アンデルセン童話集
鈴木三重吉 訳
アンデルセンのこと、なぞ
ハンス・アンデルセンは一八〇五年(今から百二十二年前)に、デンマークの、オデンスといふ町の、靴屋の子に生れ、一八七五年に七十さいで亡くなつた、又と得がたい、天才的な作家です。家は貧乏でしたけれど、いろ/\の人からのたすけで、とう/\大学まで卒業しました。それから間もなく、政府から費用をもらつて、イタリイ、ギリシヤ、スペイン、スウエーデン等をまはり、それによつて、二十六から三十二の年までの間に、三冊の、異彩にかゞやいた旅行記をかきました。同時に、一方では小説家として立つて、有名な「即興詩人」などの名作を出しました。童話は、一八三五年(三十の年)に第一集を出したのがはじめで、それから三年後に第二集、なほ七年後に第三集を出し、引きつゞき千八百七十二年(六十七の年)までに、数年おきに、つぎ/\にいろ/\の童話をまとめて出しました。
アンデルセンは、そのほかに詩も作り、いろ/\の戯曲をもかきましたが、さういふものよりも、一とう傑出した名作は、その多くの童話で、これはすでに存命中から、方々の国語に訳されて、世界的に評判され、愛着されたものです。童話の作家としては、全く世界中にアンデルセンの上に出る作家は一人も見出せません。これからさきも、アンデルセンの作品は、永久に、宵の明星のごとくに、たゞひとつの、大きな、悠久な光として、あこがれ仰がれることでせう。アンデルセンの貴さは、みなさんが、今お感じになるよりも、大きくなられて、又何度もよみかへされるに従つて、ます/\はつきりと感銘されて来るはずです。
なほ、アンデルセンのかいた「自叙伝」は、すべての自叙伝の中で、一ばん純真なものとして有名です。
私のこの本にをさめた十二のお話のうち、めづらしいのは第十一話の「赤いお馬」です。これは、「きんぐとくゐーんとじやつく」といふ作品の、ほん訳ですが、この話だけは、ほんの、つい近ごろ発見されたもので、ありとあらゆる、つまらない小さな詩篇まで集め入れた、アンデルセンの原作全集にもはひつてゐない作品です。こんなうつくしい話篇が、さういふ全集にも、もれてゐたと聞いたら、だれでもびつくりするでせう。コーペンハーゲンの王立図書館員のユーリウス・クラウセン氏のいふところによりますと、このお話はコリンといふ人が集めた、多くの人の自筆原稿の中から出て来たもので、小さな十六ぺいじの紙にかき、灰色の紙表紙をつけて、糸でかゞつてある肉筆本で、うすく、小さいためにほかの原稿の中にはさまつたまゝ、永い間目につかないでゐたのださうです。字はむろんアンデルセンの手であり、アンデルセンが針と糸とで、上手に縫ひかゞりをしてゐたことから押して、これも、じぶんで、こくめいにとぢ上げたものだらうと言はれてゐます。
この小本と一しよに、「旅行記」とかき、括弧をして「ほてるにて」とかいた、小さな控へ帳が出て来ました。その控へによつて、「赤いお馬」は、千八百六十八年にかゝれたものだといふことが分りました。同年にアンデルセンはドイツのエムスといふ温泉へ療養に行き、六月に、デンマークヘかへる途中、同じくドイツのケルンや、アルトナに数日滞在してゐました。この二つの町のいづれかのほてるでかいたのです。
アンデルセンは、デンマークヘかへつてから、この話を、ヘエツトといふ批評家に読んで聞かせました。するとヘエツトは、じようだんに、
「ほゝう、これはすつかり革命の童話だね。王さまといふ王さまがみんな死ぬんぢやないか」と笑ひました。
むろんアンデルセンは、そんなつもりでかいたのではありません。だれがよんだつて、これが、そんな実さいの王さまなるものを侮辱する話ととれるわけもありません。たゞ、アンデルセンが子供の気分になつて、かるたのきんぐや王妃たちを見つめたときのうつくしい幻想をかいたまでのことで、話の中の実さいの事実としては王さまの札もやけたのですが、それと一しよに王さまたちは赤い馬に乗つて大空へ上つたのです。ですから、けつきよく王さまたちのことを、貴くかう/゛\しく考へうかべる、子供らしい、うつくしい幻夢そのものよりほかに、何の寓意もこじつけられ得るわけがありません。
しかし、アンデルセンはデンマークの王室にたいして、こゝろから畏敬と親愛とをさゝげてゐた詩人でしたから、ヘエツトのそのじようだんをひどく気にして、万一にも人がそんな連想をおこしでもしたら、暗に王家にたいしても申わけがないし、じぶんの純情的な作品の中に、そんな気づかひのあるものがまざり残つては不愉快だといふので、自作として、だいじにしまつてはおきましたが、そのまゝ、しようがい発表しないでしまつたわけです。いかにもアンデルセンらしい至純な感情のあらはれてゐる、おもしろい挿話だとおもひます。
最後に、この本の十二のお話を一くるめにして、便宜上、翻訳と表題づけてありますが、事実、「秘密」「一本足の兵隊」「あひるの子」「鴻の鳥」「マイアの冒険」の六話は、背後の深遠な象徴的主題はともかく、単なる表面の話の筋は、小さなお子さんにもよく分るものなので、さういふ小さな人々のために、原作の筋を平易に分りやすくかいたものです。ほんやくといふよりも再話です。しかしアンデルセンの気分とお話の所要の空気と味ひそのものは、それらのお話の逐語訳に劣らず、十分つたへてゐるつもりです。そのほかの七話は、ほとんど逐語訳です。たゞ、これにも、日本との習俗の相違上、そのまゝかいては、さはりとなるような事柄や、子供に分りにくい表出なぞは、やはらげたり、はぶいたりしたのもあります。ほんやくも、子供に分る言葉のみを使つて、しかも原作の感触をまで出すことは、しよせん、むつかしい一つの芸術でなければなりません。
鈴木三重吉
目次
母
秘密
一本足の兵隊
天使
あひるの子
かゞり針
まつち売りの少女
鴻の鳥
マイアの冒険
五十銭銀貨
赤いお馬
「年」の話
アンデルセン童話集
装 幀・恩地孝四郎
口絵挿画・清水良雄
母
一
母が、小さな子どものそばに坐つて、悲しみ、沈んでゐました。
母には、その子が死ぬのではないかと思はれました。子どもは小さな顔をまつ青にして、目をつぶつたまゝ、つまるようないきをしてゐます。とき/゛\ためいきでもつくように深いいきをします。母はそれに気がつくと、なほ/\悲しさうに見まもつてゐました。
そのとき、こと/\と部屋の戸をたゝく音がして、一人の、見すぼらしい、何だか、馬に着せる布のような、大きな布をまとつた老人がはひつて来ました。寒い冬の晩なので、そんなものでもかぶつてゐなければ、とても、たへられないのでした。部屋のそとでは、すべてのものがこと/゛\く、氷と雪とにおほはれてをり、人の顔を切りきざむような、きつい風が吹いてゐるのです。
老人は、がた/\ふるへてゐます。母はちようど、子どもが、ちよつとの間しづまつたので、その間に立つていつて、老人に飲ます飲みものを、小さな壺に入れて、暖炉の上にのせてあたゝめました。
老人はすわつて、子供のゆり床をゆすつてゐます。母はそのそばの古椅子にかけて、子どもの苦しい息づかひを見てゐました。
「どうでせう。なくなりはしないでせうね。神さまは、この子をとり上げておしまひになりはしないでせうね。」
母は、子どもの小さな手を取りながら、老人に聞きました。
この老人が、「死」そのものでした。
老人は、そんなことはないと言ふような、そして同時に、どうせ、さうなつてしまふよとも言ふような、変な、うなづき方をしました。
母は顔をふせました。涙が頬をつたはつて落ちました。
今日で、三日三晩も寝ないで、気がぼうとなつてゐた母は、そのとき、こくりと、ゐねむりをしました。それもたゞ、ほんの、またゝき一つする間、とろりと眠つたゞけですが、間もなくはつと目をさまして、寒さにふるへ上ると一しよに、
「おや」と、びつくりして、あたりを見まはしました。
老人がゐません。小さなわが子も、ゐなくなつてしまひました。
言ふまでもなく、老人がつれていつたのです。
部屋の片すみでは、柱時計がしゆう/\と変な音をたてゝゐます。と思ふうちに、重たい鉛の振子が、がたんと、床の上に落ちました。そして時計はとまりました。
母は泣きさけびながら、子どもを追つかけて飛び出しました。
外には、まつ黒い着物を着た一人の女が、雪の中に立つてゐました。その女が言ひました。
「死は今まであなたと一しよに、お部屋の中にゐたでせう。たつた今、その老人は、あなたの子どもをつれて出ていきました。風よりも早くかき消えてしまひました。
あの老人は、一どさらつていつたものは、もう二度とつれてかへつてはくれません。」
「一たいどつちへいきました。どつちへ向つていつたのでせう。をしへて下さい。さがし出して来ます」と母は言ひました。
「私はちやんと見てゐました。では、そのまへに、あなたがこれまであの子にうたつて聞かせた謡を、こゝで私に、すつかりうたつて聞かせて下さい。そのあとで言つて上げませう。私は、その謡がみんな好きです。まへにも、聞いたことがあります。私は『夜』です。私はあなたが謡をうたふたびに、あなたの涙を見ました。」
「それではうたひます。みんなうたひます。そのかはり早く言つて下さい。後れて、あの『死』に遁げてしまはれてはこまります。子どもが見つからなくなると、たいへんです。」
『夜』は、しいんと黙つてすわつてゐました。
母は両手をねぢつて、もだえながら謡ひました。そして、しく/\泣きました。泣き泣き、多くの謡をうたひました。
しかし涙は謡の節の数よりも、もつと/\多く流れおちました。
『夜』はしまひに言ひました。
「右手へいらつしやい。右手の暗い樅の林へ。死はあなたの子どもをつれて、その林の中へはひつていきました。」
二
森の中では、道が十字に分れてゐました。母は、どつちへいつたらいゝかと、まどひました。
そこには、一むらのこすもゝの茂みがありました。冷たい冬ですから、葉もなければ、花もさいてはゐません。小さな枝々には、すつかり、つらゝが下つてゐました。
「あなたは、『死』が私の子どもをつれて通つたのを、見やしませんでしたか」と、母はそのこすもゝに聞きました。
「えゝ見ました。だけれど、私は今にも、こゞえて死にそうです。私を胸にあてゝあたゝめて下さらなければ、言つては上げません。私は氷になつてしまひさうです」とこすもゝは言ひました。
母はこすもゝを、しつかりと胸におしつけて、あたゝめました。こすもゝのとげがはだにざく/\さゝつて、血が大きなしづくになつて流れおちました。
こすもゝにはそんな暗い冬の夜の中で、青々した若葉がどん/\出て来ました。そして花をも開きました。悲しみにみちた、人の母の胸は、それほどまでにあたゝかいのです。
こすもゝは、母に『死』の行つた方角ををしへました。
いくうちに、大きな湖へ来ました。そこには、船もぼうとも何にもありません。湖水の表を歩くためには、まだ氷がうすいし、水の中を渡らうとするには、あまりに氷りすぎてゐて、すき間がありません。それでも、母は子供を見つけようとするからには、どうしても、こゝをわたらなければならないのでした。
母はこゞんで、湖の水を飲みほさうとしかけました。そんなことが、とても出来るわけはありません。それでも悲しみにあまつたこの母には、こんなときには、ふだん人間に出来ないことでも、かならず出来をふせるような気がしました。
「いや/\、それはだめです」と、湖水が言ひました。
「それよりも、二人で話をつけた方が早い。私は、真珠を集めるのが何より好きです。あなたの目は私がこれまで見たことのない、それは、きれいにすきとほつた二つの真珠です。あなたが、その目を二つとも、私の水の中へ泣き落して下さつたら、すぐに向うへわたして、『死』がこしらへてゐる、温室へ入れて上げませう。『死』はその温室の中で、いろんな花と、いろんな木をそだてゝゐます。その花と木とが、どれもみんな人間の『生涯』なのです。」
「あゝ、あの子さへとりかへすことが出来るなら、何でもよろこんでお上げします。」
母はかう言つて、なほ一そうはげしく泣きました。
二つの目は、その涙で流れ出て、湖水の底へおちこみました。そしてとう/\、二つの真珠になりました。
湖水はすぐに、母をかゝへ上げて、ちようど羽根の上にでも乗せたように、ふはりと、向うの岸へうつしてくれました。
三
その岸には、長さが何里あるとも分らないような、おそろしい大きな家がたつてゐました。だれが見ても、それが建てものであるか、森や、洞穴のある山なのか、まるで見わけがつかないくらゐです。
それが『死』の家でした。
でも、両眼をなくした母には、もとより、そこに、そんな家があるのが、見えるわけもありません。
家のまへには、一人の年をとつた、髪のまつ白な老婆が、歩きまはつて番をしてゐました。
「私の子どもをつれて行つた『死』は、どこにゐるでせう」と、母はその老婆にたづねました。
「『死』はまだかへつて来ません。あなたはどうして、こゝへ来る道が分つたのです。だれにちえをかりて来たのです」と老婆は聞きかへしました。
「それは神さまがたすけて下さつたのです。神さまは慈愛にみちておいでになります。どうかあなたもなさけを持つて、私の子どものゐるところををしへて下さい」と母はたのみました。
「それは私にもわかりません。あなたにも目では見えません。今日は、この家の中の、いろんな花と木がしぼみました。死は今にかへつて、それを植ゑかへます。あなたは、人間にはだれでも、めい/\、自分々々に定められた『生がい』の花と木とがあるのを、ごぞんじでせう? それ等の花や木は、あなた方の見てお出での、たゞの植木と同じかつこうをしてゐますが、たゞ、ちがふのは、『死』が植ゑてゐる花や木には心臓があつて、脈を打つてゐます。その脈のうち方を聞き分けたら、多分これがあなたのお子だといふことが分るでせう。このほかに、まだもつと言つて上げることがある。そのかはりに、一たい何を私に下さるのです?」
「私はもう、何にもさし上げるものがありません。この上は、もしあなたのために、世界の果てまででも、いけとおつしやればまゐります。」
「そんなところへいつてしまつては、何をして上げることも出来ない。それよりも、あなたの長い黒い髪を下さい。それがどんなに美しいかは、あなたにも分つてゐるはずです。私は、あなたのその髪が好きだ。代りに、私の白い髪を上げます。それでも、無いよりはましでせう。」
「もう外に、おいりになるものはありませんか。この髪なら、よろこんでお上げします。」
母は、かう言つて、自分のうつくしい髪をすつかり老婆にわたし、老婆の白髪をもらつてつけました。
四
母は、その老婆につれられて、大きな、『死』の家の中にはひりました。
中には、おどろくばかりの多くの、花と木とが入りみだれて、うわつてゐました。鐘の形をした、がらすの器の下には、ひやしんすの花が、一むれうわつてゐます。そのなかのいくつかは、さいたばかりでいき/\してをり、或ものは、やゝ、しなびかけてゐます。
それらのすべてのひやしんすには、水の中に住む蛇がまきつき、茎には、かにがこびりついてゐます。
又そちらには、はでやかなしゆろの木や、かしの木や、おほばこ、おらんだぜり、花のさいたたいむといふ、香の草などが茂つてゐます。
それらの木や花には、一つ/\名前がついてゐます。それがみんな、人の『生がい』なのでした。それをわりあてられてゐる人々は、みんなまだ生きてゐて、世界中のすべての土地に、ちらばつてゐるのです。
そのほか、いくつもの小さな壺の中に、大きな木が一束ねにして突つこまれてゐるのもあります。壺が、はりさけさうになつてゐます。こちらには、小さな、よわ/\しい花がいくつとなく、肥えた土の中に植ゑられて、まはりに苔をおかれて、だいじに育てられてゐます。
目の見えない母は、あらゆる小さな木と、小さな花の、一つ/\の上にこゞまつて、その中に脈を打つてゐる、心臓のひゞきを聞いてまはりました。そして何百万といふ数の中から、とう/\じぶんの子供の『生がい』の木を見つけ出しました。
「あゝ、これだ」と母はさけびながら、或一つの小さなさふらんの花の上に、両手をひろげました。その花は、すつかりしなびて、青ざめはてゝゐました。
「その花にさはつては、いけません。それよりも、こゝにすわつて待つていらつしやい。もう『死』は、今にかへつて来ます。『死』がかへつて来たら、その花だけは、抜かせないようにおしなさい。それをぬきとるなら、ほかの花をみんなぬいてやるぞと、おどかしておやりなさい。さう言へば、びつくりしてやめます。『死』はこゝにある花や木は、神さまにすつかりお話して、ぬけといふお許しが出るまでは、たゞの一本も、勝手にぬくことは出来ないのですから。」
老婆がかう言ひました。と、ふいに、氷のような冷たい風が、さつと家の中へ吹きこんで来ました。
目しひた母は、『死』がかへつて来たのだと、かんづきました。
「どうして、道が分つたのです? どうして、私よりも早く来られたのです」と、『死』が聞きました。
「それは、私は母ですもの。」
『死』は長い片手を伸ばして、母が見つけた、小さなさふらんの花に、さはらうとしました。母はその葉一つへも、ふれさせないように、両手を固くかざして、花の上をおほうてゐました。
すると、『死』は、母のその手へ、氷をふくんだ風よりも、もつと冷たい寒い息をふきかけました。母の手はしびれて、ひとりでにたれ下りました。
「どんなにもがいたつて、私にはかなはないよ」と『死』は言ひました。
「でも神さまならばどうにでもなさる」と母は答へました。
「私は、神のお言ひつけのとほりをするだけだ。私は、神の園丁だ。神のすべての木と花とを、私はあづかつてゐる。その花を、人のしらない国にある楽園にうつしうゑるのが、私の役目だ。しかし、うつされた花が、楽園でいかに生ひ立つか、楽園が、どんなところであるかといふことは、お前には話されない。」
「私のあの子をかへして下さい」と、母は泣いてたのみました。母は両手でもつて、或二つの、かわいらしい花をにぎりました。
「私のいふことを聞いておくれでないなら、このすつかりの花を、みんな引きさいてしまふ」と母はさけびました。
「その花にさはるのはおよし。お前さんは、じぶんのことを、さも、不幸なものゝように思つてゐるが、その花をちぎつてしまへば、ほかの母が、また悲しむわけぢやないか。」
「よその母の人が」と、母はそれを聞くなり、手をはなしました。
「ほら、お前の二つの目を上げよう。私は、それを湖水の中から取つて来た。その二つの目がきら/\と、水の中でかゞやいてゐた。
