アンデルセン童話集

                      鈴木三重吉 訳



アンデルセンのこと、なぞ

 ハンス・アンデルセンは一八〇五年(ねん)(今(いま)から百二十二年前(ねんまへ))に、デンマークの、オデンスといふ町(まち)の、靴屋(くつや)の子(こ)に生(うま)れ、一八七五年(ねん)に七十さいで亡(な)くなつた、又(また)と得(え)がたい、天才的(てんさんてき)な作家(さつか)です。家(うち)は貧乏(びんぼう)でしたけれど、いろ/\の人(ひと)からのたすけで、とう/\大学(だいがく)まで卒業(そつぎよう)しました。それから間(ま)もなく、政府(せいふ)から費用(ひよう)をもらつて、イタリイ、ギリシヤ、スペイン、スウエーデン等(とう)をまはり、それによつて、二十六から三十二の年(とし)までの間(あひだ)に、三冊(さつ)の、異彩(いさい)にかゞやいた旅行記(りよこうき)をかきました。同時(どうじ)に、一方(ぽう)では小説家(しようせつか)として立(た)つて、有名(ゆうめい)な「即興詩人(インプロヴイサトーレン)」などの名作(めいさく)を出(だ)しました。童話(どうわ)は、一八三五年(ねん)(三十の年(とし))に第(だい)一集(しゆう)を出(だ)したのがはじめで、それから三年後(ねんご)に第(だい)二集(しゆう)、なほ七年後(ねんご)に第(だい)三集(しゆう)を出(だ)し、引(ひ)きつゞき千八百七十二年(ねん)(六十七の年(とし))までに、数年(すうねん)おきに、つぎ/\にいろ/\の童話(どうわ)をまとめて出(だ)しました。
 アンデルセンは、そのほかに詩(し)も作(つく)り、いろ/\の戯曲(ぎきよく)をもかきましたが、さういふものよりも、一とう傑出(けつしゆつ)した名作(めいさく)は、その多(おほ)くの童話(どうわ)で、これはすでに存命中(ぞんめいちゆう)から、方々(ほう/゛\)の国語(こくご)に訳(やく)されて、世界的(せかいてき)に評判(ひようばん)され、愛着(あいちやく)されたものです。童話(どうわ)の作家(さつか)としては、全(まつた)く世界中(せかいじゆう)にアンデルセンの上(うへ)に出(で)る作家(さつか)は一人(ひとり)も見出(みいだ)せません。これからさきも、アンデルセンの作品(さくひん)は、永久(えいきゆう)に、宵(よひ)の明星(みようじよう)のごとくに、たゞひとつの、大(おほ)きな、悠久(ゆうきゆう)な光(ひかり)として、あこがれ仰(あふ)がれることでせう。アンデルセンの貴(たふと)さは、みなさんが、今(いま)お感(かん)じになるよりも、大(おほ)きくなられて、又何度(またなんど)もよみかへされるに従(したが)つて、ます/\はつきりと感銘(かんめい)されて来(く)るはずです。
 なほ、アンデルセンのかいた「自叙伝(じじよでん)」は、すべての自叙伝(じじよでん)の中(なか)で、一ばん純真(じゆんしん)なものとして有名(ゆうめい)です。
 私(わたし)のこの本(ほん)にをさめた十二のお話(はなし)のうち、めづらしいのは第(だい)十一話(わ)の「赤(あか)いお馬(うま)」です。これは、「きんぐとくゐーんとじやつく」といふ作品(さくひん)の、ほん訳(やく)ですが、この話(はなし)だけは、ほんの、つい近(ちか)ごろ発見(はつけん)されたもので、ありとあらゆる、つまらない小(ちひ)さな詩篇(しへん)まで集(あつ)め入(い)れた、アンデルセンの原作全集(げんさくぜんしゆう)にもはひつてゐない作品(さくひん)です。こんなうつくしい話篇(わへん)が、さういふ全集(ぜんしゆう)にも、もれてゐたと聞(き)いたら、だれでもびつくりするでせう。コーペンハーゲンの王立図書館員(おうりつとしよかんいん)のユーリウス・クラウセン氏(し)のいふところによりますと、このお話(はなし)はコリンといふ人(ひと)が集(あつ)めた、多(おほ)くの人(ひと)の自筆原稿(じひつげんこう)の中(なか)から出(で)て来(き)たもので、小(ちひ)さな十六ぺいじの紙(かみ)にかき、灰色(はひいろ)の紙表紙(かみびようし)をつけて、糸(いと)でかゞつてある肉筆本(にくひつほん)で、うすく、小(ちひ)さいためにほかの原稿(げんこう)の中(なか)にはさまつたまゝ、永(なが)い間(あひだ)目(め)につかないでゐたのださうです。字(じ)はむろんアンデルセンの手(て)であり、アンデルセンが針(はり)と糸(いと)とで、上手(じようず)に縫(ぬ)ひかゞりをしてゐたことから押(お)して、これも、じぶんで、こくめいにとぢ上(あ)げたものだらうと言(い)はれてゐます。
 この小本(こぼん)と一しよに、「旅行記(りよこうき)」とかき、括弧(かつこ)をして「ほてるにて」とかいた、小(ちひ)さな控(ひか)へ帳(ちよう)が出(で)て来(き)ました。その控(ひか)へによつて、「赤(あか)いお馬(うま)」は、千八百六十八年(ねん)にかゝれたものだといふことが分(わか)りました。同年(どうねん)にアンデルセンはドイツのエムスといふ温泉(おんせん)へ療養(りようよう)に行(い)き、六月(がつ)に、デンマークヘかへる途中(とちゆう)、同(おな)じくドイツのケルンや、アルトナに数日(すうじつ)滞在(たいざい)してゐました。この二(ふた)つの町(まち)のいづれかのほてるでかいたのです。
 アンデルセンは、デンマークヘかへつてから、この話(はなし)を、ヘエツトといふ批評家(ひひようか)に読(よ)んで聞(きか)かせました。するとヘエツトは、じようだんに、
「ほゝう、これはすつかり革命(かくめい)の童話(どうわ)だね。王(おう)さまといふ王(おう)さまがみんな死(し)ぬんぢやないか」と笑(わら)ひました。
 むろんアンデルセンは、そんなつもりでかいたのではありません。だれがよんだつて、これが、そんな実(じつ)さいの王(おう)さまなるものを侮辱(ぶじよく)する話(はなし)ととれるわけもありません。たゞ、アンデルセンが子供(こども)の気分(きぶん)になつて、かるたのきんぐや王妃(おうひ)たちを見(み)つめたときのうつくしい幻想(げんそう)をかいたまでのことで、話(はなし)の中(なか)の実(じつ)さいの事実(じじつ)としては王(おう)さまの札(ふだ)もやけたのですが、それと一しよに王(おう)さまたちは赤(あか)い馬(うま)に乗(の)つて大空(おほぞら)へ上(あが)つたのです。ですから、けつきよく王(おう)さまたちのことを、貴(たふと)くかう/゛\しく考(かんが)へうかべる、子供(こども)らしい、うつくしい幻夢(げんむ)そのものよりほかに、何(なん)の寓意(ぐうい)もこじつけられ得(う)るわけがありません。
 しかし、アンデルセンはデンマークの王室(おうしつ)にたいして、こゝろから畏敬(いけい)と親愛(しんあい)とをさゝげてゐた詩人(しじん)でしたから、ヘエツトのそのじようだんをひどく気(き)にして、万(まん)一にも人(ひと)がそんな連想(れんそう)をおこしでもしたら、暗(あん)に王家(おうけ)にたいしても申(まをし)わけがないし、じぶんの純情的(じゆんじようてき)な作品(さくひん)の中(なか)に、そんな気(き)づかひのあるものがまざり残(のこ)つては不愉快(ふゆかい)だといふので、自作(じさく)として、だいじにしまつてはおきましたが、そのまゝ、しようがい発表(はつぴよう)しないでしまつたわけです。いかにもアンデルセンらしい至純(しじゆん)な感情(かんじよう)のあらはれてゐる、おもしろい挿話(そうわ)だとおもひます。
 最後(さいご)に、この本(ほん)の十二のお話(はなし)を一(ひと)くるめにして、便宜上(べんぎじよう)、翻訳(ほんやく)と表題(ひようだい)づけてありますが、事実(じじつ)、「秘密(ひみつ)」「一本足(ぽんあし)の兵隊(へいたい)」「あひるの子(こ)」「鴻(こう)の鳥(とり)」「マイアの冒険(ぼうけん)」の六話(わ)は、背後(はいご)の深遠(しんえん)な象徴的主題(しようちようてきしゆだい)はともかく、単(たん)なる表面(ひようめん)の話(はなし)の筋(すぢ)は、小(ちひ)さなお子(こ)さんにもよく分(わか)るものなので、さういふ小(ちひ)さな人々(ひと/゛\)のために、原作(げんさく)の筋(すぢ)を平易(へいい)に分(わか)りやすくかいたものです。ほんやくといふよりも再話(さいわ)です。しかしアンデルセンの気分(きぶん)とお話(はなし)の所要(しよよう)の空気(くうき)と味(あぢは)ひそのものは、それらのお話(はなし)の逐語訳(ちくごやく)に劣(おと)らず、十分(ぶん)つたへてゐるつもりです。そのほかの七話(わ)は、ほとんど逐語訳(ちくごやく)です。たゞ、これにも、日本(にほん)との習俗(しゆうぞく)の相違上(そういじよう)、そのまゝかいては、さはりとなるような事柄(ことがら)や、子供(こども)に分(わか)りにくい表出(ひようしゆつ)なぞは、やはらげたり、はぶいたりしたのもあります。ほんやくも、子供(こども)に分(わか)る言葉(ことば)のみを使(つか)つて、しかも原作(げんさく)の感触(かんしよく)をまで出(だ)すことは、しよせん、むつかしい一(ひと)つの芸術(げいじゆつ)でなければなりません。

                         鈴木三重吉




目次(もくじ)
母(はゝ)
秘密(ひみつ)
一本足(ぽんあし)の兵隊(へいたい)
天使(てんし)
あひるの子(こ)
かゞり針(ばり)
まつち売(う)りの少女(しようじよ)
鴻(こう)の鳥(とり)
マイアの冒険(ぼうけん)
五十銭(せん)銀貨(ぎんか)
赤(あか)いお馬(うま)
「年(とし)」の話(はなし)



アンデルセン童話集



装  幀・恩地孝四郎
口絵挿画・清水良雄




   母(はゝ)

     一

 母(はゝ)が、小(ちひ)さな子(こ)どものそばに坐(すわ)つて、悲(かな)しみ、沈(しづ)んでゐました。
 母(はゝ)には、その子(こ)が死(し)ぬのではないかと思(おも)はれました。子(こ)どもは小(ちひ)さな顔(かほ)をまつ青(さを)にして、目(め)をつぶつたまゝ、つまるようないきをしてゐます。とき/゛\ためいきでもつくように深(ふか)いいきをします。母(はゝ)はそれに気(き)がつくと、なほ/\悲(かな)しさうに見(み)まもつてゐました。
 そのとき、こと/\と部屋(へや)の戸(と)をたゝく音(おと)がして、一人(ひとり)の、見(み)すぼらしい、何(なん)だか、馬(うま)に着(き)せる布(きれ)のような、大(おほ)きな布(きれ)をまとつた老人(ろうじん)がはひつて来(き)ました。寒(さむ)い冬(ふゆ)の晩(ばん)なので、そんなものでもかぶつてゐなければ、とても、たへられないのでした。部屋(へや)のそとでは、すべてのものがこと/゛\く、氷(こほり)と雪(ゆき)とにおほはれてをり、人(ひと)の顔(かほ)を切(き)りきざむような、きつい風(かぜ)が吹(ふ)いてゐるのです。
 老人(ろうじん)は、がた/\ふるへてゐます。母(はゝ)はちようど、子(こ)どもが、ちよつとの間(あひだ)しづまつたので、その間(ま)に立(た)つていつて、老人(ろうじん)に飲(の)ます飲(の)みものを、小(ちひ)さな壺(つぼ)に入(い)れて、暖炉(だんろ)の上(うへ)にのせてあたゝめました。
 老人(ろうじん)はすわつて、子供(こども)のゆり床(どこ)をゆすつてゐます。母(はゝ)はそのそばの古椅子(ふるいす)にかけて、子(こ)どもの苦(くる)しい息(いき)づかひを見(み)てゐました。
「どうでせう。なくなりはしないでせうね。神(かみ)さまは、この子(こ)をとり上(あ)げておしまひになりはしないでせうね。」
 母(はゝ)は、子(こ)どもの小(ちひ)さな手(て)を取(と)りながら、老人(ろうじん)に聞(き)きました。
 この老人(ろうじん)が、「死(し)」そのものでした。
 老人(ろうじん)は、そんなことはないと言(い)ふような、そして同時(どうじ)に、どうせ、さうなつてしまふよとも言(い)ふような、変(へん)な、うなづき方(かた)をしました。
 母(はゝ)は顔(かほ)をふせました。涙(なみだ)が頬(ほゝ)をつたはつて落(お)ちました。
 今日(けふ)で、三日三晩(みつかみばん)も寝(ね)ないで、気(き)がぼうとなつてゐた母(はゝ)は、そのとき、こくりと、ゐねむりをしました。それもたゞ、ほんの、またゝき一(ひと)つする間(あひだ)、とろりと眠(ねむ)つたゞけですが、間(ま)もなくはつと目(め)をさまして、寒(さむ)さにふるへ上(あが)ると一しよに、
「おや」と、びつくりして、あたりを見(み)まはしました。
 老人(ろうじん)がゐません。小(ちひ)さなわが子(こ)も、ゐなくなつてしまひました。
 言(い)ふまでもなく、老人(ろうじん)がつれていつたのです。
 部屋(へや)の片(かた)すみでは、柱時計(はしらどけい)がしゆう/\と変(へん)な音(おと)をたてゝゐます。と思(おも)ふうちに、重(おも)たい鉛(なまり)の振子(ふりこ)が、がたんと、床(ゆか)の上(うへ)に落(お)ちました。そして時計(とけい)はとまりました。
 母(はゝ)は泣(な)きさけびながら、子(こ)どもを追(お)つかけて飛(と)び出(だ)しました。
 外(そと)には、まつ黒(くろ)い着物(きもの)を着(き)た一人(ひとり)の女(をんな)が、雪(ゆき)の中(なか)に立(た)つてゐました。その女(をんな)が言(い)ひました。
「死(し)は今(いま)まであなたと一しよに、お部屋(へや)の中(なか)にゐたでせう。たつた今(いま)、その老人(ろうじん)は、あなたの子(こ)どもをつれて出(で)ていきました。風(かぜ)よりも早(はや)くかき消(き)えてしまひました。
 あの老人(ろうじん)は、一どさらつていつたものは、もう二度(ど)とつれてかへつてはくれません。」
「一たいどつちへいきました。どつちへ向(むか)つていつたのでせう。をしへて下(くだ)さい。さがし出(だ)して来(き)ます」と母(はゝ)は言(い)ひました。
「私(わたし)はちやんと見(み)てゐました。では、そのまへに、あなたがこれまであの子(こ)にうたつて聞(き)かせた謡(うた)を、こゝで私(わたし)に、すつかりうたつて聞(き)かせて下(くだ)さい。そのあとで言(い)つて上(あ)げませう。私(わたし)は、その謡(うた)がみんな好(す)きです。まへにも、聞(き)いたことがあります。私(わたし)は『夜(よる)』です。私(わたし)はあなたが謡(うた)をうたふたびに、あなたの涙(なみだ)を見(み)ました。」
「それではうたひます。みんなうたひます。そのかはり早(はや)く言(い)つて下(くだ)さい。後(おく)れて、あの『死(し)』に遁(に)げてしまはれてはこまります。子(こ)どもが見(み)つからなくなると、たいへんです。」
『夜(よる)』は、しいんと黙(だま)つてすわつてゐました。
 母(はゝ)は両手(りようて)をねぢつて、もだえながら謡(うた)ひました。そして、しく/\泣(な)きました。泣(な)き泣(な)き、多(おほ)くの謡(うた)をうたひました。
 しかし涙(なみだ)は謡(うた)の節(ふし)の数(かず)よりも、もつと/\多(おほ)く流(なが)れおちました。
『夜(よる)』はしまひに言(い)ひました。
「右手(みぎて)へいらつしやい。右手(みぎて)の暗(くら)い樅(もみ)の林(はやし)へ。死(し)はあなたの子(こ)どもをつれて、その林(はやし)の中(なか)へはひつていきました。」

     二

 森(もり)の中(なか)では、道(みち)が十字(じ)に分(わか)れてゐました。母(はゝ)は、どつちへいつたらいゝかと、まどひました。
 そこには、一(ひと)むらのこすもゝの茂(しげ)みがありました。冷(つめ)たい冬(ふゆ)ですから、葉(は)もなければ、花(はな)もさいてはゐません。小(ちひ)さな枝々(えだ/\)には、すつかり、つらゝが下(さが)つてゐました。
「あなたは、『死(し)』が私(わたし)の子(こ)どもをつれて通(とほ)つたのを、見(み)やしませんでしたか」と、母(はゝ)はそのこすもゝに聞(き)きました。
「えゝ見(み)ました。だけれど、私(わたし)は今(いま)にも、こゞえて死(し)にそうです。私(わたし)を胸(むね)にあてゝあたゝめて下(くだ)さらなければ、言(い)つては上(あ)げません。私(わたし)は氷(こほり)になつてしまひさうです」とこすもゝは言(い)ひました。
 母(はゝ)はこすもゝを、しつかりと胸(むね)におしつけて、あたゝめました。こすもゝのとげがはだにざく/\さゝつて、血(ち)が大(おほ)きなしづくになつて流(なが)れおちました。
 こすもゝにはそんな暗(くら)い冬(ふゆ)の夜(よる)の中(なか)で、青々(あを/\)した若葉(わかば)がどん/\出(で)て来(き)ました。そして花(はな)をも開(ひら)きました。悲(かな)しみにみちた、人(ひと)の母(はゝ)の胸(むね)は、それほどまでにあたゝかいのです。
 こすもゝは、母(はゝ)に『死(し)』の行(い)つた方角(ほうがく)ををしへました。
 いくうちに、大(おほ)きな湖(みづうみ)へ来(き)ました。そこには、船(ふね)もぼうとも何(なん)にもありません。湖水(こすい)の表(おもて)を歩(ある)くためには、まだ氷(こほり)がうすいし、水(みづ)の中(なか)を渡(わた)らうとするには、あまりに氷(こほ)りすぎてゐて、すき間(ま)がありません。それでも、母(はゝ)は子供(こども)を見(み)つけようとするからには、どうしても、こゝをわたらなければならないのでした。
 母(はゝ)はこゞんで、湖(みづうみ)の水(みづ)を飲(の)みほさうとしかけました。そんなことが、とても出来(でき)るわけはありません。それでも悲(かな)しみにあまつたこの母(はゝ)には、こんなときには、ふだん人間(にんげん)に出来(でき)ないことでも、かならず出来(でき)をふせるような気(き)がしました。
「いや/\、それはだめです」と、湖水(こすい)が言(い)ひました。
「それよりも、二人(ふたり)で話(はなし)をつけた方(ほう)が早(はや)い。私(わたし)は、真珠(しんじゆ)を集(あつ)めるのが何(なに)より好(す)きです。あなたの目(め)は私(わたし)がこれまで見(み)たことのない、それは、きれいにすきとほつた二(ふた)つの真珠(しんじゆ)です。あなたが、その目(め)を二(ふた)つとも、私(わたし)の水(みづ)の中(なか)へ泣(な)き落(おと)して下(くだ)さつたら、すぐに向(むか)うへわたして、『死(し)』がこしらへてゐる、温室(おんしつ)へ入(い)れて上(あ)げませう。『死(し)』はその温室(おんしつ)の中(なか)で、いろんな花(はな)と、いろんな木(き)をそだてゝゐます。その花(はな)と木(き)とが、どれもみんな人間(にんげん)の『生涯(しようがい)』なのです。」
「あゝ、あの子(こ)さへとりかへすことが出来(でき)るなら、何(なん)でもよろこんでお上(あ)げします。」
 母(はゝ)はかう言(い)つて、なほ一そうはげしく泣(な)きました。
 二(ふた)つの目(め)は、その涙(なみだ)で流(なが)れ出(で)て、湖水(こすい)の底(そこ)へおちこみました。そしてとう/\、二(ふた)つの真珠(しんじゆ)になりました。
 湖水(こすい)はすぐに、母(はゝ)をかゝへ上(あ)げて、ちようど羽根(はね)の上(うへ)にでも乗(の)せたように、ふはりと、向(むか)うの岸(きし)へうつしてくれました。

