三人の処女


  序

情人を愛するごとく、私は詩を愛し、情人に別るゝごとく、私は詩に別れた。
私は情人を愛するごとくと言つたは、我ながら適切であるを覚える。『新体詩人』なる名称は曽て私等に冠らせられた荊棘の冠のごときものであつた。それは実に忌まはしき嘲笑を意味し、堪えがたきほどの侮蔑を意味した。さういふ中で、私は隠すやうにして、かず/\の詩を作った。私は又、衆人の前で自分の為したことを指摘された時は、あだかも吾胸の底深く秘したる愛を見あらはされたやうに、思はず吾頬を染めたこともあつた。
何といふ時の推移だらう。嘲笑と侮蔑とは、無意味な喝采に変つて行つた。恐らく今日の青年の中には私の斯く言ふことを真実にはすまいかと思はれる程である。
今日の詩は、私に取つて、発達した旧の情人を見るがごときものである。私は別れなければ成らない時が来て別れたので、決して浮いた心で詩を捨てたものでは無いから、斯の旧い馴染に対ひ向ふ度に特別の懐しみを感ずるのである。その領域は拡大せられ、その性質は著しく豊富にせられたことを感ずる。曽て私が Miss Poetry と呼んで居たものを、今では Madam Poetry と呼ばねば成らないやうな気もする。
山村暮鳥君の『三人の処女』が出来た。夫人が生んだ新しい子の一人だ。新しい香気と、淡い柔かな呼吸とに満ちた詩集だ。斯の母子に対して、私は曽ての自分の詩の愛を喚び起すものである。それが一生の忘れがたく美しい瞬間の一つであつたことをも感ずるものである。私は又、薄暮、情人を訪るるごとくにして詩に対した曽ての自分にも勝つて、よりよく吾愛の意味を知るものである。
斯く言つたからとて、これらの事が『三人の処女』に何物をも附け加へるものでは無い。私はたゞ思つたまゝを、序にかへて、書き送るまでゝある。
夫人よ、詩の母よ、最後に私は貴女の『三人の処女』の為に祝し、猶いつまでも貴女が若くてあることを祈る。
               島崎藤村


 SAGESSE


   T創造の悲哀


  独唱

かはたれの
そらの眺望の
わがこしかたの
さみしさよ。

そのそらの
わたり鳥、
世をひろびろと
いづこともなし。


  黒き猫

つくづくと芝生は悩み、
うづくまる黒き猫、
はつ雪か。われらがうれひは
媚びてあやしき装薬す。
さて、肉体の蒼白く、
知らずして秘めし願ひは
それとなくきえ失せんとし
逡巡ひつ、その猫の瞳に。


  河岸

いりひの疲れ……
しだれやなぎの
昼のためいき、
そよろと陰影。
うつくしや、
滅び行くもの、
にんげんの
かなしき智慧よ、
しづかなる光に
溺れて眠り、
やなぎの
枝を水にひく。

気の迷ひ、
ちらと落葉す。
(煩悶は
玉のごとし)


  心

稗をぬかずば農人よ
こがねなす、
田の面のひかり、

稗をぬかずば
淫欲にぬらす秘密の、
涙は朝の雨のごとし。
かなしみは光に黒く、
霊の上を長く。

農人よ、
空は唯、ひろしと言へど、
とこしへに汎きのみなる。


  とかげ
     ―F様に

走る蜥蝪の
紫と金……夢のILLUSION.

廃頽の園のなやみに
沁みてゆく、
さみしき入日。
(よきことを、おとづれたまへ)
糸の如く、
樹々の梢をわたる風、
年頃の心ともつれて、
さながらに吐息の如し。


  沈思と●●(まるめろ)(●はキヘン+「褞」の右側、●はキヘン+「孛」)

かろくとぢたる眼瞼よ、
●●(まるめろ)の黄な吐息よ、(●はキヘン+「褞」の右側、●はキヘン+「孛」)
冬の日ざしのうつらと病み
真摯なる夢がながれる。
●●(まるめろ)の黄な吐息を(●はキヘン+「褞」の右側、●はキヘン+「孛」)
かなしみつ、
やはらかき暗示の描く
匂ひより深きは涙。


