(マルセルの耳(みゝ)を引(ひ)つぱる)
マルセル──おこつちやいけないよ、ねえ君(きみ)、僕(ぼく)は君(きみ)と一(いつ)しよに遊(あそ)ばうと思(おも)つて出(で)て来(き)たんだよ。
ピエロ──いやだよ、今日(けふ)君(きみ)と遊(あそ)ばないよ、そんないたづらつ子(こ)はいやだよ。
マルセル──そいぢや、つまらないから僕(ぼく)は帰(かへ)る。
ビエロ──かつてに帰(かへ)るさ。
 これが第一場(だいいちじよう)の終(をは)りで、第二場(だいにじよう)は、
    (室内(しつない)、椅子(いす)、机(つくゑ)など適宜(てきぎ)にあるべし。マルセリヌ机(つくゑ)に寄(よ)りかゝつて熱心(ねつしん)に絵本(えほん)を見(み)てゐる。ところヘマルセルそつと入(い)り来(きた)る)
マルセル──一(ひと)つ悪戯(いたづら)をしてやらうか。
    (しのび足(あし)に近(ちか)づいて、マルセリヌの髪(かみ)をちよつと引(ひ)つぱつて戸(と)のかげに隠(かく)れる)
マルセリヌ──(振(ふ)りかヘりながら)私(わたし)の髪(かみ)の毛(け)を引(ひ)つぱるのは誰(だれ)。をや、誰(だれ)もゐないようだ、なんか私(わたし)の気(き)のせいかしら。
    (マルセル再(ふたゝ)び出(で)て毛(け)を引(ひ)く)
マルセリヌ──まあうるさいこと、誰(だれ)がそんな悪戯(いたづら)をするの。(立(た)ちあがつて方々(ほう/゛\)を見廻(みまは)す)一体(いつたい)、どうしたといふんだらう。誰(だれ)も見(み)えないようだが、髪(かみ)の毛(け)が胸掛(むなが)けのぼたんにでも巻(ま)きついてゐるのかしら。
    (また机(つくゑ)の前(まへ)に戻(もど)つて絵本(えほん)に見入(みい)る。と、マルセル現(あらは)れて、今度(こんど)は強(つよ)く力一(ちからいつ)ぱいに引(ひ)いたので、マルセリヌ椅子(いす)もろともに倒(たふ)れる)
マルセリヌ──お母(かあ)さん、お母(かあ)さん。
母──(馳(は)せつけた出会(であ)ひがしらに隠(かく)れんとするマルセルを見(み)つけて、手(て)を引(ひ)つぱつてくる)なんといふことをする人(ひと)ですか、お前(まへ)は。この悪戯小僧(いたづらこぞう)は。
マルセル──(泣(な)きながら)わざとしたんぢやありません、/\/\。
マルセリヌ──私(わたし)の髪(かみ)の毛(け)をむやみに引(ひ)つぱるものだから、椅子(いす)ごと倒(たふ)れちやつたの。
マルセル──(泣(な)きながら)ひい/\/\、ちよつといたづらをして見(み)たゞけなのです。
母──さうした悪戯(いたづら)をして遊(あそ)ぶものではありません。もし妹(いもうと)の足(あし)か腕(うで)を折(を)つたらどうするつもりです、あぶないぢやありませんか。罰(ばつ)にそこへ立(た)つていらつしやい。
    (母親(はゝおや)は少年(しようねん)をつれて片隅(かたすみ)へ立(た)たす)
母──さあ、マルセリヌいらつしやい、お買(か)ひ物(もの)に一(いつ)しよにつれていつてあげませう。悪戯者(いたづらもの)にはひとりでお留守番(るすばん)さしておきませう。
マルセリヌ──ねえお母(かあ)さん、私(わたし)はそんなに痛(いた)くはなかつたの。兄(にい)さんもこれからあんな悪戯(いたづら)はしないでせうから、今日(けふ)は許(ゆる)してあげて下(くだ)さい。
母──まあ可愛(かわい)いこと、お前(まへ)はほんとうに親切(しんせつ)で思(おも)ひやりのある子(こ)ですよ。けれどもあの悪戯(いたづら)ものは見(み)せしめの為(ため)に少(すこ)し罰(ばつ)をせぬといけません。
マルセル──僕(ぼく)は意地悪(いじわる)でしたのではなかつたのです。ほんとうにちよつとした悪戯(いたづら)なのです。
母(はゝ)──お前(まへ)はさういひますが、他(ほか)の人(ひと)をいやがらして自分(じぶん)が面白(おもしろ)がるのは意地悪(いじわる)と同(おな)じことです。もしお前(まへ)のお友達(ともだち)から悪戯(いたづら)をされゝばいやでせうが。だから自分(じぶん)でいやなことを他(ほか)の人(ひと)にしてはいけませんよ。
 これで幕(まく)になつてゐます」
「なんだか、あつけないわね」
「読(よ)んではあつけないけれど、舞台(ぶたい)にかけると相当(そうとう)面白(おもしろ)いでせうよ。例(たと)へばね、脚本(きやくほん)には『マルセルぶら/\と遊(あそ)びながら登場(とうじよう)』と書(か)いてあるが、そのぶら/\出(で)て来(く)るところなんかをうまくやるんだね」
「トロアパツトの尻尾(しつぽ)を引(ひ)つぱるところも面白(おもしろ)いね、尻尾(しつぽ)をなんでこしらへるの先生(せんせい)」
「竹(たけ)の枝(えだ)で作(つく)るといゝよ」
「広場(ひろば)のかきわりを作(つく)らなければならないわね」
「椅子(いす)やてーぶるもこしれえるですか、先生(せんせい)」
「こしらへるんだね、小(ちひ)さい舞台(ぶたい)だから有(あ)り合(あは)せの椅子(いす)てーぶるは使(つか)へないからね」
「原(はら)さん、ぎによーるつて人形(にんぎよう)の名(な)ですの」
「さうです、人形(にんぎよう)の名(な)ですが、脚本(きやくほん)によつてさま/゛\なぎによーるが出(で)て来(く)るのです。ある時(とき)は頑固(がんこ)な陸軍(りくぐん)少佐(しようさ)であつたり、ある時(とき)はちと低能(ていのう)な音楽家(おんがくか)であつたり、ある時(とき)は智慧(ちえ)のある狡猾(こうかつ)な番頭(ばんとう)であつたり、ある時(とき)ははしつこい少年(しようねん)であつたりするのだそうです。まづ能狂言(のうきようげん)の太郎冠者(たろうかじや)といつたあんばいですな。ぎによーるといふのは、一体(いつたい)かういふ芝居(しばゐ)を発案(はつあん)したフランス人(じん)の名(な)で、つまりその人(ひと)の名(な)が、いつも主役(しゆやく)の名(な)になつてゐるのですね。ギニヨールといふ人(ひと)はリオン市(し)の人(ひと)で、あの傀儡劇(かいらいげき)を用(もち)ひてフランスの少年(しようねん)を教化(きようか)しようとしたのだそうです。教化(きようか)といつても勧善懲悪(かんぜんちようあく)ではなく、フランスの小国民(しようこくみん)にういつと(機智(きち))を養成(ようせい)しようとしたのですなあ。世(よ)の中(なか)へ立(た)つと、ういつとといふものはずいぶん必要(ひつよう)ですからねえ、──眼(め)のつけどころがいかにもフランス人(じん)ですよ」
「ほんとですわ、これからの世(よ)の中(なか)は、協議会(きようぎかい)とか、演説会(えんぜつかい)とかいふものがずいぶん大切(たいせつ)なことになるようですから、ういつとがます/\必要(ひつよう)になりますわ」
「さうですよ、……奥(おく)さんは鶴見祐輔(つるみゆうすけ)さんの『北米(ほくべい)遊記(ゆうき)』といふ本(ほん)をお読(よ)みでしたか」
「いゝえ、まだ拝見(はいけん)しません」
「あの本(ほん)にね。鶴見(つるみ)さんの愉快(ゆかい)な演説(えんぜつ)の話(はなし)があるのです。『北米(ほくべい)遊記(ゆうき)』は鶴見(つるみ)さんが米国中(べいこくじゆう)を演説(えんぜつ)して歩(ある)いたことの記録(きろく)なのですが、その演説(えんぜつ)といふのが、おもに例(れい)のカリホルニヤの移民法(いみんほう)の攻撃(こうげき)なのです。御存(ごぞん)じのように、あの移民法(いみんほう)つてやつは、日本国民(につぽんこくみん)を馬鹿(ばか)にしたもので、それは日米戦争(にちべいせんそう)もおこりかねない性質(せいしつ)のものですが、大多数(だいたすう)の日本国民(につぽんこくみん)にはまだその侮辱(ぶじよく)がはつきり意識(いしき)されてゐない。そこで、鶴見(つるみ)さんは、米国人(べいこくじん)に向(むか)つて、『日本人(につぽんじん)は君達(きみたち)の失礼(しつれい)がどういふものかを、まだよく知(し)らないでゐる。だが、それを知(し)つた時(とき)は、たゞぢやすみませんぞ』といふ意味(いみ)の演説(えんぜつ)をやつたのです。ところが、長々(なが/\)しい演説(えんぜつ)よりも、演説(えんぜつ)のなかにはさんだ、ちよつとした笑(わら)ひ話(ばなし)の方(ほう)が有名(ゆうめい)になつたのでした。その笑(わら)ひ話(ばなし)といふのはかうです。
 数年前(すうねんまへ)、日本(につぽん)のある田舎(ゐなか)で、二人(ふたり)の青年(せいねん)が裁判所(さいばんしよ)へ出(で)ました。一人(ひとり)が訴(うつた)へていふには、あの男(をとこ)が、昨日(きのふ)私(わたし)の頭(あたま)をなぐりました。そこで裁判官(さいばんかん)が、なぜなぐつたかと、もう一人(ひとり)の青年(せいねん)にたづねました。するとその青年(せいねん)が、だつてあいつは、五年前(ごねんまへ)僕(ぼく)のことを、河馬(かば)に似(に)てゐるといつたからです、と答(こた)へました。裁判官(さいばんかん)が驚(おどろ)いて、五年前(ごねんまへ)に河馬(かば)といはれて、なぜ昨日(きのふ)なぐつたのかときゝました。するとその青年(せいねん)は、慨然(がいぜん)として、そりやあ、あいつが僕(ぼく)のことを河馬(かば)といつたのは、五年前(ごねんまへ)にちがひありませんが、しかし、僕(ぼく)が河馬(かば)を見(み)たのは、昨日(きのふ)動物園(どうぶつえん)へいつて初(はじ)めてなのですといひました」
「おほほゝゝゝゝ」
「あつはつはつはつ、あつはつはつはつ」
 孝子(こうこ)さん以外(いがい)の誰(だれ)しも、このお話(はなし)のをかしみがわかつて笑(わら)ひ出(だ)しました。「どうです奥(おく)さん、うまいもんぢやありませんか。鶴見(つるみ)さんがういつとをもたない人(ひと)だつたら、かういふ気(き)のきいた比喩(ひゆ)は出来(でき)なかつたでせう。しかもかうした穿(うが)つた短話(たんわ)こそ、いつまでも人(ひと)の頭(あたま)にのこるものなのです」
「まつたくねえ、かういふお話(はなし)をうかゞうと、ぎによーるも馬鹿(ばか)に出来(でき)なくなりますわね」
「さうですよ、ぎによーるはこの頃(ごろ)は、銀座(ぎんざ)の夜店(よみせ)にまで売(う)つてをりますが、たゞ指(ゆび)をさし込(こ)んで、無意味(むいみ)にやあとこせ見(み)たいな踊(をど)りをさせるだけで少(すこ)しも人形(にんぎよう)がいかされない、やはり脚本(きやくほん)を作(つく)つて舞台(ぶたい)を仕組(しく)まなけりや駄目(だめ)です。フランスでは、市中(しちゆう)の公園(こうえん)に小(ちひ)さなぎによーるの舞台(ぶたい)が出来(でき)てゐて、公園(こうえん)に遊(あそ)んでゐる子供達(こどもたち)に、毎日(まいにち)幾回(いくかい)も、三十分(さんじつぷん)ぐらゐづゝのお芝居(しばゐ)を見(み)せてくれるそうですよ」
「それはいゝ思(おも)ひつきですね」
「なんでも、リユクサンブール公園(こうえん)といふ、神田(かんだ)のまんなかにあるような公園(こうえん)では、プラタナスの林(はやし)のなかにそれがあつて、芝居(しばゐ)の始(はじ)まる知(し)らせに、とん/\/\/\と太鼓(たいこ)を鳴(なら)すそうです。すると、あちこちから、子供(こども)や保姆(ほぼ)が集(あつま)つて来(き)て、十(じつ)すう(日本(につぽん)の一銭(いつせん)に当(あた)りますかな)を払(はら)つて見物(けんぶつ)するのだそうです。もつとも十(じつ)すう払(はら)ふと椅子(いす)に腰(こし)かけて見(み)られるので、お金(かね)を払(はら)はない子供(こども)も、一本(いつぽん)の縄(なは)でしきつた見物席(けんぶつせき)の外(そと)に立(た)つて、かつてに見物(けんぶつ)することが出来(でき)るのだそうですよ」
「先生(せんせい)、早(はや)く人形(にんぎよう)をこしらへませうよ」
「さうだ/\、ぢや、まづ為事(しごと)の役割(やくわ)りをきめようかね。第一場(だいいちじよう)のかきわりは、みち子(こ)さんが受(う)け合(あ)つて下(くだ)さい」
「うれしい、私(わたし)腕(うで)をふるつて見(み)るわ。布(きれ)を使(つか)ふの、それともぼーる。大(おほ)きさはどのくらゐですか」
「いや、さういふ細目(さいもく)はあとできめて、めい/\に書(か)いて渡(わた)さう」
「先生(せんせい)、僕(ぼく)は」
「太郎君(たろうくん)は、鎮雄君(しづをくん)と人形(にんぎよう)や椅子(いす)、てーぶるをこしらへてくれ給(たま)へ。それからお母(かあ)さんにひとつ、ぎによーるの着物(きもの)を作(つく)つていたゞきませうかね」
「をや/\、私(わたし)もお仲間(なかま)入(い)りですの。ですが、うまく布(きれ)があればいゝが」
「なに、なんでもいゝのです。有(あ)り合(あは)せの布(きれ)を見(み)て、それによつてくふうしますから、おありの布(きれ)をあとで出(だ)して見(み)せていたゞきませうか」
「孝子(こうこ)ちやんはなにをするの」
「孝子(こうこ)ちやんには人形(にんぎよう)の彩色(さいしき)や、かきわりの彩色(さいしき)のお手伝(てつだ)ひをしてもらひませうね。孝子(こうこ)ちやんは毛筆(もうひつ)がおなじみだから」
「徳(とく)やは」
「ねえやには、絵(え)の具(ぐ)を溶(と)いたり、水(みづ)を運(はこ)んだりする、皆(みな)の御用(ごよう)たしを頼(たの)まう」
「先生(せんせい)は」
「吾輩(わがはい)かね、まづ諸君(しよくん)の顧問役(こもんやく)だね。──そこでと、ぎによーるだが、五(いつ)つのうち、鎮雄君(しづをくん)はどの人形(にんぎよう)を作(つく)るね」
「おらあ、どれでもいゝ」
「先生(せんせい)、鎮雄(しづを)さんは、マルセリヌにピエロを受(う)けもつといゝわ」
「うむ、さうしよう。ぢや太郎君(たろうくん)は、マルセルとお母(かあ)さんを彫(ほ)り給(たま)へ、犬(いぬ)は、僕(ぼく)が受(う)け合(あ)はう。で、次(つ)ぎにそれ/゛\の人形(にんぎよう)の顔(かほ)や恰好(かつこう)をきめなければならないが、マルセルはいくつぐらゐかな」
「マルセルは、太郎(たろう)さんそつくりの悪戯坊主(いたづらぼうず)だわ。ですから、十一(じゆういち)ぐらゐでせう」「まつたくだ、それでは太郎君(たろうくん)を目標(もくひよう)にしよう。口(くち)のとんがつてゐるあんばいなど、ぎによーるにもつて来(こ)いのもでるだからね、あつはつはつ」
「さうらおこつた、おこるといよ/\口(くち)が尖(とんが)つてよ」
「なぐるぞ、みいちく」
「おつと喧嘩(けんか)はよした。ところで太郎君(たろうくん)ね、マルセルは耳(みゝ)を引(ひ)つぱられなければならないから、耳(みゝ)を大(おほ)きく出(で)ばらしておく必要(ひつよう)があるぜ」
「マルセルのお母(かあ)さんは、先生(せんせい)」
「お母(かあ)さんは、やはり君(きみ)のお母(かあ)さんをもでるにし給(たま)へ」
「おほゝゝゝ、ありがたい仕合(しあは)せね」
「だが、太郎君(たろうくん)も鎮雄君(しづをくん)も、もでるを手近(てじか)にきめたつて、それに似(に)せようとしてはいけないよ。たゞ年頃(としごろ)ぐらゐをもでるにすればいゝのだぜ。ぎによーるには、顔(かほ)の癖(くせ)を誇張(こちよう)しないと、舞台(ぶたい)へ出(だ)して引(ひ)つ立(た)たないからね。例(たと)へば円(まる)い顔(かほ)はうんと円(まる)く、おでこはぐんと出(で)ぱらすんだ。とにかく、彫(ほ)り出(だ)す前(まへ)に紙(かみ)へ想像(そうぞう)を描(か)いて見(み)るといゝね」
「マルセリヌの髪(かみ)の毛(け)はどうするだい」
「さうだ、マルセルに髪(かみ)の毛(け)を引(ひ)つぱつて引(ひ)き倒(たふ)されるところがあつたね。なに、別(べつ)にさがつてゐなくともいゝけれど、なにかとりつけてもいゝね」
「とうもろこしの穂(ほ)ではいけねえかい」
「とうもろこしの穂(ほ)だつて、──なるほど、そいつはいゝや。マルセリヌは西洋(せいよう)の子(こ)だから、紅(あか)い毛(け)でいゝね。鎮雄君(しづをくん)は頭(あたま)がいゝぞ」
「おらあ考(かんが)へたぢやねえで、こないだ学校(がつこう)で、みんなが軽井沢(かるゐざは)の西洋人(せいようじん)を人形(にんぎよう)にこしらへた時(とき)、先生(せんせい)がをしへてくれたです」
「さうか、とにかく結構(けつこう)。そこで、ピエロだが、これは鎮雄君(しづをくん)自身(じしん)をもでるにするといい。といつても、さつきもいつた通(とほ)り、君(きみ)に似(に)せるのぢやない。自分(じぶん)ぐらゐの、西洋人(せいようじん)の子供(こども)だと思(おも)つて作(つく)ればいゝ、マルセルより一(ひと)つ二(ふた)つ大(おほ)きいくらゐのね。──ぢや、縁側(えんがは)の方(ほう)へいつて為事(しごと)にかゝらう。どろの木(き)を二本(にほん)もらつて来(き)たから、まづ、これを鋸(のこぎり)で五寸(ごすん)ぐらゐの長(なが)さにきつて、乾(ほ)しておくことだね」
 かうして総(そう)がゝりで、ぎによーる劇(げき)のおしたくがはじまりました。
 太郎君(たろうくん)も鎮雄君(しづをくん)も、まづぎによーるの顔(かほ)を紙(かみ)へいろ/\に描(か)いて見(み)ました。みち子(こ)さんは、お母(かあ)さんに床(とこ)のなかへ追(お)ひ込(こ)まれて、寝(ね)ながら舞台装置(ぶたいそうち)を考(かんが)へました。原(はら)さんがみち子(こ)さんに与(あた)へた覚(おぼ)え書(が)きは、こんなものです。
   一、舞台(ぶたい)は間口(まぐち)一間(いつけん)。
    (茶(ちや)の間(ま)の六畳(ろくじよう)を用(もち)ひることゝし、両(りよう)わきに襖(ふすま)をたてゝ、舞台間口(ぶたいまぐち)をつくるがよし)
   二、舞台(ぶたい)の高(たか)さは畳(たゝみ)より曲尺(かねじやく)で三尺(さんしやく)ぐらゐ。
   三、舞台(ぶたい)の奥行(おくゆ)きは、一尺五寸(いつしやくごすん)乃至(ないし)一尺八寸(いつしやくはつすん)ぐらゐ。
   四、舞台(ぶたい)と畳(たゝみ)との間(あひだ)に布(きれ)を張(は)り舞台裏(ぶたいうら)の見(み)えぬようにすること。
   五、舞台(ぶたい)の奥(おく)は、壁幕(かべまく)をさげること。
   六、かきわりはぼーる紙(がみ)でも布(きれ)でも、ありあはせの好(こう)つごうなものを用(もち)ひること。
   七、舞台(ぶたい)の板敷(いたじ)きは、布(きれ)もしくは紙(かみ)をぴつたりと張(は)ること。
 原(はら)さんはどろ丸太(まるた)を、ちようど炭屋(すみや)さんが楢炭(ならずみ)をきるようにぶつ切(ぎ)りにして、縁側(えんがは)に乾(ほ)しならべておいて、町(まち)へ買(か)ひ物(もの)に出(で)かけました。人形(にんぎよう)の首(くび)を作(つく)るに必要(ひつよう)な、鋸(のこぎり)や、鑿(のみ)や、切(き)り出(だ)しや、泥絵(どろえ)の具(ぐ)は、鎮雄君(しづをくん)が持(も)つて来(き)ましたが、椅子(いす)、てーぶるを作(つく)るには、錐(きり)も、釘(くぎ)も入(い)り用(よう)だつたからです。原(はら)さんは買(か)ひ物(もの)の帰(かへ)りに河向(かはむか)うの製材所(せいざいしよ)へ寄(よ)つて、第二場(だいにじよう)の小道具(こどうぐ)を造(つく)るに必要(ひつよう)な板(いた)と、棒(ぼう)きれをもらつて来(き)ました。製材所(せいざいしよ)の裏手(うらて)に、山(やま)のように投(な)げすてゝあるけんたのうちからよつて来(き)たものです。
 ぎによーるの意匠(いしよう)がきまり、道具(どうぐ)や材料(ざいりよう)が整(とゝの)つた時分(じぶん)に、ちようどお昼(ひる)でした。おひるをすばやくすまして原(はら)さんは、太郎君(たろうくん)や鎮雄君(しづをくん)と、為事場(しごとば)に当(あ)てた南向(みなみむ)きの広(ひろ)い縁側(えんがは)に車座(くるまざ)にあぐらをかいて、顔(かほ)の彫(ほ)り方(かた)を説明(せつめい)しました。
「まづこの丸木(まるた)を左手(ひだりて)にかう持(も)つて、君達(きみたち)の描(か)いたぎによーるの肖像(しようぞう)と三四分間(さんしふんかん)も見(み)くらべるのだね。すると丸木(まるた)の面(めん)に、眼(め)、鼻(はな)、口(くち)のでこぼこをどう彫(ほ)り起(おこ)すか、その見当(けんとう)がついて来(く)る。そこで、眼(め)や、鼻(はな)や、顎(あご)などの、ひつこむべきところへ鋸(のこぎり)を入(い)れるのです。入(い)れながら、そのきり込(こ)みの深(ふか)さが、鼻(はな)なり顎(あご)なりを、望(のぞ)み通(どほ)りに出(で)ばらし得(う)るかどうかを、ちよい/\注意(ちゆうい)する。それから鑿(のみ)を右手(みぎて)に、かういふ風(ふう)に歯(は)を下(した)むけに持(も)つて、彫(ほ)つて行(ゆ)くのだがね。ちようど鎮雄君(しづをくん)のもつて来(き)た黒(くろ)ん坊(ぼう)があるから、大体(だいたい)あれをよく見(み)ておけば、手順(てじゆん)がのみ込(こ)めるわけだね。太郎君(たろうくん)のマルセルは耳(みゝ)を出(で)つぱらせるから、一番(いちばん)横幅(よこはゞ)の広(ひろ)い木(き)をとり給(たま)へ。耳(みゝ)の出(で)つぱりは堅(たて)と横(よこ)から鋸(のこぎり)を入(い)れて、耳(みゝ)の形(かたち)をあらかた作(つく)つておくといゝ」
 鎮雄君(しづをくん)は、お父(とう)さんが人形(にんぎよう)を彫(ほ)るところを常(つね)に見(み)てゐるし、ちよい/\真似(まね)して彫(ほ)つたこともあるので、要領(ようりよう)ののみ込(こ)みがよく、ためらはずにマルセリヌに取(と)りかゝりました。
 太郎君(たろうくん)も負(ま)けずに、マルセルを作(つく)りはじめましたが、原(はら)さんは見(み)てゐて、たえず指(さ)し図(ず)しなければなりませんでした。指(さ)し図(ず)しながら自分(じぶん)はトロアパツトの製作(せいさく)をはかどつてゐましたが、トロアパツトが着物(きもの)を着(き)てゐないことに気(き)がつくと、頭(あたま)を掻(か)いて笑(わら)ひ声(ごゑ)をあげました。
「あつはつはつ、こいつはいけねえ、犬(いぬ)の奴(やつ)は裸(はだか)と来(き)てゐる」
 さうです、ぎによーるは、着物(きもの)が袋(ふくろ)になつたなかへ手(て)を入(い)れて、頸(くび)の穴(あな)へ人差(ひとさ)し指(ゆび)をさし込(こ)み、小指(こゆび)と栂指(おやゆび)を用(もち)ひて、人形(にんぎよう)の両手(りようて)を働(はたら)かす手人形(てにんぎよう)ですから、操(あやつ)り人形(にんぎよう)のように自由(じゆう)でない。そこで原(はら)さんは首(くび)をひねつたあげく、トロアパツトの胴(どう)なかへ竹(たけ)の長(なが)い箸(はし)をさし込(こ)んであつかふことにしました。
 顔(かほ)の彫刻(ちようこく)がすむと、頸(くび)へ指(ゆび)をさし込(こ)む穴(あな)をほるのですが、これは円(えん)の中心(ちゆうしん)へつぼ錐(ぎり)で穴(あな)をあけ、それを切(き)り出(だ)しの尖(さき)でゑぐり広(ひろ)げました。かうして首(くび)がすむと、次(つ)ぎには板(いた)ぎれで手(て)の先(さき)を二(ふた)つづゝこしらへました。それもかたづくと、こんどはいよ/\色彩(しきさい)です。およそ、趣味的(しゆみてき)な手工(しゆこう)で、仕上(いあ)げ程(ほど)楽(たの)しいものはありません。一刻(いつこく)も早(はや)くその楽(たの)しい為事(しごと)にかかりたくて、誰(たれ)しも気(き)のせくものですが、原(はら)さんは学校(がつこう)の先生(せんせい)をしてゐる人(ひと)ですから、さういふ場合(ばあひ)になか/\きちようめんでした。
「出来(でき)た/\、さていよ/\色彩(しきさい)だが、こゝでおやつといたさうかね。道具(どうぐ)やぎによーるを床(とこ)の間(ま)へならべておいて、ねえやに為事場(しごとば)をきれいにしてもらつて、それから仕上(しあ)げにとりかゝりませう」
 かういつて、彫刻(ちようこく)と色彩(しきさい)の工程(こうてい)に、くぎりをつけました。おやつといつても、もう五時頃(ごじごろ)であつたし、息(いき)もつかない程(ほど)の勤労(きんろう)のあとで、おなかゞすいてゐたところでしたから、馬鈴薯(じやがいも)の蒸(ふか)したのにばた(ヽヽ)をつけてたべた、そのおやつは忘(わす)れられないおやつでした。
 お茶(ちや)のあとで原(はら)さんは、お母(かあ)さんの取(と)り出(だ)した小(こ)ぎれから、ぎによーるの着物(きもの)のきれをえらびました。マルセルは青(あを)い着物(きもの)ですから、みち子(こ)さんの着物(きもの)の裾(すそ)まはしのほぐし物(もの)だといふ、水色(みづいろ)のめりんすが間(ま)に合(あ)ひました。ピエロは黒(くろ)のぶるーずですが、ちようどいゝ布(きれ)がなく、これは舞台用(ぶたいよう)の布(きれ)と一(いつ)しよに町(まち)で買(か)つて来(く)ることにしました。マルセリヌは赤(あか)い着物(きもの)ですから、絹(きぬ)も木綿(もめん)もありましたが、原(はら)さんは孝子(こうこ)さんの着物(きもの)であつたといふ華(はな)やかな友禅模様(ゆうぜんもよう)のめりんすをとりました。マルセリヌの母親(はゝおや)は紫色(むらさきいろ)がいゝといふ意見(いけん)で、これも適当(てきとう)なきれが見(み)つかりました。着物(きもの)の仕立(した)てはお母(かあ)さんの受(う)けもちになつてゐましたから、おやつがすむとお母(かあ)さんは、鎮雄(しづをくん)さんの黒(くろ)ん坊(ぼう)を参考(さんこう)にして、四(よつ)つの着物(きもの)を縫(ぬ)つてくれました。
 ぎによーるの仕上(しあ)げは、まつたくたのしい為事(しごと)でした。小丼(こどんぶり)に薄(うす)い膠(にかは)で胡粉(ごふん)を溶(と)いて、それを、うすく塗(ぬ)つては乾(ほ)し、塗(ぬ)つては乾(ほ)し、三度(さんど)ばかりして、真白(まつしろ)くなつたところで、皿(さら)へ溶(と)いた泥絵(どろえ)の具(ぐ)で色彩(しきさい)するのですが、それでぎによーるは活(い)きたようになります。色彩(しきさい)が終(をは)ると、糊(のり)で首(くび)と手(て)に着物(きもの)をとりつけ、更(さら)にそこへ細(ほそ)いりぼんを廻(まは)して、小(ちひ)さい鋲(びよう)を打(う)つてしつかりととめます。五(いつ)つのぎによーるは、かうしてその日(ひ)のうちに見事(みごと)に出来(でき)上(あが)りました。
 原(はら)さんが片手(かたて)にマルセル、片手(かたて)にピエロをもつて、マルセルが耳(みゝ)を引(ひ)つぱられるところをやつて見(み)せると、皆(みんな)笑(わら)ひ声(ごゑ)をあげて、拍手(はくしゆ)しました。朝(あさ)にはなんの表情(ひようじよう)もない、どろの小丸太(こまるた)であつたものが、ちよつとした創作力(そうさくりよく)と、ちよつとした手(て)の細工(さいく)とで、日暮(ひぐ)れ方(かた)にはそれ/゛\性格(せいかく)を具(そな)へた四(よつ)つの人形(にんぎよう)と変(かは)つて、三本(さんぼん)の指(ゆび)の使(つか)ひ方(かた)で、どんなしぐさをもやつてのける。──それは一同(いちどう)に不思議(ふしぎ)な感動(かんどう)を与(あた)へました。お母(かあ)さんは、心(こゝろ)から感心(かんしん)してかういひました。
「やれば、なんでも出来(でき)るものですこと」
 原(はら)さんは、うれしそうに、その言葉(ことば)を引(ひ)きとつて、
「さうですとも、あしたはみち子(こ)さんの舞台装置(ぶたいそうち)や、椅子(いす)、てーぶるの小道具(こどうぐ)が出来上(できあが)つたところで、ひとつ試演(しえん)をやりませう。舞台効果(ぶたいこうか)といふやつは又(また)格別(かくべつ)ですからねえ。もしうまくいつたら、も一(ひと)つ脚本(きやくほん)を見(み)つけておいて、お父(とう)さんのおいでの時(とき)、大久保(おほくぼ)さんの別荘(べつそう)でも拝借(はいしやく)して、別荘(べつそう)の人達(ひとたち)や宿屋(やどや)の人達(ひとたち)全部(ぜんぶ)にお目(め)にかけようぢやないですか」
「やあ、万歳(ばんざい)」
「ぎによーる万歳(ばんざい)」
「ぎによーる万歳(ばんざい)」
「万歳(ばんざい)」
「万歳(ばんざい)」