そのときには、それがお前の目であるとは気附かなかつた。さあ、それをはめてごらん。これまでよりも、ずつとすきとほつた目になつてゐる。それをつけて、あの、じきそばの吹き泉の中をのぞいてごらんよ。おまへが、たつた今引きぬかうとした、二つの花の名前を言つて上げよう。さうすれば、お前が、どんなものを、さきつぶさうとしたのかゞ、よくわかる。」
母は吹き泉の中をのぞきました。見ると、そこには、さつきの二つの花の生がいがあらはし出されてゐました。一つの花は、人の世界への祝福でした。それこそ、はかることの出来ないほどの多くの楽しさと喜びとを、まはりにひろげてゐます。それを見ると、だれでも一人でに、よろこびにみちて来ます。
母は、つぎにはもう一つの花の生がいを見ました。それは苦労と貧困と、不幸と凶事との一生を見せてゐました。
「しかし、これはどちらも神のおぼしめしなのだ」と『死』は言ひました。
「では、さつきのどちらの花がその不幸の花で、どちらがこの幸福の花なのです?」と母は聞きました。
「それは言はれない。たゞこれだけのことを言つて上げよう。この二つの花の、どちらか一つが、お前の子どもの花なのだ。あらはれてゐる二つの生がいの、どちらか一つが、お前の子どものこれから先の一生なのだ。」
母は怖れに打たれて、青くなつてさけびました。
「どつちが、私の子の未来なのです。言つて下さい。罪のない私の子を、救つて下さい。あの不幸から救ひ出して下さい。いつそのこと、あの子をつれてつてしまつて下さい。神さまのお国へ、つれてつて下さい。今までの私の涙を、忘れて下さい、かへして下さいと、頼み/\したのも、みんなうそです。私のしたことも、みんなとり消して下さい。」
「お前はわけの分らないことを言つてゐる。つまり、おまへの子をとりかへしたいといふのか。それとも、お前の知らない、あの楽園へつれていけばいゝのか。どつちだ?」
母は、両手をつかみねぢつてもがきながら、膝をついて神に祈りました。──
「あなたのおぼしめすとほりが、いつでも一ばんよいのです。もし私が御心にさからつたことをお祈りしましたら、お聞きにならないで下さいまし。ほつておゝきになつて下さいまし。どうぞお聞きにならないで下さいまし。」
母はかう言つて、頭を、胸の上にうなだれました。
「死」は、この母の子供をつれて、分らない世界へかけ去つてしまひました。
秘密
一
昔、支那に或王さまがいらつしやいました。或ときその王さまのところへ、朝鮮の王さまから一冊の御本をおくつて来ました。王さまは、金のお椅子におかけになつたまゝ、さつそく開いてごらんになりました。
するとそれは、或旅行家が、こちらの都へ来ていろ/\のところを見てまはつたことをかいた御本でした。
まづ第一ばんに、王さまの御殿の、それは/\大きな、そして、目もまぶしいほど立派なことが、くはしくかいてありました。お庭の中の、色とり/゛\の、めづらしい花には、一々、銀の小さな鈴がつけてあります。それなぞも、たいそうびつくりしてかいてありました。
それから、そのお庭の一とう向うには、大きな森があつて、その森のじき下は、青々としたきれいな海であること、そこを、いくつもの大きな船が帆をあげて、森の緑とすれすれに通つていくことまで、もれなくかいてあります。
王さまは、ふゝん/\とおうなづきになりながら、そこまで読んでお出でになりました。するとそのつぎには、その森の中にゐる鶯のことが出てゐました。
「そこには夜啼く鶯が一羽ゐる。その声の美しさは、たとへようにも言葉がない。だれでも王さまのお住ひを見ると、その美しく立派なのにおどろくけれど、しまひに森の鶯をきくと、いよ/\びつくりしてしまふ。世界中にこれほど美しい鳥の声は二つとないであらう。」
かう言つて、その鶯をほめる謡を、いくつとなく作つてならべてゐました。
王さまはそれをお読みになると、
「はてな、おれのところにそんな鳥がゐたのかね。おれははじめて聞いた」とおつしやつて、すぐに一ばん上の、お附きの人をおよびになりました。
王さまは人にお話しかけになるときには、かならずまつさきに、「ぷふう」とおつしやるのがおきまりでした。しかし、その「ぷふう」には別に意味があるのではなく、たゞ人を見下すお気持をあらはしてゐるだけでした。
王さまは、
「ぷふう、見ろ。こゝにかういふことが出てゐる。こんな鳥がおれのところにゐるのを、なぜお前たちは今日までおれにかくしてゐたのだ」と、おしかりになりました。
ところがそのおつきの人も、いつこう知らないことでしたので、恐れ入つて引き下り、さつそく御殿中をかけまはつて、みんなの人に聞いて見ました。しかし、だれ一人、これまでそんな鳥の話を聞いたものさへゐませんでした。
それで、お役人はふたゝび御前へ出て、
「おほせの小鳥のことはだれも存じてをりませんようでございます。これは、ひよつとすると、いゝかげんな作りごとをかきましたのではございますまいか」と申し上げました。
王さまは、
「ぷふう、ばかをいへ。おれの威光におそれてゐる朝鮮の王が、そんなうそをかきつけたものをおれに送るものか。早くその鳥をさがして、今晩こゝへつれて来い。つれて来ないと、この御殿中の奴らを一人ものこさずふみつぶしてしまふぞ」と、かうお言ひ下しになりました。
おつきのものはびつくりして、みんなにそのことをつたへました。みんなは、いや、これは大へんだと言つて、あわてゝ下々の召し使にまで、一々聞いて歩きました。
すると、一ばんしまひに、お料理場の下ばたらきをしてゐる一人の小女が、
「はい、その小鳥なら私も一度聞きました。それは/\いふにいはれない、美しい声でうたひます」と言ひました。──
「いつか、私のいたゞきました御馳走を、病気をしてゐます母に食べさせたいと思ひまして、お許しをいたゞいて、夜分、家までまゐりましたことがございます。そのかへりに、歩きくたびれて、あすこの、あの森のそばに坐つて休んでをりますと、ふいにその小鳥がうたひ出しました。私はそれを聞いてをりますうちに、ちようど小さなときに母に抱かれて頬ずりをされてゐるように、うれしくなつて、ひとりでに涙がこぼれてまゐりました」
と言ひました。
みんなはそれを聞いて、すつかり元気づきました。
「では、これからその鳥のゐるところへ案内せよ。お前にはその御褒美に、後で王さまにお目どほりをさせてやる。それから、身分もずつと引き上げてやる。じつは今夜、その鳥をぜひ王さまがお召しになりたいとおつしやるのだ」と、さつきのおつきの人が言ひました。
小女はみんなの先に立つて、その小鳥のゐる森へ行きました。その途中で、ふいに、もーお、もーおといふ、大きな声が聞えました。お附きのものたちはおどろいて立ち止りながら、
「ほゝう、あれか。ふうん、小さな小鳥のくせに、ばかに力のある大きななき声をするな。」
「もーお。」
「なるほどいゝ声だ。」
「しかしあの鳥の声なら、私たちも聞いたことがあるようだぞ」と口々にかう言ひました。
「いゝえ、あれは牛がないてゐるのです。小鳥はもつと/\向うにゐるのです」と、小女は言ひました。
そのつぎには、こんどはじき間近で、ぐあ/\、ぐあ/\といふなき声がしました。
「ほう、あれだ/\。」
「なるほどいゝ声だね。ちようど、小さな鐘をたゝくようぢやないか」と、みんなは又さわぎ立てました。
小女は、
「いゝえ、あれは蛙です。小鳥は向うに見えてゐる、あの森の中にゐるのです」と言ひました。
間もなく、その森へつきました。さうすると、ちようどその小鳥が、美しい声でなき出しました。
「ごらんなさいまし。あすこの枝の上に止つてをります。ほら」と、小女はゆびさしました。
「ほゝう。あれかい。いや、どんなきれいな鳥かと思つたら、たゞ茶色つ毛のきたない鳥だね」とお附きの人は、あてがはづれたように言ひました。
小女は、小鳥によびかけて、
「もし/\鶯さん。王さまがあなたの謡を聞きたいとおつしやるのですよ」と言ひました。
鶯は、
「はい/\」と言つて、又声をはり上げてうたひました。みんなはその声を聞いて、
「なるほど、これは金の鈴の音よりももつといゝ音色だ。これなら、かならず、王さまもおよろこびになるにちがひない」と、すつかり感心してしまひました。
お附きの人は、鶯に向つて、どうぞ今晩御殿へ来て、王さまの御前でうたつておくれと言ひました。鶯は、すべての鳥のうたは、森の中で聞くのが一ばんいゝのだがと思ひました。しかし王さまのお召しだといふので、よろこんでその晩御殿へうかゞひました。
すると、御殿中はそれは/\きれいに飾りつけがしてありました。外のお廊下には、例のように、一つ/\に銀の鈴がついた色さま/゛\のきれいな花がならべてありました。大広間には何十といふ金の燭台にあかりがついてゐました。
鶯は、その大広間のまん中に設けてある、金の台の上にとまりました。王さまや、きれいに着飾つた御殿中の人々は、そのまはりへずらりと集りました。お料理場の小女も、きれいな着物を着せていたゞいて、後の方にひかへてゐました。
鶯は、いゝ声で、一生けんめいにうたひました。王さまは、その謡をお聞きになると、すつかり感心しておしまひになり、ひとりでにお目に涙がわいて、お頬をつたはつて流れました。すべての人々も、感に打たれて、しいんとして、うなだれてゐました。
鶯はつゞいてもう一つ、それは、はじめのよりも、もつと/\上手に、うつくしくうたひました。
王さまはたいそう御満足になつて、御褒美に鶯の頸へ立派な玉の飾りをかけてやらうとなさいました。さうすると鶯はそれを御辞退しました。
「あなたさまはお涙までお流し下さいました。もつたいないことでございます。これが、私には何よりの御褒美でございます」と申し上げました。そしてまた、もう一ど謡をうたひました。
御殿に仕へてゐる女官たちは、あらゆるぜいたくになれてしまつて、どんなことに出会つても、めつたに、よろこんだり感心したりすることのない人たちでしたが、こんばんの鶯の謡には、みんなびつくりして、目をかゞやかせてよろこびました。
鶯にはそのまゝ、御殿の中にゐるようにと御命令が下りました。そして立派な金の籠に入れていたゞき、昼のうちに二度、夜一度づつ、籠の外へ出ることを許していたゞきました。この鶯のためには、特に十二人の人が附きそふことになりました。
その十二人の人は、鶯が籠の外へ出るたびに、両足に結んだ絹の糸を持つて附いて歩きました。鶯は、それでは、ちつとものび/\と、外へ出てゐる気はしませんでした。
都中の人は、その鶯のことを聞きつたへて、よるとさはると、そのうはさばかりし合ひました。町々の小さな子に至るまで、鶯々と言つて、その話をしないものはないくらゐでした。
二
そのうちに、王さまのところへ、又朝鮮の王さまから、おくり物がとゞきました。その箱のふたの上には『鶯』とかいてありました。王さまは、「おゝ、又鶯のことをかいた本が来た」とおつしやいました。
しかし、箱を開けてごらんになりますと、それは御本ではなくて、おもちやの鶯でした。
大きさも、かつこうも、ほんとうの鶯のように上手にこしらへて、からだ中に、赤や青や黄色の、いろ/\立派な宝石がちりばめてありました。そして、ぜんまい仕掛けになつてゐて、ねぢをまはしておくと、ひとりでに謡をうたふように出来てゐるのです。
王さまは、さつそく、ぜんまいを巻いて謡はせてごらんになりました。さうすると、その小鳥は、尾を上げ下げしながら、生きた鶯のとほりのいゝ声で謡ひました。
王さまは、にこ/\お笑ひになつて、こんどは、例のほんとうの鶯と二人で一しよに、謡はせてごらんになりました。すると、二つの声はちぐはぐになつて、ちつとも調子が合ひませんでした。
「いや、これは二人がわるいのではない。一しよに謡はすのがまちがひだ。べつ/\に聞くべきものだ」と王さまはおつしやいました。
それでまづ、おもちやの鳥だけに一人でつゞいておうたはせになりました。小鳥は、とうとう三十三度もつゞけて、上手にうたひました。それに尾を上げたり下げたりするたびに、ちりばめた宝石がきら/\と光つて、そればかりでも、ずいぶんきれいでした。みんなは大よろこびで、もう一度ねぢをまいてうたはせようとしましたが、王さまはそれをお止めになつて、
「待て。こんどはこちらの鳥の番だ」と、おつしやいました。ところが、その籠を見ると中の鶯は、いつの間にどこへにげてしまつたのか、影も姿も見えません。
「おや」と王さまもびつくりなさいました。みんなは、ひどい奴だと言つて、ぷん/\怒りました。
「まあ、いゝ/\。にげたものは仕方がない。その代り、こんないゝ鳥が来たからけつこうだ」と王さまはおつしやいました。
みんなは、それからもう一ぺん、三十三度くりかへして謡はせました。御殿の音楽師たちは、この鳥の謡を、言葉をつくしてほめました。
「この方が本当の鳥よりも、どんなにいゝか分りません。体中には、宝石がはまつてをりまして、いかにもきれいでございます。それに第一、ほんとうの鳥でございますと、咽のところがどんな仕かけになつてゐて啼くのか、それをしらべることも出来ませんですが、これならば、中の具合も見られますし、三十三度もつゞけてなくのでございますから、これには、ほんとうの鳥も追つきようがございません。」
その人たちは、かう言つてお喜びを申し上げました。
王さまは、まいにち/\、その小鳥の謡をお聞きになりました。みんなは、その謡の節を、どうかしておぼえようとしましたが、中々むつかしくて、ちよつとのことではおぼえられさうにもありませんでした。御殿中の人々は、朝から晩まで、その小鳥のことばかりほめ合つてくらしました。
その中で、たゞ一人、例のお料理場の小女だけは、首をかしげて、
「なるほど上手に謡ふけれど、でも、その声には何となく物足りないところがある。どこがどうといふことは、私にも分らないけれど」と一人ごとを言つてゐました。
おもちやの鶯は、後には、王さまのお寝床のそばへおかれました。その台の上には、王さまが御褒美に下すつた、いろ/\の貴い品物が並べられてゐました。
一年もたつうちに、おつきの人たちや、王さまも、この鶯の謡をすつかりおぼえておしまひになりました。みんなは、とき/゛\鶯と一しよに、声を合せてうたひました。その謡はだん/\に都中の人々にもつたはつて、町々の子供等までが、らゝゝゝ、らららゝと、謡ひ/\歩くほどになりました。
ところが、或晩、王さまが、例のようにお床におつきになつて、鶯の謡を聞きながら、おねむりにならうとしてゐますと、ふいに機械がぐる/\/\/\と変な音をたてました。そしてそれと一しよに、鶯の謡は中途でぷつりと、とまつてしまひました。
王さまはびつくりしておはねおきになり、大いそぎでお附きのお医者をおよびになりました。
しかし、そんな、ぜんまい仕掛けのおもちやを、お医者が見たつてどうすることが出来ませう。そこでつぎには、機械師をおよびよせになつて、鳥の中の機械をおしらべさせになりました。
機械師はしきりに首をひねつて考へて、やつと少しばかり具合を直しました。そして、
「もう機械がすつかりいたんでしまつてをりますので、この上はどうすることも出来ません。これからは、ほんの、たまにだけお謡はせになることになさらないと、あぶなうございます。機械がこはれてしまひませば、いよ/\それきりでございますから」と申し上げました。
王さまは、それからは、一年にたゞ一度だけ謡はせることになさいました。しかし、それでも、いたんだ機械にとつては多過ぎるくらゐでした。
そんなにして五年ばかりたちました。すると、その年、王さまが急に御大病におかゝりになりました。そして、もう、とても御恢復はむつかしいように見えました。
人民たちはそれを聞きつたへて、ひどくなげき悲しみました。
いふまでもなく御殿中は、全で暗がりの中のように陰気になりました。廊下々々へは、あつく布がしかれて、人々はその上を、盗むようにそつと往き来しました。
王さまはお部屋の中に、青ざめて、冷やかに目をつぶつていらつしやいました。みんなは、とき/゛\、もう息を引いておしまひになつたのではないかと、いくどもさう思ひました。
王さまは、どんな物音もはひつて来ない、死のようなしづかなお部屋の中に、一人目をつぶつてお横はりになりながら、
「あゝ、だれか来て話しかけてくれゝばいゝのに。だれか音楽でも聞かせて、このさびしさをまぎらしてくれゝばいゝのに」と、かすかに、かう思ひ/\していらつしやいました。
昼のうちは、日の光が、さへぎつてありますが、夜は、月の光が、窓からさしこみました。でも、その光には、むろん、何の声もありません。お部屋の中は、やつぱり、しいんとしたまんまです。王さまは、おそばにおかれてゐる、例の、おもちやの鶯に向つて、
「おい/\、謡を謡つてくれ。私はあれほどお前をかわいがつて来たではないか。いろんな御褒美も手づからくれてやつたではないか。謡つてくれ。どうぞ謡つてくれ」と、かすれがすれの声でお言ひになりました。
でも小鳥はだまつてゐました。だつて、だれもぜんまいをかけてくれるものがゐないのですから、謡はうと思つても謡ふことは出来ません。王さまは、
「あゝ/\」と、ためいきをなさいました。
すると、ふいに窓のところで、美しい鶯の声が聞え出しました。それは、いつか遁げていつた、あの、ほんとうの鶯の声でした。鶯は、たま/\窓の外の木の上へ来て休んでゐますと、おいたはしい王さまの、謡を謡をとおつしやるお言葉が聞えたので、さつそくそのお望みをかなへに、飛んで来たのでした。
鶯は、一生けんめいに美しい声を上げて謡ひつゞけました。王さまは、うと/\と、それを聞いてお出でになるうちに、たるんだ、にぶいお脈が、急に強く高まつて来ました。もう少しで絶えようとしてゐたお命に、ふたゝび勢がついて来ました。
「をゝ、鶯よ。私はお前にすまないことをした。つまらないものをかわいがつて、お前を追ひ出したようなものだつた。それだのにお前は私のことを忘れずに出て来てくれて、美しい謡の力で私の命をとり止めてくれた。私はどうしたら、お前にこのお礼をすることが出来るだらう。」
王さまは、うれし涙をながして、かうおつしやいました。
「いえ/\、王さま、私はもう先にも、身にあまるほどの御褒美をいたゞいてをります。あなたは私の謡をお聞きになつて、お泣き下さいました。あなたのお涙より貴いものはございません。どうぞ、しづかにおやすみ下さいまし。そして、もう一度、どん/\御丈夫におなりになつて下さいまし。」
鶯はかう言つて、又美しい謡をつゞけました。
王さまは、それをお聞きになりながら、すや/\とおやすみになりました。
王さまが、ふと、元気よく目をお開きになつたときには、窓からは黄色い日の光がすがすがしく、さしこんでゐました。おつきの人々は、まだお部屋へ伺ひませんでした。
