『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第二十五

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井巻 第二十五
S2501 大仏造営奉行勧進事
東大寺炎上の後、大仏殿造営の御沙汰あり、左少弁行隆朝臣、可奉行由えらばれけり。彼行隆先年八幡宮に参て通夜し給たりけるに、示現を蒙りけるは、東大寺造営の奉行の時は是を持べしとて、笏を給と霊夢を感ず。打驚て傍を見に、誠にうつゝにも是あり、不思議に覚て、其笏を取て下向し給ひたりけれ共、何事にか当世東大寺造替あるべき、何なる夢想やらんと心計に思ひ煩ひて、件の笏を深納て、年月を送り給ける程に、此焼失の後、弁官の中に被撰て、行隆可奉行由仰せ下されけるにこそ思ひ合せて感涙をば流しけれ。されば宣ひけるに、我勅勘を蒙ぶらずして昇進あらましかば、今は弁官を過なまし、勅勘に依て多年を送り、老後に再び弁官に成帰つて、奉行の仁に相当れり。前世の宿縁、今生の面目、来世の値遇までも、悦ぶに猶余りありとて、大菩薩の示現に給りし笏を取出して、造営の事始めの日より持給ひたりけるとかや。
又東大寺の大(有朋上P808)勧進の仁、誰にか仰せ付べきと議定あり。当世には黒谷の源空は、戒徳天に覆ひ慈悲普して、人挙て仏の思ひをなす。彼法然房に被仰含べきかと、諸卿推挙し申ければ、法皇即行隆朝臣を以て、大勧進を可謹之由仰下さる。法然房院宣の御返事被申けるは、源空山門の交衆を止て、林泉
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の幽居を占る事、偏に念仏修行の為也。若大勧進の職に候はば、定て劇務万端にして自行不成就と、竪く辞申されけり。重たる院宣には、門徒の僧中に器量の仁ありや、挙し申べしと仰下す。法然房暫く案じて、上の醍醐におはしける俊乗房重源を招寄せて、院宣の趣申含給ければ、左右なく領状し給へり。則是を挙し申されければ、俊乗房院宣を給て大勧進の上人に定にけり。俊乗房院宣を帯して、法然房へ参して角と申たりければ、宣けるは、相構て御房大銅に食て、一大事の往生忘るべからず、若勧進成就あらば、御房は一定の権者也と被申けるが、事故なく遂給にけり。されば勧進俊乗房、奉行行隆、共に直人にはあらじと人首を傾けり。
笠置の解脱上人貞慶、大仏の俊乗和尚重源両人は、道念内に催し慈悲外に普し、人皆仏の思ひを成しけるに、重源和尚は深く観音を信じ給へり。菩薩の慈悲とり/゛\也といへ共、普門示現の利生悲願は観音大士に過たるはあらじ。されば生身の観音を奉拝らん(有朋上P809)と年来祈念し給けり。解脱上人は釈迦を信じ給けり。三世の如来まち/\也といへ共、濁世成仏の導師也、聞法得脱偏に如来の恩徳に非ずと云事なし。然れば生身の釈迦を奉拝ばやと祈誓し給ひける程に、同夜に夢を見給けるは、俊乗房は、解脱上人は則観音也と見、解脱房は、俊乗和尚は即釈迦也と見給ひけり。懸りければ解脱上人は、笠置寺を出て東大寺へ行給ふ。俊乗和尚は東大寺を出で笠置寺へ渡り給ふ。両上人平野の三間、卒都婆と云所にて行合て、共に夢の告をかたり、互に涙を流しつゝ、貞慶は俊乗和尚を三礼し、重源は解脱上人
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を三礼して、契て云、先立て臨終せん者は自他生所を示すべしと。而を建久元年六月五日の夜、解脱上人の夢に、重源こそ娑婆の化縁既に尽て、只今霊山へ帰り侍と示給へり。夢に驚て急ぎ人を遣て尋問ひ給へば、此暁既に和尚東大寺の浄土堂にて入滅の由答けり。誠に法界唯心の、花厳の教主を再造鋳のために、大聖釈迦如来の化現し給ひけるこそ貴けれ。
S2502 ■奏吉野国栖事
治承五年正月一日、改の年立返たれ共、内裏には東国の兵革南都の火炎に依て朝拝なし、(有朋上P810)節会ばかり被行けれ共、主上出御もなし。関白已下藤氏の公卿一人も参らず、氏寺焼失に依て也。只平家の人々少々参て被執行けれ共、そも物の音も不吹鳴、舞楽も奏せず、吉野の国栖も不参、■の奏もなかりけり。たま/\被行ける事も、皆々如形にぞ在ける。
 < ■奏とは魚也。天智天皇のいまだ位に即給はざりける時、君は乞食の相御座すと申ければ、我帝位につきて乞食すべきにあらず、備へる相又難遁歟、御位以前に其相を果さんとて、西国の御修行あり。筑後国、江崎、小佐島と云所を通らせ給けるに、疲に臨み給ひたれ共、貢御進する者もなかりけり。網を引海人に魚をめされて、御疲を休めさせ給ひ、我位につきなば、必貢御にめされんと被思召、其名を御尋ありければ、■と奏し申けり。帝位につかせ給て思召出つゝ、被召て貢御に備けり。其よりして此魚は、祝のためしに備ふと申。