  沼

やまのうへにふるきぬまあり、
ぬまはいのれるひとのすがた、
そのみづのしづかなる
そのみづにうつれるそらの
くもは、かなしや、
みづとりのそよふくかぜにおどろき、
ほと、しづみぬるみづのそこ、
そらのくもこそゆらめける。
あはれ、いりひのかがやかに
みづとりは
かく、うきつしづみつ、
こころのごときぬまなれば
さみしきはなもにほふなれ。

やまのうへにふるこぬまあり
そのみづのまぼろし、
ただ、ひとつなるみづとり。


  IDEAL

空よ、時雨のつかれに
眠る落葉のすすり泣き
なだらかなる
をんなの吐息。

わが真昼の良心は
ひえびえと、
蒼白く、
月の如し。



   U性慾と霊智


  冬の辞

かはたれのどよめきが生む
うすむらさきの愛の靄、
沈欝なる白き指先にて
いと、いと、軽く
雪空はぴあのを打つ──


  孤独と執着

われは、その壁の色を
忘れ得ざり、
その悲しき愛を……

みだりがはしき合奏に悩み
水銀の如く、
影に、のがれむとして、
からむ鏗笛の単音。
いまも吐息のほのかなる
すべてのものは
忍びやかに彎曲し、

月の夜なりけむ。
わが希望こそ、、おどろき易き
駝鳥の可笑しき首と、うごきつ、
しかして消ゆれど
その愛と影のみ、
唏嘘きして青き映画に猶、逡巡ふ。
鏗笛は怪しき処女の性、
いつとしも無く、
はたと、絶え、
しづかに、おお、にほやかに
捕へられたる光よ。


  途上所見

   1

うす靄のなやみの
まひるこそ美しけれ。
雪ふり虫は雪の如、
ひかりに脆し。
雪ふり虫ののぞみは
うす靄の紫、
あえかなる夢と溺れつ、
胸の秘密をかなしまむ。

あえかなる夢をたよりに
雪ふり虫のとびかふ。

   2

風は獣の如し、
樹々は
真裸の女。

しづかなる日ざしの
つかれか、
夢と落葉。

にんげんなれば
幸無さを、
われと煩ふ。


  冬

   1

わがかなしみは故もなし。
わがかなしみはひえびえと
過ぎにし日を、
わけゆく風なれ。

冬のなさけのまぶしさに、
鸚哥の如くうつむきて、
うつろひ易き心の
しづかなるまぼろし描く。

   2

希望は芒の穂にひかり、
冬は声無き涙となり、
そつとわが心に忍ぶ。

おどろきやすき心の猫は
赤いとんぼの陰影に、
智慧なければ、欺かれつ、

古沼の鈍き日ざしと
うつらふよ、をんなの肌と
わが憂愁のながめは。


  眺望

わが夢は
かきわりの画のごとし、
そのうへに動く影。
悩まざるわが夢は
影をしていらだたしむ、
そよとしも風の匂はず。

たへかねし眼瞼のしぐさの、
いぢらしや、すすり泣きしつ、
心はまたも君へさまよふ。


   V声

  人生

●●(まるめろ)は霊的に微温し、 (●はキヘン+「褞」の右側、●はキヘン+「孛」)
日毎夜毎のうす黄なる吐息は
にほひゆく死の陰影、
曖昧なる幻惑のびおろん。

おお、友よ、
わがあを白きふところ手は
夢の如く、季節を掴む。

その風景のかなしさに……


  勤行夜牀章

Gよ、自鳴鐘は六を打つた。
その悲しい柔かな光で洋燈は
蒼褪めた私に嫉妬を描いた。

ながれる光が私のまぶたに溢れ、
私の好む沈黙が渦を捲くと、
不思議な花は萎む。
Gよ、(信実は走る季節より迅速にそして憎らしいものだ)
けれどお前の圃に蒔いた種子を
私は悔んで、それに
涙をかけ様とは思はない。
おお、愛の種子、悲哀の種子、
光を永遠な土にかくれて呪ふ種子、

