山桜の歌
若山牧水
第14歌集
大正12年5月17日 新潮社発行。
四六判。定価2円。
序
本書は先著『くろ土』(大正十年三月発行)に次ぐもので、大正十年正月より同十一年十二月に到るまで全二年間に詠んだ歌が収めてある。
序文としていま書き度い事は、おほかた『くろ土』の序文に書いたことと変らないので、勢ひそれを繰返すわけになる。故に此処には省くことにした。ただ本書を読んで多少とも感興を覚えられた人には併せて『くろ土』をも読んでほしいといふことを書いておき度い。著者が一生の歩みの続きといふうちにも『くろ土』の頃から本書にかけての五六年の間には特に離しがたい因縁が結ばれてゐるやうに思はれるからである。
なほこれは書かでもの事かともおもふが、気づいたままに書きつけておく。仮に動的の歌と静的の歌といふものがあるとするならば『くろ土』は動の方で本書の歌は静的のものであるらしく感ぜらるるのだ。これはこの二冊に限らず、今までに出して来た歌集十数冊(本書が第十四冊目に当る)を振返つて見ると、その間にこの二つの交替が知らず知らず繰返されて来てゐるやうに思はるるのである。即ち或る期間頻りに主観味の勝つた歌を詠んでゐたとすれば、(それを仮に動的の歌と呼んだ)その次ぎにはなるたけそれから離れた、静かなものが詠みたくなる、そしてその入れ替らうとする場合に一冊に纏めておきたい心が起る、といふのではなからうかと不図考へられたのである。どうして斯うなるか、たださうした一つの詠みぶりに倦んでさうなるのか、それとも他に何か理由があるか、それは自分にも解らぬ。
この三月十日、本書の原稿を持つて上京し神田の友人の許に泊つた。翌朝朝酒一杯の後縁側の柱に凭れてゐる処を写真好の友人が撮影した。口絵にしてあるのはその写真である。
大正十二年四月二十一日、葉桜に雨こまかき日、沼津在の寓居にて
若山牧水
大正十年
野火
空に立つ煙のかげに燃え入りて色さびはてし昼の野火かも(その一)
おほらけき箱根の山の萱枯れてさびぬる野辺を焼ける火のみゆ
野火の火の遠見はさびしうちわたす枯田のなかの道をゆきつつ
冴えかへり寒けき今日のうらら日に野火の煙のたなびける見ゆ
うば玉の夜空の闇に油火のごとき野火見え寒き風吹く(その二)
ちりぢりに燃ゆるはさびし烏羽玉の夜空のやみに見えわたる野火
里人のはなてる野火は遠空の闇にわびしく燃えひろごれり
幼くて見しふる里の春の野の忘られかねて野火は見るなり
雪解川
たまたまに出で来てわたる狩野川の水は張りたり雪解日和に
仮橋をわたれば寒き風吹くや雪解の川の水みなぎりて
橋銭をはらひてわたる仮橋の板あやふくて寒き春風
箴の音
かすか羽虫まひをり窓のさきけぶらふ春の日ざしのなかに
畑中の草にうごける風ありてけふ春の日のうららけきかも
かぎろひの昇りをるみゆ白菜の摘みのこされし庭の畑に
窓下の霜の畑にかぎろひのたつ日をきこゆ隣家の機は
藁屋根の軒端をぐらき北窓に起りゐて澄めりその箴の音は
わが畑のさきの藁屋根いぶせきにその家の妻は機織りいそぐ
窓あけて見てをれば畑のま向ひの家に織る機いよいよきこゆ
畑為事いまをすくなみ百姓の妻が織る機ひすがらきこゆ
はるかなる声にしきこゆ庭にいでて呼びかはしあそぶ妻子が声は
庭さきの屋敷畑にかぎろひののぼるを一日見つつさびしき
雲 雀
翔ひのぼり空の光にかぎろひて啼き入れる雲雀聞けばかなしも(その一)
かそけくも影ぞ見えたる大空のひかりのなかに啼ける雲雀は
天つ日にひかりかぎろひこまやかに羽根ふるはせて啼く雲雀見ゆ
東風吹くや空にむらだつ白雲の今朝のしげきに雲雀なくなり(その二)
おほどかに空にうごける白雲の曇れる蔭に雲雀啼くなり
冬拾遺
時雨空小ぐらきかたにうかびたる富士の深雪のいろ澄めるかな
門入れば庭の楓の散紅葉さびしくもあるか町のかへりに
障子さし電灯ともしこの朝を部屋にこもればよき時雨かな
降りふらぬ寒き時雨の朝をいでて庭の落葉を見つつたのしき
わが門ゆ挑むる富士は大方は見つくしたれどいよよ飽かぬかも
愛鷹におほ雪降れり百襞の真くろき森を降り埋みつつ
この煙草味のにがきはわが心おちゐぬ故か朝のひなたに
雑 詠
山の蔭此処の入江の奥まりに小波よせて梅の花咲けり(江の浦)
笠なりのわが呼ぶ雲の笠雲は富士の上の空に三つ懸りたり
砂丘のなぞへの畑の痩せ麦のほそき畝より啼きたつ雲雀(田子の浦)
梅の花散りうかびたる池の面に降りしきる雨は音を乱さぬ(吐月峯庵)
海鳥の風にさからふ一ならび一羽くづれてみなくづれたり(静浦三首)
向つ国伊豆の山辺も見えわかぬ入江の霞わけて漕ぐ舟
わがゆくやかがやく砂の白砂の浜の長手にかぎろひの燃ゆ
庭さきの一もと蜜柑春の日のかぎろふなかに実をたらしたり
頬かむり冠りて縁にもの縫へる妻がうしろでを親しとし見つ(縁側三首)
もぎとりていまだ露けき椎茸を買へと持て来ぬ春日の縁に
庭さきの籬根のむかひゆく人にさゆるる日影かぎろひて見ゆ
霞みあふ空のひかりに籠らひていろさびはてし冨士の白雪
をちこちに野火の煙のけぶりあひてかすめる空の富士の高山
入海の向つ国山春たけてあをみわたれる伊豆の国山(静浦)
桜と螻蛄
夕霽暮れおそきけふの春の日の空のしめりに桜咲きたり
雨過ぎししめりのなかにわが庭の桜しばらく散らであるかな
さくら花まさかりのころを降りつぎし雨あがる見えて海の鳴るなり
さくら花褪せ咲けるみゆめづらしくこよひを螻蛄の鳴ける夕に
螻蛄の鳴く声めづらしき春の夜のもののしめりは部屋をこめたり
螻蛄の鳴く戸外のしめりおもはるる今宵の灯影あきらけきかな
ひとところあけおく窓ゆかよひ来て灯かげにうごく春の夜の風
桜と鶫
ひややけき風をよろしみ窓あけて見てをれば桜しじに散りまふ
春の日のひかりのなかにつぎつぎに散りまふ桜かがやきて散る
蚕豆のはたけの花の久しきに散りかかりたりさくらの花は
庭くまの落葉の上に散りたまりさくら白きに鶫来てをる
朽葉なす鶫の腹のいろさびて歩めるあはれわが見てをるに
桜と雀
雀子の啼く声しげしこの朝明ふりいでし雨はとほり雨ならむ
散りのこる梢の桜雨すぎしこの朝照にちりいそぐかも
けふあたり名残と思ふはなびらの桜ほの白く散りまへる見ゆ
散りたまる樋の桜のまひ立つや雀たはむれ其処にあそぶに
わが借りて住へる家の古ければ多き雀子朝夕になく
塩釜桜
暁の明けやらぬ闇にふりいでし雨を見てをり夜為事を終へ
うすれゆく暁闇にあめ降りて塩竈桜さむけくぞみゆ
ひともとの稚木のさくらしほがまの八重咲く花の咲きしだれたり
稚木なる枝をみじかみたわたわに咲きかたまれる塩竃桜
庭
わが小犬あそびどころとあそびをる庭の芝生にわれも出でたり
数あらぬ庭木をわたる春風のとよみてきこゆわが立ち寄れば
桃さくら咲きつぐなかにわが庭の松のしん白く伸びそろひたり
庭に出でてみるわが部屋のうす暗く冷たきさまのなつかしきかな
雲雀なく空の青みのけぶらひて心うら悲し庭に立ちつつ
庭先の松のしげみに立ちてゐて聞くとしもなき鶯のこゑ
わが門を流るる溝のみぎはなる薮にこもりてうぐひすの啼く
小松原
