古事記物語

                            鈴木三重吉




 一

 私はこの物語を、一種の芸術的作品として、少年少女諸君へと共に、私のすべての読者諸君に捧げる。
これ等十九の話篇の中、下巻に入れた、「赤い玉」「蜻蛉のお謡」「牛飼馬飼」の三つを除き、あとは悉く、最近一年以上にわたつて「赤い鳥」にのせたものである。
これだけで「古事記」の中のお話はすつかり再話し尽されてゐる。たゞ、少年少女諸君にとつて、さしあたり意味の少い謡を、いろ/\はぶいたのと、小さい人たちの読ものとして、或、人間的交渉の叙述に、止むなき手加減を加へた以外には、すべて一行々々の話出にも、私は出来るだけ「古事記」の記述をそのまゝ追従することに努力した。従つてこの物語を、ゆるい意味で、「古事記」そのものの口語訳として迎へられても、お互にたいして差しつかへはないと思ふ。
私はこの用意の下に、表現そのものの上では、平生の私の主張のとほり、あくまで少年少女諸君に分るだけの、平俗な言葉と、普通の語法としか使はないでかき上げたつもりである。
 以上は外見上たゞ何でもないことのやうに見えるかも知れないが、ともかくそんな限定された表現方式を以て、与へられた「古事記」なぞの話出を出来る限り追従し、しかも全体の上に註解や直訳の臭味のない、一個の純芸術品として表現するといふことは、事実に於て、かなり苦しい拘束でなければならない。
 私はこの点に、私のこの物語が、絶対に先例的な、或程度の誇りを持つてゐると同時に、一方には、所詮、表現の上に、いろ/\の気まづさを見てゐることを、特に附記しておきたいと思ふ。

 二

 以下私は少年少女諸君のために、少しく「古事記」そのものについてお話しておかねぱなるまい。但し諸君が今読まれて分らないやうなことは、大人の方へまでお話しておくつもりで、かまはずむづかしい書き方で記述する。
 「古事記」といふ本は、今のわれ/\に伝はつてゐる限りでは、日本の歴史を記録した一ばんはじめの本で、且つ、日本人が作つた、一番最初の古い書物である。
 この本が出来た手続きは、今からおよそ千二百四十年ほど前に、天武天皇がはじめて日本の記録を作らうとおぼしめしたのがもとである。
 すべてどこの民族でも文字といふものがない間は、どんなことでも、みんな、たゞ人々が口から口へ語りついで来たものである。われ/\の祖先の場合では、宮廷の役人の中に「語り部」といふものがゐて、それが特にすつかりのことを語りついでゐたのであつた。
 天武天皇は、如上のお考へから、神代からのすべての事柄について、それ等の役人や、恐らくはそのほかの多くのものたちの話をお集めさせになり、それを稗田の阿礼といふ人に、残らず諳記させてお置きになつた。
 それから二十年ばかり後、元明天皇の和銅五年に、太安万侶といふ人が、勅命を奉じて、その阿礼の話すことは一々文字に移し、三巻の記録を作つた。それがすなはち「古事記」である。
 この物語にははぶいてあるけれど、「古事記」の本文にはお一人お一人の天皇についても、お子さまのお名前なぞが、ときには何十人といふほどお記し申してある。少年少女諸君は、そんな「古事記」全部を、阿礼がよく一人で諳記し得たものだと愕かれるであらう。併し、それは決して●ではあるまい。
西洋にも、つい最近まで、スコツトランドにジヤミーといふ、一字もしらない盲人で、聖書をはじめから終りまで一と言もちがへずに諳んじてゐたものさへゐたくらゐである。
 安万侶は古事記の全部を、すべて漢字の音と意味とを使つて、例へば、
「爾其后名弟橘比売命白之。妾易御子入海中。御子者所遣之政遂応覆奏。将入海時。以菅畳八重。皮畳八重。●畳八重。敷于波上而。下坐其上。於是其暴浪自伏。御船得進。爾其后歌曰。佐泥佐斯。佐賀牟能袁怒邇。毛由流肥能。本那迦邇多知弖。斗比斯岐美波母。」
 こんな風に、一種の漢文まがひの文章でかき綴つたのであつた。この文章を、安万侶たちが、どんな風に読んでゐたかといふことは最近徳川時代になつてから、本居宣長等の熱心な学者がいろ/\に研究して、やうやく完全に調べ得たのである。それによると上文のごときも、
 「こゝにその后、名は、弟橘比売命まをしたまはく、妾御子に易りて海に入りなん、御子は所遣の政遂げて、かへりごと奏したまふべし、とまをして、海に入りまさんとするときに、菅畳八重、皮畳八重、●畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。こゝにその暴浪おのづから伏ぎて、御船得進みき。かれその后歌ひませる御歌、さねさし、相模の小野にもゆる火の、火中に立ちて問ひし君はも。」
と読むのであつた。
 併し今から千二百年も前のかういふ言葉づかひや話し方そのまゝでは、今のわれ/\には中々意味が分りにくい。それだから少年少女諸君のためにはもとより、多くの大人の人たちのためにも私のこの物語のやうに、すつかり今のわれ/\の言葉で話しなほした本がぜひ必要なわけである。
 「古事記」には、神代から、第三十三代の推古天皇までの事柄が記録してある。
 併し、まとまつたお話として語り得るのは、第二十三代顕宗天皇までの記事で、その前でも、第二代緩靖天皇から開化天皇までの八代の天皇と、第十三代成務天皇、第十八代反正天皇の条や、それから上に言つた、顕宗以下推古天皇までの条には、たゞお宮のお名前やお子さまのお名前なぞが、言はばたゞ表のやうに挙げてあるばかりである。

 三
 
 われ/\はこの記録のおかげで、われ/\の最早い祖先のいろ/\の実さいを、かなりはつきりと縮図することが出来るのがいかにもありがたい。それに対してわれ/\が受取る、一番強い、最後の感銘は、つまり、それ等の最初の日本人が、その次々の祖先を通して、われわれに何を伝へ遺し、何を課し命じてゐるかといふことでなければならない。
 この点について、「古事記」が最おごそかに告げてゐることの第一は、われ/\日本人は、その国民的生活の最初の出立から、天皇と、天皇のお位と、すべての祖先とを、いかに絶対の神聖として貴んで来たか、及びそれと一しよに、すべての天皇が根本の御責任として、人民の進歩と幸福とに向つて、それ/゛\いかに大なる努力を払はれたかの事実である。
 「古事記」に出て来る多くの人々は、この天皇と天皇のお位との神聖と、そして天皇の上記のお責任とを、いづれも完全に支持し奉るために、或は勇ましく身命を投じ、又は非常な困苦の下に喜んでさま/゛\の奉公をつくしてゐる。
 次には、そのほか、いろ/\の場合に於て、多くの天皇や皇子や臣下たちによつて示されてゐる、慈愛、至誠、自己犠牲等のさま/゛\の生きた実例は、われ/\に向つて、永久に、人間としての純真な感激を振作するに十分なるものがある。
 たゞ、以上のすべての事柄が、それ/゛\その意味を表はすためには、その対象として、必然、さま/゛\の憎むべき奸悪と冒涜とを見るのは、一面甚だ悲しむべき限りである。
 それ等の種々の罪悪の中には、つまりは、いつの代に於ても、往々誤つた人間が提示する、或共通な弱点として憫まるべきものも含まれてゐる。併し少くとも、われ/\日本人の間ではいかなる場合にも絶対に許されない筈の暴戻は、この物語中のすべての実例に於ても、悉くたゞちに痛快な刑罰を浴びてゐる。これはいふまでもなく、世界中のすべての民族の中、ただわれ/\日本人のみに許された、絶大の誇りの一つでなければならない。
 なほ一々のくはしい事例については、直接この物語全体について感銘されるより外はない。
 ついては、われ/\が、「古事記」の話手と記者とに対して、根本に最愕き喜ばなければならないことは、この本がすべての事柄を、どこまでもありのまゝに伝へてゐるその素朴な態度である。このことについては専門家の間に或違つた見解もあるやうであるが、ともかく今のわれ/\に取つては、「古事記」のこれだけの記述そのものを以て、なほ且つ本当に愕くべき真実の所産と見るには十分の理由が許さるべき筈である。
 つまりくはしく言へば、この「古事記」でも、次に出来た「日本書紀」といふ本でもさうであるが、われ/\の歴史の最早い記録には、すべていかなる方々のことについても、その方々の人間的なすべての方面を、どこまでも隠さず記述してくれてゐる点である。第一、「古事記」の叙写に従へば神々の中の多くでさへも、それはわれ/\が抽象的に考へるやうな絶対の神ではなくて、実さいの事実のとほり、われ/\の一ばん早い祖先に名づけた人間の別名である。次にはそれ/゛\の天皇についても、悉く、人としてのすべての御生活をどこまでもありのままに拝し奉ることが出来る。
 それがために、神といひ天皇といへども、その方々に対する当然の畏れと敬ひとの外に、われわれは直接われ/\の一ばんの長上たるお方として、必然に血肉的な至愛を捧げ奉ることが出来る。この畏れと愛とが一つになつて感じられるところに、われ/\が「古事記」に対して単なる歴史の本ではなくして、或一つの宗教書や、文学の作品のやうな貴さと親しみとを見るのである。
 次に注意すべきことは、「古事記」のすべての事実が、表現法の上に於ても、又寸分の飾りを帯びない、純日本人の思想と言ひ現はし方で以て話されてゐることである。
 この中に語られてゐる日本人は、まだ精神上では、支那や印度の思想なぞが一寸も這入つてゐない、生れたまゝの純日本人である。それだのに、「日本書紀」なぞは、いろ/\の点に於て、「古事記」にある同じ事実を支那人たちの思想を通して潤飾して書いてゐる場合が非常に多い。これは実さいに於て当時まだどこの民族の感化をも受けなかつた、ありのまゝの日本人を、われわれの前に偽り装つて引き出すもので、少くとも実さいと相違してゐる点だけでも甚だ不愉快である。
 それは、単に同書の「神武天皇紀」だけを通読しただけでも容易に首肯される事実である。
 ところが「古事記」は、書き現はし方の上でも、その当時の人間を、どこまでもそのまゝ飾らず真率に見せてくれてゐる。これも「古事記」について忘れてはならない大きな貴さである。
 そのほか、この本については、少年少女諸君が、これから大きくなつて研究されたならば、われ/\の祖先の実さいについて、これまで何人も考へよらなかつたやうな、いろ/\の事実を抽出されることも出来るであらう。
 最後に「古事記」は、以上に言つた、表現そのものの偉大な真実さと簡朴とに於て、文学上それ自身が貴い作篇であるばかりでなく、中に這入つてゐるいろ/\の謡に於て、われわれの最早い、立派な文学の多量を保存してゐる大宝庫である。これ等の謡は、私の物語には、そのまゝ意訳して少年少女諸君に興味があり、又は諸君に向くやうなものだけしか出してない。これも諸君が大きくなられたら、ぜひ、直接「古事記」の原本について読んでおかれることを希望する。
 とにかく「古事記」といふ本は、如上のいろいろの意味で、日本人に取つては絶大の貴重な記録として、永久に伝へらるべき書冊である。
                               鈴木三重吉



 女神の死
 
 一
 
 世界が出来たそも/\のはじめ、まづ天と地とが出来上りますと、それと一しよに、われわれ日本人の一ばん御先祖の、天御中主神と仰る神様が、天の上の高天原といふところへお生れになりました。そのつぎには高皇産霊神、神産霊神のお二方がお生れになりました。
 そのときには、天も地もまだしつかり固りきらないで、両方とも、たゞ、油を浮かしたやうに、とろ/\になつて、水母のやうに、ふはりふはりと浮んでをりました。その中へ、丁度葦の芽が生え出るやうに、二人の神さまがお生れになりました。
 それからまたお二人、その次には男神女神とお二人づつ、八人の神さまが、つぎ/\にお生まれになつた後に、伊弉諾神と伊弉冉神と仰る男神女神がお生れになりました。
 天御中主神はこのお二方の神さまをお召しになつて、「あの、ふは/\してゐる地を固めて、日本の国を作り上げよ。」と仰つて、立派な矛を一ふりお授けになりました。
 それでお二人は、早速、天の浮橋といふ、雲の中に浮んでゐる橋の上へお出ましになつて、いたゞいた矛でもつて、下の、とろ/\してゐるところを掻きまはして、さつとお引上げになりますと、その矛の刃先についた潮水が、ぽたぽたと下へおちて、それが固つて一つの小さな島になりました。
 お二人はその島へ下りて入らしつて、そこへ御殿をたててお住ひになりました。そして、まづ一ばんさきに淡路島をおこしらへになり、それから伊予、讃岐、阿波、土佐とつゞいた四国の島と、その次には隠岐の島、それから、そのじぶん筑紫と言つた今の九州と、壱岐、対馬、佐渡の三つの島をお作りになりました。そして、一ばんしまひに、蜥蜴の形をした、一ばん大きな本州をおこしらへになつて、それに大日本豊秋津島といふお名前をおつけになりました。
 これで、淡路の島からかぞへて、すつかりで八つの島が出来ました。ですから一ばんはじめには、日本のことを、大八島国と呼び又の名を豊葦原水穂国とも称へてゐました。
 かうして、いよ/\国が出来上つたので、お二人は、今度は大ぜいの神さまをお生みになりました。それと一しよに、風の神や、海の神や、山の神、野の神、川の神、火の神をもお生みになりました。ところがおいたはしいことには、伊弉冉神は、そのおしまひの火の神をお生みになるときに、お体にお火傷をなすつて、そのためにとう/\おかくれになりました。
伊弉諾神は、
 「あゝわが妻の神よ、あの一人の子ゆゑに、だいじなお前を亡くするとは。」と仰つて、それはそれは大そうお嘆きになりました。そして、お涙のうちに、やつと、女神のお空骸を、出雲の国と伯耆の国との堺にある比婆の山にお葬りになりました。
 女神は、そこから、黄泉の国といふ、死んだ人の行く真つ暗な国へ立つておしまひになりました。
 伊弉諾神は、そのあとで、早速十拳の剣といふ長い剣を引きぬいて、女神の災のもとになつた火の神を、一うちに斬り殺しておしまひになりました。
 併し、神のお悔しみはそんなことでお癒えになる筈もありませんでした。神は、どうかしてもう一度、女神に会ひたくおぼしめして、とうとうそのお後を追つて、真つ暗な黄泉の国までお出かけになりました。

 二

 女神は無論、もう疾くに、黄泉の神の御殿に着いて入らつしやいました。
 すると、そこへ、夫の神が、はる/゛\たづねてお出でになつたので、女神は急いで戸口へお出迎へになりました。
 伊弉諾神は、真つ暗な中から、女神をおよびかけになつて、
 「いとしきわが妻の女神よ。お前と一しよに作る国が、まだ出来上らないでゐる。どうぞもう一度帰つてくれ。」と仰いました。すると女神は、残念さうに、
 「それならば、もつと早く迎へに入らしつて下さいませばよいものを。私は最早、この国の穢れた火で炊いたものを食べましたから、もう二度とあちらへ帰ることは出来ますまい。併し、せつかくお出で下さいましたのですから、ともかく一応黄泉の神たちに相談をして見ませう。どうぞその間は、どんなことがありましても、決して私の姿を御覧にならないで下さいましな。後生でございますから。」と、女神はかたくさう申し上げておいて、御殿の奥へお這入りになりました。
 伊弉諾神は永い間戸口にぢつと待つて入らつしやいました。併し、女神は、それなり、いつまでたつても出て入らつしやいません。伊弉諾神は、しまひには、もう待ちどほしくて堪らなくなつて、とう/\、左の鬢の櫛をおぬきになり、その片はしの大歯を一本欠き取つて、それへ火をともして、僅かに闇の中をてらしながら、足さぐりに、御殿の中深く這入つてお出でになりました。
 さうすると、御殿の一ばん奥に、女神は寐て入らつしやいました。そのお姿を灯で御覧になりますと、お体中は、もうすつかりべと/\に腐りくづれてゐて、臭い/\いやな臭ひが、ぷん/\鼻へ来ました。そして、そのべと/\に腐つた体中には蛆がうよ/\とたかつてをりました。それから、頭と、胸と、お腹と、両股と、両手両足のところには、その穢れから生れた雷神が一人づつ、すべてで八人で、怖しい顔をしてうづくまつてをりました。
 伊弉諾神は、そのありさまを御覧になると、びつくりなすつて、怖しさのあまりに、急いで遁げ出しておしまひになりました。
 女神はむつくと起き上つて、
 「おや、あれほどお止め申しておいたのに、とうとう私のこの姿を御覧になりましたね。まあ、何といふ憎いお方でせう。人にひどい恥をおかゝせになつた。あゝ、くやしい。」
と、それはそれはひどくお怒りになつて、早速女の悪鬼たちをよんで、
 「さあ、早く、あの神をつかまへてお出で。」と、歯がみをしながらお言ひつけになりました。
 女の悪鬼たちは、
 「おのれ、待て。」と言ひながらら、どん/\追つかけて行きました。
 伊弉諾神は、その鬼どもにつかまつては大変だとおぼしめして、走りながら、髪の飾りにさしてある黒い葛の葉を抜き取つては、どん/\後へお投げつけになりました。
 さうすると、見る/\うちに、その葛の葉のおちたところへ、葡萄の実がふさ/\と実りました。女鬼どもは、いきなりその葡萄を取つて食べはじめました。
 神はその間に、一生けんめいに駈け出して、やつと少しばかり遁げ延びたとお思ひになりますと、女鬼どもは、間もなく、また、ぢき後まで追ひつめて来ました。
 神は、
 「おや、これはいけない。」とお思ひになつて、今度は、右の鬢の櫛をぬいて、その歯を引つ欠いては投げつけ/\なさいました。さうすると、その櫛の歯が、片はしから筍になつて行きました。
 女鬼たちはその筍を見ると、また早速引きぬいて、もぐ/\食べ出しました。
 伊弉諾神は、そのすきを狙つて、今度こそは、大分向うまでお遁げになりました。そしてもうこれなら大丈夫だらうとおぼしめして、ひよいと後を振り向いて御覧になりますと、意外にも、今度はさつきの女神のまはりにゐた八つの雷神どもが、千五百人の鬼の軍勢を引きつれて、死にものぐるひで追つかけて来るではありませんか。
 神はそれを御覧になると、あわてて十拳の剣を抜きはなして、それでもつて後をぐん/\切りまはしながら、それこそ一生けんめいにお遁げになりました。そして、やう/\、この世界と黄泉の国との境になつてゐる、黄泉比良坂といふ坂の下まで遁げ延びて入らつしやいました。