一一、ぎによーるのお芝居(しばゐ)

 八月十日(はちがつとをか)、わらび野(の)の別荘(べつそう)は、盆(ぼん)とお正月(しようがつ)が一(いつ)しよに来(き)たような陽気(ようき)さです。朝一番(あさいちばん)でお父(とう)さんが着(つ)き、思(おも)ひがけぬ山崎(やまざき)さんも来(き)ました。それは真夏(まなつ)の、すばらしい朝(あさ)で、谷々(たに/゛\)をうづめてゐた夜来(やらい)の霧(きり)が、湯気(ゆげ)のように動(うご)いて、一時(ひととき)、峯々(みね/\)を薄墨(うすずみ)にぼかし、それが拭(ぬぐ)ふがようにはれたあとには、緑(みどり)したゝるばかりの山々(やま/\)と、瑠璃色(るりいろ)の空(そら)が現(あらは)れました。みち子(こ)さんのお父(とう)さんは、迎(むか)への自動車(じどうしや)に荷物(にもつ)ばかりを運(はこ)ばせ、十八町(じゆうはつちよう)の山路(やまみち)を景色(けしき)を楽(たのし)しみながら歩(ある)かうといはれる、子供達(こどもたち)はもとより賛成(さんせい)で、あたりの風物(ふうぶつ)をわが物顔(ものがほ)に説明(せつめい)して進(すゝ)みました。しかし実(じつ)は今日(けふ)は、風景(ふうけい)どころでなく、お父(とう)さんの顔(かほ)を見(み)るなり話(はな)したいことがあつたので、お父(とう)さんの仙人(せんにん)じみた楽(たの)しみをゆるしておけず、わらび野(の)へ着(つ)くまでには何(なに)もかも、三人(さんにん)がゝりで聞(き)かせてしまひました。仕合(しあは)せなことに、このお父(とう)さんは、自然(しぜん)の景色(けしき)をすくように、子供達(こどもたち)特有(とくゆう)の無邪気(むじやき)でそして活溌(かつぱつ)な、あの心(こゝろ)の景色(けしき)をもすきましたから、予想(よそう)した三日間(みつかかん)の閑静(かんせい)が、閑静(かんせい)どころの話(はなし)でないことを知(し)つても、当(あ)てがはづれたような気(き)はしませんでした。それどころでなく、久(ひさ)しぶりに一家団欒(いつかだんらん)の朝御飯(あさごはん)をやりながら、進(すゝ)んで子供達(こどもたち)の計画(けいかく)を聴(き)くのでした。子供達(こどもたち)の説明(せつめい)によると、お父(とう)さんの歓迎(かんげい)にわらび野(の)でやる筈(はず)であつたお芝居(しばゐ)も展覧会(てんらんかい)も、いつか遊園地(ゆうえんち)の方(ほう)まで評判(ひようばん)になり、その結果(けつか)、お芝居(しばゐ)は今日(けふ)の午後(ごゞ)大久保(おほくぼ)さんの別荘(べつそう)で、展覧会(てんらんかい)は千(せん)が滝(たき)遊園地(ゆうえんち)の倶楽部(くらぶ)で、三日間(みつかかん)開(ひら)かれることになつてゐるといふ、それで油絵(あぶらえ)かきの原(はら)さんと、鎮雄君(しづをくん)の学校(がつこう)の絵(え)の先生(せんせい)と二人(ふたり)で展覧会(てんらんかい)の方(ほう)を一切(いつさい)引(ひ)き受(う)けることになり、十里(じゆうり)ばかりも西(にし)の上田市(うへだし)から、会場用(かいじようよう)の幕(まく)を借(か)り込(こ)んだり、絵(え)に台紙(だいし)をつけたり、画題(がだい)の札(ふだ)を作(つく)つたり、謄写版(とうしやばん)で解説(かいせつ)を刷(す)つたりして、この二晩三晩(ふたばんみばん)をそれにつぶしてゐるような騒(さわ)ぎでした。又(また)、わらび野(の)の三少年少女(さんしようねんしようじよ)と、沓掛(くつかけ)の一少年(いちしようねん)は、更(さら)に三日(みつか)がゝりで、新(あたら)しい脚本(きやくほん)のぎによーるを作(つく)り、みち子(こ)さんは舞台装置(ぶたいそうち)で夢中(むちゆう)になりました。お母(かあ)さんや徳(とく)やは、又(また)そのこま/゛\した御用達(ごようた)しでかなり忙(せは)しい上(うへ)に噂(うはさ)を聞(き)いて為事場(しごとば)を見(み)せてもらひに来(く)る別荘(べつそう)の子供達(こどもたち)や、そのおともの人人(ひと/゛\)の応接(おうせつ)にめんくらふような次第(しだい)でした。でも今日(けふ)は、もうすつかり支度(したく)は整(とゝの)つて、床(とこ)の間(ま)に九(こゝの)つのぎによーるが、てん/゛\の身振(みぶ)りで行列(ぎようれつ)してゐました。といふのは、どれも人形台(にんぎようだい)に懸(か)けてあつたからです。人形台(にんぎようだい)をこしらへさしたのはお母(かあ)さんの考(かんが)へでした。五分板(ごぶいた)を七寸(しちすん)平方(へいほう)ぐらゐに切(き)つたのを台板(だいいた)にして、それへ三叉(みつまた)になつた棒(ぼう)をたてた人形台(にんぎようだい)ですが、つまり三叉(みつまた)は人間(にんげん)の三(みつ)つの指(ゆび)になるわけですから、人形(にんぎよう)を寝(ね)かしておくよりは面白味(おもしろみ)があるといふものです。
お父(とう)さんはその人形(にんぎよう)を見(み)て、すつかり感心(かんしん)してしまひました。更(さら)にあとの脚本(きやくほん)の人形(にんぎよう)は、原(はら)さんのお手伝(てつだ)いなしに、子供達(こどもたち)の合作(がつさく)に出来上(できあが)つたと聞(き)いて、いよ/\感心(かんしん)しました。山崎(やまざき)さんも、少年達(しようねんたち)の活溌(かつぱつ)な制作力(せいさくりよく)と自分(じぶん)の迷(まよ)ひ多(おほ)い画生活(がせいかつ)とを思(おも)ひくらべて、ちらと、気(き)はづかしくなつたそうです。
 朝御飯(あさごはん)も賑(にぎ)やかにすみ、大(おほ)きなばすけつとから取(と)り出(だ)してくれるお父(とう)さんのお土産(みやげ)に気(き)を取(と)られてゐるところへ、鎮雄君(しづをくん)がやつて来(き)ました。今日(けふ)は、これから、原(はら)さんにも来(き)てもらつて、大久保(おほくぼ)さんの別荘(べつそう)で舞台(ぶたい)をつくらなければならないのです。それで早(はや)くも鎮雄君(しづをくん)が立(た)ち寄(よ)つたわけですが、みち子(こ)さんのお父(とう)さんは鎮雄君(しづをくん)を見(み)ると、お医者(いしや)らしい磊落(らいらく)さで「やあ鎮雄君(しづをくん)かね」とにこ/\しながら立(た)つて来(き)て、箱入(はこい)りの絵(え)の具(ぐ)をくれました。それは、野原(のはら)と旭(あさひ)の絵(え)をれつてるにして貼(は)つてある、米国製(べいこくせい)の上等(じようとう)なぱすてるでした。やがて子供達(こどもたち)は揃(そろ)つて大久保(おほくぼ)さんの別荘(べつそう)へ出(で)かけました。そして昼(ひる)すぎ、三時(さんじ)になつても帰(かへ)つて来(こ)ないので、お母(かあ)さんが気(き)をもんで徳(とく)やに見(み)せにやると、もう別荘(べつそう)にはゐず、遊園地(ゆうえんち)の展覧会(てんらんかい)で、自分達(じぶんたち)の絵(え)を熱心(ねつしん)に見(み)てゐました。
 午後五時(ごゞごじ)少(すこ)し前(まへ)、星野地籍(ほしのちせき)の一番(いちばん)高(たか)い岡(をか)の上(うへ)から、どん/\/\/\/\/\といふ太鼓(たいこ)の音(おと)がきこえて来(き)ました。それは人寄(ひとよ)せの太鼓(たいこ)で、原(はら)さんが、いつぞやみち子(こ)さんのお母(かあ)さんに話(はな)してゐた、リユクサンブール公園(こうえん)の人寄(ひとよ)せ太鼓(だいこ)をまねて、いゝ気(き)もちで叩(たゝ)いてゐるのです。わらび野(の)からはお父(とう)さんを先頭(せんとう)に、山崎(やまざき)さん、お母(かあ)さん、徳(とく)やと、悉(こと/゛\)く岡(をか)をおりてゆきました。定刻(ていこく)の五時(ごじ)には、大久保(おほくぼ)さんの別荘(べつそう)の見物席(けんぶつせき)の十畳(じゆうじよう)の間(ま)は、子供(こども)で一(いつ)ぱいになり、大人(おとな)は遠慮(えんりよ)して皆(みな)縁側(えんがは)に坐(すわ)りました。舞台(ぶたい)を見(み)ると幕(まく)がなく、たゞ、ぱくつと暗(くら)い鳶色(とびいろ)の口(くち)があいてゐるだけでした。やがてのこと、太鼓(たいこ)がどん/\/\と六(むつ)つばかりもなると、日(ひ)よけを利用(りよう)したらしい竪縞(たてじま)のどん帳(ちよう)が、すつと引(ひ)かれて舞台(ぶたい)がかくれる、と殆(ほとん)ど同時(どうじ)に、袴(はかま)をはいた原(はら)さんが正面(しようめん)へ出(で)て来(き)て、あいさつをやりました。そしてぎによーるの由来(ゆらい)と四少年(ししようねん)の労作(ろうさく)ぶりを報告(ほうこく)したのち、かういひました。
「では、これからいよ/\始(はじ)まります。最初(さいしよ)は『マルセルの悪戯(いたづら)』といふお芝居(しばゐ)で、その次(つ)ぎは、『声楽(せいがく)の先生(せんせい)』といふお芝居(しばゐ)、人形使(にんぎようつか)ひは、わらび野(の)のみち子(こ)さんに沓掛(くつかけ)の鎮雄君(しづをくん)、今度(こんど)大鼓(たいこ)が鳴(な)ると同時(どうじ)に幕(まく)があきます」
 原(はら)さんが引(ひ)つ込(こ)むとすぐ太鼓(たいこ)がなりました。幕(まく)がつゝつと引(ひ)かれる、第一場(だいいちじよう)、パリ裏街(うらまち)の広場(ひろば)とでもいふような光景(こうけい)、地面(じめん)ははんぺん形(がた)の石敷(いしじ)きと見受(みう)けられ、空(そら)は明(あか)るい水色(みづいろ)です。果(はた)して右手寄(みぎてよ)りにトロアパツトがゐます。原(はら)さんの作(つく)つた竹箸(たけばし)で動(うご)かされる犬(いぬ)です、みち子(こ)さんがやつてゐるか、ぎごちなく動(うご)いてゐます。すると、左手(ひだりて)の長屋(ながや)のかげから、青(あを)い着物(きもの)の人影(ひとかげ)がぶら/\と現(あらは)れる、いたづら坊主(ぼうず)のマルセルです。「やあトロアパツトがゐる。来(こ)い/\、こんなところで何(なに)をしてるの。つう/\、来(こ)い/\」まさに鎮雄君(しづをくん)の声(こゑ)です。不思議(ふしぎ)に、ふだんの信州(しんしゆう)なまりがない、しかもぶら/\と、犬(いぬ)の処(ところ)へやつて来(き)た風(ふう)つきがなか/\うまいので、見物(けんぶつ)の子供達(こどもたち)は大(おほ)よろこびで、大人(おとな)は一斉(いつせい)に拍手(はくしゆ)しました。マルセルがトロアパツトに近(ちか)づいて、尻尾(しつぽ)を引(ひ)つぱるしぐさよろしく、竹箸(たけばし)のトロアパツトは「わん、わん、わん」となきながら、右手(みぎて)かき割(わ)りの方(ほう)へ身(み)を寄(よ)せてゆく、マルセルがなほもからかひながら尻尾(しつぽ)をひつぱると、「わん、わん、わん、わん」とはげしく鳴(な)きながら、ちよつと長屋(ながや)のかげへかくれたと思(おも)ふと、突嗟(とつさ)、身(み)をひるがへして来(き)てマルセルの手元(てもと)へ「わん」といつてかみつきました。みち子(こ)さんが手早(てばや)く竹箸(たけぐし)を反対(はんたい)の胴(どう)にさして突出(つきだ)したのだらうと、お母(かあ)さんも徳(とく)やも、その早(はや)わざに感心(かんしん)しましたが、実(じつ)は、反対(はんたい)むきに棒(ぼう)をさしたトロアパツトをも一(ひと)つ、原(はら)さんが用意(ようい)してゐたのであります。とにかくその呼吸(こきゆう)がうまくいつたので、又(また)もや、拍手喝采(はくしゆかつさい)で湧(わ)き立(た)ちました。
 こんなあんばいに第一場(だいいちじよう)はうまくすみ、第二場(だいにじよう)も無事(ぶじ)にすんで、二十分間(にじつぷんかん)の休憩(きゆうけい)といふわけです。三十分(さんじつぷん)足(た)らずのお芝居(しばゐ)で二十分(にじつぷん)の休憩(きゆうけい)は滑稽(こつけい)ですが、外題(げだい)が変(かは)るのだから仕方(しかた)がありません。二十分(にじつぷん)たつた時分(じぶん)、又(また)原(はら)さんが現(あらは)れて、
「マルセルの悪戯(いたづら)は、思(おも)ひの外(ほか)うまくゆきました。次(つ)ぎは『声楽(せいがく)の先生(せんせい)』といふ一幕物(ひとまくもの)で、これはぎによーる劇(げき)の脚本(きやくほん)をちようど遊園地(ゆうえんち)に来(き)てらしつた、足立先生(あだちせんせい)がもつてゐられて早速(さつそく)訳(やく)して下(くだ)さつたのであります。今度(こんど)の人形使(にんぎようつか)ひは、かく申(まを)す小生(しようせい)と、軽井沢小学校(かるゐざはしようがつこう)の、中西君(なかにしくん)であります。一体(いつたい)子供(こども)がするといゝのですが、子供達(こどもたち)は今度(こんど)は見物(けんぶつ)したいといふので、大人(おとな)が罷(まか)り出(で)る次第(しだい)であります。──口上(こうじよう)さようつ」
 例(れい)によつて太鼓(たいこ)が鳴(な)ると幕(まく)があきました、やはりみち子(こ)さんの舞台装置(ぶたいそうち)ですが、今度(こんど)はかき割(わ)りを用(もち)ひず、霞幕(かすみまく)や、袖幕(そでまく)だけで象徴的(しようちようてき)に客間(きやくま)の感(かん)じが作(つく)つてありました。すなはち、突(つ)き当(あた)りの壁幕(かべまく)が玉子色(たまごいろ)で、床(ゆか)が鳶色(とびいろ)、霞幕(かすみまく)が黒(くろ)、袖幕(そでまく)がおりーぶといつた風(ふう)です。その簡単(かんたん)な舞台(ぶたい)へ最初(さいしよ)に現(あらは)れたのが、赤(あか)つ毛(け)を七三(しちさん)にわけた、眼(め)の大(おほ)きい、鼻(はな)のでかい、紺服(こんふく)のおやぢ、旦那(だんな)のゼフイルです。それから、左(さ)のような会話(かいわ)で、一幕(ひとまく)五場(ごじよう)のおどけ芝居(しばゐ)がつゞきました。
 ゼフイル──ギニヨール、ギニヨール。
 ギニヨール(ゼフイルの下男(げなん))──旦那(だんな)、お呼(よ)びになりましたか。
 ゼフイル──あい、呼(よ)びましたよ、……ギニヨール、いよ/\来月(らいげつ)挙(あ)げることになつた私(わたし)の結婚式(けつこんしき)披露会(ひろうかい)の席(せき)でね、なにかちよつとした歌(うた)を唄(うた)つて見(み)ようかしらと、実(じつ)は思(おも)ひついたのだがね。
 ギニヨール──旦那(だんな)のお思(おも)ひつきは至極(しごく)結構(けつこう)なことです、昔(むかし)から唄(うた)ふ者(もの)の心(こゝろ)は常(つね)に満足(まんぞく)だと申(まを)しますからね。
 ゼフイル──うむ、さうだ、その通(とほ)りだ。だがね、唄(うた)ふ為(ため)にはやはり多少(たしよう)とも練習(れんしゆう)をしなければならないのでね。
 ギニヨール──練習(れんしゆう)ですつて、なんの/\、そんな必要(ひつよう)があるものですか、あのぺんき屋(や)や壁模様(かべもよう)かきを御覧(ごらん)なさいませ、あいつらは朝(あさ)つぱらから晩頃(ばんごろ)まで、手(て)を働(はたら)かしてゐる間(あひだ)じゆう唄(うた)ひ通(どほ)しですが、一度(いちど)だつて習(なら)つたことなどありませんですよ。
 ゼフイル──そりやあ、わかつてるがね、ギニヨール、私(わし)は少(すこ)し違(ちが)ふんだよ。私(わし)はね、誰(だれ)が聴(き)いても上手(じようず)だと思(おも)ふように、正式(せいしき)に法則(ほうそく)通(どほ)りに唄(うた)ひたいのだ。
 ギニヨール──あゝさうですか、私共(わしども)がたゞ楽(たの)しみに唄(うた)ふのと違(ちが)つて、本式(ほんしき)の歌唄(うたうた)ひのように、お唄(うた)ひにならうといふのなら、また別(べつ)ですよ、旦那(だんな)。
 ゼフイル──だから、今朝(けさ)、声楽(せいがく)の教師(きようし)が来(く)るように依頼(いらい)してある。
 ギ二ヨール──あゝさうですか、それは結構(けつこう)でございます。あゝ声学(せいがく)の先生(せんせい)、そりや、大(たい)そう結構(けつこう)でございます。 ゼフイル──そしてちよつとした小曲(しようきよく)、極(ご)く気(き)の利(き)いた一節(いつせつ)を教(をし)へてくれることになつてゐるのだ。やがて先生(せんせい)が来(く)るから、この部屋(へや)へ通(とほ)しておいて、私(わし)へ知(し)らしておくれ。
 ギニヨール──はい、承知(しようち)いたしました。
 ゼフイル──ねえ、ギニヨール、私(わし)はそれで客人達(きやくじんたち)をあつといはせようと思(おも)つてゐるのだが、嫁御寮(よめごりよう)や舅姑(しうとしうとめ)も感心(かんしん)するだらうかね。
 ギニヨール──それで皆(みな)さんを感心(かんしん)させる事(こと)が出来(でき)れば、旦那(だんな)それこそ大(たい)した事(こと)ですよ。
 ゼフイル──いや、まつたくだよ。私(わし)はね、客人達(きやくじんたち)に、まあこのゼフイルさんの声(こゑ)の美(うつく)しいこと、これはほんとうに大(たい)した声量(せいりよう)だ、実(じつ)に優雅(ゆうが)な抑揚(よくよう)だ、すてきだ、と讃嘆(さんたん)されたいと思(おも)つてゐるのだ。
 ギニヨール(独語(ひとりごと))──なんて大(たい)したうぬぼれだ。
 ゼフイル──まあ、そんなわけだから先生(せんせい)が見(み)えたらすぐ知(し)らせておくれ。
 ギニヨール──はい承知(しようち)いたしました。
(両人(りようにん)左右(さゆう)に別(わか)れて退場(たいじよう)す)

