『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第六

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辺巻 第六
S0601 丹波(たんばの)少将(せうしやう)被(二)召捕(一)附謀叛人被(二)召捕(一)事
新(しん)大納言(だいなごん)成親卿(なりちかのきやう)の嫡子に、丹波(たんばの)少将(せうしやう)成経(なりつね)とて、今年廿一に成給ふ。折節院(ゐんの)御所(ごしよ)に上臥して、未(二)罷出(一)程なりけるに、大納言の供に有ける侍一人走来て、上には西八条殿に被(二)召籠(一)させ給ぬ。今夜可(レ)奉(レ)失と承りき。君達も一々に召し給べしと申あへりと聞えければ、こはいかにとてあきれ給(たま)ひ、物も覚給はず。左程の事に、如何に宰相の許よりは告給はざるらんと、舅を恨み給けるに、門脇殿(かどわきどの)よりとて使あり。聞給へば、八条殿より少将相具して来れと被(二)申遣(一)たり。急ぎ先是へ入給へ、いかなる事にか浅猿と云も疎也と被(レ)申たれば、肝魂も消はて、うつゝ心なし、兵衛佐と云女房を尋出して、泣々(なくなく)被(レ)語けるは、夜部より世間の物騒き様に聞ゆれば、例の山大衆の下るやらんと、徐がましく思侍れば、かゝる身の上の事に聞なせり。御前に参て今一度君をも見進せたく侍れ共、憚ある身なれば、思ながら空くて罷出候ぬと、御披露あれと、云もはてず袖を絞けり。(有朋上P180)日比年比は馴戯たりける女房達も出合つゝ、何事にか浅増や、さて出給なば、後いかが聞なし奉らんとて、涙を流し各別を悲けり。少将宣(のたまひ)けるは、八歳にて見参に入、十二より立も去事なく、夜も昼も御所に伺候して、自労なんどの外は、一日も不(レ)参事はなかりき。朝夕に竜顔に近づき進て、奉公忝く、君の御糸惜み深くして朝恩に飽満明し晩しつるに、
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いかなる目をみるべきやらん、父大納言も此の暮に被(レ)失べしときけば、同罪にてこそあらんずらめ。父左様に成給はんには、其子として命生ても何かはすべきと云もはて給はず、狩衣の袖を顔に押あてて泣給へば、近候ける人々も、袂を絞ぬはなし。兵衛佐御前に参て、此由角と申ければ、法皇大に驚かせ御座て、今朝の相国が使も不(レ)得(二)御意(一)つるに、此等が内々計し事の漏にけるよと、浅間敷(あさましく)被(二)思召(一)(おぼしめされ)て、去にても是へと御気色有ければ、世はつゝましかりけれ共、今一度君をも見進せんと思つゝ、志計にて、御前へは参たれ共、涙に咽て物も不(レ)被(レ)申。法皇も御涙を押へ御座して、御詞も出させ給はず、少将はいとゞ涙の流ければ、袖を顔にあてて罷出給ぬ。御所中に候合給たりける人々、門外まで遥(はるか)に見送て、各袖をぞ被(レ)絞ける。法皇は又も不(二)御覧(一)事もやと思食(おぼしめし)けるにや、御簾近御幸ありて、御涙を拭はせ給けるぞ忝き。末代こそ心憂けれ、角(有朋上P181)しもや有べき、王法の尽ぬるかと、御口惜ぞ思召(おぼしめさ)れける。近奉(レ)被(二)召仕(一)人々も、此は人の上と不(レ)可(レ)思、又いかなる事か聞みんずらんと安き心もなし。少将は宰相の許へ被(レ)出たりけれ共、此事の聞えけるより、北方はあきれ迷て、物も覚ぬ様にてぞ御座ける。近産し給べき人にて、何となく日比も悩給けるが、此を聞給(たまひ)て後は、いとゞ臥沈てぞ御座ける。少将は今朝より流涙尽せざりける上に、北方の形勢(ありさま)を見給(たま)ひけるにこそ無(二)為方(一)けれ。責ては此人の身々と成たらんを見て、何にも成ばやとおぼされけるぞ糸惜き。六条とて乳母の女房の有ける臥倒て喚叫けり。血の中に御座を此年比生し立奉りて、糸惜悲しと思そめ奉りしより、明ても暮れても此御事より外に又いとなむ
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事もなし、我身の年の積をば顧ず、早く成人し給はん事をのみ思て、廿一まで奉(レ)生、院内へ参らせ給(たまひ)ても、遅く出させ御座せば、心本なく恋しくのみ奉(レ)思つるに、こは何へ御座ぞや、棄られ進て、一日片時堪て有べし共覚えずと口説立て泣ければ、げにもさこそは思らめとて、少将も涙を押て、痛く歎思給べからず、角宣へば、いとゞ打副無(二)為方(一)覚るに、乍(レ)去我身に誤なし、又宰相殿角て御座せば、縦いかなる咎に当べくとも、一度が定はなどか申請られざるべきと、去共とこそ思へなど誘へ給へども、人目も知ず泣もだ(有朋上P182)えけり。八条殿より使度々に及で、遅々と申ければ、何様にも罷向ひてこそは兎(と)も角(かく)も申さめとて、宰相出給ければ、少将も車に乗具して出給。今を限と思ければ、無人を取出す様に見送つゝ、男も女も声を調て泣きあひけり。八条近遣寄て見れば、其辺四五町には武士充満て、いくらと云事を知ず、いとゞ恐しなんども云ばかりなし。少将は此を見給に付ても、大納言の事いかゞ成給ぬらんと思給けるぞ悲き。宰相車を門外に止て、案内被(レ)申たれば、少将をば内へは不(レ)可(レ)被(レ)入とて、侍の許に下し置、武士余多来て守(二)護之(一)。宰相内へ入、源大夫判官季貞を以て、参給へるよし申入給へり。入道は聟の少将が事を申さん料にぞ在らん、此程風気有て不(レ)入(二)見参(一)と云へ、曳とて出合れず。此由御返事申せば、宰相又季貞に被(レ)仰けるは、無(レ)由者に親く成て候、返々悔思へども、兼て不(レ)存事なれば今は云に甲斐なし、相具せる者の痛歎焦を思はじと思へども、恩愛の道とて、余に不便に覚ゆるを〔以〕いかゞ仕るべきと存る上、近産すべき者にて侍なるが、月比日比も悩なるに、此歎打副て、身々とならぬ