鶯は王さまが、御血色よくお目ざめになつたのを見ると、たいそうよろこんで、すぐにまた美しい謡をうたひ出しました。
「あゝ鶯よ。ほんとうにありがたい。これからはどうぞいつまでも私のそばにゐてくれ。お前の謡ひたいときに謡つてくれゝばいゝのだから。そして、あの、おもちやの鳥などはめちや/\にこはしてしまふから」と、王さまはおつしやいました。
鶯は、
「いえ/\、そんなひどいことをなさつてはいけません。あの鳥は、自分の体がこはれるまでお仕へ申しましたのです。どうかこれから先、いつまでもお側においておやりなさいまし。
私は、御殿の中に巣をつくることは出来ません。これからは、とき/゛\、夜分に、この窓のそとの木へまゐりまして、あなたに謡をうたつてお上げ申します。そして、あなたのお心を、うれしく楽しくしてさし上げます。私は、いろ/\のことを謡に謡つてお知らせ申します。あなたのお気づきにならない、すべての人の悲しみや喜びや、すべてのよいこと、悪いことを謡つてお知らせ申します。
私は、貧しい人の家へも行つて謡はねばなりません。漁師のところへも、あはれな百姓の人のところへも行つてなぐさめて上げねばなりません。それと一しよに、あなたのことも忘れはいたしません。私はあなたの、宝石にかゞやいた王冠よりも、あなたのお心を貴く思つてをります。私の謡を聞いて、涙を流して下さいましたそのお心を。
ですが、王さま。その代り、あなたは、私に一つおちかひ下さらなければならないことがございます。」
王さまは、鶯のその言葉をお聞きになりながら、一人でおき上つて、ちやんと、自分でお服をお召しかへになりました。そして、剣までもおつるしになつて、先のころと変らない、お元気にみちたお声で、
「おゝ、言つておくれ。何でもお前のいふことにはそむかないから」とおつしやいました。
「それでは、あなたのこの小鳥が、何でもあなたに謡でお知らせするといふことを、だれにもお話しにならないで下さいましな。」
「あゝよろしい。けつして言はない。」
「おつしやらない方があなたのおためでございます。王さま、それでは又うかゞひます。」
鶯はかう言つて、飛んでいきました。
それと入り代りに、おつきの人たちがそつとお部屋へ近づいて来ました。みんなは、もう今朝は、王さまの、冷たくなつてお出でになる、おいたましいお死骸を見ることゝ思つて、そつと戸を開けてはひりました。
すると王さまは、いきなり大きな声で、
「おゝ、お早う。あゝ、きもちのいゝ朝だな」と、おつしやつて、あああと大きな大あくびをなさいました。
一本足の兵隊
一
或小さなお坊ちやんが、お誕生日のお祝ひに、箱入りの、おもちやをもらひました。
坊ちやんは、さつそくあけて見て、
「やあ、兵たいだ/\」と、手をたゝいて喜びました。そしてすぐに一つ/\取り出して、ていぶるの上にならばせました。
それは、青と赤の服を着た、小さな鉄砲をかついだ、小さな錫の兵たいでした。すつかりで、ちようど二十五人ゐました。
これだけの兵たいは、もと、おもちや屋が、或一本の錫のさじをつぶしてこしらへたので、みんなは、言はゞ同じ血を分けた兄弟でした。
それが、みんな、ちやんと気をつけをして、まつ正面をにらんで立つてゐます。
ちよつと見ると、二十五人が、寸分ちがはず、同じ兵隊のように見えますが、しかし、よく見ると、中にたつた一人、足が一本しかない兵たいがゐます。これは、こしらへるときに、一番しまひで、もう錫が足りなかつたのでした。
でもその兵たいは、一本足のまゝ、ほかの兵たいと同じように、ちやんと、まつ直に立つてゐました。
ていぶるの上には、そのほかに、まだいろんなおもちやがどつさりならんでゐました。
その中で、人の目をひく、一番きれいなおもちやは、ぼうる紙で出来た、それは/\立派な西洋館でした。その部屋々々の窓は、ちやんと切りぬいてあつて、のぞくと部屋の中がすつかり見えました。それから、正面の入口のまん前には、低い青い立ち木にかこまれた、円い池があります。その池は、鏡で出来てゐるのでした。その中には、いくつかの、蝋細工の小さな白鳥が、水に影をうつしておよいでゐます。
それは全くきれいでした。
しかしその池よりもまだもつと、きれいなのは、入口の石段の上に立つてゐる女の人でした。それはぼうる紙を切りぬいてこしらへたのですけれど、それでも着物は上等のいゝ布で出来てゐて、頸から肩へかけて、細い青いりぼんの襟飾がつけてあります。その襟飾は、胸のまん中で、きら/\した金紙でこしらへた、その女の人の頭ほどもあるような、大きなばらの花で止めてあります。
その女の人は、両腕をひろげ、片足を思ひ切り高く蹴り上げて、お得意の踊を踊つてゐるのです。その上げた片足は、顔よりももつと上まではね上つてゐるので、ちよつと見ると、片足がどこにあるのか分らないくらゐでした。
一本足の兵たいは、この女の人を見ると、
「おや、あの人も一本しか足がないや。なるほど、世の中にはおれ見たいな人もゐるんだね。よし/\、おれはこれから、あの人と仲好しにならう。
しかし、向うは、あんな立派な西洋館に住んでゐる女だ。おれのようなこんな家ぢや、いらつしやいと言つても中々来ないだらうね。おれは二十五人も一しよに、こんな、いやな箱の中にゐるんだもの。」
一本足の兵たいは、じぶんのお家になつてゐる、もと巻煙草のはひつてゐた箱の後に立つて、背のびをして、その女の人の踊を見てゐました。
女の人は一本足のくせに、ころびもしないで、上手に釣合ひを取つて立つてゐました。
そのうちに夜になりました。
ほかの二十四人の兵たいは、みんな箱の中へはひりました。
家中の人もみんな寝床にはひつて寝てしまひました。
すると、ていぶるの上のおもちやたちは、そろ/\動き出しました。中には、のこ/\人のところへ話しに行つたり、おほぜいで踊を踊つたり、さうかと思ふと、けんかをし合つたりして、わい/\おほさわぎをしはじめました。
錫の兵たいたちは、箱から出ようと思つて、どたばたあばれました。しかし箱のふたが中々持ち上りません。
こちらでは小さな紙切ないふが、ばねじかけの蛙に、ふざけてゐます。
石盤の上では、石筆がころ/\走りまはつてゐます。
その物音で、籠のかなりやも目をさまして、ちい/\と謡をうたひ出しました。
そんなさわぎの中で、例の踊の女の人と、一本足の兵たいだけは、だまつて身動きもしないでゐました。
女の人は両腕をひろげ、片足をはね上げたまゝ、石段の上にぢいつと立つてゐます。一本足の兵たいは、その踊手の顔をぢつと見つめたなり、まつすぐに一本足で突つ立つてゐました。
そのうちにお部屋の時計が十二時をうちました。
それと一しよに、煙草の箱のふたが、ひとりでぴよんと飛び開いたと思ひますと、中から、まつ黒な鬼のおもちやが、ぬつと顔を出しました。
「おい/\一本足の兵たい、おまへは何をじろ/\見てるんだい。柄でもない。止せ/\。だれがお前なぞと仲よしになるものか。」
黒い鬼はかう言つて鼻で笑ひました。
一本足の兵たいは、鬼のいふことなんかちつとも聞こえないように、平気で踊を見てゐました。
「ふゝん、勝手にしろ。だが明日の朝になつておどろくな。」
黒鬼はそれを見て、ぷん/\怒つてかう言ひました。
二
そのあくる朝が来ました。
坊ちやんはのこ/\出て来て、例の一本足の兵たいを、お部屋の窓のところへ立たせました。すると、それは黒鬼がしたことか、それとも風のせいか、その窓のがらす戸がふいに、がたんとはね開きました。そのはずみに一本足の兵たいは、いきなり、ぴよいとはね飛ばされて、その三階の窓から、下の往来の石だゝみの上へ、まつさかさまに落ちました。
くる/\/\、すとーん。
「おゝ痛たゝ。」
兵たいのかついでゐた鉄砲の先は、しき石の間へぐいと突きさゝりました。
坊ちやんは、
「あつ」と言つて、ねえやと二人で、往来へ下りていきました。
二人は一本足の兵たいを一生けんめいにさがしました。兵たいは二人のじき足もとに落ちてゐるのでした。二人はもう少しでそれをふみつけるところでした。
それでも、とう/\その兵たいが見附け出せませんでした。
一本足の兵たいは、
「もし/\、こゝにゐます。こゝに」と泣き声を出しかけました。
しかし、軍服を着た兵たいが往来で泣いたりしては見つともないので、無理にがまんして、口を喰ひしばつてゐました。
そのうちに、ふと雨がばら/\落ち出しました。間もなく雨はざあ/\と土砂ぶりになつて来ました。
その雨がやつと上ると、町の小さな男の子が二人通りかゝりました。
「あゝ、あすこにあんな兵たいが落ちてら。あれをぼうとに乗せて走らしてやらうね」と、二人はかう言つて、さつそく新聞紙を折りたゝんで、小さなぼうとをこしらへました。
往来のわきのどぶには、泥の雨水が、どん/\流れてゐました。
二人の子供は、紙のぼうとへ一本足の兵たいを乗せて、それをどぶへ流しました。そして二人で手をたゝきながら、わい/\言つて附いて走りました。
水はすばらしい勢いで流れました。とき/゛\大きな浪がづしんとゆれました。そのたびにぼうとはくる/\まはつて、今にも引つくりかへりさうになりました。
一本足の兵たいはびつくりして、ぶる/\ふるへてゐました。
しかし、兵たいですから、がまんして、こはいなぞといふことは顔色にも出さないで、ちやんと鉄砲をかついで、一つところをにらみつけてゐました。
そのうちに、ぼうとは、急に、地面の下のとんねるの中へかけこみました。
そこは全で箱の中にはひつたようにまつ暗でした。
ぼうとはその暗がりの中を、浪にもまれて、どん/\走つて行きました。
「おや/\、一たいどこへ持つていかれるんだらう」と、一本足の兵たいはびく/\しながら乗つてゐました。
「これもみんなあの黒鬼がさせたことだ。ほんとにあいつはひどい奴だ。あの踊の女の人と二人で乗つてゐるのなら、この暗がりがこの二倍暗くても平気なんだけれど、おつと、あぶない。──おゝ、もう少しで引つくりかへるところだつた。」
一本足の兵たいは青くなつてちゞこまつてゐました。
すると、ふいにその地の底のどぶの中に住んでゐるどぶ鼠が、
「おい、兵たい待て」と、どなりました。
「こら/\通行券を見せろ。おいこら、通行券を見せろつてば。」
しかし一本足の兵たいは、だまつて鉄砲の台をにぎつてゐました。
ぼうとはかまはず、どん/\走つていきます。
すると鼠は怒つて追つかけて来ました。
「おゝい、あいつをつかまへてくれ。つかまへてくれ。通行税を払はないで逃げたんだ。通行券なしで通つたんだ。」
鼠はかう言つて、ぼうとのそばを流れてゐる、木の片や藁くづに加勢をたのみました。
さうかうしてる間に、流れはいよ/\急になつて来ました。ぼうとは目が廻るほど早く走りました。
と、やがて向うに外の明るみが見え出しました。
一本足の兵たいは、
「おや、うまいぞ。もう明るいところへ出たぞ」と思ふとたんに、がう/\/\と、耳がつぶれるほどの大きな響きがつたはつて来ました。
それは、どぶがもうじきおしまひになつて、下の大きな堀りわりの中へ、泥水がどうと落ちこむ音でした。
そこへ来ると、水は大きな滝になつて、まつさかさまに落ちこんでゐました。
兵たいのぼうとは、あつといふ間にその滝のま上へ来て、泥水のしぶきと一しよに、どぶんと堀りわりへさかおとしに落ちこみました。
兵たいはびしやりと水をかぶつたと思ひますと、渦に巻かれて、くる/\/\と、廻り花火のようにまはりました。
兵たいは息もつけないで、一生けんめいにぼうとにかじりついてゐました。
と、たちまちぼうとの中へは、水が一ぱい入りました。
兵たいはびつくりして、からだをのし上げてゐますと、ぼうとはそれなり、ぶく/\と沈みかけました。水はもう兵たいの頭の上まで来ました。兵たいの目にはもう二度と見られない、あの踊の女の人の顔が浮びました。
と思ふと、どこからか、
「ぶく/\ぶく/\、
どん/\沈めよ、
死ぬんだ/\、
ぶく/\ぶく/\。」
と、だれかゞ、うれしさうに謡つてゐる声が聞えました。
そのはずみに、もうどろ/\になりかけた紙のぼうとは、ふいに二つに溶け割れました。
兵たいは、それと一しよに、ぶく/\/\と、泥水の下へ沈みました。
すると、そこへ大きな魚が、ひよいと出て来て、兵たいを、がぶりと一のみにのみこんでしまひました。
一本足の兵たいは、
「おや、へんなところへ来たぞ」と思ひました。
そこは、さつきのとんねるの中よりももつと/\暗いところでした。そして足や鉄砲がそこいらへつかへて、きゆうくつでした。
しかし兵たいは、どうなりと勝手になれと、もう度胸をすゑて、鉄砲の台をかたくにぎつたなり、からだを突きのばして、ふんぞりかへつて寝ころんでゐました。
魚は兵たいを飲みこんだまゝ、そつちこつちと、勢よくはねまはりました。
三
兵たいはどれだけの間さうして寝ころんでゐたでせう。
と、しまひに、上からばたんと、なぐりつけるような響きがつたはりました。
間もなく、稲光のように、目の前がぱつと明るくなりました。
それと一しよに、だれか女の人の声で、
「あら、こんな兵たいがはひつてゐた」と、さもめづらしさうにさわぎ立てました。
それは或家の女の料理人でした。
魚はいつの間にか漁師の網にかゝり、市場へ売られて、しまひにこの家の台所へ来たのでした。
女の料理人は、笑ひながら、その一本足の兵たいを、おや指と人さし指でつまんで、ほかのお部屋へ持つていきました。
みんなは、わい/\言ひながら、その、めづらしい掘り出しものを見に来ました。
一本足の兵たいは、きまりの悪い顔をして、されるまゝになつてゐました。
そのうちに、だれかゞその兵隊をていぶるの上へおきました。
兵隊はそつとあたりを見まはしました。
すると、ふしぎなこともあればあるものです。そのていぶるは、この一本足の兵たいが先にのつかつてゐた、あの同じていぶるではありませんか。
むろん、部屋も同じ部屋でした。それから同じ坊ちやんが、側にゐました。そしてていぶるの上には、先と同じ仲間が、ちやんとそのまゝ、そろつてゐました。踊の女の人は、やつぱり同じように入口の石段の上に立つて、両手を高くさし上げて、一本足で踊つてゐました。
一本足の兵たいは、うれしくて/\、思はず錫の涙がこぼれさうになりました。
でも兵たいですから、涙なんぞを見せるわけにはいきません。一本足の兵たいは、だまつて、ぢいつと踊子の顔を見てゐました。踊の女は何も言はないで、だまつて、こちらを見てゐました。
そのうちに坊ちやんが、ふいに、その兵たいをつかんで、いきなりすとうぶの中へ投げこんでしまひました。
兵たいは、
「あつ」とびつくりしました。これもやはりあの黒い鬼がさせたことにちがひありません。
兵たいはだまつてぢつとしてゐました。
でも赤焼けになつた石炭の中へ投げこまれたのですから、たちまちじり/\と、からだ中が焼けたゞれて来ました。兵たいの顔色は、もう、まつ青になつてしまひました。
一本足の兵隊は、
「あゝ、とう/\これなり焼け死ぬのか」と思ひながら、向うのていぶるの上の踊の女の人を見つめてゐました。踊の女人も、ぢつと兵たいを見てゐました。
と、坊ちやんはふいに踊の女の人を石段の上から引つぺがして、いきなり、また、ぽんとすとうぶの中へ投げこみました。
女の人はづしんと一本足の兵たいの側まで来たと思ひますと、たちまち頭から足の先まで、ぼう/\と燃え上つてしまひました。
あくる朝、女中がすとうぶの灰をかきに来ました。
すると、その灰の中から、はーとのような形をした錫のかたまりが出て来ました。
それから、まつ黒こげになつた、ばらの飾りのぼうる紙も出て来ました。
その黒こげのぼうる紙は、あの踊の女が、昨日までこの世にゐたといふ、たつた一つの印でした。
天使
一
だれにかぎらず、おとなしい、いゝ子どもが死にますと、大空から一人の天使が地上へ下りて来ます。
天使はその死んだ子を両手にかゝへ、大きな白い羽根をひろげて、その子の好いてゐたところをぐる/\とびまはります。そして、そこから片手に一ぱいになるまで花をつみとり、子供と一しよに神さまへもつてかへります。そしてその花を、天国で、もつと/\うつくしく、さき誇らせるのがきまりになつてゐるのです。
神はその一つ/\の花を胸におだきしめになり、中で一ばんおすきな花に頬ずりをなさいます。すると、その花には声がさづけられ、讃美の大合唱の謡ひ手にまざつて謡ふことが出来るのです。
天使は今或一人の子供をかゝへて、天へ上らうとしてゐました。天使は、その子が、いつも遊んでゐた、あたりの土地の上をとびまはり、うつくしく花のさいた花園の中をくゞりながら、その子にたづねました。
「ごらんなさい、どの花を天国へもつていきませう。」
子供には、その声が、夢の中でのように聞きとれました。
二人のたゝずんでゐるそばには、なよやかな、きれいな、ばらの茂みがありました。しかし、だれかわるい子が茎を折りまげていつたので、半ば開きかけた莟の、一ぱいついてゐる枝が、どれもこれも、みんな、しなびて、四方へ、だらりとたれ下つてゐます。
「かわいさうなばらの木ね。──あの花をとつてよ。あれを、あちらでさかしてやりませうよ」と、子供は言ひました。
天使はその茎をとりました。そして子供に頬ずりをしました。子供は半ば目をひらきました。そして二人は、その、ゆたかな花をいくつか、つみとりました。
それから、人々から、さげすまれてゐる、きんぽうげの花と野生のぱんじーをも、つみとりました。
「ほら、これでそろつた」と子供が言ひました。天使は、うなづきました。しかし天使は、まだ空へ上らうとはしませんでした。それは夜で、どこも、かしこも、しいんと、しづまつてゐます。二人はその大きな都会の中に、そのまゝ下りてゐました。
二人はそれから或小さな通りへ、ひら/\とはひつていきました。すると、そこには今日、おひつこしがあつたと見えて、藁だの灰だの、いろんなごみだのが、いくつもかためてたかくつみ上げてありました。
その中にはお皿の欠けこはれだの、石膏のきれだの、ぼろだの、古い帽子だのが見えてゐます。それこそ、けつして、きれいな見場ではありません。
でも天使は、このごた/\した、物くづの中にまざつてゐる、いくつかの植木ばちのかけらと、そばに、おちこぼれた、土のかたまりとを指しました。
そこには、一本の大きな、かさ/\に枯れた、野の花がころがつてゐます。もう何のやくにもたゝないから、なげすてられたものです。土のかたまりは、その根にくつついてゐたのが、おちたのでした。天使は、
「その枯れた花も持つてかへつてやりませう」と言つて、ひろひました。
「そのわけは、これから、空をとんでいくみち/\話してきかせませう」と天使は言ひました。
二
天使はやがて話し出しました。