     三

その岸(きし)には、長(なが)さが何里(なんり)あるとも分(わか)らないような、おそろしい大(おほ)きな家(うち)がたつてゐました。だれが見(み)ても、それが建(た)てものであるか、森(もり)や、洞穴(ほらあな)のある山(やま)なのか、まるで見(み)わけがつかないくらゐです。
 それが『死(し)』の家(いへ)でした。
 でも、両眼(りようがん)をなくした母(はゝ)には、もとより、そこに、そんな家(いへ)があるのが、見(み)えるわけもありません。
 家(いへ)のまへには、一人(ひとり)の年(とし)をとつた、髪(かみ)のまつ白(しろ)な老婆(ろうば)が、歩(ある)きまはつて番(ばん)をしてゐました。
「私(わたし)の子(こ)どもをつれて行(い)つた『死(し)』は、どこにゐるでせう」と、母(はゝ)はその老婆(ろうば)にたづねました。
「『死(し)』はまだかへつて来(き)ません。あなたはどうして、こゝへ来(く)る道(みち)が分(わか)つたのです。だれにちえをかりて来(き)たのです」と老婆(ろうば)は聞(き)きかへしました。
「それは神(かみ)さまがたすけて下(くだ)さつたのです。神(かみ)さまは慈愛(じあい)にみちておいでになります。どうかあなたもなさけを持(も)つて、私(わたし)の子(こ)どものゐるところををしへて下(くだ)さい」と母(はゝ)はたのみました。
「それは私(わたし)にもわかりません。あなたにも目(め)では見(み)えません。今日(けふ)は、この家(うち)の中(なか)の、いろんな花(はな)と木(き)がしぼみました。死(し)は今(いま)にかへつて、それを植(う)ゑかへます。あなたは、人間(にんげん)にはだれでも、めい/\、自分々々(じぶん/\)に定(さだ)められた『生(しよう)がい』の花(はな)と木(き)とがあるのを、ごぞんじでせう? それ等(ら)の花(はな)や木(き)は、あなた方(がた)の見(み)てお出(い)での、たゞの植木(うゑき)と同(おな)じかつこうをしてゐますが、たゞ、ちがふのは、『死(し)』が植(う)ゑてゐる花(はな)や木(き)には心臓(しんぞう)があつて、脈(みやく)を打(う)つてゐます。その脈(みやく)のうち方(かた)を聞(き)き分(わ)けたら、多分(たぶん)これがあなたのお子(こ)だといふことが分(わか)るでせう。このほかに、まだもつと言(い)つて上(あ)げることがある。そのかはりに、一たい何(なに)を私(わたし)に下(くだ)さるのです?」
「私(わたし)はもう、何(なん)にもさし上(あ)げるものがありません。この上(うへ)は、もしあなたのために、世界(せかい)の果(は)てまででも、いけとおつしやればまゐります。」
「そんなところへいつてしまつては、何(なに)をして上(あ)げることも出来(でき)ない。それよりも、あなたの長(なが)い黒(くろ)い髪(かみ)を下(くだ)さい。それがどんなに美(うつく)しいかは、あなたにも分(わか)つてゐるはずです。私(わたし)は、あなたのその髪(かみ)が好(す)きだ。代(かは)りに、私(わたし)の白(しろ)い髪(かみ)を上(あ)げます。それでも、無(な)いよりはましでせう。」
「もう外(ほか)に、おいりになるものはありませんか。この髪(かみ)なら、よろこんでお上(あ)げします。」
 母(はゝ)は、かう言(い)つて、自分(じぶん)のうつくしい髪(かみ)をすつかり老婆(ろうば)にわたし、老婆(ろうば)の白髪(しらが)をもらつてつけました。

     四

 母(はゝ)は、その老婆(ろうば)につれられて、大(おほ)きな、『死(し)』の家(いへ)の中(なか)にはひりました。
 中(なか)には、おどろくばかりの多(おほ)くの、花(はな)と木(き)とが入(い)りみだれて、うわつてゐました。鐘(かね)の形(かたち)をした、がらすの器(うつは)の下(した)には、ひやしんすの花(はな)が、一(ひと)むれうわつてゐます。そのなかのいくつかは、さいたばかりでいき/\してをり、或(ある)ものは、やゝ、しなびかけてゐます。
 それらのすべてのひやしんすには、水(みづ)の中(なか)に住(す)む蛇(へび)がまきつき、茎(くき)には、かにがこびりついてゐます。
 又(また)そちらには、はでやかなしゆろの木(き)や、かしの木(き)や、おほばこ、おらんだぜり、花(はな)のさいたたいむといふ、香(にほひ)の草(くさ)などが茂(しげ)つてゐます。
 それらの木(き)や花(はな)には、一(ひと)つ/\名前(なまへ)がついてゐます。それがみんな、人(ひと)の『生(しよう)がい』なのでした。それをわりあてられてゐる人々(ひと/゛\)は、みんなまだ生(い)きてゐて、世界中(せかいじゆう)のすべての土地(とち)に、ちらばつてゐるのです。
 そのほか、いくつもの小(ちひ)さな壺(つぼ)の中(なか)に、大(おほ)きな木(き)が一束(ひとたば)ねにして突(つ)つこまれてゐるのもあります。壺(つぼ)が、はりさけさうになつてゐます。こちらには、小(ちひ)さな、よわ/\しい花(はな)がいくつとなく、肥(こ)えた土(つち)の中(なか)に植(う)ゑられて、まはりに苔(こけ)をおかれて、だいじに育(そだ)てられてゐます。
 目(め)の見(み)えない母(はゝ)は、あらゆる小(ちひ)さな木(き)と、小(ちひ)さな花(はな)の、一(ひと)つ/\の上(うへ)にこゞまつて、その中(なか)に脈(みやく)を打(う)つてゐる、心臓(しんぞう)のひゞきを聞(き)いてまはりました。そして何百万(なんびやくまん)といふ数(かず)の中(なか)から、とう/\じぶんの子供(こども)の『生(しよう)がい』の木(き)を見(み)つけ出(だ)しました。
「あゝ、これだ」と母(はゝ)はさけびながら、或(ある)一(ひと)つの小(ちひ)さなさふらんの花(はな)の上(うへ)に、両手(りようて)をひろげました。その花(はな)は、すつかりしなびて、青(あを)ざめはてゝゐました。
「その花(はな)にさはつては、いけません。それよりも、こゝにすわつて待(ま)つていらつしやい。もう『死(し)』は、今(いま)にかへつて来(き)ます。『死(し)』がかへつて来(き)たら、その花(はな)だけは、抜(ぬ)かせないようにおしなさい。それをぬきとるなら、ほかの花(はな)をみんなぬいてやるぞと、おどかしておやりなさい。さう言(い)へば、びつくりしてやめます。『死(し)』はこゝにある花(はな)や木(き)は、神(かみ)さまにすつかりお話(はなし)して、ぬけといふお許(ゆる)しが出(で)るまでは、たゞの一本(ぽん)も、勝手(かつて)にぬくことは出来(でき)ないのですから。」
 老婆(ろうば)がかう言(い)ひました。と、ふいに、氷(こほり)のような冷(つめ)たい風(かぜ)が、さつと家(いへ)の中(なか)へ吹(ふ)きこんで来(き)ました。
 目(め)しひた母(はゝ)は、『死(し)』がかへつて来(き)たのだと、かんづきました。
「どうして、道(みち)が分(わか)つたのです? どうして、私(わたし)よりも早(はや)く来(こ)られたのです」と、『死(し)』が聞(き)きました。
「それは、私(わたし)は母(はゝ)ですもの。」
『死(し)』は長(なが)い片手(かたて)を伸(の)ばして、母(はゝ)が見(み)つけた、小(ちひ)さなさふらんの花(はな)に、さはらうとしました。母(はゝ)はその葉(は)一(ひと)つへも、ふれさせないように、両手(りようて)を固(かた)くかざして、花(はな)の上(うへ)をおほうてゐました。
 すると、『死(し)』は、母(はゝ)のその手(て)へ、氷(こほり)をふくんだ風(かぜ)よりも、もつと冷(つめ)たい寒(さむ)い息(いき)をふきかけました。母(はゝ)の手(て)はしびれて、ひとりでにたれ下(さが)りました。
「どんなにもがいたつて、私(わたし)にはかなはないよ」と『死(し)』は言(い)ひました。
「でも神(かみ)さまならばどうにでもなさる」と母(はゝ)は答(こた)へました。
「私(わたし)は、神(かみ)のお言(い)ひつけのとほりをするだけだ。私(わたし)は、神(かみ)の園丁(えんてい)だ。神(かみ)のすべての木(き)と花(はな)とを、私(わたし)はあづかつてゐる。その花(はな)を、人(ひと)のしらない国(くに)にある楽園(らくえん)にうつしうゑるのが、私(わたし)の役目(やくめ)だ。しかし、うつされた花(はな)が、楽園(らくえん)でいかに生(お)ひ立(た)つか、楽園(らくえん)が、どんなところであるかといふことは、お前(まへ)には話(はな)されない。」
「私(わたし)のあの子(こ)をかへして下(くだ)さい」と、母(はゝ)は泣(な)いてたのみました。母(はゝ)は両手(りようて)でもつて、或(ある)二(ふた)つの、かわいらしい花(はな)をにぎりました。
「私(わたし)のいふことを聞(き)いておくれでないなら、このすつかりの花(はな)を、みんな引(ひ)きさいてしまふ」と母(はゝ)はさけびました。
「その花(はな)にさはるのはおよし。お前(まへ)さんは、じぶんのことを、さも、不幸(ふこう)なものゝように思(おも)つてゐるが、その花(はな)をちぎつてしまへば、ほかの母(はゝ)が、また悲(かな)しむわけぢやないか。」
「よその母(はゝ)の人(ひと)が」と、母(はゝ)はそれを聞(き)くなり、手(て)をはなしました。
「ほら、お前(まへ)の二(ふた)つの目(め)を上(あ)げよう。私(わたし)は、それを湖水(こすい)の中(なか)から取(と)つて来(き)た。その二(ふた)つの目(め)がきら/\と、水(みづ)の中(なか)でかゞやいてゐた。
 そのときには、それがお前(まへ)の目(め)であるとは気附(きづ)かなかつた。さあ、それをはめてごらん。これまでよりも、ずつとすきとほつた目(め)になつてゐる。それをつけて、あの、じきそばの吹(ふ)き泉(いづみ)の中(なか)をのぞいてごらんよ。おまへが、たつた今(いま)引(ひ)きぬかうとした、二(ふた)つの花(はな)の名前(なまへ)を言(い)つて上(あ)げよう。さうすれば、お前(まへ)が、どんなものを、さきつぶさうとしたのかゞ、よくわかる。」
 母(はゝ)は吹(ふ)き泉(いづみ)の中(なか)をのぞきました。見(み)ると、そこには、さつきの二(ふた)つの花(はな)の生(しよう)がいがあらはし出(だ)されてゐました。一(ひと)つの花(はな)は、人(ひと)の世界(せかい)への祝福(しゆくふく)でした。それこそ、はかることの出来(でき)ないほどの多(おほ)くの楽(たの)しさと喜(よろこ)びとを、まはりにひろげてゐます。それを見(み)ると、だれでも一人(ひとり)でに、よろこびにみちて来(き)ます。
 母(はゝ)は、つぎにはもう一(ひと)つの花(はな)の生(しよう)がいを見(み)ました。それは苦労(くろう)と貧困(ひんこん)と、不幸(ふこう)と凶事(きようじ)との一生(いつしよう)を見(み)せてゐました。
「しかし、これはどちらも神(かみ)のおぼしめしなのだ」と『死(し)』は言(い)ひました。
「では、さつきのどちらの花(はな)がその不幸(ふこう)の花(はな)で、どちらがこの幸福(こうふく)の花(はな)なのです?」と母(はゝ)は聞(き)きました。
「それは言(いは)はれない。たゞこれだけのことを言(い)つて上(あ)げよう。この二(ふた)つの花(はな)の、どちらか一(ひと)つが、お前(まへ)の子(こ)どもの花(はな)なのだ。あらはれてゐる二(ふた)つの生(しよう)がいの、どちらか一(ひと)つが、お前(まへ)の子(こ)どものこれから先(さき)の一生(いつしよう)なのだ。」
 母(はゝ)は怖(おそ)れに打(う)たれて、青(あを)くなつてさけびました。
「どつちが、私(わたし)の子(こ)の未来(みらい)なのです。言(い)つて下(くだ)さい。罪(つみ)のない私(わたし)の子(こ)を、救(すく)つて下(くだ)さい。あの不幸(ふこう)から救(すく)ひ出(だ)して下(くだ)さい。いつそのこと、あの子(こ)をつれてつてしまつて下(くだ)さい。神(かみ)さまのお国(くに)へ、つれてつて下(くだ)さい。今(いま)までの私(わたし)の涙(なみだ)を、忘(わす)れて下(くだ)さい、かへして下(くだ)さいと、頼(たの)み/\したのも、みんなうそです。私(わたし)のしたことも、みんなとり消(け)して下(くだ)さい。」
「お前(まへ)はわけの分(わか)らないことを言(い)つてゐる。つまり、おまへの子(こ)をとりかへしたいといふのか。それとも、お前(まへ)の知(し)らない、あの楽園(らくえん)へつれていけばいゝのか。どつちだ?」
 母(はゝ)は、両手(りようて)をつかみねぢつてもがきながら、膝(ひざ)をついて神(かみ)に祈(いの)りました。──
「あなたのおぼしめすとほりが、いつでも一ばんよいのです。もし私(わたし)が御心(みこゝろ)にさからつたことをお祈(いの)りしましたら、お聞(き)きにならないで下(くだ)さいまし。ほつておゝきになつて下(くだ)さいまし。どうぞお聞(き)きにならないで下(くだ)さいまし。」
 母(はゝ)はかう言(い)つて、頭(かしら)を、胸(むね)の上(うへ)にうなだれました。
「死(し)」は、この母(はゝ)の子供(こども)をつれて、分(わか)らない世界(せかい)へかけ去(さ)つてしまひました。




   秘密(ひみつ)