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前に命も絶えぬべく見ゆれば、相助ばやと存て乍(レ)恐角申入也。成経ばかりは、罪科治定の程は申預候ばや、教盛角て候へば、僻事努々有べからず、■(おぼつかな)く思召(おぼしめさ)るべからずと泣々(なくなく)口説被(レ)申けり。季貞又此由入道殿(にふだうどの)(有朋上P183)に申せば、打聞てへし口して、去ばこそとて能々心得ぬ事に思、急と返事なし。宰相殿は中門にていかゞ返事し給はんずらんと、今や/\と待給へり。入道良久有て宣(のたまひ)けるは、成親卿(なりちかのきやう)此一門を亡して国家を乱らんとする企て有けり。去ども家門の運尽ざる間、事既(すで)に顕れぬ、成経と云は彼卿の嫡子也、親く成給たりとても宥申がたし、且は遼迹(おもんばかり)も有べし、其企本意とげば、御辺とても安穏にやおはすべき、御身の上をばいかに、よそほかの様には思給ふ、聟も娘も身に勝るべきかはと云へとて、少もゆるぎなかりければ、季貞出て此様を申す。宰相大に本意なき事に思て、重て被(レ)申けるは、仰の上に又申入る事その恐なれども、心中に所存を残さん事も妄念也。流罪にも死罪にも被(二)定行(一)を、免ぜられんと申さばこそ竪からめ。それとても縁に付日ば、寛宥せらるゝ事尋常也。さまでこそなからめ、罪科治定の程、暫被(二)預置(一)事、何の苦か有べき。保元平治両度の合戦には、御命に替奉り、身を捨て振舞侍き。向後とても荒風をば先禦ぎ奉らんと深存ず、教盛こそ老耄也共、子息等あまた侍れば、御大事の時は、一方の御固とは憑思召(おぼしめす)べし。成経を預置給はずは、二心有者と思食(おぼしめす)にこそ、後闇者ぞと被(二)思穢(一)たてまつりて、世に立廻ては何の面目か有べき。大中納言の望も、富貴栄輝(えよう)の欲(ほし)さも、子を思故也、(有朋上P184)我身一人が事ならば、いかでも在なん。御一門の端と成て、是程(ほど)に歎申事の不(レ)叶には、
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世に諂て何の詮か有べき。今は身の暇を給(たま)ひて出家入道し、片山陰に篭居して、後の世をこそ助め。世に随へば望あり、望叶はねば怨あり、恨も望も思へば共に輪廻の妄念也。よし/\憂世を厭ひて実の道に入らん事、可(レ)然善知識にこそ侍らめ。参つるまでは無(レ)由、子ゆゑと存じつるに、聞入給はねば思切なん、人の御心つよきは、我菩提の指南なるべしとまでこそ口説かれたれ。宰相のかく被(レ)申も理也。子息に通盛教経業盛とて、一人当千の人々御座しければ、荒風をばまづ可(レ)防と述懐し給(たま)ひけるなり。季貞世に苦々敷思て、立帰入道殿(にふだうどの)に委申ければ、物にも心えぬ人かな、吐己其程(ほど)に聟の悲く思覧よとて、打傾て又返事なし。李貞は暫候て、門脇殿(かどわきどの)は思召(おぼしめし)切たる御気色に見えさせ給也、能様に御計ひ有べくもやと申ければ、入道宣(のたまひ)けるは、成経が事たゞ家門の煩なき様を計ひ申処に、出家入道とまで被(レ)仰之上は、少将をば暫御宿所に置給へかしと渋々に宣ふ。李貞此旨申ければ宰相大に悦て、急少将の御座る所へ立入給、被(二)預置(一)こと叶まじと、再三に及びつれども、出家遉世とまで恨くどきたれば、暫宿所に具し還れと宣き、事の様後いかゞと■(おぼつかな)しと語給へば、少将は一日の命とても疎なるべきかとて被(レ)泣(有朋上P185)けるを見給(たまひ)て、宰相は、人の身に女子は持まじき物ぞと云は理也と、始て思知れけり。我子につかずはなにとて角歎べきぞ、徐外にこそ見聞べきにとおぼされけり。平家は保元平治より已来楽み栄は在つれども、愁歎はなかりしに、門脇殿(かどわきの)宰相(さいしやう)ばかりこそ、由なかりける聟ゆゑに係る歎はし給(たま)ひけれ。少将は我身の少し甘ぐに付ても、父いかゞ成給ぬらむ、かばかり暑き折節に、装束もくつろげ給はず、狭き
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所にこそ奉(二)押籠(一)たるらめと心苦さに、大納言の事はいかゞ聞召つると問給へば、宰相は一筋の御事をのみ申つれば、亜相の御事までは心も不(レ)及と答給ふ。少将理とは思ながら、我身の命の惜も、父の行末を知ばやと也。大納言の世に御座ぬ事ならんには、其子としては只同じ道にこそとて泣給ふ。宰相は車に乗給へども、少将は倒臥て立も上給はず。宰相哀に覚して其心を慰給はん為に、誠や自は奉(レ)問事は無りつるを、李貞が物語しつるは、亜相の事をば内大臣(ないだいじん)の様々に被(レ)申て、食事をも奉(レ)進、又休まゐらするなんど承りつれば、命のおはせぬ程の事はよもと覚ゆと宣へば、少将手を合悦て、泣々(なくなく)車に乗給へり。宰相は帰給ふ道すがら、子は有も歎き無も歎と云ながら、無はほしと楽思ばかり也、有ては旁煩多し。心地観経には、世人為子造諸罪堕在三途長受苦とも説、無量寿経には、不如無子(有朋上P186)とも宣べ給へり、子を思妄念に依て、今生にも心苦く、後生も悪趣に堕と見えたり。教盛子故にかく心を尽す事よと被(レ)思けるが、少将の我身の歎に打そへて、父の事をあながちに心苦く悲む事の哀さよ、子ならでは誰かは此程(ほど)に思べき。恩愛の道こそ糸惜けれ、子は持べかりけりと、兎にも角にも只涙をぞ流し給ふ。宰相の宿所には、少将の出けるより、北方を奉(レ)始て、母上乳母の六条諸共に臥沈て、いかゞ聞なさんと、肝心も消失て起もあがり給はざりけるに、宰相入給ふと云ければ、穴心憂、少将をば打捨ておはするにこそ、憑しき人には捨てられぬ、いかに心細かるらんと被(レ)歎ける処に、少将殿も同く帰入せ給と申ければ、人々泣々(なくなく)起上、車寄に出向て、真歟真歟と声々に問給ふ程(ほど)に、少将も宰相も同車して入給ふ。
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後は知ず、さて帰入給たれば、無人の蘇生たる様に悦泣の涙は、先よりも猶色深こそ見えられけれ。内に入て宰相宣(のたまひ)けるは、入道の憤こと不(レ)斜(なのめならず)、対面もなし、ゆゝしく悪気なりき。宣事も理也つれども、李貞を以て推返推返、出家遁世して山林に籠らん、暇を給へとまで恨口説たれば、渋々に暫くとは宣つれども、始終よかるべしとも不(レ)覚と云れければ、人々始終の事はいかがはせん、今朝を限とこそ思ひ侍つるに、二度奉(レ)見事のうれしさよとぞ悦給ふ。此平宰相(へいざいしやう)と申は入道の弟也。兄弟多く(有朋上P187)おはしける中に、ことに此人をば糸惜おぼして、一日も見ねば恋くおぼつかなければとて、六波羅の惣門の脇に家を造て居置給(たま)ひたれば、異名に門脇殿(かどわきの)宰相(さいしやう)と申ける也。係中なれば、しひても歎き暫免しも預け給けり。入道当時八条に御座けり。世もつゝましとて少将の方には、蔀の上計を上てぞ居たりける。大納言父子は今夕可(レ)被(レ)刎(レ)首と披露有けれ共、其夜殊なる事無りければ、是は小松殿(こまつどの)と門脇殿(かどわきどの)との歎教訓し給験にやと、当家も他家も、女房も男も悦申けり。新(しん)大納言(だいなごん)父子にも不(レ)限被(二)召誡(一)輩は、新判官資行をば、源大夫判官季貞に仰せて、佐渡国へ流す。山城守基兼をば、進の二郎宗政に仰て、淀の宿所に召置、平判官康頼、法勝寺執行俊寛をば、妹尾(せのをの)太郎(たらう)兼康(かねやす)承つて福原に被(二)召置(一)。丹波(たんばの)少将(せうしやう)成経(なりつね)をば、舅の平宰相(へいざいしやう)教盛申預り給ぬ。近江中将入道蓮浄をば、土肥次郎に仰て、常陸国へ遣す。