吉野国栖とは舞人也。国栖は人の姓也。浄見原の天皇、大伴王子に恐れて吉野の奥に籠り、岩屋の中に忍び御座けるに、国栖の翁、粟の御料にうぐひと云魚を具して、貢御に備へ奉る。朕帝位に上らば、翁と貢御とを召んと被思召けるによりて、大伴の
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王子を誅し、位に即て召れしより以来、元日の御祝には国栖の翁参て、梧竹に鳳凰の装束を給て舞ふとかや。豊の明の五節にも此翁参て、粟の御料にうぐ(有朋上P811)ひの魚を持参して、御祝に進る。殿上より国栖と召るゝの時は、声にて御答を申さず、笛を吹て参るなり。此翁の参らぬには五節始る事なし。斯る目出き様ども、兵革火災に奉らず。>
S2503 春日垂迹事
二日天慶の例とて殿上の宴酔なし。男女打偸て、禁中の有様物さびしくぞ見えける。礼儀もことごとに廃ぬ。仏法皇法共に尽ぬる事こそ悲しけれ。四日南都の僧綱解官して公請をとゞめ所領を没収せらる。東大寺興福寺、堂舎仏閣も塵灰となり、若も老も衆徒多滅して、たま/\残る輩は山林に身を隠し、便を求て跡を消して止住の人もなかりけるに、上綱さへ角なれば、南都は併亡畢ぬるにこそ、法相擁護の春日大明神、いかなる事思召らんと、神慮誠に知がたし。
 < 此明神と申は、昔称徳天皇御宇、神護慶雲二年戊申に、白き鹿に鞍を置き、鞍の上に榊をのせ、榊の上に五色の雲聳き、雲の上に五所の神鏡と顕て、常陸国鹿島郡より、此大和国三笠山の本宮に垂迹し給し時は、御手に法相唯識卅誦を捧給て、跡をしめ御座。今かく人法共に亡ぬれば、冥慮争か安からん(有朋上P812)と、覚たり。>
S2504 行御斉会并新院崩御附教円入滅事
但し形様にても御斉会は被行べきとて、僧侶の沙汰有けるに、南都の僧は公請を止る由宣下せられぬ。されば一向天台の学侶ばかり請定歟、又御斉会を被止べきか、又延引有べきかの由、官外記の注文を召。彼申状に付て諸卿に被尋処に、南都北嶺は国家鎮護の道場、天台法相は天下泰平の秘要也、速に南都を棄置れん事いかゞ有べき、外記注進先例なきに似たりと各被申けるに依て、三論宗
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の僧に成実已講と云ふ者の、勧修寺に有けるを只一人召て、如形被行けり。法皇は世の角成行に付ても思召連けるは、我十善の余薫に依て万乗の宝位を忝す、四代の帝を思へば子也孫也、いかなれば清盛法師に万機の朝政を被止て年月を送るらんと、御心憂思召処に、剰へ東大興福の両寺、仏法人法もろともに亡ぬれば、只竜顔より御涙をのみぞ流させ給ひける。懸る程に打副へ、新院御所には日比世の乱を歎思召ける上、南都園城の回禄に、いとゞ御悩重くならせ御座ければ、何事の沙汰にも及ばずあやふき御事など聞えしかば、法皇不斜御歎あり(有朋上P813)し程に、同十四日に、六波羅の池殿にて終に墓なく成せ給ふ、御歳僅に二十一。内には十戒を持て慈悲を先とし、外には五常を守て礼儀を正くせさせ給ひければ、末代の賢王にて、万人是を惜み奉る事、一子を失へるが如し。まして法皇の御歎、理にも過たり。恩愛の道いづれも不疎ども、此御事は、故建春門院の御腹にて、一つ御所に朝夕なじみ奉らせ給ひき。御位に即給しまでは、副進らせ給しかば、其御志殊に深き御事也。去々年の冬、法皇鳥羽殿に籠らせ給ひし御事、不斜歎思召より御病付せ給たりしが、南都の両寺焼ぬと聞召て其歎に不堪、つひに隠させ給けり。今夜やがて東山の麓、清閑寺と云山寺へ送り奉て、春の霞に類ひ、夕の煙と立のぼらせ給ひにけり。安居院法印澄憲、墨染の袖を絞りつゝ角思ひつゞけけり。
  常に見し君がみゆきをけふとへば帰らぬ旅ときくぞ悲しき K130 
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天下諒闇に成て、雲の上人花の袂を引替て、藤の衣に窄けり、哀也し御事也。興福寺の別当権僧正教円も、南都炎上の煙の末を見て病付たりけるが、新院隠れさせ給ぬと聞て、病増りて失給ひにけり。心あらん人、誠に堪て住べき世とも見えざりけり。(有朋上P814)
S2505 此君賢聖并紅葉山葵宿禰附鄭仁基女事