川向ひつづきはるけき野の窪の小松が原に霞たちたり(その一)
おほどかに傾斜つくれる小松原小松のしんは伸びそろひたり
川向ひ小松が原の広原にこもりゐてうたふ唄声きこゆ
松原の広きに起りひとところ動かぬ唄をききて久しき
松原の広きがなかに立ちまじる雑木の若葉けぶらひてみゆ
鶯は巣のそば去らず啼く鳥の啼きてこもれり小松が原に(その二)
松原のはしの岩山岩が根の裂目をつづる丹つつじの花
ところどころ岩あらはなる山窪の小松が原にうぐひすの啼く
伸びそろふ小松のしんのほの白くけぶらふ原にうぐひすの啼く
河 鹿
丸木橋しめりあやふき曙にわがわたりゆけば河鹿なくなり(湯ケ島にて)
水際なる岩のしめりのまだ深きこの曙を河鹿なくなり
山魚釣ると人身を臥せて這ひてをる岩の上なる山桜花
渓ばたの湯槽にをりて玻璃窓のうるほふみれば朝明くるなり
水上の峡間を深くとざしたる雲はうごかで朝あけむとす
樫の葉ぞしげり垂りたる瀬の音は其処におこりて部屋にかよふなり
渓ばたの樫のかがやきふかみつつわびしき春の昼となりゆく
渓端の浅き木立の椿の花ちりのこりゐて河鹿なくなり
吾子富士人
四月二十六日次男誕生、富士人と名づく、今までになき可愛ゆさを覚ゆるも早や父となりはてし心からにや。
春の夜の暁かけてさし昇る月にかすめり香貫の山は(その一、産婆をよびに)
麦の穂にをりをりさはりゆく路に月のさしゐてこころかなしも
生れ来てけふ三日を経つ目鼻立そろへるみれば抱かむとぞおもふ(その二)
貧しくてもはやなさじとおもひたる四人目の子を抱けばかはゆき
兄ひとり姉のふたりに増すとさへ思はれてこの子いとしかりけり
吾子いまし睡入るとすらし泣声のかすけくなりて守唄きこゆ
四人をる吾子のなかなるすゑの子のみづごかはゆしわが年ゆゑに(その三)
四人目の末のみづごのとりわけてかはゆしおのれ病みがちにして
病み易くて
年月のつかれ出で来てわが病めば咲きてあざやけき夏草の花(その一)
つぎつぎに病みてしをれば家ごもり庭掃きくらす草花を植ゑ
むしあつき梅雨あがり日を風邪ひきて汗ながしつつ庭木見てをる(その二)
かりそめに冷えしとおもふたちまちに風邪ひきてこころ寒けかりけり
汗くさき風邪の床出で庭先の花に水やる咳きむせびつつ
雨土用と今年いふべき雨おほき夏をこもりて風邪ひきくらす
梅 雨
生垣に木がくりみゆる門さきの田植の人に雨のふるなり
雨いよよふれば田植うる人人の寄りきていこふわが門の木に
さやさやと音たてて来し雨脚のいま降りかかる窓さきの木に
梅雨ふるや瓶に挿せればくれなゐのしみじみ深きダアリヤの花
梅雨晴
うす日さす梅雨の晴間に鳴く虫の澄みぬるこゑは庭に起れり
雨雲の低くわたりて庭さきの草むらあをみ夏虫ぞ鳴く
一重咲ダリヤの花のくれなゐの澄みぬるかなや梅雨ばれの風に
真白くぞ夏萩咲きぬさみだれのいまだ降るべき庭のしめりに
雀とると飽かぬ仔犬がたくらみの小走りをかし梅雨の晴間を
或る朝
この朝を事あるらしき燕のさへづりきこゆ庭木の風に
苔のうへ這ひゆく蟻に心とまるこのわびしさのなほ深めかし
ゐつたちつわびしき時は軒下の鶏に餌をやり親しむ事す
わが門のまへうちわたす狭青田のはるけきかたに田草とるみゆ
草 花
橋こえて入るわが門の庭路に植ゑならべたるコスモスの苗
コスモスの茂りなびかひ伸ぶみれば花は咲かずもよしとしおもふ
借り住ふふるき邸のくまぐまのすたれし園に時の花咲く
時くれば咲きつぐ花を八重むぐら荒れたる庭に見つつ楽しき
居てみるやならびて咲ける草花の色香とりどりに飽く花ぞなき
目に見えて肥料利きゆく夏の日の園の草花咲きそめにけり
朝夕に咲きつぐ園の草花を朝見ゆふべ見こころ飽かなく
いま咲くは色香深かる草花のいのちみじかき夏草の花
泡雪のましろく咲きて茎につく鳳仙花のはなの葉ごもりぞよき
雪なせる白きを見れば鳳仙花咲き競ふ色のこれに如かめや
朝夕につちかふ土の黒み来て鳳仙花のはな散りそめにけり
鳳仙花いろとりどりに取り置かむ種を選ぶとしめむすぶなり
夏の雨
飯かしぐゆふべの煙庭に這ひてあきらけき夏の雨は降るなり(その一)
はちはちと降りはじけつつ荒庭の穂草がうへに雨は降るなり
にはか雨降りしくところ庭草の高きみじかき伏しみだれたり(その二)
渋柿のくろみ茂れるひともとに滝なして降るゆふだちの雨
こもりゐ
北南あけはなたれしわが離室にひとりこもれば木草見ゆなり
青みゆく庭の木草にまなこおきてひたに静かに籠れよとおもふ
めぐらせる大生垣の槙の葉の伸び清らけしこもりゐてみれば
門口のふりぬる橋のみじかきをわたりわたらずあそぶ夕暮
こもりゐの家の庭べに咲く花はおほかた紅し梅雨あがるころを
焚く香のにほひほのかにこもりたる夏ごもりのわが部屋をよしとす
かきこもり此処に住めれど明日知らぬ家なし人は家をおもへり
疲 労
怠けゐてくるしき時は門に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
怠けつつ心くるしきわが肌の汗吹きからす夏の日の風
門口を出で入る人の足音に心冷えつつ怠けこもれり
心憂く部屋にこもれば夏の日の光わびしく軒にかぎろふ
なまけをるわが耳底に浸みとほり鳴く蝉は見ゆ軒ちかき松に
無理強ひに為事いそげば門さきの田に鳴く蛙みだれたるかな
蚤のゐて脛をさしさすゐぐるしさ日の暮れぬまともの書きをれば
わが側に這ひよる蜘蛛を眺めゐてやがて殺しぬ机のかげに
庭の畑
しこ草の茂りがちなる庭さきの野菜畑に夏虫の鳴く
葱苗のいまだかぼそくうす青き庭の畑は書斎より見ゆ
いちはやく秋風の音をやどすぞと長き葉めでて蜀黍は植う
その広葉夏の朝明によきものと三畑がほどは芋も植ゑたり
もろこしの長き垂葉にいづくより来しとしもなき蛙宿れり
今は早や捩がむと思へど惜しまれて見つつただ居り蜀黍の実を
紫蘇蓼のたぐひは黒き猫の児のひたひがほどの地に植ゑたり
青紫蘇のいまださかりをいつしかに冷やし豆腐に我が飽きにけり
朝ゆふべつちかひながらわが植ゑしもののたぐひに愛憎のわく
夏富士
雲まよふ梅雨明空のいぶせきに暁ばかり富士は見らるる
紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
たづね来て泊れる人をゆり起す夏めづらしき今朝の富士見よ
めづらしくこの朝晴れし富士が嶺を藍色ふかき夏空に見つ
陰ふくみ湧き立ち騒ぐ白雲のいぶせき空に富士は籠れり
叢雲にいただき見する愛鷹の峰の奥ぞと富士を思へり
夏雲の垂りぬる蔭にうす青み沼津より見ゆ富士の裾野は
雑 詠
梅雨晴のわづかのひまに出でてみる庭の柘榴の花はまさかり
散りたまる柘榴の花のくれなゐをわけてあそべり子蟹がふたつ
ゆきあひてけはひをかしく立ち向ひやがて別れてゆく子蟹かな
庭木草あをみくろずみ茂りゆく梅雨夏かけてわびしかりけり
生垣の槙の若葉の色ふかみ土用わびしき風は吹くなり
いささかの蜆煮なむと真清水にひたし生けおく夏のゆふぐれ
伸びすぎて葉のみしげれる蜀黍に紅の毛たらす実をいまだ見ず
ひとの畑の蜀黍は疲せて実をもちつわがのはただに青みしげれり
