あこがれ
石川啄木著
此書を
尾崎行雄氏
に献じ併て遥に
故郷の山河
に捧ぐ
啄木
上田敏
婆羅門の作れる小田を食む鴉、
なく音の、耳に慣れたるか、
おほをそ鳥の名にし負ふ
いつはり声のだみ声を
又なき歌とほめそやす
木兎、梟や椋鳥の
ともばやしこそ笑止なれ。
聞かずや、春の山行に
林の奧ゆ、伐木の
丁々として、山更に
なほも幽なる山彦を。
こはそも仙家の斧の音か、
よし足引の山姥が
めぐりめぐれる山めぐり、
輪廻の業の音づれか、
いなとよ、ただの鳥なれど、
赤染いろのはねばうし、
黒斑、白斑のあや模様、
紅梅、朽葉の色許りて、
なに思ふらむ、きつつきの
つくづくわたる歌の枝。
げに虚なる朽木の
幹にひそめるけら虫は
風雅の森のそこなひぞ、
鉤けて食ひね、てらつつき。
また人の世の道なかば
闇路の林ゆきまよふ
誠の人を導きて
歓楽山にしるべせよ。
噫、あこがれの其歌よ、
そぞろぎわたり、胸に泌み、
さもこそ似たれ、陸奥の
卒都の浜辺の呼子どり
なくなる声は、善知鳥、安潟。
(目次省略)
沈める鐘(序詩)
一
混沌霧なす夢より、暗を地に、
光を天にも劃ちしその曙、
五天の大御座高うもかへらすとて、
七宝花咲く紫雲の『時』の輦
瓔珞さゆらぐ軒より、生と法の
進みを宣りたる無間の巨鐘をぞ、
永遠なる生命の証と、海に投げて、
蒼穹はるかに大神知ろし立ちぬ。
時世は流れて、八百千の春はめぐり、
栄光いく度さかえつ、また滅びつ、
さて猶老なく、理想の極まりなき
日と夜の大地に不断の声をあげて、
(何等の霊異ぞ)劫初の海底より
『秘密』の響きを沈める鐘ぞ告ぐる。
二
朝に、夕に、はた夜の深き息に、
白昼の嵐に、擣く手もなきに鳴りて、
絶えざる巨鐘、──自然の胸の声か、
永遠なる『眠』か、無窮の生の『覚醒』か、──
幽かに、朗らに、或は雲にどよむ
高潮みなぎり、悲恋の咽び誘ひ、
小貝の色にも枯葉にさゝやきにも
ゆたかにこもれる無声の愛の響。
悵める心に、渇ける霊の唇に、
滴り玉なす光の清水めぐみ
香りの雲吹く聖土の青き花を
あこがれ恋ふ子に天なる楽を伝ふ
救済の主よ、沈める鐘の声よ。
ああ汝、尊とき『秘密』の旨と鳴るか。
三
ひとたび汝が声心の絃に添ふや、
地の人百たり人為の埒を超えて、
天馬のたかぶり、血を吐く愛の叫び、
自由の精気を、耀く霊の影を
あつめし瞳に涯なき涯を望み、
黄金の光を歴史に染めて行ける。
彫る名はさびたれ、かしこに、ここの丘に、
墓碣、──をしへのかたみを我は仰ぐ。
暗這う大野に裂けたる裾を曳きて、
ああ今聞くかな、天与の命を告ぐる
劫初の深淵ゆたゞよふ光の声。──
光に溢れて我はた神に似るか。
大空地と断て、さらずば天よ降りて
この世に蓮充つ詩人の王座作れ。
(甲辰三月十九日)
杜に立ちて
秋去り、秋来る時劫の刻みうけて
五百秋朽ちたる老杉、その真洞に
黄金の鼓のたばしる音伝へて、
今日また木の間を過ぐるか、こがらし姫。
運命せまくも悩みの黒霧落ち
陰霊いのちの痛みに唸く如く、
梢を揺りては遠のき、また寄せくる
無間の潮に漂ふ落葉の声。
ああ今、来りて抱けよ、恋知る人。
流転の大浪すぎ行く虚の路、
そよげる木の葉ぞ幽かに落ちてむせぶ。──
驕楽かくこそ沈まめ。──見よ、緑の
薫風いづこへ吹きしか。 胸燃えたる
束の間、げにこれたふとき愛の栄光。
(癸卯十一月上旬)
白羽の鵠船
かの空みなぎる光の渕を、魂の
白羽の鵠船しづかに、その青渦
夢なる櫂にて深うも漕ぎ入らばや。──
と見れば、どよもす高潮音匂ひて、
楽声さまよふうてなの靄の●(ハバヘン+「白」)を
透きてぞ浮きくる面影、(百合姫なれ)
天華の生襞●(オウヘン+「倉」)々あけぼの染、
常楽ここにと和らぐ愛の瞳。
運命や、寂寥児遺れる、されど夜々の
ゆめ路のくしびに、今知る、哀愁世の
終焉は霊光無限の生の門出。
瑠璃水たたえよ、不滅の信の小壷。
さばこの地に照る日光は氷るとても
高歓久遠の座にこそ導かるれ。
(癸卯十一月上旬)
啄木鳥
いにしへ聖者が雅典の森に撞きし、
光ぞ絶えせぬ天生『愛』の火もて
鋳にたる巨鐘、無窮のその声をぞ
染めなす『緑』よ、げにこそ霊の住家。
聞け、今、巷に喘げる塵の疾風
よせ来て、若やぐ生命の森の精の
聖きを攻むやと、終日、啄木鳥、
巡りて警告夏樹の髓にきざむ。
往きしは三千年、永劫猶すすみて
つきざる『時』の箭、無象の白羽の跡
追ひ行く不滅の教よ。──プラトー、汝が
浄きを高きを天路の栄と云ひし
霊をぞ守りて、この森不断の糧、
奇かるつとめを小さき鳥のすなる。
(癸卯十一月上旬)
隠 沼
夕影しづかに番の白鷺下り、
槙の葉枯れたる樹下の隠沼にて、
あこがれ歌ふよ。──『その昔、よろこび、そは
朝明、光の揺籃に星と眠り、
悲しみ、汝こそとこしへ此処に朽ちて、
我が喰み啣める泥土と融け沈みぬ』──
愛の羽寄り添ひ、青瞳うるむ見れば、
築地の草床、涙を我も垂れつ。
仰げば、夕空さびしき星めざめて、
偲びの光の、彩なき夢の如く、
ほそ糸ほのかに水底の鎖ひける。
哀歓かたみの輪廻は猶も堪えめ、
泥土に似る身ぞ。ああさは我が隠沼。
かなしみ喰み去る鳥さへえこそ来めや。
(癸卯十一月上旬)
人に捧ぐ
君が瞳ひとたび胸なる秘鏡の
ねむれる曇りを射しより、醒め出でたる、
瑠璃羽や、我が魂、日を夜を羽搏ちやまで、
雲渦ながるる天路の光をこそ
導きたる幻眩き愛の宮居。
あこがれ浄きを花靄匂ふと見て、
二人し抱けば、地の事破壊のあとも
追ひ来し理想の影ぞとほゝゑまるる。
こし方、運命の氷雨を凌ぎかねて、
詩歌の小笠に紅の緒むすびあへず、
愁ひの谷をしたどりて足悩みつれ、
峻しき生命の坂路も、君が愛の
炬火心にたよれば、黯き空に
雲間も行く如くぞ安らかなる。
(癸卯十一月十八日)
楽 声
日暮れて、楽堂萎れし瓶の花の
香りに酔ひては集へる人の前に、
こは何、波渦沈める蒼き海の
遠音と浮き来て音色ぞ流れわたる。──
霊の羽ゆたかに白鳩舞ひくだると
仰げば、一絃、忽ちふかき淵の
底なる嘆きをかすかに誘ひ出でゝ、
虚空を遥かに哀調あこがれ行く。
光と暗とを黄金の鎖にして、
いためる心を捲きては、遠く/\
見しらぬ他界の夢幻の繋ぎよする
力よ自由なる楽声、ああ汝こそ
天なる快楽の名残を地につたへ、
魂をしきよめて、世に充つ痛恨訴ふ。
(癸卯十一月卅日)
海の怒り
一日のつかれを眠りに葬らむとて、
日の神天より降り立つ海中の玉座、
照り映ふ黄金の早くも沈み行けば、
さてこそ落ち来し黒影、海を山を
領ずる沈黙に、こはまた、恐怖吹きて、
真暗にさめたる海神いかる如く、
巌鳴り砕けて、地を噛む叫号の声、
矢潮をかまけて、狂瀾陸を呪ふ。
寄するは夜の胞盾どる秘密の敵。──
堕落てはこの世に、暗なき遠き昔の
信のおとづれ囁やく波もあらで、
ああ人、眠れる汝等の額に、罪の
記徴を刻むと、かくこそ潮狂ふに、
月なき荒磯辺、身ひとり怖れ惑ふ。
(癸卯十二月一日)
荒 磯
行きかへり砂這ふ波の
ほの白きけはひ追ひつゝ、
日は落ちて、暗湧き寄する
あら磯の枯藻を踏めば、
(あめつちの愁ひか、あらぬ、)
雲の裾ながうなびきて、
老松の古葉音もなく、
仰ぎ見る幹からびたり。
海原を●(ホネヘン+「鳥」)かすめて
その羽音波の砕けぬ。
うちまろび、大地に呼べば、
小石なし、涙は凝りぬ。
大水に足を浸して、
黝ずめる空を望みて、
ささがにの小さき瞳と
魂更に胸にすくむよ。
秋路行く雲の疾影の
日を掩ひて地を射る如く、
ああ運命、下りて鋭斧と
胸の門割りし身なれば、
月負ふに痩せたるむくろ、
姿こそ浜芦に似て、
うちそよぐ愁ひを砂の
冷たきに印し行くかな。
(癸卯十二月三日夜)
夕 の 海
汝が胸ふかくもこもれる秘密ありて、
常劫夜をなす底なる泥岩影、
黒蛇ねむれる鱗の薄青透き、
無限の寂寞墓原領ずと云ふ。
さはこの夕和、何の意、ああ海原。
遠波ましら帆入日の光うけて
華やかにもまたしづまる平和、げに
百合花添へ眠る少女の夢に似るよ。
白塗かざれる墓には汚穢充つと
神の子叫びし。外装ぞはかないかな
花夢きえては女の胸罪の宿り、
夕和落ちては、見よ、海黒波わく。
酔はむや、再び。平和、──妖の酒に
咲き浮く泡なる。沈黙の白墓なる。
(癸卯十二月五日夜)
森の追懐
落ち行く夏の日緑の葉かげ洩れて
森路に布きたる村濃の染分衣、
涼風わたれば夢ともゆらぐ波を
胸這うおもひの影かと眺め入りて、
静夜光明を恋ふ子が清歓をぞ、
身は今、木下の百合花あまき息に
酔ひつつ、古事絵巻に慰みたる
一日のやはらぎ深きに思ひ知るよ。
遠音の柴笛ひびきは低かるとも
鋤負ふまめ人又なき快楽と云ふ。
似たりな、追懐、小さき姿ながら、
沈める心に白羽の光うかべ、
葉隠れひそみてささなく杜鵑の
春花羅綾褪せたる袖を巻ける
胸毛のぬくみをあこがれ歌ふ如く、
よろこび幽かに無間の調べ誘ふ。
野梅の葩溶きたる清き彩の
罪なき望みに雀躍り、木の間縫ひて
摘む花多きを各自に誇りあひし
昔を思へば、十年の今新たに
失敗の跡なく、痛恨の深創なく、
黒金諸輪の運命路遠くはなれ、
乳よりも甘かる幻透き浮き来て、
この森緑の揺籃に甦へりぬ。
胸なる小甕は『いのち』を盛るにたえて、
つめたき悲哀の塚辺に欠くるとても、
底なる滴に尊とき香残す
不滅の追懐まばゆく輝やきなば、
何の日霊魂終焉の朽あらむや。
啼け杜鵑よ、この世に春と霊の
きえざる心を君我れ歌ひ行かば、
歎きにかへりて人をぞ浄めうべし。
(癸卯十二月十四日稿。森は郷校のうしろ。この年の春まだ浅き頃、漂浪の子病を負ふて故山にかへり、薬餌漸く怠たれる夏の日、ひとり幾度か杖を曳きてその森にさまよひ、往時の追懐に寂蓼の胸を慰めけむ。極月炬燵の楽寝、思ひ起しては惆帳に堪へず、乃ちこの歌あり。)
おもひ出
翼酢色水面に褪する
夕雲と沈みもはてし
よろこびぞ、春の青海、
真白帆に大日射す如、
あざやかに、つばら/\に、
涙なすおもひにつれて
うかびくる胸のぞめきや。
ひとたびは、夏の林に
吹鳴らす小角の響きの
うすどよむけはひ装ひて、
みかりくら狩服人の
駒並めて襲ひくる如、
恋鳥の鳥笛たのしく
よろこびぞ胸にもえにし
燃えにしをいのちの野火と
おのづから煙に酔ひて、
花雲の天領がくり
あこがるる魂をはなてば、
小さき胸ちいさき乍ら
照りわたる魂の常宮、
瑯●(オウヘン+「干」)の宮柱立て、
瓔珞の透簾かけて、
ゆゆしともかしこく守る
夢の門。──門や朽ちけむ、
いつしかに砕けあれたる
宮の跡、霜のすさみや、
礎のたゞに冷たく。──
息吹けば君を包みし
紫の靄もほろびぬ。
ふたりしてほほゑみくみし
井をめぐる朝顔垣の
縄さへも、秋の小霧の
はれやらぬ深き湿りに
我に似て早や朽ちはてぬ。
ああされど、サイケが燭、
かげ揺れて恋の小胸に
蝋涙のこぼれて焼ける
いにしへの痛みは云はじ。
とことはに心きざめる
新創を、空想の羽の
彩羽もてつくろひかざり
白絹のひひなの君に
少女子のぬかづく如く、
うち秘めて斎き行かなむ
もえし血の名残の胸に。
(癸卯十二月末)
いのちの舟
大海中の詩の真珠
浮藻の底にさぐらむと、
風信草の花かほる
我家の岸をとめて漕ぐ
海幸舟の真帆の如
いのちの小舟かろやかに、
愛の帆章額に彫り、
鳴る青潮に乗り出でぬ。
遠海面に陽炎の
夕彩はゆる夢の宮、
夏花雲と立つを見て、
そこに、秘めたる天の路