それは真昼であった。
一すぢの髪毛の夢で、
私がそつと生命をつないだのを
知つてるかい。真昼であった。
床の上が青空になり、
玉の様な霊魂の肌はすすり泣きして
眠る情緒の瞳を刺通した、
あの邪悪な銀の投槍で。

一秒すぎ、二秒、三秒……
どうしたものだ。黒い雪は
もはや降つてしまつて
おお、自鳴鐘は七を打つた。
お前はつひに来ないつもりだな、
それでゐて、唯、うれしさから、
その、私も権利のある
孤独の果実を落すのだろ。

いいさ、私はどうせ千鳥だもの、
でもGよ、つい、忘れかねてはあの海を
甲斐なくも呼んでみるのだ。
春を待つ感覚に
再び青い希望の甦るまで……
おお、自鳴鐘は八を打つた。
またと帰らないものは、
美しい線を引く、

おお、自鳴鐘は九を打つた。
私はあきらめまして、お月様。
その憂欝の誘惑が
雨となつたら私の頬はぬれますほどに
私は洋燈を消しますぞえ、
おお、お月様。
怜悧で、浮気な、お月様。


  猫

罪は無けれど猫、
その夜の瞳の
ちろろと悶えまどろめる。
愛と幸とのなまけもの、
ものうさにともしびも燼えよかし、
わが闇は
めづらしき星を示さむ。


  BEAUTY

感電した空の沈黙、
ものの匂ひの蝙蝠がちらほら、
やがて形作る夜の性、
愛は孤独のさみしさに、
拇指を、そつと冷い唇にした。
まつたく忘れてゐたその希望の
どこでか遠く、
三味を離れた涙のうめき、
と、
わが霊は眼盲ひ、
ずるずると
落日の光にすがつて、
ひきずられた。


  愛

憂欝よ、その美しさに自ら惑ふ、
われは冬の鵯、
過ぎし日の赤き木の実をもとめつ。
きみが髪毛のうれしさに
からみ匂ふ空の秘密よ、
雪ならばちらちらと
燃ゆる眼瞼の上にふり、
枯草の堆積を埋めて、われらを
再び、夢に泣かしむべけれ。


  力

われは力なり。
われは、かなしき光なり。
その、時ならず青々と
夢の如くのびし芽なり、
或は玻璃窓を匍ふ。


  光
      明石町のシヅヱ様に

わが美しき感覚は
色白き鵝鳥のごとく、
三味線の糸の如く、
さみしさに、噫、SOLO−SERENATA.

季節は影なれ、しかすがに
わが庭園のすたれゆく夜の悩みよ、
わが噴水は
かなしき夢に甦る。

かがやく過去に「死」を忘れたる推移ゆゑ、
女よ、われは行方を知らず。


  光

びんつけ油の匂ひ、
古めかしい髷の形、さては
鼈甲の中ざしの
飴色にきえやらぬ黒の斑。

手にさげたのは干鰈、
お婆さんの歩みの遅さに
あとから蹤いてゆく心、
それが小さい悶えをする。

椿の花のおちてゐる
崖下のうら路、
またも噎返るやうな日向にでると
びんつけ油の匂ひ。

怖い眼をぬすんで
そつと見つけた水すましよ、
脆く、とろけてゆくMOODの
泥溝には夢が光る。




 ほろびゆくもの


  えぴそおど

   1

ぶすぶすと希望のほめき、
冷酷な冬の理性の
光より薄きをんなの愛、
不安の空は信実なるゆめを求め
灰色にふせし眼瞼よ。
しづかなる力を感じ
而して躊躇はず、
赤きしぐなる燈、上る。

空をさ迷ふ樹葉の如く
わが蝙蝠は悲しみ、
こころの闇を飛びかふ。

   2

冬は信実な心、
冬は断末魔の声、
冬はかなしき接吻なれ、
或は、死ぬる女の美しさ、
勿体ないほど美しいその雪空の
そつと沁んでゆく色を
ぱんかの如く、
餓ゑたわが霊は
しかと両手に掴んで泣く。

