紅玉
木下利玄歌集
こうきよく
目次(ページ数省略)
夏子に
大きな鳥
春日
接骨木の新芽
波浪
工場
磯潮
峡の午後
冬に入りて
深夜
晩帰
月光
加賀の潜戸
石棺
伯耆の大山
伯耆三朝温泉
月しろ
遠渚
草の穂
草しげり山
驟雨
出石より久美浜へ
日のかげり
白昼
曇れる川
雨靄
二郎に
萱山
雑木の芽
冬山
蜜柑の香
高原
濡るゝ樹木
土のしめり
夏子に
大正六年十一月二十九日、呉より道後に着きしに、吾
子病みて稍わろしとの電報、別府の寓よりとどきゐつ。
心配に胸おしせまり温泉の街に遊ぶ人等うとみつ我は
其夜の不安云ふべくもなし。
或は来ん次のたよりをおそれつゝ足音に耳立て安眠しなさぬ
病める子に心はかゝり夢に見つうつゝに思ひ安眠しなさぬ
翌日昼出づべき別府行の吉野川丸は、遅れて夜おそく高浜を出帆す。
船室のあさき眠の覚め勝ちに執念く吾子をおもひぞ吾がする
海の沖のしら/\明けに海人小舟出でゐる中を汽船すゝみをり
黎明の光に向ひ舟こげる漁人の顔を汽船よりみたり
ふなばたに吾子おもひをれば眼に揺れて暁海の波は蒼しも
十二月一日早朝別府埠頭に着く。夏子妻に伴はれて某医院に在り。
久しくてこの子に寄れるに病みたれば面もちまじめにわれを見てをり
いとし子の臥床によりそひその額に手おけば熱しかはゆきものを
泣く力今はなくなり病める子の眼つぶらに吾を見るかも
吾子よ/\くるしからめど力出しこのいたつきをしのぎてくれよ
真夜中を戸外にすさべる風の音わが子よ父はこゝにゐるぞも
三日朝は大に快かりしに、四日午後吾も妻も家に帰りゐし時、俄によろ
しからずときゝ、吾は直に、入浴中なりし妻もすぐ後より病院に走る。
わが妻とぢつと眼をみあはせぬこの吾子も亦今死なんとす
肉身の捨てはてかねし望さへ今は絶えゆき吾子死ぬるなり
脈あらず医師おごそかに声低に三時半なりと云ふ吾子全く死す
金輪際なくなれる子を声かぎりこの世のものゝ呼びにけるかな
婢はまだ息あるにと吾子により医師をいきどほりおろ/\泣くも
おぎろなし子と父母と一心に慕ひあひつつも死にわかれけり
わが妻は吾子の手握り死にてはいや死にてはいやと泣きくるひけり
眼のまはり真紅くなして泣きやめぬ妻のうしろに吾子死にてあり
吾ひたすらに慰めつ。
わが妻も今は泣きやめしみ/゛\と銀杏が黄なりと云ひにけるかも
泣きやめて心は澄めり向うなる一つ藁家の夕げの煙
はりつめし心はおちてしみ/゛\と向うの煙みつめしかなや
日暮、数日前、妻が風にあてじと、その顔に布おほひて、病院につれて行
きしとおなじ道を、遺骸を抱き、吾等つきそひ寓に帰る。星斗天に満つ。
吾子の事を可愛がりくれし隣人よその子死なせて今かへり来つ
朝毎に来る、豆腐を鬻ぐ少年の声、今朝は殊更さびしく
吾子のゐぬ寝ざめくるしも甲高にさはな呼びそね物売り童
椽側に亡くなりし子の汚れものこの夕かげをしろくうかべり
この事もすぎ去りにけりと椽先の白菊見つゝ嘆かひにけり
六日夕荼毘に附す。
いとし子を焼場にやると親さびて好みし着物をきせにけるかも
何事も今は甲斐なき吾子なれば野辺に送らんいとなみするも
まなかひにもとなかゝりし吾子の身を火に焼くものか死にせればとて
隠亡のひく車の気疎さよ。
黒塗のあやしき車吾子のせて山へ山へと行きにけらずや
隠亡は今火を入ると竈の中の吾子にむかひておらびけらずや
棺の中の吾子の面わをおもひつゝ人のうしろに立ちてゐにけり
燃えとよむ炎の立ちの吾子のゐる棺つゝむをひた目守りつも
夕空に立つ煙突にわが夏子けぶりとなりてなびかひゆくも
吾子一人焼場に残し夜と云ふにわれ等大人はかへらんとする
きぞの夜に吾子の焼かれしあとゞころ未だ小さかりし骨を拾ふも
十七日、遺骨を携へ、別府を引払ひて、上京の途に就く。
海峡の夜浪荒しも船室に骨壺守りて眼をおとし居り
骨壺を網棚に上げ気にかけて時々あふぐその白つゝみ
冬の夜の東京駅に骨つぼの白き包もち下り立ちにけり
夏子がありし日の追憶。
鼻の上に少し皺よせわが妻のいとしみし子は死にゝけるかも
みごもれる程もおとなしくわが妻に女の童らしと云はれし子はも
乳房ふくみ今まで泣きしまみ上げて乳母をしげしげ見いりし子はも
はゝそばの母に抱かれてふとり身を日毎温泉にひたせし子はも
がら/\を振りあきぬれば振りすさびつむりを打ちて泣きし吾子はも
知らぬ人に抱かれてさへむづかりしめぐしきものよ死にてゆきけり
胸まとふ湿布かふると抱く時しかめし面わは眼に彫られたり
死にたくはなかりけんものを手足冷え息絶えきては生きらるべしや
追ひ行かば何処の隅かにいかくれてある如も吾子をおもほゆるかも
吾子よ吾子よ生きてだにあらばかい抱きいやます/\にいつくしまゝしを
谷中なる墓どころ。
二才にて失せたる兄の傍らに一才の妹を葬けるはや
をさなければ樒の枝にとりそへてよき色花を手向けけるかな
おくつきは並びたれどもうつし世に相ひ逢はざりし吾子三人はや
墓土に水をそゝげばしみ入りつこゝの下なる吾子とこそおもへ
