『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本(国民文庫)巻第十八
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曾巻 第十八
S1801 文学頼朝(よりとも)勧(二)進謀叛(一)事
前(さきの)右兵衛佐(うひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)は、去永暦元年依(二)義朝(よしとも)縁坐(一)、伊豆国(いづのくに)へ被(二)流罪(一)たりけるが、武蔵相模伊豆駿河の武士共、多は父祖重恩の輩也。其好忽忘べきならねば、当時平家の恩顧の者の外は、頼朝(よりとも)に心を通はして、軍を発さば命を捨べき由、示者其数ありけり。頼朝(よりとも)又心に深思萌事也ければ、世の有様(ありさま)をうかゞひて、年月を送りけるこそ怖しけれ。伊豆国(いづのくにの)住人(ぢゆうにん)伊東入道祐親法師は、重代家人也けれ共、平家重恩の者にて、当国には其(その)勢(いきほひ)人に勝たり。娘四人あり、一人は相模(さがみ)の住人(ぢゆうにん)、三浦介義明が男義連に相具したり。一人は同国の住人(ぢゆうにん)、土肥次郎真平男遠平に相具したり。第三の女未男も無りければ、兵衛佐(ひやうゑのすけ)忍て通ける程に、男子一人出来にけり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)殊悦て寵愛す。字をば千鶴とぞ申ける。三歳と申ける年の春、少き者共あまた引具して、乳母(めのと)に被(レ)懐て、前栽の花を折て遊けるを、祐親法師大番はてて国に下たりける折節(をりふし)見付(みつけ)て、此稚き者は誰人ぞと尋けれ共、乳母(めのと)答る(有朋上P596)事なくして逃去にけり。入道内に入て妻女に問ければ、あれこそ京上し給(たま)ひたりし隙に、いつき娘のやむごとなき殿して設たる少人よと云ければ、入道嗔て誰人ぞと責問。兵衛佐殿(ひやうゑのすけどの)とぞ答ける。祐親申けるは、商人修行者などを男にしたらんは、中々さても有なん、源氏の流人聟に取て、平家の御咎めあらん折は、いかゞは申べきとて、
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雑色三人、郎等二人に仰付けて、彼少子を呼出して、伊豆のまつかはの奥、白滝の底にふしづけにせよと云ければ、三つになる少心にも、事がら懶や覚しけん、泣悶て逃去としけるを、取留て郎等に与けるこそうたてけれ。みめ事がら清らかに、流石(さすが)物に紛ふべくも見えざりければ、雑色郎等共(らうどうども)、何にとして殺べしとも覚えず、悲しかりけれ共、強いなまば思ふ処有かとて、頸を切れん事疑なければとて、泣々(なくなく)懐取て彼所に具し行て、ふしづけにしてけるこそ悲けれ。娘をば呼取て、当国住人(ぢゆうにん)江間小次郎(こじらう)をぞ聟に取てける。兵衛佐(ひやうゑのすけ)此事ども聞給、嗔る心も猛く、歎く心も深して、祐親法師を討んと思心、千度百度進けれ共、大事を心に懸て、其事を不(レ)成して、今私のあだを報いんとて、亡(レ)身失(レ)命事愚也、大きなる志有者は、忘(二)小怨(一)思宥てぞ過されける。入道が子息、伊東九郎祐兼窃に兵衛佐(ひやうゑのすけ)に申けるは、父入道老狂の余り、便なき事をのみ振舞し上、猶も悪行を企んと仕、心の及(有朋上P597)処制止仕れども、若思の外の事もこそ出き侍れ、立忍ばせ給へと申ければ、兵衛佐(ひやうゑのすけ)は嬉くも申たり、是年来の芳心也、入道に被(二)思懸(一)ては、いづくへか可(レ)遁、身に誤なければ、自害をすべきにも非、只命に任てこそはあらめとぞ答ける。野三刑部盛綱、藤九郎盛長なんどに仰含けるは、頼朝(よりとも)一人遁出んと思也、是にて祐親法師に故なく命を失はれん事、云甲斐なし、汝等(なんぢら)角てあらば、頼朝(よりとも)なしと人知べからずとて、大鹿毛と云馬に乗り、鬼武と云舎人計を具して、夜半にぞ遁出ける。道すがらも南無(なむ)帰命頂礼(きみやうちやうらい)八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、義家(よしいへの)朝臣が由緒を忽(たちまち)に捨給はずば、征夷将軍に至つて、朝家を守可
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(レ)奉(レ)崇(二)神祇(一)、夫猶不(レ)可(レ)叶は、伊豆一国が主として、祐親法師を召捕て、其怨を報侍べし。何れも宿運拙して不(レ)可(レ)預(二)神恩(一)は、本地は弥陀如来(みだによらい)に御座、速に命を召て、後世を助給へとぞ祈誓し申ける。盛綱盛長は兵衛佐(ひやうゑのすけ)遁出て後は、一筋に敵の打入んずるを相待て、名を留る程の戦此時に在と思ける程に、夜も漸明にければ各出去にけり。其後北条四郎時政を相憑て過給ける程に、又彼が娘に偸に嫁てけり。北条四郎京より下ける道にて、此事を聞きて、大に驚、同道して下りける、前検非違使(けんびゐし)兼隆をぞ聟に取るべき由契約してける。国に下り著ければ、不(レ)知体にもてなして、彼娘を取て兼隆が許へぞ遣ける。去共件の娘、兵衛佐(ひやうゑのすけ)(有朋上P598)に志殊に深かりければ、白地に立出る様にて、足に任ていづくを指ともなく、兼隆が宿所を逃出にけり。良程ふれども見ざりければ、怪みをなして尋求ども、向後も知らず成にけり。彼女は終夜(よもすがら)伊豆山へ尋行て、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許に籠りにけり。時政兼隆此由を聞てければ、各憤を成けれ共、彼山は大衆多き所にて、武威にも不(レ)恐ければ、左右なく押入て奪取にも不(レ)能してぞ過行ける。懐島の平権頭景義此事を聞て、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の許に馳行て、給仕用心しけり。或夜の夢に藤九郎盛長見けるは、兵衛佐(ひやうゑのすけ)足柄の矢倉岳に尻を懸て、左の足には外の浜を蹈、右の足にては鬼界島を踏、左右の脇より日月出て光をならぶ。伊法法師金の瓶子を懐きて進出、盛綱銀の折敷に、金の盃をすゑて進寄、盛長銚子を取て酒をうけ進れば、兵衛佐(ひやうゑのすけ)三度飲と見て、夢は覚にけり。盛長此事兵衛佐(ひやうゑのすけ)に語る。景義申けるは、夢最上の吉夢也。征夷将軍として天下を治め給べし。日は主上、