 三

 すると、その坂の下には桃の木が一本ありました。
 神はその桃の実を三つ取つて、鬼どもが近づいて来るのを待ち受けて入らしつて、その三つの桃を力一ぱいにお投げつけになりました。さうすると、雷神たちはびつくりして、みんなちり/゛\ばら/゛\に遁げてしまひました。
 神はその桃に向つて、
 「お前は、これから先も、日本中のものがだれでも苦しい目に合つてゐるときには、今私を助けてくれた通りに、みんな助けてやつてくれ。」と仰つて、わざ/\大神実命といふお名前をおやりになりました。
 そこへ、女神は、とう/\じれつたくおぼしめして、今度は御自分で追つかけて入らつしやいました。神はそれを御覧になると、急いでそこにあつた大きな大岩を引つかゝへて入らしつて、それを押しつけて、坂の口を塞いでおしまひになりました。
 女神は、その岩に遮られて、それより先へは一足もふみ出すことが出来ないものですから、恨しさうに岩を睨めつけながら、
 「わが夫の神よ、それではこのしかへしに、日本中の人を一日に千人づつ絞め殺して行きますから、さう思つて入らつしやいまし。」と仰いました。神は、
 「わが妻の神よ、お前がそんなひどいことをするなら、私は日本中に一日に千五百人の子供を生ませるから、一向かまはない。」と仰つて、そのまゝ、どん/\こちらへお帰りになりました。
 神は、
 「あゝ、穢いところへ行つた。急いで体を洗つて、穢れを払はう。」と仰つて、日向の国の阿波岐原といふところへお出かけになりました。
 そこにはきれいな川が流れてゐました。
 神はその川の岸へ杖をお投げすてになり、それからお帯やお下袴やお上衣や、お冠や、右左のお腕にはまつた腕輪などを、すつかりお取りはづしになりました。さうすると、それだけのものを一つ/\お取りになるたんびに、ひよいひよいと一人づつ、すべてで十二人の神さまがお生れになりました。
 神は、川の流を御覧になりながら、
 「上の瀬は瀬が早い、
 下の瀬は瀬が弱い。」
と仰つて、丁度いゝころ合の、中程の瀬にお下りになり、水をかぶつて、お体中をお洗ひになりました。すると、体についた穢れのために、二人の禍の神が生れました。それで、伊弉諾神は、その神がつくり出す禍をお除りになるために、今度は三人のよい神さまをお生みになりました。
 それから水の底へもぐつて、お体をお清めになる時に、またお二人の神さまがお生れになり、その次に、水の中にこゞんでお洗ひになる時にもお二人、それから水の上へ出てお滌ぎになるときにもお二人の神さまがお生れになりました。そしてしまひに、左の目をお洗ひになると、それと一緒に、それは/\美しい、貴い女神がお生まれになりました。
 伊弉諾神は、この女神さまに天照大神といふお名前をおつけになりました。その次に右のお目をお洗ひになりますと、月読命といふ神さまがお生れになり、一ばんしまひにお鼻をお洗ひになるときに、建速須佐之男命といふ神さまがお生れになりました。
 伊弉諾神はこのお三方を御覧になつて、
 「私もこれまでいくたりも子供を生んだが、とうとうしまひに、一等よい子供を生んだ。」と、それは/\大喜びをなさいまして、早速玉のお頸飾をおはづしになつて、それをさら/\と揺り鳴らしながら、天照大神にお上げになりました。
そして、
 「お前は天へ上つて高天原を治めよ。」と仰いました。それから月読命には、
 「お前は夜の国を治めよ。」とお言ひつけになり、三ばん目の須佐之男命には、
 「お前は大海の上を治めよ。」とお言ひわたしになりました。



天の岩屋

 一

 天照大神と、二番目の弟さまの月読命とは、お父さまの御命令に従つて、それ/゛\大空と夜の国とをお治めになりました。
 ところが末のお子様の須佐之男命だけは、お父さまのお言ひつけをお聞きにならないで、いつまでたつても大海を治めようとなさらないばかりか、立派な長いお髯が胸の上まで垂れ下るほどの、大きな大人におなりになつても、やつぱり、赤ん坊のやうに、絶えまもなくわん/\/\お泣き狂ひになつて、どうにもかうにも手のつけやうがありませんでした。そのひどいお泣き方といつたら、それこそ、青い山々の草木も、やかましい泣き声で泣き枯らされてしまひ、河や海の水も、その火のつくやうな泣き声のために、すつかり干上つたほどでした。
 すると、いろんな悪い神々たちが、そのさわぎにつけ込んで、わい/\とうるさく騒ぎまはりました。そのおかげで、地の上には、ありとあらゆる災が一どきに起つて来ました。
 伊弉諾神は、それを御覧になると、びつくりなすつて、早速、須佐之男命をお呼びになつて、
 「一たい、お前は、私の言ふことも聞かないで、何をそんなに泣き狂つてばかりゐるのか。」と、きびしくお咎めになりました。
 すると、須佐之男命は、むきになつて、
 「私は、お母さまのお側へ行きたいから泣くのです。」と仰いました。
 伊弉諾神はそれをお聞きになると、大そうお腹立になつて、
 「そんな勝手な子は、この国へおく訳には行かない。どこへなりと出て行け。」と仰いました。
 命は平気で、
 「それでは、お姉上さまにおいとま乞ひをして来よう。」
と仰りながら、そのまゝ大空の上の、高天原を目ざして、どん/\上つて入らつしやいました。
 すると、力の強い、大男の命ですから、力一ぱいづしん/\と乱暴にお歩きになると、山も川もめり/\と揺ぎ出し、世界中がみし/\と震ひ動きました。
 天照大神は、その響にびつくりなすつて、
 「弟があんな勢で上つて来るのは、必ずただごとではない。きつと私の国を奪ひ取らうと思つて出て来たに相違ない。」
 かう仰つて、早速、お身じたくをなさいました。女神は先づ急いで髪をといて、男髷にお結ひになり、両方の鬢と両方の腕とに、八尺の曲玉といふ立派な玉の飾をおつけになりました。そして、お背中には、五百本、千本といふ大そうな箭をお負ひになり、右手に弓を取つて、お突き立てになりながら、勢込んで、足をふみ鳴らして待ちかまへて入らつしやいました。そのきついお力ぶみで、お庭の堅い土が、まるで粉雪のやうにもう/\と飛びちりました。

 二

 間もなく須佐之男命は大空へお着きになりました。
 女神はそのお姿を御覧になると、声を張り上げて、
 「命、そちは何をしに来た。」と、いきなりお叱りつけになりました。すると命は、
 「いえ、私は決して悪いことをしにまゐつたのではございません。お父さまが、私の泣いてゐるのを御覧になつて、なぜ泣くかとお咎めになつたので、お母上の入らつしやるところへ行きたいからですと申し上げると、大そうお怒りになつて、いきなり出て行つてしまへと仰るので、あなたにお別れをしにまゐつたのです。」と、お言ひわけをなさいました。
 でも女神はすぐには御信用にならないで、
 「それではお前に悪い心のない証拠を見せよ。」と、仰いました。命は、
 「ではお互に子を生んであかしを立てませう。生れた子によつて、二人の心のよしあしがわかります。」と仰いました。
 そこで御姉弟は、天安河といふ河の両方の岸に分れてお立ちになりました。そして先づ女神が、一ばん先に、命の十拳の剣をお取りになつて、それを三つに折つて、天真名井といふ井戸で洗つて、がり/\とお囓みになり、ふツと霧をお吹きになりますと、そのお息の中から、三人の女神がお生れになりました。
 その次には命が、女神の左の鬢におかけになつてゐる、八尺の曲玉の飾をいたゞいて、玉の音をから/\言はせながら、天真名井といふ井戸で洗ひ滌いで、それをがり/\囓んで霧をお吹き出しになりますと、それと一しよに一人の男の神さまがお生れになりました。その神さまが、天忍穂耳命です。
 それから次には、女神の右の鬢の玉飾をお取りになつて、先と同じやうにして息をおふきになりますと、その中から又男の神が一人お生れになりました。
 つゞいて今度は、お鬘の玉飾を受け取つて、やはり真名井で洗つて、がり/\囓んで息をおふきになりますと、その中から、また男の神が一人お生れになり、一ばんしまひに、女神の右と左のお腕の玉飾を囓んで、息をおふきになりますと、そのたんびに、同じ男神が一人づつ──これですべてで五人の男神がお生れになりました。
 天照大神は、
 「はじめに生れた三人の女神は、お前の剣から出来たのだから、お前の子だ、後の五人の男神は、私の玉飾から出来たのだから、私の子だ。」と仰いました。
 命は、
 「そうら、私が勝つた。私に何の悪心もない印には、私の子は、みんなおとなしい女神ではありませんか。どうです、それでも私は悪人ですか。」と、それは/\大威張りにお威張りになりました。そして、その勢に乗つてお暴れ出しになつて、女神がお作らせになつてゐる田の畔をこはしたり、溝を埋めたり、しまひには女神がお初穂を召し上る御殿へ、うんこをひりちらすといふやうな、ひどい乱暴をなさいました。
 他の神々は、それを見て呆れてしまつて、女神に言ひつけにまゐりました。
 併し女神はちつともお怒りにならないで、
 「何、ほつておけ。決して悪い気でするのではない。きたないものは、酔つたまぎれに吐いたのであらう。畔や溝をこはしたのは、折角の地面を、そんな溝なぞにしておくのが惜しいからであらう。」
 かう仰つて、却つて命をかばつておあげになりました。
 すると命は、ます/\図に乗つて、しまひには、女たちが女神のお召しものを織つてゐる、機織場の屋根を破つて、その穴から、斑の馬の皮をはいで、血まぶれにしたのを、どしんと投げこんだりなさいました。機織女は、びつくりして遁げまどふはずみに、梭で下腹を突いて死んでしまひました。
 女神は、命の余りの乱暴さにとう/\ゐたゝまれなくおなりになつて、天の岩屋といふ石室の中へお隠れになりました。そして入口の岩の戸をぴつしりとお閉めになつたきり、そのまゝ引き籠つて入らつしやいました。
 すると女神は日の神さまで入らつしやるので、そのお方がお姿をお隠しになると一しよに、高天原も下界の地の上も、一度にみんな真暗がりになつて、それこそ、昼と夜との区別もない、長い/\闇の世界になつてしまひました。
 さうすると、いろ/\の悪い神たちが、その暗がりにつけこんで、わい/\さわぎ出しました。そのために世界中には、ありとあらゆる禍が、一度に湧き上つて来ました。
 そんなわけで、大空の神々たちは、大そうお困りになりまして、みんなで安河原といふ、空の上の河原に集つて、どうかして、天照大神に岩屋からお出ましになつていたゞく方法はあるまいかと一生けんめいに、相談をなさいました。
 さうすると、思金神といふ、一番かしこい神さまが、いゝことをお考へつきになりました。
 みんなはその神の指図で、早速、鶏をどつさり集めて来て、岩屋の前で、引つ切りなしに鳴かせました。
 それから一方では、安河の河上から固い岩をはこんで来て、それを鉄床にして、八咫の鏡といふ立派な鏡を作らせ、八尺の曲玉といふ立派な玉で胸飾を作らせました。そして、天香具山といふ山から、榊を根ぬきにして来て、その上の方の枝へ、八尺の曲玉をつけ、中程の枝へ八咫の鏡をかけ、下の枝へは白や青の布をつりさげました。そして、或一人の神さまが、その榊を持つて天の岩屋の前に立ち、ほかの一人の神さまが、そのそばで祝詞を上げました。
 それからやはり岩屋の前へ、空樽を伏せて天宇受女命といふ女神に、天香具山の葛の蔓を襷にかけさせ、葛の葉を髪飾にさせて、その桶の上へ上つて踊を踊らせました。
 宇受女命は、お乳もお腹も股も全だしにして、足をとん/\ふみならしながら、全で憑きものでもしたやうに、くる/\くる/\と踊り狂ひました。
 するとその容子がいかにもをかしいので、何千人といふ神たちが、一度にどつと吹きだして、みんなで転がり廻つて笑ひました。そこへ鶏は声をそろへて、コツケコー、コツケコーと鳴き立てるので、そのさわぎと言つたら、全く耳もつぶれるほどでした。
 天照大神は、その大そうなさわぎの声をお聞きになると、何ごとが起つたのかと思召して、岩屋の戸を細目に開けて、そつと覗いて御覧になりました。そして宇受女命に向つて、
 「これ/\、私がこゝにかくれてゐれば、空の上も真暗なはずだのに、お前は何を面白がつて踊つてゐるのか。ほかの神々たちも何であんなに笑ひくづれてゐるのか。」とおたづねになりました。
 すると宇受女命は、
 「それは、あなたよりも、もつと貴い神さまが出て入らつしやいましたので、みんなが喜んでさわいでをりますのでございます。」と申し上げました。
 それと同時に一人の神さまは、例の、八咫の鏡をつけた榊を、ふいに大神の前へ突き出しました。鏡には、さつと、大神のお顔がうつりました。大神はそのうつつた顔を御覧になると、
 「おや、これはだれであらう。」と仰りながら、もつとよく見ようと思召して、少しばかり戸の外へお出ましになりました。
 すると、さつきから、岩屋の側にかくれて待ちかまへてゐた、手力男命といふ大力の神さまが、いきなり、女神のお手を取つて、すつかり外へお引き出し申しました。それと一しよに、一人の神さまは、女神のお後へまはつて、
 「どうぞ、もうこれから内へはお這入り下さいませんやうに。」と申し上げて、そこへ七五三縄を張りわたしてしまひました。
 それで世界中は、やつと長い夜があけて、再び明るい昼が来ました。
 神々たちは、それでやうやく安心なさいました。そこで早速、みんなで相談して、須佐之男命には、あんなひどい乱暴をなすつた罰として、御身代をすつかり差出させ、その上に、立派なお髯も切り取り、手足の爪まで剥ぎ取つて、下界へ追ひ下してしまひました。
 そのとき須佐之男命は、大気都比売命といふ女神に、何かものを食べさせよと仰せになりました。大気都比売命は、お言葉に従つて、早速、鼻の穴や口の中からいろ/\の食べものを出して、それをいろ/\にお料理して差し上げました。
 すると須佐之男命は大気都比売命のすることを見て入らしつて、
 「こら、そんな、お前の口や鼻から出したものが己に食へるか。無礼な奴だ。」と、大そうお腹立ちになつて、いきなり剣をぬいて、大気都比売命を一うちに斬り殺しておしまひになりました。
 さうすると、その死骸の頭から、蚕が生れ、両方の目に稲が実り、二つの耳に粟が実りました。それから鼻には小豆が実り、お腹に麦と大豆が実りました。
 それを神産霊神がお取り集めになつて、日本中の穀物の種になさいました。
 須佐之男命はそのまゝ下界へ下りてお出でになりました。



 八俣の大蛇

 一

 須佐之男命は、大空から追ひ下されて、出雲の国の、肥の河の河上の、鳥髪といふところへお下りになりました。
 すると、その河の中に箸が流れて来ました。
 命は、それを御覧になつて、
 「では、この河の上の方には人が住んでゐるな。」とお察しになり、早速そちらの方へ向つて探し/\お出でになりました。さうすると或るお爺さんとお婆さんとが、真中に一人の娘を坐らせて三人でおん/\泣いてをりました。
 命は、お前たちは何ものかとお尋ねになりました。
 お爺さんは、
 「私は、この国の大山津見と申します神の子で、足名椎と申しますものでございます。妻の名は手名椎、この娘の名は櫛名田媛と申します。」とお答へいたしました。
 命は、
 「それで三人ともどうして泣いてゐるのか。」と、かさねてお聞きになりました。
 お爺さんは涙をふいて、
 「私たち二人には、もとは八人の娘がをりましたのでございますが、その娘たちを、八俣の大蛇と申します怖しい大蛇が、毎年出て来て、一人づつ食べて行つてしまひまして、とうとうこの子一人だけになりました。さういふこの子も、今にその大蛇が食べにまゐりますのでございます。」
 かう言つて、みんなが泣いてゐるわけをお話しいたしました。
 「一たいその大蛇はどんな形をしてゐる。」と、命はお聞きになりました。
 「その大蛇と申しますのは、体は一つでございますが、頭と尾は八つに分れてをりまして、その八つの頭には、赤酸漿のやうな真つ赤な目が、燃えるやうに光つてをります。それから、体中には、苔や、檜や杉の木なぞが生え茂つてをります。その体のすつかりの長さが、八つの谷と八つの山の裾をとりまく程の、大きな/\大蛇でございます。その腹はいつも血に爛れて真つ赤になつてをります。」と、怖しさうにお話しいたしました。命は、
 「ふん、よし/\。」とお頷きになりました。そして改めてお爺さんに向つて、
 「その娘はお前の子ならば、私のお嫁にくれないか。」と仰いました。
 「お言葉ではございますが、あなたさまはどこのどなたか存じませんので。」と、お爺さんは危んで怖る/\かう申しました。命は、
 「実は己は天照大神の同じ腹の弟で、たつた今、大空から下りて来たばかりだ。」と、打明けてお名前を仰いました。すると、足名椎も手名椎も、
 「さやうでございますか。これは/\畏れ多い。それでは、仰せのまゝさし上げますでございます。」と、両手をついて申し上げました。
 命は、櫛名田媛をお貰ひになると、忽ち媛を櫛に化けさせておしまひになりました。そして、その櫛をすぐに御自分の鬢の巻髪におさしになつて、足名椎と手名椎に向つて仰いました。
 「お前たちは、これから米を囓んで、好い酒をどつさりつくれ。それから、こゝへぐるりと垣をこしらへて、その垣へ、八ところに門を明けよ。そしてその門のうちへ、一つづつ桟敷をこしらへて、その桟敷の上に、大槽を一つづつおいて、その中へ、二人でこしらへたよい酒を一ぱい入れて待つてをれ。」とお言ひつけになりました。
 二人は、仰せのとほりに、すつかり準備をとゝのへて、待つてをりました。そのうちに、そろそろ大蛇の出て来る時間が近づいて来ました。
 命は、それを聞いて、ぢつと待ちかまへて入らつしやいますと、間もなく、二人が言つたやうに、大きな/\八俣の大蛇が、大きな真つ赤な目をぎら/\光らして、のそ/\と出て来ました。
 大蛇は、目の前に八つの酒槽が並んでゐるのを見ると、いきなり八つの頭を一つづつその中へ突つ込んで、その大そうなお酒を、がぶ/\がぶ/\と瞬く間に飲み干してしまひました。さうすると間もなく体中に酔が廻つて、その場へ倒れたなり、ぐう/\寝入つてしまひました。
 須佐之男命は、そつとその寝息を窺つて入らつしやいましたが、やがて、さあ今だとお思ひになつて、十拳の剣を引きぬくが早いか、己れ、己れと、つゞけさまにお切りつけになりました。そのうちに八つの尾の中の、中程の尾をお切りつけになりますと、その尾の中に何か固いものがあつて、剣の刃先が、少しばかりほろりと欠けました。
 命は、
 「おや、変だな。」とおぼしめして、そのところを切り割いて御覧になりますと、中から、それはそれは刃の鋭い、立派な剣が出て来ました。命は、これはふしぎなものが手に這入つたとお思ひになりました。その剣は後に天照大神へ御献上になりました。
 命はとう/\、大きな/\大蛇の胴体をずたずたに切刻んでおしまひになりました。そして、
 「足名椎、手名椎、来て見よ。このとほりだ。」とおよびになりました。
 二人はがた/\ふるへながら出て見ますと、そこいら一面は、きれ/゛\になつた大蛇の胴体から吹き出る血で一ぱいになつてをりました。その血がどん/\肥の河へ流れ込んで、川の水も真つ赤になつて落ちて行きました。
 命はそれから、櫛名田媛とお二人で、そのまゝ出雲の国にお住ひになるおつもりで、御殿をお建てになるところを、そちこちと、さがしてお歩きになりました。そして、しまひに、須加といふところまでお出でになると、
 「あゝ、こゝへ来たら、心持がせい/\して来た。これはよいところだ。」と仰つて、そこへ御殿をお建てになりました。そして、足名椎神をそのお宮の役人の頭になさいました。
 命にはつぎ/\にお子さまお孫さまがどんどんお出来になりました。その八代目のお孫さまのお子さまに、大国主神、又の名を大穴牟遅神と仰る立派な神さまがお生れになりました。