これやこの三人の吾子の墓どころ土のしめりに身をかゞめけり
大きな鳥
大き鳥入りし樹に行き耳すまし梢のけはひをうかゞひにけり
今の鳥はこの樹にゐるにちがひなしひそかに枝葉の中を見上ぐる
この樹は今鳥かくせりとおもひつゝ真下より見る技葉のうらを
重なれる技葉さびしもさきに入りし鳥はこの樹を蓋さりけむ
遠足
遠足の小学生徒有項天に大手ふり/\往来とほる
子供等は列をはみ出しわき見をしさゞめきやめずひきゐられて行く
軍艦
この湾の波の最中に軍艦の入り来て場を占めさ揺らぎもせず
軍艦の鉄のふなべりまみを占め蒼ぐろ波に艀ゆらぐも
軍艦の腹のひたれる蒼波をわが艀ゆもうつゝに見たり
水兵はひさしぶりにてふむ地か歩毎におこる靴音よろし
嬰児
をさなきが枕外して真昼間に熟睡を寝ぬる息づかひはも
賀来川
川の面に舟ひそけかり下つ瀬の遠き瀬の音をこゝにきゝつゝ
川の面の昼ひそけかり舟の腹ぴた/\たたく小波ひさしも
春日
大地に陽炎粘し春の日のわがみち行きのほと/\倦める
この見ゆる麦生の春日おもくるし稍ひさしくて風醸されぬ
どんよりと春日かすめり桃畑の土のかわきに枝かげ淡く
鍬の刃の土間の石に或はふれ畑のかわきに春日あつしも
街裏の川に出て見れば倉庫の壁夕ましろざの水にうつれり
昼山の松吹く風の音澄めりあかるき道を一人しあゆむ
速吸瀬戸
海のいろあをくつめたし甲板の春日のてりにのぼせて居れば
錨下り汽船はぱつたりおともなしすなはち艀近よりきたる
土々呂港
この浦に今汽船二艘かゝりたり岸べに立ちて心ゆたけき
黒雲
時ならぬ午後のくらさよ二階より黒雲の此方の木の芽を見るも
黒雲はおつかぶされり片空の日光に射られ雹落ち来る
菖蒲
かゞまりてわが息づかひしたしもよ菖蒲の花のかさなりて見ゆ
花菖蒲かたき莟は粉しろしはつはつ見ゆる濃むらさきはも
接骨木の新芽
朝じめり薮の接骨木芽はおほく皮ぬぎてをりねむごろに見む
もろ向きににはとこの枝ひろがれり新ふと青芽あまねくもちて
にはとこの芽を見て立てばこの道を人の話のきこえて来る
にはとこの新芽ほどけぬその中にその中の芽のたゝまりてゐる
にはとこの芽のひろげもつ対生の柔かき葉に風感じをり
にはとこのこの新芽はもまなかひにあたへられたる青さにあをし
夕さりの光ねむごろにあかるきににはとこの芽のよく/\あをし
夕風のつめたく触るゝにはとこの新芽のそよぎまさにさやけし
夕風のつめたくふるゝにはとこの芽よわが胸にはたらきかくる
にはとこの新芽を嗅げば青くさし実にしみじみにはとこ臭し
にはとこの新ふと青芽日ならべてさやりあひつゝ繁らんとすも
波浪
のびあがり倒れんとする潮波蒼々たてる立ちのゆゝしも
大き波たふれんとしてかたむける躊躇の間もひた寄りによる
たふれんたふれんとする波の丈をひた押しにおして来る力はも
波の秀はすでにいさゝか覆へりたれどうねり盛り返へし猶し寄り来も
今まさにたふれんとする潮波ますぐに立てりたふれてしまへよ
大き波うねりのびあがり高みより磯もと揺りたふれ落ちたり
海の波めがけたる磯に遂により力かたむけ倒れとよめり
海の沖ゆうねり押し寄するいきほひのここにきはまり波くつがへる
うねり波たかまりあがり水底めがけ重みまかせに倒れたるかも
海の波磯を間近み覆へりはやりたちさわぎましぐらに寄す
ほしいまゝにのびあがりたる波のおもみ倒れ畳まりとゞろと鳴るも
波の丈遂にくつがへり弾みあがりひしめき寄する荒き潮騒
くだけたる波の白泡いつさんにひろがりつめんときほひ寄せ来も
工場
佐賀関製錬所
他事なく働きつゞけ時たけて職工たちは午食ちかしも
かしましき機械の音に耳張りつめ目には見て居り工場内部
工場出ればすでに昼なり構内の真土にま日のかゞよへるかも
工場出て機械の音は遠退けり耳なごやかに風のさやるも
煙突の口ゆもり上る黒けむり日輪の前をよこぎれるかも
日の光土にいふせくにごりたり煤煙空にひろごりにつゝ
工場裏機械のおもき音ひゞく大地のはだには日がしみてゐる
磯潮
別府
朝の潮ゆたかにみてり築岸の上揺れ波の上り下りすも
築岸の下すぐ深き朝の潮揺れ寄る毎に石間鳴らすも
まさやかに沈透く小石のゆら/\に見え定まらず上とほる波
渚よりなぞへに深き海なれば小石うつ波さのみはよらず
波のうねつゞきとほるに潮の上の岩の頭のかわきあへなく
渚べの小石の濡れに夕づく日ぢつとさしゐて風のつめたさ
夕浜のながき渚の波の音間遠にたゆくくりかへりをり
波の上わたりて冷えし湿り風耳にそよげり夕日の渚
たふれたる波のひゞきの底力ゆたに夕ベのなぎさとよもす
夕しほのみてる磯わの山の影多くの波にひたりゆらげり
山の容ひたる夕潮とのぐもり光とかげをゆららに綯ふも
海めがけ思ひきり投うる石一個たゆたふ波をぽつつりうがてり
はがね色の湾一面のとがり波西日きらゝに風すさぶかも
とがり波湾一ぱいに騒ぎ立ち磯崎こえて日は傾けり
峡の午後
昼すぎて日の目に遠き懸崖に仰げばさむき羊歯の簇り
峡ふかく乏しき光保ちつゝ植物の葉のつぶさに青し