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月は上皇とこそ伝奉れ。今左右の御脇より光を比給は、是国王猶将軍の勢につゝまれ、東は外浜、西は鬼界島まで帰伏し奉べし。酒は是一旦成(レ)酔を、終にさめ本心になる。近くは三月、遠くは三年に酔の御心醒て、此夢の告一として相違事は有べからずとぞ申ける。北条四郎時政は、上には世間に恐て、兼隆を聟に取といへ共、兵衛佐(ひやうゑのすけ)の心の勢を見てければ、(有朋上P599)後には深憑みてけり。兵衛佐(ひやうゑのすけ)も又、賢人にて有(レ)謀者と見てければ、大事をなさんずる事、時政ならでは其人なしと思ければ、上には恨る様にもてなして、相背く心はなかりけり。さても廿一年の春秋を送て、年比日比(ひごろ)もさてこそ過けるに、今年懸る謀叛を発しける事、後に聞えけるは、高雄の文覚が勧にぞ有ける。彼文覚は渡辺党に、遠藤左近将監盛光が一男、上西門院の北面の下摶轣B其母未子なし、夫妻共に家の絶なん事を歎て、長谷寺の観音に詣て、七箇日祈申ければ、左の袖に鳶の羽を給ると夢に見て、懐妊して儲たる子也。父は六十一母は四十三にて生たる一男也。母は難産して死ぬ。父赤子を抱て歎きける程に、事の縁ありける上、便宜の方人にもと思て、丹波国保津庄の下司、春木の二郎入道道善と云者養(レ)之けるが、三歳の時父盛光も死にけり。竪固の孤子也けれ共、血の中より手馴たれば、さすが難(レ)捨して、道善育けり。面張牛皮の童にて、心しぶとく声高にして、親の教訓をも聞ず、人の制止事をも用ず、庄内の童を催従へて、野山を走田畠を損じ、馬牛を打張、目に余たる不用仁也ければ、上下いかゞせんと持酔たり。十三に成ける年、一門に遠藤三郎、滝口遠光と云者呼寄て、元服(げんぶく)せさせて烏帽子子(えぼしご)とす。
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父盛光が盛を取、烏帽子親(えぼしおや)遠光が遠を取て、盛遠と名を付、父が跡を追て、上西門院の(有朋上P600)北面に参。遠藤武者盛遠とぞ云ける。少より時々物狂しきの気ありけり。容顔は勝ざりけれ共、大の男の力強く心甲也。武芸の道人に勝て、道心もさすが在けるとかや。常には母が難産して死にける事を云て泣、父が事を恋て悲む。生年十八歳にて、糸惜き女に後れて髪を切て遁世(とんせい)しき。金剛(こんがう)八葉の峯より始て、熊野金峯、大嶺葛城、天王寺、愛宕山、高雄、嵯峨(さが)法輪、止観院、楞厳院、比良高峯、都て日本(につぽん)一州至らぬ霊地もなく、七日二七日三七日百日籠行けり。十八歳にて出家して、一十三年の間は、或(ある)時(とき)は断食し、或(ある)時(とき)は持斎せり。春は霞に迷へども、峯に登て樒を採、夏は叢滋れども、柴の枢に香を焼、秋は紅葉に身を寄て、野分の風に袖を翻、冬は蕭索たる寒谷に、月を宿せる水を結びなんどして、山臥修行者の勤苦也。彼首陽の翁にはあらね共、蕨を折て命をのべ、原憲が枢に同して、草を綴て膚を隠せり。座禅縄床の室の内には、本尊持経の外は物なし。角て斗籔修行の後、再高雄の辺に居住して、明し暮しける程に、そばに古き寺あり、神護寺と名づく。此寺は此和気の松名が草創の伽藍(がらん)、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の彫刻の薬師(やくし)也。
S1802 孝謙帝愛(二)道鏡(一)附松名宇佐勅使事(有朋上P601)
昔孝謙天皇(てんわうの)御宇(ぎよう)に、弓削道鏡と云僧あり。如意輪法を行ける利生にや、女帝に近づき奉事を得たり、天皇(てんわう)御自愛の余に、位を道鏡に譲らんと思召(おぼしめし)けれども、臣下不(レ)奉(レ)免(レ)之。天皇(てんわう)松名を召て被(二)仰含(一)けるは、位を道鏡に譲ぞと思召(おぼしめせ)ども、臣等(しんら)不(レ)免(レ)之、汝宇佐宮に詣して、正に叡慮を八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)に申入べし、但定て御免し有べからす、然も帰京の時は必奏すべし、位を道鏡
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に譲る事叡慮に任すべしと八幡御返事(おんへんじ)ありと披露すべき、神明御免あらば、叡念誰か背(レ)之とて、勅使を被(レ)立けり。松名宇佐宮に参著して、謹霊神に申入処に、大菩薩(だいぼさつ)の御返事(おんへんじ)に曰、豊葦原は是神国也、天孫宜(二)国政行(一)也、道鏡即位更に有べからざる事也と被(二)仰含(一)ける。松名帰洛して案じけるは、兼の勅約は有りしか共、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の仰争か背奏すべき。専神慮に奉(レ)任と思て、御位を道鏡に譲らるゝ事、努々在べからずと神勅ありと奏したりければ、天皇(てんわう)勅約背(二)叡慮(一)事を大に御憤(おんいきどほ)り有て、武者に仰て松名を高雄の深山(しんざん)に将行て、左右の■(はぎ)を被(レ)切けるに、松名大に叫ける。声に付て奇雲聳来つて、松名が上に懸る。雲の中に衣冠の俗ありて云、神は不(レ)禀(二)非礼(一)、必守(二)正直者(一)、我は是宇佐八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)也、非文の不(レ)依(レ)勅して深神命を重ず、故に我来つて汝を守と仰ければ、被(レ)切たる■(はぎ)即■(いえ)にけり。大菩薩(だいぼさつ)こゝにして、御自薬師(やくし)の霊像(有朋上P602)を刻て、松名に与給ふ。松名こゝに精舎を建立(こんりふ)して彼本尊を安す。八幡の神松名を護給し処なれば、神護寺と名たり。故に此寺は和気の氏寺也。宇佐宮は其時までは物仰せけれ共、係る御事も有ければ、今は何事も口入に及ずとて、現の御託宜は止けり。此寺星霜年積つて四百(しひやく)余歳(よさい)、草創日を重て、幾千万廻ぞ、仏閣破壊之体を見に、庭上に草繁て、狐狼の栖と荒、四面垣傾て、僧侶跡絶たり。扉は風に倒て、落葉の下に朽、瓦は雨に被(レ)侵て、仏壇更に顕也。暁の月軒の下より漏て、自眉間の光かと誤たれ、夜の嵐板間に徹して、烏瑟の髪を梳と覚たり。悲き哉仏法僧(ぶつぽふそう)と云鳥だにも不(レ)音、樵夫草女の袂(たもと)までも、露
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やおくらんと哀也。
S1803 文覚高雄勧進附仙洞管絃事