   3

暖炉の上なる猫は
こころよく眠り、
円い時計盤より滴る青い夢、
垂直に、力をぬいて、
ぶらりとぶら下った銅色の振子に
すがりつき、
あらゆる幸福は黙す。
「時」は一つ所で
ながれてゐる、
そして「現実」を凝視めてゐる。

   4

にぎやかな線画の如く、
水かげらふが揺れる。
どこかで、
光が呼んでゐる。
いのちよ、何がうれしいのか、
もののほめきの忍びやかなる
さぐりよるめしひの手つき、
芽は感覚に──


  かほ

としよりのかほをみるは
ふゆのひのけはしきそらをみるがごとし。
ひたひなるつめのにほひ、
しの、ものすごきては
ひややかにかげをつくる、
いくすぢの、こはたましひの
うつくしきなげきのしわ、
そのしたに
ひかるめありて、
つくづくともののゆくすゑ、
はた、こしかたをながめつ。
よにおそろしきこともしらで、
ねむるこころのいとしさに
ともすればまぶたをぬらす。


  騒擾

その曲線を見よ、
あやしき光のだんすを……
しづかなる蠅のあとより陰影は
ものの匂ひを嗅ぎ廻る。
黄に悩むSYMPHONIE.
床の上なるなつかしさを

とりかこむ気圧よ、
何事もなし、
験温器に眠る水銀。


  AT HER GRAVE

樹の上の
鴉、鳴かず、
……………………。

縷の如く、もつれて咽ぶ死の讃美に
淡い労疲のかがやく時、
会葬者はただ一つの事をわすれてゐる。

冬にして黄い午後、
梢に鴉がとまつてゐる。
柔かい肌のやうな夕となるも遠からず、
梟は眼をしばたたき、草は冷え、女等は
さすがに受胎をおもはず……
かしこに小さい穴がある。

あはれ、怖しき土の匂ひは、にしきゑの
影の秘密を知らないで、
なんの反抗も処女なれば、
そして欺かれて眠つたのは
十字架に聖くゆるせし瑪瑙の霊魂

その穴のふかさよ、
その穴の周囲は次第に暗くなる、
梢に鴉がとまつてゐる。

現世ばかりは悲しみの、一日の疲労の後の
此の心地よさを何としよう?
さびしくかくれて泪に浮ぶ微笑の
此の愛の暗示を誰かは知る?


  冬の歌

ふゆのひのなごりの
CHORUS か、
かはのおもに
みづとりのゆめをながして、
みづとりのはねのかがやき、
うすいろのゆめをながして。


  雪

ぺらぺらと
枯草は小さいうれしさに燃え、
どこか芝居の背景の
鋏できざんだ紙の白さに、
冬の日ぐれをちらちらと、
わたしの胸に雪がふる。
ぺらぺらと
――焼あとの低い独唱。


  春

ゆるくながれる雪解けの
木目のやうな水の夢、
ひそかに芽ぐむなつかしさは
恋をするものに
夢と影とのかたらひよ、
みあかぬ色のうす浅黄。


  水辺にて

   1水かげらふの歌

雲を見たまへ。
あはれ、心のかげひなたを
冬と春とのゆきずり、
それとしもなき鐘が鳴る。
鐘が鳴る。
鐘より淡きおもひ出の
昼なれば窓の硝子の神経に射す
水かげらふの悲しさ?

   2譬喩

ころころ柳、猫柳……
おちつかぬ冬の感覚。
SWANよ
私の「愛」の泥ふかく、
をんなの欲しがる「夜」がある
ころころ柳、猫柳。
赤い灯かげの
私の性は水のにしきゑ。


  三人の処女

指をつたふてびおろんに流れよる
昼の憂愁、
然り、かくて縺れる昼の憂愁。

一の処女をSといひ、
二の処女をFといひ、
三の処女をYといふ。
然してこれらの散りゆく花が廃園の噴水をめぐり、
うつむき、
匂ひみだれてかがやく。

びおろんの絃よ!
悲しむ如く、泣く如く
哀訴の、されどこころ好き唄をよろこぶ
銀線よ!

