台德院殿御實紀附錄卷一
東照宮の公達あまたおはしましける中に。岡崎三郞君(信康君。)はじめ。越前黃門。(秀康卿。)薩摩中將(忠吉朝臣。)等は。いづれも  父君の神武の御 性を禀させられ。御武功雄畧おゝしく世にいちじるしかりし中に。獨り  台德院殿には。御幼齡より仁孝恭謙の德備はらせ給ひ。何事も  父君の御庭訓をか しこみ守らせられ。萬づ御旨に露違はせ給はで。いさゝかも縱恣の御擧動おはしまさゞりき。かゝれば世に仁柔にのみ過させたまひしかと思ふものもあれど。   神祖の大統をうけ給ひ。繼體守文の任に當らせ給はんには。たゞ三郞君等のごとく武勇にのみほこりて。治世安民の德おはしまさではいかゞあるべき。すでに 關原の役は。上方蜂起のよし下野の小山に告來りしとき。秀康卿は悅喜のさま顏色あらはれ。忠吉朝臣はいさみはやらせ給ひしに。  公には何となく憂悶の御 樣に見えたまひしを。其比の人。御嫡位失はせ給はん事をおぼしめされしゆへなりと。しりう言する徒もありしとかや。またくさにはあらず。この時上杉景勝い まだ天誅に服せず。其上に上方の逆徒又蜂起し。 當家は其兩間に在て。從事の諸將も多くは豐臣家恩顧の輩なれば。さしあたりいかになりゆくべきかと。深く 御思念ありしさまの。御面色にもあらはれしなるべし。かの戰に臨でおそれ。謀をこのむでなさむとありし聖語も。かゝるたぐひにや。たゞ暴虎馮河して。血氣 にはやるとは。おなじ樣にあげつらふべきにあらず。これぞ末終に繼體守文の主に備はらせ給ふべき。御瑞相のあらはれしなるべし。  神祖豐臣關白と御和睦 ありし後。天正十八年正月  公いまだ  長丸君と申て。十二にならせ給ふ御時。關白に見參せしめむため。駿河より京におもむかせたまふ。關白待むかへら れ。悅ばるゝ事かぎりなし。尼孝藏主して後閤にいざなはれ。政所みづから  公の御くしをゆひ改め。御衣御袴も皆新調せしをきせ進らせ。關白みづからの名 の一字を進らせて。  秀忠君と稱せられ。  公の御手を引て表に出られ。御供に侍りし井伊兵部少輔直政等をめし。  大納言にはよき子をもたれしな。年 の程よりはいとおとなしやかにて。さぞ本意におもはるべし。但田舍風をかへて。都ぶりに改め。返し參らするなり。  大納言にもさぞ待遠に思はるべし。い そぎ供奉して歸國せよとて。直政はじめ御供の輩にも。さまざま引出物給ひ。幾程なく御歸國ありしとぞ。(大成記。)
おなじ關白。小田原の北條を討むとて相摸國まで攻下り。湯本堂にて諸將をあつめ。酒宴ひらきて軍議ありしに。關白  神祖に向はれ。  秀忠をよびたまひ て。この大軍を見せ給へとあれば。急に招かせ給ふ。この時大久保新十郞忠常十一歲なるが。一人供奉してまいる。關白みづから着領の甲胄とりいだして  公 にきせ參らせ。わが武運にあやからせ給へとて。御背を再三なでられしとぞ。(大成記。創業記。)
文祿四年關白父子の間に事起りし時。  公には京の邸におはしけるが。秀次をのが方に迎て質とし。一旦の害をまぬかれんとおもひ。つとめて使進らせ。朝餉 參らすべければ。御出あれといひ送りけるを。大久保治部大輔忠隣その謀を察しければ。土井甚三郞利勝はじめ五六人御供せしめて。ひそかに伏見の館にわたら せ給ふ。利勝がすゝめにより竹田路にはかゝらで。大路をへて恙なく伏見におはしければ。大閤悅ばるゝ事ななめならず。實に新田殿の子なりとて稱賛せられし とぞ。こはさきに  神祖京を出て。關東に下らせ給ひし時。  公をめして。我東に下りし後。かならず太閤父子の間に事起るべし。さあらむにはおことは搆 へて。太閤のかたへ參らせ給へと仰られしを。兼々よく守らせ給ひしゆへ。何の御恙もわたらせたまはず。しかのみならず。太閤もことに賴もしきかたに思ひと られ。實に新田殿の御子なりと稱美ありしとぞ。(大成記。)
關か原の役に  公には諸軍を引ひ。木曾路を打てのぼらせ給ひ。眞田が上田の城責にひまとらせ給ひし上。折ふし霖雨降つゞき。道の程にて關原の戰事終りぬ と聞しめし。御憤りにたへず。御馬を早められ。近江草津にて  神祖に行逢せ給ひぬ。然るに  神祖御心地あしとて。三日が程御對面なし。上下みな色を失 ひ。いかなる事にかとおそれあへり。榊原式部大輔康政はかねて  公の御供にさゝれしが。このよし聞て。其夜ひそかに  神祖の御方に參り。こたび  中 納言殿御けしき蒙らせ給ふは。上田の城責落し給はぬと。海道の戰にあはせ給はぬ故にや。さらむにはかしこけれ共。殿の御誤なきにしもあらず。  先殿には 今月(九月。)朔日江戶を出立せ給ひ。十一日に尾州淸洲の城に入せられ。十五日には關原にて御合戰事終りぬ。御父子一所に御軍あらんとおぼしなば。など早 く御出軍の期をば告知せ給はぬぞ。又海道よりも御使立られ。山道の御勢をも催させ給ふほどは。淸洲にしばし御滯座あつて。山道の勢を待せ給はんに。三成等 何程の事をか仕出すべき。然るに思ひの外に御軍を急がれ。いまとなりてひとへに。  中納言殿の御緩怠のごとくしなさせ給ふはいかにぞやと。はゞかる氣し きなくまうしければ。  神祖さればこそ。八月晦日に使を馳て。明日首途すれば。山道の勢もいそぎ馳上れといひつるはと宣ふ。康政承り。さん候。その御使 今月七日に小諸の御陣に參りつればこそ。  中納言殿にも始めて聞召驚かせたまひ。御いそぎありしなり。されども名におふ木曾の難所なるに。大雨さへ降 つゞき。一日が中に十五六里が程。御馬を進められしかば。人も馬も疲れはてぬと申。神祖聞しめし。などその使は遲かりつるとて。そのもの聞たゞされしに。 霖雨にて人馬のかよひ絕果しゆへ。遲參しぬと申す。康政かさねて申けるは。上田の城の事は。  中納言殿には是非攻破て御通あらんと仰られしを。この御か たより附進らせられし古老のものどもが。あながちにとゞめ奉れば。御心ならず押の兵を殘されて。御道をいそぎのぼらせられぬ。抑御父子の御間なれば。常の 御事にはいかなる御嚴譴もおはしませ。今  中納言殿御年も壯に。行すゑ天下をも讓らせ給ふべき御身の。弓矢取ての道にをいて。父君の御心によしともおぼ しめさずなど。世の人のあなづり申さんは。御子の恥辱のみならず。父の御身にもいかでその嘲はまぬかれ給ふべき。これほどの御遠慮のおはしまさぬ事こそう たてけれとて。淚をながして申ければ。  神祖も御心とけて。明る日伏見の御陣にて御父子御對面ありて。海道の軍の樣も。山道の事をも。かたみに御物語あ りければ。上下みな安堵せしとぞ。其後に  公御みづから御筆を染られ。康政がこたびのこゝろざし。我家のあらむかぎり。子々孫孫にいたるまで。忘れはつ まじきよしの御書をなし下されしとぞ。(藩翰譜。)
關原の戰終てのち。神祖には草津より大坂城中へ御使をつかはされ。仰下されし旨あるにより。城中安堵せし所に。  公には御馬を進められ。大坂に至らせた まひ。御使もて城中へ仰遣はされしは。こたび伏見にて討死せし鳥居元忠等が首ども。此地にとりよせ秀賴實撿せしときゝぬ。さらばこの一亂全く秀賴が心中よ り出しといふ者なり。早く御人數を向らるべしとあれば。城中大にひしめきあひ。すは事こそ起れとのゝしる。秀賴が母堂淀殿。秀賴幼弱なれば。こたびの一亂 元より思ひたつべきにあらず。首實撿の事も毛利輝元はじめ。奉行人のせし所にて。秀賴があづかりしる所にあらざれば。この所察せられ。まげて御ゆるし蒙ら んとあれば。  公よりこのよし  神祖に聞え上させたまひしとぞ。  神祖もとよりさる神慮にましましければ。彌事なくしづまり。秀賴母子ともに安堵せ られぬ。この事往復の間は。諸勢みな旗をしたてゝ一戰の支度せしが。かく仰出されし後。はじめて休息せしとぞ。(駿河土產。)
加賀井彌八郞が三州池鯉鮒にて。水野和泉守忠重を討しを。堀尾帶刀吉晴が所爲なりといふこと。下野の小山に告來り。  神祖聞しめし驚かれ。吉晴が子信濃 守忠氏は  公の御陣に在れば。いそぎ宇都宮へこのよし告知らせらる。  公聞しめし。吉晴父子 當家に叛き奉るべきものにあらず。たとへ承る事のごとく ならんにも。信濃守に於ては二心抱くべきものならねば。めしいましむべきにあらずと。屹と仰進らせられぬ。然るにかさねて彼地より。彌八郞が忠重を討しか ば。吉晴即座に彌八郞を討とり。其身も深手負し事つばらに注進ありしかば。  神祖聞せられ。  公のよく人の心しろしめしける事を。かへすべす感じ給 ひ。衆人も皆御德をかしこみあへりしとぞ。(藩翰譜。)
慶長五年關原の軍散てのち。  神祖いかなる思召にやありけん。大久保治部大輔忠隣。本多佐渡守正信。井伊兵部少輔直政。本多中務大輔忠勝。平岩主計頭親 吉をめし。我今三人の男子をもてり。いづれか我家國を讓るべき。汝等が思ふ所をつゝまず聞え上よとの仰なり。正信は三河守殿こそ武勇といひ智畧といひ。あ つばれすぐれ給ひ。殊更御長子なれば。天下の御ゆづりはうたがひなく。この殿にまさるはあらじといふ。直政。忠勝。親吉がいふ所もまちまちにして定らず。 ひとり忠隣。軍陣の間には武勇をもて主とすれども。天下を平治し給はんには。文德にあらでは。大業を保ち給はん事かたし。三人の御子みな龍種におはしませ ば。御武勇の程いづれをまさりいづれを劣れりとさだめ奉るべきにあらず。ひとり  中納言殿はもとより。謙遜にましまして御孝心もあつく。文德智勇かね備 へ給ひ。殊には久しく正嫡に備はり給ひ。御官途も又御兄弟にこえさせ給へり。天意人望の歸する所。いかでこの君をすてさせ給はんと申ければ。  神祖何と 仰らるゝ旨もなかりしが。一二日ありてさきの人々めしいで。相摸が申所我意にかなへば。家督は永くさだまりぬと仰ければ。何れも奉賀してまかでしとぞ。こ れは  公久しく儲位におはしませば。  神祖元より廢立の念おはしますにはあらざれども。天下新定の時に當り。人心の向背を試み給ひ。國本をしていよい よかたからしめんとおぼしめして。かゝる事仰出されしなるべし。(武德大成記。烈祖成績。)
神祖あるとき本多佐渡守正信をめして。  秀忠はあまり律義すぎたり。人はりちぎのみにてはならぬものなりと仰られけるを。正信承りこのよし聞えあげ。殿 にも折々はうそをも仰らるゝがよしと申ければ。  公わらはせられ。  父君の御空言はいくらも買ふものがあり。我等は何事も仕出せし事なければ。うそつ きてもかふものあるまじと仰られしとぞ。(駿河土產。)