むかでの室、蛇の室

 一

 この大国主神には、八十神と言つて、何十人といふほどの、大勢の御兄弟がおありになりました。
 その八十神たちは、因幡の国に、八上媛といふ美しい女の人がゐると聞き、みんなてんでんに、自分のお嫁に貰はうと思つて、一同でつれ立つて、はる/゛\因幡へ出かけて行きました。
 みんなは、大国主神が、おとなしい方なのをよいことにして、この方をお供の代りに使つて、袋を背負はせてついて来させました。そして、因幡の気多といふ海岸まで来ますと、そこに、毛のない赤裸の兎が、地びたにころがつて、苦しさうに体中で息をしてをりました。
 八十神たちはそれを見ると、
 「おい兎よ。お前体に毛が生やしたければ、この海の潮につかつて、高い山の上で風に吹かれて寝てをれ。さうすれば、すぐに毛が一ぱい生えるよ。」とからかひました。兎はそれを本当にして、早速海につかつて、ずぶぬれになつて、よち/\と山へ上つて、そのまゝ寝ころんでをりました。
 するとその潮水が干くにつれて、体中の皮が引きつれて、びり/\裂け破れました。兎は、そのひり/\する、ひどい痛みにたまりかねて、おん/\泣き伏してをりました。さうすると、一ばんあとからお通りかゝりになつた、お供の大国主神がそれを御覧になつて、
「おい/\兎さん、どうしてそんなに泣いてゐるの。」と、やさしく聞いて下さいました。
兎は泣き/\、
「私は、もと隠岐の島にをりました兎でございますが、この本土へ渡らうと思ひましても、渡る手だてがございませんものですから、海の中の鰐をだまして、一たい、お前と私とどつちが身うちが多いだらう。一つ競べて見ようぢやないか、お前はゐるだけの眷族をすつかりつれて来て、こゝから、あの向うの果ての、気多の岬までずつと並んで見よ、さうすれば己がその背中の上を伝はつて、数をかぞへてやらうと申しました。
 すると、鰐はすつかりだまされまして、出てまゐりますもまゐりますも、それは/\、うようよと、真つ黒に集つてまゐりました。そして、私の申しましたとほりに、この海ばたまでずらりと一列に並びました。
 私は五十八十と数をよみながら、その背中の上をどん/\渡つて、もう一足でこの海ばたへ上らうといたしますときに、やあい間抜けの鰐奴、旨く俺に騙されたアいと囃立てますと、一ばんしまひにをりました鰐が、むつと怒つて、いきなり私をつかまへまして、このとほりにすつかり着物を引つ剥がしてしまひました。
 それであすこのところへ伏しころんで泣いてをりましたら、さき程こゝをお通りになりました八十神たちが、いゝことを教へてやらう、これこれかうして見ろと仰いましたので、そのとほりに潮水を浴びて風に吹かれてをりますと、体中の皮が硬ばつて、こんなにびり/\割けてしまひました。」
かう言つて、兎はまたおん/\泣き出しました。
 大国主神は、話をきいて可哀さうだとおぼしめして、
 「それでは早くあすこの川口へ行つて、真水で体中をよく洗つて、そこいらにある蒲の花をむしつて、それを下に敷いて寝転んでゐて御覧。さうすれば、ちやんともとの通りに直るから。」
 かう言つて、教へておやりになりました。兎はそれを聞くと大そう喜んで、お礼を申しました。そしてそのあとで言ひました。
 「あんなお人の悪い八十神たちは、決して八上媛を御自分のものになさることは出来ません。あなたは袋などをお負ひになつて、お供について入らつしやいますけれど、八上媛はきつと、あなたのお嫁さまになると申します。見てゐて御覧なさいまし。」と申しました。
 間もなく、八十神たちは八上媛のところへ着きました。そして、代る/゛\、自分のお嫁になれ自分のお嫁になれと言ひましたが、媛はそれを一々刎ねつけて、
 「いえ/\、いくらお言ひになりましても、あなた方の御自由にはなりません。私は、あすこに入らつしやる大国主神のお嫁にしていたゞくのです。」と申しました。
 八十神たちはそれを聞くと大そう怒つて、みんなで大国主神を殺してしまはうと相談をきめました。
 みんなは、大国主神を、伯耆の国の手間の山といふ山の下へつれて行つて、
 「この山には赤い猪がゐる。これからわしたちが山の上からその猪を追ひ下すから、お前は下にゐて捉へろ。下手をして遁したらお前を殺してしまふぞ。」と、言ひわたしました。そして急いで、山の上へ駈け上つて、盛んに焚火をこしらへて、その火の中で、猪のやうな恰好をしてゐる大きな石を真つ赤に焼いて、
 「そうら、つかまへろ。」と言ひながら、どしんと、転がし落しました。
 麓で待ち受けて入らしつた大国主神は、それを御覧になるなり、大急ぎで駈け寄つて、力任せにお組みつきになつたと思ひますと、体は忽ちその赤焼の石の膚にこびりついて、
「あツ。」とお言ひになつたきり、そのまゝ爛れ死に死んでおしまひになりました。

 二

 大国主神の生みのお母さまは、それをお聞きになると、大そうお嘆きになつて、泣き/\大空へかけ上つて、高天原にお出でになる、高皇産霊神にお助けをお願ひになりました。
 すると、高皇産霊神は、蚶貝媛、蛤貝媛と名のついた、赤貝と蛤の二人の貝を、すぐに下界へお下しになりました。
 二人は大急ぎで下りて見ますと、大国主神は真つ黒焦げになつて、山の裾に倒れて入らつしやいました。赤貝は早速自分の殻を削つて、それを焼いて黒い粉をこしらへました。蛤は急いで水を出して、その黒い粉をこねて、お乳汁のやうにどろ/\にして、二人で大国主神の体中へ塗りつけました。
 さうすると大国主神は、それほどの大火傷も忽ち直つて、もとのとほりの、きれいな若い神になつてお起き上りになりました。そしてどんどん歩いてお家へ帰つて入らつしやいました。
 八十神たちは、それを見ると、びつくりして、もう一度みんなでひそ/\相談をはじめました。そしてまた上手に大国主神をだまして、今度は別の山の中へつれ込みました。そしてみんなで寄つてたかつて、或大きな立木を根もとから切りまげて、その切れ目へ楔を打ち込んで、その間へ大国主神を這入らせました。さうしておいて、ふいにポンと楔を打ちはなして、挟み殺しに殺してしまひました。
 大国主神のお母さまは、若い子の神がまたゐなくなつたので、おどろいて方々をさがしてお廻りになりました。そして、しまひにまた殺されて入らつしやるところをお見つけになると、大急ぎで木の幹を切り開いて、子の神のお死骸をお引き出しになりました。そして一生けんめいに介抱して、やう/\のことで再びお生きかへらせになりました。お母さまは、
 「もうお前はうか/\この土地においてはおかれない。どうぞこれからすぐに、須佐之男命のおいでになる、根堅国に遁げておくれ、さうすれば命が必ずいゝやうに計つて下さるから。」
 かう言つて、若い子の神を、そのまゝそちらへ立つてお行かせになりました。
 大国主神は、言はれたとほりに、命のお出でになるところへお着きになりました。すると、命のお娘御の須勢理媛がお取次をなすつて、
 「お父上さま、きれいな神が入らつしやいました。」とお言ひになりました。
 お父上の大神は、それをお聞きになると、急いで御自分で出て御覧になつて、
 「あゝ、あれは、大国主といふ神だ。」と仰いました。そして、早速および入れになりました。
 媛は大国主神のことをほんとに美しいよい方だとすぐに大好きにお思ひになりました。大神には、第一それがお気に召しませんでした。それで、一つこの若い神を困らせてやらうとお思ひになつて、その晩、大国主神を、蛇の室と言つて、大蛇小蛇が一ぱいたかつてゐる気味の悪いお部屋へお寝かせになりました。
 さうすると、やさしい須勢理媛は、大層気の毒にお思ひになりました。それで御自分の、比礼といつて、肩かけのやうに使ふ布を、そつと大国主神におわたしになつて、
 「もし蛇が喰ひつきにまゐりましたら、この布を三度ふつて追ひのけておしまひなさい。」と仰いました。
 間もなく、蛇はみんなで鎌首を立ててぞろぞろと向つて来ました。大国主神は早速言はれたとほりに、飾の布を三度おふりになりました。すると不思議にも、蛇はひとりでに引きかへして、そのまゝぢつとかたまつたなり、一晩中、なんにも害をしませんでした。若い神はおかげで、気楽にぐつすりお寐つて、朝になると、当りまへの顔をして、大神の前に出て入らつしやいました。
 すると大神は、その晩は、百足虫と蜂の一ぱい這入つてゐるお部屋へお寝かせになりました。併し媛が、またこつそりと、ほかの頸飾の布をわたして下すつたので、大国主神は、その晩もそれで百足虫や蜂を追ひ払つて、又一晩中らくらくとお寐みになりました。
 大神は、大国主神が二晩とも、平気で切りぬけて来たので、よし、それでは今度こそは見てをれと、心の中で仰りながら、鏑矢と言つて、矢尻に穴があいてゐて、射るとびゆうびゆう鳴る、こはい大きな矢を、草の茫々と生え延びた、広い野原の真ん中にお射込みになりました。そして、大国主神に向つて、
「さあ、今飛んだ矢を拾つて来い。」と仰せつけになりました。
 若い神は、正直に御命令を聞いて、すぐに草をかき分けてどん/\這入つてお出でになりました。大神はそれを見すまして、不意に、その野のまはりへぐるりと火をつけてどん/\お焼き立てになりました。大国主神は、おやと思ふ間に、忽ち四方から火の手におかこまれになつて、すつかり遁げ場を失つておしまひになりました。それで、どうしたらいゝかとびつくりして、とまどひをして入らつしやいますと、そこへ一匹の野鼠が出て来まして、
 「うちはほら/\、そとはすぶ/\。」と言ひました。それは、中は、がらんどうで、外はすぼまつてゐる、といふ意味でした。
 若い神は、すぐにそのわけをおさとりになつて、足の下を、とんときつく踏んで御覧になりますと、そこは、ちやんと下が大きな穴になつてゐたので、体ごとすぽりとその中へ落ちこみました。それで、ぢつとそのまゝこゞまつて隠れて入らつしやいますと、やがて間近まで燃えて来た火の手は、その穴の上を走つて、向うへ遠のいてしまひました。
 そのうちに、さつきの鼠が大神のお射になつた鏑矢をちやんと探し出して、口にくはへて持つて来てくれました。見るとその矢の羽根のところは、いつの間にか鼠の子供たちが囓つて、すつかり食べてしまつてをりました。

 三

 須勢理媛は、そんなことは一寸も御存じないものですから、美しい若い神は、きつと焼け死んだものとお思ひになつて、一人で嘆き悲しんで入らつしやいました。そして火が消えるとすぐに、急いでお葬ひの道具を持つて、泣き/\さがしに入らつしやいました。
 お父上の大神も、今度こそは大丈夫死んだらうとお思ひになつて、媛のあとから入らしつて御覧になりました。
 すると大国主神は、もとのお姿のまゝで、焼けあとの中から出て入らつしやいました。そしてさつきの鏑矢をちやんとお手におわたしになりました。
 大神もこれには内々びつくりしておしまひになりまして、仕方なく一しよに御殿へおかへりになりました。そして大きな広間へつれてお這入りになつて、そこへごろりと横におなりになつたと思ふと、
 「おい、己の頭の虱を取れ。」と、いきなり仰いました。
 大国主神は畏つて、その長い/\お髪の毛をかき分けて御覧になりますと、その中には、虱でなくて、沢山な百足虫が、うよ/\たかつてをりました。
 すると、須勢理媛が側へ来て、こつそりと椋の実と赤土とをわたしてお行きになりました。
 大国主神は、その椋の実を一つぶづつ囓みくだき、赤土を少しづつ囓み溶しては、一しよにぷい/\お吐き出しになりました。大神はそれを御覧になると、
 「ほゝう、百足虫を一々囓み潰してゐるな。これは感心な奴だ。」とお思ひになりながら、安神して、すや/\と寐入つておしまひになりました。
 大国主神は、この上こゝにぐづ/\してゐると、まだ/\どんな目に会ふか分らないとお思ひになつて、命が丁度ぐう/\お寐みになつてゐるのを幸に、その長いお髪を、幾束にも分けて、それを四方の椽といふ椽へ一と束づつ縛りつけておいた上、五百人もかゝらねば動かせないやうな、大きな/\大岩を、そつと戸口に立てかけて、中から出られないやうにしておいて、大神の太刀と弓矢と、玉の飾のついた貴い琴とを引つ抱へるなり、急いで須勢理媛を背中におぶつて、そつと御殿をお遁げ出しになりました。
 すると間の悪いことに、抱へて入らつしやる琴が、樹の幹にぶつかつて、ぢやら/\ぢやらんと大そうな響きを立てて鳴りました。
 大神はその音におどろいて、むつくりとお立ち上りになりました。すると、お髪が椽中へ縛りつけてあつたのですから、大力のある大神がふいにお立ちになると一しよに、そのお部屋はいきなりめり/\と倒れつぶれてしまひました。
 大神は、
 「己、あの小僧ツ神奴。」と、それは/\お怒りになつて、髪の毛を一と束づつ、もどかしく解きはなして入らつしやる間に、こちらの大国主神は一生けんめいに駈けつゞけて、すばやく遠くまで遁げ延びて入らつしやいました。
 すると大神は、間もなくその後を追つかけて、とう/\黄泉比良坂といふ坂の上まで駈けつけて入らつしやいました。そしてそこから、はるかに大国主神をよびかけて、大声をしぼつてかう仰いました。
 「おゝい/\、小僧ツ神。その太刀と弓矢を以て、そちの兄弟の八十神どもを、山の下、河の中と、遁げるところへ追ひつめ切り払ひ、そちが国の神の頭になつて、宇迦の山の麓に御殿を立てて住め。私のその娘はお前のお嫁にくれてやる。分つたか。」とお呶鳴りになりました。
 大国主神は仰せのとほりに、改めていたゞいた、大神の太刀と弓矢を持つて、八十神たちを討ちに入らつしやいました。そしてみんながちりぢりに遁げまはるのを追つかけて、そこいら中の坂の下や河の中へ、切り倒し突き落して、とう/\一人も漏らさず亡ぼしておしまひになりました。そして、国の神の頭になつて、宇迦の山の下に御殿をお建てになり、須勢理媛と二人で楽しくおくらしになりました。

 四
 
 そのうちに例の八上媛は、大国主神をしたつて、はる/゛\たづねて来ましたが、その大国主神には、もう須勢理媛といふ立派なお嫁さまが出来てゐたので、しを/\と、またお家へかへつて行きました。
 大国主神はそれからなほ順々に四方を平らげて、だん/\と国を広げてお行きになりました。さうしてゐるうちに、或日、出雲の国の御大の岬といふ海ばたに行つて入らつしやいますと、遥か向うの海の上から、一人の小さな/\神が、お供のものたちと一しよに、どんどんこちらへ向つて船をこぎよせて来ました。その乗つてゐる舟はががいもといふ、小さな草の実で、着てゐる着物は火取虫の皮を丸はぎにしたものでした。
 大国主神は、その神に向つて、
 「あなたはどなたです。」とおたづねになりました。併しその神は、口を閉ぢたまゝ名前を明かしてくれませんでした。大国主神は御自分のお供の神たちに聞いて御覧になりましたが、みんなその神がだれだか見当がつきませんでした。
 するとそこへ蟾蜍がのこ/\出て来まして、
 「あの神のことは久延彦ならきつと存じてをりますでせう。」と言ひました。久延彦といふのは山の田に立つてゐる案山子でした。久延彦は足が利かないので、一と足も歩くことは出来ませんでしたけれど、それでゐて、この下界のことは何でもすつかり知つてをりました。
 それで大国主神は急いでその久延彦にお聞きになりますと、
 「あゝ、あの神は大空にお出でになる神産霊神のお子さまで、少名毘古那神と仰る方でございます。」と答へました。大国主神はそれで早速、神産霊神にお伺ひになりますと、神も、
 「あれはたしかに私の子だ。」と仰いました。そして改めて少名毘古那神に向つて、
 「お前は大国主神と兄弟になつて二人で国々を開き固めて行け。」と仰せつけになりました。
 大国主神は、そのお言葉に従つて、少名毘古那神とお二人で、だん/\に国を作り開いてお行きになりました。ところが、少名毘古那神は、後になると、急に常世国といふ、海の向うの遠い国へ行つておしまひになりました。
 大国主神はがつかりなすつて、私一人では、とても思ひどほりに国を開いて行くことは出来ない、だれか力をそへてくれる神はゐないものかと言つて、大そう悄れて入らつしやいました。
 すると丁度そのとき、一人の神さまが、海の上一面に「きら/\と光を放ちながら、こちらへ向つて近づいて入らつしやいました。それは須佐之男命のお子の大年神といふお方でした。その神が、大国主神に向つて、
 「私をよく大事に祀つておくれなら、一しよになつて国を作りかためて上げよう。お前さん一人ではとても出来はしない。」と、かう言つて下さいました。
 「それではどんな風にお祀り申せばいゝのでございますか。」とお聞きになりますと、
 「大和の御諸の山の上に祀つてくれゝばよい。」と仰いました。
 大国主神はお言葉のとほりに、そこへお祀りして、その神さまと二人でまただん/\に国を広げてお行きになりました。