此に文覚思ひけるは、宿因多幸にして出家入道の身をえ、破壊の堂舎を修補し、無縁の道場を相訪て、二親の菩提を助、平等の済度をたれんこと、剃髪染衣の思出たるべし。但自力造営の事は、争可(レ)叶なれば、知識奉加の勧進にて、自他の利益を遍せんと思ひつゝ、十方上下の助成を申行ひきける程に、或(ある)時(とき)院(ゐんの)御所(ごしよ)法住寺殿(ほふぢゆうじどの)に参て、御奉加之由言上(有朋上P603)す。御遊(ぎよいう)の折節(をりふし)なるに依、奏者此由を申入れず。文覚終日相待けれ共、如何にと云事もなかりければ、御前無骨也とは、争知べきなれば、聞召入(きこしめしい)れざるにこそと心得(こころえ)て、天姓不当の物狂也ければ、是非の案内にも及ず、常の御所の御坪の方へ進参て珍からぬ管絃哉、機嫌もなき御遊(ぎよいう)哉、我貧道無縁の身たりといへ共、高雄山の神護寺を修造建立(こんりふ)して、仏法(ぶつぽふ)を住持し、王法を祈誓し、衆生を利益せんと云大願あり。況や大慈大悲の君、十善万乗の主として、などか輙く御奉加聞召入(きこしめしいれ)られず、口惜き御事にこそ、大願之意趣、御聴聞有べきとて、勧進帳をさつとひろげ、調子も知ず、大音声を放上て読(レ)之。
勧進僧文覚敬白、
請(下)殊蒙(二)貴賤道俗助成(一)、高雄山霊地建(二)立一院(一)、令(レ)勧(中)修二世安楽大利(上)勧進状
夫以真如広大、雖(レ)断(二)生仏之仮名(一)、法性随妄之雲厚覆、自聳(二)十二因縁之峯(一)以降、本有心蓮之月光幽而、未(レ)顕(二)三毒四慢之大虚(だいきよに)(一)、悲哉仏日早没、生死流転之衢冥々兮、唯耽(レ)色耽(レ)酒、未(レ)謝(二)狂象跳猿之迷(一)、徒謗(レ)人謗(レ)法、豈免(二)■羅(えんら)獄卒之責(一)哉、爰文覚適払(二)俗塵(一)、雖
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(レ)飾(二)法衣(一)、悪業猶意逞而、造(二)于日夜(一)、善苗又逆(レ)耳而、廃(二)于朝暮(一)、痛哉再帰(二)三途之火坑(一)、重永廻(二)四生之苦輪(一)、所以牟尼之憲法千万軸、(有朋上P604)軸々明(二)仏種之因(一)、随縁至誠之法、一無(レ)不(レ)届(二)菩提之彼岸(一)、故文覚、無常観門落(レ)涙、催(二)上下親族之結縁(一)、上品蓮台運(レ)心、建(二)等妙覚王之霊場(一)也、抑高雄者、山堆而顕(二)鷲峯山之梢(一)、洞禅而鋪(二)商山洞之苔(一)、岩泉咽而曳(レ)布、嶺猿叫而遊(レ)枝、人里境遠而無(二)囂塵(一)、師蹠棲好而有(二)信心(一)、地形勝、尤可(レ)崇(二)仏法(ぶつぽふ)(一)、奉加微兮、誰不(二)助成(一)乎、夙聞聚砂為仏塔之功徳、忽感(二)仏因(一)、何況於(二)一紙半銭之宝財(一)乎、願建立(こんりふ)成就(じやうじゆ)、而禁闕鳳暦御願(ごぐわん)円満、乃至都鄙遠近親疎黎民、緇素歌(二)堯舜無為之化(一)、披(二)椿葉再改之咲(一)、況聖霊幽儀前後大小、速至(二)一仏菩提之台(一)、必翫(二)三身満徳之月(一)、仍勧進修行之趣、蓋以如(レ)件。
治承三年三月日 文覚敬白とぞ読たりける。
御前の管絃の座には、妙音院太政大臣(だいじやうだいじん)師長公琵琶役、此大臣は琵琶の上手にて、神慮にも相応し、無双の勝事多かりけり。欲界の天人も度々天降給へり。されば一年蒼天雲を払ひ赤日旬を渉て、天下旱魃あり。神泉苑にて請雨経の秘法を行れ、其外山々寺々の有験智徳に仰て、御祈祷(ごきたう)有けるに、無(二)其験(一)、畿内遠国忽損じ、人民百姓歎悲けるに、此師長公宣旨を蒙、日吉社大宮(おほみや)の神前にて琵琶を調べ、さま/゛\秘曲を弾じ(有朋上P605)給(たま)ひけるにこそ陰雲速に起て甚雨頻(しきり)に降けれ。図知ぬ霊神曲を感と云事を、さてこそ異名には、雨の大臣とは申けれ。按察使大納言(だいなごん)資賢は笛の役也。彼笛は紅葉と云名物なり。
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名を紅葉と云事は、資賢の先祖〔に〕、一条左大臣雅信と云人は、宇多天皇(てんわう)には御孫、敦実親王には長男也。雅信公参内の時、内裏にて奇笛を被(レ)求たり。事様世に難(レ)有笛也ければ、妙にも是を取出さず、秘蔵せられて重宝也。或夜夢想(むさう)之告あり。白髪たる老翁来て語て云、汝不(レ)知や、我は是住吉(すみよし)明神(みやうじん)也。昔紅葉の比大井川にて諸の神々と遊しに、嵐の山に風吹ば、川瀬に紅葉散下る、最面白見し程に紅葉に相交、空より霊笛の雨しをとらせ給(たまひ)て、其後御身を離さずして、名を紅葉と付て、秘蔵したりしを、内裏守護の時、結番過て還しに落したりしを、汝求(二)得之(一)たり、忽(たちまち)に我に返進せよと仰ければ、雅信申様、此笛を求得て後は家財数に非ず、是のみ重宝と存じて、子孫に相伝すべき由、深く存ずれば返進にあたはず、縦命をば被(レ)召とも、笛をば惜侍るべきと申ければ、明神重て仰けるは、さらば汝が身に一の宝あり。唐本の法華経(ほけきやう)是也、我年来所望也、笛の代に経を与へよと仰ければ、雅信卿夢の内に打案じて、笛は今生一旦の翫物、経は当来得脱の資縁也、恐くは皆成仏道の法を以て、争か逍遥戯論の財に替んなれば、笛をこそ被(レ)召候はめと(有朋上P606)被(レ)申たりければ、明神哀と思召(おぼしめし)、涙を流して、さらば汝に預と被(レ)仰と見て、夢覚にけり。後朝に左大臣述懐して云く、
予(われ)捨(二)身命(一)(しんみやうをすて)惜(二)妙法(一)、神投(二)霊竹(一)垂(二)感涙(一) K109 とて、大臣も涙を流して悦給ける笛也。さてこそ此笛をば紅葉とは申けれ。夢想(むさう)の後は、弥宝物と思て持給たりける程に、村上帝の御宇(ぎよう)、天徳四年に内裡焼亡の時、いかゞし給たりけん、落して失ひ給にけり。是直事にあらず、住吉(すみよし)明神(みやうじん)の被(二)召返(一)ける
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にや、其道儲給たりける笛の、有し紅葉に少しも不(レ)違ければ、是をも角ぞ名たる。其子孫にて資賢の伝ける笛は、後の紅葉にぞ有し。資賢孫源少将雅賢は笙の笛の役也。笙笛をば鳳管と云。昔令公と云し鳳凰の啼音を聞て、此笛を作れり。千字文には、鳴鳳在(レ)樹白駒啄(レ)場とて、明王(みやうわう)の代には、必鳳凰来て庭前の木に栖と云事なれば、此雅資も常には参て、鳳鳴を吟じて、竜顔に奉(レ)仕、殊鳳管の上手にて、今日も被(レ)召て早参ぜり。水精の管に黄金の覆輪を置たる笛にて、黄鍾調の調子をとる。黄鍾調と申は、心の臓より出る息の響也。此臓の音は、逆に乙の音より高甲の音に上る間、脾臓の上の音に同す。順に甲の音より乙の音に下る時は、肺臓の金の音に同す、故に土の色を黄と名け、金の色を(有朋上P607)鍾と名く。当(レ)知土与(レ)金は陰陽の義にて、男女相応の儀式也。故に法皇と女院との御前なれば、円満相応の御祈(おんいのり)とて、黄鍾に調べたり。又此調子は呂の音也。名(レ)之喜悦の音とす。又五行の中には火土也、五方の中には南方也。生住異滅四相の中には、住の位也。住居とは、人の齢にあつる時は、三十以後、四十以前の比也。されば源少将も、其時は盛過て三十一也。法皇の御齢は紅葉の比に、移らせ給たりけれ共、奉(レ)祝猶夏の景気に調べたり。四位(しゐの)少納言盛定は、楼王が跡を伝て、蕭を吹給けり。閑院中将公隆は、時々和琴を掻鳴して、風俗催馬楽を歌ひ澄せり。右馬頭資時は、今様朗詠して銘(二)心腑(一)、凡面々重宝の楽器を調べて、当時秀逸の人々も心を澄して奏しければ、聖衆翻(レ)袂(たもと)、天人雲にのり給らんと面白かりければ、上下感涙を押