あの下の、せまいろぢの、或ひくい穴倉の中に、病身な、あはれな男の子が住んでゐました。小さなときから、ひよわくて、床にばかりついてゐたのです。一ばん、かげんのよいときにでも、たゞ脚杖にすがつて、部屋の中を、三四たび、そつちからこつちへ、いきかへりするだけが、せい一ぱいでした。
夏が来ると、五六日の間、太陽の光が、三四時間、その穴倉の床へさしこみました。男の子は、その間は、いつもその日の光をあびて座りました。そして三本の指を目のまへにかざして、赤い指の血を、すかして見ながら、
「あゝ、けふはお日さまが出てゐる」と言ひ/\しました。
となりの家の男の子が、ぶなの木の、出たての、緑の枝を、一本とつて来てくれました。男の子は、うつくしい緑の春の森を、たゞそれによつて知り得るだけでした。男の子はその枝を、頭の上にさゝげかざして、太陽が、てりかゞやき、鳥がうたつてゐる、ぶなの森に、じぶんがはひつてゐることを夢みました。
やはり春の或日、となりの子供が野の花をいろ/\もつて来てくれました。その中に、たま/\、根のついた草花が一本ありました。男の子はそれを植木鉢にうゑて、寝床のそばの窓ぎはへおきました。草花は、全く運のよい人の手で植ゑつけられたわけでした。それがだん/\に大きくなり、あたらしい根をも張りました。そして毎年花をもちました。
男の子のためには、その一本の草花が、けんらんな花園のかはりをしました。それは、男の子にとつては、この地上での、たゞ一つの小さな宝でした。
男の子は、その草花に水をくれたりして、いたはり、日の光の一筋をでものがさないように、──小さな窓から、やつと、もがいてさしこんで来る、最後の光までがあたるように、気をくばつてゐました。
それから花そのものは、男の子の夢の中に織りこまれました。草花は男の子のために生長し、その目を喜ばし、そして男の子のぐるりに、いゝ匂ひをひろげたのでしたから。
男の子は神さまが、おめしになつて死んだまぎはにも、その草花の方に顔を向けてゐました。男の子は、すでに一年の間、神さまの、みもとにゐます。一年の間、あの草花は、忘れられたまゝ窓に立つてゐました。そして、もう、なえ、しぼんでしまつたので、お引つこしのときに、往来のごみの中へ、なげすてられました。
「今わたしたちが花たばの中に入れたのが、その草花です。あはれな、しぼんだこの花がそれです。これは、王妃の花園の中の一ばんきれいな花よりも、もつと多くの歓びをあたへた花ですから、もつて来てやつたのです。」
「そんなくはしいことを、どうしてあなたは知つてゐるの?」と、天使にかゝへられて、大空をいく子供が聞きました。
「知つてゐますとも。脚杖にすがつて歩いてゐた、あの小さな子供といふのは、この私だつたのですから」と天使は答へました。
子供は目を見ひらいて、天使の、幸福な光はえた、顔を見つめました。そしてその瞬間に、二人は、平和と歓びの国へはひりました。
神は、死んでゐるその子を胸におだきしめになりました。それからその子は、さつきの天使のとほりの羽根をつけてもらひました。そして二人で、手に手をとつてとびまはりました。
神は、二人が地上から持つて来た、すつかりの花を胸におだきしめになりました。それから、あの、しなびた、野の花だけには、頬ずりをなさいました。すると、その花には声が出るようになりました。そして、飛びかはしてゐる、すべての天使と一しよになつて歌ひました。天使たちは、或ものは、じき近くを、或ものは、もつとひろい環をつくり、或ものは、無限のへだたりの向うを、かけめぐつてゐます。しかし、みんな、ひとしく幸福にみたされてゐます。
その天使がみんなうたひます。大きな天使も、小さなのもみんな一しよに。それから、今羽根をもらつたばかりの、仕合な、いゝあの子も、それから、せまい、くらい町のろぢで、お引つこしのあとの、すたれものゝ中に、あくたの中に投げすてられてゐた、あの、しぼんだ野の花も、やはり一しよに、うたひつゞけました。
あひるの子
一
夏の半でした。野にはからすむぎが青くのび、小麦が黄色くうれ、乾草もすつかりかわき上つて、気持のいゝにほひを、みなぎらせてゐました。
その中をとほつてゐる、或きれいな堀りわりのそばに、だれも人の住んでゐない、ぼろぼろのすたれ家がありました。
その庭には、おき去りにされた鶏と鵞鳥とあひるとの群が、勝手気まゝにくらしてゐました。
家のじき後から、掘りわりの岸までの間には、大きな/\ごぼうが、生えつゞいてゐました。その葉かげへ、子供たちが大ぜいでかくれても、まるで見つかりさうもないくらゐに大きくのびしげつてゐました。
あひるたちの中の或一人のお母さまあひるが、そのごぼうの葉の下に巣を作つて、六つの卵の上にすわりました。
その六つの卵のうち、五つは、白いきれいな卵でしたが、あとの一つは、ほかのよりもとびはなれて、へんに大きな上に、いやな、きたならしい灰色をしてゐました。お母さまのあひるは、どうしてこの一つだけが、こんなにちがつてゐるのだらうと、しきりに、ふしぎがつてゐました。
ほかの鳥のお母さまでしたら、これは、じぶんが、水の中へ泳ぎに下りてゐたるすに、だれか、よその鳥のお母さまが、気まぐれに産みおとして行つたのではないかと、すぐ、うたぐつたはずです。けれど、あひるといふ鳥は、あんまりかしこい鳥ではなく、それにものゝ数をかぞへるといふことには、取りわけ鈍な方なので、このお母さまも、じぶんがはじめ、いくつ卵を生んだかといふことも考へて見ませんでした。お母さまのあひるは、たゞそのへんな色の卵も、どうかほかのと同じように、ちやんとかへつてくれるようにと一しようけんめいにすわりつゞけてゐました。
それらの卵は、このあひるのお母さまがはじめて生んだ卵でした。ですから、それはだいとくいで、だいじにあたゝめてゐました。
お母さまのあひるは、それだけに、ほかの母親のあひるたちのことを心でわらつてゐました。それらのあひるたちは、いつもせつかく生んだ卵もそつちのけにして、みんなでぺちやぺちやしやべり合つてゐました。それから運動のためなら、朝と夕方と二度だけ、水泳ぎをするだけでたくさんなのに、そのほかに何度となく泳ぎに行きました。
お母さまのあひるは、いくにちも/\すわつてゐました。それでも卵は中々かへりません。さすがのあひるも、少しあき/\して来ました。あたりまへなら、もうかへつてもいいのだらうに、どうしてこんなに手間どるのだらう、あゝあ、少し外を歩いて見たいなと思ひました。
しかし、うつかり巣をはなれてゐる間に、卵が冷えて、中の子どもたちが死にでもしたら、ほかのあひるたちから、うんと馬鹿にされるにちがひないと思つて、せい/゛\がまんしてゐました。そのかはり、一日に何度となく、もう卵のからがわれたらうか、まだかしらと、ひつきりなしに巣から下りてのぞき/\しました。そのために、卵のかへるのが、なほ/\おそくなりました。
そのうちに、やつとのこと、二つだけの卵に、かすかな、ひゞが見えて来ました。お母さまのあひるは、それですつかり元気づいて、すべての卵を、ずつとくつつけよせました。そして、その日一日中、ちつとも巣をはなれないで、一生けんめいにあたゝめつゞけました。
あくる朝になりますと、卵が五つまで、みし/\と割れるのが聞きとれました。お午じぶんになりますと、その中の二つから、小さな黄色い頭がむく/\と動き出ました。
お母さまのあひるは、それは/\大よろこびで、さつそくその二つのからを上手にくちばしでやぶつて、ひな鳥を出してやりました。そしてその晩も夜どほし、あとの卵をあたためました。
さうすると、あくる朝まだ日の出ないうちに、あとの四つのうちの三つが、又からがやぶれて、すべてゞ十の小さな目が、きよと/\と外の青い世界を見てゐました。
お母さまのあひるは、小さなときから、きれい好きにそだてられたあひるでしたので、すわるにも、上を歩くにも、じやまになる、いらないからを、すつかり巣の中からとりのけました。そして、のこりの一つの卵をあたゝめました。それは、前に言つた、一つだけちがつて灰色をしてゐる、ほかのより、ずつと大きなあの卵でした。
お母さまのあひるは、これさへかへしてしまへば、もう外へも出て、みんなとお話をしたりしてあそばれるのだと思ひ/\、毎日すき間もなしにすわつてゐました。
しかし、その卵は、いくにちたつても一こう、ひゞがいりません。お母さまのあひるはしまひには、もうじれつたくなつて、一度、お父さまのあひるに相談して見たいと思ひました。
でも、お父さまのあひるは、巣へは、ちつともよりついてくれませんでした。
或日、一人のおばあさんのあひるが見まひに来てくれました。お母さまのあひるは、
「ほんとにもう、いやになつてしまひました。これだけあたゝめてゐれば、二組の子供たちがかへせるのですがね。この卵にかぎつてどうしていつまでもかうなのでせう」と、こぼしました。
「どら、ちよいとお見せなさい」と、おばあさんはその卵をのぞきこんで、
「あゝ、やつぱりさうだ。お前さん、これは七面鳥の卵ですよ。私もわかいときに、人にいたづらをされて、七面鳥の卵をだかせられたことがありました。七面鳥つてものは馬鹿なやつで、せつかくかへしてやつたのに、水泳ぎを仕こまうとすると、てんで水の中へはひらないんです。そのじれつたさつたらありませんよ」と、おばあさんは言ひました。
お母さまのあひるは、しかし、私の巣へ、そんな七面鳥なぞの卵がはひるはずはないと思ひました。
「まあ/\、しかたがありません。もうひとしきりあたゝめて見ませう。これから二十四時間あたゝめて、それでもかへらなければ、もうほふつてしまひます。そろ/\ほかの子供たちに、泳ぎや餌をひろふことを習はせなければなりませんしね。さう一度に二つの仕事は出来ませんから。」
かういひ/\、羽根をひろげて、その卵を巣のまん中へはたきよせました。
お母さまのあひるは、そのあくる日も一日中すわつてゐました。ゆふかたになつて、ためしに、そうつと下りて見ますと、何だか、からの上の方にかすかにひゞが出て来たように思へました。
あひるは、それで急に、いきほひづいて、その晩は夜どほし眠らないで、朝まで一生けんめいにあたゝめとほしました。
すると朝日の光の最初の一筋がさし出ると一しよに、お腹の下で、六つ目のひな鳥が、むづ/\動き出したようでした。おやと思つて飛び下りて見ますと、例の、のこりの卵が、とう/\からが割れて、大きなぶかつこうなひなが、さかさまに、ごろりと、ころがり出てゐました。
二
それは全く、ぶざまな、みにくい子供でした。いくらお母さまのあひるだつて、まあ、いやな子だと思ひました。しかし、ともかく大きくて強さうなことだけは取柄でした。
「これなら、水の中へつれていけば一人でどん/\泳げるよ」と、お母さまのあひるは言ひました。さう言ひながら、その子の、長い、はだかのくびと、背中じゆうに生えてゐる、うすぎたない、どす黒い生毛を、見つめてゐました。
間もなく、お母さまのあひるは、その一ばんしまひの子どもと、あとの、かわいらしい五人の子どもとを、みんな引きつれて、掘りわりの中へ下りていきました。
すると、思つたとほり大きな強い子は──ほかの黄色い生毛の子たちにくらべると、見かけだけは半分もかわいらしくありませんけれど──泳ぐことにかけては、それは、たつしやで、どん/\先に立つて泳ぎまはりました。
いつかのおばあさんのあひるは、その子どもたちが岸へ上つて来るのを待つてゐました。
「まあ、よかつたこと。七面鳥ぢやありませんね。少しやせて、皮がたるんでゐるし、からだの色も、たいしてきれいではないけれど、でも、どことなく、たゞの子よりは、ずばぬけた、えらものゝようなところがある。それに、じようずに頭を持ち上げて泳ぐぢやありませんか。」
おばあさんは、小さな声で、かう正直に話してくれました。
「ありがたうございます」とお母さまのあひるは言ひました。
お母さまのあひるはさう言はれて見ると、この一ばんあとから生れた子にも、あれなりに、どこかかわいさがないでもないと思ひました。
「そりや、あとの五人の子とくらべたら、だいぶちがつてはゐるけれど、だつて、一人だけ、はなして見れば、さう/\をかしな子でもないわ」と、心の中で言いました。
おばあさんも、お母さまのあひるを手つだつて、六人のひなを、巣の方へつれてかへりました。
と、ちようど庭のまん中あたりへ来ますと、そこのところに、一ばん年を取つた、大おばあさんのあひるが、土の上にすわつてゐました。この大おばあさんは、この庭中の鳥たちみんなから、ほんとに尊びうやまはれてゐました。
「さ、みんな、あのおばあさまのところへいつて、おじぎをしていらつしやい」と、お母さまのあひるは、ひなたちに言ひました。
「ごらんなさい。母さまがするとほりに、かうして、あんよをすつかり両方へはなして歩くんですよ。足の先でちよこ/\走つたりするのは、げすなうちの子ですよ。」
子どもたちはさう言はれて、あぶなつかしく、お母さまのとほりの足取りをしてちかづきました。そして、おばあさんにおじぎをしました。おばあさんは、それを見て、よろこんでにこ/\わらひました。
しかし、ほかの多くのあひるたちは、さもけいべつしたように、
「ぷ、あんなにどつさり子を生んだよ。これぢや、庭中が一ぱいになつちまふぢやないか。それにごらん。あんないやな大きな子が一ぴきゐるわ。おゝきたならしい。あんなのが仲間にゐちや私たちまで顔が赤くなる。一ついつて、あいつをおひ出してやらうよ。」
一ぴきの女のあひるはかう言つて、いきなり羽根を突き立てながら、どん/\走りよつて、例の大きなひなのくびへぐいとかみつきました。ひなはぎやつと大声を上げました。生れてはじめて、いたい目にあつたので、びつくりしたのです。先に立つて歩いてゐたお母さまのあひるは、その声におどろいてふりかへりました。
「あら、何をするんです。この子の父さまをよんで来てよ。何の悪いこともしないものをいぢめるつて法がありますか。」
お母さまのあひるは、おこつて、するどくかう言ひました。
「だつて、こんなきたならしい見つともないあひるがゐちや、みんなだつて気まりがわるいぢやありませんか」と、女のあひるは言ひました。
大きなひなには、その言葉がよく分りませんでしたけれど、それでも、じぶんがひどく馬鹿にされてゐることだけは、十分わかりました。
すると、ちようどそばにゐた、この庭中の鳥を支配してゐる、年を取つた、おぢいさまのあひるが、
「まつたく、この子だけは、そつちにゐるかわいらしい子どもらとは、だいぶちがふな。かわいさうに、もう一度かへし直せるものだといゝがね」と言ひました。
大きなひなは、それを聞くと、はづかしくて、はづかしくて、たゞ首をうなだれて、もじもじしてゐました。お母さまのあひるは言ひました。
「えゝ、この子だけはほかの子ほどきれいではございません。ですけれど、泳ぎは一等じようずでございますよ。そして、たいそう強い子でございますの。これなら、後にはどうかかうか、人さまと同じように生きていけるかと思ひます。」
「いや、それはむろん大丈夫だよ。まあ/\おれがゐるから、人が何と言つたつてびくびくしないでお暮しよ」と、そのおぢいさまのあひるは言つてくれました。
お母さまのあひるや、ほかの子どもたちは、それで安心して、毎日々々愉快にくらしました。
しかし、たつた一人、例の大きな子だけは、このお庭にゐるのが、日ましに、いやになりました。多くのあひるたちは、お母さまのあひるが見てゐないと、すぐに、大きな、いやな子を引つぱたきました。大きな/\七面鳥の男までが、この子を見ると、きつときたない奴だ、みにくい奴だと悪口を言ひとほしました。五人の小さな兄弟たちも、──人から聞くまでは何とも気がつかないでゐましたが──みんなが、大きなひなの悪口をいふものですから、しまひには、その子たちまでが、すつかりばかにして、しじゆう、いぢめとほしました。
大きなあひるの子は、後にはもういやで/\たまらなくなりました。何だかそのうちには、お母さままでも、じぶんをにくみ出しはしないかとさへ、うたがはれて来ました。
それでとう/\或晩、そのあひるの子は、庭中のあひるや鶏たちがみんな眠つてゐる間に、こつそりとぬけ出して、ごぼうの葉の中をかくれてとほり、それから掘りわりの岸につたはつて、よち/\とにげだしました。
そのうちに、だいぶたつてから、葦のどつさりはえしげつた、大きな沼地のところへ出て来ました。あひるの子は、その葦の中へはひつて寝ころびました。しかし、あんまりくたびれ過ぎたのと、もう一つは、何だか怖いのとで、ちつとも眠れませんでした。
間もなく、葦の葉の間から、朝の光がさしはじめました。見ると、ぐるりには大ぜいの鴨がかたまつてゐました。あひるの子はそれを見てびつくりしました。しらないで鴨の住み場所へはひりこんだのです。あひるの子は、今にどうかされはしないだらうかとびくびくしてゐました。
でも羽根のきかない子ですから、飛び立つてにげることも出来ません。それで、しかたなしにおづ/\と立ち上つて、その鴨たちに、ていねいにおじぎをしました。鴨たちは、あひるの子をじろ/\見まはしながら、
「はつは、きたならしいあひるだなあ」と、みんなで口をそろへて言ひました。
「だが、それはおれたちにはどうでもいゝ。たゞ、そんなあひるのくせに、おれたちの仲間にはひりたいなんて、ぜいたくをいふと、たゞではおかないぞ」と、二三人の鴨がかはるがはる言ひました。
「いゝえ、こゝで休んで、又向うへいくのです」と、あひるの子は言ひました。
それから、まる二日の間、あひるは、その葦の中で、くらしました。そこいらに見つかるだけのものを食べ、沼地の中の水を飲んでは、ぢいつと休んでゐました。
あひるは、こんな、ゐごこちのよい愉快なところは、又とないだらうと思ひました。それに、第一、じぶんを引つぱたくものもゐず、じぶんのことをきたない/\と、のゝしるものもゐません。それだけでもどんなにのび/\してくらせるか分りません。あひるの子は、このまゝいつまでもこゝにかうしてゐたいものだと思ひました。
そんなことを考へてゐますと、ちようどそこへ、二人のわかい雁の子が、夕御飯の餌をさがしに下りて来ました。その二人が、
「おい、あひるさん、おれたちは、もうこの沼にはあき/\したので、明日はほかのところへ行つて見ようと思つてゐる。もつと大きな湖水で、食べものもどつさりあるところを見つけなくちや。──どうだ、お前も一しよにいかないか」と、かう言つてくれました。あひるの子は二人のいふことをうたがふように、
「そんないゝところがあるのですか」と、言ふか言はないうちに、どーん、ぴゆーといふ音がしました。それと一しよに二人のわかい雁は、たちまち、ばたりと目の前にたふれて死んでしまひました。