峡ふかく光乏しもたゝへたる湿りに飽きて羊歯はゆるがず
峡てらす短かき日あし山隠れ早瀬のたぎちさむくとよめり
早くすでに日が落ちたれば山の峡川床の石のくろ/゛\と見ゆ
容積の大いなる山日をへだて峡の夕寒はやくきびしも
夕渓はいつか暮れゆきせばまれる土肌の冷え全身をおかす
たそがれの峡の小川を渡らんと下り立つ石にたぎち寒しも
夕川のたぎちに濡れてくろき石目にたづたづし下り立ちわたる
冬に入りて
石見にて
学校の白壁に熱き冬日かも弁当前の授業闌けつゝ
太陽は山の厚みの彼方なればこの面の草の色のさむさよ
曇り空さむき空気の冴えよどみ白菊の光沢を抑へたるかも
磐床のくぼみにすめるたまり水冬蒼空の遠々にうつる
石見潟荒磯吹く風へう/\と真向よりわが歩みをはゞむ
下の関
海峡の落潮疾し市はてゝ寒くむなしき市場より見ゆ
下の関も門司も夕さりどよめけるさ中に疾き瀬戸の落潮
崖に沿ふ港の街の神社境内雀地に下り跳びとびあさる
折にふれて
草枯るゝこの冬堤に青みたる冬青草は何に何にならむ
尖ほそき冬木の小枝大そらの蒼きにとがり日にてらひたり
風なき昼まを冬木の枝にとべる小禽らの羽音和にしきこゆ
日にてらふ冬木の技を小禽らのなきうつりゐる動きのするどさ
小禽らは冬木の枝のつかまるに程よき枝をなきうつりゐる
麦畑に冬木の小禽身をほそめとびくだりたる捷き羽ばたき
峰上なるかれ草原に夕づく日あかくたもたれかげりおそしも
額にせまりおほどかに暮るゝ山の容山下の人家に夜の灯とぼれり
大き山容をくろみふもとべの地べたにひくき人家の灯かも
深夜
石見国温泉津港の宿に泊りたる一夜
何時をまどろみにけむおぎろなき深夜の底にふつと覚めたり
寝しづまる街の遠くの遠くより下駄の音来も地凍てたらむ
冴ゆる夜を刻々ふれる霜ならむ遠き下駄の音枕にきこゆ
遠方の下駄の音来ずやみにけり深夜の地を霜とざすらむ
くゞり戸に深夜はゞかる話ごゑ真面目にひくし内外に人居
一ところ深夜の底に人間の肉声ひくゝかたりあへるも
おほけなく深夜のしゞまかきみだし人間ものを敢へていへるも
声びくにされどもつよく言ひかはす人一途なり夜半の戸口に
つかのまの話の間にも直ちに深夜のしゞまひたとせまるも
くゞり戸の内外の人の去りしよりしづまりかへり更けつゞけたれ
くゞり戸にふけてよりたる人のことを他国のさ夜に愛しまざらめや
晩帰
終日を戸外にはたらき大き足しつとりはこびかへる百姓
苅穂負ひだまりうつむき百姓のやからかへるも夕星いくつ
脊おひたる垂穂のおもみ百姓はたへつゝあゆむ一足ひとあし
百姓の一歩一歩に脊負ひたる垂穂ふさふささやぎさやぐも
畑山夕空かぎるてつぺんに猶百姓のくろぐろとゐる
鍬いれし畑のいく畝くろ/゛\と遠夕星の下に暮れをり
月光
妻は俥にのせて先へやりつ。我一人後れて石州
三隅の旅籠に着きしは、暮れはてし後なりき。
暮れてゆく道の底びえ目あぐれば月はみ空にあかるみゐたり
さむ/゛\と暮れゆく道を猶あゆみ光りそめたる月を見るかな
山道はさむくさみしく月かゝり冬木の技のまみにつれなき
月あかるく草木まざ/\てらさるゝ道のゆくてに歩みをはこぶ
月をあびみちのべ冬木立てる下われ一人のとほりゆくかも
月あかり林穿たずくらやみにかさこそ音す小さきけものか
戸をしめて月をあびたる家の前を人なつかしく我はとほるも
月あかるく白き往還山にかゝり敷ける冬木のかげ凍みてをり
近よれば冬木の上に月きたり空さす枝のあり/\と見ゆ
皎々と月冴え光りまさやかに見ゆる裏の山を風渡る音
障子の灯ぼんやりあかし戸外にはいたく冴えたる月のするどさ
旅籠屋の裏の松山月に見ゆ霜夜あらしの松を渡るも
料理屋の二階の灯かげ三味の音寒月の下にいたくさびしも
加賀の潜戸
十月二十五日出雲国八束郡加賀浦の潜戸に遊ぶ。
朝日の中御津浦峠にのぼりたるに海眼をうてり紺青のかゞやき
崖下の人家の上に岬ゆもみさきの山へ海張りきれり
崖下の朝凪ぎ浦にむかふ村屋根の瓦に日やゝたけたり
崖下の人家の列にふか/\と真蒼き湾ぞたゝへよりたる
朝なぎの蒼き潮は涯もなし水平線のたかきことかも
浦波の巌かろくうつ朝の凪ぎ底の藻くづに日は徹りたり
崖を脊に朝なぎ海にひたむかひ巌に釣する海人の子等はも
磯曲ありすなはち寄れる蒼潮に揺れゐる舟は釣りせすらしも
崖の縁へ歩み近づきのぞけども見えぬ真下に波はひゞけり
朝凪ぎの磯の日おもて巌が根によれるさざ波きらゝかに見ゆ
滑らなる巌の腹を波のうねゆれとほりゆれとほりすゝみゆくかも
今日の行昼前になりやゝにひもじみちばた野菊の日にあたる花
大蘆浦
温みつゝ日の透く波の浜におち砂の濁りをたてゝゐるかな
遠浅の浜に寄り来て波ひくし渚の砂に這ひひろがれる
秋半ば稀なる凪ぎの日うらゝに渡り鳥見ゆ磯崎のうへ
舟は沖へうねりは磯へ空の下に行きちがひ行きちがひ浦わ漕ぎ出づ
昼たけて舟ににひらける弁当の握飯真白に日の光りあり
岩鼻を一つめぐれば浦かくれ秋凪ぎ海のふくれうねれり
岩鼻をめぐれば外の海の大あをうねりに舟のりおりす