第二場(だいにじよう)

(マルクマル、(音楽教師(おんがくきようし))ギニヨールとともに登場(とうじよう))
 ギニヨール──あなたですか、声楽(せいがく)の先生(せんせい)は。
 マルクマル──えゝ、さうです。時(とき)にゼフイルさんは御在宅(ございたく)でせうね。
 ギニヨール──はい、お待(ま)ちかねですから、すぐ知(し)らしてまゐりませう。 マルクマル──お宅(たく)にはぴあのはあるんでせうね。
 ギニヨール──いゝえ、ぴあのなんぞはありませんよ。しかし狩猟(しゆりよう)らつぱならあります。
 マルクマル──そんなものは役(やく)に立(た)ちません。
 ギニヨール──お役(やく)に立(た)たぬ、しかし立派(りつぱ)な狩猟(しゆりよう)らつぱですよ。
 マルクマル──どんな立派(りつぱ)でもらつぱがぴあのの代用(だいよう)になるものですか。
 ギニヨール──をゝ、そんなことはないでせう。大(たい)したちがひがあるわけぢやなし、ただ上(うへ)を叩(たゝ)くのと、中(なか)へ吹(ふ)き込(こ)むとのちがひだけぢやありませんか。
 マルクマル──それは誰(だれ)だつて承知(しようち)のことですが、らつぱで歌(うた)の稽古(けいこ)は出来(でき)ませんよ。
 ギニヨール──そんなものですかねえ、先生(せんせい)。しかし反対(はんたい)によく手入(てい)れをしたらつぱはきら/\と美(うつく)しく輝(かゞや)いて、実(じつ)に見事(みごと)ですよ。ぴあのなんぞは比較(ひかく)になりませんね、あの一列(いちれつ)に並(なら)んだところは河馬(かば)の歯(は)ですね、胴体(どうたい)からいつても全(まつた)く獣(けもの)ですよ。
 マルクマル──河馬(かば)の悪口(わるくち)なんどはどうでもよろしい、ぐず/\話(はな)してゐる間(あひだ)に僕(ぼく)は金(かね)をおとしてゐるのですから。
 ギニヨール──どちらのぽけつとから落(お)ちるのですか。
 マルクマル──いや、時間(じかん)をむだにするのは金(かね)を落(おと)すと同(おな)じことだといふのです。一刻毎(いつこくごと)が僕(ぼく)には金(かね)の価(あたひ)があるのですから。早(はや)く御主人(ごしゆじん)に取(と)り次(つ)いで下(くだ)さい。
 ギニヨール──大急(おほいそ)ぎで知(し)らせませう、どうぞこちらへお通(とほ)り下(くだ)さい。
(二人(ふたり)退場(たいじよう))

第三場(だいさんじよう)
 ゼフイル──さあ、どうぞこちらへ先生(せんせい)、この部屋(へや)は反響(はんきよう)が強(つよ)いので大変(たいへん)いゝと思(おも)ひます。といふのは、いつもリゴロ(下男(げなん)の息(むすこ))を呼(よ)ぶたびに、リゴロは先程(さきほど)御覧(ごらん)になりました下男(げなん)の忰(せがれ)でありますが、はつきりと、自分(じぶん)の呼(よ)ぶ通(とほ)りに響(ひゞ)きかへつて来(く)る程(ほど)ですから。
 マルクマル──はあ、さうですか、それは又(また)不思議(ふしぎ)ですな。
 ゼフイル──いや、全(まつた)くこれだけは誰(だれ)でも聞(き)いたものが皆(みな)不思議(ふしぎ)がるのですよ。それはさうと、および立(た)てしました用事(ようじ)の方(ほう)をお話(はなし)いたしませう。実(じつ)は、唱歌(しようか)の教授(きようじゆ)を願(ねが)ひたいのです、もちろん極(ご)く簡単(かんたん)な一節(いつせつ)だけをね。
 マルクマル──そんなことでいゝのですか。
 ゼフイル──一度(いちど)ぎりしか歌(うた)はないのですから、たくさんに習(なら)ふ必要(ひつよう)はないのです。ほんのちよつとしたものでいゝのですから。
 マルクマル──さうですか、よろしい、では早速(さつそく)始(はじ)めませう。えへん/\、気(き)をつけて下(くだ)さい。……ど……れ……み……ふあ……そ……ら……し……ど……さあ僕(ぼく)が発音(はつおん)する通(とほ)りやつて御覧(ごらん)なさい、これは大(たい)してむづかしくはないでせう。
 ゼフイル──えへん、ど……れ……み……ふあ……そ……ら……し……ど。
 マルクマル──を……それで結構々々(けつこう/\)。あなたはとてもいゝ声(こゑ)を持(も)つてをられる、それに抑揚(よくよう)も大変(たいへん)よろしい、殆(ほとん)ど僕(ぼく)とかはらない程(ほど)です。さあ、も一度(いちど)くり返(かへ)して、ど……し……ら……そ……ふあ……み……れ……ど……。
 ゼフイル──今度(こんど)は大分(だいぶ)むづかしいようですね、まあやつて見(み)ませう。ど……し……ら……そ……ふあ……み……れ……ど……。
 マルクマル──どうして、なか/\上手(じようず)に出来(でき)ました。その声(こゑ)でなら、おぺらで番附(ばんづ)け売(う)りになれますよ。
 ゼフイル──そんなにほめて下(くだ)さると、お世辞(せじ)でも私(わし)は嬉(うれ)しい。
 マルクマル──それでは次(つ)いで、……ど……み……そ……ど……。
 ゼフイル──ど……み……そ……ど……。
 マルクマル──その通(とほ)り、……ど……そ……み……ど……。
 ゼフイル──ど……そ……み……ど……。
 マルクマル──いや、おひ/\よくなつて来(き)ました。この調子(ちようし)でやれば、上手(じようず)になれます、今日(けふ)の練習(れんしゆう)はこれだけに致(いた)しませう、──では五(ご)ふらん戴(いたゞ)きます。
 ゼフイル──なんですつて。
 マルクマル──これで五(ご)ふらんですと申(まを)し上(あ)げたのです。
 ゼフイル──これで五(ご)ふらんだつて、このとんま奴(め)、そんなでたらめな直(ね)をいはないで。
 マルクマル──いや/\どうして御主人(ごしゆじん)、僕(ぼく)は一練習(ひとれんしゆう)で百(ひやく)ふらんぐらゐまでの教授(きようじゆ)をしてゐます。僕(ぼく)は御覧(ごらん)の通(とほ)り。
 ゼフイル──そんなに高(たか)い練習料(れんしゆうりよう)をとつてゐれば、百万長者(ひやくまんちようじや)になつてしまふでせうに。
 マルクマル──お説(せつ)の通(とほ)りですが、打(う)ちあけて申(まを)し上(あ)げると、その直(ね)ではどうしてもお客(きやく)を見付(みつ)けられないのです。
 ゼフイル──そりや、それがあたりまへだと私(わし)も思(おも)ふ。
 マルクマル──あなたは、只今(たゞいま)の練習(れんしゆう)で御不足(ごふそく)ですか。
 ゼフイル──どうしまして、大満足(おほまんぞく)ですが、しかし三(さん)ふらんより以上(いじよう)の直(ね)があるとは思(おも)ひませんね、三(さん)ふらん差(さ)し上(あ)げますから、ギニヨールとリゴロにもちよつと練習(れんしゆう)してやつて下(くだ)さい、かれらも披露会(ひろうかい)にはよぶことにしてゐますから。
 マルクマル──まつたくあなたは押(お)しの強(つよ)い人(ひと)ですね。よろしい、初(はじ)めてお伺(うかゞ)ひしたことですから今日(けふ)だけはお言葉(ことば)通(どほ)りに致(いた)しませう。三人(さんにん)の練習(れんしゆう)に三(さん)ふらんしか戴(いたゞ)かぬのですから、お一人(ひとり)前(まへ)、僅(わづか)に一(いち)ふらんづつです。
 ゼフイル──さうして頂(いたゞ)ければ、これから友人達(ゆうじんたち)にお世話(せわ)致(いた)しますよ。きつと御紹介(ごしようかい)しますから、あてにしてゐて下(くだ)さい。
 マルクマル──では三(さん)ふらん戴(いたゞ)きませう。
 ゼフイル──すぐギニヨールルを来(こ)さしますから、今(いま)いつたように、ちよつと練習(れんしゆう)してやつて下(くだ)さい。そして練習(れんしゆう)は二(に)ふらんだといつて下(くだ)さい、そしたら私(わし)の分(ぶん)と一(いつ)しよに払(はら)ふでせうから。待(ま)つて下(くだ)さい、すぐよこしますから。
(ゼフイル退場(たいじよう))
 マルクマル──をゝ、をゝ、僅(わづ)か三(さん)ふらんの金(かね)にいろ/\な条件(じようけん)がついて来(き)た、こんなことと知(し)つたら来(く)るのではなかつたのに。

第四場(だいよじよう)
(ギニヨールとマルクマル登場(とうじよう))

 ギニヨール──ねえ先生(せんせい)、主人(しゆじん)が私(わし)にもなにか唱歌(しようか)の練習(れんしゆう)をするようにいつてゐましたから一(ひと)つやつてもらひませうか。
 マルクマル──えゝ、さうです、君(きみ)の息(むすこ)さんにもね。さあ、大急(おほいそ)ぎでやりませう、僕(ぼく)も時間(じかん)がないのですから(急調子(きゆうちようし))ど、れ、み、ふあ、そ、ら、し、ど、ど、し。ら、そ、ふあ、み、れ、ど。
 ギニヨール──そんなに速(はや)くですか。
 マルクマル──えゝ、全速力(ぜんそくりよく)で、僕(ぼく)は忙(せは)しいのだ。あぺりちいふ(食前(しよくぜん))に待(ま)ち合(あ)せる人(ひと)があるのだから。
 ギニヨール──どれみふあらしどそ。
 マルクマル──えゝ、違(ちが)つた、そらしど、だ。
 ギニヨール──なんだ、めんどくさいこと、いやあり難(がと)う。
 マルクマル──さあ、それで二(に)ふらんです。
 ギニヨール──二(に)ふらんですつて。主人(しゆじん)は私(わし)の練習(れんしゆう)は、おそへ物(もの)だといつてましたぜ。
 マルクマル──いや/\それは違(ちが)ふ、君(きみ)に二(に)ふらんと、息(むすこ)さんに一(いち)ふらんもらふ筈(はず)になつてゐるのです。
 ギニヨール──そりやまた話(はなし)が違(ちが)ふ。では正直(しようじき)にいひますが、私(わし)は唱歌(しようか)の練習(れんしゆう)なんぞはしたくないのです。まあ待(ま)つて下(くだ)さい、今(いま)忰(せがれ)を呼(よ)びますから、一練習(ひとれんしゆう)してやつて下(くだ)さい。そしていくらかときいたら、三(さん)ふらんだと答(こた)へて下(くだ)さい。そしたら、私達(わしたち)の分(ぶん)は一(いつ)しよにとれるわけですから、すぐ呼(よ)んで来(き)ます。(ギニヨール退場(たいじよう))
 マルクマル──をゝ、もうこんなことは御免(ごめん)だ。たつた小銀貨(こぎんか)三個(さんこ)のために、なんだかだと文句(もんく)をつけられてる間(あひだ)に、時間(じかん)ばかりたつてしまふ。一体(いつたい)もう何時頃(なんじごろ)かしら。(うろ/\と退場(たいじよう))

第五場(だいごじよう)
(リゴロとマルクマル登場(とうじよう))
 マルクマル──あゝ、やうやくやつて来(き)た。坊(ぼつ)つちやん、君(きみ)は音楽(おんがく)になか/\熱心(ねつしん)なんですつてね。
 リゴロ──えゝ、さうですよ先生(せんせい)。僕(ぼく)は小(ちひ)さい時(とき)から好(す)きなんです、薪割(まきわ)りで酒瓶(さかびん)をたたいたりしたのです。
 マルクマル──さうですか、そりやいゝことだ。これから唱歌(しようか)を教(をし)へてあげようと思(おも)ふが、あまり時間(じかん)がないから大急(おほいそ)ぎで一(ひと)つやりますよ。どみそど……さあこの通(とほ)りに唄(うた)つて御覧(ごらん)。
 リゴロ──それはカルメンで唄(うた)ふのですか、フオーストにあるのですか、先生(せんせい)。
 マルクマル──カルメンでもフオーストでもよろしい、まちがはないように注意(ちゆうい)することです。僕(ぼく)が教(をし)へようとすることはそれだけ、さあ/\始(はじ)めて。
 リゴロ──どみそど、どみそど。
 マルクマル──上出来(じようでき)/\、本式(ほんしき)に声楽(せいがく)の練習(れんしゆう)をしたのだから、これで授業料(じゆぎようりよう)が三(さん)ふらん。
 リゴロ──これで三(さん)ふらんですつて。ね先生(せんせい)、あなたはだんすを知(し)つてゐますか。
 マルクマル──いや/\坊(ぼつ)ちやん、僕(ぼく)はだんすは知(し)らないよ。
 リゴロ──そんなら、先生(せんせい)が、正式(せいしき)に歌(うた)ひ方(かた)の練習(れんしゆう)をして下(くだ)さつたのだから、これから僕(ぼく)が、だんすを教(をし)へてあげませう。本式(ほんしき)にね。
    (リゴロ退場(たいじよう)して帚(はうき)を持(も)つて再(ふたゝ)び現(あらは)れ、声楽師(せいがくし)の頭(あたま)を叩(たゝ)く)
 リゴロ──一(いち)、二(に)、一(いち)、二(に)、一(いち)、二(に)、御覧(ごらん)なさい、これがむぬえつとです。それからこれが、がぼつとですよ。よく気(き)をつけて。さあこれが三(さん)ふらん、差(さ)し引(ひ)きしてさようなら。
 マルクマル(逃(に)げ出(だ)しながら)──いやはや、これは。諺(ことわざ)に、音楽(おんがく)は人(ひと)の品性(ひんせい)を優雅(ゆうが)にするといふのに。幕(まく)

 この劇(げき)は小一時間(こいちじかん)もかゝりました。読(よ)んでは大(たい)して面白味(おもしろみ)はないが、ぎによーるの舞台(ぶたい)にかけるとわけもなく人(ひと)を笑(わら)はせるのでした。殊(こと)に子供達(こどもたち)にとつては、筋(すぢ)よりもその場(ば)/\の動作(どうさ)が問題(もんだい)です。とにかく、父(とう)さん歓迎(かんげい)の家庭劇(かていげき)が思(おも)はぬ発展(はつてん)を見(み)たといふものです。その後(ご)、この二組(ふたくみ)のぎによーるは、あちこちにかりられて、いろ/\な脚本(きやくほん)を演(えん)じたのであります。

一二、四人(よにん)展覧会(てんらんかい)