その鉄砲の音で、そこいらにゐた鴨たちは、びつくりして一どにばた/\飛び立ちました。どん/\、ぴゆー/\といふ音が今度は引つきりなしにつゞきました。
あひるの子は飛び立つことが出来ないので、むちゆうで水の中へ飛びこんで、もぐりもぐりにげました。
すると、ふいに、大きな四つ足をしたものが、赤い舌をぶら下げて、のそりと目の前にあらはれました。あひるはぎよつとして思はず生え切らない羽根の下へ首を突つこみました。すると、そのおそろしい四つ足の大きなものは、くん/\鼻を鳴らして、あひるのからだ中をかぎまはしました。そして、それなり、ついと向うへいつてしまひました。
あひるの子は青くなつて、岸のそばの、くぼんだ穴の中へ飛びこみました。その穴の中には、しだがしげつてゐました。あひるはそのしだの下へかくれて、やつと息をつきました。
「あゝあぶないところだつた。私がこんなにきたないので、四つ足の大きなものまでがいやがつて行つてしまつた。おかげで殺されずにすんだから幸だ」と、あひるはたいそう喜びました。そのうちに、どん、ぴゆー、どん/\びゆーといふ音がやつと止みました。
あひるの子は、それでもまだぢつとして、しばらくしだの中にもぐつてゐました。
三
もう、あたりは、しいんとしてゐました。あひるの子を見てゐるものは、早い星の瞳だけでした。
あひるの子は、それで、やつと穴からはひ出して、そこいらをくる/\見まはしました。
「もう沼地などにゐては、こはくてたまらない。早くどこかへ行つてしまひたい。」
かう思ひながら見ますと、沼は、もと、じぶんが出て来た方へ向つて、どこまでも延びひろがつてゐました。
それで、あひるは、反対の方角へどん/\歩いていきました。
すると、しまひに、或ぼろ/\の、半分たふれかけた小屋の前へ来ました。入口の戸も、上の一つの蝶番に引つかゝつて、あんぐりと下つてゐました。そのすきまから、小さな焚火の光が見えました。家の中には、その小さな火より外には、あかり一つ、ついてゐませんでした。
あひるの子は、そつと、その家の中へはひりました。すると戸口のじきそばに、がたがたの椅子が一つおいてありました。あひるはその下へこゞんで、部屋の中をじろ/\見まはしました。こゝにさへゐれば、だれにも見つかりさうもありませんでした。しばらく様子を見てゐても、だれも鼻を鳴らしてかぎにも来ません。戸口に近いので、にげ出すときにも、ざうさはありません。それであひるは安心して、そのまゝそこへ寝入つてしまひました。
この小屋には、年を取つたおばあさんが、猫と一羽のめん鶏と三人で住んでゐるのでした。しかし、じつさいの主人は猫と鶏とでした。おばあさんは毎日朝から晩までぽつりぽつり糸をつむいで、それを近くの町へ売りにいくのです。そして猫と鶏とをじぶんの子どものようにかわいがつて、それこそ、したいまゝをさせてゐるのでした。
あくる朝、夜が明けますと、猫と鶏とは、戸口の椅子の下に、はだかんぼうの、へんな小さな鳥が来てゐるのを見つけ出しました。
あひるの子は猫たちを見ると、きゆうにぶる/\ふるへ出しながら、いつでもにげられるように、身がまへをして、二人の足もとを、一生けんめいに見すゑてゐました。
しかし二人とも、むやみに人に喰つてかゝりさうな、そぶりも見えませんでした。
あひるの子はそれを見て、少し安心しました。そのうちに二人はしづかにこちらへ歩きよつて来ました。
「おまへは卵がうめるかい?」と、めん鶏が聞きました。
「いゝえ。私は卵なんかうむことはしりません」と、あひるの子はおとなしく答へました。めんどりは、なあんだといふような顔をして、くるりと背中を向けました。
「ぢやお前は、怒つたときに、毛を逆立て、きげんのいゝときにはにやあ/\なけるかね?」と猫が聞きました。
「いゝえ。私はたゞ、少し泳ぎが出来るだけです」と、あひるは正直に答へました。
そんな泳ぎなぞは、めん鶏や猫にはどうでもいゝことでした。
二人はまだ寝床にはひつてゐる、年を取つたおばあさんのそばへ行つて、
「おばあさん、いやな、はだかんぼうの鳥が家へはひりこんで来ました。卵もうめないし、にやあ/\なくことも出来ないつていふんですが、そんなやくざものは追ひ出してしまひませうね」と、二人は代る/゛\言ひました。
「いゝから、おいておやり」と、おばあさんは手みじかにかう言ひました。
「卵もうめないといふ奴をおいたつてばか/\しい話だけれど、ぢや、しばらくおいて、ほんとにうめないかどうか、ためすんですね」と、めんどりが言ひました。
あひるの子は、それから三週間もこの家でくらしました。猫や、めんどりは、じぶんたちの食べものを分けて食べさせました。
しかし、あひるの子はいつまでたつても、卵をうみさうにもありませんでした。猫たち二人は、こいつはろくでなしだとあきれました。
あひるの子はあひるの子で、毎日々々こんな陰気な小屋の中でくらすのは、あき/\してしまひました。あゝ/\、水のある、ひろ/゛\したところへ出て、思ひ切り泳いで見たいな、と、あひるは毎日さう思ひました。
「まあ、お前は何だつて、そんな、へんな顔ばかりしてるの?」
或日めんどりは、あひるの子がふさぎ切つてゐるのを見て聞きました。
「私は水泳ぎがしたくつてたまらないのです。あなた方にはお分りにならないでせうけれど、かういふ風に水の中へ首をかう突つこんで、すい/\と、まつすぐに水のそこまでもぐりこむときの愉快さと言つたらありませんよ」と、あひるの子は言ひました。
「つまらないことを言ふわね。そんなことがどうして面白いでせう。猫さんだつて、水泳ぎなんかゞ何だいと言ふわ。ねえ。」
「あたりまへさ。ばか/\しい」と猫はふくれて言ひました。
「私はおいとまをいたゞきます。もうこゝにゐるのがたまらなくなりました」と、あひるは言ひました。
猫とめんどりとはふくれた顔をして、
「勝手におしよ」と言つたまゝ、ぷいと背中を向けてしまひました。
あひるは、二人にお礼を言つて、さようならをして出て行かうと思ひましたが、二人がぷいと向うへ行つてしまつたので、仕方なくそのまゝ外へ下りました。二人にそんなにぷりぷりされたので、あひるは変に悲しくなりました。
しかし、久しぶりで大空の下へ出て、間もなく、あたりの川の中へ飛びこみますと、あひるは、もう何もかもすつかりわすれて、たゞもう愉快で/\たまりませんでした。
あひるの子はそれからしばらくの間、その川のふちで、幸福に満足にくらしてゐました。
四
そのうちに早くもいやな冬が来ました。そして雪がふりはじめました。川のふちは、じくじくして、冷たくてたまりません。あひるの子には、かうなつては、水の中もいやなものだといふことが分りました。
或夕方、太陽が、大きな、まつ赤なまりのようになつてしづみかけてゐました。
そのとき、ふいに、高い空の上で、いきほひのいゝ大きな羽ばたきの音が聞え出しました。見ると、それは、地上の雪のような、まつ白な羽根をつらね、黄色い長いくちばしをそろへて、ぴゆう/\と、南のあたゝかい国へ向つて移つていく、大ぜいの美しい白鳥の群でした。
「あゝ、私もあの人たちと一しよに勝手なところへ飛んでいけたらば」と、あひるの子はため息をしながら思ひました。しかし、じぶんなぞが、そんなに自由に大空を飛ぶことが出来ないのはもとよりのことでした。
それに、こんな、うすぎたない鳥を、あんな立派なきれいな烏が仲間にいれてくれるはずもありません。
あひるの子は、それ等の白鳥たちの、羽音と影とが消えて行くのを、一人しよんぼりと見おくつてゐました。
それからは毎朝々々、一日ましにいよ/\、寒くなつていきました。あひるの子は、からだをあたゝかくするために、たえず一生けんめいに動きまはつてゐなければなりませんでした。それはほんとに苦しい骨をりでした。
そのうちに、或晩、水がみし/\とこはゞつて来て、だん/\に、あがきがとれないようになつて来ました。
あくる朝になりますと、あひるのからだはすつかり氷の中にかたまりついてゐました。あひるの子はもう気がぼうとなつてしまつて、何が何だかちつとも分らないでゐました。
ほんとにもう一二時間もそのまゝでゐたら、あひるの子は、それなり死んでしまふところでした。でも幸なことに、そこへ、ふと一人の人が通りかゝりました。
その人はこれから仕事に出かける途中でした。その人があひるの子が氷に閉ぢられてゐるのを見つけ出して、だぶ/\の木靴で氷をふみわつて、ぐんなりしてゐるあひるを引き上げました。そして、そのこゞえたからだを、羊の毛皮のついた上着の下へおしこんで、お家へ引きかへしました。
あひるは毛皮の中にくるまつたので、やつと少しばかり正気がついて来ました。
をぢさんは家へ引きかへすと、そのあひるを子供たちにくれておいて、又出ていきました。
子供たちは三人で、
「やあ、この鳥、まだ生きてらあ」と言ひながら、あたゝかい食べものを持つて来て食べさせました。
それから函の中ヘ入れて、火のそばへおいてくれました。あひるは、おかげでしまひには、すつかり元気がつきました。
すると子供たちは、
「さあ、あの鳥とあそぼうよ」と言つて、函の中からつまみ出しました。
あひるの子は、これまでまだ一ども、人間の子とつき合つたことがないので、その子たちがおもちやにしようとするのを、いぢめ殺さうとするのだとかんちがひして、びつくりして、ばた/\にげまはりました。牛乳の缶の中へ、どぶんと落ちこんだり、棚のお皿にぶつかつたりして、ばた/\したあげくに、命から/゛\、戸口の外へ飛び出しました。そしていきなり、お家の後の枯れた茂みの中へもぐりこんで、そのまゝ、冬中そこにかくれこゞんでゐました。
その一冬を、どうしてしのいで来たかといふことは、あひるも後になつては、じぶんでも、よく分りませんでした。
たゞ、毎日々々ふるへ通しにふるへてをり、食べるものもろくにないので、ときには、もうこれなり、かつゑて死ぬのではないかと思つたりしたことを、たゞ、ぼんやりとおぼえてゐるきりです。全く無我夢中で、やつとのこと生き延びて来たのでした。
しかし、しまひには、だん/\と日ざしがあたゝかくなつて来ました。間もなく、小鳥たちも、うたひはじめました。草も青くなり、いろ/\の花をも持つて来ました。
そのときには、あひるの子も、これまでとちがつて、からだもすつかり大きくなり、羽根もよつぽど、つよくなつたような気がしました。
茂みの中から向うをのぞいて見ますと、うす赤いうつくしい雲のようなものが、小山の下に下りてゐました。あひるは何だらうと思つて、そばへ行つて見て来たくなりました。
あひるは、間もなく、ぱた/\と力一ぱいかけ上りました。
「ほゝう、飛べる/\。こんなに飛べるようになつた」と、あひるはびつくりして喜びました。そして、すうい/\と大空の下をかけぬけて、またゝく間に小山のそばへいきました。
うす赤い雲だと思つたのは、山の下の或お家のそばにつゞいてゐる林檎の花でした。
そのお家のすぐ前には、きれいな掘りわりが流れてゐました。あひるはその岸の茂みの中にかくれて、しばらくあたりを見てゐました。
さうすると小屋の後から、いつか大空をたかく消えて行つた、あれと同じの、うつくしい、まつしろな白鳥の群が、にこ/\と出て来ました。
そして、みんなで順々に、ふはり/\と堀りわりの中へ下りて、愉快さうに、すい/\すい/\泳いでまはりました。
あひるは、それを見ると、うらやましくて、ゐたゝまれなくなりました。
「私も行つて一しよに泳いで来よう。これまでのように、寒さやひもじさに苦しんだり、ほかの、いやな鳥たちからいぢめられたりするよりも、あの白鳥につつつき殺してもらつた方がどのくらゐましだか分らない。」
かう思つて、あひるはすぐに、ついと水の上へかけ下りました。そして、どん/\白鳥たちの方へ泳いでいきました。
白鳥たちはそのうちに、茂つた木の枝のつき出てゐる、青い蔭の下へはひつて休みました。あひるが間もなく、そのそばまで近づきますと、白鳥の中の、年わかい二三人がそれを見つけて、うれしさうな声を上げながら、出迎ひに泳いで来ました。
あひるは、半分はまだ、こはさにふるへながら、そのわかい白鳥と一しよに、年を取つた白鳥たちのそばへいきました。そして、おど/\しながら言ひました。
「私は殺されるならば、あなた方に殺していたゞかうと思つて出てまゐりました。こんな、きたならしい私なんかをかへさないでおいてくれゝばよかつたのですのに。」
かう言つて、ぺこ/\おじぎをしました。と、それと一しよに、あひるには、じき下の水の上に、みんなのまつ白い羽根と、長いしなやかなくびと、金色のくちばしとが、うつりかさなつてゐるのが目にはひりました。あひるは、そのきれいなものゝそばにうつる、じぶんのきたならしい影をさがしました。
しかし、じぶんのま下には、やはり同じような、白い羽根と、白い長いくびと、金色のくちばしとがうつつてゐるきりで、きたないあひるの姿はちつとも見えません。
あひるは、へんだと思つて、あとずさりをして見ました。すると、じぶんの目の下には、やつぱり同じ白鳥の姿がうつるではありませんか。
そこへ、さつきのお家の子供たちが、白鳥にびすけつとをくれに出て来ました。そして、
「やあ、きれいな白鳥が来たね。あれが一番きれいだね。」
「羽根もずつと白いよ。くちばしの色も、ずつときれいだよ」と、うれしさうにほめ合ひました。
あひるは、じぶんがいつの間にか白鳥になつたことを、をどり上つてよろこびました。
しかし、この鳥はもと/\あひるではなかつたのです。一ばんはじめに、あのお母さまのあひるが、巣にはひつてゐた白鳥の卵を、それとは知らずにかへしたのでした。
かゞり針
或ところに、一本のかゞり針がゐました。その針は、じぶんのことを、さも/\なよやかな、きやしやな針だと思ひこんでゐました。じぶんは刺繍の針だと思つて見たりしました。
かゞり針は、じぶんをとり出した、料理女の手の指たちに向つて、
「いゝかい、気をつけておくれ。あたしを、ちやんと、しつかりもつて、落さないようにね。地面へおとしたら、もう見つかりつこはありませんよ。あたしは、こんな、ほつそりした、針なんだからね」と、いばつてかう言ひました。
「さうだらうな」と指たちは答へて、針のからだを、しつかり、にぎりしめてゐました。
「ごらん、あたしは、お供のものをつれて出るわよ」と針は言ひました。うしろに、長い糸を引いてゐます。しかし、その糸には、とめがしてありませんでした。
指たちは、料理女のすりつぱの、上側についてゐる、なめし皮の破れをぬひ合せようとするところでした。指は、その破れ目のところへ、針を向けました。
「あら、何て乱暴なことをするの、あなたがたは。あたしなんか、そんなものへ、つきとほりはしませんよ。おゝ、をれる、をれてしまふわよ。」
そのとほり、針はほんとにぶきりと目のところが、こはれてしまひました。
「だから言つたぢやありませんか。あたしはきやしやすぎるほど、ほそいんだから」と針は言ひました。
「これぢや、もう役には立たない」と指たちは言ひました。でも指は、みんなで、やつぱり針を持つてゐなければなりませんでした。料理女は、その針の頭へ、封蝋をつけました。そして、その針で、襟巻のきれの前をとめました。
「ほら。これであたしは、胸かざりのとめ針になつた。あたしには、いつかは、かういふ、いばつたものになれるのが、ちやんと分つてゐた。おたがひに腕さへあれば、何かの位置につけるはずだからね。」
針はかう言つて、そつと、一人で笑ひました。一たい針が笑つたりするところは、人の目には見えないものです。針は、まるで、王さまからの、おさし向けの馬車にでも乗つたように、をさまりかへつて坐りながら、あたりを、じろ/\見まはしてゐました。そして、おとなりにゐる留針に聞きました。
「しつれいですが、あなたは金でお出来になつていらつしやるのでせうか。すいぶんおかわいらしいお姿で。一ぷう変つたお頭をしてお出でですこと。でもお頭は、かなりお小さいんですね。あなたは、大きくおなりになるには、よほどお骨がをれるでせうね、だれもかれもが、あたしのように、封蝋をつけてもらふといふわけにはいきませんからね。」
針は気取りかへつて、つんと、そつくりかへつたはずみに、つるりと、襟まきの布からぬけ出して、料理女がさらつてゐた下水溜の中へおちこんでしまひました。
「おや、旅行に出るんだわ。まさか、おとしものにされたんぢやないだらうから」と針は思ひました。しかし、事実はやはり落されたのです。
「じたい、あたしは、この世の中でくらすには、少し、ほつそりしすぎてゐるんだわ。でも、これでもあたしは、そこいらの、つまらないものたちとは生れがちがふんだから」と針は溝の中に横たはりながらかう言ひました。そして相かはらず横風にふるまつて、ひとりいゝきげんでゐました。
さうしてゐる針の上を、それこそ、種々雑多なものが泳いでとほります。せとものゝ欠けらだの、藁くづだの、古い新聞がみの切れなぞが、どん/\とほりすぎます。
「おゝ、あれをごらん、走ること/\。あの人たちは、みんな、下にだれがゐるかつてことに気がつかないんだよ。こゝには私つてものがゐる。私は、流されたりなんかしやしない。ちやんと、動かずに、ぢつとしてゐる。
ほ、せとものゝ欠けらが流れて来た。あのかけらも、じぶんのことばかりしか考へてゐやしない。じぶんといふ、欠けらのことにばかり、かゝづらはつて、この世の中のほかの人のことはちつとも気にしないのね。
今度は藁くづがとほりすぎる。ほら、ひつくりかへつた。ほうほ、くる/\まはるわ。これ/\、じぶんのことばかり考へてゐちやだめですよ。うか/\してゐると、つい石にぶつかつたりしますよ。
ほら、あすこには古新聞のきれが泳いでゐる。そのからだにかいてあることは、もう、とつくに人から忘れられてゐるくせに、まだ、気取りすましてゐる。あたしは、しづかに、がまんして、こゝに坐つてゐる。私には、あたしがどんな人柄のものだかゞ分つてゐる。私はいつまでも、この私でゐるんだからね。」
針は一人えらがつて、かう言ひました。
或日、じきそばを見ますと、何だか、すばらしくぴか/\光るものがゐました。きつとだいあもんどにちがひないと針は思ひました。しかし、ほんとは、こはれた壜のかけらなのでした。
針は、それがきれいに光るので、さも、じぶんの、ちようどいゝ話し相手のように口をきゝかけました、、
「もし/\私は胸かざりの留針ですが、あなたはだいあもんどさんでせうね。」
「むろんさうです。だいあもんどの種類にはひつてゐるものです。」
かうして二人はおたがひに、相手を、非常な貴いものと思ひこんでしまひました、二人は世間のことを話し合ひました。その言ふことのきざなことゝ言つたらありません。