 雉のお使
 
 一
 
 そのうちに大空の天照大神は、お子さまの天忍穂耳命に向つて、
 「下界に見える、あの豊葦原水穂国は、お前が治めるべき国である。」と仰つて、すぐに下つて行くやうに、お言ひつけになりました。命は畏まつて下りて入らつしやいました。併し天の浮橋の上までお出でになつて、そこからお見下しになりますと、下では勢の強い神たちが、てん/゛\に暴れ廻つて、大さわぎをしてゐるのが見えました。命は急いで引きかへして入らしつて、そのことを大神にお話しになりました。
 それで大神と高皇産霊神とは、早速、天安河の河原に、大勢の神々をすつかりお召し集めになつて、
 「あの水穂国は、私たちの子孫が治めるはずの国であるのに、今あすこには、悪強い神たちが勢するどく荒れ廻つてゐる。あの神たちを、おとなしくこちらのいふとほりにさせるには、一たいだれを使にやつたものであらう。」とかう仰つて、みんなに御相談をなさいました。
 すると例の一ばん考深い思金神が、みんなと会議をして、
 「それには天菩比神をおつかはしになりますがよろしうございませう。」と申し上げました。そこで大神は、早速その菩比神をお下しになりました。
 ところが、菩比神は、下界へつくと、それなり大国主神の手下になつてしまつて、三年たつても、大空へは何の御返事もいたしませんでした。
 それで大神と高皇産霊神とは、また大勢の神々をお召しになつて、
 「菩比神がまだかへつて来ないが、今度はだれをやつたらよいであらう。」と、お尋ねになりました。
 思金神は、
 「それでは、天津国玉神の子の、天若日子がよろしうございませう。」とお答へ申しました。
 大神はその言葉に従つて、天若日子に立派な弓と矢をお授けになつて、それを持たせて下界へお下しになりました。
 するとその若日子は大空にちやんと本当のお嫁があるのに、下へ下り着くと一しよに、大国主神の娘の下照比売をまたお嫁にもらつたばかりか、行く/\は水穂国を自分が取つてしまはうという腹で、とう/\八年たつて大神の方へはてんで御返事にもかへりませんでした。
 大神と高皇産霊神とは、また神々をお集めになつて、
 「二度目につかはした天若日子もまたとう/\帰つて来ない。一たいどうしてこんなにいつまでも下界にみるのか、それを責めたゞして来させたいと思ふが、だれをやつたものであらう。」とお聞きになりました。
 思金神は、
 「それでは名鳴女といふ雉がよろしうございませう。」と申し上げました。大神たちお二人はその雉をお召しになつて、
 「お前はこれから行つて天若日子を責めて来い。そちを水穂国へお下しになつたのは、この国の神どもを説き伏せるためではないか、それだのに、なぜ八年たつても御返事をしないのかと言つて、そのわけを聞き正して来い。」とお言ひつけになりました。
 名鳴女は、はる/゛\と大空から下りて、天若日子の家の門のそばの、楓の木の上にとまつて、大神から仰せつかつたとほりをすつかり言ひました。
 すると、若日子のところに使はれてゐる、天佐具売といふ女が、その言葉を聞いて、
「あすこに、いやな鳴き声を出す鳥がをります。早く射ておしまひなさいまし。」と、若日子にすゝめました。
 若日子は、
 「ようし。」と言ひながら、かねて大神からいただいて来た弓と矢を取り出して、いきなりその雉を射殺してしまひました。すると、その当つた矢が名鳴女の胸を突き通して、逆さまに大空の上まで刎ね上つて、天安河の河原にお出でになる、天照大神と高皇産霊神とのお側へ落ちました。
 高皇産霊神はその矢を手に取つて御覧になりますと、矢の羽根に血がついてをりました。
 高皇産霊神は、
 「この矢は天若日子につかはした矢だが。」と仰つて、みんなの神々にお見せになつた後、
 「もしこの矢が、若日子が悪い神たちを射たのが飛んで来たのならば、若日子には当るな。もし若日子が悪い心をいだいてゐるなら、かれを射殺せよ。」と仰りながら、さきほどの矢が通つて来た空の穴から、力一ぱいにお突き下しになりました。
 さうするとその矢は、若日子が丁度下界で仰向きに寝てゐた胸の真中をぷすりと突き刺して、一ぺんで殺してしまひました。
 若日子のお嫁の下照比売は、びつくりして、大声を上げて泣きさわぎました。
 その泣く声が風にはこばれて、大空まで聞えて来ますと、若日子の父の天津国玉神と、若日子の本当のお嫁と子供たちがそれを聞きつけて、びつくりして、下界へ下りて来ました。そして泣き/\そこへ、喪屋と言つて、死人を寝かせておく小屋をこしらへて、雁を供物を捧げる役に、鷺を箒持ちに、翠鳥をお供への魚取りにやとひ、雀をお供への米つきによび、雉を泣き役につれて来て、八日八晩の間、若日子の死骸のそばで楽器をならして、死んだ魂を慰めてをりました。
 さうしてゐるところへ、大国主神の子で、下照比売のお兄さまの高日子根神がお悔みに来ました。さうすると若日子の父と妻子たちは、
 「おや。」とびつくりして、その神の手足に取りすがりながら、
 「まあ/\お前は生きてゐるのか。」
 「まあ、あなたは死なないでゐて下さいましたか。」と言つて、みんなでおん/\と嬉し泣きに泣き出しました。それは高日子根神の顔や姿が天若日子にそつくりだつたので、みんなは一も二もなく若日子だとばかり思つてしまつたのでした。
 すると高日子根神は、
 「何をふざけるのだ。」と真つ赤になつて怒り出して、
 「人がわざ/\悔みに来たのに、それをきたない死人なぞと一しよにする奴がどこにある。」と呶鳴りつけながら、長い剣を抜きはなすと一しよに、その喪屋をめちや/\に切り倒し、足でぽん/\蹴りちらかして、ぷん/\怒つて行つてしまひました。
 そのとき妹の下照比売は、あの美しい若い神は私のお兄さまの、これ/\かういふ方だといふことを、謡に謡つて、誇りがほに若日子の父や妻子に知らせました。
 
 二
 
 天照大神は、そんなわけで、また神々に向つて、今度といふ今度はだれを遣はしたらよいかと御相談をなさいました。
 思金神とすべての神々たちは、
 「それではいよ/\、天安河の河上の、天石屋にをります尾羽張神か、それでなければ、その神の子の建御雷神か、二人のうちどちらかをおつかはしになる外はございません。併し尾羽張神は、天安河の水を堰き上げて、道を通れないやうにしてをりますから、めつたな神では一寸よびにもまゐられません。これは一つ天迦久神をおさし向けになりまして、尾羽張神が何と申しますか聞かせて御覧になるがようございませう。」と申し上げました。
 大神はそれをお聞きになると、急いで天迦久神をおやりになつてお聞かせになりました。
 さうすると尾羽張神は、
 「これはわざ/\もつたいない。そのお使には私でもすぐにまゐりますが、それよりも、こんなことにかけましては、私の子の建御雷神が一とうお役に立ちますかと存じます。」
 かう言つて、早速その神を大神の御前へ伺はせました。大神はその建御雷神に、天鳥船神といふ神をつけてお下しになりました。
 二人の神は間もなく出雲国の伊那佐といふ浜に下りつきました。そしてお互に長い剣をずらりとぬき放して、それを海の波の上に仰向きに突き立てて、その切つ先の上にあぐらをかきながら、大国主神に談判をしました。
 「私たち天照大神と高皇産霊神との御命令で、わざ/\お使ひにまゐつたのである。大神はお前が治めてゐるこの葦原の中つ国は、大神のお子さまのお治めになる国だと仰つてゐる。その仰せに従つて大神のお子さまにこの国をすつかりお譲りなさるか。それとも厭だとお言ひか。」と聞きますと、大国主神は、
 「これは私からは何ともお答へ申しかねます。私よりも、息子の八重事代主神が、とかくの御返事を申し上げますでございませうが。生憎只今御大崎へ漁にまゐつてをりますので。」と仰いました。
 建御雷神はそれを聞くと、すぐに天鳥船神を御大崎へやつて、事代主神をよんで来させました。そして大国主神に言つたとほりのことを話しました。
 すると事代主神は、父の神に向つて、
 「まことに勿体ない仰せです。お言葉のとほり、この国は大空の神さまのお子さまにお上げなさいまし。」と言ひながら、自分の乗つてかへつた船を踏み傾けて、お呪ひの手打ちをしますと、その船は忽ち、青い生垣に変つてしまひました。
 事代主神はその生垣の中へ急いで体をかくしてしまひました。
 建御雷神は大国主神に向つて、
 「たゞ今事代主神はあの通りに申したが、このほかには、もうちがつた意見を持つてゐる子はゐないか。」とたづねました。
 大国主神は、
 「私の子は事代主神のほかに、もう一人、建御名方神といふものがをります。もうそれきりでございます。」とお答へになりました。
 さうしてゐるところへ、丁度この建御名方神が、千人もかゝらねば動かせないやうな大きな大岩を両手でさし上げて出て来まして、
 「やい、俺の国へ来て、そんなひそ/\話をしてるのは誰だ。さあ来い。力競べをしよう。先づ俺がお前の手を掴んで見よう。」と言ひながら、大岩を投げ出してそばへ来て、いきなり建御雷神の手を引つつかみますと、御雷神の手は、忽ち氷の柱になつてしまひました。御名方神はおやと驚いてゐる間に、その手はまたひよいと剣の刃になつてしまひました。
 御名方神はすつかり怖くなつておづ/\としり込みをしかけますと、御雷神は、
 「さあ、今度は俺の番だ。」と云ひながら、御名方神の手くびをぐいと引つ掴むが早いか、全で生えたての葦をでも扱ふやうに、忽ち一と握りに握り潰して、ちぎれ取れた手先を、ぽうんと向うへ投げつけました。
 御名方神は、真つ青になつて、一生けんめいに逃げ出しました。御雷神は、
 「こら待て。」といひながら、どこまでもどん/\/\/\追つかけて、行きました。そしてとうとう信濃の諏訪湖のそばで追ひつめて、いきなり、一とひねりにひねり殺さうとしますと、建御名方神はぶる/\ふるへながら、
 「もういよ/\恐れ入りました。どうぞ命ばかりはお助け下さいまし。私はこれなりこの信濃より外へは一と足もふみ出しはいたしません。又、父や兄が申し上げましたとほりに、この葦原の中つ国は、大空の神のお子さまにさし上げますでございます。」と、平たくなつておわびをしました。
 そこで建御雷神はまた出雲へかへつて来て、大国主神に問ひつめました。
 「お前の子は二人とも、大神の仰せには背かないと申したが、お前もこれでいよ/\言ふことはあるまいな、どうだ。」
と言ひますと、大国主神は、
 「私にはもう何も異存はございません。この中つ国は仰せのとほり、すつかり、大神のお子さまにさし上げます。その上でたゞ一つのおねがひは、どうぞ私の社として、大空の神の御殿のやうな、立派な、しつかりした御殿を建てていたゞきたうございます。さうして下さいませば私は遠い世界から、いつまでも大神の御子孫にお仕へ申します。実は私の子は、ほかに、まだ/\いくたりもをりますが、併し、事代主神さへ神妙に御奉公いたします上は、あとの子たちは一人も不平を申しはいたしません。」
 かう言つて、いさぎよくその場で死んでおしまひになりました。
 それで建御雷神は、早速、出雲国の多芸志といふ浜に立派な大きなお社をたてて、ちやんと望みのとほりに祀りました。そして櫛八玉神といふ神を、お供へものを料理する料理人にして附けそへました。
 すると八玉神は、鵜になつて、海の底の土をくはへて来て、それで、いろんなお供へものを上げる土器をこしらへました。
 それから或海草の茎で火切臼と火切杵といふものをこしらへて、それをすり合はせて火を切り出して、建御雷神に向つてかう言ひました。
 「私が切つたこの火で、そこいらが、大空の神の御殿のお料理場のやうに煤で一ぱいになるまで欠かさず火をたき、竈の下が地の底の岩のやうに固くなるまでたえず火をもやして、漁師たちの取つて来る大鱸を沢山に料理して、大空の神の召し上るやうな立派な御馳走を、いつもいつもお供へいたします。」と言ひました。
 建御雷神はそれで一と先づ安神して、大空へかへり上りました。そして天照大神と高皇産霊神に、すつかりのことを、くはしく奏上いたしました。



 笠沙のお宮

 一
 
 天照大神と高皇産霊神とは、あれほど乱れ騒いでゐた下界を、建御雷神たちが、ちやんとこちらのものにして帰りましたので、早速天忍穂耳命をお召しになつて、
 「葦原の中つ国は最早すつかり平いだ。お前はこれからすぐに下つて、最初申附けたやうに、あの国を治めて行け。」と仰いました。
 命は仰せに従つて、すぐに出発の用意にお取りかゝりになりました。すると丁度そのときに、お妃の秋津師毘売命が男のお子さまをお生みになりました。
 忍穂耳命は大神の御前へお出でになつて、
 「私たち二人に、世嗣の子供が生れました。名前は日子番能邇々芸命と附けました。中つ国へ下しますには、この子が一番よいかと存じます。」と仰いました。
 それで大神は、そのお孫さまの命が大きくおなりになりますと、改めてお側へ召して、
 「下界に見えるあの中つ国は、お前の治める国であるぞ。」
と仰いました。命は畏つて、
 「それでは、これからすぐに下つてまゐります。」と仰つて、急いでそのお手筈をなさいました。そして間もなく、いよ/\お立ちにならうとなさいますと、丁度、大空のお通り路の或四辻に、誰だか一人の神が立ちはだかつて、まぶしい光をきら/\と放ちながら、上は高天原までもあか/\と照し、下は中つ国まで一直に照り輝かせてをりました。
 天照大神と高皇産霊神とはそれを御覧になりますと、急いで天宇受女命をおよびになつて、
「そちは女でこそあれ、どんな荒くれた神に向ひ合つても、びくともしない神だから、誰をもおいてお前を遣はすのである。あの、道を塞いでゐる神のところへ行つてさう言つて来い。大空の神のお子がお下りにならうとするのに、そのお通り路を妨げてゐるお前は何者かと、しつかり責め正して来い。」とお言附けになりました。
 宇受女命は早速かけつけて、きびしく咎め立てました。すると、その神は言葉を卑くして、
「私は下界の神で名は猿田彦神と申しますものでございます。たゞ今こゝまで出てまゐりましたのは、大空の神のお子さまが間もなくお下りになると承りましたので、及ばずながら私がお道筋を御案内申し上げたいと存じまして、お迎へにまゐりましたのでございます。」とお答へ申しました。
 大神はそれをお聞きになりまして御安神なさいました。そして天児屋根命、太玉命、天宇受女命、石許理度売命、玉祖命の五人を、お孫さまの命のお供の頭としてお附け添へになりました。そしておしまひにお別れになるときに、八尺の曲玉といふ、それは/\御立派なお頸飾の玉と、八咫といふ神々しいお鏡と、かねて須佐之男命が大蛇の尾の中からお拾ひになつた、鋭い御剣と、この三つの貴い御自分のお持物を、お手づから命にお授けになつて、
 「この鏡は私の魂だと思つて、これまで私に仕へて来たとほりに、大切に崇め祀るがよい。」と仰いました。それから大空の神々の中で一番智慧の深い思金神と、一番すぐれて力の強い手力男神とを更にお附け添へになつた上、
 「思金神よ、そちはあの鏡の祀りを引受けて、よく取り行へよ。」と仰附けになりました。
 邇々芸命はそれ等の神々をはじめ、大勢のお供の神を引きつれて、いよ/\大空のお住居をお立ちになり、幾重ともなくはる/゛\と湧き重つてゐる、深い雲の峰をどん/\押しわけて、御威光りゝしくお進みになり、やがて天浮橋をも押しわたつて、堂々と下界に向つて下つてお出でになりました。その真つ先には、天忍日命と、天津久米命といふ、よりすぐつた二人の強い神さまが、大きな剣をつるし、大きな弓と強い矢とを負ひかゝへて、勇ましくお先払ひをして行きました。
 命たちはしまひに、日向の国の高千穂の山の、串触岳といふ険しい峰の上にお着きになりました。そして更に韓国岳といふ峰へおわたりになり、そこから段々と平地へお下りになつて、お住居をお定めになる場所を探し/\、海の方へ向つて出てお出でになりました。
 そのうちに同じ日向の笠沙の岬へお着きになりました。
 邇々芸命は、
 「こゝは朝日も真向きに射し、夕日もよく照つて実にすが/\しいよいところだ。」と仰つて、すつかりお気に召しました。それでとう/\最後にそこへお住居になることにお極めになりました。そして早速、地面のしつかりしたところへ、大きな広い御殿をお建てになりました。
 命は、それから例の宇受女命をお召しになつて、
 「そちは、われ/\の道案内をしてくれた、あの猿田彦とは、最初からの知り合ひである。それでそちが附き添つて、あの神が帰るところまで送つて行つておくれ。それから、あの神の手柄を記念してやる印に、猿田彦といふ名前をお前がついで、あの神と二人のつもりで私に仕へよ。」と仰いました。宇受女命は畏つて、猿田彦神を送つてまゐりました。
 猿田彦神は、その後、伊勢の阿坂といふところに住んでゐましたが、或とき漁に出て、比良夫貝といふ大きな貝に手をはさまれとう/\それなり海の中へ引き入れられて、溺れ死に死んでしまひました。
 宇受女命はその神を送り届けて帰つて来ますと、笠沙の海ばたへ、大小さま/゛\の魚をすつかり追ひ集めて、
 「お前たちは大空の神のお子さまにお仕へ申すか。」と聞きました。さうすると、どの魚も一尾残らず、
 「はい/\、ちやんとご奉公申し上げます。」と御返事をしましたが、中で海鼠がたつた一人、お答へをしないで黙つてをりました。
 すると宇受女命は怒つて、
 「こウれ、返事をしない口はその口か。」と言ひさま、手早く懐剣を抜き放つて、その海鼠の口をぐいと一とゑぐり切り裂きました。ですから海鼠の口はいまだに裂けてをります。
 
 二
 
 そのうちに邇々芸命は、或日、同じ岬できれいな若い女の人にお出会ひになりました。
 「お前はだれの娘か。」とお尋ねになりますと、その女の人は、
 「私は大山津見神の娘の木色咲耶媛と申すものでございます。」とお答へ申しました。
 「そちには兄弟があるか。」と重ねてお聞きになりますと、
 「私には石長媛と申します一人の姉がございます。」と申しました。命は、
 「私はお前をお嫁にもらひたいと思ふが、来るか。」とお聞きになりました。すると咲耶媛は、
 「それは私からは何とも申し上げかねます。どうぞ父の大山津見神にお尋ね下さいまし。」と、申し上げました。
 命は早速お使をお出しになつて、大山津見神に咲耶媛をお嫁にもらひたいとお申込みになりました。
 大山津見神は大層喜んで、すぐにその咲耶媛に、姉の石長媛を附添ひにつけて、いろ/\のお祝ひの品をどつさり持たせてさし上げました。
 命は非常にお喜びになつて、すぐ咲耶媛と御婚礼をなさいました。併し姉の石長媛は、それはそれはひどい顔をした、みにくい女でしたので、同じ御殿で一しよにお暮しになるのがお厭だものですから、そのまゝすぐに、父の神の方へお送りかへしになりました。
 大山津見は恥ぢ入つて、使を以てかう申し上げました。
 「私が木色咲耶媛に、わざ/\石長媛をつき添ひにつけましたわけは、あなたが咲耶媛をお嫁になすつて、その名のとほり、花がさき誇るやうに、いつまでもお栄えになりますばかりでなく、石長媛を同じ御殿にお使ひになりませば、あの子の名前についてをりますとほり、岩が雨に打たれ風にさらされても一寸も変らずにがつしりしてゐるのと同じやうに、あなたのお体もいつまでもお変りなく入らつしやいますやうにと、それをお祈り申して附け添へたのでございます。それだのに、咲耶媛だけをお止めになつて、石長媛をおかへしになつた上は、あなたも、あなたの御子孫のつぎつぎの御寿命も、丁度咲いた花がいくほどもなく散り果てるのと同じで、決して永くは続きませんよ。」と、こんなことを申し送りました。
 そのうちに咲耶媛は、間もなくお子さまが生れさうにおなりになりました。
 それで命にそのことをお話しになりますと、命はあんまり早く生れるので変だとおぼし召して、
 「それは私たち二人の子であらうか。」とお聞きになりました。咲耶媛は、さう仰られて、
 「どうしてこれが二人よりほかのものの子でございませう。もし私たち二人の子でございませんでしたら、決して無事にお産は出来ますまい。本当に二人の子である印には、どんなことをして生みましても、必ず無事に生れるに相違ございません。」
かう言つてわざと出入口のないお家をこしらへて、その中にお這入りになり、隙間といふ隙間をぴつしり土で塗りつぶしておしまひになりました。そしていざお産をなさるといふときに、そのお家へ火をつけてお燃やしになりました。
 併しそんな乱暴な生み方をなすつても、お子さまは、ちやんと御無事に三人もお生れになりました。媛は、はじめ家中に火が燃え広がつて、どん/\焔を上げてゐるときにお生まれになつた方を火照命といふお名前になさいました。それから、次々に火須勢理命、火遠理命といふお二方がお生れになりました。火遠理命は又の名を日子穂々出見命ともおよび申しました。