桃色の緋桃のいろの耳朶の少女は泳ぐ辺浪がなかに
岸辺こそ浪は繁けれ沖辺さし泳ぎてゆけや耳あかき子よ
蟻の虫庭這ひめぐり群がれる真黒き姿眼にいたきかな
蟻の虫庭這ひめぐり日に透きて青き葉蘭の葉かげにも見ゆ
繁山のしげりて黒き愛鷹の峰のとがりの夏の色濃さ
片空に凝りゐる雲の下かげに長き尾ひけり富士の裾野は
みじか夜のいまだ小暗き明方のとほ山に湧く雲の真白さ
蝉なくや西ゆひがしゆ庭の木ゆ或は軒端の廂ゆ聞ゆ
温泉宿の庭
更けぬればひびき冴えゆく築庭の奥なる滝に聞き恍けてゐる(吉奈温泉にて)
灯火のとどかぬ庭の滝の音をひとりききつつ戸をさしかねつ
水口につどへる群のくろぐろと泳ぎて鮒も水も光れり
鶺鴒あきつ蛙子あそび恍け池にうつれる庭石のかげ
まひおりて石菖のなかにものあさる鶺鴒の咽喉の黄いろき見たり
庭石のひとつひとつに蜥蜴ゐて這ひあそぶ昼となりにけるかな
裾野村
日の光つゆけき朝の豆畑のなかみちゆけば埃立つなり
籬木槿むらさきに咲く裾野村石ころ路を日暮下れり
杉山の木叢がうへにかかりたるゆふぐれの月は十日ごろの月
みそ萩の花さく溝の草むらに寄せて迎火たく子等のをり
みそ萩の花にほこりのほのみえて葉がくれにゆく水の音きこゆ
盂蘭盆に今宵ありけりみそ萩の花咲く溝を見つつ思へば
蜩の鳴くゆふぐれの旅籠屋に煙草ほろにがく喫ひてをるなり
竹やぶに鶏をりてものあさるけはひ久しき夏の夕ぐれ
畦に立つ蜀黍の葉の長き葉の垂りてつゆけき今宵の月夜
とびとびに立ちてさびしき月の夜の蜀黍は見ゆ桑畑の畔に
鶺鴒と河鹿
脚ほそき鶺鴒鳥は岩蔭にわがをる知らず岩の上に啼く
水あげて瀬に立ちならぶ石ごとに糞してあそぶ鶺鴒鳥
羽虫まつ河鹿が背は疲せやせて黒みちぢめり飛沫のかげに
淵尻の岩端にゐて羽虫とる河鹿しばしば水に落つるなり
岩の間をねりて流るる山渓の荒瀬に水の玉湧き流る
夜の蝉
目ざめゐて夜半の暑きに耳を刺す蝉の声おほし家のめぐりに
夜をさわぐをちこちの蝉のけうときに馬追虫は蚊帳に来て鳴く
秋近し
何はなくたべむと思ふたべものも秋めくものかこもりてをるに
畑なかの小径をゆくとゆくりなく見つつかなしき天の河かも
天の河さやけく澄みぬ夜ふけてさしのぼる月のかげはみえつつ
うるほふとおもへる衣の裾かけてほこりはあがる月夜のみちに
野末なる三島の町の揚花火月夜の空に散りて消ゆなり
園の花つぎつぎに秋に咲きうつるこのごろの日のしづけかりけり
うす青み射しわたりたる土用明けの陽ざしは深し窓下の草に
秋づきしもののけはひに人のいふ土用なかばの風は吹くなり
愛鷹の根に湧く雲をあした見つゆふべみつ夏のをはりと思ふ
明け方の山の根にわく真白雲わびしきかなやとびとびに湧く
大野原の秋
富士の南麓にあたる裾野を大野原と呼ぶ、方十里にも及びたらむか、見る限りの大野原なり。
富士が嶺や裾野に来り仰ぐときいよよ親しき山にぞありける
富士が嶺の裾野の原の真広きは言に出しかねつただにゆきゆく
富士が嶺に雲は寄れどもあなかしこわがみてをればうすらぎてゆく
大わだのうねりに似たる富士が嶺の裾野の岡のうねりおもしろ
穂すすきの原まひわたるつぶら鳥うづら鳥は二つならびとべり
つつましく心なりゐて富士が嶺の裾野にまへるうづら鳥見つ
富士が嶺の裾野の原のくすり草せんぷりを摘みぬ指いたむまでに
富士が嶺の裾野の原をうづめ咲く松虫草をひと日見て来ぬ
なびき寄る雲のすがたのやはらかきけふ富士が嶺の夕まぐれかな
茅萱が原
かすかなる花にもあれや背低松たちならぶ岡の茅萱の花は
はたはたと茅萱が原の日あたりに機織虫は音たててとぶ
飛ぶかげのをりをり見えて萱原の垂穂が原に虫の鳴くなり
秋の野を朝明登ればおきわたすしら露の上に落つる吾が影
東京まで
近年胃腸の衰へたる事甚し、信濃なる白骨温泉はその病によしとききて九月中旬遥々と沼津より出で立つ。
まひのぼる朝あがり雲の渦巻の真白きそらに富士の嶺見ゆ
うとうとと汽車にねむればときをりに法師蝉きこゆ山北あたり
相模なる松田の駅に下りてゆく小間物商も秋めけるかな
秋風の藍色の海に三つ二つうかびゐてちさき海人の釣舟
川向ひ松原のかげの桑畑に吹く秋風はみだれたるかな
白骨温泉
山路なる野菊の茎の伸びすぎて踏まれつつ咲けるむらさきの花
おほかたの草木いろづける山かげの蕎麦の畑を刈り急ぐ見ゆ
湯の宿のゆふべとなれば躬みづからおこしいそしむこれの炭火を
消えやすき炭火おこすといつしかにこころねもごろになりてゐにけり
露干なば出でてあそばむあかつきの薄が原のかがやきを見よ
四方の峰曇りて薄輝かぬ野なかの樺に百舌鳥のゐて啼く
来て見れば山うるしの木にありにけり樺の林の下草紅葉
冬山にたてる煙ぞなつかしきひとすぢ澄めるむらさきにして
枝ほそき落葉木立にくれなゐの実をふさふさと垂らす木のあり
鋼なす落葉の木木のかがやきをひもすがら見て山ゆくわれは(上高地へ)
上高地付近
上高地附近のながめ優れたるは全く思ひのほかなりき、山を仰ぎ空を仰ぎ森を望み渓を眺め涙端なく下る。
いわけなく涙ぞくだるあめつちのかかるながめにめぐりあひつつ
またや来むけふこのままにゐてやゆかむわれのいのちのたのみがたきに
まことわれ永くぞ生きむあめつちのかかるながめをながく見むため
山七重わけ登り来て斯くばかりゆたけき川を見むとおもひきや(梓川)
たち向ふ穂高が嶽に夕日さし湧きのぼる雲はいゆきかへらふ
わが伴へる老案内者に酒を与ふれば生来の好物なりとてよろこぶこと限りなし。
老人のよろこぶ顔はありがたし残りすくなきいのちをもちて
焼嶽頂上
上高地より焼嶽に登る、頂上は阿蘇浅間の如く巨大なる噴火口をなすならずして随所の岩蔭より煙を噴き出すなり。
群山のみねのとがりのまさびしく連なれるはてに富士の嶺見ゆ
登り来て此処ゆのぞめば汝がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ(絵葉書にかきて妻へ)
岩山の岩の荒肌ふき割りて噴きのぼる煙とよみたるかも
わが立てる足もとにひろき岩原の石のかげより煙湧くなり
聴きすます耳にしみ入り足もとに湧き昇る煙とよみたるかも
降りゆくとわが見おろせば秋日さし飛騨の山川うららけく見ゆ
原始林
焼嶽より飛騨国中尾村をさして下るに路二里がほど斧鉞を知らぬ大森林のなかをゆくなり。
双手もて杖をつきたて立ちいこふ森の深みにわが心燃ゆ
まなかひの老樹の幹のつらなりを見ゐつつ心さわだたむとす
岩山に大樹しみ立ち樹樹の根の岩に苔むせり森のかぎりに
時知らぬ樹樹のよはひぞおもはるる森のかぎりの樹樹をあふぎつつ
日の光とほく洩れ来つ老樹なる根方のわれに射して寒けき
何の葉とかしこみてとる足もとのこれの落葉は笠の大きさ
醜さは下下の獣にさこそ似め岩這ひくだるわれの姿の
野口の簗
そのすゑ神通川に落つる飛騨の宮川は鮎を以て聞ゆ、雨そぼ降る中を野口の簗といふに遊びて。
時雨ふる野口の簗の小屋にこもり落ちくる鮎を待てばさびしき
たそがれの小暗き闇に時雨降り簗にしらじら落つる鮎おほし
簗の簀の古りてあやふしわがあたり鮎しらじらと飛び躍りつつ