「あたしは或貴婦人の手函の中にゐたのですの」と、かゞり針は言ひました。
「その婦人といふのは料理をする人で、その人は、両方の手に指を五本づつもつてゐました。私は、その指たちのような、こうまんちきなものを見たことがありません。そのくせ、何のために、そこにくつついてゐるかといへば、たゞ、この私を函から出したり、もとへしまつたりするだけのためなんですから、あはれなものでせう。」
「みんないゝ家柄の人ですか」と、壜のかけらは聞きました。
「いゝえ、どうして。ろくな生れのものぢやないんです。でも、つん/\いばつてゐました。二家族とも五本づゝの兄弟ですが、せいたけは、五人が五人、みんなちがつてゐます。でも、みんな、そろつて気どりこんでゐるのです。
一ばん外がはにゐる親指といふのは、せいの低い、ふとつた指で、いつも列のまへにたつて、つき出て歩いてゐます。背中には関節が一つしかなく、たゞ、ぴよこんと一ぺんおじぎをするだけの能しかないのです。それでも、私を人間から切りとると、もうその人間は戦争へは出ることが出来ないのだと言つてえらがつてゐます。
二ばんめの人さし指といふ指は、いつも、あまいものや、すつぱいものゝ中へからだをつつこむのがくせで、お日さまやお月さまをも指します。そして五人がものをかくときには、その指がぺんをおさへてかきつけるわけです。
三ばんめの、せいのたかい、のつぽうの中指は、肩の上からあとの四人を見下してゐます。それから、四ばん目の紅指は、いつも腰のところへ金の帯をしめて歩きまはつてゐます。五ばん目の小さな小指は、それこそ何にもしないでぶら/\してゐて、しかもそれを得意にしてゐるのです。
この指たちは、げんきよく、たゞ大きなことばかり言つていばるだけで、何のはたらきもないんですから、私は、そばにゐるのがいやでたまらなくなつて、出て来たのです。」
「今ではおたがひに、こゝにゐて、きら/\光つてゐるのだから、たいしたものですわ」と壜のかけらは言ひました。
さう言つてるところへ、水がもつとどん/\溝へ流れこんで、あたりへあふれ出しました。壜のかけらは、ずん/\持つていかれてしまひました。
「おや/\、あの人はつれていかれた。のこつてゐるのは私だけだ。あたしは、きやしやすぎるほど細いけれど、それが私の誇りだし、この誇りこそ貴いものだわ。」
針は傲ぜんとそこにすわつて、ひとりで、いろんなことを考へて、とくいになつてゐました。
「私は太陽の光から生れたものと言つてもうそぢやあなささうだわね。こんなにきら/\と、きれいなんだから、じつさい私には、太陽の光が、いつも、水の下にゐる私をさがしさがししてゐるように思はれてならない。あたしは、私の母の日光までが、私を見つけ出すことが出来ないくらゐ、細く、じなやかなのだ。あたしの、もとの目は、こはれてないけれど、あの目があつたら、あたしは泣き出すでせうよ。いや/\泣いてはいけない。泣くつてことは、はしたないことだ。」
或日、二人の宿なしつ子が、その溝へ来て、泥をほじくりかへしてゐました。とき/゛\そこから、古釘だの、銅銭だのと言つたような、とてもいゝものが見つかることがありました。きたならしい仕事でしたけれど、二人ともそれが非常に面白くてたまらないのです。
「あ、いたゝ」と、一人の子が、かゞり針で、手を刺して、びつくりして、
「この野郎。──おい、おまいにちようどいゝものがあつたよ」と、もう一人の子供にいひました。
「あたしは野郎ではありません。貴婦人ですよ」とかゞり針は言ひました。
しかし、だれ一人、そんな針のいふことに耳をかすものはゐませんでした。針は、頭の封蝋もとれてしまひ、からだもまつ黒になつてゐました。着物でも黒い色は、人を、すんなりと、しなやかに見せるものです。ですから、かゞり針は、じぶんのことを、前よりも、もつと、ほつそりした、りつぱなものゝように思ひこんでゐました。
「おい、ほら、卵の殻が走つて来たよ」と子供たちが言ひました。そして、かゞり針を、その殻へ、ぷすりと突き立てました。針は走り流れながら得意になつて、
「白い壁と、あたしの黒い姿とは、いかにも、うつりがいゝのね。これで、あたしはすつかり人の目につくわ。だけど、たゞこんなに走つて、船よひをしなければいゝが。」
しかし、針は、めつたに、よひなぞはしませんでした。
「あたしのように鋼の胃袋をもつてゐれば、そして、じぶんが普通の人よりも少し身分のよい人間だといふことを忘れさへしなければ、船になんぞよひはしない。あゝ、もう船よひなんぞは行つてしまつた。人は、忍耐づよければ強いほど、見かけもきれいに見えるわけだわ。」
そのとたんに、
「ぐしやり」と卵の殻はつぶれました。手押車にふまれたのです。
「あら/\、人をこんなに、めちや/\にこはして……あたしは気分がわるくなつてしまつた。おゝ、ほんとに苦しくてたまらない。」と針は言ひました。
しかし、本当のところは、針は苦しくも何ともないのでした。車の輪がふみつけていつても、何のさわりもないのです。針は、その場へ、長まつてゐました。もう、それなり、いつまでも、そこにころがつてゐることでせう。
まつち売りの少女
十二月三十一日の夕方がせまつてきました。それは、おそろしく寒い、雪ふりの日で、あたりは、もう、ほとんど、まつくらでした。
その寒気と暗がりとの中に、一人の、まづしい小さな少女が、帽子もかぶらず、赤はだしのまゝで、街々をさまよひあるいてゐました。
お家を出るときには、たしかに、すりつぱをはいてゐました。しかし、それはこの子にとつて何の足しにもなりませんでした。母さんが、そのときまではいてゐた、それはそれは大きなすりつぱだつたからです。少女は、二だいの馬車が、がら/\と、はげしいいきほひで通りかゝつた往来を、あわてゝ、すべり横ぎるはずみに、そのすりつぱを二つともぬぎはなしてしまひました。
その片方を一人の男の子が引つつかんで逃げていきました。男の子は、のちに大きくなつて、じぶんに赤ちやんが出来たら、このすりつぱが立派に揺り寝床の代りにつかへるからと思つて、もつて行つたのです。そのつれの片方は、どこをさがしても見つかりませんでした。
それで少女は、小さな、はだかの足で歩いていきました。足は寒さのために、それこそ赤青くしびれ上つてゐます。少女は、古けた前かけの中に、まつちを少しばかりかゝへ、片手には、まつちの束を一つもつてゐます。一日中あるいて来たのに、だれ一人、買つてもくれず、一銭だつてくれる人もありませんでした。
寒さと飢ゑとにふるへながら、少女は、虫がはふように歩いてゐます。まつたく、みじめさ、そのものゝ姿絵でした。かわいらしい、巻き毛になつて、くびにたれかゝつてゐる、その長い金色の髪には、雪が一ぱい、つもつてゐます。でも少女は、その髪の上の雪のことなぞは考へもしませんでした。
家々のすべての窓には灯がかゞやいてゐます。そして、そこには、あぶつた鵞鳥の、はなやかなにほひがしてゐます。お正月の前夜のお祝ひだからです。少女は、そのお祝ひのことばかり考へてゐるのでした。
二けんの家がならんでゐて、一けんの方がずつと前の方に出ばつてゐる、その、くひちがひの隅のところに、少女はちゞみ上つてすわりました。小さな二つの足を、引き上げるようにして坐つてゐても、それでも、やつぱり寒くてたまりません。まつちが一つも売れないで、お金を一銭も持つてかへることが出来ないのですから、てんで家へかへる気にはなれませんでした。かへれば父さんからぶちのめきれるのです。
それに家へかへつたつて寒いのは同じでした。家と言つても、頭の上には、風のぴゆうぴゆう吹きこむ、ぼろ/\の屋根があるきりです。大きなこはれ目には、藁だの、ぼろだのが、おしこんではありますが、でも、方々から風はうなりこむのでした。
少女の両手は、寒さのために、ほとんど、しびれ上つてゐました。
「あゝ、さうだ。この束の中からまつちをぬいて、壁にこすつて火をつけるといゝわ。そして手をあたゝめれば」と、少女はかう思つて、一本引き出しました。
「しゆつ」と、まつちははね、光つて、燃えつきました。少女は、その上へ両手をかざしました。それは、少女のためには、小さな蝋燭のように、あたゝかい、光つた焔でした。まつたく、びつくりするほどあたゝかい、小さな灯です。少女は、さうして、あたゝまつてゐると、ほんとに、ぴか/\した真鍮の足と真鍮のふたのついた、大きな、みがき上げたすとうぶにあたつてゐるような気がしました。ほう、もえる/\、おゝ、いゝ気持だと少女は心で言いました。
しかし、小さな焔は、じきに消えました。すとうぶは、どこかへ、いつてしまひました。少女の手には、まつちのもえのこりが残つてゐるばかりです。
少女は二本目のまつちを壁にこすりました。火がつきました。そのあかりが壁にうつりますと、少女の目には、その壁が、うすい顔かけのように、すきとほつて来ました。そして、それを通して、部屋の中があり/\と見えました。
ていぶるの上には、雪のように白い布がかけてあります。その上には、ぴか/\したお料理の皿がならんでゐます。りんごと、干した梅の実とをつめて、あぶつた、鵞鳥のにほひが、かゞやきみなぎつてゐます。
と、思ふと、その鵞鳥は、胸にないふと肉刺しとをつきさしたまゝ、お皿の上から飛び下りて、よち/\と床の上を歩いて少女の方へ近づいて来ます。それは何とも言へないすばらしい、光景でした。
と、まつちは消えて、目のまへには、厚い、じめ/\した、寒い壁がつつ立つてゐるだけでした。
少女は又一本まつちをとぼしました。すると少女は、美しいくりすますの飾り樅の下に坐つてゐました。それは、少女が町のお金持の商人の店の、がらす戸の中で見たのよりも、もつと大きく、もつと飾りの多い、立派なものでした。
何千本といふ蝋燭が、その緑の枝の上にとぼつてゐました。刷絵を売る店にならんでゐるような、色づけの絵が、いくまいも、上からその枝々を見下してゐます。少女はその枝の方へ手をひろげのばしました。そのはずみに、まつちが消えました。
くりすますの蝋燭は、どん/\上へ上つていきます。見る/\うちに、大空の星のようになりました。その中の一つが、長い火の尾を引いて落ちて来ました。
「だれかゞ死ぬんだ」と、少女は思ひました。それは亡くなつたお祖母さんから、星がとぶのは、人のたましひが、神さまのところへ上つていく印だと聞いたことがあるからです。お祖母さんは、この少女をかわいがつてくれた、たゞ一人の人でした。
少女は又一本まつちを壁にこすりました。すると、あたりは再びあかるくなりました。そのあかりの中に、年をとつた、そのお祖母さんの姿が、はつきりと、かゞやきながら、にこやかに、愛くるしく浮び出て来ました。
「おゝ、お祖母さん、私を一しよにつれてつて下さいな。このまつちがきえれば、あなたはゐなくなつてしまふのですもの。さつきの、あたゝかいすとうぶの火や、あたゝかいお料理や、あの大きな、きら/\したくりすますの飾り樅と同じように、あなたも、ぱつと、きえてしまふのでせう?」
少女は、お祖母さんを、いつまでもそこにゐさせようとして、どん/\まつちをもやしつゞけ、とう/\、持つてゐた一束を、みんな、つかつてしまひました。まつちは、あかあかともえて、あたりは真昼間よりもあかるいくらゐでした。
お祖母さんは、これまで、こんなに大きく、うつくしく見えたことはありませんでした。そのお祖母さんが少女を腕の中にだきかゝへました。そして二人は、にこ/\歓びながら地上をはなれて、たかい/\大空の上の、寒さも餓ゑも苦労もないところへとんでいきました。二人とも神さまのところへいつたのです。
しかし、さつきの家のすみには、あはれな少女のなきがらが──くれの三十一日の晩に、こゞえ死んだ、紅い頬と、ほゝゑんだ口もとをのこしたなきがらが、壁によりかゝつてかじかんでゐました。その小さな死顔の上に、やがて元日の朝日がさしました。少女は、一たばのまつちのもえのこりを、すつかりもつて、こち/\になつて、つめたく坐つてゐました。
「あゝして、からだを温めようと思つたんだね」と集つた人々は言ひました。しかし、この少女が、どんな美しいものを見たか、そしてお祖母さんと二人で、どんな、光と輝きとの中に、元日をむかへに、とび去つたかといふことは、だれも気づきはしませんでした。
鴻の鳥
一
或小さな村の、一ばんはての家に、鴻の鳥が巣をかけてゐました。
母さまの鴻の鳥は、四人のひな鳥と一しよに、巣の中にはひつてゐました。ひな鳥たちは、頭をによき/\つき出して、ぴい/\ないてゐました。まだ、くちばしも赤くならないで、黒く、とがつてゐました。
父さまの鴻の鳥は、少しはなれた屋根のふちに、たつた一人で、見はりに立つてゐました。なまけ半分に、ぼんやり立つてゐるように見られてはいやなので、片足をぐいと引き上げて、一本の足で、まつすぐに、きりゝと突つ立つてゐるのです。まるで、木で彫りつけたように、ぢいつとしたまゝ、身うごき一つしないでゐました。
父さまの鴻の鳥は考へました。
「母の鳥が、かうして番兵をつけて巣にはひつてゐるところは、だれの目にも、さも、いかめしく見えるにちがひない。みんなは、きつと、わしが、主人の命令をうけて見はりについてるものと思ふだらう。まるで貴族のおうちみたいだ。」
そのとき、下の往来では、村の子どもたちが大ぜいで遊びさわいでゐました。その子たちが、屋根の上の鴻の鳥を見つけ出すと、一ばんいたづらな、小さな子がまつさきに、そして、しまひにはみんなが声をそろへて、むかしからうたはれて来た、鴻の鳥の謡をうたひ出しました。
「鴻の鳥、にいげろよ。
一本足で立つのはよせよ。
おまへのかみさんは巣の中で、
子鳥をゆすつて寝かせてる。
一つの子鳥はしめ殺さう。
二ばん目の子鳥は、ぶつてやらう。
三ばん目のは射ち落さう。
四ばん目のやつには、
唾を引つかけろ。」
みんなは、たゞ、その謡を、おさらへのつもりで謡ひ出したのでした。ところが、ひな鳥たちはびつくりして、
「あれ、母さま、あんなことを言つてるよ。ほら/\、みんなで私たちをいぢめたり殺したりするつて言つてるぢやないの」と青くなつてちゞみ上りました。
「だいじようぶよ。ほつておゝき。あの子たちが何を言つたつて、聞かずにゐればいゝんですよ。聞かないでゐれば何でもないぢやありませんか。」
母さまの鴻の鳥はかう言ひました。
しかし子どもたちは、くりかへし/\、ぶつてやらう、つばきを引つかけろと謡ひました。そしてしまひには、みんなで鴻の鳥を一つ/\ゆびさして、笑ひはやしました。
中でたゞ一人、ピーターといふ子だけが、生きものを馬鹿にするのはわるいことだと言つて、仲間をはづれてゐました。
母さまの鴻の鳥は、
「いゝの/\、知らん顔をしておいで。それよりも、ごらんなさい。父さまはたつた一本の足で、あんなに上手に、ぢいつと立つておいでゝせう。ね、ほら」と言つて、ひな鳥たちの気をかへようとしました。
「でも怖いよう/\」と、言ひ/\、子鳥たちはぐん/\巣の中へ首を引つこめました。
「一つの子鳥はしめ殺さう。
二ばん目の子鳥はぶつてやらう。」
「ね、母さま、ほんとうに殺されるの、なぐられるの?」と、ひな鳥たちは聞きました。
「そんなことをされてたまるものですか。いゝから母さまのお話をお聞きなさい。お前たちはこれから、飛ぶことを習ふのですよ。私が上手にをしへて上げます。そして父さまやみんなで、方々の草地へ飛んでいつて、蛙たちを見まつてやるの。蛙は水の中で坊やたちにおじぎをして、ぐあつ/\/\と謡をうたひます。それからみんなでその蛙をとつて食べてしまふの。それはほんとうに面白いのよ。」
「そして、そのあとはどうするの。」
「それから、鴻の鳥といふ鴻の鳥が──このあたりにゐる、すつかりの鴻の鳥が集つて、秋の運動会をするの。そのときには、どの子も、みんな、上手に飛ばないといけないのです。これが一等大事なことですよ。だつて、人なみにかけ飛べないものは、大将の鳥にくちばしでつき殺されてしまふんですからね。だから、お前たちもこれから一生けんめいに、飛ぶおけいこをしなければ。」
「でも、それがすんだら、あの子たちに殺されるんでせう、ほら/\、また謡ひだした。」
「あんなばかな子たちの謡なんぞに耳を貸さないで、母さまのいふことだけ聞いていらつしやい。今言つた運動会がすんだら、みんなは一人ものこらず、遠い/\あたゝかい国へ飛んでつてしまふのですよ。山や森をいくつも/\こえて、遠い/\エジプトといふところへ行つてしまふの。
そこには、石でつみ上げた、大きな/\石のお家が三つ、雲の中まで高くそびえてゐます。ピラミツドといふお家です。それはわたしたち鴻の鳥には、とても/\、想像のつかないほど、古い/\昔からのお家です。
そのそばには大きな河があつて、その河の水がどん/\あふれ出して、それからその水が引くと、国中一面が泥沼になつてしまふの。わたしたちみんなは、その泥の中を歩き廻つて、蛙をぱく/\食べるのです。」
「ほゝう」と、ひな鳥たちは大声を上げました。
「その、愉快さと言つたら、毎日々々食べることより外には何にもしないのだからね。ところが、私たちが、そこでそんなに楽しくくらしてる間中、こゝいらあたりでは、木に一まいだつて青い葉はついてゐないのですよ。それはひどい寒さで、雲が、きれ/゛\に、こごりかたまつて、小さな、白いぼろつ屑のようになつてどん/\落ちて来るの。」
母さまの鴻の鳥は雪のことを言つてゐるのです。かう話すより外には、言ひ方を知らないのでした。
「それぢや、あのにくらしい子どもたちも、こゞえて、ちらかつてしまふの?」
「いゝえ、ちらかりなぞはしません。みんな、暗いお部屋の中にちゞこまつて、ふるへながらくらすのです。そのときには、おまへたちは、もう、ずつと遠い/\ところへ行つてゐるの。花がどつさりさいて、日の光が、あたゝかに光つてゐるところで、らく/\とくらしてゐるのです。」
二
それから、だいぶ日がたちました。鴻の鳥の子どもたちはみんな大きくなつて、巣の中で、ちやんと、まつすぐに立つて、くる/\と、遠くの方まで見わたせるようになつて来ました。
お父さまの鴻の鳥は、まいにちおいしい蛙や、おいしい小さな蛇や、そのほか、いろいろのごちそうを持つてかへりました。それから、子鳥たちの前で、いろんなおもしろいことをして見せました。そのをかしさと言つたらありません。
父さまは尻尾へ首がくつつくまでぐん/\反りかへつて、くちばしでもつて、ちよき/\拍子をとつたりして、笑はせました。
それから、いろ/\のお話もして聞かせました。それはすべて沼についてのお話でした。