 みち子(こ)さんが発起(ほつき)した四人展覧会(よにんてんらんかい)は、軽井沢(かるゐざは)の方(ほう)まで知(し)れわたりました。それは遊園地(ゆうえんち)の事務所(じむしよ)で、停車場(ていしやば)その他(た)へ手製(てせい)のぽすたーを配(くば)つたからです。それ故(ゆゑ)三日間(みつかかん)に千人(せんにん)近(ちか)い人(ひと)が見(み)に来(き)たそうです。見(み)に来(き)た人々(ひと/゛\)は、四人(よにん)の子供(こども)の趣味(しゆみ)や技巧(ぎこう)の異(ことな)りを見(み)て、大(たい)そう面白(おもしろ)く思(おも)ひました。最(もつと)も人気(にんき)のあつたのは孝子(こうこ)さんの絵(え)で、太郎君(たろうくん)と鎮雄君(しづをくん)は同(おな)じ位(くらゐ)、みち子(こ)さんの作(さく)が一番閑却(いちばんかんきやく)されたといふことです。それについて油絵(あぶらえ)かきの原(はら)さんの意見(いけん)はかうです。
「実際(じつさい)、絵(え)の素質(そしつ)は孝子(こうこ)さんが一番(いちばん)いゝ、のみならず、その傾向(けいこう)も学(まな)ぶべきだ。見聞(みき)きする物(もの)や事柄(ことがら)を楽々(らく/\)と絵(え)にしてしまふ、あのゆき方(かた)は、絵(え)のうまいまづいは別問題(べつもんだい)として羨(うらや)ましい。自分(じぶん)たちのように、景色(けしき)も人物(じんぶつ)も、とんと静物(せいぶつ)のように眼(め)の前(まへ)に置(お)いてゞなければ絵(え)が出来(でき)ないようではあはれである。いや自分(じぶん)一人(ひとり)や、美術学校(びじゆつがつこう)の卒業生(そつぎようせい)位(ぐらゐ)が皆(みな)それであつても差(さ)し支(つか)へないが、日本国中(につぽんこくじゆう)、何百万(なんびやくまん)といふ小国民(しようこくみん)が一斉(いつせい)にさうなるようだと簡単(かんたん)な問題(もんだい)でない。だが、孝子(こうこ)さんの絵(え)をほめる多(おほ)くの人(ひと)は、子供(こども)らしい比喩(ひゆ)、例(たと)へば『蟻(あり)の御殿(ごてん)』の黒(くろ)ん坊(ぼう)の擬人蟻(ぎじんあり)が、振(ふ)り袖(そで)や、どれすを着(き)てゐるところなどにまづ破願(はがん)し、写生(しやせい)ばなれのした表現(ひようげん)のあどけなさを賞美(しようび)するが、その賞賛(しようさん)の反面(はんめん)は、往々(おう/\)少年期(しようねんき)から青年期(せいねんき)へかけての、一見(いつけん)平凡(へいぼん)な、そのくせ迷(まよ)ひ多(おほ)い複雑(ふくざつ)な為事(しごと)に対(たい)して、自然(しぜん)無同情(むどうじよう)に傾(かたむ)き、その態度(たいど)は論理的(ろんりてき)に見(み)ると教育(きよういく)の否定(ひてい)を意味(いみ)することになる。なる程(ほど)、みち子(こ)さんの絵(え)には孝子(こうこ)さんのような、空想(くうそう)の奇抜(きばつ)さはなく、技巧(ぎこう)もとかく末梢的(まつしようてき)である。だが、今日(こんにち)の専門家(せんもんか)の美術(びじゆつ)を果(はた)して末梢的(まつしようてき)でないといへるだらうか。みち子(こ)さんは今日(けふ)の展覧会(てんらんかい)の絵画(かいが)を、自分(じぶん)の学習(がくしゆう)の実際(じつさい)に照(てら)して批評的(ひひようてき)に見(み)ようとする、知識欲(ちしきよく)の盛(さか)んな、正系(せいけい)な近代女性(きんだいじよせい)である。親類(しんるい)にセザニズムの油絵画家(あぶらえがか)をもち、学校(がつこう)では美術学校出(びじゆつがつこうで)のりありすと(写実主義者(しやじつしゆぎしや))を先生(せんせい)に戴(いたゞ)き、自分等(じぶんら)お近(ちか)づきの者(もの)からもいつ知(し)らず現代(げんだい)の洋式写生(ようしきしやせい)へと引(ひ)つぱり込(こ)まれる。そのことの、結局(けつきよく)の良否(りようひ)は別(べつ)として、みち子(こ)さんの絵(え)を原始的(げんしてき)画道(がどう)の孝子(こうこ)さんの絵(え)と比較(ひかく)して、『複雑(ふくざつ)で面白味(おもしろみ)がない』とけなすことは、ちと気(き)の毒(どく)ではあるまいか。太郎君(たろうくん)の肖像画(しようぞうが)の、くれぱすの色(いろ)の、独特(どくとく)なにゆあんす(色合(いろあ)ひ)を指(さ)して、『子供(こども)の作(さく)とは思(おも)へない、先生(せんせい)の手(て)がはひつてゐるだらう』などゝ批評(ひひよう)した人(ひと)がちよい/\あつたといふが、けしからぬ馬鹿者(ばかもの)である。自分(じぶん)はこの眼(め)で太郎君(たろうくん)の為事(しごと)を見(み)てゐる。教養(きようよう)された大人(おとな)の却(かへ)つて考(かんが)へ及(およ)ばぬ、その不思議(ふしぎ)な技巧(ぎこう)の始終(しじゆう)を見届(みとゞ)けて感心(かんしん)してゐるのだ。あれを見(み)ると、今日(けふ)びの多(おほ)くの油絵写生家(あぶらえしやせいか)──自分(じぶん)もまさにその一人(ひとり)であるが──は、まるで『技巧(ぎこう)』といふものを知(し)らないといつても過言(かげん)でなさそうである。ルフランのかんばす(画布(がふ))へルフランの絵(え)の具(ぐ)で、とんと活版職工(かつぱんしよつこう)が植字(しよくじ)をするように、景色(けしき)や、静物(せいぶつ)や、裸婦(らふ)を描写(びようしや)したところで、それが技巧(ぎこう)といへるだらうか。仮(かり)にお料理(りようり)の腕(うで)を技巧(ぎこう)と見(み)れば、今日(けふ)の油絵書生(あぶらえしよせい)の大多数(だいたすう)は『味(あぢ)の素(もと)』で味(あぢ)を出(だ)すことを便利(べんり)とし、あるひはそれしか知(し)らない連中(れんじゆう)である。ところが太郎君(たろうくん)はどうだ、一々(いち/\)の絵(え)を自分(じぶん)の工夫(くふう)と努力(どりよく)で調味(ちようみ)してゐるではないか。たゞ問題(もんだい)は、太郎君(たろうくん)がまだ悟(さと)りの結果(けつか)としてそれをやつてゐるのでなく、従(したが)つて、『味(あぢ)の素(もと)』についても、何等(なんら)の見識(けんしき)をもたないといふ点(てん)にあらう。鎮雄君(しづをくん)の絵(え)も、学年(がくねん)が進(すゝ)むにつれてまづくなつてゐる。それはなぜだらう、このことは鎮雄君(しづをくん)にかぎらず、一般(いつぱん)の子供(こども)の通則(つうそく)のように思(おも)はれてゐる。私(わたし)は『教育(きよういく)』を貴(たつと)ぶ。『教育(きよういく)』が保存(ほぞん)したい結構(けつこう)な素質(そしつ)までも一(いつ)しよくたに破壊(はかい)することはある。しかし、それをより完全(かんぜん)な形(かたち)で取(と)り戻(もど)すのもまた『教育(きよういく)』であることを考(かんが)へなければならない。鎮雄君(しづをくん)は、今(いま)壊(こは)されてゐるのである、眼(め)が手(て)におくれて来(き)たのである。蓋(けだ)しすべての大人(おとな)が同(おな)じような不仕合(ふしあは)せに悩(なや)んではゐないか。世(よ)にあかでみつくといふ冷(ひや)かし言葉(ことば)があるが、それは、眼(め)の進歩(しんぽ)を全(まつた)く失(うしな)つて、手(て)のみで絵(え)を描(か)く習慣(しゆうかん)に陥(おちい)つた、作家(さつか)の神経衰弱症(しんけいすいじやくしよう)に与(あた)へられる言葉(ことば)である。だが、大(おほ)きなことはいへない。われ/\の世間(せけん)にも、鎮雄君(しづをくん)の世間(せけん)にも、眼(め)を肥(こや)してくれる機会(きかい)はどうもすくないのであるから、──きやべつは軟(やはら)かさや味(あぢ)はひが宝(たから)である、ところが肥(こや)しが利(き)きすぎると葉(は)が徒(いたづ)らに育(そだ)つて硬(かた)くなり、野菜(やさい)として劣等品(れつとうひん)になるといふ。鎮雄君(しづをくん)も肥(こや)しが利(き)きすぎたかも知(し)れない。いや、もつと正(たゞ)しいいひ方(かた)をすれば、不適当(ふてきとう)な肥(こや)しが与(あた)へられたのかも知(し)れない。もしもきやべつに痩(や)せた土(つち)がよいとするならば、痩(や)せた土(つち)はすなはちよい肥(こや)しを意味(いみ)するわけである。学校(がつこう)の先生(せんせい)や家庭(かてい)の父兄(ふけい)は、子供(こども)の素質(そしつ)に応(おう)じて肥(こや)しの適否(てきひ)を実験的(じつけんてき)に取(と)り扱(あつか)はねばなるまい。しかり、われ/\の職務(しよくむ)たるや、まことにむづかしい次第(しだい)である。それにつけてももまたなんと待遇(たいぐう)のお安(やす)いことよか、あつはつはつはつ」
 原(はら)さんは会場(かいじよう)に太郎君(たろうくん)の両親(りようしん)や、鎮雄君(しづをくん)の両親(りようしん)を迎(むか)へて、自分(じぶん)の好(この)みから、また教育者(きよういくしや)の立(た)ち場(ば)から、四人(よにん)の為事(しごと)の長短(ちようたん)をいろ/\話(はな)してきかせました。それによると、孝子(こうこ)さんと鎮雄君(しづをくん)は、毛筆(もうひつ)と日本絵(につぽんえ)の具(ぐ)、太郎君(たろうくん)はくれぱすもしくは油絵(あぶらえ)の具(ぐ)、みち子(こ)さんは水彩(すいさい)絵(え)の具(ぐ)を、いつまでも使(つか)はせるがよいことになります。つまり、それ/゛\に手(て)なじんだ材料(ざいりよう)であり、また材料(ざいりよう)そのものから独特(どくとく)の絵(え)が生(うま)れ来(きた)つたことに鑑(かんが)みて、無考(むかんが)へに画用品(がようひん)を変(か)へさすなといふことです。今日(こんにち)の小学校(しようがつこう)では、幼年(ようねん)はくれいよん、すこし長(ちよう)じてはくれぱす、高等小学(こうとうしようがく)や中学(ちゆうがく)になると水絵(みづえ)の具(ぐ)、油絵(あぶらえ)の具(ぐ)はなほ一段(いちだん)高級(こうきゆう)な画用品(がようひん)、といふように心得(こゝろえ)てゐるが、さうした教育界(きよういくかい)の習俗(しゆうぞく)は馬鹿(ばか)らしいといふことです。太郎君(たろうくん)のお父(とう)さんは開業医(かいぎようい)で、もとより実験主義者(じつけんしゆぎしや)ですからすぐ共鳴(きようめい)して、自分(じぶん)の畑(はたけ)へ引(ひ)きとつて答(こた)へました。
「ごもつともですな、私共(わたしども)の方(ほう)でも、頻繁(ひんぱん)に新薬(しんやく)が現(あらは)れて、はやる医者(いしや)に新薬(しんやく)は附(つ)きものだが、さて、新薬(しんやく)といふものは高(たか)いが特色(とくしよく)で、多(おほ)く利(き)き目(め)はないですな」
 黙(だま)つてきいてゐる鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんにも、「絵(え)の直打(ねうち)ちは作(さく)の新古(しんこ)にかゝはらない」といふ説(せつ)や、「子供(こども)の画学(ががく)に新(あたら)しい、いはゆる便利(べんり)な画用品(がようひん)が、必(かなら)ずしも教育的(きよういくてき)に優良(ゆうりよう)とは限(かぎ)らない」といふ説(せつ)はうなづけました。鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんは木彫人形(きぼりにんぎよう)を作(つく)りますが、はじめその色彩(しきさい)にちゆーぶ入(い)りの安(やす)い水彩絵(すいさいえ)の具(ぐ)を便利(べんり)として用(もち)ひたところ、ぢきに腿色(たいしよく)したのにこりて、こんどはあらびあごむで泥絵(どろえ)の具(ぐ)を溶(と)いて使(つか)ひましたが、これも顔科(がんりよう)の定着(ていちやく)について不安(ふあん)があり、それに色(いろ)がとかく陰気(いんき)になるのでした。それで結局(けつきよく)、奈良人形(ならにんぎよう)などの色彩(しきさい)の手法通(しゆほうどほ)り、膠(にかは)のうすいので日本絵(につぽんえ)の具(ぐ)をといて用(もち)ひるようになりました。もつともさうした古来(こらい)の手法(しゆほう)は決(けつ)して便利(べんり)でない。例(たと)えば、胡粉(ごふん)を自分(じぶん)で溶(と)いて、よく漉(こ)して使(つか)はなければならないようなわけで閑(ひま)つぶしですが、しかし、為事(しごと)といふものは楽(たの)しんでかゝると効果(こうか)のためには手数(てかず)を惜(おし)まなくなるものです。──原(はら)さんと鎮雄君(しづをくん)のお父(とう)さんとに、こんな会話(かいわ)がありました。「鎮雄君(しづをくん)の近頃(ちかごろ)の絵(え)は色彩(しきさい)をおもにくれいよんでやつてゐますね、水墨(すいぼく)とくれいよんとはどうもつきが悪(わる)いし、泥絵(どろえ)の具(ぐ)にくらべて不経済(ふけいざい)でもありますね」
「さうでごわすな、この頃(ごろ)は、めたへえ写生(しやせい)をしやして、はじめはそれでも泥絵(どろえ)の具(ぐ)をもつて出(で)やしたが、何分(なにぶん)不便(ふべん)だもんで、最近(さいきん)はくれいよんきり使(つか)つてゐるようでごわす」
「鎮雄君(しづをくん)の水墨(すいぼく)のでつさんはつゞけさしたいものですね、特色(とくしよく)ですよ」
「はい、墨(すみ)はよさねえようです」
「矢立(やた)てを使(つか)つてゐますね」
「はい、祖父(ぢい)さんからもらつて来(き)やして、あればかりは、いつも持(も)つて出(で)るようでごわすな」
「鎮雄君(しづをくん)は泥絵(どろえ)の具(ぐ)のぱれつとを持(も)つてゐるそうですね」
「さあて、そんな物(もの)をもつてゐやすかなあ」
「なんでも、あなたに教(をそ)はつて作(つく)つた物(もの)だそうですぜ」
「なに、あれですか、エジプトのぱれつとのことでごわせう。あつはつはつはつ」
「さうです、どんな式(しき)なものか見(み)せてもらはうと思(おも)つてゐたんですが、どんな風(ふう)な物(もの)ですか」
「なに、ざつとした物(もの)でごわすよ。私(わたし)に木彫(もくちよう)を教(をし)へておくれやした先生(せんせい)が持(も)つてゐて、その見取(みと)り図(ず)があつたものですから、野郎(やろう)せつこうよくこしらへてゐやしたつけが、なんでも、エジプトの壷(つぼ)の絵(え)かきは、あゝいふぱれつとを用(もち)ひたものだそうでごわすなあ」
「僕(ぼく)は話(はな)しにはきいたが見(み)たことはありません。どんな物(もの)です」
「さようですなあ。長(なが)い名札(なふだ)のような板(いた)で、その上(うへ)の方(ほう)に碁石程(ごいしほど)の大(おほ)きさの深(ふか)い窪(くぼ)みが五(いつ)つばかり作(つく)つてありやしてなあ、そこへ、泥絵(どろえ)の具(ぐ)の堅練(かたね)りを入(い)れておくのですな、持(も)ち方(かた)は左手(ひだりて)に板(いた)の下(した)の方(ほう)を握(にぎ)り、筆(ふで)はちよつと線香(せんこう)のような細(ほそ)い棒(ぼう)でごわしてなあ、なんでもそれは、エジプトの草(くさ)の茎(くき)で、尖(さき)をくだくと、とても細(こま)かく割(わ)れるのだといふ話(はなし)でごわした」
「そいつは変(かは)つてゐますね、だが色彩用(しきさいよう)には不向(ふむ)きですな」
「さうどこぢやごわしねえ、まづ線描(せんが)きのものでごわせう」
「それにしても、僕(ぼく)は鎮雄君(しづをくん)を見(み)ていつも感心(かんしん)するんです。いろ/\な物(もの)を自分(じぶん)で作(つく)つてゐる、今(いま)のそのエジプトのぱれつとでも、例(れい)の浮(う)き彫(ぼ)りを施(ほどこ)した絵(え)の具箱(ぐばこ)でも、画架(がか)でも画板(がばん)でも、ぺん軸(じく)でも、必要品(ひつようひん)をたいてい手製(てせい)してゐる。まつたく、趣味(しゆみ)と勤労(きんろう)とのよい風習(ふうしゆう)ですね。先日(せんじつ)も友達(ともだち)とかし胡桃(ぐるみ)をおとして河原(かはら)の石(いし)の上(うへ)で割(わ)つてゐたといふから、食(た)べたのかと思(おも)つてきくと、なに、胡桃(くるみ)の油(あぶら)で手製(てせい)の筆箱(ふでばこ)の艶出(つやだ)しをするのだといふぢやないですか。さういふ自然(しぜん)の風流(ふうりゆう)は、都会(とかい)の子供(こども)のとても知(し)らないことですよ」
 原(はら)さんは四人(よにん)展覧会(てんらんかい)の会場(かいじよう)で、いろ/\な人(ひと)を迎接(げいせつ)して、かういふ理窟(りくつ)つぽいおしやべりをやりながら、晴天(せいてん)三日間(みつかかん)を惜(をし)みなく棒(ぼう)にふつてしまひました。

一三、みち子(こ)さんから鎮雄(しづを)さんへの手紙(てがみ)

 鎮雄(しづを)さん──大変(たいへん)御無沙汰(ごぶさた)致(いた)しました、お変(かは)りはなくつて。信州(しんしゆう)はもうすつかり秋(あき)の景色(けしき)でせうね、星野(ほしの)の別荘(べつそう)にも、遊園地(ゆうえんち)の別荘(べつそう)にも、もう一人(ひとり)もゐないでせうね。私達(わたしたち)の帰(かへ)る時分(じぶん)に、もう鎮雄(しづを)さんのお気(き)に入(い)りのあの東(ひがし)の方(ほう)のから松山(まつやま)はうつすり莨色(たばこいろ)になりかゝつてゐました。あの秋(あき)の音(おと)づれの色(いろ)を忘(わす)れません。久(ひさ)しぶりに帰(かへ)つて見(み)て東京(とうきよう)もいゝと思(おも)ひましたが、毎朝(まいにち)美(うつく)しい山々(やま/\)を見(み)られる鎮雄(しづを)さんを羨(うらや)ましいと思(おも)ひます。帰(かへ)つた当座(とうざ)一日(いちにち)じゆう信州(しんしゆう)のお話(はなし)をしてゐましたが、学校(がつこう)がはじまつて急(きゆう)に忙(せは)しくなつたので、すつかりそつちのことを忘(わす)れてゐました。太郎兵衛(たろべえ)さんは今(いま)びり助(すけ)になつて弱(よわ)り込(こ)んでゐます、柿(かき)を食(た)べすぎたんですの。孝子(こうこ)ちやんは元気(げんき)です。わらび野(の)にゐる時(とき)と同(おな)じようにだまつて絵(え)をかいてゐます、まつたく孝子(こうこ)ちやんは天才的(てんさいてき)ね。原(はら)先生(せんせい)はどうなすつたでせう、その後(ご)一度(いちど)もお目(め)にかゝりません。でもきのふ、二科会(にかかい)の展覧会(てんらんかい)で絵(え)を見(み)て来(き)ましたわよ。鎮雄(しづを)さんあの絵(え)よ、私達(わたしたち)がお知(し)り合(あ)ひになつたあの日(ひ)に描(か)いていらしつた、二十五号(にじゆうごごう)の落葉松山(からまつやま)の絵(え)よ。第三室(だいさんしつ)のとつつきに懸(か)かつてゐました、私(わたし)第二室(だいにしつ)から三室(さんしつ)へ曲(まが)ると、いきなりあの絵(え)があつたので、はつとしましたわ。二科会(にかかい)へお出(だ)しになつたことなぞちつとも知(し)らなかつたし、つい学校(がつこう)が忙(せは)しくて新聞(しんぶん)も見(み)なかつたでせう、まつたく不意(ふい)でしたわ。私(わたし)うれしくつて思(おも)はず声(こゑ)をあげたものですから、お友達(ともだち)に叱(しか)られちまひました。その室(へや)にゐた人(ひと)がみんなこつちを振(ふ)りむいたのですつて。ですが、あの岡(をか)の上(うへ)で見(み)た時(とき)の絵(え)となんだか違(ちが)つた絵(え)のようよ。もつと明(あか)るいはつきりした絵(え)と覚(おぼ)えてゐるんですが、展覧会場(てんらんかいじよう)で見(み)るせいか、妙(みよう)に調子(ちようし)の弱(よわ)い、原(はら)先生(せんせい)に憤(おこ)られるかも知(し)れないが、あまり引(ひ)き立(た)たない絵(え)だと思(おも)つたわ。しかしお友達(ともだち)の話(はなし)では、なにかの新聞(しんぶん)にほめてあつたそうです。──鎮雄(しづを)さんはまだ、帝展(ていてん)も二科展(にかてん)も見(み)たことがないのね。田舎(ゐなか)に住(す)む人(ひと)は、毎日(まいにち)いゝ景色(けしき)を見(み)てゐられるけれど、展覧会(てんらんかい)でいゝ絵(え)を見(み)たりする機会(きかい)はない、都会(とかい)に住(す)む者(もの)は展覧会(てんらんかい)で良(よ)い絵(え)を見(み)る機会(きかい)はあつても、毎日(まいにち)いゝ景色(けしき)を眺(なが)めるわけにゆかない。まつたく、二(ふた)ついゝことつてないものね。
 きのふは、学校(がつこう)の美術(びじゆつ)の日(ひ)で、先生(せんせい)の『美術(びじゆつ)しーずん』といふお話(はなし)を聴(き)いてから、皆(みんな)して展覧会(てんらんかい)を見物(けんぶつ)に出(で)かけたのですが、美術(びじゆつ)の日(ひ)のことを時々(とき/゛\)御報告(ごほうこく)する約束(やくそく)でしたから、今日(けふ)のを第一回(だいいつかい)と思(おも)つて頂戴(ちようだい)、お話(はなし)は覚(おぼ)え書(が)き風(ふう)にかいてよ。

    『美術(びじゆつ)しーずん』のお話(はなし)

「世間(せけん)には、『美術(びじゆつ)しーずん』といふものがある、しーずんとは、季節(きせつ)のことで、例(たと)へば、お花見(はなみ)の頃(ころ)は、お花見(はなみ)しーずんといふことが出来(でき)る。つまり一年中(いちねんじゆう)で最(もつと)も多(おほ)く、美術家(びじゆつか)の新作品(しんさくひん)を見(み)られる時季(じき)を指(さ)して『美術(びじゆつ)しーずん』といふ。
 『美術(びじゆつ)しーずん』はフランスにも、英国(えいこく)にも、イタリーにも、ロシアにも、米国(べいこく)にも、要(よう)するに今日(こんにち)の文明国(ぶんめいこく)には皆(みんな)それがあつて、たいてい春(はる)と秋(あき)とに別(わか)れてゐる。日本(につぽん)では毎年(まいねん)三月(さんがつ)から五月頃(ごがつごろ)までが春(はる)の美術(びじゆつ)しーずん、九月(くがつ)から十一月(じゆういちがつ)にかけて秋(あき)の美術(びじゆつ)しーずんである。そして美術(びじゆつ)しーずんに催(もよほ)される展覧会(てんらんかい)は、力(ちから)からいつても大(おほ)きさからいつても代表的(だいひようてき)なもので、従(したが)つて、新聞紙(しんぶんし)がこぞつてその景況(けいきよう)を報導(ほうどう)し、美術雑誌(びじゆつざつし)は特別号(とくべつごう)を編輯(へんしゆう)して仔細(しさい)にそれを紹介(しようかい)する。
 わが現在(げんざい)の美術(びじゆつ)しーずんの代表的(だいひようてき)な展覧会(てんらんかい)は左(さ)の四(よつ)つである。
  春季(しゆんき)──春陽会(しゆんようかい)
  秋季(しゆうき)──日本美術院(につぽんびじゆついん)
            二科会(にかてん)
            帝国美術院(ていこくびじゆついん)
 この美術(びじゆつ)しーずんの四(よつ)つの会(かい)の特色(とくしよく)は会員(かいいん)の作品(さくひん)を発表(はつぴよう)するのみならず、製作品(せいさくひん)を一般(いつぱん)から募集(ぼしゆう)して鑑別(かんべつ)と審査(しんさ)を行(おこな)ひ、その年(とし)の傑作(けつさく)を世間(せけん)に紹介(しようかい)することである。
 右四(みぎよつ)つの会(かい)は、現在(げんざい)のところ、際立(きはだ)だつた主義(しゆぎ)、主張(しゆちよう)の相違(そうい)によつて対立(たいりつ)はしてはゐない。画風(がふう)は大体(だいたい)に於(おい)て似通(にかよ)つてゐる。
 右(みぎ)のうち、一番規模(いちばんきぼ)の大(おほ)きいのは、帝国美術院(ていこくびじゆついん)の展覧会(てんらんかい)、すなはち帝展(ていてん)でこれは絵画(かいが)、彫刻(ちようこく)、工芸(こうげい)の三美術(さんびじゆつ)を包含(ほうがん)し、絵画(かいが)が、東洋風(とうようふう)と西洋風(せいようふう)の二部(にぶ)に区別(くべつ)されて、全体(ぜんたい)が四部(しぶ)の組織(そしき)になつてゐる。そしてこの展覧会(てんらんかい)の経費(けいひ)は国庫(こつこ)から支出(ししゆつ)され、審査員(しんさいん)は、年々(ねん/\)文部大臣(もんぶだいじん)によつて任命(にんめい)される。この展覧会(てんらんかい)の特色(とくしよく)は、大作(たいさく)が多(おほ)いことである。もちろん大作(たいさく)必(かなら)ずしも傑作(けつさく)ではない、しかし全体(ぜんたい)として華々(はな/゛\)しく賑(にぎや)かである。
 次(つ)ぎに大(おほ)きいのは日本美術院(につぽんびじゆついん)の展覧会(てんらんかい)である。これは、絵画(かいが)、彫刻(ちようこく)の二部(にぶ)で、絵画部(かいがぶ)は東洋画(とうようが)に限(かぎ)られてゐる。そしてこの会(かい)は美術家(びじゆつか)自身(じしん)が経営(けいえい)し、会員全体(かいいんぜんたい)で毎年(まいねん)鑑別審査(かんべつしんさ)をやる。この展覧会(てんらんかい)の特色(とくしよく)は研究心(けんきゆうしん)の盛(さか)んなことで、いつも『様式(ようしき)』が目(め)に立(た)つ。
 二科会(にかかい)、春陽会(しゆんようかい)は、同(おな)じぐらゐな規模(きぼ)である。二科会(にかかい)に彫刻室(ちようこくしつ)があり、春陽会(しゆんようかい)には、素描室(そびようしつ)、挿(さ)し絵(え)室(しつ)、版画室(はんがしつ)がある。これも会員(かいいん)の経営(けいえい)であること、日本美術院(につぽんびじゆついん)と同様(どうよう)である。二科会(にかかい)は曾(か)つて、急進派(きゆうしんは)であつたが、今日(こんにち)ではそのまゝ穏健派(おんけんは)になつてゐる。(他(ほか)にいろいろ急進派(きゆうしんは)が出来(でき)たからだ)しかし、相(あひ)かはらず、この会(かい)の特色(とくしよく)として毎回(まいかい)未来派(みらいは)作品(さくひん)の陳列(ちんれつ)を見(み)る。──春陽会(しゆんようかい)はめい/\自由(じゆう)な画風(がふう)であるが、しかし未来派風(みらいはふう)はなく、東洋風(とうようふう)な絵(え)が多(おほ)い。
 二(ふた)つの美術(びじゆつ)しーずんを通(つう)じて、右(みぎ)四大(しだい)展覧会(てんらんかい)に集(あつま)る応募作品(おうぼさくひん)の総数(そうすう)は、毎年(まいねん)約(やく)一万二千点(いちまんにせんてん)内外(ないがい)で、その百分(ひやくぶん)の七(しち)ぐらゐが及第(きゆうだい)して、公衆(こうしゆう)の前(まへ)へ紹介(しようかい)される次第(しだい)である」
 これがきのふのお話(はなし)の要領(ようりよう)よ、田舎(ゐなか)にゐて展覧会(てんらんかい)などには縁遠(えんどほ)い鎮雄(しづを)さんには、こんなお話(はなし)はさぞつまらないでせう。でも、これも又(また)世(よ)の中(なか)の事実(じじつ)だから、知(し)つておいて損(そん)はないと思(おも)ふわ。
 それでは、さようなら。今度(こんど)はもつと面白(おもしろ)いお話(はなし)をお知(し)らせ出来(でき)ると思(おも)ひます。鎮雄(しづを)さんからの御報告(ごほうこく)を待(ま)つてゐます。   みち子(こ)

