朝の歌
若山牧水
第9歌集
大正5年6月22日,天弦堂書房発行。
菊半截。定価65銭。
自序
本巻は昨年初秋出版した歌集『砂丘』に次ぐものである。即ち大正四年九月頃より同五年四月までの詠草を輯めた。
秋の頃より本年二月前後まで、何か今までと異つた新しい昂奮を覚えて詠み耽つてゐたのであつたが、やがて東北地方の旅に出るやうになつて途絶した。その昂奮時代の作は尚ほ粗野たるを免れないが、従来よりやや進んだ気持で作つてみた。今後もこの気持で作り続け度いと思つて居る。
巻中「残雪行」の旅の歌はただ行くさきざきでの即興歌のみである。今少し静かな一人旅をするつもりであつたが、何処も初めての土地であつたため日夜初対面の人々との応接に心をとられてしまつてゐた。歌の出来なかつたのは一つはそのためである。即興は即興のままその土地々々で詠みすてた通りにしておいて改作しなかつた。
大正五年五月下旬
三浦半島にて
著 者
秋より冬へ
千駄が崎
来馴れつる磯岩の蔭にしみじみと今日し坐れば秋の香ぞする
くれなゐの貝は寄らなく磯の藻の黒きばかりに秋更けにけり
浜の秋
秋の浜かぎろひこもり浪のまにまに寄り合ふ小石音断たぬかな
秋の日かげ濡れし小石に散り渡り寄せ引く浪を見つつ悲しも
風の音身にこたへつつ砂山の蔭にかがみて秋秋と言ひし
白砂に穴掘る小蟹ささ走り千鳥も走り秋の風吹く
いつの間に離りは行きしあはれ吾子砂山の松の根にし手招く
閑居
秋日さすまばら小松の丘越しに磯あらふ浪のひねもす聞ゆ
沖の岩
秋の大潮沖の痩岩あらはれて光ればけうとわれも身寒く
沖の岩に水雷艇のはしり舟真赤き旗をたてて去りにけり
夕焼雲
沖辺より崎にたなびき秋かぜの夕焼雲となりにけるかな
夕焼の雲たなびける崎の山そのかげの海に魚とびやまず
浜に出でしに有明の月見えければ
ふるさとの秋の最中をふと思ふおもはぬ空の有明の月
ある朝
朝日子の匂ひてさすに落葉焚くけぶりもまじり窓あけて独り
わが松に風は見えたり入りつ海曇り晴れてな今朝はさびしゑ
芝山
芝山に登れば見ゆる秋の相模の霞み煙れるをちの富士が嶺
近山は紅葉さやかに遠つ山かすみかぎろひ相模はろばろ
芝山の榊の蔭に風を避けゐつふと立ちたれば見ゆる富士が嶺
いただきの風をさぶしみ秋の山巻葉櫟のかげをやや下る
また或時に
もみぢ葉の照りは匂はねさやさやに秋浸みわたるここの芝山
来て見れば松ばかりなる片山に浸み照る秋日麗らなるかも
夕照るや落葉つもれる峡の田の畔のほそみち行けば鴫立つ
また或時に
静心しづまりかねつ酒持ちて秋山さして出でゆくわれは
静心ひとめをいとひ秋山の楢葉もみぢの根を踏み登る
妻にさへものいふ惜み静心たもちこらへて秋山に来し
酒煮ると枯枝ひろふに落葉鳴る落葉鳴りそね山は恐し
独りなれば躬ながらわれの尊くて居つたちつ酒を焚きたぎらかす
楢山の下葉もみぢにときをりに風渡りつつ酒煮え来る
額に触るる楢葉のもみぢ摘み取りつ唇にふくみていふ言葉無し
酒飲めばはこころは晴れつたちまちにかなしみ来り畏みて飲む
曼珠沙華
風に靡く径の狭さよ曼珠沙華踏みわけ行けば海は煙れり
砂山を吹き越す風を恐しみ眼伏せて行けば燃ゆ曼珠沙華
砂山のばらばら松の下くさに燃え散らばりしこは曼珠沙華
眼鏡かけし何か云ひかけ見かへりし曼珠沙華の径の痩せほけし友
鰯煮る大釜の火に曼珠沙華あふり揺られつ昼の浪聞ゆ