岩鼻を舟がめぐればあらはれし向ひの磯に波の寄る見ゆ
断崖ゆ裂けくつがへり落ちしまゝ巌つみかさなれり海潮の中に
この日晴れ一天すめりわが舟を揺りてはすぐる蒼うねりかも
うねり浪舟を揺りすぎまなかひにたかまり行けるその真蒼さよ
わが舟を揺りとほりゆくうねり浪断崖の根に打ち揚ぐる見ゆ
底ふかくとよめる海の蒼浪を真日うがち入れり舟ゆのぞくも
うねり浪前にわだかまる巌床をおほひこえつゝ磯にむかへり
大き波しばしは見えず巌床ゆいま打ちあげし潮落ち来も
紺青の潮にのれる舟しづか舷たゝくうねりの音す
断崖の最うへに松をいたゞき底つ巌根に波くだけよす
蒼潮に切り立てる崖のしかゝるすぐ下に沿ひわが舟ゆけり
新潜戸
潮鳴れる洞穴の中をのぞきをれば入り行くうねりにわが舟のめる
洞の底はくらさ深く透る海なればひたすら舟をたのみてゐるも
高く低く舟揺るうねりに心とられおほひかぶされる窟見ることは見つ
洞の内潮の揺れの甚じきに舟にせまりて巌根こゞしも
浪のうねり洞穴のおくに行きづまり巌の壁へ大きくたかまる
外海よりこの洞めがけ入る浪の行きづまりつゝとよみにとよめり
行きづまり窟の奥処うつ波にうつろは千千にひゞきとよめり
巌穴の波鳴の音こと/゛\く人間舟にあつまりとよむ
潜戸の窟いく世経ぬらむ今日もかも波うねり入り鳴りとよみゐし
旧潜戸
亡き子ろが夜きて積むとふ石の塔しめじめおほし窟の奥に
潜戸の窟しめ/゛\くらし吾子も来て何れの塔を積みにけむかも
吾子の為にかさねし石を洞の奥にのこしては来つ背寂しも
午后の海潮満てるらん往きに見し巌波かつぎはつ/\に見ゆ
波のうねり低まれる時はつ/\に海つ巌床頂き見ゆる
磯遠みひたすら寄れるうしほ波舟のへさきに裂けてちるかも
潮くらき潜戸の洞をくゞり来てかへる大蘆の浜のさやけさ
こゝの浦によらぬ蒸汽歟沖つ辺に煙なびかせぽつゝり見ゆる
磯崎の切り通しに入りひや/゛\し海沿ひ秋陽に歩きつかれつ
遠くあそびしみ/゛\かへる夕冷えに淡色さゆるみちのべ野菊
佐陀川
生ひよれる真菰の中の川水を発動船ゆきうねらせにけり
石棺
松江にて
往来の日陰の側に花屋あり菊の莟の土間につめたき
朝の冷え未だも退かず裾さむし花屋の土間を占むる菊の香
日のさゝぬ花屋の土間のつめたさに小菊の束のおびたゞしもよ
玉造にて
遠世人埋めて置きたる石の棺見つけ出されて日の下に在り
曲玉のつくりかけ見れば遠き世の人の心の可愛くおもほゆ
筧よりおちゐる水はかなりふとみ池の深みに徹りつゝ鳴る
やすらけく夕陽あねまき大空に青松山の今日をくれをり
晩秋の日の入りあとの夕あかり松の色今冴え/\青し
天長節祝日に子供等どうをたゝく。どうはひゞ
き鈍き一種の太鼓にてその形、かなり大なり。
棒の上に大きなるどうをどかとのせ力一杯たゝく子供等
子供の力むやみにどうをひつぱり行きも一つのどうと並べてたゝく
面白さつのりたかまりどうたゝく子供一斉にさけびたるかも
伯耆の大山
十月初、伯耆の大山に上り、二泊して麓に下れり。
いこひゐて目はすぐ前をみつめたり秋の陽あつき草むらなるかも
森ふかみ地に落ちきたる硬き実の枝葉にあたる音はやきかも
土にまで矮樹のしげみ突き穿ち硬き木の実の真直に落ち来
のぼり来て旅籠につけばとみに寒し障子にあかきお山の夕陽
人間の稚児の泣く声いた/\し夕さりお山の冷えきびしきに
山の宿夕冷えきびし湯に入れば手足にしみてあゝたまりくる
山の宿夕冷えきびし湯に入れば薪けむたくひもじさおぼゆ
ちぎれ雲走りつくして夕空にとよはた雲のしづかにたかし
大山の峰の木原を遠入日あかくそめゐてきざす夕冷え
大山の木原の上に星さえて夜さむ嵐のさわがしきかも
さむ/゛\ と木原の奥に月ひくゝお山の嵐吹きすさぶかも
大山の弥山に雲はたゝなはりあかつき起きのさむくすがしも
暁の木原の下はしめらへりはるか奥よりせゝらぎきこゆ
径をきる山のせゝらぎすみとほりくらき木原にながれ入りたり
峯ごしに雲はしりしが昼すぎて木原に霧のおもくしふれり
山の霧しばらくふれり木原には雫の音のきこえそめつも
山のきり次第におもくなりまさりやうやくしげき木原の雫
霧雨のおもくし降れば山社板屋根くろく雫してをり
霧の雨山の社のひろ前の苔生にしづみひかりゐるかな
伯耆三朝温泉
はるかなる高峰の松を仰ぎつゝひたすら我は歩みをはこぶ
わが影のうつる日なたの街道をすでに何里かあるきて来たり
山川の夕さりたかく鳴るなべに岸の人里しづまりかへれり
蒼き空今日はするどしきらめかしく山木ゆする風村にしおろす
たそがれのたぎつ瀬近み川床の湯つぼの湯気のしみらに立つも
川原の湯しみ/゛\湧きてゐるならし湛への面に気しみゝなり
夕川の川床の湯にひたらんと着物をぬげば肌身愛しき
山川の川床の湯にひたりゐて遠夕雲に眼をはなちたり
仕事をへつかれいたはる百姓とあたまをならベ外湯に入るも
川原湯を出づるわが身にほのじろくかはたれの明りまとふ愛しさ
村の家の障子の灯影ぼんやりと道にあかるむ夜寒を行くも