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て、玉の簾錦帳霊々たり。法皇も御感の余、時々は唱歌せさせ御座(おはしまし)ける。御座席也ける半計に、こき墨染の奇に、思もよらぬ大法師、調子乱るゝ大音にて、片言がちなる勧進帳を読たれば、只天魔の所為と浅増(あさまし)くて、上下万人興を醒せり。こは何事ぞ、北面の者共はなきか、急ぎそくび穿と仰なり。さなきだにも、事がな笛ふかんと思ける北面の下搴、、我も/\と走向ける中に、平判官資行、左右なく走懸りけるを、文覚勧進帳を取直して、拳も軸も一になれと把竪めて、(有朋上P608)資行が烏帽子(えぼし)打落、や胸つきて、真仰に突倒す。資行余に強く突れて度を失ひ、烏帽子(えぼし)もとらず、本どりはなちにて、阿容阿容とはひ起て、大床の上に逃上る。階下庭上、あれはいかに/\、狼藉也と、どよみにてぞ有りける。恥辱などとは云計なし。大床に立ながら暫く心を鎮て、あゝ去る夜の夢見悪かりける事は此事也とて、閑所の方へ行ぬ。昔も今も昇殿を免るゝ事は、高名にこそよる事なるに、資行は不覚を現じて、大床に上。さまでなき振舞也とぞ人咲ける。北面の者共狼藉を為(レ)鎮十人計はしりかゝる処に、文覚勧進帳をば左の手に取渡し、右の手には懐より刀を抜出。管には馬の尾を組みて巻き、一尺余なる力の、日に輝て如(レ)氷。長七尺(しちしやく)計なる法師の、而も大力にて、衣の袖に玉だすき上、眉の毛を逆になし、血眼に見て、庭上を狂廻ければ、思懸ぬ俄事ではあり、こはいかゞせんと上下騒けり。此法師の体、殿上までも狂参り気也ければ、法皇も御座を立せまし/\、公卿殿上人(てんじやうびと)も閑所に立忍給けり。宮内判官公朝が、其時は兵衛尉にて北面に候けるが、近づき寄て誘けるは、やゝ上人御房、可(二)搦捕(一)之由御気色(おんきしよく)也、
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恥見給ぬ先に被(二)罷出(一)よと云ければ、文覚罷出まじ、院中の御助成を憑進せてこそ、此大願をも思立てあれ、只空くていでん事は、大願の空くなるにて有べし、大願空成ならば、命生て無要(有朋上P609)也、同死する命ならば、大願の代に死すべし、死骸を朝廷にさらして、面目を閻魔の庁にて施す事身の幸也。造営の有無、唯法皇の御計たるべし。五畿七箇道所ひろし、などか荒郷一所給(たまひ)て、貧道破壊の伽藍(がらん)を助給はざらん。詩歌管絃は、今上一旦の遊、卿相(けいしやう)雲客(うんかく)も現世片時の臣也、いつまでか伴ひ、いつまでか翫給べき。無常の風は朝にも吹、夕べにも吹、期(二)明日(一)御座(おはします)べしや、暫長夜の御眠醒奉らん為、聊妙法の音をあげて勧進帳を読侍る、全く僻事に非、浅猿(あさまし)き田父野人だにも、程々に随て、後生をば恐侍ぞかし、況万乗の国主として、聖衆の来迎を期し給はざらんや。文覚が所(レ)持刀は、人を切んとにはあらず、放逸邪見の鬼神を切、慳貧無道(ぶだう)の魔縁を払はんとなるべし、是又文覚が刀に非、大聖文殊の智恵の剣也、不動明王(ふどうみやうわう)の降伏の剣也、文覚更に悪事なし、上求菩提下化衆生の方便也、とく/\一分の慈悲をたれ給へとて、護法の付たる者の様に、躍上踊上て出ざりけり。其時信濃国(しなののくにの)住人(ぢゆうにん)、安藤右馬大夫右宗、武者所にて候けるが、走向て太刀のみねにて、左の肩を頸懸けて、したゝかに打たりけるに、少ひるみけるを、太刀を捨て得たりおうと懐く。文覚は右宗が小がひなを突貫、右宗乍(レ)突不(レ)放、成(レ)上成(レ)下、あちへころびこちへころびて勝負見えず。其後集寄て、かく/\栲して門より外へ引出し、(有朋上P610)平判官資行が下部に給。資行は烏帽子(えぼし)被(二)打落(一)て、面目なし。右宗は預(二)御感(一)、右馬大夫に被(レ)成けり。
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文覚は悲き目をば見たれ共、少も口はへらず、門外に引張られながら、御所の方を睨へて、天子の親とも覚ず、死生不(レ)知の事せさせ給ぬる者哉。袈裟かけ衣著たる僧の、発心修行して、造営済度せんとするを、打張そ頸突とは宣ふべしともおぼえず、斯かる悪王の代に、生合ける文覚が身の程こそ、不当の奴にては侍べれ。御座席に御座師長公は、読書し給たる賢臣とこそ承に、孝経を以て、親の頬打風情かな。貞観政要の中に、大人は赤子の心をも失はずとこそ申たれ。臣愚痴君被(レ)罰といへり。古文少も違はじものを、況文覚と云は、発菩提心の後、浄行持律の聖也、興隆仏法(ぶつぽふ)の勧進也、返々も口惜き事せさせ給へる君哉。賢王(けんわう)明徳の道は、弊民を育を以て先とす、況や剃髪染衣の僧をや。それに打擲刃傷に及条、希代の不思議也、世は已末世になり極れり、穴無慙の人共や、夢幻の栄花をのみ面白き事に思て、三途常没の猛火に■(こがれ)ん事を不(レ)知、只今(ただいま)文覚が加様にせらるゝ事は、全く身の恥に非、臣下卿相(けいしやう)を始として、己等が恥と思給べし、但後生までは遥也、遠は三年近くは三月が中に、思知せ申さんずるぞ、さり共後悔こそし給はんずらめと、御所中(ごしよぢゆう)響けと叫けり。不思議の法師の悪口かなとて、以(二)手綱(一)縛て資行が下部(有朋上P611)に預たれば、主の烏帽子(えぼし)打落し突倒たる遺恨さに、首をも斬、足手をも、もがばやと思へども、御許しなければ、事にふれて辛目をぞ見せける。左こそいはんながらに、無慙や仏法者(ぶつぽふしや)にてあるものを、袈裟衣著たる者は、清浄の上人にて有ものを、蒸物にあひて腰搦みの風情哉と哀む人も有けり。主の資行は少物に心得(こころえ)たる者にて、仇をば恩を以て報ずと云事也、さのみつらく
P0446