一四、鎮雄(しづを)さんからみち子(こ)さんへの手紙(てがみ)

 お手紙(てがみ)受(う)け取(と)りやした。美術(びじゆつ)しーずんのお話(はなし)ありがとう。原先生(はらせんせい)から、こねえだ手紙(てがみ)が来(き)やした。冬(ふゆ)のお休(やす)みに、こつちへおいでるそうです。僕(ぼく)の父(とう)やんに人形(にんぎよう)を彫(ほ)ることを教(をそ)はるのです。僕(ぼく)も一(いつ)しよに教(をそ)はりてえと父(とう)やんにお願(ねが)ひしたら、父(とう)やんがいゝつていひやした。
 僕(ぼく)は、毎日(まいにち)学校(がつこう)へいつてゐやす。学校(がつこう)からかへると射的場(しやてきば)へゆきやす。製材所(せいざいしよ)の小父(をつ)しやんは、鉄砲(てつぽう)の名人(めいじん)ですよ。猟期(りようき)にはひると、僕(ぼく)を猟(りよう)へつれていつてくれるつつうから、僕(ぼく)は一(いつ)しよう懸命(けんめい)に射的(しやてき)を習(なら)つてゐやす。今年(ことし)は鳥(とり)がえれえゐやす、きのふ星野(ほしの)へ栗(くり)をとりにいつたら、わらび野(の)のみち子(こ)さんのゐた別荘(べつそう)の裏(うら)に、雉(きじ)がかくねてゐやした。僕達(ぼくたち)の足(あし)おとに驚(おどろ)いて、ぱさ/\と舞(ま)ひあがつて、塩沢谷(しほざはだに)の方(ほう)へ飛(と)んでゆきやした。
 僕(ぼく)はみち子(こ)さんに巣箱(すばこ)のことを報告(ほうこく)しやす。前週(ぜんしゆう)と今週(こんしゆう)の手工(しゆこう)の時間(じかん)に、僕達(ぼくたち)は巣箱(すばこ)のお話(はなし)を聞(き)き、それを作(つく)ることを教(をそ)はりやした。──先生(せんせい)のお話(はなし)通(どほ)りにかいてみやす。

    巣箱(すばこ)のお話(はなし)

「君達(きみたち)は、巣箱(すばこ)つてどんなものか、よく知(し)つてゐるね。鳥(とり)の寝(ね)る箱(はこ)、あのことさ、もつとも、鳩(はと)なんかゞ幾羽(いくは)もはひつて寝(ね)られる大(おほ)きな小屋(こや)は巣舎(そうしや)といひ、燕(つばめ)の宿屋(やどや)は、巣台(すだい)といふ。先生(せんせい)がこれからお話(はなし)して、あとで、みんなでこしらへようといふ巣箱(すばこ)は、鳥小屋(とりごや)におく巣箱(すばこ)ではなく、庭(には)や、林(はやし)の、木(き)の幹(みき)へとりつけておく巣箱(すばこ)なんで、さういふ巣箱(すばこ)はまだあまり見(み)た人(ひと)はないだらう。先生(せんせい)の叔父(をぢ)さんにね、農林省(のうりんしよう)のお役人(やくにん)があつて、先生(せんせい)がまだ君達(きみたち)ぐらゐの小学生時分(しようがくせいじぶん)、よく益鳥(えきちよう)の話(はなし)をしてくれたが、その時(とき)さういふ巣箱(すばこ)の話(はなし)を聞(き)いたんだ。それを思(おも)ひ出(だ)して、こいつは一(ひと)つ手工(しゆこう)の時間(じかん)に、めい/\で巣箱(すばこ)を作(つく)り、それを裏(うら)の林(はやし)へ配置(はいち)して見(み)ようと思(おも)つたのです。で、さつそく、をじさんに巣箱(すばこ)のこしらへ方(かた)を問(と)ひ合(あは)せてやつたら、先週(せんしゆう)、本(ほん)を一冊(いつさつ)おくつてくれた。それを見(み)ると、巣箱(すばこ)に関係(かんけい)したことがいろ/\かいてあつて、巣箱(すばこ)の作(つく)り方(かた)もわかつた。先生(せんせい)は巣箱(すばこ)は木(き)の板(いた)でこしらへるものとのみ思(おも)つてゐたが、どうしていろ/\な巣箱(すばこ)があるよ。丸太(まるた)をきつてこしらへたものもあるし、空(あ)き缶(かん)を利用(りよう)したのもあるし、瓢箪(ひようたん)を用(もち)ひたのもある。鳥(とり)によつて、穴(あな)の大(おほ)きさや中(なか)の洞(うつろ)の形(かたち)がちがひ、巣箱(すばこ)をとりつける高(たか)さや、位置(いち)や、方向(ほうこう)がちがつてゐる。それさへ約束通(やくそくどほ)りになつてゐれば、なにを使(つか)つてもどんな形(かたち)でもいゝらしい。それはあとで教(をし)へるが、まづかういふ巣箱(すばこ)が、益鳥(えきちよう)保護(ほご)にどんなに役立(やくだ)つかといふことをお話(はなし)しよう。
 君達(きみたち)は軽井沢(かるゐざは)の原(はら)に、昔(むかし)からあんなに赤屋根(あかやね)の西洋館(せいようかん)があつて、西洋人(せいようじん)があちこち散歩(さんぽ)してゐたものと思(おも)つてゐるかも知(し)れないが、君達(きみたち)の祖父(おぢい)さんの子供(こども)の頃(ころ)は、ごるふ場(じよう)のあたりは一面(いちめん)の山林(さんりん)で、熊(くま)などがのそ/\やつて来(き)たものなんだ。ところが到(いた)るところ人口(じんこう)が殖(ふ)え、工場(こうじよう)がふえ、慰(なぐさ)みの鉄砲打(てつぽうう)ちが多(おほ)くなるにしたがつて、熊(くま)も、鳥(とり)も、だん/\山奥(やまおく)に逃(に)げ込(こ)んでしまひ、地球上(ちきゆうじよう)に影(かげ)も形(かたち)もなくなつてしまつた鳥(とり)もあるといふ話(はなし)で、僕(ぼく)の叔父(をぢ)さんなんかは真剣(しんけん)に鳥類保護(ちようるいほご)に骨折(ほねを)つてゐるのです。君達(きみたち)はだれもよく知(し)つてゐる通(とほ)り、山林(さんりん)や農作物(のうさくぶつ)を荒(あら)すいろ/\な害虫(がいちゆう)を、小鳥達(ことりたち)がきれいに食(た)べてくれる。それで人間(にんげん)はさういふ役(やく)に立(た)つ小鳥(ことり)を益鳥(えきちよう)とよんでゐるのだが、益鳥(えきちよう)を人(ひと)の力(ちから)で殖(ふや)すのに、巣箱(すばこ)が大(たい)そう役(やく)に立(た)つのです。といふのは、卵(たまご)を産(う)んで雛(ひな)を育(そだ)てるためにはどの鳥(とり)も巣(す)を作(つく)る。しかも、敵(てき)に襲(おそ)はれないような場所(ばしよ)を見(み)つけなければならない。君達(きみたち)は山(やま)で見(み)たことがあるだらう、鳥(とり)が巣(す)の奪(うば)ひ合(あ)ひで騒(さわ)いでゐるのを。頬白(ほゝじろ)や鶯(うぐひす)のように、木(き)のまたや、竹藪(たけやぶ)などに巣(す)をつくる鳥(とり)は気楽(きらく)なようだが決(けつ)してさうでない。林(はやし)や藪(やぶ)が払(はら)はれてどし/\開墾地(かいこんち)となる今日(こんにち)では、かれらの住宅地(じゆうたくち)はだん/\狭(せば)められる一方(いつぽう)なのだ。また大木(たいぼく)のうつろを住(す)みかとする椋鳥(むくどり)や、四十雀(しじゆうから)や、啄木鳥(きつゝき)も、建築用材(けんちくようざい)にその老樹(ろうじゆ)が伐(き)られると、たちまち宿(やど)なしになつてしまふ。そこでわれ/\人間(にんげん)が、虫害(ちゆうがい)をのぞいてくれるお礼(れい)としても、住(す)みいゝ住宅(じゆうたく)をこしらへてやるべきぢやないかね。君達(きみたち)のうちのいたづら坊主(ぼうず)で、鳥(とり)の巣(す)を見(み)つけて卵(たまご)をとつたり、雛(ひな)をさらつたりした者(もの)がありそうだが、あれはいけないぜ。それよりも巣箱(すばこ)をこしらへて、鳥(とり)の親子(おやこ)を世話(せわ)した方(ほう)が面白(おもしろ)い。なんでも四国(しこく)の方(ほう)の小学校(しようがつこう)でね、生徒(せいと)が二百五十個(にひやくごじつこ)はかりの巣箱(すばこ)をこしらへて、学校(がつこう)の近(ちか)くの林(はやし)に配置(はいち)したことがあつたが、間(ま)もなくそのうちの二百(にひやく)ばかりの箱(はこ)に椋鳥(むくどり)が住(す)み込(こ)んだので、生徒達(せいとたち)は大喜(おほよろこ)びで、めい/\自分(じぶん)のこしらへた巣箱(すばこ)へはひつた椋鳥(むくどり)の様子(ようす)を観察(かんさつ)して楽(たの)しんだといふ話(はなし)をきいたことがある。 巣箱(すばこ)を造(つく)つて益鳥(えきちよう)の保護(ほご)を試(こゝろ)みた最初(さいしよ)の人(ひと)は、ドイツ人(じん)で、ベルレプシユといふ華族(かぞく)さんだ。その人(ひと)は自分(じぶん)の邸園内(ていえんない)に三十六種類(さんじゆうろくしゆるい)、五百六十(ごひやくろくじゆう)余(よ)番(つがひ)の小鳥(ことり)を住(すま)はしてゐたそうだ。それが皆(みな)、さういふ巣箱(すばこ)にはひつた鳥(とり)で、どれも雛(ひな)を育(そだ)てゝゐるんだから面白(おもしろ)いね。この人(ひと)はなほ、庭園(ていえん)続(つゞ)きの植林地(しよくりんち)に二千個(にせんこ)の巣箱(すばこ)を配(くば)つて、森林(しんりん)有益鳥(ゆうえきちよう)を保護(ほご)したそうだ。それについていゝ話(はなし)がある、ある年(とし)、その地方(ちほう)数里(すうり)にわたつておびたゞしい葉巻(はま)き虫(むし)が発生(はつせい)し、一帯(いつたい)の森林(しんりん)が大被害(だいひがい)をうけたが、今(いま)話(はなし)したベルレプシユ男爵家(だんしやくけ)の森林(しんりん)だけは、なんの被害(ひがい)もなく、青々(あを/\)として、まるで砂漠(さばく)の中(なか)のおあしすを見(み)るようであつたとさ。つまり、男爵家(だんしやくけ)の借家(しやくや)に住(す)まつてゐる何千羽(なんぜんば)かの小鳥(ことり)連中(れんじゆう)が、御礼(おれい)に男爵家(だんしやくけ)の領地(りようち)へやつて来(く)る葉巻(はま)き虫(むし)を、みんなぱくついてしまつたんだね。
 米国(べいこく)の小学校(しようがつこう)では『鳥(とり)の記念日(きねんび)』といふものがあつて、その日(ひ)は子供(こども)にいろ/\な鳥(とり)のお話(はなし)をしたり、活動写真(かつどうしやしん)を写(うつ)したりして、子供(こども)と鳥(とり)をお友達(ともだち)にするように骨(ほね)を折(を)つてゐるそうだ。むろん手工(しゆこう)に巣箱(すばこ)を造(つく)らしてゐる。巣箱(すばこ)を造(つく)るだけでなく、それを林(はやし)へもつていつてとりつけることや、巣箱(すばこ)にはひつた鳥(とり)の観察(かんさつ)することなども学課(がくか)になつてゐるんだから、その辺(へん)の鳥(とり)は仕合(しあは)せさね。鳥(とり)の生活(せいかつ)を観察(かんさつ)して、生徒(せいと)は記録(きろく)を作(つく)ることになつてゐる。その課題(かだい)は、

一(いち)、巣箱(すばこ)に鳥(とり)がはひつたのは何日(なんにち)か。
二(に)、どんな種類(しゆるい)の鳥(とり)が巣箱(すばこ)にはひつたか、先(さき)にはひつてゐた鳥(とり)がゐた時(とき)、それを追(お)つ払(ぱら)つたかどうか。
三(さん)、いつから巣(す)をつくる材料(ざいりよう)を運(はこ)びだしたか、そして出来上(できあが)るまでに何日(なんにち)かゝつたか。
四(し)、一日中(いちにちじゆう)で、いつが最(もつと)も巣(す)をつくる為(ため)に働(はたら)くか。
五(ご)、雌雄(しゆう)とも巣(す)をつくるのに働(はたら)くか、両方(りようほう)とも働(はたら)く時(とき)、どつちが為事(しごと)に忠実(ちゆうじつ)か。
六(ろく)、巣(す)が出来(でき)てから孵化(ふか)まで何日(なんにち)かゝるか。
七(しち)、毎日(まいにち)午前(ごぜん)は八時(はちじ)と九時(くじ)の間(あひだ)、午後(ごご)は四時(よじ)と五時(ごじ)の間(あひだ)に、雛(ひな)が親(おや)から幾度(いくど)食(た)べ物(もの)をもらふか。そして、両親(りようしん)とも雛(ひな)を養(やしな)ふか。親鳥(おやどり)が雛(ひな)に与(あた)へる食(た)べ物(もの)がなんであるかを、出来(でき)たらしらべて見(み)よ。
八(はち)、孵化(ふか)したのち、巣立(すだ)つまで何日(なんにち)かゝるか。
九(く)、雛(ひな)が巣立(すだ)ちする時(とき)、飛(と)ぶ方法(ほうほう)をどんな風(ふう)にして覚(おぼ)えるか。親鳥(おやどり)が飛(と)ぶことを教(かぞ)へるかどうか。
十(じゆう)、鳥(とり)が巣(す)を去(さ)つた後(のち)、再(ふたゝ)び帰(かへ)つて来(こ)ない時(とき)は、巣(す)を取(と)り去(さ)つてその材料(ざいりよう)を調(しら)べて見(み)よ。

 どうだい、せつこうよくないと出来(でき)ないなあ。だが、面白(おもしろ)からうぜ。かうして自分(じぶん)の借家(しやくや)にはひつた鳥(とり)の巣立(すだ)ちを観察(かんさつ)するのは。──この辺(へん)は小鳥(ことり)はたくさんゐる、ひよつとすると住宅難(じゆうたくなん)はないかも知(し)れないが、一(ひと)つ試(ため)して見(み)ようぢやないか。だれの借家(しやくや)に早(はや)く鳥(とり)がはひるか、もちろん、約束(やくそく)にぴつたりはまつた、住(す)み心地(ごゝち)のよいうちへ、まつさきにはひるに相違(そうい)ない。──ぢや、巣箱(すばこ)を造(つく)る話(はなし)に移(うつ)らう。

    巣箱(すばこ)の作(つく)り方(かた)

 さつき話(はな)した通(とほ)り、巣箱(すばこ)にはいろ/\な材料(ざいりよう)や形(かたち)があるが、ベルレプシユ男爵(だんしやく)が作(つく)つたものは木(き)の皮(かは)つきのまゝの丸太(まるた)を真中(まんなか)から割(わ)つて、内部(ないぶ)を刳(ゑぐ)つて又(また)合(あは)せた、つまり木(き)の自然(しぜん)のうつろを模造(もぞう)したものだが、これはしかし、啄木鳥(きつゝき)に向(む)くのだそうだ。この辺(へん)は山林(さんりん)で、啄木鳥(きつゝき)もずいぶんゐるからこの式(しき)のも造(つく)ることにしよう。この啄木鳥用(きつゝき)の巣箱(すばこ)は、出来上(できあが)りがこんな恰好(かつこう)で、(先生(せんせい)が塗(ぬ)り板(いた)に図(ず)でかきました)縦断面(じゆうだんめん)はこんなで、寸法(すんぽう)は、
   出入(でい)り口(ぐち)の穴(あな)の直径(ちよつけい)
     ……一(いち)いんち四分(しぶん)の三(さん)乃至(ないし)二(に)いんち
   巣(す)の内径(ないけい)……六(ろく)いんち
 この寸法(すんぽう)は厳重(げんじゆう)に守(まも)る方(ほう)がいゝ、といふのは巣(す)のうつろが大(おほ)きすぎると、鳥(とり)がいろ/\な材料(ざいりよう)をもちこんで産褥(さんじゆく)を作(つく)る場合(ばあひ)に、手間(てま)がかゝるし、出入(でい)り口(ぐち)の穴(あな)が大(おほ)きすぎると、他(ほか)の大(おほ)きい鳥(とり)がはひつて来(き)て、前(まへ)にはひつてゐる鳥(とり)を追(お)ひ出(だ)すかも知(し)れない。現(げん)に、盛岡(もりおか)の高等農林学校(こうとうのうりんがつこう)で実験(じつけん)した時(とき)も、最初(さいしよ)四十雀(しわ)がはひつた巣箱(すばこ)に、あとから椋鳥(むくどり)が来(き)て四十雀(しわ)を追(お)つ払(ぱら)つちまつたそうだからね。──きつゝきの巣箱(すばこ)の他(ほか)四十雀(しわ)のを造(つく)るとしよう。信州(しんしゆう)には四十雀(しわ)がたくさんゐるからね、これは穴(あな)が少(すこ)し小(ちひ)さい。
   出入(でい)り口(ぐち)の穴(あな)の直径(ちよつけい)
     ……一(いち)いんち八分(はちぶん)の一(いち)
   巣(す)の内径(ないけい)……四(し)いんち
だ。そしてこの寸法(すんぽう)の巣箱(すばこ)には、みそさゞいもはひるそうだよ。 とにかくまづ、第一回(だいいつかい)はかういふ簡単(かんたん)なもので験(ため)して見(み)て、そのうちに板(いた)でも造(つく)つて見(み)ようが、板(いた)での作(つく)り方(かた)は今日(けふ)は教(をし)へない」
 これだけのお話(はなし)をきいてから僕達(ぼくたち)は、庭(には)へ出(で)て持(も)つて来(き)てあつた丸太(まるた)をかはる/゛\鋸(のこぎり)で引(ひ)きやした。それからのことは書(か)きゝれないからよしやす。
 一昨日(をとゝひ)出来上(できあが)つた巣箱(すばこ)をもつて林(はやし)へゆきやした。高(たか)いところへとつつけるので、梯子(はしご)をもつてゆきやした。啄木鳥(きつゝき)と四十雀(しわ)とは巣箱(すばこ)を配(くば)る場所(ばしよ)がちがふです。まだ四十雀(しわ)の分(ぶん)を二十(にじゆう)だけしか取(と)つつけやせん。今日(けふ)見(み)にゆきやしたが、まだどれにもはひつてゐやせん。
  みち子(こ)様(さま)                  鎮雄(しづを)

一五、お母(かあ)さんの夜話(やわ)