話し更け他所よりかへる夜は寒し村の障子の所々のあかるみ
提灯が近づきてみれば小きぎみに児がいそぎをり村と村の間
この寝ぬる朝けに見れば三朝川今朝もけさとてたぎちゐるかも
朝かげの麓をゆけば山はだの草生つゆけく面ひえおぼゆ
山川にわたせる橋にあたる日を踏みわたりけり向うの岸へ
つゆじもは下りにけらしも山川や濡れて旭にあたる巌のいたゞき
朝川のたぎちの水泡あをじろみ巌かげさむくとよみたるかも
巌かげにさむきたぎつ瀬かげをいで旭ににほひつゝ流れさるかも
三徳山三仏寺
み寺の甍のうしろに立てる峰仰ぐにさやけき茅萱の光
村の路傍、小高き処に、日
露戦役戦死者の墓あり。
戦死者の墓はもかなり古りにけり赤い夕陽に曼珠沙華咲き
戦場に命死にけむその際にこの村里をこひにけむかも
月しろ
因幡岩井温泉
堤下の桑の立木にあつかりし日は夕づきてきらめく川水
夏蚕養ふ村の男等夕いでゝたからかにうたへり桑を摘みつみ
枝たわめ桑つむ時に唄うたへる男の顔見ゆ夕日にてりて
夏光おとろへにけりなが/\とわがかげうごく穂をはらむ田に
縁台に寝てあふむけば夜露ふる遠星空がわが真上なり
灯をもてば廊下のてりの足下にひやゝかなれやまだ宵のあさく
山国にて土冷え虫のなくきけば二人の吾子の墓べしのばゆ
人里のいやはての家の戸の前もすぎゆきにけりもつ灯さびしも
この村里ともし灯しめり家々のはなしふけたり星空の下に
小衾を身にそぐはせていをぬればやすらぎおつる長夜のねむり
里の家寝しづまりつゝ山の端は月しろならむ雲しらみたり
山際は月しろとなりさむ/゛\と川音さやけみ夜はくだちけり
因幡湖山池
湖の上に通り雨降り舟べりのかわきせはしく濡れゆくを見る
この湖の水の面にあたる雨の音しみゝになりつ舟をめぐりて
通り雨水の面にやみて湖の上に夕明り空の蒼くすみたる
漕ぎ入れば湖尻細江岸たかみ舟より見上ぐる犬蓼の花
湖尻の江の水せばみ舟べりに触れて真菰のずれゆく音す
伯耆東郷池
耳につきて話声あり湖見れば舟の在処は近くあらなくに
遠渚
因幡浦富より網代へ
蒼海原ふりさけみれば張りきれる一本の線に天とはなれたり
磐床に帆布ほされてすでに午四面の潮の紺青の揺れ
磯岩にほされし帆布へ真上より日は照りたけて十二時近し
陸めがけ風吹き上げて磯山萱なびきつゞけにひたなびきせり
近づける雨雲ひくみ沖くらし遠波がしらいちじるく見ゆ
沖つ浪かきくもり見ゆ海を圧しうごき来る雲すでにか降れる
但馬香住岡見山
遠渚よる波しろく夕日てりこの巌かげの冷えそめしかも
落日は海に遠くあり光よわく荒磯の岩におよびたるかも
荒磯を山のへだつるこの窪に光たゝふる椿の葉かも
草の穂
秋づけば露深小野のせゝらぎのこもらふ水に揺るゝ草の穂
大木の下に朝ゆきふみにけり昨夜の雨の雫のあとを
大木の幹によりそひあふむけば枝葉のすゑを風わたりをり
まろやは手にさやりたれども母の脊に乳児の熟睡はさめざりしかも
梢には夕陽なほありあふむきて松の根方にたゝずむ我は
夕ひゆる道となりけり苅草のにほひの中に我家こひしも
太陽の在処雨ふる空にあかるめり松の葉末の露ひかりかも
土より出でのびんとしつゝ低くある曼珠沙華の蕾押し寄りあへり
砂川の底にひそみてぢつとせる小魚のもてるの(ママ)この保護色はも
保護色にかくれおほせしつもりにて寄り眼の魚の水底にゐる
水底の小魚の眼玉は寄り眼にて生意気なれど可愛くあるも
草しげり山
峰の松真昼の空にくひ入れるくろき蒼さのもつぱらなれや
日ざかりの草しげり山気のつかぬ高みのところに風ひそかなり
話声は谿畑うてる百姓の昼やすみと知りてなつかしむ我は
萱山に這ひはびこれる葛の葉のそよろともせず西日のさかり
道あらぬ草しげり山の急斜面てりさかる西日にきらめけるかも
萱山の大き斜面に西日てれりまつたくわれはさゝやけきかも
すゝき葉の垂葉するどに真西日をはじきかへしてきらめけるかも
すゝき葉のさ青長葉のしげり葉のするどに垂れて風あらずけり
すゝき葉のさ青垂葉のするどなる葉さきにさやり指はきらせじ
すゝき葉の垂葉するどに青々しわれ肩すりて通りけるかも
川堤の篠の新立ち舟をひくみ朝空のすみにぬきんでゝ見ゆ
驟雨
山かひを木高みしげみにはか雨梢にさやげど未だ地を打たず
牛小屋に急雨よけ入り山桑の立木のしぶき見ぬる一時
ひたぶるに大地うたんとおちかさなり雨ふりしけり向つ峰の前を
軒下の青草束に雨しぶき小屋中しめり肌ひえおぼゆ
急雨きたり昼くらくなる牛小屋ににぶき家畜の足音させゐる
急雨うつこの屋根の下のをぐらさにわがかたはらになける牛はも
にはか雨おとろへきたり山にたつ靄こそ見ゆれ小屋の戸いでむ
急雨さり牛小屋の戸をいづる時裾にちりたる鳳仙花の露
降りに降り急雨霽れたり向つ峰の繁みをわたる霧今は見ゆ
出石より久美浜へ
但馬出石鶴山
松の間の茶屋の筵に大き蟻這ひまはり居る山の日ざかり
日盛りの光みなぎり松の梢の鶴の行ひけざやかに見ゆ
松の梢に山の風鳴れば羽ばたきて巣立たんとする鶴の雛かも
河梨峠
山かひのわづかの畑のさゝげ豆畑つくり人今日は来ずけり