     一

 昔(むかし)、支那(しな)に或王(あるおう)さまがいらつしやいました。或(ある)ときその王(おう)さまのところへ、朝鮮(ちようせん)の王(おう)さまから一冊(さつ)の御本(ごほん)をおくつて来(き)ました。王(おう)さまは、金(きん)のお椅子(いす)におかけになつたまゝ、さつそく開(ひら)いてごらんになりました。
 するとそれは、或(ある)旅行家(りよこうか)が、こちらの都(みやこ)へ来(き)ていろ/\のところを見(み)てまはつたことをかいた御本(ごほん)でした。
 まづ第(だい)一ばんに、王(おう)さまの御殿(ごてん)の、それは/\大(おほ)きな、そして、目(め)もまぶしいほど立派(りつぱ)なことが、くはしくかいてありました。お庭(には)の中(なか)の、色(いろ)とり/゛\の、めづらしい花(はな)には、一々(いち/\)、銀(ぎん)の小(ちひ)さな鈴(すゞ)がつけてあります。それなぞも、たいそうびつくりしてかいてありました。
 それから、そのお庭(には)の一とう向(むか)うには、大(おほ)きな森(もり)があつて、その森(もり)のじき下(した)は、青々(あを/\)としたきれいな海(うみ)であること、そこを、いくつもの大(おほ)きな船(ふね)が帆(ほ)をあげて、森(もり)の緑(みどり)とすれすれに通(とほ)つていくことまで、もれなくかいてあります。
 王(おう)さまは、ふゝん/\とおうなづきになりながら、そこまで読(よ)んでお出(い)でになりました。するとそのつぎには、その森(もり)の中(なか)にゐる鶯(うぐひす)のことが出(で)てゐました。
「そこには夜(よる)啼(な)く鶯(うぐひす)が一羽(は)ゐる。その声(こゑ)の美(うつく)しさは、たとへようにも言葉(ことば)がない。だれでも王(おう)さまのお住(すま)ひを見(み)ると、その美(うつく)しく立派(りつぱ)なのにおどろくけれど、しまひに森(もり)の鶯(うぐひす)をきくと、いよ/\びつくりしてしまふ。世界中(せかいじゆう)にこれほど美(うつく)しい鳥(とり)の声(こゑ)は二(ふた)つとないであらう。」
 かう言(い)つて、その鶯(うぐひす)をほめる謡(うた)を、いくつとなく作(つく)つてならべてゐました。
 王(おう)さまはそれをお読(よ)みになると、
「はてな、おれのところにそんな鳥(とり)がゐたのかね。おれははじめて聞(き)いた」とおつしやつて、すぐに一ばん上(うへ)の、お附(つ)きの人(ひと)をおよびになりました。
 王(おう)さまは人(ひと)にお話(はな)しかけになるときには、かならずまつさきに、「ぷふう」とおつしやるのがおきまりでした。しかし、その「ぷふう」には別(べつ)に意味(いみ)があるのではなく、たゞ人(ひと)を見下(みくだ)すお気持(きもち)をあらはしてゐるだけでした。
 王(おう)さまは、
「ぷふう、見(み)ろ。こゝにかういふことが出(で)てゐる。こんな鳥(とり)がおれのところにゐるのを、なぜお前(まへ)たちは今日(けふ)までおれにかくしてゐたのだ」と、おしかりになりました。
 ところがそのおつきの人(ひと)も、いつこう知(し)らないことでしたので、恐(おそ)れ入(い)つて引(ひ)き下(さが)り、さつそく御殿中(ごてんじゆう)をかけまはつて、みんなの人(ひと)に聞(き)いて見(み)ました。しかし、だれ一人(ひとり)、これまでそんな鳥(とり)の話(はなし)を聞(き)いたものさへゐませんでした。
 それで、お役人(やくにん)はふたゝび御前(ごぜん)へ出(で)て、
「おほせの小鳥(ことり)のことはだれも存(ぞん)じてをりませんようでございます。これは、ひよつとすると、いゝかげんな作(つく)りごとをかきましたのではございますまいか」と申(まを)し上(あ)げました。
 王(おう)さまは、
「ぷふう、ばかをいへ。おれの威光(いこう)におそれてゐる朝鮮(ちようせん)の王(おう)が、そんなうそをかきつけたものをおれに送(おく)るものか。早(はや)くその鳥(とり)をさがして、今晩(こんばん)こゝへつれて来(こ)い。つれて来(こ)ないと、この御殿中(ごてんじゆう)の奴(やつ)らを一人(ひとり)ものこさずふみつぶしてしまふぞ」と、かうお言(い)ひ下(くだ)しになりました。
 おつきのものはびつくりして、みんなにそのことをつたへました。みんなは、いや、これは大(たい)へんだと言(い)つて、あわてゝ下々(しも/゛\)の召(め)し使(つかひ)にまで、一々聞(き)いて歩(ある)きました。
 すると、一ばんしまひに、お料理場(りようりば)の下(した)ばたらきをしてゐる一人(ひとり)の小女(こをんな)が、
「はい、その小鳥(ことり)なら私(わたし)も一度(ど)聞(き)きました。それは/\いふにいはれない、美(うつく)しい声(こゑ)でうたひます」と言(い)ひました。──
「いつか、私(わたくし)のいたゞきました御馳走(ごちそう)を、病気(びようき)をしてゐます母(はゝ)に食(た)べさせたいと思(おも)ひまして、お許(ゆる)しをいたゞいて、夜分(やぶん)、家(うち)までまゐりましたことがございます。そのかへりに、歩(ある)きくたびれて、あすこの、あの森(もり)のそばに坐(すわ)つて休(やす)んでをりますと、ふいにその小鳥(ことり)がうたひ出(だ)しました。私(わたくし)はそれを聞(き)いてをりますうちに、ちようど小(ちひ)さなときに母(はゝ)に抱(だ)かれて頬(ほゝ)ずりをされてゐるように、うれしくなつて、ひとりでに涙(なみだ)がこぼれてまゐりました」
と言(い)ひました。
 みんなはそれを聞(き)いて、すつかり元気(げんき)づきました。
「では、これからその鳥(とり)のゐるところへ案内(あんない)せよ。お前(まへ)にはその御褒美(ごほうび)に、後(あと)で王(おう)さまにお目(め)どほりをさせてやる。それから、身分(みぶん)もずつと引(ひ)き上(あ)げてやる。じつは今夜(こんや)、その鳥(とり)をぜひ王(おう)さまがお召(め)しになりたいとおつしやるのだ」と、さつきのおつきの人(ひと)が言(い)ひました。
 小女(こをんな)はみんなの先(さき)に立(た)つて、その小鳥(ことり)のゐる森(もり)へ行(ゆ)きました。その途中(とちゆう)で、ふいに、もーお、もーおといふ、大(おほ)きな声(こゑ)が聞(きこ)えました。お附(つ)きのものたちはおどろいて立(た)ち止(どま)りながら、
「ほゝう、あれか。ふうん、小(ちひ)さな小鳥(ことり)のくせに、ばかに力(ちから)のある大(おほ)きななき声(ごゑ)をするな。」
「もーお。」
「なるほどいゝ声(こゑ)だ。」
「しかしあの鳥(とり)の声(こゑ)なら、私(わし)たちも聞(き)いたことがあるようだぞ」と口々(くち/゛\)にかう言(い)ひました。
「いゝえ、あれは牛(うし)がないてゐるのです。小鳥(ことり)はもつと/\向(むか)うにゐるのです」と、小女(こをんな)は言(い)ひました。
 そのつぎには、こんどはじき間近(まぢか)で、ぐあ/\、ぐあ/\といふなき声(ごゑ)がしました。
「ほう、あれだ/\。」
「なるほどいゝ声(こゑ)だね。ちようど、小(ちひ)さな鐘(かね)をたゝくようぢやないか」と、みんなは又(また)さわぎ立(た)てました。
 小女(こをんな)は、
「いゝえ、あれは蛙(かへる)です。小鳥(ことり)は向(むか)うに見(み)えてゐる、あの森(もり)の中(なか)にゐるのです」と言(い)ひました。
 間(ま)もなく、その森(もり)へつきました。さうすると、ちようどその小鳥(ことり)が、美(うつく)しい声(こゑ)でなき出(だ)しました。
「ごらんなさいまし。あすこの枝(えだ)の上(うへ)に止(とま)つてをります。ほら」と、小女(こをんな)はゆびさしました。
「ほゝう。あれかい。いや、どんなきれいな鳥(とり)かと思(おも)つたら、たゞ茶色(ちやいろ)つ毛(け)のきたない鳥(とり)だね」とお附(つ)きの人(ひと)は、あてがはづれたように言(い)ひました。
 小女(こをんな)は、小鳥(ことり)によびかけて、
「もし/\鶯(うぐひす)さん。王(おう)さまがあなたの謡(うた)を聞(き)きたいとおつしやるのですよ」と言(い)ひました。
 鶯(うぐひす)は、
「はい/\」と言(い)つて、又(また)声(こゑ)をはり上(あ)げてうたひました。みんなはその声(こゑ)を聞(き)いて、
「なるほど、これは金(きん)の鈴(すゞ)の音(ね)よりももつといゝ音色(ねいろ)だ。これなら、かならず、王(おう)さまもおよろこびになるにちがひない」と、すつかり感心(かんしん)してしまひました。
 お附(つ)きの人(ひと)は、鶯(うぐひす)に向(むか)つて、どうぞ今晩(こんばん)御殿(ごてん)へ来(き)て、王(おう)さまの御前(ごぜん)でうたつておくれと言(い)ひました。鶯(うぐひす)は、すべての鳥(とり)のうたは、森(もり)の中(なか)で聞(き)くのが一ばんいゝのだがと思(おも)ひました。しかし王(おう)さまのお召(め)しだといふので、よろこんでその晩(ばん)御殿(ごてん)へうかゞひました。
 すると、御殿中(ごてんじゆう)はそれは/\きれいに飾(かざ)りつけがしてありました。外(そと)のお廊下(ろうか)には、例(れい)のように、一(ひと)つ/\に銀(ぎん)の鈴(すゞ)がついた色(いろ)さま/゛\のきれいな花(はな)がならべてありました。大広間(おほひろま)には何(なん)十といふ金(きん)の燭台(しよくだい)にあかりがついてゐました。
 鶯(うぐひす)は、その大広間(おほひろま)のまん中(なか)に設(まう)けてある、金(きん)の台(だい)の上(うへ)にとまりました。王(おう)さまや、きれいに着飾(きかざ)つた御殿中(ごてんじゆう)の人々(ひと/゛\)は、そのまはりへずらりと集(あつま)りました。お料理場(りようりば)の小女(こをんな)も、きれいな着物(きもの)を着(き)せていたゞいて、後(うしろ)の方(ほう)にひかへてゐました。
 鶯(うぐひす)は、いゝ声(こゑ)で、一生(しよう)けんめいにうたひました。王(おう)さまは、その謡(うた)をお聞(き)きになると、すつかり感心(かんしん)しておしまひになり、ひとりでにお目(め)に涙(なみだ)がわいて、お頬(ほゝ)をつたはつて流(なが)れました。すべての人々(ひと/゛\)も、感(かん)に打(う)たれて、しいんとして、うなだれてゐました。
 鶯(うぐひす)はつゞいてもう一(ひと)つ、それは、はじめのよりも、もつと/\上手(じようず)に、うつくしくうたひました。
 王(おう)さまはたいそう御満足(ごまんぞく)になつて、御褒美(ごほうび)に鶯(うぐひす)の頸(くび)へ立派(りつぱ)な玉(たま)の飾(かざ)りをかけてやらうとなさいました。さうすると鶯(うぐひす)はそれを御辞退(ごじたい)しました。
「あなたさまはお涙(なみだ)までお流(なが)し下(くだ)さいました。もつたいないことでございます。これが、私(わたくし)には何(なに)よりの御褒美(ごほうび)でございます」と申(まを)し上(あ)げました。そしてまた、もう一ど謡(うた)をうたひました。
 御殿(ごてん)に仕(つか)へてゐる女官(じよかん)たちは、あらゆるぜいたくになれてしまつて、どんなことに出会(であ)つても、めつたに、よろこんだり感心(かんしん)したりすることのない人(ひと)たちでしたが、こんばんの鶯(うぐひす)の謡(うた)には、みんなびつくりして、目(め)をかゞやかせてよろこびました。
 鶯(うぐひす)にはそのまゝ、御殿(ごてん)の中(なか)にゐるようにと御命令(ごめいれい)が下(くだ)りました。そして立派(りつぱ)な金(きん)の籠(かご)に入(い)れていたゞき、昼(ひる)のうちに二度(ど)、夜(よる)一度(ど)づつ、籠(かご)の外(そと)へ出(で)ることを許(ゆる)していたゞきました。この鶯(うぐひす)のためには、特(とく)に十二人(にん)の人(ひと)が附(つ)きそふことになりました。
 その十二人(にん)の人(ひと)は、鶯(うぐひす)が籠(かご)の外(そと)へ出(で)るたびに、両足(りようあし)に結(むす)んだ絹(きぬ)の糸(いと)を持(も)つて附(つ)いて歩(ある)きました。鶯(うぐひす)は、それでは、ちつとものび/\と、外(そと)へ出(で)てゐる気(き)はしませんでした。
 都中(みやこじゆう)の人(ひと)は、その鶯(うぐひす)のことを聞(き)きつたへて、よるとさはると、そのうはさばかりし合(あ)ひました。町々(まち/\)の小(ちひ)さな子(こ)に至(いた)るまで、鶯々(うぐひす/\)と言(い)つて、その話(はなし)をしないものはないくらゐでした。

     二

そのうちに、王(おう)さまのところへ、又(また)朝鮮(ちようせん)の王(おう)さまから、おくり物(もの)がとゞきました。その箱(はこ)のふたの上(うへ)には『鶯(うぐひす)』とかいてありました。王(おう)さまは、「おゝ、又(また)鶯(うぐひす)のことをかいた本(ほん)が来(き)た」とおつしやいました。
しかし、箱(はこ)を開(あ)けてごらんになりますと、それは御本(ごほん)ではなくて、おもちやの鶯(うぐひす)でした。
大(おほ)きさも、かつこうも、ほんとうの鶯(うぐひす)のように上手(じようず)にこしらへて、からだ中(じゆう)に、赤(あか)や青(あを)や黄色(きいろ)の、いろ/\立派(りつぱ)な宝石(ほうせき)がちりばめてありました。そして、ぜんまい仕掛(じか)けになつてゐて、ねぢをまはしておくと、ひとりでに謡(うた)をうたふように出来(でき)てゐるのです。
 王(おう)さまは、さつそく、ぜんまいを巻(ま)いて謡(うた)はせてごらんになりました。さうすると、その小鳥(ことり)は、尾(を)を上(あ)げ下(さ)げしながら、生(い)きた鶯(うぐひす)のとほりのいゝ声(こゑ)で謡(うた)ひました。
 王(おう)さまは、にこ/\お笑(わら)ひになつて、こんどは、例(れい)のほんとうの鶯(うぐひす)と二人(ふたり)で一しよに、謡(うた)はせてごらんになりました。すると、二(ふた)つの声(こゑ)はちぐはぐになつて、ちつとも調子(ちようし)が合(あ)ひませんでした。
「いや、これは二人(ふたり)がわるいのではない。一しよに謡(うた)はすのがまちがひだ。べつ/\に聞(き)くべきものだ」と王(おう)さまはおつしやいました。
 それでまづ、おもちやの鳥(とり)だけに一人(ひとり)でつゞいておうたはせになりました。小鳥(ことり)は、とうとう三十三度(ど)もつゞけて、上手(じようず)にうたひました。それに尾(を)を上(あ)げたり下(さ)げたりするたびに、ちりばめた宝石(ほうせき)がきら/\と光(ひか)つて、そればかりでも、ずいぶんきれいでした。みんなは大(おほ)よろこびで、もう一度(ど)ねぢをまいてうたはせようとしましたが、王(おう)さまはそれをお止(と)めになつて、
「待て。こんどはこちらの鳥(とり)の番(ばん)だ」と、おつしやいました。ところが、その籠(かご)を見(み)ると中(なか)の鶯(うぐひす)は、いつの間(ま)にどこへにげてしまつたのか、影(かげ)も姿(すがた)も見(み)えません。
「おや」と王(おう)さまもびつくりなさいました。みんなは、ひどい奴(やつ)だと言(い)つて、ぷん/\怒(おこ)りました。
「まあ、いゝ/\。にげたものは仕方(しかた)がない。その代(かは)り、こんないゝ鳥(とり)が来(き)たからけつこうだ」と王(おう)さまはおつしやいました。
 みんなは、それからもう一ぺん、三十三度(ど)くりかへして謡(うた)はせました。御殿(ごてん)の音楽師(おんがくし)たちは、この鳥(とり)の謡(うた)を、言葉(ことば)をつくしてほめました。
「この方(ほう)が本当(ほんとう)の鳥(とり)よりも、どんなにいゝか分(わか)りません。体中(からだじゆう)には、宝石(ほうせき)がはまつてをりまして、いかにもきれいでございます。それに第(だい)一、ほんとうの鳥(とり)でございますと、咽(のど)のところがどんな仕(し)かけになつてゐて啼(な)くのか、それをしらべることも出来(でき)ませんですが、これならば、中(なか)の具合(ぐあひ)も見(み)られますし、三十三度(ど)もつゞけてなくのでございますから、これには、ほんとうの鳥(とり)も追(おつ)つきようがございません。」
 その人(ひと)たちは、かう言(い)つてお喜(よろこ)びを申(まを)し上(あ)げました。
 王(おう)さまは、まいにち/\、その小鳥(ことり)の謡(うた)をお聞(き)きになりました。みんなは、その謡(うた)の節(ふし)を、どうかしておぼえようとしましたが、中々(なか/\)むつかしくて、ちよつとのことではおぼえられさうにもありませんでした。御殿中(ごてんじゆう)の人々(ひと/゛\)は、朝(あさ)から晩(ばん)まで、その小鳥(ことり)のことばかりほめ合(あ)つてくらしました。
 その中(なか)で、たゞ一人(ひとり)、例(れい)のお料理場(りようりば)の小女(こをんな)だけは、首(くび)をかしげて、
「なるほど上手(じようず)に謡(うた)ふけれど、でも、その声(こゑ)には何(なん)となく物足(ものた)りないところがある。どこがどうといふことは、私(あたし)にも分(わか)らないけれど」と一人(ひとり)ごとを言(い)つてゐました。
 おもちやの鶯(うぐひす)は、後(のち)には、王(おう)さまのお寝床(ねどこ)のそばへおかれました。その台(だい)の上(うへ)には、王(おう)さまが御褒美(ごほうび)に下(くだ)すつた、いろ/\の貴(たふと)い品物(しなもの)が並(なら)べられてゐました。
 一年(ねん)もたつうちに、おつきの人(ひと)たちや、王(おう)さまも、この鶯(うぐひす)の謡(うた)をすつかりおぼえておしまひになりました。みんなは、とき/゛\鶯(うぐひす)と一しよに、声(こゑ)を合(あは)せてうたひました。その謡(うた)はだん/\に都中(みやこじゆう)の人々(ひと/゛\)にもつたはつて、町々(まち/\)の子供等(こどもら)までが、らゝゝゝ、らららゝと、謡(うた)ひ/\歩(ある)くほどになりました。
 ところが、或(ある)晩(ばん)、王(おう)さまが、例(れい)のようにお床(とこ)におつきになつて、鶯(うぐひす)の謡(うた)を聞(き)きながら、おねむりにならうとしてゐますと、ふいに機械(きかい)がぐる/\/\/\と変(へん)な音(おと)をたてました。そしてそれと一しよに、鶯(うぐひす)の謡(うた)は中途(ちゆうと)でぷつりと、とまつてしまひました。
 王(おう)さまはびつくりしておはねおきになり、大(おほ)いそぎでお附(つ)きのお医者(いしや)をおよびになりました。
 しかし、そんな、ぜんまい仕掛(じか)けのおもちやを、お医者(いしや)が見(み)たつてどうすることが出来(でき)ませう。そこでつぎには、機械師(きかいし)をおよびよせになつて、鳥(とり)の中(なか)の機械(きかい)をおしらべさせになりました。
 機械師(きかいし)はしきりに首(くび)をひねつて考(かんが)へて、やつと少(すこ)しばかり具合(ぐあひ)を直(なほ)しました。そして、
「もう機械(きかい)がすつかりいたんでしまつてをりますので、この上(うへ)はどうすることも出来(でき)ません。これからは、ほんの、たまにだけお謡(うた)はせになることになさらないと、あぶなうございます。機械(きかい)がこはれてしまひませば、いよ/\それきりでございますから」と申(まを)し上(あ)げました。
 王(おう)さまは、それからは、一年(ねん)にたゞ一度(ど)だけ謡(うた)はせることになさいました。しかし、それでも、いたんだ機械(きかい)にとつては多過(おほす)ぎるくらゐでした。
 そんなにして五年(ねん)ばかりたちました。すると、その年(とし)、王(おう)さまが急(きゆう)に御大病(ごたいびよう)におかゝりになりました。そして、もう、とても御恢復(ごかいふく)はむつかしいように見(み)えました。
 人民(じんみん)たちはそれを聞(き)きつたへて、ひどくなげき悲(かな)しみました。
 いふまでもなく御殿中(ごてんじゆう)は、全(まる)で暗(くら)がりの中(なか)のように陰気(いんき)になりました。廊下々々(ろうか/\)へは、あつく布(ぬの)がしかれて、人々(ひと/゛\)はその上(うへ)を、盗(ぬす)むようにそつと往(ゆ)き来(き)しました。
 王(おう)さまはお部屋(へや)の中(なか)に、青(あを)ざめて、冷(ひや)やかに目(め)をつぶつていらつしやいました。みんなは、とき/゛\、もう息(いき)を引(ひ)いておしまひになつたのではないかと、いくどもさう思(おも)ひました。
 王(おう)さまは、どんな物音(ものおと)もはひつて来(こ)ない、死(し)のようなしづかなお部屋(へや)の中(なか)に、一人(ひとり)目(め)をつぶつてお横(よこた)はりになりながら、
「あゝ、だれか来(き)て話(はな)しかけてくれゝばいゝのに。だれか音楽(おんがく)でも聞(き)かせて、このさびしさをまぎらしてくれゝばいゝのに」と、かすかに、かう思(おも)ひ/\していらつしやいました。
 昼(ひる)のうちは、日(ひ)の光(ひかり)が、さへぎつてありますが、夜(よる)は、月(つき)の光(ひかり)が、窓(まど)からさしこみました。でも、その光(ひかり)には、むろん、何(なん)の声(こゑ)もありません。お部屋(へや)の中(なか)は、やつぱり、しいんとしたまんまです。王(おう)さまは、おそばにおかれてゐる、例(れい)の、おもちやの鶯(うぐひす)に向(むか)つて、
「おい/\、謡(うた)を謡(うた)つてくれ。私(わし)はあれほどお前(まへ)をかわいがつて来(き)たではないか。いろんな御褒美(ごほうび)も手(て)づからくれてやつたではないか。謡(うた)つてくれ。どうぞ謡(うた)つてくれ」と、かすれがすれの声(こゑ)でお言(い)ひになりました。
 でも小鳥(ことり)はだまつてゐました。だつて、だれもぜんまいをかけてくれるものがゐないのですから、謡(うた)はうと思(おも)つても謡(うた)ふことは出来(でき)ません。王(おう)さまは、
「あゝ/\」と、ためいきをなさいました。
 すると、ふいに窓(まど)のところで、美(うつく)しい鶯(うぐひす)の声(こゑ)が聞(きこ)え出(だ)しました。それは、いつか遁(に)げていつた、あの、ほんとうの鶯(うぐひす)の声(こゑ)でした。鶯(うぐひす)は、たま/\窓(まど)の外(そと)の木(き)の上(うへ)へ来(き)て休(やす)んでゐますと、おいたはしい王(おう)さまの、謡(うた)を謡(うた)をとおつしやるお言葉(ことば)が聞(きこ)えたので、さつそくそのお望(のぞ)みをかなへに、飛(と)んで来(き)たのでした。
 鶯(うぐひす)は、一生(しよう)けんめいに美(うつく)しい声(こゑ)を上(あ)げて謡(うた)ひつゞけました。王(おう)さまは、うと/\と、それを聞(き)いてお出(い)でになるうちに、たるんだ、にぶいお脈(みやく)が、急(きゆう)に強(つよ)く高(たか)まつて来(き)ました。もう少(すこ)しで絶(た)えようとしてゐたお命(いのち)に、ふたゝび勢(いきほひ)がついて来(き)ました。
「をゝ、鶯(うぐひす)よ。私(わし)はお前(まへ)にすまないことをした。つまらないものをかわいがつて、お前(まへ)を追(お)ひ出(だ)したようなものだつた。それだのにお前(まへ)は私(わし)のことを忘(わす)れずに出(で)て来(き)てくれて、美(うつく)しい謡(うた)の力(ちから)で私(わし)の命(いのち)をとり止(と)めてくれた。私(わし)はどうしたら、お前(まへ)にこのお礼(れい)をすることが出来(でき)るだらう。」
 王(おう)さまは、うれし涙(なみだ)をながして、かうおつしやいました。
「いえ/\、王(おう)さま、私(わたくし)はもう先(せん)にも、身(み)にあまるほどの御褒美(ごほうび)をいたゞいてをります。あなたは私(わたくし)の謡(うた)をお聞(き)きになつて、お泣(な)き下(くだ)さいました。あなたのお涙(なみだ)より貴(たふと)いものはございません。どうぞ、しづかにおやすみ下(くだ)さいまし。そして、もう一度(ど)、どん/\御丈夫(ごじようぶ)におなりになつて下(くだ)さいまし。」
 鶯(うぐひす)はかう言(い)つて、又(また)美(うつく)しい謡(うた)をつゞけました。
 王(おう)さまは、それをお聞(き)きになりながら、すや/\とおやすみになりました。
 王(おう)さまが、ふと、元気(げんき)よく目(め)をお開(ひら)きになつたときには、窓(まど)からは黄色(きいろ)い日(ひ)の光(ひかり)がすがすがしく、さしこんでゐました。おつきの人々(ひと/゛\)は、まだお部屋(へや)へ伺(うかゞ)ひませんでした。
 鶯(うぐひす)は王(おう)さまが、御血色(ごけつしよく)よくお目(め)ざめになつたのを見(み)ると、たいそうよろこんで、すぐにまた美(うつく)しい謡(うた)をうたひ出(だ)しました。
「あゝ鶯(うぐひす)よ。ほんとうにありがたい。これからはどうぞいつまでも私(わし)のそばにゐてくれ。お前(まへ)の謡(うた)ひたいときに謡(うた)つてくれゝばいゝのだから。そして、あの、おもちやの鳥(とり)などはめちや/\にこはしてしまふから」と、王(おう)さまはおつしやいました。
 鶯(うぐひす)は、
「いえ/\、そんなひどいことをなさつてはいけません。あの鳥(とり)は、自分(じぶん)の体(からだ)がこはれるまでお仕(つか)へ申(まを)しましたのです。どうかこれから先(さき)、いつまでもお側(そば)においておやりなさいまし。
 私(わたくし)は、御殿(ごてん)の中(なか)に巣(す)をつくることは出来(でき)ません。これからは、とき/゛\、夜分(やぶん)に、この窓(まど)のそとの木(き)へまゐりまして、あなたに謡(うた)をうたつてお上(あ)げ申(まを)します。そして、あなたのお心(こゝろ)を、うれしく楽(たの)しくしてさし上(あ)げます。私(わたくし)は、いろ/\のことを謡(うた)に謡(うた)つてお知(し)らせ申(まを)します。あなたのお気(き)づきにならない、すべての人(ひと)の悲(かな)しみや喜(よろこ)びや、すべてのよいこと、悪(わる)いことを謡(うた)つてお知(し)らせ申(まを)します。
 私(わたくし)は、貧(まづ)しい人(ひと)の家(うち)へも行(い)つて謡(うた)はねばなりません。漁師(りようし)のところへも、あはれな百姓(ひやくしよう)の人(ひと)のところへも行(い)つてなぐさめて上(あ)げねばなりません。それと一しよに、あなたのことも忘(わす)れはいたしません。私(わたくし)はあなたの、宝石(ほうせき)にかゞやいた王冠(おうかん)よりも、あなたのお心(こゝろ)を貴(たふと)く思(おも)つてをります。私(わたくし)の謡(うた)を聞(き)いて、涙(なみだ)を流(なが)して下(くだ)さいましたそのお心(こゝろ)を。
 ですが、王(おう)さま。その代(かは)り、あなたは、私(わたくし)に一(ひと)つおちかひ下(くだ)さらなければならないことがございます。」
 王(おう)さまは、鶯(うぐひす)のその言葉(ことば)をお聞(き)きになりながら、一人(ひとり)でおき上(あが)つて、ちやんと、自分(じぶん)でお服(ふく)をお召(め)しかへになりました。そして、剣(けん)までもおつるしになつて、先(せん)のころと変(かは)らない、お元気(げんき)にみちたお声(こゑ)で、
「おゝ、言(い)つておくれ。何(なん)でもお前(まへ)のいふことにはそむかないから」とおつしやいました。
「それでは、あなたのこの小鳥(ことり)が、何(なん)でもあなたに謡(うた)でお知(し)らせするといふことを、だれにもお話(はな)しにならないで下(くだ)さいましな。」
「あゝよろしい。けつして言(い)はない。」
「おつしやらない方(ほう)があなたのおためでございます。王(おう)さま、それでは又(また)うかゞひます。」
 鶯(うぐひす)はかう言(い)つて、飛(と)んでいきました。
それと入(い)り代(かは)りに、おつきの人(ひと)たちがそつとお部屋(へや)へ近(ちか)づいて来(き)ました。みんなは、もう今朝(けさ)は、王(おう)さまの、冷(つめ)たくなつてお出(い)でになる、おいたましいお死骸(しがい)を見(み)ることゝ思(おも)つて、そつと戸(と)を開(あ)けてはひりました。
 すると王(おう)さまは、いきなり大(おほ)きな声(こゑ)で、
「おゝ、お早(はや)う。あゝ、きもちのいゝ朝(あさ)だな」と、おつしやつて、あああと大(おほ)きな大(おほ)あくびをなさいました。


