ふるさと

                                  河上肇


   詩一首

山村一去路千里  雲間空望阿母家
誤作風塵場裏客  十年不見故郷花
              辛巳六月作

 

   短歌十首 そのをり/\

うまきもの食まれえぬ世とかはりつつ母老いませり我も老い行く
桑の実の赤きを食ひて口そめしをさなあそびの友はいま一人だになし
青淵は浅瀬となりてうろくづも見えずなりぬかふるさとの川
いとけなきわれをすずろに愛しみしおほちゝのとしいまこえむとす
こたつにていねつつ足を折り立てて亡き父のくせふと思ひ出づ
老松のすがるゝ見ればかなしかり亡きおほははのすがたしぬびて
はらからのかもせしみそをしるに煮てふるさとの香をうれしみてをり
ふるさとのみそのみそしるのとすぎてふるさとの香ぞ身にしみわたる
ことしより川原畑もおのが手にいもなど植ゑむと云ひてよこせし
かははらのはたけにいまかこやしやりわがはらからははるをまつらし

 

   長歌 反歌 二首
               癸未二月作

かどをいづればふくろふの
ときじくなけるたけやぶの
をぐらきかげのほそみちを
へびおそれつゝぬけいでて
かはらばたけのくろをゆき
いきごのうへにたたずみて
錦帯橋のしたながれ
臥龍橋をくぐりきて
錦屏山にせかれつゝ
しばしいざよふ錦川
せにさからへる鮎のむれ
しづかにくだるいかたぶね
うつくしかりしふるさとの
五十余をへつれども
おいらくの身にいまもなほ
なつちかしくこそおもひでらるれ

  反歌
ふくろふのなきしたけやぶあともなくいろざといまはのきならぶとぞ
まつやまをそがひにしたるあをぶちの鱒すみしかげもあさせとなりぬか

 

   餅
               癸未歳末作

配給の米の
餅となりて届きしを
手にとれば
柔かにして
まだぬくみあり
味噌をはさみ
火にあぶりてとうぶ
をさなき頃の
わがふるさとのならひなり
あゝ
ふるさと ふるさと
人は老いてふるさとを恋ふ
老いてますますふるさとの味をおもふ

 

   味噌
               甲申元旦作

関常の店へ臨時配給の
正月の味噌もらひに行きければ
店のかみさん
帳面の名とわが顔とを見くらべて
そばのあるじに何かささやきつ
奥さんはまだおるすどすかや
お困りどすやろ
などとお世辞言ひながら
あとにつらなる客たちに遠慮してか
まけときやすとも何とも言はで
ただわれに定量の倍額をくれけり
人並はづれて味噌たしなむわれ
こころに喜び勇みつつ
小桶さげて店を出で
廻り道して花屋に立ち寄り
白菊一本
三十銭といふを買ひ求め
せなをこごめて早足に
曇りがちなる寒空の
吉田大路を刻みつつ
かはたれどきにせまる頃
ひとりゐのすみかをさして帰りけり
帰りて見れば机べの
火鉢にかけし里芋の
はや軟かく煮えてあり
ふるさとのわかやのせどの芋ぞとて
送り越したる赤芋の
大きなるがはや煮えてあり
持ち帰りたる白味噌に
僅かばかりの砂糖まぜ
芋にかけて煮て食うぶ
どろどろにとけしあつき芋
ほかほかと湯気たてて
美味これに加ふるなり
うましうましとひとりごち
けふのゆふげを終へにつつ
この清貧の身を顧みて
わが残生のかくばかり
めぐみゆたけきを喜べり
ひとりみづから喜べり

 

   偶成
            甲申一月五日

天涯の一角に
あつき病を得て
すでに年の半ばを
あこは病院に臥せり

いとし子の病見むとて
老妻もまた
海のかなた
とつくににとどまれり

母はすでに八十四
いく山川をへだてて
西のかた二百里
わがふるさとに住めり

われひとり京のほとりにありて
母を思ひ
妻を思ひ
子を思ひ

曠古の大戦
世は狂へるがごと
わかいほは
ひるなほしづか

ひとはかかるさかひを哀めど
われ敢て黎明の近きを疑はず
こころは風なき春のあけぼの
大古の湖のしづけさに似たり

 

(昭和15・17年成立。昭和21年刊行。)

奥付

昭和二十一年十一月十五日印刷
昭和二十一年十一月二十日発行
                   ふるさと
                     定価 弐拾円
著者   河上 肇
発行者  後醍院良正
     大阪市北区中之島三丁目
印刷者  柊 新次
     大阪市福島区上福島中二ノ三七
印刷所  東亜印刷産業株式会社
     大阪市北区源蔵町一二
発行所  大阪市北区中之島三丁目三番地
     株式会社 朝日新聞社
     日本出版文化協会会員番号A一〇一〇〇一番
配給元  東京都神田区淡路町二丁目九番地
     日本出版配給株式会社

 

 


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