ひらきもやする門あると、
貢する珠、歌の珠、
のせつつ行けば、波の穂と
よろこび深く胸を撼る。
悲哀の世の黒潮に
はてなく浮ぶ椰子の実の
むなしき殻と人云へど、
岸こそ知らね、死の疾風
い捲き起らぬうたの海、
光の窓に凭る神の
瑪瑙の盞の覆らざる
うまし小舟を我は漕ぐかな。
(甲辰一月十二日夜)
孤 境
老樫の枯樹によりて
墓碣の丘辺に立てば、
人の声遠くはなれて、
夕暗に我が世は浮ぶ。
想ひの羽いとすこやかに
おほ天の光を追へば、
新たなる生花被衣
おのづから胸をつつみぬ。
苔の下やすけくねむる
故人のやはらぎの如、
わが世こそ霊の聖なる
白靄の花のあけぼの。
いたみなき香りを吸へば、
つぶら胸光と透きぬ。
花びらに袖のふるれば、
愛の歌かすかに鳴りぬ。
ああ地に夜の荒みて
黒霧の世を這ふ時し、
わが息は天に通ひて、
幻の影に酔ふかな。
(甲辰一月十二日夜)
錦 木 塚
(昔みちのくの鹿角の郡に女ありけり。よしある家の流れなればか、かかる辺つ国はもとより、都にもあるまじき程の優れたる姿なりけり。日毎に細布織る梭の音にもまさりて政子となむ云ふなる其名のをちこちに高かりけり。隣の村長の子がいつしかみそめていといたう恋しにけるが、女はた心なかりしにあらねど、よしある家なれば父なる人のいましめ堅うて、心ぐるしうのみ過してけり。長の子ところの習はしのままに、女の門に錦木を立つる事千束に及びぬ。ひと夜一本の思ひのしるし木、千夜を重ねては、いなかる女もさからひえずとなり。やがて千束に及びぬれど政子いつかなうべなふ様も見えず。男遂に物ぐるほしうなりて涙川と云ふに身をなくしてけり。政子も今は思ひえたえずやなりけむ、心の玉は何物にも代へじと同じところより水に沈みにけり。村人共二人のむくろを引き上げて、つま恋ふ鹿をしぬび射にするやつばら乍らしかすがにこのことのみにはむくつけき手にあまる涙もありけむ、ひとつ塚に葬りりて、にしき木塚となむ呼び伝へける。花輪の里より毛馬内への路すがら今も旅するひとは、涙川の橋を渡りて程もなく、草原つづきの丘の上に、大きなる石三つ計り重ねて木の柵など結ひたるを見るべし。かなしとも悲しき物語のあとかた、草かる人にいづこと問へばげにそれなりけり。伝へいふ、昔年々に都へたてまつれる陸奥の細布と云ふもの、政子が織り出しけるを初めなりとかや。)
にしき木の巻
槙原に夕草床布きまろびて
淡日影旅の額にさしくる丘、
千秋古る吐息なしてい湧く風に
ましら雲遠つ昔の夢とうかび、
彩もなき細布ひく天の極み、
ああ今か、浩蕩なる蒼扉つぶれ
愁知る神立たすや、日もかくろひ、
その命令の音なき声ひびきわたり、
枯枝のむせび深く胸をゆれば
窈冥霧わがひとみをうち塞ぎて、
身をめぐる幻、──そは百代遠き
辺つ国の古事なれ。ここ錦木塚。
立ちかこみ、秋にさぶる青垣山、
生くる世は朽葉なして沈みぬらし。
吹鳴せる小角の音も今流れつ、
狩馬の蹄も、はた弓弦さわぐ
をたけびもいと新たに丘をすぎぬ。
天さかる鹿角の国、遠いにしへ、
茅葺の軒並めけむ深草路を、
ああその日麻絹織るうまし姫の
柴の門行きはばかる長の若子、
とぢし目は胸戸ふかき夢にか凝る、
うなたれて、千里走る勇みも消え、
影の如たどる歩みうき近づき来る
和胸も愛の細緒繰りつむぐか、
はた秋の小車行く地のひびきか。
梭の音せせらぎなす蔀の中
愁ひ曳く歌しづかに漂ひくれ。
え堪へでや、小笛とりて戸の外より
たど/\に節あはせば、歌はやみぬ。
くろがねの柱ぬかむ力あるに
何しかもこの袖垣くぢきえざる。
恋つつも忍ぶ胸のしるしにとて
今日もまた錦木立て、夕暗路を、
花草にうかがひよる霜の如く、
いと重き歩みなして今かへり去るよ。
八千束のにしき木をばただ一夜に
神しろす愛の門に立て果つとも、
束縛の荒縄もて千捲まける
女の胸は珠かくせる磐垣淵、
永き世を沈み果てて、浮き来ぬらし。
真黒木に小垣結へる哭沢辺の
神社にして、三輪据え、祈る奈良の子らが
なげきにも似つらむ我がいたみはもと、
長の子のうちかなしむ歌知らでか、
梭の音胸刻みて猶流るる。
男のなげく怨みさはに目にうつれば、
涙なす夕草露身もはらひかねつ。
のろひ矢の巻(長の子の歌)
わが恋は、波路遠く丹曽保船の
みやこ路にかへり行くを送る旅人が
袖かみて荒磯浦に泣きまろぶ
夕ざれの深息にしたぐへむかも。
夢の如影消えては胸しなえて、
あこがるゝ力の、はた泡と失せぬ。
遠々き春の野辺を、奇琴なる
やは風にさまされては、猶夢路と
玉蜻と白う揺るゝおもかげをば
追ふなべに、いづくよりか狭霧落ちて、
砂漠のみちこと/゛\閉ぢし如く、
小石なす涙そでに包み難し。
しるしの木妹が門に立てなむとて
千代あまり聞きなれたる梭の音の
ああそれよ、生命刻む鋭き氷斧か。
はなたれて行方知らぬ猟矢のごと、
前後暗こめたる夜の虚に
あてもなく滅び去なん我にかある。
新衣映く被き花束ふる
をとめらに立ちまじりて歌はむ身も、
かたくなと知らず、君が玉の腕
この胸にまかせむとて、心たぎり、
いく百夜ひとり来ぬる長き路の
さてはただ終焉に導く綱なりしか。
呪ひ矢を暗の鳥の黒羽に矧ぎ、
手にとれど、瑠璃のひとみ我を射れば、
腕枯れて、強弓弦をひく手はなし。
三年凝るうらみの毒、羽にぬれるも
かひなしや、己が魂に泌みわたりて
時じくに膸の水の涸れうつろふ。
愛ならで、罪うかがふ女の心を
きよむべき玉清水の世にはなきを、
なにしかも、暁の庭面水錆ふかき
古真井に身を浄めて布を織るか。
梭の手をしばし代へて、その白苧に
丹雲なしもゆる胸の糸添へずや。
ああ願ひ、あだなりしか、錦木をば
早や千束立てつくしぬ。あだなりしか。
朝霜の蓬が葉に消え行く如、
野の水の茨が根にかくるゝ如、
色あせし我が幻、いつの日まで
沈淪わく胸に住むにたへうべきぞ。
わが息は早や迫りぬ。黒波もて
魂誘ふ大淵こそ、霊の海に
みち通ふ常世の死の平和なれ。
うらみなく、わづらひなく、今心は
さながらに大天なる光と透く。
さらば姫、君を待たむ天の花路。
梭の音の巻 (政子の歌)
さにずらひ機ながせる雲の影も
夕暗にかくれ行きぬ。わがのぞみも
深黒み波しづまる淵の底に
泥の如また浮きこずほろび行きぬ。
涙川つきざる水澄みわしれど、
往きにしは世のとこしへ手にかへらず。
人は云ふ、女のうらみを重き石と
胸にして水底踏める男の子ありと。
枯蘆のそよぐ歌に、葉のこと/゛\、
我をうらみ、たえ/゛\なす声ぞこもれ。
見をろせば、暗這ふ波ほのに透きて
我をさそふ不知界のさまも見ゆる。
真袖たち、身を浄めて長年月、
祈りぬる我が涙の猶足らでか、
狂ほしや、好きに導けと頼みかけし
一条の運命の糸、いま断たれつ。
来ずあれと待ちつる日ぞ早や来りぬ。
かねてより捧げし身、天のみちに
美霊のあと追はむはやすかれども、
いと痛き世のおもひ出また泣かるる。
石戸なす絆累かたき牢舎にして
とらはれの女のいのち、そよ、古井に
あたたかき光知らず沈む黄金、
かがやきも栄えも、とく錆の喰みき。
鹿聞くと人に供せし湯の沢路
秋摺りの錦もゆるひと枝をば
うち手折り我がかざしにさし添へつつ、
笑ませしも昨日ならず、ああ古事。
半蔀の明りひける狭庭の窓、
糸の目を行き交ひする梭の音にも、
いひ知らず、幻湧き、胸せまりて、
うとき手は愁ひの影添ふに痩せぬ。
ほだし、(ああ魔が業なれ。)眼を鋭く
みはり居て、我が小胸は萎え果てき。
その響き、心を裂く梭をとりて
あてもなく泣き祈れる我は愚かや
心の目内面にのみひらける身は、
霊鳥の隠れ家なる夢の国に
安き夜を眠りもせず、醒めつづけて、
気の沮む重羽搏に血は氷りぬ。
錦木を戸にたたすと千夜運びし
我が君の歩ます音夜々にききつ。
その日数かさみ行くを此いのちの
極み知る暦ぞとは知らざりけれ。
恋ひつつも人のうらみ生矢なして
雨とふる運命の路など崢しき。
なげかじとすれど、あはれ宿世せまく
み年をか辿り来しに早や涯なる。
瑞風の香り吹ける木蔭の夢、
黒霧の夢と変り、そも滅びぬ。
絶えせざる思出にぞ解き知るなる
終の世の光、今か我がいのちよ。
玉鬘かざりもせし緑の髪
切りほどき、祈り、淵に投げ入るれば、
ひろごりて、黒綾なす波のおもて、
声もなく、夜の大空風もきえぬ。
枯藻なす我が髪いま沈み入りぬ。──
さては女のうらみ生きて、とはの床に
夫が胸をい捲かむとや、罪深くも。──
青火する死の吐息ぞここに通ふ。
ひとつ星目もうるみて淡く照るは、
我を待つと浩蕩の旅さぶしむ夫か。
愛の宮天の花の香りたえぬ
苑ならで奇縁を祝ぐ世はなし。
いざ行かむ、(君しなくば、何のいのち。)
悵み充つ世の殻をば高く脱けて、
安息に、天台に、さらばさらば、
我が夫在す花の床にしたひ行かむ。
(甲辰の年一月十六、十七、十八日稿。この詩もと前後六章、二人の死後政子の父の述懐と、葬りの日の歌と、天上のめぐり合ひの歌とを添ふべかりしが、筆を措きしよりこゝ一歳、興会再び捉へ難きがまゝに、乍遺憾前記三章のみをこの集に輯む。)
鶴飼橋に立ちて
(橋はわがふる里渋民の村、北上の流に架したる吊橋なり。岩手山の眺望を以て郷人賞し措かず。 春暁夏暮いつをいつとも別ち難き趣あれど、我は殊更に月ある夜を好み、友を訪ふてのかへるさなど、幾度かこゝに低回微吟の興を擅にしけむ。)
比丘尼の黒裳に襞そよ/\
薫ずる煙の絡む如く、
川瀬をながるる暗の色に
淡夢必(ママ)の面●(ハバヘン+「白」)して、
しづかに射しくる月の影の
愁ひにさゆらぐ夜の調、
息なし深くも胸に吸へば、
古代の奇琴音をそへて
蜻火湧く如、瑠璃の靄の
遠宮まぼろし鮮に透くよ。
八千歳天裂く高山をも、
夜の帳とぢたる地に眠る
わが児のひとりと瞰下しつゝ、
大鳳生羽の翼あげて
はてなき想像の空を行くや、
流れてつきざる『時』の川に
相噛みせめぎてわしる水の
大波浸さず、怨●(クチヘン+「差」)きかず、
光と暗とを作る宮に
詩人ぞ聖なる霊の主
見よ、かの路なき天の路を
雲車のまろがりいと静かに
(使命や何なる)曙の神の
跡追ひ駆けらし、白葩
桂の香降らす月の少女、
(わが詩の驕りのまのあたりに
象徴り成りぬる栄のさまか。)
きよまり凝りては瞳の底
生火の胸なし、愛の苑に
石神立つごと、光添ひつ。
尊ときやはらぎ破らじとか
夜の水遠くも音沈みぬ。
そよぐは無限の生の吐息、
心臓のひびきを欄につたへ、
月とし語れば、ここよ永久の
詩の領朽ちざる鶴飼橋。
よし身は下ゆく波の泡と
かへらぬ暗黒の淵に入るも
わが魂封じて詩の門守る
いのちは月なる花に咲かむ。
(甲辰一月二十七日)
落瓦の賦
(幾年の前なりけむ、猶杜陵の学舎にありし頃、秋のひと日友と城外北邱のほとりに名たゝる古刹を訪ひて、菩提老樹の風に嘯ぶく所、琴者胡弓を按じて沈思頗る興に入れるを見たる事あり。年進み時流れて、今寒寺寂心の身、一夕銅鉦の揺曳に心動き、追懐の情禁じ難く、乃ち筆を取りてこの一篇を草しぬ。)
時の進みの起伏に
(かの音沈む磬に似て、)
反れて千年をかへらざる
法の響を、又更に、
灰冷えわたる香盤の
前に珠数繰る比丘尼らが
細き頒歌に呼ぶ如く、
今、草深き秋の庭、
夕べの鐘のただよひの
幽かなる音をともなひて、
古りし信者の名を彫れる
苔も彩なき朽瓦、
遠き昔の夢の跡
語る姿の悵ましう
落ちて脆くも砕けたり。
立つは伽藍の壁の下、──
雨に、嵐に、うたかたの