S0602 西光父子亡事
西光(さいくわう)法師(ほふし)は、入道の三男に三位中将知盛の乳人に、紀伊次郎兵衛為範と云者が舅也けるに依て、為範が主の三位中将に歎申、中将又様々に預り候はんと被(レ)申けれ
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共、入道不(二)(有朋上P188)用給(一)、責ては手に懸んより、聟にて侍べれば為範に預給候へと、低臥被(レ)申けれ共、種々の悪口申たりけるに依て、入道終に聞入給ず、口を割れて被(二)禁置(一)たりけるを、松浦太郎高俊承つて朱雀大路に引出し、なぶり切にぞ切てげる。郎等三人同被(レ)切。見聞の者中に、哀西光(さいくわう)法師(ほふし)は詮なき悪口して口を割るゝのみに非ず、終に被(レ)切ぬる無慙さよ、倩事の心を案ずるに、雖(二)冠古(一)猶居(レ)頭、雖履新(一)尚蹈(レ)地、嗔れる拳不(レ)当(二)笑顔(一)、故不(レ)如(レ)順、下に居て嘲(レ)上、愚にして賢を蔑にして、かく被(レ)死ぬるこそ不便なれ、同罪にてこそ有らめども、余の輩は角はなし。或は流され、或は被(レ)禁てこそ有にと申ければ、不敵の者ねも有けり、終に切らるゝ者故に、よくこそ云たれ、無事ならばこそと云者も在けり。聞(レ)之耳こそばゆく思者は、立退人も多かりけり。西光(さいくわう)法師(ほふし)が子息に加賀守師高(もろたか)、左衛門尉師平、右衛門尉、師親兄弟三人をば、依(二)山門之訴訟(一)被(レ)流(二)尾張国(一)たりけるが、当国井戸田と云所に在けるを、為(二)追討(一)武士を被(二)差下(一)、師高(もろたか)が母聞(レ)之、急ぎ人を下して角と告げたり。師高(もろたか)折節河狩して遊けり。国中の者共多集て、水辺に仮屋を造並べ、遊君其数喚集て、今様うたひ琴琵琶弾、面白かりける酒宴の座へぞ告げたりける。師高(もろたか)周章(あわて)迷て彼配所を逃出て、同国蚊野と云所に忍居たりけるを、討手の使下向し(有朋上P189)て、小熊郡司惟長、川室の判官代範朝等を相具して押寄、散々(さんざん)に戦ふ。師高(もろたか)、師平、師親、兄弟三人思切て振舞けれ共終に叶ず、惟長が為に被(レ)誅けり。郎等三人同被(レ)誅、又主従六人が頸河の耳に切係たり。身は河原に倒臥、沙に交りて在けるを、師高(もろたか)が思ける萱津宿の遊君、僧を
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語ひ孝養して、骨を拾ひて堂塔に納つゝ、尼に成て後世弔けるこそ哀なれ。西光師高(もろたか)父子共に、法皇の切者にて世をば世とも思はず、人をも人共せざりし余りに、白山妙理権現(はくさんめうりごんげん)の神田講田没倒し、涌泉寺(やうせんじ)の坊舎聖教焼払、末社の神与登山、日吉御輿及(二)入洛(一)、其上顕密之法燈智行先達に御座し、天台座主(てんだいざす)種々に奉(二)讒奏(一)しかば也。人の歎神の恨、三千の咒咀も不(レ)空、十二神将の冥罰も掲焉にして一門終に亡ぬるこそ無慙なれ。左見つる事よと云者は多けれ共、ほむる人こそ無りけれ。大方は女と下臈(げらふ)とは賢き様なれ共、思慮浅き者也、西光も本は田舎の夫童なれば、無下の下臈(げらふ)ぞかし、去共一旦賢々敷心様也ければ、一天の君に奉(レ)被(二)召仕(一)、忝く竜顔に近づき進せしかば、果報や尽けん其心大に奢つゝ、其官職にあらねども、天下の事共執行、よしなき謀叛に与しつゝ、我身も加様に失にけり、不(レ)在(二)其位(一)謀(二)其政(一)と云事あり、相構て人は身の程の分を相計て可(二)振舞(一)とぞ申合ける。(有朋上P190)
S0603 西光卒都婆事
 或人の云けるは、今生の災害は、過去の宿習に報ふべし、貴賤不(レ)免(二)其難(一)、僧俗同く以て在(レ)之、西光も先世の業に依てこそ角は有りつらめども、後生は去とも憑しき方あり、当初難(レ)有願を発せり、七道の辻ごとに六体の地蔵菩薩を造奉り、卒都婆の上に道場を構て、大悲の尊像を居奉り、廻り地蔵と名て七箇所に安置して云、我在俗不信の身として、朝暮世務の罪を重ぬ、一期命終の刻に臨ん時は、八大奈落の底に入らんか、生前の一善なければ、没後の出要にまどへり。所(レ)仰者今世後世の誓約なり、助(レ)今助(レ)後給へ、所(レ)憑大慈大悲の本願也、与(レ)慈与(レ)悲給へとなり。加様に発願して造立安置す、四宮河原、木幡の里、造道、西七条、蓮台野、みぞろ池、西坂本、是也。たとひ今生にこそ剣のさきに懸共、後生は定て薩■[*土+垂](さつた)の済渡に預らんと、いと憑しとぞ申ける。
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S0604 大納言音立事
新(しん)大納言(だいなごん)成親卿(なりちかのきやう)をば、速に死罪に行はばやと、入道はおぼされけれ共、小松大臣の様々(有朋上P191)被(二)宥申(一)ければ、遉が子ながらも恥かしき人にておはすれば、其教訓も難(レ)背して、死罪までの事はなけれども、西光(さいくわう)法師(ほふし)が白状に安からず被(レ)思つゝ、大納言のおはする後の障子をあらゝかにあけて出で給へり。生の衣の裳短きに、白き大口を著給たり。聖柄の腰の刀をさし、大に嗔たる体也。大納言に向て、一長押上たる所に尻打係て、はたと睨給へば、大納言はあは只今被(レ)失歟、又いかなる事のあらんずるやらんと思より、いとゞ胸打騒ぎ伏目にて打うつぶき給たりければ、入道、やゝ大納言殿(だいなごんどの)々々(だいなごんどの)と呼仰て、あら悪の殿の顔やな、御辺は平治の乱逆の時失給ふべかりし人ぞかし、其に小松の内府が頻に歎申に依て、心弱く宥置奉て、頸を継、大国庄園数多給り、官位と云俸禄と云、身に余る程(ほど)に成給へる人の、何の飽足ずさに其恩を忘て、忽に此一門を滅さんと結構し給けるぞ、入道が咎何事に侍るぞや、一門の運依(レ)不(レ)尽、今其企顕れたり、同意の北面の奴原、一々に食禁て候、御辺又加様に奉(レ)迎候へば、今は別事あらじと存ずれ共、入道に深宿意の有けん子細、謀叛悪行の企語給へ、承らんと宣へば、大納言は、人の讒言にてぞ候覧、御一門に向進せて、何事の怨有りてか左様の事思立侍るべき、努々無事也と被(レ)申たり。入道立直て大の音を以て、侍に人や在/\と呼給ひければ、貞能(さだよし)候とてつと参。やをれ、此(有朋上P192)に物論ずる人の有ぞ、西光が白状進よと宣へば、貞能(さだよし)巻物一巻持て参る、四五枚も在らんと見ゆ。入道自さと披て、慥に聞給へとて高声に二返読聞せ奉て、此上争か論じ給べき、穴悪の人の物論じたる顔の