凡此君幼稚の御時より賢聖の名を揚、仁徳の行を施す。御情深き御事共多かりける中に、去嘉応承安の比、御在位の始なりしかば、御年十歳ばかりにや、紅葉を愛せさせ給けるが、紅葉は秋の物也、秋は西より来るとて、西門の南脇に小山を築かせ、紅葉を立植て愛せさせ給ひけるに、仁和寺の守覚法親王より、櫨と鶏冠のもみぢの色うつくしきを二本進覧あり。新院何とか思召れけん、是をば紅葉の山にはうゑられず、大膳大夫信成を召、この紅葉汝に預る也、明ては持参せよ、叡覧あらんとぞ仰ける。信成仰を蒙て宿所に帰り、乾泉水を造て紅葉を植、明ては御所へ持参し、晩れば宿所に持帰る、不損不折と心苦し給けるは、ゆゝしき大事にぞ有ける。或時信成物詣でとて出たりける跡に、田舎より仕丁の二三人上たりけるが、寒を禦ん為に酒を尋出し、あたためて飲んとしけるに、焼物のなかりければ、御所の内を走廻て尋る程に、坪の内の乾泉水の紅葉を尋得て、散々に折焼て酒をあたゝめて飲てけり。実に片田舎の者なれば、争か紅葉のやさしき事をも可知なれば、角振舞たりける也。信成下向し給て、先さし入紅葉を見給ふ(有朋上P815)に跡形もなし。よくよく尋問給ひければしか/゛\と申。信成手をはたと打て、こはいかにしつる事ぞ、如何なる御勘気にかあらんとて、彼仕丁を尋出し、縫殿の陣に誡置。御所より信成は下向歟、此両三日紅葉を御覧ぜ
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ねば御恋に思召、急ぎ持参せよ叡覧せんと御使あり。信成周章参りて此由を奏聞せらる。新院やゝ御返事なし。去ばこそ大なる御不審蒙なんず、如何様にも廷尉に被下、馬部吉祥に仰て、禁獄流罪にもやと、恐れをののき居給たりけり。良有て御返事あり。信成よ歎思ふべきにあらず、唐の大原に白楽天と云人は、琴詩酒の三を友として、中にもことに酒を愛して諸を慰みけるに、秋紅葉の比仙遊寺に遊ぶとて、紅葉を焼て酒をあたゝめ、緑苔を払て詩を作けり。即其心を、
  林間煖酒焼紅葉石上題詩払緑苔 K131 
と書遺し給へり。かほどの事をば浅増き下揩ノ誰教へけん、最やさしくこそ仕たりけれと、叡感に預りける上は子細に及ばず。あやしの賤男賤女までも、角御情を懸させ給ひければ、此君千秋万歳とぞ祈申ける。去共憂世の習こそ悲しけれ。又建礼門院御入内の比、安元の始の年、中宮の御方に候ける女房の、召仕ける女童二人あり。一人をば葵、一人をば宿禰とて、葵は美形世に勝れたりけれ共、心の色少し劣れり。宿禰はみめ形は(有朋上816)挿絵(有朋上P817)挿絵(有朋上P818)ちと劣りたりけれ共、心の色は深かりけり。主上不慮に、始は葵を召れけるが、後には心の色に御耽ありて、宿禰に思召つかせ給つゝ、類ひなき御事也ければ、彼女房竜顔に近付進らせて立さる事もなし。白地の御事にもあらで、夜々是を被召て御志深く見えさせ給ければ、主の女房も召仕ことなく、還て主の如くにいつきかしづき給ひけり。此事天下に漏聞えければ、時の人古き謡詠に云事有とて、
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文を引て云、生女勿悲酸、生男勿喜歓、男不封候、女は作妃と、只今此女房、女御后にも立、国母仙院とも祝れ給なん、ゆゝしかりける幸哉と披露すと聞召て後は、敢て召るゝ事なし。御志の尽させ給ふには非ず、世の謗を思召ける故也。されば常は御ながめがちにて、夜のおとゞにぞ入らせ給ける。此事大殿聞召て、心苦き御事にこそとて参内あり。奏し申させ給けるは、叡慮に懸らせ御座さん御事、歎思召さん事いと忝く侍り、何条御事か候べき、只件の女房を召るべきにこそ、俗姓尋るに及ぶべからず、忠通猶子にし奉べしと仰ければ、いざとよ、位すべらせ給て後はさることあり共聞召、正く在位の時袙など云ず、そもなき怪振舞する程の者の、身に近付く事を不聞召、朕が世に始伝へん事、後代の誹なるべしと勅定ありければ、大殿御涙を押拭はせ給て、ゆゝしき賢皇哉と思召御退出あり。其後主上(有朋上819)なにとなき御手習の次に、古き歌を書すさませ給ひける中に、緑の薄様のことに匂深きに、
  忍れど色に出にけり御恋はものや思ふと人の問ふまで K132 
と遊ばしたりけるを、御心知の四位侍従守貞と云者、此歌を取て宿禰にたびたりければ、是を給て懐に引入て、心地例ならず覚て、里に出て引被臥にけり。煩事三十余日ありて、彼歌を■にあてて、終に墓なく身まかりにけり。主上被聞召て御涙にむせばせ給けり。為君一日之思、誤妾百年之身、寄言痴少人家女、慎勿将身軽許人と誡たり。女の為も不便也、朕が為も世の誹也とて、深く歎思召ても、御恋しさにや御涙を流させ給ぞ忝き。
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 < 唐大宗は、鄭仁基と云人の娘、美人の聞えありければ、召て元花殿に入らんとし給ひしを、魏徴大臣の、彼女既に他夫に約せりと諌申ければ、殿にいるゝ事を留められけるには、猶まさらせ給たる御心なりとぞ申ける。>
S2506 時光茂光御方違盗人事