   一本足(ぽんあし)の兵隊(へいたい)

     一

 或(ある)小(ちひ)さなお坊(ぼつ)ちやんが、お誕生日(たんじようび)のお祝(いは)ひに、箱入(はこい)りの、おもちやをもらひました。
 坊(ぼつ)ちやんは、さつそくあけて見(み)て、
「やあ、兵(へい)たいだ/\」と、手(て)をたゝいて喜(よろこ)びました。そしてすぐに一(ひと)つ/\取(と)り出(だ)して、ていぶるの上(うへ)にならばせました。
 それは、青(あを)と赤(あか)の服(ふく)を着(き)た、小(ちひ)さな鉄砲(てつぽう)をかついだ、小(ちひ)さな錫(すゞ)の兵(へい)たいでした。すつかりで、ちようど二十五人(にん)ゐました。
 これだけの兵(へい)たいは、もと、おもちや屋(や)が、或(ある)一本(ぽん)の錫(すゞ)のさじをつぶしてこしらへたので、みんなは、言(い)はゞ同(おな)じ血(ち)を分(わ)けた兄弟(きようだい)でした。
 それが、みんな、ちやんと気(き)をつけをして、まつ正面(しようめん)をにらんで立(た)つてゐます。
 ちよつと見(み)ると、二十五人(にん)が、寸分(すんぶん)ちがはず、同(おな)じ兵隊(へいたい)のように見(み)えますが、しかし、よく見(み)ると、中(なか)にたつた一人(ひとり)、足(あし)が一本(ぽん)しかない兵(へい)たいがゐます。これは、こしらへるときに、一番(ばん)しまひで、もう錫(すゞ)が足(た)りなかつたのでした。
 でもその兵(へい)たいは、一本足(ぽんあし)のまゝ、ほかの兵(へい)たいと同(おな)じように、ちやんと、まつ直(すぐ)に立(た)つてゐました。
 ていぶるの上(うへ)には、そのほかに、まだいろんなおもちやがどつさりならんでゐました。
 その中(なか)で、人(ひと)の目(め)をひく、一番(ばん)きれいなおもちやは、ぼうる紙(がみ)で出来(でき)た、それは/\立派(りつぱ)な西洋館(せいようかん)でした。その部屋々々(へや/\)の窓(まど)は、ちやんと切(き)りぬいてあつて、のぞくと部屋(へや)の中(なか)がすつかり見(み)えました。それから、正面(しようめん)の入口(いりぐち)のまん前(まへ)には、低(ひく)い青(あを)い立(た)ち木(き)にかこまれた、円(まる)い池(いけ)があります。その池(いけ)は、鏡(かゞみ)で出来(でき)てゐるのでした。その中(なか)には、いくつかの、蝋細工(ろうざいく)の小(ちひ)さな白鳥(はくちよう)が、水(みづ)に影(かげ)をうつしておよいでゐます。
 それは全(まつた)くきれいでした。
 しかしその池(いけ)よりもまだもつと、きれいなのは、入口(いりぐち)の石段(いしだん)の上(うへ)に立(た)つてゐる女(をんな)の人(ひと)でした。それはぼうる紙(がみ)を切(き)りぬいてこしらへたのですけれど、それでも着物(きもの)は上等(じようとう)のいゝ布(きれ)で出来(でき)てゐて、頸(くび)から肩(かた)へかけて、細(ほそ)い青(あを)いりぼんの襟飾(えりかざり)がつけてあります。その襟飾(えりかざり)は、胸(むね)のまん中(なか)で、きら/\した金紙(きんがみ)でこしらへた、その女(をんな)の人(ひと)の頭(あたま)ほどもあるような、大(おほ)きなばらの花(はな)で止(と)めてあります。
 その女(をんな)の人(ひと)は、両腕(りよううで)をひろげ、片足(かたあし)を思(おも)ひ切(き)り高(たか)く蹴(け)り上(あ)げて、お得意(とくい)の踊(をどり)を踊(をど)つてゐるのです。その上(あ)げた片足(かたあし)は、顔(かほ)よりももつと上(うへ)まではね上(あが)つてゐるので、ちよつと見(み)ると、片足(かたあし)がどこにあるのか分(わか)らないくらゐでした。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、この女(をんな)の人(ひと)を見(み)ると、
「おや、あの人(ひと)も一本(ぽん)しか足(あし)がないや。なるほど、世(よ)の中(なか)にはおれ見(み)たいな人(ひと)もゐるんだね。よし/\、おれはこれから、あの人(ひと)と仲好(なかよ)しにならう。
 しかし、向(むか)うは、あんな立派(りつぱ)な西洋館(せいようかん)に住(す)んでゐる女(をんな)だ。おれのようなこんな家(うち)ぢや、いらつしやいと言(い)つても中々(なか/\)来(こ)ないだらうね。おれは二十五人(にん)も一しよに、こんな、いやな箱(はこ)の中(なか)にゐるんだもの。」
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、じぶんのお家(うち)になつてゐる、もと巻煙草(まきたばこ)のはひつてゐた箱(はこ)の後(うしろ)に立(た)つて、背(せ)のびをして、その女(をんな)の人(ひと)の踊(をどり)を見(み)てゐました。
 女(をんな)の人(ひと)は一本足(ぽんあし)のくせに、ころびもしないで、上手(じようず)に釣合(つりあ)ひを取(と)つて立(た)つてゐました。
 そのうちに夜(よる)になりました。
 ほかの二十四人(にん)の兵(へい)たいは、みんな箱(はこ)の中(なか)へはひりました。
 家中(うちじゆう)の人(ひと)もみんな寝床(ねどこ)にはひつて寝(ね)てしまひました。
 すると、ていぶるの上(うへ)のおもちやたちは、そろ/\動(うご)き出(だ)しました。中(なか)には、のこ/\人(ひと)のところへ話(はな)しに行(い)つたり、おほぜいで踊(をどり)を踊(をど)つたり、さうかと思(おも)ふと、けんかをし合(あ)つたりして、わい/\おほさわぎをしはじめました。
 錫(すゞ)の兵(へい)たいたちは、箱(はこ)から出(で)ようと思(おも)つて、どたばたあばれました。しかし箱(はこ)のふたが中々(なか/\)持(も)ち上(あが)りません。
 こちらでは小(ちひ)さな紙切(かみきり)ないふが、ばねじかけの蛙(かへる)に、ふざけてゐます。
 石盤(せきばん)の上(うへ)では、石筆(せきひつ)がころ/\走(はし)りまはつてゐます。
 その物音(ものおと)で、籠(かご)のかなりやも目(め)をさまして、ちい/\と謡(うた)をうたひ出(だ)しました。
 そんなさわぎの中(なか)で、例(れい)の踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)と、一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいだけは、だまつて身動(みうご)きもしないでゐました。
 女(をんな)の人(ひと)は両腕(りよううで)をひろげ、片足(かたあし)をはね上(あ)げたまゝ、石段(いしだん)の上(うへ)にぢいつと立(た)つてゐます。一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、その踊手(をどりて)の顔(かほ)をぢつと見(み)つめたなり、まつすぐに一本足(ぽんあし)で突(つ)つ立(た)つてゐました。
 そのうちにお部屋(へや)の時計(とけい)が十二時(じ)をうちました。
 それと一しよに、煙草(たばこ)の箱(はこ)のふたが、ひとりでぴよんと飛(と)び開(あ)いたと思(おも)ひますと、中(なか)から、まつ黒(くろ)な鬼(おに)のおもちやが、ぬつと顔(かほ)を出(だ)しました。
「おい/\一本足(ぽんあし)の兵(へい)たい、おまへは何(なに)をじろ/\見(み)てるんだい。柄(がら)でもない。止(よ)せ/\。だれがお前(まへ)なぞと仲(なか)よしになるものか。」
 黒(くろ)い鬼(おに)はかう言(い)つて鼻(はな)で笑(わら)ひました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、鬼(おに)のいふことなんかちつとも聞(きこ)えないように、平気(へいき)で踊(をどり)を見(み)てゐました。
「ふゝん、勝手(かつて)にしろ。だが明日(あした)の朝(あさ)になつておどろくな。」
 黒鬼(くろおに)はそれを見(み)て、ぷん/\怒(おこ)つてかう言(い)ひました。

     二

 そのあくる朝(あさ)が来(き)ました。
 坊(ぼつ)ちやんはのこ/\出(で)て来(き)て、例(れい)の一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいを、お部屋(へや)の窓(まど)のところへ立(た)たせました。すると、それは黒鬼(くろおに)がしたことか、それとも風(かぜ)のせいか、その窓(まど)のがらす戸(ど)がふいに、がたんとはね開(あ)きました。そのはずみに一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、いきなり、ぴよいとはね飛(と)ばされて、その三階(がい)の窓(まど)から、下(した)の往来(おうらい)の石(いし)だゝみの上(うへ)へ、まつさかさまに落(お)ちました。
くる/\/\、すとーん。
「おゝ痛(いた)たゝ。」
 兵(へい)たいのかついでゐた鉄砲(てつぽう)の先(さき)は、しき石(いし)の間(あひだ)へぐいと突(つ)きさゝりました。
坊(ぼつ)ちやんは、
「あつ」と言(い)つて、ねえやと二人(ふたり)で、往来(おうらい)へ下(お)りていきました。
 二人(ふたり)は一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいを一生(しよう)けんめいにさがしました。兵(へい)たいは二人(ふたり)のじき足(あし)もとに落(お)ちてゐるのでした。二人(ふたり)はもう少(すこ)しでそれをふみつけるところでした。
 それでも、とう/\その兵(へい)たいが見附(みつ)け出(だ)せませんでした。
一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、
「もし/\、こゝにゐます。こゝに」と泣(な)き声(ごゑ)を出(だ)しかけました。
 しかし、軍服(ぐんぷく)を着(き)た兵(へい)たいが往来(おうらい)で泣(な)いたりしては見(み)つともないので、無理(むり)にがまんして、口(くち)を喰(く)ひしばつてゐました。
 そのうちに、ふと雨(あめ)がばら/\落(お)ち出(だ)しました。間(ま)もなく雨(あめ)はざあ/\と土砂(どしや)ぶりになつて来(き)ました。
 その雨(あめ)がやつと上(あが)ると、町(まち)の小(ちひ)さな男(をとこ)の子(こ)が二人(ふたり)通(とほ)りかゝりました。
「あゝ、あすこにあんな兵(へい)たいが落(お)ちてら。あれをぼうとに乗(の)せて走(はし)らしてやらうね」と、二人(ふたり)はかう言(い)つて、さつそく新聞紙(しんぶんがみ)を折(を)りたゝんで、小(ちひ)さなぼうとをこしらへました。
 往来(おうらい)のわきのどぶには、泥(どろ)の雨水(あまみづ)が、どん/\流(なが)れてゐました。
 二人(ふたり)の子供(こども)は、紙(かみ)のぼうとへ一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいを乗(の)せて、それをどぶへ流(なが)しました。そして二人(ふたり)で手(て)をたゝきながら、わい/\言(い)つて附(つ)いて走(はし)りました。
 水(みづ)はすばらしい勢(いきほ)いで流(なが)れました。とき/゛\大(おほ)きな浪(なみ)がづしんとゆれました。そのたびにぼうとはくる/\まはつて、今(いま)にも引(ひ)つくりかへりさうになりました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいはびつくりして、ぶる/\ふるへてゐました。
 しかし、兵(へい)たいですから、がまんして、こはいなぞといふことは顔色(かほいろ)にも出(だ)さないで、ちやんと鉄砲(てつぽう)をかついで、一(ひと)つところをにらみつけてゐました。
 そのうちに、ぼうとは、急(きゆう)に、地面(じめん)の下(した)のとんねるの中(なか)へかけこみました。
 そこは全(まる)で箱(はこ)の中(なか)にはひつたようにまつ暗(くら)でした。
 ぼうとはその暗(くら)がりの中(なか)を、浪(なみ)にもまれて、どん/\走(はし)つて行(い)きました。
「おや/\、一たいどこへ持(も)つていかれるんだらう」と、一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいはびく/\しながら乗(の)つてゐました。
「これもみんなあの黒鬼(くろおに)がさせたことだ。ほんとにあいつはひどい奴(やつ)だ。あの踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)と二人(ふたり)で乗(の)つてゐるのなら、この暗(くら)がりがこの二倍(ばい)暗(くら)くても平気(へいき)なんだけれど、おつと、あぶない。──おゝ、もう少(すこ)しで引(ひ)つくりかへるところだつた。」
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは青(あを)くなつてちゞこまつてゐました。
 すると、ふいにその地(ち)の底(そこ)のどぶの中(なか)に住(す)んでゐるどぶ鼠(ねずみ)が、
「おい、兵(へい)たい待(ま)て」と、どなりました。
「こら/\通行券(つうこうけん)を見(み)せろ。おいこら、通行券(つうこうけん)を見(み)せろつてば。」
 しかし一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、だまつて鉄砲(てつぽう)の台(だい)をにぎつてゐました。
 ぼうとはかまはず、どん/\走(はし)つていきます。
 すると鼠(ねずみ)は怒(おこ)つて追(お)つかけて来(き)ました。
「おゝい、あいつをつかまへてくれ。つかまへてくれ。通行税(つうこうぜい)を払(はら)はないで逃(に)げたんだ。通行券(つうこうけん)なしで通(とほ)つたんだ。」
 鼠(ねずみ)はかう言(い)つて、ぼうとのそばを流(なが)れてゐる、木(き)の片(きれ)や藁(わら)くづに加勢(かせい)をたのみました。
 さうかうしてる間(ま)に、流(なが)れはいよ/\急(きゆう)になつて来(き)ました。ぼうとは目(め)が廻(まは)るほど早(はや)く走(はし)りました。
 と、やがて向(むか)うに外(そと)の明(あか)るみが見(み)え出(だ)しました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、
「おや、うまいぞ。もう明(あか)るいところへ出(で)たぞ」と思(おも)ふとたんに、がう/\/\と、耳(みゝ)がつぶれるほどの大(おほ)きな響(ひゞ)きがつたはつて来(き)ました。
 それは、どぶがもうじきおしまひになつて、下(した)の大(おほ)きな堀(ほ)りわりの中(なか)へ、泥水(どろみづ)がどうと落(お)ちこむ音(おと)でした。
 そこへ来(く)ると、水(みづ)は大(おほ)きな滝(たき)になつて、まつさかさまに落(お)ちこんでゐました。
 兵(へい)たいのぼうとは、あつといふ間(ま)にその滝(たき)のま上(うへ)へ来(き)て、泥水(どろみづ)のしぶきと一しよに、どぶんと堀(ほ)りわりへさかおとしに落(お)ちこみました。
 兵たいはびしやりと水(みづ)をかぶつたと思(おも)ひますと、渦(うづ)に巻(ま)かれて、くる/\/\と、廻(まは)り花火(はなび)のようにまはりました。
 兵(へい)たいは息(いき)もつけないで、一生(しよう)けんめいにぼうとにかじりついてゐました。
 と、たちまちぼうとの中(なか)へは、水(みづ)が一ぱい入(はひ)りました。
 兵(へい)たいはびつくりして、からだをのし上(あ)げてゐますと、ぼうとはそれなり、ぶく/\と沈(しづ)みかけました。水(みづ)はもう兵(へい)たいの頭(あたま)の上(うへ)まで来(き)ました。兵(へい)たいの目(め)にはもう二度(ど)と見(み)られない、あの踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)の顔(かほ)が浮(うか)びました。
 と思(おも)ふと、どこからか、
「ぶく/\ぶく/\、
どん/\沈(しづ)めよ、
死(し)ぬんだ/\、
ぶく/\ぶく/\。」
 と、だれかゞ、うれしさうに謡(うた)つてゐる声(こゑ)が聞(きこ)えました。
 そのはずみに、もうどろ/\になりかけた紙(かみ)のぼうとは、ふいに二(ふた)つに溶(と)け割(わ)れました。
 兵(へい)たいは、それと一しよに、ぶく/\/\と、泥水(どろみづ)の下(した)へ沈(しづ)みました。
 すると、そこへ大(おほ)きな魚(さかな)が、ひよいと出(で)て来(き)て、兵(へい)たいを、がぶりと一(ひと)のみにのみこんでしまひました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、
「おや、へんなところへ来(き)たぞ」と思(おも)ひました。
そこは、さつきのとんねるの中(なか)よりももつと/\暗(くら)いところでした。そして足(あし)や鉄砲(てつぽう)がそこいらへつかへて、きゆうくつでした。
 しかし兵(へい)たいは、どうなりと勝手(かつて)になれと、もう度胸(どきよう)をすゑて、鉄砲(てつぽう)の台(だい)をかたくにぎつたなり、からだを突(つ)きのばして、ふんぞりかへつて寝(ね)ころんでゐました。
 魚(さかな)は兵(へい)たいを飲(の)みこんだまゝ、そつちこつちと、勢(いきほひ)よくはねまはりました。

