絵入歌集暮笛

               竹久夢二


  序
 この本は、先きに出した『絵入歌集』を増補改版したものです。ここに撰んだ歌は、遠く万葉から近代にいたる各々の時代の作で、私の記臆に残つてゐるものだけです。作者の名も今はさだかに覚えぬほど昔に読みおぼえたものもあるし、また人に知られずに散る名もない一少女の手紙のはしに書きつけてあつた野の花のやうな作もある。それにしても曾てそれ/\の時代に、私の心に共鳴しないものはないのです。それゆえ、歌によせた絵にも、平安朝の大宮人が洋傘をかざして銀座の街をゆくもあれは、洋服をきて寧楽の旧都をさまよふ髪長き詩人もある。この時代錯誤も私にはきわめて自然です。この本をよむ人に、この私の我儘な満足を許して貰ひたい。
千九百十六年十一月二十五日          京都にて


ほそ/゛\とそこらこゝらに虫のなく昼の野にきてよむ手紙かな。
水をみて流るゝ水を見てありぬ日はかくてありもえしかど。
かの宵の露台のことはゆめひとにいひたまふなと言へるきみかな。
紫は灰さすものぞ椿市の八十のちまたに逢へる子やたれ。
悲しくも母がまつゆえ妹がまつゆえ家に今日もかへらむ。
身ごもるときゝてかなしき妻おもふ無花果の実の青き八月。
鳥とべば君かとぞおもひ風ふかば君かとぞおもふかなしき通ひ路。
なげけとていまはた目白僧園の夕の鐘もなりいでにけむ。
まつり日や見世物小屋のかたはらの蚊帳釣草にふる夏の雨。
花見れば花のかはゆしつみてましつむとも何のなぐさめにせむ。
黄昏のよりどころなき魂か柳のかげを蝙蝠のとぶ。
片手なき人形ひとつまろびぬる木のかげ青き子供部屋かな。
春の海さして船ゆく山蔭の名もなき港昼の鐘なる。
夕ぐれのとりあつめたる靄のうちしづかに人の泣く音きこゆる。
問ふまゝに死ぬる薬をおしへやる生きてかひなき夜の女に。
おほかたのあはれをしるにおつれども涙はきみにかけてこそおもへ。
晩秋の波止場の道にこぼれたる豆をさびしみかへるたそがれ。
戸なひきそ戸の面に今しゆく春のかなしさみてりこよ何か泣く。
港入り娼家の壁が落日にかがやけるこそかなしかりけり。
いつはしも恋ひぬ時とはあらねどもゆふかたまけて恋はすべなし。
朝なさな草のへしろくおく露のけなばともにといひし君はも。
ゆく水に赤き日のさし水ぐるま春の川瀬にやまずめぐるも。
わが屋戸の夕蔭草の白露のけぬがにもとなおもほゆるかも。
たらちねの母が呼ぶ名をまをさめど道ゆきびとを誰と知りてか。
いまはただ橇の鈴のみなつかしき雪の戸なれば馬にむちうつ。
はたらかば母の気嫌もなほるかと針とりあげて涙ぬぐへり。
頬につたふ涙のごはず一握の砂をしめしゝひとをわすれず。
惜めども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな。
はかもなき露のほどにもきえてまし玉となりけんかひもなき身を。
いつしかに浅きうき名もたちけらし浮世新道夏のたそがれ。
うつせみのつねの言葉とおもへどもつぎてしきけば心はなぎて。
桐の花ことにかはゆき半玉の泣かまほしさにあゆむ雨かな。
春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたゝむ名こそをしけれ。
すく/\とおひたつ麦に腹すりて燕とびくる春の山畑。
春の月椽の雨戸のおもからば逢はでかへらむ歌うたへきみ。
わすれじのゆく末まではかたけれど今日をかぎりの命ともかな。
君おもふあまた男のそのなかのこの櫛挽とおもへば哀しも。
越えもせむ越さずもあらん逢坂の関守ならぬ人なとがめそ。
うらがなし帰りて君が父のまへいふいひわけのおぼつかなしも。
かたく手に抱けば死をも辞しがたき心とぞなる人のかなしも。
道のべのいちしの花のいちじろく人みなしりぬわがこひづまは。
今をかも萌ゆるかふたりしきてねしその丘のへのいとし若草。
ほの/゛\と野のうすみどりうつるなり君が化粧の春の鏡に。
ありし日の少女のごとき眼してなぜに今宵はむかへくるゝや。
ねもごろに片思ひすれこのころのわがこゝろどの生けりともなき。
ゆるしたまへ月にあはれをさそはれし夏のひと夜のたはむりなりしを。