いつのころにや。  神祖の御けしき伺はせ給はんため駿城にならせられ。二月ばかり御滯留ありし頃。  神祖うちうち阿茶の局をめされ。  將軍には年若 ければ。こゝらの旅ねさぞつれづれならん。こよひ花を使とし菓子持せ。裏口よりしのびやかにやるべし。つれづれまぎるゝかたもあらん。されどわが申たるな どいふべからず。汝心得てよきに計らへと仰けり。花といへるは。其比とし十八ばかり。すぐれて美麗のきこえあるを。局のはからひにて殊によそひたてゝ。は したものに菓子もたせ進らせけり。こよひかゝる事ありと。局よりも御方に通じ置ければ。  公には暮ぬ程より御上下めし。端座して待せ給ふ。夜に入て花御 庭の木戶を扣きければ。公御みづから起たまひてその戶を明給ひ。花を導て上座にすへられ。持たる菓子をとらせられ。是は定めて  大御所より下されしなら んとて。いたゞかせられ。扨御用すみたれば。汝はもはや歸るべしと仰ありて。また先に立せられ戶口まで送らせ給ひければ。花は兼て局の教へしおもむきと違 ひ。いかにも  公の嚴恪におはしませば何といひ出ん詞もなく。恥らひつゝ還りきて。このよし  神祖に申あげしかば。  將軍には例の律義人なり。我階 子をかけても及び難しと仰られしとぞ。(雨夜灯。)
大坂冬の役に天滿より備前島邊御巡視ありて。有馬玄蕃頭豐氏が陣の井樓にのぼりたまふ。城兵馬印を見知り。火失射かけ大筒打かけしかば。近臣等もつたひな し。とくとく下させ給へと諫め申けれども。さらに聞召いれ給はざる所へ。水野日向守勝成馳參り。この在樣を見。斥候は一口を見切り。巡視は惣躰をつもり候 をもて要とする事なり。一所に久しくおはしますべきにあらず。鴫野の方へも御出ありて然るべしと申上る。尤なりと仰て鴫野のかたへわたらせ給ふ。その時上 杉の陣には。たゞ今この所へならせ給ふと聞とひとしく。直江山城守兼續下知し。早々城へむかつて鐵炮を打かけしかば。城中是に先をとられ。御通行の時は鐵 炮を放つ事もなし。上杉の陣法さすがなりと感じたまふ。この日  大御所は今福のかたへめぐらせ給ふ。本多佐渡守正信參り。  若殿も參らせ給ふべきにや と伺ひしに。  大御所我身は幼弱より干戈の間に人となりしかば。敵に對し營中に安座してある事能はず。ともかくも大將軍たらん人の。心のまゝたるべしと 仰ければ。正信大に恐怖し急使を立てかくと聞え上る。  公はこの時旣に岡山に赴かせ給ひしが。かくと聞しめしいそぎ立かへらせ給ひ。やがて御跡より今福 の方へ御巡視ありしとぞ。(挍合雜記。)
五月七日戰いまだ始らざる前に。諸營を巡視し給ふ。黑絲の鎧に山鳥の陣羽織を召れ。角頭巾の兜を陪從に持せられ。櫻野といふ十寸三分ある御馬に孔雀の馬鎧 かけて乘せ給ひ。御傍に十文字の鑓一本及長刀もたしめ。歩士二十人ばかりゆくりもなく附そひ奉り。この時黑田筑前守長政。加藤左馬助嘉明。いざ見參に入む とて御前へはしりいで。御馬の左右にとりつき。昨日は敵兵城を出しが。味方討もらしておめおめと城中に引入らしめしを。口おしと思ひしに。今日又足長に打 て出しは天の與ふる所なれ。一人もあまさず討て捨べきなりと申上しかば。  公御けしきうるはしくて。追付追付と仰られ打通らせ給ふ。兩人しばしが程御供 せしが。最早それにと仰せられて。兩人ひかへ居し處へ。本多正信澁帷子きて胄はがりかぶり。大團扇もて蠅拂ひつゝ。山駕籠に乘て來りしが。兩人にむかひ。 おことだちは見奉られしや。いまの  將軍家の御行裝は例とかはり。いと御手輕き事にはなきかといへば。嘉明さなり。御手輕なるは例の御家のくせよといら へはれば。長政こはいとよき御くせなれといひながら行わかれぬ。  公常は何事もおもりかに。嚴正におはしませしが。かゝる忩劇の折には又かく眞率にあら せられしなり。(武邊咄聞書。落穗集。)
おなじ七日の役に。戰すでに半なりし比。櫻の門の邊に歒の設置し埋火はね起りしかば。御先手の者等驚きあはてゝ大に潰散す。折ふし御馬前人少なりしかば。 御みづから手鑓とらせ給ひ。歒陣へかけむかはんとし給ひければ。たれいふともなく御旗御馬印六七間ほどゆるぎ出たり。この時安藤對馬守重信。及び中間頭畔 柳助九郞武重はせ來り支へ奉る。武重は御馬の口付の足に。己が足を踏かけて。あをむけに倒れふして。  大殿の御馬前にてもかゝるためし度度有き。御手討 になる共御馬は放すまじといふ。  公この時御刀二三寸拔あけ給ひ。はなさぬかぬかと仰らるれども。武重ちつとも動かず。その內に本多正純。加藤嘉明。黑 田長政等軍勢引つれはせ來り。御馬廻を警衛し奉る。  公は少しもさはがせ給はず。三枝土佐守昌吉に命ぜられ。潰崩るゝ先手の中をゝし分て。御旗を敵ちか くすゝめ。御みづから馬上にて白采振て。かゝれゝれと下知し給ふ。この御勢に勵まされて。諸手みな奮戰し城兵悉く敗走しければ。やがて茶臼山にならせら れ。  大御所に對面し給ひ。今日諸軍いさぎよく戰功をはげみたるよし仰上給ひしかば。  將軍今日の勇氣といひ。すべて勳功比類あるべからずと。  大 御所仰有て。御けしき殊にうるはしかりしとぞ。(攝戰實錄。駿府記。古老噺。)
大坂の城すでに破れ。秀賴母子北方はじめ。芦田曲輪にあつまりて。いづれも自害の用意のみなりし時。大野修理亮治長北方の御乳母にむかひ。世はこれまでな り。この上は北方城を出給ひ。  大御所の御陣におはして。御みづから御母子の助命の事願ひ給はんより。外の事なしとすゝめ奉れば。この議しかるべしとて 北方御出城ありて。まづ本多佐渡守正信につきて。この事申上給ひしかば。  大御所聞しめし。お姬がねがひとあるは尤なり。秀賴母子助けたりとて何かくる しからん。願の通りにいたしつかはすべし。されども汝岡山に往て。  將軍にこのよし申せと仰ければ。正信岡山にまいりかくと申上しに。  公殊に御氣色 損じ。いはれざる事を申さずとも。など秀賴と一所に生害はせぬぞと。以の外の御樣なれば。正信まづまづ何事も。  大殿の御差圖にまかせ給へと申てかへり しが。とかくする內に。秀賴母子は遂に生害ありしとなり。(大坂陣覺書。)
大坂の役に。近臣の中に反間の者ありといひふらせしを聞せられ。  神祖は御座を立せ給ひ。さる者あらんに見知らぬ事やあるとて。御次伺公の人々をつばら に御覽あり。  公の御陣にもおなじきさまの事いひ出ければ。聞しめすとひとしく。御刀とつて立出給ひ。近臣の中とは誰が事ぞと仰られしとぞ。御父子とも おなじさまの御心用の程を。人みな感じあへり。(前橋聞書。)
神祖駿府より江戶へわたらせ給ひ。武相の間御放鷹の折。御塲の內にもち繩張てありしを御覽あり。たが所爲なりやとて御糺ありしに。靑山常陸介忠成。內藤修 理亮正成がゆるせし所といふ。  神祖御氣色損じ。わが留塲にて彼等かゝる事ゆるしたるは奇恠なれ。  將軍は知給はぬかと仰ありければ。  公きこしめ し驚き給ひ。兩人を誅して御怒休め奉らむとおぼしめせど。彼等幼より御側ぢかくめしつかはれしものなれば。駿府へかへらせ給ひし後。阿茶の局もて伺はせ給 ひけれど。何の御答もなし。よて本多正信めして議せらる。正信わざわざ駿府へまかり。  神祖の御前へ參り。內藤靑山が事むづからせ給ふにより。  若殿 には兩人に腹切らしめんと仰あれども。いかにも不便におもひ侍るなり。正信が身も年老て物の用に立ず。この後いさゝかの過失ありて。若殿の御誅伐に逢むも 計りがたければ。この後は江戶を去り駿河に參り。  大殿に奉事してしらが首つなぎ侍るべきなりと申もはてぬに。  神祖御心とけて。  將軍かくまでお ごそかに申付られしや。かかれば兩人ゆるさるべしと申せと仰ありて。正信歸りきて此由聞へ上しかば。  公にも悅ばせられ。兩人しばらくの間閉居せしめら れ。やがて其職をばゆるされたり。(武家閑談。)
神祖御大漸に及ばせられし時。わが命すでに旦夕にせまれり。この後天下の事は何と心得られしやとのたまへば。  公天下は亂るゝとおぼしめす由御答ありければ。神祖ざつと濟たりとの仰にて。御心地よげに見え給ひしとぞ。(道齋聞書。)
神祖かむさらせ給ひし後も。如在の禮怠らせ給はず。いさゝかの事もまづ  御宮へ聞えあげさせられ月ごと十七日には殊さらの御愼にて。御衣服調度の類はさ らなり。便殿の奥まで改めかへられ。前夜はわざと夜ふくるまで起居て。さまざまの御物語あり。もし御殿ごもりてあしき夢など見給はゞ。神威を汚し給はんか との御心用なり。夜明ると御行水めし。淸まはりして御宮へ參らせ給ふまでは。御手を御けしの內に入れ給はず。御膝の上にあをのけておかれしなり。其日はい つも本阿彌などめしいでて。日ねもす刀劍の御鑑賞あり。はてには臣僚の差料を取よせて御覽あり。これも他の御遊あらば。御誠意の散じ給ふ事もあらんかとお ぼしめして。かく愼ませ給ひしとぞ。(額波集。名將名言記。)
神君の御遺金をわかたせ給ふ時。尾紀の兩卿はおのおの三十萬兩。水戶の賴房卿へ十萬兩遣はされき。御みづからは天下を讓り受たまへば。この外に何を求んと て。一品も御身に付させ給はず。長久手の役にめされし御鎧は。名譽の御品なれば。これはいかにと伺ひしに。それも御物にはし給はず。これらに就ていと御廉 潔の盛意はかりしるべきなり。かの御遺金あまた分たせ給ひし餘。なを三十萬兩のこりしも。御みづから御費用にはなされず。駿城の庫に納てありしが。その後 忠長卿駿河に封ぜられ賜ふに及んで。駿河殿預り給ふもしかるべからずとて。久能山に納られぬ。是其比の古語に久能の御金といひしなりとぞ。(寬元聞書。)
台德院殿御實紀附錄卷二