 冬(ふゆ)の夜長(よなが)に、お母(かあ)さんは針為事(はりしごと)、孝子(こうこ)さんはもうおねんね、お父様(とうさま)はまだ病家(びようか)からおかへりでない、徳(とく)やは看護婦部屋(かんごふべや)にゐるらしく、茶(ちや)の間(ま)にはちやぶ台(だい)をなかにして、お母(かあ)さんに太郎君(たろうくん)とみち子(こ)さんの三人(さんにん)だけ、二人(ふたり)は雑誌(ざつし)をよみさしてお母(かあ)さんと問答(もんどう)を始(はじ)めてゐます。
「なぜ日本画(にほんが)だの西洋画(せいようが)だのつていふの。お母(かあ)さん」
 さうきいたのは太郎君(たろうくん)です。
「そりやあ、日本人(につぽんじん)が描(か)く絵(え)だから日本画(につぽんが)で、西洋人(せいようじん)が描(か)く絵(え)だから西洋画(せいようが)でせう」
と、お母(かあ)さんの答(こた)へは至極(しごく)はつきりしたものです、だがみち子(こ)さんが横鎗(よこやり)を入(い)れました。
「だつて、それでもも日本(につぽん)の人(ひと)の描(か)いた油絵(あぶらえ)でも西洋画(せいようが)といつてゐるわよ」
 しかし、お母(かあ)さんは平気(へいき)で、
「つまり、西洋(せいよう)で始(はじ)まつた画風(がふう)だから、便宜上(べんぎじよう)、西洋画(せいようが)といつてゐるのでせう」
と、あつさり片(かた)づけます。すると太郎君(たろうくん)が、
「西洋(せいよう)のどこからはじまつたんですか」
とまじめにたづねました。そして、それが、糸口(いとぐち)となつて、お母(かあ)さんの夜話(やわ)がはじまりました。お母(かあ)さんは田舎(ゐなか)の女学校(じよがつこう)を卒業(そつぎよう)したゞけで、特(とく)に学問(がくもん)のある人(ひと)ではありませんが、読書(どくしよ)ずきで、物覚(ものおぼ)えがよく、いろ/\なことを知(し)つてゐて、子供達(こどもたち)の質問(しつもん)に快(こゝろよ)く応(おう)じてなにかしらお話(はなし)をしてやるのでした。
「油絵(あぶらえ)の起源(きげん)は、いつか原(はら)さんにお聴(き)きでしたらう、たしか五六百年(ごろつぴやくねん)も前(まへ)今(いま)のドイツのなんとかいふところから始(はじま)つたのでしたね」
「え、ネーテルランドです」
「さう、ですが、西洋(せいよう)の美術(びじゆつ)は、五百年(ごひやくねん)や六百年前(ろつぴやくねんまへ)に始(はじ)まつたのではなく、一万年(いちまんねん)も前(まへ)からあつたんですとさ。もつと古(ふる)くからあつたに違(ちが)ひないが、形(かたち)に遺(のこ)つてゐるものは一万年(いちまんねん)ばかり前(まへ)のものなんです」
「絵(え)ですか、お母(かあ)さん」
「さう、絵(え)といへば絵(え)のようなものでせうが、平(たひら)な石(いし)に刻(きざ)んだもので、図(ず)で見(み)ると二匹(にひき)の獣(けもの)が嗅(か)ぎあつてゐるようなところですね」
「それはどこの人(ひと)が作(つく)つたの」
「たぶんエジプト人(じん)でせうね、その頃(ころ)、地球上(ちきゆうじよう)の五箇所(ごかしよ)に人間(にんげん)が住(す)んでゐたそうです。支那(しな)とね、インド、メソポタミヤ、エジプト、それからアメリカの中部(ちゆうぶ)なのです。むろん、その人達(ひとたち)は遠(とほ)い国々(くに/゛\)にかたまつてゐて、交際(こうさい)などはなかつたのです。それが、四千年(しせんねん)ばかり後(のち)になるとね、エジプト人(じん)とメソポタミヤ人(じん)とおつきあひをはじめてゐます。その頃(ころ)メソポタミヤにヘブライといふ大(たい)そう信心深(しんじんぶか)い人達(ひとたち)が住(す)んでゐましたが、近(ちか)くに住(す)んでゐる商売(しようばい)の上手(じようず)なフエニキア人達(じんたち)とそりが合(あ)ひませんでした。といふのは、ヘブライ人(じん)はエホバといふ神様(かみさま)だけを熱心(ねつしん)に信仰(しんこう)してゐるのに、フエニキア人(じん)は、いはゆる多神教徒(たしんきようと)で、いろいろな神様(かみさま)を拝(をが)んだからです。それで、人(ひと)のいゝヘブライ人(じん)は、寄(よ)り合(あ)つて相談(そうだん)して、メソポタミヤを捨(す)てゝエジプトへ移住(いじゆう)したのですが、幸(さいは)ひエジプトの王様(おうさま)がその人達(ひとたち)を親切(しんせつ)に迎(むか)へてくれたので、長(なが)らくエジプトに落(お)ちついてエホバの神(かみ)を崇(あが)めて平和(へいわ)に暮(くら)すことが出来(でき)ました。
 エジプトの人達(ひとたち)は、アフリカのニイル河(がは)の近(ちか)くに土地(とち)を開(ひら)いて住(す)んでゐたのです。このニイル河(がは)は大(たい)そう結構(けつこう)な河(かは)で、エジプト人達(じんたち)にいろ/\な利益(りえき)を与(あた)へてくれました。今(いま)私達(わたくしたち)が大(たい)そう便利(べんり)をしてゐる暦(こよみ)ね、あれもエジプト人(じん)が、ニイル河(がは)の水(みづ)のさしひきを見(み)て考(かんが)へ出(だ)したものなのですよ。ニイル河(がは)の岸(きし)にはぱぴるすといふ名(な)の草(くさ)が生(お)ひ茂(しげ)つてゐてエジプト人(じん)はその草(くさ)を刈(か)りとつて、束(たば)にして柱(はしら)を作(つく)り、かまぼこ小屋(ごや)のような住(す)まひを作(つく)りました。それから段々(だん/\)に工夫(くふう)して、終(しま)ひには、エジプト式(しき)といはれる家(いへ)の建(た)て方(かた)を考(かんが)へ出(だ)したのですが、それが世界(せかい)の建築(けんちく)のはじめだそうです。エジプトの人達(ひとたち)は面白(おもしろ)い人達(ひとたち)でしてね。人(ひと)は死(し)んでも、又(また)生(う)れかはつて来(く)る、それで魂(たましひ)が又(また)帰(かへ)つて来(き)た時(とき)、まごつくといけないといつて、死(し)んだ人(ひと)の死骸(しがい)をそのまゝ長(なが)くとつて置(お)くことにしたのですとさ。それがあの、エジプトの『みいら』なのですよ。上野(うへの)の博物館(はくぶつかん)にもあるでせう、きれいな模様(もよう)を描(か)いた箱(はこ)に入(い)れられて。又(また)王様(おうさま)のみいらを安置(あんち)する場所(ばしよ)としてはとても大(おほ)きなお墓(はか)を造(つく)りました。十万人(じゆうまんにん)の人夫(にんぷ)が二十年間(にじゆうねんかん)もかゝつて造(つく)つたといふ、石(いし)を積(つ)みあげた三角(さんかく)のお墓(はか)です」
「えゝ、ぴらみつどでせう」
「え、さう、それからそのお墓(はか)の番(ばん)をしてゐるような『すふいんくす』、顔(かほ)が人間(にんげん)で体(からだ)が獅子(しゝ)の、とほうもない大(おほ)きな石(いし)の彫刻(ちようこく)ね、あれなどが、彫刻(ちようこく)の始(はじま)りだそうです」
「さういふものは今(いま)でもあるのでせう」
「今(いま)も遺(のこ)つてゐますよ、ギゼーといふ所(ところ)にはぴらみつどが七十(しちじゆう)幾(いく)つも並(なら)んで残(のこ)つてゐるそうです。それからねヘブライ人(じん)ですが、せつかくおちついたエジプトにも、信仰上(しんこうじよう)の問題(もんだい)や、後(のち)のエジプト王(おう)の虐待(ぎやくたい)やらでゐづらくなつて、モーゼといふ非常(ひじよう)に偉(えら)い人(ひと)の意見(いけん)に従(したが)つて、一同(いちどう)エジプトを去(さ)つて今度(こんど)はパレスチナといふ国(くに)に移住(いじゆう)しました。それがヘブライ人(じん)の第二(だいに)の故郷(こきよう)で、そこに土地(とち)を開拓(かいたく)し、多神教徒(たしんきようと)を追(お)ひ払(はら)つて、エルサレムといふ都(みやこ)を作(つく)りあげて大層(たいそう)栄(さか)えました。ダビデ王(おう)とか、ソロモン王(おう)とかいふ、大昔(おほむかし)の有名(ゆうめい)な王様(おうさま)はこのエルサレムに都(みやこ)した王様(おうさま)です。ですが人間(にんげん)の栄華(えいが)は永遠(えいえん)には続(つゞ)かず、やがて仲間(なかま)われがして、ヘブライの文化(ぶんか)は滅(ほろ)びてしまひました。しかし、ヘブライ人(じん)は賢(かしこ)い、まじめな人達(ひとたち)でしたから、神様(かみさま)のことについて書物(しよもつ)を作(つく)つて、後世(こうせい)の人(ひと)にのこしました。それが文学(ぶんがく)の始(はじ)めだそうです」
「ヘブライ人(じん)は偉(えら)い人達(ひとたち)ね」
「なにしろエホバとは、『智慧(ちえ)』といふ事(こと)で、智慧(ちえ)を神様(かみさま)として崇(あが)めた人達(ひとたち)ですからねえ」
「ヘブライ人(じん)より、エジプト人(じん)の方(ほう)が偉(えら)いぢやないか」
「太郎(たろう)さんはさうだらうね。ヘブライ人(じん)はつまり精神家(せいしんか)で、エジプト人(じん)は芸術家(げいじゆつか)なんでせうからね。ヘブライ人(じん)は、『智慧(ちえ)』を神(かみ)として崇(あが)めましたが、エジプト人(じん)は『太陽(たいよう)』を一番(いちばん)えらい神様(かみさま)として尊敬(そんけい)したのです。アフリカは熱帯(ねつたい)ですからねえ、太陽(たいよう)が燃(も)えるように輝(かゞや)いてゐて、穀物(こくもつ)はよくみのり、生活(せいかつ)が生(い)き/\してゐたでせうよね。エジプト人(じん)はヘブライ人(じん)と違(ちが)つて多神教(たしんきよう)で、すべての物(もの)を神様(かみさま)にしました。第一番(だいいちばん)に太陽(たいよう)、それからニイル河(がは)、人(ひと)の魂(たましひ)、鰐魚(わに)、猫(ねこ)、鷹(たか)、狗(いぬ)、かぶと虫(むし)、なんでも崇(あが)めてしまつたのは面白(おもしろ)いでせう。そんな風(ふう)で、エジプトには大(おほ)きな立派(りつぱ)なお寺(てら)が方々(ほう/゛\)に建(た)ちました。そのお寺(てら)はエジプト式(しき)の柱(はしら)を建(た)てゝ、外側(そとがは)に高(たか)い壁(かべ)をめぐらし、赤(あか)青(あを)黄色(きいろ)の派手(はで)な色(いろ)に彩色(さいしき)したものだそうです。飾(かざ)りには符号(ふごう)のような文字(もじ)とか肖像画(しようぞうが)や風俗画(ふうぞくが)が描(か)いてあつて、入(い)り口(ぐち)には旗(はた)を立(た)て、御神体(ごしんたい)は暗(くら)いお堂(どう)の奥(おく)に安置(あんち)して、えらいお坊(ぼう)さんだけがそれを拝(をが)んだのだといひます」
「お父(とう)さんのお書斎(しよさい)の壁掛(かべか)けの模様(もよう)はエジプト模様(もよう)でせう」
「え、あゝいふ自由画(じゆうが)のような絵(え)なんだらうね、とにかくエジプト人(じん)は、彫刻(ちようこく)や絵(え)がよほど好(す)きであつたと見(み)えますね。彫刻家(ちようこくか)は大(たい)そう尊敬(そんけい)されて、王様(おうさま)その他(ほか)えらい人達(ひとたち)の肖像(しようぞう)を彫刻(ちようこく)して、それはたいてい死(し)んだ人(ひと)の生(い)きてゐた時(とき)の姿(すがた)だそうですが、それを作(つく)つてぴらみつどのなかへ陳列(ちんれつ)しておいたものなのです。」人間(にんげん)は死(し)ぬと同時(どうじ)に生(い)きた面影(おもかげ)はなくなつてしまふ、エジプト人(じん)はその不思議(ふしぎ)な事実(じじつ)に感動(かんどう)して、彫刻(ちようこく)で生(い)ける面影(おもかげ)を永遠(えいえん)に残(のこ)さうとしたのですね。ですから、今(いま)カイロやロンドンの美術館(びじゆつかん)にある、さういふ石(いし)の像(ぞう)はまるで生(い)きてゐる通(とほ)りだそうですよ。エジプト人(じん)は面白(おもしろ)い人情(にんじよう)をもつた人達(ひとたち)で、死(し)んだ人(ひと)を彫刻(ちようこく)や、絵(え)でいろ/\といたはりました。お墓(はか)のなかを広(ひろ)く、部屋(へや)のようにこしらへて四方(しほう)の壁(かべ)にその人(ひと)が生(い)きてゐた時分(じぶん)見聞(みき)きした楽(たの)しい風俗(ふうぞく)、──例(たと)へば穀物(こくもつ)の刈(か)り入(い)れのところとか魚(さかな)や鳥(とり)を狩(か)りするところとかいふものを、浮(う)き彫(ぼ)りにして色(いろ)どり、又(また)夫(をつと)の墓(はか)には妻(つま)の像(ぞう)を、妻(つま)の墓(はか)には夫(をつと)の像(ぞう)を彫刻(ちようこく)して、立(た)てゝおいたものだそうですよ──死(し)んでからのちも寂(さび)しくないようにね」
「お母(かあ)さん、ギリシヤの美術(びじゆつ)はずつとあとですか」
「えゝ、エジプトから、ギリシヤ、ローマとなるでせうね。エジプトはアツシリアに亡(ほろ)ぼされ、、──アツシリアにも、立派(りつぱ)な武者絵(むしやえ)のような浮(う)き彫(ぼ)りがあります。──アツシリアはペルシヤに亡(ほろ)ぼされ、ペルシヤはギリシヤに戦(たゝか)ひを仕(し)かけて負(ま)け、ギリシヤが西洋(せいよう)で一番(いちばん)強(つよ)い国(くに)になりましたが、それはエジプトの亡(ほろ)びた時(とき)から二千年(にせんねん)ばかりあとの話(はなし)です。ちようど、日本(につぽん)では神武天皇様(じんむてんのうさま)が御位(みくらゐ)におつきになつた時分(じぶん)ですよ」
「西洋(せいよう)はずいぶん古(ふる)いんですわねえ」
「まつたく古(ふる)いねえ、ですが、東洋(とうよう)も古(ふる)いのですよ。日本(につぽん)のお師匠(ししよう)さんの支那(しな)はね、ちようど、エジプトと同(おな)じ頃(ころ)に起(おこ)つてゐて、やはり彫刻(ちようこく)もあつたし、美術的(びじゆつてき)な器物(きぶつ)がいろ/\あつたのです」
「支那(しな)の美術(びじゆつ)のお話(はなし)をして頂戴(ちようだい)」
「おほゝ、欲(よく)ばりさんね、それはまたこんど、──それに支那(しな)のことは、お母(かあ)さん順序立(じゆんじよだ)つて知(し)りませんからね、また御本(ごほん)を読(よ)んでおきませうよ。今(いま)してあげたお話(はなし)もね、木村荘八(きむらそうはち)さんの『ニイル河(がは)の草(くさ)』といふ本(ほん)の受(う)け売(う)りなんですよ。さあ、もう十時(じゆうじ)になるからおやすみなさいね」
「えゝ、面白(おもしろ)かつたわお母(かあ)さん。ではおやすみなさい」
「僕(ぼく)はエジプト人(じん)がすきになつちやつた。お母(かあ)さんおやすみなさい」
「私(わたし)もエジプト人(じん)すきだわ」
「なんだいつ、姉(ねえ)さんはヘブライぢやないか」
「うそよう」
「これ/\、早(はや)くおやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみ」

一六、お母(かあ)さんの夜話(やわ)

「お母(かあ)さん、何(なに)かお話(はなし)して下(くだ)さい」
「なんのお話(はなし)をしませうかね」
「こないだの晩(ばん)お約束(やくそく)したお話(はなし)がいゝわ」
「支那(しな)の美術(びじゆつ)のお話(はなし)かえ」
「えゝ、さう」
「支那(しな)はだめ。それでは日本(につぽん)の美術(びじゆつ)の来歴(らいれき)でも話(はな)しませうかね。お母(かあ)さんのお話(はなし)はうろおぼえでずいぶん怪(あや)しいけれど」
「いゝわ、早(はや)くよつ」
「お待(ま)ちなさい、今(いま)少(すこ)し考(かんが)へなくちやあ。一番(いちばん)古(ふる)い日本(につぽん)の美術(びじゆつ)といへぱ『埴輪人形(はにわにんぎよう)』でせうかね、みいちやんも太郎(たろう)さんも、博物館(はくぶつかん)で見(み)たことがあるでせう。今戸焼(いまどや)きのような、大(おほ)きい土人形(つちにんぎよう)をね」
「え、知(し)つてゐます、『埴輪(はにわ)』を。可愛(かわい)い眼(め)をぽかつとあいた人形(にんぎよう)でせう」
「えゝ、あれです、ああいふ人形(にんぎよう)は、ちようどエジプト人(じん)が石像(せきぞう)を作(つく)つてお墓(はか)へ安置(あんち)したように、もつともあれとは少(すこ)し違(ちが)ふだらうが、とにかく死(し)んだ人(ひと)が生前(せいぜん)愛(あい)してゐたものゝ形(かたち)を作(つく)つて、お墓(はか)へ死骸(しがい)と一(いつ)しよに葬(はうむ)つたものでせうね、やはりあの世(よ)でも寂(さび)しくないようにね。埴輪人形(はにわにんぎよう)は武蔵国(むさしのくに)でも発掘(はつくつ)され、上総(かずさ)からも備後(びんご)からも日向(ひうが)からも出(で)てゐるから、あゝいふ鎧兜(よろひかぶと)を着(き)た人達(ひとたち)がその頃(ころ)日本中(につぽんじゆう)にゐたのでせうが、するとその鎧兜(よろひかぶと)といふ細工物(さいくもの)があつたわけだし、さういふ武具(ぶぐ)ばかりでなく食器(しよつき)や楽器(がつき)の美術品(びじゆつひん)もあつたにちがひありませんね。ですが、さうした物(もの)はなにも遺(のこ)つてゐないのです。
 建築(けんちく)としては、伊勢(いせ)の太神宮(だいじんぐう)が一番(いちばん)古(ふる)いものです。あなたたちは、まだ伊勢(いせ)の太神宮様(だいじんぐうさま)を知(し)りませんが、お母(かあ)さんは二十歳(はたち)の時(とき)お参(まゐ)りをしてね、その時(とき)の感動(かんどう)を今(いま)でも忘(わす)れません」
「どうしたの」
「どうしたのでもないけれどね、自分達(じぶんたち)の御先祖(ごせんぞ)が、かういふ藁屋根(わらやね)の掘(ほ)つ立(た)て小屋(ごや)にお住(すま)ひになつて、さうしてこれ程(ほど)の国(くに)をおひらきになつた、と思(おも)つたら、はら/\涙(なみだ)が湧(わ)き出(だ)して、そこに思(おも)はず土下座(どげざ)をしてしまひましたの」
「太神宮様(だいじんぐうさま)は掘(ほ)つ立(た)て小屋(ごや)なの、お母(かあ)さん」
「えゝ、掘(ほ)つ立(た)て小屋(ごや)なのです。それですから二十年毎(にじゆうねんごと)に建(た)て直(なほ)しては、ずつと大昔(おほむかし)のままを保存(ほぞん)してゐるのです。太神宮様(だいじんぐうさま)の祝詞(のりと)に『底津岩根(そこついはね)に宮柱(みやばしら)太(ふと)しく立(た)てゝ、高天(たかま)が原(はら)に千木(ちぎ)高(たか)しる』とあるのは、掘(ほ)つ立(た)て小屋(ごや)のことなのです。その後(ご)、神功皇后様(じんごうこうごうさま)が三韓征伐(さんかんせいばつ)をなすつて、今(いま)の朝鮮人(ちようせん)の先祖(せんぞ)が日本(につぽん)と往復(おうふく)するようになると、当然(とうぜん)朝鮮(ちようせん)の美術(びじゆつ)がはひつて来(き)たのです。しかし、朝鮮(ちようせん)をへて、支那印度(しないんど)の彫刻(ちようこく)や絵(え)が、それを作(つく)る人達(ひとたち)と一(いつ)しよにはひり込(こ)んで来(き)たのは、推古天皇(すいこてんのう)の御世(みよ)で、厩戸(うまやど)の皇子(おうじ)、すなはち聖徳太子様(しようとくたいしさま)が、有名(ゆうめい)な法隆寺(ほうりゆうじ)を御建立(ごこんりゆう)なさつた千三百年(せんさんびやくねん)の昔(むかし)なんですよ。彫刻(ちようこく)では、この時代(じだい)の仏像(ぶつぞう)がもつとも古(ふる)く『推古仏(すいこぶつ)』といはれてゐますが、その推古仏(すいこぶつ)の代表的(だいひようてき)なものは、法隆寺(ほうりゆうじ)の金堂(こんどう)に安置(あんち)されてゐるお釈迦様(しやかさま)の像(ぞう)で、鳥居仏師(とりゐぶつし)の作(さく)といはれ、なんでもその人(ひと)は印度人(いんどじん)だといふ話(はなし)です。
 なほこの金堂(こんどう)には、『玉虫(たまむし)の厨子(ずし)』といふものがありましてね、その装飾(そうしよく)に絵(え)が描(か)いてあつてそれが油絵(あぶらえ)なのですとさ。だから、原(はら)さんのお話(はなし)の西洋(せいよう)の油絵(あぶらえ)より、この方(ほう)が八百年(はつぴやくねん)ばかりも古(ふる)いことになりますわね、おほゝ。推古時代(すいこじだい)が終(をは)ると聖武天皇様(しようむてんのうさま)の奈良時代(ならじだい)になつて、その時代(じだい)には支那(しな)から直接(ちよくせつ)にいろ/\な美術(びじゆつ)が渡来(とらい)したのです。支那(しな)はその頃(ころ)『唐(とう)』といふ、支那(しな)の歴史(れきし)で最(もつと)も文明(ぶんめい)な時代(じだい)でしたから、日本(につぽん)は万事(ばんじ)をその唐(とう)にまねたわけなのです。なにしろ支那(しな)といふ国(くに)は、このあひだの晩(ばん)も話(はなし)した通(とほ)り、エジプトと同(おな)じぐらゐに古(ふる)い国(くに)で、神武天皇様(じんむてんのうさま)が日本(につぽん)をお開(ひら)きになつた時(とき)から二千年(にせんねん)も前(まへ)に、もう立派(りつぱ)に美術(びじゆつ)があつたような国(くに)ですからねえ、奈良時代(ならじだい)に影響(えいきよう)したあちらの美術(びじゆつ)は大(たい)したものだつたでせうよ。奈良時代(ならじだい)のものは今(いま)もいろ/\な建築(けんちく)で遺(のこ)つてゐますし、すばらしい当時(とうじ)の工芸美術品(こうげいびじゆつひん)が正倉院(しようそういん)御物(ぎよぶつ)として丁重(ていちよう)に護(まも)られてゐるのですよ。彫刻(ちようこく)はむろん盛(さか)んでした、推古仏(すいこぶつ)はとぼけたような彫刻(ちようこく)ですが、奈良時代(ならじだい)の彫刻(ちようこく)は整(とゝの)つた立派(りつぱ)な彫刻(ちようこく)です。奈良時代(ならじだい)の次(つ)ぎは鎌倉時代(かまくらじだい)の美術(びじゆつ)となりますが、もうこのくらゐでよしませうよ。とにかく、日本(につぽん)の美術(びじゆつ)は聖徳太子様(しようとくたいしさま)の時代(じだい)から立派(りつぱ)なものになつて、すべて支那(しな)がお師匠(ししよう)さんだつたのだ、と覚(おぼ)えてゐればいゝでせう。それ程(ほど)栄(さか)えた支那(しな)も、仲間喧嘩(なかまげんか)ばかりしてゐるものですから、今日(こんにち)のように、美術(びじゆつ)もなにも見(み)るに足(た)る新(あたら)しいものゝない、気(き)の毒(どく)な国(くに)になつてしまつたのです。だから内輪喧嘩(うちわげんか)はよしなさいよ」

一七、鎮雄君(しづをくん)からの小包(こづゝ)み

 鎮雄君(しづをくん)から太郎君(たろうくん)あてに、小(ちひ)さい小包(こづゝ)みが屆(とゞ)きました。開(あ)けて見(み)ると、木(き)の箱(はこ)に籾殻(もみがら)がいつぱいつまつてゐて、籾殻(もみがら)の中(なか)から、薄(うす)い紙(かみ)にくるんだ、二寸(にすん)ばかりの木彫(きぼ)りの人形(にんぎよう)が現(あらは)れました。彩色(さいしき)した風俗人形(ふうぞくにんぎよう)で、『子守(こも)リ』に『桑摘(くはつ)み』に『鮎(あゆ)つり』でした。そして、底(そこ)づめに、藁半紙(わらばんし)の畳(たゝ)んだのがはひつてゐたのでひろげて見(み)たら、果(はた)して鎮雄君(しづをくん)の手紙(てがみ)でした。
「太郎君(たろうくん)丈夫(じようぶ)ですか、僕(ぼく)は丈夫(じようぶ)です。沓掛(くつかけ)は、毎日(まいにち)雪(ゆき)がふつてゐやす。わらび野(の)の別荘(べつそう)のへんは、五尺(ごしやく)ぐらゐ積(つも)つてゐやすぞ。氷室(ひむろ)のそばの池(いけ)で、僕(ぼく)らは毎日(まいにち)すけーとをやりやす。手工(しゆこう)の時間(じかん)に、すきーをこしらへてゐやすが、出来(でき)あがると、遊園地(ゆうえんち)の原(はら)へいつてすきーをやるです。めたしみて、へえ写生(しやせい)はできやせん。それで、こねえだは父(とう)やんに人形(にんぎよう)ををすはつてゐやす。原先生(はらせんせい)がくるつうので、いつしよにをすはらすと思(おも)つて、たのしみにまつてゐやすが、まだ、おいでやせん。僕(ぼく)のほつた人形(にんぎよう)を、三(みつ)つ送(おく)りやした。それから父(とう)やんにいつてもらつて、人形(にんぎよう)のほりかたをかきやしたから、それをよんで、太郎君(たろうくん)も人形(にんぎよう)をおほりな」
 人形(にんぎよう)の彫(ほ)り方(かた)は、別(べつ)の紙(かみ)に細(こま)かくかいてありました、お父(とう)さんがさしずしたと見(み)えて、左(さ)のように本字(ほんじ)を使(つか)つて、きちんと書(か)いてありました。

    木片(こつぱ)人形(にんぎよう)の作(つく)り方(かた)