当べからず、何事も前世の事ぞ、且は資行が発心の因縁、善知識と存ず、自今以後は仏道に入りて、後生を欣べしとて、髪をばそらざりけれ共、妻子を放れて閑亭の翁とぞ成にける。身は朝廷に仕へながら、心は仏道を望、烏帽子(えぼし)被(二)打落(一)往生を遂べき宿習にこそ。禍は福と云事は、加様の事にや、順縁逆縁とり/゛\也。さて文覚は右の獄に入られたりけれ共、悪口は止ず、日月地に墜給はず、三宝争か捨給べき、去共神護寺の鎮守(ちんじゆ)護法、とり/゛\に利生を現じ給へと、手を合念珠を捻ければ、獄中の者共も、身の毛竪てぞ覚ける。さればにや上西門の女院、指たる御悩(ごなう)もましまさずして、御寝なる様にて隠れさせ給にけり。上下騒て一天晩たるが如し。天子千行の涙は、春の雨よりも滋く、階下九廻の炎は劫火よりも苦。非常の大赦被(レ)行けり。文覚先獄を出。悔(二)先非(一)後慮りあり〔て〕、暫は引籠ても在べきに、尚もしひず勧進する事如(レ)元。法皇の(有朋上P612)御助成のなき事を、安からず思て、京中白川大路、門人の集りたる所にては、浅増(あさまし)くいまはしき事をのみぞ云ける。黒衣の裳短きに、黒袴脛高に著、同色の袈裟懸て、太刀を腰に横へ、指縄緒の平■(ひらあしだ)はきて、勧進帳を手ににぎり、世にも恐れず、口もへらず、知も知ぬも人に会て云けるは、こゝの闕たるは院の所為よ、頭の腫たるは法皇の所行ぞかし、蒸物に合て腰がらみとて、法住寺殿(ほふぢゆうじどの)の御所の前を、東西南北にらみ廻りて、
S1804 文覚流罪事
官位を高砂の松によそへて祝とも、春降雪と水泡消ん事こそ程なけれ。輪王位高けれど、七宝終に身にそはず、況下界小国の王位程こそ危ふけれ。十善帝位に誇つゝ、百官前後に随へど、冥途の旅に
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出ぬれば、造れる罪ぞ身を責る。南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)/\、いつまで/\春夏は旱、秋冬は洪水、五穀には実ならず、五畿七道(ごきしちだう)は兵乱、家門には哀声、臣下卿相(けいしやう)煩て、君憂目を見給べし。世中は唯今に打返さんずる者を、安き程の奉加をな、阿弥陀仏(あみだぶつ)/\(あみだぶつ)と高念仏申て、因果は糺縄の如、人に辛目みせ給る代は、去共/\とて上下に通ければ、及(二)天聴(一)公卿(くぎやう)僉議(せんぎ)ありて、此僧を京中に置ては悪かりなんとて、伊豆国(いづのくに)(有朋上613)へ流罪の由にて、当時の国務也ければ、源(げん)三位(ざんみ)入道(にふだう)の子息、仲綱(なかつな)に被(二)仰付(一)ぬ。仲綱(なかつな)これを召渡して、薩摩兵衛省に仰て、下遣すべき支度あり。院より庁の下部二人付られたり。折節(をりふし)伊豆国住人(ぢゆうにん)、近藤四郎国澄と云ふ者、年貢運送の為に、南海道より舟に乗りて上たりけるが、下りける戻舟に乗て、慥に国に付よと言伝らる。庁の下部放免二人も下向すべきにて有けるが、文覚に語けるは、庁の下部の習、懸事に付てこそ、自酒をも一度飲事にて候へ、去ばこそ又折々に、芳心をも申事なれ、上人御房程ならぬ人だにも、人には訪をも乞事に候。申さんや御房は、貴とき人にて御座上、京白川に知人多くぞおはすらん、触廻らして国の土産道の粮物にも所望し給へかし。只官食ばかりにては慰も有まじ、且は身の計をも存、又人の心をも兼給へかしと様々教訓しけり。文覚思ひけるは、法師は上下男女勧進の僧也、左様の仏物すかしとらんとて、云にこそと思ければ、返事には、縁者知音も身が身にてある時こそ自ら芳心もあれ、入道出家の後は、諂心なければ得意取事もなし、親類骨肉にも近づく事なければ、問被(レ)問ずして十余年にも成ぬ、然べき者あるらん共覚えず、縦ありとも有
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甲斐あらじ、大方は我人に物を与ふるにこそ、得意知る人は多けれ。法師は人を勧進して人に物を乞へば、うとむ者はあれども親む者はなし。(有朋上P614)
S1805 文覚清水状天神金事
〔去(さる)程(ほど)に〕但東山にこそ後生までもと契りて、常に行眤ぶ事はなけれ共、朝夕に難(レ)忘思被(レ)思たる人はあれ、縦無間の底までも身に代ぬ人也、よに憑む甲斐在て、実の詮には叶ぬべき人ぞ、さらば実に道の土産にも大切也、殿原にも志をも申、吉酒をもめさせん、硯紙まうけ給へと云。下部悦て硯借よせ紙買儲たり。文覚紙を取向て見れば、如法雑紙也。見まゝに、奇怪なる奴原が紙の様かな、人の品をば消息(せうそく)にて知事也、吉紙を尋て進よ、これ人のために非ず、只今(ただいま)物儲て取せんずるぞとて投返す。放免ども悪き僧の詞かな、奴原とは何事ぞ、いざ咎めんと云けるを、其中に制して、暫一天の君をだにも悪口申物狂也、天狗の様なる者なれば、何ともいへ、人々敷者にいはれてこそ恥にも及べ、其上唯今物乞てえさせんと云人に、躍合て要事なしとて、上品の紙の神妙(しんべう)なるを尋出して進る。文覚申けるは、法師はよに腹悪者にて、悪口申て候けり、中直りし奉、抑我は天性筆をとらぬ者也、能書ん人を請じ給へ、件の人は目も心も辱しき人也、文様尋常なるべしと云ければ、穴煩しの御房やとは思へども、若興ある事や有と思て、其辺に走廻りて能書(有朋上P615)の人を尋ね出して来れり。文覚は手書を近呼寄て、良物語(ものがたり)りして、其後放免共に、やゝ殿原聞給へ、木に付虫は本を嚼、萱に付く虫は萱を啄と云事あり、能者を請じて能を顕すには、必酒を進、引出物をするは習ひ也、然も土産所望の文也、乞食だにも門出とて祝事ぞかし、虚口にては福楽無、先
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手書を能々翫奉べし、去ずば書給べからずと云。其時下部共定もなき事ゆゑに、をこがましとは思へども、支へては云人を請じて、さすが片腹痛さにいなとは云ず、直垂質におきて、酒肴買よせてよく/\進せ、腰刀一引出物にたぶ。手書の僧酒飲引出物懐中して後、墨磨筆染て、御文は何様にと申。文覚が申さん様に、少も違へず書給へとて、為(二)高雄神護寺修造勧進(一)、於(二)法住寺(ほふぢゆうじ)御所(一)、奏聞之処、聊蒙(二)勅勘(一)下(二)向伊豆国(いづのくに)(一)候、抑浮雲之身、雖(レ)非(レ)可(レ)惜(二)朝露之命(一)、猶以難(レ)捨候哉、為(二)旅粮(一)所(レ)奉(レ)預(二)之鵝眼百貫(ひやくくわん)■牙(しやうげ)百石(一)、付(二)使者(一)可(二)申請(一)候、恐々謹言。
月 日
