夢二画集 花の巻
竹久夢二
ノツクの音──扉ひらけば春や来し花の如くも君立ちたまふ
まれびとは何も答へず夕禅の袂かさねて笑みておはしぬ
『何故にかくれたまふや灯のかげに』『うれし涙をかくさむために』
新開の街のはづれに紅色の提燈つけばオルガンの鳴る
初夏の風は海より麻の葉の浴衣の袖とバナヽを吹きぬ
葉桜の下こそよけれちら/\とネルのキモノに光ながるゝ
わが胸は廃墟の如し恋歌を高く唄へどこだませぬかな
この岡にはじめて君を見し時は煙草も吸はぬ男なりしが
君ゆへに吹き習ひたる口笛を旅の窓にて吹いて見るかな
君来ずは門の戸しめて床のべて酒を飲まむと企てしかな
何故に君はおそきぞ窓の戸に目白の鐘をいくつ数へし
カムバスのまへにかなしき口笛を吹けば似るかな別れし宵に
相見れば大いなる眼をわれに投げ紅さし指をかみたまふ癖
楽終へてソフアーによりてほてりたるわが耳吸ふを好みたまひぬ
昼も夜もその次の日も次の日もかくてあらむと盟はざりしに
九十九里月見草さく浜づたひものおもふ子はおくれがちにて
白き風麦の上をばそろら吹く女役者の京なまりかな
高原に白日仰ぎ草に寝るこのさびしさは誰と語らむ
わがまへに謎をなげては小女過ぐ紅色の謎紫の謎
なにゆへにうつむきたまふ頸ぞと吸へば微笑む山百合の君
灯のまつや泣けば可愛ゆき子なりけり露の瞳も襟のほくろも
江戸川や電車の皮をとりたまふ白き腕と窓の葉ざくら
青嵐やすこし酸味のあるを愛で若葉かみつゝ森の径ゆく
キスの後青葉の窓にうたゝねの枕の下を風や過ぐらし
細腰に赤き帯しめ若草を素足にふみて君来たまひぬ
葉桜を洩るゝ光は君が乳とわが手におちて草に流れぬ
うしろよりわが眼ふたぐは誰が手ぞおかしさ忍ぶ十六の君
辻斬のよくありしてふ番町の土塀のがけに青き花さく
薬屋のくらき襖が蔭にゐて黄なるカナリヤ鳴く五月かな
死にせまる赤き蜻蛉とくづれたる壁にもたれてチヤルメラを聞く
銀杏の幹に耳よせ占へば『夜は恋して昼は旅せよ』
小鳥等は巣に帰りゆくいざ女今宵の宿をさがしにゆかむ
何をしに生きてあるかのこの日頃絵筆をすてゝ木瓜の花つむ
鳥は巣へ狐は穴へかへる頃を巣なき男は浅草へゆく
古き靴今日もうがちて新しき靴を探しに街をさまよふ
故しらぬ涙ほろほろおつるかな草にもたれて煙草をふけば
歌舞伎座の楽屋の裏に一本の若草芽ぶき春はゆきけり
停車場の黒き垣根のコスモスは君につまれて大阪へゆく
よき衣を炬燵にかけて今かとぞ家出せし娘を母はまつかな
事もなく永久などと言ひたまふ紅きみ口の淋しさを見よ
年よりはすこし派手なる帯しめて笑みたまふゆえ悲しくなりぬ
逢引の夜はおもしろや紅つけてお白粉つけて君はきたまふ
あなおぞや卓の下なる御足は戯れますよ白兎かも
つゝましう脱ぎすてられし赤き緒の雪駄のそばのちいさき花よ
よせぎれをあさる卿の眼はゆめ/\人に見せまじものぞ
墓穴へ二人をいれて外面より鍵おろしぬ婚礼といふ
灰色の低き屋並の街なかを囚人のせて箱馬車走る
死と夢といづれ安きに惑ふかな河岸に積まれし煉瓦のかげに
乳色に草の線あるネルを着て君は来ましぬ岡の径より
春草や君がもの編むそばに寝ておもふことなし雲を見るかな
眼のかぎり菜の花さいて蝶まひて風すこしある山城の国
春の夜に一人歩むと恋ざめの二人歩むといづれ悲しき
『いづこへ』と人にきかれてさりげなく『あてなき旅』と笑みて答へぬ
キユラソウの瓶を抱へてたほれたる男の眉に日は暮れのこる
卓上に一つ残れる林檎ゆへ次なるキスを思立ちけり
四月の夜楽につかれてうたゝねの夢はよきかな銀と紫
かくて咲く花もありなむキスの後うつら/\の夢のひと時
友はみな酒にしかずと街へゆくひとりのこりて手紙などかく
別れたる君の恋しくなる時は花など買ひて机にさしぬ
霜の夜のこの街角に立つものは少女まつ子と夕刊売と
宝玉を君が足下に積むことを忘れたるゆへ忘れられけり
いかにせむ二人が道の隔は幾日ゆくとも会はるべしやは
女文字にてやさしきことを書きつらね我と我身へ手紙せし日よ
君見ずば絵をかくこともしらなくにかの山かげに牛やひきけむ
石垣に蛇を屠りぬ門前に君を泣かせぬふる里の家
恋ふるとて歌をよみけり嬉しとて絵をかくことも覚えそめしか
狼籍ととりみだしたる画室にあでなる人はいかに饗せむ
つき島はよきところなり君住みてたそかれ時を月見草咲く