又殊に哀なる御事ありき。去し安元二年の七月に、御母儀建春門院隠させ給ひけり。(有朋上P820)主上今年は十五にぞならせ給ひける。不斜御歎ありて、御寝膳も御倦き程なりけり。帝王御暇の間は定れる習にて、廃朝とて、十二月の程万機の政を留めらるゝ事あり。但孝行の礼はさる事なれ共、朝政を止る事、天下の歎なる故に、一日を以て一月に宛て、十二日を以て十二月に准て御色の服をめす。十二日過ぬれば御除服とて、御色を召替る事なれば、此君も御母儀隠れさせ給て後、十二日を過させ給ひければ、公卿殿上人参会して御除服ありけるに、不斜御歎なれば、参給へる人々も、問ふにつらさの風情もやとて、御母儀の御事申出す人もなし。君も何となき様にもてなさせ給けるが、猶も御気色処せきの御ためし也。高倉中将泰通朝臣参りて御衣を進せ替、御帯を当進らせけれ共、結びもやらせ給はざりければ、御後より結び進らせけるに、母后の御名残の色の御衣、今を限と召替ると思召けるにや、御涙の温々と落けるが、泰通の手に懸ければ、不堪して同く涙を流しけり。是を見進らせける卿上雲客、皆直垂の袖を絞る。君も竜顔に御衣の袂を当させ給て、やがて夜の御宿殿へ入せ給ひ、御涙にむせばせ給けるぞ悲しき。
又金田府生時光と云笙吹と、市允茂光と云篳篥吹あり。常に寄合て囲碁を打て、果頭楽の唱歌をし
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て心を澄しぬれば、世間の事公私につけて、何事も心に入ざる折節、内裏(有朋上P821)よりとみの御事ありて、時光を被召けり。いつもの癖なれば、時光耳にも聞入ず。勅使こは如何にといへども不驚。家中の妻子所従までも大騒て、如何にいかにと勧めけれ共、終聞ざりければ、御使力及ばず、内裏に参て此由を奏聞す。何計の勅勘にてかあらんと思ける処に、主上仰の有けるは、勅命を不顧、万事を忘て心を澄し、面白かるらんやさしさよ、王位は口惜き者哉、さやうの者共に行て伴はざるらん事よとて、御涙を流し御感有ければ、事なる子細なし。
又去安元元年十二月に、御方違の行幸の夜、鶏人暁唱ふ声明王の眼を驚す程に成りにけり。主上はいつも御ねざめがちにて、王業の艱難を思召つゞけ御座しけり。折しもさゆる霜夜なり。天気殊に烈しかりければ、いとゞ打解御寝もならず、彼延喜聖主、四海の民いかに寒かるらんとて、御衣をぬぎ給けん事思召出て、帝徳の不至事を歎思召、御心を澄して渡らせ給ひけるに、遥なる程とおぼしくて女の泣音しけり。供奉の人々は聞とがむる事もなし。主上聞召咎めさせ給て、上伏したる殿上人を召て、上日の者や候、只今遠所に叫音のするは何者ぞ、急ぎ見て参れと御気色あり。殿上人承て、本所の衆に仰す。所の衆、急ぎ行て見れば、怪げなる女童の、長持の蓋を提てさめ/゛\と泣。事の次第を尋るに、女答て云く、童が主の朔日の出仕に奉ら(有朋上P822)んとて、只一つ持せ給へる御里を沽て、仕立させ給へる御装束を持て御局へ参つるを、男の二三人詣できて奪取りてまかりぬるぞや、取替の御装束があら
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ばこそ御所にも渡らせ給ふべき、御里があらばこそ立も入せ給はめ、責ては日数も候はばや、又も仕立させ給はめ、親き人渡らせ給はねば、如何にと訪進らする事も侍るまじ、此事思連るに、余に悲く候へば、只今消も失なましきとまで思侍れ共、そも叶はずと申して又足摺して喚叫。所の衆帰参て此由角と奏し申ければ、君聞召て、如何なる者のしわざにか有らん、誠に悲かるべき事にこそ。昔夏の禹王犯せる者を罪すとて、涙を流し給ければ、臣下諌て云、罪犯者不足憐と申ければ、禹王答て云、堯代之民、以堯心為心、故人皆直、今代之民、以朕心為心、故姦犯罪、何不悲哉と歎給ひけり。されば朕が意の直しからぬ故に、朝に姦者のあて法を犯す、これ偏に朕が恥なりとて、御涙を流させ給ひつゝ、彼女童を被召て、とられにける装束は何色ぞと問はせ御座ければ、しか/゛\と申けり。中宮の御方に、左様の御衣や候と召されければ、とられつる衣よりも猶清らかに厳を被参たりければ、件の女童にたびてけり。はや明方の事也けれ共、又もぞさるめにも値とて、上日の者の送りつゝ、主の女房の許へぞ被遣ける。有難き御情(有朋上P823)なり。
S2507 西京座主祈祷事
 < 堀川院御宇、きはめて貧き所衆あり。衆のまじらひすべきにて有けれ共、いかにも思立べき事なし。此事いとなまでは、衆にまじはらん事叶ふまじ。縦世に立廻る共人ならず、懸る身は、あるに甲斐なき事なれば、出家入道して行方知ず失なんとぞ思成りにける。されば日来の前途後栄も空くなり、年比の妻子所従も遺惜く、朝夕に参つる御垣の内を振捨て、山林に流浪せん事も悲く、前世の戒徳の薄さも被思知て、唯泣より外の事なし。主上は兼て近習の女房侍臣などに、内々仰の有けるは、卒土の浜皆王民、