一心に釜に焚き入る漁師の児あたりをちこちに曼珠沙華折れし
枇杷の花
貧しさを嘆くこころも年年に移らふものか枇杷咲きにけり
静まらぬこころ寂しも枇杷の花咲き篭りたる園の真昼に
晩 酌
しとしとに闇はも迫れ戸はささで居るもなかなか可懐し飲まむ
木 槿
浜街道住むとしもなき仮住の籬根の木槿盛り永きかも
籬越しに街道を行く人馬車見居つつさびしむらさき木槿
たまたまに出でて歩けば此処の家彼処の籬根木槿ならぬなき
魚買ふと寄りし藁屋の軒深く魚の匂ひて木槿窓越しに
さびしきは紫木槿はなびらに夏日の匂ひ消えがてにして
この浜の不漁の続くや風よけの窓辺の木槿むらさきぞ濃き
南吹き西吹きて浪の遠音さへ日ごとに変り木槿咲き盛る
ところがらならぬ玻璃戸に風ぞ吹く木槿に晴れし日の続きつつ
砂ほこり吹きまきし風の夕凪に玻璃戸は重し木槿輝き
降り立ちて砂ぼこりせる花木槿しみじみ見れば疲れたる身ぞ
朝
枕もたげ静かに聞けば落葉積む暁の家に風は落ちたれ
よべ深く睡りにければ心澄み頭かろらかに朝風聞ゆ
朝床に永く篭らじくさぐさの醜の物もひ群るは其処
東明の星のかがやき仰ぎつつけふは楽しと勇みけるかも
朝井戸に水掬むとふと立ちたれば昨夜の落葉の香ぞ罩め居たる
暫くは歯を磨きつつ立ちつくす井戸辺埋めし暁落葉
起きて今朝井戸にい行けば井戸囲む真冬椿に花見ゆあはれ
顔洗ふと昨夜吹き散りし井戸の落葉細くかきわけ水くみ上ぐる
苔清水湧きつつ溜る細井戸の水濁らせじこの朝静に
朝なれやわが浴ぶる水日に光り狭き井戸辺の冬木を濡らす
現身の鋭心萌すしばらくの朝の井戸辺の裸身あはれ
この朝け先づ第一に相見たる井戸辺の妹美しきかなや
わが行けば匂ひ煙りて冬日揺れ朝は心のかなしきかなや
朝は瞳もしみじみとしてものを見れ落葉の蔭の霜どけ真土
この朝け煙草のからき煙さへむなしくはせじと深く吸ふかも
冬の日のあはれ今日こそ安からめ土を染めつつ朝照り来る
窓開き飯食ひ居ればはつ冬の朝日さし来ぬ楽しかれ今日
ある時
着換すと吾子を裸体に朝床に立たせてしばし撫で讃ふるも
蜜柑畑
土荒き蜜柑畑の朝時雨鋤きすててひとは在らざりにけり
山際より蒼み晴れゆく朝しぐれ斜めに海に入る蜜柑山
おなじく
蜜柑山下枝くぐれば思はぬに麓遠遠し白き海見ゆ
人声を探して行けば蜜柑山ひともとの木に群れて摘み居し
投ぐるほどに見る見る篭に満ちし蜜柑真白き銭と代へて提げ持つ
蜜柑畑いまは重しと篭を置きあたり見かへれば枝垂るる蜜柑
蜜柑畑尽くれば山は楢山の黄葉照りつつ峰遠きかも
庭の蜜柑
わが園の隅に輝くひともと蜜柑朝な朝なに立ち出でて摘む
冬霞む、十二月八日
なにごとぞ霞かき垂れ真冬日の安房が崎見えず海とろみ流る
砂山に寝るおちゐず冬の日の霞めるなぎさ行けど落ち居ず
同じく、十二日
朝凪の冬のなぎさに鶺鴒啼き集ひゐて薄霞みせり
同じく、十三日
真冬空鋸山にかすみ罩め峰の上さびしも昼の月懸る
ひさかたの冬日真白く澄み照れり入江細海霞晴れなくに
白浜や居ればいよいよ海とろみ冬日かぎろひ遠霞立つ
今朝とりわけていただきの白く見ゆ
岩が根の峰白みかも冬深み鋸山に雪降れるかも
夕 照
寒き空より漏れ来し午後の日の光よろこび居れば百舌鳥とほく啼く
沖晴れて今か安房山さやに見えむ夕篭り居れば日ぞさし来る
うす赤み夕日なぎさに流れゐつうらさびしきに舟着きにけり
満潮のいまか極みに来にけらし千鳥とび去りて浪ただに立つ