かき撓み白う光りて流れ落つる浪よりとびて跳ぬる鮎これ
おほきなる鯉落ちたりとおらび寄る時雨降る夜の簗のかがり火
恵那曇
美濃の国中津町在永滝の鳥舎といふに小鳥網を見る。「小笠置晴れて恵那曇」と日和を占ふ土地の言葉の通りの寒き朝なりき、小笠置は北に恵那は南にそびゆ。
恵那ぐもり網張りて待つ松原のいろの深きに小鳥寄りこぬ
恵那ぐもり寒けき朝を網張りて待てば囮のさやか音に啼く
小松原寒けきかげにかくされて囮のひはの啼きしく聞ゆ
網張りて待つやささ鳥ちちちちと啼きて空ゆくそのささ鳥を
百舌鳥と鮒
秋百舌鳥の高啼くこゑは軒にひびき部屋に響きて居るにをられぬ
吾をよぶ吾が子の声のわびしさよをちこちに啼く百舌鳥ききをれば
百舌鳥啼くや居るにをられぬわびしさの募れる今朝を釣に出でゆく
鮒釣るといそぐ田中のほそ路のゆきどまりなる薮に百舌鳥啼く
冷やけき稲田の路をゆきすぎて通る豆畑にこほろぎの鳴く
薮かげに新聞紙敷きてかき坐り寄る鮒まつよ一すぢの糸に
小舟もて釣りゆく人の羨しさよ竹薮かげに糸を垂れつつ
陸釣は如何にやと棹の手をとめて声かけてゆく沖釣人は
小鳥鶲
夙くおきて机によれば木枯の今朝吹きたたず鶲啼くなり
わが庭に来啼くひたきを知りそめて朝朝待つぞたのしかりける
枯芝に垂りたる梅の錆枝にひたき啼きゐて冬晴の風
枯落葉ちらばり動く風の日に鶲はひくき枝にのみ啼く
まひうごく庭の落葉の色冴えて風あかるきに鶲なくなり
煙 草
眼にふりて惶しくもとりあげつ膝の蔭なりしこれの煙草を
うつつなく喫ひつけて口にふくみたる為事なかばのいつぷく煙草
よき煙草あしき煙草のけぢめなど忘れて今はただに喫ふ煙草
手離さぬ煙草にしあれどしみじみとうましと喫ふはいくたびならむ
人目さけてひとりこもらふたのしさよ煙草の煙むらさきにたつ
夕日と食慾
木枯のをりをり響きわたりつつ窓の日ざしはいよよ澄みたり
ガラス越し射す日ながらにわが頬にほてりおぼゆる今日の冬の日
わが窓のくもりガラスに含み照る冬の日ざしはあきらけきかも
午かけて窓に射したる冬の日の日ざし永しとたのしみ向ふ
落つる日のかがやきみせてガラス戸はいま冷やかに照りわたりたり
夕日影窓につめたき部屋にゐてこよひは何をたべむと思へり
身にしみてうましとおもふたべものを何はおきても食べたきゆふべ
よるべなきけふの心のわびしさのかすかに動くたべ物の慾に
このゆふべ食べたしと思ふ何ならむ思ひまはせどおもひあたらぬ
雑 詠
いつ注ぐもこぼす癖なるウヰスキイこぼるるばかり注がでをられぬ
わが旧き歌をそぞろに誦しをればこころ凪ぎ来ぬいざ歌詠まむ
借り住まふ家の庭木のとぼしきに春はやくいでてうぐひすの啼く
雪どけの雫軒端にあまねきに庭の木立にうぐひすの啼く
とりどりの煙あがれり斑ら雪消えのこる春の田末の町に
入江の冬
わが傍追ひ越す人のあまたありて冬田の中の路は晴れたり(静浦付近)
冬田中あらはに白き路ゆけばゆくての浜にあがる浪見ゆ
田につづく浜松原のまばらなる松のならびは冬さびてみゆ
朝たけて昼と思ふに松原の松の根に這ふ冬の靄かも
桃畑を庭としつづく海人が村冬枯れはてて浪ただきこゆ
海人が家に飼ふ者あらし入江なる冬枯の木に鳩の群れをり
門ごとに橙熟れし海人が家の背戸にましろき冬の浪かな
冬さびし静浦の浜の松原にうち仰ぐ富士は真白妙なり
うねりあふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山(静浦より三津へ渡る二首)
浪の穂や音にいでつつ冬の海のうねりに乗りて散りて真白き
冬日いまだ昼に昇らず小松山襞折り合ひて影のこまかさ(江の浦附近)
松山はかげりふかけど山の裏くぬぎが原の冬日うららか
舟ひとつをりて漕ぐみゆ松山のこなたの入江藍の深きに
釣糸をものに巻きつつさざ波のかがよふ舟に一人居る見ゆ
奥ひろき入江に寄する夕潮は流れさびしき瀬をなせるなり
うち越えて路にあがれる浪の泡夕日にさむくかがやけるかな
しみじみと寒き夕日になりにけり入江の奥に波のさざめき
足もとにさわげる浪は満潮のゆたけき音をたたへたるかな
網あぐる海人がさけびのもはらなる道のかたへに箴の音きこゆ
曳網の綱の尻とり老いたるはその綱たたむ石の上にまろく
舟に叫ぶ海人が叫びはおほかたは海人どちにのみきこゆべらなる
大船の蔭にならびて泊せる小舟小舟に夕げむり立つ
大根を煮るにほひして小さなる舟どち泊る冬の夕ぐれ
砂の上にならび静けき冬の浜の釣舟どちは寂びてましろき
伊豆石山
小松山なぞへの円み掘りさきて冬の日なたに石切り出す
沖為事冬をすくなみ海人がどち海岸の山に群れて石切る
伊豆石のやはらかき石冬草の原につまれて真白なるかも
見てあれば真白きなかにむらさきのかすけき色す積まれし石は
石山に立てる男の衣の色切り出す石に似て真白なる
己が身を縄にくくりつ千尋なす崖のさなかに居りて石切る
真白なる幕垂りなせる石山の崖に吊られて石切れり人
人黒く並びゐて掘る石山の切りそぎ崖の冬の夕ばえ
石山の切りそぎあとのましろきに音立てて落つ真白き石は
石山の崖の端に立つ鍔広の帽子の人のあざやけきかも
海人が村裏の岩山にとりどりに洞をうがちて物置けり見ゆ
おのづから遊びよげなるなぞへして冬草山は子等を遊ばす
夕日射す冬野のなかに人うごき枯草の色あざやけきかも
静かなれ心
年いつしか暮れむとするに驚きて惶しく刷らせたる年賀状の端に書きつけし歌。
年ごとに年の過ぎゆくすみやかさ覚えつつ此処に年は迎へつ
寄る年の年ごとにねがふわがねがひ心おちゐて静かなれかし
去年あたり今年にかけていよよわが静かなれとふこころは募る
あさはかのわれの若さの過ぎゆくとたのしみて待つこころ深みを
わが生きて重ねむ年はわかねどもいま迎ふるをねもごろにせむ
大正十一年
土肥温泉にて
一月一日、沼津狩野川々口より伊豆国土肥温泉に渡り十日あまり滞在す。
奥山にはだら雪積み伊豆の国の海辺柴山時雨ふるなり(船中雑詠五首)
寒の雨しらじら降りて柴山のはづれにかかる滝のかすけさ
冬の雨しき降る海ゆ寄る浪の高くあがらず岸に真白き
崖下のうねりの浪にゆられつつこの小さき船は岸に沿ひたり
冬さびて赤みわたれる断崖の根に寄る浪はかすかなるかな
柴山のかこめる里にいで湯湧き梅の花咲きて冬を人多し
湯の宿のしづかなるかもこの土地にめづらしき今朝の寒さにあひて
わが泊り三日四日つづき居つきたるこの部屋に見る冬草の山
わが坐るま向ひの方ゆひびきくる冬の夜ふけの海のとどろき
この里に梅の花咲けりうちわたす枯柴山に杉は赤錆び
北の風かすかに吹きて椿の葉枇杷の葉光り繍眼児よく啼く
少女にや嫗にや青き襟巻のくぐみゆく見ゆ霜田の末を
麦を踏む背高き叟の頬かむりひねもすを居る其処の麦田に
冬草の山のくぼみの楢の木にのこる枯葉の色のさやけさ
朝を注ぐ紅茶の色の楢の葉のなほ落ちやらず春立つといふに
夕凪の日和癖なる雲焼けて染め来るなりわが向ふ窓を
雪もよひ寒けき空にうち群れて千羽鴉わたるこの里の上を
温泉尻にながれて湯気のたつ浜の芥の霜に鴉群れたり
空に居る雲うす赤し入りつ日の消えのこりたる冬山のうへに