下りてゐし小禽はたちぬまがり来てこの山みちの日陰のよろしさ
丹後久美浜
心がちに大輪向日葵かたむけりてりきらめける西日へまともに
山あひのこゝまで入りこみ海すめりひくゝ垂れたる松のしづけさ
わが舟の波はよりゆきひそ/\と江のいやはての葦間に入るも
離れ磯小舟日に照りひさしきは畑つくり人上りゐるならむ
入海の潮たひらにくもりをり岸の堤をやゝに遠来し
小学校生徒遠游
およぎゆかん入江の向うの岸遠しはだかとなれる小学生徒
少年等相ひつれおよぎはじめたり見てゐれば寧ろかなしきろかも
子供ゆゑ褒美なくてはと不憫がり妻が見てゐる遠およぎの列
子供らの遠き游ぎをはげますと教師は舟にて太鼓たゝけり
曇り海太鼓ひゞかず子供等のすなほさかなし敢へておよげり
およげるにちがひなからん子供らの頭見えねど太鼓はきこゆ
子供らはおよぎかへり来護衛船やうやく大きく見えてきたりぬ
再び河梨峠
杉立つ峯俄かにくもり雨きたり繭煮る村の屋根雫すも
畑坂に通り雨はれ桑の葉の濡れの照りあつしうつむきてのぼる
日のかげり
山に入りわがあゆむなべに森林の樹木の幹のいりみだれ見ゆ
山鴉ころ/\のどをならしつゝ梢になけりこれは朴の木
大き雲日をめがけつゝうごくなり目かげをしつゝ峯に立てれば
大き雲に日の入りゆけば山の上の社の松に風のさびしも
くもりつゝ白土今はまぶしからず山の社の松のしづけさ
いりゆける雲がくり日はいまだいでず待つとしもなくいこひてゐるも
日の前にはだかる雲のふち光りうごきにぶきを見つゝいこへり
かぶされる縁ひかり雲うごきにぶしこの日のかげりながくつゞくも
いこひゐてやゝあり傍の矮生の雑木紅葉をあはれがりけり
白昼
但馬瀬戸日和山
真下に潮の寄する崖にして萱青々し日中の風
弁当を食べをへにけり浜山の笹に照る日はかぎろひてをり
岩の間に泡うかべたる昼の潮たゆらにぬるみ日はとのぐもる
岩と岩の間に潮のたゆたひて底の砂まで真昼日させり
岩の間に昼潮たゝへきりぎしに萱草咲きてさびしきところ
きりぎしの石間に根ざしのびいでし青茎の上の萱草の花
海のいろふかくよどめりしかすがに上つべとよみ波うごきよる
潮よる荒磯の岩にひそまりて女の採れる心太草
雲通り浜山笹の日のてりのたまゆらかげり波の音さびし
磯の日は今くもりをり崖の上にはびこる葛の葉あまねくあをし
雲通り磯の日くもれり渚近き墓地ににほはし紅葵の花
遊びをへこの磯を去るころほひややうやく渚の巌間潮騒
但馬竹野浜
わだつみにむかへる心へりくだり沖つ潮騒に眼をみひらけり
磯山の松間ゆ見ゆるわたつみの真日の下なる潮のうねり
磯山の松の間より眺むれば真日きらめけり浦の八重浪
磯山の笹根ふみしめ瞰せば真下によれる真青深潮
磯山の傾斜急に潮よする渚に及ぶ笹のはびこり
打ちあげし潮退けばすでに迫る後のうねりを磐床まてり
みち潮の大きうねりのあをぐろみ海つ磐床よりとよもすも
この浦に入り来る潮のいやはての此処の巌間にひそかなるかも
曇れる川
水ふえてたひらにおもき大き川岸べゆ見れば敢へてうごける
向う岸の山影ひたる川のいろあをみくもりてうごきのにぶさ
まん/\とおもくくもれる夕べの川にぶく時なくわが前にうごく
幅ひろき街道ひくしまん/\と流れ暮れたるくもり川べに
とつぷりと日のくれはてし河心より舟のきしみのきこえ来るかも
向う岸の山の木鳴りて風いでぬ日ぐれ河原を歩みかへすも
くもり夜を枝川のぼる舟の波水明り揺る岸べにをれば
くもり風日ぐれ葦原はろ/゛\にさやぎ遠さり行方しらずも
葉のさやぎしづまりあへぬ葦原にまたさやりつゝ風流らへり
葦原のそよぎひそけくくもり夜の川風遠く吹き落ちにけり
雨靄
幹くろくぬれそぼつ木を雨靄の伝はりゆくも峡のをぐらさ
ぬれしとる山樹木伝ふ靄くらく暗やみ雨のたゞちに至る
大降りの雨中に立てる大木の枝葉おもりてしとゞ雫す
夕近み雨いやくらくさむくなれり田圃の簑笠かきくれて見ゆ
雨ふりの日暮れをちかみ雑木山風いちじるく葉裏かへすも
下つ枝は水にひたりて川柳ほつ枝ゆれをり雨の日ぐれを
向うの山の茂りの前をいく時か雨とほりをり今日はわびしも
雨ふれり丹のぬれいろの草花にむかひて端居を久しくするも
四方の山に雲居雨ふり昼ふかし街の温泉にひたりに行かな
蚕をかへる家内をぐらし前の地に薄紅葵こゝだ匂へり
舟とめてわりごひらきをればしづかなり岸の萱生に昼顔は咲き
二郎に
大正四年十二月五日午前二時半、二男二郎逗子の寓にて死す。齢一年九箇月
報に接して逗子に赴く、此の子は殆その一生を病の為に苦み通せしなり。
この家に吾子死にてありいそぎ来て門入り行かむ力なきかも
今生を執念き病とあらがひて生きん/\となせし吾子はも
いたつきに耐へ耐へて来し吾の子のをさなき力も為るべくなりし
蝋燭の昼まの火立白布とれば眼をとぢ果てし汝が顔はや
着物の下に手をやりてみれば亡せし子の肌には未だぬくみたもてり
あとに残る体温表みて長き間病にたへし子なりしとおもふ
たよりゐる声ききしゆゑ死に近き瞳をあけて母見しか汝は