昼の憂愁……




 理性の廃園


  ECSTASY

三味線は、憎し、
蛇の肌のなつかしき青光り、
その悲しさに黙すなれ、
われは眠れるEMERAUDE.
ほのかに、ほのかに月の暈
心にひらき、
美しき糸をたどって「死」の手の白、
そつと、夜はふける。


  墓碑に

雛罌粟の
さくをも待たで、
わがともは
土にかへりぬ、雛罌粟の
さくをも待たで……


  氈の上の哀歌

真白き君が蹠に
ふまれて燃る、われは氈――
われは現世をかなしみて
君を求めず、
夜としなれば我と唯、君が頸の青き玉
夢そらごとのSERENADE.

君が瞳に「時」を知る。
そはやはらかに黙すなれ
この美しき氈の上、
ああ、死よ。許せ、くちつけの日に
わすれし泪を、
君が頸のその心無き玉。


  SONATA

   1

彩れる夢の悲しさよ。

わが生命は赤く、
おそろしき「美」の繊維をふるはせ、
萎みなやめる雛芥子は、
わすれたる涙に、匂ふ。

彩れる夢の悲しさよ、
「記憶」にうかぶ歌のとぎれを
ほろび行くもの、
或は濡れにし「生」の線条。

   2

ふけてゆくのは夜ばかり、
おお、夏よ!
夢は誘はれた、
露を紀念のねがひ故。

女の様な無為のつかれに甦る。
あれさ、お聴き……
三味の音を

わたしの胸は悲哀の園、
まにら煙草の
けむりに咽ぶ
月見草の匂ひ…
黄い花……


  SILHOUETTES

   1

わが霊の如き、緑玉よ
はかなき生命のかがやきは
鳴かで小鳥の飛ぶが如く、
或は夢に、ぬれて肌の景色となる。
さてこそ夜の序曲……

雪か懴侮の、枯れにし禾堆の上、
わすれて悩む愛欲のめづらしさに
忽ち涙の消去るなれど
時ならず、
胸なる渦の緑玉よ、
その安かさのいたづらなる。

季節は金と赤とに入り、
光は物のかげを匍ふ。

   2

見よ、にほやかに夜ぞ下る、
それとなき月の光を。
君がうれひに夜ぞ下る、
夢の如くもにほやかに
ひと本のしだれ柳を、
やつれたる蚯蚓の歌を。

   3

燕は、世にも悲しけれ。
あやめはさけど我が感覚に
あたらしき希望は帰らず、
あやめの花のものうさよ。
あやめの花の、さても白きを、
我が好めるは
死の如く、水面に落つる其影、
悩ましけれどその音なき影。


  悲痛を論ず

遠ければ彼方の空、
わたしに何のかかはりもない
その空の雲の形。

私の眩しい瞳を指してくる
丘の圃のまつ直に
ほそい懶いCLARIONET.

これぞ黒い弔の歌、
大麦の穂並の光、
微風の様な「無限」の暗示。

これぞ黒い弔の歌、
敷布の上の見つけもの、
唯、一すぢの短い毛。


  愛惜と悲哀

月の冷酷、月のなぐさめ、
淫婦と蛇のひとみに光をもとめつ、
わが黄金の色ざめた心は
「美」の悲哀にある。

皮膚に、ぽと燃え上り、
信実を映じた感覚、
「いのち」と「力」と……憂欝なる
玩具の時計の音、
蜻蛉に眠るわが霊智よ。


  夜――夏の RYTHME

ただれたる真夏の光、
ひとみを呪へ、夜は躍る。
こざかしき昼顔の
花の如き脆きもの、
露にしほれて嗟嘆す。
いとしや、
真夏となりつ、
眩めく影。
官能のせせら笑ひよ
みにくき疲労、
何一つ、どよみ喚かぬものは無し、
さみしかる心の噴水。