わが向ふ冬草山の上に垂りて雪をふくめるあかつきの曇
雲いまだうかばぬ朝の凍空の青みをかぎる冬草の山
柴山の尾根のわかれの山窪ゆ光さし来て昇る冬の日
柴山の尾根よりいづる冬の日はひたと射したりわが坐る部屋に
山の端にけぶらふ朝日麓田の枯田の霜をなかば照せり
朝日子の光とどかぬ麓田の奥の根方の田の霜ぞ濃き
向つ山なぞへに立てる炭焼の煙にやどる冬の日のかげ
土地に梅おほし、暖き所とて一月初めにはや白々と咲き出づ、梅の歌五首。
道ばたの古寺のかどのたかむらの蔭に見出でし梅の初花
青竹のしみ立つかげにほそほそと枝を垂りつつ咲けるこの梅
ひややけき日蔭に咲ける白梅のしみみに咲きて花のちひささ
たかむらの小暗き蔭に浮き出でて咲く梅の花は雪のちひささ
この梅はものをかもいふ居向ひて久しくみれば花のかはゆさ
伊豆の国に我が居て見やる海むかひ雪かづき伏せる甲斐信濃の山
甲斐信濃の山とわが思ふ遠山は雪をかづきてこちごちに立つ
妻、沼津より明日来らむといふ夜俄かに風の吹き立ちければ。
我妹子が明日を船出しわれを見に来むといふ今宵風吹き立ちぬ
風の音つねならず身にこたふるは来ぬ我妹子をおもふゆゑにぞ
末の子を抱きかきよせ今宵この風をなげきてあるらむ我妹
いとし児を四人まうけついつしらずをみなさびしてよろしき我妹
我妹子のこころはひたにわれに向ふ我妹子のこころたもたざらめや
梅の歌
借り住まふ邸の庭にかぞふれば木がくれて咲く五本の梅
春はやく咲き出でし花の白梅の褪せゆくころぞわびしかりける
花のうちにさかり久しき白梅の咲けるすがたのあはれなるかも
老いたるは夙く散りうせつ枝長き若木の梅は褪せながら咲く
ゆくさくさ仰ぎてすぐるわが門のあせぬる梅をうとみかねたり
庭石の錆びたる上に枝垂れて咲きぬる梅の花のましろさ
とある酒場にて
停車場に人を送りてかへるさの夜更に寄れる酒場の三人ぞ
いとはだらに鬢の毛白き老教授はウヰスキイを呼ぶわれも然かせむ
テーブルの上に枝張れる盆栽をかたよせて語る夜ふけの三人
話やがて深山の鳥の声に及びわれおもひいでぬくさぐさの鳥を
秋空にとべる尾長の尾長鳥のさびしき姿をおもひいでたり
みちのくに豆蒔鳥と呼ぶ鳥の郭公の声をおもひいでたり
山ざくら
三月末より四月初めにかけ天城山の北麓なる湯ケ島温泉に遊ぶ。附近の渓より山に山桜甚だ多し、日毎に詠みいでたるを此処にまとめつ。
うすべにに葉はいちはやく萌えいでて咲かむとすなり山桜花
うらうらと照れる光にけぶりあひて咲きしづもれる山ざくら花
花も葉も光りしめらひわれの上に笑みかたむける山ざくら花
かき坐る道ばたの芝は枯れたれや坐りて仰ぐ山ざくら花
おほみ空光りけぶらひ降る雨のかそけき雨ぞ山ざくらの蔭に
瀬瀬走るやまめうぐひのうろくづの美しき春の山ざくら花
山ざくら散りしくところ真白くぞ小石かたまれる岩のくぼみに
つめたきは山ざくらの性にあるやらむながめつめたき山ざくら花
岩かげに立ちてわがみる淵のうへに桜ひまなく散りてをるなり
朝づく日うるほひ照れる木がくれに水漬けるごとき山ざくら花
峰かけてきほひ茂れる杉山のふもとの原の山ざくら花
吊橋のゆるるあやふき渡りつつおぼつかなくも見し山ざくら
椎の木の木むらに風の吹きこもりひと本咲ける山ざくら花
椎の木のしげみが下のそば道に散りこぼれたる山ざくら花
とほ山の峰越の雲のかがやくや峰のこなたの山ざくら花
ひともとや春の日かげをふくみもちて野づらに咲ける山ざくら花
刈りならす枯萱山の山はらに咲きかがよへる山ざくら花
萱山にとびとびに咲ける山ざくら若木にしあれやその葉かがやく
日は雲にかげを浮かせつ山なみの曇れる蜂の山ざくら花
つばくらめひるがへりとぶ渓あひの山ざくらの花は褪せにけるかも
今朝の晴青あらしめきて渓間より吹きあぐる風に桜ちるなり
散りのこる山ざくらの花葉がくれにかそけき雪と見えてさびしき
山ざくら散りのこりゐてうす色にくれなゐふふむ葉のいろぞよき
富士の歌
或る日天城山上なる噴火口の跡と云へる青篠の池に遊ぶ。ゆくゆく顧れば富士うららかに背後に聳えたり。
わが登る天城の山のうしろなる富士の高きはあふぎ見飽かぬ
高山にのぼらざれば高山の高きを知らずとか云へる言葉ありしをおもひ出でて一首。
たか山にのぼり仰ぎ見高山のたかき知るとふ言のよろしさ
山川に湧ける霞のたちなづみ敷きたなびけば富士は晴れたり
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく
富士が嶺の裾野に立てる低山の愛鷹山は霞みこもらふ
愛鷹の裾曲の浜のはるけきに寄る浪しろし天城嶺ゆ見れば
伊豆の国と駿河の国のあひにある入江のま中漕げる舟見ゆ
湯ケ島雑詠
うちわたす萱野が原の枯萱は刈りならされて積まれたる見ゆ
瀬瀬に立つあしたの靄のかたよりてなびかふ薮にうぐひすの啼く
この岩の苔の乾きのぬくときに寝てをれば見ゆ淵にあそぶ魚
ひたひたと水うちすりてとぶ鳥の鶺鴒多しこの谷川に
たぎち落つる真白き水のくるめきのそこひ青めり春の日なたに
岩窪の砂のたまりに荒渓のしぶきは飛び来日のいろに照り
かちわたり濡れし足ふく川ばたの枯芝原のつぼすみれ花
人の来ぬ谷のはたなる野天湯のぬるきにひたるいつまでとなく
椎の落葉ちりたまりゐてくされたる野天いで湯に入りてひそけし
淵尻の浅みの岩に出でてをる鰍のすがた静かなるかも
やはらかく芽ぶける木木にかくろひて散りのこりたる山椿の花
窓さきの冬の木に来て啼く鳥は昨日もけふも山雀の鳥
目白鳥なきすぎゆけば朝静の庭木がうれに山雀の啼く
石菖の花咲くことを忘れゐきうすみどりなる石菖の花
道うへの井手に茂りて片なびく石菖草の風のかがやき
なめらかに水越えおつる濡石に鶺鴒ゐて啼く声きこゆ
ならび立つ赤松が根の下草のしげみの露に小鳥なくなり
わが宿のいで湯の湯気のすゑのびて谷むかひなる杉山に見ゆ
吊橋の上は木立のさびしさよ川下とほき瀬瀬の月かげ
瀬瀬に立つ石のまろみをおもふかな月夜さやけき谷川の音に
鉄瓶のふちに枕しねむたげに徳利かたむくいざわれも寝む(深夜独酌)
梨の木にまとふ藤蔓咲きいでて梨かとぞまがふ梨の花のあひに
茂り葉にこもりて白き房花の咲きしだれたる茂り葉馬酔木
雪なせるみじかき房のすずなりに咲きて垂りたり馬酔木の花は
岩ごとにせまりて白き瀬をなせるたぎつ谷川に釣る山魚なり
青あらし吹き落ち来る谷川の椎の木かげをゆき行きて釣る
川下ゆ釣りもて来る二人づれの釣るとも見えず飽くとしもせぬ
踏みわたる石のかしらの冷やかさ身にしむ瀬瀬に河鹿なくなり
なめらかに石こゆる瀬にまひあそぶ羽虫とりつつ啼くや河鹿は
山の蔭日ざしかげれば谷川のひびきも澄みて河鹿なくなり
照り澄める春くれがたの日のいろにひたりて立てるとりどりの木よ
なびきあふとりどりの木のいろどりや春くれがたの嵐吹く山
山そばのかけ橋わたる春の日に匂ふ若葉のなかのかけ橋
山そばのかけ橋わたるわれの上に啼きすましたるうぐひすの声
湯げむりの立ちおほひたる谷あひの湯宿を照らす春の夜の月