「まづ、木(き)がいる。木片人形(こつぱにんぎよう)といはれるくらゐの小(ちひ)さな人形(にんぎよう)を作(つく)るには、木(き)はかれてゐなくともさしつかへない。最(もつと)も彫(ほ)りいゝ木(き)は朴(ほう)の木(き)であるが、桂(かつら)でもよく、どろの木(き)でもよく、ぽぷらでもよく、みづくさでもよろしい。高(たか)さ二寸(にすん)の人形(にんぎよう)を彫(ほ)るのならば、木(き)は二寸(にすん)五分(ごぶ)に一寸(いつすん)七八分(しちはちぶ)ぐらゐの木(き)ですむ。これは一個(いつこ)、三四銭(さんしせん)で買(か)へるだらう。
 木(き)よりも前(まへ)に彫刻道具(ちようこくどうぐ)をしたくしなければならない。木片人形(こつぱにんぎよう)を彫(ほ)るくらゐのものなら、これだけあれば十分(じゆうぶん)。
   鋸(のこぎり)……一挺(いつちよう)
   六分(ろくぶ)の平鑿(ひらのみ)……一挺(いつちよう)
   五分(ごぶ)の丸鑿(まるのみ)……一挺(いつちよう)
   二分(にぶ)の丸鑿(まるのみ)……一挺(いつちよう)
   四分(しぶ)の切(き)り出(だ)し……一挺(いつちよう)
   一分(いちぶ)五厘(ごりん)の丸刀(まるがたな)……一挺(いつちよう)
   木槌(きづち)……一挺(いつちよう)
   砥石(といし)……一挺(いつちよう)
   為事台(しごとだい)……(荒物屋(あらものや)で小(ちひ)さいまな板(いた)を買(か)ふがよし)
 もつとも、切(き)り出(だ)し一挺(いつちよう)でも人形(にんぎよう)が彫(ほ)れないきづかひはないが、これだけ揃(そろ)へておけば、為事(しごと)がやりよくて楽(たの)しみであらう。それにこれだけの道具(どうぐ)があると、ちよつとした浮(う)き彫(ぼ)りも出来(でき)ようし、ぎによーるも彫(ほ)れる。そして右(みぎ)の刃物(はもの)は、東京(とうきよう)下谷区(したやく)車坂町(くるまざかまち)五十四番地(ごじゆうよばんち)の、宗意(そうい)といふ商店(しようてん)で買(か)ふと、品物(しなもの)がたしかである。価(あたひ)は一切(いつさい)で八円(はちえん)ぐらゐかゝる。むろんもつと安出来(やすでき)の刃物(はもの)もあるが、長(なが)く使(つか)ふにはさういふ安物(やすもの)は損(そん)である。
 刃物(はもの)があり、木(き)があれば、彫刻(ちようこく)をはじめられる。しかし道具(どうぐ)よりも木(き)よりも前(まへ)に、なにを彫(ほ)るかゞきまつてゐなければならない。それは頭(あたま)で形(かたち)をきめておいて、ぶつつけに彫(ほ)つてもいゝが、なるべくならば、紙(かみ)へ絵(え)をかいて見(み)て、正面(しようめん)縦横(たてよこ)のぐあひの見積(みつも)りをしておく方(ほう)がよろしい。
 さて、かりにD図(でーず)のような伊那踊(いなをど)りの人形(にんぎよう)を彫(ほ)るとして、まづ、A(えー)のような角(かく)な木(き)に鋸(のこぎり)を使(つか)つて、B(びー)のような形(かたち)にする。これを木取(きど)りといふ。木取(きど)りをしたら、次(つ)ぎに大(おほ)きい鑿(のみ)で荒彫(あらぼ)りをする。まづ第一(だいいち)に、顔(かほ)の位置(いち)をきめる為(ため)に見込(みこ)みをつけて、顎(あご)のへこみを鑿(のみ)でほり下(さ)げる。それから、袖(そで)や、胴(どう)や、手(て)の先(さき)や、うしろの笠(かさ)や、帯(おび)などを、大(おほ)まかのでこぼこに彫(ほ)りいだす。そしてC(しー)となる、C(しー)になつたら、今度(こんど)は仕上(しあ)げ彫(ぼ)りであるが、この時(とき)は特(とく)によく刃物(はもの)を砥(と)いでおかないと、彫(ほ)り口(ぐち)が見苦(みぐる)しくなる。時(とき)に鑿(のみ)のもち方(かた)は、大体(だいたい)、右手(みぎて)に柄(え)をにぎつて、刃(は)を下(した)へむけて突(つ)つ込(こ)むような、切(き)りとるような気(き)もちで彫(ほ)るのであるが、その辺(へん)の細(こま)かいことは、話(はなし)ではだめで、彫(ほ)つてゐるところを見学(けんがく)するか、自分(じぶん)でやつて見(み)て、のみ込(こ)んでもらふより仕方(しかた)がないのである。
 彫刻(ちようこく)が終(をは)ると、色彩(しきさい)をする段(だん)になる。必(かなら)ずしも色彩(しきさい)をせず、白木(しらき)のまゝでもかつてゞあるが、とかく塗(ぬ)りたくなるものである。色彩(しきさい)は泥絵(どろえ)の具(ぐ)でもよく、水絵(みづえ)の具(ぐ)でもよく、てんぺらでもよいが、一番(いちばん)いゝのは日本絵(につぽんえ)の具(ぐ)を、薄(うす)い膠(にかは)で溶(と)いたものである。とにかく、すべて胡粉(ごふん)をまぜて好(この)みの色(いろ)を作(つく)つて、それを塗(ぬ)るのであるが、顔料(がんりよう)があまり厚(あつ)いと泥人形(どろにんぎよう)のようになつて見(み)つともないし、薄(うす)すぎると木地(きじ)がすけて、これも多(おほ)くは見苦(みぐる)しい。一番安全(いちばんあんぜん)なのは、広(ひろ)い部分(ぶぶん)をぬる時(とき)は、胡粉(ごふん)をまぜた同(おな)じ色(いろ)を薄(うす)く塗(ぬ)り、よく乾(かわ)いたところで又(また)塗(ぬ)つて、又(また)塗(ぬ)つて、三(さん)べんぐらゐで程(ほど)よい厚(あつ)みになるように塗(ぬ)ることである。又(また)は、木地(きじ)を一度(いちど)胡粉(ごふん)だけで薄(うす)く塗(ぬ)つて、それがよく乾(かわ)いたところで色(いろ)をかけるのもいゝ。絵(え)の具(ぐ)を溶(と)くには皿(さら)よりも、子供用(こどもよう)の小(ちひ)さいめし茶碗(ちやわん)がよろしい。そして少(すこ)したつぷり必要(ひつよう)な絵(え)の具(ぐ)を作(つく)つておく方(ほう)がよい。顔料(がんりよう)で彩色(さいしき)した上(うへ)に、にすをぬる人(ひと)があるが、あれは品(ひん)を悪(わる)くする。もしよごれを防(ふせ)ぐ為(ため)であつたら、タカジオン液(えき)をうすく二(に)へんばかりかけるがよからう」
 太郎君(たろうくん)は、鎮雄君(しづをくん)の人形(にんぎよう)を姉(ねえ)さんに一(ひと)つ、学校(がつこう)の先生(せんせい)に一(ひと)つ貰(もら)はれてしまひました。

一八、孝子(こうこ)さんの図案(ずあん)

 近頃(ちかごろ)、孝子(こうこ)さんはあまり絵草紙(えぞうし)を描(か)きません。半紙(はんし)を横長(よこなが)に二(ふた)つ折(を)りにしたのを、竪(たて)にまた二(ふた)つに折(を)つたので帳面(ちようめん)を作(つく)り、それに絵日記(えにつき)をかいてゐます。絵(え)ばかりでなく、その日(ひ)その日(ひ)の出来事(できごと)を簡単(かんたん)に文字(もじ)でもかいてある絵日記(えにつき)で、絵(え)はまあ、その挿(さ)し絵(え)といつたあんばいです。
 例(たと)へば、太郎(たろう)さんが病気(びようき)で寝(ね)てゐる日(ひ)には、枕(まくら)もとに、薬壜(くすりびん)やら袋(ふくろ)やら児童文庫(じどうぶんこ)やらがおいてある太郎(たろう)さんの病床(びようしよう)の有(あ)り様(さま)が、例(れい)の毛筆(もうひつ)淡彩(たんさい)の絵(え)になつてゐて、「九日(こゝのか)、雨(あめ)。兄(にい)さんはおなかがわるくてねてゐます。なか/\くすりをのまないので、お母(かあ)さんにしかられました」と書(か)いてあるし、また、ある日(ひ)のには大正琴(たいしようごと)が描(か)いてあつて、「十一日(じゆういちにち)、晴(は)れ。大森(おほもり)のをばさまがいらしつて、たいしようごとをおみやげにくださる」と書(か)いてあるようなわけです。
 それから孝子(こうこ)さんは、今学期(こんがつき)になつて図案(ずあん)の練習(れんしゆう)に油(あぶら)が乗(の)つてゐます。それは筆(ふで)も絵(え)の具(ぐ)も入(い)らない図案(ずあん)で、この頃(ごろ)東京(とうきよう)の小学校(しようがつこう)でぼつ/\行(おこな)はれはじめた『マダム・シユネエの装飾遊(そうしよくあそ)び』といふものです。これを日本(につぽん)の教育界(きよういくかい)へ最初(さいしよ)に紹介(しようかい)した人(ひと)はみち子(こ)さんの学校(がつこう)の滝田先生(たきたせんせい)でした。滝田先生(たきたせんせい)は、絵(え)よりも図案(ずあん)をよけいに勉強(べんきよう)させたがる先生(せんせい)で、みち子(こ)さんは、小学校時代(しようがつこうじだい)にはまるで知(し)らなかつたお話(はなし)やら、質問(しつもん)やら、実習(じつしゆう)やらに出(で)つくはして、いつもまごつきました。そしてそのつど、うちへ帰(かへ)つて新知識(しんちしき)をみんなに話(はな)して聴(き)かせるのでした。その二三(にさん)をかいて見(み)ませう。
「今日(けふ)は面白(おもしろ)かつたわ、めい/\の椅子(いす)にくつしよんをこしらへることになつてね、その図案(ずあん)を作(つく)つたの。小学校(しようがつこう)の時分(じぶん)は、図案(ずあん)はたいてい実物(じつぶつ)よりも小(ちひ)さく作(つく)つたものよ、ところが滝田先生(たきたせんせい)は図案(ずあん)は出来(でき)るだけ実物大(じつぶつだい)に作(つく)れとおつしやるの。それでまづめい/\物(もの)さしで椅子(いす)の寸法(すんぽう)をとつて、大(おほ)きい画用紙(がようし)へその寸法(すんぽう)に輪廓(りんかく)の線(せん)を引(ひ)いたんです。中(なか)にはその寸法(すんぽう)に画用紙(がようし)を切(き)つた人(ひと)もあつて先生(せんせい)に注意(ちゆうい)されましたわ、『物(もの)の大(おほ)きさに紙(かみ)をきつてしまつては物(もの)の形(かたち)がかへつてわからなくなるし、いろ/\書(か)き込(こ)むべき余白(よはく)がなくなるから、やはり多少(たしよう)の余白(よはく)をのこして、鉛筆(えんぴつ)ではつきり輪廓(りんかく)の線(せん)をおひきなさい』とおつしやつたの。まつたくいろ/\なことを書(か)きそへるのよ。図案(ずあん)が出来上(できあが)ると、まづくつしよんなら『くつしよん図案(ずあん)』とかき、その下(した)へ模様(もよう)の材料(ざいりよう)何々(なに/\)とかき、それから日附(ひづ)けと名(な)まへとをかくんです。さらに布地(きれじ)だの、糸(いと)だの、刺繍(ししゆう)のやり方(かた)なんかの見込(みこ)みを、図(ず)から線(せん)を引(ひ)いて余白(よはく)へ文字(もじ)で示(しめ)しておくのです。さうしてないと、図案(ずあん)が生(い)きないんですつて、私(わたし)さういふ見込(みこ)みをちつとも書(か)いておかなかつたもんで、早速(さつそく)質問(しつもん)されてまごついたわ。『内村(うちむら)さん、布(き)れ地(じ)は何(なに)を用(もち)ひるつもりですか、そしてその色(いろ)は、縫(ぬ)ひ糸(いと)もきゝたいですね』とおつしやるの、私(わたし)困(こま)つちやつて『布地(きれじ)はねずみ色(いろ)の麻(あさ)を用(もち)ひ、糸(いと)は毛糸(けいと)のつもりです』と答(こた)へたら、落第(らくだい)しちやつたの。第一(だいいち)に、私(わたし)の作(つく)つた図案(ずあん)は毛糸(けいと)では太(ふと)すぎて駄目(だめ)ですつて。それから、麻地(あさじ)と毛糸(けいと)とは調和(ちようわ)しまいとおつしやるの。私(わたし)ばかりでなく。みんな何(なに)かしらいはれましたわ、今日(けふ)は面白(おもしろ)いことがあつてよ、林(はやし)さんがねお母(かあ)さん。指(ゆび)のさきへ血(ち)を出(だ)して泣(な)き顔(がほ)をして教室(きようしつ)へはひつて来(き)たもんだから、先生(せんせい)が『どうしました』とおきゝになつたの、すると林(はやし)さんが『蜂(はち)にさゝれたんです』といふでせう、『どうして又(また)指(ゆび)をさゝれたんですか』と先生(せんせい)がきく、『図案(ずあん)に藤(ふじ)の花(はな)と蜂(はち)を使(つか)ひたいと思(おも)つて、蜂(はち)をつかまへようとしたら刺(さ)されました』と答(こた)へたもんだから、先生(せんせい)は吹(ふ)き出(だ)して、『じようだんぢやない、いくら僕(ぼく)が、身(み)のまはりの自然(しぜん)の材料(ざいりよう)から図案(ずあん)をお作(つく)りなさいといつたからつて、蜂(はち)までつかまへなくたつてよさそうなものだ。蜂(はち)だからつかまへることも出来(でき)るが、もしあなたが虎(とら)を模様(もよう)にしようと思(おも)つたら虎(とら)をつかまへますか』とおつしやつたので、皆(みんな)どつと笑(わら)つちまつたわ。図案(ずあん)は『構成(こうせい)』といふことが急所(きゆうしよ)だから、『構成(こうせい)』に自分(じぶん)の働(はたら)きが表(あらは)れさへすれば、構成(こうせい)の一(ひと)つ/\の材料(ざいりよう)は、人(ひと)の絵(え)から借(か)りてこようが、写真(しやしん)から借(か)りて来(こ)ようが、そんなことは一向(いつこう)差(さ)し支(つか)へないのですつて。私(わたくし)のはお母(かあ)さん。これです。学校(がつこう)のお庭(には)にあるね『とりとまらず』をもていふにしたんです」
   ×
「お母(かあ)さん、図案(ずあん)てものは描写(びようしや)するもの、それとも組(く)み立(た)てるもの」
「あなたは知(し)らないの」
「まあさ、お母(かあ)さん答(こた)へて御覧(ごらん)なさい」
「いやだ、試験(しけん)されるのかい。そりやあ、描写(びようしや)するものでせうね」
「ところが大違(おほちが)ひよ、図案(ずあん)は描(か)くもんぢやないのですつて。図案(ずあん)の秘密(ひみつ)は描写(びようしや)だけを千万年(せんまんねん)勉強(べんきよう)したつてわかりつこないのですつて」
「へえ」
「図案(ずあん)といふものはね、塊(かたま)り、線(せん)、濃淡(のうたん)、色彩(しきさい)、などのそれ/゛\の分量(ぶんりよう)を材料(ざいりよう)にして、いろいろな姿(すがた)に配置(はいち)されたもので『数的神秘(すうてきしんぴ)』なのですつて。それをさぐる鍵(かぎ)は『構成(こうせい)の智慧(ちえ)』がにぎつてゐるのですつて」
「ずいぶんむづかしいね」
「さうよ、とてもむづかしくつて、私達(わたしたち)にはよくわからないわよ、……でも図案(ずあん)は、絵(え)とはちがふといふことだけはわかるわねえ」
 ×
「先週(せんしゆう)、先生(せんせい)から課題(かだい)が出(で)たでせう四(よつ)つばかり、あの一(いち)の質問(しつもん)のね『あなたの帽子(ぼうし)を美術(びじゆつ)の立(た)ち場(ば)から批評(ひひよう)するとすれば、どういふ点(てん)を批評(ひひよう)しますか』つて、あの答(こた)へが今日(けふ)集(あつ)まつたの。そのうちで、河井(かはゐ)さんの答(こた)へが面白(おもしろ)いつて、先生(せんせい)が読(よ)みあげてきかせたの。河井(かはゐ)さんは学校(がつこう)で美術(びじゆつ)の方(ほう)のちやんぴよんでせう、だからむろんまちがつた答(こた)へぢやなく、書(か)いてある事柄(ことがら)が面白(おもしろ)いのよ。
『私(わたくし)は昨日(きのふ)家(いへ)へかへつて、妹(いもうと)に「この帽子(ぼうし)を美術的(びじゆつてき)に見(み)てどう思(おも)ふ」とたづねました、すると妹(いもうと)は「女優(じよゆう)のようだわ」と申(まを)しました。今度(こんど)は女中(じよちゆう)に同(おな)じように質問(しつもん)しました、すると女中(じよちゆう)は「今(いま)はやつてゐる形(かたち)でございますね」と答(こた)へました。二人共(ふたりとも)帽子(ぼうし)の形(かたち)や、色合(いろあ)ひや、飾(かざ)りの取(と)り合(あは)せなどについて、全(まつた)く無智(むち)だと思(おも)ひました。私(わたくし)ははるかにいろ/\なことを知(し)つてゐます、仕合(しあは)せだと思(おも)ひました』
 河井(かはゐ)さんは妹(いもうと)や女中(じよちゆう)を試験(しけん)して得意(とくい)になつちやつたのよ、愉快(ゆかい)ね」
 ×
「今日(けふ)はねお母(かあ)さん、皆(みんな)してありつたけの帽子(ぼうし)をもつていつたのよ、滝田先生(たきたせんせい)がいつか、『どんなものでもおよそ眼(め)に見(み)るものならば、美術(びじゆつ)の立(た)ち場(ば)から批評(ひひよう)出来(でき)る』とおつしやつたので、それで今日(けふ)、めい/\帽子(ぼうし)をもつてゆくようにしめし合(あは)せてあつたの」
「人(ひと)が悪(わる)いね」
「いゝえ、まじめなのよ、滝田先生(たきたせんせい)の顔(かほ)を見(み)ると何(なに)かしら批評(ひひよう)をきゝたくなるのよ、でね、四方(しかた)さんが手(て)を揚(あ)げて『先生(せんせい)、今日(けふ)は私達(わたくしたち)の帽子(ぼうし)を批評(ひひよう)して下(くだ)さいまし』といつたの。先生(せんせい)けゞんな顔(かほ)をなすつて『なに、帽子(ぼうし)を。よろしい冠(かむ)つて御覧(ごらん)なさい』とおつしやるので、皆(みんな)後(うしろ)の方(ほう)にかくしてあつた帽子(ぼうし)を二(ふた)つも三(みつ)つも机(つくゑ)の上(うへ)へもち出(だ)したでせう、をかしくつて皆(みんな)くす/\笑(わら)つちまつたわ」
「あなた達(たち)のすることは変(かは)つてゐるね」
「それから一々(いち/\)帽子(ぼうし)の批評(ひひよう)がはじまつたの、めい/\に冠(かむ)らして見(み)て、『あなたの肩(かた)はひろく張(は)つている、帽子(ぼうし)の広(ひろ)い鍔(つば)と衝突(しようとつ)しますね』とか、『その帽子(ぼうし)のりぼんは少(すこ)し広(ひろ)すぎはしないか。あなたの腰(こし)のばんどと調子(ちようし)がとれない』とか、『そのすえーたーと友色(ともいろ)の帽子(ぼうし)の方(ほう)がしやれてゐるが』とか、どし/\批評(ひひよう)なすつたわ。そのあとでをかしいつてないの、河井(かはゐ)さんがくす/\笑(わら)ひながら手(て)を揚(あ)げて、『先生(せんせい)、今度(こんど)は私達(わたくしたち)の顔(かほ)を批評(ひひよう)して下(くだ)さい』つていふでせう。先生(せんせい)もいさゝか面食(めんくら)つてゐたわ、教壇(きようだん)を二三度(にさんど)往復(おうふく)していらしつたつけ、『どうも驚(おどろ)きましたなあ、だが一(ひと)つやりませう。かうつと、河井(かはゐ)さん、みんながよく、河井(かはゐ)さんは憤(おこ)つた時(とき)でも笑(わら)つてゐる、といふが、あれはなぜだか知(し)つてゐますか』とおつしやつたもんで、河井(かはゐ)さん赤(あか)い顔(かほ)になつて『知(し)りません』といつたの。すると先生(せんせい)は、笑(わら)ひ顔(がほ)して『ぢや、説明(せつめい)しませう』と白墨(はくぼく)をとつてね、塗(ぬ)り板(いた)に大(おほ)きく丸(まる)を描(か)いて『河井(かはゐ)さんの顔(かほ)は丸(まる)くて軟(やはら)かそうで、とんとあんぱんのようだ』といつたもんだから、皆(みんな)一(いち)どきに笑(わら)つてしまつたの。先生(せんせい)は、なほ白墨(はくぼく)で、その丸(まる)のなかへ眼鼻(めはな)をかき、太(ふと)く頬(ほ)つぺたの弧線(こせん)を入(い)れて、わざとまじめな顔(かほ)をして『河井(かはゐ)さんの頬(ほゝ)の肉(にく)は大(たい)そう発育(はついく)してゐます、それが為(ため)に、いつもそこに陰(かげ)が出来(でき)ます。その陰(かげ)はいくら憤(おこ)つてゐる時(とき)でもとれません、そしていつ見(み)ても笑(わら)つてゐる顔(かほ)に見(み)せます、ですから河井(かはゐ)さんの肖像(しようぞう)を描(か)かうと思(おも)つたら、その陰(かげ)をわすれてはいけない』河井(かはゐ)さん気(き)まり悪(わる)がつて机(つくゑ)の上(うへ)に突(つ)つ伏(ぷ)してしまつたわ、皆(みんな)は又(また)大(おほ)はしやぎ。ちやめの谷(たに)さんがすぐと手(て)を揚(あ)げて『先生(せんせい)私(わたくし)を批評(ひひよう)して下(くだ)さい』といふ。先生(せんせい)は、よしといつた表情(ひようじよう)をして『谷(たに)さんの唇(くちびる)の色(いろ)は実(じつ)に紅(あか)い、しかし他(ほか)の人(ひと)と唇(くちびる)だけをくらべて見(み)ると、なにも特(とく)に紅(あか)くはない。それにもかゝはらず、非常(ひじよう)に唇(くちびる)の色(いろ)を強(つよ)く感(かん)じさせるのはなぜでせう。谷(たに)さん答(こた)へて御覧(ごらん)なさい』谷(たに)さんがだまつてうつむいてしまつたので、先生(せんせい)は『駄目(だめ)ですね、その理由(りゆう)はこれまで教(をそ)はつた知識(ちしき)でわかるはずですよ。いく度(ど)もきいたでせう、色(いろ)といふものは独立(どくりつ)ぢやない、周囲(しゆうい)の関係(かんけい)でいろ/\な印象(いんしよう)をつくるつてね、黄色(きいろ)い紙(かみ)の上(うへ)へ手(て)をおけば、手(て)の肉色(にくいろ)は紫(むらさき)がゝつて見(み)えるし、青空(あをぞら)をばつくにした船頭(せんどう)の裸(はだか)は、ひどく赤(あか)く見(み)える、あれと同(おな)じわけですよ、あなたの唇(くちびる)の色(いろ)はね。谷(たに)さんの顔色(かほいろ)は常(つね)に青白(あをじろ)い、そこで唇(くちびる)の色(いろ)が特(とく)に紅(あか)く見(み)えるのです。だから谷(たに)さんの顔(かほ)を写生(しやせい)する時(とき)唇(くちびる)のその紅色(べにいろ)は、まさに急所(きゆうしよ)ですよ』だつて、滝田先生(たきたせんせい)はなかなか皮肉(ひにく)やだわね」
「骨(ほね)を折(を)らせる生徒(せいと)さん達(たち)ね。で、あなたは批評(ひひよう)して戴(いたゞ)いたの」
「いやだわ私(わたし)、顔(かほ)なんか」
 ×
「今日(けふ)はみんなまごついたわ、先生(せんせい)がね、めい/\に二寸釘(にすんくぎ)を一本(いつぽん)渡(わた)して『これをもていふにして、お皿(さら)の模様(もよう)を工夫(くふう)おしなさい』とおつしやるでせう。皆(みんな)困(こま)つた顔(かほ)をしたら『木(き)の葉(は)も釘(くぎ)も同(おな)じわけですよ、釘(くぎ)の全体(ぜんたい)の形(かたち)なり、部分(ぶぶん)の形(かたち)なりを材料(ざいりよう)にして、お皿(さら)に適(てき)した模様(もよう)を創作(そうさく)すればいゝのです。この一本(いつぽん)の釘(くぎ)のなかにもいろ/\な材料(ざいりよう)を見出(みいだ)します、例(たと)へば釘全体(くぎぜんたい)のT字形(ていじがた)が一(ひと)つ、頭(あたま)の平(たひら)が円(まる)で、これが又(また)一(ひと)つ。その円(まる)のなかには菱形(ひしがた)の網目(あみめ)がある、それが又(また)一(ひと)つ。釘(くぎ)の先端(せんたん)を見(み)ると独逸(どいつ)の勲章(くんしよう)のような形(かたち)があるのが、これが又(また)一(ひと)つ。釘(くぎ)の腹(はら)を見(み)ればそこには弧線(こせん)の鱗(うろこ)がある、それが又(また)一(ひと)つ。かういふ風(ふう)に見(み)るならば、この一本(いつぽん)の釘(くぎ)から十一(じゆういち)ばかりの資料(しりよう)が得(え)られます。それを使(つか)へば、いろ/\な模様(もよう)を作(つく)り得(う)る筈(はず)です』とおつしやいましたの。皆(みんな)なるほどゝわかつて、てん/゛\に釘(くぎ)を使(つか)つてお皿(さら)の模様(もよう)を作(つく)りましたが、たいへん面白(おもしろ)かつてよ。ずいぶん思(おも)ひ/\の模様(もよう)が出来上(できあが)つて、先生(せんせい)も大喜(おほよろこ)びでしたわ。そしてかうおつしやいました『今日(けふ)釘(くぎ)などをもち出(だ)したのは、なにも奇抜(きばつ)のつもりではありません。僕(ぼく)のいひたい点(てん)は、一本(いつぽん)の釘(くぎ)にも皆(みな)さんをして、かように、思(おも)ひ/\の模様(もよう)を作(つく)らしたところの材料(ざいりよう)がある、して見(み)れば、吾々(われ/\)の身(み)のまはりには到(いた)る処(ところ)、溢(あふ)れるほど図案(ずあん)の材料(ざいりよう)があるわけだ。それを活(い)かすと活(い)かさないとは、皆(みな)さんの働(はたら)きのいかんにある、といふことです。今日(けふ)は作品(さくひん)から推察(すいさつ)しても、皆(みな)さんにすつとわかつたものがあるようですね、それがきい(鍵(かぎ))です。これから、ちよい/\変(かは)つた材料(ざいりよう)を提出(ていしゆつ)して見(み)ませう』──こんだは、ローマ字(じ)などをもていふにして、染色図案(せんしよくずあん)をやるんですつて、それも木(き)の葉(は)や釘(くぎ)と同(おな)じわけなんですつて、なんだか世(よ)の中(なか)にはむだなものは一(ひと)つもなく、皆(みんな)かうつながつてゐるような気(き)がするわ」
 ×
「今日(けふ)の美術(びじゆつ)の時間(じかん)はね『マダム・シユネエの指導法(しどうほう)による模様構成(もようこうせい)の実習(じつしゆう)』といふ珍(めづら)しい学習(がくしゆう)でしたわ。マダム・シユネエといふのはねお母(かあ)さん、パリの幼稚園長(ようちえんちよう)なんですつて。幼稚園(ようちえん)の子供(こども)のこしらへた図案(ずあん)をいろ/\見(み)せて戴(いたゞ)きました。豆(まめ)や、種(たね)や、木(き)の葉(は)や、貝(かひ)や、まつちの棒(ぼう)や、花(はな)などの実物(じつぶつ)を使(つか)つた図案(ずあん)で、ずいぶん面白(おもしろ)くうまく出来(でき)てゐましてよ。マダム・シユネエは『装飾(そうしよく)の遊戯(ゆうぎ)』としてそれをやらしてゐるのですつて、なんでもね、幼稚園(ようちえん)の子供(こども)を運動場(うんどうば)へつれ出(だ)して、石(いし)ころを拾(ひろ)はせるのですつて、石(いし)ころには、さまざまな分量(ぶんりよう)の塊(かたま)りがあり、空間(くうかん)をかぎる線(せん)があり、濃淡(のうたん)があり、色合(いろあ)ひがあつて、立派(りつぱ)な模様構成(もようこうせい)の材料(ざいりよう)ですつてさ。なる程(ほど)さうね、で、マダムは、庭(には)の地面(じめん)へ杖(つゑ)かなんかで円(まる)をかいて、その線(せん)の上(うへ)へ、石(いし)ころを適宜(てきぎ)に配置(はいち)させることなどから始(はじ)めるんですつて。豌豆(えんどう)と隠元豆(いんげんまめ)と、めろんの種子(たね)で、美(うつく)しい本(ほん)の表紙(ひようし)の模様(もよう)が出来(でき)てゐましたが、さういふ豆(まめ)のようなものは、油土(あぶらつち)を平(たひら)にのしたものへ、指(ゆび)でちよいとおし込(こ)んで作(つく)るのだそうです。木(き)の葉(は)や花(はな)は、紙(かみ)の上(うへ)へアラビヤごむの強(つよ)いので貼(は)るのですが、見(み)せませう、これがそれよ」
「あなたが作(つく)つたの」
「え、今日(けふ)早速(さつそく)皆(みんな)でやつて見(み)たの、形(かたち)を描(か)く苦労(くろう)がないし、仕上(しあが)りが早(はや)くて、まつたく小学校(しようがつこう)などで時間(じかん)の少(すくな)い場合(ばあひ)にもつて来(こ)いの方法(ほうほう)ですわ」
「ほんとですね、これならお母(かあ)さんにも出来(でき)そうですね、おほゝゝ」
「これに使(つか)はうと思(おも)つてさがすと、ずいぶんいろ/\な物(もの)があるものよ」
「孝子(こうこ)さんも、姉(ねえ)さんに教(をそ)はつてやつて御覧(ごらん)なさい、おうちのお庭(には)にだつていろ/\な材料(ざいりよう)があるでせうからね」 孝子(こうこ)さんは、しかし間(ま)もなく学校(がつこう)でそれを教(をそ)はりました、そしてこの頃(ごろ)ではその方法(ほうほう)を利用(りよう)して、手工(しゆこう)の時間(じかん)にこしらへた板紙細工(いたがみざいく)のちぎ函(ばこ)や、紙(かみ)ばさみや、栞(しをり)や、その他(ほか)いろいろな品物(しなもの)を装飾(そうしよく)するのです。もつとも孝子(こうこ)さんの好(この)んで作(つく)る模様(もよう)は、多(おほ)く更紗模様(さらさもよう)ですが、なか/\気(き)の利(き)いたものがあります。例(たと)へぱ、柳(やなぎ)の葉(は)の裏(うら)と表(おもて)の色合(いろあ)ひでうまく調子(ちようし)をとつたり、ある場所(ばしよ)に蓼(たで)の花(はな)の細(こま)かい粒(つぶ)を散(ち)らしたりしてゐるのです。