  黒いもの

見よ、おそろしい「時」の前兆に
ひなげしの花は美しく、
夜のかがやきに美しく、
音もなく萎れて散つた。

黒いもの、
夜のかがやきに美しく、
その上に、
雨がふる。

黒いもの、
その上に雨がふる。

やすらかに美しく、
心にかへる悲哀よ、
わたしらの園は廃れて
その上に雨がふる。


  すけつち

まひるの夢をあざける
獰悪な夏の韻律、
腐れる「物」の美しさから、

光をうたへ、
毒草、溝の金ぽうげ、
蠢めく蛆をみる微睡が、
むらさき色の、純金の
無数の線に陰影をひく。




 愛


  小曲

   1

秋の日ざしのしづかなる
とほく眼瞼に浮ぶもの、
うすら光のうるほひ、
うつくしき心の上に、
我は聴く
赤き蜻蛉のなげきを……

   2

    And―you will count before your glass,more kisses than the lily has.(Baudelaire)

悲みは凡、純白し、
殊に、をんなの頸をいたはり
その頸に匂ひ玉。

煩悩のくもりぞ知る、
――明日を。
その頸の玉ぞ知る、
甲斐なきものと、心を。

   3

わが庭の入日よ、
冬近き樹々の葉、
冬近きまぶたに
はらはらと揺らぎつ、
ちりゆくは過ぎし日、
梢なる心の
しのびかに悲しむ。


  NOCTURN

   *

海の如く、
海よりも瞳は青し。
女の「幸」ぞかなしけれ、
うつくしきものは煙の如し
わが夢の悩める。

   *

夕月はわたしを泣かせ、
はつ恋は君を歌はす、
たよりなし、
凌宵花の蔓にかかれる
その花。

   *

あちらこちらの青い空、
わが心の潴には
小さな光の渦がまく、
(空こそは君の面なれ)
水すましに近づく死期よ。


  銘
     ――島崎藤村様に

世に、いやし難きは蟋蟀のかなしみなれ、
梢をはなれて心の如き芬香となり、
とこしへの、ゆめぞ肌のなめらかなる
そも、錆びにしはその月の頬這ふ涙。


  木犀

木犀の花のかほりに咽ぶ……
秋の日のうすらさみしい光を浴びつつ、
頻りに、死をねがふ
あたたかな午後の霊魂。

涙が胸の上にぽとりぽとりと、
いつのまにか、女は記憶にしのび込み、
その音を聞いてゐたつけが
もう、すやすやと眠つてゐる。

木犀の花が散ったら……
……冬……冬、冬……


  蟋蟀其他

   *

ほんにいとしや、
それやこれやも女ゆゑ
蟋蟀のかこちごと、
煩悶は玉の如し。

   *

蟋蟀は
金の小さき十字架を
肌に秘めて、なく、
ゆめよりも悲し。

   *

丘の上の
赤き旗は
君が髪のごとく

   *

明日を風に委す。
われは唯、単純を愛す。
磯山の草は
黄の花をつけぬ、
死ぬべき身なり。


  憧憬

譬へば尼の、としわかく、
ともすれば心の弱く、
暮れてゆく日のよろこびに
言ひ難き秋の色あり、
うつくしや、頬なる涙。




 かげ


  L’ETE

はれた蒼穹より
ふる芳香、
それがぬらした
黄い南瓜の花。

昼の、ねがひの、醜さの
おもひ出ばかり、
夢は曲線の陰影を引く。

(恋のむだ花……)
夏の、MOODの
雨こそ銀の槍の穂。


  無常と月光

ひなげしの花は悲し。
尼の如く、
狂ほしき月の園、
おぼろに匂ふ。

ま白き肌に媚びて、知る
秘密のめざめ美しけれ、
やすらかに眠れる
淫らなるわが霊。

ゆめの、(ひなげしの怖れよ。)
くちつけなれば
軽らかにこそ、
わが霊のぬれたる。


  影の ELEGIE

やはらかさよ、
ふめばくづれる沙の上、
もだす光の溺れぬる。
(美しき死をこそ、思へ)