まなかひに見るおもひして我妹子に文かきをれば河鹿なくなり(二首妻へ)
やよ汝が心かよわさ清らかさ山ざくらの花に似ずと云はめやも
井手の鮎子
大川を堰ける野中の井手に入りて浅瀬におよぐ鮎の子の見ゆ
うすらかに道の埃のまひ浮び水皺寄る瀬におよぐ鮎見ゆ
水を掩ふ薮いたどりの葉かげなる羽虫に跳ぬる鮎の子の群
うちむれておよぐ鮎子にほどのよき井手の流の瀬のつよみかな
この春の日照をおほみ石垢の深き浅瀬をおよぐ鮎子等
なめらかになびく川藻のひとふさのなびける蔭をゆける鮎の子
なめらけき尾鰭のふりや浅き瀬の石の垢つつく鮎の子がふり
なめらかに日のさす石のかげにゐて尾鰭さやけくおよぐ鮎の子
大御姿
或る日の新聞に皇太子殿下の御肖像を大きやかなる写真版として掲げたり、乃ら壁にかかげ仰ぎまつりて歌へる歌。
かむながら神のみすゑにましまして親しき君におはすかしこさ
わが兄子といはまほしきぞかしこかる大みすがたにむかひまつりて
しもじものわれ等がまをす言の葉も聴かせたまふとおもふかしこさ
久方のあめのもなかを渡る日のはればれしさに君はおはせり
山川も寄りてつかへむををしさをもたせますかも大みすがたに
おほどかにゑみておはせばあなかしこゆたけきおもひわれらもぞする
事しげき御代をはるけくのぞまして笑ませたまふか大みすがたは
この国ぞ若しかぐはししろしめす日嗣の皇子をいま見るがごと
大野原の初夏
富士の麓大野原の秋は既に知りぬ、初夏の野原のながめいかならむとて六月初めまた其処に遊ぶ。
真日中の日蔭とぼしき道ばたに流れ澄みたる井手のせせらぎ
道にたつ埃を避けて道ばたの桑の畑ゆけば桑の実ぞおほき
桑の実を摘みて食べつつ染まりたる指さきかはゆ童さびして
土ほこりうづまき立つや十あまり荷馬車すぎゆく夏草の野路に
埃たつ野中のみちをゆきゆきて聞くはさびしき頬白の鳥
道ばたの埃かむりてほの白く咲く野茨の香こそ匂へれ
熟れわたる麦のにほひは土埃まひ立つ道に流れたるかな
白うつぎ紅うつぎ咲く野の薮の茂みに居りてうぐひすの啼く
麦の穂のみなかきたれてふくみたる夕日のいろのなやましきかな
麦畑のひとところ風の吹きたてば夕日は乱るその穂より穂に
日をひと日富士をまともに仰ぎ来てこよひを泊る野の中の村
ゆふぐれの山の青みにこもりゐて啼きほほけたるくろつがの鳥
ひそやかにものいひかくる啼声のくろつがの鳥を聞きて飽かなく
暁をうすら白雲わき出でていよよみどりなる若杉の山
杉山の若き立木のくきやかに青みつらなれり山のなぞへに
朝山のみどりが下の道ゆけば露ふりこぼす百鳥のこゑ
草の穂にとまりて啼くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は
青草を抜き出でて立てる去年の秋の萩にゐて啼く巣立の鳥は
此処の野にいま咲く花はただ一いろ紅うつぎの木のくれなゐの花
ゆくりなく夏野が原にあらはれし真黒き犬は遠くより吠ゆ
夏草の大野をこめて白雲のみだれむとする夏のしののめ
雲雀なく声空にみちて富士が嶺に消残る雪のあはれなるかな
相添ひて啼きのぼりたる雲雀ふたつ啼きのぼりゆく空の深みへ
寄り来りうすれて消ゆる水無月の雲たえまなし富士の山辺に
張りわたす富士のなだれのなだらなる野原に散れる夏雲のかげ
夏雲はまろき環をなし富士が嶺をゆたかに巻きて真白なるかも
富士が嶺の裾野なぞへ照したる今宵の月は暈をかざせり
みじか夜
夜ふかくもの書きをれば庭さきに鳴く夏虫の声のしたしさ
降りたてば庭の小草のつゆけきに蛙子のとぶ夏のしののめ
みじか夜の明けやらぬ闇にかがまりてものの苗植うる人のかげみゆ
まだ起きぬひとの庭べに露をおびてさやかに咲ける夏草の花
あかつきをいまだともれる電灯の灯かげはうつる庭のダリヤに
馬追虫
やすらかに足うち伸ばしわが聞くや蚊帳に来て鳴く馬追虫を
めづらしく蚊帳にきて今なきいでし馬追虫の姿をぞ思ふ
家人のねむりは深し蚊帳にゐて鳴く馬追よこゑかぎり鳴け
木槿の花
はしり穂のみゆる山田の畔ごとに若木の木槿咲きならびたり(その一)
畑の隈風よけ垣の木槿の花むらさきふかく咲きいでにけり(その二)
風よけと山田の畔に垣なせる木槿の花はひとり咲きたり
鋤きすててものまだ植ゑぬ秋旱木槿は畔に咲きさかりたり
雑 詠
うちしぶき庭を掩ひて降りしきるゆふだち雨に匂ひ立つ土
草木うつ雨はきこえてうす青き黄昏の色部屋をこめたり
花園の花のしげみを抜き出でてゆたかに咲ける向日葵の花、
このあたり風のつめたき山蔭に咲きてあざやけきみそ萩の花
秋づけどまだもろ草の青かるをぬき出でて咲けるみそはぎの花
秋を咲く何百合ならむ山沢の草むらがくれくれなゐに咲く
女郎花咲きみだれたる野辺のはしに一むら白きをとこへしの花
曼珠沙華いろふかきかも入江ゆくこれの小舟の上よりみれば
わが越ゆる岡の道辺のすすきの穂まだわかければ紅ふふみたり
粟の穂はみだれなびかふ暴風雨あとのしめりおびたるあかつきの風に
西日さす窓の明るさにつつまれておもひつつをれば友ぞ恋しき
いかでかは出でて見ざらめ庭木おらぶこの風の日にゆく飛行機を
畑毛温泉にて
人の来ぬ夜半をよろこびわが浸る温泉あふれて音たつるかも
わが肌のぬくみといくらもかはらざるぬるきいで湯は澄みて湛へつ
夜ふけて入るがならひとなりし湯のぬるきもそぞろ安けくてよし
長湯して飽かぬこの湯のぬるき湯にひたりて安きこころなりけり
つぎつぎに出でし欠伸もいでずなりて心は澄みぬ夜半の湯槽に
夜のふけをぬるきこの湯にひたりつつ出でかねてをればこほろぎ聞ゆ
田づらより低き湯殿にひびきくる夜半の田面のこほろぎのこゑ
温泉村湯げむり立てり露に伏す田づらの稲の白きあしたを
庭さきの稲田におつるわが宿のいで湯のけむり露とむすべり
うちわたす箱根山なみ山の背のまろきにかかるあかつきの雲
めづらしき今朝の寒さよおもはざる方には富士の高く冴えゐて
垂穂田の稲田のさきの低山にくろずみ深き楢櫟の木
あるとなきかすけき蕾山茶花にふふめるを今朝見つけたりけり
沢につづく此処の小庭にうつくしき翡翠が来て柘榴にぞをる
なにげなく聞きゐし雨のいとどしく降りひびくかも酒尽くるころを(深夜独酌)
蚊帳ごしの灯をみてをれば暁を聞え来るなり遠寺の鐘
物音もなきあかつきの静もりにひびきてながきとほ寺の鐘
ゆくりなく聞く遠寺の鐘の音にをさなきこころ湧きてかなしも
をちこちに百舌鳥啼きかはし垂穂田の田づらは露に伏し白みたり
湯の尻の沼のへりなる荻むらに今朝おく露はしとどなるかも
わが俥濡れてぞ通る里道の道ばたの草の露のしげきに
めづらしく俥が通る里みちにみのり伏したり秋草の穂は
山の根の里道をゆくわが俥走るとせねば啼く鳥きこゆ
今朝晴るる秋のよわき日水に射してかすかなるかも浮草の花
浮草の花ひとつ浮びかがやきて水泥は深し水づくその葉に
ながめゐて眼ぞまどふなる草むらの露草の花の花のしげきに
ひこばえの木槿たけ低し露草の咲きさかる中に花をひらきて
尾張犬山城
犬山の城に登り立ちわが見るや尾張だひらの秋のくもりを
桑畑の中をすぎ来てかへりみる犬山の城は秋霞せり