 満潮の玉、干潮の玉
 
 一
 
 三人の御兄弟は間もなく大きな若い人におなりになりました。その中でお兄さまの火照命は、海で漁をなさるのが大変にお上手で、いつもいろんな大きな魚や小さな魚を沢山釣つてお帰りになりました。末の弟さまの火遠理命は、これは又、山で猟をなさるのがそれはそれはお得意で、しじゆういろんな鳥や獣をどつさり捕つてお帰りになりました。
 或とき弟の命は、お兄さまに向つて、
 「一つためしに二人で道具を取りかへて、互に持ち場をかへて猟をして見ようではありませんか。」と仰いました。
 お兄さまは、弟さまがさう言つて三度もお頼みになつても、そのたんびに厭だと言つてお聞入れになりませんでした。併し弟さまが、あんまりうるさく仰るものですから、とうとうしまひに、厭々ながらお取りかへになりました。
 弟さまは、早速釣道具を持つて海ばたへお出かけになりました。併し、釣の方は全でお勝手がちがふので、いくらおあせりになつても一尾もお釣れになれないばかりか、しまひには釣針を海の中へ失くしておしまひになりました。
 お兄さまの命も、山の猟にはお馴れにならないものですから、一向に獲物がないので、がつかりなすつて、弟さまに向つて、
 「私の釣道具を返してくれ、海の猟も山の猟も、お互に馴れたものでなくては駄目だ。さあこの弓矢をかへさう。」と仰いました。
 弟さまは、
 「私はとんだことをいたしました。とう/\魚を一尾も釣らないうちに、針を海へ落してしまひました。」と仰いました。するとお兄さまは大変にお怒りになつて、無理にもその針をさがして来いと仰いました。弟さまは仕方なしに、身につるしてお出でになる長い剣を打ちこはして、それで釣針を五百本こしらへて、それを代りにおさし上げになりました。
 併し、お兄さまは、もとの針でなければ厭だと仰つて、どうしてもお聞き入れになりませんでした。それで弟さまはまた千本の針をこしらへて、どうぞこれで勘弁して下さいましと、お頼みになりましたが、お兄さまは、どこまでも、もとの針でなければ厭だとお言ひ張りになりました。
 ですから弟さまは、困つておしまひになりまして、一人で海ばたに立つて、おい/\泣いてお出でになりました。さうすると、そこへ塩椎神といふ神が出てまゐりまして、
 「もし/\、あなたはどうしてそんなに泣いてお出でになるのでございます。」と聞いてくれました。弟さまは、
 「私はお兄さまの釣針を借りて漁をして、その針を海の中へ失くしてしまつたのです。だから代りの針を沢山こしらへて、それをおかへしすると、お兄さまは、どうしてももとの針をかへせと仰つてお聞きにならないのです。」
 かう言つて、訳をお話しになりました。
 塩椎神はそれを聞くと、大層お気の毒に思ひまして、
 「それでは私がちやんとよくしてさし上げませう。」と言ひながら、大急ぎで、水あかが少しも這入らないやうに、かたく編んだ、籠の小舟をこしらへて、その中へ火遠理命をお乗せ申しました。
「それでは私が押し出してお上げ申しますから、このまゝどん/\海の真ん中へ出て入らつしやいまし。そしてしばらくお行きになりますと、向うの波の間によい道がついてをりますから、それについてどこまでも流れてお出でになると、しまひに沢山の棟が魚の鱗のやうに立ち並んだ、大きな/\お宮へお着きになります。それは綿津見の神といふ海の神の御殿でございます。そのお宮の門のわきに井戸があります。その井戸の上に桂の木が生ひかぶさつてをりますから、その木の上に上つて待つて入らつしやいまし。さうすると海の神の娘が見つけて、ちやんといゝやうに取計つてくれますから。」と言つて、力一ぱいその船を押し出してくれました。

 二

 命はそのまゝずん/\流れてお行きになりました。さうすると全く塩椎神が言つたやうに、しばらくして大きな/\お宮へお着きになりました。
 命は早速その門のそばの桂の木に上つて待つてお出でになりました。さうすると、間もなく、綿津見神の娘の豊玉媛のお附の女が、玉の器を持つて、桂の木の下の井戸へ水を汲みに来ました。
 女は井戸の中を見ますと、人の姿が写つてゐるので、不思議に思つて上を向いて見ますと、桂の木の上に綺麗な男の方が入らつしやいました。
 命は、その女に水をくれとお言ひになりました。女は急いで玉の器に汲み入れてさし上げました。
 併し命はその水をお飲みにならないで、頸にかけてお出でになる飾の玉をおほどきになつて、それを口にふくんで、その玉を器の中へ吐き入れて、女にお渡しになりました。女は器を受取つて、その玉を取り出さうとしますと、玉は器の底に固く喰つ附いてしまつて、どんなにしても離れませんでした。それで、そのまゝ家の中へ持つて這入つて、豊玉媛にその器ごとさし出しました。
 豊玉媛は、その玉を見て、
 「門口にだれかお出でになつてゐるのか。」と聞きました。
 女は、
 「井戸の側の桂の木の上にきれいな男の方がお出でになつてゐます。それこそは、こちらの王さまにもまさつて、それは/\気高い貴い方でございます。その方が水をくれと仰いましたから、すぐに、この器へ汲んでさし上げますと、水はお上りにならないで、お頸飾の玉を中へお吐き入れになりました。さういたしますと、その玉が、御覧のやうに、どうしても底から離れないのでございます。」と言ひました。
 媛は命のお姿を見ますと、すぐにお父さまの海の神のところへ行つて、
 「門口にきれいな方が入らしつてゐます。」と言ひました。
 海の神は、わざ/\自分で出て見て、
 「おや、あのお方は、大空からお下りになつた、貴い神さまのお子さまだ。」と言ひながら、急いでお宮へお通し申しました。そして海鱸の毛皮を八枚重ねて敷き、その上へまた絹の畳を八枚重ねて、それへ坐つていたゞいて、いろ/\御馳走をどつさり並べてそれは/\丁寧におもてなしをしました。そして豊玉媛をお嫁にさし上げました。
 それで命はそのまゝ媛と一しよにそこにお住ひになりました。そのうちに、いつの間にか三年といふ月日がたちました。
 すると命は或晩、ふと例の針のことをお思ひ出しになつて、深い溜め息をなさいました。
 豊玉媛は翌朝そつと父の神の側へ行つて、
 「お父さま、命はこのお宮に三年もお住ひになつてゐても、これまでたゞの一度も滅入つたお顔をなさつたことがないのに、昨夜に限つて深い溜め息をなさいました。何か急に御心配なことがお出来になつたのでせうか。」と言ひました。
 海の神はそれを聞くと、後で命に向つて、
 「さき程娘が申しますには、あなたは三年の間こんなところにお出でになりましても、不断はたゞの一度も物をお嘆きになつたことがないのに、昨夜はじめて溜め息をなさいましたと申します。何かわけがおありになりますのでございますか。一たい一ばんはじめ、どうしてこの海の中なぞへおいでになつたのでございます。」かう言つてお尋ね申しました。
 命はこれ/\かういふ訳で、釣針を探しに来たのですと仰いました。
 海の神はそれを聞くと、すぐに海中の大きな魚や小さな魚は一尾残さずよび集めて、
 「この中に誰か命の針をお取り申したものはゐないか。」
と聞きました。すると魚たちは、
 「こなひだから雌鯛が喉に刺を立てて物が食べられないで困つてをりますが、ではきつとお話の釣針を呑んでゐるに相違ございません。」と言ひました。
 海の神は早速その鯛をよんで喉の中をさぐつて見ますと、なるほど、大きな釣針を一本呑んでをりました。
 海の神はそれを取り出してきれいに洗つて命にさし上げました。すると、それが正しく命のお失くなしになつたあの針でした。海の神は、
 「それではお帰りになつてお兄さまにお返しになりますときには、
 厭な釣針、
 悪い釣針、
 ばかな釣針。
と仰りながら、必ず後向きになつてお渡しなさいまし。それから、今度からはお兄さまが高いところへ田をお作りになりましたら、あなたは低いところへお作りなさいまし。そのあべこべに、お兄さまが低いところへお作りになりましたら、あなたは高いところへお作りになることです。すべて世の中の水といふ水は私が自由に出し入れするのでございます。お兄さまは針のことでずゐぶんあなたをおいぢめになりましたから、これからはお兄さまの田へは一寸も水を上げないで、あなたの田にばかりどつさり入れてお上げ申します。ですからお兄さまは三年の内に必ず貧乏になつておしまひになります。さうすると、きつとあなたを妬んで殺しにお出でになるに相違ございません。そのときには、この満潮の珠を取り出して、溺らしてお上げなさい。この中から水がいくらでも湧いて出ます。併しお兄さまが助けてくれと仰つておわびをなさるなら、こちらのこの干潮の珠を出して、水を退かせてお上げなさいまし。ともかく、さうして少し懲らしめてお上げになるがようございます。」
 かう言つて、その大切な二つの珠を命にさし上げました。それから、家来の鰐をすつかり呼び集めて、
 「これから大空の神のお子さまが陸の世界へお帰りになるのだが、お前たちは幾日あつたら命をお送りして帰つてくるか。」ど聞きました。
 鰐たちは、お互に体の大きさにつれてそれぞれ勘定して、めい/\にお返事をしました。その中で、六尺ばかりある大鰐は、
 「私は一日あれば往つてまゐります。」と言ひました。海の神は、
 「それではお前お送り申してくれ。併し海をわたるときに、決して怖い思ひをおさせ申してはならないぞ。」とよく言ひ聞かせた上、その頸のところへ命をお乗せ申して、はる/゛\とお送り申して行かせました。すると鰐は受合つたとほりに、一日のうちに命をもとの浜までおつれ申しました。
 命は御自分のつるしてお出でになる小さな刀をおほどきになつて、それを御褒美に鰐の頸へくゝりつけておかへしになりました。
 命はそれからすぐにお兄さまのところへ入らしつて、海の神が教へてくれたとほりに、
 「厭な釣針、
 悪い釣針、
 馬鹿な釣針。」
と言ひ/\、例の釣針を、後向きになつてお返しになりました。それから田を作るのにも海の神が言つた通りになさいました。
 さうすると、命の田からは、毎年どん/\お米が取れるのに、お兄さまの田には水が一寸も来ないものですから、お兄さまは、三年の間にすつかり貧乏になつておしまひになりました。
 するとお兄さまは、案の定、命のことを妬んで、いくどとなく殺しにお出でになりました。命はそのときには早速満潮の珠を出して、大水を湧かせてお防ぎになりました。お兄さまは、たんびに溺れさうになつて、助けてくれ、助けてくれ、と仰いました。命はそのときには干潮の珠を出して忽ち水をお退かせになりました。そんなわけで、お兄さまも、しまひには弟さまの命にはとても敵はないとお思ひになり、とうとう頭を下げて、
 「どうかこれまでのことは許しておくれ。私はこれから生涯、夜昼お前の番をして、お前に奉公するから。」と、固くお誓ひになりました。
 ですからこのお兄さまの命の御子孫は、後の代まで、命が水に溺れかけてお苦しみになつたときの身振を真似た、さま/゛\なをかしな踊りを踊るのが、代々極りになつてをりました。

 三

 そのうちに、火遠理命が海のお宮へ残しておかへりになつた、お嫁さまの豊玉媛が、或日ふいに海の中から出て入らしつて、
 「私はかねて身重になつてをりましたが、もうお産をいたしますときがまゐりました。併し大空の神さまのお子さまを海の中へお生み申しては畏れ多いと存じまして、はる/\こちらまで出てまゐりました。」と仰いました。
 それで命は急いで、産屋といふ、お産をするお家を、海ばたへお建てになりました。その屋根は茅の代りに、鵜の羽根を集めておふかせになりました。
 するとその屋根がまだ出来上らないうちに、豊玉媛は、もう産気がおつきになつて、急いでそのお家へお這入りになりました。
 そのとき媛は命に向つて、
 「すべて人がお産をいたしますには、みんな自分の国の習はしがありまして、それ/゛\変な恰好をして生みますものでございます。それですから、どうぞ私がお産をいたしますところも、決して御覧にならないで下さいましな。」と、固くお願ひしておきました。命は媛がわざわざそんなことを仰るので、却つて変だとおぼしめして、あとでそつと行つて覗いて御覧になりました。
 さうすると、たつた今まで美しい女であつた豊玉媛が、いつの間にか八尋もあるやうな、恐ろしい大鰐になつて、うん/\うなりながら這ひ廻つてゐました。命はびつくりして、どんどん遁げ出しておしまひになりました。
 豊玉媛はそれを感づいて、恥かしくて恥かしくてたまらないものですから、お子さまをお生み申すと、命に向つて、
 「私はこれから、しじゆう海を往来して、お目にかゝりにまゐりますつもりでをりましたが、あんな、私の姿を御覧になりましたので、本当にお恥かしくて、もうこれきりお伺ひも出来ません。」かう言つて、そのお子さまをあとにお残し申したまゝ、海の中の通り道をすつかり塞いでしまつて、どん/\海の底へ帰つておしまひになりました。そしてそれなりとうとう一生、二度と出て入らつしやいませんでした。
 お二人の仲のお子さまは、鵜の羽根の屋根が葺きをへないうちにお生れになつたので、それから取つて、鵜茅草葺不合命とお呼びになりました。
 媛は海のお宮に入らしつても、このお子さまのことが心配でならないものですから、お妹さまの玉依媛をこちらへよこして、その方の手で育ててお貰ひになりました。媛は夫の命が自分のひどい姿をお覗きになつたことは、いつまでたつても恨めしくてたまりませんでしたけれど、それでも命のことはやつぱり恋しくおしたはしくて、片ときもお忘れになることが出来ませんでした。それで玉依媛にことづけて、
 「赤玉は、
 緒さへ光れど、
 白玉の、
 君が装し、
 貴くありけり。」
といふ歌をお送りになりました。これは、
 「赤い玉は大変に立派なもので、それを紐に通して飾にすると、その紐まで光つて見える位ですが、その赤玉にも勝つた、白玉のやうに麗はしいあなたの貴いお姿を、私はしじゆうお慕はしく思つてをります。」といふ意味でした。
 命は大層哀れにおぼしめして、私もお前のことは決して忘れはしないといふ意味の、事情のこもつたお歌をお返しになりました。
 命は高千穂の宮といふお宮に、とう/\五百八十のお年までお住ひになりました。



 八咫烏

 一

 鵜茅草葺不合命は、御成人の後、玉依媛を改めてお妃にお立てになつて、四人の男のお子をお設けになりました。
 この四人の御兄弟の中、二番目の稲氷命は、海をこえてはる/゛\と、常世国といふ遠い国へおわたりになりました。次で三番目の若御毛沼命も、お母上のお国の、海の国へ行つておしまひになり、一ばん末の弟さまの神倭伊波礼毘古命が、高千穂の宮に入らしつて、天下をお治めになりました。併し、日向は大変に偏僻で、政をお聞き召すのにひどく御不便でしたので、命は一番上のお兄さまの五瀬命とお二人で御相談の上、
 「これは、もつと東の方へ移つた方がよいであらう。」と仰つて、軍勢をのこらず召しつれて、まづ筑前国に向つてお立ちになりました。そのお途中、豊前の宇佐にお着きになりますと、その土地の宇沙都比古、宇沙都比売といふ二人のものが、御殿をつくつてお迎へ申し、手厚くおもてなしをしました。
 命はそこから筑前へお這入りになりました。そして岡田宮といふお宮に一年の間御滞在になつた後、更に安芸の国へお上りになつて、多家理宮に七年間お駐りになり、次いで備前へお進みになつて、八年の間高島宮にお住居になりました。そしてそこからお船をつらねて、浪の上を東に向つてお上りになりました。
 そのうちに速吸門といふところまでお出でになりますと、向うから一人のものが、亀の背中に乗つて、魚を釣りながら出て来まして、命のお船を見るなり、両手を上げて頻りに手招きをいたしました。命はそのものをよびよせて、
 「お前は何ものか。」とお聞きになりますと、
 「私はこの地方の神で宇豆彦と申します。」とお答へいたしました。
 「そちはこの辺の海路を存じてみるか。」とおたづねになりますと、
 「よく存じてをります。」と申しました。
 「それでは俺のお供につくか。」と仰いますと、
 「畏りました。御奉公申し上げます。」とお答へ申しましたので、命はすぐにお側のものに命じて、棹をさし出させてお船へ引き上げておやりになりました。
 みんなは、そこから、なほ東へ/\と楫を取つて、やがて摂津の浪速の海を乗り切つて、河内国の、青雲の白肩津といふ浜へ着きました。
 するとそこには、大和の鳥見といふところの長髄彦といふものが、兵を引きつれて待ちかまへてをりました。命は、いざお船からお下りにならうとしますと、彼等が急にどつと矢を射向けて来ましたので、お船の中から楯を取り出して、ひゆう/\飛んで来る矢の中をくゞりながら御上陸なさいました。そしてすぐにどんどん戦をなさいました。
 そのうちに五瀬命が長髄彦の鋭い矢のために大傷をお受けになりました。命はその傷をお押へになりながら、
 「俺たちは日の神の子孫でありながら、お日さまの方に向つて攻めかゝつたのが間違ひである。だから彼等の矢に当つたのだ。これから東の方へ遠廻りをして、お日さまを背中に受けて戦はう。」と仰つて、みんなを召し集めて、弟さまの命と一しよにもう一度お船にお召しになり、大急ぎで海の真中へお出ましになりました。
 そのお途中で、命はお手についた傷の血をお洗ひになりました。
 併しそこから南の方へ廻つて、紀伊国の男の水門までお出でになりますと、お傷の痛みがいよく激しくなりました。命は、
 「あヽ、くやしい。彼等から負はされた手傷で死ぬるのか。」と残念さうなお声でお叫びになりながら、とう/\それなりおかくれになりました。