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遠民何踈、近民何親、普恵を施ばやと思召共、一人の耳四海の事を聞ず、是大なる歎き也。帝徳全く偏頗を存るに非ず。されば黄帝は四聴四目の臣に任せ、舜帝は八元八ト臣に委すともいへり。然共遠事は奏する者もなければ、本意ならぬ事も多くあるらん、聞及事あらば、必奏し知しめよと仰置せ給たりければ、或女房、此所衆が泣歎きける有様をこま/゛\に申上たりければ、無慙の事にこそと計にて、又何と云仰もなし。申入たる女房も、思は(有朋上P824)ずに覚えて候ける程に、西京の座主良真僧正を召て、被宣下けるは、臨時の御祈祷あるべし、日時并何の法と云事は、思召定て逐て被仰下べし。先兵衛尉の功を一人召仕て、今度の除目に申成べしと仰含らる。僧正勅命に依て、成功の人を召付けて貫首に申ければ、除目に会て即成にけり。其比の兵衛尉の功は、五万匹なりければ、是を座主の坊に納置て、日時の宣下を相待進らせけれども、日数を経ける間に、僧正参内して、成功五万匹納置て候、臨時の御修法日時の宣下、思召忘たるにやと驚し奏せられたり。主上の仰には、遠近親踈をいはず、民の愁人の歎を休ばやと思召ども、下の情上に不通ば、叡慮に及ばざる事のみ多かるらん。御耳に触る事あらば、其恵を施さんと思召処に、某と云本所の衆あり。家貧に依つて衆の交り叶ひ難くして、既に逐電すべしと聞召、さこそ都も捨がたく、妻子の遺も悲く思ふらめなれば、件の兵衛尉の成功を彼に給て、其身を相助ばやと思召、一人が為に其法を枉るにもやあるらん、聖主は以賢為実、不以珠玉と云事あれば、憚り思召ども、明王は有私、人以金石珠玉、無私人以官職事業と云事も又あれば、何かは苦しかるべき、世に披露は御憚あり、良真が私に賜体にもてなすべし、御祈は長日の御修法に過べからずと仰ければ、僧正衣の袖を顔にあて(有朋上P825)て泣給へり。さすが御年もいまだ老すごさせ給はぬ御心に、かばかり民をはぐくむ御恵、忝ぞ思ひ進らせ給ふ。やゝ暫くありて御返事被申けるは、何の大法秘法と申候とも、是に過たる御祈祷侍まじ、縦良真微力を励して勧め奉らん御祈、なほ
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百分が一つに及べからずと申て、泣々御前を退出して、やがて彼所の衆を西京の御坊に召て、勅命を仰含て五万匹を給たりければ、只泣より外の事ぞなかりける。彼ためしに露たがはせ給はずとぞ申ける。>
S2508 小督局事
小松殿薨給て後は、人の心さま/゛\に替り、不思議の事のみ多し。今又此君の隠させ給ぬるも、国の衰弊也、人の歎也。御病の付せ給ふ事も入道の悪行の至り、恋の御病とこそ聞えし。桜町中納言重範卿の女に、小督殿とて世に類なき美人、琴の上手にて御座けるが、令泉大納言隆房卿の未少将にて、見初給し女房也。少将彼形勢を伝聞て、忍の玉章を被遣けれ共、女房なびく心もおはせざりけるを、度々文を送られける程に、年月も隔り三年にも成ぬ。玉章の数も積りければ、小督殿さすが情に弱る心にや、終には靡き(有朋上P826)給けり。少将見初給て幾程もなかりしに、美人の聞えありて内へぞ被召進らする。少将はつきぬ志しなれ共、勅命力及ばず、飽ぬ別の涙には、袖しほたれてほしあへず、責ては小督殿をよそながらも一目見奉る事もやとて、其事となけれ共日毎に参内せられけり。此女房のおはしける御簾のあたりを、彼方此方へたゝずみありき給へ共、小督殿自君に被召進らせなん上は、いかに思ふ共、言をもかはし文をも見べきに非ずとて、伝の情をだに懸られず。少将もしやとて一首の歌を読けり。
  思ひかね心のおくは陸奥のちかの塩がまちかきかひなし K133 
と書て、引結、御簾の内へぞ入給ける。小督殿さしも志深かりし中なれば、取上返事をもせばやと
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は思召共、君の御為御後めたしとて、手にだに取て見給はず、急ぎ上童にたびて、坪の内へぞ被出ける。少将情なく恨しく思はれけれ共、人もこそ見れとて、取て懐に入て出られけるが、又立帰給ふ。
  玉章を今は手にだにとらじとやさこそ心に思ひ捨つとも K134 