罪の瞳を打とぢて
胸の鏡に宿りたる
三世の則の奇しき火を
怖れ尊とみ手を合はせ
うたふて過ぎし天の子の
袖に摺れたる壁の下。──
ゆうべ色なく光なく
白く濁れる戸に凭りて、
落ちし瓦の破片の上
旅の愁の影淡う
長き袂を曳きつつも、
転手やはらに古琴の
古調一弾、いにしへを
しのぶる歌を奏でては、
この世も魂ももろともに
沈むべらなる音の名残
わづかに動く菩提樹の
千古の老のうらぶれに
咽ぶ百葉を見あぐれば、
古世の荒廃いと重く
新たに胸の痛むかな。
あはれ、白蘭谷ふかく
馨るに似たる香焚いて、
紫雲の法衣揺れぬれば、
起る鉦鼓の荘厳に
寂びあるひびき胸に泌み、
すがた整ふ金龍の
燭火の影に打ゆらぐ
宝樹の柱、さては又
ゆふべ/\を白檀の
薫りに燻り、虹を吐く
螺鈿の壁の堂の中、
無塵の衣帯緩う
慈眼涙にうるほへる
長老の呪にみちびかれ、
裳裾静かにつらなりて、
老若の巡礼群あまた、
香華ささぐる子も交り、
礼讃歌ふ夕の座の
百千の声のどよみては、
法の栄光の花降らし、
春の常影の瑞の雲
靆くとばかり、人心
融けて、浄土の寂光を
さながら地に現じけむ
驕盛の跡はここ乍ら、
(信よ、荒磯の砂の如、
もとの深淵にかくれしか、
果たや、流転の『時』の波
法の山をも越えけむか。)
残んの壁のたゞ寒く、
老樹むなしく黙しては、
人香絶えたる霊跡に
再び磬の音もきかず、
落つる瓦のたゞ長き
破壊の歴史に砕けたり
似たる運命よ、落瓦。
(めぐるに速き春の輪の
いつしか霜にとけ行くを、)
ああ、ああ我も琴の如、──
暗と惑ひのほころびに
ただ一条のあこがれの
いのちを繋ぐ光なる、──
その絃もろく断へむ日は、
弓弦はなれて鵠も射ず、
ほそき唸りをひびかせて
深野に朽つる矢の如く、
はてなむ里よ、そも何処。
琴を抱いて、目をあげて、
無垢の白蓮、曼陀羅華、
靄と香を吹き霊の座を
めぐると聞ける西の方、
涙のごひて眺むれば、
澄みたる空に秋の雲
今か黄金の色流し、
空廊百代の夢深き
伽藍一夕風もなく
俄かに壊れほろぶ如、
或は天授の爪ぶりに
一生の望み奏で了へし
巨人終焉に入る如く、
暗の戦呼をあとに見て、
光の幕を引き納め、
暮暉天路に沈みたり。
(甲辰二月十六日夜)
山 彦
花草啣みて五月の杜の木蔭
囀ずる小鳥に和せて歌ひ居れば、
伴奏仄かに、夕野の陽炎なし、
『夢なる谷』より山彦ただよひ来る。──
春日の小車沈める轍の音か、
はた彼の幼時の追憶声と添ふか。──
緑の柔息深くも胸に吸ひて、
黙せば、猶且つ無声にひびき渡る。
ああ汝、天部にどよみて、再た落ち来し
愛歌の遺韻よ。さらずば地の心の
瑯●(オウヘン+「干」)無垢なる虚洞のかへす声よ。
山彦!今我れ清らに心明けて
ただよふ光の見えざる影によれば、
我が歌却りて汝が響の名残伝ふ。
(甲辰二月十七日)
暁 鐘
蓮座の雲渦光の門に靉くや、
万朶の葩黎明の笑にゆらぎ、
くれなゐ波なす桜の瑞花蔭、
下枝の夢吹く黄金の風に乗りて
ひびくよ、暁鐘、── 無縫の天領綸ふり
雲輦音なく軋らす曙の神が
むらさき紐ある左手の愛の鈴の
余韻か、──朗らに高薫乱し走る。
見よ今、五音の整調流れ/\
光の白彩しづかに園に撒けば、
(浄化の使命に勇みて、春の神も
袖をや揺りけめ、)綾雲融くる如く、
淡色焔と枝毎かぜに燃えて、
散る花繚乱満地に錦延べぬ。
(甲辰三月十七日)
暮 鐘
聖徒の名を彫る伽藍の壁に泌みて
『永遠なる都』の滅亡を宣りし夕、
はたかの法輪無碍の声をあげて
夢呼ぶ宝樹の林園揺れる時よ、
何らの音をか天部の楽に添へて、
暮鐘よ、ああ汝、却初の穹に鳴れる。
天風二万里地を吹き絶えぬ如く、
成壊の八千年今猶ひびきやまず。
入る日を送りて、夜の息さそひ出でて、
栄光聖智を無間に葬り来て、
青史の進みと、有情の人の前に
永劫友なる『秘密』よ、ああ今はた、
詩歌の愁ひに素甕の澱と沈み
夢濃きわが魂『無生』に乗せて走れ。
(甲辰三月十七日)
夜の鐘
鐘鳴る、鐘鳴る、たとへば灘の潮の
雷音落ちては新たに高む如く、
(荘厳なるかな、『秘密』の清き矜り、)
雲路にみなぎり、地心の暗にどよみ、
月影朧ろに、霧衣白銀なし、
大夢罩めたる世界に漂ひ来て、
昼なく、夜なく、過ぎても猶過ぎざる
劫遠法土の暗示を宣りて渡る。
影なき光に無終の路をひらく
『秘密』の叫びよ、満林夢にそよぐ
葉末の余響よ、ああ鐘、天の声よ。
ともしび照らさぬ空廊夜半の窓に
天意にまどひて、現世の罪を泣けば、
たふとき汝が音におのづと頭下る。
(甲辰三月十七日夜)
塔 影
眠りの大戸に秋の日暫し凭りて
見かへる此方に、淋しき夕の光、
劫風千古の文をぞ草に染めて
金字の塔影丘辺に長う投げぬ。
紅爛朽ち果て、飛竜を彫れる壁の
金泥跡なき荒廃の中に立ちて、
仰げば、乱雲白蛇の怒り凄く
見入れば幽影しじまのおごそかなる。
法鐘悲音の教を八十百秋
投げ出す影にと夕毎葬り来て、
乱壊に驕れる古塔の深き胸を
照らすは銷沈臨終の『秋』の瞳。
(神秘よ躍れや、)ああ今、夜は下り、
寂滅封じて、万有影と死にぬ。
(甲辰三月十八日夜)
黄金幻境
生命の源封じて天の緑
光と燃え立つ匂ひの霊の門かも。──
霊の門、げにそよ、ああこの若睛眸、
強き火、生火に威力の倦弛織りて
八千網彩影我をば捲きしめたる。──
立てるは愛の野、二人の野にしあれば、
汝が瞳を仰ぎて、身は唯言葉もなく、
遍照光裡の焔の夢に酔ひぬ。
見よ今、世の影慈光の雲を帯びて
輾り音なく熱野の涯を走る。
わしりぬ、環りぬ、ああさて極まりなき
黄金幻境!かくこそ生の夢の
久遠の瞬き進みて、二人すでに
匂ひの天にと昇華の翼振るよ。
(甲辰五月六日)
夢の花
まぼろし縫へる
白衣透き、ほのぼのと
愛にうるほふ、それや白百合、
青緑摺りたる
弱肩の羅綾は
夢の焔の水無月日射、
揺れて覚めにき和風に、
眠ま白き夏の宮。
(ああ我がいのち
夏の宮。)
夢は破れき。
ああされど、(この姿、
この天けはひ、現ながらに、)
こころ深くも
夢は猶、玉渦の
光匂ひの波わく淵や。
姫は思ひぬ、極熱の
南緑の愛の国。
(ああ我がいのち
愛の国。)
光の唇に
曙ぞよみがへり、
青風小琴ただよふ森に、
逝きてかへらぬ
夢の夜の調和を
あこがれうるみ露吹く声に
姫はうたひぬ、驕楽の
逝きてかへらぬ黄金の世。
(ああ我がいのち
黄金の世。)
葉を蒸す白昼、
百鳥の生の謡
あふれどよめく緑揺籃の
枝洩れて地に
照りかへる強き日の
夏をつかれて、かほる吐息に
姫は悵みぬ、常安の
涼影甘き詩の海。
(ああ我がいのち
詩の海。)
山波遠く
沈む日の終焉の瞳、
今か沈みて、焔の白矢、
涯なき涯を
わかれ行く魂の如、
うすれ融け行く地の黄昏に
姫は祈りぬ、大天の
霊のいのちの夢の郷。
(ああ我がいのち
夢の郷。)
ひと日、日すでに
沈みゆき、乳香の
夜の律調を恋ふ百合姫が
待夜ののぞみ、
その望み先づ破れて、
暗に楯どる嵐の征矢に
姫はたをれぬ、残る香の
いと悵ましき夢の花。
(ああ我がいのち
夢の花。)
水無月ふかき
森かげの一つ百合、
見えて見えざる世にあこがれし
ああその夢の
瞿粟花のにほひ羽、
あまりに高く清らかなれば、
姫は萎れぬ、夜嵐の
妬みに折るる信の枝。
(ああ我がいのち
信の枝。)
香柏の根に
(幻や、げに)あはれ
夢の名残を葬むり去りて、
去りて嵐の
血寂びたる矢叫びは
いづち行きけむ。──ただ其夜より
姫は匂ひぬ青玉の
天壇い照る芸の燭。
ああ我がいのち
芸の燭)
(甲辰五月十一日夜)
しらべの海
(上野女史に捧げたる)
淡紅染め卯月の日に酔ふ香樺の
律調のあけぼの漸やく春ぞ老いて、
歌声うるむや、柔音の海に深く
古世の思をうかべぬ。──ああほのぼの、
ゆらめく芸の焔の波の中に、
花摺被衣よ、行きても猶透きつつ、
(心は悵みぬ、ああその痛き姿。)
五百年あらたに沈淪べる愛を呼ばふ。
凝りては瞳の暫しも動きがたく、
芸の燭火しづかに我を導きて、
透影羽衣光の海にわしる。
見よ今、やはら手転ずる楽の姫が
眼光みなぎる天路の夢の匂ひ、
光の揺曳流るる律調の海。
(甲辰五月十五日)
五月姫
夢の谷、
新影あまき
五月そよ風匂ひたる
にほひ紫吹く桐の
夢の谷、
青草眠る
みどり小牀に五月姫、
白昼うるほふ愛の夢。
まぼろしの
姫がおもわは
ハイアシンスの滴露の
黄金しただりなまめける
水盤の
そしらぬ光。
夢は波なき波なれや、
香膏の恋の彩。
黒髪の
さゆらぎ似たり
むらさき房の桐の花。
花はゆらぎて、わかやげる
紅の唇
ほほゑみ添へば、
白羽夢の羽かろらかに
小蝶とまりぬ、愛の香に。
媚風の
けはひやはらに
額にたれたる小百合花。
小百合にほへば、我が姫の
むね円き
ゆめも匂ひぬ、
谷もにほひぬ、天地の
光も夢のにほひ園。
夢の谷、
ゆめこそ深き
ここぞ匂ひの愛の宮。
宮の玉簾むらさきの
英華に
今ひるがへれ、
シヤロンの野花谷百合に
ひるがへりたる愛の旗。
姫が目は
外にとぢたる、
とぢたる園の愛の門。
園をうがちて、丘こえて、
をどりつつ
生の小●(ケモノヘン+「章」)の
おとづれ来らば、姫が夢
石榴と咲かめ、甘き夢。
まぼろしの
さめてさめざる
(げにさもあれや、)生の谷。
谷はつつみぬ、いにしへゆ
まぼろしの
さめてさめざる
光、平和、愛の夢、
眠りに生くる五月姫。
(甲辰五月十六日)
ひとりゆかむ
日はくれぬ。
(愁ひのいのち)
幻想の森に、いざや
ひとりゆかむ。
万有音をひそめて、
(ああ我がいのち)おもひでの
妙楽の夜あまき森。
(夜のおもひ
いのちのおもひ)
恋成りぬ。
(夢見のいのち)
忘我の森に、いざや
ひとりゆかむ。
花瞿粟にほひゆるみて、
(ああ我がいのち)つく息の
みどりうす靄ゆらぐ森。
(夜のにほひ
恋のにほひ)
恋破れぬ。
(なげきのいのち)
祈りの森に、いざや
ひとり行かむ。
面影、いのるまに/\
(ああ我がいのち)天の生
あらたに馨る愛の森。
(夜のいのり
いのちのいのり)
月照りぬ。
(あでなるいのち)
幻想の森に、いざや
ひとりゆかむ。
ほのぼの、月の光に
(ああ我がいのち故郷の
黄金花岸うかぶ森。
(夜のいのち
ああ我がいのち)
(甲辰五月十七日)
花守の歌
夜はあけぬ。
生の迎ひに
心の住家、園の
門を明けむ。
光よ、花に培かへ。
夢より夢の関据ゑて、
孤境の園に花を守る。
花咲くや、
愛の白百合、
愛はほのぼの、夢の
関に明けて、
霧吹く香盞
我にそなへぬ、我が守る
幻、光、生の園。
はなやかに
黄金よそほふ
姫の百人、唇に
ほこり見せて、
ゆたかに門をよぎりぬ。──
それには似じな、わが胸の
あでなる夢に生くる花。
日は闌けぬ、
昼の沈黙。──
かかる日なりき、我は
ひとりゆきぬ、
新たに生や香ると。
守る孤境の園を出て
黄金よそほふ市の宮。
いかめしき
門守の姫ら、
我をこばみぬ、『園の
鍵を捨てよ。』
うつろの笑や、宮居の
権力うしろに、をどろきて
我はかへりき、わが園に。
つちかへば、
花はおのづと
天にむかひぬ。 これや
生の梯か。
ねむれば園は花楼、
霊の隠家よ。 我が守る
小さき園生に我ぞ王。
やはらぎの
愛歌わたるや、
花の大波、園に
しらべ掻りて、
天なる夢の故郷
匂ひ海原さながらに、
光と透きぬ孤境園。
日はくれぬ
夢の守りに
心の住家、いざや
門をささむ。
夜なく日なき園には