南洋のこの島蔭にあてもなく君をまちつゝ葡萄つむかな
丸髷のうしろ姿のあまりにもおさなきほどを愛でたまふとは
鉛筆にて走書せし名なるゆへノートのうちに忘れられたり
名を問へば森のかなたの空を指す気の狂ひたる若き画工
つゝじ咲く赤土山を少年は女役者に手をひかれゆく
渡船場にあまりにおそき子を待つ日おぼえそめたる水鏡かな
まろうどはいとつゝましう窓により絶えし会話を花にもとめぬ
地下室に赤き灯ともる河岸の家船の男は洒買ひにゆく
おそき夜の電車の偶に女ありうつむきたれば首ばかり見ゆ
深山なる樺の一葉のおつる時街の少女は恋をおぼえぬ
見残せし夢の故郷へ君つれて峠をこせば山ざくらちる
トタン屋根に林檎の皮はひからびて虫の如くにのたばりてあり
君見たまへ屋根の上なる煙突とならべる銀杏若き芽ふきぬ
わがために、破れたるわが靴下を
君はよく繕ひたまひぬ。
わがために、おさなきわが罪を隣
人と神とに君はよく詫びたまひぬ。
わがために、おもしろき歌と古き
物語を君はよく聴せたまひぬ。
あゝすべては昔となりぬ。母よ、君と
も遠く別れぬ。われはただ孤独なり。
- 恐
- 暗い街の彼方より、靴音が聞える
幾百の鞏音が一斉に響く
剣と剣との相触るゝ音
獣のよふな吐息
軍隊が来るのだ!
灯も星もない暗い街の
最後の安眠!
- 野にて
- 『何故お嫁さんを貰はないの』
と藤ちやんが尋ねる
『誰も来てくれないから………藤ち
やんが来てくれると好いけれど』
といふと
『だつてあなたのお家がわからない
んですもの』あゝ、家か、家か、
バカボンドは遂に孤独だ。
- 窓
- 萌黄色の幕をたれた担架が長い街
を通つて駒込へ運ばれた。途々、
『暗い、暗い。窓をあけてくれ、窓
をあけてくれ』と病人は言ひつゞけ
た。担架を荷いた男は黙つて病院
へ連込んだ。大きな八つ手の葉が
ばざツと落ちたのを病人は聞いた。
川に映つた月影は、堤を歩む自分
よりは先をゆく、その月影と並む
で歩みたいと思ふて、急げども、
急げども、追付けなかつた。幼時
の追憶は常に現実を超越してゐる。
科学は無謀な企てを笑ふであらう
が、今も尚、僕はこの愚かな望み
のあとを追ふて走つてゐる。
- 鶴巻町の四月の夜
- 福助色のカーテンが揺れて、
支那料理のパンからのぼる煙がさ
まよふ。ガランス色の広東酒の瓶
が七つある─―一つ倒れた所から
女の腰から上が見える。
葉桜の幹へ、太い白い腕をついて
泥溝の中の赤い茶碗の片を
見てゐる。
彼女は、ちいさい時
朝顔の花を描いた茶碗で
飯をたべた。
桜の葉から毛虫が泥溝へおちた、
ちいさい波が、茶碗をかくした。
何んでか、
悲しかつた。それが
ボアオーと
破れた肺から洩れる
獣のうめきのよふな汽笛が鳴つた
神戸へ船がついた。
長い桟橋を
紅白の桜を散らした
日傘が二つ並むで歩いた。
明治三十八年七月二十八日
- Sへ
- プーンと線香の匂がする、そして
そこに色の好い奉納額が掛つてゐ
るのが好きだ。さつきもあすこの
所を通つてたまらなかつたのです。
いつかこの願をかけた額を欲しい
と思つて一つ盗むで帰りかけたが、
何だかすまぬ気がしてまたおいて
来た。今日は思ひきつて一つとつ
て来た。そして私は線香を買つて
納めて、心のうちで『どうぞこの
願主の病気が平癒しますように、
私は道楽でこの額を貰つてゆきま
す』と祈りました。その時は、ほ
んとうに真心から祈れた。私はな
ほあの願主と神様にすまぬように
思へてなりませぬから、もう一度
参るつもりです。
額のうちに書いてあつた、『二十七
才たま』といふ人がなぜかなつか
しい。年若いヂレツタントがその額
を盗み去つたとは夢にも知らず病
の快癒を祈つてゐることであらう。
たまさん、たまさん、なつかしい
名だ。─―三月二十七日──
竹久夢二文学館
第7巻
歌集
万田務監修
1993年12月15日 初版第1刷発行
発行者 高野義夫
発行所 日本図書センター
〒112 東京都文京区大塚3-4-13 電話03-3947-9387
制作 オフィスコヤマ
装幀 成田克彦
印刷・製本 亜細亜印刷/関製本
定価3,800円(本体3,690円)
ISBN4-8205-9278-5 C0391 P3800E(第7巻)
ISBN4-8205-9271-5 C0391 P38000E(セット)