とくちすさみ宿所に帰り、今は憂世にながらへて、互の姿をあひみん事も有難し、生て物を思はんより、只死ばやとぞ泣給ひける。中宮と申は御女、少将は聟也。二人の聟を小督(有朋上P827)殿にとられ給ひ、太政入道安からず腹を立給ひ、いや/\此事、小督があらん限は此世中よかるべし共覚えず、急ぎ召出して可失とて■り給ひける。小督殿此由伝聞給ひ、我つれなくながらへて、君の御為御心苦し、いづくの所にても、身独りこそ如何にもならめとて、ある夕暮に内裏を潜に忍出て、かき消すやうに失給ひぬ。君は聞召、御悩とて夜のおとゞに入せ給ひ、夜は南殿に出御ありて、月の光を叡覧ありてぞ慰ませ給ける。太政入道此事聞給ひ、君は小督殿故に思召入せ給けり、其義ならば御介錯の女房達、一人も付進らすなとて、中宮をば六波羅へ行啓なし進らせ、参内せられける臣下達をも妬申されければ、入道の権威に恐て参り寄人もなし。禁中さびしくならせ給ひ、いとゞ御思深かりけり。比は八月十日余の事なれば、さしも陰なき月なれども、御涙にくもりつゝ、朧に照す空なれや、小夜更人静りて、主上、人やある参れ、人やあると被召けれども、御いらへ申者もなし。折節弾正少弼仲国参たりけるが、隔たる所にて是を承り、仲国と御いらへ申。近く参れ可仰下御事ありと勅定
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ありければ御前に参る。目近く召して、如何に汝は小督がゆくへ知たりやと仰ければ、争か知進らせ候べきと奏す。重ての仰に、誠とやらん、小督は嵯峨の辺に片折戸したる所にありとばかりは聞召ししか共、其あるじ(有朋上P828)の名をば不知、かゝらましかば兼て委く聞召べかりけるぞとよ。汝主が名をば不知とも、尋て進らせてんやと仰けるに、嵯峨広き所にて、名を不知しては争か尋進らせ候べきと申せば、君誠にもとてやがて御涙に咽せ給けり。仲国見進らせて忝く悲く思ひ、実や小督殿の琴弾給しには、仲国被召て必御笛の役に参き。其琴の音はいづくにても慥に聞知らんずる者を、今夜は名にしおふ八月十五日の月の夜也、折節空も陰なし、君の御事思召出て、琴引給はぬ事よもあらじ、嵯峨の在家広しといへ共、思ふに幾程か有べき、王事無脆事、打過て琴の爪音を指南として、などか尋逢進らせざるべき、縦今夜叶はずば、五日も十日も伺聞なん、博雅の三位は三年まで、会坂の藁屋の軒に通つゝ、流泉、啄木の二曲を聞てもこそ有けれと思ひければ、不叶までも尋進らせん、若尋会進らせて候とも、御書なくてうはの空にや思召れ候はんずらんと申ければ、君実にもとて、よにも御嬉しげに思召、御書遊ばして仲国に給ふ。程も遥也、寮の馬に乗てと仰す。仲国明月に鞭をあげて、西を指て浮岩行。八月半ばの事なれば、路芝におく露の色、月に玉をや瑩くらん。我ならぬ在原業平が、男鹿啼その山里と詠じけん嵯峨のあたりの秋の比、さこそは哀に覚えけめ。片折戸したる所を見付ては、此内にもや御座らんと、ひかへ(有朋上P829)/\聞けれ共、琴弾所もなかりけり。打廻
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打廻、二三返まで聞けれ共、我のみ疲て甲斐ぞなき。内裏をばよにも憑しげに申て出ぬ、さて空く帰り参りたらば、中々不参よりも悪かるべし、是より何方へも落行ばやと思へ共、いづくか王土にあらざる、身を隠べき宿もなし、さて又君の御歎き、誰人か慰め進らせんと思ひければ、只狩衣の袖を絞て良久ぞたちやすらふ。是より法輪は程近ければ、そも参給へる事もやとて、そなたへ向てあゆませ行。亀山のあたり近、松の一叢ある方に、幽に琴こそ聞えけれ。峯の嵐か松風か、尋ぬる君の琴の音かと覚束なく思ひ、駒をはやめて行程に、片折戸の内に琴をぞ引澄したる。手綱をゆらへて聞ければ、少しも可違もなき小督殿の爪音なり。楽はなにぞと聞ければ、夫を想て恋と読、想夫恋と云楽也。仲国急ぎ馬より飛び下り、やうぢようぬき出し、ちと合て立寄り、門をほと/\と扣けば、琴をば弾やみ給ひけり、内裏より仲国御使に参り侍り、開かさせ給へ、御気色申さんといへ共、答る人もなし。良ありて鎖をはづし門をほそめにあけて、いたいけしたる小女房顔ばかり指出だし、人違歟所違歟、あやしき賤が庵也、さやうに内裡より御使給べき所に侍らずと云ければ、仲国中々とかく返事せば門たてて鎖さして、悪かりなんと思ひければ、押開てぞ入にける。妻戸(有朋上P830)の縁により居て申けるは、いかに加様の御住居にて御座候やらん、君は御故に思召入せ給ひ、つや/\貢御も聞召さず、打解御寝もならせ給はねば、御命も危く見えさせ給ふ者をや、加様に申侍ば、うはの空にや思召るらん、御書の候とて取出て是を奉る。有つる女房取次て小督殿に進らする。急ぎ披き見給へ