     三

 兵(へい)たいはどれだけの間(あひだ)さうして寝(ね)ころんでゐたでせう。
 と、しまひに、上(うへ)からばたんと、なぐりつけるような響(ひゞ)きがつたはりました。
 間(ま)もなく、稲光(いなびかり)のように、目(め)の前(まへ)がぱつと明(あか)るくなりました。
 それと一しよに、だれか女(をんな)の人(ひと)の声(こゑ)で、
「あら、こんな兵(へい)たいがはひつてゐた」と、さもめづらしさうにさわぎ立(た)てました。
 それは或家(あるうち)の女(をんな)の料理人(りようりにん)でした。
 魚(さかな)はいつの間(ま)にか漁師(りようし)の網(あみ)にかゝり、市場(いちば)へ売(う)られて、しまひにこの家(うち)の台所(だいどころ)へ来(き)たのでした。
 女(をんな)の料理人(りようりにん)は、笑(わら)ひながら、その一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいを、おや指(ゆび)と人(ひと)さし指(ゆび)でつまんで、ほかのお部屋(へや)へ持(も)つていきました。
 みんなは、わい/\言(い)ひながら、その、めづらしい掘(ほ)り出(だ)しものを見(み)に来(き)ました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、きまりの悪(わる)い顔(かほ)をして、されるまゝになつてゐました。
 そのうちに、だれかゞその兵隊(へいたい)をていぶるの上(うへ)へおきました。
 兵隊(へいたい)はそつとあたりを見(み)まはしました。
 すると、ふしぎなこともあればあるものです。そのていぶるは、この一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいが先(せん)にのつかつてゐた、あの同(おな)じていぶるではありませんか。
 むろん、部屋(へや)も同(おな)じ部屋(へや)でした。それから同(おな)じ坊(ぼつ)ちやんが、側(そば)にゐました。そしてていぶるの上(うへ)には、先(せん)と同(おな)じ仲間(なかま)が、ちやんとそのまゝ、そろつてゐました。踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)は、やつぱり同(おな)じように入口(いりぐち)の石段(いしだん)の上(うへ)に立(た)つて、両手(りようて)を高(たか)くさし上(あ)げて、一本足(ぽんあし)で踊(をど)つてゐました。
 一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、うれしくて/\、思(おも)はず錫(すゞ)の涙(なみだ)がこぼれさうになりました。
でも兵(へい)たいですから、涙(なみだ)なんぞを見(み)せるわけにはいきません。一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいは、だまつて、ぢいつと踊子(をどりこ)の顔(かほ)を見(み)てゐました。踊(をどり)の女(をんな)は何(なに)も言(い)はないで、だまつて、こちらを見(み)てゐました。
 そのうちに坊(ぼつ)ちやんが、ふいに、その兵(へい)たいをつかんで、いきなりすとうぶの中(なか)へ投(な)げこんでしまひました。
 兵(へい)たいは、
「あつ」とびつくりしました。これもやはりあの黒(くろ)い鬼(おに)がさせたことにちがひありません。
 兵(へい)たいはだまつてぢつとしてゐました。
 でも赤焼(あかや)けになつた石炭(せきたん)の中(なか)へ投(な)げこまれたのですから、たちまちじり/\と、からだ中が焼(や)けたゞれて来(き)ました。兵(へい)たいの顔色(かほいろ)は、もう、まつ青(さを)になつてしまひました。
 一本足(ぽんあし)の兵隊(へいたい)は、
「あゝ、とう/\これなり焼(や)け死(し)ぬのか」と思(おも)ひながら、向(むか)うのていぶるの上(うへ)の踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)を見(み)つめてゐました。踊(をどり)の女(をんな)人(ひと)も、ぢつと兵(へい)たいを見(み)てゐました。
 と、坊(ぼつ)ちやんはふいに踊(をどり)の女(をんな)の人(ひと)を石段(いしだん)の上(うへ)から引(ひ)つぺがして、いきなり、また、ぽんとすとうぶの中(なか)へ投(な)げこみました。
 女(をんな)の人(ひと)はづしんと一本足(ぽんあし)の兵(へい)たいの側(そば)まで来(き)たと思(おも)ひますと、たちまち頭(あたま)から足(あし)の先(さき)まで、ぼう/\と燃(も)え上(あが)つてしまひました。
 あくる朝(あさ)、女中(じよちゆう)がすとうぶの灰(はひ)をかきに来(き)ました。
 すると、その灰(はひ)の中(なか)から、はーとのような形(かたち)をした錫(すゞ)のかたまりが出(で)て来(き)ました。
 それから、まつ黒(くろ)こげになつた、ばらの飾(かざ)りのぼうる紙(がみ)も出(で)て来(き)ました。
その黒(くろ)こげのぼうる紙(がみ)は、あの踊(をどり)の女(をんな)が、昨日(きのふ)までこの世(よ)にゐたといふ、たつた一(ひと)つの印(しるし)でした。



   天使(てんし)

     一

 だれにかぎらず、おとなしい、いゝ子(こ)どもが死(し)にますと、大空(おほぞら)から一人(ひとり)の天使(てんし)が地上(ちじよう)へ下(お)りて来(き)ます。
 天使(てんし)はその死(し)んだ子(こ)を両手(りようて)にかゝへ、大(おほ)きな白(しろ)い羽根(はね)をひろげて、その子(こ)の好(す)いてゐたところをぐる/\とびまはります。そして、そこから片手(かたて)に一ぱいになるまで花(はな)をつみとり、子供(こども)と一しよに神(かみ)さまへもつてかへります。そしてその花(はな)を、天国(てんごく)で、もつと/\うつくしく、さき誇(ほこ)らせるのがきまりになつてゐるのです。
 神(かみ)はその一つ/\の花(はな)を胸(むね)におだきしめになり、中(なか)で一ばんおすきな花(はな)に頬(ほゝ)ずりをなさいます。すると、その花(はな)には声(こゑ)がさづけられ、讃美(さんび)の大合唱(だいがつしよう)の謡(うた)ひ手(て)にまざつて謡(うた)ふことが出来(でき)るのです。
 天使(てんし)は今(いま)或(ある)一人(ひとり)の子供(こども)をかゝへて、天(てん)へ上(のぼ)らうとしてゐました。天使(てんし)は、その子(こ)が、いつも遊(あそ)んでゐた、あたりの土地(とち)の上(うへ)をとびまはり、うつくしく花(はな)のさいた花園(はなぞの)の中(なか)をくゞりながら、その子(こ)にたづねました。
「ごらんなさい、どの花(はな)を天国(てんごく)へもつていきませう。」
 子供(こども)には、その声(こゑ)が、夢(ゆめ)の中(なか)でのように聞(き)きとれました。
 二人(ふたり)のたゝずんでゐるそばには、なよやかな、きれいな、ばらの茂(しげ)みがありました。しかし、だれかわるい子(こ)が茎(くき)を折(を)りまげていつたので、半(なか)ば開(ひら)きかけた莟(つぼみ)の、一ぱいついてゐる枝(えだ)が、どれもこれも、みんな、しなびて、四方(ほう)へ、だらりとたれ下(さが)つてゐます。
「かわいさうなばらの木(き)ね。──あの花(はな)をとつてよ。あれを、あちらでさかしてやりませうよ」と、子供(こども)は言(い)ひました。
 天使(てんし)はその茎(くき)をとりました。そして子供(こども)に頬(ほゝ)ずりをしました。子供(こども)は半(なか)ば目(め)をひらきました。そして二人(ふたり)は、その、ゆたかな花(はな)をいくつか、つみとりました。
 それから、人々(ひと/゛\)から、さげすまれてゐる、きんぽうげの花(はな)と野生(やせい)のぱんじーをも、つみとりました。
「ほら、これでそろつた」と子供(こども)が言(い)ひました。天使(てんし)は、うなづきました。しかし天使(てんし)は、まだ空(そら)へ上(のぼ)らうとはしませんでした。それは夜(よる)で、どこも、かしこも、しいんと、しづまつてゐます。二人(ふたり)はその大(おほ)きな都会(とかい)の中(なか)に、そのまゝ下(お)りてゐました。
 二人(ふたり)はそれから或(ある)小(ちひ)さな通(とほ)りへ、ひら/\とはひつていきました。すると、そこには今日(けふ)、おひつこしがあつたと見(み)えて、藁(わら)だの灰(はひ)だの、いろんなごみだのが、いくつもかためてたかくつみ上(あ)げてありました。
 その中(なか)にはお皿(さら)の欠(か)けこはれだの、石膏(せつこう)のきれだの、ぼろだの、古(ふる)い帽子(ぼうし)だのが見(み)えてゐます。それこそ、けつして、きれいな見場(みば)ではありません。
 でも天使(てんし)は、このごた/\した、物(もの)くづの中(なか)にまざつてゐる、いくつかの植木(うゑき)ばちのかけらと、そばに、おちこぼれた、土(つち)のかたまりとを指(ゆびさ)しました。
 そこには、一本(ぽん)の大(おほ)きな、かさ/\に枯(か)れた、野(の)の花(はな)がころがつてゐます。もう何(なん)のやくにもたゝないから、なげすてられたものです。土(つち)のかたまりは、その根(ね)にくつついてゐたのが、おちたのでした。天使(てんし)は、
「その枯(か)れた花(はな)も持(も)つてかへつてやりませう」と言(い)つて、ひろひました。
「そのわけは、これから、空(そら)をとんでいくみち/\話(はな)してきかせませう」と天使(てんし)は言(い)ひました。

     二

 天使(てんし)はやがて話(はな)し出(だ)しました。
 あの下(した)の、せまいろぢの、或(ある)ひくい穴倉(あなぐら)の中(なか)に、病身(びようしん)な、あはれな男(をとこ)の子(こ)が住(す)んでゐました。小(ちひ)さなときから、ひよわくて、床(とこ)にばかりついてゐたのです。一ばん、かげんのよいときにでも、たゞ脚杖(あしづゑ)にすがつて、部屋(へや)の中(なか)を、三四(さんよ)たび、そつちからこつちへ、いきかへりするだけが、せい一ぱいでした。
 夏(なつ)が来(く)ると、五六日(にち)の間(あひだ)、太陽(たいよう)の光(ひかり)が、三四時間(さんよじかん)、その穴倉(あなぐら)の床(ゆか)へさしこみました。男(をとこ)の子(こ)は、その間(あひだ)は、いつもその日(ひ)の光(ひかり)をあびて座(すわ)りました。そして三本(ぼん)の指(ゆび)を目(め)のまへにかざして、赤(あか)い指(ゆび)の血(ち)を、すかして見(み)ながら、
「あゝ、けふはお日(ひ)さまが出(で)てゐる」と言(い)ひ/\しました。
 となりの家(うち)の男(をとこ)の子(こ)が、ぶなの木(き)の、出(で)たての、緑(みどり)の枝(えだ)を、一本(ぽん)とつて来(き)てくれました。男(をとこ)の子(こ)は、うつくしい緑(みどり)の春(はる)の森(もり)を、たゞそれによつて知(し)り得(う)るだけでした。男(をとこ)の子(こ)はその枝(えだ)を、頭(あたま)の上(うへ)にさゝげかざして、太陽(たいよう)が、てりかゞやき、鳥(とり)がうたつてゐる、ぶなの森(もり)に、じぶんがはひつてゐることを夢(ゆめ)みました。
 やはり春(はる)の或日(あるひ)、となりの子供(こども)が野(の)の花(はな)をいろ/\もつて来(き)てくれました。その中(なか)に、たま/\、根(ね)のついた草花(くさばな)が一本(ぽん)ありました。男(をとこ)の子(こ)はそれを植木鉢(うゑきばち)にうゑて、寝床(ねどこ)のそばの窓(まど)ぎはへおきました。草花(くさばな)は、全(まつた)く運(うん)のよい人(ひと)の手(て)で植(う)ゑつけられたわけでした。それがだん/\に大(おほ)きくなり、あたらしい根(ね)をも張(は)りました。そして毎年(まいねん)花(はな)をもちました。
 男(をとこ)の子(こ)のためには、その一本(ぽん)の草花(くさばな)が、けんらんな花園(はなぞの)のかはりをしました。それは、男(をとこ)の子(こ)にとつては、この地上(ちじよう)での、たゞ一(ひと)つの小(ちひ)さな宝(たから)でした。
 男(をとこ)の子(こ)は、その草花(くさばな)に水(みづ)をくれたりして、いたはり、日(ひ)の光(ひかり)の一筋(ひとすぢ)をでものがさないように、──小(ちひ)さな窓(まど)から、やつと、もがいてさしこんで来(く)る、最後(さいご)の光(ひかり)までがあたるように、気(き)をくばつてゐました。
 それから花(はな)そのものは、男(をとこ)の子(こ)の夢(ゆめ)の中(なか)に織(お)りこまれました。草花(くさばな)は男(をとこ)の子(こ)のために生長(せいちよう)し、その目(め)を喜(よろこ)ばし、そして男(をとこ)の子(こ)のぐるりに、いゝ匂(にほ)ひをひろげたのでしたから。
 男(をとこ)の子(こ)は神(かみ)さまが、おめしになつて死(し)んだまぎはにも、その草花(くさばな)の方(ほう)に顔(かほ)を向(む)けてゐました。男(をとこ)の子(こ)は、すでに一年(ねん)の間(あひだ)、神(かみ)さまの、みもとにゐます。一年(ねん)の間(あひだ)、あの草花(くさばな)は、忘(わす)れられたまゝ窓(まど)に立(た)つてゐました。そして、もう、なえ、しぼんでしまつたので、お引(ひ)つこしのときに、往来(おうらい)のごみの中(なか)へ、なげすてられました。
「今(いま)わたしたちが花(はな)たばの中(なか)に入(い)れたのが、その草花(くさばな)です。あはれな、しぼんだこの花(はな)がそれです。これは、王妃(おうひ)の花園(はなぞの)の中(なか)の一ばんきれいな花(はな)よりも、もつと多(おほ)くの歓(よろこ)びをあたへた花(はな)ですから、もつて来(き)てやつたのです。」
「そんなくはしいことを、どうしてあなたは知(し)つてゐるの?」と、天使(てんし)にかゝへられて、大空(おほぞら)をいく子供(こども)が聞(き)きました。
「知(し)つてゐますとも。脚杖(あしづゑ)にすがつて歩(ある)いてゐた、あの小(ちひ)さな子供(こども)といふのは、この私(わたし)だつたのですから」と天使(てんし)は答(こた)へました。
 子供(こども)は目(め)を見(み)ひらいて、天使(てんし)の、幸福(こうふく)な光(ひかり)はえた、顔(かほ)を見(み)つめました。そしてその瞬間(しゆんかん)に、二人(ふたり)は、平和(へいわ)と歓(よろこ)びの国(くに)へはひりました。
 神(かみ)は、死(し)んでゐるその子(こ)を胸(むね)におだきしめになりました。それからその子(こ)は、さつきの天使(てんし)のとほりの羽根(はね)をつけてもらひました。そして二人(ふたり)で、手(て)に手(て)をとつてとびまはりました。
 神(かみ)は、二人(ふたり)が地上(ちじよう)から持(も)つて来(き)た、すつかりの花(はな)を胸(むね)におだきしめになりました。それから、あの、しなびた、野(の)の花(はな)だけには、頬(ほゝ)ずりをなさいました。すると、その花(はな)には声(こゑ)が出(で)るようになりました。そして、飛(と)びかはしてゐる、すべての天使(てんし)と一しよになつて歌(うた)ひました。天使(てんし)たちは、或(ある)ものは、じき近(ちか)くを、或(ある)ものは、もつとひろい環(わ)をつくり、或(ある)ものは、無限(むげん)のへだたりの向(むか)うを、かけめぐつてゐます。しかし、みんな、ひとしく幸福(こうふく)にみたされてゐます。
 その天使(てんし)がみんなうたひます。大(おほ)きな天使(てんし)も、小(ちひ)さなのもみんな一しよに。それから、今(いま)羽根(はね)をもらつたばかりの、仕合(しあはせ)な、いゝあの子(こ)も、それから、せまい、くらい町(まち)のろぢで、お引(ひ)つこしのあとの、すたれものゝ中(なか)に、あくたの中(なか)に投(な)げすてられてゐた、あの、しぼんだ野(の)の花(はな)も、やはり一しよに、うたひつゞけました。




   あひるの子(こ)