文覚、と書せて、立文たり。表書をば誰と可(レ)書候ぞと問ば、文覚打笑て、清水寺観音御房と書給へとぞ云ける。よに可(レ)笑事なれども、放免共は腹を立すべて不(レ)咲。文覚一人のみぞ手を扣て笑ける。下部共不(レ)安思て、和僧のさのみ庁の御使を可(レ)欺事やはある、奴原とてだにも不思議に思ふに、紙ぞ手書ぞ、酒よ引出物よとて、係る嗚呼(をこ)の事申条後悔し給な、思知べ(有朋上P616)しと、口々に■(ののしり)けれ共、文覚は猶奇異にをかしき事に思て、座にもたまらず笑飽て申けるは、殿原や中直りして物申て聞せん、されば観音に利生を申人は嗚呼(をこ)の事にてある歟、月詣日参、夜も昼も踵を継て参る、上下男女道俗貴賤は、皆嗚呼(をこ)の事かは。文覚をば悪口すると宣へども、己等こそ増て悪口の者よ、法師は法皇を悪口とて、伊豆国(いづのくに)へ被(レ)流、己等は観音を悪口すれば、地獄釜へ流さるべき也。抑観音の利生をば、いか程の事とか
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思。法華経(ほけきやう)八巻に、若有人受持六十二億恒河砂、菩薩名字復尽形供養、飲食衣服臥具医薬、四種功徳と、只一時也とも、観音の名号を念じて礼拝せん、功徳と正等にして、異事無と説れたり。されば大悲無窮の菩薩也。広大円満の利生也、其に己等が貪欲に住して、物ももたぬ法師に物を乞へば、物持たる観音に物乞奉りて、己等に給はれとて、消息(せうそく)やるを嗚呼(をこ)也と云は、さらばさて有かし、嗚呼(をこ)の者共とて、又念誦うちして、睨へたり。力及ぬ法師哉とて、鳥羽の南門より船を出す。事に触て情なくこそ当りけれ。其夜は渡辺に著ぬ。水手梶取も、同一所に宿けり。文覚は内にあり、梶取は縁に臥たり。遣戸一を隔たり。夜さし更て梶取が云けるは、哀此上人は勧進の用途は多く持給たるらん、勅勘の人なれば、いつか帰上給はんずらん、何とかなして枉惑し、とらんなど様々に私語(ささやき)て、其(有朋上P617)後は音もせず。文覚は悪き奴原哉と思て、暁方に念珠押揉、忍声にて南無(なむ)帰命頂礼(きみやうちやうらい)、高雄山の護法、天童、為(二)神護寺造営(一)勧進用途にて、金百両を買、五条(ごでうの)天神の鳥居を左の柱の根、三尺が底に埋て候。文覚上洛の程、夜の守昼の守と、令(二)守護(一)給へと祈誓しけり。梶取ども目を醒して、互に頭を振合て悦けり。明るや遅し、四五人京へ上り、夜に入りて五条(ごでうの)天神の鳥居の左の柱根を、三尺ほりたれ共、金もなし、五尺計堀たれ共なかりければ、一人が云けるは、夜の耳にてはあり、而も忍音に云つれば、右の柱を左と聞てもや有らんとて、右の柱を四五尺掘りたれども、鳥居は倒て金はなし。浅猿(あさまし)とて逃下ぬ。明日は五条(ごでう)渡、西洞院(にしのとうゐん)在地人集て、是は不思議の物恠ぞ、我は夢に見たりつる事、我は烏の此辺に集りたる事など申て、
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何様にも天神を宥奉べしとて臨時の祭し、鳥居を造り替、優々敷経営にぞ有ける。伊豆守(いづのかみ)仲綱(なかつな)が依(二)下知(一)、国澄暫渡辺に逗留す。又文覚大事の召人也、よく/\守護すべきと云下たりければ、渡辺党番に結で是を守、夜は通夜寝ず、内へ外へ出入て、昼は終日に立ぬ居ぬ、湯よ水よと云て、人をも安く置ず、聊も命に背けば散々(さんざん)に悪口して、親者ももてあつかへり。云ける事は、穴無慙や、少くより不調也と見し者は、終に果して憂目を見ぞとよ、故郷には錦の袴を著て、帰とこそ云に、さまでこそな(有朋上P618)からめ、所生の所に来て親類骨肉に被(二)守護(一)、恥と思心もなく、猶不当の悪口振舞して、我等(われら)をさへ心憂目見する事口惜さよと云処に、有し梶取が進出て、惣不当の大虚言の御房也、金百両五条(ごでうの)天神の鳥居の下に埋たりと宣し時に、人にも知せず親き者ばかり、少々相連て、終夜(よもすがら)堀共々々終になし、結句は鳥居の柱掘り倒して、浅猿(あさまし)さに逃下たりと云。文覚親き者に謗られて、大に腹立しける中に、梶取めらをすかし負せたりと嬉しくて、やをれ舟流共よ、此大地の底は金輪際とて金を敷満ちたり、など其までは掘らざりけるぞ。但法師が埋たる金は北野天神の鳥居の事也、五条(ごでうの)天神には非、今一度上て掘り直せとて、ふしころびてぞ咲ける。其後一門の者共に向て、目を見はり嗔声にて云けるは、法師は若より千手経の持者にて二十八部衆番を結んで守護し給へば、友ほしと不(レ)思、己れ等に守られずば法師侘べきか、いかに守共、逃失んと思はば可(レ)安、一門の中に、斯かる貴き上人が出来て、院(ゐんの)御所(ごしよ)迄もさる者有と、被(二)知召(一)たるは、親き奴原が非(二)面目(一)乎、是こそ錦の袴著て故郷に帰たるにはあれ、其に不当也など聊も
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思申条奇恠也と云て、又散々(さんざん)に悪口しけり。角て文覚は渡辺に四五日ぞ有ける。是より舟に乗、国澄に相具して、住吉(すみよし)、住江、和歌吹上、玉津島明神を伏拝、日前黒懸をよそに見て、由良湊、田部の沖、新宮浦(有朋上P619)に船を著、熊野山を伏拝、南海道より漕廻て、遠江国名田沖にぞ浮だる。折節(をりふし)黒風俄(にはか)に吹起、波蓬莱を上ければ、こはいかゞせんと上下周章(あわて)騒けり。思々に仏を念じ、口々に祈事して泣悲みければ、水手梶取帆を引、沈石を下し、荷を刎船を直けれ共、いとゞ波風烈しくして、為方なければ、声を揚てぞ喚叫ける。去ども、文覚は舟耳を枕として、高息引かきて臥たり。梶取等文覚が傍に寄、良上人御房、いかに加程の大風に、打とけ眠り給ぞ、起て祈し給へと、起せ共/\不(レ)動。余に強く起されて、頭ばかりを持挙て、久物は不(レ)食、身は疲たり、所作すべき力なし、但痛くな騒そ、法師らがあらん限はよも苦からじ、波風の止程は、唯たれ/\も共にねよとて、又引かづきて臥。浅増(あさまし)き中にも悪まぬ人はなし。風は弥吹しぼり、船耳に浪越ければ、今は櫓を取楫を直に及ばず、舟底に倒伏て、音を揚て喚きけれ共、文覚は泣もせず、起もあがらず、ふせりながら、穴面白と声欹してぞ有ける。口々に申けるは、穴不当の僧の事様や、無慙也々々々、出家染衣の形と成なば、叶はぬまでも経をよみ念珠を捻りて、慈悲を起し祈誓すべき事ぞかし、其に我身をさへ思はずして、只今(ただいま)波の下に沈んずる者が、いかなる心なれば、起も上らず、剰穴面白など云事、不思議さよ。誠や無智も無行も、僧は国の盗と、仏の仰にて有けるぞ。あの不当(有朋上P620)の心にて、蒙(二)勅勘(一)、遠国へも下るぞかしなど申あへり。文覚