病もつ一生を終り今こそは吾子は眠りをほしいまゝにせり
あまりに汝が泣きさけび寝ねぬ夜をいかりし事し今はさびしも
乳慾しく心はあせれ痙攣になやめりし子は今日うせにけり
開け閉ての戸の音はゞかりあぢ気なし今はさめなん吾子ならなくに
泣きやめてほてりもつ眼に夕靄のつめたさおぼえ戸外に佇む
しん/\と吾子が亡骸つめたさの抱きゐし人をおかしけるとや
吾の子がつめたくなりしと云ふ事を妖言ならできかんと思へや
看護婦も白き衣ぬぎしめやかに吾子につかふる今日しくやしも
ありし事どもかにかくに言ふに感じつのり看護婦泣くも子の枕べに
世にあらば泣きまどはましをあをむけに狭き棺に吾子が臥やせる
谷中の墓どころにて汝が兄とあそべと云へば涙しながる
棺馬車の轍きしみて出でゆけりおくつきにゆく吾が子の門出
葬式の出でゝさびしもかくのみにありける子かと妻に云ひけり
葬はて人おのがじゝかへれども吾子のかへらん時あらめやも
看護婦にながきみとりをねぎらへばわが云ふ事がかなしくて泣かゆ
ふたゝび子どもうしなひしわが妻のはたらける見ていとしさわくも
乳児の寝る熟睡は寝ねず夜毎になやみし子故妻もやつれつ
夜くらし谷中の土に今もかも吾子は掌をくみ眼つぶりてあらむ
抱きすくめ頬ずりすれば児心にさも/\やすらに笑みけるものを
亡き吾子の帽子のうらの汚れみてその夭死をいたいけにおぼゆ
萱山
木の花の散るに梢を見あげたりその花のにほひかすかにするも
足たゆく床几にをれば水茶屋の葵の花に日照雨かゝるも
向うの山の大きな斜面彼処には百合咲いてをりはるかなるかも
山独活の花うかび見ゆふか/\とふもと萱原遠ひろき上
まろらなる青萱山のふもと風萱おしなびけ光りはしるも
山百合の咲かんとおもひ萱ふかき土よりいでてふくらむ莟
森の瑞の一樹の白き花ざかりこゝだく蝶の来てまつはれる
山の中の昼はたけなはしん/\とふかきしゞまを耳底に堪ゆ
山の下湖のすぐそばに灯をとぼしこの村の家はよりそへるかも
さむ/゛\と靄ごもりつゝくれなづむ村里の裏にたぎつ夕川
夕川のたぎちのさむさ磐床に息をふかめてわれ立ちにけり
生一本に夜を日につぎて山河のたぎちのとよみとゞまらぬかも
真黒雲片空寄りにおつかぶさりなゝめなる太陽が萱山射れり
太陽の前に大きくろ雲はだかれば深かや山の光にぶれり
女郎花ふくむ萱山濡れなびき雨は嵐にならんとするも
通り雨とほりをはればいや高く雲のきれめに蒼き空見ゆ
蒼き空雲のきれめに遠きかな草間の虫に耳まかせをり
雑木の芽
せゝらぎの朽木越ゆるにふくらまり水の面のしわみふるへてゐるも
雨後の黒土にあるひゞわれは生ひ出くる種子の擡げゐるならむ
草山の低き雑木が新芽ふく技のさきさきいのちかへり来
雑木の芽かたくむすべる葉をゆるめ春のしめりに馴れそめにけり
生垣に沿ひて一路のまがれるにわれもまがりて行くこゝろかも
新道のこゝの曲りに人見えずゆくてに白き夕山桜
新道の道はゞひろみやまざくらほのじろみつつ暮れがてぬかも
夕山の新芽にまじるさくらの花明るみながくのこりてゐるも
春山の雑木の花の黄いろきを見あげてわれはふもとゆくかも
昼冷えて新芽に靄のつゆたまる雑木林に道は入りつも
照りとゞまる春の日輪庭の奥に緋木瓜の花の熱に倦める
鉢植の草花のにほひ昼ふかみひそまれるわれにとき/゛\せまる
枳殻のかたくかぐろき刺の根に黄いろの芽あり春たけにけり
この花は受胎のすみしところなり雌蕊の根もとのふくらみを見よ
往来の日ざしをつよみおちちれる紙片まぶし夏ならんとす
夕ぐれの灯まだひからぬ縁日に草花のいろのあざやかに冴ゆ
ふる雨の枝葉つたひてしづくする音のこもれる杜をよぎるも
露じめる田圃の灯みてあればにぶくうごけりともしき灯
冬山
さむ空の下をあるきて踏み渡る小流土橋にしたしさおぼゆ
向つ峰の松ははてなき蒼空を背向になしてそびえたるかな
雑木山落葉しつくしこの頃の冬日に光るは椿と青木
底温き落葉の中に常盤樹の芽生そだてるこゝの杜かも
冬空の下に相寄りこんもりと此の杜の樹は枝交へたる
青木の実毎年落ちて生ひけらしこゝの谿間の多くの青木
青木の実赤くなりたり冬さりてかわききりたる山の斜面に
ひえ/゛\と今日は雨降り青木の葉なめらにぬれて今日は雨ふり
裏山の冬木にそゝぐさむ時雨見てゐる程にいやさびしもよ
窓により仰げば見ゆる裏山の尖ほそ冬木はさびしきかもよ
高麗山の松の梢ののどやかにかすみてを見ゆ日は海上に
行きずりの小松が中に鳴きうつる鶲見いでてひそかにあゆむ
向つ峰の松の林に朝日さし木の間木の間のきらひたり見ゆ
冬山の日なたにをれば木をこれる音こゝろよく峡にとよめり
蜜柑の香
街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る
子供ゐてみかんの香せり駄菓子屋の午後日のあたらぬ店の寒けさ
向つ峰の午后の陽見つゝ浅山の谷かげ紅葉折るさむさはも
洛北大原にて
寂光院の尼の頬あかき午后にして日は照り雨の粉ちりにけり
亀井戸天神初卯