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ば、げにも君の御書也けり。哀に忝くおぼしければ、御書を顔にあて給ひ、いかにせんとぞ泣給ふ。さらぬだに馴にしよはの眤言は、思出つゝ悲きに、雲井の空の月影に、涙の露ぞ置まさる。仲国が待らんも心苦く思ふらんと思召、御返事あそばし引結、女房の装束一重取副、簾のそとへ推出さる。御形見かと覚えて哀なり。仲国給て左の肩に打懸て申けるは、余の御使にて候はば、角御返事の上は、兎角可申入身に候はね共、内裏にて御琴あそばされし御笛の役には仲国こそ被召しか、其奉公をばよも御忘あらじ、いまだ御忘候はずば、御返事を直に承て奏聞申さばやと聞えければ、女房誠にもやと思召けん、近居出て宣ひけるは、さればこそ其にも聞給へる様に、入道の世にも怖き事共申すと聞侍りしかば、難面存へて我も憂目を見ば、君の御為も御心苦し、いづくのいかならん所にても、我身一人こそ消も失なんと思ひ、内裏をば潜に忍出ぬ。いかならん淵河にも入、如何にも成べかりしか共、(有朋上P831)住馴し人々の行へをも聞、今一度君の御言伝をもや承と思ひ、所縁ありて是に此程侍りつれ共、伝を承事もなし。思へば中々身も苦し、明日よりして大原の別所に思立事候て、今夜を限の名残を惜み、主の女房に勧められ、手馴し琴が忘られで、今夜しも引てこそ安は聞知れぬれやとて泣かれければ、仲国も表衣の袖絞るばかりに成にけり。良有て申けるは、大原の別所と承は、御様をかへんとにや、君の御免されなくては、争か御姿をも替させ給ふべき、如何様にも重て御使は参候はんずらん、縦出んと仰すとも、左右なく出し進らさせ給ふなと、彼家の主の女房に申置、召具したる
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馬部吉祥を二三人留置、彼家を守護せさせ、我身は内裏へ馳参る。内裡をば亥刻計に出たれ共、通夜嵯峨野の原に迷つゝ、秋夜長といへ共、内裏へ帰り参りたれば、夜はほの/゛\と明にけり。君は定て御寝こそ成たるらめ、誰してか可奏入と思、装束をば駻馬の障子に打懸、寮の御馬をつながせて南殿の方にさし廻て見進らすれば、未入御もならざりけり。夜部の御座にまし/\、待兼させ給へりと覚たり。仲国が参を御覧じて、詩一つ詠させ給ひけり。
  南翔北 嚮 難附寒温於秋雁 東出西流 只寄瞻望於暁月
と御詠ありけるに、仲国尋会進らせて候とて、御返事をぞ指上たる。急ぎ披て叡覧あれ(有朋上P832)ば、げにも小督局が手也けり。穴無慙や未憂世に有けるや、何としてか尋会たりけるぞと御気色ありければ、御琴の音にと申。如何なる楽をか弾つると有ければ、想夫恋をこそあそばされ候つれと奏すれば、朕が事忘れず思出けるにやとて、又御涙をはら/\と流させ給ぞ哀なる。誰してか被召べきなれば、汝帰りて具して参れとぞ仰ける。仲国承り御前を立けるが、恐し太政入道に聞付られ、如何なる目にかあはんずらんと思けれ共、綸言なれば争か奉背べき、縦被召出被刎首とも、いかゞはせんと思ひ、宿所に帰牛車支度して嵯峨に参り、御気色のよし申ければ、小督殿、我再憂目にあはんより、此次にこそいかにもならめと宣ひけるに、主の女房共に様々誘申ければ、泣々内裏へ帰給ふ。君不斜御悦ありて、或局に召置せ給ひけり。其御腹に姫宮一人出来させ給ひけり。後に坊門に女院と申し
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は、彼姫宮の御事也。平家の方様をば深くつゝしませ給ひけるに、入道何としてか聞付給ひたりけん、源大夫判官を召て、やゝ季定、小督失たりとは君の御虚言にて有けるぞ、未内裏に候なり、急ぎ召出して可失とぞ宣ける。季定承、所縁を以て小督殿をすかし出し奉り、入道に角と申しければ、流石女などを失なはん事は世の聞えも不穏便、たゞ姿を替て追放て、さてぞ君は思召捨させ給はんずると宣ひければ、(有朋上P833)季定承り、目もあてられず思ひけれ共、東山の麓、清閑寺と云所に具足し奉り、姿を替させ奉る。ひすゐのたをやかなるを剃下し、花色衣の御袖を、うき世を徐の墨染に替けるこそ悲しけれ。此を見奉りける人、上下袂を絞りけり。今は疾々御心に任せとて、在所も不定追放つ。此女房と申は、大織冠の御孫、淡海公には一男、武智麿より十二代、故少納言入道信西の孫也。かく竜顔に近付進らする上は、国母后に祝れ給はん事も難かるべきにあらず。平家は下国の守をだにもきらはれて、只今家を起したる人ぞかし、さまでの振舞情なしとぞ人唇を返しける。桜町中納言は最愛の女子を加様にせられ給ふ、如何にすべし共思ひ給はねば、しば/\篭居とぞ聞えける。冷泉少将此由聞給ひ、あな無慙や、さては終にさまたげられにけり、尋行訪ばやと思はれけれ共、入道のかへりきかん事を恐て、思ひながらさてやみ給ふ。新尼御前は、出家は本より思ひ儲し事なれ共、敢無く人に姿をかへられて、如何なる事をか被思けん、さして行べき方も覚えねば、泣々嵯峨へ帰給ふ。暫く爰に御座けるが、後には大原の別所に閉篭り、行澄し給けり。御歳廿三歳、しかるべき形なり。主上は聞召、朕天子の