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誠し気さよ、穴悪やとて白状を取直して、大納言の顔をすぢかへに打つて、障子を立て入給ぬ。入道角しても猶腹居かねて、難波妹尾を召て、大納言をめかせよと宣ふ。二人の武仰奉て、一間より引出し奉て壺の内に召居、数の■(しもと)を支度したり。入道は壁を隔て立聞給けり。難波妹尾、大納言に無(レ)情当たりとて、小松殿(こまつどの)深く禁給(たま)ひける事を大に恐思ければ、忍やかに大納言の耳に申けるは、上の仰なれば奉(レ)誡由なるべし、真に争か其義有べき、入道殿(にふだうどの)壁を隔て立聞給へり、叫給へと申て、大納言の居給へる傍をしたゝかに打ちければ、あゝ難(レ)堪、助給へや、休給へや、物申さんとのたまひければ、入道、何事ぞ暫休て、物云せよ、きかんと有ければ、経遠(つねとほ)兼康(かねやす)杖を納む。大納言は、我平治の乱に既(すで)に可(レ)奉(レ)被(レ)刎(レ)首かりし者が、小松殿(こまつどの)に奉(レ)被(レ)助(レ)継(レ)命、位正二位、官大納言に経上つゝ、大国数多給(たまひ)て、官禄共に身に余たる我身の今なる果こそ悲けれ。平家御恩を蒙たる身也、争奉(レ)忘(二)其恩(一)、謀叛の企候べきとぞ口説給ふ。入道はさこそ思べき事よ、但虚言ぞ、今一度をめかせよと宣へば、又傍をぞ強(有朋上P193)打たりける。大納言は、あら難(レ)堪助給へ、妹尾殿、休給へ難波殿とぞ叫び給ふ。物に能々喩れば、罪深き衆生の、所造の業に随ひて、刑罰を蒙り、獄卒阿旁羅刹にさいなまるらん、冥途の旅の有様(ありさま)、角やと覚えて哀也。入道聞(レ)之給(たまひ)て、少し腹居て、さばかり候へとて、又本の所へ推籠奉る。
S0605 入道院参(ゐんざん)企事
入道は加様に人々禁置て後も、猶不(レ)安おぼされければ、生衣の帷の脇掻たるに、赤地錦鎧直垂に、白金物打たる黒糸威の腹巻に、打刀前垂に指、当初安芸守と申時、厳島社の神拝の次に、蒙(二)霊夢(一)賜ると見たりけるが、うつゝにも実に有
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ける銀の蛭巻したる手鋒の、秘蔵して常枕を不(レ)放被(レ)立たる、鞘はづし左の脇に挟て、中門の廊に被(レ)出たり。其気色大方あたりを払てゆゆしくぞ見えける。貞能(さだよし)貞能(さだよし)と召ければ、筑前守木蘭地の直垂に火威の鎧著て、跪て候ひけり。入道嗔声にて宣(のたまひ)けるは、やをれ貞能(さだよし)慥に承れ、入道が過分とては、官途の涯分計也。坂上田村丸は、刈田丸が子也しかども、東夷の辺土を平げし忠に依て、左近大将を兼たり。朝敵を誅して高位に登事、異域本朝其跡相伝(有朋上P194)れり、浄海一人に非ず、君強に御憤(おんいきどほり)有べき事ならず、其奉公を案ずるに一度一旦の勲功に非ず、一年保元逆乱の時、平馬助を始として、親者共も半に過て、新院の御方に参き。一宮重仁親王の御事は、故(こ)刑部卿殿(ぎやうぶきやうどの)の養君にて御座しかば、旁思放進せがたかりしかども、故院の御遺誡に任て、御方にて前を蒐、凶徒を討平たりき。是一の勲功也。次平治元年に右衛門督信頼卿、下野守義朝(よしとも)等が振舞、入道命を惜ては叶ふまじかりしを、命を重じ身を軽じて凶党を退き、経宗惟方を召し禁しに至るまで、度々天下を鎮海内を平げて、君の御代になし進たる入道也。たとひ人いかに讒申とも、争か子々孫々(ししそんぞん)迄も捨思召(おぼしめす)べき。成親卿(なりちかのきやう)が讒奏につかせ御座て、一門追討せらるべき由の院中の御結構(ごけつこう)こそ返々遺恨の次第なれ。此事行綱不(レ)告知(一)不(レ)可(レ)顕、不(レ)顕は入道安穏に有るべしや、猶も北面の下臈共(げらふども)の中に申事なんど有ば、御軽々の君にて、一定当家追討の院宣被(レ)下ぬと覚ゆ。朝敵と成なん後は悔に甲斐有まじ。世を鎮程、仙洞を鳥羽の北の御所へ移しまゐらする歟、去ずば御幸を是へなし進せばやと思也。其儀ならば北面の者共の中に、矢をも一つ射出す者も有ぬと覚ゆる
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ぞ、侍共に可(レ)有(二)用意(一)と触べし、大方は入道院中の宮仕思切ぬ、きせなが取出せ、馬に鞍置せよとぞ宣(のたまひ)ける。又然べしとは云まじけれ共、(有朋上P195)是程の大事争か内府に可(レ)不(二)申合(一)とて、急ぎ立寄給へ、申べき事等侍りと、使者を立られたりけれ共、強にさわがぬ人におはしければ、けしからず只今何事か有べきとて、急ぎ出給ふ事なし。其間に侍共は入道の下知に随て、弓よ矢よ、馬鞍などひしめけり。一門の人々も色々に出立て、つと出給はんずる体也。入道は小具足取付腹巻著て、中門の廊に打立給へり。主馬(しゆめの)判官(はんぐわん)盛国(もりくに)此形勢(ありさま)を見て、穴浅猿と思ひければ、小松殿(こまつどの)に馳参、世は既(すで)にかうと見え侍り、入道殿(にふだうどの)御きせながを被(レ)召たり、公達も侍も悉く被(二)打立(一)たり、法住寺殿(ほふぢゆうじどの)へ御参有て、法皇を鳥羽の御所に移し進すべしと披露候へども、実は西国の方へ御幸有べきとこそ内々承つれ、いかに此御所へ御使は不(レ)被(レ)進やらんと申ければ、大臣大に騒給(たまひ)て、使者は有りつれ共何事かは有べきと思食(おぼしめし)つるに、今朝の入道の気色、さる物狂しき事も有覧とて、急ぎ西八条へ被(二)馳参(一)けり。其時も猶今朝の姿にて、烏帽子(えぼし)直衣にて、物具したる者をば一人も具し給はず、差入て見給へば、入道既(すで)に腹巻を著給ける上は、一門の卿上(けいしやう)雲客(うんかく)数十人、各思々の鎧直垂に色々の鎧著て、中門の廊に二行に著座せられたり。諸国の受領なんどは、縁に居覆て庭にもひしと並居たり。馬の腹帯強しめて、手綱打係打係、旗竿共引そばめ、熊手薙鎌、手々にさゝげ、甲を前に置て、主人(有朋上P196)あと云ば、郎等さと出べき体也けり。小松大臣は引替、烏帽子(えぼし)直衣に奴袴の稜取さやめき被(レ)入ければ、人々事の外にぞ奉(レ)見。右大将宗盛出向て、内府の直衣