駿河亞相未だ國千代君と申ける頃。銃うつことを稻富喜大夫直賢に學給ひ。ある日西城の湟に居し鴨をうちとめられ。  御臺のかたへ進らせ給ひければ。   御臺所悅給ふ事なゝめならず。その夜しも公後閣にわたらせ給ひければ。これを調じて御酒すゝめ給ひ。こは國が手づから打留しよし申させ給へば。  公にも 御氣色うるはしくて。さてもこの物いづくにて打留しにやと問せられしに。  御臺所いかにもよく聞え給はんとて。つばらに西城の湟にて打留給ひし旨をかた らせ給へば。きこしめしもあへず御箸投すて給ひ。たが供してかゝるふしぎをなさしめしぞ。そもそも當城は  東照宮新に築かせられ我に讓らせ給ひ。我又竹 千代に參らすべきなり。さるを國が身として。城に向て鐵炮放せしこと。上は天道にそむき。且は神慮の程も計りがたし。下は  竹千代がきゝ思はんも。その 憚なきにあらずと。殊の外御けしき損じ。御座を立せられ。その日國千代の御方に御供せし者御勘事蒙りけり。此事世にいひ傳へて。嫡庶の分を正しうせられし 御心諚いとたうとし。さるを又駿河殿を御偏愛有て。廢立の念おはしませしなどいふは。とるにも足らぬ妄說なるべし。(武野燭談。藩翰譜。)
ある頃のことなりしが。茄子に穴を明て空をみれば。月二つ見ゆるとて。上下かゝる事を專らなせし事あり。御側の女房。  公にもいさゝか御覽あるべしと申 ければ。それ月二つありては天下治らず。月を二つにせんも一にせんも。我心にありと仰られしは。いかなる事とも心得られざりしが。これもその頃駿河殿の威 權つよく。世には廢立の事もおはしまさん樣に。流言せしほどの事なりしとぞ。(駿河土產。)
御連枝あまたおはしける內に。薩摩守忠吉卿は御同腹にて殊更御したしみふかくおはしましけり。慶長十二年此卿病にそまれ日數へしが。思ひの外に平愈してま うのぼられしかば。御喜大方ならず。さまざまもてなさせ給ひ。さてまかでられし後。又俄に危篤の由聞えければ。大に驚かせ給ひ。その寓居大久保加賀守忠常 が芝浦の亭に御親ら渡御ありて。ねもごろに問せ給ひ。其後も御使もて尋給ふ事絕えず。いさゝかも病怠らせ給へば。  公にも御けしき快く御膳もめし上ら れ。またおもらせ給ふよし聞召ば。御飮食も常の如くはめし上られず。ふししづみなげかせたまひしが。日比ありて遂にはかなくならせられしかば。御歎大かた ならず。しばしが程は闇にくれ惑ふ心地しておはしませしとぞ。其御樣見聞せし者どもゝ。げに友干の御情厚く渡らせ給ふ事。曠古ためし稀なりと。誰も誰も感 淚袖をうるほさざるはなかりしとぞ。(武德編年集成。)
慶長十五年三月駿城より還御の時。發軔にのぞみ  神祖仰けるは。義直賴宣の兩朝臣猶いとけなければ。殊に哀なるものにおぼしめす。わがなからむ後も。彼 等成立のほど懇に訓戒し給へと託し給へは。公かしこまり申させ給ひ。しきりに御淚袖をうるほされ。御道すがら御輿の中にても。御眼を拭はせ給ふを見奉りし ものども。その御至性のほどを感じ奉りけるとぞ(創業記。)
加賀黃門利長關原の事終りて後。關東に參るべきよしかねて仰つかはされしに。折ふし  神祖は京坂にわたらせ給ひし比にて。  公御みづから利長を迎へ給 はんとて。板橋の驛のほとりに御出ありて。見參の事を悅び仰らる。利長かねてかゝるべしともおもはざりしかば。よろこぶ事あさからず。あくる日まうのぼり しに  公には寢殿に出御ありて。利長が座ははるかの下にまうけられ。對面の儀ことに嚴重にして。饗應の樣また善美をつくせり。利長この時はいと口おしき 事におもひしとぞ聞えし。金百枚。銀千枚。時服を献り。  公よりも鍋藤四郞の御脇差に。金百枚馬鷹そへて給れり。此後には黃門いかが思ひしにや。弟利常 に國ゆづり。をのれは引こもり居て。再び關東へは參らざりしとぞ。(藩翰譜。)
細川越中守忠興が見え奉りしとき。天下の機務はいかゞ思ひとりてよけんと宣へば。忠興角なる物に圓き葢せしごとくなるが。宜しからむと答奉れば。尤なりと 仰られけり。また老臣列侍せし折から。忠興に人はいかなるを善人といふべきと問せければ。忠興明石の浦のかきがらの如きを。よき人と申べけれといふ。是も 御感あり。其のち老臣に問せられ。先に忠興がいひし事を。汝等何と心得しと仰ければ。いづれも何ともわきがたしと申す。時に明石は世に聞えたる風濤の處な り。そが浦に生るかきがらは。浪にもまれすべよくなるなり。人もまたかくのごとく。さまざま辛き目に逢て。人にもまれたるがよきぞと仰られしとなり。(葛 藤别紙。)
立花左近將監宗茂は。關原の役に逆徒石田三成が方人せしをもて。領邑を沒入せられしが。宗茂元來勇烈智謀逞しき者なれば。後にめし出され。奥州棚倉にて一 万石たまひ麾下に列せしむ。元和六年十一月に到り。宗茂を御前にめし出され。汝往年の役に順逆を辨じ速に戰をやめ。居城を加藤肥後守淸正に渡し歸降せし處 置。御けしきに叶ふのみならず。棚倉の小邑に在て。いさゝかも不平の樣辭色にあらはれず。忠懇をいたす所神妙に思しめす。よて此度舊領筑後柳川城を下し賜 はるなり。此後いよいよ忠勤を勵ますべしと仰ければ。宗茂かしこさのあまり。しばし御請の詞も發せず。落淚數行に及びしとぞ。(家譜。君臣言行錄。)
松平新太郞光政が。はじめて參府して見參奉りしとき。  公には碁をうたせられ。織田常眞入道は大あぐらして。上座にうそぶきゐたり。光政出しかば。新太 郞そこへはいりや。伯耆は雪國のよし聞たるが。そふでおぢやるか。勝手にゆき飯くやれ。大炊同道せよと仰られて。土井大炊頭利勝光政をいざなひて。こと所 にまかりて御料理下さる。時に同座の人常眞はじめ十三人ばかりなり。膳部のしなは。蕪汁におろし大根のなます。あらめの煑物。乾魚のやきものばかりなりし とぞ。その比いと御眞率にして。儉素の御樣思ひしるべきなり。(駿府土產。)
藤堂和泉守高虎が夜談の折に。明智日向守光秀は織田殿に登庸せられて。はてには大逆に及べり。光秀が罪申までもなけれど。信長のかゝる凶人をしらで用ひら れしは。その過失なりといふを聞給ひ。そは信長があしきにあらず。明智がよからぬなりと仰られしは。君臣の名分を正しうせられ。たとひ君きみたらずとも。 臣その道をうしなふまじと思召ての御事なるべし。(寬元聞書。)
古今武將の上をさまざま評論ありしとき。近き世にては織田信長ほど。すぐれて猛勇なるはなし。されどたゞ人の己にしたがふ事のみを好みて。人につかふる事 をこのまず。故に思ひの外の災も出こしなり。  東照宮の古今にすぐれ給ひしは。よく此處をわきまへ給ひて。强弱その度にかなひ。かつ人の才能あるをそれ ぞれ見分て使はせられしゆへ。天下の大業を成就し給ひしなりと御物語りあり。(天平將士美談。)
福島左衛門大夫正則は。關原の城に關東に御味方して。戰功をはげましければ。格外の賞典を施され。安藝備後二國をもて封ぜられ。其後官參議にまで昇せ給ひ しは。彼が勳功に報ぜらるる所。また薄しといふべからず。然るにこの人天資凶暴にして。動もすれば舊勳にほこり。朝憲を蔑如し惡行日にまし。藝備二國の人 民も常に彼が虐政にくるしむのみならず。國家の大禁とせらるゝ所の城壁を。わたくしに增築しける事聞えければ。これ捨置べきに非ずとて。元和五年御在洛の 折から。群臣と再應商議せしめて。まづ正則が許に老臣連署の奉書をつかはされ。其罪を詰問せしめ。牧野佐渡守忠成。花房志摩守正成御使にさゝれ江戶に馳下 り。正則が第にゆきてこの旨傳へしむ。かねて正則暴戾の者なれば。いかなる對捍をせんもはかりがたし。さあらむには天下の騷擾をも引出さんかと案じ思しめ して。さまざまその用意どもありしが。御使を迎るに及びて。思ひの外謹で御受し。   大御所の世におはしまさんには。正則申べき事なきにも候はず。 當 代には何をか申べき。たゞとにもかくにも仰にこそ從ふべけれと答ければ。忠成正成の兩人も感淚を催し。  公にもいとあはれとおぼしめし。かねては藝備兩 國を收公ありて。奥の津輕に配せられんと命ぜられしを。あまり程遠き地なればとて。信濃國川中島にうつしかへられ。高井野村といふ所に蟄居せしめらる。は じめ此事密議ありしに。衆議紛々として一决せず。四五日に及べり。其時板倉伊賀守勝重申けるは。井伊掃部頭直孝はいまだ年若き者に候へども。人の足跡踏て 雷同の說申べき者にあらず。召問るべきにやと申。よて明日直孝を召て。土井大炊頭利勝事のよしをつたへ。汝が存ずるむねをきこえ上べしと仰下さる。直孝承 り。人々の議する所に。異なる事も候はじと申けれど。强て所存を申せと仰ければ。直孝存ずる所は。正則都にめしのぼせ。彼が罪一々にかぞへられて。申ひら くべき事あらんには聞し召入らるべし。もし又領國に下り申開くべしとならば。其意にまかせらるべしと仰下されんか。さもなからんには。御使一兩人を江戶に 下され仰を傳へしめられ。もし對捍に及び候はんには。江戶留守の人々して。誅せられんにすぐべからずと申ければ。藤堂和泉守高虎猶又申旨ありて。其日も事 ゆかで明日又議せらるべしと仰ありて。人々まかでぬ。その夜しも井上主計頭正就をして。直孝に傳へしめられしは。明日ひそかに仰らるゝ旨あれば。つとめて 裏の門より參るべしとの御旨なり。直孝これを聞て思ふは。今度の事衆議决せずして。日を重ぬれば。世にも泄聞ゆる事あるべし。我今其議に召加へられて。人 人の疑うくる事しかるべからずと思ひ。其夜一紙の誓文を書て。夜明るを待て參りしかば。正就御門の內に出迎て導き。常の御座の南緣にまいるとき。直孝袖の 內より誓文を取出し。指の血そゝぎ正就して獻ず。やがて御前にめされ。汝昨日申つる所の外。又别に思ふ所もなしやと仰らる。直孝謹でさらに别にぞむずる旨 も候はずと申上ければ。  公仰けるは。われ始より思ふ所に相同じ。しかれども衆議區々なるゆへに。事久しく决せざりき。今は汝が議せし所に從ふべしと仰 下され。例の會議の人々に直孝をめし加へ。かの牧野花房の兩人をめし出して。かくは仰付られしとぞ。(紀年錄。藩翰譜。)