満潮の辺波真白く沖津辺はいよいよ青み足りどよもせり
夕潮さし沖辺ゆたけくなるままに啼きつつ走るむらなぎさ鳥
同 く
望ちかき夜にかもあらめ時雨降り篭りて聞けば浪の豊けさ
椿咲く
椿咲くと驚き悲しみ過ぎ経たるわがひと年ぞ顧みらるる
わが家にまた椿はな咲くくれなゐに散りにしは昨日いま咲き出づる
くろぐろと黒み静まれる葉つばきの蔭に燃えたる初花椿
椿散る時に来りつ椿咲く今日まで住みぬ浪の近きに
つと落ちて百舌鳥は椿のかげに啼く曇れる朝の紅寒椿
天地の曇りくぐもり寒き時落葉のかげに咲き出づる椿
回顧半年
木槿咲き曼珠沙華咲きし白浪のこの海人が村に秋を越えにけり
しかすがに静けかりけり顧みる曼珠沙華のはな白木槿花
挨立つ浜街道の往くさ来さこの秋は見し白木槿花
その時に見し誰彼の明らけし白木槿花咲きし思へば
をりをりに立ちどまりたるわが影の寒きも目路に浮び来るなれ
風
風吹けば吾子が頬ぞ染む茜さしこころ昂るか吾子が頬ぞ染む
風を忌み深く篭れど挨づくあはれ机の椿の花さヘ
夕づけど風吹きやまず木蔭の井戸に顔洗ひ居ればその木どよめく
同く
西風立つときほひ乱れて相模なる三崎の沖に帆ぞ靡きたれ
椿
海風に梢なびける砂山のむらだち椿靡きていま咲く
立ちつくすわがあたり坂の砂もこぼれずくれなゐ椿枝垂れてぞ咲く
或る日
酒飲めと冬日はるばる送られし鴨の羽色のこの深みどり
いと遠き風もまじりつ戸外なる落葉聞えてわが酒ぞ煮ゆ
下野の言すくななる友を思ひそが贈物鴨をわが煮る
妻子等を寝静まらせつ残りゐて夜のくだちゆくに煮る真白酒
海辺の冬
おほよそに見し海岸の芝山の冬近づくと黄葉しにけり
浜に続く茅萱が原の冬枯に小松まじらひわが遊ぶところ
白浜の風を寒しみひそひそと入れば松原かぎろひ居たり
朝
朝朝の眼ざめしばしの物おもひ苦しきにわれは衰ふるらむ
軒近き砂山松の梢染めて今朝も晴るるか冬日さし来る
浪
浪見むと急げる行手暫くの朝日の空に塵もまはなく
朝な朝な浪の前に来てこころ踊る日にけに浪は新しきかな
下燃えに燃えあがるこころ止めかね朝の白浜とゆきかく行く
裏山の渓
わが心さびしき時しいつはなく出でて見に来るうづみ葉の渓
わが行けば落葉鳴り立ち細渓を見むと急げるこころ騒ぐも
渓ぞひに独り歩きて黄葉見つ薄暗き家にまたも帰るか
同 く
冬晴の芝山を越えその蔭に魚釣ると来れば落葉散り堰けり
芝山のあひの細渓落葉つもりいよよほそまり釣るよしもなき
釣竿を片寄せて聞けば細渓の落葉をくぐる彼の瀬此処の瀬
こころ斯く静まりかねつ何しかも冬渓の魚をよう釣るものぞ
細渓の魚はえ釣らず這ひあがるこの芝山の黄葉繁きかも
此処にして聞けば麓のせせらぎのなかなか高し黄葉照り篭る
瀬の音のとよめるなべに片山の黄葉いよいよ明らけきかも
曇り日
曇り日の夕立ちし風井戸の辺に落葉新しく匂ひ籠めたれ
曇り日のいよいよ曇り夕かけて風も動きぬ今は戸閉さめ
散 歩
夕ぐれのよりどころなさにわれとなく家出でて来し此処の芝山
榛の木に楢の木つづく山際の刈田の畔ぞわが行くところ
冬の海
冬近み入江の海の凪ぎ細り荒磯芝山黄葉しにけり
真冬日のひかり乏しき入海に漕ぎ出づる舟のかぎり知らずも
大潮の干潮の冬日したたかに沖の黒岩あらはれにけり
たち向ふ安房の山辺の山蔭にひとむら黒き釣舟の数
遠つ海水際赤らみ夕がすみたなびけるかたに安房浮びたり