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の袖を引へて、是程の大事出来て、入道殿(にふだうどの)既(すで)に甲冑を被(レ)帯候の上は、御装束何様にか候べきと宣(のたまひ)ければ、何事かは有べき、朝家の重事をこそ大事とは申せ、此は私事也、入道の物狂の至る所歟、武具を帯する事輒らず、重盛(しげもり)憖に其職に居ながら甲冑を著せん事、太不(レ)可(レ)然、就(レ)中(なかんづく)近衛大将は世の重ずる官、他に異なる職也。兵共も数千騎候之上は、云がひなく重盛(しげもり)一人物具したらば、何程の事かは候べき、礼儀を知ぬに似たり。夷賊朝家を乱り、凶徒勝に乗て御方敗れんとせん時は、たとひ丞相の位に至るとも、自禦戦べし、而を敵方も無其仁も不(レ)知、何に向てか合戦すべき、沙汰之趣尤以つて不審也とて、よに悪気にて尻目に懸て通られければ、宗盛卿(むねもりのきやう)苦々敷思給(たま)ひ、帰入給ぬ。実に理也ければ、聞人々皆苦りあへり。内府内へ入り給へば、入道見(レ)之給(たまひ)て、臥目にこそ成給へ、例の此内府が世を表する様に振舞とて不(二)意得(一)気には御座しけれども、子ながらも遉あの貌に物具して相向はん事、面早くや被(レ)思けん、物具脱置隙もなかりければ、障子を少し引立て、腹巻の上に薄墨染の素絹の衣を引懸て出給たりけるが、胸板(むないた)の金物のはづれて見え(有朋上P197)けるをかくさんと、頻に衣の頸を引違引違し給(たま)ひければ、引綻ばかして、いとゞきらめきて見えにけり。入道はへらぬ体にて、抑此間の事、西光(さいくわう)法師(ほふし)に委く相尋ぬれば、成親卿(なりちかのきやう)の謀叛は事の枝葉也、実は叡慮より思食(おぼしめし)立と承れば、世の鎮らん程(ほど)、暫く法皇を奉(レ)迎、片辺に御幸なし進せんと存ず、大方近来いとしもなき者共が近習者し、下尅上して折を待時を伺て、種々の事を勧申なる間に、御軽々の君にては御座、係乱国の基をも思召(おぼしめし)立けり、向後とても非(レ)可(レ)奉(二)打解(一)、一
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天之煩当家の大事、一定出来ぬと覚ゆ。されば奉(二)申合(一)ばやと存じて使者を進たれば、いかなる遅参候ぞやと宣(のたまひ)けり。小松殿(こまつどの)は弟の右大将宗盛より上座し給たりけるが、檜扇半ばかり披仕給けるが、入道の言を聞給(たま)ひ、双眼より涙をはら/\と流し、暫物も宣はず、先興醒て御座ければ、入道又物もいはれず、一門の殿原なりを鎮て音もせず、庭上の軍兵等皆畏て候けり。
S0606 小松殿(こまつどの)教(二)訓父(一)事
内府やゝ暫く在て、直衣の袖より畳紙を取出し、落る涙を推拭被(レ)申けるは、左右の子細は暫閣、此御貌見進するこそ現とも存じ候はね。我朝さすがは辺鄙粟散の境と申ながら、(有朋上P198)天照太神(てんせうだいじん)の御子孫国の主として、天児屋根尊(あまのこやねのみこと)の御末、朝政を掌給しより以来、太政(だいじやう)大臣(だいじん)の官に昇れる人、甲冑を著する事輙かるべしとも覚えず、就(レ)中(なかんづく)出家の御身也。夫三世の諸仏の解脱■相(とうさう)の法衣を脱捨て、忽に弓箭を帯し御座さん事、内には既(すで)に破戒無慚の罪を招き給、外には又仁義礼智信の法にも背御座覧と覚ゆ。旁恐ある申事にて候へ共、暫く御心を閑め御座て、重盛(しげもり)が申状を具に可(二)聞召(一)哉覧、且は最後の申状と存れば心底に旨趣を不(レ)可(レ)残、先世に四恩と云事あり、諸経の説相不(レ)同に、内外の存知各別也と云ども、且く心地観経を見候に、一には天地恩、二には国土恩、三には父母恩、四には衆生恩是也。以(レ)知(レ)之人倫とし、不(レ)知を以て鬼畜とす。其中に尤重きは朝恩也。普天之下、莫(レ)非(二)王土(一)、卒土之浜莫(レ)非(二)王臣(一)、されば彼頴川の水に耳を洗き、首陽山に蕨を折ける賢臣も、勅命の難(レ)背礼儀をば存とこそ承れ。何況倩上古を思ふに、御先祖平将軍(へいしやうぐん)貞盛(さだもり)は、相馬(さうまの)小次郎(こじらう)将門(まさかど)を被(レ)誅たりけるも、勧賞被(レ)行事受領には過ぎざりき。伊予入道頼義(らいぎ)が貞任
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宗任を滅したりけるも、いつか丞相の位に昇り不次の朝恩に預し。就(レ)中(なかんづく)此一門は、忝く桓武天皇の御苗裔、葛原親王の後胤とは申ながら、中比よりは無下に官途も打下て、下国の受領をだにも宥されずこそ有りけるに、故(こ)刑部卿殿(ぎやうぶきやうどの)備前守の(有朋上P199)御時、鳥羽院(とばのゐん)の御願(ごぐわん)、徳長寿院造進の勧賞に依て、家に久く絶えたりし内の昇殿をゆるされける時は、万人唇を反し侍けるとこそ伝承候へ。去ども御身は既(すで)に先祖にも未拝任の例をきかざりし太政(だいじやう)大臣(だいじん)を極めさせ御座上、又大臣の大将に至れり、所謂(いはゆる)重盛(しげもり)など暗愚無才之身を以、蓮府槐門の位に至る、加之国郡半は一門の所領となり、田園悉く一家の進止たり。是希代の朝恩に候はずや。今此等の莫大の御恩を忘て、濫く君を奉(レ)傾らんと思食(おぼしめし)立こと、天照大神(てんせうだいじん)、正八幡宮(しやうはちまんぐう)の神慮にも定めて背き給ふべし、背(二)朝恩(一)者は、近は百日、遠は三年をすごさずとこそ申伝て侍れ。昨日までは人の上にこそ承つるに、今日は我身に係なんとす。其上日本はこれ神国也。神は非礼を受給はず。而に君の思召(おぼしめし)立処、道理尤も至極せり。此一門代々朝敵を平げて、四海の逆浪を鎮る事は、無双の勲功に似たれ共、面々の恩賞に於ては、傍若無人と申べし。聖徳太子(しやうとくたいし)十七箇条憲法には、人皆有(レ)心、心各有(レ)執、彼是則我非、我是則彼非、我必非(レ)聖、彼必非(レ)愚、共に是凡夫耳、是非之理、誰か能可(レ)定、相共に賢愚にして、如(二)環無(一)(レ)端、是以(レ)彼人雖も(レ)嗔還恐(二)我失(一)とこそ承れ。依(レ)之君事の次を以て奇恠也と思召(おぼしめせ)ば、尤御理にてこそ候へ、然而御運の尽ざるによりて此事既(すで)に顕ぬ、被(二)仰含(一)大納言、又被(二)召置(一)ぬる上は、縦君(有朋上P200)如何なる事思食(おぼしめし)立と云とも、何の恐か御座べき。大納言已下の輩に、所当