夢より夢の関据ゑて、
天路ひらかむ鍵秘めぬ。
夜よ降りて
ものみな包め。
わが守る園の門には
暗は許りず。
我が園、今か世界に
光をつくる源の
孤境の園に我ぞ王なれ。
(甲辰五月十九日)
月と鐘
(とある風琴の曲に合はせむとて友のために作れる小歌)
あまぢはるかに故里の
楽の名残をつぐるとて、
さくらの苑におぼろなる
夢の色ひく月の影。
花は眠れど、人の子の
夢なりがたき旅ごころ、
とはの眠りに入れよとて
月に泣くらむ夜半の鐘。
偶感二首
(甲辰五月二十日の暁近き頃、ふと目さめて、岩手ゆく春の夜風にうるほふ残灯の下、広き世の眠りに我のみぞさめて、筆を染めける。)
我なりき
ほのかに夜半に漂ふ鐘の音の
いのちぞ深きまぼろし、──『我』なりき。
『我』こそげにや触れても触れ難き
流るる幻。されば人よ云へ、
時より時に跡なき水●(サンズイ+「區」)ぞと。
ああそよ、水●(サンズイ+「區」」)ひと度うかびては
時あり、始あり、また終あり。
瞬き消えぬ──。いづこに?そは知らず、
あとなき跡は流れて、人知らず。
瞬時、さなり瞬時、それ既に
永久なる鎖かがやく一閃。
無生よ、さなり無生よ、それやはた、
とはなる生の流転の不現影。
或ひは人よ、汝等が自らを
みづから蔑す沈淪の肉の声。
ああ人、さらばいのちの源泉の
見えざる『我』を『彼』とぞ汝呼べよ。
無生の生に汝等が還る時、
有生の生の円光まばゆきに
『彼』とぞ我は遊ばむ、霊の国。
見えざる光、動かぬ夢の羽、
音なき音よ、久遠の瞬きよ、
まぼろし、それよ、『まことの我』なりき。
『彼』こそ霊の白●(サンズイ+「區」」)、──『我』なりき。──
ほのかに夜半にただよふ鐘の音の
光を纒ふまぼろし、──『我』なりき。
閑古鳥
暁迫り、行く春夜はくだち、
燭影淡くゆれたるわが窓に、
一声、今我れききぬ、しののめの
呼笛か、夜の別れか、閑古鳥。
ひと声聞きぬ。ああ否、我はただ、
(悵める胸の叫びか、重息の
はるかに愁ひの洞にどよみ来て
おのづとかへる響か、ああ知らず。)
ただ知る、深きおもひの淵の底、
見えざる底を破りて、何者か
わが胸つける刃ありと覚ふのみ。
をさなき時も青野にこの声を
ききける日あり。今またここに聞く。
詩人の思ひとこしへ生くる如、
不滅のいのち持つらし、この声も。
永遠!それよ不滅のしばたたき、
またたき!はたや、暫しのとこしなへ。
この生、この詩、(しばしのとこしなへ、)
或は消えめ、かの声消えし如、
消えても猶に(不滅のしばたたき、)
たとへばこの世終滅のあるとても、
ああ我生きむ、かの声生くる如。
似たりな、まことこの詩とかの声と。──
これげに弥生鴬春を讃め、
世に充つ芸の聖花の盗み人、
光明の敵、いのちの賊の子が
おもねり甘き酔歌の類ならず。
健闘、つかれ、くるしみ、自矜に
光のふる里しのぶ真心の
いのちの血汐もえ立つ胸の火に
染めなす驕り、不断の霊の糧。
我ある限りわが世の光なる
みづから叫ぶ生の詩、生の声。
さればよ、あはれ世界のとこしへに
いつかは一夜、有情の(ありや、否)
勇士が胸にひびきて、寒古鳥
ひと声我によせたるおとなひを、
思ひに沈む心に送りえば、
わが生、わが詩、不滅のしるしぞと、
静かに我は、友なる鳥の如、
無限の生の進みに歌ひつづけむ。
ほととぎす
(甲辰六月九日、夏の小雨の涼けき禅房の窓に、白蘋の花など浮べたる水鉢を置きつつ、岩野泡鳴兄へ文を認めぬ。時に声あり、彷彿として愁心一味の調を伝へ来る。屋後の森に杜鵑の啼く也。乃ち匆々として文の中に記し送りける。)
若き身ひとり静かに凭る窓の
細雨、夢の樹影の雫やも。
雫にぬれて今啼く、古への
ながきほろびの夢呼ぶほととぎす。
おお我が小鳥、ひねもす汝が歌ふ
哀歌にこもれ、いのちの高き声。──
そよ、我がわかき嘆きと矜ぶりの
つきぬ源、勇みとたたかひの
糧にしあれば、汝が歌、我が叫び、
これよ、相似る『愁』の兄弟ぞ。
愁ひの力、(おもへば、わがいのち)
黄金の歌の鎖とたえせねば、
ほろべる夢も詩人の嘆きには
あらたに生きぬ。愁よ驕なる。
マカロフ提督追悼の詩
(明治三十七年四月十三日、我が東郷大提督の艦隊大挙して旅順港口に迫るや、敵将マカロフ提督之を迎撃せむとし、愴惶令を下して其旗艦ぺトロバフロスクを港外に進めしが、武運や拙なかりけむ、我が沈設水雷に触れて、巨艦一爆、提督も亦艦と運命を共にしぬ。)
嵐よ黙せ、暗打つその翼、
夜の叫びも荒磯の黒潮も、
潮にみなぎる鬼哭の啾々も、
暫し唸りを鎮めよ。万軍の
敵も味方も汝が矛地に伏せて、
今、大水の響に我が呼ばふ
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。
彼を沈めて、千古の浪狂ふ、
弦月遠きかなたの旅順口。
ものみな声を潜めて、極冬の
落日の威に無人の大砂漠
劫風絶ゆる不動の滅の如、
鳴りをしづめて、ああ今あめつちに
こもる無言の叫びを聞けよかし。
きけよ、──敗者の怨みか、暗濤の
世をくつがへす憤怒か、ああ、あらず、──
血汐を呑みてむなしく敗艦と
共に没れし旅順の黒●(サンズイ+「區」)裡、
彼が最後の瞳にかがやける
偉霊のちから鋭どき生の歌。
ああ偉いなる敗者よ、君が名は
マカロフなりき。非常の死の波に
最後のちからふるへる人の名は
マカロフなりき。胡天の孤英雄、
君を憶へば、身はこれ敵国の
東海遠き日本の一詩人、
敵乍らに、苦しき声あげて
高く叫ぶよ、(鬼神も跼づけ、
敵も味方も汝が矛地に伏せて、
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。)
ああ偉いなる敗将、軍神の
撰びに入れる露西亜の孤英雄、
無情の風はまことに君が身に
まこと無情の翼をひろげき、と。
東亜の空にはびこる暗雲の
乱れそめては、黄海波荒く、
残艦哀れ旅順の水寒き
影もさびしき故国の運命に、
君は起ちにき、み神の名を呼びて、──
亡びの暗の叫びの見かへりや、
我と我が威に輝やく落日の
雲路しばしの勇みを負ふ如く。
壮なるかなや、故国の運命を
担ふて勇む胡天の君が意気。
君は立てたり、旅順の狂風に
檣頭高く日を射す提督旗。──
その旗、かなし、波間に捲きこまれ、
見る/\君が故国の運命と、
世界を撫づるちからも海底に
沈むものとは、ああ神、人知らず。
四月十有三日、日は照らず、
空はくもりて、乱雲すさまじく
故天にかへる辺土の朝の海、
(海も狂へや、鬼神も泣き叫べ、
敵も味方も汝が鋒地に伏せて、
マカマフが名に暫しは跼づけ。)
万雷波に躍りて、大軸を
砕くとひびく刹那に、名にしおふ
黄海の王者、世界の大艦も
くづれ傾むく天地の黒●(サンズイ+「區」)裡、
血汐を浴びて、腕をば拱ぎて、
無限の憤怒、怒涛のかちどきの
渦巻く海に瞳を凝らしつつ、
大提督は静かに沈みけり。
ああ運命の大海、とこしへの
憤怒の頭擡ぐる死の波よ、
ひと日、旅順にすさみて、千秋の
うらみ遺せる私密の黒潮よ、
ああ汝、かくてこの世の九億劫、
生と希望と意力を呑み去りて
幽暗不知の界に閉ぢこめて、
如何に、如何なる証を「永遠の
生の光』に理示すぞや。
汝が迫害にもろくも沈み行く
この世この生、まことに汝が目に
映るが如く値のなきものか。
ああ休んぬかな。歴史の文字は皆
すでに千古の涙にうるほひぬ。
うるほひけりな、今また、マカロフが
おほいなる名も我身の熱涙に。──
彼は沈みぬ、無間の海の底。
偉霊のちからこもれる其胸に
永劫たえぬ悲痛の傷うけて、
その重傷に世界を泣かしめて。
我はた惑ふ、地上の永滅は、
力を仰ぐ有情の涙にぞ、
仰ぐちからに不断の永生の
流転現ずる尊ときひらめきか。
ああよしさらば、我が友マカロフよ、
詩人の涙あつきに、君が名の
叫びにこもる力に、願くは
君が名、我が詩、不滅の信とも
なぐさみて、我この世にたたかはむ。
水無月くらき夜半の窓に凭り、
燭にそむきて、静かに君が名を
思へば、我や、音なき狂瀾裡、
したしく君が渦巻く死の波を
制す最後の姿を覩るが如、
頭は垂れて、熱涙せきあへず。
君はや逝きぬ。逝きても猶逝かぬ
その偉いなる心はとこしへに
偉霊を仰ぐ心に絶えざらむ。
ああ、夜の嵐、荒磯のくろ潮も、
敵も味方もその額地に伏せて
火焔の声をあげてぞ我が呼ばふ
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。
彼を沈めて千古の浪狂ふ
弦目遠きかなたの旅順口。
(甲辰六月十三日)
金甌の歌
あけぼの光纒へる青雲の、
ときはかきはに眠と暗となき、
幻、律べ、さまよふ聖宇の中、
新たに匂ふいのちのほのぼのと
我は生れき。大日の灼やきに
玉膸湛ふ黄金の花瓶を
青摺綾のたもとに抱きつつ。
羅かへし、しづかに白竜の
石階踏めば、星皆あつまりて、
裳裾を縫へる緑のエメラルド。
歩み動けば、小櫛の弦の月、
白銀うるむ兜の前の星。
暾下すかなた、仄かに讃頌の
夜の声夢の下界をどよもしぬ。
白昼の日射めぐれる苑の夏、
かほる檸檬の樹影に休らへば、
鬩ぎたたかふ浮世の市超えて、
見わたすかなた、青波鳴る海の
自然の楽のひびきの起伏に
流るゝ光、それ我が金甌の
みなぎる匂ひ漂ふ影なりき。
青垣遶り、天突く大山の
いただきそそる巌に佇めば、
世は夜ながら、光の隈もなく、
無韻のしらべ、朝の鐘の如、
胸に起りて千里の空を走せ、
山、河、郷も、舟路もおしなべて
投げたる影にみながら包まれぬ。
野川氾濫れて岸辺の雛菊の
小花泥水になやめる姿見て、
あまりに痛き運命を我泣くや、
水にうつれる小花のおもかげに、
幻ふかく湛ふる金甌の
底にかがやく生火の文字にして、
いのちの主の涙ぞ宿れりき。
想ひの翼ひまなく、梭の如、
あこがれ、嘆き、勇みの経緯に、
見ゆる、見えざるいのちの機織れば、
天地つつみひろごる●(ハバヘン+「白」)の中、
わが金甌のおもてに、栄光の
七燭いてる不老の天の楽、
ほのかに浮びただよふ影を見ぬ。
海には破船、山には魔の叫び、
陸なる罪の館に災禍の
交々起る嵐の夜半の窓、
戦慄せまるまなこを閉ぢぬれば、
あでなるさまや、胸なる金甌の
おもてまろらに光の香はみちて、
たえざる天の糧をば湛えたる。
ああ人知るや、わが抱く金甌ぞ、
(そよわがいのち)尊とき神の影、
生きたる道、生きたる天の楽、
いのちの光、ひめたる『我』なりき。
涯なく限りなきこの天地の
力を力とぞする『彼』よ、げに
我が金甌の生火の髄の水。
されば我がゆく路には、ものみなの
戦ひ、愁ひ、よろこび、怒り、皆
我と守れる心の閃めきに
融けて唯一の生命にかへるなる。
ああ我が世界、すなはち、人の、また
み神の愛と力の世界にて、
眠と富の入るべき国ならず。
天地知ろす源、創造の
聖宇の光に生れし我なれば、
わが声、涙、おのづと古郷の
欠くる事なきいのちと愛の音に、
見よや、天なる真名井の水の如、
玉髄あふれつきせぬ金甌の
雫流れて凝りなす詩の珠。
(甲辰六月十五日)
アカシヤの蔭
たそがれ淡き揺曳やはらかに、
収まる光暫しの名残なる
透影投げし碧の淵の上、
我ただひとり一日を漂へる
小舟を寄せて、アカシヤ夏の香の
木蔭に櫂をとどめて休らひぬ。
流れて涯も知らざる大川の
暫しと淀む翠江夢の淵!
見えざる霊の海原花岸の
ふる郷とめて、生命の大川に
ひねもす浮びただよふ夢の我!