夏の帯いさごのうへになが/\とときてかこちぬ身さへほそると。
なにかしらかぞへて折りし手の指の握りしまゝに哀しかりける
あはれまたねむりたまふやたまさかに逢ふ夜はわけて短きものを。
何処やらむかすかに虫のなくごとく心ぼそさを今日もおぼゆる。
妹よわれも母をば持たざりきおほかたの日はかなしかりけり。
春の夜の月のうちにもかくれまし思ふと君につげ得たるのち。
思出もとほき通草のかなし花きみにしらえずちりかすぎなむ。
別れむとするかなしみにつながれて逢へばかはゆしすてもかねたる。
白芥子よ暮春はものゝ哀しさの身にしみわたり人の恋しき。
風なきに緋桃みだるゝ今宵なりみだれて君の恋しき夜なり。
あひそめし日かやわかれの涙かやなけばにるかな心なごみて。
恋ふること心やりかねいでてゆけば山をも河をもしらずきにけり。
萌えそめし何の芽生ぞ二葉なる芽よりかなしき君とこそおもへ。
黒髪のものやわらかきふくらみに吸はれゆくかなわかき心の。
村はづれ旅商人の肩の荷にあきつみだれてとべるたそがれ。
つゝじさく朝の涙の頬づたひの色としきかばかへりこよ君。
かなしくもきみはお七になれといふいかなるつとめわれとぐべしや。
露路のおく酢倉の裏のくらがりに盲人のごとく泣ける三味線。
鉦ならし信濃の国をゆきゆかばありしながらの母みるらんか。
いつとなくわするゝとなく文たえてあはれことしの夏もいぬめり。
たけばぬれたかねばながき妹が髪このごろみねばみだれつらんか。
鉄橋を白くぬりかへし寂しさよこの大川の秋の夕暮。
初秋や水のやうなる風吹けば髪も袂もまかせてぞたつ。
ゆく秋の山の谷々わが母はいかにさびしく住みたまふらむ。
茶がかりし中折帽を手にもちてものを言ひたる人は悲しも。
いつしらず身は公園の掛椅子に夜をまつ人となりにけらしな。
つかの間に帯をしとけば夏の海うれしく光り肌は白しも。
春の風海より吹けば露台なるわが黒髪のそよらとなるも。
そぞろにもすぎし思ひのいとほしく夜のねざめも秋はかなしき。
よき椅子に黒き描さへきてなげく初夏晩春の濃きコヽアかな。
函舘にゆかばやせめてみちのくのほのみゆる日もあるべし皐月。
筑波根の峰の白雪ありやなしやさやかに雁のなきつれてゆく。
深川の夏の夜こひし船唄の木の香にまじり水のながるゝ。
泣きぬれて今来しものをあはれとも驚きもせで相見る人よ。
茜さす紫野ゆき標野ゆき野守はみずやきみが袖ふる。
円山の長椅に凭りてあはれにも娼婦のあそぶ春のゆふぐれ。
わがせこはせどのあさ川かちわたり菖蒲荷ひて都べにゆく。
厨女の白き前掛しみ/゛\と青葱の香のしみて雪ふる。
橘のかげふむ路の八衢にものをぞおもふ妹に逢はずて。
いつしかに春の名残となりにけり昆布干場のたんぽゝの花。
わが背子を大和へやると小夜ふけてあかつき露にわがたちぬれし。
ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨ふりしきしく/\おもほゆ。
とのもには雪ふりけらし潮鳴のひま/\にきく浜千鳥かな。
目もはるに秋の野のへをわたる鳥その鳥のごと旅にいでまし。
頬かぶりの男と肩をならべゆく和泉の国の秋風の路。
妹か門ゆきすぎかねて草結ぶ風吹きとくなまたかへりみむ。
病める児はハモニカをふき夜にいりぬ唐畑の黄なる月の出。
秋ゆかばたぐひまれなる悪運のいやはかなき身いづちすてなむ。
幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく。
うらみごとたれにせんとにあらねどもかなしきはわがきその白珠。
たまきはる命ひかりて触りたれば否とは言ひてけぬがにもよる。



竹久夢二文学館
第7巻
歌集
万田務監修
1993年12月15日 初版第1刷発行
発行者 高野義夫
発行所 日本図書センター
〒112 東京都文京区大塚3-4-13 電話03-3947-9387
制作 オフィスコヤマ
装幀 成田克彦
印刷・製本 亜細亜印刷/関製本
定価3,800円(本体3,690円)
ISBN4-8205-9278-5 C0391 P3800E(第7巻)
ISBN4-8205-9271-5 C0391 P38000E(セット)