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の罪科を被(レ)行候はん上は、退て事の由を陳じ申させ給(たまひ)て、君の御為には弥奉公の忠勤を尽し、人の為にはます/\撫育の哀憐を致させ給はば、仏陀の加護に預り、神明の冥慮に背べからず、神明仏陀の感応あらば、君もなどか思召(おぼしめし)直す御事もなかるべき、濫く法皇を傾進せんとの御計、方々不(レ)可(レ)然、重盛(しげもり)に於ては御供仕べしとも存侍らず。不(下)以(二)父命(一)辞(中)王命(上)、以(二)王命(一)辞(二)父命(一)、不(下)以(二)家事(一)辞(中)王事(上)、以(二)王事(一)辞(二)家事(一)と云本文有り。又君と臣とを並、親疎を分事なく、君に付き奉るは、忠臣の法也。道理と僻事とを並べんに、争か道理に付ざらん。是は専君の御理にて御座候へば、神明擁護を垂給らん。さらば逆臣忽に滅亡し、凶徒即退散して、八■(はつえん)風和ぎ、四海浪静らん事、掌を返すよりも猶速なるべし。去ば重盛(しげもり)院中を守護し進せ侍ばやとこそ存候へ。重盛(しげもり)始は六位に叙し、今三公に列るまで、朝恩を蒙る事家に其例なし、身に於て過分也。其重き事を思へば、千顆万顆の珠にもこえ、其深色を論ずれば、一入再入の紅にも定て過たるらん、然者(しかれば)院中に参り籠り侍なん。其儀ならば重盛(しげもり)が命に替身に替らんと契を結べる侍、二百余人(よにん)は相随へて持て候らん、此者共は去共重盛(しげもり)をば捨思はじとこそ存候へ、是以て先例を思に、一年保元の(有朋上P201)逆乱の時、六条(ろくでうの)判官(はんぐわん)為義(ためよし)は、新院の御方に参り、子息下野守義朝(よしとも)は、内裏に参りて父子致(二)合戦(一)、新院の御方軍破て、大炊殿戦場の煙の底に成しかば、院は讃州〔へ〕御下向、左府は流矢にあたりて失給ぬ。大将軍為義(ためよし)法師をば、子息義朝(よしとも)承つて、朱雀大路に引出し、首を刎たりしをこそ、同く勅定の忝なさと云ながら、悪逆無道(あくぎやくぶたう)の至、口惜事哉と存候しか、正御覧ぜられし事ぞかし、其
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に人の上の様に浅増と悲かりし事の、今日は又重盛(しげもり)が身の上に罷成ぬる事よと存こそ、心憂覚え候へ。悲哉、君の御為に奉公の忠を致さんとすれば、迷廬八万の頂より猶高き父の御恩忽ちに忘なんとす。痛哉、不孝の罪を遁とすれば、又朝恩重畳の底極がたし。君の御為に既(すで)に不忠の逆臣となりぬべし。雖(二)君(一)不(レ)為(レ)君(一)、不(レ)可(二)臣以不(レ)為(レ)臣(一)、雖(二)父不(レ)為(レ)父(一)、不(レ)可(二)子以不(レ)為(レ)子(一)といへり。云(レ)彼云(レ)此、進退こゝにきはまれり、思ふに無益の次第也。只末代に生を受て、係る憂目を見る重盛(しげもり)が、果報の程こそ口惜けれ。されば申請くる処、御承引なくして、猶御院参(ごゐんざん)有べくば、只今重盛(しげもり)が頸を召るべく候。所詮院中をも守護仕べからず、悪逆(あくぎやく)の咎難(レ)遁、又御供をも仕るべからず、忠臣の儀忽に背候、申し請る詮たゞ頸を召るべきにあり。唯今思食(おぼしめし)合せ御座すべし。御運は既(すで)に末に望ぬと覚候。人の運命の尽んとする時、加様の事は思立事にて侍り。老子(有朋上P202)の詞こそ思ひしられ候へ。功名称遂不(二)退(レ)身避(一)(レ)位則、遇(二)於害(一)と申せり。彼漢蕭何は勲功を極に依つて、官大相国(たいしやうこく)に至り、剣を帯し冠を著ながら殿上に昇る事を被(レ)免しか共、叡慮に背く事有しかば、高祖重く禁て、廷尉に下して、深く罪せられき、加様の先蹤を思侍るにも、御身富貴と云ひ、栄花と云、朝恩と云ひ重職と云、極させ御座しぬれば、御運の尽事も難かるべきに非ず。富貴之家禄位重畳、猶再実之木、其根必傷とも申す、心細くこそ覚候へ。噫呼邦無(レ)道富貴恥と云本文あり。去ば重盛(しげもり)何迄か命生て、乱ん世をも見べき。唯速に頸を食れ候べし。人一人に被(二)仰付(一)て、御つぼに引出されて、重盛(しげもり)が首を刎られん事、安事にこそ候へ。人々是をばいかゞ聞給やとて、又直衣
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の袖を絞つゝ、泣々(なくなく)被(二)諌申(一)けり。是を見給ける一門の人々も、涙を流し袖を絞らぬはなかりけり。入道は口説立られて、おろ涙色には御座けれども、猶へらぬ体にて、さらば今は世にもいろひ侍まじ、院参(ゐんざん)も思止候ぬ、其上は召誡る者共をも、死罪にも流罪にもせでこそあらめ。但入道かく計申す事も、全く身の為ならず、浄海年闌て余命幾なし、唯子々孫々(ししそんぞん)末の代までも安穏にやと存する計也。其事人望に背愚案の企にあらば、何様にも御計ひなるべしと宣て内へ被(レ)入けり。小松殿(こまつどの)は弟の殿原に向ひて、いかに加様のひけうは結構せ(有朋上P203)られ候ぞや、縦入道殿(にふだうどの)こそ老耄し給(たまひ)て、あらぬ振舞あり共、今は各こそ家門をも治め、悪事をも可(レ)被(二)宥申(一)に、相副たる御事共(おんことども)候哉と被(レ)仰ければ、宗盛已下の人々苦々敷そぞろぎてぞ見え給ける。