 二

 神倭伊波礼毘古命は、そこからぐるりとお廻りになり、同じ紀伊の熊野といふ村にお着きになりました。するとふいに大きな大熊が現はれて、あつといふ間にまたすぐ消え去つてしまひました。ところが、命もお供の軍勢もこの大熊の毒気に中つて、忽ちぐら/\と目がくらみ、一人のこらず、その場に気絶してしまひました。
 さうすると、そこへ熊野の高倉下といふものが一とふりの太刀を持つて出て来まして、伏し倒れてお出でになる伊波礼毘古命に、その太刀を差し出しました。命はそれと一しよに、ふと正気におかへりになつて、
 「おや、俺はずるぶん長寝をしたね。」と仰りながら、高倉下が捧げた太刀をお受取りになりますと、その太刀に備はつてゐる威光でもつて、さつきの熊を差し向けた熊野の山の荒くれた悪神どもは、ひとりでにばた/\と倒れて死にました。それと一しよに命の軍勢は、廻つた毒から一どにさめて、むく/\と元気よく起き上りました。
 命は不思議におぼしめして、高倉下に向つて、この貴い剣のいはれをお尋ねになりました。
 高倉下は、恭しく、
 「実は昨夜ふと夢を見ましたのでございます。その夢の中で、天照大神と高皇産霊神のお二方が、建御雷神をお召しになりまして、葦原中国は今しきりに乱れ騒いでゐる。われわれの子孫たちはそれを平げようとして、悪神どもから苦しめられてゐる。あの国は、一ばんはじめそちが従へて来た国だから、お前もう一度下つて平げてまゐれと仰いますと、建御雷神は、それならば、私がまゐりませんでも、こゝにこの前あすこを平げてまゐりましたときの太刀がございますから、この太刀を下しませう。それには、高倉下の倉の棟を突きやぶつて落しませうと、かうお答へになりました。
 それからその建御雷神は、私に向つて、お前の倉の棟を突きとほしてこの刀を落すから、あすの朝すぐに大空の神の御子孫にさし上げよとお教へ下さいました。目がさめまして倉へまゐつて見ますと、仰せのとほりに、ちやんと只今のその太刀がございましたので、急いでさし上げにまゐりましたのでございます。」
 かう言つて、訳をお話し申しました。
 そのうちに、高皇産霊神は、雲の上から伊波礼毘古命に向つて、
 「大空の神のお子よ、こゝから奥へは決して這入つてはいけませんよ、この向うには荒くれた神たちがどつさりゐます。今これから私が八咫烏をさし下すから、その烏の飛んで行く方へついてお出でなさい。」とおさとしになりました。
 間もなく仰せのとほりその烏が下りて来ました。命はその烏がつれて行くとほりに、あとについてお進みになりますと、やがて大和の吉野河の河口へお着きになりました。さうすると、そこに簗をかけて魚を捕つてゐるものがをりました。
 「お前は誰だ。」とお尋ねになりますと、
 「私はこの国の神で名は贄持の子と申します。」とお答へ申しました。
 それから、なほ進んでお出でになりますと、今度はお臀に臀尾のついてゐる人間が、井戸の中から出て来ました。そしてその井戸がぴか/\光りました。
 「お前は何ものか。」とお尋ねになりますと、
 「私はこの国の神で井泳鹿と申すものでございます。」とお答へいたしました。
 命はそれらのものを、一々お供におつれになつて、そこから山の中を分けて入らつしやいますと、又臀尾のある人にお会ひになりました。このものは岩を押分けて出て来たのでした。
 「お前は誰か。」とお聞きになりますと、
 「私はこの国の神で、名は石押分の子と申します。たゞ今、大空の神の御子孫がお出でになると承りまして、お供に加へていたゞきに上りましたのでございます。」と申し上げました。命は、そこから、いよ/\険しい深い山を踏み分けて、大和の宇陀といふところへお出ましになりました。
 この宇陀には、兄宇迦斯、弟宇迦斯といふ兄弟の荒くれものがをりました。命はその二人のところへ八咫烏を使にお出しになつて、
 「今、大空の神の御子孫がおこしになつた。お前たちは御奉公申し上げるか。」とお聞かせになりました。
 すると、兄の兄宇迦斯はいきなり鏑矢を射かけて、お使の烏を追ひかへしてしまひました。兄宇迦斯は命がお出でになるのを待ちうけて討つてかゝらうと思ひまして、急いで兵たいを集めにかゝりましたが、とう/\人数がそろはなかつたものですから、いつそのこと、命をだまし討ちにしようと思ひまして、うはべでは御奉公申し上げますと言ひこしらへて、命をお迎へ申すために、大きな御殿を建てました。そして、その中に、釣天井を仕かけて、待ちうけてをりました。
 すると、弟の弟宇迦斯が、こつそりと命のところへ出て来まして、命を伏し拝みながら、
 「私の兄の兄宇迦斯は、あなたさまを攻め亡ぼさうと企みまして、兵を集めにかゝりましたが、思ふやうに集らないものですから、とう/\御殿の中に釣天井をこしらへて待ち受けてをります。それで急いでお知らせ申しに上りました。」と申しました。そこで道臣命と大久米命の二人の大将が、兄宇迦斯をよびよせて、
「こりや兄宇迦斯、己の作つた御殿には己がまづ這入つて、こちらの命をおもてなしする、そのもてなしの仕方を見せろ。」と呶鳴りつけながら、太刀の柄をつかみ、矢をつがへて、無理やりにその御殿の中へ追込みました。兄宇迦斯は追ひまくられて遁込むはずみに、自分の仕かけた釣天井がどしんと落ちて、忽ち押し殺されてしまひました。
 二人の大将は、その死骸を引き出して、ずたずたに斬り刻んで投げ捨てました。
 命は弟宇迦斯が献上した御馳走を、家来一同にお下しになつて、お祝ひの大宴会をお開きになりました。命はそのとき、
「宇陀の城に鴫罠をかけて待つてゐたら、鴫はかゝらないで大鯨がかゝり、罠はめちや/\にこはれた。はゝゝ、可笑しや。」といふ意味を、歌にお謡ひになつて、兄宇迦斯の謀の破れたことを、喜びお笑ひになりました。
 それから又その宇陀をお立ちになつて、忍坂といふところにお着きになりますと、そこには、八十建と言つて、穴の中に住んでゐる、臀尾の生えた、大勢の荒くれた悪ものどもが、命の軍勢を討ち破らうとして、大きな岩屋の中に待ち受けてをりました。
 命は御馳走をして、その悪ものたちをおよびになりました。そして前以て、相手の一人に一人づつ、お給仕につくものを極めておき、その一人々々に太刀を隠し持たせて、合図の歌を聞いたら一度に斬つてかしれと言ひ含めてお置きになりました。
 みんなは、命が、
 「さあ、今だ、うて。」とお謡ひになると、忽ち一どに太刀を抜き放つて、建どもを一人残さず切り殺してしまひました。
 併し命は、それらの賊たちよりも、もつともつと悪いのはお兄さまの命のお命を奪つた、あの鳥見の長髄彦でした。命は彼等に対しては、丁度生姜を食べた後、口がひり/\するやうに、いつまでも恨みをお忘れになることが出来ませんでした。命は、畑の韮を、根も芽も一しよに引きぬくやうに、彼等を根こそぎに討ち亡ぼしてしまひたい、海の中の大きな石に、細螺貝が真つ黒に取りついてゐるやうに、彼等をひし/\と取りまいて、一人残さず討ち取らなければおかないといふ意味を、勇ましい歌にしてお謡ひになりました。そして、とうとう彼等を攻め亡ぼしておしまひになりました。
 そのとき、長髄彦の方に、やはり大空の神のお血すぢの、邇芸速日命といふ神がゐました。
 その神が命の方へまゐつて、
 「私は大空の神の御子がお出でになつたと承りまして、お奉公に出ましてございます。」と申し上げました。そして大空の神の血筋だといふ印の宝物を、命に献上しました。
 命はそれから兄師木、弟師木といふ兄弟のものを御征伐になりました。その戦で、命の軍勢は伊那佐といふ山の林の中に楯を並べて戦つてゐるうちに、中途で兵糧がなくなつて、少し弱りかけて来ました。命はそのとき、
 「おゝ、私も飢ゑ疲れた。このあたりの鵜をつかふものたちよ、早く食べものを持つてたすけに来い。」といふ意味のお謡をおうたひになりました。
 命はなほ引つゞいて、そのほかさま/゛\の荒びる神どもをなづけて従はせ、刃向ふものをどん/\攻め亡ぼして、とう/\天下をお平げになりました。それでいよ/\大和の橿原宮で、われ/\の一ばん最初の天皇のお位におつきになりました。神武天皇とはすなはち、この貴い伊波礼毘古命のことを申し上げるのです。

 三

 天皇は、はじめ日向にお出でになりますときに、阿比良媛といふお方をお妃に召して、多芸志耳命と、もう一方男のお子をお設けになつてゐましたが、お位におつきになつてから、改めて、皇后としてお立てになる、美しい方をおもとめになりました。
 すると大久米命が、
 「それには、やはり、大空の神のお血をお分けになつた、伊須気依媛と申す美しい方がお出でになります。これは三輪の社の大物主神が、勢夜陀多良媛といふ女の方のおそばへ、朱塗りの矢に化けてお出でになり、媛がその矢を持つてお部屋にお這入りになりますと、矢は忽ちもとの立派な男の神さまになつて媛のお婿さまにおなりになりました。伊須気依媛はそのお二人の仲にお生れになつたお姫さまでございます。」と申し上げました。
 そこで天皇は、大久米命をおつれになつて、その伊須気依媛を見にお出でになりました。すると同じ大和の、高佐士野といふ野で、七人の若い女の人が野遊びをしてゐるのにお出会ひになりました。すると丁度伊須気依媛がその七人の中に入らつしやいました。
 大久米命はそれを見つけて、天皇に、この中のどの方をおもらひになりますかといふことを、歌に謡つてお聞き申しますと、天皇は一ばん前にゐる方を伊須気依媛だとすぐにおさとりになりまして、
 「あの一ばん前にゐる人を貰はう。」と、やはり歌でお答へになりました。大久米命は、その方のおそばへ行つて、天皇の仰せをお伝へしようとしますと、媛は、大久米命が大きな目をぎろぎろさせながら来たので、変だとおぼしめして、
 「あめ、つゝ、
 千鳥、ましとゝ、
 など裂ける利目。」
とお謡ひになりました。それは、
 「あめといふ鳥、つゝといふ鳥、ましとゝといふ鳥や千鳥の目のやうに、どうしてあんな大きな、鋭い目を光らせてゐるのであらう。」といふ意味でした。
 大久米命は、すぐに、
 「それはあなたを見つけ出さうとして、探してゐた目でございます。」と謡ひました。
 媛のお家は、狭井川といふ川のそばにありました。そこの川原には、山百合がどつさり咲いてゐました。天皇は、媛のお家へ入らしつて、一と晩泊つておかへりになりました。媛は間もなく宮中にお上りになつて、貴い皇后におなりになりました。お二人の仲には、日子八井命、神八井耳命、神沼河耳命と申す三人の男のお子がお生れになりました。
 天皇は、後に御年百三十七でおかくれになりました。お空骸は畝火山にお葬り申し上げました。
 すると間もなく、先に日向でお生れになつた多芸志耳命が、お腹ちがひの弟さまの日子八井命たち三人をお殺し申して、自分一人が勝手なことをしようとお企てになりました。
 お母上の皇后はその謀をお見ぬきになつて、
 「畝火山に昼はたゞの雲らしく、静かに雲がかかつてゐるけれど、夕方になれば暴れが来て、ひどい風が吹き出すらしい。木の葉がその先ぶれのやうに、ざわ/\さわいでゐる。」といふ意味の歌をお謡ひになり、多芸志耳命が、今に、お前たちを殺しにかゝるぞといふことを、それとなくおさとしになりました。
 三人のお子たちは、それを聞いてびつくりなさいまして、それでは、こつちから先に命を殺してしまはうと御相談なさいました。
 そのとき一番下の神沼河耳命は、中のお兄さまの神八井耳命に向つて、
 「では、あなた命のところへ押し入つて、お殺しなさい。」と仰いました。
 それで神八井耳命は刀を持つてお出かけになりましたが、いざとなるとぶる/\顫へ出して、どうしても手出しをなさることが出来ませんでした。そこで弟さまの神沼河耳命がその刀を取つてお進みになり、一と息に命を殺しておしまひになりました。
 神八井耳命は後で弟さまに向つて、
 「私はあの仇が殺せなかつたけれど、そなたはみごとに殺してしまつた。だから、私は兄だけれど、人の上に立つことは出来ない。どうぞそなたが天皇の位について天下を治めてくれ、私は神々を祀る役目を引き受けて、そなたに奉公をしよう。」と仰いました。それで、弟の命はお二人のお兄さまをおいてお位におつきになり、大和の葛城宮にお移りになつて、天下をお治めになりました。すなはち第二代、綏靖天皇さまで入らつしやいます。
 天皇は御短命で、御年四十五でお隠れになりました。



 赤い楯、黒い楯

 一

 綬靖天皇から御七代をへだてて、第十代目に崇神天皇がお位におつきになりました。
 天皇にはお子さまが十二人おありになりました。その中で皇女、豊●入媛が、はじめて伊勢の天照大神のお社に仕へて、そのお祭りをお司りになりました。又、皇子倭日子命がお亡くなりになつたときに、人垣と言つて、お墓のまはりへ人を生きながら埋めてお供をさせる習はしがはじまりました。
 この天皇の御代には、はやり病がひどくはびこつて、人民といふ人民は殆ど死に絶えさうになりました。
 天皇は非常にお嘆きになつて、どうしたらよいか、神のお告げをいたゞかうとおぼしめして、御身を潔めて、慎んでお寝床の上に坐つてお出でになりました。さうするとその夜のお夢に、三輪の社の大物主神が現はれて入らしつて、
 「今度の疫病はこの私がはやらせたのである。これをすつかり亡ぼしたいと思ふならば、大多根子といふものに私の社を祭らせよ。」とお告げになりました。天皇は直に四方へ早馬のお使ひをお出しになつて、さういふ名前の人をお探しになりますと、一人の使が、河内の美努村といふところでその人を見附けてつれてまゐりました。
 天皇は早速御前にお召しになつて、
 「そちは誰の子か。」とお尋ねになりました。
 すると大多根子は、
 「私は大物主神のお血筋を引いた、建甕槌命と申しますものの子でございます。」とお答へいたしました。
 それといふわけは、大多根子から五代もまへの世に、陶都耳命といふ人の娘で、活玉依媛といふ、大そう美しい人がありました。
 この依媛が或とき、一人の若い人をお婿さまにしました。その人は、顔容から、居ずまひの美しい気高いことと言つたら、世の中に比べるものもないくらゐ、立派な、りゝしい人でした。
 媛は間もなく子供が生れさうになりました。併しそのお婿さんは、はじめから、たゞ夜だけ媛の側にゐるきりで、明方になるといつの間にかどこかへ行つてしまつて、決してだれにも顔を見せませんし、お嫁さんの媛にさへ、どこのだれかといふことすらも打明けませんでした。
 媛のお父さまとお母さまとは、どうかして、そのお婿さんを、どこの何人か突きとめたいと思ひまして、或日媛に向つて、
 「今夜は、お部屋へ赤土をまいてお置き。それから麻糸の毬を針にとほして用意しておいて、お婿さんが出て来たら、そつと着物の裾にその針をさしてお置き。」と言ひました。
 媛はその晩、言はれたとほりに、お婿さんの着物の裾へ麻糸をつけた針をつき刺しておきました。
 翌る朝になつて見ますと針についてゐる麻糸は、戸の鍵穴から外へつたはつてゐました。そして糸の毬は、すつかり繰りほどけて、お部屋の中には、僅三まはり輪に巻けた長さしか残つてをりませんでした。
 それでともかくお婿さんは、戸の鍵穴から出這入りしてゐたことが分りました。媛はその糸の伝はつてみる方へずん/\行つて見ますと、糸はしまひに、三輪山のお社の中に這入つて止まつてゐました。それで、はじめて、お婿さんは大物主神で入らしつたことが分りました。
 大多根子はこのお二人の間に生れた子の四代目の孫でした。
 天皇は、早速この大多根子を三輪の社の神主にして、大物主神のお祭りをおさせになりました。それと一しよに、お供へものを入れる土器をどつさり作らせて、大空の神々や下界の多くの神々をお祭りになりました。その中の或神さまには、特に赤色の楯や黒塗の楯をお上げになりました。
 そのほか、山の神さまや河の瀬の神さまにいたるまで、一々もれなくお供へものをお上げになつて、鄭重にお祭りをなさいました。そのために、疫病はやがてすつかり止つて、天下はやつと安らかになりました。

 二

 天皇は次で大毘古命を北陸道へ、その子の建沼河別命を東山道へ、その外強い人を方々へお遣はしになつて、御命令に従はない、多くの悪者どもを御征伐になりました。
 大毘古命は仰せを畏つて出て行きましたが途中で、山城の幣羅坂といふところへさしかかりますと、その坂の上に腰布ばかりを身につけた小娘が立つてゐて、
 「これ/\申し天子さま、
 あなたをお殺し申さうと、
 前の戸に、
 裏の戸に、
 往つたり来たり、
 すきを狙つてゐるものが、
 そこにゐるとも知らないで、
 これ/\申し天子さま。」
と、こんなことを謡ひました。
 大毘古命は変だと思ひまして、わざ/\、馬を引きかへして、
 「今言つたのは何のことだ。」と尋ねました。
 すると小娘は、
 「私は何にも言ひはいたしません。たゞ歌を謡つただけでございます。」と答へるなり、もうどこへ行つたのか、ふいに姿が見えなくなつてしまひました。
 大毘古命は、その歌の言葉が頻りに気になつてならないものですから、とう/\そこから引きかへして来て、天皇にそのことを申し上げました。すると天皇は、
 「それは、きつと、山城にゐる、私の腹ちがひの兄、建波邇安王が、悪企みをしてゐる知らせに相違あるまい。そなたはこれから軍勢を引きつれて、すぐに討ち取りに行つてくれ。」と仰つて、彦国夫玖命といふ方を副へて、一しよにお遣はしになりました。
 二人は、神々のお祭りをして、勝利を祈つて出かけました。そして、山城の木津川まで行きますと、建波邇安王は案の定、天皇にお叛き申して、兵を集めて待ち受けて入らつしやいました。両方の軍勢は川を挟んで向ひ合ひに陣取りました。彦国夫玖命は、敵に向つて、
 「おゝい、そちらの奴、まづ皮切りに一矢射て見よ。」と呶鳴りました。敵の大将の建波邇安王は、すぐにそれに応じて、大きな矢をひゆうツと射放しましたが、その矢はだれにも中らないで、わきへ外れてしまひました。それで今度はこちらから国夫玖命が射かけますと、その矢は狙ひたがはず建波邇安王を刺し殺してしまひました。
 敵の軍勢は、王が倒れておしまひになると、忽ち総くづれになつて、どん/\遁げ出してしまひました。国夫玖命の兵はどん/\それを追つかけて、河内の国の或川の渡しのところまで追ひつめて行きました。
 すると賊兵の或ものは、苦しまぎれにうんこが出て、下袴を汚しました。
 こちらの軍勢はそいつ等の遁げ路を喰ひ止めて、片つぱしからどん/\斬り殺してしまひました。その大層な死骸が川に浮んで、丁度鵜のやうに流れ下つて行きました。
 大毘古命は天皇にその次第をすつかり申し上げて、改めて北陸道へ出立しました。
 そのうちに大毘古命の親子をはじめ、そのほか方々へお遣はしになつた人々が、みんな、仰せつかつた地方を平げて帰りました。そんなわけで、もういよ/\どこにも天皇にお逆ひするものがなくなつて、天下は平かに治り、人民もどん/\裕福になりました。それで天皇ははじめて人民たちから、男からは弓端の調と言つて、弓矢で捕つた獲物の中の幾分を、女からは手末の調と言つて、績いだり、織つたりして得たものの幾分を、それ/゛\貢物としてお召しになりました。
 天皇は又、人民のために方々へ耕作用の池をお作りになりました。天皇の高いお徳は、後の代からも、いつ/\までも永くお讃め申し上げました。