夢こそ暫し宿れるこの岸に
ああ夢ならぬ香りのアカシヤや。
野末に匂ふ薄月しづかなる
光を帯びて、微風吹く毎に、
英房ゆらぎ、真白の波湧けば、
みなぎる薫りあまきに蜜の蜂
群るる羽音は暮れゆく野の空に
猶去りがての呟やき、夕の曲。
纜結ひて忘我の歩みもて、
我は上りぬ、アカシヤ咲く岸に。──
春の夜桜おぼろの月の窓
少女が歌にひかれて忍ぶ如。
ああ世の恋よ、まことに淀の上の
アカシヤ甘き匂ひに似たらずや。
いのちの川の夢なる青淵に
夢ならぬ香の雫をそそぎつつ、
幻過ぐるいのちの舟よせて、
流るる心に光の鎖なす
にほひのつきぬ思出結ぶなる。
淀める水よ、音なき波の上に
没薬撒くとしただるアカシヤの
その香、はてなく流るる汝が旅に
消ゆる日ありと誰かは知りうるぞ。
ああ我が恋よ、心の奥ふかく、
汝が投げたる光と香りとの
(たとへ、わが舟巌に覆へり、
或は暗の嵐に迷ふとも、)
沈む日ありと誰かは云ひうるぞ。
はた此の岸に溢るる平和の
見えざる光、不断の風の楽、
光と楽にさまよふ幻の
それよ、我が旅はてなむ古郷の
黄金の岸のとはなる栄光と
異なるものと、誰かははかりえむ。
ああ汝水よ、われらはふるさとの
何処なりしを知らざる旅なれば、
アカシヤの香に南の国おもひ、
恋の夢にし永遠なる世を知るも、
そは罪なりと誰かはさばきえむ。
ああ今、月は静かに万有を
ひろごり包み、また我心をも
光に融かしつくして、我すでに
見えざる国の宮居に、アカシヤと
咲きぬるかともやはらぐ愛の岸、
無垢なる花の匂ひの幻に
神かの姿けだかき現かな。
水も淀みぬ。アカシヤ香も増しぬ。
いざ我が長きいのちの大川に
我も宿らむ、暫しの夢の岸。──
暫しの夢のまたたき、それよげに、
とはなる脈のひるまぬ進み搏つ
まことの霊の住家の証なれ。
(甲辰六月十七日)
ひとつ家
にごれる浮世の嵐に我怒りて、
孤家、荒磯のしじまにのがれ入りぬ。
捲き去り、捲きくる千古の浪は砕け、
くだけて悲しき自然の楽の海に、
身はこれ寂蓼児、心はただよひつつ、
静かに思ひぬ、──岸なき過ぎ来し方、
あてなき生命の舟路に、何処へとか
わが魂孤舟の楫をば向けて行く、と。
夕浪懶く、底なき胸のどよみ、
その色、音皆不朽の調和もて、
捲きては砕くる入日のこの束の間──
沈む日我をば、我また沈む日をば
凝視めて叫ぶよ、無始なる暗、さらずば
無終の光よ、渾てを葬むれとぞ。
(甲辰六月十九日)
壁なる影
夜風にうるほひ、行春淡き
有明燭の火影ぞ揺れて、
ああ今、ほのかに、幻ふかく
起伏さだめぬ影こそ壁に。
詩歌の愁ひに我が身は痩せて、
くだつ夜、低唱、無興の窓に。
こは何、落ちくる壁なる影よ、──
静かに、静かに、捲きてはひらく。
たとへば、大海青波鳴りて
涯なき涯にとただよふそれか。
或は、無終の歴史の上に
湧き、また沈める流転の跡か。
めぐれる影にと思は耽る。──
ああ今、我聞く、音なき波に
遠灘どよもす響ぞこもれ、──
思の青渦、とく、またゆるく。
とく、またゆるかに影こそ揺れば、
うかべる光に心は漂ふ。──
この影、幻、ああ聞きがたき
天海『秘密』のそのおとづれか。
思は高めば、影また深く、
見えざる文こそ壁には照れる。──
幾夜の我が友、そよわがいのち、
秘密に泳げる我が影なりき。
燈火うするる。薄れよ。暗も
心の壁なる我が影消さじ。
ああ我汝に謝す、我が夜は明けば、
この影、まことの光に生きむ。
(甲辰六月二十日)
鴎
藻の香に染みし白昼の砂枕、
ましろき鴎、ゆたかに、波の穂を
光の羽にわけつつ、砕け去る
汀の●(サンズイ+「區」)にえものをあさりては、
わが足近く翼を休らへぬ。
諸手をのべて、高らに吟ずれど、
鳥驚かず、とび去らず、
ぬれたる砂にあゆみて、退き、また
寄せくる波をむかへて、よろこびぬ。
つぶらにあきて、青海の
匂ひかがやく小瞳は、
真珠の光あつめし聖の壷。
はてなき海を家とし、歌として、
おのが翼を力と遊べばか、
汝が行くところ、瞳の射る所、
狐疑、怖れ、さげしみ、あなどりの
さもしき陰影は隠れて、空蒼し。
ああ逍遥よ、をきての網の中
立ちつつまれてあたりをかへり見る
むなしき鎖解きたる逍遥よ、
それただ我ら自然の寵児らが
高行く天の世に似る路なれや。
来ても聞けかし、今この鳥の歌。──
さまよひなれば、自由なる恋の夢、
あけぼの開く白藻の香に宿り、
起伏つきぬ五百重の浪の音に
光と暗はい湧きて、とこしへの
勇みの歌は、ひるまぬ生の楽。
ああ我が友よ、願ふは、暫しだに、
つかるる日なき光の白羽をぞ
翼なき子の胸にもゆるさずや。
汝があるところ、平和、よろこびの
軟風かよひ、黄金の日は照れど、
人の世の国けがれの風長く、
自由の花は百年地に委して
不朽と詩との自然はほろびたり。
(甲辰八月十四日夜)
光の門
よすがら堪へぬなやみに気は沮み、
黒蛇ねむり、八百千の梟の
暗声あはす迷ひの森の中、
あゆみにつるる朽葉の唸きをも
罪にか誘ふ陰府のあざけりと
心責めつつ、あてなくたどり来て、
何かも、どよむ響のあたらしく
胸にし入るに、驚き見まもれば、
今こそ立ちぬ、光の門に、我れ。
ああ我が長き悶の夜は退き、
香もあたらしき朝風吹きみちて、
吹き行く所、我が目に入るところ、
自由と愛にすべての暗は消え、
かなしき鳥の叫びも、森影も、
うしろに遥か谷間にかくれ去り、
立つは自然の揺床、しろがねの
砂布きのべし朝の磯の上。
不朽の勇み漲る太洋の
張りたる胸は、はてなく、紫の
光をのせて、東に、曙高き
白幟のぼる雲際どよもしぬ。
ああその光、──青渦底もなき
海底守る秘密の国よりか。
はた夜と暗と夢なき大空の
紅玉匂ふ玉階すべり来し
天華のなだれ。或は我が胸の
生火の焔もえ立つひらめきか。──
蒼空かぎり、海路と天の門の
落ち合ふ所、日輪おごそかに
あたらしき世の希望に生れ出で、
海と陸とのとこしへ抱く所、
ものみな荒む黒影夜と共に
葬り了へて、長夜の虚洞より、
わが路照らす日ぞとも、わが魂は
今こそ高き叫びに醒めにたれ。
明け立ちそめし曙光の逆もどり
東の宮にかへれる例なく
一度醒めし心の初日影、
この世の極み、眠らむ時はなし。
ああ野も山も遠鳴る海原も
百千の鐘をあつめて、新らしき
光の門に、ひるまぬ進軍の
歓呼の調の鬨をば作れかし。
よろこび躍り我が踏む足音に
驚き立ちて、高きに磯雲雀
うたふや朝の迎への愛の曲。
その曲、浪に、砂に、香藻に
い渡る生の光の声撒けば
わが魂はやく、白羽の鳥の如、
さまよふ楽の八重垣うつくしき
曙光の空に融け行き、翅をのべて、
名たたる猛者が弓弦鳴りひびき
射出す征矢もとどかぬ蒼穹ゆ、
青海、巷、高山、深森の
わかちもあらず、皆わがいとし児の
覚めたる朝の姿と臨むかな。
(甲辰八月十五日夜)
寂 寥
片破月の淋しき黄の光
破窓洩れて、老尼の袈裟の如、
静かに細うふるひて、読みさしの
書の上、さては黙座の膝に落ちぬ。
草舎の軒をめぐるは千万の
なげきの糸のたてぬき織り交ぜて
しらべぞ繁き叢間の虫の歌。
夜の鐘遠く、灯も消えがてに、
ああ美しき名よ、寂蓼!
天地眠り沈みて、今こそは
汝がいと深き吐息と脈搏の、
ひとりしさめて物思ふわが胸と
すべての根ざす地心にひびく時。
壁には淡き我が影。堆たかく
乱れて膝をかこめる黄巻は
さながら遠き谷間の虚洞より
脱け出で来ぬる『秘密』の精の如。──
かかる夜幾夜、見えざる界より、
美しき名よ、寂蓼!
汝この窓を音なく、月影の
鈍色被衣纒ひてすべり入り、
なつかし妻の如くも親しげに
ほほゑみ見せて側へに座りけむ。
見よ、汝が吐息静かに吹く所、
人の心の曇りは拭はれて、
あたりの『物』の動きに、動かざる
まことの『我』の姿の明らかに
宿るを眺め、汝が脈搏つ所、
すべての音は潜みて、ただ洪き
心の海に漂ふ大波の
寄せては寄する響のきこゆなる。
美しき名よ、寂蓼!
ああ汝こそは、鋭き斧をもて
この人生の仮面を剥ぎ去ると
命負ひ来つる有情の使者か。
汝がおとづれは必ず和らかに、
またいと早く、恰も風の如。
二人のあるや、汝が眼は一すじに
貫ぬくとてか、胸にとそそぎ来て、
その微笑もまことに荘厳に、
たとへば百の白刃の剱もて
守れる暗の沈黙の森の如、
声なき言葉四壁にみち/\て、
おのづと下る頭はまた起きず。
美しき名よ、寂蓼!
かくて再び我をば去らむとき、
涙は涸れて、袂はうるほへど、
あらたに胸にもえ立つ生命の
石炭こそ汝が遺せる紀念なれ。
美しき名よ、寂蓼!
甞ては我も多くの世の人が
厭へる如く、汝をばいとへりき。
そはただ春の陽炎もゆる野に
とび行く蝶の浮きたる心には、
汝が手のあまり霜には似たればぞ。
さはあれ、汝やまことに涯もなき
大海にして、不断の動揺に、
真面目と、常に高きに進み行く
心の奥の鍵をぞ秘めたれば、
遂には深き崇高き生命の
勇士の胸の門をばひらくなり。
美しき名よ、寂蓼!
たとへば汝は秘密の古鏡。
人若し姿投ぜば、いろ/\の
仮装はすべて、濡れたる草の葉の
日に乾く如、忽ち消えうせて、
おもてに浮ぶまろらの影二つ、──
それ、かざりなき赤裸の『我』と、また
『我』をしめぐる自然の偉いなる
不朽の力、生火の燃ゆる門。
げに寂蓼にむかひて語る時、
人皆すべて真の『我』が言葉、
『我』が声をもて真を語るなる。
美しき名よ、寂蓼!
汝また長き端なき鎖にて、
とこしへ我を繋ぎて奴隷とす。
家をば出でて自然に対す時、
うづ巻く潮の底より、天そそる
秀蜂高き際より、さてはまた、
黄に咲く野辺の小花の葉蔭より
雀躍り出でて、胸をば十重二十重
犇と捲きつつ、尊とき天の名の
現示の前、頭を下げしむる
それその力、ああまた汝にあり。
美しき名よ、寂蓼!
恋する者の胸より若しも汝が
おとづれ絶たば、言語も闡きえぬ
心の奥の叫びを語るべき
慰安の友の滅びて、彼遂に
たへぬ悩みに物にか狂ふべし。
またかの善と真を慕ふ子に、
若し汝行きて、みづから自らに
教ふる時を与ふる勿りせば、
遂には彼の心も枯るるらむ。
美しき名よ、寂蓼!
寂蓼人を殺すと誰か云ふ。
霊なきむくろ、花なき醜草は
汝がおごそかの吐息に、げに或は
死にもやすべし。朽木に花咲かず。
ああ寂蓼よ、汝が脈搏つところ、──
我と我との交はる所にて、
うちめぐらせる霊気の 八重垣に
詩歌の花の恋しきみ園あり。
そこに我が魂しづかにさまよふや、
おのづと起る唸きの声は皆、
歴史と堂と制規を脱け出でて、
親しく自然を司どる
慈光の神に捧ぐる深祈祷
あふるる涙、それまた世の常の
涙にあらず、まことの生命の
源ふかく帰依する瑞の露。
美しき名や、寂蓼!
汝こそげにも心の在家にて、
見えぬ奇かる界に門ひらき、
またこの生けるままなる世の態に
却りて大き霊怪の隠れ花
かしこに、ここに、各自の胸にさへ
咲けるを示し、無言の教垂れ、
想ひをひきて自在の路告ぐる
豊麗無垢の尊とき霊の友。
ああこの世界ひとりの『人』ありて、
若し我が如く、美し寂蓼の
腕に抱かれ、処と時を超え、
あこがれ泣くを楽しと知るあらば、
我この月の光に融け行きて、
彼にか問はむ、『栄華と黄金の
まばゆき土の値や幾何』と。 (甲辰 月十八日夜)
秋風高歌《雑詩十章甲辰初秋作》
黄金向日葵
我が恋は黄金向日葵、
曙いだす鐘にさめ、
夕の風に眠るまで、
日を趁ひ光あこがれ、まろらかに
眩ゆくめぐる豊熱の
彩どり饒きこがねの花なれや。
これ夢ならば、とこしへの
さめたる夢よ、こがねひぐるま。
これ影ならば、あたたかき
瑞雲まとふ照日の生ける影。
円らかなれば、天蓋の
遮りもなき光の宮の如。
まばゆければぞ、王者にすなる如、
百花、見よや芝生にぬかづくよ。
今はた、似たり、かなたの日輪も、
わが恋の日にあこがれて
ひねもすめぐるみ空の向日葵に。
(八月二十二日)
我が世界
世界の眠り、我ただひとり覚め、
立つや、草這ふ夜暗の丘の上。
息をひそめて横たふ大地は
わが命に行く車にて、
星鏤めし夜天の浩蕩は
わが被きたる笠の如。
ああこの世界、或は朝風の
光とともに、再びもとの如、
我が司配はなるる時あらむ。
されども人よ知れかし、我が胸の
思の世界、それこの世界なる
すべてを超ゑし不動の国なれば、
我悲しまず、また失はず、
よしこの世界、再びもとの如、
蠢く人の世界となるとても。
(八月二十二日)
黄の小花
夕暮野路を辿りて、黄に咲ける
小花を摘めば、涙はせきあへず。
ああ、ああこの身この花、小さくも
いのちあり、また仰ぐに光あり。
この野に咲ける、この世に捨てられし、
運命よ、いづれ、大慈悲の
かくれて見えぬ恵みの業ならぬ。
よし我、黄なる花の如、
霜にたをるる時あるも、
再び、もらす事なき天の手に
還るをうべき幸もてり。
ああこの花の心を解くあらば
我が心また解きうべし。
心の花しひらきなば、
またひらくべし、見えざる園の門。
(八月二十二日)
君が花
君くれなゐの花薔薇、
白絹かけてつつめども、
色はほのかに透きにけり
いかにやせむとまどひつつ、
墨染衣袖かへし
掩へども/\いや高く
花の香りは溢れけり。
ああ秘めがたき色なれば、
頬にいのちの血ぞ熱り、
つつみかねたる香りゆゑ
瞳に星の香も浮きて、
佯はりがたき恋心、
熄えぬ火盞の火の息に
君が花をば染めにけれ。
(九月五日夜)
波は消えつつ
波は消えつつ、砕けつつ
底なき海の底より湧き出でて、
朝より真昼、昼より夜に朝に