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位にて、これ程の事を叡慮に任せぬ事こそ安からねと被思召けれ共、世に披露はなかりけり。深く思召出たる時は、只(有朋上P834)御悩とて夜のおとゞへ入せ給けり。小督の局の心ならず尼になされたる所なれば、御なつかしく思召けるにや、朕をば必清閑寺へ送り納めよと御遺言の有けるこそ御愛執の罪と云ながら哀なれ。入道は斯る悪行し給て、流石おもはゆくや被思けん、福原へ下給ひにけり。
S2509 前後相違無常事
小督局かく事にあひぬと聞召し後は、御恋も御うらめしくも思召して、つや/\供御も参らず、只夜のおとゞに入せ給ひて、長き冬の終夜、御ながめがちにて明し暮させ給ひけるに、打続き南都炎上の事聞召て、いとゞ御悩重らせ給て、終に隠させ給ひにけり。凡此君仁風卒土に覆ひ、高徳配天に顕る。有道の政無偏の恵、誠に堯、舜、禹、湯、周文、武、漢文帝と聞えしも角やとぞ覚えし。されば後白河法皇の仰には、代を此君につがせ奉りたらましかば、恐くは延喜天暦の昔にも立帰なんとこそ思召つるに、先立せ給ひぬれば、我身の御運の尽るのみにあらず、国の衰弊なり、民の果報の拙が故也とぞ嘆かせ給ひける。近衛院隠れさせ給たりしに、故院の御歎ありし事、挙賢、義孝兄弟二人、(有朋上P835)先少将後少将とてはなやかにうつくしきが、二十計にて一日の中に失給ひたりしを、父一条の摂政〈 伊尹 〉謙徳公同北方の被歎事、後江相公朝綱の子息澄明に後て仏事修しける願文に、悲之亦悲、莫悲於老後子、恨而更恨、莫恨於少先親、雖知老少之不定、猶迷前後之相違と自書て泣けんも、御身に被知御涙せきあへさせ給はず。永万
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元年七月廿八日に、二条院も御歳廿三にて失させ給ぬ。安元二年七月十九日に、六条院も御歳十三にて隠れさせ給ひぬ。治承四年五月廿四日に、高倉宮も討れさせ給ぬ。安元二年七月七日、比翼の鳥、連理の枝と、天に仰ぎ星を指て御契深かりし建春門女院も、秋の霧におかされて、朝の露と消させ給にき。会事稀なる織女も、七月七日を限として、天河逢瀬を渡る習あり。偕老同穴の玉の台を並しに、今日しもいかなれば永別に咽らんと、年月は隔れ共、昨日今日の御憐の様に被思召て、御涙も未かわかせ給はぬに、現世後生深く憑み思召つる新院も、先立せ御座ぬれば、何事に付ても、今は御心弱くならせ御座して、いかゞなるべし共思召わかず。老少不定は人間の定れる習なれ共、前後の相違は生前の御恨なほ深し、人の親の子を思ふ道、おろかに頑なるすら猶悲し、況万乗の聖主、末代賢王に於てをや。近く召仕給ひし輩眤思召人々、或は流され(有朋上P836)或は討れにしかば、御心やすまらせ給ふ御事もなかりつるに、打副又此御歎あり。是につけても一乗読誦の御勤も怠らず、三密行法の御薫修も積れり。今生の御事は露思召捨させ給て、只来世得脱の御祈のみありける。中にも我十善の余薫に酬て、万乗宝位を忝くす、四代の帝王を思へば子也孫也。いかなれば万機の政務を被止て年月を送らんと、日来の御歎も浅からず思食ける上、新院の御事に、雲の上人花の袂を引替て、皆藤の衣に改るに付ても、御心憂しと思召連けり。
S2510 入道進乙女事
太政入道は、此程痛く情なく振舞し事、悪かりけりと思ひ給ひけるにや、正月廿七日に、安芸の国厳島の内侍が腹に儲けたりける第七
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の乙娘の今年十八に成り給けるを、法皇の御所に進せられけり。上搶蘭[数多選ばれ給ひける中に、鳥飼中納言伊実卿の御娘も御座けり、大宮殿とぞ申ける。高倉院隠れさせ給ひて、今日は二七日にこそ成けれ、御歎の最中也。いつしか懸べし共覚えず、公卿殿上人供奉して、偏に女御入内の様也。是に付ても法皇は、こは何事ぞと御冷く思召れければ、後には中々伊実卿の御娘、大宮殿(有朋上P837)ぞ御気色はよかりける。又一条大納言の御娘に近衛殿と申女房も御座けるが、是も御気色よかりければ、御■[*女+夫]の実保伊輔二人、一度に少将に成れなどして、ゆゝしく聞えける程に、相模守業房が後家、忍て被召けるに、姫宮出来させ給ひにけり。大宮殿、近衛殿、二人の上搶蘭[、本意なき事に思ひけれ共力なく、後には大宮殿は、平中納言親宗卿、時々通ひ給ひけり。近衛殿には、九郎判官義経一腹の弟に、侍従義成と云人、通ひ給ひけり。義成は判官の世に在し程は、武芸立ゆゝしく見えしか共、判官兵衛佐に中違て、西国へ落し時は、義成は紫の取染の唐綾の直垂に、萌黄匂の鎧著て、白葦毛の馬に乗けるに、判官の後にうちたりけるが、大物が浜にてちり/゛\に成りけるに、義成和泉国へ落隠れたりけれ共、虜れて鎌倉へ被召下、上総国へ被流て、三年ありけるとかや。(有朋上P838)