一九、みち子(こ)さんの更紗(さらさ)

 みち子(こ)さんは昨日来(さくじつらい)、更紗(さらさ)の製作(せいさく)で夢中(むちゆう)です。それはこの春(はる)のお休(やす)み中(ちゆう)の為事(しごと)に、先生(せんせい)から課(か)せられたものですが、みち子(こ)さんにとつては急(いそ)ぎの実用品(じつようひん)でした。といふわけは、みち子(こ)さん達(たち)の書斎(しよさい)は裏庭(うらには)に面(めん)した奥(おく)の六畳(ろくじよう)で、次(つ)ぎの間(ま)との境(さかひ)が四枚(よまい)の襖(ふすま)でしきられてゐますが、その襖(ふすま)は手垢(てあか)やいんきでどす黒(ぐろ)くよごれたばかりでなく、処々(ところ/゛\)破(やぶ)けてゐて、春(はる)めいた陽気(ようき)にいよ/\むさくるしく感(かん)じられるので、お母(かあ)さんは先日(せんじつ)出入(でい)りの経師屋(きようじや)に張(は)りかへを頼(たの)みました。ところが、ちようどその日(ひ)に、みち子(こ)さんは学校(がつこう)で『おきざらさ』を教(をそ)はつて来(き)て、襖地(ふすまじ)はぜひ自分(じぶん)で作(つく)る、とお母(かあ)さんにも経師屋(きようじや)さんにも堅(かた)く約束(やくそく)したのであります。
 みち子(こ)さんの学校(がつこう)では意匠図案(いしようずあん)をなるべく実物(じつぶつ)に作(つく)りあげるように心掛(こゝろが)けて、例(たと)へば帽子(ぼうし)を意匠(いしよう)すれば帽子(ぼうし)に作(つく)りあげ、かーてんの模様(もよう)を図案(ずあん)すれば、その模様(もよう)のかーてんをこしらへるといつた風(ふう)ですが、しかし美術(びじゆつ)の時間(じかん)は僅(わづか)ですし、設備(せつび)もないので、凝(こ)つた細工物(さいくもの)は出来(でき)ず、いつも手軽(てがる)な技術(ぎじゆつ)を教(をし)へられます。『おきざらさ』もその一(ひと)つで、図案(ずあん)をきめて型紙(かたがみ)を作(つく)りさへすれば、顔料(がんりよう)と二三本(にさんぼん)の刷毛(はけ)で、どんな更紗(さらさ)でも出来(でき)ようといふわけです。お母(かあ)さんは、みち子(こ)さんの最初(さいしよ)の作品(さくひん)を見(み)て笑(わら)ひました。「おほゝ、手(て)にとつて見(み)るとすいぶんお粗末(そまつ)なものですね」
「そりやお母(かあ)さん、朝鮮木綿(ちようせんもめん)なんですもの、それに顔料(がんりよう)では、とても染料(せんりよう)のようにすつきりとはゆかないわ」
「もつと顔料(がんりよう)を薄(うす)くつけたらどうでせうね、厚(あつ)いと下品(げひん)ぢやないの」
「え、薄(うす)い方(ほう)がいゝの、でも色(いろ)によつて相当(そうとう)厚(あつ)くつけないと効果(こうか)が出(で)ないわよ」
「これで、おちないかね」
「洗濯(せんたく)しては駄目(だめ)よ。けれど、水(みづ)に濡(ぬ)れただけや雨(あめ)にあたるぐらゐでは大丈夫(だいじようぶ)ですつて」
「これはなんなの」
「てーぶるせんたーよ、先週(せんしゆう)作(つく)つた図案(ずあん)を、今日(けふ)、型紙(かたがみ)にこしらへて、てーぶるせんたーや、ぶつくかばーや、書棚(しよだな)のかーてんや、袋物(ふくろもの)のきれや、思(おも)ひ/\の物(もの)を作(つく)つたの。ちよつと、これ、お母(かあ)さん、はいからぢやなくつて」
「え、なか/\しやれてゐますよ、少(すこ)し色彩(しきさい)が賑(にぎ)やかすぎるけれど」
「え、さうよ、布地(ぬのじ)が白(しろ)でなく、ねずみ色(いろ)だとずつと落(お)ちつくわね」
「襖地(ふすまじ)は白(しろ)でない方(ほう)がいゝでせう」
「襖地(ふすまじ)は白(しろ)ぢやないの、このきれですお母(かあ)さん」
「あゝ、この色(いろ)なら結構(けつこう)ですね、これは寒冷紗(かんれいしや)だね」
「え、滝田先生(たきたせんせい)がわけて下(くだ)さつたの、先生(せんせい)のお宅(たく)の襖(ふすま)はたいていこの『おきざらさ』なんですつて」
「襖地(ふすまじ)はきれの方(ほう)が丈夫(じようぶ)でいゝね、とりわけ、あなた達(たち)のお部屋(へや)のはね」
「模様(もよう)はどれがいゝでせう、お母(かあ)さん見(み)て頂戴(ちようだい)」
 図案(ずあん)は十種(じつしゆ)ばかり出来(でき)てゐました、お母(かあ)さんはそのうちから二枚(にまい)選(えら)びました。一枚(いちまい)は孝子(こうこ)さんが孔雀草(くじやくそう)を貼(は)りつけて作(つく)つたさらさ模様(もよう)で、一枚(いちまい)は太郎君(たろうくん)の静物画(せいぶつが)を材料(ざいりよう)にして、みち子(こ)さんが図案(ずあん)した、林檎(りんご)と葡萄(ぶどう)の模様(もよう)でした。
「私(わたくし)もこの二枚(にまい)がいゝと思(おも)つたんですが、お母(かあ)さんどつちにしませう」
「さうね、林檎(りんご)の模様(もよう)はずいぶん派手(はで)ですね。ですが、あなた達(たち)のお部屋(へや)には、これがいいかも知(し)れない」
「襖(ふすま)が裏表(うらおもて)模様(もよう)がちがつてもいゝでせうか」
「それはいゝですとも、八畳(はちじよう)の襖(ふすま)だつても、裏(うら)と表(おもて)と違(ちが)つてゐるでせう」
「さう、私(わたくし)今(いま)まで、それに、気(き)がつかなかつたわよ、ぢやあ、かうするわ、お部屋(へや)の方(ほう)はりんごの模様(もよう)にして、廊下(ろうか)の方(ほう)は孝子(こうこ)ちやんのにしませう」
「それがいゝでせう、ですが、こんなきれいな模様(もよう)になるですの」
「いゝえ、孔雀草(くじやくそう)の葉(は)は鳩目打(はとめう)ちでぬいて点々(てん/\)で作(つく)つて、灰(はひ)つぽい藍色(あゐいろ)にしようと思(おも)ふの、花(はな)は岱赭(たいしや)と淡(うす)い黄色(きいろ)のつもりよ。それでも賑(にぎ)やかすぎるでせうか」
「布(きれ)の地色(じいろ)が渋(しぶ)いから、ちようどいゝでせうね、まあこしらへて御覧(ごらん)なさいね、うまく出来(でき)たら、徳(とく)やのお部屋(へや)のも、看護婦(かんごふ)のお部屋(へや)のもお頼(たの)みしますよ、おほゝゝ」
 襖地(ふすま)の製作(せいさく)は、しかしなか/\大為事(おほしごと)です。用具(ようぐ)及(およ)び加工材料(かこうざいりよう)も、これだけ入(い)り用(よう)でした。
   布地(ぬのじ)(寒冷紗(かんれいしや)、幅二尺(はゞにしやく)、長(なが)さ五尺(ごしやく)──一尺(いつしやく)十四銭(じゆうよんせん)ぐらゐ)
   張(は)り板(いた)(これは古襖(ふるぶすま)にはとろん紙(し)を糊張(のりば)りにして、その上(うへ)に酪素(らくそ)を引(ひ)き、ほるまりんを吹(ふ)いておけば上等(じようとう))
   型紙(かたがみ)(染物屋(そめものや)の使(つか)ふ渋(しぶ)を引(ひ)いた紙(かみ)、画用紙(がようし)半截(はんさい)ぐらゐの大(おほ)きさ──一枚(いちまい)二十銭(にじゆつせん)ぐらゐ)
   鳩目打(はとめう)ち(型紙(かたがみ)に穴(あな)を穿(うが)つ道具(どうぐ)、大小(だいしよう)あり──一本(いつぽん)三十銭(さんじつせん))
   切(き)り出(だ)し(型紙(かたがみ)を切(き)るに用(もち)ひる、なるべく細(ほそ)いきり出(だ)しがよい、ないふでも間(ま)に合(あ)ふ)
   刷毛(はけ)(顔料(がんりよう)の刷(す)り込(こ)みに使(つか)ふ、大小(だいしよう)三本(さんぼん)もあればよい、三本(さんぼん)で六十銭(ろくじゆつせん)ぐらゐ)
   絵(え)の具皿(ぐざら)(顔料(がんりよう)を溶(と)いておく、五六枚(ごろくまい)入(い)り用(よう)、あり合(あは)せのものでよい)
   土鍋(どなべ)(酪素(らくそ)を溶(と)くに用(もち)ふ、あり合(あは)せの土鍋(どなべ)でよい)
   霧吹(きりふ)き(ほるまりんを吹(ふ)く時(とき)に使(つか)ふ、あり合(あは)せのものでよい)
   調色板(ちようしよくばん)(刷毛(はけ)についた顔料(がんりよう)を程(ほど)よく調節(ちようせつ)するに用(もち)ふ、空(あ)き箱(ばこ)か折(を)りの蓋(ふた)で間(ま)に合(あ)ふ)
   泥絵(どろえ)の具(ぐ)(図案(ずあん)によつて色(いろ)を求(もと)めるわけであるが、群青(ぐんじよう)、新洋紅(しんようこう)、胡粉(ごふん)、黄鉛(おうえん)、朱(しゆ)、紅殻(べにがら)、墨(すみ)の七色(しちしよく)を準備(じゆんび)しておけば、たいていの模様(もよう)に間(ま)に合(あ)ふ──価格(かかく)は分量(ぶんりよう)によつていろ/\であるが、安(やす)いものです)
   酪素(らくそ)(顔料(がんりよう)を溶(と)く時(とき)に酪素(らくそ)の液(えき)で溶(と)く、顔料(がんりよう)の定着(ていちやく)を丈夫(じようぶ)にするためです、──大(おほ)きい薬屋(くすりや)に売(う)つてゐる安(やす)いものです)
   あんもにや(酪素(らくそ)の腐敗(ふはい)を防(ふせ)ぐために、ほんの少(すこ)し混(ま)ぜる)
   ほるまりん(出来(でき)あがつたところでほるまりんを吹(ふ)くと、酪素(らくそ)で溶(と)いた顔料(がんりよう)が硬(かた)くなつて、濡(ぬ)れてもおちないようになる)
 みち子(こ)さんは、学校(がつこう)がお休(やす)みになると、早速(さつそく)右(みぎ)の品々(しな/゛\)を用意(ようい)して、大作(たいさく)にとりかゝつた次第(しだい)です。型紙(かたがみ)が出来(でき)あがると自分(じぶん)の部屋(へや)の襖(ふすま)を一枚(いちまい)はづして、裏庭(うらには)の日蔭(ひかげ)に、大(おほ)きい漬(つ)け物(もの)樽(だる)を脚(あし)にして、てーぶるのような為事台(しごとだい)を設(まう)けました。次(つ)ぎに十匁(じゆうもんめ)ばかりの酪素(らくそ)を土鍋(どなべ)に入(い)れて、三合程(さんごうほど)の熱湯(ねつとう)を注(つ)ぎ込(こ)み、小(ちひ)さい匙(さじ)に一杯(いつぱい)ぐらゐのあんもにやを入(い)れてかきまはすと、葛湯(くずゆ)のような酪素液(らくそえき)が出来(でき)ました。それから樽(たる)の上(うへ)の襖(ふすま)へはとろん紙(し)を貼(は)り、酪素(らくそ)を引(ひ)き、酪素(らくそ)が乾(かわ)いたところで、ほるまりんを吹(ふ)いて『張(は)り板(いた)』を整(とゝの)へました。そして、そこへ寒冷紗(かんれいしや)を画(が)ぴんで少(すこ)しも皺(しわ)のないようにぴんと張(は)つておいて、絵(え)の具(ぐ)溶(と)きにかかりました。まづ入(い)り用(よう)の色(いろ)を乳鉢(にゆうばち)でていねいに摺(す)り、酪素(らくそ)のくず湯(ゆ)を入(い)れて更(さら)によく摺(す)りました、このすり方(かた)が足(た)りないと、布(きれ)にのつてから絵(え)の具(ぐ)がはがれ落(お)ちますから、みち子(こ)さんは辛抱(しんぼう)づよく顔料(がんりよう)と酪素(らくそ)を摺(す)りまぜました、絵(え)の具(ぐ)が出来(でき)ると、それからがいよいよ楽(たの)しみです。寒冷紗(かんれいしや)の上(うへ)に、ちやこであらかじめ模様(もよう)をおく位置(いち)を見当(けんとう)づけておいて、そこへ型紙(かたがみ)を動(うご)かぬように画(が)ぴんで止(と)め、さて刷毛(はけ)に絵(え)の具(ぐ)をつけて、調色板(ちようしよくばん)の上(うへ)でそれが多(おほ)すぎず、又(また)少(すく)なすぎないように調節(ちようせつ)し、型紙(かたがみ)の上(うへ)では軽(かる)く円(えん)を描(か)くような呼吸(こきゆう)で摺(す)りこみます。みち子(こ)さんはかうして一(ひと)つの型紙(かたがみ)を次(つ)ぎ/\に使(つか)つて、布一面(きれいちめん)にさらさ模様(もよう)をおきました。そして最後(さいご)に布(きれ)の上(うへ)の模様(もよう)の顔料(がんりよう)が十分(じゆうぶん)乾(かわ)いたところで、ほるまりんの十倍(じゆうばい)の稀薄液(きはくえき)を霧吹(きりふ)きで一(ひ)とわたりむらなく吹(ふ)きました。ほるまりんが乾(かわ)くと張(は)り板(いた)からはなして、お部屋(へや)の襖(ふすま)にぴんでとりつけて見(み)ましたが、なか/\工合(ぐあひ)がいゝので、徳(とく)やも、看護婦(かんごふ)も、書生(しよせい)も、お母(かあ)さんも、お父(とう)さんも、皆(みな)呼(よ)び寄(よ)せられて、拝観(はいかん)しました。お父(とう)さんは破顔(はがん)して、
「案外(あんがい)垢(あか)ぬけてゐるね、だが、この襖(ふすま)は一枚(いちまい)いくらにつくかな」
ときゝました。みち子(こ)さんはちよつと舌(した)を出(だ)して鉛筆(えんぴつ)で計算(けいさん)して見(み)て、
「道具(どうぐ)やなにかは勘定(かんじよう)に入(い)れずに、布地(きれじ)や、絵(え)の具(ぐ)や、薬品(やくひん)などで、一枚(いちまい)八十五銭(はちじゆうごせん)ぐらゐにつきます」
と答(こた)へました。
 みち子(こ)さんは、この無雑作(むぞうさ)な成功(せいこう)のおかげで、いろ/\な為事(しごと)を背負(しよ)ひ込(こ)みました。女中部屋(じよちゆうべや)と看護婦部屋(かんごふべや)の襖(ふすま)、薬局(やつきよく)の壁紙(かべがみ)、応接間(おうせつま)のてーぶるせんたー、書棚(しよだな)のかーてん、太郎(たろう)さんのぶつくかばーなど、このところさらさ屋(や)さん大繁昌(だいはんじよう)です。
 春休(はるやす)みが終(をは)つて、第一学期(だいいちがつき)の最初(さいしよ)の土曜日(どようび)には(土曜日(どようび)が美術(びじゆつ)の日(ひ)です)みち子(こ)さんの教室(きようしつ)には、各種(かくしゆ)の更紗(さらさ)が一(いつ)ぱい陳列(ちんれつ)されました。しかし襖地(ふすまじ)をもち出(だ)したのはみち子(こ)さんだけで、皆(みんな)はその大為事(おほしごと)をきやつ/\といつて賞(ほ)め立(た)てました。滝田先生(たきたせんせい)も、
「よくやりましたね、模様(もよう)もなか/\いゝ、一方(いつぽう)はよくこなれてゐるし、一方(いつぽう)は又(また)奇抜(きばつ)ですな」
と、賞(ほ)めてくれました。みち子(こ)さんの製作(せいさく)した襖地(ふすまじ)は顔料(がんりよう)を酪素(らくそ)で溶(と)いた置(お)き更紗(さらさ)ですが、顔料(がんりよう)を使(つか)はずに、染料(せんりよう)でやつたものや、えなめるを用(もち)ひたものや、油絵(あぶらえ)の具(ぐ)を油(あぶら)でうすめて用(もち)ひたものや、くれぱすの屑(くず)をてれびんで溶(と)いて顔料(がんりよう)としたものなどいろ/\ありました。
                             (をはり)


(奥付)
日本児童文庫
昭和三年九月二日印刷  図画と手工の話
昭和三年九月五日発行  〔非売品〕

著作者        山本 鼎
編輯兼発行者     東京市小石川区表町一〇九
           北原鉄雄
印刷者        東京市小石川区久堅町一〇八
           君島 潔
印刷所        東京市小石川区久堅町一〇八
           共同印刷株式会社
発行所        東京小石川表町一〇九
           アルス
           振替 東京二四八八八番
           電話 小石川三五七〇・四八一三



復刻版 日本児童文庫
昭和五十七年十二月十日印刷
昭和五十七年十二月二十日発行
図画と手工の話 No.67
著作者  山本鼎
発行者  小関貴久
発行所  〒152東京都目黒区平町一−一六−六
     株式会社名著普及会
     電話03七二四−八〇三一