同所犬山焼とて陶器を産す、その竈のひとつに到り友人たちと楽焼を試む。
立ち入れば陶器つくりが小屋のうちうす暗き奥に素焼はならぶ
並べたるなかゆとりいで塵を払へばましろなるかも素焼の甕は
とりどりに影を落してならびたり陶器つくりが庭の白甕
火を入れぬ竃のすがたのさびたるに射して静けき秋の日のかげ
紅葉の歌
十月十四日より十一月五日まで信濃上野下野諸国の山谷を歴巡る。「紅葉の歌」より「鳴虫山の鹿」に到るまでその旅にて詠み出でたるなり。
枯れし葉とおもふもみぢのふくみたるこの紅ゐをなにと申さむ(その一)
露霜の解くるが如く天つ日の光をふくみにほふもみぢ葉
ゆくりなく梢はなれてまひうかぶひと葉のもみぢ玉と照りたり
渓川の真白川原にわれ等ゐてうちたたへたり山の紅葉を
神無月まだ散りそめぬもみぢ葉のあまねき山のかなしかりけり
鏡なすけふのこころに照りうつる深山の紅葉かなしかりけり
もみぢ葉のいま照りにほふ秋山の澄みぬる姿さびしとぞ見し
しめりたる落葉を踏みてわが急ぐ向ひの山に燃ゆるもみぢ葉(その二)
わが急ぐ山より見ればむかつ山ゆふ日に燃ゆるもみぢなりけり
見おろせば迫りて深き山峡のかげりつめたき森のもみぢ葉
啄木鳥と鷹
落葉松の苗を植うると神代ぶり古りぬる楢をみな枯らしたり
楢の木ぞ何にもならぬ醜の木と古りぬる木木をみな枯らしたり
木木の根の皮剥ぎとりて木木をみな枯木とはしつ枯野とはしつ
伸びかねし荒野が原の落葉松は枯薄よりいぶせくぞ見ゆ
下草の薄ほほけて光りたる枯木が原の啄木鳥のこゑ
枯るる木にわく虫けらをついばむときつつきは啼く此処の林に
啄木鳥のたむろどころとつどひたる枯木が原のきつつきの声
立枯の木木しらじらと立つところたまたまにしてきつつきのとぶ
きつつきの声のさびしさ飛び立つとはしなく啼ける声のさびしさ
くれなゐの胸毛を見せてうちつけに啼くきつつきの声のさびしさ
白木なす枯木が原のうへにまふ鷹ひとつ居りてきつつきは啼く
ましぐらにまひくだり来てものを追ふ鷹あらはなり枯木が原に
とびうつる枯木が原のきつつきのするどきすがた光りたらずや
さかり来てきけばさびしききつつきの啼く音はつづく枯木が原に
耳につくきつつきの声あはれなり啼けるを遠くさかりきたりて
枯野の落栗
夕日さす枯野が原のひとつ路わがいそぐ路に散れる栗の実
音さやぐおち葉が下に散りてをるこの栗の実の色のよろしさ
柴栗の柴の枯葉のなかばだに如かぬちひさき栗の味よさ
おのづから干てかち栗となりてをる野の落栗の味のよろしさ
この枯野猪も出でぬか猿もゐぬか栗うつくしう落ちたまりたり
かりそめにひとつ拾ひつ二つ三つひろひやめられぬ栗にしありけり
上州草津の湯に時間湯といふがありてただ三分間を限り入浴せしむ。
その湯ほぼ沸騰点に近き温度なれば、一浴室につどへる浴客おほよ
そ四五十名ばかりがおのおの長さ一間幅一尺ほどの板をもちて三十
分の間揉みにもみて湯をやはらぐ。湯を揉みつつ声を合せてうたへ
るうたのあはれさは一たび此処の湯を訪ひたる人の耳につきて離れ
ぬものなるべし。
このいで湯われ等生かすと病人のつどひ群れたる草津のいで湯
上野の草津の温泉いにしへゆ云ひつたへたる草津のいで湯
湧き昇る湯気雲なせる高原の草津のいで湯賑はへるかも
たぎち湧く草津のいで湯おほらかに湧きあふれつつ渓川となる
たぎり湧くいで湯のたぎりしづめむと病人つどひ揉めりその湯を
湯を揉むとうたへる唄は病人がいのちをかけしひとすぢの唄
上野の草津に来り誰も聞く湯揉の唄をきけばかなしも
ありとしも思はれぬ処に五戸十戸ほどの村ありてそれぞれに学校を設け子供たちに物教へたり。
つづらをり嶮しき坂をくだり来れば橋ありてかかる峡の深みに(小雨村)
おもはぬに村ありて名のやさしかる小雨の里といふにぞありける
蚕飼せし家にかあらむを壁をぬきて学校となしつもの教へをり
学校にもの読める声のなつかしさ身にしみとほる山里すぎて
人過ぐと生徒等はみな走せ寄りて垣よりぞ見る学校の庭の(大岩村)
われもまたかかりき村の学校にこの子等のごと通る人見き
先生の一途なるさまも涙なれ家十ばかりなる村の学校に(引沼村)
ひたひたと土踏み鳴らし真裸足に先生は教ふその体操を
先生のあたまの禿もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ
小学校けふ日曜にありにけり桜のもみぢただに散りゐて(四万湯原村)
山かげは日暮はやきに学校のまだ終らぬか本読む声す(永井村)
山の歌渓の歌
断崕にかよへる路をわが行けば天つ日は照る高き空より
路かよふ崖のさなかをわが行きてはろけき空をみればかなしも
木木の葉の染れる秋の岩山のそば路ゆくとこころかなしも
きりぎしに生ふる百木のたけ伸びずとりどりに深きもみぢせるかも
歩みつつこころ怯ぢたるきりぎしのあやふき路に匂ふもみぢ葉
わが急ぐ崖の真下に見えてをる丸木橋さびしあらはに見えて
散りすぎし紅葉の山にうちつけに向ふながめの寒けかりけり
しめりたる落葉がうへにわが落す煙草の灰は散りてましろき
とり出でて喫へる煙草におのづからこころはひらけわが憩ふかも
岩蔭の青渦がうへにうかびゐていろあざやけき落葉もみぢ葉
片寄りに青みをなせる岩渓の浅処にうかぶ落葉もみじ葉
こがらしの凪ぎぬるあとを夕焼す渓に落葉のうかび流れて
苔むさぬこの荒渓の岩にゐて啼くいしたたきあはれなるかも
高き橋此処にかかれりせまり合ふ岩山の峡のせまりどころに
いま渡る橋はみじかし山峡の迫りきはまれる此処にかかりて
古りし欄干ほとほととわがうちたたき渡りゆくかもこの古橋を
いとほしきおもひこそ湧け岩山の峡にかかれるこの古橋に
落葉と竜胆花
つづらをりはるけき山路登るとて路に見てゆくりんだうの花
うららかに峰は晴れたれわが登る山そばみちの路のゆくてに
踏みゆくよ上はかわきて下しめる山そばみちの深き落葉を
なかにありてくれなゐ深きこの落葉かへでにぞある踏み踏みてゆくに
散れる葉のもみぢの色はまだ褪せず埋めてぞをるりんだうの花を
さびしさよ落葉がくれに咲きてをる深山りんだうの濃むらさきの花
摘みとりて見ればいよいよ紫のいろの澄みたるりんだうの花
越ゆる人まれにしあれば石出でて荒き山路のりんだうの花
笹原の笹の葉かげに咲き出でて色あはつけきりんだうの花
雪の歌
十月十九日上野国吾妻郡花敷温泉といふに宿り翌朝出立す、夜のほどにあたりの山に雪の降り積みたれば詠める。
ひと夜寝てわが立ちいづる山かげのいで湯の村に雪ふりにけり
起き出でてみるあかつきの裏山の紅葉の山に雪ふりにけり
朝立ちの足もと暗し迫り合ふ峡間の路にはだら雪積み
上野と越後の国のさかひなる峰の高きに雪ふりにけり
今朝みるや峰峰かけてはだらかに雪ぞ降りたる初雪ならし
初雪にこの雪あらしあざやかに紅葉の山に降り積みにけり
はだらかに雪の見ゆるは桧の森の茂れる山に降れる故にぞ
桧の森の黒木の山にうすらかに降りぬる雪は寒げにし見ゆ
遠山の峰なる雪に天雲の影落つる見え寒けかりけり
鴨鳥の歌
上野の国より下野の国へ越えむとて片品川の水源林を過ぐ。