     一

 夏(なつ)の半(なかば)でした。野(の)にはからすむぎが青(あを)くのび、小麦(こむぎ)が黄色(きしろ)くうれ、乾草(ほしぐさ)もすつかりかわき上(あが)つて、気持(きもち)のいゝにほひを、みなぎらせてゐました。
 その中(なか)をとほつてゐる、或(ある)きれいな堀(ほ)りわりのそばに、だれも人(ひと)の住(す)んでゐない、ぼろぼろのすたれ家(や)がありました。
 その庭(には)には、おき去(ざ)りにされた鶏(にはとり)と鵞鳥(がちよう)とあひるとの群(むれ)が、勝手(かつて)気(き)まゝにくらしてゐました。
 家(いへ)のじき後(うしろ)から、掘(ほ)りわりの岸(きし)までの間(あひだ)には、大(おほ)きな/\ごぼうが、生(は)えつゞいてゐました。その葉(は)かげへ、子供(こども)たちが大(おほ)ぜいでかくれても、まるで見(み)つかりさうもないくらゐに大(おほ)きくのびしげつてゐました。
 あひるたちの中(なか)の或(ある)一人(ひとり)のお母(かあ)さまあひるが、そのごぼうの葉(は)の下(した)に巣(す)を作(つく)つて、六(むつ)つの卵(たまご)の上(うへ)にすわりました。
 その六(むつ)つの卵(たまご)のうち、五(いつ)つは、白(しろ)いきれいな卵(たまご)でしたが、あとの一(ひと)つは、ほかのよりもとびはなれて、へんに大(おほ)きな上(うへ)に、いやな、きたならしい灰色(はひいろ)をしてゐました。お母(かあ)さまのあひるは、どうしてこの一(ひと)つだけが、こんなにちがつてゐるのだらうと、しきりに、ふしぎがつてゐました。
 ほかの鳥(とり)のお母(かあ)さまでしたら、これは、じぶんが、水(みづ)の中(なか)へ泳(およ)ぎに下(お)りてゐたるすに、だれか、よその鳥(とり)のお母(かあ)さまが、気(き)まぐれに産(う)みおとして行(い)つたのではないかと、すぐ、うたぐつたはずです。けれど、あひるといふ鳥(とり)は、あんまりかしこい鳥(とり)ではなく、それにものゝ数(かず)をかぞへるといふことには、取(と)りわけ鈍(どん)な方(ほう)なので、このお母(かあ)さまも、じぶんがはじめ、いくつ卵(たまご)を生(う)んだかといふことも考(かんが)へて見(み)ませんでした。お母(かあ)さまのあひるは、たゞそのへんな色(いろ)の卵(たまご)も、どうかほかのと同(おな)じように、ちやんとかへつてくれるようにと一しようけんめいにすわりつゞけてゐました。
 それらの卵(たまご)は、このあひるのお母(かあ)さまがはじめて生(う)んだ卵(たまご)でした。ですから、それはだいとくいで、だいじにあたゝめてゐました。
 お母(かあ)さまのあひるは、それだけに、ほかの母親(はゝおや)のあひるたちのことを心(こゝろ)でわらつてゐました。それらのあひるたちは、いつもせつかく生(う)んだ卵(たまご)もそつちのけにして、みんなでぺちやぺちやしやべり合(あ)つてゐました。それから運動(うんどう)のためなら、朝(あさ)と夕方(ゆふがた)と二度(ど)だけ、水泳(みづおよ)ぎをするだけでたくさんなのに、そのほかに何度(なんど)となく泳(およ)ぎに行(い)きました。
 お母(かあ)さまのあひるは、いくにちも/\すわつてゐました。それでも卵(たまご)は中々(なか/\)かへりません。さすがのあひるも、少(すこ)しあき/\して来(き)ました。あたりまへなら、もうかへつてもいいのだらうに、どうしてこんなに手間(てま)どるのだらう、あゝあ、少(すこ)し外(そと)を歩(ある)いて見(み)たいなと思(おも)ひました。
 しかし、うつかり巣(す)をはなれてゐる間(ま)に、卵(たまご)が冷(ひ)えて、中(なか)の子(こ)どもたちが死(し)にでもしたら、ほかのあひるたちから、うんと馬鹿(ばか)にされるにちがひないと思(おも)つて、せい/゛\がまんしてゐました。そのかはり、一日(にち)に何度(なんど)となく、もう卵(たまご)のからがわれたらうか、まだかしらと、ひつきりなしに巣(す)から下(お)りてのぞき/\しました。そのために、卵(たまご)のかへるのが、なほ/\おそくなりました。
 そのうちに、やつとのこと、二(ふた)つだけの卵(たまご)に、かすかな、ひゞが見(み)えて来(き)ました。お母(かあ)さまのあひるは、それですつかり元気(げんき)づいて、すべての卵(たまご)を、ずつとくつつけよせました。そして、その日(ひ)一日中(いちんちじゆう)、ちつとも巣(す)をはなれないで、一生(しよう)けんめいにあたゝめつゞけました。
 あくる朝(あさ)になりますと、卵(たまご)が五(いつ)つまで、みし/\と割(わ)れるのが聞(き)きとれました。お午(ひる)じぶんになりますと、その中(うち)の二(ふた)つから、小(ちひ)さな黄色(きいろ)い頭(あたま)がむく/\と動(うご)き出(で)ました。
 お母(かあ)さまのあひるは、それは/\大(おほ)よろこびで、さつそくその二(ふた)つのからを上手(じようず)にくちばしでやぶつて、ひな鳥(どり)を出(だ)してやりました。そしてその晩(ばん)も夜(よ)どほし、あとの卵(たまご)をあたためました。
 さうすると、あくる朝(あさ)まだ日(ひ)の出(で)ないうちに、あとの四(よつ)つのうちの三(みつ)つが、又(また)からがやぶれて、すべてゞ十(とを)の小(ちひ)さな目(め)が、きよと/\と外(そと)の青(あを)い世界(せかい)を見(み)てゐました。
 お母(かあ)さまのあひるは、小(ちひ)さなときから、きれい好(ず)きにそだてられたあひるでしたので、すわるにも、上(うへ)を歩(ある)くにも、じやまになる、いらないからを、すつかり巣(す)の中(なか)からとりのけました。そして、のこりの一(ひと)つの卵(たまご)をあたゝめました。それは、前(まへ)に言(い)つた、一(ひと)つだけちがつて灰色(はひいろ)をしてゐる、ほかのより、ずつと大(おほ)きなあの卵(たまご)でした。
 お母(かあ)さまのあひるは、これさへかへしてしまへば、もう外(そと)へも出(で)て、みんなとお話(はなし)をしたりしてあそばれるのだと思(おも)ひ/\、毎日(まいにち)すき間(ま)もなしにすわつてゐました。
 しかし、その卵(たまご)は、いくにちたつても一こう、ひゞがいりません。お母(かあ)さまのあひるはしまひには、もうじれつたくなつて、一度(ど)、お父(とう)さまのあひるに相談(そうだん)して見(み)たいと思(おも)ひました。
 でも、お父(とう)さまのあひるは、巣(す)へは、ちつともよりついてくれませんでした。
 或日(あるひ)、一人(ひとり)のおばあさんのあひるが見(み)まひに来(き)てくれました。お母(かあ)さまのあひるは、
「ほんとにもう、いやになつてしまひました。これだけあたゝめてゐれば、二組(ふたくみ)の子供(こども)たちがかへせるのですがね。この卵(たまご)にかぎつてどうしていつまでもかうなのでせう」と、こぼしました。
「どら、ちよいとお見(み)せなさい」と、おばあさんはその卵(たまご)をのぞきこんで、
「あゝ、やつぱりさうだ。お前さん、これは七面鳥(めんちよう)の卵(たまご)ですよ。私(あたし)もわかいときに、人にいたづらをされて、七面鳥(めんちよう)の卵(たまご)をだかせられたことがありました。七面鳥(めんちよう)つてものは馬鹿(ばか)なやつで、せつかくかへしてやつたのに、水泳(みづおよ)ぎを仕(し)こまうとすると、てんで水(みづ)の中(なか)へはひらないんです。そのじれつたさつたらありませんよ」と、おばあさんは言(い)ひました。
 お母(かあ)さまのあひるは、しかし、私(あたし)の巣(す)へ、そんな七面鳥(めんちよう)なぞの卵(たまご)がはひるはずはないと思(おも)ひました。
「まあ/\、しかたがありません。もうひとしきりあたゝめて見(み)ませう。これから二十四時間(じかん)あたゝめて、それでもかへらなければ、もうほふつてしまひます。そろ/\ほかの子供(こども)たちに、泳(およ)ぎや餌(ゑ)をひろふことを習(なら)はせなければなりませんしね。さう一度(ど)に二(ふた)つの仕事(しごと)は出来(でき)ませんから。」
 かういひ/\、羽根(はね)をひろげて、その卵(たまご)を巣(す)のまん中(なか)へはたきよせました。
 お母(かあ)さまのあひるは、そのあくる日(ひ)も一日中(いちんちじゆう)すわつてゐました。ゆふかたになつて、ためしに、そうつと下(お)りて見(み)ますと、何(なん)だか、からの上(うへ)の方(ほう)にかすかにひゞが出(で)て来(き)たように思(おも)へました。
 あひるは、それで急(きゆう)に、いきほひづいて、その晩(ばん)は夜(よ)どほし眠(ねむ)らないで、朝(あさ)まで一生(しよう)けんめいにあたゝめとほしました。
 すると朝日(あさひ)の光(ひかり)の最初(さいしよ)の一筋(ひとすぢ)がさし出(で)ると一しよに、お腹(なか)の下(した)で、六(むつ)つ目(め)のひな鳥(どり)が、むづ/\動(うご)き出(だ)したようでした。おやと思(おも)つて飛(と)び下(お)りて見(み)ますと、例(れい)の、のこりの卵(たまご)が、とう/\からが割(わ)れて、大(おほ)きなぶかつこうなひなが、さかさまに、ごろりと、ころがり出(で)てゐました。

     二

 それは全(まつた)く、ぶざまな、みにくい子供(こども)でした。いくらお母(かあ)さまのあひるだつて、まあ、いやな子(こ)だと思(おも)ひました。しかし、ともかく大(おほ)きくて強(つよ)さうなことだけは取柄(とりえ)でした。
「これなら、水(みづ)の中(なか)へつれていけば一人(ひとり)でどん/\泳(およ)げるよ」と、お母(かあ)さまのあひるは言(い)ひました。さう言(い)ひながら、その子(こ)の、長(なが)い、はだかのくびと、背中(せなか)じゆうに生(は)えてゐる、うすぎたない、どす黒(ぐろ)い生毛(うぶげ)を、見(み)つめてゐました。
 間(ま)もなく、お母(かあ)さまのあひるは、その一ばんしまひの子(こ)どもと、あとの、かわいらしい五人(ごにん)の子(こ)どもとを、みんな引(ひ)きつれて、掘(ほ)りわりの中(なか)へ下(お)りていきました。
 すると、思(おも)つたとほり大(おほ)きな強(つよ)い子(こ)は──ほかの黄色(きいろ)い生毛(うぶげ)の子(こ)たちにくらべると、見(み)かけだけは半分(はんぶん)もかわいらしくありませんけれど──泳(およ)ぐことにかけては、それは、たつしやで、どん/\先(さ)に立(た)つて泳(およ)ぎまはりました。
 いつかのおばあさんのあひるは、その子(こ)どもたちが岸(きし)へ上(あが)つて来(く)るのを待(ま)つてゐました。
「まあ、よかつたこと。七面鳥(めんちよう)ぢやありませんね。少(すこ)しやせて、皮(かは)がたるんでゐるし、からだの色(いろ)も、たいしてきれいではないけれど、でも、どことなく、たゞの子(こ)よりは、ずばぬけた、えらものゝようなところがある。それに、じようずに頭(あたま)を持(も)ち上(あ)げて泳(およ)ぐぢやありませんか。」
 おばあさんは、小(ちひ)さな声(こゑ)で、かう正直(しようじき)に話(はな)してくれました。
「ありがたうございます」とお母(かあ)さまのあひるは言(い)ひました。
 お母(かあ)さまのあひるはさう言(い)はれて見(み)ると、この一ばんあとから生(うま)れた子(こ)にも、あれなりに、どこかかわいさがないでもないと思(おも)ひました。
「そりや、あとの五人(ごにん)の子(こ)とくらべたら、だいぶちがつてはゐるけれど、だつて、一人(ひとり)だけ、はなして見(み)れば、さう/\をかしな子(こ)でもないわ」と、心(こゝろ)の中(なか)で言(い)いました。
 おばあさんも、お母(かあ)さまのあひるを手(て)つだつて、六人(ろくにん)のひなを、巣(す)の方(ほう)へつれてかへりました。
 と、ちようど庭(には)のまん中(なか)あたりへ来(き)ますと、そこのところに、一ばん年(とし)を取(と)つた、大(おほ)おばあさんのあひるが、土(つち)の上(うへ)にすわつてゐました。この大(おほ)おばあさんは、この庭中(にはじゆう)の鳥(とり)たちみんなから、ほんとに尊(たつと)びうやまはれてゐました。
「さ、みんな、あのおばあさまのところへいつて、おじぎをしていらつしやい」と、お母(かあ)さまのあひるは、ひなたちに言(い)ひました。
「ごらんなさい。母(かあ)さまがするとほりに、かうして、あんよをすつかり両方(りようほう)へはなして歩(ある)くんですよ。足(あし)の先(さき)でちよこ/\走(はし)つたりするのは、げすなうちの子(こ)ですよ。」
 子(こ)どもたちはさう言(い)はれて、あぶなつかしく、お母(かあ)さまのとほりの足取(あしど)りをしてちかづきました。そして、おばあさんにおじぎをしました。おばあさんは、それを見(み)て、よろこんでにこ/\わらひました。
 しかし、ほかの多(おほ)くのあひるたちは、さもけいべつしたように、
「ぷ、あんなにどつさり子(こ)を生(う)んだよ。これぢや、庭中(にはじゆう)が一ぱいになつちまふぢやないか。それにごらん。あんないやな大(おほ)きな子(こ)が一ぴきゐるわ。おゝきたならしい。あんなのが仲間(なかま)にゐちや私(あたし)たちまで顔(かほ)が赤(あか)くなる。一(ひと)ついつて、あいつをおひ出(だ)してやらうよ。」
 一ぴきの女(をんな)のあひるはかう言(い)つて、いきなり羽根(はね)を突(つ)き立(た)てながら、どん/\走(はし)りよつて、例(れい)の大(おほ)きなひなのくびへぐいとかみつきました。ひなはぎやつと大声(おほごゑ)を上(あ)げました。生(うま)れてはじめて、いたい目(め)にあつたので、びつくりしたのです。先(さき)に立(た)つて歩(ある)いてゐたお母(かあ)さまのあひるは、その声(こゑ)におどろいてふりかへりました。
「あら、何(なに)をするんです。この子(こ)の父(とう)さまをよんで来(き)てよ。何(なん)の悪(わる)いこともしないものをいぢめるつて法(ほう)がありますか。」
 お母(かあ)さまのあひるは、おこつて、するどくかう言(い)ひました。
「だつて、こんなきたならしい見(み)つともないあひるがゐちや、みんなだつて気(き)まりがわるいぢやありませんか」と、女(をんな)のあひるは言(い)ひました。
 大きなひなには、その言葉(ことば)がよく分(わか)りませんでしたけれど、それでも、じぶんがひどく馬鹿(ばか)にされてゐることだけは、十分(じゆうぶん)わかりました。
 すると、ちようどそばにゐた、この庭中(にはじゆう)の鳥(とり)を支配(しはい)してゐる、年(とし)を取(と)つた、おぢいさまのあひるが、
「まつたく、この子(こ)だけは、そつちにゐるかわいらしい子(こ)どもらとは、だいぶちがふな。かわいさうに、もう一度(ど)かへし直(なほ)せるものだといゝがね」と言(い)ひました。
 大(おほ)きなひなは、それを聞(き)くと、はづかしくて、はづかしくて、たゞ首(くび)をうなだれて、もじもじしてゐました。お母(かあ)さまのあひるは言(い)ひました。
「えゝ、この子(こ)だけはほかの子(こ)ほどきれいではございません。ですけれど、泳(およ)ぎは一等(とう)じようずでございますよ。そして、たいそう強(つよ)い子(こ)でございますの。これなら、後(のち)にはどうかかうか、人(ひと)さまと同(おな)じように生(い)きていけるかと思(おも)ひます。」
「いや、それはむろん大丈夫(だいじようぶ)だよ。まあ/\おれがゐるから、人(ひと)が何(なん)と言(い)つたつてびくびくしないでお暮(くら)しよ」と、そのおぢいさまのあひるは言(い)つてくれました。
 お母(かあ)さまのあひるや、ほかの子(こ)どもたちは、それで安心(あんしん)して、毎日々々(まいにち/\)愉快(ゆかい)にくらしました。
 しかし、たつた一人(ひとり)、例(れい)の大(おほ)きな子(こ)だけは、このお庭(には)にゐるのが、日(ひ)ましに、いやになりました。多(おほ)くのあひるたちは、お母(かあ)さまのあひるが見(み)てゐないと、すぐに、大(おほ)きな、いやな子(こ)を引(ひ)つぱたきました。大(おほ)きな/\七面鳥(めんちよう)の男(をとこ)までが、この子(こ)を見(み)ると、きつときたない奴(やつ)だ、みにくい奴(やつ)だと悪口(わるくち)を言(い)ひとほしました。五人(ごにん)の小(ちひ)さな兄弟(きようだい)たちも、──人(ひと)から聞(き)くまでは何(なん)とも気(き)がつかないでゐましたが──みんなが、大(おほ)きなひなの悪口(わるくち)をいふものですから、しまひには、その子(こ)たちまでが、すつかりばかにして、しじゆう、いぢめとほしました。
 大(おほ)きなあひるの子(こ)は、後(のち)にはもういやで/\たまらなくなりました。何(なん)だかそのうちには、お母(かあ)さままでも、じぶんをにくみ出(だ)しはしないかとさへ、うたがはれて来(き)ました。
 それでとう/\或(ある)晩(ばん)、そのあひるの子(こ)は、庭中(にはじゆう)のあひるや鶏(にはとり)たちがみんな眠(ねむ)つてゐる間(ま)に、こつそりとぬけ出(だ)して、ごぼうの葉(は)の中(なか)をかくれてとほり、それから掘(ほ)りわりの岸(きし)につたはつて、よち/\とにげだしました。
 そのうちに、だいぶたつてから、葦(あし)のどつさりはえしげつた、大(おほ)きな沼地(ぬまち)のところへ出(で)て来(き)ました。あひるの子(こ)は、その葦(あし)の中(なか)へはひつて寝(ね)ころびました。しかし、あんまりくたびれ過(す)ぎたのと、もう一(ひと)つは、何(なん)だか怖(こは)いのとで、ちつとも眠(ねむ)れませんでした。
 間(ま)もなく、葦(あし)の葉(は)の間(あひだ)から、朝(あさ)の光(ひかり)がさしはじめました。見(み)ると、ぐるりには大ぜいの鴨(かも)がかたまつてゐました。あひるの子(こ)はそれを見(み)てびつくりしました。しらないで鴨(かも)の住(す)み場所(ばしよ)へはひりこんだのです。あひるの子(こ)は、今(いま)にどうかされはしないだらうかとびくびくしてゐました。
 でも羽根(はね)のきかない子(こ)ですから、飛(と)び立(た)つてにげることも出来(でき)ません。それで、しかたなしにおづ/\と立(た)ち上(あが)つて、その鴨(かも)たちに、ていねいにおじぎをしました。鴨(かも)たちは、あひるの子(こ)をじろ/\見(み)まはしながら、
「はつは、きたならしいあひるだなあ」と、みんなで口(くち)をそろへて言(い)ひました。
「だが、それはおれたちにはどうでもいゝ。たゞ、そんなあひるのくせに、おれたちの仲間(なかま)にはひりたいなんて、ぜいたくをいふと、たゞではおかないぞ」と、二三人(にん)の鴨(かも)がかはるがはる言(い)ひました。
「いゝえ、こゝで休(やす)んで、又(また)向(むか)うへいくのです」と、あひるの子(こ)は言(い)ひました。
 それから、まる二日(ふつか)の間(あひだ)、あひるは、その葦(あし)の中(なか)で、くらしました。そこいらに見(み)つかるだけのものを食(た)べ、沼地(ぬまち)の中(なか)の水(みづ)を飲(の)んでは、ぢいつと休(やす)んでゐました。
 あひるは、こんな、ゐごこちのよい愉快(ゆかい)なところは、又(また)とないだらうと思(おも)ひました。それに、第一(だい)、じぶんを引(ひ)つぱたくものもゐず、じぶんのことをきたない/\と、のゝしるものもゐません。それだけでもどんなにのび/\してくらせるか分(わか)りません。あひるの子(こ)は、このまゝいつまでもこゝにかうしてゐたいものだと思(おも)ひました。
 そんなことを考(かんが)へてゐますと、ちようどそこへ、二人(ふたり)のわかい雁(がん)の子(こ)が、夕御飯(ゆふごはん)の餌(ゑ)をさがしに下(お)りて来(き)ました。その二人(ふたり)が、
「おい、あひるさん、おれたちは、もうこの沼(ぬま)にはあき/\したので、明日(あす)はほかのところへ行(い)つて見(み)ようと思(おも)つてゐる。もつと大(おほ)きな湖水(こすい)で、食(た)べものもどつさりあるところを見(み)つけなくちや。──どうだ、お前(まへ)も一しよにいかないか」と、かう言(い)つてくれました。あひるの子(こ)は二人(ふたり)のいふことをうたがふように、
「そんないゝところがあるのですか」と、言(い)ふか言(い)はないうちに、どーん、ぴゆーといふ音(おと)がしました。それと一しよに二人(ふたり)のわかい雁(がん)は、たちまち、ばたりと目(め)の前(まへ)にたふれて死(し)んでしまひました。
 その鉄砲(てつぽう)の音(おと)で、そこいらにゐた鴨(かも)たちは、びつくりして一どにばた/\飛(と)び立(た)ちました。どん/\、ぴゆー/\といふ音(おと)が今度(こんど)は引(ひ)つきりなしにつゞきました。
 あひるの子(こ)は飛(と)び立(た)つことが出来(でき)ないので、むちゆうで水(みづ)の中(なか)へ飛(と)びこんで、もぐりもぐりにげました。
 すると、ふいに、大(おほ)きな四(よ)つ足(あし)をしたものが、赤(あか)い舌(した)をぶら下(さ)げて、のそりと目(め)の前(まへ)にあらはれました。あひるはぎよつとして思(おも)はず生(は)え切(き)らない羽根(はね)の下(した)へ首(くび)を突(つ)つこみました。すると、そのおそろしい四(よ)つ足(あし)の大(おほ)きなものは、くん/\鼻(はな)を鳴(な)らして、あひるのからだ中(じゆう)をかぎまはしました。そして、それなり、ついと向(むか)うへいつてしまひました。
 あひるの子(こ)は青(あを)くなつて、岸(きし)のそばの、くぼんだ穴(あな)の中(なか)へ飛(と)びこみました。その穴(あな)の中(なか)には、しだがしげつてゐました。あひるはそのしだの下(した)へかくれて、やつと息(いき)をつきました。
「あゝあぶないところだつた。私(わたし)がこんなにきたないので、四(よ)つ足(あし)の大(おほ)きなものまでがいやがつて行(い)つてしまつた。おかげで殺(ころ)されずにすんだから幸(さいはひ)だ」と、あひるはたいそう喜(よろこ)びました。そのうちに、どん、ぴゆー、どん/\びゆーといふ音(おと)がやつと止(や)みました。
 あひるの子(こ)は、それでもまだぢつとして、しばらくしだの中(なか)にもぐつてゐました。