こごしき安房の岬に残りたる夕日あきらかに冬の浪立つ
横浜に入り来る船か煙あげ入日の崎を廻り浪見ゆ
春浅し
芹つみ
芹つみに妹のさそふに誘はれてせんかたもなき野に出でにけり
汝は芹つめわれは野蒜を摘まましとむきむきにしてあさる枯原
斯くて早や春は立つにかをちかたの峰の上かすみて芹つむ我は
春浅きだんだら小田の畔の木のゆらぎ光りて芹つむわれは
芹生ふる畔の枯草にかいかがみ春立つといふを悲しむこころ
梅咲く
よもすがら東南風吹きしきし朝凪に家出でてみれば梅咲き靡く
東南風吹き沖もとどろと鳴りし一夜に咲き傾きし白梅の花
かとばかり咲き傾きし梅の花驚き見つつこころ淋しき
わが庭に咲きしばかりかこの朝け出でて歩けば梅到るところ
同く
年ごとに覚え来なれしさびしさの梅咲く頃となりにけるかな
梅の花はつはつ咲けるきさらぎはものぞおちゐぬわれのこころに
鰯寄る
海も狭に鰯来ると浦あげてとよめる蔭に梅咲き盛る
青鰯浦ちかく来てとびちがふ朝凪なれば梅もさびしく
海面の黒み騒だち鰯寄る入江の春の昼の月影
鰯寄る細江のそらのうちけぶり鳶の群れゐて啼けば悲しき
崎の端けふはここだく赤錆びて入江は凪ぎぬ鰯寄るとふ
同く
砂乾き船もかわきて待ちこらへし鰯は沖に見ゆといはずや
はしけやし鰯の網にかかりたる大鯖の腹のこの青鰯
鯖の奴の白腹さけばいま喰ひし鰯かたまりて飛び出しにけり
妹
ひつそりと物に縫ひ入りし妹のかたへに居りて静心なき
針とめてよろこび鴉いま過ぐと眼をつむりたる美し妹
病妻を伴ひ春浅き山に遊ぶ
麓より風吹き起り椿山椿つらつら輝き照るも
椿山松もまじらひ朝風の声のさびしも松葉散り来る
風を寒みはやく行かんと椿山いそげるかたに花揺れ光る
風立ちて木の間明るき散松葉落椿さへをちこちに見ゆ
疲れしと嘆かふ妻の背に額にくれなゐ椿ゆれ光りつつ
遠松のこずゑに風は見ゆれども此処は日うらら妻よ息はな
青樫の蔭の枯草いざ妻よ昼食のむしろ此処に作らむ
枯萱のかげに見出でし稚梅の三つふたつ花をつけてゐしかな
松風のこゑのさびしさ見はるかす伊豆の遠海時雨行く見ゆ
銘酒白雪を送らむといふたより来る
津の国の伊丹の里ゆはるばると白雪来るその酒来る
真酒こは御そらに散らふしら雪のかなしき名負ひ白雪来る
酒の名のあまたはあれど今はこはこの白雪にます酒はなし
白雪と聞けばかなしも早もかもその白雪を手に取らましを
手に取らば消なむしら雪はしけやしこの白雪はわがこころ焼く
白雪は白雪はとて待つ苦しその白雪はいまだにかあらむ
をりからや梅の花さへ咲き垂れて白雪を待つその白雪を
春浅し
わが庭の竹の林の浅けれど降る雨見れば春は来にけり
鶯はいまだ来啼かずわが背戸辺椿茂りて花咲き籠る
山やき
いづかたの山焼くるにかきさらぎの冷たき空に煙なびけり
衣黒きふるさと人ら群りてかの山辺をもけふは焼くらむ
梅
朝な朝な立ち出でて見る白梅の老木の花の盛り永きかも
並み立てる椎の梢に風見えて白梅のはないよよ白きかも
梅の花浜浪近み砂風の間なくし吹きて咲くがわびしさ
梅の花さかり久しみ下褪せつ雪降り積まばかなしかるらむ
しかすがに梅の花いまは褪せそめぬ昨日も今日も空は晴れつつ
梅の花褪する傷みてしら雪の降れよと待つに雨降りにけり
梅の花褪せつつ咲きてきさらぎはゆめのごとくになか過ぎにけり
来福寺にて
友の僧いまだ若けれしみじみと梅の老木をいたはるあはれ