千姬の方(公第一御女。秀賴北方。)浪華の事ありし後は寡居にておはせしが。舊緣のあるをもて本多中務大輔忠刻へ降嫁の事さだまり。元和二年九月廿九日御 入輿あるべしとせしときに。坂崎出羽守成政いかなるゆへにか。勢州桑名に出たゝせ給ふを待とり。御輿を奪ひまいらせんとする聞えあり。よて柳生又右衛門宗 矩等をもて。うちうちなだめ仰せらるゝ旨ありといへども。成政對面もせず引こもりて。家子郞等も戎具を用意し。何となくあやしげなる樣なれば。府下にあり あふ諸大名この事聞傳へ。すは事こそ出來たれと兵を集る事大方ならず。よて執政の人々大に驚き。成政が家人等に奉書を下し。汝が主の擧動全く狂氣の致す所 にして。禮を失ふといふべし。然しながら叛逆の例に准じ。御沙汰あらんもあはれにおぼしめせば。只今にも成政自殺して罪を謝せむには。一族の中撰み出て。 其祀を奉ぜしめらるべし。とにもかくにも汝等よきにはからふべきなりといひつたへければ。その家臣坂崎勘兵衛等相はかり。成政を自殺せしめ其首取て參らせ たり。誠は成政を沉醉せしめ。晝寢のひまに薙刀とつて首を刎しとぞ。  公このよし聞召て。出羽が擧動すでに叛逆に似たりといへども。彼君臣の禮をまもり 自殺したらむには。一族の中にてその祀を奉ぜしむべしとこそ思ひつれ。さるに家人等をのが主をたばかり。首刎て獻ずる事無道の至りといふべし。出羽また君 臣の禮を失ふのみならず。をのが家僕の爲に害せられしうへは。今更其家つがしむべきにあらずとて。石州津和野城沒入せられ。後々もかゝる不逞のものあらむ には。同じ樣に行はるべしと刑典を正しうして。遍く天下に示されしとぞ。(家譜。國師日記。慶長年錄。)
板倉伊賀守勝重久くして京職に在て。齡やゝ傾き。その職にたへざればとて辭し奉けるに。  公なをしばらくかくてあるべし。汝に代りてこの職勤むべき者な しと仰ありて。ゆるしたまはず。勝重なを强て辭し奉りければ。さらば代るべき者撰み出よ。我はいまだ其人をみずと仰下さる。勝重年比京に侍て。御家人の事 委しくは知侍らず。こゝらの人の中になどか人のなかるべき。遍く尋させ給へ。但し勝重にすゝめよとあらんには。子にて候周防守重宗こそ密夫の首切るべき者 に侍らず。もし彼をもて父の闕に補せらるべきやと申ければ。  公大によろこばせ給ひ。重宗めしてその事命ぜられ。勝重には原務をゆるされぬ。されども重 宗あながちに辭しければ。子を知るは父にしかずとこそいへ。汝が父のすゝめにてあるぞ。辭するなと仰下されしかば。重宗やむ事を得ず御請し。まかでゝ後に 父にむかひ。某いかでこの職にたゆべき。情なくも御推擧にあづかりしものかなとうらみけれは。勝重うちわらひて。おことは世の諺をしらぬよな。爆火を子に はらふといふは。この父が事なりと答へしとぞ。晋の祈奚が內擧親を避ずといへりしふる事●。思ひあはされ。いと殊勝なる事にこそ。(藩翰譜。)
元和四年正月七日放鷹のため葛西に成らせらる。去年南部信濃守利直が献ぜし黃鷹殊に逸物なればとて。御稱美淺からず。けふ此鷹を試給へば。利直も兼て扈從 の列に加はるべしとの命ありしかば。利直御傍に陪從す。時に御手づがら此鷹もて鶴を捉らせ給ひ。御けしき大方ならず。利直に近日鶴の饗膳を給はるべきむね 面命あり。おなじ廿日利直めしいでゝその饗を下され。殊に先代より御秘藏ありし差取棹と名付し鐵炮を。御手づから賜りければ。利直かしこみ奉り。かの銃を ば永くそが家に寳傳して。寵光を子孫に傳へしとぞ。(家譜。)
松平伊豆守信綱かいまだ長四郞とて。  若君の(大猷院殿御事。)御遊仇にてありける時。ある日公の御方の寢殿の軒ばに雀の子うみしを。  若君御覽ぜら れほしがらせ給ひ。長四郞とりて參らせよと仰らる。時に長四郞十一歲。いかにもかなふまじと辭しければ。侍ふ者ども晝の程に巢のさまよく見置て。夜にいり こなたの軒より傳ひゆきてとれ。おとなは身おもくてあし音せんものをとそゝのかせぼ。せむかたなくうけがひて。日暮ると教へしことく寢殿の軒につたひて取 むとせしが。踏そむじて御方のつぼの中に落ぬ。公此音に驚きて。御刀取て立出給へば。  御臺所もおなじく脂燭さして出させ給ひ。御覽ずるに。長四郞にて ありければあやしませ給ひ。汝何しにこゝには來りぬるぞと尋ねたまひしに。晝のほど此屋の軒に雀の子うみしをみしが。あまりのほしさに參りしといへば。   公こは汝が心より出しにはあらざるべし。たがをしへしとさまざま詰問し給へども。すこしも言葉をかへねば。かうまであらがふは。おのれ年にも似ぬ不敵者 よとて。大なる袋の中におし入。そが口を御手づから封ぜられ。柱にかけ。事のよしありのまゝにいはざらんほどは。いつまでもかくてあるべしと仰けり。夜旣 に明はてゝ。  公には晝の御ましに出させ給ふ。  御臺所ははやう彼が心を察せられ。己が身のくるしさを顧みず。  竹千代君の御名を出すまじと心まう けしたるを。哀なる者と感じおぼし給ひ。御手づから袋の縫目をとかせ給ひ。朝餉めして給はせ。又本のことくぬひしめてをかせらる。晝の程  公入せ給ひ。 かさねて推問せられしかど。もとのごとく詞違へねば。  御臺所さまざま御かたはらより仰られ。此後かゝる事すなと。いたくいましめたまひてゆるされしな り。その後  御臺所にむかはせ給ひ。長四郞が今のこゝろもて生立んには。  竹千代が爲にはならびなき忠臣にてあむなれ。かくさいなめしも。その心根見 んとなりとて。殊に御悅ありしが。果して後年に至り輔翼の臣となり。 兩代無雙の良臣とよばれしかば。人みな  公の御明鑑の程を。  感じ奉りけると ぞ。(信綱言行錄。)
大坂夏の戰に。今村傳四郞正長一番に敵陣に馳入り。乘たる馬鐵炮にあたりければ。徒立にて戰ふ。靑山伯耆守忠俊が臣近藤忠右衞門このさまみて。馬はいかゞ せしといへば。鐵炮に中りしといふを聞て。忠右衛門よくかせぐよ。我馬にのれとて芦毛の馬をかしければ。正長即ちその馬に跨て。敵また一人討とり。重ねて 乘放しければ。敵の首もちきて忠右衛門にさづけ。放れし馬を取得ずむば。再びかへるまじといひ切て敵中にかけ入り。その馬に乘たる敵うち取て還り。首そへ て馬ともに忠右衛門に返しけり。戰畢てのち  公正長を御前へめし。汝二度高名せしときく。しかるに首帳に一つと記せしはいかにと宣ふ。正長しかじかのよ し申し。一つの首は伯耆が家人に遣しければ首帳には記し申さずと答へ奉れば。折しも黃昏にてほの暗ぎころなれば。  公御みづから脂燭とらせ給ひ。御前近 く正長をよばせ給ひ。汝が如き剛の者は。よく見覺えてをくべき事なりと仰ければ。正長も殊に面目を施しけるとぞ。(明良洪範。家譜。)
永見新右衛門重成も。大坂の役に拔懸して高名せしが。兼ての軍令に背しにより切腹に定まる。しかるに俄に重成が實父今村彥兵衛重長めしければ。本多佐渡守 正信仰を承り。重長より何ぞもの奉るべしとありしかども。とみの事にてはからひがたしといへば。さらば外より奉りし物を。先かりにさゝげよとて。庖所より 髭籠樣のものとりよせて奉り拜謁す。  公御前ぢかくめされ。若き者の高名をはげむはさる事なれども。汝年七十に及での高名は。いらざる事に思しめすと仰 下さる。其時佐渡守御前に出て。ありがたき上意に候。新右衛門事御軍令にそむきし上は。切腹に極りたれ共。若き者の志はさる事との上意は。新右衛門御免あ るべしとのことぞ。彥兵衞御禮申上べしとありて。即ち御禮申上ければ。  公御笑ありて奥へ入せられけるが。御凱旋の後重成めし出し。今度の働比類なしと て。加秩千石賜ひしとぞ。(家譜。)
石谷十藏貞淸は。大坂の役に供奉せん事こひ奉りしが。御ゆるしなかりしか共。のどめあへずしてひそかに御跡をしたひて上り。京にて追付奉り。御法令を背き 奉れば。首刎られんは元より思ひ設けし事ながら。これ迄はせ參ぜしおもむきは啓し給はれと。御側勤めける何がしに就て申けるが。何がし  公には兼て一度 仰出されし事は。かへ給はぬ御本性なれば。かかる事聞えなば。いかなる御咎にあはんもはかり難しとて。江戶に下りねとさまざまさとしけれども。貞淸聞入 ず。からうじて申上しかば。  公しばし御思惟のさまにておはしけるが。法令背たれば嚴重にも仰付らるべきが。若者の事故その志不便におぼしめせば。ゆる し給はるなりとて。あまさへ黃金二枚下されけり。さて此後は一人たりとものぼるべからず。もし上る者あらんには。屹と御咎あるべしと仰出されしなり。貞淸 はかしこさのあまりに。身命を抛て戰功を勵しけるとぞ。(兵家茶話。石谷家傳。)
おなじ役に安藤治右衛門定次御本陣にはせ來り。けふは天下分目の戰なり。勝せ給はゞ御一代また軍あるべしともおぼえず。もし御勝利なからむには。是又きは めの御軍なれ。ともかうも速に御勢を出させ給へと。高らかにいへば。  公大に定次を咎めたまひ。敵軍よせ來らば御馬を出され。ただちに切崩し給ふべし。 いま敵ども城中へにげ入るほどなるに。追うたんこと。いさましとも思しめされずと宣へば。定次恥いりつつ。詞なくして御前をしぞきしとぞ。(天野逸話。)
島田彈正利正が町奉行つとめけるとき。罪人の已に死に處せし上にても。なをしばしば生路を求め。遂に助くべき理なくば斬れと仰られしは。好生の德民心にあまねしといひし古語思ひあはせられていとたうとし。(三河之物語。)
台德院殿御實紀附錄卷三
慶長の末まではいまだ創業の時なれば。何事も簡易にして。朝儀禮節を議せらるゝにいとまあらず。元和元年浪華の再亂已におさまり。全く大一統の業をなし給 ひぬれば。やゝ此事に及び衆に議せしめて。古今武家の舊規を損益し。新に一代の制度を創建せらる。明る二年正月元日より新儀をはじめ行はる。まづ元朝には 御直垂めして黑木書院に出まし。  若君。(大猷院殿御事。)國松丸君(駿河大納言忠長卿御事。)御献酬ありて後。白木書院にて尾張宰相義直卿。駿河宰相 賴宣卿。水戶少將賴房朝臣。及び越前宰相忠直卿。加賀少將利常。松平武藏守利隆拜謁し。御盃たまはり時服かづけらる。雜煑兎の吸もの等を供し。着座の人々 にもたまはりて退く。次に侍從以上普第衆太刀目錄もて拜賀し。松平伊豫守忠昌。松平隱岐守定行等。及び老臣おなじく賀し奉り。御盃服賜ひ。次に大廣間に渡 御ありて。普代大名。諸番頭。近習。外樣。三千石以上の徒。法印法眼の醫官。其他布衣以上の諸有司。寄合。番衆の輩も一同に拜謁し。諸大夫以上は太刀目錄 を献ず。上段につかせたまへば。老臣御盃もち出て御引渡御加あり。松平和泉守家乘はじめ諸大夫の法印法眼の醫官まで御流たまはり。服かづけらる。次に布衣 以上諸有司。番士。同朋にも御流たまはり。次に板緣にて幸若觀世にも御流賜はり。入御のとき大廊下にて高家幷諸國由緖の徒拜し。白木書院にて小姓組の番士 拜し。其緣にて後藤本阿彌官工畫工の徒まで拜し奉り。黑木書院の勝手にて。御膳奉行右筆等拜謁し。終て奥に入せ給ふ。