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聞て良在て這起、口説言はさて歟、あゝ云も道理也、命共が惜ければ、臥も理と思へ、悶るも理物がくさければ起ず、但余に歎くが不便なるに、波風やめて見せんとて、舟舳頭に立跨て、沖の方を睨へて、竜王(りゆうわう)や候/\、いかに海竜王共(かいりゆうわうども)はなきか、曳々とぞ呼だりける。舟中の者ども、こは如何なる事ぞや、浅猿(あさまし)や斯かる折節(をりふし)には、竜王(りゆうわう)御前どもこそかしづき申すべき、悪口申ていとゞ竜神(りゆうじん)の御腹立進なんず、中々詮なく起にけりと、悲しき中にも今少怖しさぞまさりける。去ば角な宣そと制しけれども、文覚は念珠押捻、大の声のしはがれたるを以て申けるは、海竜王神(かいりゆうわうじん)も慥に聞、此船中には、大願発たる、文覚が乗つたる也、我昔より千手経の持者として、深く観音の悲願を憑、竜神(りゆうじん)八部正しく如来(によらい)説教の砌(みぎり)にして、千手の持者を守護せんと云誓を発すに非ずや、されば文覚を守らずば、誰をか可(レ)守、吾船をば手に捧、頭に載ても行べき所へは送べし、さまでこそなからめ、浪風を発条あら奇怪や/\、忽(たちまち)に風を和げ波を静よ、と云事を聞ずば、第八(だいはち)外海の小竜めら、四大海水の八大竜王(りゆうわう)に仰付てなく成べしとて嗔りける。是を聞者どもが、いや/\此僧は、敢て物狂にて有けり、聞く共聞じ、加様の者が乗たれば、懸悪風にも合にこそとつぶやきけり。(有朋上P621)去ども文覚が云事、竜神(りゆうじん)の心にや叶ひけん、沖吹風も和て岸打浪も静也。其時にこそ舟中の者共は安堵しつゝ、穴貴々々、是程に竜王(りゆうわう)を随へ給程の上人を、忝(かたじけなく)も舌の和なる儘に、口に任て誹り申ける事の浅猿(あさまし)さよ、いかに加様の貴人をば、奉(レ)流やらんとてこそ悦びけれ。是又観音利生悲願の目出たき故也。故に法華経(ほけきやう)には、縦巨海に漂流すと云とも、観音を念ぜ
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ば、波浪に没する事なからんと云へり。文覚大悲の本誓を仰、千手の神咒を持故に、内徳外に顕て、風波の難をぞ遁れける。角て文覚云けるは、如何に殿原自今以後は知べし、勤行精進の在俗よりは、無智無行の比丘は勝たりとて、懶惰懈怠なれども、僧をば敬ふ習ぞ、法師此舟に乗ずば、誰か一人も助るべきとて、気色して、千手陀羅尼を誦しければ、其後は楫取已下の輩、手水を捧履を取、主従の礼よりも猶深して、事外にぞ敬屈しける。領送使国澄も、今こそ始て貴き人とも思知けれ。常に対面して物語(ものがたり)しける中に、国澄問云、抑当時世間に鳴渡雷をこそ、竜王(りゆうわう)と知りて侍るに、其外に又大竜王(りゆうわう)の御座様に仰候つるは、いかなる事にて侍るやらんといへば、文覚答て云、此等に鳴雷は、竜神(りゆうじん)とは云ながら■弱(わうじやく)の奴原也。あれは大竜王(りゆうわう)の辺にも寄つかず、履を取までもなき小竜めらなり、八大竜王(りゆうわう)とて、法華経(ほけきやう)の同聞衆に有(二)八竜王(りゆうわう)(一)、難陀竜王(りゆうわう)、跋難陀竜王(りゆうわう)、(有朋上P622)娑伽羅竜王(りゆうわう)、和脩吉竜王(りゆうわう)、徳叉迦竜王(りゆうわう)、阿那婆達多竜王(りゆうわう)、摩那斬竜王(りゆうわう)、優鉢羅竜王等(りゆうわうとう)、各与若干百千眷属倶と説けり。此竜王達(りゆうわうたち)は面々二百千万億の眷属を具して、蒼溟三千の波の底に、金銀七宝の宝を以、八万四千(はちまんしせん)の宮造して、億千の竜女にかしづかれて居住せり。此空に鳴行く奴原は、八大竜王(りゆうわう)の眷属の、又従者の/\、百重ばかりにも及び難き小竜也。去共夏天の暑に雲を起し雨を降して、五穀を養ふ事は目出事ぞや。たとへば諸国の人民百姓が計に、職士定使とて■弱(わうじやく)の奴原が、家園に鳴廻ば、怖恐て相構て僻事をせじ、理を失はじとて、所を治家を治むれども、実の十善の君の玉の台、日の御座に御渡あるをば、下揩ヘ知り進せぬ定也。其にさしも
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気高き八大竜王(りゆうわう)は、文覚を守護せんと云誓あり、況や小竜共が不(レ)知(二)案内(一)、危くも煩をなす時に、只今(ただいま)名乗たれば、すは海上は静りぬるはと云。国澄又問て云、左程に気高う御座(おはしまし)ける八大竜王(りゆうわう)は、いかなる志にて、文覚御坊をば守護し進んとは誓給たるやらんと。文覚答て云、いみじくも問給たり。
S1806 竜神(りゆうじん)守(二)三種心(一)事
昔釈迦如来(しやかによらい)、在世説法の時、八大竜王(りゆうわう)参りて仏に向つて申様は、仏徳尊高にして、万徳自在(有朋上P623)也、三世の知恵を極て十方世界に明也、然れども猶御心に叶はぬ御事やおはしますと申。時に仏答て云、我能万徳円満して、自在の身を得れども、心に叶ぬ事二種あり。一には娑婆に久住して、常に説法して、衆生を利益せんと思へ共、分段無常の境は、百年の内に涅槃の雲に隠なんとす、是心に任ぬ愁也。二には我涅槃の後、若善根の衆生ありと云とも、為(二)魔王(一)被(二)障碍(一)て、所願(しよぐわん)成就(じやうじゆ)の者あるべからず、其善根の衆生を誰に誂置べき共覚ず、是又大なる歎也と宣き。于(レ)時八大竜王(りゆうわう)座を起、仏を三匝(さんさう)して威儀を調、尊顔を奉(レ)守て、三種の大願を発て云、一我願入(二)涅槃(一)後、孝養報恩の者を守護すべき、二我願仏入(二)涅槃(一)後、閑林出家の者を可(二)守護(一)、三我願仏入(二)涅槃(一)後、可(レ)守(二)護仏法(ぶつぽふ)興隆者(一)、此三の願を心に案ずれば、併がら文覚が身の上にあり。法師は加様に心急々にして、時々物狂の様なれども、母は吾を生んとて難産して死ぬ、父には三歳の時別ぬ、憑む方なき孤子なれば、幼なき子を思おきけん、父母の心の中、いかばかりの事案じけんと思へば、親を思ふ志今に不(レ)浅、妻に後れて出家入道すれども、本意は只至孝報恩の道念より起れり。八大竜王(りゆうわう)の第一の願に答て、被(二)守護(一)べき身也。閑林出家と誓