酒出でつ庭いちめんの白梅に夕日こもれるをりからなれや
薄 雪
常のごとただに汐風吹きしくと嘆きは起きし雪の降りつつ
椎椿吹き●(テヘン+「尭」)む風になかそらになから消えつつ薄雪の降る
藍深く海はよどみつ向ふ崎安房の国辺に雪晴れにけり
朝寒し
寒む寒むとあかつき起きに見やりたる背戸の笹山春雨の降る
椿の木ゆらぎ光りてうす雲の朝風の空に日は懸りたり
肥料船来る
下肥料を売る帆前船寄りにけりこの海人が村に雪は降りつつ
肥料船の来しとおらびて海人どもの銭かぞへつつ肥料買ふあはれ
砂畑に麦は芽ぐみつ畏みてその痩麦に肥料やる海人は
沖にのみ漁るならず砂畑にけふ海人が子は糞肥料をまく
畔の草
曇り日のこころいぶせみうち出でて来しは山田の枯草の畔
枯草の山田の畔のなにかなくなつかしくして行きとどまらず
春浅み土は鋤かれず山はざま細田だんだんにたたなはるかも
前の山のまろみうれしく眺め入る山田のくろの枯草深し
沈丁花
めづらしく白雪降るとかしこみて部屋にこもれば匂ふ沈丁花
沈丁花いまだは咲かぬ葉がくれのくれなゐ蕾匂ひこぼるる
或 日
みちのくの雪見に行くと燃え上るこころ消しつつ銭つくるわれは
貧しければこころ怯れつひさかたの天の照るにもかき曇るにも
若布とり
はつはつに生ふる若布に潜き寄るきさらぎの海の海人少女たち
天つ日をよこぎる雲のうつりつつ浪真蒼に海女群れゐたり
はたはたと倒るる浪の前にうしろに海女が黒髪縒れなびきつつ
海人少女群れたる崎の浪白み鵜はひたひたにまひ過ぎにけり
四方の海霞みこめつつわが崎の浪水沫立ち潜ける少女
残 葩
雪もよひ黒雲くづれ夕焼けつ庭の白梅褪せ褪せて咲く
霜とけて雫ながるる葉がくれにくれなゐ椿なほ散り残る
菜の花
ひとかたまり菜の花咲けり春の日のひかり隈なき砂畑の隅に
くろぐろと棕梠の影させり菜の花のかたまりて咲く傍らの砂に
春速くまよひ出でたる蜂の子の菜の花のうへをなきめぐるひとつ
三崎港へ
向つ崎真赤き崖に吹きつくる風の寒きに船傾きぬ
岩とびとび鵜の大群の浮き沈む潮騒にして船傾きぬ
三崎港
大島の山のけむりのいちじろく立つよと見れば暮るるなりけり
相模の海月夜浪立ち片寄りの黒雲のかげに伊豆の山燃ゆ
伊豆人はけふぞ山焼く十六夜の月夜の風にその火靡けり
残雪行
三月十五日朝、仙台駅にて
停車場の柱時計を仰ぎつつ現なや朝のストーヴの椅子に
朝づく日停車場前の露店にうららに射せば林檎買ふなり
塩釜より松島湾へ出づ
塩釜の入江の氷はりはりと裂きて出づれば松島の見ゆ
同日夜盛岡着
盛岡の街か灯ぞ見ゆわが汽車の窓に楊の揺れては消ゆる
盛岡駅に野菊君等と逢ふ
人ごみのなかに見出でし友が顔笑みかたまけてありにけるかな
相逢へば昔ながらの言すくな菊池野菊は齢もとらずけり
盛岡古城址にて
樅桧五葉の松はた老槙の並びて春の立つといふなり
啄木鳥の真赤き頭ひつそりと冬木桜に木つつきゐたり
啄木鳥ぞ来てとまりたる槙の蔭の落葉桜の真白き幹に
ほのぼのと燃ゆる思ひにせんすべの尽きて眺むる梢なりけり
雫石川か中津川か
城あとの古石垣にゐもたれて聞くとしもなき瀬の遠音かな
雪やめば四方の山見ゆ
遠山に消えつつ残るはだら雪雨のごときを見る真昼かな
宿酔か旅の疲れか
朝まだき日はさしながら降る雪を軒に眺めて疲れてゐたり
大吹雪の野辺地駅に草明君出で迎ふ