二日には大廣間に出まし。松平宮內少 輔忠雄はじめ外樣大名拜謁し。御盃及び服賜る事元日に同じ。御障子開て諸大夫の徒拜し。昨日のごとく御流に服賜る。奥に入せ給ふ時。大廊下にて無官の醫 員。連歌師。白木書院にて代官。大工棟梁。落緣に諸工人拜伏して入御なる。この夕つげて兼て謠曲始行はれしを。過し年は浪華の乱によて停廢せられしが。こ れもけふより舊規に復し行はる。西刻長袴めして大廣間に出給ふ。三家及び着座の人々まうのぼり拜謁せられ。御盃出て三献の時。觀世左近四海波しづかにてと うたひ出せば。つぎづぎ巡流れ。老松。東北。高砂。弓箭立合にて御銚子納むる時。御肩衣を脫し左近に纏頭し給ひ。陪莚の徒いづれも肩衣脫て大夫にさづけ。 みな歡抃して退く。三日には白木書院に出まし。國持の長子。無爵の徒拜賀し。次に無官の大名廓下溜にて拜し。其後に諸家の證人及び井伊。榊原。奥平の家人 等拜し。板緣にて府下。京。大坂。奈良。堺。伏見。大津。淀過書。銀座。朱座の徒拜し。奥に入せ給ふ。五日には白木書院にて天台宗僧巫拜賀し。六日にも同 所にて增上寺始め淨宗其他の諸宗僧徒社人等拜謁す。七日は兼て七種粥の事。諸儒。陰陽家。僧徒等に命じて議せしめられ。京へも御尋問ありしかど諸說紛厖に して一定せざれば。古來流例のまゝを用ひたまひて御祝あり。此外月次朔望の儀は。みな舊規のごとくにて。别に改めたまふにも及ばれず。是までは拜賀の者。 衣服の制も定まらざりしを。今年はじめて烏帽子。直垂。狩衣。大紋を着し。其以下は素襖を着せしめらる。元日の夕かた酒井雅樂頭忠世。土井大炊頭利勝をめ して。江城駿府ともに年中諸節の禮儀。いまだ全く備らず。よて昨年より會議して定めらるれば。今日行ふ所の儀をもて。 當家永世の式となすべきよし面命せ られしとぞ。是よりのち 歷朝の間猶損益ありといへども。大躰はみなこの時の制に遵據ありて。永く百世不刊の大典となりぬるにぞ。(紀年錄。武德編年集 成。元寬日記。)
當家創業このかた。いまだ一代の法制を定めたまひ。天下一統に令せらるゝほどの暇ましまさず。かくて四海の人。其遵守する所に疑惑すべきなりとおぼしはか らせ給ひ。元和元年御在洛の折から。金地院崇傳長老をめされてその事を議せしめ。遠くは和漢古今律令の舊文に據り。近くは鎌倉室町このかた武家の式目を斟 酌せられ。新に條件十三條を草せしめ。  神祖ともつばらに御商訂ありて。その年七月七日諸大名を伏見城にめしあつめられ。本多佐渡守正信して。新令仰出 さるゝの旨を傳へしめ。崇傳長老してこれをよましめらる。かくてぞ天下の大小名。みな金科玉條に欽遵し國務を謹愼にして。敢てその法令に違背するものな く。いよいよ國家無窮の洪業をして。磐石よりもおもく。泰山よりも安からしめ給ひしは。いともかしこき御事なり。(駿府記。)
朝家の御事。あがりての世はいふに及ばず。室町殿の中業より騷亂打つゞき。典章制度もみな廢墜し。九重の內もたゞ形のことくのみなりしを。慶長十一年の春 の比。  禁裡  仙洞狹隘にして。朝儀行ひがたければ。先月卿雲客の第を他所に引移し。其地境を恢弘し給ふこと一町にあまりぬ。されど朝章制度いまだ創 建せざるより。その比有職の人々はじめて。崇傳長老等にも參議せしめて。元和元年  兩御所御在洛の折から。二條の城に攝家華族はじめ。公卿殿上人をめし て饗せられ。兩傳奏して公家の法令十七條を授給ふ。廣橋大納言兼勝卿にこれをよましむ。關白昭實公はじめ月卿雲客みな拜聽し。畢て關白及菊亭右大臣晴季 公。今日仰出されし所の條約。誠に詳悉明亮にして。いさゝか遺憾なしとて。しきりに感歎ありしとぞ。その令條の末には。  兩御所ならびに昭實公の御署を すえられしとなり。(駿府記。大三川志。)
攝家親王の座班は。禁中にてもその時と人とにより。前後定まらざりしが。元和五年京におはしましけるころ。金地院崇傳に諸家奉謁の次第を御尋あり。崇傳古 例を書し。林永喜信澄もて進覽す。その第一は當官の三公。次に親王。次に前官の大臣。其次に諸法親王なり。前代の御時も八條伏見の兩親王。其次に前官の大 臣と定られたり。たゞし伏見家は世々  今上の御猶子たるをもて。諸親王とは别格たるべしと。つばらにしるして奉りければ。これをもてその進見の次第をば 定られしとぞ。(國師日記。)
江城は國家定鼎の地にして天下の諸侯朝聘するに。舊來の規摸いと狹隘にして。その禮を行ふにたらざればとて。慶長十一年三月より諸大名に課して。經營をは じめさせたまふ。藤堂和泉守高虎は二三の丸を奉り。細川內記忠利は石垣を增築し。松平越前守忠宗は天守二重の櫓を奉り。加藤肥後守淸正はおなじ列の大名に すゝめて。大石を進獻せしむ。その六月おほよそ成功せしかば。みな就封のいとまを給はれり。この時役せし徒みなたちつけを着し。おのが持塲にのぞみみづか ら督課し。  公にも日ことに兩度づゝ親巡して。慰勞し給ひしゆへ。渠等も一際奮勵して力を竭しければ。かゝる大擧いと神速に成功せしとぞ。(紀年錄。君 臣言行錄。)
元和二年四月  神祖旣に薨じ給ひし後。各國の大名いづれも江戶にめしつどへられ。その人々の動靜を御糺明ありて。嚴重の新令をも仰出さるゝかとおもひま うけしに。土井大炊頭利勝して仰を傳へ。駿城より一同に暇たまはり就封せしめられ。别て新令を仰下さるゝ事もなし。よて天下をしなべて。御政道の寬仁なる に服し奉りけるとぞ(東武實錄。)
服飾の制も。其頃まではしかと定れる事はなかりしを。元和元年はじめて仰下されしは。正月元日二日六日は裝束たるべし。給事の諸大夫。布衣の侍。五か日の 間は長袴たるべし。三月三日出仕の輩長袴。四月朔日より韈を脫べし。五月五日染帷子長袴。六月十六日嘉定の節もおなじ。七夕八朔は白帷子長袴。八朔には五 千石以上は太刀折紙を奉るべし。九月朔日より八日までは袷衣。九日よりは染小袖。十日よりは韈をゆるさる。重陽は長袴。十月玄猪も同じ事たるべしと仰下さ れぬ。是よりして永制とはなりぬるなり。(令條留。)
當家一統の後。祿額に准じて軍役の制を仰出されしは。元和元年六月の事にて。その制は五百石は銃一挺。鑓三柄。(持鑓もこの內なり。以下同じ。)千石は銃 二挺。弓一張。鑓五柄。騎士一人。二千石は銃三挺。弓二張。鑓十柄。騎士三人。三千石は銃五挺。弓三張。旗一本。鑓十五柄。騎士四人。四千石は銃六挺。弓 四張。旗二本。鑓廿柄。騎士六人。五千石は銃十挺。弓五張。鑓廿五柄。騎士七人。一万石は銃廿挺。弓十張。旗三本。鑓五十柄。騎士十四人たるべしと定ら る。此後  大猷院殿御代になりて。尙又精細にさだめ仰出されしも。その本はこの時の制に遵據せられしなり。(東武實錄。)
室町家の比には。鹿苑院の䕃凉軒もて僧錄司の職に任じ。天下寺院の政令を司らしむ。元和五年九月これを改られ。金地院崇傳もて僧錄司とせられ。且仰出され しは。元和元年令せられし先判の旨にまかせ。いよいよ鹿苑院䕃凉軒の僧錄司をば廢せられ。金地院をして僧錄司たらしめ。五山十刹の諸法令。出世の官資入院 の儀式等。先判の旨に遵ひ舊規のごとくたるべしと定められぬ。後に至り寺社の諸務いよいよ繁擾にして。僧徒の管轄に事ゆかざれば。寺社奉行を建置せられし より。金地院の職掌は廢せしなり。(令條記。國師日記。)
烟草は天正の比蠻人舶載せしより。次第に世人好む者多くなりしかば。やがて各國にも栽培する者數そひたり。貴賤ともに烟管を懷にせざる者なきにいたれり。 このものうゆが爲に。田畝を荒蕪すること少からず。又警火のためにもよろしからねば。元和二年十月はじめてこの禁令を仰下さる。烟草植るもの。市人は五十 日農民は三十日獄に繫ぐべし。賣買する者も是におなじ。植立し鄕邑の民は。過料として一人に錢百文づゝ收公せしめ。その地の代官は五貫文出さしむべしとな り。(令條記。)
慶長九年二月  公の尊慮もて東海東山北陸の三道に。一里ごとに官堠を建られければ。行來の徒殊に表識を得て。御恩の驛路にまで及ぶことをかしこみ奉り ぬ。此時東山道は永井監物白元。本多左大夫光重兩人奉り。築きはてし後參洛し。  神祖に謁見し奉りければ。その樣つばらに聞しめし。築かた尊意にかはね ば。あらためよとの仰にて。兩人京よりかへさに。尙又きづきかへしとぞ。(武德大成記。永井家譜。)
寬永八年阿倍四郞五郞正之に命ぜられ。その七月より下總國小金の山野を堀通し。下總常陸奥州の舟路をちかくし。水漕の便をよからしめむと思しめされて。か く命ぜられしが。いく程なく御不豫重らせ給ひしゆへ。その事遂ずなりしかば。世の人みな口おしき事に思ひしとぞ。(阿倍家譜。)
當代に天主教御搜索嚴重にして。揖斐半右衛門政軏に命ぜられ。西國にゆきてその法試みよとの仰奉りて。政軏彼地にある事七年。其法心得し者に就て悉く聽 たゞし。かへりきてそのさま申上しに。三日が間晝夜絕間なく聽せ給ひければ。あまりの御事なり。少し御休息あらばよからむといふものありしに。  公かれ わが命により。七年が間遠境に困苦せしを。よき程にして聞さすべきやとて。いさゝか御倦怠の樣おはしまさゞりしとぞ。(明良洪範。)
當代御談伴といひしは。そのはじめ織田豐臣兩家に仕て。其後駿府に勤仕せし輩かの府下安西に宅地を給ふ。よてその比此人々を安西衆と稱しけるとぞ。この輩 はみな累年武功の者共なれば。其外にももとより江戶に在府せし徒の中にて。耆宿の徒を撰みて其擧にあてられ。直日を定め。日々かはるばる御前に伺公せしめ らる。其人々は丹波五郞左衛門長重。立花左近將監宗茂。細川玄蕃頭興元。三好因幡守一任。猪子內匠助一時。堀田若狹守一繼。佐久間備前守安政。同大膳亮勝 之。堀丹後守直寄。戶川肥後守達安。九鬼長門守守隆。脇坂淡路守安元。毛利伊勢守高政。市橋下總守守長。谷出羽守衛友。靑木民部少輔一重。蒔田權佐廣定。 平野遠江守長泰。能勢伊豫守賴次。宮城丹波守豐盛等なり。日野大納言輝資入道唯心。山名中務大輔豐國入道禪高。𣏓木信濃守元綱入道牧齋。佐久間駿河守正 勝入道不干。前橋吉右衛門勝秀入道半入。今大路延壽院玄朔等は。ことさら老耋なれば優待せられ。直日を定めず心まかせにまうのぼり。御談話に侍せしめら れ。渡邊山城守茂。松下石見守重綱。近藤石見守秀用。眞田隱岐守信昌。橫田甚左衛門尹松。初鹿野傳右衛門信久。久世三右衛門廣宣。坂部三十郞廣勝。儒役林 永喜信澄。醫員佃玄鑒某。田村安栖長有は。每夜出仕して御談伴たるべしと命ぜらる。この後  大猷院殿御代となりても。その員欠る時はまた外の耆宿の徒め し加はへて。絕へず御前に伺公せしめ。談話ども聞しめされぬ。そもそも高貴の方々はとにかく朝夕近臣とのみ狎接せられて。嚴師友の益を得給ふ事もおはしま さず。みづから人情世態にもうとく。放慢に成行ものなれば。かゝる徒めし出て。己がじし古今文武の事ども。はばかる所なくかたらしめて聞しめせば。古今の 治亂盛衰。世間の休戚利害までも。あまねくしろしめし。おのづから智識をもひろめ給ひ。政務にも裨益あることおほかたならずとおぼしめされ。かゝる事ども 設置給ひしならん。この御談伴のはじまりしは。元和二年十二月の事なり。(國師日記。紀年錄。)