沙の上の月見草、
ためいきを水の如く、
いろざめし真昼の
さりとて、心よき推移。

月見草かすかに、
よりそふは悲しき影
ただ、ふたつ、
其影のながれず。


  桔梗と蜩

にしきゑのうみのいろよりかなしきは
むらさきのこきがため、
ききやうのはなは
ひるのひのひかりをつつんで
そとしぼむ。
かべのうへ、こころに
せまるたそがれの、
なつのおもひのあはただしさよ
もりのひぐらし。


  哀悼

しきりに芳香の
散る昼なれど、
そは、常のこと。

女は毒草……いぢらしき放埒に
おぼれて悩む、わが微睡……
小さきものは生命なれ。

いまさらの、
過去にうく泡の如き
夢のつながり、

軽く、その官能を花の如く、
月よ。或は瞳の如く、
唯、何も思ひたくなし。


  賜物

いとしや、
肌のなめらかなる
しきりに涙ながる。

わが愛欲の花は、ほの白、
つかれながらに匂ふなれ、
林檎の様な心はめざめに
ほと嘆息す。


  廃園辞

秋草は紫苑と芒と……
しほらしや
その他、

ぱつたりと絶えた音楽、
美しい昼の悲哀は
梢を葡ふて雨となり、
そこに、さみしい銅像が
しよんぼり影の様に、立つ。


  卓上

ひえびえとこつぷの陰影、
薄荷草は、
をんなの様ないきづかひに
ひよろりと伸びる。

一ぱいの、七分は
夢の泡となり、
さみしさに曹達水、
脆き生命をひきくらべつ、
芬香はあたりに斑の如し。


  賦

秋の日は瑪瑙の如し、
空行く雁のさみしからまし
わがゆめの
一列のながき思ひ出……


  雨

昼の殊更、
さらさらと
忍びやかなる、
且て、をんなの腕の如く、
雨は現在、錆びにし涙。





 風景


  風景

蜩は、雨の如し
君が髪毛は
廃園の草より長く、
もとめし秘密のよろこびに
君とあれども安からず。

時は八月、
梢なる真昼の空、
空をながむる我が心、
いとほしや、ぬれにし眼瞼。


  午後

いばらのはなのかなしみ……
あかいこころの、
はかなさぞ
とりとめなく……

いのちのやうなはなのうろこはおち、
つちのうへに
まぼろしをゑがける。
かぢやのかべはひわれて
とんかんとひねもす、
まぼろしをゑがける。

それもみみなれし
ふうふもの、
われとわがいばりをみつめ、
さみしさにわらふあかんぼ。

ひるすぎのにはの
あまいつかれよ
あかんぼのゆびのさきまで
ひかげは
おともなくはひよる。


  秋の日の事実

   T噴水

――譬喩は、悲し。
秋の日の、
噴水の、
やすらかに眠れる。
こしかたに
揺げるは
ひめにし「幸」か、
いたまし。

玉の如く、
なやむ心の
さてこそ、
脆き、その夢。

   U所現

その眼にとめた
空は余に悲しかろ、
そして、小さかろ、
赤とんぼ。

秋の入日の
うつくしや、心の如し。

   V屋根の草

青い心にかがやくものは屋根の草、
いとしや「明日」を繰返し
又雨のひそひそと……
屋根の草は黄い花をつけて濡れ、
わが神経は白金の様に眠る。
女よ、女よ。愛はおぼれて暗がりを蛍の様に
ぽうと飛ぶ。

   W 不可解

ながれ行く――
雲はかなしや――
音もなし……
秋の日の
その雲――
わが愛の如き
もろさに一―
ふく風の、うつくし……






山村暮鳥全詩集
編集
伊藤信吉
壼井繁治
藤原定
山室静
初版発行
昭和三十九年二月二十五日
六版発行
昭和五十一年四月三十日
著者
山村暮鳥
発行者
津曲篤子
印刷者
和田和平
発行所
東京都新宿区牛込中町十八
電話(二六〇)三七〇七
株式会社弥生書房