不断の叫びあげつつ、帯の如、
この島根をば纒ふなり。
ああ詩人の興来の
波も、消えつつ、砕けつつ。
はかり知られぬ『秘密』の胸戸より、
劫風ともに千古の調にして、
不滅の教宣りつつ、勇ましく
人の心の岸には寄するかな。
(九月十二日夜)
柳
ああ君こそは、青淵の
流転の波に影浮けて
しなやかに立つ柳なれ。
流転よ、さなり流転よ、それ遂に
夢ならず、また影ならず、
照る世の生日進み行く
生命の流れなればか、春の風
燻じて波も香にをどり、
ひと雨毎に梳づる
愛の小櫛の色にして、
見よ今、枝の新装、
青淵波もたのしげに
世は皆恋の深緑。
(九月十四日)
愛の路
高きに登り、眺むれば、
乾坤愛の路通ふ
青海原のはてにして、
安らかに行く白帆影。──
波は休まず、撓まずに
相噛みくだけ、動けども、
安らかに行く白帆影。
路のせまきに、せはしげに
蠢めく人よ、来て見よや、──
花を虐げ、景を埋め、
直なるみちをつくるとて、
狭き小暗さ愁嘆の
牢獄に落ちし子よ、見よや、──
大海みちはなくして、縦横の
みちこそ開け、愛の路。
(九月十四日)
落ちし木の実
秋の日はやく母屋の屋根に入り、
ものさびれたる夕をただひとり
紙障をあけて、庭面にむかふ時、
庭は風なく、落葉の音もたえて、
いと静けきに、林檎の紅の実は
かすかに落ちぬ、波なき水潦。
夕のあはき光は箒目の
ただしき地に隈なくさまよひて、
猶暮れのこるみ空の心のみ
一きは明くうつせる水潦、
今色紅の木の実の落ち来しに
にはかに波の小渦立てたれど、
やがてはもとの安息うかべつつ、
再び空の心を宿しては、
その遠蒼き光に一粒の
りんごのあたり縁どりぬ。
ああこの小さき木の実よ、八百千歳、
かくこそ汝や静かに落ちにけむ。
またもも年の昔に、西人が
想ひに耽る庭にとおとなひて、
尊とき神の力の一鎖、
かくこそ落ちて、彼には語りけめ。
我今人のこの世のはかなさに
つらさに泣きて、運命の遠き路、
いづこへ、若きかよはきこのむくろ
運ばむものと秘かに惑へりき。
落ちぬる汝を眺めて、我はまた、
辛からず、はたはかなき影ならぬ
たふとき神の力の世をば知る。
汝何故にかくまで静けきぞ、──
人はみづから運命に足りかねて、
さびしき広みはてなき暗の野の
躓き、にがき悲哀の実を喰むに、
何故汝のかくまで安けきぞ、──
足るある如く、落ちては動かずに
心に何か深くも信頼る如。
夜の歩みは漸く迫り来て、
羽弱か、群に後れし夕鴉
寂ある声に友呼ぶ高啼きや、
水面にうきしみ空の明るみも
消えては、せまきわが庭黝みぬ。
ああこの暗の吐息のたゞ中よ、
灯ともす事も、我をも忘じては、
よみがへりくる心の光もて
か黒き土のさまなる木の実をば
打眺めつつ、静かに跼づく。
(九月十九日)
秘 密
花蝋もゆる御簾の影、
琴柱をおいて少女子の
小指やはらにしなやかに
絃より絃に転ずれば、
さばしり出る幻の
人酔はしめの楽の宮、
ああこの宮を秘め置きて
とこあらたなる琴の胸、
秘密ならずと誰か云ふ。
八千年人の手に染まぬ
神の世界の大胸に
深くするどくおごそかに
我が目うつれば、ちよろづの
詩は珠なし清水なし、
光の川と溢れくる。
ああこの水の美しく、
休む事なく湧き出るを
秘密なりとは誰か知る。
(九月十九日夜)
あゆみ
始めなく、また終りなき
時を刻むと、柱なる
時計の針はひびき行け。
せまく、短かく、過ぎやすき
いのち刻むと、わが足は
ひねもす路を歩むかも。
(九月十九日夜)
『秋風高歌」畢
江上の曲
水緩やかに、白雲の
影をうかべて、野を劃る
川を隔てて、西東、
西の館ににほひ髪
あでなる姫の歌絶えず、
東の岸の草蔭に
牧の子ひとり住ひけり。
姫が姿は、弱肩に
波うつ髪の緑なる
雲を被きて、白龍の
天の階ふむ天津女が
羽衣ぬげるたたずまひ。
牧の子が笛、それ、野辺の
白き羊がうら若き
瞳をあげて大天の
円らの夢にあこがるる
おもひ無垢なる調なりき。
されども川の西東、
水の碧の胸にして、
月は東に、日は西に
立ちならびたる姿をば
静かに宿す時あれど、
二人が瞳、ひと日だに
相逢ふ事はなかりけり。
ふたりが瞳ひと日だに
あひぬる事はあらざれど、
小窓、桜の花心地
春日燻ずる西の岸、
とある日、姫が紫の
とばりかかげて立たす時、
緑草野の丘遠く
いとも和らに、たのしげに
春の心のただよひて、
糸遊なびく野を西へ、
水面をこえて浮びくる
牧の子が笛聞きしより、
何かも胸に影遠き
むかしの夢の仄かにも
おとづれ来らむ思ひにて、
昼はひねもす、日を又日、
姫があでなる俤は、
広野みどりのあめつちを
枠のやうなる浮彫と、
やかたの窓に立たしけり。
また、夕されの露の路、
羊を追ふて牧の子が
草の香深き岸の舎に
かへり来ぬれば、かすかにも
薄光さす川面に
さまよひわたる歌声の
美し夢に魂ひかれ、
ただ何となくその歌の
主を恋しみ、独木舟、
朽木の杭に纜を
解きて、夜な/\牧の子は
西の岸にと漕ぎ行きぬ。
ああ、ああされど日を又夜、
ふたりが瞳、ひとたびも
相あふ時はあらざらき。
姫が思ひはただ遠き
昼の野わたるたえ/゛\の
笛のしらべの心にて、
牧の子が恋、それやはた、
帳ゆらめく窓洩れて
灯影とともにゆらぎくる
清しき歌の心のみ。
姫は夢見ぬ、『かの野辺の
しらべぞ、夜半のわが歌の
天よりかへる反響なれ。』
また夢見けり、牧の子も、
『かの夜な/\の歌こそは、
白昼わが吹く小角の音の
地心に泌みし遺韻よ。』と。
牧の子は野に、いと細き
希望の節の笛を吹き、
姫はさびしく、紫の
とばりを深み、夜半の窓、
人なつかしのあこがれの
柔き歌声うるませて、
かくて日毎に姫が目は
牧野にわりし、夜な/\に
牧の子が漕ぐうつろ舟
西なる岸につながれて、
桜花散る行春や、
行きて、いのちの狂ひ火の
狂ふ焔の深緑、
ただ燃えさかる夏の風
野こえてここにみまひけり。
ああ夏なれば、日ざかりの
光にきほふ野の羊、
草踏み乱し、埒を超え、
泉の縁のたはぶれに
鞭ををそれぬこをどりや、
西の岸にも、葉桜に、
南蛮鳥は真夏鳥、
来て啼く歌は、かがやかの
生ける幻誘ふ如、
ふる里とほき南の
燃えにぞ燃ゆる恋の曲、
照る羽つくろひ、瞳をあげて、
のみど高らに伝ふれど、
さびしや、二人、日を又夜、
相見る時はあらざりき。
胸に渦巻くいのちの火
その焔にぞ燬かれつつ、
ああ燬かれつつ、かくて猶、
捉へがたなき夢追ふて、
水ゆるやかの大川の
(隔てよ、さあれ浮橋の)
西と東に、はかなくも
影に似る恋つながれぬ。
夏また行きぬ。かくて猶、
ああ夢遠きあこがれや、
はかなき恋はつながれぬ。
牧野の草に、『秋』はまづ
野菊と咲きて、小桔梗に、
水引草にいろ/\の
露染衣、虫の音も、
高吹く風も追々に、
ひと葉ひと葉と水に散る
岸の桜の紅葉さへ、
夢追ふ胸になつかしく
また堪へがたき淋しさを
この天地にさそひ来ぬ。
ひと夜、月いと明くして、
咽ぶに似たる漣の
岸の調も何となく、
底ひ知られぬ水底の
秘めたる恋の音にいづる
おとなひの如聞かれつつ、
まろらの月のおもて、また
わが心をばうつすとも
見えて、ああその恋心
いと堪へがたき宵なりき。
牧の子が舟ゆるやかに
東の岸をこぎ出でぬ。
高窓洩れて、夢深き
月にただよふ姫が歌、
今宵ことさら澄み入りて、
ああ大川も今しばし
流れをとどめ、天地の
よろづの魂もその声の
波にし融けて浮き沈み、
ただ天心の月のみか
光をまして、その歌の
切なる訴へ聴くが如、
この世の外の白鳥の
かがなき高き律べもて、
水面しづかにいわたれば、
しのびかねてや、牧の子は
擢なげすてて、中流の
水にまかする独木舟、
舟をも身をも忘れ果て、
息もたえよと一管の
笛に心を吹きこみぬ。
たちまち姫が歌やみて、
窓はひらけぬ。月影に
今こそ見ゆれ、玲瓏の
光に浮ぶ姫が面。
小手をばあげて招げども、
擢なき舟はとどまらず。
舟も流れて、人も流れて、
笛のしらべも遠のくに、
呼ぶ名知らねば、姫はただ
慣れにし歌をうたひつつ、
背をのびあがり、のびあがり、
あなやと思ふまたたきに、
袖ひらめきて、窓の中
姿は消えぬ。川のおも
月は百千にくだかれぬ。
かくてこの夜の月かげに
姫がみ魂も、笛の音も
はてなき天にとけて去り、
かなしき恋の夢のあと
独木の舟ともろともに、
人知りがたき海原の
秘密の底に流れけり。
(甲辰九月十七日夜)
枯 林
うち重む楢の朽葉の
厚衣、地は声なく、
雪さへに樹々の北蔭
白銀の楯に掩へる
冬枯の丘の林に、
日をひと日、吹き荒みたる
凩のたたかい果てて、
肌寒の背に迫る
日落ち時、あはき名残の
ほころびの空の光に
明に透く幹のあひだを
羽鳴らし移りとびつつ、
けおさるる冬の沈黙を
破るとか、いとせはしげに、
羽強の胸毛赤鳥
山の鳥小さき啄木鳥
木を啄く音を流しぬ。
さびしみに胸を捲かれて、
うなだれて、黄葉のいく片
猶のこる楢の木下に
佇めば、人の世は皆
遠のきて、終滅に似たる
冬の晩、この天地に、
落ちて行く日と、かの音と、
我とのみあるにも似たり。
枝を折り、幹を撓めて
吹き過ぎし破壊のこがらし
あともなく、いとおごそかに、
八千とせの歴史の如く、
また広き墓の如くに、
しじまれる楢の林を
わが領と、寒さも怖ぢず、
気負ひては、音よ坎々、
冬木立つ幹をつつきて
しばらくも絶間あらせず。
いと深く、かつさびれたる
その響き遠くどよみて、
山彦は山彦呼びて、
今はしも、消えにし音と
まだ残る音の経緯
織りかはす楽の夕浪、
かすかなるふるひを帯びて、
さびしみの潮路遠く、
林こえ、枯野をこえて、
夕天に、また夕地に
くまもなく溢れわたりぬ。
われはただ気も遠々に、
痩肩を楢にならべて、
骨の如、動きもえせず、
目を瞑ぢて、額をたるれば、
かの響き、今はた我の
さびしみの底なる胸を
何者か鋭きくちはしに
つつきては、霊呼びさます
世の外の声とも覚ゆ。
ああ我や、詩のさびし児、
若うては心よわくて、
うたがひに、はた悲哀に
かく此処に立ちもこそすれ。
今聞けよ、小さき鳥に、──
いのちなき滅の世界に
ただひとり命に勇みて、
ひびかすは心のあとよ、
生命の高ききほひよ。
強ぶるふ羽のうなりは
勝ちほこる彼の凱歌か、
はた或は、我をあざける
矜りの笑ひの声か。
かく思ひわが頤は
いや更に胸に埋りぬ。
細腕は枯枝なして
ちからなく膝辺にたれぬ。
しづかにも心の絃に
祈りする歌も添ひきぬ。
日は既に山に沈みて
たそがれの薄影重く、
せはしげに樹々をめぐりし
啄木鳥は、こ度は近く、
わが凭れる楢の老樹の
幹に来て、今日のをはりを
いと高く膸に刻みぬ。
(甲辰十一月十四日)
天火盞
恋は天照る日輪の
みづから焼けし蝋涙や、
こぼれて、地に盲ひし子が
冷にとぢける胸の戸の
夢の隙より入りしもの。
夢は、夢なる野の小草、
草が天さす隙間より
おちし一点の火はもえて、
生野、生風、生焔、
いのちの野火はひろごりぬ。
日光うけては向日葵の
花も黄金の火の小笠。
燬かれて我も、胸もゆる
恋のほむらの天火盞、
君が魂をぞ焼きにける。
(甲辰十一月十八日)
壁 画
破壊が住みける堂の中、
讃者群れにしいにしへの
さかえの色を猶とめて
壁画は壁に虫ばみぬ。
おもひでこそは我胸の
かべゑなるらし。熄えぬ火の
炎のかほり伝へつつ、
沈黙に曳ける恋の影。
古りぬと壁画こぼちなば、
たえぬ信のいのちしも
何によりてか記すべき。
虫ばみぬとて思出の
糸をし断たば、如何にして、
聖きをつなぐ天の火の
光に、かたき恋の戸に、
心の城を守るべき。
(甲辰十一月十八日)
炎の宮
女は熱にをかされて、
終焉の床に叫ぶらく、──
『我は炎の宮を見き。
宮は、初めは生命の
緑にもゆる若き火の、
たちまちかはる生火渦、
赤龍をどる天塔や。
見ませ今はた漸々に、
ああ我が夫よ、神々し
御燭に咲く黄の花と
もゆる炎の我が宮を。
やがては融けて白光の
雲輪い照る日とならば、
君をつつみて地の上に
天の新宮立ちぬべし。』
『見ませ、』と云ふに、『何処に、』と
問へば、『此処よ、』と、真白なる
腕に抱く玉の胸。──
胸は、いまはの息深く、
愛の波、また死の波の
寄せてはかへすときめきを
照らすは月の白き影。
(甲辰十一月十八日)
の ぞ み
一
やなぎ洩る
月はかすかに
額を射て、ほの白し。
かすかなる『のぞみ』の歌は、
砂原にうちまろぶ
若人の琴にそひぬ。
つきかげは
やや傾ぶきぬ。
川柳に風やみぬ。
おもへらく、ああ我が望み、
かたぶきぬ、衰ろへぬ。
夢のあと、あはれ何処。
二
月かげの
沈むにつれて、
白き額また垂れぬ。
ああいのち、そはかの薔薇、
蕾なる束の間の
まだ咲かぬ夢の色か。
あるは又
なげきの丘に
ふと萌えし夢小草
根をひたすなげきの水に
培はれ、かなしみの
犠と咲く黄の小花か。
わが望み、
(夢の起伏)
ゆめなれば、砂の上の
身は既に夢の残骸、
かたぶきぬ、おとろへぬ、
夢のあと、あはれいづく。
三
月落ちて、
心沈みて、
声もなき暗の中、
琴は猶、のこる一絃、
雲路にも星一つ、
『のぞみ』をば地にたたず。
垂れし額、
ややにあがりぬ。
彼は云ふ、わが望み、
夢ならば永世の夢よ、
うつり行く『時』の影、
起伏は皆夢ぞと。
わかうどは
されたる絃を
星かげにつなぎつつ、
起ちあがり、又勇ましく
ほほゑみて、砂の原
趁ひ行きぬ、生命の影を。