 唖の皇子

 一

 崇神天皇のお後には、お子さまの垂仁天皇がお位をお継ぎになりました。天皇は、沙本毘古王といふ方のお妹さまで沙本媛と仰る方を皇后にお召しになつて、大和の玉垣の宮にお移りになりました。
 その沙本毘古王が、或とき皇后に向つて、
 「あなたは夫と兄とはどちらが可愛いか。」と聞きました。皇后は、
 「それはお兄さまの方が可愛うございます。」とお答へになりました。すると王は、用意してゐた鋭い短刀をそつと皇后にわたして、
 「もしお前が本当に私を可愛いと思ふなら、どうぞこの刀で、天皇がお寐つて入らつしやるところを刺し殺しておくれ。そして二人でいつまでも天下を治めようではないか。」と言つて、無理やりに皇后を説き伏せてしまひました。
 天皇は二人がそんな怖ろしい企みをしてゐるとは御存じないものですから、或晩、何のお気もなく、皇后のお膝を枕にしてお眠りになりました。
 皇后はこの時だとお思ひになつて、いきなり短刀をぬき放して、天皇のお頸を真下に狙つて、三度までお振りかざしになりましたが、いよいよとなると、さすがにお痛はしくて、どうしてもお手をお下しになることが出来ませんでした。そしてとう/\悲しさに堪へ切れないで、おん/\お泣き出しになりました。
 その涙が天皇のお顔にかゝつて流れ落ちました。天皇はそれと一しよに、ひよいとお目ざめになつて、
 「俺は今奇態な夢を見た。沙本の村の方からにはかに大雨が降つて来て、俺の顔にぬれかゝつた。それから、錦色の小さな蛇が俺の頸へ巻きついた。一たいこんな夢は何の兆であらう。」と、皇后に向つてお尋ねになりました。皇后はさう仰られると、ぎくりとなすつて、これはとても隠し切れないとお思ひになつたので、お兄さまとお二人の畏れ多い企みを、すつかり白状しておしまひになりました。
 天皇はそれをお聞きになると、びつくりなすつて、
 「いやそれは危く馬鹿な目を見るところであつた。」と仰りながら、すぐに軍勢をお集めになつて、沙本毘古を討ち取りにおつかはしになりました。
 すると沙本毘古の方では、稲束をぐるりと積み上げて、それでとりでをこしらへて、ちやんと待ち受けてをりました。天皇の軍勢はそれを目がけて撃つてかゝりました。
 皇后はさうなると、今度は又お兄さまのことがお痛はしくおなりになつて、ぢつとしてお出でになることが出来なくなりました。それで、とう/\こつそり裏口の御門からぬけ出して、沙本毘古のとりでの中へ駈けつけておしまひになりました。
 皇后はそのとき丁度、お腹にお子さまをお持ちになつて入らつしやいました。
 天皇は、最早三年も御寵愛になつてゐた皇后でおありになる上に、たま/\お身持でも入らつしやるものですから、一層お可哀さうにおぼしめして、どうか皇后のお身にお怪我がないやうにと、それからは、とりでもたゞ遠巻きにして、むやみに攻め落さないやうに、特に御命令をお下しになりました。

 二

 そんなことで、かれこれ戦も長びくうちに、皇后はお兄さまのとりでの中で皇子をお産みおとしになりました。
 皇后はそのお子さまをとりでのそとへ出させて、天皇の軍勢のものにお見せになり、
 「この御子をあなたのお子さまとおぼしめして下さるならば、どうぞ引き取つて御養育なすつて下さいまし。」と、天皇にお伝へさせになりました。
 天皇はそのことをお聞きになりますと、序でにどうかして皇后をも一しよに取りかへしたいとお思ひになりました。それは、兄の沙本毘古に対しては、刻み殺しても足りないくらゐ、お憤りになつてをりますが、皇后のことだけは、どこまでもお痛はしくおぼしめして入らつしやるからでした。
 それで味方の兵士の中で、一番力の強い、そして一番すばしつこいものをいく人かお選びになつて、
 「そちたちはあの皇子を受取るときに、必ず母の后をも引きさらつてかへれ。髪でも手でも、つかまり次第に取りつかまへて、無理にもつれ出して来い。」とお言ひつけになりました。
 併し皇后の方でも、天皇がきつとそんなお企てをなさるに違ひないと、ちやんとお感づきになつてゐましたので、そのときの用意に、前以てお髪をすつかりお剃り落しになつて、そのお毛をそのま、そつとお被りになり、それからお腕先の玉飾りも、わざと、つなぎの緒を腐らして、お腕へ三重にお巻きつけになり、お召しものもわざ/\酒で腐らしたのをお召しになつて、それともなげに皇子を抱きかゝへて、とりでの外へお出ましになりました。
 待ちかまへてゐた勇士たちは、そのお子さまをお受取り申すと一しよに、皇后をも奪ひ取らうとして、すばやく飛びかゝつてお髪を引つ掴みますと、お髪は忽ちすらりとぬけ落ちてしまひました。
 「おや、しまつた。」と、今度はお手を掴みますと、そのお手の玉飾の緒もぶつりと切れたので、難なく手をすり抜けてお遁げになりました。こちらは又あわてて追ひすがりながら、ぐいとお召しものをつかまへました。すると、それも忽ちぼろりとちぎれてしまひました。その間に皇后は、さつと中へ遁げ込んでおしまひになりました。
 勇士どもは仕方なしに、皇子一人をお抱へ申して、しを/\とかへつてまゐりました。
 天皇はそれ等のものたちから、
 「お髪をつかめばお髪がはなれ、玉の緒もお召しものも、みんなぶす/\切れて、とう/\お取りにがし申しました。」
とお聞きになりますと、それは/\大層お悔みになりました。
 天皇はそのために、宮中の玉飾の細工人たちまでお憎みになつて、それらの人々が知行にいたゞいてゐた土地を、いきなり残らず取り上げておしまひになりました。
 それから改めて皇后の方へお使をお出しになつて、
 「すべて子供の名は母がつけるものと極つてゐるが、あの皇子は何といふ名前にしようか。」とお聞かせになりました。
 皇后はそれに答へて、
 「あの御子は、丁度とりでが、火をかけられて焼ける最中に、その火の中でお生れになつたのでございますから、本牟智別王とおよび申したらよろしうございませう。」と仰いました。そのほむちといふのは火のことでした。
 天皇はその次には、
 「あの子には母がないが、これからどうして育てたらいゝか。」とおたづねになりますと、
 「では乳母をお召しかゝへになり、お湯をおつかはせ申す女たちをもお置きになつて、それ等のものにお任せになればよろしうございます。」とお答へになりました。
 天皇は最後に、
 「そちがゐなくなつては、俺の世話はだれがするのだ。」とお聞きになりました。すると皇后は、
 「それには、丹波の道能宇斯王の子に、兄媛、弟媛といふ姉妹の娘がございます。これならば家柄も正しい女たちでございますから、どうかその二人をお召しなさいまし。」と仰いました。
 天皇はもういよ/\仕方なしに、一気にとりでを攻め落として、沙本毘古を殺させておしまひになりました。
 皇后も、それと一しよに、炎々と焼け上る火の中に飛びこんでおしまひになりました。

 三

 お母上のない本牟智別王は、それでも仕合せに、ずん/\丈夫に御生長になりました。
 天皇はこの皇子のために、わざ/\尾張の相津といふところにある、二叉になつた大きな杉の木をお切らせになつて、それをそのまゝ刳つて二叉の丸木舟をお作らせになりました。そして、はる/゛\と大和まで運ばせて、市師の池といふ池にお浮べになり、その中へ御一しよにお乗りになつて、皇子をお遊ばせになりました。
 併しこの皇子は、後にすつかり御成人になつて、長いお下髯がお胸先に垂れかゝるほどにおなりになつても、お口が一寸もお聞けになりませんでした。
 ところが或とき、鵠の鳥が、空を鳴いて飛んで行くのを御覧になつて、お生れになつてからはじめて、
 「あわゝ、あわゝ。」と仰せになりました。
 天皇は、早速、山辺大鷹といふものに、「あの鳥を取つて来て見よ。」とお言ひつけになりました。
 大鷹は畏まつて、その鳥のあとをどこまでも追つかけて、紀伊国、播磨国へと下つて行き、そこから因幡、丹波、但馬をかけ廻つた後、今度は東の方へ廻つて、近江から美濃、尾張をかけぬけて信濃に入り、とう/\越後のあたりまで踉けて行きました。そして、やつとのことで和那美といふ港で罠網を張つて、やうやくその鵠の鳥を掴へました。そして大急ぎで都へかへつて、天皇におさし出し申しました。
 天皇は、その鳥を皇子にお見せになつたら、お物が仰れるやうにおなりになりはしないかとおぼしめして、わざ/\捕りにおつかはしになつたのでした。併し皇子は、やはりそのまゝ一言もお物を仰いませんでした。
 天皇はそのために、いつもどんなにお心をお痛めになつてゐたか知れませんでした。
 そのうちに、或晩、ふと夢の中で、
 「私のお社を天皇のお宮のとほりに立派に作り直して下さるなら王は必ず口が聞けるやうにおなりになる。」と、かういふお告げをお聞きになりました。
 天皇は、どの神さまのお告げであらうかと急いで占ひの役人に言ひつけて占はせて御覧になりますと、それは出雲の大神のお告げで、皇子はその神の祟りで唖にお生れになつたのだと分りました。
 それで天皇は、すぐに皇子を出雲へおまゐりにお出しになることになさいました。
 それには誰をつけてやつたらよからうと、又占はせて御覧になりますと、曙立王といふ方が占ひにお当りになりました。
 天皇は、その曙立王にお言ひつけになつて、なほ念のために、伺ひのお祈りを立てさせて御覧になりました。
 王は仰せによつて、鷺の巣の池といふ池のそばへ行つて、
 「あのお夢のお告げのとほり、出雲の大神を拝んでお験があるものならば、その証拠に、この池の鷺どもをみんな死なせて見せて下さるやうに。」とお祈りをしますと、そのまはりの樹の上にとまつてゐた池中の鷺が、一せいにぱたぱたと池に落ちて死んでしまひました。そこで今度は祈りをかへして、
 「あの鷺が悉く生き返りますやうに。」と言ひますと、一旦死んだそれ等の鷺が、又忽ち元の通りに活き返りました。その次には古樫の岡といふ岡の上に繁つてゐる、葉の大きな樫の木も、曙立王の祈りによつて、同じやうに枯れたり又生き返つたりしました。
 そんなわけで、お夢のことも全く出雲の大神のお告げだといふことがいよ/\たしかになりました。
 天皇はすぐに曙立王と兎上王との二人を本牟智別王につけて、出雲へおつかはしになりました。
 その御出立のときにも、どちらの道を選べばよいかとお占はせになりました。すると、奈良街道からでは、途中で跛や盲目に会ふし、大阪口から行つてもやはり盲目や肢に会ふので、どちらとも旅立ちには不吉である、脇道の紀伊街道を通つて行けば、必ずさい先がよいと、かう占ひに出ました。一同はその通りにして立つてお出でになりました。
 天皇は皇子のお名前を永く後の世までお伝へになるために、その途中の到るところに、本牟智部といふ部族をおこしらへさせになりました。
 皇子は、いよ/\出雲にお着きになつて、大神のお社におまゐりになりました。
 そして又都へおかへりにならうとなさいますと、その出雲の国をおあづかりしてゐる、国造といふ、一番上の役人が、肥の河の中へ仮のお宮をつくり、それへ、細木を編んだ橋をわたして、そのお宮で、皇子を、御馳走しておもてなし申し上げました。
 そのとき河下の方には、皇子のお目を慰めるために、青葉で、作りものの山がこしらへてありました。
 皇子はそれを御覧になつて、
 「あの河下に、山のやうに見えてゐる青葉は、あれは本当の山ではないだらう。神主たちが大国主神のお祭をする場所ででもあるのか。」と、突然かうお聞きになりました。
 お供の曙立王や兎上王たちは、皇子が不意にお物が仰れるやうになつたので、びつくりして喜んで、すぐに早馬のお使を立てて、そのことを天皇にお知らせ申しました。
 皇子はそれからほかのお宮へお移りになつて、肥長媛といふ人をお妃にお貰ひになりました。
 ところが後で御覧になりますと、それは蛇が女になつて出て来たのだと分りました。
 皇子はびつくりなすつて、みんなと御一しよに船に乗つてお遁げになりました。
 すると蛇の媛は、皇子のお後を慕つて、急いで別の船を仕立てて、海の上をきら/\と照しながら、どん/\追つかけて来ました。皇子はいよ/\気味が悪くおなりになつて、あわてて船を引上げさせて、それを引つ張らせて山の間をお越えになり、又その船を下して海をおわたりになつたりなすつて、やつと無事に都へ遁げておかへりになりました。
 曙立王は天皇にお目見得をして、
 「仰せのとほりに大神をお拝みになりますと、間もなく、急にお口がお聞けになるやうになりましたので、一同でお供をしてかへつてまゐりました。」と申し上げました。
 天皇は、それは/\言ふに言はれないほどお喜びになりました。そしてすぐに兎上王を又再び出雲へお下しになつて、大神のお社を立派に御造営になりました。

 四

 天皇はそれですつかり御安神になつたので、今度は御不自由がちな、お側の御用をお言ひつけになるために、かねて皇后が仰つてお置きになつたやうに、丹波から兄媛たちの姉妹四人をお召し寄せになりました。
 併し下の二人は大層見にくい子でしたので、天皇は兄媛とその次の弟媛とだけをお抱へになつて、あとの二人はそのまゝお家へかへしておしまひになりました。
 すると、一番下の円野媛は、四人が一しよにお召しに会つて伺ひながら、二人だけは顔が汚いために御奉公が出来ないで還されたといへば、近所の村々への聞えも恥かしく、とても生きてはゐられないと言つて、途中の、山城の乙訓といふところまでかへりますと、哀れにも、そこの深い淵に身を投げて死んでしまひました。
 それから天皇は或年、多遅摩毛理といふものに、常世国へ行つて、香の高い橘の実を取つて来いと仰せつけになりました。
 多遅摩毛理は畏まつて、長い年月の間一生懸命に苦心し、果てしもない大海の向うの、遠い/\その国へやつとたどり着きました。そして仰せの橘の実の、枝葉のまゝついたのを八つ、実ばかりのを八つもぎ取つて、また長い長い間かゝつて、やう/\都へ帰つて来ました。併し天皇はその前に、もう疾くにお隠れになつてゐました。
 多遅摩毛理はそのことを承ると、それはそれはがつかりして、葉つきの実を四つと、葉のないのを四つとを、天皇のお側にお仕へ申してゐた兄媛にさし上げた上、あとの四つづつを天皇のお墓にお供へ申しました。そして泣き/\大声を張り上げて、
 「御覧下さいまし。この通り仰せの実を取つてまゐりました。どうぞ御覧下さいまし。」と、その橘を両手にさし上げて、繰りかへし/\、いつまでもそのお墓の前で叫びつゞけて、とうとうそれなり叫び死に死んでしまひました。




下巻

白い鳥

 一

 第十二代景行天皇は、お身の丈が一丈二寸、お膝から下が四尺一寸もおありになる程の、偉大なるお体格で入らつしやいました。それからお子さまも、すべてで八十人もお生れになりました。
 天皇はその中で、後におあとをお継ぎになつた若帯日子命と、小碓命と仰る皇子と、外にもうお一と方とだけをお側にお止めになり、あとの七十七人の方々をこと/゛\く、地方地方の国造、別、稲置、県主といふ、それ/゛\の役におつけになりました。
 或とき天皇は、美濃の、神大根王といふ方の娘で、兄媛弟媛といふ姉妹が、二人とも大そう器量のよい子だといふ評判をお聞きになつて、それを実さいにお確めになつた上、早速御殿にお召使ひになるおつもりで、皇子の大碓命にお言ひつけになつて、二人を召し上せにお遣はしになりました。
 すると、大碓命は、その二人のものを御自分のお召使ひに取つておしまひになり、別に二人の姉妹の女をさがし出して、それを兄媛、弟媛だと詐つて、天皇にお目通りをおさせになりました。
 天皇はそれがほかの女であるといふことを、ちやんとお見抜きになりました。併し上部では、飽くまで騙されて入らつしやるやうにお見せかけになつて、二人をそのまゝに御殿にお置きになりました。その代り御手近の御用は、わざと他のものにお言ひつけになつて、それとなく二人をお懲らしめになりました。
 大碓命はそんな悪いことをなすつてからは、天皇の御前へお出ましになるのを後暗くおぼしめして、さつぱりお顔をお見せになりませんでした。
 天皇は或日、弟さまの皇子の小碓命に向つて、
 「そちが兄は、どういふわけで、この節朝夕の食事のときにも出て来ないのであらう。お前行つて、よく申し聞かせよ。」と仰いました。
 併し、それから五日もたつても、大碓命は、やつぱりそのまゝお顔出しをなさらないものですから、天皇は小碓命を召して、
 「兄はどうしていつまでも食事に出て来ないのか。お前はまだ言はないのではないか。」とお聞きになりました。
 「いゝえ、申し聞かせました。」と命はお答へになりました。
 「ではどういふ風に話したのか。」
 「たゞ朝早く、お兄さまが厠に這入りますところを待ち受けて、掴みくぢき、手足をむしり取つて、死体を菰にくるんでうつちやりました。」と、命は全で無造作にかう言つて、すまして入らつしやいました。
 天皇はそれ以来、小碓命のきつい荒い御気性を怖ろしくおぼしめして、どうかしてそれとなく命をお側から遠ざけようとお考へになりました。それで間もなく命を召して、
 「実は西の方に熊襲建といふものの兄弟がゐる。二人とも私の命令に従はない無礼な奴である。そちはこれから行つて、彼等を討ち取つてまゐれ。」と仰せになりました。
 それで命は、急いで伊勢にお下りになつて、大神宮にお仕へになつてゐる、御叔母上の倭媛にお別れをなさいました。
 すると叔母上からは、御料のお上着とお袴着と、懐剣とを、お別れのお印にお下しになりました。
 命はそれからすぐに、今の日向、大隅、薩摩の地方へ向つてお下りになりました。そのとき命は、まだお髪をお額にお結ひになつてゐる、たゞほんの一少年で入らつしやいました。

 二

 命は、その土地にお着きになり、熊襲建の家へ近づいて、容子をお窺ひになりますと、建等は、家のまはりへ軍勢をぐるりと三重に立て囲はせて、その中に住まつてをりました。そして、たま/\丁度その家が出来上つたばかりで、近々にそのお祝ひの宴会をするといふので、大さわぎで支度をしてゐるところでした。
 命はそのあたりをぶら/\歩き廻つて、その宴会の日が来るのを待ちかまへて入らつしやいました。そして、いよ/\その日になりますと、今までお結ひになつてゐたお髪を、少女のやうに梳き下げになさり、御叔母上からおさづかりになつた御衣裳を召して、すつかり小女の姿におなりになりました。そして、ほかの女たちの中に交つて、建どもの宴会の室へ這入つてお出でになりました。
 すると熊襲建兄弟は、命を本当の女だとばかり思ひ込んでしまひまして、その姿のきれいなのが大層気に入つたので、特に自分たち二人の間に坐らせて、大喜びで飲み騒ぎました。
 命は、みんながすつかり興に入つたころを見計つて、そつと懐から剣をお取り出しになつたと思ひますと、いきなり片手で兄の建の襟頸をつかんで、胸のところを一と着きに突き通しておしまひになりました。
 弟の建はそれを見ると、あわてて室の外へ遁げ出さうとしました。
 命は、それをもすかさず、階段の下に追ひつめて、手早く背中を引つかみ、ずぶりとお臀をお突き刺しになりました。
 建はそれなりじたばたしようともしないで、
 「どうぞその刀をしばらく動かさないで下さいまし。一言申し上げたいことがございます。」と、言ひました。それで命は刀をお刺しになつたなり、しばらく押し伏せたまゝにして入らつしやいますと、建は
 「一たいあなたはどなたでございます。」と聞きました。
 「俺は、大和の日代の宮に天下を治めてお出でになる、大帯日子天皇の皇子、名は倭童男王といふものだ。汝等二人とも天皇の仰せに従はず、無礼な振まひばかりしてゐるので、勅命によつて誅伐にまゐつたのだ。」と、命は雄々しくお名乗りになりました。
 建はそれを聞いて、
 「なるほど、さういふお方に相違ございますまい。この西の国中には、私ども二人より強いものは一人もありません。それに引きかへ大和には、われ/\にもまして、すばらしいお方がゐられたものだ。畏れながら私がお名前をさし上げます。これからはあなたのお名前を倭建命とおよび申したい。」と言ひました。
 命は建がさう言ひをはると一しよに、その荒くれたものを、全で熟した真桑瓜を切るやうに、ずぶ/\と切り屠つておしまひになりました。
 それ以来、だれもかれも命の御武勇をおほめ申して、お名前を倭建命と申し上げるやうになりました。
 命は、それから大和へお引きかへしになるお途中で、色んな山の神や河の神や、穴戸の神と称へて、方々の険阻なところに立てこもつてゐる悪神どもを、片はしからお従へになつた後、出雲の国へお廻りになつて、そのあたりで幅を利かせてゐる、出雲建といふ悪ものをお退治になりました。
 命は先づその建の家へたづねてお出でになつて、その悪ものと御交際をお結びになりました。そして、そのあとで、こつそりと赤樫といふ木を刀のやうにお削りになり、それを立派な太刀のやうに飾をつけておつるしになつて、建をさそひ出して、二人で肥の河の水を浴びに入らつしやいました。そして、いゝ加減な頃を見計つて、御自分の方が先にお上りになり、御冗談のやうに建の太刀をお身におつけになりながら、
 「どうだ、二人でこの刀を取りかヘツこをしようか。」と仰いました。建は後からのそ/\上つて来て、
 「よろしい、取り換へよう。」と言ひながら、旨くだまされて命の偽の刀をつるしました。命は、
 「さあ、一つ二人で試合をしよう。」とお言ひになりました。そして二人とも刀をぬき放す段になりますと、建のは偽の刀ですからいくら力を入れても抜けよう筈がありまぜん。命は建がそれでまご/\してゐるうちに、素早く本ものの刀を引き抜いて、忽ちその悪ものを切り殺しておしまひになりました。そして、そのあとで、建が抜けない刀を抜かうとしてまごまごとあわてた可笑しさを、歌につくつてお笑ひになりました。