     三

 もう、あたりは、しいんとしてゐました。あひるの子(こ)を見(み)てゐるものは、早(はや)い星(ほし)の瞳(ひとみ)だけでした。
 あひるの子(こ)は、それで、やつと穴(あな)からはひ出(だ)して、そこいらをくる/\見(み)まはしました。
「もう沼地(ぬまち)などにゐては、こはくてたまらない。早(はや)くどこかへ行(い)つてしまひたい。」
 かう思(おも)ひながら見(み)ますと、沼は(ぬま)、もと、じぶんが出(で)て来(き)た方(ほう)へ向(むか)つて、どこまでも延(の)びひろがつてゐました。
 それで、あひるは、反対(はんたい)の方角(ほうがく)へどん/\歩(ある)いていきました。
 すると、しまひに、或(ある)ぼろ/\の、半分(はんぶん)たふれかけた小屋(こや)の前(まへ)へ来(き)ました。入口(いりぐち)の戸(と)も、上(うへ)の一(ひと)つの蝶番(ちようつがひ)に引(ひ)つかゝつて、あんぐりと下(さが)つてゐました。そのすきまから、小(ちひ)さな焚火(たきび)の光(ひかり)が見(み)えました。家(うち)の中(なか)には、その小(ちひ)さな火(ひ)より外(ほか)には、あかり一(ひと)つ、ついてゐませんでした。
 あひるの子(こ)は、そつと、その家(うち)の中(なか)へはひりました。すると戸口(とぐち)のじきそばに、がたがたの椅子(いす)が一(ひと)つおいてありました。あひるはその下(した)へこゞんで、部屋(へや)の中(なか)をじろ/\見(み)まはしました。こゝにさへゐれば、だれにも見(み)つかりさうもありませんでした。しばらく様子(ようす)を見(み)てゐても、だれも鼻(はな)を鳴(な)らしてかぎにも来(き)ません。戸口(とぐち)に近(ちか)いので、にげ出(だ)すときにも、ざうさはありません。それであひるは安心(あんしん)して、そのまゝそこへ寝入(ねい)つてしまひました。
 この小屋(こや)には、年(とし)を取(と)つたおばあさんが、猫(ねこ)と一羽(は)のめん鶏(どり)と三人(にん)で住(す)んでゐるのでした。しかし、じつさいの主人(しゆじん)は猫(ねこ)と鶏(とり)とでした。おばあさんは毎日(まいにち)朝(あさ)から晩(ばん)までぽつりぽつり糸(いと)をつむいで、それを近(ちか)くの町(まち)へ売(う)りにいくのです。そして猫(ねこ)と鶏(とり)とをじぶんの子(こ)どものようにかわいがつて、それこそ、したいまゝをさせてゐるのでした。
 あくる朝(あさ)、夜(よ)が明(あ)けますと、猫(ねこ)と鶏(とり)とは、戸口(とぐち)の椅子(いす)の下(した)に、はだかんぼうの、へんな小(ちひ)さな鳥(とり)が来(き)てゐるのを見(み)つけ出(だ)しました。
 あひるの子(こ)は猫(ねこ)たちを見(み)ると、きゆうにぶる/\ふるへ出(だ)しながら、いつでもにげられるように、身(み)がまへをして、二人(ふたり)の足(あし)もとを、一生(しよう)けんめいに見(み)すゑてゐました。
 しかし二人(ふたり)とも、むやみに人(ひと)に喰(く)つてかゝりさうな、そぶりも見(み)えませんでした。
 あひるの子(こ)はそれを見(み)て、少(すこ)し安心(あんしん)しました。そのうちに二人(ふたり)はしづかにこちらへ歩(ある)きよつて来(き)ました。
「おまへは卵(たまご)がうめるかい?」と、めん鶏(どり)が聞(き)きました。
「いゝえ。私(わたし)は卵(たまご)なんかうむことはしりません」と、あひるの子(こ)はおとなしく答(こた)へました。めんどりは、なあんだといふような顔(かほ)をして、くるりと背中(せなか)を向(む)けました。
「ぢやお前(まへ)は、怒(おこ)つたときに、毛(け)を逆立(さかだ)て、きげんのいゝときにはにやあ/\なけるかね?」と猫(ねこ)が聞(き)きました。
「いゝえ。私(わたし)はたゞ、少(すこ)し泳(およ)ぎが出来(でき)るだけです」と、あひるは正直(しようじき)に答(こた)へました。
 そんな泳(およ)ぎなぞは、めん鶏(どり)や猫(ねこ)にはどうでもいゝことでした。
 二人(ふたり)はまだ寝床(ねどこ)にはひつてゐる、年(とし)を取(と)つたおばあさんのそばへ行(い)つて、
「おばあさん、いやな、はだかんぼうの鳥(とり)が家(うち)へはひりこんで来(き)ました。卵(たまご)もうめないし、にやあ/\なくことも出来(でき)ないつていふんですが、そんなやくざものは追(お)ひ出(だ)してしまひませうね」と、二人(ふたり)は代(かは)る/゛\言(い)ひました。
「いゝから、おいておやり」と、おばあさんは手(て)みじかにかう言(い)ひました。
「卵(たまご)もうめないといふ奴(やつ)をおいたつてばか/\しい話(はなし)だけれど、ぢや、しばらくおいて、ほんとにうめないかどうか、ためすんですね」と、めんどりが言(い)ひました。
 あひるの子(こ)は、それから三週間(しゆうかん)もこの家(うち)でくらしました。猫(ねこ)や、めんどりは、じぶんたちの食(た)べものを分(わ)けて食(た)べさせました。
 しかし、あひるの子(こ)はいつまでたつても、卵(たまご)をうみさうにもありませんでした。猫(ねこ)たち二人(ふたり)は、こいつはろくでなしだとあきれました。
 あひるの子(こ)はあひるの子(こ)で、毎日々々(まいにち/\)こんな陰気(いんき)な小屋(こや)の中(なか)でくらすのは、あき/\してしまひました。あゝ/\、水(みづ)のある、ひろ/゛\したところへ出(で)て、思(おも)ひ切(き)り泳(およ)いで見(み)たいな、と、あひるは毎日(まいにち)さう思(おも)ひました。
「まあ、お前(まへ)は何(なん)だつて、そんな、へんな顔(かほ)ばかりしてるの?」
 或日(あるひ)めんどりは、あひるの子(こ)がふさぎ切(き)つてゐるのを見(み)て聞(き)きました。
「私(わたし)は水泳(みづおよ)ぎがしたくつてたまらないのです。あなた方(がた)にはお分(わか)りにならないでせうけれど、かういふ風(ふう)に水(みづ)の中(なか)へ首(くび)をかう突(つ)つこんで、すい/\と、まつすぐに水(みづ)のそこまでもぐりこむときの愉快(ゆかい)さと言(い)つたらありませんよ」と、あひるの子(こ)は言(い)ひました。
「つまらないことを言(い)ふわね。そんなことがどうして面白(おもしろ)いでせう。猫(ねこ)さんだつて、水泳(みづおよ)ぎなんかゞ何(なん)だいと言(い)ふわ。ねえ。」
「あたりまへさ。ばか/\しい」と猫(ねこ)はふくれて言(い)ひました。
「私(わたし)はおいとまをいたゞきます。もうこゝにゐるのがたまらなくなりました」と、あひるは言(い)ひました。
 猫(ねこ)とめんどりとはふくれた顔(かほ)をして、
「勝手(かつて)におしよ」と言(い)つたまゝ、ぷいと背中(せなか)を向(む)けてしまひました。
 あひるは、二人(ふたり)にお礼(れい)を言(い)つて、さようならをして出(で)て行(い)かうと思(おも)ひましたが、二人(ふたり)がぷいと向(むか)うへ行(い)つてしまつたので、仕方(しかた)なくそのまゝ外(そと)へ下(お)りました。二人(ふたり)にそんなにぷりぷりされたので、あひるは変(へん)に悲(かな)しくなりました。
 しかし、久(ひさ)しぶりで大空(おほぞら)の下(した)へ出(で)て、間(ま)もなく、あたりの川(かは)の中(なか)へ飛(と)びこみますと、あひるは、もう何(なに)もかもすつかりわすれて、たゞもう愉快(ゆかい)で/\たまりませんでした。
 あひるの子(こ)はそれからしばらくの間(あひだ)、その川(かは)のふちで、幸福(こうふく)に満足(まんぞく)にくらしてゐました。

     四

 そのうちに早(はや)くもいやな冬(ふゆ)が来(き)ました。そして雪(ゆき)がふりはじめました。川(かは)のふちは、じくじくして、冷(つめ)たくてたまりません。あひるの子(こ)には、かうなつては、水(みづ)の中(なか)もいやなものだといふことが分(わか)りました。
 或(ある)夕方(ゆふがた)、太陽(たいよう)が、大(おほ)きな、まつ赤(か)なまりのようになつてしづみかけてゐました。
 そのとき、ふいに、高(たか)い空(そら)の上(うへ)で、いきほひのいゝ大(おほ)きな羽(は)ばたきの音(おと)が聞(きこ)え出(だ)しました。見(み)ると、それは、地上(ちじよう)の雪(ゆき)のような、まつ白(しろ)な羽根(はね)をつらね、黄色(きいろ)い長(なが)いくちばしをそろへて、ぴゆう/\と、南(みなみ)のあたゝかい国(くに)へ向(むか)つて移(うつ)つていく、大(おほ)ぜいの美(うつく)しい白鳥(はくちよう)の群(むれ)でした。
「あゝ、私(わたし)もあの人(ひと)たちと一しよに勝手(かつて)なところへ飛(と)んでいけたらば」と、あひるの子(こ)はため息(いき)をしながら思(おも)ひました。しかし、じぶんなぞが、そんなに自由(じゆう)に大空(おほぞら)を飛(と)ぶことが出来(でき)ないのはもとよりのことでした。
 それに、こんな、うすぎたない鳥(とり)を、あんな立派(りつぱ)なきれいな烏(とり)が仲間(なかま)にいれてくれるはずもありません。
 あひるの子(こ)は、それ等(ら)の白鳥(はくちよう)たちの、羽音(はおと)と影(かげ)とが消(き)えて行(い)くのを、一人(ひとり)しよんぼりと見(み)おくつてゐました。
 それからは毎朝々々(まいあさ/\)、一日(にち)ましにいよ/\、寒(さむ)くなつていきました。あひるの子(こ)は、からだをあたゝかくするために、たえず一生(しよう)けんめいに動(うご)きまはつてゐなければなりませんでした。それはほんとに苦(くる)しい骨(ほね)をりでした。
 そのうちに、或(ある)晩(ばん)、水(みづ)がみし/\とこはゞつて来(き)て、だん/\に、あがきがとれないようになつて来ました。
 あくる朝(あさ)になりますと、あひるのからだはすつかり氷(こほり)の中(なか)にかたまりついてゐました。あひるの子(こ)はもう気(き)がぼうとなつてしまつて、何(なに)が何(なん)だかちつとも分(わか)らないでゐました。
 ほんとにもう一二時間(じかん)もそのまゝでゐたら、あひるの子(こ)は、それなり死(し)んでしまふところでした。でも幸(さいはひ)なことに、そこへ、ふと一人(ひとり)の人(ひと)が通(とほ)りかゝりました。
 その人(ひと)はこれから仕事(しごと)に出(で)かける途中(とちゆう)でした。その人(ひと)があひるの子(こ)が氷(こほり)に閉(と)ぢられてゐるのを見(み)つけ出(だ)して、だぶ/\の木靴(きぐつ)で氷(こほり)をふみわつて、ぐんなりしてゐるあひるを引(ひ)き上(あ)げました。そして、そのこゞえたからだを、羊(ひつじ)の毛皮(けがは)のついた上着(うはぎ)の下(した)へおしこんで、お家(うち)へ引(ひ)きかへしました。
 あひるは毛皮(けがは)の中(なか)にくるまつたので、やつと少(すこ)しばかり正気(しようき)がついて来(き)ました。
 をぢさんは家(うち)へ引(ひ)きかへすと、そのあひるを子供(こども)たちにくれておいて、又(また)出(で)ていきました。
 子供(こども)たちは三人(にん)で、
「やあ、この鳥(とり)、まだ生(い)きてらあ」と言(い)ひながら、あたゝかい食(た)べものを持(も)つて来(き)て食(た)べさせました。
 それから函(はこ)の中(なか)ヘ入(い)れて、火(ひ)のそばへおいてくれました。あひるは、おかげでしまひには、すつかり元気(げんき)がつきました。
 すると子供(こども)たちは、
「さあ、あの鳥(とり)とあそぼうよ」と言(い)つて、函(はこ)の中(なか)からつまみ出(だ)しました。
 あひるの子(こ)は、これまでまだ一ども、人間(にんげん)の子(こ)とつき合(あ)つたことがないので、その子(こ)たちがおもちやにしようとするのを、いぢめ殺(ころ)さうとするのだとかんちがひして、びつくりして、ばた/\にげまはりました。牛乳(ぎゆうにゆう)の缶(かん)の中(なか)へ、どぶんと落(お)ちこんだり、棚(たな)のお皿(さら)にぶつかつたりして、ばた/\したあげくに、命(いのち)から/゛\、戸口(とぐち)の外(そと)へ飛(と)び出(だ)しました。そしていきなり、お家(うち)の後(うしろ)の枯(か)れた茂(しげ)みの中(なか)へもぐりこんで、そのまゝ、冬中(ふゆじゆう)そこにかくれこゞんでゐました。
 その一冬(ひとふゆ)を、どうしてしのいで来(き)たかといふことは、あひるも後(あと)になつては、じぶんでも、よく分(わか)りませんでした。
 たゞ、毎日々々(まいにち/\)ふるへ通(どほ)しにふるへてをり、食(た)べるものもろくにないので、ときには、もうこれなり、かつゑて死(し)ぬのではないかと思(おも)つたりしたことを、たゞ、ぼんやりとおぼえてゐるきりです。全(まつた)く無我夢中(むがむちゆう)で、やつとのこと生(い)き延(の)びて来(き)たのでした。
 しかし、しまひには、だん/\と日(ひ)ざしがあたゝかくなつて来(き)ました。間(ま)もなく、小鳥(ことり)たちも、うたひはじめました。草(くさ)も青(あを)くなり、いろ/\の花(はな)をも持(も)つて来(き)ました。
 そのときには、あひるの子(こ)も、これまでとちがつて、からだもすつかり大(おほ)きくなり、羽根(はね)もよつぽど、つよくなつたような気(き)がしました。
 茂(しげ)みの中(なか)から向(むか)うをのぞいて見(み)ますと、うす赤(あか)いうつくしい雲(くも)のようなものが、小山(こやま)の下(した)に下(お)りてゐました。あひるは何(なん)だらうと思(おも)つて、そばへ行(い)つて見(み)て来(き)たくなりました。
 あひるは、間(ま)もなく、ぱた/\と力(ちから)一ぱいかけ上(あが)りました。
「ほゝう、飛(と)べる/\。こんなに飛(と)べるようになつた」と、あひるはびつくりして喜(よろこ)びました。そして、すうい/\と大空(おほぞら)の下(した)をかけぬけて、またゝく間(ま)に小山(こやま)のそばへいきました。
 うす赤(あか)い雲(くも)だと思(おも)つたのは、山(やま)の下(した)の或(ある)お家(うち)のそばにつゞいてゐる林檎(りんご)の花(はな)でした。
 そのお家(うち)のすぐ前(まへ)には、きれいな掘(ほ)りわりが流(なが)れてゐました。あひるはその岸(きし)の茂(しげ)みの中(なか)にかくれて、しばらくあたりを見(み)てゐました。
 さうすると小屋(こや)の後(うしろ)から、いつか大空(おほぞら)をたかく消(き)えて行(い)つた、あれと同(おな)じの、うつくしい、まつしろな白鳥(はくちよう)の群(むれ)が、にこ/\と出(で)て来(き)ました。
 そして、みんなで順々(じゆん/\)に、ふはり/\と堀(ほ)りわりの中(なか)へ下(お)りて、愉快(ゆかい)さうに、すい/\すい/\泳(およ)いでまはりました。
 あひるは、それを見(み)ると、うらやましくて、ゐたゝまれなくなりました。
「私(わたし)も行(い)つて一しよに泳(およ)いで来(こ)よう。これまでのように、寒(さむ)さやひもじさに苦(くる)しんだり、ほかの、いやな鳥(とり)たちからいぢめられたりするよりも、あの白鳥(はくちよう)につつつき殺(ころ)してもらつた方(ほう)がどのくらゐましだか分(わか)らない。」
 かう思(おも)つて、あひるはすぐに、ついと水(みづ)の上(うへ)へかけ下(お)りました。そして、どん/\白鳥(はくちよう)たちの方(ほう)へ泳(およ)いでいきました。
 白鳥(はくちよう)たちはそのうちに、茂(しげ)つた木(き)の枝(えだ)のつき出(で)てゐる、青(あを)い蔭(かげ)の下(した)へはひつて休(やす)みました。あひるが間(ま)もなく、そのそばまで近(ちか)づきますと、白鳥(はくちよう)の中(なか)の、年(とし)わかい二三人(にん)がそれを見(み)つけて、うれしさうな声(こゑ)を上(あ)げながら、出迎(でむか)ひに泳(およ)いで来(き)ました。
 あひるは、半分(はんぶん)はまだ、こはさにふるへながら、そのわかい白鳥(はくちよう)と一しよに、年(とし)を取(と)つた白鳥(はくちよう)たちのそばへいきました。そして、おど/\しながら言(い)ひました。
「私(わたし)は殺(ころ)されるならば、あなた方(がた)に殺(ころ)していたゞかうと思(おも)つて出(で)てまゐりました。こんな、きたならしい私(わたし)なんかをかへさないでおいてくれゝばよかつたのですのに。」
 かう言(い)つて、ぺこ/\おじぎをしました。と、それと一しよに、あひるには、じき下(した)の水(みづ)の上(うへ)に、みんなのまつ白(しろ)い羽根(はね)と、長(なが)いしなやかなくびと、金色(きんいろ)のくちばしとが、うつりかさなつてゐるのが目(め)にはひりました。あひるは、そのきれいなものゝそばにうつる、じぶんのきたならしい影(かげ)をさがしました。
 しかし、じぶんのま下(した)には、やはり同(おな)じような、白(しろ)い羽根(はね)と、白(しろ)い長(なが)いくびと、金色(きんいろ)のくちばしとがうつつてゐるきりで、きたないあひるの姿(すがた)はちつとも見(み)えません。
 あひるは、へんだと思(おも)つて、あとずさりをして見(み)ました。すると、じぶんの目(め)の下(した)には、やつぱり同(おな)じ白鳥(はくちよう)の姿(すがた)がうつるではありませんか。
 そこへ、さつきのお家(うち)の子供(こども)たちが、白鳥(はくちよう)にびすけつとをくれに出(で)て来(き)ました。そして、
「やあ、きれいな白鳥(はくちよう)が来(き)たね。あれが一番(ばん)きれいだね。」
「羽根(はね)もずつと白(しろ)いよ。くちばしの色(いろ)も、ずつときれいだよ」と、うれしさうにほめ合(あ)ひました。
 あひるは、じぶんがいつの間(ま)にか白鳥(はくちよう)になつたことを、をどり上(あが)つてよろこびました。
 しかし、この鳥(とり)はもと/\あひるではなかつたのです。一ばんはじめに、あのお母(かあ)さまのあひるが、巣(す)にはひつてゐた白鳥(はくちよう)の卵(たまご)を、それとは知(し)らずにかへしたのでした。