台德院殿御實紀附錄卷四
慶長十五年閏二月十六日三州大久保山藏王山にて狩し給ふ事あり。三遠の人數をかり出して勢子とし。數十里を圍む。群卒おほよそ二万人。かり立る聲及び銃矢 の音。山谷にひゞきて雷霆のごとし。その日の御獲物鹿二十餘頭。猪狐兎の類もあまたあり。この比本多中務大輔忠勝は。引こもりて勢州桑名の城にありしが。 御狩塲にまいりて拜謁し。御行裝の盛なるを稱したてまつり。そのかみ忠勝がまだ若かりしとき。武田信玄入道が三方が原の軍裝を見し事の候ひしが。かほどま でには思はれざりしと申て。老の淚をのごひけり。同じ十七日にまた藏王山に狩し給ひ。鹿二百四十頭。猪二十二頭かり得給ふ。この日阿倍四郞五郞正之は。か ねて射藝に達しけるが。けふも鹿猪二頭づゝ射とめ。安藤治右衛門正次は大猪を射とめ。弓矢を賜ふ。又鎗にて大猪を突とむ。其鎗後の岩にとほりければ。岩突 といふ名を賜ふ。しかるに永井信濃守尙政が隊下の番士中川八兵衛と。岡部八十郞と爭鬪に及ぶ。井伊掃部頭直孝左備の隊長なりしが。馬に鞭て速に馳來り。大 竹の杖をふりあげ双方を押分る。そのひまに中川が從者岡部を討しかば。八兵衛も死を賜ふ。かゝる騷擾にも狩塲の諸士法令を守り。一人もその方に面をむけし 者なし。隊伍亂れざる事は。  公の御法令の嚴肅なるがゆへにして。誠に美觀なりと。人々稱譽し奉りけるとぞ。(紀年錄。御年譜。)
寬永六年七月  大猷院殿痘瘡御平愈の御祝ありしとき。  公も西城より其祝とてならせられたり。其日兼て申樂催されし上に。踊を興行ありて。御覽に備ん との御內旨を西城の老臣まで仰遣はさる。その時老臣とりどり議しけるは。  大御所御物がたき御本性におはしませば。今樣の風流踊など遂にみそなはし給ふ 事もなし。もし此事聞え上ばいかゞあるべきと案じわづらひし時しも。藤堂和泉守高虎まうのぼりしかば。高虎にはかりけるに。高虎我等老人の事なれば。さの み御とがめもあるまじければ。試みに聞え上べしとて。御所へまかりその事を申上たるに。我等年若きとき豐臣家聚樂の亭にて見し事もありしなりとて。御心ち よげにわたらせ給ひしが。兼ては踊五番の定めなりしを。一番終るを待て。やがて還御せさせ給ひしとぞ。(君臣言行錄。)
寬永六年九月廿日西丸山里にて口切のお茶ありて。  大猷院殿にも渡御あり。おなじ廿二日又諸大名を。山里へめして御茶下さる。其折しも紀水の兩卿は。御 けしき伺のため。西城へまうのぼられしが。山里へ成せられし後。しばし還御を待しめらるゝに。  大猷院殿また渡御ありければ。兩卿まづ見え奉らる。とか うして山里より靑山大藏少輔幸成御使して。過し廿日成らせられし時は。空打しぐれてふじの山さだかならざりしを。いと名殘多くおぼしめすに。けふはいとよ く晴わたりたれば御覽あるべし。よて御鏁の間にてお茶を參らせらるべければ。兩卿をも伴ひて渡らせ給へと仰せければ。即ち兩公を伴ひて山里へ渡御あり。露 地數奇屋など御覽の後。鏁の間に入せ給ふ。やがて御みづから茶を點じて參らせらる。  大猷院殿いたゞかせ給ひし後。兩卿に給はりおさむ。後の炭は  大 猷院殿あそばされ。事はてゝ富士山御覽あり。所がらかの資長入道が。軒ばに見るといひけんごとく。西嶺千秋の雪たゞ手にとるばかりなれば。公御けしきいと うるはしく。富士山の事よりはじめ。  神祖駿城におはしませし程の御事ども。語りいで給ひて聞しめらる。若き御方々の未だ聞も及ばざる事どもにて。いと かしこしとおぼしたり。とかくして時刻うつり黃昏に及びて  大猷院殿還御ありければ。諸卿も恩を謝してまかでられしぞ。(君臣言行錄。)
寳算五十に滿せ給ひし比。藤堂佐渡守高虎ものゝ序に。尊齡已に知命に及ばせ給へば。今よりは何事もすこし御ゆるみ有て。御心のまゝに御遊などおはしましな ば。いかにと申上しを聞しめし。汝等が如きは年老てのち何事をなすとも妨あるまじけれど。われはかしこくも則闕の官に在て。天下の具瞻する所なれば。死ぬ までつゝしみても尙たらずと仰ければ。高虎かしこみ●。御謹愼の老てもおこたらせ給はぬを感じ奉りけるとなり。(武家閑談。)
御弱年のころより。御容儀端莊におはしまして。御不豫の折からといへども。怠慢の樣おはしまさず。ある時御談伴の徒相議して。山口修理亮重政。田村安栖長 有等もて。いにしへより賢主名將といへども。內外張弛の别ありて。かゝる御違例の御時には。しばらく機務を停られ大奥にましまして。御心のどかに御保護あ らまほしきよし申上しに。おほよそ人の上たるもの。下々の疾苦を察せず。己が遊興にのみ耽るはあるまじき事なり。まして天下の主たる者は。己が命の長から んことを欲して下民を苦しめ。一身の佚樂をこひねがふは。禽獸にも劣れりといふべしと仰ければ。いづれも覺えず感淚袖にそゝぎけるとなり。(三河之物 語。)
御不豫重らせ給ひても。御ぐしあげ給ふ事常にかはらず。こは一日といへども天下大小の政事を聞しめさねば。御心地あしくおはしますとなり。  大猷院殿兼 て老臣に。おもたゞしからぬ事は。御病床に聞え奉るなと仰られしを聞せられ。我天下の事一日もきかねば心にかゝりて。かへりて心ちよからず。すべて天地の 間に用なきものはなし。天下の主たるものは。死に至るまで天下のことをきくが本意なれと仰ありしを。承傳へし者ども。あまりのかしこさに淚をとさゞるもの なかりしとぞ。(名將名言記。)
大御所大漸に臨ませられし時。  御所に向はせ給ひ。樣々御遺托どもありしかば。  御所にはひたすら御悲歎かぎりなく。御泪にのみ咽給ひしを御覽ぜら れ。人の生死は元より定命なれば。さまで歎かせらるゝに及ばず。今より後は天下の者。御身を月とも日とも戴き仰ぐことなれば。よく天下大小の機務を勤め行 れて。いさゝか怠らせ給ふな。但し 當家世を有つの日淺く。今まで創建せし所の紀綱政令。いまだ全備せしにもあらざれば。近年の內にはそれぞれ改修せんと 思ひしが。今は不幸にしてその事も遂ずなりぬ。我なからむ後に。御身いさゝか憚かる所なく改正し給はゞ。これぞわが志を繼とも申べき孝道なれと仰置れし を。その時の臣僚等がいひけるは。  公は元は。  將軍家とより御志趣のかはりめおはしませば。薨ぜられし後は。かならず新政どもかずがず行はるべし。 然るに 前朝に建置れし舊章を。俄に改めかへ給はゞ。 當代御不德の樣にも。世にはもてはやさんかとおぼしめして。あらかじめかゝる御遺命はありしならん と。評し奉りし者もありけるにぞ。(名將名言記。)
おなじ三家の方々へ仰られしは。  今の將軍はげに果報のものとこそいふべけれ。おのれ 先代に别奉りし折は。おのおのもいといひがひなき程の事にて。何 事もいひ合すべき人なく。心ぼそくおぼえしを。今はいづれも成立せられぬれば。この後はかたみに心隔ず共和して  將軍を補翼せらるべし。もし  將軍の 擧動その任に應ぜざることもあらば。おのおのの內にて。代攝あるべきなり。ゆめゆめ  神祖の櫛風沐雨の勞を。忘るゝことあるべからずと仰ければ。諸卿い づれも感泣してまかでられしとなり。(别本當代記。)
これも同じ時。老臣等めし出て。我命すでに旦夕にせまれり。今一度  御宮にまうでゝ。是まで天下安寧に保ちし事を。告奉らんとおもへば。速に扈從の者命 ずべしとの仰なり。老臣等今少し御心地さはやかせ給ふ時にいたりて。成せ給へと申ども聽せ給はず。はじめ我 先代より大業を讓りうけ奉りし事なれば。今又 この際に臨むで。一往告奉らで徒にはてんは。始終の分にをいて全からず。かならず參らせ給はんと强て仰らるれば。いづれももて煩ふ處へ。天海僧正御氣色伺 のためまうのぼりしかば。老臣等折よしと待とりて。僧正に此事を議し。何とかしておもひとまらせ給ふ樣に。いさめ奉られよといへば。僧正やがて御前へ出 づ。その時  公また此事仰らる。僧正御ことはりなり。いかにもとく參らせ給へと申てまかでしかば。諸老臣近習の徒も。みなみな大にいかり。くにき表裏の 坊主かな。とゞめは奉らでかへりてすゝめ奉るよなと。口々にのゝしりいふ所へ。僧正また立返り御前へ出て。只今大手の御門邊までまかりて心付しことの候へ ば。立歸り待しなり。さきに承りし御參の事は。まづとゞまらせ給へ。いかにとなれば。君今かゝる事おはしませしと聞傳へば。この後天下の大小名。いづれも 死に臨むで。  將軍家に見參して。死後の御暇申さむとてまうのぼりなん。さる時は殿中又は路次にて。死はつる者も多くあるべきなり。これを思へば御參は 思召とゞまらせ給ふにしかじと申ければ。げにもと聞しめし入て。御參の事とゞまりませしとなり。今はの際まで端正におはします事は申奉るに及ばず。かくて ぞ僧正が機對もいとよく喩を取し事と人々感じける。(備陽武義雜談。)
天海僧正御病床に伺公して。萬歲の御後は先朝のことく。神號受させ給はんにやと聞え上しに。御僧は天下の主たるもの。みな神に祀らるゝ事とおもはるゝに や。 先代の御事は本朝數百年の騷亂を打平げ。古今未曾有の大勳を建給ひ。その聰明英武におはします事。實に人慮の及ぶ所にあらざれば。神にもいつかれ給 ふべけれ。我はたゞ先業を恪守せしといふまでにて。何の功德もなし。神號なぞは思もよらぬ事なり。とにかく人は上へばかり目が付て。己が分際をしらぬは第 一おそれいましむべき事なりと仰ければ。僧正も謙讓の御德。今にはじめぬ御事と感じ奉りけるとぞ。(額波集。名將名言記。)