内大臣(ないだいじん)は中門廊に立出給(たま)ひ、さも然べき侍共の並居たりける所にて仰けるは、重盛(しげもり)が申つる事共慥に承りつるにや、去ば院参(ゐんざん)の御供に出ば、重盛(しげもり)が頸の切られんを見て、後に仕べしと覚るはいかに、今朝より是に候て、加様の事共叶はざらんまでも申ばやと存つれども、此等が体の、あまりに直騒ぎに見えつる時に帰りつるなり。今は憚処有べからず、猶も御院参(ごゐんざん)有べきならば、一定重盛(しげもり)が頸をぞ召れんずらん、各其旨をこそ存ぜめ、但さも未仰られぬは、何様成べきやらん、去ば人々参れやとて、又小松殿(こまつどの)へぞ被(レ)帰ける。
S0607 内大臣(ないだいじん)召(レ)兵事
内大臣(ないだいじん)は、入道猶も腹悪き人なれば、院参(ゐんざん)の事もやあらんずらんと思召(おぼしめし)ければ、其悪行を塞がん為と覚しくて、主馬(しゆめの)判官(はんぐわん)盛国(もりくに)を使にて、重盛(しげもり)こそ別して天下の大事を聞き出したれ、我
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を吾と思はん者共は急ぎ参れと被(レ)催たり。是を承る者共、おぼろげにては騒給は(有朋上P204)ぬ人の、係る仰の下るは実に別の子細の有にこそとて、難波(なんばの)次郎(じらう)経遠(つねとほ)、妹尾(せのをの)太郎(たらう)兼康(かねやす)筑後守(ちくごのかみ)家貞(いへさだ)、肥後守(ひごのかみ)貞能(さだよし)等を始として、如法夜中の事なれども、我先にとぞ馳参りける。係ければ老も若も留る者はなし。小松殿(こまつどの)へとて周章(あわて)て参けり。入道は、何事ぞ世間の物騒ぎは、是に候や/\と宣(のたまひ)けれ共、そら聞ずして馳出ければ、西八条には青女房老尼、若は筆執ばかり残たる。少も弓馬に携る程の者は、一人もなかりけり。是のみらず、夜も明ければ、次第次第に聞伝て、洛中白川の外、北山、西山、嵯峨、広隆、梅津、桂、淀、羽束、醍醐、小栗栖、日野、勧修寺、宇治、岡屋、大原、閑原、賀茂、鞍馬、大津、粟津、勢多、石山迄も聞伝て、馬に乗ものらざるも、弓を取も取らざるも、出家遁世の古入道に至迄馳参ければ、洛中辺土の騒斜(なのめ)ならず、保元平治の逆乱に物懲して、貴賤上下肝をけす。入道宣(のたま)ひけるは、内府は何と思て、此等をば呼取ぬるやらんと、よく心得ずげにて、腹巻脱て素絹の衣に、長念珠後手にくりて、縁行道して、あゝ内府に中違たらんもよき大事やと宣て、いと心も発ぬ哀念仏をぞ被(レ)申ける。又小松殿(こまつどの)には、盛国(もりくに)承て侍の著倒しけり。宗徒の侍三千余人(よにん)、郎等乗替打具て、二万余騎(よき)とぞ注したる。内大臣(ないだいじん)は著倒披見の後、家貞(いへさだ)貞能(さだよし)を召して子細を下知し給(たまひ)て、西八条へ遣れけり。二人の者共入道殿(にふだうどの)(有朋上P205)に参て、弓脇に挟申を脱高紐に懸て、庭上に候けり。入道殿(にふだうどの)は人々に捨られて、徒然の余に猶縁行道して御座けるが、此等を見給(たまひ)てへらぬ体に宣(のたまひ)けるは、如何に家貞(いへさだ)貞能(さだよし)よ、小松殿(こまつどの)には軍兵を誘引して、是
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には人一人もなし、所存何事ぞ、其意を得ずと宣へば、家貞(いへさだ)畏て、可(レ)有(二)御院参(ごゐんざん)(一)之由仙洞依(レ)被(二)聞召(一)、法皇大に驚御座て、勅定に為(レ)治(二)天下(一)被(レ)下(二)軍将之宣旨(一)之後、経(二)多年(一)之間、云(二)官位(一)云(二)福禄(一)、秀(二)于先例(一)、深可(レ)存(二)朝恩(一)之処、還而欲(レ)乱(二)国家(一)之条、既為(二)朝敵(一)之上者、速に可(二)追討(一)之旨、所(レ)被(レ)下(二)院宣(一)也。昨日申入しが如、奉(レ)向(レ)父弓矢を引事は有べからずといへ共、重盛(しげもり)今官に居し、禄を貪る上は、勅定又難(レ)奉(レ)背。此事聞食されなば、御自害もやあらんずらん、先守護し進せよ、重盛(しげもり)角て侍れば、御命をば奉公に申替侍らんと被(二)仰下(一)と申たれば、入道殿(にふだうどの)まづ興醒て、俄に道心も失果つゝ、実か虚言かと宣へば、一定に候と申す。よもさらじ、入道を矯見とてこそといはれければ、家貞(いへさだ)は、今始て小松殿(こまつどの)左様の軽々敷御事有べしと不(レ)存、院宣とて軍兵の中に御披露有りしは、一定の事にこそと申時、入道大に歎給(たまひ)ていはれけるは、家貞(いへさだ)貞能(さだよし)慥に承れ、昨日申しし様に、出家入道の身也、余年日数少し、内府に奉(レ)譲(レ)世ぬる上は、向後は物にいろひ申す事あるべからず、院宣の御返事もよき様に可(レ)被(二)奏聞(一)、兎も(有朋上P206)角も相計はれんにこそ奉(レ)随らめと、曳去ばとく還り行て、此由を申べしと宣へば、二人の者共は、守護に候べしとの仰也、別の御使を以て可(レ)被(レ)仰や候らんと申す。入道の仰には、只急帰れ、我一人いづくへか落行くべき、是に不(レ)働して居べしなんど、様々怠状被(レ)申けり。二人帰て細に角と申せば、内府は打頷許涙ぐみ給(たまひ)て、やをれ家貞(いへさだ)貞能(さだよし)よ、まことには勅定なりとても、争か父に向ひ奉て、無道の逆罪を犯すべき、只入道殿(にふだうどの)違勅の振舞をしづめ奉り、天下の煩を止との方便なりと
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云へども、重盛(しげもり)かゝる悪人の子と生れて、五逆罪の一を犯する事こそ悲けれ、いかにといへば、子の身としては我こそ何度も父の命には随奉べきに、今父に向ひ奉りて御心を傷り奉り、御怠状をせさせ奉る事の心憂さよとて、はら/\と泣き給へば、二人の者共も鎧の袖をぞぬらしける。其後大臣は軍兵等に仰られけるは、日比の契約たがへず、下知に随て馳参り、聞伝て参上の条、返々神妙。聞召す事ありて被(レ)仰たりつれども、其事聞なほしつ、僻事にありけり、とく/\罷帰べし、但今度別の事なければとて、後々の催促に悠々を存ずべからず、たとひ事無しと云とも、何度も可(レ)随(二)下知(一)也、終には御用に叶ふべし。(有朋上P207)
S0608 幽王褒■[女+似](ほうじ)烽火事
去(さる)程(ほど)に異国の幽王にありき、度々の御召に事なければとて、官兵後日の催に参らざりければ、つひに国をほろぼしけり、其こゝろあるべしとぞ仰ける。