   かゞり針(ばり)

 或(ある)ところに、一本(ぽん)のかゞり針(ばり)がゐました。その針(はり)は、じぶんのことを、さも/\なよやかな、きやしやな針(はり)だと思(おも)ひこんでゐました。じぶんは刺繍(ししゆう)の針(はり)だと思(おも)つて見(み)たりしました。
 かゞり針(ばり)は、じぶんをとり出(だ)した、料理女(りようりをんな)の手(て)の指(ゆび)たちに向(むか)つて、
「いゝかい、気(き)をつけておくれ。あたしを、ちやんと、しつかりもつて、落(おと)さないようにね。地面(ぢめん)へおとしたら、もう見(み)つかりつこはありませんよ。あたしは、こんな、ほつそりした、針(はり)なんだからね」と、いばつてかう言(い)ひました。
「さうだらうな」と指(ゆび)たちは答(こた)へて、針(はり)のからだを、しつかり、にぎりしめてゐました。
「ごらん、あたしは、お供(とも)のものをつれて出(で)るわよ」と針(はり)は言(い)ひました。うしろに、長(なが)い糸(いと)を引(ひ)いてゐます。しかし、その糸(いと)には、とめがしてありませんでした。
 指(ゆび)たちは、料理女(りようりをんな)のすりつぱの、上側(うはがは)についてゐる、なめし皮(がは)の破(やぶ)れをぬひ合(あは)せようとするところでした。指(ゆび)は、その破(やぶ)れ目(め)のところへ、針(はり)を向(む)けました。
「あら、何(なん)て乱暴(らんぼう)なことをするの、あなたがたは。あたしなんか、そんなものへ、つきとほりはしませんよ。おゝ、をれる、をれてしまふわよ。」
 そのとほり、針(はり)はほんとにぶきりと目(め)のところが、こはれてしまひました。
「だから言(い)つたぢやありませんか。あたしはきやしやすぎるほど、ほそいんだから」と針(はり)は言(い)ひました。
「これぢや、もう役(やく)には立(た)たない」と指(ゆび)たちは言(い)ひました。でも指(ゆび)は、みんなで、やつぱり針(はり)を持(も)つてゐなければなりませんでした。料理女(りようりをんな)は、その針(はり)の頭(あたま)へ、封蝋(ふうろう)をつけました。そして、その針(はり)で、襟巻(えりまき)のきれの前(まへ)をとめました。
「ほら。これであたしは、胸(むね)かざりのとめ針(ばり)になつた。あたしには、いつかは、かういふ、いばつたものになれるのが、ちやんと分(わか)つてゐた。おたがひに腕(うで)さへあれば、何(なに)かの位置(いち)につけるはずだからね。」
 針(はり)はかう言(い)つて、そつと、一人(ひとり)で笑(わら)ひました。一たい針(はり)が笑(わら)つたりするところは、人(ひと)の目(め)には見(み)えないものです。針(はり)は、まるで、王(おう)さまからの、おさし向(む)けの馬車(ばしや)にでも乗(の)つたように、をさまりかへつて坐(すわ)りながら、あたりを、じろ/\見(み)まはしてゐました。そして、おとなりにゐる留針(とめばり)に聞(き)きました。
「しつれいですが、あなたは金(きん)でお出来(でき)になつていらつしやるのでせうか。すいぶんおかわいらしいお姿(すがた)で。一ぷう変(かは)つたお頭(つむ)をしてお出(い)でですこと。でもお頭(つむ)は、かなりお小(ちひ)さいんですね。あなたは、大(おほ)きくおなりになるには、よほどお骨(ほね)がをれるでせうね、だれもかれもが、あたしのように、封蝋(ふうろう)をつけてもらふといふわけにはいきませんからね。」
 針(はり)は気取(きど)りかへつて、つんと、そつくりかへつたはずみに、つるりと、襟(えり)まきの布(きれ)からぬけ出(だ)して、料理女(りようりをんな)がさらつてゐた下水溜(げすいだめ)の中(なか)へおちこんでしまひました。
「おや、旅行(りよこう)に出(で)るんだわ。まさか、おとしものにされたんぢやないだらうから」と針(はり)は思(おも)ひました。しかし、事実(じじつ)はやはり落(おと)されたのです。
「じたい、あたしは、この世(よ)の中(なか)でくらすには、少(すこ)し、ほつそりしすぎてゐるんだわ。でも、これでもあたしは、そこいらの、つまらないものたちとは生(うま)れがちがふんだから」と針(はり)は溝(どぶ)の中(なか)に横(よこ)たはりながらかう言(い)ひました。そして相(あひ)かはらず横風(おうふう)にふるまつて、ひとりいゝきげんでゐました。
 さうしてゐる針(はり)の上(うへ)を、それこそ、種々雑多(しゆ/゛\ざつた)なものが泳(およ)いでとほります。せとものゝ欠(か)けらだの、藁(わら)くづだの、古(ふる)い新聞(しんぶん)がみの切(き)れなぞが、どん/\とほりすぎます。
「おゝ、あれをごらん、走(はし)ること/\。あの人(ひと)たちは、みんな、下(した)にだれがゐるかつてことに気(き)がつかないんだよ。こゝには私(あたし)つてものがゐる。私(あたし)は、流(なが)されたりなんかしやしない。ちやんと、動(うご)かずに、ぢつとしてゐる。
 ほ、せとものゝ欠(か)けらが流(なが)れて来(き)た。あのかけらも、じぶんのことばかりしか考(かんが)へてゐやしない。じぶんといふ、欠(か)けらのことにばかり、かゝづらはつて、この世(よ)の中(なか)のほかの人(ひと)のことはちつとも気(き)にしないのね。
 今度(こんど)は藁(わら)くづがとほりすぎる。ほら、ひつくりかへつた。ほうほ、くる/\まはるわ。これ/\、じぶんのことばかり考(かんが)へてゐちやだめですよ。うか/\してゐると、つい石(いし)にぶつかつたりしますよ。
 ほら、あすこには古新聞(ふるしんぶん)のきれが泳(およ)いでゐる。そのからだにかいてあることは、もう、とつくに人(ひと)から忘(わす)れられてゐるくせに、まだ、気取(きど)りすましてゐる。あたしは、しづかに、がまんして、こゝに坐(すわ)つてゐる。私(あたし)には、あたしがどんな人柄(ひとがら)のものだかゞ分(わか)つてゐる。私(あたし)はいつまでも、この私(あたし)でゐるんだからね。」
 針(はり)は一人(ひとり)えらがつて、かう言(い)ひました。
 或日(あるひ)、じきそばを見(み)ますと、何(なん)だか、すばらしくぴか/\光(ひか)るものがゐました。きつとだいあもんどにちがひないと針(はり)は思(おも)ひました。しかし、ほんとは、こはれた壜(びん)のかけらなのでした。
 針(はり)は、それがきれいに光(ひか)るので、さも、じぶんの、ちようどいゝ話(はな)し相手(あひて)のように口(くち)をきゝかけました、、
「もし/\私(あたし)は胸(むね)かざりの留針(とめばり)ですが、あなたはだいあもんどさんでせうね。」
「むろんさうです。だいあもんどの種類(しゆるい)にはひつてゐるものです。」
 かうして二人(ふたり)はおたがひに、相手(あひて)を、非常(ひじよう)な貴(たふと)いものと思(おも)ひこんでしまひました、二人(ふたり)は世間(せけん)のことを話(はな)し合(あ)ひました。その言(い)ふことのきざなことゝ言(い)つたらありません。
「あたしは或(ある)貴婦人(きふじん)の手函(てばこ)の中(なか)にゐたのですの」と、かゞり針(ばり)は言(い)ひました。
「その婦人(ふじん)といふのは料理(りようり)をする人(ひと)で、その人(ひと)は、両方(りようほう)の手(て)に指(ゆび)を五本(ほん)づつもつてゐました。私(あたし)は、その指(ゆび)たちのような、こうまんちきなものを見(み)たことがありません。そのくせ、何(なん)のために、そこにくつついてゐるかといへば、たゞ、この私(あたし)を函(はこ)から出(だ)したり、もとへしまつたりするだけのためなんですから、あはれなものでせう。」
「みんないゝ家柄(いへがら)の人(ひと)ですか」と、壜(びん)のかけらは聞(き)きました。
「いゝえ、どうして。ろくな生(うま)れのものぢやないんです。でも、つん/\いばつてゐました。二家族(かぞく)とも五本(ほん)づゝの兄弟(きようだい)ですが、せいたけは、五人(にん)が五人(にん)、みんなちがつてゐます。でも、みんな、そろつて気(き)どりこんでゐるのです。
 一ばん外(そと)がはにゐる親指(おやゆび)といふのは、せいの低(ひく)い、ふとつた指(ゆび)で、いつも列(れつ)のまへにたつて、つき出(で)て歩(ある)いてゐます。背中(せなか)には関節(かんせつ)が一つしかなく、たゞ、ぴよこんと一ぺんおじぎをするだけの能(のう)しかないのです。それでも、私(あたし)を人間(にんげん)から切(き)りとると、もうその人間(にんげん)は戦争(せんそう)へは出(で)ることが出来(でき)ないのだと言(い)つてえらがつてゐます。
 二ばんめの人(ひと)さし指(ゆび)といふ指(ゆび)は、いつも、あまいものや、すつぱいものゝ中(なか)へからだをつつこむのがくせで、お日(ひ)さまやお月(つき)さまをも指(ゆびさ)します。そして五人(にん)がものをかくときには、その指(ゆび)がぺんをおさへてかきつけるわけです。
 三ばんめの、せいのたかい、のつぽうの中指(なかゆび)は、肩(かた)の上(うへ)からあとの四人(よにん)を見下(みおろ)してゐます。それから、四(よ)ばん目(め)の紅指(べにゆび)は、いつも腰(こし)のところへ金(きん)の帯(おび)をしめて歩(ある)きまはつてゐます。五ばん目(め)の小(ちひ)さな小指(こゆび)は、それこそ何(なん)にもしないでぶら/\してゐて、しかもそれを得意(とくい)にしてゐるのです。
 この指(ゆび)たちは、げんきよく、たゞ大(おほ)きなことばかり言(い)つていばるだけで、何(なん)のはたらきもないんですから、私(あたし)は、そばにゐるのがいやでたまらなくなつて、出(で)て来(き)たのです。」
「今(いま)ではおたがひに、こゝにゐて、きら/\光(ひか)つてゐるのだから、たいしたものですわ」と壜(びん)のかけらは言(い)ひました。
 さう言(い)つてるところへ、水(みづ)がもつとどん/\溝(どぶ)へ流(なが)れこんで、あたりへあふれ出(だ)しました。壜(びん)のかけらは、ずん/\持(も)つていかれてしまひました。
「おや/\、あの人(ひと)はつれていかれた。のこつてゐるのは私(あたし)だけだ。あたしは、きやしやすぎるほど細(ほそ)いけれど、それが私(あたし)の誇(ほこ)りだし、この誇(ほこ)りこそ貴(たふと)いものだわ。」
 針(はり)は傲(ごう)ぜんとそこにすわつて、ひとりで、いろんなことを考(かんが)へて、とくいになつてゐました。
「私(あたし)は太陽(たいよう)の光(ひかり)から生(うま)れたものと言(い)つてもうそぢやあなささうだわね。こんなにきら/\と、きれいなんだから、じつさい私(あたし)には、太陽(たいよう)の光(ひかり)が、いつも、水(みづ)の下(した)にゐる私(あたし)をさがしさがししてゐるように思(おも)はれてならない。あたしは、私(あたし)の母(はゝ)の日光(につこう)までが、私(あたし)を見(み)つけ出(だ)すことが出来(でき)ないくらゐ、細(ほそ)く、じなやかなのだ。あたしの、もとの目(め)は、こはれてないけれど、あの目(め)があつたら、あたしは泣(な)き出(だ)すでせうよ。いや/\泣(な)いてはいけない。泣(な)くつてことは、はしたないことだ。」
 或日(あるひ)、二人(ふたり)の宿(やど)なしつ子(こ)が、その溝(どぶ)へ来(き)て、泥(どろ)をほじくりかへしてゐました。とき/゛\そこから、古釘(ふるくぎ)だの、銅銭(どうせん)だのと言(い)つたような、とてもいゝものが見(み)つかることがありました。きたならしい仕事(しごと)でしたけれど、二人(ふたり)ともそれが非常(ひじよう)に面白(おもしろ)くてたまらないのです。
「あ、いたゝ」と、一人(ひとり)の子(こ)が、かゞり針(ばり)で、手(て)を刺(さ)して、びつくりして、
「この野郎(やろう)。──おい、おまいにちようどいゝものがあつたよ」と、もう一人(ひとり)の子供(こども)にいひました。
「あたしは野郎(やろう)ではありません。貴婦人(きふじん)ですよ」とかゞり針(ばり)は言(い)ひました。
 しかし、だれ一人(ひとり)、そんな針(はり)のいふことに耳(みゝ)をかすものはゐませんでした。針(はり)は、頭(あたま)の封蝋(ふうろう)もとれてしまひ、からだもまつ黒(くろ)になつてゐました。着物(きもの)でも黒(くろ)い色(いろ)は、人(ひと)を、すんなりと、しなやかに見(み)せるものです。ですから、かゞり針(ばり)は、じぶんのことを、前(まへ)よりも、もつと、ほつそりした、りつぱなものゝように思(おも)ひこんでゐました。
「おい、ほら、卵(たまご)の殻(から)が走(はし)つて来(き)たよ」と子供(こども)たちが言(い)ひました。そして、かゞり針(ばり)を、その殻(から)へ、ぷすりと突(つ)き立(た)てました。針(はり)は走(はし)り流(なが)れながら得意(とくい)になつて、
「白(しろ)い壁(かべ)と、あたしの黒(くろ)い姿(すがた)とは、いかにも、うつりがいゝのね。これで、あたしはすつかり人(ひと)の目(め)につくわ。だけど、たゞこんなに走(はし)つて、船(ふな)よひをしなければいゝが。」
 しかし、針(はり)は、めつたに、よひなぞはしませんでした。
「あたしのように鋼(はがね)の胃袋(ゐぶくろ)をもつてゐれば、そして、じぶんが普通(ふつう)の人(ひと)よりも少(すこ)し身分(みぶん)のよい人間(にんげん)だといふことを忘(わす)れさへしなければ、船(ふね)になんぞよひはしない。あゝ、もう船(ふな)よひなんぞは行(い)つてしまつた。人(ひと)は、忍耐(にんたい)づよければ強(つよ)いほど、見(み)かけもきれいに見(み)えるわけだわ。」
そのとたんに、
「ぐしやり」と卵(たまご)の殻(から)はつぶれました。手押車(ておしぐるま)にふまれたのです。
「あら/\、人(ひと)をこんなに、めちや/\にこはして……あたしは気分(きぶん)がわるくなつてしまつた。おゝ、ほんとに苦(くる)しくてたまらない。」と針(はり)は言(い)ひました。
 しかし、本当(ほんとう)のところは、針(はり)は苦(くる)しくも何(なん)ともないのでした。車(くるま)の輪(わ)がふみつけていつても、何(なん)のさわりもないのです。針(はり)は、その場(ば)へ、長(なが)まつてゐました。もう、それなり、いつまでも、そこにころがつてゐることでせう。




   まつち売(う)りの少女(しようじよ)

 十二月(がつ)三十一日(にち)の夕方(ゆふがた)がせまつてきました。それは、おそろしく寒(さむ)い、雪(ゆき)ふりの日(ひ)で、あたりは、もう、ほとんど、まつくらでした。
 その寒気(かんき)と暗(くら)がりとの中(なか)に、一人(ひとり)の、まづしい小(ちひ)さな少女(しようじよ)が、帽子(ぼうし)もかぶらず、赤(あか)はだしのまゝで、街々(まち/\)をさまよひあるいてゐました。
 お家(うち)を出(で)るときには、たしかに、すりつぱをはいてゐました。しかし、それはこの子(こ)にとつて何(なん)の足(た)しにもなりませんでした。母(かあ)さんが、そのときまではいてゐた、それはそれは大(おほ)きなすりつぱだつたからです。少女(しようじよ)は、二だいの馬車(ばしや)が、がら/\と、はげしいいきほひで通(とほ)りかゝつた往来(おうらい)を、あわてゝ、すべり横(よこ)ぎるはずみに、そのすりつぱを二(ふた)つともぬぎはなしてしまひました。
 その片方(かたほう)を一人(ひとり)の男(をとこ)の子(こ)が引(ひ)つつかんで逃(に)げていきました。男(をとこ)の子(こ)は、のちに大(おほ)きくなつて、じぶんに赤(あか)ちやんが出来(でき)たら、このすりつぱが立派(りつぱ)に揺(ゆ)り寝床(ねどこ)の代(かは)りにつかへるからと思(おも)つて、もつて行(い)つたのです。そのつれの片方(かたほう)は、どこをさがしても見(み)つかりませんでした。
 それで少女(しようじよ)は、小(ちひ)さな、はだかの足(あし)で歩(ある)いていきました。足(あし)は寒(さむ)さのために、それこそ赤青(あかあを)くしびれ上(あが)つてゐます。少女(しようじよ)は、古(ふる)けた前(まへ)かけの中(なか)に、まつちを少(すこ)しばかりかゝへ、片手(かたて)には、まつちの束(たば)を一(ひと)つもつてゐます。一日中(いちんちじゆう)あるいて来(き)たのに、だれ一人(ひとり)、買(か)つてもくれず、一銭(せん)だつてくれる人(ひと)もありませんでした。
 寒(さむ)さと飢(う)ゑとにふるへながら、少女(しようじよ)は、虫(むし)がはふように歩(ある)いてゐます。まつたく、みじめさ、そのものゝ姿絵(すがたえ)でした。かわいらしい、巻(ま)き毛(げ)になつて、くびにたれかゝつてゐる、その長(なが)い金色(きんいろ)の髪(かみ)には、雪(ゆき)が一ぱい、つもつてゐます。でも少女(しようじよ)は、その髪(かみ)の上(うへ)の雪(ゆき)のことなぞは考(かんが)へもしませんでした。
 家々(いへ/\)のすべての窓(まど)には灯(ひ)がかゞやいてゐます。そして、そこには、あぶつた鵞鳥(がちよう)の、はなやかなにほひがしてゐます。お正月(しようがつ)の前夜(ぜんや)のお祝(いは)ひだからです。少女(しようじよ)は、そのお祝(いは)ひのことばかり考(かんが)へてゐるのでした。
 二けんの家(うち)がならんでゐて、一けんの方(ほう)がずつと前(まへ)の方(ほう)に出(で)ばつてゐる、その、くひちがひの隅(すみ)のところに、少女(しようじよ)はちゞみ上(あが)つてすわりました。小(ちひ)さな二