文學の事は御年十に三ばかりあまらせ給ふ比より。文字を讀ならはしめ給ひ。御成長の後は藤惺窩の講說を聽しめせし事もありしとか。慶長十二年四月林道春信 勝江戶に參りし時。三畧及び漢書を讀しめて聞せらるゝ事十五日。其時道春に御尋ありしは。三畧は實に張良が著せし所なるや。道春承り。史記張良が傳に。老 父が良に秘書を授けしを。良ひらきみれば大公兵法なりとばかり有て。三略といふ名見へ侍らず。後漢書に光武帝黃石公が事を引れし事の侍れば。その比は三略 をもて。正しく良が著せし所となせしものならんか。また黃石公が素書といふものあれども。こはいと後世の僞作にて。三略よりははるかに文義もおとりし書な りと答へたてまつれば。また六韜はいかにと御尋あり。道春呂望が事は委しく詩經孟子等にみえ。また史記齊の世家に。隱謀秘計ありといふことあれば。もしく は六韜は其著書にても侍らんか。されども漢書の注文に引し所の大公六韜の詞。今世の六韜に載ざれば。今の書また疑はしきものにて候よし。つばらに申上けれ ば。その博洽にして知ざる所なきを御感歎あり。やがて大學を講ぜしめて聞しめさんとありしが。その比韓使來聘の事によて。信勝駿河に參りしかば。その事果 し給はざりしとぞ。(羅山年譜。)
慶長八年の比。常に用ひさせたまふ御硯筥。及び御印籠に。古人の詩を蒔繪にすべしと命ぜられ。佐野修理大夫信吉が家臣蛻菴といふもの。兼て能書の聞えあれ ば。かれにかゝしめられ。その賞として銀十枚賜りしとぞ。またいにしへより高名の人の書を。手鑑に貼じ給ふとて。林永喜信澄に議せられしに。  公の仰に 豐臣太閤は書跡あしけれども。近比名だかき人なればとて。そが  神祖にまいらせたる文書を貼せられしとぞ。(元和小說。)
元和七年十月  後水尾院より。京にて活刷ありし宋朝類苑を進らせられければ。金地院崇傳を御前に召て讀しめ。前三河守定基入道寂照が。入宋して宋帝に崇敬せられしことを聞しめし。日本の名譽なりとて。御けしきいとうるはしかりしとぞ。(元和年錄。)
神祖東鑑を珍重し給ひ。旣に活刷して遍く世に行はしめられし程の御事なれば。  公にもその御志を承繼せられ。常に此書を御覽ありしにや。慶長十年正月足 利學校寒松に命じ。活板の東鑑へ。朱墨もて點を加へしめられしは。その句讀の解しやすからむことをおぼしめしての御事なり。(寒松東鑑跋文)。
和哥連歌は元よりの小枝にて御心もちひたまふこともおはしまさぬゆへにや。世に傳ふるものもいとまれなり。元和二年二月  神祖相國御拜任の時。駿城にて和哥管絃の宴を催され。花契萬春といふことをよませ給ひける。
萬代の春に契て梓弓やまと島根に花をみるかな
寬永三年九月御上洛の折。二條城へ行幸ありて御哥の會ありし時。竹契遐年といふ事を。
吳竹のよろづ代までと契るかな仰にあかぬ君の行幸を
述懷といふ題にて。
草の葉に置しら露はほどぼどに重きは人の身の上としれ
靑山大藏少輔幸成が首服加へしとき。
ちるとてもながめは猶も打をかじ思ひやまさる靑山の花
相國御拜任あらんとせしとき。
位山のぼるもつらし老の身は麓の里ぞ住よかりける
始めはかく御辭退ありしが。後に叡慮のもだしがたければ。遂に御拜任はありしならん。(和歌物語。靑山家譜。新撰和歌集。)
慶長十六年正月廿日連歌の莚をひらかる。發句は紹之。若綠雲井にたつや庭の松といへるに。春の朝戶を明むかふ峰とつけさせたまひ。つぎづぎ百韻にみち。連 衆饗せらる。おほよそ連歌の筵三州よりの佳例といへども。其句のものに見へしは。この時をもてはじめとするにぞ。鎌倉鶴岡八幡宮に别當大庭周能といふもの 御連衆にめし加へられ。常に御會にめし出しが。ある時周能。
さゞれ石の岩ほに種や松の春
といふ發句せしを。ことに御けしきにかなひ。
いく八千代まで長き日の影
とつけさせ給ひ。御筆を染させられて。周能に下されしとて。今にそが家に傳けり。(大庭家藏。)
また御若年の時岡田太郞左衛門といふ者。俳徊躰の發句に。
上髮をちむちろりんとひねりあげ
といふに。
花の下にて松虫ぞなく
太郞左衛門また。
やせ馬に曾我兄弟が乘つれて
とあるに。
とち毛の犬のほゆる大磯
と附給ひける。これらは一時の御遊戱といへども。御捷才の程うかゞひ奉るべきにぞ。また御たはむれにあそばしける俳徊躰の御句。御みづからかゝせ給ひしを。今も畵院狩野探淵が家に傳へたり。
台德院樣御眞翰。(箱書探幽自筆。)
夕ま暮天井より
のさがり蛛。
いそぎて歸れ。
尻をやかるな。
むさし野に嗜む
をとは誰ならじ。
心もうかぬ月を
こそ見れ。
ひらきをく戶口の
風に振はれて。
ちりぢりになる粉
藥はおし。(御連哥留。)
翰墨の技も御幼年よりよくせさせたまひ。七歲の御時菅神の名號をかゝせられ。半井大和守正淸にたまはせしとて。いまにそが家に傳へたり。また本多中務大輔 忠勝が家臣都築彌左衛門が見え奉りしとき。世にはわれ能書なりといふよし。いかにと御尋ありに。いかにも仰のごとく。たれもれも目を驚し奉ると申上けれ ば。さらば汝に手本書てとらさん。何にても好にまかせんと仰ければ。彌左衛門かしこみて。たゞ俗間通行の書牘を給はらんと。ねぎ奉りければ。そのごとくに 御筆をそめられしとぞ。御精技の程思ひしるべし。今も御文庫に傳へし王羲之が聖教序は。常に御臨本になされし御品なりとぞ。また下總國舟橋太神宮の神庫に も。二條城行幸の時の御懷紙今に傳へ。畵院狩野探淵が家にも。御屏風におされんとて。古歌八首をあそばしたるを。遠祖探幽法印に賜りて珍藏す。いづれも御 筆勢溫澗富腴にして。よく靑蓮一派の骨法を得給ひ。あてにもたうとくも伺ひ奉るは。げに天章奎藻などいふごとく。凡筆のくはだて及ぶ所にあらず。(貞享書 上。半井譜。)
騎法をば中山勘解由照守に學ばせらる。或時其家の秘傳都歸の法といふを問せられしに。照守是は第一の秘事なれば。名ざしては申難し。とくに申上置ぬとい ふ。其後御乘馬のおり照守にむかはせられ。これにてはなきやと仰られしかば。さん候。唯今の御手綱が即ち都歸にて侍と申上しかば。御悅なゝめならず。その 後鎧下の馬四五疋求めさせらるゝとて。照守を奥につかはされんと命ありしに。馬毛の疵及び年の鑑。定爪の打方は。それがし見分難しと申て。太田善大夫吉正 を推擧して。同じく奥に下り。龍蹄二十疋計り求め得て還り聞え上しかば。馬喰町の馬塲に成せられ。閱覽有て悉く照守に預け給ひぬ。其後照守老年に及びける 比。今一度騎法尋させ給はんとて。殊さら二丸に召て。御門まで乘輿の御免しありて圓座を設け。いと懇ろに御尋ありて。召せられし御羽織を賜はりしとぞ。 (家譜。)
台德院殿御實紀附錄卷五
伊豆の三島通行ありしとき。御旅館にて御寐の程。近臣等御傍に在てよもやまの物語せしに。一人いふ。さいつ比此處通御ありしに御中間何がしいと剛の者に て。三崎の神池のうなぎをかばやきにして食し候。常は神のうなぎなどいひて。土人等手もさゝぬ事なれど。  上樣の御供なれば。何のたゝりの有べきとてく ひしは。いと剛の者にてはなきかといふを聞給ひ。俄に起あがり給ひて。何とあるぞ。今一度いへとの給ひて。重てとくと聞せられ。本多佐渡よべとの上意にて 正信參りければ。さきの事佐渡にきかせよとてまたかたれば。即ち正信に命じ。その者糺して明日三島の町端に磔にかけ。札にそのよしかきてさらすべし。わが 威權をかりて靈神を輕しむる樣に成ては。この後誓詞の文もいたづらになりなん。これ小事の樣なれども。事躰に關係すること容易ならずとて。遂に法のごとく 行れぬ。また府城の番に出る者が。酒にゑひ刀を拔て。御堀のこまよせきりけるよし聞し召れ。酒に醉すぐして人もこまよせもけぢめなくなりしゆへ。さだめて こまよせを人と思ひて切しならん。この處咎めらるべきにあらず。たゞ番に當る者がかくいひがひなく醉すゝみては。何の用にか立べき。番するも詮なしと仰ら れて。是も腹きらしめられしとぞ。(逸話。)
御鷹狩仰出されて。夜半計りより大雨ふり出しが。延引の仰もなければ。供奉にさゝれしものら。七時よりまうのぼり。  公にも六時前に御膳きこしめし畢 て。鷹匠共は揃ひたるかと御尋あり。いづれも燒火の間に。ぬれし御鷹をほして罷在と申あぐ。  公直に出御有て。此雨にてはかなふまじやと上意あれば。い かにもかなひ申まじと申上るにより。さらば還りて鷹のしゝを開き候へと仰られ。その上供奉人にみな見參給ひ。けふの御狩御延滯の旨仰出されしとぞ。元より 大雨にてならせ給ひ難きは。しろしめしながら。一度御觸ありていづれも伺公せし事なれば。  上にもことさら御裝束まで。かへさせられし上にて。延引は仰 出されしとぞ。(額波集。)
明日六時御鷹狩に出給ふべしと觸ありて。御膳の半に六時を已に打ば。御箸をすてられ直に成せられぬ。かく嚴正におはしければ。御膳などにさしかゝり少し刻 限の遲きは。見計ひて自鳴鐘を鳴らさずして扣へしとなり。井伊掃部頭直孝このよし聞て。大に近臣等をとがめ。おことだちはいまだ臣たるの道をしらざるか。 上正道をもて萬事をおきてたまふに。臣たるもの誠心もてつかへ奉らねばかなはぬ事なり。さるを君を僞りてよき事とおもふは僻事なり。かゝることの起てぞ。 上下壅蔽して上の正道下に及ばず。下の誠意上に徹らず。小人この隙に乘じて姦邪を行ひ。下民怨恨するに至る。この後はきと愼まれよといたくいましめしと ぞ。(雨夜夜灯。)
御側ぢかき者に役義命ぜられし後。その者あしき事仕出さば。上の御失なれ。外樣の人にかゝる事あらば。是その頭支配の越度とす。されど從世となりなば。そ の曲折しるものなければ。ともに上の御過と思ひなすべし。よく常々監察して善惡をえらぶべし。又あしきとて一切にその人すつべからず。去年あしきとも今年 よき事あらば。そのよきをとりてさきのあしきをばすつべし。とにかく先非を悔て善にすゝまん樣に引立べしと仰なり。かゝればこそ 當代には。昨日迄あしと 思しめしても。今日善事あればとみに褒賞行れしことも。度々ありしとぞ。(三河之物語。)