堀割の低き堤ゆき冬の宵の心なごみぬ初卯の帰り
宵闇の本所の堀割岸ひくみ水の明りを見つゝ歩むも
酒を飲みて気がほぐれたれば夜目に見る人も灯も我によきかな
雨あとの今宵は寒さもゆるびをり道わるの街を友と通るも
三十間堀
堀割のよごれてとろき水の揺れ生臭きかも曇天の下に
高原
榛名
高山のいたやもみぢのかさなれる枝葉仰ぐも根の土ふみて
木深みに行きとまる吾をとぢこめてよどめるしゞまひた寄り来るも
このみちゆ草原つゞきの萱山の青まろ山を見つゝあゆむも
青草の山に上る
日かゞやく高原にとほる道を遥かに先へ行きし連れのすゝみにぶく見ゆ
みづうみの岸の青山ふもとべをめぐり行きけらし人遠方に見ゆ
みづうみに岸の青山うつりてゐてあそぶ此の日も夕ちかみきぬ
高原に夕日そゝげりうちわたすくさ山かげの尾花しろしも
しみ/゛\と朝の日ざしの土にあり隣家の障子つめたくを見ゆ
東京に帰りて
この朝けくちそゝぎをれば工場の汽笛の鳴りよ秋ふかみけり
濡るゝ樹木
箱根にて
大いなる青草山に対ひつゝおのづからなるつゝしみおぼゆ
湯本みち夜のしめりにほのかにも吾ににほひくる木の花のあり
見上ぐれば端山繁山の上の空たゞにをぐらみ雨は降るなり
雨くらき向ひの繁山高処にて木ぬれに白きは朴の花かも
雨の中に立てる大木技葉より雫つたひて幹くろみ見ゆ
雨そゝぐ青葉の内部の樹の枝にかゝりて咲ける蔓の白花
雨が樹に降りてゐるかもいつまでも後よりあとより降りてゐるかも
土のしめり
根ざす地の温みを感じいちはやく空いろ花咲けりみちばた日なたに
この日ごろ地面しめらひ空いろの草花咲かすよき地面かも
夕づける風冷えそめぬみちばたの空いろ小花みなみなつぼむ
冴えかへり雪ふるなべにみちばたの空いろ花は一日とぢたり
充分に太陽にあたり草の萌えふとくのびたりこゝの堤に
草はみなしめれる土にめい/\のかげをおとせり日の夕ぐれに
大きな娘叱られしゆゑ胸のうちにいとしくなりてその指を見る
女の子の赤い蝙蝠傘が青くさの野をゆれゆれて行きつくしけり
ロベリヤの紫いろがしつかりとその位置占めて咲けるくもり日
集の末に
この集に収めた短歌五百十六首は、大正三年三月自分の第一歌集「銀」編輯後から、大正六年十二月迄の作から選んだ。改めた歌もかなりある。順は新しいのを先にした。
大正三年三月三日に生れ病弱であつた二男二郎も、翌年十二月に、逗子の寓居でなくなつて了つた。妻の健康はこの二個年に甚しく衰へた。
その後吾々夫婦は長い旅行を思ひ立ち、五年六月初東京を出て、伊勢奈良京都を経、但馬の城の崎温泉に夏三月を滞在した。その九月の末から、伯耆出雲と山陰道を西に下り、十一月には石見に入り、鉄道の未だ出来てゐない地方を、多くは歩いて旅をつゞけた。気候はもう可なり寒くなつてゐた。さうして十二月初旬に、津和野から中国の脊髄山脈を越えて、山陽道の周防山口町に出た。津和野山口では、妻の気分が勝れないので、土地の医者に来て貰つたりした。寒月の夜に大きく、かぐろく聳えてゐる津和野の青野が岳を、今もまざ/\思ひ出す。
これから海峡を渡つて、その歳の暮に、九州別府に着いたが、この地で翌年六月廿九日に、長女の夏子が生れたので、満一個年をこゝに送る事になつた。この子はかなり丈夫だつたので、吾々は安心して愛を投げかけてゐたのに、自分が、妻の母と共に旅行してゐる間に、風邪にかゝり、それが肺炎になつた。四国の道後でこの報に接した時は、心配で食事の味が殆わからなくなつた。急ぎ帰り、一心に看護してゐる妻に力を合せたけれども、子供は助からなかつた。妻の悲嘆は見るに堪へられなかつた。何故にかく人間の子供は育ち悪いであらうかと思はれた。
吾々は今でも時々この旅行の時の事共、殊に別府で、子供を持つてゐた時の事を語り合つて、感懐に堪へないのである。
この集の歌の大部分は、その旅中の作である。
この集を編むに当り、佐々木信綱先生は文法上の注意を賜はり、児島喜久雄兄は、非常な好意を以て、装幀をしてくれた。こゝに御礼を申し度くおもふ。
又紅玉と云ふ名は、泉鏡花氏の短編集にあるのを知つたから、氏に御話したところ快諾を得たので、気持よくこの名を用ひる事が出来たことをも茲に謝し度い。
大正八年四月三十日夜
鎌倉大町にて 利玄
紅玉奥附 定価金壱円七十銭
大正八年七月壱日印刷
大正八年七月三日発行
不許複製
著者 木下利玄
発行者 長谷川巳之吉
発行所 東京芝公園玄文社
〔名著複刻〕詩歌文学館<連翹セット>
昭和55年3月20日 印刷
昭和55年4月1日 発行(初刷)
木下利玄著
紅玉
玄文社版
刊行 財団法人 日本近代文学館
東京都目黒区駒場4−3−55
代表者 小田切進
編集 名著複刻全集編集委員会
代表者 稲垣達郎
総発売元株式会社 ほるぷ
東京都新宿区新宿2−19−13
代表者 中森蒔人
製作 株式会社 ほるぷ出版
東京連合印刷株式会社
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