「さあ、これからみんなで、飛ぶおけいこをするのですよ」と、或日、母さまの鴻の鳥が言ひました。
四人のひな鳥は、母さまの言ひつけで、はじめて屋根のふちのところまで出ていきました。
ばた/\と羽根をつつかい棒にして、ひよろ/\と歩いていきましたが、それは、もう、とてもあぶなつかしく、いまにもひつくりかへりさうでした。
「いゝかい、よく見てらつしやい。飛ぶのには、まづ首をかう上げて、──それから両足をかう張り伸ばして、──一、二、一、二、──これが出来さへすれば、立派に世の中へ出ていけるのです。」
母さまの鳥はかう言つて、少しばかり飛んで見せました。
ひな鳥たちも、よろ/\と飛び上りました。しかし、羽根のわりにからだがひどく重すぎるので、じきにばたんところがります。
一人の子鳥が、
「あゝいやだ。私は飛ばないの。母さまの言つた、あたゝかい国なんぞへいかなくてもいいの」と言ひながら、こそ/\と巣の中へかへつてしまひました。
「おや/\、お前は、冬が来たら、こゝでこゞえて死ぬんだね。子どもたちが出て来て、お前を殺して、焼いて食べてもいゝのだね。よし、ぢやあ、これから子供たちをよんで来ますよ。」
「いや/\/\」と、そのひな鳥は、仕方なしにまた、はひ出して来ました。
三日目には、四人とも、少しづゝは飛べるようになりました。四人とも、もうこゝまでになれば、空へ上つて高く飛んだり、くる/\舞ふことも出来さうに思へました。それで、みんながためして見ました。
と、四人とも、ばたんと屋根へ落ちました。それから、またあらためて、ぱた/\と羽ばたきをしては、かけ上り/\しました。
子どもたちはその日も往来へ出て来て、
「鴻の鳥、にいげろよ。
一本足で立つのはよせよ。」
とうたひはじめました。
「母さま、坊やたちがみんなで飛び下りて、あの子どもらの目の玉をゑぐりぬいて来ようか」と、ひな鳥は言ひました。
「いえ/\。ほつておゝき。それよりか私のお話をよく聞くの。その方がよつぽどだいじです。
さ、今度はあの煙突の右から廻るのよ。一、二の三。──今度は左の方から。一、二の三。──さう/\。上手に廻れた。今、一ばんしまひに、両足できゆつと蹴つたでせう。あのときの蹴りかたは、きれいに正しくいきました。上手々々。
それでは、あすはいよ/\お許しを出しませう。母さまと一しよに沼地へ出ていきませう。沼へいくと、よその上品な鴻の鳥の人たちが四五人ぐらゐ、みんな子鳥をつれて来てゐます。その中で、私のうちの坊やが一ばん品がいゝといふことを、みんなに見せておくれ、ぴゆうと、いばつて、きれいに飛び出すところを見せておかなくてはね。さうすれば、これから、みんながおまへたちをばかにしないようになるからね。」
「ぢや、あの子どもたちに、しかへしをしないの?」と、ひな鳥は不平さうに言ひました。
「あの子たちには、勝手にどならせておけばいゝのです。その代り、あの子たちが寒くなつて、がた/\ふるへてゐるとき、そして青い葉一まい、林檎一つないときに、お前たちは、高く雲の上をとんで、ピラミツドの国へ着いてゐるのだから。」
「だけど、一ぺん、あいつらをいぢめかへしてやりたいなあ」と、子鳥たちは、たがひにさゝやき合ひました。
それから又、飛ぶ練習をつゞけました。
下の往来の子どもたちの中で、例のにくたらしい謡を、一ばんしつつこく謡ひつゞけてゐるのは、最初の日に、あの謡をうたひ出したあの子です。まだほんの小さな子どもで、年も六つを越してゐないくらゐですが、鴻の鳥の子たちは、たしかにその子を、年は百ぐらゐだと見てゐました。だつて、じぶんたちの父さまや母さまよりも、ずつと/\大きなからだをしてゐるからです。どのみち、鴻の鳥の子たちに、人間の子どもの年や、人間の大人の年が分るわけもありません。
子鳥たちは、一ばんはじめにあの謡をうたひ出した、──そして、いつまでもうるさく謡ひつゞけてゐる、あの子供へ、うんとしかへしをしてやらうと、ねらつてゐました。四人ともぷん/\おこつてゐました。
子鳥たちは日に/\大きくなるにつれて、もう、じれつたくてがまんが出来なくなつて来ました。
母さまの鴻の鳥は、子鳥たちに向つて、あの男の子にきつとしかへしをしてやるから、私たちがこの土地をたつ日までまつてお出でと言ひました。
「あの子のことよりも、まづ第一ばんに、この秋の運動会のときに、四人とも立派に飛んでくれなけりや困りますよ。もし下手にやつて、大将のくちばしで突き殺されてごらんなさい。さうしたら、あのいたづらつ子どもがうたつたことが、ほんとうになるぢやありませんか。うまくやつておくれよ。」
「えゝ/\。見てゝ下さい」と小鳥たちは言ひました。そして、ありとあらゆる苦心をして、毎日々々練習をつゞけました。
それで、とう/\しまひに、軽々と、きれいに飛べるように、なりました。それは全く、はたで見てゐても愉快なほどでした。
三
そのうちに秋が来ました。すべての鴻の鳥たちは、あたゝかい国へ移る用意に、すつかり一ところに集りました。そして、子鳥たちの運動会をしました。これから、ずいぶん長い旅をするのですから、どのくらゐ飛べるのか、それを確かめるために、どの子鳥にも一々、そのあたりの森や村々の上を飛ばせて見るのです。
例の四人の子鳥は、その運動会で、それは/\立派によく飛んで、「最優等。賞与、蛙、蛇幾ひき」といふ、一等いゝ点をもらひました。そして大得意で、ごほうびの蛙と蛇を食べました。
「さあ、これからいよ/\、あの子どもたちをいぢめかへしてやらう」と四人が言ひました。
「おまちよ。それには母さまが考へてゐることが一ばんいゝの。それはね、或ところへいくと、小さな/\赤ちやんが、いくたりも眠つてゐるお池があるのよ。かわいゝ、小さな、赤ん坊たちは、そのお池の中で、大きくなつてからはとても見られない、きれいな/\夢を見てゐるの。
人間の父さまや母さまは、そんな、かわいゝ赤ちやんを、ほしい/\と思ひつゞけてゐます。子どもたちも、どうか早く、さういふ小さな弟や妹が来ればいゝのにと思つて待つてゐるのです。
だからこれからはみんなで、そのお池へ飛んでいつて、かわいらしい赤ん坊を、あのいやな謡をうたはないで来た子どもたち、私たちをあざけり笑はないで来た子供たちのうちへとゞけてやりませうよ。」
「では、あの一ばんにくたらしい小僧のことはどうするの?」と子鳥たちは叫びました。
「あの子のうちへは、死んだ赤ん坊をくれてやればいゝのよ。お池の中に一人、死んでゐる子がゐます。夢を見ながら、すや/\と永久に眠りこんでしまつた子がゐます。それをあの子にやりませう。
あゝ、それから、いゝ子が一人ゐたね。ほら、あの子よ。生きものをからかふのはよくないことだと言つて、一人だけ謡はなかつた子がゐたでせう? ピーターといふ子ね。あの子のおうちへは、男の赤ちやんと、女の赤ちやんと、二人を一しよに持つていつてやりませう。それから、お前たちには、まだ名まへがついてゐないから、あの子の名前を取つて、四人ともみんな、ピーターといふ名前にしませうよ」と、鴻の鳥のお母さまが言ひました。
お母さまは、すべて、言つたとほりをしました。
四人の子鳥も、みんなピーターといふ名前になりました。今でも四人はやつぱり、ピーター、ピーターでとほつてゐます。
マイアの冒険
一
或森のまん中の、小さなきれいなお家に、女の人がたつた一人で住んでゐました。
その女の人は、一年のうち、お日さまのあたゝかい光がさす間は、毎日木の上に来てなく小鳥と、お家のまはりにさくいろ/\の花になぐさめられて、一人でゐても、ちつともさびしいとは思ひませんでした。
しかし、そのうちにだん/\に冬が来て、雪がこん/\ふりつもり、食べものにうゑた狼が、夜どほし、うなつてさまよひまはるようになりますと、そんなところに一人ぼつちでゐるのがさびしくてさびしくてたまりませんでした。
女の人は、そんなときにはつく/゛\と、
「あゝ、私にたつた一人でも子供があるといゝのに。さうすれば二人でお話をしたりして、どんなにでも楽しく過していかれるものを」と、思ひながら、小さくもえる火のまへに、しよんぼりと坐つてゐました。
それから、雪がいよ/\深くなつて来ますと、女の人は、なほ/\心細くなつて、しまひには一人でしく/\泣きました。
或冬のま中に、女の人は、とう/\たまらなくなりました。それで、だれか子供のたくさんある人にお金をやつて、一人もらつて来るか、それが出来なければ、どこかで子供を借りて来ようと思つて、或日、とぼ/\と、村の方へ出かけました。
しかし、雪がどつさりつもつてゐるので、一足々々歩くのが、中々たいへんでした。
「これでは、家のあるところまでいかないうちに、とつくに日がくれてしまひさうだ。」
女の人は、しばらくするとかう思つて、途中に立ちどまつて考へてゐました。
さうすると、じき目の前の木のかげから、先の長くたれた帽子をかぶつた、小さな/\小人のお婆さんが、のこ/\出て来ました。
お婆さんは、女の人を見るなり、
「まあ/\、あなたは、こんな雪の中をどこまでいらつしやるの?」と聞きました。
女の人は、
「ちよつと村まで出たいと思ふのですが、これではとても、日のある中にいけさうもないので、どうしたらいゝかと、迷つてゐるところです」と、言ひました。
「一たい何の御用でお出かけになるのです? よつぽどお急ぎの御用ですか。」
「いゝえ、べつに急ぐことでもないのですけれど、森の中にたつた一人でゐるのがさびしくてたまりませんから、どこかで子供を一人もらつて来ようと思ふのです。それは、もう、小鳥の卵のような小さな/\子でもようござんすから、だれかくれる人はないでせうか。」
「ふうん、そんなことなら、わざ/\向うまでお出でにならなくても、私がちやんといゝものを上げませう。」
小さな/\お婆さんはかう言ひながら、着物のかくしから、麦の粒のようなのを一粒取出して、
「これを三円で分けて上げますから、おかへりになるとすぐに植木鉢の中へまいて、二三日の間、せい/゛\、水をやつてごらんなさい。きつといゝことがあります」と言ひました。
女の人は、それを聞くと、たいそうよろこんで、すぐに、お金をはらつて、買ひ取りました。
そしてお家へかへると、さつそく、言はれたとほりに鉢の中へまいて、お部屋の中の、なるべくあたゝかいところへおきました。そして、たえず水をたつぷりやつて、二日の間夜昼となく、一生けんめいに見つめてゐました。
三日目の朝おきて見ますと、その鉢の中には、女の人が夜寝てゐた間に、つぼんだ赤いちゆうりつぷの花が一つ、青い葉のまん中から延び出てゐました。
女の人は、
「あら、まあきれいな花だ」とよろこんで、思はずその花へ、そつと頬ずりをしました。
すると、それと一しよに、つぼんだ赤い花がぱつと開きました。
その花の中には、一寸ばかりの、それは/\かわいらしい、小さな/\女の子が坐つてゐました。そして、女の人の顔を見るなり、もう先からこの人の子でゝもあつたように、にこ/\笑つて両手をさしのべました。
そのときの女の人のよろこび方と言つたら、もう、何とも、たとへようがないくらゐでした。
「まあ/\、これで私もすつかりさびしくなくなつた。あゝ、さうか/\、お手てを出して私にだつこをされようといふの。ぢや、待つていらつしやい。今ちやんとよくして上げるから。」
女の人は、自分のいふことが、その子にすつかり分りでもするようにかう言つて、立つていきました。そして、どん栗の実を二つに割つて、その片方の殻の中へ、小さな白いびろうどの布をふつくらとしいて、その中へ、その小さな/\女の子を入れて、手の平にのせました。
女の子は、にこ/\笑ひながら、あんしんして、そのまゝ目をつぶつて、すや/\と寝入つてしまひました。
女の人は、その子に、マイアちやんといふ名前をつけました。そして夜は、殻ごと、そつと椅子の上にのせて、自分の寝床のそばにおいて寝ました。
あくる日になりますと、女の人は、どうかしてその子をおもしろくあそばせてやりたいものだと、いろ/\に考へた末、大きな水鉢に水を一ぱい入れて、その中へ木の葉を一まい浮かせて、その上へ女の子を乗せました。そして、白い馬のしつぽの毛を二本切つて、かいの代りにわたしました。女の子は大よろこびで、一日中その木の葉の舟をこぎまはしながら、何のことだか分らない言葉で、やみまなしに、いろんな歌をうたひました。
女の人は、たゞもうにこ/\して、何もかも忘れて、その子のうれしさうなお顔ばかり見つめてゐました。そして、世の中に、こんなかわいゝ、いゝ子は、二人とゐやしまいと思ひました。
二
二人はそんなにして、いく月かの間、楽しく/\くらしてゐました。すると或晩、たいへんなことがもち上りました。
女の人は、その日は、いちんち、女の子のそばでお針をしたので、夜になるとくたびれて、お寝床へはひるとすぐに、ぐつすり寝入つてしまひました。
すると、間もなく、びしよ/\にぬれた、気味の悪い、大きな、ぶざまな蛙が一ぴき、のそ/\と窓からはひつて来ました。
その蛙は、小さな/\マイアが、小さな/\お寝床の中で、すや/\と眠つてゐるのを見ると、
「おや/\、まあ何といふかわいらしい子だらう。これは私の息子のお嫁に、ちようどいい。どら、さつそく、もらつていきませう」と、言ひながら、いきなりそのどん栗の殻ごと口にくはへて、ぴよん/\飛んでかへりました。
それは、蛙のおふくろでした。
その蛙のお家は、じきそばの泥沼の中にありました。
いやな蛙のおふくろは、その沼のふちまでかへりますと、
「おい/\来てごらん。ほら/\、こんなかわいゝお嫁をもらつて来たよ」と、小さな声で、わかい息子の蛙をよびました。小さなマイアは何にも知らないで、まだすや/\と眠つてゐました。
子蛙は泥水の底から浮き上つて、マイアのお顔をのぞくなり、
「おゝ、きれいな女の子だ。これを私のお嫁にしてくれるの? おゝうれしい/\、ぐわつぐわつ、ぐわつ/\」と、大きな声を立てゝおほさわぎをしました。
「これ/\、しづかにおし。目をさまされるとたいへんぢやないか。この子は、御婚礼のしたくが出来るまで、どこかへおしこめておかなければ。」
おふくろはかう言ひながら、しばらく考へてゐましたが、間もなくまた殻ごと、口にくはへて、近くの小川へとんでいきました。
そして、殻をちつともぬらさないように、上手に水の中を泳いで、その流れのまん中に浮んでゐる、すいれんの葉の上へ、そつと乗せておきました。
三
小さな/\マイアは、あくる朝、お日さまの光りがさすと一しよに目をさましました。 すると、じぶんはいつの間にか、お寝床のまんま、川のまん中へつれて来られてゐたので、びつくりしてはねおきました。
そのはずみに、すいれんの葉がゆら/\とゆれて、もう少しのことで、あぶなく、寝床ぐるみ、水の中へ落ちるところでした。
マイアはまつ青になつて、どん栗の殻につかまりました。そして、泣声を上げて、
「お母ちやまあ。お母ちやまあ」とよび立てました。
しかし、いつまでよんで見ても、だれも出て来てはくれませんでした。さうかと言つてにげ出さうと思つても、流れのまん中にゐるのですから、どうすることも出来ません。
かわいさうに、小さな/\マイアは、しまひには、びろうどのお蒲団の中にお顔をうづめて、一人でおい/\泣いてゐました。
すると、昨夜の蛙のおふくろが、その泣声を聞きつけて、びつくりしてかけ出して来ました。
おふくろは、さきほどから泥沼の底のお家の中で、お嫁をむかへる仕度に、やはらかいあしの葉を畳のかはりに、お部屋中へしきならべたり、わかい野ぶどうの蔓を戸口へずらりとつるしたりして、息子と二人で一生けんめいに、はたらいてゐたところでした。
このおふくろは、見かけはいやな蛙ですが、人はごくやさしいお婆さんなので、小さなマイアが流れのまん中でおい/\泣いてゐるのを見ると、
「おゝ、かわいさうに。私があんなところへ置きざりにしたのが悪かつた。おゝよし/\さびしかつたのだらう。もう、お仕度もたいてい出来上つたから、今にむかへにいつて上げるよ」と、こちらの岸から、なぐさめて行きました。そして、心の中で、
「今に私のわかいきれいな息子を見ると、ひとりでにこ/\お笑ひだよ。あんな、りつぱな息子は、どこをさがしたつてありやしないんだから」と、かう思ひ/\かへつていきました。
マイアは、さう言はれても、やつぱり顔を伏せて泣いてゐました。ですから、それが蛙のおふくろだといふことも分らないでゐました。
やがて、おふくろは、その息子の蛙をつれて出て来ました。
そして二人で、どぶんと流れにとびこんで、小さな/\マイアのそばへ泳いで来ました。
おふくろは、水の中から顔をつき出して、
「おい/\おまへさん、もう涙をおふきなさい。お前さんはこれから、この人のお嫁になるのですよ。ごらんなさい、ほうら。いくらお前でも、こんなきれいな男の子を、見たことはないでせう。」
かう言つて、一人で得意になつて、息子の蛙を引き合せました。
マイアは、泣き/\顔を上げて見ますと、男の子といふのは、いやな/\蛙の子だつたので、一と目見るなりびつくりして、
「うわあ」と、大声を上げて泣き出しました。
すると水の中にゐた魚たちが、
「おや、何だ/\」と言つて、みんなで寄つて来ました。
「おい/\、何だと思つたら、あのかわいらしいきれいな女の子を、あの蛙の婆さんが、あのでんぐり目の息子のお嫁にしようと言ふんだよ。」
「それは乱暴だ。たゞの蛙の子だつて、あんなやつのお嫁になれと言へば、びつくりして泣き出すよ。よし、いゝことがある。みんな、あの下へ、もぐれ。」
魚たちはかう言つて、小さな/\マイアが乗つている葉の下へもぐりこみました。そして水の底へ着くが早いか、そのすいれんの茎を、根もとからがり/\かみ切つて、みんなでその茎を口にくはへて、大急ぎで、どん/\川下の方へ泳ぎ出しました。
蛙二人はマイアが浮葉の上に乗つたまゝ、急にどん/\流れ出したので、びつくりして、「おや/\/\、あぶない/\」と言ひながら、大あわてにあわてゝ、ばた/\と追つかけました。
魚たちは、
「何を」と言ひながら、水の下をぴゆー/\走つて、またゝく間に、遠くの方へはこんでいつてしまひました。そしてその流れが、大きな河へそゝぎこむところまで持つて行つて、そこから、ぴよいと、そのすいれんの葉を、その大河へおし流しました。
小さな\/マイアは、これでまづ第一に、いやな蛙たちから遁れたので、ほつと、あんしんしました。そのつぎには、広い大きな河の中を流れて行くのが、おもしろくて/\、思はず手をたゝいてよろこびました。
どん/\どん/\流れていくうちに、両がはの岸には、間もなく、大きな家がぎつしりつゞいて立ち並んでゐました。
河は大きな町のまん中へ来たのでした。