(甲辰十一月十九日)
眠れる都
(京に入りて間もなく宿りける駿河台の新居、窓を開けば、竹林の●(「崖」から「山」を取ったもの)下、一望甍の谷ありて眼界を埋めたり。秋なれば夜毎に、甍の上は重き霧、霧の上に月照りて、永く山村僻陬の間にありし身には、いと珍らかの眺めなりしか。一夜興をえて匆々筆を染めけるもの乃ちこの短調七聯の一詩也。「枯林」より「二つの影」までの七篇は、この甍の谷にのぞめる窓の三週の仮住居になれるものなりき。)
鐘鳴りぬ、
いと荘厳に、
夜は重し、市の上。
声は皆眠れる都
瞰下せば、すさまじき
野の獅子の死にも似たり。
ゆるぎなき
霧の巨浪、
白う照る月影に
氷りては、市を包みぬ。
港なる百船の
それの如、燈影洩るる。
みおろせば、
眠れる都、
ああこれや、最後の日
近づける血汐の城か。
夜の霧は、墓の如、
ものみなを封じ込めぬ。
百万の
つかれし人は
眠るらし、墓の中。
天地を霧は隔てて、
照りわたる月かげは
天の夢地にそそがず。
声もなき
ねむれる都、
しじまりの大いなる
声ありて、露のまに/\
ただよひぬ、ひろごりぬ、
黒潮のそのどよみと。
ああ声は
昼のぞめきに
けおされしたましひの
打なやむ罪の唸りか。
さては又、ひねもすの
たたかひの名残の声か。
我が窓は、
濁れる海を
遶らせる城の如、
遠寄に怖れまどへる
詩の胸守らつつ、
月光を隈なく入れぬ。
(甲辰十一月廿一日夜)
二つの影
浪の音の
楽にふけ行く
荒磯辺の夜の砂、
打ふみて我は辿りぬ。
海原にかたぶける
秋の夜の月は円し。
ふと見れば、
ましろき砂に
影ありて際やかに、
わが足の歩みはこべば、
影も亦歩みつつ、
手あぐれば、手さへあげぬ。
とどまれば、
彼もとまりぬ。
見つむれど、言葉なく
ただ我に伴なひ来る。
目をあげて、空見れば、
そこにまた影ぞ一つ。
ああ二つ、
影や何なる。
とする間に、空の影、
夢の如、消えぬ、流れぬ。
海原に月入りて、
地の影も見えずなりぬ。
我はまた
荒磯に一人。
ああ如何に、いづこへと
消えにしや、影の二つは。
そは知らず。ただここに。
消えぬ我、ひとり立つかな。
(甲辰十一月廿一日夜)
夢 の 宴
一
幻にほふ花染の
朧や、卯月、夜を深み、
春の使の風の児は
やはら光翅の羽衣を
花充つ枝にぬぎかけて、
熟睡もなかの苑の中
千株桜の香の夢の
おぼろをおぼろ、月ぞ照る。
二
ここよ、これかのおん裾の
縺れにゆらぐ夢の波
曳きて過ぎます春姫が、
供奉の花つ女つどはせて、
明日の浄化のみちすじを
評定したまふ春の城。
春は日ざかる野にあらで
夢みて夢を趁ふところ。
三
さりや、万枝の花衣、
新映つくる桜樹の
かげに漂ふ讃頌も
声なき夢の声にして、
かほり、はたそれ、この国の
温みよ、歌よ、彩波よ。
まろらの天の影こそは
舞ふに音なきおぼろなれ。
四
『梅』は北浜海人が戸へ。
『柳』は、玉頬ゆたかなる
風の児を率て、狭野の辺の
発句の翁の門を訪へ。
『さくら』と『桃』は殿軍の
女の子をここにつどへよと、
評定のあとに姫神の
下知それぞれにありぬれば、
今宵のわかれ、いざやとて、
夢いと深き歓楽の
宴は春のいのちかも。
しろがね黄金すずやかに
つどひの鳥笛仄に鳴り、
苑は『さくら』の音頭より
ゆるる天部の夢の歌。
五
見れば、吹きみつ夢の花、
桜のかげの匂ひより
つどひ寄せたるものの影、──
和魂、人のうまいより
のがれて、暫し逍遥ふか、──
あゆみ軽らに、やはらかに、
蹠つちをはなれつつ、
裸々の美肌ましろなる
乳房ゆたかに月吸ひて、
百人、千人、万人、
我も我もと春姫が
小姓の撰に入らむとか、
つどひよせては、やがてかの
花つ女どもに交りつつ、
舞よ、謡よ、恥もなき
めの苑生の興なかば。
六
もつれつ、とけつ、めぐりつつ、
歌の彩糸捲きかへす
舞の花輪は、これやこれ
捲きてはひらく春宵の
たのしき夢の波ならし。
波の起伏身にしめて
舞へば、うたへば、暫しとて
眠りの床をのがれ来し
和魂ただになごみつつ、
夢は時なき時なれば、
(ああ生ならぬ永生よ)
かへるを忘れ、ひたぶるに
天舞花唱の夢の人。
月はおぼろに、花おぼろ、
おぼろの帳地にたれて、
いま天地の隔てさへ
ゆめの心にとけうせて、
永遠を暫しの天の苑。
七
月は斜めに、舞倦じ、
快楽やう/\傾ぶけば、
見よや、幾群、いくそ群、
みたり、五人、つどひつつ、
歌の音なきどよみにか
ゆられて降れる葩に
みどりの髪をほの白き
花のおぼろの流れとし、
惜しむ気もなく羽衣を
土に布きては、花の精、
また人の精、とも/゛\に
夢路深入る睦語。
或は熟睡の風の児が
ふくらの頬に指ついて、
驚き覚むる児が顔を
『あら笑止や』と笑つくり、
或は『柳』の精が背の
枝垂の髪を、たわわなる
さくらの枝に結びては、
『見よこれ恋のとらはれ』と
乳房をさへて打囃す。
ああ幻のきよらなる
ここや、浄化の愛の城。
八
この時ひとり供奉の女が、
匂ひなまめく円肩の
髪を滴だるはなびらを
そと払いつつ、語るらく、
『ああこのうまし夢の宴
すぎて幾夜のそのあとよ、
ゆめの心のあとは皆
あつき真夏の火の室に
やかれむのちの如何にぞ』と。
きくや、忽ち花『さくら』
肉ゆたかなる胸そらし、
『ああ悲しみよ、運命よ、
夢は汝等の友ならず。
笑よ、おぼろよ、愛よ、香よ、
いで今、更に一さしを、
春の門出に、この宵の
わかれに舞ふて、うたへとよ』と、
立てば、『げにも』と、まためぐる
夢の波こそ春の音や。
九
かくて、やう/\夜はくだち、
かへり見がちに和魂の
わかれ/\て、姫神が
花幔幕の玉輦
よそひ新たになりぬれば、
風の児はまづ脱ぎ置きし
光ある羽の衣をきて、
黄金の息を吹き出すや、
朝よぶ鐘の朗々と
花のゆめをばさましつつ、
『浄化の路に幸あまれ
光あまれ』と、ひとしきり
つちに淡紅なる花摺りの
錦布き祝ぐ桜花。
東の空にほのぼのと
春の光は溢れける。
(甲辰十二月二日)
うばらの冠
銀燭まばゆく、葡萄の酒は薫じ、
玉装花袖の人皆酔にけらし。
ふけ行く夜をも忘じて、盃をあぐる
こやこれ歓楽つきせぬ夏の宴。
人皆黄金のかがやく冠つけて、
天下の富をば、華栄をばあつめぬるに、
ああ見よ、青磁の花瓶、百合の花の
萎れて火影にうつむく、何の姿。
願ふは大臣よ、野に吹く清き花は
ただ野の茨の葉蔭に捨てて置けよ。
野生の裸々なる美し花の矜り、
そは君、この夜の宴にあづかるべく
あまりに貧しく、小さし。許せ君よ、
清きにふさふはうばらの冠のみぞ。
(甲辰十二月十日)
心の声 (七章)
電 光
暗をつんざく雷光の
花よ、光よ、またたきよ、
流れて消えてあと知らず、
暗の綻び跡とめず。
去りしを、遠く流れしを、
束の間、──ただ瞬きの閃めきの
はかなき影と、さなりよ、ただ『影』と
見もせば、如何に我等の此生の
味さへほこる値さへ、
たのみ難なき約束の
空なる無なる夢ならし。
立てば、秋くる丘の上、
暗いくたびかつんざかれ、
また縫ひあはされて、電光の
花や、光の尾は長く、
疾く冷やかに、縦横に
西に東にきらめきぬ。
見よ、鋼色の空深く
光孕むか、ああ暗は
光を生むか、あらず/\。
死なし、生なし、この世界、
不滅ぞただに流るるよ。
ああ我が頭おのづと垂るるかな。
かの束の間の光だに
『永遠』の鎖よ、無限の大海の
岸なき波に泳げる『瞬時』よ。
影の上、また夢の上に
何か建つべき。来ん世の栄と云ふ
それさへ遂にあだなるかねごとか。
ただ今我等『今』こそは、
とはの、無限の、力なる、
影にしあらぬ光と思ほへば、
散りせぬ花も、落ち行く事のなき
日も、おのづから胸ふかく
にほひ耀き、笑み足りて、
跡なき跡を思ふにも
随喜の涙手にあまり、
足行き、眼むく所、
大いなる道はろ/゛\と
我等の前にひらくかな。
(甲辰十二月十一日)
祭 の 夜
踊りの群の大なだれ、
酒に、晴着に、どよめきに、
市の祭の夜の半ば、
我は愁ひに追はれつつ、
秋の霧野をあてもなく
袂も重くさまよひぬ。
歩みにつれて、迫りくる
霧はます/\深く閉ぢ、
霧をわけくる市人の
祭のどよみ、漸々に
とだえもすべう遠のきぬ。
やがて名もなき丘の上、
我はとまりぬ、墓石と。――
寄せては寄する霧の波、
その波の穂と音もなく
なびく尾花は前後、
我をめぐりぬ、城の如。
すべての声は消え去りて、
ここに大なる声充てり。
すべての人はえも知らぬ
ここに立ちたれ、神と我。
我ひざまづき、声あげて
祈りぬ、『あはれ我が神よ、
爾を祭る市人の
舞楽の庭に行きはせで、
などかは、弱きこの我を
さびしき丘に待ちはせし。
語れよ、語れ、何事も
きくべきものは我のみぞ。
我は爾の僕よ、』と。
答ふる声か、犇々と
(力あるかな、)深霧は
二十重に捲きぬ、我が胸を。
(甲辰十二月十一日)
暁 霧
熟睡の床をのがれ行く
夢のわかれに身も覚めて、
起きてあしたの戸に凭れば、
市の住居の秋の庭
閉ぢぬる霧の犇々と
迫りて、胸にい捲き寄る。
ああ清らなる夢の人、
溷る巷の活動の
塵に立つべく、今暫し、
汝が生命の浄まりの
矜り思へと霧こそは
寄せて魂をし包むかな。
(甲辰十二月十二日)
落葉の煙
青桐、楓、朴の木の
落葉あつめて、朝の庭、
焚けば、秋行くところまで、
けむり一条蕭条と
蒼小渦の柱して、
天のもなかを指ざしぬ。
ああほほゑみの和風に
揺りおこされし春の日や、
またあこがれの夏の日の
日熾る庭に、生命の
きほひの色をもやしける
栄や、如何に。──消えうせぬ、
過ぎぬ、ほろびぬ、夢のあと。
今ただ冷ゆる灰のこし、
のぼる煙も、見よやがて、
地をはなれて、消えて行く。──
これよろこびのうたかたの
消ゆる嘆きか、悲しみか。
さあれど、然れど、人よ今
しばし涙を抑へつつ、
思はずや、この一条の
きゆる煙のあとの跡。
春ありき、また夏ありき。──
その新心地、深緑、
再び、永遠にここには訪ひ来ぬや。
よし来ずもあれ。さもあらば、
この葉を萌やし、光を、生命を
あたへし力、ああ其『力』、また、
今この消ゆる煙ともろともに
消えて、ほろびて、あとなきか。
見ゆるものこそ消えもすれ、
見えざる光、いづこにか
消ゆべき、いかに隠るべき。
さらば、ただこの枯葉さへ、
薄煙さへ、消えさりて、
却りて見えぬ、大いなる
高き力ともろともに、
渾ての絶えぬ生命の
奥の光被に融けて入る
不朽のいのち持たざるか。
人よ、にはかに『然なり』とは
答ふる勿れ。されどかく
思ふて、今し消えて行く
けむり見るだに、うす暗き
涙の谷に落とすべく、
われらのいのちあまりに尊ときを
値多きを感ぜずや。
(甲辰十二月十二日)
古瓶子
うてば坎々音さぶる
素焼の、あはれ、煤びし古瓶子、
注げや、滓まで、いざともに
冬の夜寒を笑はなむ。
今宵雪降る。世の罪の
かさむが如く、暇なく雪は降る
破庵戸もなき我なれば
妻なり、子なり、ああ汝。
わらへよ、村酒一酔は
寒さも貧もをかさぬ我が宮ぞ。
去れ、去れ、涙、かなしみよ、
笑ふによろし古瓶子。
世の罪つちに重む如、
ふりぬ、つもりぬ、荒野の夜の雪。
雪は座にまで舞ひ入りて
燭台のともし尽きなんず。
酒早やなきか、それもよし、
灰となりぬる、寒炉の薪も、早や。
よし、よし、さらば古瓶子、
汝を枕に世外の夢を見む。
(甲辰十二月二十二日)
救済の綱
わづらはしき世の暗の路に、
ああ我れ、久遠の恋もえなく、
狂ふにあまりに小さき身ゆゑ、
ただ『死』の海にか、とこしへなる
安慰よ、真珠と光らむとて、
渦巻く黒潮下に見つつ、
飛ばむの刹那を、犇と許り、
我をば搦めて巌に据ゑし
ああその力よ、信のみ手の
救済の綱とは、今ぞ知りぬ。
あさがほ
ああ百年の長命も
暗の牢舎に何かせむ。
醒めて光明に生くるべく、
むしろ一日の栄願ふ。
寝がての夜のわづらひに
昏耗けて立てる朝の門
(これも慈光のほほゑみよ、)
朝顔を見て我は泣く。
(甲辰十二月二十二日夜)
『心の声』畢
白鵠
愁ひある日を、うら悲し
鵠の啼く音の堪へがたく、
水際の鳥屋の戸をあけて
放てば、あはれ、白妙の
蓮の花船行くさまや、
羽搏ち静かに、秋の香の
澄みて雲なき青空を、
見よや、光のしただりと、
真白き影ぞさまよへる。
ああ地の悲歌をいのちとは
をさなき我の夢なりし。
ひたりも深き天の海
一味のむねに放ちしを
白鵠に何うらむべき。
落とす天路の歌をきき、
ましろき影をあふぎては、
寧ろ自由なる逍遥の
遮りなきを羨まむ。
(乙巳一月十八日)
傘のぬし
柳の門に佇めば、
胸の奥より擣くに似る
鐘がさそひし細雨に
ぬれて、淋しき秋の暮、
絹むらさきの深張の
小傘を斜に、君は来ぬ。
もとより夢のさまよひの
心やさしき君なれば、
あゆみはゆるき駒下駄の、
その音に胸はきざまれて、
うつむきとづる眼には
仄むらさきの靄わせぬ。
袖やふるると、をののぎの
もろ手を置ける胸の上、
言葉も落ちず、手もふれず、
歩みはゆるき駒下駄の
その音に知れば、君過ぎぬ。
ああ人もなき村路に
かへり見もせぬ傘の主、
心いためて見送れば、
むらさきの靄やう/\に
あせて、新月野にいづる
空のうるみも目に添ひつ、
柳の雫ひややかに
冷えし我が頬に落ちにける。
(乙巳一月十八日)
落 櫛
磯回の夕のさまよひに
砂に落ちたる牡蛎の殻
拾うて聞けば、紅の
帆かけていにし曽保船の
ふるき便もこもるとふ
青潮遠きみむなみの