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たれば、十八歳にして、入道して、再在家に帰らず、更に人に諂事なし。猶山林流浪の行人也。第二の願に(有朋上P624)答、可(レ)被(二)守護(一)身也。況仏法(ぶつぽふ)興隆と誓たれば、文覚こそ神護寺を修理して仏法(ぶつぽふ)を興隆し、不断の行法を居て、平等の得脱を祈らんと云志深ければ、第三の願に答らんと覚。其に和殿原までも奉(レ)被(レ)悪ども、八大竜王(りゆうわう)は如何計かは憐守給らん。斯かる聖教の道理を覚たれば、小竜などは物の数共存ぜず、去ば竜王(りゆうわう)め/\とも申侍る也。さ申和殿原とても、孝養の志も深、煩しくして、而も住はつまじき世を厭ひて、入道出家し給、閑林に閉籠、仏法(ぶつぽふ)をも興隆し給はば、八大竜王(りゆうわう)に被(二)守護(一)給はん事は疑なし、必しも文覚一人を守らんと誓たるには非、相構々々殿原も親に孝養の志深うして、仏法(ぶつぽふ)に志を運給へ、今生後生の大なる幸なるべし、夢幻の世中有かとすれば更になし、徒に身を苦めて、悲く悪趣に歎ん事、心憂かるべし、さても/\法皇の邪見こそ糸惜けれ、さこそ辺土小国の主と申さんからに、僅(わづか)の助成を恨、興隆仏法(ぶつぽふ)の法師等をなくなし給らめ、糸惜さよ、八大竜王(りゆうわう)いかばかり本意なく思給らん、守護の天童も定て嗔りをこそ成給らめ、いざ/\殿原後に思合給へよ、災害は只今(ただいま)有ぬと覚ゆる者をや、大国の王は破戒なれども比丘をば敬、無実なれども勧進をば奉加す、況文覚全く妻子を養はん為に非、誑惑不善の勧に非ず、和殿原さへ相そへて、仏法(ぶつぽふ)粗略の人共にて、道理を責て申とも、文覚が口状を(有朋上P625)ば信用し給はず、能々思慮すべき事也、内徳を顕さざれば、外相に信を取らせんとて、忍て小竜等を招、風波の難を現じて見せつる也、されば如(レ)案に今は信伏して、切て継たる
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礼儀をかしく、哀に覚候、小竜一旦の騒だにも不(レ)斜(なのめならず)、まして無常決定の荒き風も吹、阿坊獄卒の稠き責の来ん時は、文覚猶以叶がたし、況各に於てをや、無上世尊も入滅し給へば、高位と貴み奉国王も遁給はず、唯造れる善根ばかりぞ身をば助べき、天竺震旦をば暫置く、我朝には皇極天皇(てんわう)閻魔の庁に跪き、延喜聖主鉄崛苦所に墜給き、彼は正法を以て国を治、慈悲を施し民を憐給しか共、たやすき咎に報い給けり。増て渡世不善法の和殿原、叶べしとも覚えず、今度文覚が悪事して伊豆国(いづのくに)へ罷るは、仏の方便を知べし、今より後は一向に文覚が依(二)教訓(一)仏道に心をかけ給へ、一樹の陰に宿けるも、前世の契と見えたり、況数日同船の眤びをや、可(レ)然善知識と思べし。仏道に心を懸と申は、内心慈悲ありて、物を憐、常に墓なき世を疎んで、仏を念じ悟りを開と思へば、仏臨終に決定して来迎し給ふ、所以に観音勢至阿弥陀如来(あみだによらい)、無数の聖主諸共に弘誓の船に棹して、生死の苦海を渡り、宝蓮台の上に、往生して菩提の彼岸に遊ばん事、誰か是を望まんやと、賢き父の愚なる子を教ふる様に、泣口説教訓したりければ、金とらんとて五条(ごでうの)天神の鳥居(有朋上P626)掘り倒したりける放免の中に、刑部丞県の明澄と云ける男は、生年三十三歳に成けるが、さしもの邪見を改て、菩提心を発、本どり切て文覚が弟子となる。即剃(レ)髪授(レ)戒、名をば文覚の文をとり明澄の明を取て、文明とぞ付たりける。其外の者共も、出家入道迄こそなけれ共、一旦仏道に帰しけり。此文覚は天狗の法成就(じやうじゆ)の人にて、法師をば男になし、男をば法師になしなどして、うつゝ心は無けれ共、ゆゝしき荒行者にて、度々鍔金顕したる者
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也。されば渡辺にて舟に乗けるよりして、大願を発しけるは、我願成就(じやうじゆ)して神護寺を修造すべくば、縦湯水を飲ず共、国につかんまで、命を全うすべし、其願空くなるべくば、今日より後七箇日の中に、天神地祇命を召とて、飲食を断。預の武士様々に誘けれ共、終に飲くはず、ほしくば己らくへ、法師は己れ等が手に懸つて、干死にして無なさんと嗔りける間、力及ず、三十一日と申に、伊豆国(いづのくに)へ下著ぬ。其間五穀を食せず、湯水を不(レ)飲けれ共、形も損せず色も衰る事なし。行法うちして歎愁たる気なし。常は笑き物語(ものがたり)して、己も咲人をも笑はしてつれ/゛\はなかりけり。又道心の始、熊野金峯行ひありきける時、那智の滝に七箇日の間打れんと云ふ、不敵の大願を発けり。比は十二月中旬の事なれば、谷のつらゝも竪閉、松吹風も膚にしむ。去ぬだに寒きに、褌計に裸也。三重(有朋上P627)白尺の滝水、糸を乱して落たぎる滝壺にはひ入て、身に任てぞ打れける。一日二日打るゝ程に、身は紅色と成て、紅蓮地獄の衆生の如し。髪鬚には垂氷さがりて、鈴を懸たるが如に、から/\と鳴けるが、流石(さすが)生しき身なれば、三日と云ける日は、息絶身すくみて、死人の如し。かたへの行者達も、由なき文覚が荒行立て、墓なく成りぬる事よとて、或憐或猜けり。已に滝の底に流入けるを、誰とは不(レ)知下もやらず、ひたと捕へて、左右の手を以て、文覚が頂より足手の爪先まで、あたゝか/\と撫て、把すると思ければ、さしも石木の如くに凍りすくみたりける身も、皆解あたゝまりて、人心地していきかへる。文覚不思議に覚て、抑法師とり助給(たま)ひつる人は誰と問。詞に付て、汝知ずや、我は是大聖不動明王(ふどうみやうわう)の御使、矜伽羅、勢多迦と
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云者也。汝不敵の願を不(レ)果して、命の終つるを、此滝けがすな文覚助よと蒙(レ)仰来れる也と答。穴貴の事や、如何なる姿ぞ、世の末の物語(ものがたり)にせんと思、立帰て見れば、十四五計なる童子の左右に丱結たるが、遥雲井を蹈上り、滝の上にぞ入給ふ。文覚思けるは、誠に明王(みやうわう)の御計ならば、今はいかに打共よも死なじ、さらば前後三七日打れんと思て、滝の水に入たりけれ共、落来水も身にしまず、滝壺も又湯の如し、更に寒事なければ、終には願を果しけり。加様に心しぶとく、身も健にして、立ぬ願(有朋上P628)もなく、せぬ業もなし。懸りければ、発心地物気など云て請用隙なし。向と向ひぬるに、空き事はなし。余に暇なき折は、念珠袈裟を遣して、病者の目にも見せ、手にも取せぬれば、忽(たちまち)に験を顕す。係りしかば、元来天狗根性なる上に、慢心強く高声多言にして、人をも人とせざりける余、院(ゐんの)御所(ごしよ)にて悪口を吐、預(二)勅勘(一)被(二)流罪(一)けり。伊豆国(いづのくに)奈古野が奥と云所に、観音の霊堂あり。則なこや寺と名く。彼傍に奇庵を結て、閉籠て年月を送つゝ、深大悲の誓願を憑て、不退の行法薫修せり。昼は先手経を読、夜は三時に行法せり。人是を貴て、折々衣裳を送けれども、返すは多く、請取は稀也。何とてとき料なども在けるやらん、同宿もあまた侍けるとかや。遠近舟の旅人は、炉壇の煙に心すみ、釣する海人の楫枕、燈炉の光に目を醒す。渚(なぎさ)に遊水鳥は、振鈴(しんれい)の声に驚、藻に住磯の鱗は、閼伽の水にや浮ぶらん、最貴くぞ覚えける。されば当国の目代(もくだい)より始て、上下の男女帰依の思を成けれども、惣じて諂心なし。真実の道心者也とぞ見たりける。