下草の笹のしげみの光りゐてならび寒けき冬木立かも
あきらけく日の射しとほる冬木立木木とりどりに色さび立てり
時知らず此処に生ひ立ち鋼なす老木をみればなつかしきかも
散りつもる落葉がなかに立つ岩の苔枯れはてて雪のごとみゆ
わが過ぐる落葉の森の木がくれに白根が嶽の岩山は見ゆ
遅れたる楓一もと照るばかりもみぢしてをり冬木がなかに
枯木なす冬木のはやし行きゆきてゆきあへる紅葉にこころ躍らす
この沢をとりかこみなす樅栂の黒木の山のながめ寒けき
聳ゆるは樅栂の木の古りはてし黒木の山ぞ墨色にみゆ
墨色にすめる黒木のとほ山にはだらに白き白樺ならむ
山上に沼あり、大尻沼といふ、折から鴨の鳥あまた浮べるを見て。
登り来しこの山あひに沼ありて美しきかも鴨の鳥浮けり
樅黒桧黒木の山のかこみあひて真澄める沼にあそぶ鴨鳥
見て立てるわれには怯ぢず羽根つらね浮きてあそべる鴨鳥の群
岸辺なる枯草しきてみてをるやまひ立ちもせぬ鴨鳥の群を
羽根つらね浮べる鴨をうつくしと静けしと見つつこころかなしも
山の木に風騒ぎつつ山かげの沼の広みに鴨のあそべり
浮草の流らふごとくひと群の鴨鳥浮けり沼の広みに
鴨居りて水の面あかるき山かげの沼のさなかに水皺よるみゆ
水皺よる沼のさなかにうかびゐて静かなるかも鴨鳥の群
おほよそに風に流れてうかびたる鴨鳥の群を見つつかなしも
風立てば沼の隅回のかたよりに寄りてあそべり鴨鳥の群
沼の岸全帯に石楠木生ひしげれり、おほく二三間の高さに及ぶ老木なり。
沼の縁におほよそ葦の生ふるごと此処に茂れり石楠木の木は
沼のへりの石楠木咲かむ水無月にまた見に来むぞ此処の沼見に
また来むとおもひつつさびしいそがしきくらしのなかをいつ出でて来む
天地のいみじきながめに逢ふ時しわが持ついのちかなしかりけり
日あたりにをりていこへど山の上の凍いちじるし今は行きなむ
中禅寺湖にて
裏山に雪の来ぬると湖岸の百木のもみぢ散りいそぐかも
見はるかす四方の黒木の峰澄みてこの湖岸のもみぢ照るなり
みづうみを囲める四方の山脈の黒木の森は冬さびにけり
下照るや湖辺の道に並木なす百木のもみぢ水にかがよひ
舟うけて漕ぐ人も見ゆみづうみの岸辺のもみぢ照り匂ふ日を
みづうみの照り澄むけふの秋の空に散りて別るる白雲のみゆ
とりどりの紅葉散りくるなかにはなの木といへる紅葉は色淡くして柔かなり、乃ち戯れて詠める。
はなの木の紅葉より濃き錦木のもみぢをよしと誰も云はなくに
鳴虫山の鹿
鳴虫山は大谷川を距て女峯山男体山に向ふ、折々その山にて鹿の鳴くを聞く事ありと友の言へるを聞きて。
聞きのよき鳴虫山はうばたまの黒髪山に向ふまろ山
鹿のゐていまも鳴くとふ下野の鳴虫山の峰のまどかさ
友が指す鳴虫山のまどかなる峰のもみぢは時過ぎてみゆ
枯草の荒野につづくいただきの鳴虫山の紅葉乏しも
今にして猟とどめずば美しき鹿が歩みを其処に見ずならむ
茸狩に行きて得狩らずかへるさのゆふ闇に鹿を聞きいでしとふ
夜ふけて鳴くといへれどをそごとぞ暮れ方にただ鹿はなくとふ
二声をつづけてあとをなかぬとふその鹿の声をわれもききたし
飲食其他
いつしらず飲食のことに心つかふわれのいのちとなりてゐにけり
いまは早やただにうましと食ひはせで命つよめむこと図るあはれ
飲む酒を止めなばこの身強くならむとおもふこころかなしかりけり
われに若しこの酒断たば身はただに生けるむくろとなりて生くらむ
寂しみて生けるいのちのただひとつの道づれとこそ酒をおもふに
とりどりに色うつくしく並びたれこの魚屋が籠のうちのもの
いきのよき烏賊はさしみに咲く花のさくら色の鯛はつゆにかもせむ
噛みしむるもののあぢはひわが肝にこたへてうましよき日ぞ今日は
日に三たびそのひとたびに食ふものに量りをおきて物食ふあはれ
すさまじくむさぼりくらふ子等がさまを嫉ましく父はながめをるなり
貧しくも飲食のことにことかかぬわが今日の日をよろこびとせむ
ゐつたちつする束の間もしづかなれおだやかなれと願ふこころぞ
掃く間なき此頃の部屋のちりほこりを立てじとわれの起居するなり
隙間よりもれゐて細き冬の日ざしをやごとなきものに眺めこそをれ
部屋にさす日ざしにまへる微塵にも静けきこころ湧ける今日なり
物書ける机のそばの窓ガラスの冬の日ざしに居る蝿の虫
夜もいねでただに為事をつづくればえならぬものにおもふ炭火ぞ
沸きおそきこの湯を待てば寒き夜の夜為事のあひに頭痛めり
枕許にかならず置きて寝るくせとなりぬる時計あはれなるかも
貧しくて時を惜しめば命さへみじかきものに思ひなさるれ
命を惜しむ歌
水汲むと井戸よりみれば散りしける落葉の庭に霜の明るさ
衰ふるいのちとどむと朝朝をとく起きいでて水浴ぶるあはれ
身を強めむねがひを持ちてわが浴ぶる水のひびきぞ身にこたふなる
寒の水に身はこほれども浴び浴ぶるひびきにこたへ力湧き来る
浴び浴ぶる水身にしみて血のいろのあざやけきおのが肌となりたれ
浴び浴びてわが立ちたれば身体よりしたたる水の湯気たつるなり
水はもよ豊かにしあれ浴び浴びてなほゆたゆたに余らむがほど
明るしとすなはち思ふ寒の水を浴びはてし時のわれのこころを
水あびて眉にしたたる雫みればわがたましひも澄む心地すれ
朝ごとに垢あらひおとしあからひくおのが身体を見るはたのしき
鋭心ぞおのづといづる寒の水浴びはててわが起ちあがるとき
物怯ぢを子等がするごとわれとわがいのちを持てるあはれなりけり
散れる葉のいろあざやけき冬凪ぎのあかるき庭に立てばたのしも
やがていま梅の咲かむとおもふころをすがれて菊の花咲きてゐる
日の色を含み散り敷く枯松葉のあたらしき葉ぞ庭の霜の上に
冬 凪
窓にさす午後の日ざしに心うきて立ちいづる庭にみそさざい鳴く
すがれつつなほ咲く菊の根がたなる枯葉のかげにみそさざい鳴く
すがれ咲く菊よりとびてみそさざい梅の枯枝にあらはなりけり
さしかはす桜の枝の冬さびにうすあかねさせりけふ出でてみれば
門さきの麦田のつちは乾きたりこの冬凪のつづく日和に
いちはやく箱根の山のすがれ野を焼ける煙見ゆ今日の凪げるに
冬なぎに出でてわがみる富士の嶺の高嶺の深雪かすみたるかも
草枯れし畦みちをゆくわがむすめくれなゐの帯を結びたるかも
友をおもふ歌
知れる人みななつかしくなりきたるこのたまゆらのかなしかりけり
いま来よと云ひ告げやらば為し難き事をして来む友をしぞおもふ
をち方に離りゐる友をおもふ時かがやく珠をおもひこそすれ
何事のあるとなけれど逢はざればこころはかわく逢はざらめやも
逢ひてただ微笑かはしうなづかば足りむ逢なり逢はざらめやも
寂しきに耐へて彼をりさびしきにたへてわれをり逢はざらめやも
あやふかるいのちを持ちておのもおのも生きこらへたり逢はざらめやも
自が肝をみづからくらふときめきを彼とあふ時しつねにしおぼゆ
恋ひ恋ふる鋭心もてり彼も持てり逢はずしあらば錆びかはつらむ
寂しさにおのおの耐へて在り経つついつか終りとならむとすらむ
行き逢ひて別れ去りしかいつしかに影もわかたずなりし友おほし
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