すると、たちまち、おほぜいの人たちが、葉つぱの上に乗つて流れていく、小さな/\マイアを見つけ出して、
「おや/\、あすこに小さな/\女の子がゐるよ。」
「おゝ、きれいな女の子だ。どこから流れて来たのだらう。おい見ろ/\。あすこんとこだ、あすこんとこだ」と言つて、わい/\さわぎたてました。
こんどは両側が、青い森になりました。
するとその森の中の小鳥が、小さなマイアを見つけて、
「おゝ、かわいらしい女の子だね。ちい/\/\。」
「おゝ、きれいな子だね、ちい/\ちい/\。」
とみんなで出て来てさわぎました。
そのうちに或一ぴきの蝶々が、マイアを見て、そのきれいなのにびつくりして、思はず側へとんで来て、マイアとならんで、どこまでもどん/\とんでいきました。
マイアは、じぶんの帯飾りの紐をといて、その蝶々のくびへくゝりつけました。蝶々は空中の馬のように、どん/\舟をひいて走りました。
そのうちに、河の上をとびまはつてゐた一人のぶん/\虫が、それを見つけて、いきなり、ぶうんと飛んで来ました。そして、その六本のかさ/\の黒い足で、ぐいとマイアを引つ抱へるなり、ぶん/\ぶうんと、岸の方へさらつていつてしまひました。
蝶々は、一しよに引つぱられていきながら、ばた/\、もがき狂ひました。
そのさわぎで手綱は、間もなく、ぷつりと切れました。ですから蝶々は、やつと命からがらにげ出しましたが、一人マイアだけは、とう/\森の木の上にある、ぶん/\虫のお家までつれていかれました。
ぶん/\虫は、めづらしいものをつかまへて来たので、一人で大よろこびをしながら、そこいらの色んな花から蜜を集めて来て、それをお午御飯にくれたりして、一生けんめいにマイアのきげんを取りました。
しかしマイアの方では、ぶん/\虫のまつ黒な姿が怖くて/\、いつまでもぶる/\ふるへてゐました。
ぶん/\虫はそれを見ると、
「では、女どうしがいゝだらう」と言つて、さつそく、じぶんの妹を二人よんで来て、
「この小さな女の子をあそばせてやつておくれ」と言ひました。
おてんばのぶん/\虫たちは、マイアを見るなり、
「まあ、どこからこんないやなむしをひろつて来たの。ごらんなさい、足だつてたつた二本しかないぢやありませんか。」
「あら、いやだ。さういへば角も持つてやしないのね。こんな気味のわるい片輪を、わざわざつかまへて来るなんて、お兄さんもずいぶん物好きね。」
二人で代る/゛\こんなことを言ひながら、きやつ/\と大笑ひをしました。
さつきからのぶん/\虫も、なるほど、さう言はれて見れば、全く変は変ですから、「ぢや打つちやつてしまはうか」と言ひながら、すぐにまたマイアをぶら下げて、その木の下にさいてゐる、ほたるぐさの花の上においていきました。
四
マイアは、しかたなしに、一人でこそ/\下へ下りて、そこに生えてゐる、うまごやしの葉を屋根にして、その下へ、小さな草の葉で寝床をこしらへました。そして、とう/\一夏中、一人で、そこに、くらしてゐました。
マイアは、ぶん/\虫のことを見てゐましたから、それを習つてお腹がすくと、花の蜜を取つて食べました。
草の間の小さな壺なりの花には、いつも、きれいな露の飲み水がたまつてゐました。
しかし、日ざしの黄色い夏は、さういつまでもつゞきませんでした。間もなく、まづ、すべての花が一ばんさきに、しぼんで来ました。それからだん/\に、露のかはりに霜が下りました。
マイアはそれを見て、どうしたらいゝだらうと、おど/\し出しました。
だつて、第一に、着てる着物がもうぼろ/\にすり切れてゐるので、寒くて/\たまりません。それで葉つぱをひろつて、からだにまいて見ました。しかし、その葉はみんな、もう、かさ/\に枯れてゐるので、指がさはるたんびに、片はしから、ぼろ/\くづれてしまひました。
そのうちに、雪がふり、氷が張りました。
マイアは、もう、一ときも早く、どこか、食べものゝある、そして風の通らない、あたゝかなお家へはひらないと、今に飢ゑこゞえて死んでしまふのが目に見えてゐました。
ですから、とう/\思ひ切つて、その森を出ました。そして今は、もはや、切株の根もとばかりならんでゐる、いてついたはたけの中を、一人で、うろ/\さまよひ歩きました。どちらを見ても、たゞかち/\の冷たい土と、にごつた灰色の空ばかりが、さびしく広がつてゐました。
マイアはその中を、寒さにふるへながら、どこといふあてもなく、とぼ/\歩いてゐますと、やがて、ふと目の前に、ちよつとした穴があいてゐました。
マイアはその穴の中をのぞきながら、
「あゝ、この中へはひれば、あたゝかいにちがひない。中には、どんな人が住んでゐるのか知らないけれど、たのんだら何か食べさせてくれるかもしれない。何にしても、かうして歩いてゐるよりか、よつぽどましだ。」
かう思つて、少し怖いけれど、思ひ切つて、ずん/\その穴の中へ、下りていつて見ました。
すると間もなく、片側に部屋が一つありました。ちようど戸口が開けつぱなしになつてゐたので、そこのところからのぞいて見ますと、その部屋は、食べものゝお倉で、中にはとうもろこしや麦の粒が、一ぱいはひつてゐました。
マイアはそれを見ると、にはかに元気づいて、急ぎ足で、もつとずん/\向うへ行つて見ました。そのつぎには、小さなお台所がありました。その中には、一人のお婆さんの野鼠が、一生けんめいにぱんのお菓子を焼いてゐました。
お婆さんは、マイアのような、小さな/\きれいな女の子を見たのははじめてでした。
「おや、まあ、かわいらしい女の子だこと。さあ、こゝへ来ておあたりなさい。どら/\、おお冷たいお手だ。早くこゝへかけておあたりなさい。何だか、たいそうしを/\してるぢやないの? お前さん、お腹がすいたんでせう? さうにちがひない。さあ/\、これをお上がり」とほんとうのお祖母さんかなぞがいふように、しんせつにかう言つて、焼きたてのおいしいお菓子を分けてくれました。
マイアは、もう、うれしくて/\、ひとりでにほろ/\泣けて来ました。
それから涙をふいて、お菓子を食べると、にこ/\笑つて、お婆さんのお膝へお手をおきました。
「お前さん、お話が出来る?」と、お婆さんは聞きました。
「私にいろんなおもしろいお話を聞かせておくれなら、冬中こゝにゐてくれてもいゝんだけれど。──またお日さまがあたゝかくなるまで、こゝにゐて、家のことを、手伝つておくれな。」
マイアはそれを聞くと、ほく/\よろこんでお婆さんの、お手をとりました。
お話ならお家にゐるときに、母さまのかはりの、あのをばさまから、いろんなお話をどつさり聞いて、それをみんなおぼえてゐます。
その上に、じぶんの今日までのことを話したつて、長い/\お話になります。お家を出てからといふものは、それは、もう、いろんな目に会つて来たのですもの。
それから、家中をふいたり、はたいたりすることも、ちやんと、をばさまがしてゐたのを見てゐました。
マイアは、そのあくる日からは、毎朝早く一人でおきて、お婆さんが何にもしないでもいゝように、お部屋中をきれいにして、すべてのものを、きちんと片づけておきました。
そんなにして、寒い冬もだん/\過ぎていきました。
マイアは間もなく、じきまた、あたゝかい光がさすのをまちうけながら、さうなつたらまた世間へ出て、いゝ運をひろひたいものだと、お婆さんにも話しました。
「でもそれはまだ中々です。もうしばらくは、それどころではない。ま冬をこしてからがかへつて、どつと寒くなるものです。まだこれで、今日まではあたゝかかつた方だ。これから一しきり、どん/\雪がふるんですよ。さうなつてごらん。かうしてぢつと穴の中にはひつてゐるといふことが、どんなにありがたいか。でもお前さんたちのような若い人には、すいぶんたいくつかもしれないけれど。」
お婆さんはかう言つたあとで、急に思ひ出したように、
「あゝ、さう/\、それつてば、今におとなりのもぐらのをぢさんが出て来ますよ。どうぞ御遠慮なく、話しに入らつしやいつて私がよんで上げたの。をぢさんはもう、いく月かの間、ぐう/\寝てくらして、やつと一昨日だか目をさましたばかりなのよ。それがいつもあの人たちのおきまりなんです。
あのをぢさんが、お前さんをお嫁にもらつてくれると、第一お前さんが何より仕合だけれどね。
でもあの人は、ほかに申しぶんはないけれど、気の毒なことにお盲目さんなんだからね。かんじんな目がつぶれてゐちや、いくらお前さんがきれいでも、見ることが出来ないでせう。見ないぢや、どんなにきれいだか分らないからね。」
マイアは相手が盲目で、まあよかつたと心の中で思ひました。だつて、今お婆さんが言つたとほりだとすると、出て来ても、お嫁にくれとは言はないでせうから。──もぐらみたいなものゝお嫁なんぞに、誰がなるもんですか。
五
しかし、そのうちに、もぐらは、出て来るには来ました。
マイアは一目見るとから、いやな人だと思ひました。
それは、お金はうんと持つてゐるらしく、又、物も人一倍よく知つてゐるようですけれど、そのかはり、何よりもいけないことは、この人は、お日さまが大きらひで、それからマイアの一とうすきな、花や青い空や、立木なぞも、みんな、すかないといふのです。
盲目だから、そんなものも見たことがないのです。そして、世間の多くの人と同じようにじぶんの知らないでゐることは、知らないでも当り前のように思つてゐるのでした。
けれどももぐらの方では、マイアが野鼠のお婆さんに話して聞かせる、いろ/\のお話を聞いて、心の中では、たいそう面白いと思ひました。
又、マイアが謡をうたひますと、ほんとにこの女の子はいゝ声だと感心しました。
しかし、そんなことは、ちつとも顔に出さないばかりか、口の先では、
「何だ、その謡は。花だの花園だのつて。ふん、くだらない」と、鼻で笑つて見せました。
「それよりもね、マイアさん」と、もぐらは、あらたまつて、
「私は、私の家からまつ直にこゝへ来られるように、長い廊下を掘つたから、たいくつしたら、その廊下へ出て歩いてごらん。たゞね、その廊下の途中に、何だか、大きな死骸がころがつてゐるから、びつくりしないように。だれの死骸だか、上の穴から落ちこんで来たものらしい。」
「まあ。──どんな人でせう?」
マイアはその人のことを気の毒がつて、聞きました。
「さあ、どんな人つて私には言へないが、とにかく、からだ中には、やはらかいものをすつぽり着て、それから、かち/\の細い足が二本ついてると思つた。あゝ、そして、顔の先が尖つて、そこんところに、長い固いものが出つぱつてたようだ。」
「あら、ぢやあ、きつと、小鳥ですわ。私は、小鳥なら大好きです。まあ、かはいさうに、寒さにこゞえて死んだのでせうね。」
マイアは急に声を落して言ひました。
「をぢさん、どうぞ、つれてつて見せて下さいな。」
「ぢや、お出で。私ももう、そろ/\かへらなくちや。──どうです、お婆さんも来てごらんなさいよ。」
もぐらはかう言つて、お婆さんをもさそつて、三人で出かけました。
「ほうら、こゝにゐた。ね、ほら。冷たくなつて死んでゐる。ほんとに私たちは小鳥なんぞに生れなかつたのが、どんなに仕合せだか。こいつらは、たゞ、ちい/\と飛びまはるきりで、ちよつと寒くなるとすぐにこれだ。」
「まあ、かはいさうに」と、鼠のお婆さんは、ため息をしました。
マイアは、二人がそんなことを言つてる間に、その小鳥の向うがはへ廻つて、一生けんめいに、その冷たい羽根をさすりました。そしてその閉つた目の上に口をあてました。
それは小さなつばめの死骸でした。
マイアはその晩は、夜つぴて眠れないで、もぐらの廊下に死んでゐる、その、あはれなつばめのことばかり考へつゞけてゐました。
とう/\しまひに、マイアは、もう、ぢつとしてゐられなくなりました。
それで、むくりと起き出て、暗がりの中をさぐり/\、まづ、乾草のしまつてあるところへいきました。そしてその乾草をあんで、厚い蒲団をこしらへました。それから、お婆さんが綿をしまつておいたところへいつて、それを抱へられるだけかゝへて、例の廊下へ出かけました。
その綿といふのは、鼠のお婆さんが、夏の間に、沼に生えた草の穂から、かり取つて来た綿です。
マイアは、その綿を、つばめの冷たい体の下へ、どん/\突つ込んで、それから、からだの上へ、さつきの蒲団をひろげてかけました。
「冷たい/\つばめさん、あなたはきつと、夏のうちに、私たちに謡をうたつてくれたあのつばめたちの一人でせう?だから私どうかして生きかへらせて上げたいわ。」
マイアは、その死骸の胸に顔を押しあてゝ、一人でほろ/\泣いてゐました。
さうすると、やがてふと、頬の当つてゐるところが、かすかにぴく/\動いたような気がしました。
「おや、それではこの人はすつかり息がたえてゐるのではなくて、たゞ寒さのために、一時気が遠くなつたゞけではないのかしら。」
マイアはさう思ふと、にはかに元気づいて、大急ぎでお家へ走つてかへりました。
そして小麦の粒を一つかみ、水の枯れた木の葉に入れて持つて来ました。そしてつばめの口もとへまづ、水をつきつけて見ますと、つばめは間もなく、半分むちゆうで、くちばしをあけて、その水を、少しづつ飲みはじめました。
マイアはそれを見ると、とび立つほどよろこんで、こんどは小麦を一粒づゝ、しづかに口に入れてやりました。
「それぢや、つばめさん、ぢつとやすんでいらつしやいな。さわぐと人が出て来ますからね。もう少したつたら、私がまた食物を持つて来て上げます。
それから、もぐらさんにさう言つて、この上の穴をつぶしてもらひませう。あすこがあいてゐるので、すいぶん寒いわ。」
マイアほかう言ひながら、まづ一あんしんして、そつと、野鼠のお婆さんのそばへかへつて来ました。
お婆さんは、やつぱり、ぐう/\寝入つてゐました。
つばめはいく日かの間、マイアから一生けんめいに介抱してもらひました。そのおかげで、だん/\に元気づいて、後には、はつきり口もきけるようになりました。
マイアは、つばめから、すべての話を聞きました。
そのつばめは一ばんはじめ、まだ、ろくにとび歩きも出来ないじぶんに、野ばらの茂みに引つかゝつて、片つ方の羽根にけがをしたのでした。
ですから、冬になつて、家中の人や仲間のみんなが、あたゝかい国へ立つていくときにこのつばめだけは、ずん/\ついていくことが出来ませんでした。
みんなは、一生けんめいにとんでゐるので、このつばめが一人、あとに後れ/\してゐることには気がつきませんでした。
その中に、こちらはとう/\つかれはてゝ、ばたりと下へ落ちてしまひました。そして多分、もがき、ころびしてゐるうちに、もぐらの廊下の上の、あの穴から落ちこんだものと思はれます。
もぐらは、はじめから、このつばめを、もう、とつくに死んでゐるものとばかり思ひこんで、あざけり笑つてゐました。
野鼠のお婆さんも、まさかこの人が急に息を吹きかへさうとは思ひませんでした。
つばめに取つては.それが、かへつて大きな幸でした。
六
やがていよ/\春が来ました。太陽の光は、どん/\あたゝかになり、森にはひやしんすや桜草が伸びて来ました。
つばめは今はもう、羽根もだん/\になほり、からだもすつかり元気になりました。
或日つばめはマイアに言ひました。
「私は全くあなたのおかげで、命びろひをしました。しかし、もう、これであなたにもお別れしなければなりません。
さういへば、あなたゞつて、いつまでもこんな陰気な牢屋のようなところにゐないで、もつと気のきいたところへいつてはどうです。私が背中に乗せて、どこへでも飛んでいつてあげます。ね、さうおしなさいよ。」
マイアはそれを聞くと、思はず、目を、かゞやかせました。
しかし、すぐに考へなほして、
「でも私はだめです。どうぞ一人でお立ちになつて下さい。だつてあの鼠のお婆さんは、あんなに私によくしてくれてゐるんですもの。それだのにあのお婆さんを、たつた一人残して、私だけ勝手に出ていくのは、あんまりです。しかしあなたは一人で土がお掘れになりますか」と、マイアは第一に、それを心配して聞きました。
「お堀れになりますの?では今すぐにこの上のところへ穴をお開けなさい。お婆さんは今夜はもぐらのをぢさんをよぶのだと言つて、今一生けんめいにごちそうの支度をしてゐますから、今お堀りになるなら見つかりはしません。
お婆さんが見つけると、どんなことをするか分りませんよ。」
つばめはかう言はれて、すぐに廊下の天井に飛びかゝり、飛びかゝりして、くちばしで、そこへ少しづつ穴をあけていきました。
間もなく、まつ暗なその廊下へ、上から黄色い明るみが、大水のように流れこんで来ました。
「そうら出口が開いた。どうです、思ひきつて一しよにいらつしやいよ」とつばめは言ひました。
「だつて、お婆さんに悪いから」と言ひながら、マイアは、わく/\する胸の動悸をおさへて、その穴のところから、こひしい/\お日さまの顔を仰ぎました。
マイアはそのとき、たつた一目見たきりで、その後ずいぶん長い間、二度とお日さまのお姿を見ることが出来ませんでした。
それはこの世の中に太陽がないのも同じでした。
それといふのは、穴の上の畑には、間もなく、一面に、作物が、青く、ぎつしり伸びて、すつかりお日さまをさへぎつてしまつたからです。
マイアは、あのとき、つばめのいふとほりを聞いて、一しよにつれていつてもらはなかつたことを、毎日々々、どんなに後悔したか分りませんでした。
でも、心では、それを悔みながらも、からだは片時もなまけてはゐられませんでした。
野鼠のお婆さんは、いよ/\近々に、マイアをもぐらのをぢさんのところへお嫁入りさせるのだと言つて、そのときの衣裳をこしらへるために、朝から晩まで、すき間もなく、マイアに毛糸や木綿の糸をつむがせました。
しかし鼠のお婆さんは、生れて着物を織つたことなぞは一度もないものですから、仕方なしに、腕きゝの蜘蛛を四人、昼の間だけ土の下に来てもらつて、せつせとはたを織つてもらひました。
マイアは、そのいゝ着物が出来ることだけは、うれしくて/\たまりませんでした。
しかし盲目のもぐらのお嫁になるといふことは、考へるだけでも、吐き出したいように厭でした。
けれどもお婆さんが、しじゆう側についてゐるので、にげ出してしまふことも出来ません。
マイアは、毎日夕方に、四人の蜘蛛がお家へかへるとき、いつも一しよに穴の戸口までついていきました。そしてそこに立つて、たまに風が、上の畑に茂つた葉を吹き分けてくれるのを待つてゐました。葉が分れるはずみに、どうかすると、こひしい外の世界の空がちらりと見えました。
七
マイアは、びつくりして、わつと泣き出しました。
「まあ、お前さんは何てばかでせう。それでは世の中の、まぬけ娘たちと同じぢやありませんか。お前さんには、私が、あれほど一生けん