海の鳴る音もひびくとか。
古城の庭に松笠の
土をはらふて耳にせば、
もも年過ぎしその昔の
朱の欄めくらせる
殿の夜深き御簾の中、
千鳥縫ひたる匂ひ衣
行燈の灯にうちかけて、
胸の秘恋泣く姫が
七尺落つる秋髪の
慄ひを吹きし松の風
かすけき声にわたるとか。
ああさは君が玉の胸、
青潮遠き南の
海にもあらず、ももとせの
古き夢にもあらなくに、
などかは、高き彼岸の
うかがひ難き園の如、
消息もなきふた年を
靄のかなたに秘めたるや。
君夕毎にさまよへる
ここの桜の下蔭に、
今宵おぼろ夜十六夜の
月にひかれて来て見れば、
なよびやかなる弱肩に
こぼれて匂ひ添へにけむ
落葩よ、地に布きて、
夢の如くもほの白き
中にかがやく波の形、──
黄金の蒔絵あざやかに
ああこれ君が落櫛よ。
わななきごころ目を瞑ぢて、
ひろうて耳にあてぬれど、
君が海なる花潮の
響きもきかず、黒髪の
見せぬゆらぎに秘め玉ふ
み心さへもえも知れね。
まどひて胸にかき抱き
泣けば、百の歯皆生きて、
何をうらみの蛇や、
ああふたとせのわびしらに
なさけの火盞もえ/\て
痩せにし胸を捲きしむる、
(乙巳二月十八日夜)
泉
森の葉を蒸す夏照りの
かがやく路のさまよひや、
つかれて入りし楡の木の
下蔭に、ああ瑞々し、
百葉を青の御統と
垂れて、浮けたる夢の波、
真清水透る小泉よ。
いのちの水の一掬、
いざやと下りて、深山の
小●(ケモノヘン+「章」)の如く、勇みつつ、
もろ手をのべてうかがへば、
しら藻は髪にかざさねど
水神か、いかに、笑はしの
ゆたにたゆたにものの影、
紫三稜草花ちさき
水面に匂ふ若眉や、
玉頬や、瑠璃のまなざしや。
ああ一雫掬はねど、
口は無花果香もあまき
露にうるほひ、涼しさは
胸の奥まで吹きみちぬ。
夢と思ふに、夢ならぬ
さと云ふ音におどろきて
眼あぐれば、夢か、また、
木の間まぼろし鮮やかに
垂葉わけつつ駈けて行く。──
さは黒髪のさゆらぎに
小肩なよびの小女子よ。──
ああ常夏のまぼろしよ、
など足早に過ぎ玉ふ。
ねがふは君よ、夢の森
にほふ緑の涼影に
暫しの安寝守らせて、
(しばしか、夢の永劫よ。)
われ夢守とゆるせかし。
目さめて仄に笑ます時、
もろ手は玉の●(サンズイ+「甘」)坏、
この真清水を御●(サンズイ+「甘」)水に
手づから君にまゐらせむ。
ああをとめごよ、幻よ、
はららの袖や愛の旗、
などさは疾き足どりに、
天の鳥船のかくろひに、
緑の中に消えたまふ。
(乙巳二月十九日夜)
青 鷺
隠沼添ひの丘の麓、
漆の木立時雨れて
秋の行方をささと
たづねて過ぎし跡や、
青●(焦」+「鳥」)色の霜ばみ、
斑らの濡葉仄に
ゆうべの日射燃えぬ。
野こえて彼方、杉原、
わづかに見ゆる御寺の
白鳩とべる屋根や、
さびしき西の明るみ、
誰が妻死ねる夕ぞ、
鐃●(カネヘン+「跋」の右側)遠く鳴りて、
涙も落つるしじまり。
ゐ凭れば、漆若樹の
黄色朽葉はらら、胸に
拱ぬぐ腕をすべりぬ。
ふと見るけはひ、こは何、──
隠沼碧の水嵩の
蘆の葉ひたすほとりに
青鷺下りぬ、静かや。
立つ身あやしと凝視るか、
注ぐよ、我に、小瞳。──
あな有難の姿と
をろがみ心、我今
鳥の目底に迫るや、
尾被ききと啼きて
漆の木立夕つけぬ。
(乙巳二月二十日)
小 田 屋 守
身は鄙さびの小田屋守、
苜蓿白き花床の
日照りの小畔、まろび寝て、
足るべらなりし田子なれば、
君を恋ふとはえも云へね、
水無月蛍とび乱れ、
暖き風吹く宵の間を、
ひるがほ草の蔓ながき
小田の小徑を匂はせし
都ぶりなるおん袖に
ゆきずり心蕩かせし
その移り香の胸に泌み、
心の栖家君にとて
なさけの小窓ひきしより、
ああ吹く笛のみだれ音や、
みだりごころは、青波の
稲田の畔の堰きかねて
夏照り走るぬるみ水、
世に許りがたき貴人の
御姫なる君を追ひぞする。
今は四方田の稲たわわ、
琥珀の玉をむすべるに、
ひめてはなたぬ我が思ひ、
ただわびしらの思寝の
涙とこそはむすぼふれ、
ああ玉苑のふかみ草
大き葩啄まむとて
追ひやらはれし野の鳥の
つたなき身様まねけるや。
こよひ刈穂の庵の戸に
八束穂守る身を忘れ、
小田刈月の亥中月、
君知りしより百夜ぞと
さまよひ来ぬるみ舘の
木槿花咲く垣のもと、
灯かげ明るき高窓に
君が弾くなる想夫憐。
ああ鄙さびの小田屋守、
笛なげすてて、花つみて、
花をば千々にさきすてて、
溝こえ、厚き垣をこえ、
君が庭には忍び入る。
(乙巳二月二十日)
凌 霄 花
鐘楼の柱まき上げて
あまれる蔓の幻と
流れて石の階の
苔に垂れたる夏の花、
凌霄花かがやかや。
花を被きて物思へば、
現ならなく夢ならぬ
ただ影深の花の路、
君ほほゑめば靄かほり
我もの云へば蕾咲く
歩み音なき遠つ世の
苑生の中の逍遥の
眩ゆきいのち近づくよ。
身は村寺の鐘楼守、──
君逝きしより世を忘れ、
孤児なれば事もなく
御僧に願ひゆるされて、
語もなき三とせ夢心地、
君が墓あるこの寺に、
時告げ、法の声をつげ、
君に胸なる笑みつげて、
わかきいのちに鐘を撞く。──
君逝にたりと知るのみに、
かんばせよりも美くしき
み霊の我にやどれりと
人は知らねば、身を呼びて
うつけ心の唖とぞ
あざける事よ可笑しけれ。
あやめ鳥鳴く夏の昼
御寺まゐりの徒歩の路、
ひと日み供に許されて、
この石階の休らひや、
凌霄花花二つ
摘みて、一つはわが襟に、
一つは君がみつむりの
かざしに添へてほほゑませ、
み姉と呼ぶを許りにける
その日、十六かたくなの
わが胸涵す匂ひ潮、
おほ葩の、名は知らね、
映ゆき花船うかべしか。
さればこの花、この鐘楼、
我が魂の城と見て、
夏ひねもすの花まもり、
君が遺品の、香はのこる
上つ代ぶりの小忌衣、──
昔好みの君なれば
甞ては御簾のかげ近き
衣桁にかけて、空薫の
風流もありし香のあとや、──
青草摺の白絹に
袖にかけたる紅の紐、
年の経ぬれば裾きれて
鶉衣となりにたれ、
君が遺品と思ほえば
猶わが身には玉袍と、
男姿にうち襲ね、
人の云ふ語は知らねども、
胸なる君と語らふに、
のうぜんかづら夏の花
かがやかなるを、薫ずるを、
かの世この世の浮橋の
『影なる園』の玉の文字。
花を被きて、石に寝て、
君が身めぐる照る玉の
眩ゆきいのち招ぎつつ、
ああ招ぎつつ、迎へつつ、
夕つけくれば、朝くれば、
ほほゑみて撞く巨鐘の
高き叫びよ、調和よ、──
その声すでに君や我
ふたりの魂の船のせて
天の門にし入りぬれば、
人の云ふなる放心者、
身は村寺の鐘楼守、
君に捧げし吾生命の
この喜悦を人は知らずも。
(乙巳二月二十日夜)
草 苺
青草かほる丘の下、
小唄ながらに君過ぐる。
夏の日ざかり、野良がよひ、
駒の背にして君過ぐる。
君くると見てかくれける
丘の草間の夏苺、
日照りに蒸れて、青牀や、
草いきれする下かげに、
天の日うけて情ばみ
色ばみ燃えし紅の珠、──
鶉の床の丘の辺に
もとより鄙の草なれど、
ああ胸の火よ、紅の珠、──
とどろぎ心ひざまづき、
手触れて見れば、うま汁に
あへなく指の染みぬるよ。
素足草刈る身は十五、
夏草しげる中なれば、
心の苺はかくれたれ、
くろ髪捲ける藍染の
白木綿君に見えざるや。
過ぎし祭りの春の夜、
おぼろ夜深み、酒ほぎの
庭に、手とられ、袖とられ、
君に撰られて、はづかしの
唄に盃さされける
ああその夜より、姿よき、
駒もち、田もち、家もちの
君が名になど頬の熱る。
今君行くよ、丘の下、──
かがやく路を、若駒の
白毛ゆたかの乗様や、──
声し立てねば、えも向かで
小唄ながらに君行くよ。
ああ草蔭の夏苺、
天の日うけて情ばみ
色ばみ燃えて、日もすがら
くちびる甘き幸まてど、
醜草なれば、君が園
枝瑞々し林檎の
櫑子に盛られ、手にとられ、
君がみ唇に吸はるべき
木の実の幸をうらみかねつも。
(乙巳二月廿一日
めしひの少女
『日は照るや。』声は青空
白鶴の遠きかが啼き、──
ひむがしの海をのぞめる
高殿の玉の階
白石の柱に凭りて、
かく問ひぬ、盲目の少女。
答ふらく、白銀づくり
うつくしき兜をぬぎて
ひざまづく若き武夫、
『さなり。日は今浪はなれ、
あざやかの光の蜒り、
丘を越え、夏の野をこえ、
今君よ、君が恁ります
白石の円き柱の
上半ば、なびくみ髪の
あたりまで黄金に照りぬ。
やがて、その玉のみ面に
かゞやきの夏のくちづけ、
又やがて、薔薇の苑生の
石彫の姿に似たる
み腰にか、い照り絡みて、
あまりぬる黄金の波は
我が面に名残を寄せむ。』
手をあげて、めしひの少女、
円柱そと撫りつつ、
さて云ひぬ、『げに、あたたかや。』
また云ひぬ、『海に帆ありや。
大空に雲の浮ぶや。』
武夫はつと立ちあがり、
答ふらく、力ある声、
『ああさなり。海に帆の影、──
いづれそも、遠く隔てて、
君と我がなからひの如、
相思ふとつくに人の
文使乗する船なれ、
紅の帆をばあげたり。──
大空に雲はうかばず、
今日もまた、熱き一日。──
君とこそ薔薇の下蔭
いと甘き風に酔ふべき
天地の幸福者の
我にかも厚き惠みや、
大日影かくも照るらし。』
少女云ふ、『ああさはあれど、
君はただ身ゆるこそ見め。
この胸の燃ゆる日輪、
いのちをも焼きほろぼすと
ひた燃えに燃ゆる日輪、
み眼あれば、見ゆるを見れば、
えこそ見め、この日輪を。』
武夫はいらへもせずに、
寄り添ひて強き呟やき、
『君もまた、えこそ見め、我が
双眸の中にかくるる
たましひの、君にと燃ゆる
みち足らふ日のかがやきを。』
かく云ひて、少女を抱き、
たましひをそのたましひに、
唇をその唇に、
(生死のこの酔心地)
もえもゆる恋の口吻。──
口吻ぞ、ああげに二人、
この地に恋するものの、
胸ふかき見えぬ日輪
相見ては、心休むる
唯一の瞳なりけれ。──
日はすでに高にのぼりて、
かき抱く二人、かゞやく
白銀の兜、はたまた、
白石の円き柱や、
また、白き玉の階、
おほまかに、なべての上に
黄金なす光さし添へ、
高殿も恋の高殿、
天地も恋の天地、
勝ちほこる胸の歓喜は
光なす凱歌なれば、
丘をこえ、青野をこえて、
ひむがしの海の上まで
まろらかに溢れわたりぬ。
(乙巳三月十八日)
来し方よ破歌車
綱かけて、息もたづ/\、
過ぎにしか、こごしき坂を
あたらしきいのちの花の
大苑の春を見むとて。
(この集のをはりに)
あこがれ 畢
跋
少年にして早う名を成すは禍なりと云へど、しら髮かきたれて身はさらぼひながら、あるかとも問はれざる生きがひなさにくらぶれば、猶、人と生れて有らまほしくはえばえしきわざなりかし。それも今様のはやりをたちが好む、ただかりそめの名聞ならば爪弾きしつべけれ、香木のふた葉にこもるかをりおさへあへずおのづから世にちりぼひて、人の捧ぐる誉れを何かは辞むべき。石川啄木は年頃わが詩社にありて、高村砕雨・平野万里など云ふ人達と共に、いといと殊に年わかなる詩人なり。しかもこれらわかきどちの作を読めば、新たに詩壇の風調を建つるいきざし火の如く、おほかたの年たけし人々が一生にもえなさぬわざを、早う各々身ひとつには為遂げむとすなる。あはれさきには藤村・泣菫・有明の君達あり今はたこれらのうらわかき人達を加へぬ。われら如何ばかりの宿善ある身ぞ、かゝる文芸復興の盛期に生れ遭ひて、あまた斯やうにめづらかなる才人のありさまをも観るものか。こたび書肆のあるじなにがし、啄木に乞ひて、その処女作『あこがれ』一集を上板せむとす。啄木、その事の今の売名の徒と誤り見られむことを恐れて、われに議りぬ。われ云ふ、毀誉の外に立ちてわが信ずる所にひたゆくは、古の詩人の志にあらずや。あながちに当世の人のためにのみ詩を作らざるは、またわが詩社のおきてにあらずや。みずから省みて疚しからずば、もとより詩集を出すは詩人の事業なり、何のためらふ所ぞと。啄木わがこの言を聴き、ほほゑみて草本一巻を懐より取うでぬ。こは啄木が十八の秋より二十の今の春かけて作れるもの凡そ七十余篇、あなめざまし、あななつかし、あなうるはし、人見て驚かぬかは。
巳の暮春
与謝野鉄幹
明治三十八年五月一日印刷
明治三十八年五月三日発行
あこがれ奥附
定価金五拾銭
不許複製
著作者 石川啄木
東京市京橋区南大工町五番地
発行者 小田島嘉兵衛
東京市京橋区南大工町五番地
発行者 小田島尚三
東京市京橋区紺屋町二十六七番地
印刷者 石川金太郎
東京市京橋区紺屋町二十六七番地
印刷所 株式会社秀英舎
発行所 東京市京橋区南大工町五番地
小田島書房
特選 名著復刻全集 近代文学館
昭和49年8月20日 印刷
昭和49年9月1日 発行
(第5刷)
石川啄木著
あこがれ
小田島書房版
刊行 財団法人 日本近代文学館
東京都目黒区駒場4-3-55
代表者 小田切進
編集 特選名著復刻全集近代文学館・編集委員会
代表者 稲垣達郎
総発売元 株式会社 図書月販
東京都新宿区新宿 2-19-13
サカゼンビル
代表者 中森蒔人
製作 株式会社ほるぷ出版
東京都新宿区新宿
2-19-13 サカゼンビル
代表者 山浦喜三夫
東京連合印刷株式会社
東京都新宿区新宿 2-19-13
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代表者 山浦喜三夫
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