 三

 命はこんなにして、お道筋の賊どもをすつかり平げて、大和へおかへりになり、天皇にすべてを御奏上なさいました。
 すると天皇は、又すぐに引きつゞいて、命に、東の方の十二ケ国の悪い神々や、仰せに従はない悪いものどもを説き従へてまゐれと仰せになつて、杠の矛をお授けになり、御●友耳建日子といふものをお附け添へになりました。
 命はお言ひつけを奉じて又すぐにお出かけになりました。そして途中で伊勢のお宮におまゐりになつて、御叔母上の倭媛に再度のお別れをなさいました。そのとき命は御叔母上に向つて仰いました。
 「天皇は私を早く亡くならせようとでも思しめすのでせう。でもこなひだまで西の方の賊を討ちにまゐつてをりまして、やつと、たつた今かへつたと思ひますと、またすぐに、今度は東の方の悪ものを討取りにお出しになるのはどういふわけでございませう。それも殆ど軍勢といふほどのものも下さらないのです。こんなことから押して考へて見ますと、どうしても私を早く死なせようといふお心持としか思はれまぜん。」
 命はかう仰つて涙ながらにお立ちにならうとしました。
 御叔母上は、命のそのお恨みをおやさしくお宥めになつた上、もと神代のときに、須佐之男命が大蛇の尾の中からお拾ひになつた、あの貴いお宝物の御剣と、ほかに袋を一つおさづけになり、万一、急なことが起つたら、この袋の口をお解きなさい、と仰せになりました。
 命はそれから尾張へお這入りになつて、そこの国造の娘の美夜受媛のお家におとまりになりました。そして、かへりにはまた必ず立ちよるからとお言ひのこしになつて、更に東の国へお進みになり、山や河に住んでゐる、荒くれ神や、そのほか天皇にお仕へしない悪ものどもを一々お説き従へになりました。そして間もなく相模の国へお着きになりました。
 すると、そこの国造が、命をお殺し申さうと企んで、
 「あすこの野中に大きな沼がございます。その沼の中に住んでをります神が、まことに乱暴な奴で、みんなが困つてをります。」と、おだまし申しました。
 命はそれを真にお受けになつて、その野原の中へ這入つてお出でになりますと、国造は、ふいにその野へ火をつけて、どん/\四方から焼き立てました。
 命ははじめて、彼奴に欺されたかとお気づきになりました。その間にも火はどん/\間近に迫つて来て、お身が危くなりました。
 命は叔母上の仰せを思ひ出して、急いで、例の袋の紐をといて御覧になりますと、中には燧が這入つてをりました。
 命はそれで、急いでお宝物の御剣をぬいて、あたりの草をどん/\お薙ぎはらひになり、今の燧で以て、その草へ向ひ火をつけて、あべこべに向うへ向つてお焼き立てになりました。命はそれでやうやく、その野原から遁れ出て入らつしやいました。そしていきなり、その悪い国造と、手下のものどもを、ことごとく切殺して、火をつけて焼いておしまひになりました。
 それ以来そのところを焼津と呼びました。それから、命が草をお切りはらひになつた御剣を草剣の剣と申し上げるやうになりました。
 命はその相模の半島をお立ちになつて、お船で上総へ向つておわたりにならうとしました。すると途中で、そこの海の神がふいに大浪を巻き上げて、海一面を大荒れに荒れさせました。命の船は忽ちくる/\廻り流されて、それこそ進むことも引きかへすことも出来なくなつてしまひました。
 そのとき命がおつれになつてゐた、お召し使ひの弟橘媛は、
 「これはきつと海の神の祟りに相違ございません。私があなたのお身代りになりまして、海の神を宥めませう。あなたはどうぞ天皇のお言ひつけをお仕とげ下さいまして、目出たくあちらへおかへり下さいまし。」と言ひながら、菅の畳を八枚、皮畳六枚に、絹畳を八枚かさねて、浪の上に投げ下させるや否や、身を翻してその上へ飛び下りました。
 大浪は見る間に、忽ち媛をまき込んでしまひました。するとそれと一しよに、今まで荒れ狂つてゐた海が、ふいにぱツたりと静つて、急に穏かな凪ぎになつて来ました。
 命はそのおかげでやうやく船を進めて、上総の岸へ無事にお着きになることが出来ました。
 それから七日目に、橘媛の櫛がこちらの浜へ打ち上げられました。命はその櫛を拾はせて、哀れな媛のためにお墓をお作らせになりました。
 橘媛が生前に謡つた歌に、
 「さねさし、
 さがむの小野に、
 もゆる火の、
 火中に立ちて、
 問ひしきみはも。」
 これは、相模の野原で火攻めにお会ひになつたときに、その燃える火の中にお立ちになつてゐた、あの危急なときにも、命は私のことを御心配下すつて、いろ/\に慰め問うて下すつた、ほんとに、お情ぶかい方よと、その勿体ないお心持を忘れない印に謡つたのでした。
 命はそこから、なほどん/\お進みになつて、到るところで手におへない悪ものどもを御平定になり、山や河の荒くれ神をもお従へになりました。
 それでいよ/\、再び大和へお還りになることになりました。
 そのお途中で、足柄山の坂の下で、お食事をなすつてお出でになりますと、その坂の神が、白い鹿に姿をかへて現はれて、命を見つめて突ツたつてをりました。
 命は、それを御覧になると、お食べ残しの蒜の切はしをお取りになつて、その鹿を目がけてお投げつけになりました。すると、それが丁度目にあたつて鹿はばたりと倒れてしまひました。
 命はそれから坂の頂上へお上りになり、そこから東の海をおながめになつて、あの哀れな橘媛のことを、つく/゛\とお思ひかへしになりながら、
 「あづまはや。」とお嘆きになりました。それ以来そのあたりの国々をあづまと呼ぶやうになりました。

 四

 命は、そこから甲斐の国へお越えになりました。そして酒折宮といふ御殿におとまりになつたときに、
 「にひばり、つくばを過ぎて、
 いく夜か寝つる。」
とお謡ひになりますと、灯の焚火についてゐた一人の老人が、すぐにそのおあとを受けて、
 「かゝなべて、
 夜には九夜、
 日には十日を。」
と謡ひました。それは、
 「蝦夷どもを平げながら、常陸の新治や筑波を通りすぎて、こゝまで来るのに、いく夜寝たであらう。」と仰るのに対して、
 「数へて見ますと、九夜寝て十日目を迎へましたのでございます。」といふ意味でした。
 命はその答への謡をおほめになつて、その御褒美に、老人を東国造といふ役におつけになりました。
 それから信濃へお這入りになり、そこの国境の地の神を討ち従へて、一と先づもとの尾張までお帰りになりました。
 命はお往きがけにお約束をなすつたとほり、美夜受媛のお家へお泊りになりました。そして草薙の宝剣を媛におあづけになつて近江の伊吹山の、山の神を征伐にお出でになりました。
 命はこの山の神ぐらゐは素手でも殺すと仰つて、どん/\上つてお出でになりました。すると途中で、牛程もあるやうな、大きな白い猪が現はれました。命は、
 「この猪に化けて出たのは、まさか山の神ではあるまい。神の召使ひのものであらう。こんな奴は今殺さなくとも、かへりに仕止めてやれば沢山である。」と、お威張りになつて、そのまま上つてお出でになりました。
 さうするとふいに大きな雹がどツと降り出しました。命はその雹にお襲はれになると一しよに、ふら/\とお目まひがして、丁度ものにお酔ひになつたやうに、お気分がとほくおなりになりました。
 それといふのは、さき程の白い猪は、山の神の召使ひではなくて、山の神自身が化けて出たのでした。それを命があんなに軽蔑して広言をお吐きになつたので、山の神はひどく怒つて、忽ち毒気を含んだ雹を降らして、命をお苛め申したのでした。
 命は、殆ど途方にくれておしまひになりましたが、ともかく、やうやくのことで山をお下りになつて、玉倉部といふところに湧き出てゐる清水のそばで御休息をなさいました。そして、そのときはじめて、いくらか御気分が確かにおなりになりました。併し命はとう/\その毒気のために、すつかりお体をこはしておしまひになりました。
 やがて、そこをお立ちになつて、美濃の当芸野といふ野中までお出でになりますと、
 「あゝ俺は、いつもは空でも飛んで行けさうに思つてゐたのに、今はもう歩くことも出来なくなつた。足は丁度船の梶のやうに曲つてしまつた。」と仰つて、お嘆きになりました。そしてそのまゝ又少しお歩きになりましたが、間もなくひどく疲れておしまひになつたので、とうとう杖にすがつて一と足/\お進みになりました。
 そんなにして、やつと伊勢の尾津の崎といふ海ばたの、一本松のところまでおかへりになりますと、この前お往きがけのときにその松の下でお食事をお取りになつて、つい置き忘れて入らしつた太刀が、そのまゝ失くならないで、ちやんと遺つてをりました。
 命は、
 「おゝ、一つ松よ、よくわしのこの太刀の番をしてゐてくれた。お前が人間であつたら、褒美に太刀をさげてやり、着物を着せてやるのだけれど。」と、かういふ意味の謡をうたつてお喜びになりました。それからなほお歩きになつて、或村までいらつしやいました。
 命は、そのとき、
 「私の足はこんなに三重に曲つてしまつた。どうもひどく疲れて歩けない。」と仰いました。併しそれでも無理にお歩きになつて、能褒野といふ野へおつきになりました。
 命は、その野の中でつく/゛\と、お家のことをお思ひになり、
 「あの青山に取りかこまれた、
 美しい大和が恋しい、
 併し、あゝ私は、
 その恋しい土地へも、
 帰りつくことは出来ない。
 命あるものは、
 これから凱旋して、
 あの平群の山の、
 隠樫の葉を、
 髪に飾つて祝ひ楽めよ。」
といふ意味をお謡ひになり、
 「はしけやし
 わぎへの方よ、
 雲ゐたち来も。」
 (おゝなつかしや、
  わが家のある、
  遥かな大和の方から、
  雲が出て来るよ。)
と、お謡ひになりました。
 そして、それと一しよに御病勢もどつと御危篤になつて来ました。
 命は、遂に、
 「をとめの、
 床のべに、
 わがおきし、
 剣の太刀、
 その太刀はや。」
と、あの美夜受媛のお家において入らしつた宝剣も、とう/\再び手にとることも出来ないかとお謡ひになり、そのお謡の終るのと共に、この世をお去りになりました。
 早馬のお使は、このことを天皇に申し上げに駈け附けました。
 大和からは、命のお妃やお子さまたちが、びつくりして下つてお出でになりました。そして、命の御陵をお作りになて、そのぐるりの田の中に伏しまろんで、おん/\おん/\と泣いていらつしやいました。
 するとおなくなりになつた命は、大きな白い鳥になつて、お墓の中からお出ましになり、空へたかく翔け上つて、浜辺の方へ向つて飛んでお出でになりました。
 お妃やお子さまたちは、それを御覧になると、すぐに泣き/\そのお後を追ひしたつて、笹の切り株にお足を傷けて血だらけにおなりになつても、痛さも忘れて、一生懸命に駈けてお出でになりました。
 そしてしまひには、海の中にまで這入つて、ざぶ/\と追つかけて入らつしやいました。
 白い鳥はその人々を後において、海の中の磯から磯につたはつて飛んで行きました。
 お妃は潮の中を歩きなやみながら、おん/\お泣きになりました。
 その鳥は、とう/\伊勢から河内の志紀といふところへ来てとまりました。それで、そこへお墓を作つて、一旦そこへお鎮め申しましたが、併し鳥は後にまた飛び出して、どん/\空を翔けて、どこへともなく遁げ去つてしまひました。

 五

 命にはお子さまが男のお子ばかり六人お出でになりました。
その中の、帯中津日子命と仰る方は、後にお祖父上の天皇のお次の成務天皇のおあとをおつぎになりました。すなはち仲哀天皇で入らつしやいます。
 命が諸方を征伐してお廻りになる間は、七拳脛といふものが、いつも御料理番としてお供についてゐました。
 御父上の景行天皇は、御年百三十七でおかくれになりました。



朝鮮征伐

 一

 仲哀天皇は、或年、御自身で熊襲をお征伐にお下りになり、筑前の香椎の宮といふお宮にお駐りになつて入らつしやいました。
 そのとき天皇は、或夜、戦のお手だてについて神さまのお告げをいたゞかうとおぼし召して、大臣の武内宿禰をお祭場へお坐らせになり、御自身はお琴をお弾きになりながら、お二人でお祈りをなさいました。さうすると、どなたか一人の神さまが、皇后の息長帯媛のお体にお乗り移りになり、皇后のお口をお借りになつて、
 「これから西の方に或一つの国がある。そこには金銀をはじめ、目もまぶしいばかりの、さまざまの珍らしい宝がどつさりある。つまらぬ熊襲の土地よりも、まづその国をあなたのものにして上げよう。」と仰いました。
 「併し、高いところへ登つて西の方を見ましても、そちらの方はどこまでも大海ばかりで、国なぞは一寸も見えないではありませんか。」と天皇はお答へになりました。そしてお心の中では、
 「これは本当の神さまではあるまい。きつと詐りをいふ神が乗り移つたのに違ひない。」とおぼしめして、それなりお琴をおし退けて、黙つてお坐りになつてゐました。
 すると神さまは大層お怒りになつて、
 「そんな、私の言葉を疑つたりするものには、この国も任せてはおかれない。あなたはもう、さつさと死んでおしまひなさるがよい。」と仰せになりました。
 宿禰はそのお言葉を聞くと、びつくりして、
 「これは大変でございます。陛下よ、どうぞもつとお琴をお弾き遊ばしませ。」と、あわてて御注意申し上げました。
 天皇は仕方なしに、しぶ/\お琴をおひき寄せになつて、しばらくの間、申しわけばかりにぽつ/\弾いてお出でになりましたが、そのうちに間もなく、ふツつりとお琴の音が途絶えてしまひました。
 宿禰は変だと思つて、灯をさし上げて見ますと、天皇は最早いつの間にかお息が絶えて、その場にお倒れになつて入らつしやいました。
 皇后も宿禰も、神さまのお罰に驚き怖れて、急いでそのお空骸を仮りのお宮へお移し申しました。そして先づ第一番に、神さまのお怒りをおなだめ申すために、そのあたりの国中で生きた獣の皮を剥いだり、獣を逆はぎにしたものをはじめとして、田の畔をこはしたもの、溝をうめたもの、汚いものをひりちらしたもの、そのほか言ふも穢らはしいやうな、さまざまの汚い罪を犯したものたちを一々さがし出させて、御幣をとつてはらひ清めて、国中のけがれをすつかりなくしておしまひになりました。そして、宿禰が再びお祭場に坐つて、改めて神さまのお告げをお祈り申しました。
 すると神さまからは、この前に仰つた西の国のことについて、同じやうな仰せがありました。
 「それからこの日本の国は、今皇后のお腹に入らつしやるお子がお治めになるべきものだ。」と仰いました。
 皇后は、そのとき丁度お身重で入らつしやいました。宿禰はその仰せを聞いて、
 「では、恐れながら、今皇后のお腹にお出でになりますお子さまは、男のお子さまと女のお子さまと、どちらで入らつしやいませう。」と伺ひますと、
 「お子は御男子である。」とお告げになりました。
 宿禰はなほ、すべてのことを伺つておかうと思ひまして、
 「まことに畏れ入りますが、かやうに一々お告げを下さいますあなたさまは、どなたさまで入らつしやいますか、どうぞお名前をおあかし下さいまし。」と申し上げました。神さまは、やはり皇后のお口を通して、
 「これはすべて天照大神のおぼしめしである。又、底筒男命、中筒男命、上筒男命の三人の神も、一しよに申し下してゐるのだ。」と、そこではじめてお名前をお告げになりました。
 神さまはなほ改めて、
 「もしそなたたちが、本当にあの西の国を得ようと思ふならば、まづ大空の神々、地上の神々、又、山の神、海と河との神々にことごとくお供へを奉り、それから私たち三人の神の御魂を船の上に祀つた上、槙の灰を瓠に入れ、又箸と盆とを沢山こしらへて、それ等のものを、みんな海の上に散らし浮べ、その中を渡つて行くがよい。」と仰つて、くはしく、征伐の手順を教へて下さいました。
 それで皇后はすぐに軍勢をお集めになり、神々のお言葉のとほりに、すべての御用意をお整へになつて、沢山なお船を召しつらねて、勇ましく大海の真中へお乗り出でになりました。
 さうすると海中の、あらゆる大小の魚が、のこらず駈けよつて来て、すつかりのお船をみんなで背中にお担ぎ申し上げて、わツしよい/\と威勢よく押しはこんで行きました。そこへ、丁度都合よく、追ひ手の風がどん/\吹き募つて来ました。ですからそれだけのお船がみんな、駈け飛ぶやうに走つて行きました。
 そのうちに、その大層な大船に押しまくられた大浪が、しまひには大きなすさまじい大海嘯となつて、これから皇后が御征伐にならうとする、今の朝鮮の一部分の新羅の国へ、ふいに、どどんと打ち上げました。そして、あつといふ間に、国中を半分までも巻き込んでしまひました。
 皇后の軍勢は、その大海嘯と入れちがひに、息もつがせずうわあツと攻め込みました。すると新羅の王はすつかり怖れちゞこまつて、すぐに降参してしまひました。
 国王は、
 「私どもはこれからいつ/\までも、天皇の仰せのまゝに、お馬飼