われ待つと荒野野辺地の停車場の吹雪のかげに立ちし友はも
野辺地出づれば海見ゆ
大吹雪汽車の小窓のかき曇り雫垂れつつ海見え来る
青森駅着、旧知未見の人々出で迎ふ
やと握るその手この手のいづれみな大きからぬなき青森人よ
宿望かなひて雪中の青森市を見る
いつか見むいつか来むとてこがれ来しその青森は雪に埋れ居つ
鈴鳴らす橇にか乗らむいないな先づこの白雪を踏みてか行かむ
雪高く往き交ふ人の輝きていま青森に夕日さすなり
明けぬとて酒、暮れぬとてまた
酒戦たれか負けむとみちのくの大男どもい群れどよもす
たくたくと大酒樽のひもすがら断えず吹雪きて夜となりしかな
青森より大釈迦駅へ
古汽車の中のストーヴ赤々と燃え立つなべに大吹雪する
大釈迦より騎馬し北津軽へ入る
雪いよよ峡も深みてわが馬の鬣黒く歩まざるなり
わが行く手晴るるとすれば岩木山また吹雪き来て馬嘶かず
これより訪ねむとする友は聞えし沈黙の人なり
もの云はぬ加藤東籬を見ばやとてはるばる急ぐ雪路なるかも
五所川原町一泊
ひつそりと馬乗り入るる津軽野の五所川原町は雪小止みせり
津軽平野一面積雪数尺に及ぶ
橇の鈴戸の面に聞ゆ旅なれや津軽の国の春のあけぼの
雪の上に橇数多行き交ふ己が田と目ざす辺に肥料を運び置くなりとか
昼かけて雨とかはれる白雪の原のをちこち肥料運ぶ見ゆ
雪深けれど既に春なればその表氷りたり土地の人これを堅雪と呼ぶ
堅雪の畦道ゆけば津軽野の名残の雁か遠空に見ゆ
東籬君宅にて初めて蟇を聞く
白雪の何処にひそみほろほろと鳴き出づる蟇か津軽野の春
津軽なる松島村は友東籬山蘭君等が故郷なり
帰る雁とほ空ひくく渡る見ゆ松島村は家まばらかに
南津軽板留温泉雑詠
雪消水岸に溢れてすゑ霞む浅瀬石川の鱒とりの群
むら山の峡より見ゆる白妙の岩木が峯に霞たなびく
片栗といへる草ありて雪の蔭に萌ゆ
かたくりの若芽摘まむとはだら雪片岡野辺にけふ児等ぞ見ゆ
家を出でて既に七旬
帰らむといそぐこころのしかすがに動くとはすれ寂しきものを
南津軽黒石町
黒石の町の坂みち登りつつ春は深しといひにけるかも
秋田市千秋公園
鶸繍眼児燕山雀啼きしきり桜はいまだ開かざるなり
曇さびしいま七日たたば咲かむとふ桜木立の蔭を行き行くに
秋田美人
名に高き秋田美人ぞこれ見よと居ならぶ見れば由々しかりけり
岩代瀬上町より飯坂温泉へ
花ぐもり昼は闌けたれ道芝につゆの残りて飯坂とほし
たわたわに落つる春田のあまり水道辺に続き飯坂とほし
行き行けば菜の花ばたけ蝶蝶の数もまさりて飯坂とほし
友ふたりたけぞ高けれだんまりの杖をうちふり飯坂とほし
菜ばたけのすゑの低山やますそにそれとは見ゆれ飯坂とほし
飯坂温泉雑詠
川ごしに杉は明るく並び立ちたまたまにして鶯啼くも
津軽にて田打桜と聞きし花いまぞ咲きたれ岩代辛夷
とつとつと早瀬流れて咲き垂れし田打桜は花雪の如し
君が背に辛夷白花咲き枝垂れその花を背に君はまだ酔はず
酒興いよいよ到る
夕かけて雲は山辺に流れ来ぬ桜はいまだ散るといはなくに
某妓磯節を唄ひ某妓秋田節をよくす
磯節をきけばかなしも陸奥の山の奥の唄をきけば悲しも
福島市某旗亭即興
つばくらめちちと飛び交ひ阿武隈の岸の桃の花いま盛りなり
夕日さし阿武隈河のかはなみのさやかに立ちて花散り流る
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