人はいかにも己が身を卑下し。何事も人に及ばぬと心得て。謹むべきなり。たとへば愚人蛤貝一片を得てその對を求むるに。もとめ得ざればはらだちて元の貝を も捨るなり。元の貝のよからぬには非れども。わが心からかゝる事するもあり。人々己が不善をわすれ。朋友にむかひて善を求むるは。おなじ事なれと仰有し を。阿部備中守正次承りしとて。人に語りしなり。(武功雜記。)
鯉を御前にて調理しける時。兼て鯉の庖丁は。鯉の脊を三度撫て切といふが法なれば。庖人撫る時。鯉はねて爼板の上より落る處を。まなはし取直し。そが兩眼 を一箸にさして。其まゝ調理しける樣。いかにも手際に見えければ。侍座のものいづれも感歡し。賞せられ給はゞなどそゝのかしいふに。  公ははじめより側 むきて見もし給はざりしが。旣に調じて獻り左右にも賜はりけるに。風味格别なりとてまたまたいひ出ければ。仰にかゝる小事には賞行はぬものよ。すべて賞罸 はつり合よからねば立ぬものなり。この鯉を調理せん時。もし取落したりとて罸すべきや。汝等たゞ目前の事のみにて。始終の思慮なしと仰けるとなり。(逸 話。)
御狩の折。御鷹にて鴈を合せ給ふべしといふに。鐵炮めして直に打とめ給ひぬ。還御の後御物語ありしは。われ鷹使ふ事は思ふ樣にもなけれども。銃技はすこし 手に附樣にもおもへば。銃にて打とめしなり。すべて諸藝ともかくの如くにて。其身にかなはぬ業を。人の見るも憚らずおこがましくなすは。其人がらまで何と なくうつけて見ゆる者なりと仰られしとぞ。(名將名言記。)
加州金澤城燒しよし聞し召れ。御內書遣はされて問せ給はんと仰られしを。老臣等少しのべられ賜物とゝのへて。一度に遣はされんかと申上しに。かゝる時は一 刻も早く。安否をとひたるがよし。延引してよからずと仰ありて。曾我又左衛門古祐召て。御書かゝしめて遣はされしとぞ。(武家閑談。)
惣じて人の福德は生れ付てある者なり。たとへば。我意にかなひ加恩賜らむとおぼしめしても。ゆへなくしては下されかぬる事もあり。また御意に入らで。加恩 はさらなり。何ぞ過失あらば御咎をも仰付られんと心搆しても。やむことなく加恩下されねばならぬ樣に。打こむでくる者あり。伊澤隼人などは盛意にかなはぬ 者なるが。加恩給はらねばならぬ事仕出すゆへ。御心ならねども度々加秩下されしなり。八木勘十郞は御氣しきにかなへば。よき折もて加恩たまはらんとおぼし めせども。あやにくに仕損ずる事ありて御しかり蒙るか。又は病に逢て其時を失ふ事度々なりと仰られしが。かくれさせ給ひし後。御遺命によりて。  靈廟の 搆造を奉りし其功によりて叙爵し但馬守と稱し。四千石の加秩給はりしとぞ。(寬元聞書。)
世の諺に浮世はのごとし。一寸先は闇なれば。たゞ一時も樂しまむこそ。樂なれといふは僻事なり。夢の內はわづかなれど。後の世は長し。又わづかなれば愼むべし。つゝしむにも安しと仰られしとぞ。(名將名言記。)
いつの比にか彗星北方に現れしかば。騷亂の兆なりとて世にいひもてなやむを聞給ひ。人々よく考へみよ。大空の中に斯る一星が出て。その兆は何くの國にあた るなどいふは兒童の見なれ。善惡とも天に現るほどならば。世人なにをもてのがるべきと仰られて。少しも御懸念の樣おはしまさゞれば。いづれも安意せしと ぞ。むかし晋の孝武帝の時。長星の現れしをみて。長星汝に一抔の酒をすゝむ。いにしへより萬歲の天子なしといひしにくらべ奉れば。  公の天命に安じ。御 身に立反り給ひて御自修ありしは。いと及びがたき御事にぞ。(名將名言記。)
凡そ侍たる者の心得は三つあり。第一は風狂鬪諍。第二は震雷。第三は火災。此三つは皆不測に起れば。兼てより此時にはかくせんと工夫して。狼狽せざるを肝要とすべしと仰られしなり。(名將名言記。)
あるとき林道春信勝に尋給ひしは。豐臣太閤の京都の邸を聚樂と名付しは。いかにと問れしに。信勝歡樂極りて哀情多といへば。樂をあつむるといふは。いと不 祥の兆なりと申上しかば。  公聞しめし。われらもその比幼弱にてありしが。さ思ひし事よと仰られしとぞ。(久國談話。)
觀世小次郞が殿中にて。はじめて申樂つかまつりし時。脇は高安彥太郞とて。其比名高きものなり。この日脇の見所はなく。たゞ小次郞がさまいかにもすぐれて 見えしかば。見物の者ら。藝は上手におさるゝといふはさる事なれ。さすがの彥太郞も。小次郞にけおされて見る影もなしといふ。  公には御覽はてゝ後。彥 太郞が名人といふを今日こそはしりつれ。いかにとなれば。小次郞はけふは始めてのわざなれば。そが仕よきやうにかまへて。己が藝の限り出さぬは。上手の上 の事にて。なみなみの者の及ぶところならず。格别の事なり。小次郞も慕閑が子ほどありて。よくしたりと仰られしとぞ。(明良洪範。)
小太刀半七といへる劍法に達せしもの。鐵扇もて仕合するに妙を得しと聞しめされ。その門人にいかなる術あるかと尋給へば。别の事にも候はず。仕合いたし候 に。何となく面白くおぼゆるが。極意なりと申上しかば。殊に御感ありて。すべて軍陣などに臨ておもしろしとだに思へば。恐しき事うせて自ら計策も出くるな れ。いさゝかの諍鬪にも。急遽にせまりて轉動するゆへ。手ぬるくて後れをとるものなりと仰られしとなり(三河之物語。)
御平常御けしきうるはしき時にも。大名旗下の者らが病死せしよし聞しめせば。俄に御樣變り。しばしが間はものものたまはず。人によりては御淚おとされ。そ のまゝ奥に入らせられし事もあり。かく人々を手足のごとくおぼしめされしゆへ。下が下に至るまで。御仁心になづき奉らぬはなかりしなり。(名將名言記。)
御平素小皷うつことを好ませ給ひしが。  神祖かくれさせ給ひて後は。絕てうたせ給ふ事なし。土井大炊頭利勝御咄の折から。徒然におはします折は。例の御 皷あそばしなば。少しは御心も慰ませ給はんかと申せしに。いやとよ。我も打度は思へども。今我天下の主として皷うたば。下々の者らその風をまなび。皆皷打 に成べしと仰ければ。利勝あまりのかしこさに。淚おとして御前をまかせしとぞ。(古老噺。)
花卉を殊に愛翫し給ひしゆへ。各國より種々の珍品ども奉りける內に。廣島しぼりといふ花瓣に斑の入たる椿を。接木にして獻りしものあり。殊に御けしきにか なひ。後圃にうへしめられ。いつしか咲出んと月日をかぞへて待しめ給ひ。からうじて咲出ければかくと告奉りしに。見事なるかとの仰ばかりにて。後園に出ま して見そなはす事もましまさず。其頃いさゝか觸穢の事おはしまして。つゝしみ給ふ程なれば。もし園庭に出まして天日の光に當らせ給はゞ。天を敬の道にあら ずとおぼしとりて。かくつゝしませ給ひし之。さるは常に宮室の內にても。日光の及ぶ所はよけて踏せ給はざりしなり。又嚴冬の比窖養せし牡丹を奉りし者あ り。いとうるはしと宣ひて。花瓶にも挿せ給はず。その儘捨置れしなり。かく時ならぬものは。何ほどめづらしとても御手にもふれ給はず。もとより御美質にお はしましければ。自然と御行狀の聖賢にもかなはせられ。いとたうとく仰ぎ奉るとぞ。(額波集。名將名言記。)
豐臣太閤申樂催して。諸人に見物せしめしとき。韓國より捕來りし虎の。檻を破て見物の席へはひ上りければ。太閤は奥の方へ走入り。加藤主計頭淸正の座をめ かけて進みよれば。淸正太刀を按へ一呵せしかば。虎恐れてこたびは公の御前にむかひ來るを。はたとにらませ給へば。虎また畏縮して退去せしとぞ。常には溫 和にわたらせ給へども。時としてはかゝる御威容もおはしましける事よと。見聞の輩驚歎せしとぞ。(君臣言行錄。)
大姥の局といふは。  公の降誕ありし時より御乳にめされ。年比かひがひしく仕へ奉り。  公にも御心へだてなくむつび給ふ。局元より性質正しく才器あり て。よく人を哀みければ。人また愛重する事大方ならず。局が大病にのぞみし時。御みづから病床にならせ給ひ。何ぞ思ひ置事あらんには申置べし。汝が申所は 何事なりとも。かなへてとらすべしと仰ありしに。局重き枕をもたげ。此姥は 殿に御乳を含め進らせしとて。年比かしこくもかへりみまつはし給へば。一身の 安榮を極め侍りぬ。今はこの世に思ひ置事なし。殿には  大殿の庭訓を守らせ給ひ。天下大小の人に後指さゝれざらむやうに。何事も掟させ給ふべし。この外 申上る事なしと申ければ。いと理と聞しめされ。さるにても猶申置事はなしやと重ねてとはせ給ふ時。さらに申上べき事候はずと聞えあぐ。  公にもかくなや ましき樣を御覽じすてゝかへらせ給ふべき御心地もし給はねど。いつまでかくておはしますべきならねば。其所をたちさらせたまはんとする時。局また殿々と呼 返しまいらせ。吾子さきに罪を犯して遠き所に流されたり。このものはかならずゆるしたまふべからず。もし老たる姥を哀とおぼしめし。姥がゆへもて天下の大 法をまげ給はゞ。これぞ姥が黃泉路の障となりぬべしと申て。その後は口を閉て何事も申さずなりけり。古今の保母さまざまなる中にも。かゝるたぐひあるべし ともおぼえす。また  公の年比保育の恩を忘れ給はで。終始よく恩䘏を施し厚遇し給ひし事を。誰も誰も感じ奉りけるとぞ。(巢鳩小說。)
佐竹義宣は關原の役に。上方の方人せし罪により。代々の舊領常州水戶を召上られ。出羽の秋田に迁さる。義宣が內に車丹波といへるは。聞えたる剛の者なり。 水戶の城をとりかへさんとて一揆を起せしが。事ならずして誅せられぬ。その弟何がし身をかくし。兄の仇復むとて  公の御草履をとり。晝夜間を伺ひしかど も。遂に露顯してめしとられぬ。御所に引出し。いかなる者ぞと親ら問せ給へば。ありのまゝを聞え上。さるべき折を伺ひ。およそ三度まで思ひ立しが。いつも 御威嚴わゝしきにおそれ。太刀拔んとすれば兩手ふるへてかなはず。はてにはかく縛せられぬ。此上は一刻もはやく首刎られよといふ。  公聞せ給ひ。兄が爲 に仇報ひんとかまへし志。神妙におぼしめせば。この後改めて我につかへねと仰けれども。一旦仇と思ひ奉りし御方を。今さら主と賴み奉らむも本意にあらず。 ひらに誅し給はれとて從はず。  公重て。いかにも汝が命をば助くるなり。心短くおもはであれとの給へば。一命をたすけ給はるはかしこけれど。何の顏あり て世にまじらふべき。此よりは乞丐となりて身を終り申べきなりといへば。さらば非人の頭にいたし遣すべしと仰ありて。終にそのごとくなし下されしは。いま に車善七といふて。丐者の長たる者の祖なりとぞ。(明良洪範。)