 昔異国に周の幽王と云しは、宣王の子也。位に付給(たまひ)て二年と云ふ春、山川大に震動せり。于時伯陽甫と云人申けるは、周すでに亡なんとす。昔伊洛竭て夏亡、河竭て商亡たりき。国は必ず山川による。山崩河竭は亡之徴也。河竭ときは山必崩。周の亡ん事十年にすぎじと被(レ)歎けるに、次の年幽王美人を得たり、其名を褒■[女+似](ほうじ)と云ふ。いつしか懐姙して皇子誕生あり、伯服とぞ云ける。幽王の本の后は申候と云ふ人の女めなりけれども、彼を捨てて褒■[女+似](ほうじ)を后とし、伯服を太子に立給(たま)ひければ、世は既(すで)に亡ぬとぞ群臣歎申ける。此后三千の寵愛にすぐれ、万女の綺羅に越たれども、笑事さらに御座さず。王心元なく思食(おぼしめし)て、宮中に心をとゞめ給はぬにや、いかゞして笑顔を見んと思食(おぼしめし)けるに、大国の習朝敵を禦ぎ亡さんとて、官兵を召時は、必烽火を揚る事あり。烽火とは我朝の高燈篭の如く、大なる続松に火を付て、高き峯にさゝげともせば、烽火の司人是を見継て、四方の岳々峯々にともしつゞけ(有朋上P208)て、国々の兵を召例
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あり。されば一月に行べき道なれども一日の内に知せけるなり、是を飛火と名たり。燧帝の猛火といへるは是也。我朝にも奈良帝の御時、東より軍おこらんとせしかば、春日野に飛火を立始て、其火を守人を被(レ)置たりき。春日野を飛火野と申は是也。異賊幽王を可(レ)奉(レ)傾之由聞えければ、飛火をあけて兵をめす。官兵馳集て旗をなびかし、戈をさゝげて、■()を並べ時を作りけるに、后始て笑給へり。さらぬだに見目形たぐひなく、うつくしかりける上、咲ひ給(たま)ひたりければ、いとゞ百の媚をぞ増給ふ。帝嬉しき事に思召(おぼしめし)、常に飛火を揚られて兵を集給ふ。或は千里の山川を分来、或は八重の波路を凌上る。そも軍ならねば、兵本国に帰下る。国の費人の歎云ふばかりなし。かゝりし程(ほど)に、幽王を亡ぼさんとて、凶賊襲来ければ、又烽火を被(レ)上たり。諸国の軍兵是を見て、例の后の烽火と思ければ、官軍進み参事なくして、幽王忽に滅にけり。さてこそ后を褒■[女+似](ほうじ)僻愛とは申けれ、又は傾城とも名たり。都を傾と云ふ読あれば、当初は誡けれども、近来は人ごとに傾城とぞ呼ける。彼后幽王亡給(たまひ)て後、尾三つある狐と成て、こう/\鳴して古き塚に入りにけり。狐人を蕩とては、化して婦人と成りて顔色好。頭は雲の鬢と変じ、面は厳き粧と成て、翠眉不(レ)挙、華の顔低たり。忽然に一たび笑ば、(有朋上P209)千万の態有。見人十人が八九は迷ぬとぞかゝれたる。
或説云、褒■[女+似](ほうじ)は亀の子也。周■()王の時、南庭に二の白龍出来て蟠居れり。帝いぶせく思召(おぼしめし)ければ、可(レ)殺よし宣下せられけるを、大臣公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)ありて云、竜は命長して必如意宝珠を持と云へり。朝家安穏の為に出現するにもやあるらんと、巫に依て死生を可(レ)定歟と奏しければ、然べしとて御占あり。不(レ)可(レ)殺と云占也ければ、早汝が命を助く。速に可(二)罷去(一)と被(二)宣下(一)、二龍恩を報ずとや思けん、暫庭上に泡を吐て去ぬ。彼吐所の泡を見れば、さま/゛\厳しき玉也けり。希代の重宝也。末代までも朝家の宝とすべし、輙く不(レ)可(レ)開とて、是を檜の唐櫃に納入て、勅封を付おかれけり。其後■()王宣王幽王三代は、国治り民豊なりしを、幽王始て是
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を開き給へり。日記の如くには非ず、忽然として青亀也。王是を愛し給(たま)ひけり。宮中に七歳の姫宮御座、即幽王の后に祝奉べき仁なりけるが、此亀を愛して、常に唐櫃の辺に遊給ける程(ほど)に、何としたりけんいまだ歯かゝざる程の御齢也けるに、亀と嫁て懐姙し給へり。折節天下に童部歌を歌ふ事あり。山桑の弓生柄の矢を以て、此国を可(レ)滅とぞ歌ひける。不(レ)久して男一人出来、山桑の弓生柄の矢をぞ売たりける。是をきゝ、聞ゆる事にこそとて、件の男を搦捕て、土の籠に誡入、七歳の懐姙の姫宮をも追捨てられたりけるが、(有朋上P210)少き御心にさまよひありき給ける程(ほど)に、彼籠舎の砌に迷行。獄人是を見るに、みめ形よのつねならずありければ、汝をば我子にすべしとて、官食を分てこれを養ふ。懐姙の期満て生産す、即女子也。無双みめよし、長大するに随ひて美人の誉れ国中に極れり。幽王是を召て后とす。此忠に依て籠舎の者も被(レ)出けり。此后生てより笑事なしと、云々。如(レ)先、山桑の弓、なまえの矢うりける者と云は、他国の王幽王を亡さん為に、陀天の法を祭り付て是を売らせり、陀天は狐也。山桑なまえは、陀天の三摩耶形也(なり)ければ、かくはかり事にしたりけりと、云々。此事大に不審、周の代には仏法未(レ)渡真言なし、僻事にや、可(二)相尋(一)也。
内大臣(ないだいじん)も此意を得給けるにや、今度事無とて後日の催しに、悠々を不(レ)存とは仰せけるにこそ。実に君の為には忠勤あり、父の為には孝道を存す、臣以不(レ)為(レ)臣不(レ)可(レ)有、子以不(レ)為(レ)子不(レ)可(レ)有と宣へる、文宣王の言に不(二)相違(一)ぞありける。法皇聞召て、今に不(レ)始事と云ながら、怨をば恩を以て被(レ)報ぬ、返々も重盛(しげもり)が心の中こそはづかしけれ。勁松彰(二)於歳寒(一)、貞臣見(二)於国危(一)と云へり。恥かしくも憑しくも思食(おぼしめす)臣也。南無天照太神(てんせうだいじん)、正八幡宮(しやうはちまんぐう)、春日、日吉の神明、願は小松内府より先立て、朕が命を召給へとて、竜眼より御涙を流させ給(たま)ひけるぞ忝なき。東方朔が詞に、水至清無(レ)魚、人至
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察無(レ)友(有朋上P211)と云へり。嘉応の相撲の節会に、大将にて右の片屋に事行し給(たま)ひけるに、見物の中に立たりける人の申けるは、果報冥加こそ目出くて、近衛大将に至り給ふとも、容儀心操さへ、人に勝れ給(たま)ひける難(レ)有さよ、但此国は小国なり、内大臣(ないだいじん)は大果報の人也、末代に相応せずしてとく失給ふべきにやと申たりけるが、露たがはざりけるこそ不思議なれ。(有朋上P212)